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真っ暗闇の中で輝く人生を生きる、全身が光過敏症の女性アンナ・リンジーの物語

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何時間も、わたしは目の前にある自分の手を見ることができない。

自分の腕も、膝も、足も、暗闇の箱の中で暮らすわたしは、世の中に何の影響も与えることがない。

まるでわたしが存在しないかのように、世の中は動いていく。(p160)

きる意欲もやりたいこともたくさんある。五体満足で飛び跳ねることも走り回ることもできる。それなのに、あらゆる光を遮断した、自分の手足さえ見えない真っ暗闇の部屋から出ることができない。

そんな生活を思い描くことができますか。

今回読んだ本、まっくらやみで見えたものは、成人してから重度の光過敏症を発症し、数奇な人生を送ることになった女性アンナ・リンジー(ペンネーム)によるエッセイです。

健康なころは想像もしなかったような奇妙な身体を抱えるようになって、暗闇の中で、戸惑い、耐え忍ぶ日々。しかし決して絶望せず、今の自分にできることを探し、道なき道を歩み続ける。そんな女性の等身大の姿がつづられた一冊です。

この記事では、彼女が抱えている独特な光過敏症とは何かを知るとともに、彼女の意欲的な日常生活から学べる、ただ健康かどうかだけが充実した人生を左右する尺度なのではない、という点を考えてみました。

これはどんな本?

まっくらやみで見えたもの(原題 : Girl in the Dark : A Memoir)著者のアンナ・リンジーは、もともと国家公務員としてロンドンでごく普通の生活を送っていました。

しかし2006年5月、33歳のとき、パソコンの画面を見ていると顔がヒリヒリし始めたのをきっかけに、突如として光過敏症を発症し、光に耐えられない身体になってしまいました。

この本では、その日から2014年に至るまでに生じた印象的な出来事の数々が、回想記(A Memoir)の形で語られています。

冒頭に書いたように、アンナ・リンジーの光過敏症は相当重度なもので、少しでも光を浴びると激痛を伴うことから、寛解期を除けば、ほとんど自宅の真っ暗闇の一室で生活しています。

それでもこの回想記は、いわゆる「闘病記」という言葉から連想される重々しく熾烈な内容ではありませんでした、

悲痛な闘病というより、どこかファンタジーな文学作品のような色彩を帯びているのは、著者の詩的な感性や、決してめげない芯の強さ、そして、理解者となってくれる周囲の人たちの支えによるものかもしれません。

訳者あとがきによれば、彼女がこの本を書いた動機は次のようなものでした。

執筆の動機について、あるインタビューで、著者は、2010年の夏、うだるような暗室暮らしの憂さを紛らわせるために、自分の体験を書いてみようと思い立ったと語っています。

そして、本書の中で著者は、自分と似た境遇の人の話を(オーディオブックで)聴きたいのに、著作としてきちんと書かれたものがほとんど見当たらず、患者の論文とか記事とか、外から見た記述ばかりで、患者の内面からの生の声を伝えるものがないと、不満も述べています。

行動の人アンナ・リンジーは、みずからの心境や日常を正直に語ることが、なかなか治る見込みのない難病や慢性病に苦しむ同胞を励ます社会的行為になると感じたのかもしれません。(p282)

あまり知られることがない難病の場合、インターネットで調べても、少数の医師の無味乾燥な説明があるだけで、まったく実感がわかない、というのはここ日本でもよくあることです。

ひとつ前の記事で書いたとおり、第三者である医師には決してわからない洞察が、当事者の手記の中にはあります。当事者の生の声は、どれほど多くの予算が費やされた客観的な科学的研究よりも、価値ある情報を含んでいます。

アンナ・リンジーが、たぐいまれな自己の内面の観察力と、文学的また詩的な表現力とを駆使してこの体験記を書いたのは、そのような書き方でしか決して伝えられない生の心境や日常があることをよく知っていたからにほかならないでしょう。

光過敏症になったいきさつ

前述のように、アンナ・リンジーは、国家公務員として働いている30代のはじめに、突然この光過敏症を発症しました。

いまだ医学では解明されていない特殊で奇妙な病態ではあるものの、同じ症状について書かれた論文は少数ながらあるそうです。

彼女は、「わたしとまったく同じ光線過敏の症例について述べた論文」について、こう要約していました。

一、初期症状は「画面皮膚炎」。具体的には、テレビやパソコン画面に向かっていると、顔が赤くなり、焼けるようにひりひりする。

ニ、短時間でも強い刺激にさらされると(わたしの場合、天気のいい5月、夕暮れ前のまだ陽射しの明るい戸外に出て、ランニングをする)、体全体に光線過敏反応が広がる。

三、全身に広がった光線過敏症状は (顔面の「画面皮膚炎」症状とは異なり)、焼けるようなひりひりする感覚が重症化するが、発疹など目に見える症状は現れない。(p131)

