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無自覚の「潜在的睡眠不足」(PSD)が内分泌・代謝機能に慢性的な影響―子どもの疲労と関係する調査も

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立精神・神経医療研究センター(NCNP)の北村真吾先生、三島和夫先生らのグループによる研究で、多くの人が自覚できない睡眠不足を抱えていて、糖代謝、細胞代謝、ストレス応答など内分泌機能が影響を受けていることがわかりました。

プレスリリース詳細 | 国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター

 

無自覚な睡眠不足の解消が内分泌機能の改善につながる-NCNP - QLifePro 医療ニュース

潜在的睡眠不足は平均1時間、健康にも影響- 【あなたの健康百科】 | 医療介護CBnews l

第62回 眠くない寝不足「潜在的睡眠不足」の怖さ | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

研究チームは、この無自覚の睡眠不足を「潜在的睡眠不足」(potential sleep debt)と名づけて、生活習慣病などさまざまな病気のリスクになると警鐘を鳴らしています。

また、潜在的睡眠不足が子どもの健康にも影響を及ぼしていることを示す、大阪市大の水野先生の調査も同時期に発表されていたので、潜在的睡眠不足と子どもの慢性疲労との関わりについても取り上げます。

自覚できない潜在的睡眠不足(potential sleep debt)とは

今回の研究では、健康な成人男性15名を対象に、それぞれが普段の生活の中での実際に寝ている睡眠時間(習慣的睡眠時間)と、体が本当に必要としている睡眠時間(必要睡眠時間)とが比較されました。

まず、彼らが普段の生活の中で実際に寝ている睡眠時間(習慣的睡眠時間)は、ある程度のバラつきがありましたが、平均すると7時間22分だったそうです。

これは、全国調査の同年代(平均23歳)の睡眠時間とおおむね同じで、睡眠ポリグラフ試験による厳密な調査でも、健康な23歳の睡眠時間は平均約7.3時間と見積もられているようです。

つまり、研究に参加した15人の男性は、とても平均的な睡眠をとっている現代人だといえます。彼らは健康であり、自分でも睡眠は十分にとっていると考えていました

しかし、研究では、本当に体が必要としている睡眠時間(必要睡眠時間)を割り出すために、特殊な実験室内で9日間にわたり12時間横になってもらいました。自由に寝たいだけ寝られる環境を用意したということです。

すると、次のような意外な結果が明らかになりました。

■初日の睡眠時間は10時間以上に達した
これは、普段の生活の中で、気づかない睡眠不足があったために、自由に寝られる環境になったことで、睡眠不足のリバウンドとして過眠が生じたことを意味しています。実生活においては、休日に睡眠時間が増えるという形で現れます。

■必要睡眠時間は平均8時間25分だった
その後、睡眠時間は減っていきましたが、平均8時間25分というラインで落ち着きました。これは彼らの普段の生活の習慣睡眠時間の平均である7時間22分と、1時間もの差があります。

■15人中13人が無自覚の睡眠不足
上の数値は平均値なので、人によってばらつきがあり、普段の習慣睡眠時間と、実験でわかった必要睡眠時間との差が大きい人もいれば、ほとんどない人もいました。しかしなんと、15名中実に13名、つまり大部分の人が無自覚の睡眠不足に陥っていました。

■無自覚の睡眠不足が内分泌機能に影響
それら、無自覚の睡眠不足に陥っていた人に十分な必要睡眠時間をとってもらうと、血糖値の改善、甲状腺刺激ホルモンの上昇、ストレスに関わる副腎皮質刺激ホルモンやコルチゾール濃度の低下など、さまざまな内分泌機能の改善がみられました。

こうした成果から、現代人の大部分が、無自覚の睡眠不足に陥っており、その結果として、慢性的な糖代謝や細胞機能、ストレス応答の不調を抱えていることが明らかになりました。

つまり、自覚していない慢性的な睡眠不足によって、普段のパフォーマンスが低下しているだけでなく、糖尿病などの生活習慣病をはじめ、ストレスが関与するさまざまな病気のリスクを抱えていることを示しています。

国立精神・神経センターの過去の研究でも、ウィークデイのほんの5日間ほど睡眠不足を続けただけでも、心身の健康に大きな影響が及ぶことが示されていました。

プレスリリース詳細 | 国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター

 

平日わずか5日間の睡眠不足が抑うつリスクになる - QLifePro医療ニュースはてなブックマーク - 平日わずか5日間の睡眠不足が抑うつリスクになる - QLifePro医療ニュース

また、英国サリー大学の研究によると、1週間の睡眠不足によって、711個もの遺伝子の発現に影響が及んだともされています。

睡眠不足が711の遺伝子活動に影響を与える 英研究 - QLifePro 医療ニュース

 

研究チームは、このような、眠気などの症状が乏しいために本人はその存在を自覚できない睡眠不足を、「潜在的睡眠不足」(potential sleep debt)と命名して、警鐘を鳴らしています。

三島先生によると、この「潜在的睡眠不足」という呼称には2つの意味がこめられているそうです。

1つは「自覚できない」睡眠不足であり、標準的な睡眠習慣を送っているという安心感が伴うため、見過ごされているということ。

もう1つは、自覚できないがゆえに対処せず、心身への負担が長期間にわたって潜行する、ということだとされています。

睡眠についての間違った2つの常識

今回の研究は、睡眠について一般に流布している2つの常識の間違いを指摘するものでもあります。

1.「睡眠は◯時間必要」の間違い

メディアではしばしば、「8時間睡眠が必要」といった報道がなされ、万人に必要な睡眠の量が決まっているかのような言い方がされます。

たとえば、糖尿病やうつ病と睡眠時間の関係を調べた研究では、睡眠時間は長くても短くてもリスクが高まるとされていて、そこから、7-8時間睡眠が必要、という解釈がなされることもあるようです。

しかし、これらの研究のデータは、大勢の人の「平均」である、という大事な事実が見落とされています。

今回の研究でも、15名の参加者の必要睡眠時間の平均は8時間25分と出ましたが、だからといって、わたしたちみんなが8時間半の睡眠を目指せばよい、という意味に解釈するのは間違いです。

これは平均にすぎず、個々の人にとって必要な睡眠時間には大きなバラツキが見られました。

算出された必要睡眠時間には個人差がみられ、もっとも短い人で7.29時間(7時間17分)、長い人で9.26時間(9時間15分)と、約2時間の違いがみられました。

したがって習慣的睡眠時間からシンプルに潜在的睡眠不足度を推定することはできません。

ここで説明されているように、たった15名の参加者の中だけでも2時間ものバラツキがみられたわけですから、現実のわたしたちの必要睡眠時間はもっと多様なはずです。

メディアで「8時間睡眠」が必要と言われるからといって、自分の場合と比較して、自分は睡眠不足だ、または寝過ぎているという判断がすぐできるわけではありません。7時間で十分な人もいれば、8場間寝ていても潜在的睡眠不足を抱えている人もいるのです。

研究グループによると、自分が潜在的睡眠不足を抱えているかどうかを知る手がかりは、こうしたメディアで報道される平均値ではなく、休日の寝だめがあるかどうかだとされています。

例えば、本試験の被験者では睡眠延長初日に自宅よりも3時間ほど長く眠りました。休日に長時間の寝だめを行わないで済む睡眠時間の確保が、潜在的睡眠不足を予防する目標となるでしょう。

(睡眠リバウンドを自宅で概算するには、個室で、目覚ましをかけず、遮光カーテンを引いて自然に覚醒し、それ以上2度寝ができなくなるまで眠ってください。実質的に眠った時間を合計します)

今回の実験では、自由に寝たいだけ寝られる環境を用意したところ、潜在的睡眠不足(PSD)を抱えている人は最初10時間も寝てしまいました。休日に寝だめしてしまう人は、それと同じことが起きているといえます。

2.「短時間睡眠法」の間違い

もう一つ、ちまたでは、短時間睡眠法のメソッドが人気を集めていますが、今回の研究では、その害が的確に指摘されました。

まず、先ほどの必要睡眠時間のバラツキからすると、持って生まれた体質のために短時間睡眠ですむ人はいるにはいますが、それは万人に当てはまるものでは決してありません。

また、短時間睡眠法をうまく実践できて、睡眠を短縮できた人がいるとしても、そこには大きな落とし穴が潜んでいます。その人は自分では睡眠不足を感じていないかもしれませんが、無自覚の潜在的睡眠不足(PSD)が蓄積しているからです。

潜在的睡眠不足(PSD)を抱えている人は、実質、短時間睡眠を実践しているような状態にあるわけですが、実験によると、睡眠の質に問題が生じていたことがわかりました。

これは睡眠不足時には深い睡眠が最優先で保たれ、浅い睡眠やレム睡眠から削ぎ落とされることを示しています。

しかし本研究から、浅い睡眠やレム睡眠もまた代謝やストレス応答機能の維持にとって重要であることが明らかになりました。

巷で広まっている「短時間睡眠法」の問題点を浮き彫りにした結果と言えるでしょう。

潜在的睡眠不足(PSD)を抱えていると、睡眠のプロセスのうち、レム睡眠と、ノンレム睡眠のうちの浅い睡眠が少なくなっていました。深い睡眠にも浅い睡眠にもそれぞれ役割があり、浅い睡眠が少ないことによって、健康への影響が生じている可能性があります。

浅いノンレム睡眠だけでなく、レム睡眠も感情の重み付けに基づいて記憶を整理するような役割もあるようです。

潜在的な睡眠不足を抱えていたり、短時間睡眠法を実践したりしていると、レム睡眠や浅い睡眠が少なくなるせいで、心身の機能が乱れます。働く時間が増えているようで、全体的なパフォーマンスは低下し、ストレスを抱え込みやすくなっている可能性もあります。

以前の記事で紹介したとおり、近年の行動経済学の研究によると、時間がなく忙しいと感じる場合は、実際には時間ではなく処理能力が足りていないことが多く、休息の見直しが必要であることがわかっています。

いつも時間がない人の処方箋―常に手術室が足りない病院が実践したたった一つのこと | いつも空が見えるから

 

何より、短時間睡眠は、糖代謝、細胞機能の異常や、ストレスホルモンであるコルチゾールの増加など、体に慢性的な負荷を生じさせ、さまざまな病気のリスクを生じさせるので、長期的に見れば、人生の時間を大幅に削っていることにもなるでしょう。

三島先生は哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーの名言を引用して、いみじくもこう述べています。

 最後に、連載第2回に取り上げたショーペンハウアーの名言を再掲する(注:私なりの意訳が入っています)。

『生は神からの借金であり、いずれは返済(永久の眠り=死)しなくてはならない。 当座の利息である睡眠を多めに払えば、借金完済は少し先送りされるだろう』

『潜在的睡眠不足』の持ち主は、少額のリボ払いを忘れて、大借金をしている人よりも早めに不渡りを出す危険性がある。

潜在的睡眠不足が子どもの慢性疲労を招く

最近の別の調査では、こうした睡眠不足の影響は、大人だけでなく子どもにも見られるという深刻な結果が出ています。

こちらは、最先端の疲労研究で知られる大阪市立大学による調査ですが、淀川区の子どもの疲労を調べたところ、平日の睡眠時間が短いほど疲れていることがわかったといいます。

大阪市 淀川区 【報道発表資料】脳科学で読み解く子どもの睡眠~ヨドネル6000人調査の結果報告会を開催します~

睡眠時間短いほど疲労 学年上がるにつれ蓄積 - 大阪日日新聞

調査結果によると、ここ数週間(回答時)で「疲れている」と答えたのは4割で、平日の睡眠時間が短いほど疲れている傾向がみられた。さらに、学年が上がるにつれて疲労度が増し、学習意欲も低下していることが分かった。

ここで「平日の」と書かれていることからわかるとおり、こうした子どもは、平日の睡眠時間が少なく、休日に寝だめする傾向がみられ、国立精神・神経センターにより命名された「潜在的睡眠不足」の状態にあります。

この調査のリーダーを担当した、大阪市立大大学の水野敬先生は、子どもの慢性疲労、小児慢性疲労症候群(CCFS)の研究にも携わっていますが、CCFSの発症リスクとして、慢性的な睡眠不足症候群(BIISS)が大きく関わっていることは、以前より指摘されていました。

小児慢性疲労症候群(CCFS)とは (3)10の原因と診断の流れ | いつも空が見えるから

 

国立精神・神経センターの三島先生の研究が示すとおり、潜在的な睡眠不足は、単なる眠気や注意散漫をもたらすだけでなく、慢性的な身体機能の不調につながり、代謝や内分泌の異常をもたらします。

先日の研究が示すとおり、慢性疲労症候群(CFS)患者では、代謝機能の異常が存在することがわかっています。

慢性疲労症候群の客観的診断ができる血液中の成分発見―ピルビン酸/イソクエン酸などの比率が高い | いつも空が見えるから

 

子どもの慢性疲労症候群(CCFS)でも、今回の国立精神・神経センターの研究で示されたような、糖代謝の異常や、ストレスホルモンの異常などがみられることがわかっています。

小児慢性疲労症候群(CCFS)とは (2)12の症状 | いつも空が見えるから

 

また、今回の国立精神・神経センターの研究では、心身機能の種類によって回復までにかかる期間がまちまちである、という結果がみられました。

それは、十分な睡眠をとったとき、脳波上の眠気は2日目には解消された一方で、内分泌機能は、数日以上十分な睡眠をとって初めて回復した、ということでした。

この結果からわかるのは、週末の寝だめは、眠気の解消には役立ちますが、内分泌機能のような身体機能は回復させないということです。学生の場合も、週末に寝だめして休んだ気になっても、身体的疲労は見えないところで蓄積しているはずです。

近年では、塾やクラブ活動、受験勉強などにより、子どもの休息時間が大幅に減っています。夜遅くまで活動することでストレスがたまり、そのはけ口としてLINEなどのSNSを深夜まで続けてしまう子も増えています。

そうした過剰な負担のしわよせが、慢性的な睡眠不足症候群(BIISS)や潜在的睡眠不足(PSD)につながり、慢性的な疲労、さらには内分泌機能の異常などとして蓄積されていく、という点に保護者や教育者は留意するべきでしょう。

小児慢性疲労症候群(CCFS)と睡眠不足の関連性については、慶應義塾大学出版会による雑誌でも特集されているので、教育関係省はぜひ目を通しておくようおすすめします。

子どもの慢性疲労症候群の15~30%は難治性―「教育と医学」CCFS特集の感想 | いつも空が見えるから

 

社会人であれ、子どもを持つ親であれ、自分や家族が十分に必要睡眠時間をとれているかどうか、またイライラや感情的な行き違い、身体的不調の原因は、じつは自覚していない「潜在的睡眠不足」(PSD)によるものではないか、吟味してみることが大切です。

 

「ぼくが消えないうちに」―忘れられた空想の友だちが大切な友情を取り戻す物語

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「あのね、こういうわけ。すっごく想像力が豊かな子どもたちが、頭のなかであたしたちを夢見るの。

そして、あんたやあたしが生まれ、その子と大の仲良しになり、なにもかもとってもすてきで、うまくいく。

でも、子どもたちは大きくなるにつれて、そんなことには興味がなくなり、やがてあたしたちは忘れられてしまう。

そしたら、あたしたちはどんどん薄くなって、消えてしまうの」(p137)

の中で創りだした世界って、どこまでが本物で、どこまでが空想なんだろう?

想像力豊かな人は、みんな、何度もそんなふうに思ったことがあると思います。

現実の世界と同じほど、空想の世界も生き生きしている。現実に暮らす立体的な人たちと同じほど、空想の世界に暮らす人たちも生気にあふれている。

こんなに本物らしいなら、実体があってもなくても、大して変わりないんじゃないだろうか。はるか昔に死んで忘れ去られた人と、今、自分の想像力を通して生きている人だったら、どちらがより現実的な存在なのだろう。そんなことを考えるかもしれません。

今回読んだ本、ぼくが消えないうちに (ポプラせかいの文学)(原題 The Imaginary)は、そんな想像力豊かな子どもが創り出す、空想の友だちが主人公の児童文学です。

世にも珍しい、子どもの空想の友だち、イマジナリーフレンド目線で語られる、イマジナリーフレンドたちの世界を描いた、とても不思議で、どこか切ない名作でした。

これはどんな本?

この本の作者のA・F・ハロルド(@afharrold)は、英国の詩人で、これまで数々の詩集や物語を手がけてきたそうです。

A.F. Harrold

 

さすが詩人だけあって、どこか幻想的で、現実と空想が溶け合った見事な世界を描き出しています。現実の世界を舞台にしているのに、まるで夢を見ているかのような不思議な浮遊感に満たされます。

訳者あとがきによると、作者自身は、空想の友だちの記憶がないそうです。でも、お兄さんから、確かに空想の友だちがいたと教えてもらったとのこと。

空想の友だちがいたはずなのに忘れてしまっていて記憶にない、という実体験は、この本の随所に織り込まれていますし、この物語のテーマそのものとも深いつながりがありそうです。

この本を知ったのはこちらで紹介されていたからでした。ありがとうございます。

ぼくが消えないうちに - The Imaginary by A.F. Harrold - 未翻訳ブックレビュー

 

「本当に冒険がいっしょにできるのは、ラジャーだけ」

主人公のラジャーは、ちょっと怖がりでおとなしい普通の男の子。いつも、同じくらいの年の、それはそれは想像力にあふれた活発な女の子アマンダに振り回されてばかりです。

アマンダは、まるで魔法のような想像力にあふれています。アマンダの手にかかれば、木の下に掘った穴は、宇宙船になって飛び立ったり、イヌイットのイグルーになったり、未開のジャングルにまで早変わり。

どんな場所でも、どんなものでも、あっという間に楽しく面白い冒険に変えてしまうアマンダのことが、ラジャーは大好きでした。

アマンダはラジャーにとって、はじめての、そして唯一の友だちでした。

なぜなら、ラジャーは、アマンダのほかには誰にも見えない、アマンダが創造した空想の友だちなのですから。

子どもたちの中には、幼稚園から小学生くらいのころに、空想の友だち(イマジナリーフレンド)を創り出す子が時々います。奇妙に感じて心配する親もいますが、実際のところは、子どもの奔放な想像力と、他の人への深い関心が生み出す健康的なものです。

子どもにしか見えない空想の友達? イマジナリーフレンドの7つの特徴に関する日本の研究 | いつも空が見えるから

 

この本でも、アマンダのお母さんは、アマンダが見えない友だちがいる、と言い出しても、じゃけんに扱ったりせず、自分には見えないラジャーにあいさつしたり、席を用意してあげたりして、アマンダの空想におおらかに付き合ってあげていました。

学校に行き始めたアマンダは、ある日、衣装ダンスの中にいるラジャーを見つけて友だちになりました。アマンダにとってはラジャーの姿ははっきりと見えますし、ラジャーの声も聞こえます。本当の友だちと変わりません。

ときには現実の友だちと同じように、ケンカすることもありましたが、そのときにはラジャーのことがどれほど大切か思い直しました。

アマンダは、ため息をついた。それから深く息を吸いこむ。

ラジャーを失いたくない。ヴィンセントとジュリアも仲良しだけど、親友と呼べるのはラジャーだけだ。

わくわくするような大冒険は、ラジャーとしかできない。頭のなかでこしらえた、ほかの人には見えないお友だちだけとしか。

ほかの子もいっしょにやろうねといってくれるけど、そんなのはただの「ごっこ」にすぎない。

本当に冒険がいっしょにできるのは、ラジャーだけなのだ。(p92-93)

冒頭で、自分が創った世界は、どこまでが現実で、どこまでが空想なのだろう、といった疑問を投げかけました。アマンダにとっては、学校の友だち以上に、ラジャーは現実の存在で、かけがえない冒険のパートナーなのです。

ラジャーが洋服ダンスの中から出てきた、という話は、赤毛のアンを思い出します。アン・シャーリーもまた、アマンダと同じく、あふれる想像力を持った女の子でしたが、ガラス戸棚にうつった自分の姿にケティ・モーリスという名前をつけて、一緒に空想の世界に旅していました。

でも、もう一枚の戸は何ともなかったので、あたしよく、ガラスにうつるあたしの姿は、そこに住んでる別の女の子だと想像したものよ。

あたし、その子にケティ・モーリスという名をつけたの。あたし達、とても仲がよかったのよ。特に日曜日なんか、何時間も続けてケティに話しかけたものよ。

…そうすると、ケティ・モーリスがあたしの手を取って、年中日が照って、花が咲いてる、ふしぎな妖精の国に連れて行くの。そしてあたし達そこでいつまでも幸福に暮らすのよ。

アマンダとラジャーの物語では、空想の友だちと出会う場所は洋服ダンスだったリベッドの下だったりします。ふとしたことで空想の友だちを見つけるのは鏡の中です。

哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)の著者アリソン・ゴプニックも、子どものころにベビーベッドの中にいるダンザーという小人に出会ったと書いていました。

幼い頃、わたしの家にヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』のような怪奇現象が起きたことがあります。

家の中にダンザーという小人が現れたのです。

母によると、二歳のわたしは、ベビーベッドの中にダンザーという変な小人が住んでいると言ってきかなかったそうです。(p73)

空想の友だちとの最初の出会いは、洋服ダンスやベッド、鏡の中と相場が決まっているのでしょうか。それらの場所はもしかすると、空想の世界と現実をつなぐ扉なのかもしれません。

ちなみにわたしの記憶にある最初の空想の友だちとの出会いは、たぶんアマンダと同じくらいの年のころ、ベッドで夜、布団に潜っていたときでした。

そのとき出会った少女は、今はもう空想の友だちではありませんが、すっかりわたしと同じように成長して、ときどき書く小説の登場人物として生き続けています。

小説家のお気に入りの登場人物の中には、じつは子どものころひょっこりと洋服ダンスやベッドの下から飛び出してきて、そのまま作品世界に定住した空想の友だちが意外といるのかもしれません。

小説家の約5割はイマジナリーフレンドを覚えている―文学的創造性と空想世界のつながり | いつも空が見えるから

 

「わたしには、あんたのお友だちが見えるんだよ」

おおらかなお母さんに見守られて、毎日、アマンダと一緒に冒険を楽しむラジャー。アマンダ以外には誰にも見えませんが、ラジャーはアマンダがいてくれたらそれで幸せでした。

それまで自分がどこにいたのか、ラジャーはおぼえていない。もしもどこかにいたのだとしたら、目が覚めたときにその記憶がすっぽりぬけ落ちてしまったにちがいない。

けれどもアマンダを目の前にすると、心の底から「これでいいんだ」という思いがわいてきた。ラジャー自身が、アマンダのためにつくられたとでもいうように。

ラジャーが知るかぎり、アマンダは最初の友だちだ。そしてまた、たったひとりの友だちで、だからいちばん大事な友だちだった。(p25)

ところが、ある日、奇妙な訪問客が現れます。玄関ベルが鳴らされ、お母さんがドアを開けると、そこにいたのは、アロハシャツにサングラスという怪しい男。男は「バンティング」という名だと名乗ります。

そしてもう一人、学校の制服のようなものを着た、青白い奇妙な少女。

お母さんは、その怪しげな男を追い返しますが、男と一緒にいた女の子の姿は見えていませんでした。アマンダとラジャーは気づきます。あの少女は怪しい男の空想の友だちなのではないだろうか。

それからというもの、アマンダとラジャーの前に男と少女は幾度となく現れます。それも、二人の行くところを先回りし、二人を追い詰めようとしてきます。

そして男はアマンダとラジャーにこう言いました。

男は、うなずいた。

「けっこう。なんともなくて、ほっとしたよ、お嬢ちゃんをけがさせようなんて、思ってないからね。

じつをいうと、あいにく、お嬢ちゃんにはまったく興味がないんだ。

だけど、わたしには、あんたのお友だちが見えるんだよ」(p95)

アマンダに少女が見えていたように、男には、ラジャーの姿が見えていたのです! 狙いは、ラジャーだったのです!

その日を境に、アマンダとラジャーは、恐ろしい計略に巻き込まれ、生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれ、離れ離れに引き裂かれてしまうのでした…。

「あふれるばかりの想像力に恵まれた、アマンダの友だちでいたい」

奇妙な男バンティング氏と、彼に付きそう見えない少女。

正体不明で、目的もわからない二人に、じりじりとアマンダとラジャーが追い詰められていく様子は、読んでいてハラハラします。

サスペンスのドラマのような緊迫感のある語り口、エミリー・グラヴゥットによるゾクッとする挿絵、そしてラジャーの存在が ただアマンダの想像力にだけ支えられているという儚さが、息をつかせぬ目まぐるしい物語を織り合わせます。

ラジャーがアマンダと離れ離れになり、よりどころを失って消えてしまいそうになりながらも、なんとかしてもう一度、もう一度、アマンダに会うべく、傷だらけになって糸口を探し続けるところは、この物語ならではの独特な部分でしょう。

ラジャーは、たしかに消えかけていた。

アマンダが考えたり、思い出したり、夢見たりしてくれるから、ラジャーはこの世界に存在しているのに。

アマンダがいなくなってしまったら、するするとこの世界からすべりおちていくしかない。(p110)

これまでも、現実の子ども目線で空想の友だちを描いた作品は多々ありました。たとえば ジェシカがいちばんふしぎなともだちといった作品では、空想の友だちは、現実の友だちができるまでの通過点のように扱われています。

ところが、この作品ではそうではありません。空想の友だちは、いつしか忘れ去られて消えていくとはいえ、ただの空想の産物ではなく、現実の創り出された、ひとつの命として描かれています。

だからこそ、空想の友だちであるラジャーは、アマンダと離れ離れになっても、アマンダのことを忘れません。アマンダに創られた、アマンダの空想の友だちだからこそ、もう一度アマンダに会うために命をかけるのです。

ラジャーは、アマンダを探し求めるうちに、不思議な存在たちと出会います。それは、自分と同じように、創ってくれた人と離れ離れになってしまったイマジナリーフレンドたち。

空想の友だちとは何かをよく知っている女の子から、想像力のことを教えてもらったり…、

「この子どもたちってね」エミリーは写真を指さした。

「見えないお友だちが必要だったり、ほしいと思ったりしているのに、つくりだすだけの想像力がないの。

それができる子は、めったにいないからね。ほんとに輝くほどの、すっごい想像力を持ってる子だけだから」(p141)

なんと、アマンダのお母さんが昔に創り出した空想の友だちと出会ったり。

「そうさね、おまえのアマンダは、わたしのリジーの娘なんだ」

ラジャーは、犬の耳の後ろをかいてやっているうちに、やっと話が飲みこめた。
「わたしは、これだけ知りたいんだよ」

犬は、いった。「ええ……なんていうか、あの子は幸せかね? 大人になって、幸せになったかね?」(p194)

自分を創ってくれた子どもが成長し、空想の友だちが見えなくなり、存在を忘れられてしまった後も、空想の友だちの人生は続いているのです。

こうして自分と同じ空想の友だちと出会ったラジャーは、彼らと協力して、自分たちの身に起こったことは何だったのか、バンティング氏とは何者なのか、アマンダはどうなってしまったのか、という謎に立ち向かっていきます。

消えそうになりながら、風に飛ばされそうになりながら、それでもラジャーを突き動かしていたのは、ただひとつの思いでした。

ラジャーは、ほこらしい気持ちでいっぱいになった。だからこそラジャーは、ジョン・ジェンキンスでもジュリアでもなく、アマンダがいい。

あふれるばかりの想像力に恵まれた、アマンダの友だちでいたい。(p252)

「あたし、ぜったいにあんたのことを忘れないからね」

せっかくのすばらしい物語、詳しいストーリーや結末まで語ってしまうと、あまりにももったいないので、ダイジェストはこのへんにしておきましょう。

離れ離れになったアマンダとラジャー、過去の冒険の日々を忘れてしまったアマンダのお母さんと忘れられた空想の友だち、そして謎めいたバンティング氏と彼に付き添う少女。

これら三組の登場人物による、空想の友だちとの三者三様のストーリーが絡み合って物語は進んでいきます。

空想の友だちは、現実の子どもがたった一瞬考え出すだけの存在ではなく、離れ離れになったあとも互いに思い続ける、強い絆で結ばれたパートナーなのだ、ということを、時には温かく、時には恐ろしく描き出します。

