ありがたいことに、分離脳研究から多くのことが学べた。
手術で二つの半球を分離すると二つの心をもつひとりの人間になるという最初の定義づけに始まり、長い道のりを経た今日では、決定を行動に移すことのできるようになる複数の心を私たちの誰もが実際にもっているという、直観に反するような見解に到達した。(p402-403)
わたしたちの脳は、ただひとつの自己ではなく、「複数の心」、複数の異なる自己から成り立っている。
そんなことを書くと、まるでドラマやマンガに出てくる現実離れした話だ、と感じるかもしれません。たいていの人にとって、自分はひとつであり、心の中に複数の自分がいる、などと言い出す人は突拍子もなく思えます。
ところが、冒頭の本、右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -の著者、マイケル・S・ガザニガは、認知神経科学の研究を通して、「複数の心を私たちの誰もが実際にもっているという、直観に反するような見解」に至りました。
その後、多くの研究を通して、わたしたちが単一の自己を持っていると感じるのは、巧妙な錯覚であることがわかってきました。実際には、人の脳は、異なる複数の心から成る社会のようなもの、「内的家族システム」(IFS:Internal family systems)であることが明らかにされつつあります。
そして、わたしたちが経験する、さまざまな精神的な葛藤、抑うつ、衝動、依存症などの背景には、この内的家族システムの不和が関係していることがわかってきました。
わたしたちの心が複数の自己から成り立っているといえるのはどうしてでしょうか。それは愛着障害や、解離性同一性障害、イマジナリーコンパニオン(空想の友だち)などの現象とどのように関係しているのでしょうか。
自分が無意識のうちに、内的家族システムの問題を抱えているとしたら、どのようにしてそれに気づき、問題を解決することができるのでしょうか。
これはどんな本?
今回おもに参考にした本は、次の三冊です。
右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -は、タイトルのとおり、分離脳研究を通して、右脳と左脳の役割を発見したマイケル・S・ガザニガによる自伝ともいえる本です。
脳は奇跡を起こすは神経可塑性についてさまざまな角度から研究している医師また作家であるノーマン・ドイジによる本で、第9章では、幼少期のトラウマと右脳の関係に光が当てられ、愛着や解離のメカニズムが説明されています。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法は、トラウマやPTSD研究の第一人者であるベッセル・ヴァン・デア・コークによる本で、心が複数の自己からなる社会であることを活用した、内的家族システム療法が紹介されています。
心は複数の自己からなる「内的家族システム」である
一人の人の心の中に、複数の自己がいる。
そんな奇妙で直観に反する事実が明らかになったのは認知神経科学の先駆者マイケル・S・ガザニガの研究を通してでした。
ガザニガは、分離脳研究の専門家として知られています。分離脳とは、重度のてんかん患者の症状を和らげる手術として、左右の脳をつなぐ脳梁(のうりょう)を切り離した状態のことを言います。
左右の脳を切り離すというと、恐ろしいことに思えますが、重度のてんかん患者の場合、脳を分離させる手術を受けると、症状が解決するばかりか、一見したところ、まったく正常に見えることさえ知られていました。
では、なぜ左右の脳を結びつける脳梁が必要なのでしょうか。そしてなぜ、脳は左右両半球にわかれているのでしょうか。
それまで、脳の言語機能は左脳にあることが知られていたので、わたしたちの自己は左脳にあり、右脳は付属品であるかのように考えられていました。
プルーストの記憶、セザンヌの眼―脳科学を先取りした芸術家たちにはこう書かれています。
脳に障害のある患者に関するそれまでの研究は、脳の左半球が意識のある側だと結論づけていた。
左半球が私たちの魂の中枢であり、すべてのものが集まる場所である。脳のもう一方の半球、すなわち右半球はたんなる付属品だと考えられていた。
ロジャー・スペリーは1981年のノーベル賞受賞記念講演で、彼がこの研究を始めた当時の右半球に関する一般的概念を簡潔に述べた。
すなわち右半球は「沈黙し、書字不能であるだけでなく、失読症、言語聾、失行症であり、高次な認知機能を全面的に欠いている」と考えられていたのである。(p262-263)
しかし、ロジャー・スペリーとその弟子であるマイケル・S・ガザニガは、分離脳の手術を受けた人たちの特殊な状況を利用して、右脳と左脳それぞれの役割を調べることにしました。
通常、右脳と左脳は脳梁によってつながっているため、それぞれを別々に調査することは困難です。しかし、両者が分断されている患者では、ある工夫を凝らすことによって、片側の脳だけを調査することができました。
右脳と左脳の命令系統はクロスしていて、右脳は左半身を、左脳は右半身を統御しています。そうすると、脳が分断されている患者の場合、右目だけに何かを見せれば、その情報に気づくのは左脳だけです。その逆ももちろんしかりです。
そうした手法によって、これまで沈黙を保っていた右脳の役割が明らかになりました。
驚いたことに、右半球は無言でもなければ無能でもなかった。それどころか「抽象化、一般化、連想」において不可欠の役割を果たしているらしかった。
当時の定説に反して、脳の一方の半球が他方の半球を支配したり減圧したりすることはないのだった。
実際、これらの患者はその逆が正しいことを証明した。
すなわち、それぞれの葉(よう:半球のこと)は独自の自己をもっていて、それぞれが独自の願望、才能、感動をもっている。(p263)
この発見は、またたく間に世界を席巻し、左脳は論理的、右脳は芸術的といった都市伝説が流布することになりました。
当のガザニガやスペリーは、こうした左脳人間、右脳人間といった俗説には関わりを持ちませんでした。「脳の一方の半球が他方の半球を支配したり減圧したりすることはない」からです。
彼らが注目した点は、別のところでした。
それはそれぞれの半球に、本人も気づかないうちに「独自の自己」が存在していて、互いに協力しあっているという不可思議な現象でした。
ガザニガは、分離脳患者に対する実験について、右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -の中でこう振り返っています。
こうした簡単な検査を行い、P・Sの右半球には自己意識があり(自分の名前を知っていた)、未来についての感覚がある(作業上の目的があった)ことがわかった。
どちらも自覚的な意識に備わった重要な性質である。
とりわけ興味深いのが、右半球と左半球とが、それぞれに異なる未来の目的をもっていることだった。
つまり、ひとつの頭に二人の人がいるということなのだろうか?(p175)
分離脳研究が示していたのは、彼らのなかに、あたかも「二人の人」がいて、目的も願望も異なっているかのようだ、ということでした。
それどころか、研究を進めるうちに、これは分離脳のような特殊な状況にある人にのみ見られる現象ではないことがわかってきました。
わたしたちの脳は二つの心だけでなく、もっと多くの心的システムからなっているのではないか、ということです。
この例では、ひとつの別個の心的システムが興奮し、そのせいで他の心的システムの通常機能が妨げられた。
「心」はひとつではなく、複数の心的システムの集まりなのではないか、という考えが頭をもたげた。
当時、それは新しい考えであり重要な意味をもっていた。こうした概念は、分離脳のサルや人間の患者たちがなぜあのようにふるまうのかを理解するにあたり、きわめて重大なものだった。(p100)
「心」はひとつではなく、複数の心的システムの集まりなのではないか。
このガザニガの着想は、分離脳研究や、その後のさまざまな実験を通して裏づけられてきました。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、ベッセル・ヴァン・デア・コークは、ガザニガが最終的にどのような結論に至ったか、次のように書いています。
現代の神経科学も、心をある種の社会と見なすこの概念を裏づけている。
分離脳に関する先駆的な研究を主導したマイケル・ガザニザは、心は半自律的な機能モジュールで構成され、各モジュールには特有の役割があると結論した。
彼は1985年の著書『社会的脳―心のネットワークの発見』に、次のように書いている。
「だが、自己とは統一された存在ではなく、私たちの内部には、いくつもの意識領域が存在しうるという説についてはどうだろう
……私たちの[分離脳の]研究から新たに浮上したのは、文字どおり複数の自己が存在し、しかもそうした自己は、必ずしも内面で相互に『対話』してはいないという見方だ」。(p463)
スペリーとガザニガは、右脳と左脳には別々の自己が存在するという研究から始まって、やがて、わたしたちすべてには「文字どおり複数の自己」が存在している、という結論に至ったのです。
そしてそれら「複数の自己」は、「必ずしも内面で相互に『対話』してはいない」ために、わたしたちのうちの多くは、自分が単一の自己であるかのように錯覚し、心はひとつだと思いこんでいます。
「単一の自己」というごく当たり前に思える認識は、錯覚また思い込みにすぎず、脳の本当の姿ではない、ということは、今やほかの研究者たちも認めています。
人工知能研究の草分けであるマサチューセッツ工科大学のマーヴィン・ミンスキーは、こう断言した。
「単一の『自己』 という伝説は、自己に関する研究の対象を見誤らせることにしかならない。
……人の脳の中に、異なる複数の心から成る社会が存在すると考えることは、理にかなっている。
家族一人ひとりと同じく、それぞれの心が協力した互いに助け合いながら、他の心にはけっして知りえない、独自の心的経験を持っている可能性がある」(p463)
マーヴィン・ミンスキーは、「単一の自己」という考え方は「伝説」でしかなく、実際には一人の人の中に「異なる複数の心からなる社会」があると認めています。
彼はそうした複数の心を、「社会」にたとえると同時に、いみじくも「家族」とも表現しています。
サイコセラピストのリチャード・シュウォーツは、わたしたちの内なる複数の自己を「内的家族システム」(IFS:Internal family systems)と名づけました。
IFSの核をなす概念は、私たちの心とは、一人ひとり成熟度も、興奮しやすさも、見識の程度も、苦痛の大きさも異なる家族のようなものだというものだ。
そうしたいくつもの部分がネットワーク、もしくはシステムを形成しており、その一部分に変化が起これば、それが他のあらゆる部分にも影響する。(p463)
わたしたちの心は、単一の自己であるどころか、複数の自己からなる「内的家族システム」であり、それぞれの心は、文字どおりの家族の成員一人ひとりのように、異なる性格や感情、記憶を持っているのです。
そして、わたしたちが「単一の自己」だと思いこんでいるものは、それら複数の家族のメンバー一人ひとりが互いに影響しあった結果生まれた、見かけ上ひとつのものにすぎないのです。
あなたは複数の自己に気づいていない
それではなぜ、心は複数の自己からなる「社会」また「内的家族」であるのに、大半の人は、自己はひとつだと思い込み、錯覚してしまうのでしょうか。
マイケル・ガザニガは、右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -の中で、そこには、脳が考案した巧妙なトリックがあることを示唆しています。
外部から見れば、二つの半球が一体となって見える。
いずれにせよ半球の内部においても数百、数千のモジュールが相互に作用してその半球の心を生み出しているのだ。
おそらくは、右の心と左の心は別々のものでありながら、外部の観察者だけでなく内部の観察者の目にも統一して見えるのかもしれない。(p300)
ガザニガが言うように、わたしたちの心は別々のものでありながら、外部の観察者から見ても、内部の観察者から見ても、統一された単一のものであるかのように見えます。
外から見れば、その人の身体はひとつであり、頭もひとつですから、見かけ上ひとりの人間に見える、というのはごく当たり前のことです。
しかし、一体どうして、脳は内部の観察者、つまりわたしたち自身をも欺き、自分の中にはひとりの自己しかいないかのように思い込ませることができるのでしょうか。
ガザニガが行った実験は、その驚くような答えを明らかにしました。 プルーストの記憶、セザンヌの眼―脳科学を先取りした芸術家たちには次のようなエピソードが書かれています。
だが、私たちはふつうこの皮質の対立に気づかない。それはなぜか。
自己は本当は分断されているのに、どうした私たちには統一感があるのか。
スペリーとガザニガは、この疑問に答えるために、いささかいたずらっぽい実験をおこなった。両断脳の患者の左右の目に、別々の写真を同時にぱっと見せたのである。
たとえば患者の右目にはニワトリのかぎ爪の写真を、左目には雪の車道の写真を見せた。
その後、患者にさまざまな画像を見せ、その中から先に見た写真と最も縁の深いものを選ぶようにと指示した。
両断脳の患者の両手は優柔不断さを悲喜劇的に発揮して、それぞれ別の写真を指さした。右手はニワトリを(これは左半球が見たニワトリのかぎ爪と符合する)。左手はシャベルを指さした(右半球はシャベルで雪かきをしたかったのだ)。(p264)
スペリーとガザニガは、分離脳の患者の左右の目に別々の画像を見せました。脳梁がつながっている普通の人なら、この時点で、かぎ爪と雪の車道の両方の画像が見せられていることを認識できますが、分離脳の患者はそれができません。
そのため、似ている画像を指差すよう言われたとき、左半球の自己と、右半球の自己とは、お互いに示し合わせることなく別個に行動し、それぞれ別個の判断をしたのです。
しかし、驚かされるのはこの後です。
科学者たちが患者に、その矛盾した反応を説明してくれないかと頼むと、患者はすぐにもっともらしい作り話をした。
患者は「ああ、それは簡単です。ニワトリのかぎ爪はニワトリについているものですし、ニワトリ小屋を掃除するにはシャベルが必要です」と答えた。
患者は、自分の脳が絶望的に混乱していることを認めず、その混乱をきちんとした話に仕立てたのである。(p264-265)
なんと、分離脳の患者は、自分の中にいる内なる別々の自己が異なる判断を下したことに気づかず、もっともらしい理由を考え出したのです。
しかも、このときの理由づけに、「雪の車道」の写真に関する情報が一切含まれていないことに注目してください。
すでに見たとおり、大半の人の言語機能は左脳の言語野が司っています。つまり、ここで科学者の質問に答えて、口頭でもっともらしい理由をひねり出したのは、左半球の自己です。
右半球の自己は「雪の車道」の写真を見たからシャベルを選んだのですが、左半球の自己は、自分が見ていない「雪の車道」の写真について、記憶を持っていませんでした。
そのため、自分が知っている情報、つまり「かぎ爪」の写真を見たという記憶から、ニワトリだけでなくシャベルまでをも結びつける説明を、無理やりひねり出してしまったのです。
左半球の自己は、自分の左手が選んだ行動の理由を知りませんでしたが、自分の中にもう一人別の自己がいるなどと思ったりせず、単一の自己が矛盾した行動をとるもっともらしい理由を考え出すのです。
ガザニガは、右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -の中で、別のいたずらっぽい実験についても、こう振り返っています。
スプーンの写真が左視野に一瞬映された。その内容は右半球だけに知らされている。
MSG:何が見えましたか?