アンナ・リンジーの症状は、まさにこういった具合に、またたく間に進行しました。

初期症状はまばらなもので、「妙に調子の悪い日」がまれにあり、「徐々に体調の悪い日は増えていき、その頻度が多くなって、連日不調に陥るようになった」そうです。(p32)

その初期症状とは、「早い話が、パソコンの画面の前にいると、顔の皮膚が焼けるようにひりひりする」「重症の日焼けのようにひりひりする」「顔に火炎放射器を向けられているようにひりひりする」症状でした。(p32)

しかし、そのうち2005年5月になって、「蛍光灯の光にも反応してしまう」ようになります。翌6月には、ついに自然光に反応するようになってしまいました。(p47)

ただ光を浴びるだけで症状が出るので、病院に行くのは簡単ではありませんでしたが、2006年4月、やっとのことで皮膚科光生物学の医師の診察にかかります。

検査結果によれば、彼女は、こうした光過敏を起こしやすいよく知られた病気、たとえば膠原病、ポルフィリン症、色素性乾皮症ではありませんでした。

色素性乾皮症は2006年のドラマ「タイヨウのうた」を通して国内でも知られるようになった病気です。

彼女の光過敏症は、それらの既存のある程度まで解明された疾患には当てはまりませんでした。しかし担当医はこう述べました。

オセロット医師は椅子に背を預けると、両手の指を開いて合わせ、考え込む仕草をして、天井を見つめた。

「こうした患者さんに出会うことが時々あります」と彼は認める。

「診断名は、光線およびコンピュータ増悪脂漏性皮膚炎。その原因ははっきりしていません。

血流を低下させるためにβ遮断薬、それにステロイドクリーム、殺菌用洗浄剤を処方します」(p114)

そのとき処方されたステロイドクリームは顔の痛みを確かに和らげてくれましたが、翌月になって、突如として症状が全身に広がり、今までまったく問題なかった体全体まで光に反応するようになりました。(p118)

こうして、現在に至る彼女の光過敏症のおもな症状が出そろいました。この症状について、医師の診断は、次のようなものでした。

この症状は前記のようなきわめて深刻な症状を引き起こし、こうした症状は難治性疾患に該当する。

原因となる光源に対し、低レベルの露出をも避ける必要があるため、重度の身体障害に陥るケースが多い。(p14)

この光線過敏症は、当然ながら、衣服で肌を覆っただけでは軽減しませんでした。言うまでもなく、光は布地を透過しますし、空いている部分から回折してきます

全身が光で焼かれるようになってしまった彼女は、なんとかして生活を維持しようと努めましたが、手の打ちようがなくなり、防音措置ならぬ、防光措置をほどこした真っ暗闇の部屋での生活を余儀なくされました。

心因性ではなく、感光性細胞の障害

さて、このような症状について書くと、必ず心因性だと言い出す人が出てきます。

光を怖がるあまり、症状が出ると思い込んでいる、あるいは不安が症状を誘発しているのだと。

アンナ・リンジーも、たびたびそうした非難を受けてきたようです。自制心を失って話すと、「神経症患者のレッテルを貼られてしまうおそれがある」ので、他の人に話すときは細心の注意を払って思慮深く説明するようにしています。(p252)

いずれにしても、当事者として語られる彼女の経験は、明らかに、この病気が心因性などではなく、生理学的なものであることを示しています。

さまざまな治療法のほとんどは反応せず、プラセボ効果さえ感じられないのに、ステロイド剤には改善や悪化など具体的な反応を見せているのは、何かしら炎症をコントロールする免疫機能の異常があることを思わせます。(p115,244)

また、症状が出るとき、光に対する不安が症状に先立っているのではなく、まず気づかないうちに光が体に当たり、激痛などが生じてはじめて理由に気づく、といった順序も、認知を抜きにした神経系の障害を示唆しています。

たとえば、最初に症状が全身に広がったときは、次のように感じました。

突然、全身がかっと熱くなって、じっとりとした冷や汗がどっと噴き出す。わたしは舗装道路の上で立ち止まり、立ち尽くす。どうしていいかわからない。

まるで、体の中から何かが皮膚を突き抜けて出ようとしているかのようだ。それも一ケ所ではなく、全身で。

わたしはくるりと向きを変えると、一番近道を通って、家へ向かって走った。

その晩は、何時間も体中がひりひり、ちくちくする。それから、死んだように冷たくなる。

それでもわたしはまだ思い当たらない。顔のことばかり気にしている。光が作用するのは顔なのだ。(p116)

思考より先に体が反応する、という図式は、認知(トップダウン)のプロセスではなく、感覚(ボトムアップ)のプロセスが病気の原因であることを示唆しています。体がまず光を感じ取り、異常反応を起こし、遅れて認知がそれに気づきます。

以前の記事でも引用しましたが、脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によれば、わたしたちの体は、感光性の細胞で満たされています。