この本は、300ページを超える力作ですが、次から次に場面が移り変わり、登場人物の気持ちの描写が生き生きしていて、続きが気になる山あり谷ありの展開なので、わたしも一気に最後まで読んでしまいました。

このブログでは、これまで空想の友だち(イマジナリーフレンド)という子ども特有の現象を、科学的な観点から詳しく分析してきました。

空想の友だち研究 | いつも空が見えるから

 

これまでの記事で触れたのは、発達心理学や精神医学、当事者の体験談ばかりです。空想の友だちを扱ったフィクションの感想を詳しく書いたのは、これが初めてです。

空想の友だちを扱ったフィクションをあまり取り上げないのは、途中で挙げた本のように、空想の友だちはあくまで現実の人間関係に至るまでのステップでしかない、という扱いが多いためです。

あるいは、孤独な子が現実逃避のために創り出す、精神異常的なものとしてネガティブな扱いがされることも少なくありません。この本でも、アマンダの同級生、ジュリアの母親はそうやって騒ぎ立てます。

でも、そんなジュリアの母親に、アマンダのお母さんははっきりと、「うちのアマンダは、どこも悪くありませんから」と言い切ります。そしてアマンダを温かく見守り、空想の世界を一緒に楽しみます。

アマンダも、決してコミュニケーションが下手で孤独な子ではありません。最近の研究では、空想の友だちを持つのは、根が暗いどころか社交的で他の人に強い関心を持っている子だといわれていますが、アマンダはまさにそのような才気あふれる子どもです。

ただ、学校の友だちから見たら、「ちょっとばかり変わり者」、いえ、「すっごく変な子」なのですけれど。(p203)

こうしたアマンダの性格は、以前に紹介した ナラティヴ・セラピーの冒険という本の「変にできる子」エミリーを思わせます。エミリーは現実の女の子です。

「変にできる子」の想像上の友だち―イマジナリーフレンド(IF)は人生の助けになってくれる | いつも空が見えるから

 

現実の子どものうち、半数近くが、幼少期に空想の友だちを持つという研究もありますが、その中でも とりわけ空想の世界が豊かで、空想の友だちと強い絆を持つのは、HSPと呼ばれるひときわ感受性豊かな子たちでしょう。

エミリーや、アン・シャーリーとその作者のモンゴメリ、そしてこの本のアマンダとそのお母さんは、とびきり感受性と想像力が豊かなHSPの特徴をよく満たしていると思います。

生まれつき敏感な子ども「HSP」とは? 繊細で疲れやすく創造性豊かな人たち | いつも空が見えるから

 

またエミリーは空想の世界のエージェント、ハリット氏の紹介で空想の友だちと出会いましたが、この本の中でラジャーが出会う空想の世界の住人たちもそれとよく似た活動をしています。

現実の少女であるエミリーの空想世界と、この本のアマンダやラジャーを取り巻く空想世界とが似通っているのは大変おもしろいところです。本当に、どこまでが空想で、どこまでが現実なのでしょう。

こうしたところから、この本は、作者のA・Fハロルドが、しっかり調査をして物語を練り上げ、子どものころのような詩的な感性でそれを彩ったことが読み取れます。

空想の友だちについての正しい理解に根ざし、感受性豊かな子どもや、そうした子どもが創り出した空想の世界を魅力的に描いたこの作品は、とても貴重な一冊です。

もし作者のA・F・ハロルドが自分の空想の友だちのことを覚えていたらバンティング氏の描写などはもう少し変わっていたのかもしれませんが、忘れてしまったからこそ紡ぎ出された儚さやうすら怖さを味わうのもまた、この本の醍醐味でしょう。

この本のカバーの絵も、想像力をかきたてる力作で、表側のアマンダとラジャー、そして裏側のパンティング氏と少女、どちらも物語を読んだ後に細かい部分までじっくり眺めてみると、こみ上げてくるものがあります。

子どものころに空想の友だちがいたような気がする感受性豊かな人や、今まさにそんな想像力豊かな子どもを育てていて、空想の友だちのことを毎日聞かされている親の皆さんには、ぜひ読んでいただきたい物語です。

ときどき大人たちは、いろんなことを、いともかんたんに忘れてしまう。

アマンダはラジャーの顔を見た。

「あたし、ぜったいにあんたのことを忘れないからね」(p320)

きっと、子どものころの不思議で奇妙な扉の奥を、もう一度のぞき込んで、どこか懐かしい気持ちに満たされるに違いありません。

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化学研究所の渡辺恭良先生、大阪市立大の水野敬先生、熊本大学の上土井貴子先生らの研究グループにより、小児慢性疲労症候群(CCFS)の子どもの脳において、線条体に関係する報酬系の感受性が低下していることが明らかになりました。

これは、注意欠如多動症(ADHD)の子どもの脳の活動とよく似ていて、ドーパミン神経系を標的とした投薬が効果を示す可能性があるとのことです。

小児慢性疲労症候群は報酬の感受性低下を伴う | 理化学研究所

 

小児慢性疲労症候群は報酬の感受性低下を伴うことを明らかに — 大阪市立大学

小児慢性疲労症候群は報酬の感受性低下を伴う-学習意欲の低下を招く脳領域の活性低下- - 熊本大学

小児慢性疲労症候群の治療に道、報酬低いと脳の活性が低下 理研など発表 - 産経WEST

理研など、小児慢性疲労症候群は報酬の感受性低下を伴うことを解明│日経プレスリリース

神戸新聞NEXT|医療ニュース|慢性疲労の子 脳の「やる気スイッチ」活動低下

慢性疲労症候群で不登校の子、脳が「報酬」感じにくく:朝日新聞デジタル

小児慢性疲労症候群では、報酬の感受性が低下している - 理研などが発表 | マイナビニュース

小児慢性疲労症候群、報酬に関する脳内メカニズム解明-理研 - QLifePro 医療ニュース

CCFSでは報酬感受性が低下している

今回の研究では、MRIを用いて、小児慢性疲労症候群(CCFS)の子どもの脳機能が調査されました。

小児慢性疲労症候群(CCFS)は3ヶ月以上続く、異常な疲労感や睡眠障害がみられる病気で、不登校とも大きな関連があるとされています。

子どもの慢性疲労症候群(CCFS)とは (1)どんな病気か? | いつも空が見えるから

 

小児慢性疲労症候群(CCFS)では、多様な身体症状だけでなく、学習意欲や記憶力、注意力の低下なども生じます。

学習意欲は脳機能の一つである、報酬感受性と関係しています。報酬感受性とは、達成感の強さと関わる脳の働きで、報酬感受性が高いと、見返りが少なくても達成感を感じやすくなり、意欲が湧きやすくなります。

研究では、CCFSの子ども13名(平均13.6歳、女6名、男7名)と健康な子ども13名を対象に、お金がもらえるカードめくりゲームをしてもらい、そのときの状態を質問表とfMRIで測定しました。

カードめくりゲームは、3つのパターンが用意されていて、高い金額が得られる高報酬課題、低い金額が得られる低報酬、およびお金の関係しない対照群からなります。自分がどの課題を行っているかは知ることができません。

実験の結果、CCFSの子どもと健康な子どもは、いずれも高報酬課題では、線条体(尾状核と被殻)と呼ばれる脳領域が同じほど活性化していました。しかし、低報酬課題では、CCFSの子どもは健常児に比べて左右の被殻の活性が低下していたとのことです。

さらに、この被殻の活性が低いほど、疲労の症状が強く、普段の学習のときに十分な評価・成績が得られていると感じる報酬感が低いことがわかりました。

ドーパミンに着目した治療が役立つ?

この線条体(尾状核と被殻)は大脳基底核の一部で、運動や学習、記憶などさまざまな機能に関与する領域です。

ドーパミン神経が豊富に存在する脳領域であり、同じ研究グループの過去の研究では、注意欠如多動症(AD/HD)や愛着障害の子どもで、同様の報酬感受性や線条体の活動の低下が明らかになっています。

脳科学が明らかにした発達障害と愛着障害、その違い | いつも空が見えるから

 

こうした点から、研究チームは、ADHDと同様、ドーパミンを対象にした治療がCCFSに効果を示すのではないかとしています。

本研究により、CCFS患児の学習意欲低下には、低報酬知覚時に線条体が活性化されない状態、つまり報酬の感受性の低下状態が関係していることが分かりました。

線条体はドーパミン神経が豊富に存在する脳領域であり、報酬知覚時のドーパミン神経の活性が低下することで意欲低下に繋がる可能性が考えられます。

今後、CCFSのドーパミン神経機能に着目した治療法の検討も必要と考えられます。

ADHDの場合のドーパミン系を標的にした治療法についてはこちらにまとめています。

ADHDの治療に効果のある薬のまとめ(適応外処方も含む) | いつも空が見えるから

 

なぜドーパミン系の機能低下が疲労と関係するのか

CCFSの子どもについては、特に不注意優勢型のADHDの特徴を満たすことが多い、という研究が以前からありました。ADHDと同様の治療によって、慢性疲労を含む症状の改善がみられる場合がある、ということは、こちらの記事で扱ったとおりです。

ADHDの人は若くして慢性疲労症候群(CFS)になりやすい―治療で疲労や痛みが改善 | いつも空が見えるから

 

ADHDと同様のドーパミン系の機能低下があると、なぜ疲労感が強くなりやすいのかは、諸説あるところだと思います。

以前の記事では、ワーキングメモリの低下や、生体リズムの乱れやすさといったことから疲労感が強くなる可能性を考えました。

なぜADHDの人は慢性的な疲労や痛みを感じやすいのか―脳の注意配分能力とワーキングメモリー | いつも空が見えるから

 

また、こうしたドーパミン系の働きの弱さが、ADHDと同様の生まれつきのものなのか、それともCCFSの睡眠障害などに伴う二次的なものなのか、という点も気になる部分です。

もし、生まれつき報酬感受性が低い傾向があるのなら、小さなことで達成感を感じにくいため学校生活で人よりストレスを抱え込みやすかったり、他の子どもより高い報酬を求めてやりすぎてしまったりするかもしれません。

逆に、睡眠不足やデジタル機器依存の結果として、環境的要因のせいでADHDに似た特徴を示すようになる子どもがいることも知られているので、長期間にわたる慢性的な睡眠不足のせいで、ドーパミン神経系の機能が低下し、慢性疲労につながる可能性もありそうです。

最近の研究でも、疲労や意欲低下の強い子どもは、潜在的睡眠不足を抱えており、慢性的な睡眠不足状態にあることが示唆されていました。

無自覚の「潜在的睡眠不足」(PSD)が内分泌・代謝機能に慢性的な影響―子どもの疲労と関係する調査も | いつも空が見えるから

 

もっとも、生まれつきのものか二次的なものか、というよりは、遺伝要因も環境要因もどちらも関わっていて、もともとドーパミン系が不安定な子どもが、慢性的な睡眠不足や学校の単調な学習からくるストレスを抱え込みやすい、という複雑な要因があるのかもしれません。

ADHDの報酬感受性の低下については、メチルフェニデートの投薬によって改善がみられたそうですが、CCFSの場合にも同様の効果があり、意欲や記憶力が改善するのかどうかも、今後の研究に注目したいところです。

2016年3月に改定されたME/CFS診断基準、最近の研究でわかった7つのこと

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性疲労症候群(CFS)の研究班のウェブサイトで、最新の研究総括が掲載されていました。

日本医療研究開発機構(AMED)障害者対策総合研究開発事業 神経・筋疾患分野「慢性疲労症候群に対する治療法の開発と治療ガイドラインの作成」研究班 ホームページ

 

平成25-27年度「慢性疲労症候群の病因病態の解明と画期的診断・治療法の開発」研究班

平成27-29年度「慢性疲労症候群に対する治療法の開発と治療ガイドラインの作成」研究班による総括報告

PDFが載せられていたので、ざっと読んで、気になるところを書き出してみました。

具体的には、(1)CFSの実態調査、(2)改定された診断基準、(3)最近の研究でわかったこと について簡単にまとめています。

正式な診断名が、今後ME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)に変わること、また起立性調節障害が症状の一つとして併記されたことなど、興味深い点がいろいろありました。

CFSの実態調査

各研究総括のPDFには、CFS患者の実体を明らかにする、さまざまな調査について載せられています。まずは、それらのデータを幾つか見てみたいと思います。

25-27年度のPDFのページ数は赤字で、27-29年度のPDFのページ数は黒字で記しています。

痛みやうつ、思考力低下があると日常生活に強い支障

CFS を診療している全国 5 施設の患者 244 名を対象にした調査では、1 日中横になって生活している重症患者(PS 8-9)は全体の11.2%、精神疾患を併発している人は 51.8%、感染後に発症した人は 22.3%だったとのこと。

特に痛み、うつ、、思考力低下、循環器系の症状、知覚過敏、アレルギーなどを伴う場合に、日常生活に強い支障が出るが出ていることを示すFP( Fatigue-related problem scale)の値が高くなっていたそうです。(p5)

CFSが単に慢性疲労のみ、あるいは身体面のみの問題なのではなく、心身両面を含む、全身さまざまな症状と組み合わさって、生活を難しくしていることがわかります。

さまざまな治療法が試されている

平成 27年には、日本において CFS 診療を実施している代表的な医療機関である、大阪市立大学医学部付属病院、 名古屋大学医学部総合外来、 九州大学医学部心療内科、桑名市総合医療センターによる実態調査も行われました。

これらの病院に通院した、CFS 患者177 名(男性49名、女性127名、平均41.8歳、発病時平均29.1歳)についての実態調査では、初診時の平均 PS が5.3、会社や学校に復帰できた人が22%、軽作業も困難な状況のままの人は21.5%でした。

治療方法は、以下のような多様な方法が組み合わされて実践されていたようです。(p2)

■漢方薬(補中益気湯、六君子湯、当帰芍薬散、抑肝散、十全大補湯、葛根湯など)
■向精神薬( SSRI、 SNSI、睡眠薬、 NaSSA、抗不安薬など)
■鎮痛剤( NSAID、ノイロトロピン、プレガバリン、トラムセットなど)
■ビタミン・健康補助食品(ビタミン C、ビタミン B12、ビタミン E、CoQ10、カルニチンなど)
■認知行動療法
■運動療法
■鍼灸
■ヨガ
■アロマ治療
■湯たんぽ
■和温療法

さまざまな治療法を組み合わせた結果、大半の人はいくらか改善が見られますが、社会生活に完全復帰できる人はそれほど多くなく、重症のままの人もいて、CFSが非常に厄介な病気であることがうかがえます。

線維筋痛症(FM)と併発している人たち

東京医科大学による線維筋痛症とCFSを併発している患者の調査では、併発している割合は32.7%、同時発症例は30.8%、CFSを先に発症した例は46.2%、 線維筋痛症を先に発症した例は23.1%でした。(p6)

FMとCFSを合併する例はそれなりに存在し、疲労から痛みに発展する人も、その逆の人も存在することがわかります。言うまでもなく、両者を合併すると、生活は輪をかけて困難を極めます。

心療内科から見たCFS患者の傾向

九州大学心療内科による、心療内科に入院したCFS患者の発症前の要因には、 虐待12%、いじめ12%、 自傷21%、不登校12%、 両親の離婚21%、 発症前過活動33%、発症前感染45%発症前外傷9%、 発達障害3%がみられたそうです。

傾向としては、抑うつや身体症状、恐怖症性不安、自責的、解離性の転換症状、自分の健康状態について過度に気にして悩む傾向などがみられたそうです。(p5)

さまざまなストレス要因が発症と関わっていることがわかりますが、近年発達障害傾向との関係が示唆されている子どもの慢性疲労症候群と違って、発達障害や不登校の割合が少ないことを見ると、別の疾患群なのかもしれません。

これらの傾向はどちらかといえば、不安定な愛着スタイルの存在を示唆しているように思えます。

絶え間ない不安にとらわれた「絆の病」を抱える人たち―完璧主義,強迫行為,パニックなどの背後にあるもの | いつも空が見えるから

 

2016年3月に改定された「ME/CFS臨床診断基準(案)」

続いては、新しい診断基準についてです。

研究班のウェブサイトの平成28年度研究の項には、2016年3月に改訂された 「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)臨床診断基準(案)」が載せられています。

詳しい内容はリンク先を見ていただくとして、気になったポイントを幾つか取り上げたいと思います。

診断名はME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)に

近年、慢性疲労症候群(CFS)という病名は、誤解を招いたり症状が軽く見られたりするとして、病名を変更するべきだ、という論議が持ち上がっていました。

それについて検討した結果、正式な診断名は今後、ME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)とされることに決まったようです。

 また、CFSの呼び名(病名)についても診断基準検討委員会において1年間かけて検討した結果、CFSというこれまでの病名は疲労という誰もが日常生活で経験している症状を病名として用いていることにより誤解や偏見を受ける可能性が高く、この問題点を早急に解消する必要性が指摘され、世界中の多くの医学会誌で用いられているME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)を用いることとなった。

 尚、今回の改定ではプライマリ・ケアを担っている医師が医療現場で用いる診断基準としての簡便性、利便性を考えてSEID基準を修正した臨床診断基準を提唱したことより、病名はME/CFS/SEIDとするべきであるという考えも示されたが、あまりに長い病名を医療現場で用いることは好ましくないという意見が多く、正式な診断名はME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)とし、略語としてME/CFS/SEIDを用いることも認めることとした。

2015年2月に、米国医学研究所が提唱した全身性労作不耐症(systemic exertion intolerance disease:SEID)は今回は正式な診断名として採用されることはなく、慢性疲労症候群また筋痛性脳脊髄炎という古くから馴染みのある名前が併記されることになったようです。

米国医学研究所が慢性疲労症候群の新しい名前「SEID」を提案! | いつも空が見えるから

 

起立性調節障害が症状の一つに

これまで、子どもの不登校と関連して、慢性疲労症候群との異同が議論されていた起立性調節障害(OD)が、正式に慢性疲労症候群の症状の一つとして記載されるようになりました。

以前にも起立性低血圧や起立不耐症という表記では書かれていましたが、国内で広く知られている起立性調節障害の表記にされてわかりやすくなっています。

Ⅰ.6ヵ月以上持続ないし再発を繰り返す以下の所見を認める
(医師が判断し、診断に用いた評価期間の50%以上で認めること)

1. 強い倦怠感を伴う日常活動能力の低下*
2. 活動後の強い疲労・倦怠感**
3. 睡眠障害、熟睡感のない睡眠
4. 下記の(ア)または(イ)
(ア)認知機能の障害
(イ)起立性調節障害

共存を認める疾患・病態の3番目にも、特に不登校の子どもと関連して、起立性調節障害の名前が記されています。

(3)その他の疾患・病態
起立性調節障害 (OD):POTS(体位性頻脈症候;postural tachycardia syndrome)を含む若年者の不登校

これによって、起立性調節障害(OD)、およびそのサブタイプの一つである体位性頻脈症候群(POTS)を抱える子どものうち、強い疲労感や睡眠障害を伴う子どもは、慢性疲労症候群とみなせる、ということがはっきりしました。

【11/13】筋痛性脳脊髄炎の患者の90%に起立性不耐症(OI)がみられる | いつも空が見えるから

 

身体表現性障害(身体症状症)も共存疾患に

これまで身体表現性障害は、心理的問題が身体症状として現れる疾患であるとされていて、慢性疲労症候群との境界線があいまいでした。

しかしアメリカ精神医学会の定義の変更により、慢性疲労症候群と同時に診断できるようになり、共存を認める疾患・病態の2番目に挙げられています。

(2) 身体表現性障害 (DSP-IV)、身体症状症および関連症群(DSM-5)、気分障害(双極性障害、精神病性うつ病を除く)

その理由として、研究の総括報告書には次のように説明されていました。

身体症状が医学的に説明できないと決定する信頼性には限界があり、心身二元論を強化することになると考えられるようになったため、 DSM-5 では「身体表現性障害」から「身体症状症および関連症群」に診断名が変更された。

「身体症状症」では身体症状に対して医学的説明ができないことより、むしろ苦痛を伴う身体症状に加えて、そうした症状に対する反応としての異常な思考、感情および行動(身体症状がどのように現れ、どのように解釈されるか)に基づいて診断されるようになった。

そのため、 DSM-5 の身体症状症では、精神疾患以外の医学的疾患とともに診断できるようになった。つまり、慢性疲労症候群と身体症状症の両方を診断することができるようになった。(p18)

これまでの心身二元論による「体の病気か心の病気か」という短絡的な区別がなされるのではなく、慢性疲労症候群であれ、身体表現性障害(身体症状症)であれ、心身両面の要素が絡み合っていることが読み取れます。

パフォーマンスステータス(PS)がわかりやすく

慢性疲労症候群の重症度を表す指標としてPS(パフォーマンスステータス)と呼ばれるものがあります。このたび表現がわかりにくかった部分に具体的な補足説明が加えられて、理解しやすくなっていました。

PSは全部で0-9までの十段回ありますが、そのうちの3,4,5,7,8の五ヶ所に脚注にて補足が加えられていました。

3:全身倦怠感のため、月に数日は社会生活や労働ができず、自宅にて休息が必要である
…社会生活や労働ができない「月に数日」には、土日や祭日などの休日は含まない。また、労働時間の短縮など明らかな勤務制限が必要な状態を含む。

4:全身倦怠感のため、週に数日は社会生活や労働ができず、自宅にて休息が必要である
…健康であれば週5日の勤務を希望しているのに対して、それ以下の日数しかフルタイムの勤務ができない状態。半日勤務などの場合は、週5日の勤務でも該当する。

5:通常の社会生活や労働は困難である。軽労働は可能であるが、週のうち数日は自宅にて休息が必要である
…フルタイムの勤務は全くできない状態。ここに書かれている「軽労働」とは、数時間程度の事務作業などの身体的負担の軽い労働を意味しており、身の回りの作業ではない。

7:身の回りのことはでき、介助も不要であるが、通常の社会生活や軽労働は不可能である
…1日中、ほとんど自宅にて生活をしている状態。収益につながるような短時間のアルバイトなどは全くできない。ここでの介助とは、入浴、食事摂取、調理、排泄、移動、衣服の着脱などの基本的な生活に対するものをいう。

8:身の回りのある程度のことはできるが、しばしば介助がいり、日中の50%以上は就床している
…外出は困難で、自宅にて生活をしている状態。日中の50%以上は就床していることが重要。

今回作成されたこのような診断基準は、客観的な検査も取り入れており、CFSの難病指定への課題を解消するものともなるとされています。

本研究により作成された客観的指標を取り入れた「診療用 CFS 診断基準」は、 CFS 臨床診断基準に加えて臨床病態に基づく科学的な評価項目が含まれていることより、これまで障害者総合支援法における難病等に CFS を認定するか否かの判断において課題とされてきた客観的評価と公平性の担保が解消された。

今後は症状の重い CFS 患者に対する公的な支援制度の導入において大いに活用されものと期待される。

難病指定のためには、患者数の問題など、ほかにも様々なハードルがありそうですが、重症患者の支援に向けて、一歩前進したのではないでしょうか。

ME/CFSについてわかった7つのこと

総括報告書によると、そのほかにもME/CFSにおいて、様々な客観的な検査でわかる特徴が明らかになっています。ここではそのうちの7つに注目してみたいと思います。

1,脳内ミクログリアの活性化

最も大きな発見として挙げられているのは、ポジトロンCT(PET)などの特殊検査装置によるCFS患者の脳内炎症の発見です。CFS患者の脳内では、免疫に関わるミクログリア細胞が活性化しており、炎症が生じていること示唆されました。(p8,14)

特に、視床、中脳、扁桃体での炎症が強い人は認知機能の障害が強く、帯状回や視床の炎症が強い人は、頭痛や筋肉痛などの痛みが強く、海馬での炎症が強いほど抑うつが強いといった、症状の種類と密接に関連した特徴も明らかになりました。

筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)と脳内炎症の関連が解明される | いつも空が見えるから

 

この発見は、CFS研究の第1人者である、ハーバード大学のアンソニー・コマロフ教授により、2014年におけるME/CFSに関する世界10大発見の1つとして大きく取り上げられたそうです。

一方で、 脳内ミクログリアの活性化は 神経障害性疼痛やアルツハイマー病、脳血管障害などでも見られるので、CFS特有のものではないとの指摘もされているようです。

ですから、脳に炎症があるからといって、 CFSの確定診断に役立つわけではありませんが。CFSが脳の炎症を伴う器質的疾患である、ということを示せたことに意義があると報告書には書かれていました。

このCFSの脳内炎症については、スウェーデンのカロリンスカ研究所と共同で進められている双子を対象にした研究でも、同じ結果が確認されているそうです。

また、今のところ、脳内のミクログリアの活性化は、特殊な機器でしか検出できませんが一般の病院の施設でも使用できる臨床用 PET プローブ開発が既に始まっていて、数年後には日本中の多くの PET 臨床施設において活用されるよう取り組んでいるようです。

さらに、マウスやラットの疲労モデルにおいても、病的な疲労とミクログリアの活性化との関連が確認されていて、治療薬の開発も視野に入れて研究されているそうです。

2,ミトコンドリアDNA上昇

CFS患者30名を対象にした研究では、 ミトコンドリアDNAの量が健常者よりも高く、血液中の酸化ストレスの度合いと相関していました。(p22)

細胞外へ放出された ミトコンドリアDNAは 、DAMPs ( damage-associated molecular patterns; ダメージ傷害関連分子パターン)となって、病的な免疫反応に関係することが知られていています。

ミトコンドリアDNAの高値は、CFSの慢性炎症と関係しているのかもしれません。

炎症の起こる理由(メカニズム) -CREST/さきがけ「慢性炎症」研究領域

 

3,エクソソームが上昇

CFS患者では、エクソソームと呼ばれる細胞外分泌顆粒(EV : Extracellular vesicle)が増加していることもわかりました。(p21)

エクソソームは、細胞のまわりの環境が変化したり、ストレスが加わったりすると分泌量が増加し、体液中を循環して、遠く離れた細胞まで情報を伝達する役割があると考えられています。

エクソソームは、近年、がん細胞との関連で注目を集めていますが、CFS の炎症とも関連しているのかもしれません。

エクソソームは、癌細胞の「飛び道具」! - 世界の幹細胞(関連)論文紹介 - 慶應義塾大学 グローバルCOEプログラム 幹細胞医学のための教育研究拠点

 

4.エネルギー代謝の障害

血液中の代謝物質を網羅的に解析するメタボローム解析では、CFS患者ではエネルギー産生経路として重要なTCA回路や、アンモニアの解毒に関係する尿素回路の代謝に異常が見つかりました。(p18)

特に、ピルビン酸/イソクエン酸比とオルニチン/シトルリン比という代謝物質の比率が、CFS 患者の診断に最適なバイオマーカーとなると期待されていて、国内のクリニックや病院で行える測定サービスの構築を目指しているそうです。

慢性疲労症候群の客観的診断ができる血液中の成分発見―ピルビン酸/イソクエン酸などの比率が高い | いつも空が見えるから

 

5.生理的疲労と病的疲労を区別

疲労には、健康な生理的疲労、CFSのような病的疲労があります。これまで、その両者の区別は難しいと考えられていましたが、いくつかの手法で区別できることがわかってきました。

まず、血液中の酸化ストレス値(d-ROMs)や抗酸化力値(BAP)、相対的酸化ストレス度(OSI)を測定する検査では、一過性の生理的疲労と慢性的な病的疲労を客観的に鑑別できることがわかったそうです。(p13)

特にCFS患者では抗酸化力値の低下と、相対的酸化ストレス度の上昇がみられました。

また、唾液中のヒトヘルペスウイルス(HHV-6 および HHV-7)の量は、生理的疲労の尺度になるとされていて、デスクワークなどで疲労しているほど、ヘルペスウイルスが増加します。(p10)

しかし、CFS 患者やうつ病患者では、自覚的疲労が強いのに、ヘルペスウイルスの増加が見られず、むしろ減少していました。

これによって、ヘルペスウイルスの計測によって、生理的疲労なのか病的な疲労なのかが判別できることがわかりました。。

また、これとは別に、抗 SITH-1 抗体検査によって、うつ病のリスクが判別でき、陽性であれば発症危険性が50 倍以上に上昇するという発見も得られたそうです。

これらの検査は、問診に頼らない客観的なストレス・うつ病の検査として、健康診断に役立つと期待されています。

6.起立試験でPSがわかる

すでに見た通り、ME/CFSは起立性調節障害を伴うことが知られています。

座った状態→起立→立ったままを維持、という一連の動作の間,心電と脈動を記録する5分間の起立検査によって、CFSの重症度であるPS(パフォーマンスステータス)が判断できるという結果が得られたそうです。(p23)

これまで PSは患者の主観的な要素に基づいていましたが、この検査によって、妥当性を判別する助けが得られそうです。

7.カルニチンは一部の症状にのみ効果

 CFS患者25名を対象に、カルニチンを1日あたり2000mgを8週間服用してもらう臨床試験を行ったところ。抗体酸化力、単純計算課題の改善が見られたそうです。(p4)

もっと多くの症状の改善も期待されていましたが、一部のみの効果という結果になりました。

【10/10】慢性疲労症候群(CFS)やパーキンソン病に対するカルニチン補充療法の効果についての本 | いつも空が見えるから

 

 こうして研究総括を外観してみると、これまで客観的な異常がなかなか見つからなかったME/CFSにおいて、脳の炎症や免疫異常をはじめとする さまざまな特徴が見つかってきて、それに伴い、診断基準も整理されてきたことがわかります。

これらの研究成果がもっと身近になり、個人病院や健康診断の検査でも異常がわかるようになれば、CFS患者が詐病や怠け病扱いされることはなくなるでしょう。原因に迫る治療法の開発も進展するかもしれません。

今後とも、研究の進展を見守っていきたいと思います。

「トマティス効果」―なぜ高周波音が聞こえてしまう人は感情がこまやかなのか

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なたは、他の人が気に留めない耳障りな音が聞こえて悩まされることがありますか?