N・G:何も見えません。顔に特別な表情はない。
MSG:わかりました。では点を見つめてください。
次は、右半球に裸の女性の写真が映しだされた。
MSG:何が見えましたか?
N・G:何も見えません。……笑いを抑えようとするが、抑えきれずにくすくす笑いだす。
MSG:なぜ笑っているのですか?
N・G:なんででしょう。先生はおもしろい機械を持っているのね。(p108-109)
この実験では、いささか悪趣味ですが、分離脳の女性の左視野にだけ、ヌード写真を見せました。
すると、女性の右脳の自己は、それを見て、つい笑いをこらえられなくなってしまいましたが、言語機能をつかさどる左脳の自己は、右脳の自己が見たヌード写真を知りませんでした。
それで、なぜ笑っているのかを尋ねられたとき、理由がわからず、ガザニガが使っていた面白い機械のせいだと、適当な理由づけをしてしまったのです。
このように、左半球の自己が、自分とは異なる自己がとった不可解な行動の理由を即座にひねり出せるのは、左半球に言語機能の中枢があるからです。
それは「インタープリター」(解釈者)と呼ばれていて、理由を考え出したり、筋道だった物語を考え出したりする才能を持ち、自己の連続性や一貫性を作りだす役割を担っています。
ガザニガはこう述べます。
これは貴重な装置であり、おそらくは人間独特のものである。
自分が何かを好きな理由やある特定の意見をもつ理由を説明しようとしたり、自分のしたことを正当化しようとしたりするたびに、この装置が私たちの中で作動している。
…インタープリターは「筋の通った」説明を考えだし、ある種の本質主義を、すなわち私たちは統一された意識体であることを自らに信じ込ませる。(p404)
わたしたちの多くは、この左脳のインタープリター装置によって、自分は単一の自己であるという作り話を信じ込まされています。しかしそれは悪いことではなく、自己の同一性を保つのに大いに役立っています。
以前の記事で書いたとおり、自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)の人たちは、おそらく左脳のインタープリターが弱いせいで、冗談や比喩を解釈したり、柔軟なコミュニケーションをとったりするのが苦手なようです。
そして、アスペルガー症候群の人たちがしばしば訴える、自己の連続性の乏しさ、アイデンティティのあやふやさなどは、インタープリターが弱いために「統一された意識体であることを自らに信じ込ませる」のが苦手であることを示唆しています。
分離脳研究が明らかにした二人の自己
このように、脳の左右をつなぐ脳梁を切り離した分離脳の患者たちは、一見、まったく正常であるかのように見えて、じつは左右の脳が別々に行動するという矛盾を抱えているということがわかりました。
左右の脳が別々に行動し、一人の人の脳の中でまったく違う二人の自己が勝手に振る舞っていることを考えれば、極めて混乱した日常になってしまいそうですが、実際はそうなりません。
実験室の外では、右目と左目がまったく違う別々のものを見ることなど、そうそうありませんし、たとえ右脳が左脳とは違う判断を下して予想外の行動をとったとしても、左脳の自己は、もっともらしい理由を考え出すことができるからです。
さらに、分離脳の患者の右脳と左脳は、脳の中では切り離されていますが、同じ身体を通してつながりを保ってはいます。そのため、やがて無意識のうちに身体を使った合図をするようになり、右半球だけが気づいた刺激を左半球にも伝えるといったことがうまくなっていくそうです。
こうして、たとえ自分の中に切り離された二人の自己がいるとしても、ある程度はうまく協調し、折り合いをつけながら生活していくようになります。それはある意味で、結合双生児の人が二人の脳で一つの身体を使って生活していくのと同じでしょう。
では、ここまで考えてきた右脳の自己と、左脳の自己が別々に行動し始めるという奇妙な現象は、分離脳など、極めて特殊な状態にある人にだけ関係する研究結果にすぎないのでしょうか。
じつはそうではなく、この分離脳研究の発見は、意外なことに、まったく別の分野の研究者たちに、これまで解けなかった不可思議な問題に対するインスピレーションを送ることになりました。
それは、トラウマ研究の専門家たち、そして愛着障害の研究者たちでした。だからこそ、さっきPTSDの専門家ベッセル・ヴァン・デア・コークが、著書の中でガザニガの研究に触れていたのです。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法によると、ヴァン・デア・コークは、PTSD患者の脳画像の研究をしていたとき、奇妙なことに気づきました。
これらの画像からは、フラッシュバックの間、研究の参加者たちの脳は、右側だけしか活性化しなかったこともわかった。
今日、右脳と左脳の違いについては、厖大な数の科学的な文献や通俗的な文献がある。
だが90年代初期には、私は一部の人が世の中の人を左脳人間(理性的で論理的な人々)と右脳人間(直感的で芸術的な人々)に分け始めていることを耳にしたものの、この考え方にはろくに注意を払わなかった。
ところが、私たちのスキャン画像は、過去のトラウマが脳の右半球を活性化させ、左半球を不活発にさせることをはっきり示していた。(p81-82)
それは偶然の発見のようでいて、実際には、科学者がいつかは必ず行き当たる発見だったのでしょう。PTSD研究の第一人者だったヴァン・デア・コークが真っ先にそれに気づいたのは必然でした。
いったいなぜ、分離脳の研究と、トラウマ研究、そして愛着障害の研究とがつながってくるのでしょうか。
脳の右半球にあるアクセスできない記憶
これに先立って、分離脳研究をしていたマイケル・S・ガザニガは、脳のなかには複数の自己がいるという発見とは別に、さらに不可思議な事実を探り出していました。
右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -によると、ガザニガは、こんな疑問を抱きました。
私たちは、かなり風変わりな疑問を解こうとしていた。
言語機能が優位な左半球が睡眠中で右半球がいわばひとりで留守番をしているとき、右半球に何かを教えることはできるだろうか?
さらには、右半球は教えられた知識を、麻酔から目ざめた左半球に伝えることができるだろうか?
優位な言語システムが眠っているあいだに右半球において記憶が作られたなら、眠りからさめた左半球の言語システムは、居眠りをしていたあいだにコード化された情報にアクセスできるだろうか?
