「ラルフ、あなたが診てくれって言った患者のことだけど、あなた、何を相手にしてるかわかってる?」
「いや、キャサリン。わからないからテストをしてくれって頼んだんじゃないか」
「あなたが相手にしているのはね、もう一人の『私という他人』なのよ」(p33-34)
それは1972年3月のことでした。サンタクルスで病院を構えていた医師ラルフ・アリソン(Ralph B. Allison)のところへ、一人の女性が診察にやってきました。
その女性、ジャネットは29歳でしたが、高校生のころから長い期間、精神的な苦痛を抱えていました。以前の病院では統合失調症(当時は精神分裂病)と診断されていましたが、薬にまったく反応しませんでした。
アリソンは、ジャネットが「自分の中から声が聞こえる」と怯えていることを不可解に思いました。普通、統合失調症の患者は自分に問題があるとは感じず、幻聴に違和感を覚えたりしないからです。
さらに、ジャネットは治療の中で安定しているように思えた時期に突然、不自然な自殺未遂をしてアリソンを驚かせました。アリソンは頭を抱えて、信頼できるプロの精神科医キャサリンに意見を求めました。
そのときに交わされたのが、冒頭に引用した、「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からに載せられている会話です。
ラルフ・アリソンはキャサリンの言葉にショックを受けました。このとき彼はまだ知りませんでしたが、この日を境に、彼は『私という他人』すなわち「多重人格障害」と深く関わることになり、やがてこの分野におけるパイオニアまた権威の一人となるのです。
この記事では、多重人格障害(MPD)また解離性同一性障害(DID)の権威として、医療から見放された患者たちのために命をかけて闘い、ISH(内的自己救済者)などのユニークな概念を打ち立てた医師ラルフ・アリソンの素顔に迫ります。
これはどんな本?
この本は、精神科医ラルフ・アリソンの多数の著書のうち、日本語に翻訳されている貴重な一冊です。
内容は極めて壮絶で、悲惨な経験をした患者たちの生々しい物語と、命を削って彼らの治療に当たったアリソンの苦闘が綴られています。
決して華々しい成功例の自慢ではなく、むしろ患者の自殺に終わり涙を流した話や、まったく経験のない未知の症状に直面して無力感と挫折を味わった話など、失敗と試行錯誤の苦しみに満ちた臨床経験が包み隠さず明かされています。
そして、現代医学の知識では理解しがたいISH(内的自己救済者)との出会いや、悪霊の憑依のように思える奇妙なケースまで、批判を覚悟の上で明かす、ありのままの出来事が生き生きと語られています。
多重人格障害(MPD)との出会い
ラルフ・アリソンと多重人格障害(MPD)との出会いは、冒頭のエピソードのとおり、1972年に遡ります。
当時、アメリカでは「イブの三つの顔」(私という他人―多重人格の精神病理 (講談社プラスアルファ文庫))、「シビル」(失われた私 (ハヤカワ文庫 NF (35)))という二冊の多重人格障害の記録が出版されていて、一世を風靡し、映画化もされていました。
しかし医学界からは懐疑的な目を向けられ。たとえ存在するとしても極めてまれで、およそ日常では出会うこともない病気であるとみなされていました。
ラルフ・アリソンも、精神科医ではありながら、多重人格障害については特に関心を持つこともなく、ただ名前を知っているのみで、自分には縁のない世界の話だと考えていたようです。
そこへ、奇妙な病状を呈する女性ジャネットが登場し、彼女を治療するための助言を求めて経験ある精神科医キャサリンに相談したところ、冒頭の言葉のとおり、ジャネットは「私という他人」、すなわち多重人格障害であると告げられたのでした。
アリソンは、信じられないと感じつつも、絶大な信頼を寄せていたキャサリンの言葉を頭ごなしに否定するわけにはいきませんでした。
それで、診察室にやってきたジャネットに、恐る恐る尋ねてみました。
「ジャネット、きのう、君に会いにきた医者が、君の中には誰か他の人がいると言うんだ」、わたしは話し始めた。
多重人格かもしれない人間に近づくときのエチケットというのを誰かおしえてくれないものか。
わたしはどうやったらいいか、まったくわからなかったし、結果がどうなるかも想像できなかった。(p36)
ジャネットは、アリソンの突拍子もない話の意図をまったく理解できず、黙って聞いていましたが、内心アリソンが酔っているいるのではないか、といぶかるような表情だったたといいます。
それでもアリソンは「他の人」に会いたいと説得し、当惑するジャネットの目を閉じさせ、知りうる限りの方法で数分間かけてリラックスさせました。
