ADHDとアスペルガー(AS)はどのような違いがあるのでしょうか。
一般に、注意欠如多動症(ADHD)もアスペルガー症候群(AS)も同じ「発達障害」という言葉でくくられ、同じようなものだとみなされていることがあります。両者がよく似ていると思っている人は少なくありません。
確かにADHDとアスペルガーは併発することもありますが、図解 よくわかる大人のADHDによると、ADHDの人のアスペルガーの併存率はたった5-6%です。両者は全然違うのです。(p47)
(※最新の診断基準DSM-5では、アスペルガーは自閉スペクトラム症(ASD)に統一されており、ADHDとASDの併存が認められるようになりました)
この2つの発達障害の違いをわかりやすく理解する一つの方法は、ADHDの有名人とアスペルガーの有名人を比べてみることです。
今回比較するのは、ADHDだったとされる画家ピカソ(Pablo Picasso)と、アスペルガーだったとされる画家ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)です。
ピカソとゴッホはどちらも、不世出の偉大な画家です。今だに本屋さんの美術書のコーナーに行くと、二人をテーマに書いた本がたくさん見つかります。それほど、ピカソもゴッホも、現代のわたしたちの心をとらえてやまない魅力的なクリエイターなのです。
ではピカソがADHDだったと言われるのはなぜなのでしょうか。ゴッホがアスペルガーだったと言われるのはなぜなのでしょうか。両者にはどんな共通点と違いがあるのでしょうか。
ADHDの画家ピカソとアスペルガーの画家ゴッホを比較する
はじめに理解していただきたい点が2つあります。
すべての人に当てはまらない
この記事は、ADHDの人がみなピカソらしいとか、アスペルガーの人がみなゴッホらしいという主旨のものではありません。人間の個性はもっと複雑です。
同じADHDだけど、ピカソとは似ていないと感じる人もいれば、アスペルガーだけどピカソに似ているという人もいるでしょう。実際、アスペルガーの人でADHD傾向を併せ持つ人もかなりいます。
それに、発達障害の人がすべて絵の才能がある、という内容でもありません。一人ひとりの興味関心や、生まれ持った才能は異なります。単にピカソとゴッホの場合に、発達障害傾向が、絵の才能の開花に一役買ったという意味にすぎません。
この記事は、あくまで、ただ二人の故人について考えたものにすぎず、統計的にADHDとアスペルガーの違いを考察したものではないことをご承知ください。
死後診断の意義
また、過去の著名人を死後診断することについて、嫌悪感を抱く人がいるのも承知しています。実際、今回紹介する2冊の本のAmazonレビューでは、そのような理由のため、低評価をつけている人がいます。
しかし、たとえばファラオ・アメンホテプ4世やバイオリニストのパガニーニがマルファン症候群だったと死後診断されているのと同様、こうした死後の研究は、歴史上の偉人の傑出した特徴がどこから来ていたのかをよく理解する助けとなるのも事実です。
またダーウィンやナイチンゲールが慢性疲労症候群だったとする研究と同様、過去の偉人が、現代のわたしたちと同様の問題に悩んでいた、ということを知るのは、ときには当事者たちにとって、たいへん励みになることなのです。
ピカソとゴッホについては、どちらも大量の資料が現存しているので、二人が、何らかの発達障害ゆえの強い個性を持っていたことは、ほぼ間違いないでしょう。
それでは、こうした点を念頭に置いた上で、ピカソとゴッホの生涯と、発達障害らしい特徴についてお読みください。
ADHDの画家パブロ・ピカソ
まずは、ADHDの特徴が非常に強く見られたと言われる、画家パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の特徴を見てみましょう。
ビカソのADHD的性質についてはVOICE新書 知って良かった、大人のADHDという本から、その他の名言については、パブロ・ピカソの英語の名言・格言集。英文と和訳 | 癒しツアー または パブロ・ピカソ | 名言集から引用しています。
子ども時代
