ADHDの特性は不注意、衝動性など否定的な印象の強い言葉で表現されていますが、必ずしも悪いものではありません。
不注意は視野の広さでもあり、衝動性は瞬発力でもあります。特性そのものにはよい側面があり、それは長所ともなるものなのです。
特性が生活上の支障となった場合には、ADHDと診断されます。しかし実際には、特性が支障とならず、のびのびと生活できている人もいます。(p23)
ADHD(注意欠如・多動症)というと、ネガティブなイメージがつきものです。ADHDというだけで、手のかかる問題児とみなされたり、信頼できないそそっかしい人と思われたりします。
けれども、ADHDの遺伝子は、はるか昔から人類全体に保存され、かなりの割合の人に受け継がれてきました。これは、ADHDの傾向が、歴史上、時と場合によっては、長所として役立ってきたからだと言われています。
特に狩猟社会や遊牧民族の中では、ADHDの特性は才能ともなったとされています。わたしたちが生きる現代社会においても、ADHD傾向を長所として活かすことは可能です。
欠点が多いとみなされがちなADHDの人には、他の人にはない、どんな7つの長所があるのでしょうか。どうすれば、ADHDの傾向を、弱点ではなく才能として活かすことができるのでしょうか。
冒頭に引用した女性のADHD (健康ライブラリーイラスト版)をはじめ、ADHDに関する10冊ほどの本やWeb上の資料からを引用しつつ、考えてみたいと思います。
ADHDは原石であって才能ではない
まず、ADHDの人の長所を考える前に、思いに留めておきたいことがあります。
それは、ADHDの傾向があるからといって、はじめから優れた才能があるわけではなく、ましてや天才だったりすることはない、ということです。
このことを理解するために、ひとつのたとえで考えてみましょう。
あなたは、美しい宝石が好きですか。 では宝石になる前、つまりカットする前の原石を見たことがあるでしょうか。
ADHDの傾向は、ある意味で、宝石の原石に例えることができます。
採掘人が地中の岩から掘り出した原石は、そのままだと、さしたる美しい輝きもなく、土くれに覆われた、少し色が鮮やかな他と異なる石にすぎません。
同じように、持って生まれたADHD傾向もまた、本人がそれを意識せず、適切なサポートも受けていない状態では、何ら輝くところは見当たらないかもしれません。他の人たちとは毛色の違う、ただの変わった人、よくて個性的な人と思われるだけでしょう。
宝石の原石は、正しく処理してカットしないと、せっかくの輝きが台無しになることもあります。知識や経験の少ない素人が見よう見まねでカットしようとすると、原石は傷ついたり割れたり、輝きが失われたりします。
ADHDの傾向を持った子どもも、ADHDの扱い方を知らず、それを「障害」や「欠点」とみなすような文化や社会、家庭環境、教育者のもとで育つと、せっかくの素質が台無しにされることがあります。
子供のころから不注意で集中できない落ちこぼれとみなされ、自尊心を打ち砕かれ、大人になるころには、うつ病をはじめ、様々な二次障害を抱えて苦しんでいるADHDの人も少なくありません。
しかし、正しい知識をもった職人が注意深くカットすれば、原石は、土くれに覆われた元の姿からは想像もつかないほど、きらびやかで美しい宝石へと変貌します。多くの人から魅力的だと高く評価され、重宝されることになるでしょう。
持って生まれたADHD傾向も、その素質を伸ばすことのできる家族や教師、優れた医師に恵まれたとき、ほかのだれにも真似できない優れた才能として開花することがあります。
できることなら、自分自身もまた「職人」となって、自分の才能を原石から磨きだす努力を払わなければなりません。
そうするには、自分の持つADHD傾向についてよく理解し、どうカットすれば輝きを引き出せるのかを知る必要があります。
ADHDの人の7つの魅力的な長所
これから考える7つの点は、ADHDの人が持つ多動・不注意・衝動性などの傾向が、時と場合によっては、欠点ではなく長所ともなりうる、ということを物語るものです。
もしあなた自身や、あなたの家族、友だちがADHDの傾向を持っているなら、どうすればそのような長所を引き出せるだろう、と考えながら読んでみるとよいかもしれません。
1.行動的でアグレッシブ
ADHDの人が持つ長所のうち、まず1つ目は、行動的でアグレッシブなところです。