色に対する極端な敏感さは、私たちの身体を構成する個々の細胞やタンパク質の内部にも存在する。

1979年、モスクワ大学の科学者カレル・マルチネクとイリヤ・ベレズンは、ヒトの身体がおびただしい数の感光性の化学スイッチや増幅器に満ちていることを示した。(p195-196)

わたしたちは、目だけではなく、体中に光に反応する細胞を持っていて、しかも光のどの波長(つまり色)かによつて、異なる反応を見せます。

そのスイッチや増幅器は、色、すなわち波長によって受ける影響が異なる。

たとえば、より効率的に機能するよう身体の酵素に働きかけ、細胞中のプロセスを有効もしくは無効にし、どの化学物質を生産するかに影響を及ぼすことができる色もある。(p196)

アメリカ陸軍のコンサルタント外科医も勤めた血管の専門医フレッド・カーンによる、特定の波長の光を人体に放射する低強度レーザー治療の研究では、免疫系の炎症や痛みを伴うさまざまな病気への効果がすでにわかっています。

さらにカーンは、重度の若年性の形態を含む関節リウマチの症状がレーザーによって改善された例を紹介する。

まずは13歳の頃から若年性リウマチを患う17歳の少女だが、大幅な改善を見せた事例だ。ソーセージのように変形して使えなくなった指の治療を28回受けても効果がなかったのだが、レーザー療法で改善されたのである。

また次の事例では驚くべきことに、椎間板ヘルニアを抱える人がレーザーによって治癒していた。身体がどうにかして椎間板を再生したのだ。

レーザーは、さまざまな痛みの症状や線維筋痛症にも効果がある。

免疫系がひどく抑制されていたために、一面に疣のできた足がカリフラワーの切り株のようになっていた人も治癒していた。(p204)

特定の色の波長のレーザーが、わたしたちの体の免疫系や痛みのプロセスに影響を及ぼす理由のひとつは、わたしたちの全身の細胞の中にあるシトクロムが、日光をエネルギーへと変換しているからです。

光感受性分子は目にしか存在しないわけではない。

光感受性分子にはロドプシン(網膜に存在し視覚のために光を吸収する)、ヘモグロビン(赤血球細胞中に存在する)、ミオグロビン(筋肉中に存在する)、シトクロム(あらゆる細胞に存在する)の4つの主要なタイプがあり、これらのうち、日光のエネルギーを細胞が利用できるエネルギー形態に変換するシトクロムは、レーザーがさまざまな症状を治癒する理由を説明する。(p222)

シトクロムが吸収した光は、ミトコンドリアにおいてエネルギーの源として知られるATP(アデノシン三リン酸)を生み出し、免疫系をはじめとするさまざまな活動に用いられます。

どの活動に用いられるかは、光の波長に左右されることもわかっていて、光は「一つの言語体系」であり、光の波長、つまり色は、細胞に特定の指示を伝える「単語」だと考えられています。

つまり、光のエネルギーは一つの言語体系を構成し、特定の波長が、生きた細胞が反応する個々の単語に相当すると言えよう。(p225)

光の波長はまた、アセチルコリンやセロトニンをはじめとする脳内神経伝達物質の生成にも関わっているようです。脳脊髄液や血管を通じて光子が脳に運ばれ、脳細胞に影響を及ぼしているのではないか、とも考えられています。(p226)

テルアビブ大学の神経外科医シモン・ロックカインドらの研究では、低強度レーザーが、抹消の神経の損傷を回復させることだけでなく、脳や脊髄の中枢神経の再生も促すことが判明しているそうです。(p238-239)

これらの光の波長が人体に及ぼす研究を知ると、今回読んだ まっくらやみで見えたものの著書アンナ・リンジーの体に何が起こっていたか、おぼろげながら理解することができます。

全身の感光性細胞についての研究によれば、わたしたちは目だけでなく体全体で光を認識し、光に含まれている波長に応じて、脳に特有の情報が送られてることは明らかです。

わたしたちの体は、光の波長、スペクトルを「見分ける」ことができます。意識の上では気づきませんが、わたしたちの体、そして脳の潜在意識に当たる部分は、体に光が当たっているかどうかはもちろん、どんな波長(色)であるかまで把握しています。

アンナ・リンジーが発症した光感受症は、最初はパソコンの画面、ついで蛍光灯、そして太陽光に反応するようになりました。彼女によれば、ある同病者の男性トムは、ほとんど似たような症状でしたが、太陽光には反応しないという特徴がありました。(p95)

光のスペクトルによって症状が異なる、というこの特性は、これが光という言語体系に含まれる特定の色(波長)を感光性細胞が処理する情報経路の障害だということを示唆しているように思えます。

あらゆる光に対して反応してしまうアンナ・リンジーは、さしずめすべての音を聞き取れなくなった人のようであり、一部のスペクトルにだけ反応してしまうトムは一部の音域にだけ難聴になった人と似ているかもしれません。