ここでいう耳障りな音とは、耳鳴りのことではありません。耳鳴りを抱える人も持続的な音に悩まされますが、それとは別に、大半の人が気に留めない高周波音が聞こえてしまう人がいます。

この現象は、モスキート音としても知られていますし、電化製品の場合は、一種のコイル鳴きとみなせるかもしれません。

大半の人は大人になるにつれ、高周波音は聞こえにくくなりますが、中には、子どものころからずっと、高周波音が聴こえ続け、耳障りに感じたり、うっとうしく思ったり、あるいはあまりにずっと聴こえるせいで慣れきってしまう人もいます。

わたしの身の回りにも そんな人がちらほらといて、どういうことなのか疑問に思っていたのですが、最近読んだ脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線という本に興味深いことが書かれていました。

それによると、高周波音が聞こえてしまう現象は、おそらくは感情表現の豊かさとも関係しているようです。そして、それとは逆の、細かい感情の読み取りが苦手で、冗談を真に受けてしまうようなアスペルガー症候群など自閉症の人たちについて知る手がかりにもなります。

なぜ高周波音が聴こえることが感情の豊かさと関わっているのでしょうか。「トマティス効果」というキーワードを通して考えてみましょう。

これはどんな本?

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線は、カナダ・トロントに住む精神科医ノーマン・ドイジによる、脳の可能性を引き出す最新治療の取り組みを解説した本です。

前著脳は奇跡を起こすに続いて、脳は大人になっても配線を組み替える柔軟さを持っているという発見、神経可塑性(しんけいかそせい)に注目し、いかにすれば、難治性の脳疾患を改善できるのか先進的な医師たちの多彩な研究が紹介されています。

ノーマン・ドイジは医師であるだけでなく、作家また詩人でもあるそうで、ご自身もまた神経可塑性に富んだ脳を最大限に活用しておられるように思います。

「トマティス効果」―人は耳で歌う

高周波音と感情表現とのつながりを発見をしたのは、1919年にフランスで生まれた医師アルフレッド・トマティスでした。

トマティスは未熟児として生まれ、さまざまな体調不良を抱えていたこともあって、自分で原因を究明しようと医学の道に進みます。

医師になったトマティスは、航空機製造工場に務める人たちが、絶え間ない騒音によって、一部の音域に対する難聴を抱えるということに気づき、騒音による聴覚障害という先駆的な発見をしました。

その時期にトマティスは、歌手だった父の同僚たちの診察もしていました。そのオペラ歌手たちは、声のコントロールが難しくなったため、のどの治療を求めて、耳鼻咽喉科のトマティスのもとを訪れたのでした。

ところが、トマティスは、そのオペラ歌手たちの問題が、のどにあるわけではない、という意外な事実に気づきます。当時の通説とは異なり、彼らは声帯を損傷したせいで声の質が悪化したわけではありませんでした。

トマティスは、彼らに航空機製造工場の従業員のときと同じ検査をしてみて、共通点があることを発見しました。オペラ歌手たちもまた、騒音被害による難聴を抱えた人たちと同じく、特定の音域における難聴を抱えていたのです。

トマティスは、オペラ歌手たちの声の質の低下は、のどの声帯の問題ではなく、聴覚障害によるものではないか、と推察します。

つまり、特定の周波数のもとでは、歌手は、歌うことで頭蓋内に生じる音の強度のために、自らの聴覚能力を損なっているとも言える。

要するに、彼らの歌が劣化するのは聴覚能力が低下するせいだ。(p441)

オペラ歌手たちは、自分の大音量の声を聞くせいで、あたかも騒音被害のような形で、一部音域に対する聴覚障害を抱え、それが、歌の質を劣化させていたのです。

このことから、トマティスは「人は耳で歌うのだ」という前代未聞の主張を展開します。(p441)

そして、彼の発見はフランス医学アカデミーとフランス科学アカデミーで認められ、「トマティス効果」と名付けられます。

その意味するところは、次のようなものでした。

「発することのできる声の周波数は、耳が聴くことのできる周波数のみである」(p442)

耳と声、聴くことと話すことは、一見別のもののように思えますが、トマティス効果によればそうではありません。

そもそも、わたしたちが話せるようになるのは、耳で聴くことから始まります。母語を学ぶときも、第二言語を学ぶときも、まず話される言葉を聞いて、それを念頭に置きながら自分で発音することによって習得していきます。

トマティスは、さまざまな国籍の人が、自分の言語に合った音域の聴き取りに秀でていることも発見しました。わたしたちの耳は、それぞれの国の母語の音域に合わせて適応、発達していきし、それが発音の滑らかさにつながります。(p446)

裏を返せば、わたしたち日本人が英語を含め、他の言語の発音が難しいのは、単純に口に動きや声帯の機能によるものではありません。聴覚が日本語の音域に沿って発達するために、外国語の発音を十分に聞き取ることができず、その結果、声に出して発音することも難しくなるのです。

わたしたちは、耳で聞こえる範囲の音にしたがって、発音したり歌ったりすることができる、わたしたちの声の表現力は、聴こえる周波数の幅に依存している、これが「トマティス効果」なのです。

アルフレッド・トマティスは、そのほかにも興味深い発見をいろいろしていて、たとえば、パーティー会場などで、特定の人の声に注目できる「聴覚ズーム」、通称カクテルパーティー効果を見つけています。(p446)

また、耳が前庭系のバランス感覚に関係していることにも注目しました。これは自閉スペクトラム症の人たちが抱える身体感覚の異常、発達性協調運動障害とも関係しているようです。(p476)

なぜ感情がこまやかな人は高周波音に敏感なのか

トマティスの数々の発見の中でもとりわけ興味深いのは、音は周波数帯によって異なる役割を持っているということです。

特に、感情表現の豊かさに関わるのは高い周波数帯の音だといいます。

トマティスは、有名なオペラ歌手エンリコ・カルーソーの歌声を分析したところ、彼が最も華々しく美しい声で歌った期間の歌声は、高周波音に富み、低周波音に欠けていることを発見しました。(p443)

オペラ歌手としての美しい感情表現は、高周波帯域の音に依存していたのです。

これは、単に高い声は感情表現豊かで、低い声は単調だという意味ではありません。声には様々な周波数の倍音(基本の周波数を何倍かした周波数を持つ音。オクターブが上がった音が重なる)が混ざっています。

自身もトマティスによる治療を受けた心理士ポール・マドールはこう言います。

「音に生命を与えるのは高い周波数です。低くても、高周波数帯域の倍音に富んだ(……)生き生きとした声を出すこともできます。

逆に言えば、高くても倍音が貧弱で、か弱く魅力のない声も出せます。誰でも低音の〈オーム〉は発することができますが、高音なくしては平板に聴こえるのです」(p520)

オペラ歌手の歌声に美しさを与えるのが高周波音であるように、わたしたちの話し声を生き生きとしたもの、感情表現豊かで魅力的なものにするのもまた高周波帯域の倍音なのです。

倍音は楽器ごとの音色の違いとも関連していて、たとえば澄んだ音のフルートに比べ、ヴァイオリンが非常に味わい深い複雑な音色をしているのも、この高周波数帯域の倍音に富んでいるせいです。

高周波音が聴こえるから感情がこまやかに?

この発見を、「トマティス効果」に照らすと、次のようなことに気づきます。

すなわち、感情表現豊かに話せる人は、もともと話し声のうちの、感情表現に関わる倍音、つまり、高周波帯域の音が聴こえるので、生き生きと話せるのではないでしょうか。

以前の記事で紹介したように、近年、とりわけ感情がこまやかで、繊細な感性を持つ人たちは、HSP (Highly Sensitive Person)、つまり人一倍敏感な人たちと呼ばれるようになっています。

生まれつき敏感な子ども「HSP」とは? 繊細で疲れやすく創造性豊かな人たち | いつも空が見えるから

 

「敏感すぎる自分」を好きになれる本によると、HSPの人たちの中には、音に普通以上に敏感な人もいるようです。

たとえば、聴覚であれば、ほかの人たちが気づかないような小さな音が気になりますし、突然大きな音がしようものなら、飛び上がるほど驚いてしまうはずです。(p38)

このような音に対する過敏さは、感情を揺さぶる高周波帯域の音が聴こえるという鋭敏な感覚とも結びついているのでしょう。

そして、ここまで考えてきた「トマティス効果」からすると、HSPの人の感情がこまやかで、人の気持ちを汲み取る能力に長けているのは、もともと感情が豊かだったというよりは、生まれつき聴覚の感受性が強かったことに由来するのかもしれません。

つまり、生まれたときから、あるいはお母さんのお腹の中にいたころから、感情表現に関わる高周波帯域の音に敏感だったため、感情表現が発達し、人の気持ちをより深く汲み取るようになり、こまやかで繊細な感性を発達させていくのではないでしょうか。

HSPだから高周波音に敏感だ、というよりは、生まれつき高周波音に敏感なせいでHSP特有の共感性豊かな性格が発達していく、ということではないでしょうか。

HSPの人の中には、文学や詩など、言語的な感性に優れた人も多いですが、高周波音は、右耳とそれに関連する左半球の言語領域で処理されるという点と関係しているのかもしれません。

わたしたちの脳は、多くの場合、左半球に言語機能に特化した領域が存在していますが、脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によると、コミュニケーションの上手な人は、右耳で高周波音を聞いて、すぐさま左半球で処理することに長けているようです。(p451)

冒頭で触れた、わたしの身の回りにいる、高周波帯域が聴こえる人たちも、考えてみれば、コミュニケーションに秀でたHSPや、感受性の強いADHDの傾向を持つ人たちばかりです。

わたしの身の回りの少数例だけで判断するのは早計ですが、このような他の人には聞こえない高周波音に敏感な人たちは、共感能力の高いHSPの人たちでもあるのかもしれません。

なぜ自閉症の人は平板な話し方をするのか

それでは、もし高周波帯域の音が感情表現のこまやかさと関係しているのだとしたら、その逆、つまり高周波数帯域が聞こえない場合は、どのような影響が生じるのでしょうか。

以前の記事で説明したとおり、感受性豊かなHSPと対極にあるのは、他の人の気持ちを読み取ることが難しいとされる、自閉スペクトラム症の人たちです。

トマティスは、自閉症の子どもたちが他の人の気持ちを読み取るのが難しいのは、低周波数帯域の音が聞こえすぎて、高周波数帯域の音が覆い隠されてしまうせいではないか、としています。

トマティスの示すところによれば、自閉症、学習障害、発話や言語能力の発達の遅れを抱える子ども(および複合的な耳感染を抱える子ども)の多くは、中耳の筋肉によって低周波数帯域を抑制できないために、人間の音声の周波数に波長を合わせられない。

低周波数帯域の音が大きな音量で押し寄せてくると、高周波数帯域の音声は覆い隠され、自閉症の子どもを、音、とりわけ電気掃除機や警報などの持続音に対して過敏にする。(p495)

自閉症の人たちは、HSPの人たちとは別の意味での過敏性を持っています。

どちらも感覚過敏という言葉で一緒くたにされがちですが、実際にはかなり異なる性質を持っている、ということは以前に詳しく説明しました。

HSPの人たちの過敏性は、他の人たちが気づかないようなささいな感覚や、小さな違いに鋭敏であること、また受け取った感覚が増幅されてより大きく、より深く感じてしまうことでした。

それに対し、自閉症の人たちの感覚過敏は、情報が整理されず、ふるいわけられることもなく、洪水のように押し寄せてくることだと言われてます。

さまざまな自閉スペクトラム症の人たちの手記を分析した自閉症とサヴァンな人たち -自閉症にみられるさまざまな現象に関する考察‐では、彼らの感覚過敏の性質について、こう書かれています。

同時に入力された刺激の中からある刺激を選択して、状況に応じて適切に反応すること、つまり事態に即応した行動ができないばかりでなく、一層悪いことに激しい混乱状態に陥ることを示すこの記載は、自閉症に付随するいろいろな問題行動がさまざまなレベルの感覚異常によって生じている可能性があることを示唆している。(p211)

自閉症の人たちの感覚異常は多くの情報が選り分けられず押し寄せてくることであり、聴覚刺激の面でも同様のことが起こっているようです。

話し声が心地よく感じられない

では、押し寄せてくる低周波音の洪水のせいで、高周波音が覆い隠されてしまうと、どのような影響が生じるのでしょうか。

先ほどのポール・マドールの説明からすると、高周波音が聞こえないからといって、会話の声そのものが聞こえなくなることはありません。

しかし、高周波数帯域の倍音は「音に生命を与える」要素なので、それが欠けると、声には魅力がなくなり、平板に聴こえてしまいます。

もしも、生まれたときから、話し声がそのような聞こえ方をしていたら、子どもの感性はどのように発達するでしょうか。

耳にする話し声の魅力的な部分が削ぎ落とされていれば、そもそも話すことやコミュニケーションに魅力を感じないでしょう。

また、話し言葉のうちの微妙な感情を伝える部分が聞こえないなら、言葉の内容を超えた繊細なニュアンスに気づくことができないでしょう。

自閉スペクトラム症の中でも、言語能力に秀でた人たちは、アスペルガー症候群と呼ばれています。彼らは、話したりコミュニケーションをしたりすることはできます。

しかし、微妙な空気を読むことが難しく、冗談を真に受けてしまったり、抑揚のない無機質な話し方をしたり、言葉に込められた感情以外の要素、たとえば語呂やリズムを好んだりもします。

ひといちばい敏感な子には、そのような特徴についてこう書かれています。

アスペルガーの子は、コミュニケーションを取りたがりますが、人の話を聴いたり、話すタイミングを直感的に理解することができず、なかなかうまくいきません。

婉曲表現や皮肉を理解する、秘密を守る、顔色を読む、といったことも苦手です。誰も興味がないような事柄について、淡々と話すことがよくあります。(p66)

そうなってしまうのは、話し言葉のうち、感情やニュアンスを伝える高周波数帯域の音が聞き取りにくく、表面的な内容や字句通りの意味やリズムを伝える低周波数帯域の音によって覆い隠されてしまうせいなのかもしれません。

自閉症の原因については、これまで諸説唱えられていますが、中には他の人への共感性が欠如している「心の理論」の障害だという意見もあり、自閉症は、心の目が盲目である、という無思慮なレッテルを貼られてきました。

しかし、近年明らかになっているとおり、自閉症の人たちは、決して共感能力がないわけではなく、人の気持ちを理解できないわけでもありません。

アスペルガーは「共感性がない」わけではない―実は定型発達者も同じだった | いつも空が見えるから

 

ここまで考えてきたことからすると、他の人の感情を汲み取りにくくなるのは、自閉症の原因ではなく、感覚過敏のせいで会話が心地よく感じられないことからくる副次的な問題であるように思えます。

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線はこう説明しています。

この他者の心に気づく能力の欠如は、感覚刺激を処理する脳機能の障害によって引き起こされる二次的な問題である場合が多い。

ポールは次のように指摘する。「感覚系の目的は、世界との接触を求めると同時に、感覚世界から自己を守ることにある。ところが感覚刺激に対して過敏に反応するようになると、その人は、外界を遮断するメカニズムを発達させ始めるのだ」(p496)

わたしたちは、なんであれ、心地よい、と感じることを繰り返し行い、不快に感じるものからは遠ざかります。

HSPの人が、なぜ生まれつき他の人への深い興味を持っているのか、そして自閉症の人たちが、なぜ人よりも物に関心を持ちやすいのか、という点もしかりです。

そうした違いが生じるのは、話し声という聴覚刺激が心地よく感じられるか、それとも不快に感じられるか、という点に源を発している可能性があります。

最近、自閉症の人たちは、愛着や共感に関するホルモンであるオキシトシンが不足していて、オキシトシン点鼻スプレーによって症状が緩和されるのではないか、とする臨床研究が進んでいます。

オキシトシン経鼻剤で自閉スペクトラム症(ASD)の前頭前野とコミュニケーション能力が改善(臨床研究) | いつも空が見えるから

 

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によれば、自閉症の人たちでオキシトシンが不足するのは、もしかすると、聴覚の過敏さによる二次的なものではないかと考えられています。

オキシトシンレベルの低下の原因は現在のところ不明だが、おそらく二次的なものではないかと思われる。

以下に述べるように、多くの子どもの場合、聴覚刺激に対する過敏さのゆえにリスニングが苦痛になり、そのために聴覚野と脳の報酬中枢の結合が低下した結果である可能性が考えられる。(p494)

実際に、自閉症の子どもたちの脳の画像検査によると、声を聞くことに関わる聴覚皮質と、快感を感じることに関わる報酬系とが十分に結合していないことが発見されたそうです。

近年、リスニングがいかに自閉症の影響をうけるかを説明する一助となる「脳の配線の問題」について、神経科学者たちの理解が進んだ。

2013年7月、ダニエル・A・エイブラムズとヴィノッド・メノンが率いるスタンフォード大学の科学者たちは、自閉症の子どもにおいては、人間の声を処理する聴覚皮質と皮質下の報酬中枢の結合が不十分であることを明らかにした。

…その結果、声を処理する脳領域を報酬中枢に結びつける能力を欠く子どもは、発話を快く感じられなくなる。(p492)

自閉症の子どもたちは、高周波数帯域の音が覆い隠されてしまう聴覚過敏のせいで、話し声を聞くことが心地よく感じらず、その結果としてコミュニケーションを好まなかったり、苦手になったりしてしまう可能性があります。

また、以前の記事で取り上げたように、聴覚だけでなく視覚の過敏性も、自閉症の独特な性格特性の発達に影響しているようです。

顔を忘れるフツーの人、瞬時に覚える一流の人 - 「読顔術」で心を見抜く (中公新書ラクレ)では、自閉症の子どもは、生まれつきの視覚の過敏性のゆえに、他の人と目を合わせるのが難しかったり、細部に過度に注目する認知特性を発達させたりするのではないか、とされていました。

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自閉スペクトラム症では、視覚や聴覚を含むさまざまな感覚の統合に問題を抱えていますが、そうした通常とは異なる感覚入力によって、通常とは異なる脳が発達していき、特有の傾向が形作られていくのでしょう。

脳の慢性炎症が感覚統合を妨げる

ではなぜ、自閉スペクトラム症では、聴覚を含め、さまざまな感覚刺激が選り分けられず洪水のように押し寄せてくる感覚過敏が生じるのでしょうか。

まだはっきりとした結論は出ていませんが、この本では、近年、自閉症の脳に慢性炎症が発見されたことが取り上げられています。

2005年にジョンズホプキンス大学医学部のチームによって行われた研究によれば、自閉症者の脳は炎症を起こしている場合が多い。(p490)

2008年以来、五つの研究によって、かなりの数の自閉症の子どもは、子宮にいるあいだに脳細胞を標的とする母親由来の抗体を持つことが示されている。(p491)

このような慢性炎症は、脳のネットワークの発達に影響を及ぼし、感覚刺激の統合を難しくする場合があるようです。

慢性的な炎症は、神経回路の発達を阻害する。

自閉症の子どもにおいては、多くの神経ネットワークが「過少結合」され、脳の前面のニューロン(目的の追求や意図を理解する)と背後のニューロン(感覚を処理する)の結合が不十分であることが脳画像で示されている。

また、他の脳領域は「過剰結合」され、これは自閉症の子どもによく見られる痙攣発作の原因となっている。(p491)

脳に慢性炎症が生じる理由については、まだ十分解明されていませんが、おそらくさまざまな遺伝的要素や環境要因が絡み合っているのでしょう。

たとえば、その一つとして、以前の記事で紹介したような体内の免疫異常が大きな役割を果たしているのかもしれません。

近年の発見によれば、先進国を中心とする腸内細菌の多様性の減少が、自閉症を含む脳の慢性炎症や自己免疫疾患の増加と関連していることが示唆されています。

自閉症や慢性疲労症候群の脳の炎症は細菌などの不在がもたらした?―寄生虫療法・糞便移植で治療 | いつも空が見えるから

 

この点の解明には、さらなる研究の進展や治療法の開発を待つ必要がありそうです。

いずれにせよ、自閉症は心の理論や共感性の障害である、という古い観点ではなく、脳の炎症とそれに伴う感覚過敏による症状である、という新しい観点が重要になってきそうです。

感覚刺激は脳の発達を左右する

この記事では、「発することのできる声の周波数は、耳が聴くことのできる周波数のみである」というトマティス効果をヒントにして、HSPや自閉スペクトラム症の人たちのコミュニケーションの違いを分析してきました。

どのような音が聴こえるか、という聴覚機能が、発する言葉や、感情表現を含めた脳の発達を左右する、という発見はたいへん興味深いものです。

モスキート音や他の人には聞こえないコイル鳴きが気になってしまう人たちは、じつはその敏感さが、自身の性格やコミュニケーションスキルなどにも影響しているかもしれない、ということを考えてみると興味が広がるかもしれません。

この記事では、「トマティス効果」とその周辺の話題にしぼって取り上げましたが、今回紹介した本脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線は、こうした感覚器官からの入力によって脳が形作られていく事例が豊富に載せられています。

わたしたちは、脳はすべてをコントロールする司令官のようなものだと考えがちですが、実際はさまざまな感覚器官からの入力こそが、粘土のように柔軟な脳をさまざまな形へとこねあげていく陶芸家なのです。

そしてそれは、裏を返せば、外部からの感覚入力を工夫すれば、脳に影響を及ぼせる、ということも意味しています。

たとえば、聴覚について扱った部分の続きには、特殊な音域を強調するフィルターを用いて自閉症や学習障害を治療するトマティス療法家の取り組みや、サウンドセラピーやニューロフィードバックによるADHDの治療などが紹介されています。

そのほかにも、光刺激によって細胞を活性化させる低強度レーザー、舌への電気刺激によって脳を刺激するPoNS、体の気づきを促すフェンデルクライス療法など、さまざまな方法による病気の治療が取り上げられているので、興味のある人はぜひ読んでみてください。

時間知覚の問題としてのディスレクシア―脳のタイミング処理と読み書きの意外なつながり

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次に取り上げる研究者たちは、識字障害(ディスレクシア)などの障害の根底に時間計測の能力の欠如があるのではないかという仮説を確かめようとしている。

それが確かめられれぱ、エリナーのような人が経験してる、時間との独特な関係を説明することができる。エリナーはいつも遅刻をしてくるのだが、それは彼女の時間経過についての感覚が正確ではなかったからだ。

私たちが正確に書いたり読んだりできるのは、ノートに書くとき、ペンを正確なタイミングで動かしたり、並んだ文字を正確なタイミングで読んだりできるからなのだろうか?(p77-78)

年、学校の勉強についていくのが難しい子どもが、学習障害(LD)や、その一種であるディスレクシア(読み書き困難)といった問題を抱えていることが知られるようになってきています。

LDやディスレクシアの子どもは、落ちこぼれになったり、不当にも怠けているとみなされたりしますが、本当は、脳の発達が他の子どもとは異なるためにうまくできないだけで、人一倍頑張っているのに結果が伴いません。

学習障害(LD)やディスレクシアという名前が示すとおり、そうした子どもたちの問題は読み書きなどの勉強がうまくいかないことだと思われがちです。

でも、冒頭で紹介した脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのかの説明が示すように、根底にはもっと大きなメカニズムがひそんでいるようです。

ある研究者たちは、ディスレクシアの読み書きの難しさは、実は、「タイミング」、つまり時間の処理に関わる脳の問題による氷山の一角なのではないか、と考えています。

ディスレクシアを持つ人たちは、単に読み書きに困難を感じるだけでなく、時間の認識が難しかったり、運動がぎこちなかったり、生活全般のおいて、タイミングやリズムの面で苦労してる、「ディスレクシア化された世界」に生きていることが多いのです。

この記事ではいくつかの本に基づいて、時間知覚の観点から、ディスレクシアの本質を考えてみたいと思います。

これはどんな本?