ガザニガは、左半球の自己と右半球の自己とは、記憶を共有しているのか、それとも別々の記憶を持っているのか、ということを知りたいと考えました。
分離脳の実験では、確かに、左目だけが見た「雪の車道」の写真を知っていたのは右半球の自己だけでした。言語機能を持つ左半球の自己は、その情報を知らずに、もっともらしい作り話を考え出しました。
では分離脳ではない、健康な人の場合はどうでしょうか。もし仮に、脳の片側が寝ている間に、もう一方だけが何かを見たり聞いたりしたら、その情報の記憶は後に共有されるのでしょうか。
それまでの実験は、脳梁を切断した分離脳の患者を対象としたものでしたが、ガザニガはあるとき、健康な脳を持つ人たち、つまり左右の脳を切り離していない、脳梁で左右がしっかりとつながっている人たちの左右の脳について調べる機会を得ました。
かつては、脳梁がつながっている人の左右の脳を別々に調べる方法はありませんでしたが、科学の進歩は、脳の片側だけを麻酔薬アミタールソーダを使って眠らせるという方法を考案しました。
神経外科医は、脳の手術をする前に、言語機能に影響しないように、脳の片側を麻酔して、その人が左右の脳のどちらに言語中枢を持っているかを調べるようになりました。
脳の言語中枢は、ここまで見たとおり、大半の人では左脳に存在していますが、まれに右脳に言語中枢が存在する人もいることが知られています。
芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察によると、言語機能が右半球にあるのは右利きの人の4%、左利きの人の15%で、両半球に言語機能にある特殊な例も、左利きの人の15%に見られます。(p183)
ガザニガは、脳の片側を麻酔する検査に便乗して、右半球の自己と、左半球の自己の記憶の違いについて調べました。
脳の片側は、もう片側が眠っている間に知った情報を共有できるのか。
その結果はたいへん示唆に富むものでした。
私たちの行った実験では、それは不可能だという答えが見つかった。
その一方、私が掲げたカードに書かれた回答をただ指すように患者に指示した場合には、(おそらくは)右半球がコード化された情報を上手に思い出せたようだった。
情報はそこにあったが、もう一方の半球にある言語システムからは到達できないところに保存されていたのだ。(p202)
脳梁で左右の脳がつながっている健康な人であっても、脳の左半球が麻酔で眠っている間に右半球が見た情報は、左半球が目覚めた後も共有されていなかったのです。
ガザニガは、一連の研究を通して、自分が発見したものが何なのか気づきました。
簡単に言えば、意識的には到達できない情報が、それでもなお、意識的に見えるような決定がくだされる過程に影響を与えることがあると証明したのだ。
私たちは、広大な無意識を、私たちがすることの大半をおそらくは支配しているネットワークをのぞき見ることができたのだ。(p186)
そう、それは「無意識」または「潜在記憶」と呼ばれる領域でした。
フロイトら心理学者たちは、早くから、人には意識していない潜在記憶としての無意識があることを主張していましたが、今や、たしかに意識からはアクセスできない記憶があることが証明されました。
解離性障害の専門家である岡野憲一郎先生も、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合の中でこの右脳の自己とはフロイトのいう無意識である、というアラン・ショアの見解について触れています。
ショアは、自己の表象は、左脳と右脳の両方に別々に存在するという考えが専門家の間でコンセンサスを得つつあるという。
…この右脳の自己表象とは、フロイトの無意識や、非明示的な情報処理とも関係しているという。(p23)
脳の左半球を麻酔する実験で、左半球の自己が眠っているあいだに右半球の自己が得た情報は、後に共有されることなく、右半球だけが知っている無意識の記憶として保存されていたのです。
右半球の情動は共有されている
しかしながら、右半球の無意識に保存されている記憶が、左半球から気付かれないまま格納されているとしても、アクセスすることができないのなら、特に気にする必要はないのではないでしょうか。
確かに、実験に参加した人たちは、左半球が麻酔で眠っている間に、右半球が見た何かの情報を思い出せないとしても、特に困りませんでした。
しかし、ガザニガは、もう一つ、極めて重要な発見をしていました。
右半球の自己だけが知っている記憶にアクセスすることはできませんが、右半球の自己が抱いている感情は、脳梁が切断されている分離脳の人でも、皮質下を通して共有されているのです。
右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -で彼はこう言います。
情動の状態は、皮質下において半球間でやりとりされているようであり、脳梁を切断してもこのやりとりは影響を受けない。
したがって、そうした情動の状態のきっかけとなった知覚や体験は、すべて右半球に隔離されているかもしれないが、両方の半球がその情動を感じることになる。
左半球は、その情動がなぜ、どこから生じたかを知る手がかりをもっていなくても、つねに理由を説明しようとする。
左半球の自己と右半球の自己は、別々の記憶を持っていますが、感情は共有しています。
すると、ガザニガが言うように、右半球の自己が持っている記憶を知らないのに、その結果として生じた感情だけを感じるので、左半球の自己は、自分が感じる感情の原因について、もっともらしい作り話をして理由付けすることになります。
ガザニガは、次のような例を紹介しています。
たとえば、男の人が火事に巻き込まれる怖い防火ビデオをV・Pの右半球に見せたことがあった。何が見えたかと質問すると彼女はこう答えた。
「何を見たかよくわかりません。一瞬白い光が見えたような気がします」。
この分離脳の女性の左半球(ふだん話しているほうの自己)は、右半球だけが見せられた、トラウマ的なビデオについて気づいていませんでした。右半球の自己が持つ記憶は共有されていなかったのです。
しかし、右半球がそのビデオを見て感じた気持ちについては、そうではありませんでした。
しかし何かの感情をおぼえたかと尋ねるとこのように答えた。
「理由はよくわかりませんが、ちょっと怖くなりました。びくっとしました。
たぶんこの部屋の居心地が悪いのか、それとも先生のせいかもしれません。先生のせいで神経質になっているのかも」。
彼女はそれから研究助手に向かって、「私はガザニガ先生を好きなはずですが、今はなぜだか先生が怖いんです」と言った。
左半球は負の感情が生じていることに気づいているのに、その原因についてはまったくわからないでいた。
興味深い点は、原因がわからなくても、状況に応じた「筋の通った」説明をひねりだす妨げにはならないということだ。(p178)
左半球は、右半球だけが見た恐怖をあおるビデオを知りませんでした。しかし右半球が感じた「ちょっと怖い」気持ちは感じていました。
それで、理由もわからずに感じる怖さについて、その場で、もっともらしい理由をひねり出しました。ビデオについての記憶はなかったので、その場にある手近なものを使って、つまり、目の前にいる先生のせいで怖いのではないか、と解釈したのです。
左半球の自己が眠っている間に、右半球の自己が見聞きした情報の記憶はアクセスできない無意識に隔離されている。しかし、右半球の自己が感じた感情は共有されるので、左半球の自己は、理由のよくわからない感情を味わうことになる。
ガザニガたちが見つけたこの奇妙な発見は、とても興味深いものです。しかしある人たちはこう考えることでしょう。
これは分離脳の患者や、実験室で麻酔を使って左半球の自己を眠らせた、特殊な状況の人にのみ当てはまる研究結果だ。
わたしたちの日常では、脳の片側だけが眠っているなどという状況はありえないのだから、大半の人には関係ない雑学にすぎない。
なぜあなたは生後数年間の記憶を覚えていないのか
わたしたちの日常では、脳の片側が眠っているような特殊な状況はありえない。これは本当にそうでしょうか。
PTSDやトラウマ研究の専門家たちは、これが決して特殊なものではないことに気づきました。いえ、むしろ、あらゆる人類がその状況を経験したことがあることに気づきました。
わたしやあなたを含め、世の中のありとあらゆる人すべてが、あたかも麻酔をかけられた人のように、左半球が眠っている間に、右半球だけが目覚めている、という奇妙な経験をしているのです。
「幼児期健忘」という言葉をご存じでしょうか。
たいそうな名前がついていますが、ただ単に、幼いころの記憶を思い出せない、ということを指す心理学的な用語です。
わたしたち誰もが実感として気づいていることですが、人間はみんな幼少期の記憶がほとんどありません。小さいころの記憶は、ほぼまったく覚えていなかったり、とても断片的なものだったりします。
「小さかったから覚えてないのね」とさも当たり前のように言われますが、幼いころのことを覚えていないのは「小さかったから」なのでしょうか。
ベッセル・ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法で述べる次の説明を読めば、勘の良い人は、すぐさまピンとくることでしょう。
右脳は子宮の中で先に発達し、母親と赤ん坊の間の非言語的コミュニケーションを担う。子供が言語を理解し、話し方を学び始めると、左半球が稼働するようになったことがわかる。
言語能力を獲得すれば、子供は物の名前を言ったり、物どうしを比べたり、物と物の関係を理解したり、自分独自の主観的経験を他者に伝え始めたりすることができる。(p82)
同様の点を、脳は奇跡を起こすの著者ノーマン・ドイジは、もっと具体的にこう指摘しています。
ヒトの場合、二歳までは右半球のほうが大きい。左半球はそれから急激な成長をはじめるが、三歳頃までは右半球が脳を支配している。
二歳二ヶ月の幼児は、複雑な「右脳に支配された」感情的な生き物であるが、左脳の機能がまだじゅうぶん発達していないので、自分の経験したことを話すことができない。
脳スキャンでも、子どもが二歳になるまでは、母親が自分の右半球を使って非言語コミュニケーションをして、子どもの右半球に訴えかけているのがわかる。(p267)
両者の説明から明らかなとおり、脳の右半球と左半球は、発達する時期が異なっています。
そして、生まれてから数年間にまず活動しているのは右脳のほうなのです。そして、遅れて左脳が発達し始めます。
これが意味しているのは、わたしたちは生まれてから数年間、みな、あたかも左脳が眠って留守にしているかのような状態にあるということです。
正確には、左脳は留守にしているのではなく、まだ発達していないだけなのですが、状況としては、左脳を麻酔で眠らせている人の場合とよく似ています。
あなたが、生まれてからしばらくの時期、幼いころの記憶を思い出せない、幼児期健忘を経験する理由がもうおわかりでしょう。
あなたが覚えていない時期に、あなたの身体を使って生きていたのは、あなた、つまり左半球の自己ではないのです。
そのときにあなたの身体をコントロールしていたのは先に生まれていた右半球の自己であり、左半球の自己であるあなたは、右半球の自己が経験した幼少期の記憶にアクセスできないのです。
「愛着障害」の正体
わたしやあなたが、生まれてからの数年間、右脳の自己によって生きていた、ということは、極めて重要な意味を持っています。
生まれてから数年間の養育経験は、その後の人生に大きな影響を及ぼす、と主張したのは、イギリスの精神分析学者ジョン・ボウルビィでした。
ボウルビィは、戦災で孤児になった子どもたちを観察して、生後2、3年ごろまでの養育者との絆が、その後の生き方や人間関係の土台となることを発見し、その生物学的な絆を「愛着」(アタッチメント)と名づけました。
ボウルビィと、その共同研究者のメアリー・エインスワースは、1歳のころに子どもが示す愛着のパターンが、6歳になってもほとんど変わらず、さらには大半の人で生涯にわたってほぼ変化しないことに気づきました。
それはちょうど、わずか1歳や2歳ごろに受けた母親の世話の特徴を無意識のうちに記憶していて、大人になっても、友だちや恋人、さらには我が子に対して、そのときと同じパターンで、接しているかのようでした。