1881年に生まれたパブロ・ピカソは、出生時、重度の仮死状態でした。もしかすると、このような生まれたときの事情が、強いADHDの傾向をもたらしたのかもしれません。出生時のトラブルはADHDの発症と関連していると言われています。
父親は国立美術学校の教師でしたから、芸術的才能が開花する環境は整っていました。
ピカソは小学校のころから落ち着きがなく、勝手に席を立ったり、授業中、ひたすらノートに落書きしたりしていました。悪いことをして独房に入れられると、むしろ好きなだけ絵を描けると喜んだそうです。
彼には学習障害(LD)もあったようで、カンニングペーパーを渡されても、書き写すのに非常に苦労しました。図解 よくわかる大人のADHDによると、一般にADHDの3割から5割に学習障害が見られると言われています。(p46)
激しい衝動性と攻撃性があり、おもちゃのピストルで野良猫を殺したり、二階から通行人に石を投げたりもしたそうです。
とても反抗的で、中学校は中退し、その後も家出したり、売春宿に転がり込んだりしていました。
落ち着きのなさ
せっかちな自分にとって一時間は永遠と思えるほど長かった。(p60)
ピカソは子ども時代のみならず、大人になっても落ち着きがなく、伴侶のフェルナド・オリヴィエは、彼と出会ったとき、「落ち着かず、人を落ち着かせない」人だと表現しました。(p62)
常にエネルギッシュにいろんなことに取り組んでいて、バタバタと勢いのままに過ごしているような人でした。
彼のADHD傾向は、子ども時代限定の、大人になれば消えさるようなものではありませんでした。今でいう「大人のADHD」に相当するものとして、生涯ピカソを特徴づけるものとなりました。
注意のコントロールの難しさ
注意を集中することにどんなに僕が苦労したか、君には想像できないだろう。注意を集中しようと思っても、別の考えに惑わされて混乱してしまうのだ。(p60)
ピカソは注意のコントロールの難しさも抱えていました。学校の勉強にはどうしても集中できませんでした。
ところが絵を描くことに関してだけは、超人的な集中力を発揮できました。つまり、興味のないことにはまったく集中できず、好きなことにはずば抜けた注意力を発揮できたのです。
ADHDの人は一般に「不注意」「注意欠陥」ばかり強調されますが、実際には注意のコントロールが下手なだけで、好きなことには寝食を忘れて過集中できるのです。
発想が豊かすぎる
思いついたことをやり遂げる前に、すぐ他のことに着手するので、一つのことをやり遂げる時間が到底ない。(p62)
ピカソは、いくらでもアイデアを思いつく人でした。次々と新しい魅力的なアイデアが降ってくるので、何かをやり遂げる前に次のことへ移ってしまうこともしばしばでした。
しかし、ピカソは、ひらめきを自分でコントロールできたわけではありませんでした。
ひらめきは自分で呼び込めるものではない。わたしにできるのは、ひらめきを形にすることだけだ。
アイデアはいつ降ってくるかわからなかったので、ピカソはいつもポケットにノートを入れておき、食堂でもベッドでも、思いつくやいなやノートを取り出してアイデアを書き留めていたといいます。
ピカソは、非常に忘れっぽかったので、アイデアを書き留めておかないと、すぐにどこかに消え去ってしまうということを自覚して、対策を講じていたのです。
部屋がぐちゃぐちゃ
ピカソはいわゆる「捨てられない」人でした。
まったく整理整頓ができませんでした。部屋は無秩序で、小物、ガラクタ、食べ物、服、芸術作品などがうず高く積み上げられていたといいます。
自分でも物がどこにあるかわからず、同居人のサバルテに、手紙や本などを見つけてくれるように頼んだそうです。
ポケットの中にも、いろいろと変なものがたくさん入っていました。あまりにものを詰め込みすぎて破れることもありました。(p63)
約束を守れない
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけだ。
この名言は、「今日できることは今日すべき」というすばらしい名言だと認識されているようですが、じつはそうした意味ではなく、ADHDならではの迷言なのかもしれません。
というのは、ピカソは依頼された急ぎの仕事に縛られるのを嫌い、頼まれた肖像画や挿絵をよく先延ばしにしたらしいからです。(p65)
