次に取り上げる研究者たちは、識字障害(ディスレクシア)などの障害の根底に時間計測の能力の欠如があるのではないかという仮説を確かめようとしている。
それが確かめられれぱ、エリナーのような人が経験してる、時間との独特な関係を説明することができる。エリナーはいつも遅刻をしてくるのだが、それは彼女の時間経過についての感覚が正確ではなかったからだ。
私たちが正確に書いたり読んだりできるのは、ノートに書くとき、ペンを正確なタイミングで動かしたり、並んだ文字を正確なタイミングで読んだりできるからなのだろうか?(p77-78)
近年、学校の勉強についていくのが難しい子どもが、学習障害(LD)や、その一種であるディスレクシア(読み書き困難)といった問題を抱えていることが知られるようになってきています。
LDやディスレクシアの子どもは、落ちこぼれになったり、不当にも怠けているとみなされたりしますが、本当は、脳の発達が他の子どもとは異なるためにうまくできないだけで、人一倍頑張っているのに結果が伴いません。
学習障害(LD)やディスレクシアという名前が示すとおり、そうした子どもたちの問題は読み書きなどの勉強がうまくいかないことだと思われがちです。
でも、冒頭で紹介した脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのかの説明が示すように、根底にはもっと大きなメカニズムがひそんでいるようです。
ある研究者たちは、ディスレクシアの読み書きの難しさは、実は、「タイミング」、つまり時間の処理に関わる脳の問題による氷山の一角なのではないか、と考えています。
ディスレクシアを持つ人たちは、単に読み書きに困難を感じるだけでなく、時間の認識が難しかったり、運動がぎこちなかったり、生活全般のおいて、タイミングやリズムの面で苦労してる、「ディスレクシア化された世界」に生きていることが多いのです。
この記事ではいくつかの本に基づいて、時間知覚の観点から、ディスレクシアの本質を考えてみたいと思います。
これはどんな本?
今回紹介するのは、おもに以下の三冊です。
冒頭で紹介した脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのかは以前も取り上げた心理学者のクラウディア・ハモンドによる時間学についての本です。ディスレクシアが時間感覚の障害とする見解が少し載せられています。
書きたがる脳 言語と創造性の科学は神経科医アリス・W・フラハティとによる、読み書きにまつわる様々な障害の脳科学を解説した本です。自身がハイパーグラフィア(ひたすら書きまくる人)になった経験をきっかけに本書が書かれたそうです。
そして脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線は精神科医ノーマン・ドイジによる脳の可塑性を活かした治療法についての本で、特に聴覚機能からアプローチしたディスレクシアの治療法について詳しく書かれています。
ディスレクシアは読み書きだけの問題ではない
ディスレクシアは、読み書きだけの問題だと思われがちですが、本当はそうではなく、生活全般に関わる時間知覚の問題を伴っている。
そのことを知るために、冒頭で引用したエリナーという少女について、もう少し詳しく見てみましょう。 脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのかには、彼女の日常生活のこんな苦労について書かれています。
17歳のエリナーという少女は、「時間を正しく推定できた試しがない」という。どのくらい時間が過ぎたか、他の人と同じように判断できないらしい。
…学校で他の生徒は正しい時間がわかるのに、彼女の推定は数時間ずれていることもある。時計を見ないと、授業が始まったばかりなりか終わりに近いのかもわからない。
時間が過ぎていると感じないので時計を見るのを忘れ、迎えに来た母親に待ちぼうけを食わすこともある。(p26)
ここで書かれているように、17歳の少女エリナーは、ディスレクシアを持っていると同時に、かなり強い時間知覚の問題を抱えています。
わたしたちは普通、時計がなくても、おおよその時間を推定することができます。仕事や家事をしていても、そろそろお昼のごはんの時間だ、そろそろ次の待ち合わせの時間だ、といったことに気づきます。
そうできるのは、わたしたちが時の流れを把握する時間知覚を持っているからです。これは当たり前のもののように思えますが、実際には脳に内蔵されたタイマーがうまく働いてはじめて可能になる能力です。
以前の記事で書いたように、注意欠如多動症(ADHD)の人は、この能力がうまく働きません。そのせいで、時間がなかなか過ぎずにひどい退屈を感じたり、逆に没頭しすぎて時間を忘れ、遅刻してしまったりします。