そして…
「きのう、精神科医と話をした“誰か”あるいは“何か”と話をしたい。三つ数えたら出てきなさい。
一…、二…、三!」“三”という声とともにジャネットの身体がこわばり、先ほどまで表情のなかった顔に、厳しく用心深そうな表情が浮かんだ。彼女は目を開けてわたしを疑り深そうに見つめた。
「オーケー、先生、なにが望み?」(p37)
これがアリソンと、最初の交代人格の出会い、すなわちジャネットに潜む暴力的人格“リディア”との出会いでした。
多重人格の専門家へ
アリソンはひどく動揺しつつも、医療のスペシャリストらしく冷静さを装い、“リディア”に色々な質問をしました。
“リディア”は普段の大人しく優しいジャネットとはまったく違う雰囲気で、同じ身体でありながら、まったく違う表情、まったく違う振る舞いであり、とても同一人物とは思えないほどでした。
ある程度やりとりした後、アリソンは恐る恐る他にも誰かいるのか尋ねました。
“リディア”は否定しましたが、アリソンが語気を強めて、「ほかの誰か」に呼びかけると、“リディア”の声がかき消され、再び彼女の表情が変化しました。
アリソンは、ジャネットに戻ったのだとホッとして呼びかけましたが、その女性は「私は、ジャネットじゃありません」と言います。そして自分の名は“マリー”であると述べました。
そして驚くべきことに、自分は“リディア”からジャネットを守るのに疲れ果ててしまって、そのせいで、自殺を試みたのだと告白しました。そのときアリソンは、ジャネットが前兆もなく自殺未遂をした不可解な出来事の真相を知りました。
やがて“マリー”と話し終えたアリソンは、再びジャネットに代わってくれるように頼み、しばらくするとジャネットが戻ってきました。目覚めたジャネットは、起きた出来事を何ひとつ覚えていませんでした。
アリソンはその後、ジャネットに多重人格障害について知りうる限りのことを説明し、自分でも詳しくこの病気について調べ始めます。そして愕然とします。
多重人格障害という病気の報告はちらほらと存在するものの、詳しいことは何ひとつわかっていないに等しく、治療に成功した医者もほとんどいなかったのです。
アリソンは手探りでジャネットやその交代人格たちとコミュニケーションをとりつつ、暗中模索で治療をはじめました。しかし「医師」というより「観察者」にすぎなかったと回想しています。
そんなとき、またも衝撃的な出来事がアリソンの身に降りかかります。
同時期にアリソンのところを訪れた別の患者、キャリーという美しい女性が、「彼女は、わたしを殺そうとしているわ」とアリソンに訴えました。
アリソンは、だれかといざこざを起こしたのかと不安になり、キャリーの命を狙っているのは誰なのか問い尋ねました。すると、キャリーは、自分を殺そうとしているのは「ワンダ」という女性だと述べました。
アリソンは「ワンダ」というのは誰なのか、と尋ねました。
その瞬間、突然、キャリーの表情がいつもとまったく違うものに変化しました。そして、アリソンを口汚く罵ったのです。
この瞬間に理解した。わたしは〈MPD〉(多重人格障害)の患者を、同時に二人も抱えることになってしまったのだ。
これが仮に記録に残るようなことだとしても、わたしは少しも嬉しくなかった。
その時のわたしの正直な感想は、逃げ出して別の仕事につきたいということだった。(p88)
アリソンはジャネットこそ自分の生涯でただ一人の多重人格患者であり、極めてまれな例だと信じていました。
しかしただ一人の患者どころか、アリソンはこの後、何十人もの多重人格障害の患者と出会うことになっていくのです。
アリソンはそのころの思いをこう振り返っています。
わたしは、キャリーやジャネットのような患者に、二度と出くわしたくはないと願っていたが、わたしが二度も続けて経験したからには、世界にはこのような障害が思っている以上に存在しているような気がした。
この病気が珍しいのは、精神科医がその可能性に心を閉ざしているだけなのではないかと思った。(p117)
これと同様の点は、むずむず脚症候群(レストレスレッグス症候群/ウィリス・エクボム病)を発見した医師カール・エクボムも指摘していました。
むずむず脚症候群はありふれた病気であり、多くの患者が悩まされていましたが、医師たちがまともにとりあわず、精神的なものとみなしていたために、医学界からは存在を認められていなかったのです。
カール・エクボムもラルフ・アリソンも、患者の訴えに真剣に耳を傾け、苦しみの意味を理解しようと努める誠実で献身的な医者でした。
患者のために涙を流した