つまり、彼にとって、たとえ大事な仕事でも、自分が興味を持てないものなら、「やり残して死んでも構わないこと」だったわけです。
このピカソの名言(迷言)は、興味のあることはすぐやってしまいたい、思いついたことは即実践! そのほかは大事なことでも後回し、というADHD特有の計画性のなさを表現していた可能性があります。
その証拠に、親友サバルテは、「約束することとそれを守ることはピカソの場合は滅多に一致しない」とさえ言っています。(p63)
またピカソはこうも述べました。
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである。
これも、何やらかっこいいことを言っているように見えますが、このブログの以前の記事で取り上げたとおり、過去の教訓から学べず、未来の計画も立てられないADHDならではの場当たり的な生き方について述べていたのかもしれません。
スタイルがころころ変わる
冒険こそがわたしの存在理由である。
ピカソは、絵のスタイルがころころ変わったことで有名です。
パブロ・ピカソ│Wikipediaによると、青の時代→ばら色の時代→アフリカ彫刻の時代→セザンヌ的キュビスムの時代→分析的キュビスムの時代→ 総合的キュビスムの時代→新古典主義の時代→シュルレアリスム→ゲルニカの時代→晩年の時代と、数年単位で変化し続けました。
ピカソが次にどんな絵を描くかは予想不可能でした。ピカソの熱心なファンだったダグラス・クーパーでさえ、晩年の作品群にはついていけないと思ったほどです。
こうしためまぐるしく変わるテーマ性は、ADHDの「新奇性探究」の特徴です。簡単にいえば、飽きるのです。飽きてしまうと集中できないため、常に新しいことを追い求めて生きています。
一箇所にとどまることはできず、冒険しつづけないと生きられないのがADHDです。たとえば、遊牧民族などはADHDの傾向が強かったのではないかと言われています。
決められた道に従わない
絵の玄人なんてものは、絵描きに対してろくなアドバイスをしない
ピカソは権威に反抗的でした。指図されることを望まず、集団に属することも選ばず、自分独自の道を切り開いていきました。
父親のドン・ホセ・ピカソは写実主義のスタイルだったので、ピカソも子どものころ、写実がを練習しました。しかしそれは長続きしませんでした。
私は対象を見たままにではなく、私が思うように描くのだ
と言い出して、一般受けする写実主義という王道を捨て、キュビズムという独自のスタイルへと進んでいきました。
とはいえ、彼は自分の発想だけで、独自の絵を創ったというおごりは抱いておらず、
優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む。
と述べました。彼の絵も、先人たちの技術や発想を盗んで、別の言い方をすれば、先人たちのアイデアからヒントを得て、生み出されたものだったのです。
たとえば、ピカソの名作アビニヨンの娘たちは、アフリカ美術の影響を受けたものでした。
ピカソが言いたかったのは、先人たちの作品を参考にしないということではありませんでした。単純な模倣、つまりコピーをするのは嫌いでしたが、着想や連想の源としては大いに活用したのです。
衝動性
もうごめんだ、下書きだとか、いろんなばかげたことを忘れてしまおう。君たちは皆似たようなものだ。
何とかしようとすると、まず今までになされてきたことを知ろうとする。これでは進歩できない。
芸術作品では、模造とか人為とかは一体何の役に立つのだ。大切なのは、自然に生まれるもの。衝動的なものだ。(p64)
ピカソは、地道な訓練によって、絵の技術を伸ばすことに耐えられませんでした。退屈な繰り返しではなく、好きなもの、描きたいものをひたすら描くことによって、絵がうまくなっていったのです。
彼の創作は、地道な積み重ねではなく、「衝動的」なものでした。ピカソはこうも言っています。
大切なのは熱狂的状況をつくり出すことだ。
冷静にコツコツと努力するのではなく、勢いにまかせて熱狂的、衝動的に絵を描くことによって、他の人には描けないエネルギッシュで躍動的な絵を創りだしたのです。
とはいえ、ゲルニカなどの作品では、大量の下書きも残っていることから、アイデアを形にするために、いろいろ試行錯誤するという努力は惜しまなかったようです。
完璧なんて無理!