ADHDは、学習障害やディスレクシアと関連性が強いことが知られていて、両方を併発する人も少なくないようです。図解 よくわかる大人のADHDによると、LDの30-50%がADHD、ADHDの30-50%がLDと言われていました。
そうすると、両者には何らかの共通する原因があるとしても不思議ではないでしょう。
エリナーは、時間知覚がうまく機能しないことで、家族やまわりの人に迷惑をかけてしまうだけでなく、学業にも大きな支障が生じているようです。
今のところ不便をかけているのは、忍耐強い両親くらいですんでいるが、試験を受けるようになってから、この時間知覚能力の欠如が引き起こす問題に気づくようになった。
他の生徒は、どの問題にどのくらいの時間をかけるかだいたいの計画を立てるが、エリナーは時計を見ないと、いつまでも同じ問題を解いている。
彼女のケースを見ると、私たち誰もが同じ時間の概念を持っているわけではないとわかる。エリナーには識字障害(ディスレクシア)もあり、これが時間知覚の難しさについて理解する鍵になる可能性がある。(p26)
テストのときに、時間をやりくりするのは、だれもが難しく感じることかもしれません。でも、エリナーほどではないでしょう。
決められた時間の中で、うまく時間を配分して作業する、というのもまた、わたしたちの脳の中に無意識のタイマーがあるからです。そのおかげで、わたしたちはおおよその時間を意識して、余裕を持たせたり、急いだりすることができます。
しかしそのタイマーがうまく働かないと、ひとたび集中したら最後、タイムワープして、先生の合図やチャイムの音で我に返るまで、時間の経過にまったく気づかないことさえあるのです。
こうした時間知覚の問題は、一見すると、ディスレクシアとは何の関係もないように思えます。事実、ADHDの人の中には、時間がよくワープするとしても、読み書きの困難は特に抱えていない人もいます。
しかし、脳には、無意識のタイマーをつかさどる部分が複数あって、どの種類のタイマーが機能しないかによって、現れる症状が違ってくるようです。
一般に、ADHDの人が没頭して時間を忘れたり、退屈して時間が無限に長く感じられたりするのは、より長い時間をはかるタイマーの不調のせいでしょう。ここで語られたエリナーの問題もそちらと関わっているのかもしれません。
しかし、ディスレクシアなどの問題が伴っている場合は、さらに別のタイマー、ミリ秒単位のタイミングをコントロールするタイマーもまたうまく働いていないようです。その場合、どんな困難が生じるのでしょうか。
「ディスレクシア化された世界」に生きている
複数の時間知覚が損なわれた世界に生きる人たちの苦労を知るには、当事者による説明を聞くのが一番です。
脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線という本には、サウンドセラピーの専門家ポール・マドールが28歳のときに書いた「識字障害化された世界」(The Dyslexified World)という論文からの抜粋が載せられています。
ポール・マドールは、自分自身も、子どものころ強い学習障害を抱えており、聴覚療法家アルフレッド・トマティスの音楽療法によって改善した過去があります。
ポール・マドールはディスレクシアの人たちが、単に読み書きの問題に苦しんでいるだけでなく、「識字障害化された世界」、つまり「ディスレクシア化された世界」に生きていると述べています。
識字障害者の多くは、身体に常時違和感を覚えている。身体という道具を自分で管理し、コントロールすることができないと感じているのだ。
(……)識字障害者は、身体全体にわたって識字障害化されているのである。彼らはぎこちない動作をし、身体によって邪魔をされ、束縛されているように見える。
(……)彼らは手や足、とりわけ、手首から先をどう扱えばよいのかがわからない。緊張していようが弛緩していようが、彼らの姿勢には柔軟性と自然さが欠ける。(p501)
ポール・マドールによると、ディスレクシアの人たちの抱える問題は、「身体全体」に及びます。全身の動きにぎこちなさや違和感を感じていて、自分自身そのものをコントロールするのが難しいのです。
以前の記事で紹介したように、ADHDやディスレクシアの人たちは、手足の運動の不器用さを抱えていることがあります。これは、発達性協調運動障害(DCD)と呼ばれています。
運動の不器用さと、読み書きの難しさは、一見すると、まったく別の問題のように思えます。かたや学校のグラウンドで、かたや教室のなかで苦労する別々の困りごとではないでしょうか。
しかし冒頭で引用した、脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのかはの説明によると、どうやらそうではありません。そこにはこうありました。
私たちが正確に書いたり読んだりできるのは、ノートに書くとき、ペンを正確なタイミングで動かしたり、並んだ文字を正確なタイミングで読んだりできるからなのだろうか?