詳しいメカニズムを知るには、さらなる研究の進展を待たねばなりませんが、現在明らかになっている科学的事実を知るだけでも、このような病気が、心因性の思い込みではなく、れっきとした生物学的現象であるのは明らかです。

わたしは、自らの経験も踏まえて、アンナ・リンジーがこの本で書いている次の批判に全面的に同意しています。

心理状態が具体的に病気という形になって体に現れると、信じる人たちがいる。

この人たちに言わせれば、病気の背後には、いやな過去を忘れることができない問題が隠れているということになる。

…困ったことにわたしの場合、心理状態が具体的な形になって現れた恰好の症状と、すぐに思い込まれてしまう。スピリチュアル系の考え方をする人を、面白いほど惹き付けてしまうのだ。(p149)

このブログで何度も繰り返し書いてきたように、わたしは「心の問題」が病気を引き起こす、という考え方に否定的です。

「心因性」という言葉は、人体のつくりを理解できない不勉強な医者が考えだした概念、いわば医学を一種の盲信的な宗教に見立てた場合における「隙間の神」のような概念だと思っています。

実際には、トラウマのように、従来 心理的な問題だとみなされてきた病態でさえ、決して心のもつれなどではなく、動物行動学が解明したメカニズムで生じる、生物学的な現象であることが今や明らかにされています。

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アンナ・リンジーは、いまだに「心の問題」のような隙間の神を盲信する医者やセラピストたちをこう切り捨てます。

こうした人々にはわたしの方から、過剰な意味づけをしたがる病理、人生に意味やある種の型を見出さずにはいられない強迫観念、という診断名をお返しする。

こうした障害を心に抱えている人たちは、わたしたちがどれほど肉体的な存在であるかということを受け入れることができない。

生まれつき遺伝的に病気にかかりやすいとか、気づかないうちに環境のリスク要因にさらされていたとか、偶然の奇妙な連鎖が巡り巡ったとか、もうそれだけで、わたしたちの肉体は損なわれてしまうことを。(p151)

彼女の言うとおり、このような人たちは、「わたしたちがどれほど肉体的な存在であるか」を知る必要があります。

デカルトは体を別にした心を想定し、フロイトは精神分析によって心の葛藤を意味づけし、多くの宗教家は肉体を別にした魂を論じてきましたが、わたしたちの心、そして意識は、肉体から生じているという科学的な現実を無視するわけにはいきません。

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わたしたちが安易に「心の問題」とみなすものは、実際には、もっと下層で生じている感覚や神経が認知している問題を、脳が都合よく意味づけして、もっともらしいストーリーへと編集した作り話にすぎません。

アンナ・リンジーが用いた「過剰な意味づけをしたがる病理」とは、まさに適切な表現です。

まっくらやみでの生活

もともとこの本では、こうした生理学的な小難しい解説はほとんど含まれていません。あえて詳しく分析ししみたのは、この本に書かれた彼女の経験が心因性の思い込みかもしれないという視点を払拭しておきたかったからです。

この本のすばらしいところは、なんといっても、アンナ・リンジーの繊細な表現力から紡ぎ出された、光過敏症の当事者の日常です。論文調のつまらない病気の解説などではありません。

物語は、彼女が、真っ暗闇の部屋を作るところから始まります。

部屋をまっくらやみにするのは、並大抵のことではない。(p11)

光にまったく敏感ではない大勢の人たちからすれば、暗闇にするには、電気を消せばいいだけかもしれません。ちょっと敏感な人たちの場合は、遮光カーテンを引いたり、調光できる照明器具を利用したりすることを考えるかもしれません。

しかし、わずかな光にさえ体が過敏に反応してしまう、重度の光過敏症の人にとっては、それくらいの暗さでは足りないのです。自分の体がうっすらとでも見えるなら、それは光が差し込んでいるということを意味しています。

本当の真っ暗闇を作るには、ずっしりと重い遮光繊維やアルミホイルで目張りをして、穴という穴をふさがねばなりません。

こうして作られるのは、文字通りの暗室。たぶん、わたしたちがほとんど経験したことのない暗室です。

わたしたちは部屋を暗くしても、目が慣れて暗順応すればうっすらと物が見えるのを知っていますが、本当の闇では、何時間過ごそうが見えるようにはなりません。手足も見えず、自分の位置もわからないので、方向感覚も失います。

最初の頃、わたしは暗闇の中でよく迷子になった。

ベッド、本棚、衣装だんす、机―それだけで手狭になるほどの小さな部屋なのだが、まっくらやみでは方向感覚を失い、右も左もわからなくなって恐ろしくなる。

初めのうちは、闇の中で得体の知れないものに手が触れると、手のひらでトントン叩きながら必死になってそれが何なのか手がかりを探ろうとした。

自分では部屋のこっちを向いて床に座っていると信じ込んでいるところへ、思いもかけないものが手に触れて、きゃっと叫んでしまうこともよくあった。

認識がずれてしまうと、脳みそがぐちゃぐちゃになったみたいにぎょっとしてしまう。(p19)