ADHDの人の「多動性」は、教室など、じっとしているべき場面では、欠点とみなされがちです。しかし広い社会に出ると、極めてエネルギッシュで活動的、という長所にもなりえます。
図解 よくわかる大人のADHDには、息子がADHDだと診断されたことをきっかけに、自分もADHDだったのだ、と気づいた母親のBさんの経験が載せられています。
Bさんは、肩の力が抜けたことで、ADHDの良さも自覚できるようになりました。
アイデアがわき出し、わくわくしたり、ときめいたりする感性が人一倍高いこと、八方塞がりの状態から抜け出すための解決策がパッとひらめくこと、好奇心とチャレンジ精神が旺盛といった特性があることで、自分の人生が豊かなものになっていると実感しています。(p143)
Bさんは、子どものころから「変わり者」とみなされたり、同級生とテンポが合わなかったりして、さまざまな苦労を経験してきました。他の母親のように家事を手際よくできず、疲労困憊して疲れ果てることもありました。
しかし、自分がADHDだと気づいたことで、周りの人と同じようにやろうと無理をすることがなくなり、かえって自分の個性をのびのびと発揮できるようになりました。
ADHD特有のエネルギッシュな行動力や、旺盛なチャレンジ精神は、自分にしかない長所であり、人生を豊かにするものだと気づいたのです。
こうしたADHD特有の行動力について、女性のADHDに詳しいどんぐり発達クリニック院長の宮尾益知先生は、最近の記事でこう述べていました。
天才ではない一般人のレベルでも、ADHDの「不注意」という特性がプラスに働くこともあります。「注意があちこちに飛ぶ」というのは、「他の人よりも新しい発見が多い」とも捉えられますよね。
だからADHDの人は、小商社や小さな貿易会社のバイヤーに向いているのではないでしょうか。あっちこっちに興味が向いて売れそうなものを、どんどん見つけることができるという意味で。
また、「衝動的に行動する」、と言うとマイナスイメージですが、「自分の考えで突き進む」と考えれば、リーダーに向いているとも言えます。ミスも多いので、補佐役は必要ですけどね。
ADHDの人は、新しい発見を求めて積極的に行動するため、 さまざまな面白いものを見つける仕事や、自分の考えで突き進む行動力のまあるリーダーに向いているのです。
2.新しいものに目ざとく物知り
2つ目の長所は、すでに述べた点とも関係する、新奇追求性です。ADHDの人は、飽きっぽく集中力が長続きしないと言われますが、それは裏を返せば、新しい魅力的なことをどんどん探し求めるということです。
図解 よくわかる大人の発達障害では、ADHDの人の新奇追求性について、こう説明されています。
集中力が持続しないのは、言い換えれば刺激に敏感で、つねに新しいものに接していないと満足できない心理状態にあるからといえます。これを「新奇追求性」と呼んでいます。
…ADHDの人は「広く浅い知識を持つタイプ」ということができます。
このADHDの特性は「変化に敏感」ということができ、めまぐるしく移り変わる現代社会においてはとても有利な個性といえます。(p21)
ADHDの人は、すぐに退屈してしまうので、 常に新しいものを探し求めます。実世界においてもインターネットの情報世界においても、刺激と発見を求めて、次から次へ冒険に乗り出していることがよくあります。
その結果、周りの人の何倍ものスピードでさまざまな情報に触れ、見識を深めるので、多分野にわたって広い知識を持つ、ルネサンス的教養人になることもあります。
さまざまな本を読む、さまざまな店を練り歩く、さまざまな国を旅行する、さまざまなゲームやアニメに詳しくなるなど、何に興味を持つかは人それぞれですが、その幅広い知識や経験は情報通として重宝されるかもしれません。
発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190)にも、ADHDの新奇追求性が長所となる場合について、こう書かれています。
ADHDの新奇追求や独創性は、長所にも短所にもなる症状で、過集中傾向も併せてうまくプラス方向に活用できれば、自分の才能や能力にあった職業に就いて、思う存分、独創的な仕事をやることができ、結果的に素晴らしい業績を残せる可能性があります。(p77)
ADHDの人が新奇追求性を「飽きっぽさ」という短所ではなく、「見識の広さ」という長所として活かすために大切なのは、それを活かせる仕事につくことです。