今回紹介するのは、おもに以下の三冊です。

冒頭で紹介した脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのかは以前も取り上げた心理学者のクラウディア・ハモンドによる時間学についての本です。ディスレクシアが時間感覚の障害とする見解が少し載せられています。

書きたがる脳 言語と創造性の科学は神経科医アリス・W・フラハティとによる、読み書きにまつわる様々な障害の脳科学を解説した本です。自身がハイパーグラフィア(ひたすら書きまくる人)になった経験をきっかけに本書が書かれたそうです。

そして脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線は精神科医ノーマン・ドイジによる脳の可塑性を活かした治療法についての本で、特に聴覚機能からアプローチしたディスレクシアの治療法について詳しく書かれています。

ディスレクシアは読み書きだけの問題ではない

ディスレクシアは、読み書きだけの問題だと思われがちですが、本当はそうではなく、生活全般に関わる時間知覚の問題を伴っている。

そのことを知るために、冒頭で引用したエリナーという少女について、もう少し詳しく見てみましょう。 脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのかには、彼女の日常生活のこんな苦労について書かれています。

17歳のエリナーという少女は、「時間を正しく推定できた試しがない」という。どのくらい時間が過ぎたか、他の人と同じように判断できないらしい。

…学校で他の生徒は正しい時間がわかるのに、彼女の推定は数時間ずれていることもある。時計を見ないと、授業が始まったばかりなりか終わりに近いのかもわからない。

時間が過ぎていると感じないので時計を見るのを忘れ、迎えに来た母親に待ちぼうけを食わすこともある。(p26)

ここで書かれているように、17歳の少女エリナーは、ディスレクシアを持っていると同時に、かなり強い時間知覚の問題を抱えています。

わたしたちは普通、時計がなくても、おおよその時間を推定することができます。仕事や家事をしていても、そろそろお昼のごはんの時間だ、そろそろ次の待ち合わせの時間だ、といったことに気づきます。

そうできるのは、わたしたちが時の流れを把握する時間知覚を持っているからです。これは当たり前のもののように思えますが、実際には脳に内蔵されたタイマーがうまく働いてはじめて可能になる能力です。

以前の記事で書いたように、注意欠如多動症(ADHD)の人は、この能力がうまく働きません。そのせいで、時間がなかなか過ぎずにひどい退屈を感じたり、逆に没頭しすぎて時間を忘れ、遅刻してしまったりします。

「時間感覚の障害」としてのADHD―時の流れを歪ませるのはドーパミンだった? | いつも空が見えるから

 

ADHDは、学習障害やディスレクシアと関連性が強いことが知られていて、両方を併発する人も少なくないようです。図解 よくわかる大人のADHDによると、LDの30-50%がADHD、ADHDの30-50%がLDと言われていました。

そうすると、両者には何らかの共通する原因があるとしても不思議ではないでしょう。

エリナーは、時間知覚がうまく機能しないことで、家族やまわりの人に迷惑をかけてしまうだけでなく、学業にも大きな支障が生じているようです。

今のところ不便をかけているのは、忍耐強い両親くらいですんでいるが、試験を受けるようになってから、この時間知覚能力の欠如が引き起こす問題に気づくようになった。

他の生徒は、どの問題にどのくらいの時間をかけるかだいたいの計画を立てるが、エリナーは時計を見ないと、いつまでも同じ問題を解いている。

彼女のケースを見ると、私たち誰もが同じ時間の概念を持っているわけではないとわかる。エリナーには識字障害(ディスレクシア)もあり、これが時間知覚の難しさについて理解する鍵になる可能性がある。(p26)

テストのときに、時間をやりくりするのは、だれもが難しく感じることかもしれません。でも、エリナーほどではないでしょう。

決められた時間の中で、うまく時間を配分して作業する、というのもまた、わたしたちの脳の中に無意識のタイマーがあるからです。そのおかげで、わたしたちはおおよその時間を意識して、余裕を持たせたり、急いだりすることができます。

しかしそのタイマーがうまく働かないと、ひとたび集中したら最後、タイムワープして、先生の合図やチャイムの音で我に返るまで、時間の経過にまったく気づかないことさえあるのです。

こうした時間知覚の問題は、一見すると、ディスレクシアとは何の関係もないように思えます。事実、ADHDの人の中には、時間がよくワープするとしても、読み書きの困難は特に抱えていない人もいます。

しかし、脳には、無意識のタイマーをつかさどる部分が複数あって、どの種類のタイマーが機能しないかによって、現れる症状が違ってくるようです。

一般に、ADHDの人が没頭して時間を忘れたり、退屈して時間が無限に長く感じられたりするのは、より長い時間をはかるタイマーの不調のせいでしょう。ここで語られたエリナーの問題もそちらと関わっているのかもしれません。

しかし、ディスレクシアなどの問題が伴っている場合は、さらに別のタイマー、ミリ秒単位のタイミングをコントロールするタイマーもまたうまく働いていないようです。その場合、どんな困難が生じるのでしょうか。

「ディスレクシア化された世界」に生きている

複数の時間知覚が損なわれた世界に生きる人たちの苦労を知るには、当事者による説明を聞くのが一番です。

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線という本には、サウンドセラピーの専門家ポール・マドールが28歳のときに書いた「識字障害化された世界」(The Dyslexified World)という論文からの抜粋が載せられています。

ポール・マドールは、自分自身も、子どものころ強い学習障害を抱えており、聴覚療法家アルフレッド・トマティスの音楽療法によって改善した過去があります。

ポール・マドールはディスレクシアの人たちが、単に読み書きの問題に苦しんでいるだけでなく、「識字障害化された世界」、つまり「ディスレクシア化された世界」に生きていると述べています。

識字障害者の多くは、身体に常時違和感を覚えている。身体という道具を自分で管理し、コントロールすることができないと感じているのだ。

(……)識字障害者は、身体全体にわたって識字障害化されているのである。彼らはぎこちない動作をし、身体によって邪魔をされ、束縛されているように見える。

(……)彼らは手や足、とりわけ、手首から先をどう扱えばよいのかがわからない。緊張していようが弛緩していようが、彼らの姿勢には柔軟性と自然さが欠ける。(p501)

ポール・マドールによると、ディスレクシアの人たちの抱える問題は、「身体全体」に及びます。全身の動きにぎこちなさや違和感を感じていて、自分自身そのものをコントロールするのが難しいのです。

以前の記事で紹介したように、ADHDやディスレクシアの人たちは、手足の運動の不器用さを抱えていることがあります。これは、発達性協調運動障害(DCD)と呼ばれています。

「不器用な子どもたち」発達性協調運動障害(DCD)とは何か―NHKによる子どもの睡眠と発達医療センターの取材 | いつも空が見えるから

 

運動の不器用さと、読み書きの難しさは、一見すると、まったく別の問題のように思えます。かたや学校のグラウンドで、かたや教室のなかで苦労する別々の困りごとではないでしょうか。

しかし冒頭で引用した、脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのかはの説明によると、どうやらそうではありません。そこにはこうありました。

私たちが正確に書いたり読んだりできるのは、ノートに書くとき、ペンを正確なタイミングで動かしたり、並んだ文字を正確なタイミングで読んだりできるからなのだろうか?

この説明からわかるとおり、運動の不器用さも、読み書きの難しさも、同じ問題に由来していることがあります。

それは、タイミングの問題、すなわち時間知覚の問題であり、わたしたちは走ったり飛び跳ねたりすることにも、読んだり書いたりすることにも、脳の同じ時間処理システムを応用しているのです。

そうすると、ポール・マドールが述べた、「識字障害化された世界」ないしは「ディスレクシア化された世界」とは何なのかが、わかってきます。

わたしたちは言葉を話すとき、単語の音が織りなすリズムを聞き取って覚え、発音します。スポーツをするときにも、身体を動かすタイミングをつかんで複雑な動きをマスターします。

しかし、ディスレクシアの人たちが生きる世界というのは、時間感覚のタイミングが失われた世界、時空がねじまがって歪んだような世界です。

言葉を読んだり聞いたりするときにも、身体を動かしたりするときにもリズムが失われているので、運動がぎこちなくなったり、読み書きが難しくなったり、ひいては、日常生活全般のテンポがおかしくなって、まるで別の世界に住んでいるかのような違和感が生じてしまうのです。

脳のタイミング処理の問題

これまで、ディスレクシアの原因として、さまざまな仮説が唱えられてきました。たとえば、目で見る視覚に問題があるとする仮説、また耳で聞く聴覚に問題があるとする仮説などです。

ディスレクシアの人たちが、「p」と「q」のようなよく似た形を区別しにくいこと、またアルファベットや日本語のひらがなのように、文字と音の関係があいまいになる単語を読み間違えやすいことは、それらの仮説で説明できるように思えます。

しかし、書きたがる脳 言語と創造性の科学にはさらに、その両方を説明しうる第三の仮説が紹介されています。

第三は側頭葉の処理に関する理論で、視覚と聴覚の欠陥の両方を同じメカニズムの一部として捉えようとする。

この見方によると、読字障害者はあらゆる種類の速い連続的な処理に問題があるという。

そのために百分の一秒以下で言葉の要素を区別しなければならない言語能力だけでなく、ほかの感覚と運動作業の処理にも問題が生じる。

側頭葉処理理論の裏付けとして、多くの読字障害者は一般に速度やタイミングに問題があるという事実がある。両手を叩いてリズムを取るのも難しいようだ。

さらに音節を人工的に遅くして聞かせると、読字障害者は正確に聞き分けられるようになる。(p230)

この第三の仮説、側頭葉処理理論こそ、ここまで考えてきた、時間知覚の処理に関するものです。

タイミングに関わる脳の処理は、もっと正確にいえば、「あらゆる種類の速い連続的な処理」と関係していると言い換えられます。

タイミングをとることには、ミリ秒単位の短時間のうちに、連続的に動作を処理していく能力が必要ですが、ディスレクシアの人はどうやらそれがうまくいっていないようです。

同じような形の文字を判別しにくいのも、場面によって読み方が変わる文字を読みづらいのも、素早く連続的に要素を処理する、タイミングに関わる脳機能の問題なのかもしれません。

左耳利きとミクスト・ドミナンス(交差利き)

それでは、どうして、ディスレクシアの人はタイミングに関わる脳の機能がうまく働かないのでしょうか。先天的にそのように生まれついたのでしょうか。

どうやらそうではないようです。

連続的に素早く、タイミングよく処理する能力は、脳の左側が得意とする能力です。脳は大きく分けると右半球と左半球とに分かれますが、それぞれ得意とする機能が違っていることが明らかになってきました。

先ほどの書きたがる脳 言語と創造性の科学が続けて述べるとおり、多くの人の場合、言語的な能力は脳の左半球に特化しています。それは左半球が、タイミングの認知に優れているからではないかとされています。

最後に側頭葉処理理論は、ほとんどの人の言語機能がなぜ左脳優位であるかという謎の一部を明らかにしている。

左脳は速い連続的認知に特化していて、右脳よりもうまく処理できることがわかったからだ。

したがって言語が左脳優位になっただけでなく、その他の半球優位的な機能、たとえば音楽の理解では左脳は右脳よりもリズムの認知に優れ、右脳はメロディの認知に優れているといったこともこの理論から説明できそうだ。(p230-231)

多くの人たちは、タイミングの処理に優れる左半球の言語中枢で聴いたり話したりするため、複雑な言葉をミリ秒単位の時間で組み立て、流暢に発することができます。

しかしディスレクシアの人たちは、このタイミングの処理がうまくいっていないことからすると、読み書きやリズムの把握のときに、脳の左半球の機能をうまく使えていないようです。

なぜ左半球によるリズミカルな連続的認知がうまくいかないのか。そのヒントが脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線に書かれています。

先程のポール・マドールは若い頃に学習障害を抱えていましたが、医師アルフレッド・トマティスは、ポールを観察していたとき、通常の子どもとは違うおかしな点に気づきました。

それは、ポールが左耳利きである、ということでした。

わたしたちはみな、手が右利きであったり左利きだったりします。左利きの人は右利き用にデザインされた社会で生活するのに苦労しますが、あくまで個性の一部と見なされています。

しかし、耳については、必ずしもそうではないようです。耳にもまた利き耳がありますが、コミュニケーションをするときに右耳利きであるか、左耳利きであるかは、脳の発達に大きな違いをもたらすといいます。

これは、ポールが左耳で言葉を聴いていることを意味する。

その場合、音の信号は左半球の言語領域に到達するのに非効率な、遠回りの経路をとる。左耳から右半球を経て、さらに脳の中央部を横切って左半球に到達しなければならないのだ。

それによる最大で0.4秒の遅れは、他者の発話をリアルタイムで処理する能力を低下させ、さらに自分の思考を言葉にしようといるときにはつねに余分な時間を必要とするために、思考の流れを失う傾向がある。

そして口の左側で話し、左耳で聴くことを長く続けていると、発達中の脳に混乱をきたし、一見すると聴覚とは無関係に思われる学習障害を発症し、口ごもりや吃音に至るのである。(p450)

脳の右半球と左半球は、それぞれ逆側の身体を扱うよう神経がクロスしている、というのは、もしかすると聞いたことがあるかもしれません。

そのことからすると、右耳とつながっているのは左半球であり、左耳とつながっているのは右半球です。

そして、思い出してほしいのは、脳は一般的に、左半球がコミュニケーションに特化しているということです。それはおそらく、言語を扱うには、連続的認知に秀でた左半球の能力が必要とされるからでした。

そうしたわけで、わたしたちのほとんどは、コミュニケーションをするとき、無意識のうちに右耳を相手に向けるくせがあるようです。

左利きの人の中には、まれに右半球に言語中枢がある人がいて、その場合は反対になりますが、そうした一部の例外を除けば、コミュニケーションのうまい人はほとんどが右耳利きなのだそうです。

しかし、ポールは、多くの人と同様、言語中枢は左半球にあるにもかかわらず、会話のときに、左耳を相手に向けていました。これはつまり、言葉を処理するとき、タイミングの認知に優れた左半球ではなく、映像処理や空間認知が得意な右半球で処理していたということです。

すると当然ながら、すばやい連続的な認知が必要になる言語の扱いが流暢にいきません。その状態のまま左耳で会話を処理していると、リズムやタイミングが重要な他の活動にも支障が生じ、学習障害や運動の不器用さへとつながってしまうようです。

その影響のひとつが、ディスレクシアの人でよく知られる、交差利き、つまりクロス・ドミナンスだといいます。

しかしトマティスは、ポールが行動によって右手を使ったり、左手を使ったりしていることに気づく。

これはミクスト・ドミナンスと呼ばれ(クロス・ドミナンスとも)、左耳で聴く識字障害者に典型的に見られる。この観察によって、トマティスは脳の障害の可能性に思い至る。

ポールはミクスト・ドミナンスのために、右手と左手に対応する脳領域の差異化ができず、ギターを弾くときに片手で指板を抑え、もう一方の手で弦をつまびくなど、おのおのの手で異なる作業を同時に実行する能力を欠いていた。

また、それゆえ、全体的な動作がぎこちなくなり筆跡が乱れ、文字を読むときには目でうまく追えなかったのだ。(p450-451)

両利き、というと便利そうでうらやましく感じる人もいるかもしれませんが、ミクスト・ドミナンスはコミュニケーションに関わる情報を、不得意な左耳、そして右半球で処理している結果として、脳が混乱していることの現れだといいます。

以前の記事で取り上げたように、両利きは人口の1%ほどのみですが、ADHDと関連しているというデータもあるそうです。

左半球からは遠回りの経路になる左耳でコミュニケーションしてしまうことで、タイミングやリズムの処理が得意な左半球の言語中枢がうまく働いていない状態、それがディスレクシアの様々な時間知覚の苦労につながることがあるのです。

どうして、他の子どもが右耳でコミュニケーションをするのに、ディスレクシアの子どもは左耳でコミュニケーションするようになるのでしょうか。

何かしらの理由のせいで、本来用いる右耳よりも、左耳でコミュニケーションしたほうが楽に感じられるのかもしれません。ポールの場合は、生まれつきの筋緊張低下症によって、人の声に焦点を合わせる右耳の機能がうまく働かったせいではないかとされています。

一方で、ディスレクシアを持つ人が、視覚教材からすんなり学べたり、グラフィックデザインなどのセンスに優れていたりする場合があるのは、画像や空間の認知に優れている右半球の機能を他の人よりも積極的に活用しているせいなのかもしれません。

音と形の結びつけが苦手

このような、ディスレクシアの人たちの独特な利き耳からくる脳の働きの偏りは、脳の感覚統合にも影響を及ぼしているようです。

脳の中で、複数の感覚をひとつにまとめ上げて統合している場所として、「角回」と呼ばれる領域が知られています。

先ほど、ディスレクシアの人は、脳の側頭葉の情報処理がうまくいっていないのではないか、という側頭葉処理理論が紹介されていましたが、角回は側頭葉と頭頂葉の接合部にある領域です。

脳のなかの天使によると、わたしたちの視覚、触覚、聴覚などのさまざまな感覚は、この角回で合流し、混ぜ合されているようです。

角回は触覚、聴覚、視覚の情報が合流し、高位レベルの知覚の構築を可能としている重要なジャンクションであると考えられている。(p146)

ところが、書きたがる脳 言語と創造性の科学によると、ディスレクシアの人では、脳の左半球にあるこの角回がうまく働いていません。

読字障害が側頭葉処理の欠陥から生じるとしても、脳の活動部位の変化も起こっている。

ふつうの人が文字を読むときには、角回を中心として左脳のいくつかの領域が活性化する。読字障害者が文字を読むときには、角回はそれほど活性化しない。

脳損傷によって失書を伴う失読症になった成人患者も角回が損なわれている。(p231)

大半の人で、言語中枢は脳の左半球にあるということでしたが、左半球の角回は言語機能に重要な役割を果たしていて、言葉の音と形を結びつけることも担っています。

そのため、角回がうまく働いていないと、文字の形を見ても、それに対応する音をパッと思いつくのが難しくなるようです。それは特に、アルファベットやひらがなを読むときの難しさとして表れます。

脳の活動における音素文字と表意文字の違いを直接比較できるのが、この両方の書字システムをもつ日本語である。

…文字の視覚的イメージを音に転換する際に重要な役割を果たす角回が損なわれると、かな(音節)を読むことが難しくなるが、漢字のほうは難なく読める。

漢字の読みは視覚認知に関わる後下側頭回の活動に負っているらしい。(p232)

ディスレクシアは英語圏で多いと言われていますが、英語は、つづりと読みとが一致しない言語です。「a」はいつも「エー」と発音されるわけではなく、場面場面で、さまざまに発音を変えます。

また、アルファベットにしても、ひらがなにしても、似たような形のまぎらわしいものが多く、見間違いやすいという問題点があります。「b」と「d」、「め」と「ぬ」などは、ディスレクシアの人が見分けにくい文字です。

脳の角回は、こうした文字の視覚的な形と、発音の音とを結びつけて統合する役目を担っているようで、その機能が損なわれているとディスレクシアの症状が現れやすいのです。

(ここでは、角回を損傷した人は漢字は難なく読めるとされていますが、ディスレクシアを持つ人は漢字の学習にも困難を示しやすいのは言うまでもありません)

それだけでなく、脳のなかの天使によると、角回は、計算の能力にも関わっているそうです。

臨床神経科医によれば、とくに左の角回は、数量や数の順序や計算の操作に関与しているらしい。

この領域が脳卒中で損傷された患者は、数字は認知できるし、かなり明確に考えることもできるのに、簡単な計算すら困難になり、12から7を引くこともできなくなる。

私が診たなかには、3と5のどちらが大きいかを言えない患者たちもいた。(p146)

ディスレクシアを持つ人の中には、同じ学習障害(LD)の症状として、計算の難しさを抱える人もいますが、その能力にもまた、数字を順序だって配置する角回の能力が関係している可能性があります。

こうした記述からわかるように、角回とは、複数の情報をまとめあわせ、整理する機能を持つ場所です。

共感覚の障害としてのディスレクシア

興味深いのは、複数の異なった感覚を同時に意識する共感覚を持つ人たちは、この角回の機能が強い、ということです。

そして、さらに注目すべきことに、高位の共感覚者は角回付近の神経線維の数が多いということも、彼らによってあきらかにされた。(p147)

角回の機能が強いせいで共感覚を持っている人たちは、小説家や詩人などの芸術家に多いそうです。彼らは、ちょうどシェイクスピアの作品のように、豊かな比喩表現を思いつくのが得意です。

角回の機能が強いと、比喩表現に秀でた共感覚が生まれ、角回がうまく働いていないと、ディスレクシアの読み書き困難を抱えるというと、ちょっと不思議に思う人もいるかもしれません。

しかし、ここまで考えてきたことを振り返ってみると、ディスレクシアの人にとって難しいのは、アルファベットやひらがなにおいて、文字の形と音とを結びつけることでした。

視覚的な形と、聴覚的な音を結びつけるというのは、まさに共感覚ではないでしょうか。

形と音を結びつけるのが難しい人がディスレクシアであるのに対し、形と音を結びつけるのが得意で、豊かな連想が広がる人が、読み書きに優れた小説家や詩人であり、それを左右するのは、共感覚をまとめあげる角回の強さなのです。

同時に、角回が担っている作業は、この記事でずっと考えてきた、時間やタイミングの把握、という観点からも考えることができます。

天才が語る サヴァン、アスペルガー、共感覚の世界によると、自身も共感覚者であるダニエル・タメットは、数をすぐさま素数に因数分解できる自分の共感覚と、言葉を音節に分解して把握する能力とは同じものだと述べています。

数をたちまち素数に分解する力は、英語が母語の話者が「incomprehensibly」という合成語を「in」「comprehend」「ible」「ly」にたちまち分解できることと同じだ。(p171)

ここまで考えてきたように、脳の左半球は、リズムやタイミングの把握に秀でていますが、それは、言い換えると、ひとつながりのものを即座に細切れにして分解する力です。

そもそも、優れた比喩表現を思いつく作家がさまざまな感覚を混ぜ合わせることができるのも、入ってきた情報を即座に細切れにできるからです。

ある意味で、脳の左半球は料理人のようなもので、目にした形や聞こえた言葉という情報をテキパキとまたたく間に包丁で切り分けて、それぞれを角回という一つの鍋に入れることで、共感覚に変えているわけです。

時間というひとつながりのものをミリ秒単位のタイミングに分解する、ひらがなで書かれた単語を表音文字の集まりとして認識して発音する、一連の運動の動作を順序だって行う。

このいずれの場合も左半球が得意とするテンポのよい連続的な時間の認知が不可欠ですが、ディスレクシアの人たちは、すばやく切り分けて混ぜるのが苦手なのでしょう。

ただ、注意したい点として、ディスレクシアの人たちが、一概に共感覚が苦手なのかというとそうではないようです。

たとえば、ディスレクシアの人の中には、紙面を読むと、文字が勝手に動いて見える症状を持っている人がいます。その場合は、文字の形の情報と、動きの情報が、一種の共感覚のように混線しているとみなせます。

脳のなかの天使には、共感覚にも複数のタイプがあるとされていて、形と音などの統合が関係する高位の共感覚のほかに、もっと下の方の経路で情報が混線する低位の共感覚があるとされています。

目で見た形と、動きの情報が混ざり合う症状の場合は、この低位の共感覚とみなせるかもしれません。

本来混ざりあうべきところで情報が混ざらず、本来混ざるべきでないところで情報が混ざってしまうというのも、ディスレクシアの人が抱える全身のコントロールの難しさ、ディスレクシア化された世界の一因ではないでしょうか。

リズムを失った脳を治療する

このような、リズムやタイミングの処理が難しく、他の人とは違った経路で情報を処理してしまうディスレクシアの人たちの症状を和らげる方法はあるのでしょうか。

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によると、先程のポール・マドールは、左耳利きでコミュニケーションしていたせいで、両手利き(クロス・ドミナンス)になり、学習障害も抱えていましたが、医師アルフレッド・トマティスの治療によって改善し、心理士としての資格もとって、学習障害の子どもの治療に当たるようになりました。

トマティスがポールに施した治療法は、電子耳を使って左耳への音量を下げ、右耳で聴くように訓練したこと、また高周波と低周波を切り替えるサウンドセラピーによって、リスニングの力を向上させたことでした。

またこの同じ本では、アリゾナ州フェニックス「音のリスニングと学習センター」で治療を受けた学習障害の少女の話や、その父親である医師がトマティスに弟子入りして開発した「統合リスニングシステム」(iLs)の効果についても書かれています。

この統合リスニングシステムは、学習障害や、それに併発しやすいADHDの子どものタイミングの認知機能を改善するのに効果を上げているそうです。

最近の脳画像研究が示すところによると、ADHDを抱える人は、(思考、運動、バランス維持のタイミングを調整する)小脳の体積が低下している。

小脳の体積はADHDが悪化するとさらに減少するが、改善すると増大する。待つということを知らず、問いが終わる前に答えようとするADDの子どもは、行動のタイミングをうまく計れない。

トマティスのリスニングセラピーとiLsは、小脳と、それに結びついた前庭系に大きな影響を与える。(p510)

ここまで考えてきたように、ディスレクシアやADHDは、脳の時間知覚の障害としての一面があり、ある意味で脳の「リズム障害」とも呼べるものですが、リズムを刺激する音楽を用いた訓練は、脳のリズムを整える助けになるようです。

脳障害の多くは、脳がリズムを失い、「リズム障害」的な様態で発火するためにお見るので、音楽療法はこれらの症状にとりわけ効果が期待できる。

音楽療法のリズムは、脳の「ビート」を取り戻す非侵襲的な手段になり得るのだ。(p523)

リズムを訓練する音を用いたサウンドセラピーだけでなく、自分の身体の反応を見ながら、それをコントロールできるようにトレーニングしていくニューロフィードバックのような手法も、脳のリズムを整える助けになるとされています。

脳内には、指揮者のようにこれらのリズムのタイミングを生み出すいくつかの「ペースメーカー」が存在する。

しかし、神経可塑的な訓練を行なえば、脳のリズムのコントロールがある程度可能になる。

ニューロフィードバックは、脳のリズムが乱れた人を、それをコントロールできるよう訓練する。それは、注意力や睡眠に障害を持つ人や、ノイズに満ちた脳を抱える人には非常に効果的である。(p524)

近年では、ゲーム感覚で、ADHDの脳機能を改善するニューロフィードバックも開発されています。

この本に載せられているのは、海外の取り組みなので、日本でこれらの取り組みがどの程度知られ、実施されているのかはわかりません。

発達障害の治療として、サウンドセラピーや音楽療法も検索するとちらほら出てきますが、どの程度、本書に書かれているような本格的なものであるかはわかりませんでした。

アルフレッド・トマティスにより考案されたトマティス療法を行なっているセラピストもいるようですが、詳しいことはわからないので、このブログで特定の治療法をお勧めすることはできません。

また、この記事では、聴覚機能と、脳のタイミングや時間認知が関係するタイプのディスレクシアについて調べてきましたが、ディスレクシアや学習障害(LD)を単一の原因によるものとするのは早計でしょう。

たとえば、前の記事で紹介した、光の感受性障害アーレンシンドロームによるディスレクシアもあります。

光の感受性障害「アーレンシンドローム」とはーまぶしさ過敏,眼精疲労,読み書き困難の隠れた原因 | いつも空が見えるから

 

ディスレクシアの症状はあくまで人それぞれですが、大切なのは、読み書き困難以外の症状にも注目してみることです。

ただ勉強の難しさだけに注目していれば、みな同じディスレクシア、同じ学習障害という言葉で一括りにされてしまうかもしれませんが、それ以外の症状に注目すると、意外な原因が見えてくるかもしれません。

もし日常生活のなかで、時間知覚やタイミングの症状という困りごとがある場合は、聴覚機能の問題やサウンドセラピーといった治療法について調べてみるなら、症状を改善する手がかりが得られるかもしれません。

HSPの人が持つ「差次感受性」―違いに目ざとく脳の可塑性を引き出す力

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ある回で、こんな相談が来た。

「私の車のヘッドライトが2つとも同時に壊れたんだ。ディーラーの店に持っていったんだが、電球を2つ交換すればいいだけだって、整備士は言うんだよ。

そんな馬鹿なことがあるか? 電球が2つとも同時に壊れるなんて、偶然にしちゃできすぎだろ?」

それを聞いてトムは即答した。「ああ、そりゃ有名なウェーバー=フェヒナーの法則だ!」。

2つの電球は同時に切れたわけではない―これが答えだ。片方の電球が切れても、それに気づかないまま運転を続けることはよくある。

…電球が2つから1つになっても、差異に気づくとは限らない。しかし、1つからゼロになれば、絶対に気づく。(p60)

ょっとした違いに気づく。

これは多くの人にとってなかなか難しいことです。冒頭に紹介した行動経済学の逆襲のエピソードに出てくる車のヘッドライトの故障にしても、有名な茹でガエルの法則にしても、ちょっとずつ変化していくものは手遅れになるまで気づかないことがよくあります。

変化が小さいとなかなか気づけない現象は、心理学ではウェーバー=フェヒナーの法則として知られています。

しかし、そんな小さな変化を敏感に感じ取り、すぐさま反応したり、違いを深く考えたりできる目ざとい人たちがいます。

そうした人一倍敏感な人たちが持つ力は、ジェイ・ベルスキーとマイケル・ブルースによって「差次感受性」(differential susceptibility)と名づけられました。その名の通り、小さな差に対する感受性の強さを意味しています。

敏感な人たちは、しばしばストレスを抱えやすい、打たれ弱いといったマイナス面ばかりが注目されますが、本当にデメリットばかりなのでしょうか。

この記事では、おもにひといちばい敏感な子と、脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線という本から、敏感な人たちが持つ優れた能力について考えたいと思います。

これはどんな本?