けれども、彼女はすぐその部屋の中の生活に慣れました。目の見えない人が適応するように、空間の位置関係を記憶したからです。

前回の記事で書いたとおり、それは、産業革命前の明かりのなかった時代の人たちが、ごく普通にしていたことでした。たとえば失われた夜の歴史にはこう書かれていました。

多くの家庭では、夜のどの時間帯であれ、暗闇の中を注意深く手探りしながら、歩きなれた部屋や廊下を移動していた。

ウェールズのあることわざは、「分別こそ最良の蝋燭である」と断言している。

触覚はきわめて重要だった。誰もが自分の住まいの構造を、家中の階段の正確な段数も含めて、長く記憶に留めていた。

…19世紀にイタリアを訪れたある旅行者は、海沿いの「みすぼらしい」宿で一夜を過ごすことになり、夜明けに自分の部屋の「出口を見つけ」ようとして、部屋中を「きわめて正確に測量」する羽目になった。(p170)

睡眠の常識を根底から覆してくれた「失われた夜の歴史」―概日リズム睡眠障害や解離の概念のパラダイムシフト
産業革命以前の人々の暮らしや眠りについての研究から、現代人が失った「分割型の睡眠」とは何か考察しました。

本当の真っ暗闇の中でアンナ・リンジーが体験したことを思えば、産業革命以前の人々が、今に伝わる多種多様なファンタジーの魑魅魍魎を生み出したのも当然のことでしょう。

安全だとわかっている部屋の中でさえ、「思いもかけないものが手に触れて、きゃっと叫んでしまう」のであれば、月明かりさえない闇夜を出歩くのは、どんな肝試しよりも恐ろしい冥府の旅だったでしょうから。

上の記事で書いたとおり、産業革命以前の真っ暗闇で眠っていた人たちや、今日、特殊な実験下で作られた真っ暗闇で眠る人たちは、現代人とは異なる「分割睡眠」をとります。

「分割睡眠」の特徴のひとつは、現代人の睡眠から失われたと思われる浅い眠りやレム睡眠が多く、かなり鮮明で奇妙な夢をたくさん覚えていることです。

では、自前で真っ暗闇を造り、産業革命以前の暗闇を体験しているに等しいアンナ・リンジーはどうだったかというと、確かにそのような奇妙で不思議な夢をたくさん見るようになりました。

このまっくらやみで見えたものには、たとえば「色彩と音と動きのある世界」、「頭の中のスクリーンに夜な夜な映し出される、奇妙な映画の世界」、「現実と勘違いするほど、細かいところまでよくできた夢」などと表現されています。(p25、158)

こうした夢は、このブログで前に書いたとおり、解離性障害の当事者に多いとされていましたが、アンナ・リンジーはどこからどうみても解離性障害ではありません。

解離しやすい人の変な夢ー夢の中で夢を見る,リアルな夢,金縛り,体外離脱,悪夢の治療法など
「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」など、さまざまな本を参考に、解離しやすい人が見る変な夢についてまとめました。夢の中で夢を見る、夢の中に自分がいる、リアルな夢

ということは、やはり、「分割睡眠」の記事で考察したことが正しいように思えます。産業革命以前の真っ暗闇で眠った人は、みなこうした奇妙な夢を見ていた、という仮説です。

解離性障害の場合に奇妙な夢をもたらしているのは、解離に伴うレム睡眠の侵入であり、真っ暗闇で眠る人たちもまた分割睡眠によって同じような奇妙な夢を体験するのです。

わたしも奇妙な夢をよく見ますが、アンナ・リンジーが、めくるめく広がる夢の世界が楽しすぎて眠り中毒になりかけた、と述べているのを読んで、たちまち共感してしまいました。

動物園の動物や監獄の囚人は、一日の大半を寝て過ごす。同じようにわたしも眠りの虜となって、眠りをむさぼる。眠り中毒になる。

眠りはこの人生の鎖を断ち切り、慣れっこになってしまった皮膚の呪縛を解き放つ。眠りのおかげで、大自然の風景を思う存分旅することもできる。

毎晩、わたしは同じ扉から夢の世界に足を踏み入れるのだが、きまって何かしら新しい発見をする。

池の中に宝物を見つけ手を突っ込むと、その宝物を探し当てることもあれば、サソリに噛まれることもある。それでもいつもしばらくの間、わたしの心は救われる。(p26)

わたしも自分の摩訶不思議な夢を、これほど詩的な実感をこめて描写できればいいのですが。

「なんで次の手を打たないの?」

アンナ・リンジーが恵まれていたのは、無理解と偏見にさらされてはいても、よき理解者である母をはじめ、身近に心強い支えとなる人が幾人もいることでしょう。

とりわけ彼女が重度の光過敏であり、日に日に悪化していくのを目にしていながら、決して見放すことなく、結婚してサポートすることに決めてくれた夫のピートの存在は、この本の物語を織りなす一本の美しい縦糸をなしています。