さきほど引用した宮尾先生の言葉の中で挙げられていたバイヤーのような仕事をはじめ、近年では、特にネットなどのメディアを中心に「キュレーション」という仕事が高く評価されるようになっています。
キュレーションとは、ちょうど美術品の展覧会を企画する人のように、人々が魅力を感じそうなものを集め、選定し、紹介する役割のことをいいます。
そうした情報の中には、新しい時代の最先端のニュースはもちろん、情報の洪水に埋もれて忘れられていた温故知新の知識もあるでしょう。
自分の独特の感性にもとづいて多様な知識を集め、魅力的な情報として発信する人たちは「キュレーター」と呼ばれており、ADHDの人に向いている役割といえるかもしれません。
3.積極的なコミュニケーション力
3つ目の長所は、積極的な社交性です。ADHDの人は学校や友だちづきあいでは、しゃべりすぎて怒られることがしばしばですが、どんな人とも積極的に会話できる気さくさは、今の時代にとても貴重な能力です。
女性のADHD (健康ライブラリーイラスト版)には、ADHDの人の積極的な社交性についてこう書かれていました。
状態が落ち着くと、ADHDの特性がよい面で発揮される。
多動性が、どんな相手にも積極的に話しかけられるという長所となって現れたりする。(p96)
ADHDの人は、多動性、衝動性のためについついしゃべりすぎたり余計なことを言ったりしがちですが、それをうまくコントロールできれば、優れたコミュニケーション能力として発揮されます。
例として挙げられているADHDの女性はこう語っています。
深く考えずに発言することが以前は負い目になっていました。それもいまは「具合の悪そうな人をみかけたらすぐに声をかけられる」という自分の長所として理解しています。(p97)
ADHDの持ち前の積極性を活かせば、初対面の人、外国人、具合の悪そうな人、年齢の離れた人など、多くの人がつい話しかけるのに気後れしてしてしまう場面でも、進んで意思疎通できるようになるかもしれません。
もちろん、コミュニケーション能力は最初から身についているものではないので、最初のうちは、失礼なことを言ったり、配慮が欠けたりすることも多いでしょう。
しかし積極性を生かして場数を踏み、コミュニケーション能力を訓練するなら、人と人を結びつける貴重な存在として、友だちや同僚から重宝されるようになるはずです。
図解 よくわかる大人のADHDには、社交的なADHDの人が果たせる役割についてこう書かれています。
それでも、おもしろい話題を次々と提供してくれ、独創的な遊びや企画を思いついて、仲間を楽しませてくれます。
…機転が利き、アイデア豊富で、「何かおもしろいことをやってくれそう」と周囲が期待する存在となることでしょう。(p138-139)
ADHDの人は、おっちょこちょいでどこか抜けているとしても、面白い話題を次々に提供して、場を盛り上げてくれる明るいムードメーカーになる素質を持っています。
4.アイデア豊かな連想能力
4つ目の長所となりうる能力は、アイデア豊かな創造性です。以下の記事でも紹介されているように、ADHDの人には、優れた創造性がみられることがしばしばです。
そして、何にも増してADHDにはクリエイティビティ(創造性)の面で優れているという報告があります。
どうしてADHDの人は、ほかの人よりも優れた創造性、クリエイティビティを発揮できるのでしょうか。
世界で最もクリエイティブな国デンマークに学ぶ 発想力の鍛え方という本では、ADHDのタトゥー・アーティスト、エイミー・ジェイムズの話が載せられています。
エイミーの物語は挫折の物語だ。学校の試験ではいつも落第、注意欠陥障害のため、頭の中にはとりとめのない考えがいつもあふれていた。
しかしそのとりとめのない考えは、新しいクリエイティブな発想を生み出す源となる。
またエイミーの物語は、アーティストとしての才能に気づき、それに従って前に進むようになるまでの物語である。(p285)
エイミーは、ADHDのせいで、集中するのが苦手で、学校では落ちこぼれでした。というのも、頭の中にいつもとりとめのない考えがあふれているからです。
しかし、 見方を考えれば、一つのことに集中できない代わりに、さまざまなことを思い巡らし、ほとんどの人が考えもつかないような独創的な連想能力を発揮できるともいえます。
インタビューの間、エイミーは自分のことを注意欠陥障害とか、注意欠陥多動性障害だと、としきりに話していた。