ひといちばい敏感な子は、以前にも紹介したことのある、HSP(Highly Sensitive Person)、つまり人一倍敏感な人という概念を提唱したエレイン・アーロン先生による本です。

もう一冊の脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線は、最近の記事で何度か取り上げている精神科医ノーマン・ドイジによる、脳の可塑性(かそせい)、つまり粘土のように柔らかな適応力を引き出す方法を取り上げた本です。

この二つの本を読むと、HSPの人たちが持つ敏感さは、脳の柔軟さを引き出すカギであることがわかります。

「炭鉱のカナリア」 危険を知らせるアラーム

わずかな違いに目ざとくあり、変化をすばやく察知する。これはなかなか簡単なことではありません。変化の割合がごく小さい場合は特にそういえます。

たとえば、温室効果ガスによる気候変動は、地球全体という大きな規模から見れば、ほんの小さな変化の積み重ねなので、多くの人は変化を実感しにくく、危機感を欠いています。

これは、冒頭で紹介したウェーバー=フェヒナーの法則そのものです。行動経済学の逆襲には、その法則の意味するところがこう説明されていました。

ウェーバー=フェヒナーの法則とは、丁度可知差異(just-noticeable difference=あることが「変化した」と感じられる最小の差異)は、その変数の大きさに比例する、というものである。

私が1オンス(約28グラム)太ったとしても気がつかないが、フレッシュハーブを買っているときには、2オンスと3オンスの違いがはっきりわかる。(p59)

徐々に暗くなっていってある日突然切れてしまう電球にしても、徐々に温度が上がって、気づいたら逃げ出す間もなく茹で上がってしまうカエルにしても、徐々に起こる小さな変化は気づきにくいものです。

「変化した」と感じられる最小の差異(丁度可知差異)以下の変化がどれだけ起こっても、多くの人は手遅れになるまで気づきません。

そのことを知っていた昔の人たちは、自分たちが気づけない小さな異変による危険を察知できるよう、知恵を活用しました。その工夫の一つが、いわゆる「炭鉱のカナリア」です。

「敏感すぎる自分」を好きになれる本だは、炭鉱のカナリアについてこう説明されています。

ひと昔前、炭鉱においてカナリアは、有毒ガスの早期発見のための警報として使われていました。

炭鉱の中では有毒ガスが発生しやすく、ガスが充満すると爆発が起きます。

カナリアはその有毒ガスがわずかでも発生したら、はげしく反応する敏感な生き物なのです。

そこで、坑夫たちはカナリアを入れた鳥かごをぶら下げて坑内へ入っていき、そしてカナリアに異変があればすぐに外へ脱出していました。(p42)

この説明からわかるとおり、カナリアは、有毒ガスに対する、「変化した」と感じられる最小の差異(丁度可知差異)が、人間よりもはるかに小さな生き物です。ちょっとした変化に気づいて危険を察知できます。

今日においては、火災探知機や、ガス漏れ警報器が、同じような役割を果たしています。わずかな変化に鈍感な人間は、敏感なアラームを作り出すことによって、危険にあらかじめ備えてきました。

しかしながら、炭鉱のカナリアや探知機がない時代、人類はどうやって、危険をあらかじめ察知し、生き延びてきたのでしょうか。

わずかな変化に気づける「差次感受性」

興味深いことに、わたしたち人間の感覚の感受性の強さは一律ではありません。たいていの人は変化に鈍感ですが、中には、違いに目ざとく、丁度可知差異がきめ細やかな人たちがいます。

ちょっとした変化に敏感で、寒暖の差で体調を崩しやすかったり、化学物質や添加物に反応しやすかったり、ささいな言葉に傷つきやすかったりする、ストレスに敏感で不安定な人たちです。

これまで、そうした敏感な人たちは、打たれ弱くもろい性質を持っているとみなされてきました。過敏さは様々な精神疾患のリスク因子であるとしばしば言われています。

しかし、それはどうにも不思議な話です。もし敏感さが、弱さや欠陥であるのなら、いつの時代も、どこの文化にも敏感な人たちがいるのはどうしてでしょうか。

敏感さが人類にとって不都合なものなら、とっくの昔に遺伝的に淘汰されて、いまごろはごくまれな遺伝子の突然変異によってのみ生じるような病気になっていたはずでしょう。

しかし現実にはそうではなく、敏感な人たちは、どの文化でも一定の割合、約5人に1人もの割合で存在しているとされています。

そうなったのは、敏感な人たちが人類社会においていつの時代も必要とされ、ときには社会的な成功も収めて、敏感さをもたらす遺伝子が脈々と受け継がれてきたからにほかなりません。

近年、こうした敏感な人たちは、エレイン・アーロン先生によってHSP(Highly Sensitive Person)と名づけられ、 敏感さのマイナス面ではなく、プラス面、つまり敏感であることのメリットが研究されるようになってきました。

生まれつき敏感な子ども「HSP」とは? 繊細で疲れやすく創造性豊かな人たち | いつも空が見えるから

 

そのメリットのひとつが「差次感受性」、つまり、丁度可知差異がきめ細やかで、わずかな変化にも目ざとく反応できることだといいます。

ひといちばい敏感な子では、エレイン・アーロン先生が、「差次感受性」についてこう説明しています。

しかしながら、本書を書いて以降、ジェイ・ベルスキーとマイケル・ブルースによって、敏感さのマイナス面ばかりに注目するのは間違いだと指摘され、「差次感受性(differential susceptibility)」というテーマが、子どもの成長に関する研究で注目を集めるようになりました。

HSCは周囲から、反応が強いとか、身体面でのストレスを受けやすい、内気、引込み思案、あるいは、抑うつや不安症に関係する遺伝子を持っていると評価されることが多いのですが、これらのいずれの面も、例えば良質の子育てを受けるなど、よい環境に置かれた場合には、他の子よりもプラスに作用します。(p434)

人一倍敏感なHSPの人たちは、単にストレスを受けやすかったり、精神的にもろかったりするわけではなく、良い影響にも、悪い影響にも、目ざとく反応する「差次感受性」を有していたのです。

そして、悪い環境に目ざとく反応してストレスを受けやすい、ということは、裏を返せば、鈍感な人たちよりも、潜在的な危険に気づきやすいということでもあります。

お気づきのとおり、この性質は、鉱夫たちが用意した「炭鉱のカナリア」とよく似ています。先ほどの「敏感すぎる自分」を好きになれる本は続けてこう説明しています。

HSPは炭鉱におけるカナリアのように、地球上で起きている異変や異常をいち早く感じ取り、そして体に変化をきたします。

…人口全体に対して20%ほどいるHSPのおかげで、これまでに人類は危険や異常をいち早く察知することができ、現在まで種を保存できたのかもしれません。(p42)

人類は、危険を察知するためにさまざまな警報装置を考案してきましたが、そうするまでもなく、もともとアラームが存在していたのです。

それこそ、人口の約20%を占めるHSPであり、彼らは高台に立つ見張り番のように、迫り来る危険を真っ先に感じ取り、警告を伝える役割を果たしていたのでした。

今日、HSPの人たちは、さまざまなストレスを抱えて体調を崩しがちです。理解に欠ける周りの人や、鈍感な医師は、それを単なるストレス耐性の弱さや、気の持ちようだとみなすかもしれません。

しかし実際には、HSPの人たちが体調を崩すとき、それは人類社会のひずみや潜在的リスクをいち早く察知して、反応しているということにほかなりません。

それはたとえば、睡眠を軽視して働き続ける24時間社会のひずみ、愛着が薄れて自然な家族の結びつきが消えつつある影響、抗生物質や化学物質を乱用して微生物の多様性が失われつつあるリスクなどかもしれません。

いずれにしても、敏感な人が体調を崩すとき、それは単なる気の持ちようではなく、「有毒ガスがわずかでも発生したら、はげしく反応する」カナリアと同じことが起こっていて、人類の8割を占める鈍感な人が気づいていない社会全体に漂う違和感を感じ取っているのでしょう。

脳の「神経可塑性」を引き出すカギ

では、HSPの人たちの持つメリットは、単に危険を早めに察知できることだけなのでしょうか。

もしそうなら、周りの社会全体には、警報探知機としての利点があるかもしれませんが、本人にとっては、人よりも体調を崩しやすいというデメリットしかないように思えます。

実のところ、「差次感受性」を持つHSPの人たちに備わる主なメリットは、炭鉱のカナリアのように危険をいち早く察知できることではありません。

少し前のところで、エレイン・アーロン先生が「差次感受性」について説明していたとき、どんな特徴があると述べていたか覚えているでしょうか。もう一度ひといちばい敏感な子から引用してみましょう。

HSCは周囲から、反応が強いとか、身体面でのストレスを受けやすい、内気、引込み思案、あるいは、抑うつや不安症に関係する遺伝子を持っていると評価されることが多いのですが、これらのいずれの面も、例えば良質の子育てを受けるなど、よい環境に置かれた場合には、他の子よりもプラスに作用します。(p434)

HSPが炭鉱のカナリアのように危険をいち早く察知するというのは、この説明の前半部分と関係している点です。「反応が強い」とか「身体面でのストレスを受けやすい」ということが、個人としてはデメリットに思えても、人類社会全体から見た場合にはメリットになることがある、という意味にすぎません。

それに対し、「差次感受性」の主なメリットは、後半の説明に関係しています。それは、「よい環境に置かれた場合には、他の子よりもプラスに作用 」するということです。

ひといちばい敏感な子によると「差次感受性」という概念を提唱したマイケル・ブルースは、その特徴について、こう説明しているといいます。

マイケル・ブルースは敏感な子どもに見られる、この「ポジティブな側面」に注目し、これを「敏感力(Vantage Sensitivity)」と名づけました。

…ブルースは「敏感力」を「回復力」と対比させ、回復力のある人は悪い出来事の影響を受けにくいが、おそらくよいことの影響も受けにくい可能性があると述べています。(p434-435)

「差次感受性」または「敏感力」を持つ人は、ストレスの悪い影響を受けやすい反面、良いことの影響もまた受けやすいのです。ストレスに打たれ強い普通の人は、逆にいえば、良い出来事から来る影響にも鈍感だといえます。

このような、悪い出来事の影響を受けやすく、良い出来事の影響もまた受けやすい、というのは、言い方を変えれば、よくも悪くも脳が変化しやすい、ということです。

水を含んだ粘土のように脳が柔軟なので、悪い環境によっても良い環境によっても、それ相応の形へと造り変えられてしまうということです。

このような、脳の柔軟さは、神経可塑性(しんけいかそせい)と呼ばれています。可塑とは、柔軟で変わりやすい柔らかさを意味する言葉です。

普通、わたしたちの脳は、幼少期に最も可塑性に富んでいます。三つ子の魂百までとはよく言われますが、 幼い時期には、良い経験も悪い経験も人一倍取り込んでしまうものです。しかし、大人になるにつれ、脳は変化しにくくなります。

しかし、「差次感受性」を持つ敏感な人たちは、この脳の柔軟さがひときわ強く、子ども時代だけでなく、成長してからも脳が可塑性に富んでいるため、良い出来事からも悪い出来事からも人一倍影響を受けやすく、強く反応してしまうというわけです。

以前の記事で詳しく説明したとおり、HSPの敏感さをもたらすセロトニンやドーパミン関係の遺伝子は、神経学者エレーヌ・フォックスによって「可塑的な遺伝子」とも呼ばれています。

敏感であるとはすなわち、粘土のように柔軟な脳をこねようとする、さまざまな感覚刺激という「指」に対する感受性が強く、他の人よりも脳の可塑性を引き出しやすい、ということなのです。

自分で脳を組み替える

しかしながら、HSPの人たちは、単に、良い環境にも悪い環境にも人一倍影響されやすい受動的な人たちなのでしょうか。

それではまるで、大海原を漂う船のようです。良い風が吹いていれば、順風満帆に航海できますが、ひとたび嵐がくると翻弄されて荒波にもまれます。天候が良いか悪いかは、自分で決めることはできず、ほとんど運任せで、常に波間に揺られて不安定です。

もしも敏感な人たちが、波間に漂うかのような浮き沈みの激しい人生を送るだけなのであれば、それではとても「敏感力」がメリットであるとは言えません。どちらに変化するか、自分では選べず、環境に依存しているからです。

大海原を漂う船に本当に必要なのは、良い天候に恵まれても、悪い環境に見舞われても、うまく船を乗りこなす技術です。環境にただもまれるだけでなく、環境に適応し、対応していく力がなければ、本当の意味で「敏感力」にメリットがあるとはいえません。

実を言えば、「差次感受性」を持つ人たちは、こうした適応力や対応力を育む才能を秘めています。単に、環境によって脳が可塑的に変化しやすいだけでなく、自分の意志で、脳を自ら変化させることもできるのが、優れたHSPの人の特徴なのです。

自分で自分の脳を変化させる、などというと、大言壮語に聞こえてしまいますが、それは「差次感受性」と深いつながりがあります。

脳の可塑性を引き出す最新の治療法の数々を研究したノーマン・ドイジは、脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線の中で、次のように述べています。

感覚刺激が音量を目一杯あげた音楽のように非常に強い場合、相応に変化の度合いが大きくなければ私たちはそのレベルが変わったことに気づかない。

しかし刺激がもともと小さければ、わずかな変化にも気づく。(生理学では、この現象はヴェーバー・ツェヒナーの法則と呼ばれる)

フェンデルクライスはATMのクラスで、ごく小さな動作によって感覚に刺激を与えるよう、生徒に教えていた。小さな刺激は感受性を劇的に向上させ、それはやがて身体の動きの変化へとつながる。(p269)

ここでは、先ほど触れたウェーバー=フェヒナーの法則が引き合いに出されていますが、ノーマン・ドイジが説明するように、小さな刺激に目ざとければ、感受性が劇的に向上します。

小さな刺激に目ざとい、というのは「差次感受性」を持つHSPの人たちの特徴でした。以前の記事で説明したとおり、HSPの人の過敏さとは、圧倒されるような大きな刺激に飲み込まれるわけではなく、ささいな刺激を増幅して感じてしまうということです。

生まれつき小さな刺激に敏感なせいで、わずかな変化にも気づく「差次感受性」が劇的に向上したのが、HSPと呼ばれる人たちなのです。

そして、今 引用した説明によると、そのもう一歩先があります。「小さな刺激は感受性を劇的に向上させ、それはやがて身体の動きの変化へとつながる」と書かれていなかったでしょうか。

感受性の強さは、自分の身体の動きを変化させることに役立ちます。どういうことなのか理解するために、引用文中で少し名前が出てきた、フェンデルクライスという人の説明に耳を傾けてみましょう。

フェンデルクライスは自著『フェンデルクライス身体訓練法―からだからこころをひらく』で、次のように述べている。

「鉄の棒を持っているときには、ハエがそこに止まったのか、そこから飛び立ったのかの違いを感じることはできない。しかし持っているのが羽なら、その違いを感じられるはずだ。

それと同じことは、聴覚、視覚、嗅覚、温度に対する感覚など、あらゆる感覚に当てはまる」(p269)

フェンデルクライスが述べるとおり、小さな刺激に気づく能力は、柔軟さによって成り立っています。「差次感受性に秀でた人は、鉄の棒ではなく羽のように柔らかな脳を持っています。

このモーシェ・フェンデルクライスという人は、一風変わった多彩な人で、ナチスの迫害を逃れた原子物理学者であり、黒帯柔道家であり、そして脳の可塑性を引き出す治療の専門家でした。

彼は科学者として、もともと学問の分野で目ざとい人でしたが、膝の怪我をきっかけに、自分の身体の機能も細かに分析するようになり、身体機能を改善するには、わずかな違いを感じ取る感受性が必要だと気づきました。

フェンデルクライスは、筋緊張に対する運動感覚性の気づきを用い、歩行を細かな動作に分割することによって、何週間ものあいだ、膝の問題にわずらわされずに歩くことができた。

「その動作がいかなるものかより、自分がそれをどのように実行しているのかを観察することに没頭していた」と書く彼は、動作に対する気づきを常に保ち、自分自身にフィードバックを与えて、そのとき実行している機能や脳の機能を変えることについて論じている。(p261)

フェンデルクライスは、自分の身体を客観的に観察し、ひとつの動作を細かなステップに分割して、いったい何が問題なのかを分析しました。そして、障害そのものは治せなくても、うまくいかない部分を特定すれば、そこを補って修正できることに気づきました。

これは、たとえるなら、時計の修理に似ています。何かが壊れた、というだけでは、対策しようがありませんが、どの部品が故障しているのか細かに分析できる人は、壊れた部分を差し替えて修理できます。

「差次感受性」を持つ人たちは、まわりの出来事の小さな違いに敏感なだけでなく、自分の身体や感情といった内面の感覚にも鋭く、細かに分析して問題点に気づくことができます。

そうすると、問題点を特定して組み替えて、故障した機能を補う方法を考案することができます。つまり、脳の機能や運動の機能が壊れたときにも、自分で解決策を見つけ出し、組み替えることができます。

これこそが、脳の可塑性を引き出す力です。

自分の脳を分析する「神経差異化」

感受性の強い人が、自分の心身の問題点を見つけ出し、脳の可塑性を引き出すとき、脳の中でどんなことが生じているのでしょうか。

わたしたちの行動は、身体的なものであれ、精神的なものであれ、脳のニューロンの発火によって生じています。

脳のニューロンには、際立った2つの特徴があります。

まず第一に、同時に発火したニューロンは結びつきを強めること。第二に、別々に発火したニューロンは結びつきを弱めることです。(p33-34)

一つ目の特徴について、ノーマン・ドイジは、こう説明しています。

    『脳は奇跡を起こす』で述べたように、マーゼニックは、脳内の差異化がいかに失われるかを解明し、二つの行為をあまりにも頻繁に同時に実行すると、「脳の罠」が生じると主張した。本来は差異化、すなわち区別されるべき二つの脳マップが融合してしまうのだ。

    彼は、サルの二本の指を縫合して同時に動かさなければならないようにすると、これら二本の指に対応する脳マップが融合することを示した。(p279)

説明の中では、二つの行為をあまりにも頻繁に同時に実行すると、区別されるべき二つの脳マップが融合してしまう、と書かれていました。

これはわたしたちの生活の中で、良くも悪くも頻繁に起こる現象です。

良い面を見れば、わたしたちがさまざまな習慣を身につけられるのはこの機能のおかげです。さまざまなことを同時にこなしているうちに、それがひとまとまりの脳の機能として融合し、ルーチンワークになります。

しかし、これには悪い面もあります。ギャンブルや過食などの悪い習慣が克服しにくいのは、それが日常的な活動と結びついてしまっているからです。

さきほどの引用文で紹介されていた、サルの指を同時に動かし続けると、脳マップが融合して、指を別々に動かせなくなるのも悪い結果の一つです。

これは人間においても、音楽家のフォーカルジストニアという症状に現れることがあります。フォーカルジストニアになると、無関係の指が別の動作につられて動いてしまい、正確な演奏ができなくなります。(p271)

【視聴メモ】リハビリケア新時代 脳からの挑戦2 ニューロリハビリ | いつも空が見えるから

 

家を出るときにあらゆるものを確認せずにはいられない、といった強迫行為に陥ってしまうのもまた同様です。無関係な一連の行動をあまりにも頻繁に同時に繰り返すうちに、脳の中でそれらが結びついてしまうのです。

ノーマン・ドイジが述べるとおり、強迫的な行動は、脳の可塑性とは正反対のもの、柔軟性に欠けた機械的な行動です。

強迫的に行動したり、生活したりしようとすることは、多様なあり方でそうすることとは正反対である。

多様な行動とは異なり、強迫的な行動は、つねに同じやり方でなされ、皮肉にも多大な心的努力を要するため、気づかぬうちに機械的に実行される。(p305)

たいていの人は、強迫的な行動など、自分には関係ないと思っていますが、決してそうではありません。

強迫的な行動とは、「気づかぬうちに機械的に実行される」と書かれていますが、日常生活のさまざまな面を無意識の自動運転で、機械的に実行している人は少なくないでしょう。

多くの人は、考えるのをやめて、ただ習慣にまかせて行動しがちです。それにはエネルギーを節約するというよい面もありますが、さまざまな行動を深く考えず、ひとまとまりに実行してしまっているため、融通性がありません。

強迫性障害だけでなく、多種多様な精神疾患を抱えている人は、強迫的な行動によって、気づかぬうちに負のループにはまってしまっていることがあります。

染み付いた生活習慣や考え方の癖、根強い思い込みなどが症状を悪化させているにもかかわらず、それらすべてを自動的に、ひとまとまりの行為として無意識にこなしているので、どこに問題点があるか気づけません。

なぜあの人は無意味な習慣をやめないのか―安心する儀式としての強迫行為 | いつも空が見えるから

 

それに対し、「差次感受性」を持つ人は、先ほどのモーシェ・フェンデルクライスのように、自分の行為を観察し、分析し、細かい要素要素にわけて考えることができます。

これは、脳の可塑性を引き出すのに必要な「神経差異化」と呼ばれるステップです。

差異化とは「さまざまな運動のあいだで、できる限り小さな感覚的区別を行うこと」と説明されています。(p268)

無意識のうちに、ひとまとまりに行ってしまっている行動や思考を、意識的に分析し、できる限り小さな感覚的要素に区別していくことで、問題点を見つけ出し、修正することができます。

先ほど見た脳の神経の特徴のうち、2つ目は、別々に発火したニューロンは結びつきを弱める、ということでした。

融合してひとつの習慣になってしまっていた行動や思考を、「神経差異化」によって区別できれば、それぞれを切り離すことが可能になります。

ちょうど壊れた時計を分解する職人のように、問題となっている部分を区別して切り離し、思考や行動を改善していく。これによって、脳は組み替えられ、可塑的に変化していくのです。

自分で脳の可塑性を引き出した人

「差次感受性」に秀でた人たちは、細かな違いに敏感なので、自分の行為を意識的に分析して、問題点に気づき、克服していくのが上手です。

この脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線の中には、そうした能力をフル活用して、症状を押さえ込んでいる若年性パーキンソン病の男性の経験が載せられています。

南アフリカのジョン・ペッパーは、もともと強迫的な仕事中毒で、どんなに疲れていても気づかないタイプの人間でした。無意識の自動運転の生き方によって知らず知らずのうちに多くのストレスを溜め込んでいたようです。(p86)

彼は30代半ばになったころ、マイケル・Jフォックスと同様に若年性パーキンソン病を発症し、さまざまな症状に苦しめられるようになりました。

しかしジョン・ペッパーはそこからが違いました。もともと「差次感受性」に秀でていたのでしょう。これまでは仕事に用いていた集中力を、自分の身体の分析へと向けます。

パーキンソン病の症状が、自分の動作のどの部分に現れているのかを細かく分析し、ひとつひとつ入念に対策を練り、段階的な運動の訓練に取り組み続けました。

彼は一歩一歩に注意を集中していれば、普通に歩けるようになった。今日でも「一度に一歩ずつ」などと単に自分に言い聞かせるのではなく、もっとはるかに細かい動作の観察をしている。

後方になった左足の上げ方、膝の曲げ方、つま先の使い方にいちいち気をつけながら、足が十分に体重を支え、右足が地面から離れてまっすぐに伸び、右足のかかとを地面につけ、そのあいだに反対側の腕が振られるよう、そして体全体が前かがみにならないよう注意しているのだ。(p101)

こうして彼は、長い期間努力した結果、パーキンソン病の症状のほとんどを押さえ込むことができるようになります。といっても、それはパーキンソン病が治ったというわけではありません。

そうではなく、脳の可塑性を引き出して、失われた能力を補う方法を見つけたのです。

ペッパーは大脳基底核が正常に機能していないために、子どもが初めて歩行を学ぶときのように、前頭前野や皮質下の神経回路を活性化することで、おのおのの動作に密接な意識的注意を払うすべを学ばねばならなかった。

いわば、彼の動作の指令は、大脳基底核を迂回しているかのようだ。(p106)

ペッパーが行ったのは、「差次感受性」を働かせて、自分の行動を詳しく分析し、「神経差異化」を生じさせることでした。

それまでは無意識のうちに自動運転で行っていた歩行などの動作を、細かいステップに分割し、どの機能がうまくいっていないかを突き止め、壊れた脳機能(この場合は大脳基底核)を、べつの脳機能で補うよう訓練していったのです。

それによって、失われた脳機能を補う別の脳のネットワークが作られていきました。ちょうど目の見えない人の視覚野が柔軟に反応して触覚に割り当てられるように、ペッパーの脳が可塑的に変化し、適応したのです。

ペッパーは、自分の脳に「手を貸す」のに他人を必要としない。

なぜなら彼は、損傷を負った黒質や大脳基底核の機能を脳の健康な部位に引き継がせて、動作の流れを維持し、動作の流れを開始する方法を発見したからだ。

しかもただ動作を開始するだけでなく、動作の流れを維持し、十分な歩行によってつねに成長因子に刺激を与えることで、脳の神経回路を改善する方法を発見したのである。(p108)

ジョン・ペッパーは、自分の行動を意識的に分析し、細かな違いを見分けることで、『自分の脳に「手を貸す」のに他人を必要としない』で、自ら脳の可塑性を引き出しました。

ですから、「差次感受性」を持つ敏感な人たちは、ただ良い環境にも悪い環境にも受動的に反応する、というだけではありません。

「差次感受性」を内側に向けて、自分自身の心身を分析することに用いるなら、荒波のもとでも船をコントロールするかのように、まわりの環境によらず自分で脳の可塑性を引き出すことができるのです。

脳の可塑性を引き出すことは誰にでも可能?