幼少期に安定した世話を受けられた人は、その後の人生でも安定した人間関係を築きますが、不安定な世話を受けた人は、その後の人生の対人関係もまた依存的になったり、回避的になったりしてしまいます。
さらには、不幸にも幼いころに満足のいく世話を受けられなかった人は、精神的に不安定になりやすく、しばしば理由もわからず、うつ状態になったり気分が変動したりしがちです。
しかも当の本人は、自分の考え方や行動の癖が、幼少期の母親の世話に由来している、ということにまったく気づいていないのです。
なぜ、生後わずか数年間の母親の世話が、これほどまでに色濃く、ときには「第二の遺伝子」と呼ばれるほどに、わたしたちの人生に影響を与えるのか、ボウルビィをはじめ愛着の研究者たちはよくわかっていませんでした。
右脳の自己だけが幼少期を覚えている
しかし、分離脳の研究という、まったく意外なところから、その答えがもたらされました。 脳は奇跡を起こすの中で、ノーマン・ドイジは、不安定な愛着とは何か、その正体を明らかにしています。
生まれてから三年以内にトラウマを経験した場合、そのトラウマの顕在記憶は、あったとしてもごくわずかだと思われる(Lは、四歳までの記憶はひとつもないと話していた)。
しかし、これらのトラウマについての手続き記憶/潜在記憶は存在していて、トラウマと似たような状況に置かれたときに噴出したり、誘発されたりする。
こういった記憶は、「まったく予期しないときに」よみがえる。顕在記憶とは違って、時間や場所、文脈によって分類されないらしいのだ。
感情的なかかわりにまつわる潜在記憶は、転移あるいは人生のさまざまな場面において、しばしば繰り返される。(p270-271)
愛着とは、すなわち、生まれてから数年間にあなたの身体を用いている、右脳の自己が経験した記憶なのです。
左脳の自己、すなわち今のあなたが目覚めるより前に、右脳の自己は生後数年間、母親の世話を経験します。そのときの記憶は、右脳の自己はしっかりと覚えています。
しかし、4、5歳ごろになって左脳の自己が成長してくると、身体のコントロールは、言語機能に秀でた左脳の自己に任されるようになります。
左脳の自己は、自分が目覚めるまでに右脳の自己が経験した記憶にはアクセスできないので、幼児期健忘が生じます。
しかし、情動は共有されているので、その後の人生で、右脳の自己が感じる気持ちをリアルタイムに経験します。
解離性障害の専門家の岡野憲一郎先生は、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合の中で、アラン・ショア博士の分析を参考にしてこう述べています。
逆に愛着の失敗やトラウマ等で同調不全が生じた場合は、それが解離の病理にもつながっていく。
つまりトラウマや解離反応において生じているのは、一種の右脳の機能不全というわけである。ショアがこれを強調するのには、それなりの根拠がある。
というのも、人間の発達段階において、特に生後の最初の1年でまず機能を始めるのは右脳だからだ。
そのとき左脳はまだ成熟を始めていない。
するとたとえば生後2ヶ月になり、後頭葉の皮質のシナプス形成が始まると、その情報は主として右脳に流れ、右脳が興奮を示す(Tzourio-Mazoyer,2002)。
子どもが成長し、左右の海馬の機能などが備わり、時系列的な記憶が生成され始めるのは、4,5歳になってからだ。(p19)
幼少期に満足のいく養育を受けられなかった場合、さらにはトラウマ的な経験をしていた場合、成長してからの日常生活や人間関係において、それを思い出させるような場面に出くわしたとき、右脳の自己が反応し、怒りや悲しみ、抑うつなどを感じるかもしれません。
しかし左脳の自己には、なぜそんな感情が生じているか、理解するための記憶がありません。すると、左脳の自己は、手近にある情報を用いて、なんとか理由づけしようとして、作り話を考え出します。
ちょうど、「雪の車道」の写真を覚えていなかったために、ニワトリ小屋を掃除するにはシャベルが必要だと解釈した分離脳の人や、怖いビデオを見せられたのにその記憶にアクセスできず、怖いのはガザニガ先生のせいだと理由付けした人のように。
理由もわからずに感じられる抑うつや気分の変動、強迫症状、パニックなどに直面したとき、たいていの人は、その理由は、最近経験した何かの出来事にあると考えて理由づけします。
あるいは、精神疾患は「脳の病気」であるという医学モデルにしたがって、理由もなくただ脳が故障して、化学物質のバランスがおかしくなっていると理由づけして、処方された薬を飲んで対処しようとするかもしれません。
確かに精神疾患が脳は化学物質のバランス異常である、というのは間違いではありません。しかし、なぜ化学物質のバランス異常が生じるのか、という答えにはなりません。
ほとんどの人は、理由もわからず生じる感情の変動の原因が、右脳の自己が過去の記憶にしたがって抱いている感情にあるかもしれない、とは考えもしないのです。
幼少期を「再演」する
不安定な愛着を抱えた人たちは、自分でも理解しがたい感情にとらわれたり、気分が変動したり、理由もわからないまま、衝動的に行動したりして、後で後悔してしまうようなことがあります。
愛着障害が、ときに慢性的な自尊心の低さや、双極性障害のような気分の不安定さとして表れることは、トラウマ研究の専門家たちはよく知っています。
臨床家のためのDSM-5 虎の巻の中で杉山登志郎先生は、重度気分調整障害(DMDD)という概念についてこう述べています。
DMDDはわれわれが見ている被虐待児の気分調整困難と、あまりにも臨床像が一致しており、異なった問題を扱っているとは考えにくい。
さらにこの愛着障害を基盤にした気分調整不全は、成人にいたった時に、双極性障害II型類似の、気分変動に展開していくという発達精神病理学的な出世魚現象が認められるのである。(p47-48)
愛着障害の子ども、または大人は、気分や行動の調整に困難を抱えていることが多く、さまざまな診断名をつけられますが、トラウマに気づかれることは少なく、PTSDという診断を受けることもめったにありません。
なぜなら、PTSDの診断には、トラウマ体験を記憶していることが必要ですが、愛着障害の人たちは、具体的なトラウマ体験を記憶していないことが多いからです。
ヴァン・デア・コークは身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法でこう書いています。
マサチューセッツ・メンタルヘルスセンターの外来クリニックに来る子供たちは、必ずしも自分のトラウマ体験を記憶していない(PTSDの診断基準の一つ)か、あるいは少なくとも、虐待の具体的な記憶で頭がいっぱいではないが、自分が依然として危険な状態にあるかのように振る舞い続ける。(p236)
トラウマを負い、国立子供トラウマティックストレス・ネットワークで診療を受けた子供の82パーセントは、PTSDの診断基準を満たさない。(p262)
愛着障害を抱えた子ども、または大人の多くは、トラウマ経験を記憶していないため、PTSDのようなトラウマに関連した病気とは診断されません。
しかし理由もわからずに「自分が依然として危険な状態にあるかのように振る舞い続ける」ので、表面的な症状にだけ注目して、うつ病や双極性障害、ADHD、さらには原因不明の痛みや疲労と診断されるのです。
なぜ、あたかもトラウマを抱えているかのような気分変動や問題行動、あるいは身体への強い負担が症状として現れるのに、トラウマ体験そのものの記憶はないのか、それはこれまで調べてきた分離脳研究がはっきりと示しています。
左脳の自己が不在の間、つまり生後幼いころに右脳の自己が経験した記憶は、左脳の自己とは共有されません。
しかし右脳の自己は、はっきりと記憶をもっており、感情は皮質下で共有されています。
分離脳研究で見たとおり、右脳の自己は、確かに理由があって、「シャベル」の写真を指差すという行動をとったり、怖いビデオを見た「恐怖」という感情を感じたりします。
同様に、愛着障害では、左脳の自己が気づかないところで、右脳の自己が反応し、恐怖や悲しみを感じたり、パニックになったり、身体をこわばらせたりします。
しかし、左脳の自己は、その理由を知らず、右脳の自己の記憶にアクセスできないので、それは原因不明の感情や身体の反応として認識されます。
原因不明の感情や行動とは、左脳の自己が知らないところで経験されたトラウマ記憶を持つ右脳の自己が、そのときの反応を「再演」しているのですが、気づかれることはほとんどありません。
ガザニガは、人の心は、本当は複数の自己から成り立っているのに、外部の観察者の目にも、内部の観察者の目にも、ただひとつの自己に見えてしまう、と述べていました。
愛着障害を抱える人の不可解な感情や行動もまた、本人が知らない記憶を持っている内なる別の誰かによるものだとは気づかれません。
ある人が思い出す代わりに再演を続けているかぎり、医師や警察官、ソーシャルワーカーはどうすれば、その人がトラウマ性ストレスを抱えているのだと気づくことができるだろうか。
患者自身は、自分の振る舞いの原因をどうすれば突き止められるだろうか。
過去のいきさつがわからなければ、彼らは過去を統合する助けを得られずに、頭のおかしい人というレッテルを貼られたり、犯罪者として罰せられたりする可能性が高い。(p301)
病院に行くと、過去を統合する代わりに、原因不明の症状に対する対処療法として、感覚を麻痺させたり、無視したりするのに役立つ薬を処方されます。
つまり、内なる別の自己の悲痛な叫びを封じ込め、麻痺させ、なかったことにすることで、問題にフタをしてしまいます。
だが、薬はトラウマを「治す」ことはできない。乱れた生理機能の表れを抑えることができるだけだ。
また、自己調節を可能にする効果が永続するような教訓を与えてはくれない。
感情と行動を制御するのを助けることはできるが、それには常に代償が伴う―なぜなら薬は、関与、モチベーション、痛み、喜びを調節する化学システムを抑え込むことによって作用するからだ。(p368)
ヴァン・デア・コークが言うように、愛着障害による気分変動や問題行動を薬によって治療しようとするのは、症状を和らげる助けにはなります。その助けによって一時的な安定を得ることもできます。
しかしそれは、内なる別の自己が感じている感情や、抱え持っている記憶を抑え込んでいるだけで、トラウマを「治す」という根本的な対策にはなっていないのです。
では本当の解決策とはなんでしょうか。
ヴェトナム戦争の帰還兵のスール・マーランテスは、長年、自分の中にある、コントロールできない相反する感情に苦しめられていました。戦争を楽しむ気持ちと、戦争を悲しみ恐れる気持ちとが同居していました。
やがて彼は、自分が感じるその理由のわからない感情の葛藤は、心の中の複数の自己の分裂にあると気づきました。
長年、その分裂状態を癒やす必要があることを自覚していなかったし、帰還後にそれを指摘してくれる人は誰もいなかった。
……自分の中には一人の人間しかいないと、なぜ思い込んでいたのだろうか。(p383)
そして彼は、内なる別の自己を薬で麻痺させ、無理やり黙らせるのではなく、その自己が何を考えているのか、何を感じているのか、そして自分が知らない何を知っているのか、耳を傾けようと考えました。
私は自分の中で起こっていることを誰にも話せなかった。だから、そうしたイメージを長年、遠くのほうに押しやってきた。
その若者を一人の若者、ことによると私の子供だと本当に想像するようになって初めて、自分の経験のうち、切り離された部分を再統合し始めた。
すると、この圧倒するような悲しみが訪れた―そして癒やしが。(p383)
彼は、自分の中にいる別の自己を知り、その記憶と悲しみを共有することにしたのです。
これと同じことをするために体系化された手法、それが「内的家族システム(IFS)療法」です。
「内的家族システム(IFS)療法」とは
「内的家族システム療法」 (Internal family systems Therapy)とは、リチャード・シュウォーツによって考案された、内なる自己とのコミュニケーションによるトラウマ解決方法のことです。