クリエイティビティ研究者の中には、こうした障害を持つ人は非常にクリエイティブで、無意識のうちに別のことに注意が移っていくことが、クリエイティビティに不可欠な要素となっているのだろうと考える人もいる。(p291)
ADHDの人は、次々に考えがさまよって移り変わっていくので、連想能力に秀でています。無意識のうちに、考えがどんどん枝分かれし、注意が移り変わっていくことで、ちょうど放射状に広がる木の枝のように様々なアイデアが湧いてくるのです。
もちろん、これは、ADHDの人がみな誰でも独創的でクリエイティビティに秀でているという意味ではありません。そんな都合のいい話はありません。
ただ注意がさまようにまかせているだけでは、「とりとめのない考え」、つまり何の役にも立たない雑念で頭がいっぱいになるだけです。だから学生時代のエイミーは、落ちこぼれだったのです。
当然ながら、独創的なアイデアという良質のアウトプットを期待するには、良質のインプットを得る努力が不可欠です。それには、創造性に役立つさまざまな知識や材料を取り入れ、幅広いアートに触れることが含まれます。
エイミーは、自分のアーティストとしての才能に気づき、それに従って前進し、努力を傾けるようになったとき、ADHDの特性が、優れたクリエイティビティとして発揮されるようになりました。
同じように、ただADHDだというだけで創造的にはなれませんが、アーティストとしての素質に気づいて原石を磨くよう努力するなら、さまざまな分野のクリエイターとして成長していくことも夢ではないのです。
5.好きなことには没頭できる
5つ目の点は、好きなことには没頭できる集中力です。ADHDの人は、興味のないことには集中できない反面、好きなことには寝食を忘れて没頭できます。
発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190)には、そうした両極端な特性についてこう書かれています。
一方、彼らは、自分が興味、関心のあることにはズバ抜けた集中力とこだわりを持って長い時間のめり込むことができます。不注意傾向と一見矛盾するようですが、これは「過集中」と呼ばれる現象です。
自分の興味、関心の有無によって注意集中力と意欲に大きく差が出るの葉、ADHDの典型的な症状であり、大きな特徴です。(p76)
ADHDの人は、ふつうに程よく集中することが苦手です。気の進まないことにはまったく身が入りません。そのかわり、好きなことには、「過集中」してのめりこみます。
これは、ADHDの人がさまざまな依存症に陥りやすいメカニズムと共通しています。ADHDの人は、ドーパミンがアンバランスで、脳の覚醒度が低いと言われています。
ADHDのあまり知られていない12の特徴―脳の未熟さや運動障害、覚醒レベルの低さ、過集中など | いつも空が見えるから
そのため、刺激的なものや惑溺性のものに依存しやすく、コーヒー程度ならともかく、タバコや麻薬やギャンブル、セックスなどに依存して身を持ち崩す人も少なくありません。
刺激的な冒険を好み、危険を顧みず、危ないスポーツに熱中したり、命の危険を冒すスリルに依存してしまう人もいます。
そうしたものに依存してしまうのは、強い刺激によってドーパミンが放出され、、脳が覚醒することを慕い求める、一種の自己投薬(セルフメディケーション)であるという考え方もあるようです。
しかしながら、脳を目覚めさせ、ドーパミンを引き出すのは、何も、危険で有害なことばかりではありません。なんであれ、自分の好きなこと、興味のあること、楽しいこと、魅力的なことは、ドーパミンと快感をもたらします。
特に、有害なことではなく、純粋にだれかの役に立つことや、学問的な探究に強い興味を持っているなら、強い刺激を求めて、人一倍それらのことに集中し、長い時間のめり込むことは、かえって益になる場合もあるでしょう。
自分の好きなことに過集中して優れた業績を残すADHDの人は大勢います。ある意味で依存症のようなものですが、そのおかけで、人一倍知識を得たり、作品を創りまくったり、研究を発表しまくったりできるのです。
以下の記事によると、そうしたADHDのクリエイターの一人として、かの有名なモーツァルトを挙げることができるかもしれません。
「モーツアルトが求め続けた脳内物質」須藤伝悦著 2014年3月28日 吉澤有介/バイオマス図書館