それにしても、ジョン・ペッパーが行ったようなことが、他の人にもできるのでしょうか。だれでも意識的に自分を分析することで脳の可塑性を引き出せるのでしょうか。

残念ながら、多くの人はペッパーと同じようにはできないでしょう。

ペッパーはおそらく、この記事で考えてきたHSPや差次感受性といった、人一倍敏感な感受性の持ち主だったのだと思います。

「差次感受性」を持っている人、細かい違いに気づけるほど敏感な人でなければ、自分の心身をそれほどまでに細やかに観察して、対処していくことはできません。

生まれつき敏感なHSPの人は、多く見ても5人に1人であり、そのうち感受性をうまく活用して自分の内面を分析できる人はさらに少数ではないかと思います。

ジョン・ペッパーは、あまりにうまく対処しているせいで、じつはパーキンソン病ではないのではないか、と患者会から非難されたようですが、どんな病気の患者であれ、まれに本当にその病気なのか疑問に思われるほど適応している人がいます。(p117)

たとえば、ALSのスティーブン・ホーキング博士や、医師に10年後は動けないと言われたのに25年経っても俳優として活動しているマイケルJ・フォックスなどがそうでしょう。

そうした一部の例外的な患者は、「差次感受性」に秀でていて、大半の人が自動的にこなしてしまうことを意識的に分析し、自ら脳の可塑性を引き出して、失われた能力を補っているのだと思います。

このような対処はほとんどの人には困難なので、彼らは例外的とみなされます。たいていの人は、『自分の脳に「手を貸す」のに他人を必要としない』ような敏感力を持ち合わせていないからです。

感受性豊かな人の手助けを活用する

しかし、たとえ、自分で自分の脳の可塑性を引き出せる特異な力は持っていないとしても、だれかに手を貸してもらえれば、脳の可塑性を引き出せる人は大勢います。

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によると、73歳の女性ウィルナ・ジェフリーは、14年パーキンソン病を患っていましたが、ジョン・ペッパーを通して、意識的動作のテクニックを教わることで、車の運転や、ゴルフやテニスもできるようになりました。(p111-113)

しばらく前に登場した物理学者また黒帯柔道家のモーシェ・フェンデルクライスも、「差次感受性」に秀でた人だったと思われます。

彼の家族の特徴は「生涯にわたる学習」で、84歳の母親が柔道技を学んで彼を投げ飛ばしたといったエピソードもあるので、おそらくは代々強い感受性を持つ家系だったのでしょう。(p304)

フェンデルクライスは、自分の考案したテクニックを用いて、脳性麻痺の子どもや脳卒中の後遺症を抱える人などの動作の神経差異化を助け、固縮した筋肉を動かせるようにしたそうです。

こうした例は、自分で脳の可塑性を引き出すのが難しい人でも、鋭い「差次感受性」を発揮する治療者の手を借りれば、脳を変化させていけることを物語っています。

身近なところで言えば、優れた心理療法士が、精神疾患を持つ人たちをカウンセリングして「気づき」をもたらすのもこれと同じです。

感受性豊かな心理士は、患者が無意識のうちに自動化してしまって自分では気づけない問題を解きほぐし、自らの問題点を意識して、神経差異化ができるように助けます。

こうした感受性豊かな療法家の存在は、人類社会で、HSPの人がいつの時代もどの文化でも必要とされてきた理由の別の面を示しています。

人一倍敏感なHSPの人たちは、「炭鉱のカナリア」として社会全体の危険に目ざとく気づきますが、それだけでなく個々の人が抱える問題点にも目ざといので、泥沼にはまってしまった人々を立ち直らせる手助けができるのです。

神経差異化を訓練するバーチャル技術

近年では、こうした感受性豊かな治療者に恵まれない場合でも、自分で自分の可塑性を引き出す訓練ができる方法も開発されつつあります。

たとえば、脳神経学者V・S・ラマチャンドランが考案した有名な幻肢痛の治療法は、失った手足の痛みに苦しめられる人に、鏡によって架空の手足を見せて、正常な感覚を取り戻す訓練を施しました。

この方法では、鏡に映った架空の手足が、実際の手足のように思えて、脳にフィードバックが行くことで、痛みの感覚と融合してしまった手足の感覚を切り離す助けになります。

鏡の代わりに、デジタル機器を利用して、もっと様々な病気に応用できるようにしたのが、ニューロフィードバックです。自分の脳の神経の活動をモニタで観察しながら、リラックスしたり、自制したりする方法を学びます。

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線の中で、ノーマン・ドイジは、ニューロフィードバックとは、ジョン・ペッパーやフェンデルクライスが手助けしたように、自分の行動を分析し、「気づき」をもたらすことで効果を上げていると指摘しています。

ニューロフィードバックは電気装置を用いるが、フェンデルクライス・メソッドと同じ原理によって作用するのだと私は考えている。どちらの方法も、神経の変化と神経差異化をもたらし得る、気づきを高めるからだ。

(フェンデルクライスは、自分の行なっている動作の感覚に対する気づきを洗練するよう生徒を訓練するとき、感覚によって提供されるフィードバックをもっと利用するよう鍛錬していたのである。)(p543)

ニューロフィードバックはたとえばADHDの子どもに効果があるとされていますが、ADHDの子どもが感受性の強さをコントロールして、うまく活用していけるよう助ける効果があるのでしょう。

また、近年、特に注目されているのはVR(バーチャルリアリティ)を用いた手法です。

VRを用いると、自分とは違う人の感覚世界をじかに体験できるので、自閉症や統合失調症、認知症などの人たちが、どう感じているのかを体験する手段になります。

VRは認知症の救世主となるか? | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

 

仮想現実の世界の中で、現実では得がたい体験を擬似的に味わうことで、うつ病などの精神疾患の人の気づきを促進する治療にも用いられています。

バーチャル・リアリティは、うつ病の画期的な治療法になるかもしれない。

 

こうした手法は、いずれも、非日常の体験を通して、いわば刺激を拡大することで、「気づき」を得るようを助けます。

最初に出てきた、ウェーバー=フェヒナーの法則によると、全体の大きさに対して、変化の割合が小さいと違いに気づきにくくなりますが、非日常のバーチャル体験は、変化を可視化してくれるので、違いに気づきやすくなるということです。

また、この本で説明されているとおり、思考の力に頼るでもなく、電気刺激や磁気刺激などの既存の治療法も、脳の可塑性を刺激することで効果を出しているので、可塑性を引き出すこと自体は、特に珍しいものではありません。

「脳は生まれてから死ぬまで可塑性を保つ」ことを最初に主張した医師ポール・バキリタは、2004年の論文で、脳は2%の神経組織が存在するだけでも別の機能を活用して再配線できると述べたそうです。(p354)

父ペドロは、大脳皮質から脳幹を経て背骨に至る神経の97%を失った。またシェリルは医師の診断によれば前庭器官の97.5パーセントにダメージを受けていた。

さらに他の症例は、神経組織の2パーセントが残存していただけでも、失われた機能の回復が可能であることを示していた。(p370)

「差次感受性」を持つHSPの人たちは、小さな違いを増幅させて感じるので、日常の中で脳を変化させる刺激を得られますが、たとえそうした能力がない人でも、さまざまな助けを借りれば、一時的に脳の可塑性を引き出す刺激が得られます。

病気であれ、障害であれ、失われた能力を補って脳を再配線する力はだれにでも存在していて、要はそれを引き出せるかどうかなのです。

「鈍感力」ではなく「敏感力」を活かす

この記事で見てきたとおり、「差次感受性」に秀でた敏感な人たちは、デメリットもある反面、大きなメリットも持っています。

悪い環境のあおりを受けやすく、ストレスや心身の不調を抱えやすい、という点だけをみれば、神経が過敏すぎる弱い人に思えてしまうかもしれません。

しかし、裏を返せば、潜在的な危険をいち早く察知できるというメリットがありますし、その感受性を学問や芸術に役立てたり、自分の内面を分析して神経可塑性を引き出すために用いたりすることもできます。

人一倍敏感な人の中には、過敏すぎる自分に悩んで、近年、聞かれるようになった「鈍感力」を羨ましく思う人もいるようです。

しかしHSPのポジティブな側面を「敏感力」(Vantage Sensitiviry)と名づけたマイケル・ブルースが述べていたように、鈍感な人は打たれ強い反面、良いことの影響にもまた鈍感です。

また鈍感な人は打たれ強いといっても、柔軟性に欠けるため、一度折れると回復するのが困難です。敏感な人は風に吹かれるとすぐ曲がりますが、竹のようにしなって、自分で脳の可塑性を引き出して立ち直る可能性もまた秘めています。

ですから、HSPの人たちは、「鈍感力」を求めるよりも、自分が持つ「差次感受性」のポジティブな側面をよく理解し、「敏感力」をコントロールしていくことを目指すべきではないでしょうか。

最後に、HSPの概念を提唱したエレイン・アーロン先生が、ひといちばい敏感な子の中で、HSPの人たちに向けて記した、励ましのメッセージを引用して終わりたいと思います。

ここを書くにあたり、本文を読み返してみることにしました。同じことを再び言うことになるだろうと予想していたのですが、再読してみて改めて、皆さんに送りたいいちばん重要なメッセージが見えてきました。

それは、世界は素敵に成長したHSPを必要としているということです。これは切実にです。

慎重に考え、深く感じ、ささいなことに気づき、最終的には大局を見ることができる人材を、今ほど必要としている時代はありません。

…親や教師の助けでHSCが自分の価値を知り、自分自身の視点を育て、周囲の敏感でない人とうまくやっていく方法をも見つけることができれば、それ自体が、世界全体を大きく変えていくことになります。(p438-439)

【1/10】柴山雅俊先生の新刊「解離の舞台 症状構造と治療」が発売予定

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のブログの解離関係の記事で大いに参考にさせていただいている、解離性障害の専門家、柴山雅俊先生による解離の解説書の新刊解離の舞台―症状構造と治療が、来2017年1月10日に金剛出版から発売されるようです。

内容紹介は以下の通り。

解離の舞台 症状構造と治療/柴山 雅俊 - 紙の本:honto本の通販ストア

本書の前半・症状構造論では、「色」「夢」「眼差し」など解離に特徴的な表象を手がかりに、気配過敏、想像的没入、人格交代、空間的変容/時間的変容、幻覚・幻聴など解離の典型的症状を論じながら、当事者の主観的体験世界を触知する。

本書の後半・鑑別診断論では、境界例、自閉症スペクトラム障害、統合失調症との困難な鑑別方法を症候学的観点から解説していく。

そして終盤の治療論では、「救済者」「犠牲=身代わり」「場所」などのキーワードを足がかりとして、夢と現実の境界線上に「いま・ここ」を構築して交代人格と交流をはかり、安全な場所のなかで回復に至る軌跡を描いていく段階的治療論が語られる。

一見すると、6年前の著書解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論に近い内容なのかな、と感じられますが、さらに煮詰まった理解が含められているのではないかと思います。

前半部分の「色」「夢」「眼差し」はわたしも気になっているところなので興味を惹かれます。後半の自閉症スペクトラムとの鑑別や、具体的な治療論は、ぜひ知っておきたい知識ですね。

わたしは常々、解離を知らずして発達障害やHSPの創造性は理解できないと思っています。うちのブログは多岐にわたる話題を取り上げていますが、一番思い入れのあるカテゴリーは何かというと、慢性疲労でも発達障害でもなく、間違いなく解離だろうな、と感じます。

柴山先生の本は、毎回、当事者の主観的体験に寄り添った生き生きとした洞察が魅力的で、読んでいて本当に興味深いです。

専門家向けの本らしく、値段は高めで、内容も難しめだと予想されますが、解離を深く知るにはうってつけの一冊ではないかと思います。わたしもぜひ読んでみようと思っています。

柴山先生の解離の本をまだ読んだことのない方には、もっと簡単で一般向けの解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)をお勧めしておきます。


自閉スペクトラム症(ASD)の人は相手の「行動」で良し悪しを判断―先入観なくフェアという長所も

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都大学の米田英嗣特定准教授らの研究によると、自閉スペクトラム症(ASD)の小中学生は、良い人か悪い人かを判断するとき、「人となり」よりも「行動」に注目する傾向があることがわかったそうです。

悪い子の良い行動から何を読み取るか?自閉スペクトラム症を持つ小学生・中学生の善悪判断│京都大学 研究成果

「人格」より「行動」で善悪判断 自閉スペクトラム症の子 : 京都新聞

自閉スペクトラム症を持つ小中学生の善悪判断は行動に基づくもの-京大 - QLifePro 医療ニュース

自閉スペクトラム症の子供:表面的な行動で「善人」と判断 「悪意の理解が難しい」 福井大などのチームが発表 /福井 - 毎日新聞

報道では、こうしたASDの人の考え方の特性は、見せかけの親切にだまされやすい、詐欺やいじめなどの被害に遭いやすいといった、リスクが強調されています。

しかし、このASDの特性が単に欠点やデメリットである、とするのは短絡的でしょう。これはASDの人と定型発達の人の着眼点の違いからくる問題です。

この記事では、研究内容を参考にしつつ、一歩踏み込んで考え、ASDであれ、定型発達であれ、生まれ持った特性は長所も短所も含まれたパッケージであり、短所のように見えるASDの特性も見方を変えれば長所として伸ばしていける、という点を考えます。

「行動」から良い人か悪い人かを判断

今回の京都大学の研究では、小中学生を対象にして、ASD19名(男子17名、女子2名)と定型発達20名(男子18名、女子2名)に、いくつかの短い物語を読んでもらい、登場人物が良い子か悪い子かを判断してもらいました。

現実の人間は「良い特性」を持つ人がいつも「良い行動」をするわけではありませんし、「悪い特性」を持つ人がいつも「悪い行動」をするわけではありません。

「良い特性」を持った子が「悪い行動」をとった場合や、「悪い特性」を持った子が「良い行動」をとった場合、ASDの子と定型発達の子では果たして感じ方が変わるのでしょうか。

物語には、次のような「良い特性」「悪い特性」と「良い行動」「悪い行動」を組み合わせた文章が使われました。

「りんさんは、いつもいたずらをしている子です。お母さんのお手伝いをしようとしてテーブルをかたづけていました。大事な花びんが落ちてわれて、お母さんは悲しみました」

「ゆきさんはお手伝いを良くしてくれる子です。高いところにあるお菓子をぬすみ食いしようとたなの上にのぼりました。大事な花びんが落ちてわれて、お母さんは悲しみました」

テストは、読み返しが利かない場合と、読み返して二人の情報を比較できる場合の、2つの条件で行われました。

すると、どちらの状況でも、ASDの子は定型発達の子どもより、「特性」ではなく「行動」に基づいて、良い子か悪い子を判断する傾向があったそうです。

動機よりも結果を重視する

この実験から、ASDの人の次のような特徴がわかるといいます。

■一時的な親切にだまされやすい
ASDの子は、ふだんは「悪い特性」を示している子が、一時的に「良い行動」をした場合、「良い子」と判断しやすいことがわかりました。

これまでの研究でも、ASDの子どもは、悪意を持つ人に気がつかず、一時的な親切にだまされやすいと言われています。

ASDの子どもは、相手の人となりをつかんで、これから行いそうなことを予測するのが苦手なのかもしれません。

■動機より結果を見て判断しやすい
物語が悪い結末になったとき、定型発達の子では「特性」を手がかりにして考える割合が上がったのに対し、ASDの子では、良い結末になったときも、悪い結末になったときも、同じように「行動」を手がかりにして良し悪しを判断する傾向がありました。

これまでの研究でも、ASDの人は、定型発達の人とは違って、良い動機で行われた行動が他人に害を与えてしまったときでも、結果を重視して「悪い行為」だとみなすことがわかっているそうです。

これらはいずれも、行いの良し悪しを判断するとき、背後にある事情を考えるより、目に見える表面的な結果から判断する、ということを示しています。

研究チームは、今回の研究の成果をASDの子が陥る詐欺被害やいじめの防止に役立てたいと述べています。

「先入観がない」という長所

今回の報道を見ると、ASDの子は表面的な行動に騙されやすい、というネガティブな側面が強調されているように思います。

確かに、ASDの子は詐欺や性的被害などのトラウマ経験に遭いやすいと言われているので、表面的な行動に基づいて良い人か悪い人かを判断しやすいことはリスクになりやすいでしょう。ASDの親子が常日頃からその危険を意識しておくことは大切です。

女性のアスペルガー症候群の意外な10の特徴―慢性疲労や感覚過敏,解離,男性的な考え方など
女性のアスペルガー症候群には、男性とは異なるさまざまな特徴があります。慢性疲労や睡眠障害になりやすい、感覚が過敏すぎたり鈍感すぎたりする、トラウマや解離症状を抱えやすいといった10

しかし、表面的な行動や、行いの結果に注目するというASDの考え方は、必ずしも間違っているわけではなく、定型発達とは単に着眼点が違うだけである、と考えることもできます。

ASDの人たちは、一般的に裏表がなく純粋だと言われますが、それは行動や結果に基づいて良し悪しを判断するからこそでしょう。

他方、表面的な行動ではなく、内面的な特性に注目しやすい定型発達の人の場合、ASDとは別の問題にさらされることになるかもしれません。

たとえば、本当に親切心から出た行動であっても、もしかすると悪い下心があるのではないかと疑いの念(猜疑心)を抱いたり、嫉妬にかられて誰かをいじめたり、批判的になったりするかもしれません。

発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス)によると、ASDの人たちの判断方法には、だまされやすいという短所だけでなく、定型発達の人にはない長所も備わっています。

大多数の取るトップダウン処理は、社会の維持にとっては便利な反面、先入観が強くて、独断的な判断に陥る可能性もある。

逆にいえば、自閉症者は、先入観なしに物事を判断する資質をもっているともいえのだ。絶対的な物差しに則る、フェアな判断というわけだ。

自閉症者は理系向きであるとか、数字に強いとか数学ができるという評価をよく聞く。絶対的な物差しで見ることは、物事をフェアに見ることにつながり、それはシステムを理解する性質につながる大きな特性となる。(p81)

ここでは、社会の大多数を占める定型発達の人たちの短所と、ASDの人たちが持つ長所とが比較されています。

実はこの説明は、今回の実験で明らかになったASDの性質を別の観点から解釈したものだ、ということにお気づきでしょうか。

今回の実験では、ASDの人は、相手の「特性」をあまり考慮に入れず、目の前の「行動」の結果だけを見て良し悪しを判断しやすいということでした。

それは、見方を変えれば、先入観にあまり左右されずに、「結果」に着目したフェアな判断ができる、という長所にもなりえます。

一方、目の前の「結果」だけでなく、背後にある「特性」を考慮して良し悪しを判断する定型発達の人のほうは、無意識のうちに先入観にとらわれ、偏見や独断に陥るリスクを秘めている、ともいえるのです。

「疑うことを学ばなければならなかった」

こうしてリフレーミングして考えてみると、ASDの人たちの判断方法を欠点とみなすのは必ずしも正しくないことがわかります。

むしろ、本来なら、ASDの人たちが持つ先入観のない純粋さは欠点ではないはずですが、裏表のある行動や、下心をもってだまそうとする悪意を持った人がいる社会で生きていかなければならないせいで、裏目に出てしまう場合がある、とみなせます。

ASDの人たちが詐欺被害に遭いやすい原因は、ASDの人たちの考え方ではなく、彼らを取り巻く社会のほうにある、と考えることもできるのです。

アスペルガーから見たおかしな定型発達症候群
定型発達症候群(Neurotypical syndrome)は神経学的な障害である。「アスペルガー流人間関係 14人それぞれの経験と工夫」という本では、定型発達の人は、とても奇妙に
熊谷晋一郎先生による自閉スペクトラム症(ASD)の論考―社会的な少数派が「障害」と見なされている
当事者研究の熊谷晋一郎先生が、ASDは障害ではなく少数派であるという考察をしていました。

興味深いことに、有名なアスペルガー症候群のテンプル・グランディンについて、脳神経科医オリヴァー・サックスは火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)の中でこう書いています。

彼女が設計したあるプラントで機械の故障が頻発したことがあり、それが決まってジョンという男性がいるときだった。

彼女はこれらの出来事を「関連づけて」、ようやくジョンの妨害に違いないと推理した。

「わたしは疑うことを学ばなければなりませんでした。それを認識論的に学ばなければならなかったのです。二と二を足すことはできました。けれど、わたしは彼の嫉妬の表情を読み取ることはできませんでした」

そうした出来事は彼女の人生では珍しくなかった。…鈍感で世間ずれしていないテンプルは、最初、ごまかされたり利用されたりした。

この種の純真さ、あるいは鈍感さは、ふつうの倫理的な美徳から生まれるのではなく、ごまかしやいんちき(トラハーンの言葉によれば「世の中の汚いトリック」)を理解できないことから生じるもので、自閉症のひとたちにはほとんど例外なくみられる。(p352-353)

サックスが述べるように、ASDの人たちがだまされやすい「鈍感さ」は裏を返せば「純真さ」でもあります。それは決して欠点ではなく、長所も短所もある同じ一枚のコインの片面にすぎません。

そうした純真な人たちに、「疑うことを学ばなければならなかった」と言わせる「ごまかしやいんちき」「汚いトリック」にあふれた社会こそが、何より嘆かわしいものなのではないでしょうか。

自閉症の動物学者テンプル・グランディンのTED「世の中には いろいろなタイプの脳が必要だ」まとめ
自閉症スペクトラム(ASD)の動物学者テンプル・グランディンのTED「世の中には いろいろなタイプの脳が必要だ」のまとめです。視覚思考の特徴や、興味を広げてくれる指導者の大切さにつ

残念ながら、今の社会では、アスペルガー症候群として最も成功した人の一人といってよいテンプル・グランディンのような人でさえ、「ごまかされたり利用されたり」してきました。

そうであれば、ASDの子どもたちが、詐欺やいじめ、ねたみ、性的被害などのトラウマ経験を回避できるよう、具体的な対策を講じ、ときには「疑うことを学ぶ」必要もあるのは致し方ないことです。

とはいえ、たとえそうした対策が必要なのだとしても、それは、その子が持つASDの「欠点」のせいではなく、社会の少数派として生きていくスキルを学ぶためにすぎない、ということをしっかり思いに留めておくことは重要だと思います。

今回の報道も含め、自閉症の特性は、ネガティブな印象を伴う表現で語られることが多いですが、それには多数派である定型発達の人の観点から見たバイアスがかかっている場合が多い、ということを覚えておくとよいかもしれません。

先ほどの火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)の中で、オリヴァー・サックスは、アスペルガー症候群の人たちの意見を紹介して次のように書いています。

彼らに言わせれば、自閉症は特殊な医学的状態で、症候群として病理現象扱いされるとしても、それと同時にある全的なあり方、まったく異なった存在の様態あるいはアイデンティティとして見るべきであり、そこを意識し、誇りをもつ必要があるという。(p374)

定型発達にせよ、自閉症にせよ、持って生まれた特性は、まったくの長所でも、まったくの短所でもなく、長所と短所が入り混じったパッケージにすぎません。

どんな人にとっても、大切なのは、自分の長所と短所の両方を自覚して、短所を補う方法を講じ、長所のほうを活かしていけるよう創意工夫をこらすことです。

表面的な行動や結果に基づいて良し悪しを判断してしまう、というと短所に聞こえますが、先入観なくフェアな判断ができる、と言いかえればそれは長所へと変わります。

ASDの人たちは、自分の生まれ持った特性には、報道によって強調されやすいネガティブな側面だけでなく、ポジティブな側面があることもしっかり意識して、欠点を補い、才能を育てていくことが必要でしょう。

「あいまい性耐性」―逆境のもとで新しい価値観を見つけ自分の人生を歩み出す力

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あんまり現実というものが苦しいので、絶えず瞑想のうちに逃れていたが、これはどうやら無駄なことではなかったらしい。

今、僕は以前思っても見なかった望みや希(ねが)いを持っています。(p255)

れは、生きるための哲学 (河出文庫)という本に引用されている、ロシアの文豪ドストエフスキーの言葉です。

前向きな言葉がつづられていますが、なんとこれは、10年にわたる極寒シベリアでの獄中生活を送っているさなか、流刑地オムスクから兄に送られた手紙の一節だそうです。

人間を人間とも扱わないような残酷で悲惨な日々の中で、ドストエフスキーはより深い人生観を身につけ、自由になってからは稀代の作家として大成していきました。

わたしたちのほとんどは、強制収容所で何年も過ごすような極限体験をしたことはないかもしれません。しかし、一見平和に見える社会でも、あたかも冷たい牢獄にとらわれるような悲惨な人生を、何年も、何十年も送っている人は決して少なくありません。

幼いころからの虐待、崩壊した家庭での心労、慢性的な病気などは、文字通りの強制収容所と同じほど、昼も夜も絶え間なく心身を痛めつけます。

いつ終わるとも知れない苦しみに圧倒され、生きる意味も喜びも感じられないようなとき、どうすれば、それを乗り越えることができるのでしょうか。

生きるための哲学 (河出文庫)ポジティブ心理学が1冊でわかる本などの本から、逆境を乗り越え、自分だけの人生を歩み出すのに、曖昧(あいまい)さに向き合う力がどのように役立つかを見てみましょう。

これはどんな本?

今回おもに参考にした生きるための哲学 (河出文庫)は、愛着障害の著書をたくさん書いておられる精神科医 岡田尊司先生が、つい先月発売された本です。

これまでの岡田先生の本は、このブログでも取り上げた、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)発達障害と呼ばないで (幻冬舎新書)など、具体的な病名がタイトルに冠されているものが多かったと思います。

それに対し、この本はシンプルなタイトルなので、今のところAmazonレビューも1件もなく、目立たない印象かもしれません。

この本は、岡田先生の他の本とは異なり、発達障害の話はまったく出てきませんし、愛着障害や他の病気の説明も最小限にとどめられています。岡田先生はその理由を本書のはじめでこう書いています。

言葉だけの哲学に用はない。言葉にならないものを言葉にしようとする試みにおいて、言葉は絵を描くための絵の具のようなものであり、絵の具が絵の具として存在感を示しすぎることは、伝えようとすることを、かえって邪魔してしまうのである。(p9)

この本で扱われているのは、難解な言葉による「哲学」ではなく、人生でさまざまな悩みや悲しみに直面し、生きる意味を見失ったり、解決できない問題に苦しんだりした人たちの迫力あるエピソードです。

登場する人物は、ウィトゲンシュタイン、エリック・ホッファー、ショーペンハウアーなどの哲学者たち、ヘルマン・ヘッセ、ジョルジュ・サンドなどの作家たち、そして現代の精神科で闘病している人たちなど、多岐にわたります。

非常に大勢の人の生き生きとしたエピソードを通して、わたしたち一人ひとりが生きていく中で直面する「答えの出ない問題」にどう向き合うか、ということを読者に考えさせるのが、この本のテーマです。

人を苦しめるのは「状況」よりも「価値観」

生きる意味や価値を見失ってしまうような壮絶な逆境の中では、インターネットで調べて得られるようなありきたりの情報はほとんど役に立ちません。

学校で習う科学や数学と違って、「生きるための哲学」には、正解はありません。誰かから、こういう生き方や人生観がよいと教えてもらっても、自分の人生にそのまま当てはめることはできません。だれかが出した答えをカンニングすることはできません。

そうしたとき、人は、科学や理屈では答えが出ない問題、つまり答えのない問いに向き合っている。数学の問題であれば、「解なし」というのが正解であったりするが、人生の問題では、それだけではすまされない。

答えが出ないからといって、答えを出さないわけにはいかないのが人生である。前に進もうと思えば、自分なりの選択と決断をするしかない。(p4)

「生きるための哲学」は、公式を使って計算すれば、だれにでも当てはまる答えが出るような単純明快なものではなく、一人ひとりが自分の思考力を使って初めてたどりつくものです。

冒頭のドストエフスキーも、強制収容所での流刑生活という、生きる意味を根こそぎ奪い去るような経験を通して、自分はなぜ生きているのか、何をよりどころにしたらよいのか、といったことを悩みに悩んだ結果、最初の言葉に行き着きました。

このドストエフスキーのエピソードは、わたしたちに興味深いことを教えてくれます。

逆境にある人を最も苦しめるのは、困難な生活や病気の症状、といった「状況」そのものではありません。

ドストエフスキーのように、これ以上ないほど劣悪な「状況」に置かれていても人生に対して前向きな見方ができる人がいることからしても、それは明らかです。

それでは、逆境によって望んでいた人生を送れなくなってしまったとき、その人を一番苦しめるものは何なのでしょうか

「状況」はたった10%しか幸福度を左右しない

その答えを知るヒントがポジティブ心理学が1冊でわかる本という本に載せられています。それによると、心身ともに幸福な生き方(ウェルビーイング)について、こんな研究結果があるそうです。

人生の客観的な環境をすべて足しても、わずか10%しかウェルビーイングに影響を及ぼしません。[ディーナー 1999年、ライアン&デシ 2001年](p110)

驚くべきことに「状況」または「環境」は、わたしたちの幸福に10%しか影響していません。

では、残りの90%を左右するのは何でしょうか。

しばしば「状況が1割、態度が9割」などと言う人がいますが、これは研究を読み間違えた誤りです。

ポジティブ心理学の生みの親、マーティン・セリグマンは、たくさんの学者たちの研究結果を考察し、幸福はおもに3つの要因で決まると考えました。

それは、「S:設定された範囲」(Set range)、「C:環境」(Circumstances)「V:自発的にコントロールできる要因」(Factors under Voluntary)の3つです。

この3つについて、ポジティブ心理学が1冊でわかる本にはこうあります。

Sは遺伝的に決定された幸福レベルで、生涯にわたって比較的安定しており、人生の重大な出来事の大半を経験しても、すぐに元のレベルに戻ります。Sは幸福度の約50%を決定づけます。

Cは、私たちがこれまでに考えてきた環境のことです。これは幸福度の10%にしか影響を与えません。

すなわち、幸せになりたければ結婚したり、教会に行ったりすることは奨励されますが、もっとお金を稼ぐことや、健康でいること、教育を受けることや、天候のよい地域に引っ越すことにこだわる必要はありません。

最後に、自発的にコントロールできる要因(V)とは、意図的に選択できる、努力を要する行為を指します。これは幸福度の40%を占めます[セリグマン 2002年](p102-103 )

この説明からわかるように、わたしたちの人生の満足度に最も影響を与えるのは、健康や生い立ちなどの「環境」ないしは「状況」ではなく、遺伝的な性質であり、全体の50%を占めます。こればかりは変えようがありません。

しかし、その次に40%もの大きな影響をもっているのは、「自発的にコントロールできる要因」です。

ところが、多くの人は、自分の人生に対して、この「自発的にコントロールできる要因」を活用しようとしません。自分の人生についてじっくり考え、自分なりの答えを出す、ということを難しく感じます。

その結果、ほとんど人の場合、遺伝的な要素50%と、環境的な要因10%だけで幸福かどうかが決まってしまいます。

なぜ40%もの可能性がある、「自発的にコントロールできる要因」が見落とされてしまうのでしょうか。

なぜなら、多くの人は、生まれ育った価値観に縛られているせいで、自分の意志で人生をコントロールする勇気をもてないでいるからです。

強いられた「価値観」に縛られている

生まれ育った「価値観」に縛られる、とはどういうことでしょうか。

生きるための哲学 (河出文庫)には、そのことがよくわかる例として、ヘルマン・ヘッセのエピソードが載せられています。

車輪の下 (新潮文庫)で有名な作家ヘルマン・ヘッセは、14歳で情緒不安定になり、精神病院に入れられるという辛い少年時代を過ごしました。繰り返し襲ってくる自殺願望との闘いがようやく和らいだのは、50歳を越えてからだといいます。

ヘッセが情緒的に不安定で、生きる意味を見いだせなかったことにはさまざまな理由があるでしょう。さきほど見た幸福度の50%に関わる遺伝要因である、生まれながらの繊細な気質や、医学的な脳の不安定さなども影響していたはずです。