それがどうした。誤りから人はその個性が分かるのだ。(p65)
ADHDの人はうっかりミスの大家です。ピカソもご多分に漏れず、もの忘れやケアレスミスがたくさんありました。間違いを指摘されると開き直り、誤りが個性だと言いました。
実際のところ、ADHDの人は、愛すべきうっかり屋さんとみなされることもよくあります。
ピカソは、一つのことで完璧を目指すより、適当に切り上げて、次々に新しいことに取り組むことのほうが、はるかに得意でした。
だからこそ、ピカソは生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家としてギネスブックに記されているのです。
もしピカソが、一つの絵に完璧を求めて、微修正を繰り返したり、構想に悩み続けたりするタイプだったら、こんなに多作にはならなかったでしょう。
ところでADHDの画家には、ほかにサルバトール・ダリがいますが、彼もこう述べたそうです。
完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから。
これはADHDの人共通の、率直な感想なのかもしれません。
子供っぽさ
ピカソは、まるでわがままで無邪気な子どもでした。自己中心的で、協調性がなかったので、友だちとなかなか親密になれませんでした。(p63)
しかし、一人でいることは耐えがたく、対人関係には積極的で、常にいろんな人と会っていたそうです。正式な妻以外にも、何人かの愛人がいました。
人間関係やコミュニケーションが苦手だったわけではなく、積極的に人と関わりましたが、あまりに子どもっぽかったので、深い付き合いが難しかったのでしょう。
ピカソは、自分の子どもっぽさを意識していたものと思われます。
子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。
と述べているからです。晩年には、さらに子どもらしくなったようで、こうも述べて喜んでいました。
この歳になってやっと子供らしい絵が描けるようになった
子どもらしいことは、ピカソにとって恥ではなく、むしろとても意味のあることだったのです。
ADHDの人は、子どもがそのまま大人になったような人だと形容されることがよくあります。
▼ADHDについて
詳しくはこちらの解説をご覧ください。
アスペルガーの画家フィンセント・ファン・ゴッホ
続いて比較対象として取り上げるのは、アスペルガー症候群の画家として知られるフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh)です。
ゴッホのアスペルガーらしさに関する記述は天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性という本から、名言はゴッホ名言・格言集(英語・英文と和訳) | 名言+Quotes から引用しています。
子ども時代
フィンセント・ファン・ゴッホは1853年に生まれました。父親のテオドルス・ファン・ゴッホは、「頑迷」「実直」「勤勉」だったと言われており、アスペルガー傾向は遺伝だった可能性があります。
家族によると、子どものころのフィンセント・ファン・ゴッホは気むずかしく、手がかかり、わがままでした。乱暴な行いも多く、厳しくしつけられて育ちました。
ゴッホはのちに、家族から理解されず孤独だったと記しています。
父と同様、母も私を理解していなかったのだ。(p260)
8歳のころ、小さな粘土のゾウを作りましたが、両親が注目すると、すぐに壊してしまいました。
孤独
私たちは今、みすぼらしい小型のボートで大海にこぎ出し、孤立無援の状態で時代という大きな波に乗っているのだ。(p261)
ゴッホの生涯の最も大きな特徴は孤独だったと思われます。家庭でも学校でも、教会でも理解されず孤独でした。
彼は強いキリスト教の信仰を抱いていましたが、父なる神が共にいてくださるので、孤独ではない、という内容の説教をした記録が残っています。つまるところ、仲間の信者は彼にとって助けにならず、ただ神だけが支えだったようで、一つの教会との付き合いは長く続きませんでした。
彼は、好き好んで孤独でいたわけではありません。愛する女性と一つになるという願望を抱き続けていて、実際に女性と交際したこともありましたが、うまくいきませんでした。
決して成就しない、しかもとても上品とは言えない恋をいくつも経験して、私にはほとんど痛みと恥辱しかない。(p262)
と述べています。彼の関心は、次第に、無条件で自分を受け入れ、包んでくれるもの、つまり神や自然といった存在へと向かいました。
人づきあいがうまくいかなくなればなるほど、私は自然を信じ、自然に集中するようになる。(p261)
アスペルガー症候群の人で、宗教に熱心な人は多いですし、自然や動物との関わりから慰めを得る人もいます。