しかしザルツブルグの優れた音楽家であった父レオポルトは、幼いモーツアルトに厳しい英才教育を施しました。
その音楽によって脳内のドーパミンが増加し、多くの不快な症状が癒されるという不思議な体験をしたものと想像されます。
著者はマウスなどの多くの動物実験によって、音楽がドーパミンの合成を促進することを確認しました。
モーツアルトは、きっと音楽がADHDを改善して爽快な気分にさせると知って、自分をより癒してくれる音を追求したことでしょう。
モーツァルトの場合は、音楽を作曲することが、慢性的に足りていないドーパミンを引き出すスイッチになりました。
快感と刺激を求めてだれよりも長い時間、繰り返し音楽に没頭したので、モーツァルトの作品は他に類を見ない完成度を誇るまでになりました。
こうした時間を忘れて没頭することから得られる喜びや満足感は、心理学者のミハイ・チクセントミハイによって「フロー体験」と名づけられています。
没頭する幸せ―「フロー体験入門」の8つのポイント | いつも空が見えるから
やりすぎない程度にフローを定期的に経験することは、幸福感を増し加え、健康にもよいと言われています。
疲れを忘れてやりすぎたり、寝食を忘れたりしないよう気をつけることは必要ですが、過集中をうまく活用できれば、ADHDの人は他の人たちには味わえない満足感を経験し、優れた業績を残すことができるのです。
6.頭の回転が早い
6つ目の点は、ADHDの人が持ち合わせている衝動性からくるスピードです。
ポジティブ心理学の挑戦 “幸福"から“持続的幸福"へには、頭の回転が非常に早かったある学生のことが書かれています。
アンジェラは、私の知っている誰よりも2倍ほど早口で、よどむことなく話した。早口なのに、話は意味のよく通るものだった。(p168)
ADHDの人はおしゃべりで早口で、ひたすら話し続けていることがよくあります。自分の考えの移り変わりを常に口に出して実況してしまうような人もいます。
そんなことができるのは、人一倍 頭の回転が早く、次から次に考えが思い浮かぶからです。先ほど考えた通り、注意の焦点が定まらないADHDの人の思考は放射状に広がっていき、次々に連想がつながります。
以下の記事では、楽天の創業者、三木谷 浩史さんが、そのような特性を持っていて、自分にはADHDの傾向があると述べたことが紹介されています。
実はADHDだった? 楽天・三木谷氏、“落ちこぼれ”だった子供時代 〈BOOKSTAND〉|dot.ドット 朝日新聞出版
同書によれば、三木谷氏は、LCC、教育、農業、野球など、多岐にわたる話題を、相手のことなどお構いなしに、マシンガンのようにどんどん話し、周囲を置いてけぼりにすることもしばしば。まるで、頭の中に何本もの電車が走っているかのようだと描写しています。
…三木谷氏本人も、いくつもの事柄を同時進行で考える自身の思考回路について、「他の人と違う。ADHD(注意欠如・多動性障害)の傾向があるかもしれない」(同書より)と自己診断しています。
ここでは、思考のスピードの速さが、あたかも頭の中に何本もの電車が走っているようで、マシンガンのごとくしゃべり続けると表現されています。
ADHDの人は、ブレーキを忘れて走り回る車のようだと表現されることもよくあります。次々に色々なことを思いつくので、人の何倍も色々なことを考えすぎてしまうのです。
もちろん、先ほどのポジティブ心理学の挑戦 “幸福"から“持続的幸福"への続きを読むと、そうした頭の回転の速さには犠牲がともないます。
頭の回転の速さには犠牲を伴う。いわば「頭の深呼吸」をしなければならなかったところで、微妙な意味合いを逃したり、早とちりをしていたことに気がついた。
一語一語読むべきであったところを、ざっと目を通しただけだったことに気がついた。相手が一言二言話し始めた途端に何が言いたいのかが分かるので、途中で話をさえぎってしまうのだ。(p192)
頭の回転が早くてスピードが出すぎるせいで、人の言葉をさえぎったり、早とちりをしたり、衝動的に失礼なことを言ったりするADHDの人は少なくありません。
しかし、頭の回転の速さそのものは、うまく制御できるようになればとても強力な能力となりえます。この本では、ADHDの子どもの頭の回転の速さが「頭のフェラーリ」と呼ばれています。(p216)
フェラーリを乗りこなすのは簡単ではありません。一般道路で全速力を出そうものなら、すぐに大事故を起こすでしょう。でもレース場では無類の速さを発揮できます。さらに熟達したドライバーは、フェラーリの速さを制御するスキルを身につけています。