どことなく、化学物質過敏症の奥さんを支えている漫画家のあきやまひできさんのエピソードを思い出します。

かびんのつま(1)感想 化学物質過敏症(CS)の妻と漫画家の愛に満ちた闘病記
漫画家あきやまひできさんが化学物質過敏症・電磁波過敏症(CS・ES)の奥さんとの闘病記録を描いたマンガ「かびんのつま」を読みました。その感想です。

アンナ・リンジーが、母と夫をはじめ、よき理解者たちに巡り巡ったのは、単に運良く恵まれていた、というよりは、彼女自身の人柄や、優れたコミュニケーションによるところが大きいと感じます

この本からわかるのは、彼女は、コップに水が半分しかないと考える人でも、まだ半分もあると考える人でもなく、蛇口はどこですか?と駆け回る人である、ということです。

まっくらやみの中で、わたしはいつも、新しく始められることはないかと考えを巡らせる。何もない空っぽの闇の時間を埋めてくれる、詰め物はどこかにないものかと。

これまで自分がやってきたことを洗い出し、自分の経験の畑を耕し、土をひっくり返して、もしや金塊でもひょっこり現れはしまいか、使えそうな掘り出し物は出てこないかと期待する。(p108)

難病や試練を乗り越える人の共通点は「統御感」ー「コップに水が半分もある」ではなく「蛇口はどこですか」
難病など極めて困難な試練から奇跡の生還を遂げる人たちは、共通の特徴「内的統制」を持っていることが明らかになってきました。「がんが自然に治る生き方」「奇跡の生還を科学する」などの本か

彼女が真っ暗闇で新しく始めたことは相当な数にのぼります。

たとえば、本も読めない暗闇で、彼女が楽しみを見出したのはオーディオブックでした。さまざまなジャンルの本を聞くうち、意外にも自分は戦記物が好きだと知り、SASのサバイバル術を覚えてしまいます。(p88)

やがて体調が寛解し、夜中に近所を歩き回れるようになった時期、防犯灯のセンサーや車のヘッドライトを巧みに回避して都会でサバイバルしているさまは、SASのスキルが役に立ったのでは、とも思わせるほどの身のこなしです。(p184)

オーディオブックの中には、あの有名な全身麻痺になったジャン=ドミニック・ボービーの潜水服は蝶の夢を見るのような、同じような拘束状態に置かれた人たちのエピソードも含まれていました。(p155)

こうした様々な極限状態に置かれた人たちの物語に触れ、それに支えられたことが、自身もまたこのまっくらやみで見えたものを世に送り出そうと感じた動機だったのでしょう。

彼女はまた、たとえ外の世界で新しい友人を作れないとしても、電話を通じてやり取りする慢性病患者のサークルに参加しました。そこでは同様の光過敏症をはじめ、慢性疲労症候群のような病気の電話友達もできました。(p91)

光過敏症が悪化してからは、病院に出かけることはできなくなりましたが、集めた情報をもとに、さまざまな対策を試みてもいます。

同じ症状の人から得た情報では、ずっと暗室で過ごすと何ヶ月かかけて皮膚が回復し、しばらく弱い光の下なら出歩けるようになるということでした。

彼女も後にそれを経験し、「年来の仇敵」か「自分を捨てた恋人」と相対するような気持ちで太陽と再会に至ります。(p194)

また、さまざまな光過敏症にβカロテンが有用だという情報も活用しています。(p186,262)

体力が衰えるのを避けるため、暗闇の中ではずっとアレクサンダー・テクニークで体を鍛えていますし、記憶と言葉を駆使したさまざまなゲームを考え出しては、日々楽しめることを見出しています。

何もない状況下でこそ、創造性が上がる、というのは、おもちゃがあまりない環境のほうが子どもは遊びを発明するという研究を思い起こさせます。

おもちゃを与えすぎてはいけない。独創的な子どもに育てる方法 | ライフハッカー[日本版]

彼女の、常にできることを探し続けるという積極的な闘病スタイルは、この言葉に集約されているでしょう。

そんなわたしが生きてきて学んだことはこんなことだ。

もっとも高尚な真実とは「苦しみは厳然として存在する」ということ。

歴史全体を見ると、自分には想像もつかない苦しみの形、多種多様な苦しみの形であふれているのであり、「なんでわたしがこんな目に?」という疑問は愚か者の言うことだ。

賢明な人間はただ「なんで次の手を打たないの?」と言って可能性を見つけていく。(p274)

あきらめなかった二匹目のカエル

もちろん、彼女は常に積極的ではあるものの、いつも前向きでポジティブでいられるわけではありません。心の中の深みではいつも、「死者を妬む魚」が泳ぎ回っていると打ち明けています。(p159)

良くなりかけたと思えば再発してどん底に叩き落される、ギリシャ神話のシーシュポスのような絶望、自分を支えてくれている家族の愛を確信しながらも、自分などいないほうが良いのではないかという後ろめたさ。