たとえば動物管理学者テンプル・グランディン、作家オーパル・ウィットリー、作家ヘンリー・ソロー、音楽家エリック・サティなど、アスペルガーの有名人の中には自然や動物をこよなく愛した人が大勢います。
ゴッホの描いた絵には、孤独をテーマにしたものが数多くあり、初期の絵画の登場人物は、「こわばりとよそよそしさ」が特徴ですし、晩年には「一組であること」、つまり支えてくれるものがいることをモチーフにしたヒマワリやイトスギを描きました。(p262,266)
絵を描かないと生きていけない
私にとって人生とは描くことであり、健康の維持など問題ではない。(p264)
ゴッホにとって、絵を描くということは単なる趣味や仕事ではなく、人生そのもの、いえ、むしろ自分の存在意義そのものでした。
絵を描くことは、生活の他のどんなことよりも優先されるべきことであり、そのために寝食を忘れようがお構いなしでした。
かといって、彼は絵を描くことを楽しんでいたのかというと、どうもそうではないようです。
絵を生み出す痛みは私の命のすべてを奪い取ってしまうだろう。そうなったら、もう自分は生きた気がしなくなることだろう。(p265)
この言葉からすると、絵を描くことは、ゴッホにとって重荷でさえあったように思われます。ゴッホの人生は絵に縛られていて、絵を描かなければ生きられなかったのです。
ゴッホはこうも述べています。
絵を描くのは、人生に耐えるための手段だ。泣かないでくれ。僕がしてきたことは、僕たちにとっていちばんいいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない。
ゴッホは、人生の悩みや孤独すらくるストレスを昇華する手段として、絵を描き続けていたようです。ある意味で、ゴッホにとっては、正気を保つために絵を描くことがどうしても必要だったのです。
アスペルガー症候群の人は、アイデンティティ拡散といって、自分は何者なのかという悩みを持ちやすいと言われています。
ゴッホは、絵を描くことによってのみ、自分はゴッホである、というアイデンティティを持つことができ安心感を得られたのではないでしょうか。
これは、アスペルガー症候群の他の画家にも見られる特徴です。やはりアスペルガーの画家だった、L.S.ローリーは、絵を描くことは「取りついた強迫的な衝動」であり、「描かずにはいられない運命にあった」と表現しています。(p278)
このような事情のために、ゴッホは、生涯でたった一枚しか絵が売れなかったにも関わらず、2100以上の絵を描き続けたのでしょう。彼にとって、絵が周囲に認められるかどうかは問題ではなかったのです。
繰り返し描く
熱に浮かされたような恐ろしい勢いで、まわりの生徒があきれるほど同じものを繰り返し描き続けた。(p264)
ゴッホはアントワープ美術学校時代、朝から深夜まで描き詰めで、ひたすら同じものを繰り返し描いたそうです。
同様に、本も同じものを繰り返し読み、聖書やディケンズのクリスマス物語など、特定の本に精通しました。
ゴッホはたくさんの自画像(37点と言われている)を繰り返し描いた画家としても知られています。自分を描いたのは、前述のアイデンティティ拡散とも関係しているのでしょうか。
アスペルガーの人は、限定的な興味関心を持っていて、同じものを繰り返し楽しむことが多いと言われています。
地道な積み重ね
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ。
ゴッホは、模写をたくさんした画家として知られています。
ゴッホは、記憶や想像によって描くことができない画家で、、900点近い油絵のほとんどが、静物画、人物画、風景画で、モデルの写生だと言われています。
しかし、風景などをそのまま描いたわけではなく、模写の際には必ず、ゴッホらしいタッチや色使いに変換された絵になりました。
ゴッホの絵は、衝動的なアイデアの爆発によって描かれたわけではなく、地道な積み重ねの上に成り立っていました。それまでに描いたモチーフ、試した技法などを組み合わせて、徐々に発展していったということができるでしょう。
アスペルガー症候群の人の中には、優れた視覚記憶を持つ人も大勢いて、想像で絵を描く場合もあるので、ゴッホの描き方が一概にアスペルガー的とはいえません。
しかし、絵に対する地道なひたむきさは、アスペルガーならではの根気強さかもしれません。アスペルガーの人の中には、人が投げ出すような単調な訓練を地道に続ける「努力の才能」を持つ人たちがいます。
対象との一体化
私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う。
ゴッホは、絵を描くときには、我を忘れて没頭し、のめりこみました。このような極度の集中は、アスペルガーなど、自閉症の人に特有のものです。
ジョージ・ブルースは、優れた画家は「対象物を単に描くだけではなく、対象物に入り込み、その対象物になりきってしまう」才能がある、と述べています。(p302)