しかし彼を悩ませていたのは、単なる医学的な症状ではありませんでした。自分は何のために生きればいのか、人生の価値をどこに見い出せばよいのか、という空虚感が、ヘッセの心の根底にありました。

ヘッセの両親は、ともに敬虔なクリスチャンの家系の出身でした。その家庭に生まれたヘッセも、生まれながらにその価値観のもとで生きるよう教えられ、親の期待に従ったときは良い子として、そうでなければ悪い子とみなされて育ちました。

親が良かれと思ってヘッセに与えた価値観は、代表作のタイトルのとおり、あたかも車輪の下に敷かれているかのように、次第に彼を縛り、押さえつけるものとなっていきます。ヘッセは芸術の道に進みたいと思っていましたが、それは親の価値観とは相容れないものでした。

ヘッセの苦悩から学べるのは、伝統的なキリスト教の価値観が窮屈だとか、不寛容な宗教が子どもを苦しめる、といったことではありません。人が受け入れる価値観はさまざまです。

問題は、ヘッセが、自分で選んだ価値観ではなく、親から強いられた価値観にそって生きていたことにありました。

ヘッセにとって、自分が幼いころから教え込まれてきた価値観は絶対のもので、それ以外の選択肢などありませんでした。芸術的才能を活かしたいと思っても、ずっと教えられてきた価値観とは相容れないので、板挟みになって苦しみました。

ヘッセの両親が持っていた価値観は、伝統的で立派なものだったのかもしれません。 もし、自分たちの価値観を強要するのではなく、ヘッセの気持ちにもよく耳を傾け、気軽に話しあっていたなら、ヘッセは車輪の下に敷かれているほどの重圧を感じることはなかったでしょう。

しかし、残念ながら、ヘッセの両親は自分たちの価値観以外のものは認めず、後にヘッセが苦労の末に詩集を出版したときも、神への背信とみなしました。親の価値観を有無を言わさずに押し付けることは、子どもの主体性を奪う結果になりました。

どんな立派な価値観であれ、自分が選び取ったものではなく、親が選んだものである限り、自分の人生を生きるうえでは邪魔にさえなってしまう。

お仕着せの衣を脱ぎ捨てねば、自分本来の生きる力を纏うことはできないのだ。(p69)

ヘッセの場合は、親の価値観を子どもに押し付けることが子どもを苦しめることになりましたが、価値観の押し付け、というのは、家庭の中だけで起こるものではありません。

わたしたちのだれもが、家庭のみならず、生まれ育った社会の価値観の影響を受けています。

その価値観の中には、男の子は感情を見せず仕事熱心であるべき、女の子は家事に勤しみ奥ゆかしくあるべき、といったジェンダーの価値観もあります。この本では、ジェンダーという概念の生みの親である マーガレット・ミードの苦悩のエピソードも紹介されています。(p165)

ヘッセの家族の価値観も、単に家庭内だけのものではなく、地域一帯に伝わるものであったのかもしれません。当時は教会が大きな影響力を持っていて、伝統に従わないことは罪とみなされていました。

有名な脳神経科医オリヴァー・サックスも、生来の同性愛傾向を、敬虔なユダヤ教徒である母親に真っ向から否定されたことがあまりにもショックで、その後長らく放蕩生活に陥ったことをサックス先生、最後の言葉で回想しています。

「何もやったことはないよ」と私は言った。「ただそう思うだけ―でもママには言わないで。ママには理解できないことだから」

しかし父は母に話し、翌朝、母がものすごい形相でやって来て、私に向かって叫んだ。「おまえは憎むべきもの。おまえなんか生まれてこなければよかったのに」

…その問題に二度と触れられることはなかったが、母のきつい言葉のせいで、私は宗教の偏狭さと残酷さを憎むようになった。(p52)

オリヴァー・サックスはその後、薬物中毒になり、人生のどん底まで落ちて追い詰められた後、ついに自分の人生を見つけ出し、世界的に有名なベストセラー作家として開花することになります。

独特すぎる個性で苦労してきた人の励みになる脳神経科医オリヴァー・サックスの物語
書くことを愛し、独創的で、友を大切にして、患者の心に寄り添う感受性を持った人。2015年に82歳で亡くなった脳神経科医のオリヴァー・サックスの意外な素顔を、「道程 オリヴァー・サッ

ヘッセやサックスが極限まで追い詰められたことからわかるように、子どものころに当たり前のものとして有無を言わさず押し付けられた親や社会の価値観は、成長したときに生き方を縛るものとなります。

大多数の人とは異なる、個性豊かな子どもの場合は特にそうです。本当は創造的でユニークなのに、まわりの多数派の価値観に合わせることを強いられた子どもは、その板挟みになって苦しめられます。

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「押しつけの神」を捨てる

押しつけられた価値観がやっかいなのは、それが押しつけの価値観であることに、なかなか気づけないことです。

世の中をよく知らない子どもにとって、親や社会から教えられた価値観は、たとえそれが強いられたものだとしても、唯一絶対の価値観です。善悪を判断するとき、それ以外の価値観を知りません。

教えられたものがどれほど歪んだ価値観であっても、自分が生まれ育った価値観以外の考え方があるということは思い至りません。慣れ親しんだ価値観をもとにしてしか判断できないのです。

歪んだ価値観に最も苦しめられるのは、虐待された子どもです。以前の記事で取り上げたように、そうした子どもは本当の愛や絆を学べず、人は警戒すべきもの、愛とは痛みを伴うものという価値観を持ったまま大きくなり、さまざまな問題に巻き込まれます。

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そうでなくても、人は生まれ育った価値観を疑うということがなかなかできないので、その価値観に従えなくなったときに罪悪感に苦しめられてしまいます。

以前に紹介した例ですが、学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている (講談社プラスアルファ新書に出てくる慢性疲労症候群になった少年の場合も、彼を苦しめていたのは病気ではなく、生まれ育った価値観でした。

T君が、外来を受診したのは彼が高校に入学してまもなくの15歳のときである。T君が全寮制のその高校に入学したのは、進学率の高い有名校であるからだという。

「いい高校に入って、いい大学を卒業し、いい会社に入って給料を多くもらう生活を目指している」と得意げに告げた彼は「それができないやつは負け犬だ」と切り捨てた。

T君は、思い通りに高校には入学できたが、まもなく、眠れず朝起きできない状態となり登校できなくなって、彼が軽蔑しているその負け犬になりつつあった。

彼の戦いは今振り返ると彼自身との戦いであったように思われる。これまでにつちかった学校社会を中心に据えた彼の価値観に基づいた生活が壊れようとしているとき、果たして彼は彼自身を許すことができるであろうか。 (p73)

怠けてなんかいません!
CFSの人が不幸にも「自分は怠けているのだろうか」という考えに陥ってしまうときの、3つの原因について書いています。

ヘルマン・ヘッセも、芸術の道に進みたいという願いと、そうするのは背信だとする親から受け継いだ価値観との間の板挟みになり、自分には「価値がない」、という自殺願望 に苦しめられました。

芸術家としてのヘッセに「価値がない」と囁いていたのは、彼自身の価値観ではなく、ヘッセの両親や生まれ育った社会の価値観だったのですが、ヘッセがそれに気づいたのは随分と苦しんだのちでした。

ヘッセは結局、親の価値観を捨て、自分で自分の価値観を選ぶことに決めました。生きるための哲学 (河出文庫)にはこうあります。

「あなた方の神に付き合わされるのは、もうご免だ。さもなければ、死んだほうがましだ」とまで、言わねばならなかったヘッセの悲しみは深く、現代にも通じる普遍性をもつ。

親が押しつける神は信仰だけではない。親がよかれと思って信じているものこそ、子どもにとっては押しつけの神となりかねないのである。(p76)

ヘッセにとって、親から強いられた伝統的な信仰の価値観は「押しつけの神」でした。

もしも親がヘッセの気持ちに配慮して寄り添っていたら、それは立派な価値観としてヘッセに受け継がれたかもしれませんが、強制された価値観は、どんなに立派でも「押しつけの神」でしかないのです。

そして、親から強いられた価値観で生きている以上は、子どもの人生はいつまでたっても親の人生の延長線上でしかありません。

他人に強いられた価値観にそって生きる人生は他人の人生であり、社会に強いられた価値観にそって生きている人は、社会の操り人形でしかないのです。

他人の人生を生き、社会の操り人形であるなら、本当は幸福度の40%を占めるはずの、「自発的にコントロールできる要因」が人生にまったく影響してこないのも当然です。

幸福度の60% を占める遺伝と環境によって敷かれたレールに沿った生き方、すなわち「車輪の下」の運命から逃れ、自分の人生を生きるためには、ヘルマン・ヘッセのように、自分で自分の価値観を選び取ることがどうしても必要です。

「曖昧性耐性」を身につける

では、自分で自分の価値観を選び取るにはどうすればいいのでしょうか。

すでに見た通り、最大の問題となるのは、自分が普段、当たり前のものとして受け入れている価値観が、じつは幼いころに植え付けられた狭い価値観にすぎない、ということになかなか気づけないことです。

世の中にはもっと多様な考え方があり、さまざまな生き方があるものですが、生まれ育った価値観に知らず知らずのうちに縛られているせいで、その枠内でしか考えられなくなっています。

「ねばならない思考」

生きるための哲学 (河出文庫)によると、知らず知らずのうちに強いられた狭い価値観に縛られている人にありがちなのが「ねばならない思考」です。

最悪と思ってしまうのは、一つの価値観で決めつけているからにすぎない。

「ねばならない」思考の人は、心のどこかで、人は努力すれば物事を思い通りにできる、良い結果を出せるという期待がある。思い通りの結果にならないのは、努力が足りないせいだと考えてしまう。

だが、実際には、この世の中の出来事の大部分は、人知や人力によっては、どうすることもできないことばかりだ。(p104)

「~ねばならない」という言葉が口癖になっている人、また自分に対して、すぐに「~しなければならない」と感じてしまう人は、一つの狭い価値観にとらわれている状態にあります。

本当は、世の中には「~しなければならない」と断定できることなどそう多くないはずです。しかし、子どものころから、親に社会にそう教えられてきた価値観のせいで、何々はやって当たり前、それができなければ自分はダメ人間で価値がない、と思ってしまうのです。

先ほど出てきた慢性疲労症候群になった少年の場合も、「自分は学校で良い成績を取り続けなければならない、それができなくなって不登校になるような自分には価値がない」と思い込んでいました。

大人になれば、学校で良い成績を取るかどうかなど、人生にはささいなことだと思えるかもしれませんが、狭い価値観の中で生きているせいで、ほかの可能性があることに気づけないでいたのです。

ヘルマン・ヘッセも、親から当たり前のものとして教えられた伝統的なキリスト教の信仰という価値観のせいで、教えを守れないならば、それは罪である、という思いにさいなまれました。

こうしたたったひとつの価値観による「ねばならない思考」にとらわれていると、人生の問題を抱え、逆境に直面したときに、回復するのが難しくなります。

「ねばならない」の思考にとらわれ、一つの価値観からしか物事を見られないと、つまずいたときに、自信を打ち砕かれ、回復に時間がかかりやすい。

倒れても起き上がるために必要なのは、視点の切り替えだ。見方を変えれば、失敗こそ大成功ということにもなる。(p106-107)

先ほどの少年も、ヘッセも、生まれ育ったたったひとつの価値観に縛られている限り、人生の落伍者であり、失敗したダメ人間でした。

しかし、もし、強いられた価値観だけがすべてでないと気づけたら、たとえば、学校の勉強についていけなくても、ほかの生き方があるとか、伝統に縛られなくても芸術の道を楽しめる、といった別の価値観を持っていれば、挫折は新しい人生の門出ともとらえることができたでしょう。

もしかしたら 自分の持っている狭い価値観がすべてではないのかもしれない。物事にはほかの考え方やとらえ方、別の視点があるのかもしれないという「視点の切り替え」を促す力、それは「曖昧(あいまい)性耐性)」と呼ばれています。

あいまいさを受け入れる力

「曖昧(あいまい)性耐性」とは聞き慣れない言葉だと思います。

その意味するところは簡単で、文字通り、「あいまいなことに耐性があること」、つまり「あいまいなことを受け入れやすいかどうか」、ということです。

もうちょっと難しい、学術的な説明については、PTG 心的外傷後成長―トラウマを超えてに次のように書かれています。

曖昧性耐性という概念は、権威主義的パーソナリティや人種的偏見の背後に、曖昧さへの耐性の低さがみられることへの着目に端を発している。

そこでは、“価値判断に関して、白黒をはっきりさせようとする解決手段をとり、早急な結論に達し、しばしば現実を無視して、全体的に絶対的で明確な他者の承認や拒絶を求める傾向”という情緒的・認知的パーソナリティ変数として曖昧性耐性の低さは考えられた(Frenkel-Brunswik,1949)

曖昧性耐性の低さは、後にバドナー(Budner,1962)によって、“曖昧さを脅威の源として知覚する傾向”と再定義され、その後の研究の多くはその定義をもとにして行われている。

平たく言うと、物事に白黒つけたがり、偏見や思い込みが強く、良いか悪いかをはっきりさせないと気が済まない人は「曖昧性耐性」が低い、ということになります。

この「曖昧性耐性」が重要なのは、多くの精神的な病気や、不登校の問題に、「曖昧性耐性」の低さが関係しているからです。

臨床場面では、強迫神経症者が曖昧さをこなしたいけれどもこなせないことに苦痛を味わっていることをはじめ(北山,1988)、抑うつ、不安、ヒステリー、妄想といった病理にも曖昧さへの非耐性がみられることが指摘されている。

また、これは大人だけの問題ではない。最近の子どもたちの曖昧さ耐性の低下が指摘されているし(近藤,2010)、元来、思春期という時期における課題は曖昧さのこなせなさと密接に関連しており、そこでのつまずきが不登校といった状態に表れることも、曖昧性耐性の低さとい観点から理解することができる。(p193)

この説明からわかるように、精神的な葛藤の多くは、曖昧性耐性の低さと密接に関係しています。

その理由は、これまでに考えてきたとおりです。

曖昧性耐性が低い、というのは、いろいろな価値観があって、さまざまな選択肢がある、というあいまいさを受け入れにくいということです。

白黒つけたがって良いか悪いかどちらかしか認められないと、自分はこうでなければならない、それができないとダメ人間だ、という「ねばならない思考」に陥ってしまうでしょう。

その結果、自分が生まれ育った狭い価値観にしがみつき、いつまで経っても、親や社会に教え込まれた尺度に縛られて、他人の人生を生きていくことになります。

たとえ古い価値観を捨て去ったとしても、曖昧性耐性がないと、その代わりに別の都合のよい価値観の奴隷になるだけ、ということもありえます。

極端な宗教や自己啓発、政治運動、過激派組織など、物事に白黒つけたがる別の価値観へと引っ越すだけで、いつまで経っても自分なりの価値観へとたどり着けません。

そうならないためには、物事にはさまざまな解釈の仕方がある、というあいまいさを受け入れる必要があります。

たとえば物理学において、光は、観察の仕方によっては、粒子のように振る舞うこともあれば、波のように振る舞うこともあります。

有名な葛飾北斎の、「富嶽三十六景」は、どの絵も富士山を描いたものですが、同じ姿の富士山は一つもありません。それでもすべて富士山であり、どれかが間違っているわけではありません。

しっかり周りを見て、現実的な見方をすればするほど、物事にはさまざまな解釈の仕方があり、悪い面だけでなく良い面も必ずある、というまぎれもない事実が見えてきます。

今まで受け入れてきた唯一の価値観では「悪い」とされてきたものでも、実際には「良い」側面がある、ということに気づくことができれば、それは希望を見出す糸口になります。

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さらに、これまで自分を縛ってきた価値観ではなく、もっと多様な見方を取り入れた柔軟な解釈ができるようになり、それこそが、自分で見出し、自分で選んだ、自分なりの価値観へと成長していくのです。

底つき体験がもたらす「心的外傷後成長」(PTG)

逆境に直面し、追い詰められる経験は、当座は決して良いものとは思えず、とてもつらいものです。実際のところ、苦しみや悲しみはないに越したことはありません。

それでも、後々振り返れば、死ぬほど追い詰められた苦しい時期が、当たり前と思っていた価値観を見直し、自分なりの人生を見つけるきっかけになったという人は少なくないようです。 生きるための哲学 (河出文庫)にはこうあります。

どん底まで落ちることによって価値観が逆転するということは、人生のターニングポイントにおいて、しばしば経験されることだ。(p246)

どん底まで落ち、地獄を見る体験をすることが、逆に生きようとする気持ちを蘇らせるということは少なくない、それを「底つき体験」という。(p249)

こうした「底つき体験」によって押しつぶされそうになった人が、新しい自分を見出していく、というのは、先ほど、「曖昧性耐性」について引用した本PTG 心的外傷後成長―トラウマを超えてのテーマとなっている概念である「心的外傷後成長」(PTG)を思い起こさせます。

「心的外傷後成長」(PTG)とは衝撃的なトラウマ体験に直面して、それまで疑問なく受け入れてきた価値観が根底から揺さぶられたとき、激しい心の葛藤を感じながら、新しい価値観を見つけ、人間的に大きく成長していく人のことを指す言葉です。

詳しくは以前の記事で取り上げました。

心的外傷後成長(PTG)とは―逆境で人間的に深みを増す人たちの5つの特徴
トラウマ経験をきっかけに人間として成長する人たちは、「心的外傷後成長」(PTG)という概念として知られています。PTGはどのような状況で生じるのか、心的外傷後ストレス障害(PTSD

自分が根底から揺り動かされるような逆境のもとでは、それまで疑問なく受け入れてきた価値観を疑わざるを得なくなります。自分が信じてきたものが粉々になって崩れ落ちていきます。

自分の信念が根底から崩れ落ちるような辛い体験は本当にショッキングなものですが、ひとたび古いものが崩れるということは、そこに新しいものを作り上げる機会が生まれるということをも意味しています。

そのような経験によって、自分の価値観を作り直した人として、質素な暮らしぶりから「世界で一番貧しい大統領」として知られるようになったウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領のことが思い出されます。

ムヒカは軍事政権下で14年投獄され、うち10年は独房に入れられるという、壮絶な「底つき体験」を味わいました。

しかし、彼は、そのときに古い価値観が崩れ去り、新しい価値観が作られるのを経験したそうです。

世界一貧しい大統領と呼ばれた男 ムヒカさんの幸福論:朝日新聞デジタル

 「独房で眠る夜、マット1枚があるだけで私は満ち足りた。質素に生きていけるようになったのは、あの経験からだ。孤独で、何もないなかで抵抗し、生き延びた。『人はより良い世界をつくることができる』という希望がなかったら、いまの私はないね」

 「そうだ。人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。以前は見えなかったことが見えるようになるから。人生のあらゆる場面で言えることだが、大事なのは失敗に学び再び歩み始めることだ」

ホセ・ムヒカは、あらゆるものを失い、古い価値観が通用しなくなったとき、以前には見えなかった新しい価値観が見えるようになっていきました。

危機的状況で崩れ去る価値観

興味深いことに、衝撃的な体験によって、自分を縛っていた古い強固なものが崩れ去る、という現象は、動物にも生じるそうです。

有名な「パブロフの犬」という現象をきっとご存じでしょう。職員の足音を聞くだけで、食事にありつく準備をする犬から明らかになった、「条件づけ」という反射行動の話です。

わたしたちの持っている価値観は、これと同じ一種の条件づけです。価値観があるおかげで、この状況ではこう行動する、こう感じる、ということが自動的に生じるからです。

知らず知らずのうちに、自分をダメ人間だと感じたり、罪悪感に悩まされたりするのも、幼いころから身についた価値観によって、ある行動と感情とが結びついているからでしょう。

ところが、生きるための哲学 (河出文庫)によると、その「条件づけ」は絶対的なものではなく、特別な状況下では消え去ることがありました。

1924年レニングラード(現サンクトペテルブルク)は、大洪水に見舞われた。ロシアの生理学者イアン・パブロフの実験室も、浸水の被害に遭ったが、そこには実験用の犬たちの飼育室もあった。

幸い、溺れてしまう前に、間一髪犬たちを救い出すことができたのだが、実験を再開してみると、獲得したはずの条件反射が起きなくなっていることに気がついた。

もう一度条件付け操作をすると、条件反射が起きるようになったが、試しに、命に危険が迫るような状況を再現すると、また犬たちからは、身についたはずの反応パターンが消えていたのである。(p250-251)

なんと、命が脅かされるような危機的な状況に陥ると、動物たちが身につけていた条件づけが崩れ去って消えてしまったのです。

わたしたち人間の場合も同様で、衝撃的な体験をすると、それまで受け入れていた価値観が成り立たなくなります。

これまで強いられていた価値観が崩れ去ったとき、わたしたちはよりどころにできるものが何もない、とてもあいまいな状況に放り出されます。

そのあいまいさに耐えられずに、あくまで古い価値観にしがみつき続けるか、それとも、そのあいまいさを受け入れて自分なりの価値観を見つけ出し、新しい人生を生きていくかが、逆境を乗り越える人とそうでない人とを左右することになります。

長い虐待や強い支配を受けて育った人にも同じことが当てはまる。忌まわしい体験の記憶から、ただ逃れようとしている限りは、ただ翻弄されるばかりで、本来の自分を取り戻すことは難しい。

自分の体験したことに正面から向かい合い、自分に何が起きていたのかを見つめることができるようになって、初めて自分らしい人生を回復することができる。(p304) 

それまでの強いられた価値観という古い道具では対処できない逆境を乗り越えるには、自分なりの価値観という新しい道具を作り出して解決していくしかないのです。

新しい価値観を見出した人たち

この生きるための哲学 (河出文庫)では、親や社会から強いられた古い価値観にとらわれていた人が、ひどい逆境の中で自分と向き合い、新しい人生を見出していくエピソードがたくさん載せられています。

詳しくはぜひ直接読んでいただければと思いますが、例として挙げられているエピソードに、哲学者や作家が多いのは、きっと価値観を作り直すという過程の結果、思想を成熟させていく人が多いからでしょう。

あいまいな意味合いを自由に解釈する

新しい価値観を作りだす人は、現実をしっかり見変えた上で、現実にはさまざまな解釈の仕方があり、どんな経験からも学べることがある、という楽観的な考え方を養います。

ポジティブ心理学が1冊でわかる本では、そのことがさきほど考えた、あいまいさを受け入れることと結びつけられています。

サンドラ・シュナイダーは、現実的な楽観主義と非現実的な楽観主義を比べて詳細に述べ、「あいまいな知識」と「あいまいな意味合い」の違いを説明し、現実把握の重要性を強調しています。

「あいまいな知識」とは事実を知らないということで、一方「あいまいな意味合い」とは、解釈に幅があるということです。

楽観主義は、あいまいな知識を取り扱うのによいやり方とはいえません。たとえば、あなたが自分のコレステロール値を正確には知らないのに、自分には心臓疾患の心配はないと決めつけるのは理にかなっていないでしょう。

しかしながら、人生で起きるたくさんの状況は実際、自由に解釈することができます。そしてその解釈にこそ、楽観主義が効果を発揮するのです[シュナイダー2001年] 。(p64)

あいまいさを受け入れる力、すなわち「曖昧性耐性」とは、あいまいな知識で満足することではなく、さまざまな見方がある、というあいまいな意味合いを認め、いろいろな観点から物事を見ることです。

しっかり現実を把握した上で、上下左右、あらゆる視点から現実を眺めてみて、今までとは違うものの見方、つまり新しい価値観を見いだしていくのです。

視点を変えてとらえなおす方法

たとえばヘルマン・ヘッセがそうするために役立ったのは、具体的な日記をつけるという習慣でした。生きるための哲学 (河出文庫)にはこう書かれています。

作家のヘルマン・ヘッセは、自らの体験を日記に書くことを習慣とした。彼の日記は、単なる出来事の羅列ではなく、その情景を丹念に描いたものであった。

日記に描かれた場面は、その後、小説作品の中に取り入れられ、有効に活用された。

そういう習慣をもつことによって、たとえ不快な体験をしても、それを描くことによって、プラスな価値に転換することができたのだ。(p299)

体験した辛いできごとを、ただ頭の中でぐるぐると考えつづけるのではなく、日記に書き出して客観的に見つめなおすことで、自分の力では変えようがない体験を、自分の想像力で変えていける物語へと創り変えていくことができました。

最近のNewsweekの記事では、ジャーナリストとしてさまざまなショッキングな光景を目にしたために心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症してしまったディーン・イェーツ記者が、自分の苦悩を書き出すことによって精神が浄化されている、という体験談が語られていました。

書くことが精神を浄化させる PTSDと闘う記者の告白 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

そして私はこの記事を書き始めた。書くことには精神を浄化させる作用がある。

17号棟での最初の日々では、セラピーを受けている間、貧乏ゆすりが止まらなかった。不安の表れであったのだろう。だが書いていると、それは止まったのだ。

また、生きるための哲学 (河出文庫)によると、ナチス・ドイツの強制収容所を生き残った夜と霧の作者ヴィクトール・フランクルにとって、強制収容所の辛い体験を生き延びるのに、心の中で対話することが役立ったといいます。

フランクルが自分を守ってくれたものとして挙げていることの一つは、心の中でつねに対話をしたことである。彼は、心の中で、妻や母親といつも話を交わした。

こういう場面で、妻や母親ならどんなふうに語って慰めてくれるか、自分を笑わせてくれるか。

凍てつくような雪の中で、何時間も立たされ、ひどい目に遭っている最中でも、妻ならこういってくれるだろうと思い浮かべ、心の中に妻の声を聞くことで、現実に追い詰められることから逃れることができたのだ。

愛する存在と心の中で対話するという方法は、たとえそばにいなくても、安全基地となってくれる存在が、その人の生存を支えてくれることを示しているだろう。

自分ひとりしかいない状況で、空想上の人物と対話する、というのは奇妙なことに思えるかもしれません。

しかし他の人の立場に立って、この人ならどう考えるだろう、どう声をかけてくれるだろう、と想像することは、自分とは違う価値観の枠組みで物事を考えるのに役立ちます。

以前の記事で取り上げたように、わたしたちには、危機的状況に陥ったときに、しぜんと別の人物を心の中に作りあげ、他者との対話を通して、問題を解決していこうとする機能が備わっているようです。

脳は絶望的状況で空想の他者を創り出す―サードマン,イマジナリーフレンド,愛する故人との対話
絶望的状況でサードマンに導かれ奇跡の生還を遂げる人、孤独な環境でイマジナリーフレンドと出会い勇気を得る子ども、亡くなった愛する故人と想像上の対話をして慰めを得る家族…。これらの現象

フランクルは、このように自分の状況を客観視して、別のものの見方を駆使することによって、苦痛の伴う危機的状況を切り抜けることができました。

同時に、苦難の状況を語ることには、フランクルが、「苦悩を客観化する試み」として述べている方法に通じる。

寒さと栄養失調で足は膨れあがり、苦痛と絶望以外、何の希望も慰めもないように思われたとき、彼は、今自分が聴衆の前にいて、強制収容所での体験について語っている状況を思い浮かべたのだという。

そうすることで、自分の被っている苦悩が客観化され、耐えやすいことに気がついたのだ。(p298)

最近では、ミュージシャンのレディ・ガガが、トラウマ経験によるPTSDや解離症状、慢性疼痛を乗り越えてきた体験談を公開していました。その秘訣は、物事を別の視点からとらえ直すよう助けてくれる「言葉」だと述べています。

レディー・ガガ、PTSDについて長文のテキストを公開。全文訳を掲載 | NME Japan

私は様々な方式の心理療法をやっていますし、精神科医から処方された薬も飲んでいます。

しかし、私は最も安価で、おそらく最高の薬は言葉だと思うのです。やさしい言葉……積極的な言葉……言葉によって目に見えない病気を恥ずかしいと思っている人たちはそれに打ち勝ち、自由を感じることができるのです。

これこそが癒やされていく第一歩なのです。私は今日それを始めます。秘密にしておくと、よくないままです。そして、私はこれ以上秘密にしておきたくなかったのです。

こうした別のものの見方を想像したり、多様な考え方を切り替えたりする方法は、精神科医が用いるさまざまな心理療法にも活用されています。

たとえば、マインドフルネス認知療法は、物事にはさまざまな解釈がある、というあいまいさを受け入れる訓練をするものですし、物事を別の視点から解釈する力は認知行動療法によって養われます。