Center for Self Leadership, IFS Therapy Training (Official Site)
文字どおりの家族療法では、精神疾患を抱えた人の問題は、本人だけでなく、その家族全体が抱えている家庭の病理の一角にすぎない、とみなして、家族全体を治療していきます。
内的家族システム療法は、それと同様に、一人の人の内部に存在する複数の自己を、ひとつの家庭とみなします。そして、表に出てきている自己が抱えている問題は、内的家族全体の問題だと考えます。
IFSでは、各部分を単なる情動の一時的状態や習慣的な思考パターンではなく、独自の来歴や、能力、欲求や世界観を持つ個別の精神システムと捉える。
トラウマは、そうした各部分にさまざまな信念や情動を植えつけ、その信念や情動が各部分を乗っ取り、本来の有益な状態から切り離してしまう。(p464)
ここまで見てきた左脳の自己、右脳の自己というモデルでは、マイケル・ガザニガが初期の分離脳研究から見いだした、脳の中に二人の自己がいる、という考えに基づいて考えてきました。
しかしすでに見たとおり、ガザニガはやがて、自己は右脳と左脳のたった二人の自己のみではなく、もっと多くの、複数の自己から成り立っていると考えるようになりました。
「だが、自己とは統一された存在ではなく、私たちの内部には、いくつもの意識領域が存在しうるという説についてはどうだろう
……私たちの[分離脳の]研究から新たに浮上したのは、文字どおり複数の自己が存在し、しかもそうした自己は、必ずしも内面で相互に『対話』してはいないという見方だ」。(p463)
わたしたちの内部には複数の自己がいますが、それらは「必ずしも内面で相互に『対話』しては」いません。
内部の複数の自己は、脳という一つの家に住んでいますが、互いに互いのことをよく知っているとは限らず、それぞれが自分勝手に身体をコントロールしようとします。
文字どおりの家族において、家族のメンバーの意思疎通ができていないと、内部分裂が生じて、さまざまな家庭問題が噴出しますが、内的家族の場合もそれと同様です。
内的家族の分裂がもとで生じている多種多様な原因不明の問題を解決するには、内的家族のメンバー同士が一致した家庭になっていけるよう助ける必要があります。
解離性同一性障害(DID)は特別ではない
自分の中に、複数の異なる自己がいて、互い同士をよく知らないままに勝手に身体をコントロールしようとしている、などというと、まるで多重人格(解離性同一性障害)の人のようだ、と感じられるかもしれません。
大半の人は、解離性同一性障害(DID)を極めて異常で、オカルトチックなものだと考えがちですが、分離脳研究が明らかにしたことからすれば、決してそうではない、ということがすぐわかります。
分離脳研究や、内的家族システムのモデルが示すように、一人の人の中に複数の自己がいるのは、まったく普通なことです。
つまり、健康な人の場合、内なる複数の自己からなる家族が、一致団結しているので、見かけ上、ひとつの自己に見えているにすぎません。
一方、解離性同一性障害(DID)の人は、ちょうど脳梁を切断され、右脳の自己と左脳の自己が別々に機能している分離脳の人たちのように、内なる複数の自己が分裂し、無秩序に行動している状態にあります。
健康な人の愛着が「秩序型」に分類されるのに対し、解離性同一性障害の根底にある愛着は「無秩序型」と呼ばれています。
ヴァン・デア・コークは、解離性同一性障害(DID)は、決して異常なものではなく、極端なトラウマ体験のせいで内的家族が極端な反応を見せているにすぎないと述べます。
解離性同一性障害に見受けられる内部分裂や異なる人格の出現は、幅広い精神生活の領域の極端な例にすぎない。
自分の中に相容れない衝動や部分がいくつもあるという感覚は誰しも抱いているが、トラウマを負い、生き延びるために極端な手段に頼らざるを得なかった人々には、とりわけ顕著なのだ。(p457)
特に、幼少期にトラウマを経験した人の場合、脳は、自分の記憶や感覚の一部を切り離す「解離」という防衛手段を身に着けます。
ちょうど左脳と右脳を文字どおり切り離した分離脳の人たちと似ていますが、「解離」とは、脳のネットワークの一部を物理的にではなく、機能的に切り離すことです。
たとえば、著しいトラウマ体験に直面した場合、そのとき表にいた自己は、恐怖や痛みから脳の大部分を守るために、感覚を遮断します。
すると、表に立ってトラウマを経験した自己(犠牲者人格)と、切り離して逃れさせてもらった自己(生存者人格)とにわかれます。
そして、トラウマを経験した自己(犠牲者人格)は、自分が経験したトラウマ記憶を覚えていますが、そのとき切り離されて守られた自己(生存者人格)は、あたかも麻酔で眠らされていた左脳のように、トラウマ経験の記憶がありません。
それ以降の人生では、おもにトラウマ体験から守られ、トラウマ体験を記憶していない自己(生存者人格)がメインの人格となって身体をコントロールします。
しかし身代わりになってトラウマを体験し記憶している自己(犠牲者人格)もまた内なる自己として存在していて、ときおり別人格として表れます。
お気づきのように、これは、左脳の自己がいない間に、右脳の自己が経験した幼少期の記憶によって、感情や行動のトラブルが生じる愛着障害と同じ構造です。
このようにして、トラウマを経験した人の内的家族は分裂してしまいます。
スイッチング―気づかれない人格交代
では、このような人格の分裂、内的家族の分裂は、極端なトラウマを経験した人にのみ生じるのでしょうか。
つまり、内的家族には、統一されている健康な状態か、内的家族が完全に分裂している解離性同一性障害(DID)か、という、白か黒か、はっきり区別できる二つの状態しか存在しないのでしょうか。
ヴァン・デア・コークは、内的家族システム(IFS)というモデルが、その答えを与えてくれたと述べています。
IFSモデルのおかげで、私は解離がスペクトルの上で生じることに気づいた。
トラウマを負うと、自己システムが故障し、自己を成す各部分がスペクトルの両極に分かれて互いに争い始める。(p464)
内的家族の分裂、つまり「解離」という現象は「スペクトルの上で生じる」のです。
スペクトルとは、虹のように連続したグラデーションのことですが、そこには白か黒か、というような切れ目はなく、さまざまな程度の色が連続しています。
内的家族の分裂もまた、一致団結しているか、完全に分裂しているか、という二択ではなく、さまざまな程度の解離が存在しているということです。
文字どおりの家庭の問題がさまざまであるように、内的家族が抱えている問題の程度もさまざまで、ちょっとしたコミュニケーションの行き違い程度のものから、互いに激しい憎しみを抱いて口も利きたくないと思っている状態まで多種多様です。
では、内的家族が一致している状態が普通の人、内的家族が完全に分裂している状態が解離性同一性障害(DID)だとするなら、その中間に存在する、さまざまな程度の分裂とは、どのようなものなのでしょうか。
たとえばそれは、「スイッチング」と呼ばれる病理です。
テキサス大学オースティン校のジェイムズ・ペネベーカーによる実験では、学生たちは、誰も見ていないときに、テープレコーダーに向かって、自分の辛い体験について語るよう指示されました。あとで記録された声を再生すると、奇妙なことがわかりました。
私はペネベーカーの研究の別の点にも注意を惹かれた。
参加者が、私的な問題あるいは厄介な問題について話したときは、声の調子と話し方が変わることが多かったのだ。
素の違いがあまりにも著しいので、ペネベーカーは自分がテープを取り違えてしまったのかと思ったほどだった。(p396)
ペネベーカーは、精神科の患者ではなく、学生たちを対象にこの実験を行いましたが、辛い経験を思い出して語ってもらったとき、あたかも別の人間であるかのように話し方が変わっている人たちがいたのです。
ヴァン・デア・コークは、これと同様の現象を、臨床現場ではしばしば目にすると述べています。
そうした変化は臨床現場では「スイッチング」と呼ばれており、トラウマを負った人にしばしば見られる。
患者は話題が変わるたびに、まったく違う情緒的状態と生理的状態に入る。
スイッチングは声のパターンのはなはだしい変化としてだけでなく、表情や体の動きの変化としても表れる。
臆病な人から強引で攻撃的な人へ、心配症で他人の言いなりになる人からいかにも魅惑的な人へと、人格が変わるようにさえ見える患者もいる。(p396-397)
「スイッチング」が生じる人は、必ずしも、解離性同一性障害(DID)の人たちのように、完全に別の人格へと交代しているわけではありません。「スイッチング」しても記憶はつながっていて、別人になっているという自覚はありません。
しかし、その振る舞いや話し方、行動は、はた目から見てもはっきりとした違いが感じられます。
このような「スイッチング」を見せる人の中に境界性パーソナリティ障害(BPD)の人たちがいます。
BPDの人たちは、自分の心の中に複数の自己がいるとは思っていませんが、とても親切で魅力的な人が、突然 別人のよう振る舞い出し、激しく怒りだしたり、罵詈雑言を浴びせたりします。
これは、単に二面性のある人、というものではなく、人格交代の軽微なもの、つまり「スイッチング」だとみなすことができます。知らず知らずにうちに、別の自己にコントロールを奪われていることに気づかないのです。
シュウォーツが指摘するように、「私たちは、彼らの視点から自分自身、さらには世界を眺めるので、それこそが、『唯一無二の』世界だと信じ込んでしまう。
この状態では、まさか自分が乗っ取られていようとは思いもしない」(p479)
同様のことは、双極性障害のような奇妙な気分変動で別人のようになる人や、衝動的な依存行為からなぜか抜け出せないような人にも当てはまります。
内的家族の成員が口を利かず、情報共有もしていない状態が解離性同一性障害だとすると、内的家族が一応コミュニケーションしてはいるものの、意思疎通がうまくいっていなくて、分裂しかかっている状態が、境界性パーソナリティ障害などの軽微な人格交代だといえます。
「幸せな子ども時代」だと言ってしまえる理由
こうした分裂した内的家族を抱えている人の中には、自分にはトラウマ的な経験などなく、「幸せな子ども時代」を送ってきたと信じている人もいます。
過去について尋ねると、幸せな子供時代を「送ったに違いない」と思うとマリリンは答えたが、12歳になる前のことはほとんど思い出せなかった。(p206)
過去の記事で取り上げたように、ガボール・マテは、身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価の中で、「自分は幸せな家庭で育った」という偽りのポジティブシンキングにはまりこんでしまっている人たちがいると述べています。
ここに働いているのは、一種の逆「偽りの思い出症候群」である。
意識的なレベルてぜは、人はだいたい子供時代のいいことだけを覚えている。嫌な出来事を思い出すにしても、その出来事の感情は抑圧されているのである。(p361)
過去の出来事は覚えているが、それにまつわる心の傷は思い出さないというときには、この種の“解離”が働いている。
人が「幸せな子供時代」を回想するのはそれが理由なのである。(p363)
これは特に、「回避型」と呼ばれる愛着スタイルを抱える人に多い傾向です。
本当に幸せな子ども時代を送った人たちは、「安定型」の愛着スタイルを持っており、幼少期の良い出来事も悪い出来事もはっきりと回想することができますし、心身の不安定さを見せることもありません。
しかし「回避型」の人たちは、幸せな子ども時代を送ったと述べはしますが、具体的なエピソードはあまり思い出せず、心身には原因不明の不調を抱えていて、ときおり解離症状を見せるという特徴があります。
ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法で、回避型の愛着を、「感じることのない対処」と呼んでいます。
なぜなら、この回避型の愛着の人たちは、心ではストレスを意識せず、身体だけがストレスに反応して心拍数を上げたり、過覚醒になったりといった反応を見せるからです。(p191)