その後の精神科医ラルフ・アリソンの人生は、決して平坦なものではありませんでした。むしろ、アリソンは多重人格障害と出会ったがために、激しい感情的苦痛を何度も味わいました。
最初にアリソンを襲ったのは、患者の死という悲劇でした。
アリソンは、多重人格障害の患者であるジャネットと出会って以降、手本となる前例も、効果的な治療法も何も存在しない中で、患者を何としてでも救おうとして、全力を傾けていました。
「観察者」のような役割しか果たせていない自分の情けなさを嘆きつつも、効果があると思える治療はなんでも試し、患者にはオープンに気持ちを打ち明け、少しずつ少しずつ治療を進めていきました。
アリソンは、こと多重人格障害の治療においては、権威ある「医者」というより、患者と肩を並べて、共に解決策を探し、励まし合う友のような立場でした。
そのため、アリソンの二番目の多重人格患者であるキャリーが自殺したとき、それもキャリー自身が自殺を選んだというより、正体不明の超暴力的人格によって死に追いやられたのを目の当たりにしたとき、アリソンは耐え切れず涙を流しました。
精神科医は泣かないものとされている。
無表情な仮面をつけ、肩も動かさずに、ひどい児童虐待や性的逸脱、信じられないほどの苦しみなどの話を聞かなければならない。
誰かを裁いてはいけないし、自分の価値観を患者に押しつけてもいけない。
…その夜のわたしの反応を非難する医師もいることだろう。…キャリーのことを考えると、塩辛い涙がわたしの目を焼いた。(p78-79)
アリソンを襲った苦悩はこれだけではありませんでした。
アリソンは、自分の扱った多重人格障害という特異な病気や、治療のために試した方法などを、ぜひとも報告しなければならないと感じて、医学界に発表するようになりました。
しかしアリソンを待っていたのは、医学界の権威に逆らう者に対する冷たい視線と、弾圧、迫害でした。
わたしの方法に批判的な医師たちの妻や、病院職員からときわり不快な嫌味を言われて傷ついた。
一時は真剣に〈MPD〉の治療をやめようかと考えた。同僚の医師たちがやっているように〈MPD〉の可能性を無視するだけでいいのだ。(p125)
アリソンは、同僚たちからの冷たい視線や心理的な攻撃にひどい苦痛を覚え、一時期は真剣に多重人格障害の治療から手を引こうかと考えたほどでした。
しかしアリソンはそうすることはできませんでした。
アリソンは、自分の多重人格の研究は、キャリーという一人の女性の犠牲の上になり立っていることを知っていて、ここで引き下がることはもうできないという使命感を感じていました。
そしてさらにこうも述べています。
少なくともカリフォルニア州においては、この病気を扱っているのはわたししかいない。ここの患者たちは他に助けを求める場所がないのだ。
わたしが患者たちの“最後の頼みの綱”なのだという責任感にとらわれてしまった。心やすらかに「止めた」と言うわけにはいかなかったのだ。(p125)
アリソンは、ジャネットやキャリーを通して、この病気が本物であり、患者たちは実際に恐ろしい苦悩を抱えて生活していることを知っていました。
だからこそ、いくら同僚がこの病気の存在を否定しようと、患者の最後の頼みの綱である自分がやめるわけにはいかないと感じていました。
もちろん、そのような決意を抱いたからといって、医学の常識が通用しない患者たちの苦痛に親身に寄り添うことからくる消耗、そして同僚からの絶え間ない攻撃にさらされるストレスが軽くなるわけではありません。
アリソンは心身ともに限界まで追い詰められ、文字どおり倒れることさえありました。
わたしは精神的にも肉体的にも極限まで消耗していた。病院で、涙が止まらなくなったことがあった。
誰かに何か話しかけようとすると涙が込み上げ流れてくる。これは消耗状態のかなり典型的な症状だった。(p214-215)
しかしそれでもアリソンは、多重人格障害の治療を諦めませんでした。
こうしたアリソンの経験を読んで思い出されたのは、脳脊髄液減少症の疾病概念を確立した日本の篠永正道先生の苦労でした。
篠永先生もまた、脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)という医学的にそれまで非常にまれだと言われていた疾患概念を見直し、大勢のむち打ち患者を治療し、学会で発表しました。
しかし同僚の医師や権威者からの反対にさらされ、アリソン同様、苦悩の日々を送りました。
しかし決して患者を見捨てることなく辛抱強く研究を続けるうちに、協力者が集まり、国の研究班も発足し、ついに今年、脳脊髄液減少症の治療が保険適用されるに至りました。