日本人の自閉症スペクトラム(ASD)の当事者である作家の東田直樹さんも、続・自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない高校生がたどる心の軌跡の中で、絵を描くことについてこう書いています。
僕は、絵を描くのが好きですが、絵の具を塗っているときは、自分が塗っているというより、絵の具の色そのものになります。
色になりきって、画用紙の上を自由に描写するのです。周りで何が起こっていても全く気になりません。ただひたすら、絵を描いてさえいれば満足なのです。(p66)
やはり、対象と一体化して溶け合うような感覚が伴うことがわかります。我を忘れて、絵画そのものになりきることができるのです。
自分で道を切り開く
あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな。
ゴッホは、模写を積み重ねたとはいえ、自分独自の表現方法を追求しました。補色を活用した独特な色使い、ひと目でゴッホの絵だと分かる独自のタッチなどはその一例です。
アスペルガー症候群を発見したハンス・アスペルガーは、機械的学習から独創的な考えへと発展しようと努力する子どもたちとは違い、アスペルガー症候群の子どもたちは、自分たち独自の方法を作り上げることしかできないことに気づいていました。(p207)
そのため、アスペルガー症候群の人の多くは、学校生活が苦痛で、授業がつまらなかったり、自分にはまったく合わなかったりした経験を持っています。ゴッホも、学校生活からはまったく何も学ぶところがなかったと言っています。(p260)
ゴッホは、あくまでも、既存のレールに乗るのではなく、自分で自分の道を切り開き、さまざまな工夫と試行錯誤を重ねた結果として、だれとも違う個性を確立し、歴史に名を刻む「画家ゴッホ」となったのです。
厳しさとまじめさ
私は意識して犬の道を選んでいる。(p270)
ゴッホは、非常に厳しいルールを自分にも他人にも課し、規律にそった生活をしました。
特に、宗教的信念にもとづいて、自分の持ち物を貧しい人にすべて分け与えてしまい、衰弱することもありました。衣服や金銭、ベッドまで与えてしまったのです。それは
私はイエスと同じで貧しい者の友なのだ (p268)
という信念によるものであり、宗教の教えに字句通り、文字通りに従おうとしていたのです。
彼は厳しい禁欲主義者で、貧困の中で暮らし、ぼろをまとい、ごく質素な食事しかとりませんでした。こうした宗教などに基づく禁欲的な生活スタイルの実践は、数学者ラマヌジャンなど、アスペルガーの人にときどき見られます。
自分にもとても厳しく、必要以上に迷いが出たと感じると、寝室にこん棒を持ち込んで自分の背中を打ちました。それはキリストの受難を再体験するためでした。
ゴッホが非常にまじめで実直な性格であったことがうかがえます。
▼アスペルガーについて
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
ピカソとゴッホの違いと共通点
このように、ADHDの画家ピカソと、アスペルガーの画家ゴッホの人生や創作スタイルを振り返ってみると、二人には、共通点もあれば、大きな違いもあることがわかります。
単に死後診断の2人の有名人を比べているだけなので、二人の違いが、イコールADHDとアスペルガーの違いだというわけではありません。
アスペルガーの人の中にも、ここは自分はピカソ寄りだ、という人もいれば、ADHDの人でゴッホに似ていると感じる人もいるかもしれません。さまざまな個性を持つ人間をステレオタイプにはめることはできません。
しかし、2人を比べて、興味深いところがたくさんあるのも事実です。共通点と違いを、それぞれ3つずつまとめてみましょう。
共通点1.熱意と集中力
ピカソもゴッホも、驚くほど多作でした。ゴッホは若くして死んでしまったので、ピカソに作品数は大きく劣りますが、ある期間に描いた絵の数は、どちらも非常に多いといえます。
二人とも、絵を描くことにだれよりも没頭し、絵を描くことが人生の目的となっていました。
これは、興味のあることにはずば抜けた集中力を発揮するADHD、狭い興味関心に強いこだわり傾向を持っているアスペルガーの、それぞれの特性が発揮されたためでしょう。
二人とも、絵を描くときには過集中して、寝食を忘れることもありました。過集中の方法は、ADHDとアスペルガーとでは異なっているようですが、脇目もふらず没頭する点は同じです。
共通点2.向上心
ピカソはこんな名言を残しています
私はいつも自分のできないことをしている。そうすればできるようになるからだ。
ゴッホもこう述べています。
私はいつも、まだ自分ができないことをする。そのやり方を学ぶために。