回避型の愛着の人たちの特徴は、分離脳研究が示していた、理由のわからない感情を感じる左脳の自己と、ただ無言のうちに抱え持つ記憶に反応している右脳の自己の関係とよく似ています。
回避型の愛着の人が、さまざまな心身の不調を抱えながら、言葉では「幸せな子ども時代」を送ったと述べるのは、決して無理をしているわけでも、嘘をついているわけでもありません。
それはちょうど左脳の自己が、麻酔をして眠っている間に右脳の自己が経験したことをまったく知らなかったのと同様です。
また、解離性同一性障害の生存者人格が、身代わりになって自分を生き延びてさせてくれた犠牲者人格のトラウマ的体験の記憶を知らないのと同様です。
すなわち、「回避型」の愛着スタイルの人が「幸せな子ども時代だった」といえるのは、別の誰かが、身代わりまた犠牲になって、辛い記憶を引き受けてくれているからこそ言える言葉です。
心身に明らかにトラウマ反応類似の異常が出ているのに、臆面なく「幸せな子供時代だった」と言いきってしまえるのは、身代わりになった内なる別のだれかを意識から解離して「感じることのない対処」に陥っているのでない限り説明できないほど不自然な反応です。
原因不明の心身の症状は、解離された過去の記憶を代わりに抱え持ってくれている、身代わりとなった内なる人格の心の声であり、言葉にならない悲鳴のようなものです。
内的家族のだれかが辛い記憶を抱え、すすり泣いているとき、その心身の反応は共有されていても、記憶は共有されていません。そのため、過去に何もなかったはずなのに、症状だけが出ているという不可解な状態になってしまうのです。
結果、「回避型」の愛着スタイルの人は、原因不明の身体疾患を訴えたり、精神症状を脳の病気とみなして抑え込んだりするだけで、根本的な治療を求めることはありません。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法でヴァン・デア・コークは、そのような人たちについてこう書いています。
彼らの大半は、さまざまな医師を訪ね、癒えることのない病気を治療し続けるほうが、過去の魔物たちに立ち向かう、つらい課題をこなすよりもましだという、無意識の決定を下してしまったように見える。(p167)
内なる自己を見つける
もし自分がスイッチングを起こしていたり、回避型の愛着のような内的家族の見えない不和を抱えていることに気づいた場合、何ができるでしょうか。
必要なのは内なる別の自己の存在に気づくことです。
たとえば、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法によると、理由のわからない抑うつ感などを抱えている場合、それは内なる別の自己の感情であることを認め、その自己がなぜ泣いているのかを知ろうとする必要があります。
J.G.Warkins,1997は、抑うつ感を人格化する例としてこれを説明している。
「私たちは、抑うつ感が想像の中でどのように感じられるのか、そして、それに苦しんでいるのが誰で、どのような人物なのかを知る必要がある」(p626)
感情を人格化する、というと、精神論的で奇妙なものに思える人がいるかもしれません。空想上のままごと遊びみたいだという人もいるでしょう。
しかし、あなたという自己が、名前を持ち、ひとりの人格としてアイデンティティを持っているのはどうしてでしょうか。
たとえば、あなたが生まれてから一度も名前を呼ばれたことがなく、じめじめした暗い部屋にたった一人で生きてきたとしたら、あなたは自分が誰であるか、どうやって識別できるようになるでしょうか。
あなたもまた、最初は、名前もない、ただの感情の塊にすぎませんでした。ただ泣きわめき、感情と衝動のままに行動することしか知りませんでした。
しかし親があなたの名前を呼び、あなたが誰であるかを教えてくれたおかげで、あなたは徐々に、自分は何者であるかが認識できるようになってきました。そして、自分の感情や行動をコントロールできるようにもなっていきました。
ヴァン・デア・コークは視力も聴力もなく、自分を呼ぶ声に気づけなかったころのヘレン・ケラーを引き合いに出しています。
彼女は、言葉を見つけるまで、「手に負えない孤立した生き物」でした。しかし、サリヴァン先生によって「water」という言葉を見つけたとき、はじめて自分が何者であるか識別できるようになり、半年後に「I」(わたし)という言葉を使い始めました。(p384)
ときおり話題になる、動物に育てられた人間の子どもの場合もこれと似ているのでしょう。言葉によって呼びかけられ、名前で呼ばれることがなければ、ただの感情の塊は自分が何者であるか識別できず、ひとりの人格として目覚めることができません。
そうであれば、あなたの中にいる、まだ名前のない感情の塊も、あなたと同じなのです。だれかがそれに気づいて、名前をつけ、自分が誰なのかを教えてやらなければ、いつまでも感情のままに行動することしかできないのです。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法によると、マリオン・ウッドマンはこうアドバイスしています。
つらすぎて正視できない、その影は、私たちが生きなかった、最良の人生を宿しているのかもしれない。
地下室に、屋根裏部屋に、ゴミ箱の中に、入っていきなさい。そこで尊いものを見つけなさい。
食べ物も水も与えられていない獣を見つけなさい。
それは、あなただ!
この顧みられずに、追放され、注意を向けてもらいたがっている獣は、あなたの自己の一部だ。(p377)
内なる家族に自ら気づく創造的な人たち
不思議なことに、なかには、このような働きかけをせずとも、内なる家族の存在におのずと気づいてしまう人もいます。
たとえば、脳神経科医オリヴァー・サックスは、道程:オリヴァー・サックス自伝の中で、自己の「連続性」について疑問を感じることがある、と述べています。(p426)
私はいつからか時間のことを考えていた―時間と知覚、時間と意識、時間と記憶、時間と音楽、時間と運動、とくに、私たちの目に切れめないように映る時間と運動の経過は錯覚なのだろうかという疑問に、たちもどっていた。
私たちの視覚経験は、じつは一連の時間を超越した「瞬間」で成り立っていて、それが脳内の高次のメカニズムによってひとつにまとめられているのではないか。(p425)
オリヴァー・サックスによると、かの有名なジークムント・フロイトは、68歳だった1924年に、カール・アブラハムへの手紙の中で、自身の「人格の統一性」について不思議に感じていることを吐露しています。(p427)
またこのブログの過去記事で取り上げたように、プルーストの記憶、セザンヌの眼―脳科学を先取りした芸術家たちによると、作家のヴァージニア・ウルフは、自己の不連続性を強く意識していて、それが「ダロウェイ夫人」などのユニークな小説を書く動機になりました。
彼女は自分が「一つの状態でない」ことを発見した。「病気であることが、人を何人かの別々の人に分裂させるなんて、じつに妙だ」と彼女は述べている。
…ウルフは、精神について自分の病気から学んだこと、すなわちその移り変わりの早さ、一つではないこと、そしてその「矛盾だらけの奇妙な寄せ集め状態」を、文学技巧へと転換した。
彼女の小説の主題は、人間を知ることの難しさ、つまり「彼らはこうだとか、ああだとか」と言い切ることの困難さだった。(p254)
これらの人たちの共通点は、いずれも、ある程度、愛着の不安定さを抱えていたと思われることです。
オリヴァー・サックスやヴァージニア・ウルフの愛着の不安定さについては、自伝や経歴から言わずもがなですが、ジークムント・フロイトについても、岡野憲一郎先生が、岡野憲一郎のブログ: フロイト私論(9)の中で、愛着の不安定さゆえの防衛を指摘していました。
みな社会的に大きな成功を収めた人物ですが、いずれも複雑な内面を抱えていて、アイデンティティの悩みに突き動かされるがごとく、研究や創作に人一倍打ち込んだように思われます。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法でヴァン・デア・コークが、「ほとんどの研究は自分探しだ」というベアトリス・ピーピーの言葉を引用しているように、彼らの業績や創作はアイデンティティの悩みの結果だったのでしょう。(p180)
近年の研究によると、解離という防衛反応は、幼少期に不安定な愛着を抱えた人特有のもので、その後の人生の家庭問題やトラウマ体験では説明できないと言われています。
おそらくは、内面の不連続性に自ら気づく人たちは、程度の差こそあれ、左脳の自己と右脳の自己が分かたれるかのような愛着の不安定さを抱え持っていて、自分の中にいる相異なる複数の自己の独立性を強く意識しやすいのでしょう。
分離脳研究では、左右の脳をつなぐ脳梁が切断された人に注目することで、二人の異なる自己が存在することを発見しました。
かつて、アインシュタインの脳梁がとても太かったことなどから、脳梁はより太いほうが創造性が強い、という主張がなされていました。
しかし、意識と無意識のあいだ 「ぼんやり」したとき脳で起きていること (ブルーバックス)によると、近年の研究では、左右の脳をつなぐ脳梁が細いことによって創造性が発揮される場合がある、と報告されています。
しかし驚いたことに、創造的な人間は脳梁が小さいという。
この研究に携わった研究者たちは、小さな脳梁は脳の各半球により大きな独立性を与えるのではないかと述べている。
ことによると創造性は枠組みにとらわれないことより、二つの枠組みで思考することにかかわりがあるのかもしれない。(p182)
以前の記事で取り上げたように創造性には少なくとも二通りあって、統合失調症傾向と関係していると思われる科学分野の創造性と、解離傾向や愛着障害と関係していると思われる芸術・文芸方面での創造性は、別個のものではないかとされています。
そして、今取り上げたオリヴァー・サックス、ジークムント・フロイト、ヴァージニア・ウルフ、さらには、この記事で参考にした本の著者マイケル・ガザニガ、ノーマン・ドイジ、ヴァン・デア・コークなどはみな、後者の創造性を有しているように思えます。
いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳によると、子ども時代にトラウマを経験した人では、左右の脳をつなぐ脳梁が細いことが知られています。
虐待されたりネグレクトされた経験のある男児では、脳梁の中央部が対照群に比べて明らかに小さいことを発見した。
また男児では、ネグレクトが他のどの虐待よりも各脳梁部位のサイズ減少に影響が大きいことがわかった。
一方女児では脳梁中央部のサイズと最も強い関連があったのは性的虐待であった。(p66)
ネグレクトや性的虐待は、回避型の愛着や解離症状のリスク要因でもあります。
また、9-10歳ごろの学童期のトラウマ体験が、より強いダメージを脳梁に与えやすいという研究結果もあるそうです。(p78-79)
オリヴァー・サックスは幼少期に疎開体験という一種のネグレクト状態に置かれたことが自身の愛着の不安定さの要因だとみなしていましたし、ヴァージニア・ウルフは学童期の性的虐待のサバイバーです。
もしかすると、不安定な愛着を抱える人が内面の複数の自己に気づきやすく、同時に文芸などの分野で芸術的創造性を発揮しやすいのは、左右の脳をつなぐ脳梁が細く、右脳と左脳が別々の人間のように振る舞いやすいことで、心の理論など複数の視点で考える能力が発達しやすいからなのかもしれません。
イマジナリーコンパニオン―セルフ内的家族システム療法
自己の不連続性に気づく人の中には、単に自分の中に複数の自己がいることを認めるどころか、内なる別の自己の存在を自然と受け入れ、コミュニケーションを取っている人たちもいます。
内的家族システム(IFS)療法を教えられるまでなく、内的家族とやりとりすることを自然と覚えてしまう人たちです。
その一例は、このブログでも何度か取り上げてきた、10代以降にも残っているイマジナリーコンパニオン(空想の友だち)でしょう。