ADHDの「思考のフェラーリ」も要は使いようです。日常生活ではコミュニケーション事故の源ですが、実業家のような行動力や発言力が求められる仕事においては頭の回転の速さを遺憾なく発揮できます。
また熟達したドライバーのような、速さを制御するスキルを身につけることも大切です。何か言う前に一呼吸置くこと、ときどき心の深呼吸をすること、リラクゼーションのスキルを身につけることなどは、スピードのコントロールに役立ちます。
「思考のフェラーリ」を乗りこなせるようになり、適切な場所で時速300kmを出せるようになれば、頭の回転の速さと素早い行動力を存分に生かして活躍できるでしょう。
7.強い感受性からくる共感力
最後の7つ目は強い感受性や共感力です。ADHDの人は衝動性や不注意のため、コミュニケーションで失敗することが多く、結果として、人の気持ちを汲み取る力を成長させることがあります。
LDを活かして生きよう―LD教授(パパ)のチャレンジの中で、医師の上野一彦先生から「ディスグラフィア(書き障がい)のある、創造性豊かなADHD」と評された作家の市川 拓司さんは、自分の特徴についてこう語っています。(p120)
日本人が意外と苦手なのが、相対的なものの見方、あと多様性ですね。やっぱり日本でこういう人格で生きていくのは、よその国以上に難しいとは思っています。
…でも逆にいえば、われわれみたいな人間が一番多様性とか、独善的ではない相対的な味方ができるんじゃないかと思います。
よくいうのは、われわれは相手の気持ちもわかるんですよね。なんでこんなに想像力が働くんだろうって思うんだけど。(p125)
子どものときから、他の人と異なっているせいで、苦労してきたADHDの人は少なくありません。限局性学習症(LD)を並存している場合はなおさら、クラスメイトと足並みを揃えられず、苦労したことでしょう。
そうした困難や失敗体験を繰り返したせいで、感受性が強くなり、人の言葉や感情に敏感になるADHDの人もいます。
図解 よくわかる大人のADHDにはこう書かれています。
ADHDのある人は、その行動特性のために、子どものころから周囲の人たちに批判されたり、拒絶されたりした経験を持っている場合が少なくありません。その経験が心の傷となっていて、成人してからも、拒絶されたり、批判を受けたりすることに敏感になっていることがあります。(p126)
こうした敏感さは、「拒絶感受性」(RS)と呼ばれています。拒絶感受性が強いと、自尊心を持ちにくかったり、他人の評価に敏感になりすぎたりします。
ささいなことにも傷つく「拒絶感受性(RS)」の強い人たち―傷つきやすさを魅力に変えるには? | いつも空が見えるから
しかし、他の人の気持ちに敏感なのは、決して悪いことではありません。さきほど引用した市川さんの言葉の中では、自分とは異なる意見や考えを持つ相手の気持ちもよくわかるため、多様で柔軟な見方ができると書かれていました。
また、少し前に登場した音楽家のモーツァルトの性格について、天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性という本にはこう書かれています。
ハロウェルとレイティ(Hallowel & Ratey)はADHDの人たちの多くの特徴について記述している。
モーツァルトには彼らが記述しているどの特徴もあり、それには極めてエネルギッシュで、独創性、直感力、音楽については工夫に富んでいること、音楽に関しては粘り強いこと、勤勉で不屈な取り組み方をし、加えて、優しく非常に信義に厚く、まったく同様に寛容でもあったことが含まれている。(p198)
モーツァルトは、さまざまなADHD的傾向を示したとされていますが、その中には、「優しく非常に信義に厚く、まったく同様に寛容でもあった」ことが含まれています。
モーツァルトもまた、ADHDの子ども時代からくる苦労のせいで、敏感な感受性を持っていたのでしょう。その感受性は、他の人への優しさや寛容さ、そして感性豊かな音楽として発揮されました。
もちろん、感受性が強ければ、それだけで他の人の気持ちに配慮できる温かい人になれるわけではありません。
「拒絶感受性」の強いADHDの人の中には、境界性パーソナリティ障害(BPD)として診断される人もいます。BPDの人は、傷つきやすさのせいで衝動的に相手を傷つける言葉を口にしがちです。