現在でも、慢性疲労症候群や線維筋痛症、化学物質過敏症といった新しい疾患概念に取り組む医師たちが、ラルフ・アリソンやカール・エクボム、篠永正道といった医師たちと同様に、ときには批判や偏見にさらされつつも、患者を支え、日夜治療に励んでいます。
未知の世界に踏み込む
多重人格障害の治療を忍耐強く続けたアリソンの名声は、やがて広く知られることとなり、大勢の患者がアリソンを頼って彼の病院にやってくるようになりました。
何十人もの患者を診察するうちに、アリソンは、多重人格障害の患者たちには、さまざまな共通点がみられることに気づくようになりました。
多重人格の患者の共通点に気づく
まず、アリソンが気づいたのは、多重人格障害の患者が、幼いころに、多くは家庭において、非常に辛い体験をしていることでした。
〈多重人格障害〉を理解するにつれて、患者はほとんど、片親あるいは両親かに望まれないか、またはそんなふうに感じてしまう状況に置かれていた経験があるということがわかった。(p81)
多重人格障害の患者は、家庭環境に恵まれず、親に望まれずに生まれたり、虐待を受けたり、あるいはやむを得ない事情であるにしても子ども心には理解しがたい親との離別を経験したりしていました。
またアリソンは、多重人格の患者たちには、極端な感受性の強さがあることにも気付きました。
バブスの場合、極端な感受性の強さに加えて現実対処のメカニズムとして精神的逃避傾向を持っているために、容易に分裂が起こったのだろう。
感情的に傷ついたり大きな重圧を生み出す出来事に直面するたびに、それに対処するために交代人格を作る方法を選ぶようになってしまった。(p138)
患者は、人並み外れた感受性の強さを持っていて、そのせいで非常に敏感で傷つきやすく、ストレスが生じたときに苦痛に対処する手段として交代人格を作り出していることがわかってきました。
交代人格とは、とても難しい状況に直面したとき、自分でそれに対処する代わりに、身代わりとなって対応してくれるよう、現実に対処するメカニズムとして生み出されたものだったのです。
中には、その対処方法があまりに日常になっているため、アリソンの診察に対処するための新しい交代人格を作り出した患者さえいました。
また、アリソン独自の理論として、交代人格を発展させた年齢によって症状が異なるのではないか、という洞察もありました。
おおよそ7歳以前で発症した場合はオリジナルの人格がまだ確立していないので、発症と同時にオリジナル人格は内側に引きこもって存在しないかのようになり、次々と生み出される交代人格のみが身体をコントロールするようになります。アリソンはこれを多重人格障害(MPD)と呼んでいます。
それに対し、自我がしっかり発達した後でトラウマを経験し、交代人格が生じた場合は、普段はオリジナル人格がコントロールしているのに、時々交代人格によってコントロールを奪われます。するとオリジナル人格は自己同一性の悩みを抱えるので解離性同一性障害(DID)になるとしています。(p259)
また交代人格とは似て非なる想像人格(イマジナリープレイメイト)の存在に注目した点でも、アリソンの観察眼は鋭く、先進的な研究だったといえます。(p71,137,254)
内的自己救済者(ISH)とは何か
アリソンは、大勢の多重人格患者の治療経験を通して、交代人格とは、現実対処のために目的をもって作り出されたものだと学びました。
ところが、多重人格の患者たちには、交代人格とは異なるように思える特殊な人格が二種類いることに気づきました。
そのうちのまず一つは内的自己救済者(ISH)です。
アリソンが出会った最初のISHは、ジャネットに存在する“リディア”、“マリー”に次ぐ第四の人格“カレン”でした。
はじめのうち“カレン”の存在は気づかれませんでしたが、交代人格同士の会話をテープレコーダーで録音したとき、初めて第四の人物がいることが明らかになりました。
カレンは、ジャネットの味方であり、ジャネットを力強く励まし、ジャネットの身に起こっていることを何もかも把握しているようでした。
後にアリソンがジャネットの4つの人格すべてに心理テストを別々に行わせてみたところ、カレンただ一人が精神的に何の問題もない正常な人間、というより完璧な人間であることがわかりました。
それ以降、アリソンは、他の多重人格者の治療の際にも、カレンのような正常で例外的な交代人格が存在することに気づくようになりました。
それらの人格は次のような共通した特徴を備えていました。
■宗教的な話し方をする
■患者の過去について正確と思える情報を知っている
■患者の誕生の瞬間から存在する
■人を憎む能力がなく、愛だけを感じる
■純粋に理性的な存在である