まるで、同じ人が語ったかのような言葉です。二人とも、強い向上心を持っていて、絵の技術を上達させつづけたことがわかります。
究極の鍛錬という本によると、達人になれる人とアマチュアで終わる人の違いは、「苦手なことを練習するかどうか」でした。「得意なこと」ばかり練習している人はアマチュアのままで終わり、「苦手なこと」を練習する人はプロになるのだそうです。
普通、「苦手なこと」を練習しつづけるのは楽しくないので、みんな投げ出してしまうのですが、ピカソやゴッホは驚異的な集中力を持っていたので、苦手なことを克服できるのが早く、練習が苦にならなかったのかもしれません。
二人とも類まれな向上心を持っていたので、決められたレールに沿って絵を学ぶ必要がなく、普通の人と肩を並べて学ぶことことができず、独自路線で、我が道を切り開いていき、ユニークな個性を身につけました。
共通点3.対人関係の悩み
ピカソとゴッホはどちらも、周りから孤立しがちでした。二人とも、親友と呼べる人は非常に少なく、どこに行っても浮いて異彩を放っていました。
ふたりとも、人と親しくなりたい、という強い思いを持っていましたが、当たり前の礼儀や配慮が欠如していて、コミュニケーションが不器用だったので、なかなか他人と親密になれませんでした。
ただし、その原因は、どうやら異なっていたようです。
ピカソは自己管理能力のなさ、つまり自己中心的だったり約束を守れなかったりしたためにソーシャル・スキルが未熟だったのに対し、ゴッホは自分の存在そのものが異質で、どうやっても周囲に溶け込めないと感じていたのではないかと思います。
ピカソは人間関係で失敗して孤立しても、めげずに積極的に新しい人間関係を探していたのに比べ、ゴッホはどんどん悩みを深めて、孤独をテーマに絵を描くまでになりました。
単に人づきあいのスキルが未熟なADHDの人と、そもそも周囲の人と人間としての種族からして違うように感じるアスペルガーの人とでは、対人関係からくる苦悩の仕方も大きく違うのです。
(アスペルガーは別の人種・種族に例えられることがあります。中には自分は「火星人」のようだと述べて、生まれる星が違ったとさえ思っている人もいます)
違い1.自由奔放と禁欲主義
ピカソは、あまりに自由奔放で、ルールに縛られることを嫌いました。彼の行動も、絵のスタイルの変化も予測できませんでした。おそらく自分でも、この先どうなるか見当もつかなかったのではないかと思います。
それに対して、ゴッホは、厳格なルールに従い、規則正しさを取り込むことで、生活を支配していました。彼は自分にも他の人にも規律を課し、宗教的な規則を文字通り実践しました。
こうした傾向はADHDとアスペルガーの違いとしてよく見られるもので、ADHDの人の生活がまったく無秩序なのに対し、アスペルガーの人は、日課をきちんと守ることによって、心の安定を得ていることがよくあります。
もっとも、アスペルガーの人がすべての点で整然としているかというとそうではなく、ゴッホの部屋は汚かったと弟が述べています。アスペルガーの人は身なりに気を使わないことも多いので、あくまで自分独自のルールに厳しいということです。
ちなみに、以前、ADHDの人は、自分で散らかした部屋のどこに何があるのかわからなくなるのに対し、アスペルガーの人は、たとえ散らかっているように見えても、どこに何があるか把握していて、単に使いやすいようにしているだけ、というのを読んだ覚えがありますが、真偽は不明です。
このような違いを示す別の点として、ピカソは、あるときこう述べました。
コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから。
ADHDのピカソが、きっちりしたものを嫌い、カオスで答えのない芸術性を愛したことが見て取れます。
いっぽうで、アスペルガーの画家アンディー・ウォーホルは「タイム誌」でこんな言葉を語っています。
僕が見せたいのは機械的なものだ。機械は人間より問題が少ない。僕は機械になりたい。そう思わないか? (p298)
アスペルガーの画家ウォーホルは、IT関係の分野で大活躍する現代のアスペルガー症候群の人たちと同様、一貫性のある数学的な論理を愛していたことがうかがえます。
ADHDのプログラマーもいるらしいので一概には言えませんが、アスペルガーの人がルールに沿った一貫性を好むのに対し、ADHDの人は無秩序さや自由の中に生きているらしいことがうかがえます。
違い2.冒険と求道
ピカソの人生は、彼自身が述べているように「冒険」でした。ADHDの人は「冒険」が大好きです。常にスリルを追い求めて、新しい場所へ、新しい世界へとこぎ出します。一箇所にとどまっているほど苦痛なことはないのです。
いわば、常にきょろきょろして、あっちへ行ったりこっちへ行ったりして、進路が定まらない子どものようなものでした。じっとしているより動いているほうが安心できるほどです。