傷つきやすさを長所へと成長させるには、やはり努力が必要です。単に傷つきやすい敏感な心を抱えているだけでは弱点でしかありませんが、その敏感な心を用いて、他の人の心の痛みを想像し、理解するよう努めるなら、共感力が育まれます。
深い感受性と共感力を兼ね備えたADHDの人は、多様性を理解し、異なる背景を持つ人にも寛容で思いやりのある魅力的な人に成長できるでしょう。
まずはADHDへの見方を変えるところから
ADHDからくる、さまざまな苦労を今まさに味わっている人にとっては、ここまで考えてきた7つの長所は、どれも理想論を並べたきれいごとにすぎないように思えるかもしれません。
ADHDの人が苦労するのは事実です。どう考えても「障害」としか思えないほど、厄介な特性であり、長所になるようには思えない、とさえ感じる人もいるでしょう。それは無理のないことです。
思い浮かべてみてください。ジグソーパズルを作るとします。目の前には何百ものピースがあります。けれどもお手本とする完成図はありません。
そのような状況で、パズルのピースをうまく組み合わせて、ストレスなく楽しく一枚の絵を組み上げることなどできるでしょうか。それは無理です。
ADHDのために多くの苦労を経験し、自尊心を失い、何もかもうまくいかないと感じてきた人は、完成図なしにジグソーパズルのピースの山と格闘している人のようです。試行錯誤だけではなかなかうまくいきません。
どこにどのピースがはまるのかを確かめ、スムーズにパズルを組み合わせるには、完成図をよく見なければなりません。ADHDについてよく知り、長所や短所について理解するのは、それとよく似ています。
図解 よくわかる大人のADHDにはこう書かれていました。
ADHDのある人は、自分にこうした特性があることを理解し、受け入れなければなりません。自分の不得意なことを受け入れられないでいると、無理をすることになったり、適切な支援を受けるチャンスも逃してしまうことになります。(p118)
ADHDについて書かれた本をたくさん読み、ADHD傾向を持ちつつもうまく日常生活に適応し、成功している人たちのエピソードを調べ、自分の長所と短所についてしっかり意識するなら、目ざすべき全体像が見えてきます。
幸いにも、ADHDの先輩たちが、様々な役立つアドバイスを残してくれています。今回引用した幾つかの本などを読んでみれば、短所を補うために、日常生活で工夫できる点がたくさん見つかるでしょう。
ADHD傾向がとても強くて、日常生活に支障をきたすほど困っている場合は、思い切って専門家による治療を受けることも大切です。
医者になんてかかりたくないと思う人もいるでしょうが、医者にかかるということは、「障害者」また「病人」としてADHDという「異常」を治してもらう、という意味ではありません。
「わかっているのにできない」脳〈1〉エイメン博士が教えてくれるADDの脳の仕組みの中で、ADHDの専門医、ダニエル・エイメン先生はこんなことを言っていました。
どうしても治療を受ける決心がつかずに迷っているなら、一歩さがって、ちょっと離れたところからADDの問題を見なおしてみるといいだろう。
私は自分の患者によくこんなことを言う。何でもかんでも「普通」(ノーマル)か「異常」(アブノーマル)かに分けて考えるのはおよしなさい。
だいたい「普通」って何ですか? 「普通」っていったら、ドライヤーの温度設定スイッチの一つですよ。そうでなければ、イリノイ州にある街の名前です。(p280)
ADHDを「欠点」、「異常」と考えて、治そうとするような医者ではなく、ひとつの「個性」ととらえて、短所を補い、長所を伸ばしてくれるような、発達障害に詳しい専門医を選べば、必要なサポートを受けて、長所を伸ばす助けが得られるでしょう。
はじめに考えたとおり、ADHD傾向があるからといって、優れた才能があるわけではありませんし、ましてや天才だということもありません。
しかし他の人とは違う「個性」を持っていることは間違いない事実であり、「個性」という原石を磨き、正しくカットすれば、輝く「才能」が生まれることもあるのです。
ADHD傾向からくる様々な問題に悩んできた人は、まずはADHDに対する見方を変えるところから、つまり『この「障害」とどうやってつきあっていくか』ではなく、『この「個性」をどう伸ばせるか』という見方に変えるところから始めてみるとよいかもしれません。