(p134-136,156-157などに基づく)
アリソンは、このような不思議な性質を持つ特殊な人格をISH(イッシュ)と名づけました。
ISHとはInner Self Helperの略であり、訳せば「内的自己救済者」となります。
アリソンは、内的自己救済者の正体は誰にでも生まれつき備わっている理性的自己(エッセンス)、すなわち「良心」であると考えています。
交代人格と〈ISH〉ははっきりと別の存在である。また、多重人格だけではなく、誰にでも〈ISH〉はある。
何か困難な選択を強いられた時に突然選ぶべき道が閃くことがある。その“本能”あるいは“知識の源”は、〈ISH〉なのだ。それを“良心”と呼ぶ人もいるかもしれない。(p153)
本来、良心は、わたしたちの一部として機能していて、別の人格として独立しているなどど思う人はいません。
しかしそれでも、悪いことをしたときに「良心の声」にとがめられるとか、「良心の声」に聞き従うといった表現が存在しています。
つまり、普通の人であっても、自分の考えとはまったく別の方向を指し示し、正しい方向へと導く「良心」の存在を感じとることがあるのです。
多重人格患者の場合、幼いころのトラウマ経験の結果、この「良心」をなす理性的自己が感情的自己から分裂し、あたかも一人の人格のようにして振る舞うのではないか、と考えられています。
アリソンは、冷静かつ理性的、しかも医師以上に患者のことをよく知っていて、最善の治療の方針さえ提供してくれるISHの存在に戸惑いつつも、ISHを治療の助けとみなすようになりました。
悪霊の憑依との邂逅
アリソンが出くわしたもう一つの例外的な人格、それは極めて異様な存在です。
アリソンがその存在と初めて出会ったのは、二番目の患者、死から救えなかったキャリーの治療においてでした。
アリソンはその存在について戸惑いつつもこう記しています。
わたしは患者たちの体験から目を背けることができなかっただけだ。
多くの場合、発見された“存在”は〈MPD〉の既知のパターンに合致していなかった。
わたしの他にも同じような経験をした精神科医がいる。
わたしは、交代人格の起源や目的について似たような結論に達した大勢の医師たちと情報を交換しているが、彼らも交代人格のパターンに合わない「何者か」に支配されている患者を治療したことがあるという。
多くの場合、彼らはそれに対する対処方法がわからないでいる。(p239)
その存在の共通点は、交代人格とは違い目的を持たないこと、そして自らを「霊」と名乗ること、また外傷体験ではなく、オカルトと関わったことをきっかけに滑りこんできたと表現されることなどでした。
これはいわゆる「霊の憑依」なのでしょうか。アリソンはそうした考えをにわかには信じがたいと感じました。
わたしは、この「霊の憑依」という話を、多くの精神科医以上に懐疑的な気持ちで受け止めた。
それは父からの影響も大きい。わたしの父は牧師だったが、この「霊の憑依」というような宗教の持つ感情的な側面を軽蔑していた。父ならこんなことに一切関わりを持たなかっただろう。(p95)
アリソンは他の多くの医師と同様、医学の世界に「霊の憑依」という概念を持ち込むことにためらいを感じました。
しかし「霊の憑依」という現象は古くから記録が存在し、西洋では主に、キリスト教の聖書の記述を通してよく知られています。
「霊の憑依」に関する昔の記述と、現代の多重人格障害および解離性同一性障害の患者の症状はよく似ている部分があるので、解離を扱う専門家たちは、必ずどこかで、「霊の憑依」について解釈する必要に迫られます。
日本の解離性障害の本でも、たとえば解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)やこころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害では、従来「霊の憑依」とみなされてきた症状は、あくまで特殊な状況下での医学的な解離現象の一種だろうとみなされています。
しかしアリソンが注目したように、「霊の憑依」と思える交代人格が、宗教的悪意に満ちているなど、他の多くの交代人格とは性質が異なり、専門家たちの間に困惑と論争を引き起こしてきたのは事実です。
アメリカでは、一時期、多重人格の原因は「悪魔教儀式的虐待」(SRA)にあるというセンセーショナルな論争が勃発しましたが、そのような極端な主張は否定されました。(p257)
それでも、多重人格のすべてではないにせよ一部にオカルトとのつながりによる奇妙な人格が見られることは間違いなく、ISHの存在も含めて、アリソンや一部の専門家たちは、まだ解離には未知の部分があるのかもしれないという思いを抱き続けています。