この説明からわかるとおり、運動の不器用さも、読み書きの難しさも、同じ問題に由来していることがあります。
それは、タイミングの問題、すなわち時間知覚の問題であり、わたしたちは走ったり飛び跳ねたりすることにも、読んだり書いたりすることにも、脳の同じ時間処理システムを応用しているのです。
そうすると、ポール・マドールが述べた、「識字障害化された世界」ないしは「ディスレクシア化された世界」とは何なのかが、わかってきます。
わたしたちは言葉を話すとき、単語の音が織りなすリズムを聞き取って覚え、発音します。スポーツをするときにも、身体を動かすタイミングをつかんで複雑な動きをマスターします。
しかし、ディスレクシアの人たちが生きる世界というのは、時間感覚のタイミングが失われた世界、時空がねじまがって歪んだような世界です。
言葉を読んだり聞いたりするときにも、身体を動かしたりするときにもリズムが失われているので、運動がぎこちなくなったり、読み書きが難しくなったり、ひいては、日常生活全般のテンポがおかしくなって、まるで別の世界に住んでいるかのような違和感が生じてしまうのです。
脳のタイミング処理の問題
これまで、ディスレクシアの原因として、さまざまな仮説が唱えられてきました。たとえば、目で見る視覚に問題があるとする仮説、また耳で聞く聴覚に問題があるとする仮説などです。
ディスレクシアの人たちが、「p」と「q」のようなよく似た形を区別しにくいこと、またアルファベットや日本語のひらがなのように、文字と音の関係があいまいになる単語を読み間違えやすいことは、それらの仮説で説明できるように思えます。
しかし、書きたがる脳 言語と創造性の科学にはさらに、その両方を説明しうる第三の仮説が紹介されています。
第三は側頭葉の処理に関する理論で、視覚と聴覚の欠陥の両方を同じメカニズムの一部として捉えようとする。
この見方によると、読字障害者はあらゆる種類の速い連続的な処理に問題があるという。
そのために百分の一秒以下で言葉の要素を区別しなければならない言語能力だけでなく、ほかの感覚と運動作業の処理にも問題が生じる。
側頭葉処理理論の裏付けとして、多くの読字障害者は一般に速度やタイミングに問題があるという事実がある。両手を叩いてリズムを取るのも難しいようだ。
さらに音節を人工的に遅くして聞かせると、読字障害者は正確に聞き分けられるようになる。(p230)
この第三の仮説、側頭葉処理理論こそ、ここまで考えてきた、時間知覚の処理に関するものです。
タイミングに関わる脳の処理は、もっと正確にいえば、「あらゆる種類の速い連続的な処理」と関係していると言い換えられます。
タイミングをとることには、ミリ秒単位の短時間のうちに、連続的に動作を処理していく能力が必要ですが、ディスレクシアの人はどうやらそれがうまくいっていないようです。
同じような形の文字を判別しにくいのも、場面によって読み方が変わる文字を読みづらいのも、素早く連続的に要素を処理する、タイミングに関わる脳機能の問題なのかもしれません。
左耳利きとミクスト・ドミナンス(交差利き)
それでは、どうして、ディスレクシアの人はタイミングに関わる脳の機能がうまく働かないのでしょうか。先天的にそのように生まれついたのでしょうか。
どうやらそうではないようです。
連続的に素早く、タイミングよく処理する能力は、脳の左側が得意とする能力です。脳は大きく分けると右半球と左半球とに分かれますが、それぞれ得意とする機能が違っていることが明らかになってきました。
先ほどの書きたがる脳 言語と創造性の科学が続けて述べるとおり、多くの人の場合、言語的な能力は脳の左半球に特化しています。それは左半球が、タイミングの認知に優れているからではないかとされています。
最後に側頭葉処理理論は、ほとんどの人の言語機能がなぜ左脳優位であるかという謎の一部を明らかにしている。
左脳は速い連続的認知に特化していて、右脳よりもうまく処理できることがわかったからだ。
したがって言語が左脳優位になっただけでなく、その他の半球優位的な機能、たとえば音楽の理解では左脳は右脳よりもリズムの認知に優れ、右脳はメロディの認知に優れているといったこともこの理論から説明できそうだ。(p230-231)
多くの人たちは、タイミングの処理に優れる左半球の言語中枢で聴いたり話したりするため、複雑な言葉をミリ秒単位の時間で組み立て、流暢に発することができます。