それに対して、ゴッホの人生は「求道」でした。彼は、いかにすれば、キリストに見倣った人生を送ることができるのか、と悩み続け、それを実践しつづけました。
彼にとって、きょろきょろして脇道にそれ、道草を食ったりすることは罪でした。道から少しでもそれようものなら、自分の体を打ちたたき、罰を与えました。歩むべき道はただ一筋しかなかったのです。
このようなわけで、ADHDの有名人の中には、さまざまな分野をつまみ食いして、異様にジャンルの広いルネサンス的教養人がよくいますし、一方でアスペルガーの有名人の中には、何かの道を極めた達人や職人、求道者が大勢います。
アスペルガーの一つの特徴は「融通がきかない」ことや「頑固さ」であると言われていますが、それは裏を返せば忠実で信念を貫く人だとも言えるわけです。
違い3.アイデアの飛躍と地道な積み重ね
ピカソが、絵は「衝動的なものだ」と述べたのに対し、ゴッホは、絵は「一時的な衝動ではない」と述べました。この二つの言葉は、あからさまに対立しているわけではないのかもしれませんが、それでも貴重な洞察を秘めています。
ピカソは、アイデア頼みの人間でした。それが成り立ったのは、アイデアが湯水のごとく湧き出てきたからです。ピカソは描こうと思えばいくらでも描けました。むしろ時間のほうが足りなかったのです。
ピカソは、アイデアはいつ降ってくるかわからず、コントロールすることもできなかったので、絵とは「衝動的なものだ」という実感を持ったのかもしれません。降ってきたアイデアをキャッチして、その勢いで描くしかなかったのです。
対するゴッホは、想像で絵を描くことができませんでした。必ず模写から入り、描いている中で個性を表現しました。絵を描くには、準備を整え、対象物に向かい合うことが必要でした。
ゴッホの絵のアイデアや個性は、模写の積み重ねから生まれたものだったので、彼が、絵は「一時的な衝動ではない」と述べたのもうなずけます。
いわばピカソは、エレベーターで、高層ビルに上るような人でした。エレベーターはいつ降りてくるかわかりませんが、一旦降りてきたら最上階までひとっ飛びです。
対するゴッホは、高層ビルを階段で上るような人で、類まれな根気強さと忍耐で、地道に最上階まで、自分の足と意志で上がっていったのです。
ピカソが、晩年子どものような絵が描けた、と無邪気に喜んでいたのに対し、ゴッホが絵は苦行だ、というようなことを言っていたのは、そのようなスタイルの違いが背景にあったのかもしれません。
もちろん、アスペルガーの人の中にもアイデアマンはいますから、これが両者の違いだと一概に言うことはできませんが、一般に連想が次々につながって幾らでも思いつくような脳の構造はADHDの人に多いようです。
発達障害が絵の才能として花開けば
以上が、ピカソとゴッホの共通点と違いについての考察です。ピカソとゴッホは、似ているところもあれば、まったく違うところもありました。
しかしどちらも個性的な不世出の画家であり、未だに根強い人気を誇っています。
ピカソとゴッホ、どちらの方が優れていたか、という議論にはまったく意味がありません。わたしたちはみな、ピカソもゴッホも、どちらも、だれにも真似できないユニークな絵を描いたことをよく知っています。
彼らはまったう違う個性、おそらくはADHDとアスペルガーを有していましたが、どちらも、すばらしい芸術作品を創造するのに役立ちました。
彼らが、本当に、ADHDやアスペルガーだったのか、ということは、もはや確かめるすべはありません。あくまで死後診断にすぎません。
しかし、この記事を読んでくださった方で、自分もADHDやアスペルガーではないか、と思っている人、あるいは診断された人は、きっと、彼らのうちのどちらか、ないしは両方に親近感を感じてもらえたと思います。
何度も繰り返しているように、ADHDの人がすべてピカソに似ているとか、アスペルガーの人がみなゴッホに似ているとか言うつもりはありません。
人間の個性はもっと複雑です。ADHDの人でアスペルガー傾向も持っている人は前述のとおり5-6%いますし、逆にアスペルガーの人でADHD傾向を持っている人はもっと多いとも言われることがあります。
彼ら2人を比べてみてわかるのは、むしろ、非常に強い個性や芸術的才能が、ときに発達障害の脳の偏りによってもたらされることがあり、それはだれとも比較できないほどのユニークさをもたらすということです。
そのようにして「画家ピカソ」と「画家ゴッホ」という不世出の偉人がこの世に生み出され、新しい芸術の扉が開かれたのです。
▼発達障害と絵の特徴について
さらに詳しくは、以下の記事もご覧ください。
脳の認知の偏りが、創作スタイルに影響するという点はこちら。
アスペルガー症候群の絵の特徴はこちら。
アスペルガー症候群など、発達障害の人が、ときにゴッホのように、創作に縛られて、そのことで存在意義を得ていることはこちら。
独特な脳機能によって、芸術家として開花した人たちの話はこちら。