アリソンは、自分自身の限界を認めつつ、こう述べます。
これはすべて正しいのだろうか? わたしにはわからない。標準的な既成の科学知識からはみ出ている。だが、それを言うなら〈MPD〉という病気自体がも同じことではないか。
わたしにできるのは、手探りし、質問し、返ってきた答えを記録するだけだ。何人もの患者の答えに食い違いがなければ、その情報はおそらく正しいのだろうと仮定できる。
しかし、人間の心の想像を絶する複雑さを、ほんとうに理解するには長い時間が必要だ。(p174)
解離の底なし沼に引きずり込まれる
ラルフ・アリソンは、医学から見放され、否定されてきた多重人格の患者に寄り添い、彼らの苦悩を認め、親身になって治療にあたる稀有な医師でした。
その真摯な態度によって、これまで詐病であると無視され、顧みられることさえなかった多重人格障害また解離性同一性障害という特異な病気を抱えた患者たちの体験が明らかになり、活発な研究がなされるようになりました。
その一方で、解離性同一性障害の奇妙な世界は、すでに述べた霊の憑依のようなオカルトとの接点を含め、科学では説明がつかず、どこまでが真実でどこまでが空想なのかもわかないような未知の領域へ地続きになっています。
多重人格などを含む解離の世界はある意味で底なし沼のようなものです。沼の底には何が存在するのかまったくわからず、あまりに不安定かつ危険な世界が広がっています。
ラルフ・アリソンは、言うなれば、底なし沼のようなその奇妙な世界に呑み込まれた患者を救い出そうとして、人一倍身を乗り出して何としてでも患者を引っばりあげようと腐心してきた医師でした。
しかし同時に気づかないうちに、あまりに近づきすぎたせいで自らも底なし沼に足をとられて沈みかけていたのかもしれません。
ラルフ・アリソンは、医師として科学的な目で多重人格を分析する一方で、ISHや霊の憑依との出会いを通して、さまざまな奇妙な現象には霊的な意味合いがあると考えるようになっていったようです。
たとえばISHについては、その源は、「創造者」や「普遍的知性」にあり、生まれ変わりを通して受け継がれると解釈するようになりました。ISHは霊的存在の断片であり、神との仲介をする存在だとみなすようになったのです。
そして多重人格患者のエリーズの導きによって、自分自身のうちにも、“マイケル”という名の理性的自己(エッセンス)が存在していることに気づいたと述べています。(p254)
アリソンが“マイケル”の声に耳を傾けて書いたとされる著書マイケル 私のエッセンスが邦訳されていますが、こちらは今回読んだ 「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からとは違って極めて宗教色の強い内容であり、アリソンはついに底なし沼に呑み込まれてしまったのではないかと思わずにはいられませんでした。
解離の世界に入り込みすぎて、逆に取り込まれたり、影響されたりする危険性については、多くの治療者が認めていて、日本の専門家の柴山先生の本解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)などでも警告されています。
無限の世界に魅入られたラルフ・アリソン
ラルフ・アリソンは、多重人格治療のパイオニアまた権威でありながら、その独自の見解のせいで他の専門家たちとは意見を違え、次第に取り残されていきました。
それでも、誰よりも解離の底なし沼の近くまで身を乗り出し、命を賭して多重人格の治療に当たったラルフ・アリソンの研究と洞察は、抜きん出た偉業であるに違いありません。
たとえラルフ・アリソンが宗教的な解釈を強くしたとしても、それはラルフ・アリソンの生涯全体を貫く、人間の心に対する強い関心と愛情の現れだったといえます。
アリソンの独自の洞察は、ことによると、今なお真実のもっとも近い場所に迫っている可能性さえあるかもしれません。
ラルフ・アリソンが多重人格障害という、忘れられ、見捨てられ、見放されていた患者たちを治療してきた日々を振り返って述べる、以下の謙虚な感想は、わたしたちの心を強く揺さぶるものではないでしょうか。
有名になり成功はしたが、わたしはまだまだこの分野において学生だと自負している。
扱ってきた症例や体験によってはっきりしたのは、わたしたちが心について持っている知識は、どれほど大きいように見えても、心の可能性のちっぽけな破片(かけら)にしかすぎないということだ。
人間の頭の中には無限の世界があり、わたしたちはそれを探りはじめたばかりなのである。(p10)