文字通りの意味でも、比喩的な意味でも、真っ暗闇の中の、先の見えない生活。彼女は、未来について、あえて考えないようにしてきたといいます。

ふと未来の世界を覗き込もうとしても、そうしたわたしの気の迷いを、わたしの頭が取り締まる。黒い重い扉を固く閉ざして、未来へ続く道をふさぐ。それが親切というものだ。

わたしの頭は、自己防衛の手段に訴えるだけの知恵がある。未来について考えることを許してしまえば、たちどころに自滅と絶望に至るとわかっているのだ。

扉の向こう側にあるものは、快方、悪化、現状維持の三つのみ。もし確かなことを知らされれば、そのうちの二つは耐えられない。何も知らなければ、どうにか持ち堪えることもできる。

身を切られるようなつらい時期を生き続けるには、先が見えないほうがありがたい。(p168-169)

未来についてあえて考えない、というのは、単なる現実逃避でしょうか。

わたしはそうではないと思っています。というのは、うつ病になる人は、未来について考える能力を抑制できないせいで、絶望的になっている可能性があるからです。

人間だけが未来を思い描く 「スタンフォードの自分を変える教室」
人間だけが「未来」を思い描く能力を持っています。わたしたちはその能力を誤用して、やすやすと誘惑に陥ってしまうでしょうか。それとも、それをコントロールして、なりたい自分になることがで

脳科学は人格を変えられるか?という本によれば、1979年、心理学者のローレン・アロイと、リン・アブラムソンは、楽観主義者と悲観主義者を対象にした比較実験で、「抑うつリアリズム」と呼ばれる現象を発見しました。

二つのグループはどちらも、自分ではコントロールしようがない状況下に置かれました。すると、対照的な反応を見せます。

被験者の中でもどちらかといえば楽観的な人々は、電球が点いたり消えたりするのを、自分がある程度コントロールできていると確信していた。

これはいわば、コントロールの幻想だ。

いっぽう、どちらかというと悲観的な人々は、自分が状況をいっさいコントロールできていないことをより正確に見定めていた。

これは〈抑うつリアリズム〉と呼ばれる現象だ。アロイとアブラムソンの言葉を借りるなら、悲観的な人々は「より悲しいが、より賢い」のだ。(p285)

この実験では、悲観的な見通しをする人は、より現実をリアルに評価していることが示されました。

考えてみれば現実をリアルに見つめれば見つめるほど希望がなくなるのは当然のことです。わたしたちの将来は、だれしも、年老いて病気になって死ぬだけだからです。

未来を正確に見通せるリアリストほど、将来待ち受けている老化や病気や死という絶望的な結末に圧倒されてしまいます。

そのため、わたしたち人間は、あえて「コントロールの幻想」を抱くこと、つまり現実をリアルに評価しすぎず、もしかしたら良いことがあるのかもしれないという漠然とした楽観を抱くことで適応しているようです。

それを思えば、アンナ・リンジーが言うような、「身を切られるようなつらい時期を生き続ける」ために未来について考えないようにし、これから起こるかもしれないことを思い煩わないというのは「自己防衛の手段」なのです。

わたし自身、未来や過去について思い描くことがほとんどできませんが、今にして思えば、10代のときから困難な状態にあるため、脳が無意識のうちにそう適応したのかもしれません。そのおかげか、わたしはほとんど落ち込むことがありません。

アスペルガーとADHDの時間感覚の違い―過去と現在と未来
「身体の時間―“今”を生きるための精神病理学 」という本から、過去・現在・未来へのとらわれを分類し、アスペルガーとADHDの時間感覚の違いを説明しています。

未来について考えない、という「自己防衛の手段」は、一見、現実から目をそらした、ただのその場しのぎの窮余の策にも思えますが、そうではありません。

現実を正しく見据え、「自分が状況をいっさいコントロールできていないことをより正確に見定めていた」人たちは、当然ながら、何の努力もしなくなってしまいます。すべて無駄だとわかるからです。

いっぽう、未来について考えすぎない人たちは、「コントロールの幻想」を抱くがために、最後まで悪あがきを続けます。そしてそれが、リアリストたちの現実的な目には見えなかった、思わぬ結果を招くこともあります。

アンナ・リンジーは、この本まっくらやみで見えたものの中に、自分が励みにしている「二匹のカエル」という物語を載せています。

ある夏の暑い日、二匹のカエルが、酪農場のミルクの撹乳器を覗き込み、その中へ転落しました。抜け出そうにも、ふちまで登ることがどうしてもできません。

一匹目のカエルはこう考えました。

こんなに必死になって泳いで何になる? ぐるぐる回っているだけでどこへも出られない。

泳ぐのをやめて溺れてしまってもいいじゃないか。どうあがいても、最後はそうなるんだから。(p228)