しかしディスレクシアの人たちは、このタイミングの処理がうまくいっていないことからすると、読み書きやリズムの把握のときに、脳の左半球の機能をうまく使えていないようです。
なぜ左半球によるリズミカルな連続的認知がうまくいかないのか。そのヒントが脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線に書かれています。
先程のポール・マドールは若い頃に学習障害を抱えていましたが、医師アルフレッド・トマティスは、ポールを観察していたとき、通常の子どもとは違うおかしな点に気づきました。
それは、ポールが左耳利きである、ということでした。
わたしたちはみな、手が右利きであったり左利きだったりします。左利きの人は右利き用にデザインされた社会で生活するのに苦労しますが、あくまで個性の一部と見なされています。
しかし、耳については、必ずしもそうではないようです。耳にもまた利き耳がありますが、コミュニケーションをするときに右耳利きであるか、左耳利きであるかは、脳の発達に大きな違いをもたらすといいます。
これは、ポールが左耳で言葉を聴いていることを意味する。
その場合、音の信号は左半球の言語領域に到達するのに非効率な、遠回りの経路をとる。左耳から右半球を経て、さらに脳の中央部を横切って左半球に到達しなければならないのだ。
それによる最大で0.4秒の遅れは、他者の発話をリアルタイムで処理する能力を低下させ、さらに自分の思考を言葉にしようといるときにはつねに余分な時間を必要とするために、思考の流れを失う傾向がある。
そして口の左側で話し、左耳で聴くことを長く続けていると、発達中の脳に混乱をきたし、一見すると聴覚とは無関係に思われる学習障害を発症し、口ごもりや吃音に至るのである。(p450)
脳の右半球と左半球は、それぞれ逆側の身体を扱うよう神経がクロスしている、というのは、もしかすると聞いたことがあるかもしれません。
そのことからすると、右耳とつながっているのは左半球であり、左耳とつながっているのは右半球です。
そして、思い出してほしいのは、脳は一般的に、左半球がコミュニケーションに特化しているということです。それはおそらく、言語を扱うには、連続的認知に秀でた左半球の能力が必要とされるからでした。
そうしたわけで、わたしたちのほとんどは、コミュニケーションをするとき、無意識のうちに右耳を相手に向けるくせがあるようです。
左利きの人の中には、まれに右半球に言語中枢がある人がいて、その場合は反対になりますが、そうした一部の例外を除けば、コミュニケーションのうまい人はほとんどが右耳利きなのだそうです。
しかし、ポールは、多くの人と同様、言語中枢は左半球にあるにもかかわらず、会話のときに、左耳を相手に向けていました。これはつまり、言葉を処理するとき、タイミングの認知に優れた左半球ではなく、映像処理や空間認知が得意な右半球で処理していたということです。
すると当然ながら、すばやい連続的な認知が必要になる言語の扱いが流暢にいきません。その状態のまま左耳で会話を処理していると、リズムやタイミングが重要な他の活動にも支障が生じ、学習障害や運動の不器用さへとつながってしまうようです。
その影響のひとつが、ディスレクシアの人でよく知られる、交差利き、つまりクロス・ドミナンスだといいます。
しかしトマティスは、ポールが行動によって右手を使ったり、左手を使ったりしていることに気づく。
これはミクスト・ドミナンスと呼ばれ(クロス・ドミナンスとも)、左耳で聴く識字障害者に典型的に見られる。この観察によって、トマティスは脳の障害の可能性に思い至る。
ポールはミクスト・ドミナンスのために、右手と左手に対応する脳領域の差異化ができず、ギターを弾くときに片手で指板を抑え、もう一方の手で弦をつまびくなど、おのおのの手で異なる作業を同時に実行する能力を欠いていた。
また、それゆえ、全体的な動作がぎこちなくなり筆跡が乱れ、文字を読むときには目でうまく追えなかったのだ。(p450-451)
両利き、というと便利そうでうらやましく感じる人もいるかもしれませんが、ミクスト・ドミナンスはコミュニケーションに関わる情報を、不得意な左耳、そして右半球で処理している結果として、脳が混乱していることの現れだといいます。