イマジナリーコンパニオンを持つ人たちの多くは、いつしか自然と自分の中の他人、つまり内的家族のだれかと話すようになったといいます。物心ついたころにはすでに、自分とは別のだれかがいることが当たり前だったと言う人もいます。
こうした人たちは、おそらくは、ヴァン・デア・コークが述べるところの、解離のスペクトルにおいては、解離性同一性障害(DID)にかなり近い位置にいる人たちなのでしょう。
自分自身が一つではなく、明らかに別の自己に思える存在が心の中にいるために、おのずから、内的家族の存在に気づくことができます。
解離性同一性障害と異なっているのは、内的家族との仲の良さ、であると言えるかもしれません。
イマジナリーコンパニオンを持つ人たちも、解離性同一性障害の人たちも、強い解離傾向を持っていて、内的家族の独立性が強いのは同じです。だからこそ、はっきりとした別の人格だとわかります。
しかし、解離性同一性障害の人たちは、独立性のある内的家族同士が互いに反目し、口も利かないような分裂状態になっています。
一方のイマジナリーコンパニオンを持つ人たちは、独立性のある内的家族と仲良く接していて、親密なコミュニケーションを保っています。
ある意味では、イマジナリーコンパニオンを持つ人たちは、自身が抱える愛着の問題と無意識のうちに向き合い、自己治療のようにして、セルフ内的家族システム療法をやるようになった、とみなせるかもしれません。
しかし、たとえそうであっても、イマジナリーコンパニオンを持つ人たちには、内なる自己を知る内的家族システム療法を行う必要がない、というわけではありません。
というのは、たとえ内的家族の存在を知って、平和裏にやりとりしているとしても、内的家族の成員すべてを知っているとは限らないからです。内的家族の中に、「仲間はずれ」にされている自己がいるかもしれないのです。
内なる家族をとりまとめる
内的家族システム療法では、理由のわかない感情や、理解しにくい衝動を感じたとき、「私の中の何がそう感じているのか」と自問し、その自己のイメージを思い描きます。
そして、立ち現れた内なる自己と話し合いを始め、その自己とは誰なのか、何を感じ、何を求めているのか、自分とは別の他人とみなして理解を深めていきます。
この手法は、日本国内でも行われている「自我状態療法」とほぼ同じなので、以下の記事を参考にしてください。
また、こちらの方の記事では、実際に内的家族システム療法を体験した経験談が書かれています。
自分の中のキャラを引き出す — 花川ゆう子、Ph.D. サイコロジスト
こうして自分の内面の自己を探るうちに、さまざまな自己を見つけることになりますが、そうしたさまざまな自己には、大きく分けると「追放者」「管理者」「消防士」という呼び名が当てられています。
追放者(exile)
まず、「追放者」とは、幼少期の辛い体験のときに身代わりとなり、トラウマ記憶の重荷を引き受けている、いわゆる「犠牲者人格」や「身代わり天使」のことです。
しかし、内的家族システム療法において、この自己が「犠牲者」ではなく「追放者」と呼ばれていることには理由があります。
私たちには誰にでも、子供っぽいおどけた部分がある。
だが虐待を受けると、こうした部分は最も大きく傷つき、虐待による苦痛や恐怖、裏切りを背負わされ、凍りつく。
この重荷のせいで、そうした部分は有害な存在、すなわち、どのような犠牲を払っても否認しなければならない部分になる。
そうした部分は内側に閉じ込められてしまうので、IFSでは「追放者(exile) 」と呼ばれる。(p464)
犠牲者人格は、辛い記憶を背負わされているために、危険で有害な存在とみなされ、他の自己から遠ざけられ、黙殺されています。つまり、解離されています。
他の内的家族と親しくして、イマジナリーコンパニオンのように会話している人でも、内的家族から遠ざけられているこの「追放者」の存在に気づいていないことがあります。
原因不明の気分の落ち込みや悲しみ、怒りといったネガティブな感情が生じる場合、それは何らかの辛い記憶を抱え持つ「追放者」が、ひとりぼっちにされたまま すすり泣いていることを示唆しているといえます。
彼らは現実の大部分を否認したり、分離したりすることによって生き延びる。虐待を忘れ、憤激や絶望を抑え込み、身体的感覚を麻痺させる。
もしあなたが子供のころに虐待を受けていたとしたら、あなたの中にはおそらく当時のまま凍りついた子供のような部分が残っていて、今なお、そうした自己嫌悪や否認をやめられずにいるだろう。(p459)
こうした「追放者」としての自己は、「インナーチャイルド」と呼ばれていることもあります。
管理者(manager)
内的家族システム療法では、インナーチャイルドとしての「追放者」のほかにも、さまざまな内なる自己が存在していることがわかっています。
身代わりとなって犠牲にされた「追放者」を隔離し、その存在をなかったかのように思わせているのは、「管理者」です。
批判的で完璧主義者の「管理者(manager)」は、私たちがけっして誰にも近寄らないようにすることも、絶えずしゃにむに生産性を追求するように仕向けることもできる。(p464)
「管理者」はトラウマ体験を負った人が、その体験を思い出さないようにし、あたかも何事もなかったかのように日常生活を送れるよう助けている人格部分です。ときにこの自己は「守護天使」とも呼ばれます。
「管理者」は冷静かつ批判的で、あなたが傷つけられないよう気を配っています。再び辛い経験をしないよう、常にまわりの空気を読んで立ち回り、厖大なエネルギーを費やしています。
「管理者」は、ときに有能な完璧主義者のように振る舞うので、生産性を追求したり、めざましい業績を挙げたりして、社会的に成功して責任ある立場に就くトラウマのサバイバーもいます。
「管理者」の過剰なまでの自己コントロールは、過剰同調性と呼ばれる傾向として現れることもあります。
消防士(firefighter)
最後の3つ目のタイプは「消防士」と呼ばれています。
トラウマを抱えた人は、ふだんは「管理者」にコントロールされ、過剰なまでに気を遣ってうまく立ち回るかもしれませんが、エネルギーを使い尽くしたり、トラウマを思い出させるトリガーに遭遇したりすると、「追放者」が反応し、暴れだします。
そのような場面で、なりふり構わずになんとしてでも「追放者」を閉じ込めておき、その存在を葬り去ってしまおうとする火消し役が「消防士」です。
IFSで「消防士(firefighter)」と呼ばれる別の種類のプロテクターたちは、緊急時の対応にあたる存在で、追放された情動が喚起されるような体験をするたびに、衝動的に行動する。(p464)
「消防士」は、冷静にコントロールして危険を避けようとする「管理者」とは対極にあり、文字どおりどんな手を使ってでも、「追放者」を封じ込めようとします。
たとえば、衝動的にリストカットして意識を飛ばしたり、アルコールやコンピューターゲームに依存させて我を忘れさせたり、行きずりのセックスで感覚を麻痺させたり、火消しのためにはなんでもします。
内的家族が分裂している人の場合、問題を起こしているように見えるのは、たいていの場合、「追放者」と「消防士」です。
ふだんは「管理者」がコントロールしている理性的な人物が、ときどき、意味もわからず気分の落ち込みや変動を感じたり、衝動的な行為や依存症にとらわれたりしてしまい、どうやってもそれをなんとかできないので、困惑して、医療の門を叩きます。
意味もわからず生じる気分の落ち込みや変動、自殺衝動などは、閉じ込めている「追放者」が泣きわめいている声です。
異常とも思える衝動的な行動は、「消防士」がなりふり構わず、泣きわめく「追放者」を牢獄に閉じ込めておくための非常手段ですが、ただの問題行動にしか見えません。
それで、医者は感覚を麻痺させ、感情を抑制する薬を出します。それは、牢獄の中で暴れている「追放者」をおとなしくさせる鎮静剤です。
すると、麻痺させられた「追放者」は静かになり、「消防士」には頑張る必要がなくなるので、症状は消えます。ふたたび「管理者」の手にコントロールが戻り、日常がまわるようになります。
ただし、牢獄の中で悲痛な叫びを挙げている「追放者」をつねに鎮静剤で眠らせるために、ずっと薬を飲み続けるならば、のことです。
そして「管理者」も「消防士」も、いつ目覚めるかわからない「追放者」にずっとピリピリしているため、緊張に満ちた家庭のような状態になり、内的家族の一致は永遠にもたらされません。
ヴァン・デア・コークはトラウマ治療にさまざまな薬を使っていますが、薬が有用なのは、トラウマに向き合うセラピーに取り組みやすくする目的で用いる場合のみだと考えています。あくまで薬は治療の「補助輪」のようなものなのです。
「セルフ」(自分そのもの)によるリーダーシップ
このような内的家族の分裂を解消するために、内的家族システム療法では、「セルフ」(自分そのもの)によるリーダーシップを育んでいくよう助けます。
つまり、あなた自身がリーダーシップを発揮して、内なる自己、また内的家族である「管理者」や「消防士」と話し合うようにします。そして、彼らが決して外に出すまいと閉じ込めている「追放者」の存在に気づき、面会します。
自分自身とどれだけうまく折り合いをけられるかは、自分の中のリーダーシップ技能に負うところが大きい。
さまざまな部分の言い分にどれだけうまく耳を傾け、それぞれが尊重されていると感じられるように気を配り、互い足を引っ張り合わないようにしておけるか、だ。(p461)
有能な「管理者」はともかく、トラウマ体験の記憶とネガティブな感情に支配された「追放者」や、衝動的な自己破壊行動で緊急対応する「消防士」は、一見すると厄介者ですが、それらを家族の一部として理解し、抱きしめ、包み込むことが目的です。
この共同作業は、すべての部分が歓迎されること、そして、現在どれほど自己システムを脅かしているように思えても、どの部分も(自殺衝動があったり、破壊的な行動に走ったりする部分でさえも)、すべてシステムを守る方策として形成されたということを、内部システムに納得させるところから始まる。(p466)
内的家族が分裂している状態では、家族のリーダーシップをとるあなた自身(セルフ)はほぼ存在していないかのように見えます。
というのも、ふだん身体の指揮をとっているのは批判的な「管理者」だからです。あるいはトラウマ記憶が強すぎて、理性的に考える力を失っている人の場合は、「消防士」が取り仕切っていることもあります。
しかし、どれほど混乱して分裂していても、内的家族システム療法では、必ず無傷の「セルフ」が生き残っていると考えます。
そもそも、「管理者」や「消防士」といった内的家族の面々が必死になっているのは、どこかに無傷の「セルフ」が残っていて、守る必要があるからなのです。
内的家族システム療法で、内なる自己の「管理者」や「消防士」、「追放者」を特定し、それらを分けて考えていくと、いつしか、本来のあなた自身「セルフ」が出てこられるようになります。
内的家族システム療法は、患者が生き延びるために創り出した、分離された部分を呼び出して、その人がそれらを特定し、それらと話せるようにし、その結果、無傷の「セルフ(自分そのもの)」が出てこられるようにする。(p509)
そして、「セルフ」(自分そのもの)によるリーダーシップを取り戻し、あたかも「セルフ」が一家の大黒柱、便りになるお父さんのような存在へと成長してしていくにつれ、内的家族を取りまとめる方法が見えてきます。
家族であれ、組織であれ、国家であれ、どのようなシステムも効果的に機能するためには、明確に定められた優れたリーダーシップを持っていなければならない。
内的家族も例外ではなく、私たちの「セルフ」も、そのあらゆる側面に目配りする必要がある。(p467)
「セルフ」を発見し、「セルフ」によるリーダーシップを取り戻し、「管理者」や「消防士」、そして「追放者」といった内なる自己一人ひとりの言い分を尊重し、ひとつの家族として一致できるよう結び合わせたとき、心身の問題はおのずと快方に向かいます。
「追放者」が一人で抱え持っていた記憶が癒やされれば、「追放者」は泣きわめく必要がなくなります。すると、「管理者」と「消防士」がやっきになって火消しをする必要もなくなります。家族が一致すれば、スイッチングが生じることもありません。