こうしてこのカエルは溺れて死にました。「抑うつリアリズム」の悲観主義者と同じく、もう自分では何もコントロールできないことを正確に見抜いたからです。

もう一匹のカエルは、あまりリアリストではありませんでした。こう考えます。

でも、ぼくはまだ死んではいない。生きている限り、ぐるぐる泳ぎ続けよう。(p228)

このカエルは、未来について見通す力が甘いようです。いま現在のことしか考えておらず、最後までただあがきつづけることにしました。

やがてずいぶん長い時間が過ぎ、二匹目のカエルはひとりぼっちで悲しくても、疲れ果てても、ただひたすら、命尽きる時まで泳ぎ続けます。

すると…

やがて、本当にミルクはものすごく濃くなっていた。いつの間にか二匹目のカエルは黄色く固まった表面に乗っていた。

撹乳器からひょいと飛び出すと、自由の身になった。あんまり長い時間、カエルが脚をバタバタさせてミルクを撹拌したので、バターができあがったのだ。

この話の教訓は―けっして諦めてはならない。(p228)

もっとも、これでめでたしめでたしなのかは、わたしにはわかりません。抑うつリアリストたちのこんな声が聞こえてきそうです。

確かに物語の中では都合よく助かったかもしれないけど、バターが固まる前に死ぬ可能性だってあったじゃないか。それに、どうせそのカエルもしばらくしたら別の理由で死ぬだけだ。それ なら先に死んだカエルのほうが楽だったかもしれない。

わたしはどちらのカエルの人生がよかったのかまでは知りません。そんなものは個人の価値観の違いでしかありません。

人間の一生もそうです。死を選ぶ人と生き続ける人、あきらめる人とあがき続ける人、どちらがいいのかは当人が決めればいいことです。

ただ、アンナ・リンジーは、二匹目のカエルのようでありたいと書いていますし、わたしも、これまでの人生を振り返るに、どうやら二匹目のカエルのような性格をしているようです。

未来をはっきり想像できるリアリストたちにとってはもっと合理的な結論があるのかもしれませんが、未来も過去もぼんやりして見通せないカエルにとっては、ただ今この瞬間を精いっぱい生きること以外に頭が回らないものですから。

ひとつ言えるのは、この世界は、どれほど頭のいい現実主義者でさえ、どれほど正確なコンピュータでさえ、何もかも見通せるほど単純ではない、ということです。

わたしたちは自分の手持ちの情報から未来を思い描きますが、未来はそもそも見通せるようなものでも予測できるようなものでもありません。未来はまだ存在すらしておらず、真っ暗闇の中でこれから誕生を待っている赤子のようなものだからです。

二匹目のカエルのようにできることを探し続けているアンナ・リンジーや、ひたすら悪あがきを続けているわたしのような人の未来に何が待っているのかはわかりませんが、どうせ何が起ころうと後悔などしないでしょう。

どんな場面でも何かできることを考えつづけ、それにひたすら取り組まずにはいられないような人たちは、きっと最後の最後まで、じっと座って後悔するのに必要な、まとまった時間を見つけられません。

真っ暗闇でしか見えないものがある

この本は、決して大団円では終わりません。文学的な体裁で書かれてはいますが、よくできた小説にありがちなハッピーエンドなどありません。

著者は仕方なく、わざわざ時系列を組み直し、6年前の結婚式のエピソードを最後に持ってきて、読み物としての体裁を整えているくらいです。

最後まで読んでも、著者は真っ暗闇から抜け出せませんし、あとがきの時系列を見ると、この本の出版時点では、回復どころか今までで一番体調の悪い3年間を過ごしていたことが読み取れます。

では、このまっくらやみで見えたものは闘病記として、何の励みにもならないのか。

わたしはむしろその逆だと思いました。たとえずっと真っ暗闇の中から抜け出せないとしても、病気から解放されるという希望すら見えていないとしても、真っ暗闇の中で生き生きと人間らしく暮らしている一人の女性の姿がはっきり見えるからです。

病気から解放される唯一の希望は元気になって治ること。そんな一元論からすれば、この本は、何の励みにもなりません。抑うつリアリストに言わせれば、たとえ病気が治って元気になっても、すぐ年老いて死ぬだけです。

しかし、たとえ真っ暗闇の中から抜け出せず、健康を取り戻せないとしても、次々に新しいことに挑戦する充実した人生を生きることができる、だから健康かどうかだけが充実した人生の尺度ではない。そんなメッセージを伝えてくれる本でした。

訳者あとがきによれば、この作品はあくまで作家としてのデビュー作にすぎないようです。新たに小説の執筆も始めたとか。きっと今もアンナ・リンジーは、次のやりたいことに取り組んでいるのでしょう。

闇の中でも人間としての煌めきをうしなわず、むしろ闇にいるからこそ輝きを増しているようにさえ思える この不思議な物語は、単なる闘病記を超えた文学として、あらゆる立場の人に読み継がれる価値のあるものです。


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