以前の記事で取り上げたように、両利きは人口の1%ほどのみですが、ADHDと関連しているというデータもあるそうです。
左半球からは遠回りの経路になる左耳でコミュニケーションしてしまうことで、タイミングやリズムの処理が得意な左半球の言語中枢がうまく働いていない状態、それがディスレクシアの様々な時間知覚の苦労につながることがあるのです。
どうして、他の子どもが右耳でコミュニケーションをするのに、ディスレクシアの子どもは左耳でコミュニケーションするようになるのでしょうか。
何かしらの理由のせいで、本来用いる右耳よりも、左耳でコミュニケーションしたほうが楽に感じられるのかもしれません。ポールの場合は、生まれつきの筋緊張低下症によって、人の声に焦点を合わせる右耳の機能がうまく働かったせいではないかとされています。
一方で、ディスレクシアを持つ人が、視覚教材からすんなり学べたり、グラフィックデザインなどのセンスに優れていたりする場合があるのは、画像や空間の認知に優れている右半球の機能を他の人よりも積極的に活用しているせいなのかもしれません。
音と形の結びつけが苦手
このような、ディスレクシアの人たちの独特な利き耳からくる脳の働きの偏りは、脳の感覚統合にも影響を及ぼしているようです。
脳の中で、複数の感覚をひとつにまとめ上げて統合している場所として、「角回」と呼ばれる領域が知られています。
先ほど、ディスレクシアの人は、脳の側頭葉の情報処理がうまくいっていないのではないか、という側頭葉処理理論が紹介されていましたが、角回は側頭葉と頭頂葉の接合部にある領域です。
脳のなかの天使によると、わたしたちの視覚、触覚、聴覚などのさまざまな感覚は、この角回で合流し、混ぜ合されているようです。
角回は触覚、聴覚、視覚の情報が合流し、高位レベルの知覚の構築を可能としている重要なジャンクションであると考えられている。(p146)
ところが、書きたがる脳 言語と創造性の科学によると、ディスレクシアの人では、脳の左半球にあるこの角回がうまく働いていません。
読字障害が側頭葉処理の欠陥から生じるとしても、脳の活動部位の変化も起こっている。
ふつうの人が文字を読むときには、角回を中心として左脳のいくつかの領域が活性化する。読字障害者が文字を読むときには、角回はそれほど活性化しない。
脳損傷によって失書を伴う失読症になった成人患者も角回が損なわれている。(p231)
大半の人で、言語中枢は脳の左半球にあるということでしたが、左半球の角回は言語機能に重要な役割を果たしていて、言葉の音と形を結びつけることも担っています。
そのため、角回がうまく働いていないと、文字の形を見ても、それに対応する音をパッと思いつくのが難しくなるようです。それは特に、アルファベットやひらがなを読むときの難しさとして表れます。
脳の活動における音素文字と表意文字の違いを直接比較できるのが、この両方の書字システムをもつ日本語である。
…文字の視覚的イメージを音に転換する際に重要な役割を果たす角回が損なわれると、かな(音節)を読むことが難しくなるが、漢字のほうは難なく読める。
漢字の読みは視覚認知に関わる後下側頭回の活動に負っているらしい。(p232)
ディスレクシアは英語圏で多いと言われていますが、英語は、つづりと読みとが一致しない言語です。「a」はいつも「エー」と発音されるわけではなく、場面場面で、さまざまに発音を変えます。
また、アルファベットにしても、ひらがなにしても、似たような形のまぎらわしいものが多く、見間違いやすいという問題点があります。「b」と「d」、「め」と「ぬ」などは、ディスレクシアの人が見分けにくい文字です。
脳の角回は、こうした文字の視覚的な形と、発音の音とを結びつけて統合する役目を担っているようで、その機能が損なわれているとディスレクシアの症状が現れやすいのです。
(ここでは、角回を損傷した人は漢字は難なく読めるとされていますが、ディスレクシアを持つ人は漢字の学習にも困難を示しやすいのは言うまでもありません)
それだけでなく、脳のなかの天使によると、角回は、計算の能力にも関わっているそうです。
臨床神経科医によれば、とくに左の角回は、数量や数の順序や計算の操作に関与しているらしい。
この領域が脳卒中で損傷された患者は、数字は認知できるし、かなり明確に考えることもできるのに、簡単な計算すら困難になり、12から7を引くこともできなくなる。