この本の中で、ヴァン・デア・コークは、内的家族システム療法を用いて治療した人たちの具体例をいくつか載せています。
その中には、自分でも理解できない癇癪やセックス依存に悩まされ、「どれが本当のわたしなのか、自分でもわかりません」と述べたジョーンがいます。彼女は「消防士」のなりふり構わない行動に振り回されていました。
また非常に尊大な医者で、自分には何の問題もなく、妻の気難しさを治してほしいと言ってきたピーターの例も載せられています。彼の場合は、「批判者」が思考を乗っ取っていました。
また、自己免疫疾患の関節リウマチなど、身体疾患に対しても内的家族システム療法を導入して効果があったという臨床研究の結果も載せられています。(p482)
内的家族の不和が身体疾患の直接の原因だというわけではないにしても、「管理者」の過剰なコントロールなどが闘病を難しくして、重荷を増し加えている場合があるからです。
ほどなく根本的な問題が発覚した。多くのトラウマサバイバーと同じで、関節リウマチ患者もまた失感情症だった。
のちにナンシー・ソーウェルから聞いたのだが、患者たちはとても耐えられない状態にならない限り、苦痛や身体的な不自由について決して不満を訴えなかった。
いかがですかと問われると「大丈夫です」と判で押したように答えた。
患者たちの毅然とした部分が問題への対処に役立っているのは間違いなかったが、そうした管理者のせいで、患者は何でも否認する状態に陥っていた。(p483)
内的家族システム療法に関心のある人は、ぜひ、この本をじっくり読んでみるようお勧めします。
この本全体の感想についてはこちらの記事でまとめていますので、参考にしてください。この記事と合わせて読めば、より理解が深まると思います。
「右脳には言いたいことがある」
内なる自己の存在に気づき、その言い分に耳を傾ける方法は、内的家族システム療法だけではありません。
ノーマン・ドイジは、この記事でも参考にした脳は奇跡を起こすの中で、幼少期に右脳の自己が経験した愛着トラウマを理解するために夢をヒントにしています。
右脳の自己が持っている記憶は、左脳の自己からアクセスできないところにある潜在記憶ですが、夢を見ているレム睡眠の状態では、ときおり潜在記憶が悪夢などの形で再生されることがあります。
夢を見ている状態で、解離されている潜在記憶にアクセスしやすくなるのは、レム睡眠が記憶の整理の役割を持っているからですが、それと似たメカニズムは、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)としてトラウマ治療で活用されています。
また、ガザニガが指摘していたように、左脳の自己は言語機能を持つのに対し、右脳の自己は言語機能を持たないため、感情を表すことはできても、具体的な言葉にして伝えることができません。
内的家族システム療法で内なる自己と会話するとしても、言葉によるコミュニケーションは、左脳の言語機能を通して解釈されています。
それでは、右脳の自己に、自分の記憶について直接語ってもらうことは不可能なのか、というとそうではありません。
ヴァン・デア・コークは 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法で、アルバート・ペッソが考案したペッソ・ボイデン・システム精神運動療法(PBSP:Pesso Boyden system psychomotor therapy)という「今まで私が目にしたグループワークのどれとも違ってた」手法について紹介しています。
Pesso Boyden System Psychomotor
わたしはこの療法について読んだときに、これを考えついた人はまさしく天才ではないか、と思ったほどですが、この治療法は右半球の自己に直接語らせる極めて独創的な手法です。
一言で言うと、これは三次元的な箱庭療法であり、実在の物と人物を用いて、右半球が抱え持っている言葉にできない記憶を視覚化します。
右半球には言語機能がないといっても、左半球より劣っているというわけではなく、ガザニガが右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -の中で述べるとおり、右半球にもまた特化した役割があります。
左半球のほうが言語情報の処理に長け、右半球は顔などの視覚情報の処理に長けているということもわかった。
つまり、半球の能力がそれぞれ特化しているのだ。提示された種類の情報を専門とする半球は、その種の情報のあつかいが上手である。(p315)
左半球が言語機能に長けているのに対し、右半球は視覚情報の処理に長けていて、顔の表情や身振り、空間的な位置などの把握に特化しています。
つまり、左脳の自己は、体験したことを言葉という文脈に当てはめて記憶しますが、右脳の自己は、体験したことを空間的に散らばる断片として記憶しています。
そのせいで、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法に書かれているとおり、左脳の自己が停止し、右脳の自己に支配されると、断片的で脈絡のない記憶がフラッシュバックします。
脳の左側と右側では、過去の痕跡の処理の仕方も著しく異なる。
左脳は事実や統計的数値、出来事を描写する言葉を記憶する。私たちは左脳に、自分の経験を説明したり整理したりしてもらう。
右脳は音や声、触感、匂い、それらが喚起する情動の記憶を保存する。また過去に見聞きした声や目鼻立ち、仕草、場所に自動的に反応する。
右脳が思い起こすことは、直感的な事実、すなわち物事の実際のありようのように感じられる。(p82)
これらの画像からは、フラッシュバックの間、研究の参加者たちの脳は、右側だけしか活性化しなかったこともわかった。(p81)
では、言葉も文脈も持たない右脳の自己に語らせるためにはどうすればいいのか。
それは、左脳の自己の文法ではなく、右脳の自己の文法にそって語れる場を作ってやればいいということになります。
PBSP療法は自分のまわりの空間を使って、三次元的な箱庭療法をすることで、右脳の自己が持っている言葉にならない空間的な記憶を再現します。
私はストラクチャーを実施するたびに舌を巻くのだが、脳の右半球はじつに的確に外部への投影を行なう。
主役は常に、自分のストラクチャーのさまざまな登場人物がどこにいるべきかを、正確に心得ているのだ。(p502)
この手法は、言語を用いた心理療法では効果が見られないような、誰にも安心感を抱いたことがなく、空虚感を感じている人たちに特に効果があるとされています。
すでに見たとおり、言語機能としてのインタープリター(解釈者)は、基本的に左脳特有のものですが、だからといって右脳が解釈能力に劣っていて、まともに話せない、というわけではありません。
むしろ右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -によると、ガザニガは、その後の研究によって、左脳には言語機能のインタープリターがあるのに対し、右脳には視空間認知機能に特化した別のインタープリターが存在するという結論に至っています。
左半球にインタープリターがあると同時に、右半球にも視覚情報のインタープリターがあることを発見したのだ。
つまり、二つの視覚的な物体が同じ方向を向いているのかどうかを判断する能力を授けてくれる特殊なプロセスが右半球にあるのだ。しかもこの機能は右半球だけに特化している。
話ができ分析が得意な左半球であっても、右半球から分離されるとこんな単純な作業もできない。(p348)
つまり、左半球の自己がお手上げになるような複雑な内的家族の問題があった場合、まったく異なる才能に特化している右半球の自己に語らせれば、解決の糸口が見つかるかもしれないというわけです。
右脳に語らせる、というこの独創的な手法について読んだとき、わたしはマイケル・ガザニガが述べていたこの印象的なフレーズを思い出しました。
右脳には言いたいことがある (p284)
「多数でありながら一人の自己」
この記事では、マイケル・S・ガザニガとロジャー・スペリーによる分離脳研究が明らかにした、左脳の自己と右脳の自己という発見から始まり、「単一の自己」というのは思い込み・錯覚であり、わたしたちには内なる「複数の自己」があるのが普通である、という最新の認知科学の概念について考えてきました。
そして、わずか生後数年間に時期の親子の触れ合いによって生じる「愛着」が、生涯にわたって影響をもたらすのは、その時期にいち早く目覚めていた右脳の自己が幼少期の出来事を記憶していて、左脳の自己の知らないところで「再演」するからだ、という理解を得ました。
また、幼児期健忘が、右脳の自己という内なる他人の存在を示唆しているように、回避型の愛着スタイルの人の過去の記憶の乏しさもまた、だれか別の内なる自己が身代わりとなって記憶を引き受けていることを示唆している、という類似点を考えました。
わたしたちは誰しも内なる複数の自己からなる内的家族システム(IFS)を有していますが、たいていの人は内的家族が一致して、セルフによるリーダーシップが働いているので、自己が複数であることを意識しません。
しかし内的家族が分裂していると、気づかないうちに他の自己と切り替わってしまうスイッチングや、極端な場合は内的家族が反目しあっている解離性同一性障害(DID)、いわゆる多重人格として複数の自己が表に出てきてしまう、ということがわかりました。
つまり、スイッチングや解離性同一性障害(DID)によって複数の自己が現れてしまう人の場合、問題なのは自己が複数存在することではなく、複数の自己を取りまとめる「セルフ」が機能していないことなのです。
解離性障害の専門家である柴山雅俊先生は、解離の構造―私の変容と〈むすび〉の治療論―の中で、解離性同一性障害の治療に必要なのは、「むすぶこと」と「包むこと」だと述べます。
断片化した魂同士がむすばれるためには、それらが互いに包まれることが必要である。
犠牲者としての交代人格は外傷の記憶をひとりで抱え込んでいた。
すでに述べたように、生存者は切り離されていた犠牲者人格を包み返す必要がある。
つながるとはそこでしっかりとしたやりとりがなされることである。
解離性障害の治療において重要なことはたんに一つの人格にすることではない。
必要なことはそれぞれの魂が「包まれる」とともに「つながり」を回復していく過程であり、それによって〈むすび〉すなわち生成する生命の力を奮い立たせることにある。(p236)
内的家族システムとして考えたとき、「むすぶこと」とは、互いに意思疎通ができていない内的家族のメンバー 一人ひとりの仲を取り持ち、家族としての絆を結び合わせることだとわかります。
そして「包むこと」とは、複数に分かれてしまった内的家族のメンバーを、「セルフ」であるあなたが、ひとつの家庭としてまとめ上げることを意味しています。
柴山先生は、解離の舞台―症状構造と治療で、フィリップ・ブロンバーグの言葉をこう引用しています。
できるだけ簡潔に言うと、ひとつの統合された自己―「現実のあなた」―というものは存在しない。自己表現と人間関係は必然的に衝突するだろう。(…)
しかし健康とは統合することではない。健康とは、さまざまな現実とのあいだの空間に、それらのうちにどれも失うこともなく立つ能力である。
これこそ私が考える自己受容の意味であり、創造性は実際にすべてこのことと関連している。
すなわち多数でありながら一人の自己であるかのように感じる能力のことである。(p250-251)
わたしたちの内面に、複数の自己が存在することは当たり前なのです。「ひとつの統合された自己」というものはありません。文字どおりの家族のメンバーと同じように、一人ひとりは別々の個性、記憶、感情を持っています。
しかし文字どおりの家族が、異なる複数のメンバーから成り立っていても、ひとつの家族として一致団結できるように、内的家族の一人ひとりが、「セルフ」(あなたそのもの)のもとに一致するとき、「多数でありながら一人の自己」と感じられるようになります。
文字どおりの家族が、それぞれの才能や能力を活かして互いに補い合い、喜びも苦難も共にして生きていくように、内的家族もまた、固い絆で結び合わされ、人生の諸問題を協力して乗り越えていけるようになるのです。