私が診たなかには、3と5のどちらが大きいかを言えない患者たちもいた。(p146)
ディスレクシアを持つ人の中には、同じ学習障害(LD)の症状として、計算の難しさを抱える人もいますが、その能力にもまた、数字を順序だって配置する角回の能力が関係している可能性があります。
こうした記述からわかるように、角回とは、複数の情報をまとめあわせ、整理する機能を持つ場所です。
共感覚の障害としてのディスレクシア
興味深いのは、複数の異なった感覚を同時に意識する共感覚を持つ人たちは、この角回の機能が強い、ということです。
そして、さらに注目すべきことに、高位の共感覚者は角回付近の神経線維の数が多いということも、彼らによってあきらかにされた。(p147)
角回の機能が強いせいで共感覚を持っている人たちは、小説家や詩人などの芸術家に多いそうです。彼らは、ちょうどシェイクスピアの作品のように、豊かな比喩表現を思いつくのが得意です。
角回の機能が強いと、比喩表現に秀でた共感覚が生まれ、角回がうまく働いていないと、ディスレクシアの読み書き困難を抱えるというと、ちょっと不思議に思う人もいるかもしれません。
しかし、ここまで考えてきたことを振り返ってみると、ディスレクシアの人にとって難しいのは、アルファベットやひらがなにおいて、文字の形と音とを結びつけることでした。
視覚的な形と、聴覚的な音を結びつけるというのは、まさに共感覚ではないでしょうか。
形と音を結びつけるのが難しい人がディスレクシアであるのに対し、形と音を結びつけるのが得意で、豊かな連想が広がる人が、読み書きに優れた小説家や詩人であり、それを左右するのは、共感覚をまとめあげる角回の強さなのです。
同時に、角回が担っている作業は、この記事でずっと考えてきた、時間やタイミングの把握、という観点からも考えることができます。
天才が語る サヴァン、アスペルガー、共感覚の世界によると、自身も共感覚者であるダニエル・タメットは、数をすぐさま素数に因数分解できる自分の共感覚と、言葉を音節に分解して把握する能力とは同じものだと述べています。
数をたちまち素数に分解する力は、英語が母語の話者が「incomprehensibly」という合成語を「in」「comprehend」「ible」「ly」にたちまち分解できることと同じだ。(p171)
ここまで考えてきたように、脳の左半球は、リズムやタイミングの把握に秀でていますが、それは、言い換えると、ひとつながりのものを即座に細切れにして分解する力です。
そもそも、優れた比喩表現を思いつく作家がさまざまな感覚を混ぜ合わせることができるのも、入ってきた情報を即座に細切れにできるからです。
ある意味で、脳の左半球は料理人のようなもので、目にした形や聞こえた言葉という情報をテキパキとまたたく間に包丁で切り分けて、それぞれを角回という一つの鍋に入れることで、共感覚に変えているわけです。
時間というひとつながりのものをミリ秒単位のタイミングに分解する、ひらがなで書かれた単語を表音文字の集まりとして認識して発音する、一連の運動の動作を順序だって行う。
このいずれの場合も左半球が得意とするテンポのよい連続的な時間の認知が不可欠ですが、ディスレクシアの人たちは、すばやく切り分けて混ぜるのが苦手なのでしょう。
ただ、注意したい点として、ディスレクシアの人たちが、一概に共感覚が苦手なのかというとそうではないようです。
たとえば、ディスレクシアの人の中には、紙面を読むと、文字が勝手に動いて見える症状を持っている人がいます。その場合は、文字の形の情報と、動きの情報が、一種の共感覚のように混線しているとみなせます。
脳のなかの天使には、共感覚にも複数のタイプがあるとされていて、形と音などの統合が関係する高位の共感覚のほかに、もっと下の方の経路で情報が混線する低位の共感覚があるとされています。
目で見た形と、動きの情報が混ざり合う症状の場合は、この低位の共感覚とみなせるかもしれません。
本来混ざりあうべきところで情報が混ざらず、本来混ざるべきでないところで情報が混ざってしまうというのも、ディスレクシアの人が抱える全身のコントロールの難しさ、ディスレクシア化された世界の一因ではないでしょうか。
リズムを失った脳を治療する
このような、リズムやタイミングの処理が難しく、他の人とは違った経路で情報を処理してしまうディスレクシアの人たちの症状を和らげる方法はあるのでしょうか。
脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によると、先程のポール・マドールは、左耳利きでコミュニケーションしていたせいで、両手利き(クロス・ドミナンス)になり、学習障害も抱えていましたが、医師アルフレッド・トマティスの治療によって改善し、心理士としての資格もとって、学習障害の子どもの治療に当たるようになりました。
トマティスがポールに施した治療法は、電子耳を使って左耳への音量を下げ、右耳で聴くように訓練したこと、また高周波と低周波を切り替えるサウンドセラピーによって、リスニングの力を向上させたことでした。
またこの同じ本では、アリゾナ州フェニックス「音のリスニングと学習センター」で治療を受けた学習障害の少女の話や、その父親である医師がトマティスに弟子入りして開発した「統合リスニングシステム」(iLs)の効果についても書かれています。
この統合リスニングシステムは、学習障害や、それに併発しやすいADHDの子どものタイミングの認知機能を改善するのに効果を上げているそうです。
最近の脳画像研究が示すところによると、ADHDを抱える人は、(思考、運動、バランス維持のタイミングを調整する)小脳の体積が低下している。
小脳の体積はADHDが悪化するとさらに減少するが、改善すると増大する。待つということを知らず、問いが終わる前に答えようとするADDの子どもは、行動のタイミングをうまく計れない。
トマティスのリスニングセラピーとiLsは、小脳と、それに結びついた前庭系に大きな影響を与える。(p510)
ここまで考えてきたように、ディスレクシアやADHDは、脳の時間知覚の障害としての一面があり、ある意味で脳の「リズム障害」とも呼べるものですが、リズムを刺激する音楽を用いた訓練は、脳のリズムを整える助けになるようです。
脳障害の多くは、脳がリズムを失い、「リズム障害」的な様態で発火するためにお見るので、音楽療法はこれらの症状にとりわけ効果が期待できる。
音楽療法のリズムは、脳の「ビート」を取り戻す非侵襲的な手段になり得るのだ。(p523)
リズムを訓練する音を用いたサウンドセラピーだけでなく、自分の身体の反応を見ながら、それをコントロールできるようにトレーニングしていくニューロフィードバックのような手法も、脳のリズムを整える助けになるとされています。
脳内には、指揮者のようにこれらのリズムのタイミングを生み出すいくつかの「ペースメーカー」が存在する。
しかし、神経可塑的な訓練を行なえば、脳のリズムのコントロールがある程度可能になる。
ニューロフィードバックは、脳のリズムが乱れた人を、それをコントロールできるよう訓練する。それは、注意力や睡眠に障害を持つ人や、ノイズに満ちた脳を抱える人には非常に効果的である。(p524)
近年では、ゲーム感覚で、ADHDの脳機能を改善するニューロフィードバックも開発されています。
この本に載せられているのは、海外の取り組みなので、日本でこれらの取り組みがどの程度知られ、実施されているのかはわかりません。
発達障害の治療として、サウンドセラピーや音楽療法も検索するとちらほら出てきますが、どの程度、本書に書かれているような本格的なものであるかはわかりませんでした。
アルフレッド・トマティスにより考案されたトマティス療法を行なっているセラピストもいるようですが、詳しいことはわからないので、このブログで特定の治療法をお勧めすることはできません。
また、この記事では、聴覚機能と、脳のタイミングや時間認知が関係するタイプのディスレクシアについて調べてきましたが、ディスレクシアや学習障害(LD)を単一の原因によるものとするのは早計でしょう。
たとえば、前の記事で紹介した、光の感受性障害アーレンシンドロームによるディスレクシアもあります。
ディスレクシアの症状はあくまで人それぞれですが、大切なのは、読み書き困難以外の症状にも注目してみることです。
ただ勉強の難しさだけに注目していれば、みな同じディスレクシア、同じ学習障害という言葉で一括りにされてしまうかもしれませんが、それ以外の症状に注目すると、意外な原因が見えてくるかもしれません。
もし日常生活のなかで、時間知覚やタイミングの症状という困りごとがある場合は、聴覚機能の問題やサウンドセラピーといった治療法について調べてみるなら、症状を改善する手がかりが得られるかもしれません。