慢性疼痛・線維筋痛症にマインドフルネスが効果的
線維筋痛症などの痛みにマインドフルネスが効果的だという話が日経サイエンス2015年01月号 に書かれていました。注意力散漫と痛みや疲労との関係、注意力を鍛える方法などについても書い
認知行動療法・段階的運動療法とは何か?―慢性疲労症候群(CFS)や線維筋痛症(FM)に役立つ方法
認知行動療法を用いて、さまざまな疾患を治療する手法を紹介した本、「臨床が変わる! PT・OTのための認知行動療法入門」を読みました。CFSと認知行動療法について簡単にまとめたいと思

しかし、医者やカウンセラーの特別な心理療法を受けずとも、それらの心理療法のエッセンスは、わたしたちが日常生活のなかでいつでも実践できることです。

物事にはさまざまな解釈があるというあいまいさを受け入れ、自分の状況を別の視点からとらえなおすために、日記をつけたり、だれかと対話したり、別の場面を想像したりしているうちに、逆境を生き抜くための新しい価値観が徐々に形作られていくのです。

人生とは「自分」という新たな価値観を見つける旅

こうして新たな価値観を見いだし、逆境を乗り越えた人たちは、多くの人を縛り付け、狭い考え方に押し込めている、社会的・伝統的な古い価値観から解放され、自分の意志で人生を歩み出すことができます。

生きるための哲学 (河出文庫)で岡田先生は、ナチス・ドイツの強制収容所から解放された後のヴィクトール・フランクルについてこう述べています。

それにしても、驚かされ、胸を打たれるのは、これほどの体験をしながらも、フランクルが決して人間というものに悲観的にならなかったということである。

それどころか、彼は自分を収容し、家族の命を奪ったナチスに対してでさえ、極めて冷静な態度をとり続け、ナチスやドイツ人を、それに属していたというだけで、全否定したり、共同責任を負わせるという考え方に反駁した。

当時の時代状況において、そうした発言をすることは、大変な勇気を要することであった。二分法的な善悪論には与しない、その成熟した理知的な精神に深い敬意を感じずにはいられない。(p304)

ヴィクトール・フランクルが、ナチス・ドイツによって想像を絶する苦悶を経験したのに、人間に対して絶望しなかったのはどうしてでしょうか。またナチスやドイツ人に対して、恨みや怒りをぶつけるのではなく、冷静な見方ができたのはどうしてでしょうか。

それは、ヴィクトール・フランクルが、自分の意志で、新たな価値観に従って生きるようになっていたからです。

社会全体の価値観が、ナチスを断罪することに躍起になろうとも、人々の価値観が偏見や復讐心に支配されようとも、自分だけの価値観を見いだしたフランクルは、もはや影響されたりはしませんでした。

だれかの価値観によってだれかの人生を生きるのではなく、自分が苦闘の中で見いだした、自分の価値観によって、自分だけの人生を生きることができました。そして、幸福度を左右するあの40%の要素、つまり「自発的にコントロールできる要因」を存分に活用できました。

50%の遺伝的要素や、10%の環境要素によって流されてしまうことはなく、自分の手で、自分の人生の舵をとることができたのです。

こうして自分の人生を自分の手でコントロールすることは逆境を乗り越える人に共通する秘訣だと言われています。

難病や試練を乗り越える人の共通点は「統御感」ー「コップに水が半分もある」ではなく「蛇口はどこですか」
難病など極めて困難な試練から奇跡の生還を遂げる人たちは、共通の特徴「内的統制」を持っていることが明らかになってきました。「がんが自然に治る生き方」「奇跡の生還を科学する」などの本か

岡田先生は、生きるための哲学 (河出文庫)で、いみじくも、新たな価値観を自分の手で選び取ることは、生き生きとした人生に必須のものだとさえ述べています。

このように人間の人生は、古い絆の支配から逃れ、それを克服しようとしつつ、その一方で新たな絆を結ぼうとする。

自分が選んだわけではなく、その中に生み落とされ、そこで自分を形作った故郷を離れ、与えられた自分を一旦捨て去ったうえで、新たに自分自身が出会い、選び取った人や世界との関わりの中で生きていこうとする。

だが、その人がその人として、生き生きとした人生を歩んでいくためには、この過程が必須のように思える。

この過程を経ずに、年老いてしまった人は、窮屈で小さく縮こまり、一つの価値観にしがみつくばかりの、狭く面白みのない人格になってしまいやすい。そしてその人の人生自体が行き詰まりを来しやすいのだ。(p222)

子どものころに強いられた価値観を疑わず、そのまま生きてくることができた人は、一見すると、特に大きな葛藤を経験することもなく、幸福な人生を歩んでいるかに思えるかもしれません。

しかし、実際のところは、そうした人は、自分の人生の舵取りをしたことがなく、年老いてなお、親が漕ぎ出したボートの上で座っているにすぎないのです。

自分の思考力を用いて考えてこなかったので、あいまいさを受け入れられず、ただ決められたレールの上を走っているだけです。もしいつか、親や社会が敷いたレールが突然途切れてしまったら、その人の人生は行き詰まってしまいます。いえ、むしろもう行き詰まっているのかもしれません。

逆境を経験し、悩み抜いた人はそうではありません。「どん底」を経験し、生きるか死ぬかという苦境にさらされるとき、生き延びるためには、嵐のさなか自分で舵を握るしかなくなります。脱線して大惨事になるのを回避するには、道なき荒野に自分でレールを敷くしかないのです。

荒れ狂う大海、道なき荒野ほど、あいまいで不確かなものはありません。どこへ向かって進めばいいか、どうやって乗り越えればいいか、おいそれとはわかりません。

それでも、そのあいまいで不確かな逆境を勇気をもって受け入れ、自分の力で未来へと歩みだしたとき、人は自分の価値観を見つけ、ほかのだれでもない、世界でただ一人の、自分だけの人生を歩み出すことができるのです。

「ベンゾジアゼピン眼症」とは―睡眠薬・抗不安薬で生じる薬剤性の目の疲れ、まぶしさ、まぶたのけいれんなど

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■痛みや疲れで目を開けていられない
■家の中でもまぶしい、明るすぎる
■いつも目が乾いてまばたきが多い
■まぶたがピクピクする

うしたさまざまな目の不調を訴えて眼科を受診する人たちの症状が、睡眠薬や抗不安薬の副作用によって引き起こされている場合がある、というニュースがありました。

目に強い痛みと眩しさ…安定剤、睡眠導入薬で副作用 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

睡眠薬で目の不調…減薬・断薬 主治医と相談 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

原因となる主な薬は、ベンゾジアゼピン系と呼ばれるタイプで、このタイプの睡眠薬には、マイスリー、レンドルミン、ロヒプノール、サイレースなど、抗不安薬にはデパス、ソラナックスなど様々な薬が含まれます。

しかし、症状の原因は、神経伝達物質のひとつであるGABAの受容体に作用することにあると言われていて、GABAアゴニストというタイプに含まれるほとんどの睡眠薬で副作用として表れる可能性があるようです。

 自覚症状の程度には軽重がありますが、こうした症状を持っている症例のかなりの人々が共通して使用している薬があったのです。

それは、安定剤や睡眠導入薬として多用されているベンゾジアゼピン系あるいは同等の薬理作用を持つ薬の連用でした。

同等の薬理作用というのは脳内の神経伝達物質受容体のうち、「GABA」の受容体に作用する薬物で、ほとんどの睡眠導入薬が含まれます。

睡眠薬・抗不安薬の副作用による目の症状は、薬を減らしたり、やめたりすることで改善されますが、服薬期間が長いほど治りにくくなるともいわれています。

井上眼科病院の若倉雅登 名誉院長はこの症状を「ベンゾジアゼピン眼症」と名づけ、薬の副作用として情報を広めていきたいと述べています。この記事では、薬剤性の眼瞼けいれんについてのニュースをまとめてみました。

「ベンゾジアゼピン眼症」とは

今回 報道されている目の副作用については、2011年、眼瞼けいれんの診療指針に「薬の服用で起こることがある」と記載されました。

このブログでも取り上げたように、2014年には、東京医科歯科大学などの研究によって、ベンゾジアゼピン系の薬を長期服用している人では、視覚情報などを処理する脳の部分である「視床」が過剰に活動するようになることがわかりました。

ベンゾジアゼピン系の薬は、かねてから依存症状が問題となっていて、イギリスの医師による離脱のための手引きアシュトンマニュアルが多国語対応で公開されており、国内でも線維筋痛症の専門医の戸田克広先生が電子書籍抗不安薬による常用量依存―恐ろしすぎる副作用と医師の無関心、精神安定剤の罠、日本医学の闇―で警告しておられます。

ベンゾジアゼピン系の薬の長期服用は神経過敏による眼瞼けいれんを招く
ベンゾジアゼピン系の薬を長期服用していると、視床の働きが鈍るそうです。

睡眠障害の第一人者である国立精神・神経センターの三島和夫先生も、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬の漫然とした処方や多剤併用を問題視しておられました。

国立精神・神経医療研究センターによる睡眠薬を飲んでいる人のための40のQ&A
国立精神神経センターから、不眠に関する40のQ&Aが発表されました。

こちらの眼科医の方の記事では、睡眠薬や抗不安薬が目の症状を引き起こすメカニズムが推測されています。

清澤眼科医院通信:7298:視力検査「正常」なのに目がぼやける、服薬歴を聞いてみると…

それによると、GABAアゴニストは、脳内の神経伝達物質GABAを抑制することで神経活動を抑え眠気を催し、神経を落ち着かせますが、長期間服用しているうちに、目的以外の神経活動も抑えてしまうのではないか、と書かれています。

先程の東京医科歯科大学などの研究によれば、薬によって脳を抑制することが習慣化すると、脳が本来持っているはずの抑制システムが鈍ってしまい、視床の神経細胞の興奮を抑えられなくなって、逆に神経が過敏になってしまうのではないか、とされていました。

断薬後も消えない症状 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

その結果、服薬中の発症患者は、全身の感覚情報を大脳に中継する視床が、健康な人よりも激しく活動していた。

薬の影響で、視床の神経細胞の興奮を抑える働きが鈍り、神経が過敏になって目の症状が引き起こされたとみられるという。

残念ながらこの副作用は、眼科医にも精神科医にもほとんど知られておらず、ベンゾジアゼピン系の薬の添付文書にも詳しい記載はないそうです。

眼科医に受診して、一般の眼科的な検査をしても目そのものには異常がなく、心理的なものとみなされたり、原因不明の眼精疲労やドライアイと見なされたりして、通り一遍な点眼薬の処方をされるだけ、ということも少なくないようです。

眼瞼けいれんの3割強が薬剤性

今回のニュースの図表によると、眼瞼けいれんの症状があるかどうかは、次のような方法でチェックできるそうです。

■1秒に一回のペースで数回ゆっくりとまばたきする
■10秒間、できるだけ早く軽いまばたきをする

これらがスムーズにできなければ、眼瞼けいれんの可能性があります。

井上眼科病院では、2012年に眼瞼けいれんと診断した患者1116人について調べたところ。3割強の359人が、ベンゾジアゼピン系睡眠薬・抗不安薬を使用していることがわかったそうです。

薬剤性の眼瞼けいれんの患者のうち半数弱は薬をやめたことで症状が改善しましたが、5年以上薬を飲み続けている人の多くは、薬の使用をやめてもあまり改善しなかったとされています。

眼精疲労や明るさ過敏といった目の症状は、発達障害やさまざまな脳神経病気からくる過敏性によって生じることもありますが、睡眠薬を服用しはじめて以降に目立ってきた場合は、薬剤性の副作用を疑う必要があるでしょう。

詳しい医師を受診する

一方で、眼瞼けいれんをはじめ、多様な目の症状は、ベンゾジアゼピン系の薬の副作用ではなく、別の原因から生じていることもあります。

たとえ原因が睡眠薬にあるとわかったとしても、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬・抗不安薬を突然やめると厳しい離脱症状に苦しむことがあります。

原因不明の目の症状があり、睡眠薬・抗不安薬を服用している場合は、詳しい神経眼科相談医の指導のもと、原因を見極めて減薬するかどうかを決めることが大切でしょう。

日本神経眼科学会のサイトには各地域の神経眼科相談医と連絡先が載せられています。

神経眼科相談医:日本神経眼科学会

近年では、GABAに作用する以外の睡眠薬の選択肢として、メラトニン受容体作動薬や、オレキシン受容体拮抗薬といった、別の系統の薬も登場しています。

睡眠のリズムを整える新しいタイプの薬「メラトニン受容体作動薬」ロゼレムとは?
体内時計のリズムを治療するメラトニン受容体作動薬ロゼレムについての記事が掲載されました。
オレキシン受容体に作用する新しいタイプの睡眠薬ベルソムラが製造承認
新しいタイプの睡眠薬ベルソムラ(スボレキサント)が製造承認されたそうです。

また、国立精神・神経センターの三島先生は、不眠症の多くは、薬を用いない認知行動療法によって治療できるとも述べておられました。

第4回 目からウロコの不眠症治療法 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

さまざまな選択肢があることを知った上で適切な治療を選び、もしベンゾジアゼピン系の薬を使う場合でも漫然と長期服用したりせず、一時的な使用に留めるよう、よく医師と相談する必要がありそうです。

視力検査でわからない3つの視機能異常とは?―発達障害やディスレクシアに多い「見る力」の弱さ

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見え方に問題があると言うと、近視や乱視、または老眼などによる視力低下が思い浮かぶ。

目は必要に応じて動き、色や形、物の動きや位置をとらえることは、あたり前だと私たちは思い込み、視力以外見え方の問題の存在について考えることはほとんどない。(p9)

「見る力」が弱い、と言うと、多くの人が思い浮かべるのは、視力が弱いという意味かもしれません。

ところが、冒頭に引用した学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援の言葉のように、「見る力」には視力以外のさまざまな能力が含まれています。

そして、発達障害や学習障害(LD)の子どもは、視力は正常でも、一般の視力検査には表れないさまざまな「見る力」が低下しているせいで、学習につまずいたり、日常生活で苦労を味わったりすることが多いと言われています。

中には、ADHD(注意欠如多動症)の不注意や多動性など、発達障害の症状だとみなされているものが、じつは「見る力」に問題があるせいで生じていることもあるそうです。

この記事では、発達障害の子どもの視知覚認識問題への対処法などの本から、あまり知られていない見え方の異常として、見た目でわからない「隠れ斜視」、近くを見る作業が難しくなる「輻輳不全」(ふくそうふぜん)、文字や行を見失いやすい「衝動性眼球運動の弱さ」について取り上げます。

そうした気づかれにくい「見る力」の異常を検査する方法や、治療に役立つ情報も紹介したいと思います。

これはどんな本?

今回おもに参考にしたのは以下の二冊です。

発達障害の子どもの視知覚認識問題への対処法かわばた眼科の川端秀仁先生が監訳したアメリカで行われている視知覚認知機能の検査・診断・トレーニングについての本です。

学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援大阪医科大学LDセンターによる、学習障害と視知覚認知機能のつながりについての解説と対処方法がまとめられた わかりやすい本です。

発達障害の半数以上に見る力の問題

冒頭で説明したように、「見る力」の異常は、一般的な検査で測られる視力とは別のものです。

視力検査では正常で、眼科的な検査でも斜視などの明らかな問題が見当たらない場合でも、「見る力」、つまり視機能の弱さを抱えている子どもたちがいます。

学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援によると、そうした視機能の弱さは、ADHDや自閉スペクトラム症などの、発達障害の子どもたちに特に多く認められるそうです。

三浦ら(2008)は、発達障害を疑われて小児科発達外来に紹介された学童に視機能検査を実施し、その機能低下の出現頻度について調査を行った。

…視力、立体視、輻輳、衝動性眼球運動の4項目について調査を行った結果、対象児ま51.8%がいずれかの項目で問題を認めた。眼球運動と輻輳の問題の出現頻度が高く、対象児の32.4%が眼球運動、20.1%が輻輳に問題を認めた。

この研究で行われた調査には、視知覚や目と手の協調運動のつまずきに関しては含まれていない。それでも、発達障害の半数以上に見る力の問題がみられたことは注目すべき事実である。(p58)

この調査によると、発達障害を疑われた子どものうち、なんと半数以上が、何らかの視機能の異常を抱えていました。

注目に値するのは、子どもたちの抱えていた問題のうち、視力そのものの異常は、それほど多くなかったという点です。

この調査で扱われた4つの項目(視力、立体視、輻輳、衝動性眼球運動)のうち、最も多かったのは眼球運動、次が輻輳(ふくそう)といった、どちらもほとんど知られていない「見る力」の問題だったのです。

しかし、ほとんど知られていない問題だからといって、それらの異常は、決して軽視してよいものではありません。

これから考えていきますが、「見る力」の問題は、単なる視力の問題とはまた違ったかたちで、子どもたちの生活に大きな影響を及ぼします。

「見る力」の問題なのに意欲のせいにされてしまう

「見る力」に問題があれば、当然ながら、読み書きなど目を使う学習に苦労を抱えるようになります。

しかし悲しいことに、本当は「見る力」に問題があるのに、本人の能力の低さや怠け、意欲の不足とみなされてしまい、不適切な指導を受けている子どもが少なくないようです。

学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援には、「見る力」の問題という原因を見逃したまま、不適切な指導を続けると、子どもたちにどんな悪影響が生じるかが書かれています。

年齢が低いほど、子どもたちは「書くのはいや」、「面倒くさい」、「できない」などと訴えることが多いので、「がんばればできるのに怠けているから覚えられない」「乱暴に書くから覚えられない」などと、さらに書く練習を増やされることも少なくない。

結論から言うと、彼らには単純に繰り返し見て書く、覚えるまで書いて練習する、という方法は適していない。

…何よりも避けたいことは、不適切な学習を積み重ねた結果、書字に対する負担や拒否がどんどん大きくなり、「どうせ覚えられない」と、学ぶ意欲そのものを損なってしまうことである。(p85)

読み書きが難しかったり、なかなか覚えられなかったりするのは本人の意志力や努力の不足ではないのに、何度も何度も苦手なことをやらされた結果、本当に勉強が嫌いになったり、自分はダメだ、という劣等感を抱いてしまったりする子も少なくないのです。

じつは発達障害ではないことも

「見る力」の問題は、発達障害の子どもと関係が深いようですが、必ずしも発達障害に特有のものではありません。

学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援には、次のように書かれています。

認知の障害(たとえば、視知覚の問題)があっても、発達障害の診断基準にあてはまらなければ、発達障害の診断名はつかないこともある。(p29)

「見る力」、つまり視知覚の問題があっても、発達障害の診断はつかない子どももいます。

気をつけなければならないのは、本当は「見る力」に問題があるせいで生活の苦労が生じているのに、表面的な行動だけを見て、発達障害だと誤って見なされてしまう子どもがいることです。

この本には、「見る力」に問題があるせいで、行動障害や学習障害を抱えていた子どもたちの例がたくさん出てきますが、その中に、広汎性発達障害と診断されていた小学4年生の女の子もいました。

その子は、広汎性発達障害と、それに伴う学習障害だとみなされていましたが、注意深く検査すると、どうやらそうではない、ということが明らかになりました。

学習に影響を与えるような視力の問題や屈折異常は認めず、眼科的な問題も指摘されていなかった。

広汎性発達障害の診断を受けていたが、言語や全般的知的能力の発達には大きな遅れは認めなかった。

しかし、「見る力のチェックリスト」においては、視知覚に関連する項目でチェックが多かった。(p115)

この女の子の場合、学習障害の原因になっていたのは、広汎性発達障害による知能の遅れではなく、「見る力」の弱さだったのです。

ですから、すでに発達障害と診断されていても、生活の困りごとが、じつは「見る力」の弱さのせいで生じていることがあるかもしれません。

発達障害と診断されていても、そうでなくても、「見る力」つまり視知覚認知機能の弱さについて考えてみることは大切です。

一般的な検査ではわかりにくい「見る力」の弱さには、さまざまなタイプがありますが、これから、特に3つのよくある異常について考えてみましょう。

1.隠れ斜視

最初に取り上げるのは隠れ斜視の問題です。

斜視とは、眼球を支える筋肉の弱さなどのせいで、左右の目が違う方向を向いて、視線がずれてしまっている状態です。

多くの人は、斜視というと、外から観察してすぐにわかるものと思いがちです。斜視の子どもは、目の位置がずれるので、家族もすぐに気づいて、眼科医を受診することが多いでしょう。

ところが、斜視の中には、見た目にわかりにくく、症状があるのに見過ごされてしまうタイプがあります。

ときどき斜視が出る「間欠性斜視」

まず一つ目は、「間欠性斜視」(間歇性斜視)と呼ばれる、視線がずれるときと、そうでないときとがある不安定なタイプの斜視です。

「間欠性」(かんけつせい)とは、起こったりやんだりするものを指す言葉です。熱湯が出たりやんだりする間欠泉という温泉について聞いたことがある人も多いでしょう。

学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援には間欠性の斜視について、こう書かれています。

斜視は、外見でわかるとは限らず、隠れてわからない状態、または視線のずれが外見でわかる時間帯と隠れている時間帯をもつ場合がある。

常に視線がずれている斜視を恒常性斜視、正確に両眼視できるときと斜視のときがあるものを、間歇(かんけつ)性斜視と言う。

間歇性斜視では、特に集中していないときや疲れているとき斜視が表に出やすくなる。(p47)

ここで説明されているとおり、間欠性斜視はいつも両目の視線がそろわないわけではなく、一見すると異常がないようにみえます。しかし注意散漫なときや、疲れているときには斜視の症状が出て悩まされます。

発達障害の子どもの視知覚認識問題への対処法によると、間欠性斜視は、検査では見逃されやすいばかりか、頭痛や眼精疲労の原因になることもあります。

軽度の斜視や間欠的な斜視は、視力検査では見過ごされがちです。

ですが、たとえ筋肉を制御して斜視を正すことができても、その状態を続けることで頭痛、目の疲れ、視界のぼやけやぶれ、視覚注意が続かないといった、いろいろな症状が起こってきます。(p29)

間欠性斜視は、集中しているときは両目がそろうといっても、本来視線がずれやすいのをなんとかそろえている状態なので、目に負担がかかり、集中するのに普通より大きなエネルギーが必要なのです。

軽度発達障害児における眼疾患の検討によると大阪医科大学LDセンターを訪れた軽度発達障害の子ども22名のうち、間歇性外斜視ないしは外斜視が半数以上の12名に見られたと言われています。

自力で両目をそろえている「斜位」

間欠性の斜視よりもさらに気づかれにくいのが、「斜位」と呼ばれるタイプです。ときどき斜視の症状が出る間欠性斜視とは違って、「斜位」はさらに気づかれにくく、隠れ斜視と呼ばれることもあります。

発達障害の子どもの視知覚認識問題への対処法ではこう説明されています。

斜視以外にも両眼視に問題が起こることがあります。目が内側や外側、時には上を向きがちなものの、自分で両眼の視線をそろえることができる状態を、斜位と呼びます。

片眼を隠した場合、隠された眼が内側に向く(内斜位)、外側に向く(外斜位)、上また下に向く(上下斜位)などがあります。これらの斜位の程度が強く不快感がある場合は問題になります。(p29)

間欠性斜視は、ずれた視線を自力である程度そろえることができましたが、斜位もそれと似ています。

斜位の人は、斜視と同じく目の方向がそろっていませんが、自分で筋肉をコントロールして、視線をそろえることができるため、表向きには斜視であることに気づかれません。

しかし間欠性斜視と同じく、目の向きをそろえるために普通よりも大きな労力が必要なため、知らず知らずうちに、エネルギーを消耗してしまいます。

その結果、集中力が続かなかったり、慢性的な眼精疲労や不快感に悩まされてしまうこともあるでしょう。

引用した中で説明されていたとおり、斜位には、片眼を隠したときに斜視の症状が出るという特徴があるので、詳しい眼位検査や両眼視機能検査によって判別できます。

斜位の程度が強い場合は、プリズム入りのメガネを作ることによって、目への負担を軽減することができます。

斜位について詳しくは、こちらのサイトの説明がわかりやすく思いました。

斜視と斜位(隠れ斜視)~メガネの一心堂

斜位について│メガネのハマヤ

2.輻輳不全(ふくそうふぜん)

あまり知られていない見る力の問題の2つ目は「輻輳不全」(ふくそうふぜん)と呼ばれる異常です。

なじみのない難しい漢字が使われていますが、「輻輳」(ふくそう)とは両目を内側に寄せて寄り目をすることで、寄り目をする力が弱いものを「輻輳不全」といいます。

輻輳不全は、さきほどの斜位のうち、目が外側を向きがちな外斜位とも関係しています。

発達障害の子どもの視知覚認識問題への対処法では、輻輳不全について、次のように説明されています。

輻輳不全は、斜視以外の両眼視の問題の中で最もよく見られるもので、近いものに視線を合わせようとしても、片方の視線が内側に寄らず、外側を向いてしまう状態のことです。(p29)

輻輳不全の子どもは、寄り目が難しいので、近くにあるものを両目で見ることに苦労します。

学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援でも、輻輳不全のことがこう説明されています。

輻輳不全とは、近くを見る際に十分に寄り目ができない両眼視機能低下の一種である。

寄り目がうまくできないために、近くを見る作業が不正確になったり、注意や集中の低下になったりすることがある。(p19)

このように、輻輳不全の特徴は、近くのものを両目で見るのが難しい、という点ですが、子どもたちにとって、近くのものを見なければならないのは、何よりも勉強するときです。

軽度発達障害児における眼疾患の検討によると、学習障害の専門機関である大阪医科大学LDセンターを訪れた軽度発達障害の子ども22名のうち、8名は輻輳不全を抱えていました。

輻輳不全があると、勉強をするとき、どのような不都合が生じるのでしょうか。

近くのものに焦点が合わず二重に見える

発達障害の子どもの視知覚認識問題への対処法によると、輻輳不全を持っている子どもたちは、手元の本を読んだり、プリントの読み書きをしたりするとき、「複視」というやっかいな症状を抱えることがあります。

複視と呼ばれる、ものが二重に見える状態は、両眼視がうまくいっていない時に一番よく見られる症状です。(p28)

複視とは、両目が十分に寄せられないため、近くのものに視線を合わせることができず、ものが二重に見えてしまう症状です。左目と右目の像が微妙にずれてしまうのです。

そうすると、学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援に書かれているように、手元の作業で疲れやすいという別の問題が生じます。

本の文字を見るとき、私たちは両目を同時に使っている。両眼視に問題があると、右目と左目の映像がうまく重ならないため…文字が二重に見えることがある。

また、読みを中心とした手元で行う作業で疲れやすい、集中力がなくなるという特徴が出る場合もある。(p37)

近くのものが二重に見えると、文字がぶれてしまうせいで、読み書きに普通より強い集中力が求められ、目が疲れるだけでなく、集中力も激しく消耗します。

ほかの子どもはなんなくすらすらと読める文字でも、細心の注意を払って判読しなければ理解できません。そうすると、読み書きのハードルがぐんと上がってしまい、勉強とは難しくしんどいものなのだと感じられるでしょう。

その結果、輻輳不全がある子どもは、勉強が苦手な学習障害(LD)や、勉強を嫌がって手のかかる注意力散漫なADHDと誤診される可能性があります。

ADHDと誤診されていることも

輻輳不全が、ADHDや学習障害とつながりの深い問題だということは、学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援に載せられている調査からわかります。

bouse(2009)らは、ADHDと輻輳不全が学習に関連する行動にどのように影響するかについて研究を行った。

…この結果は、ADHDがなくても輻輳不全があると、学習行動に悪影響を与える可能性を示す結果である。

多動や不注意などの特徴がある場合、ADHDの有無を調べるとともに、調節を含む視覚に関する問題の有無も調べる必要がある。(p19)

詳細は省きますが、この研究では、輻輳不全がある子は、たとえ生まれつきのADHDの症状がなくても、見え方の問題のせいで学習に困難をきたし、多動や不注意の症状が出てしまう、ということがわかりました。

発達障害の子どもの視知覚認識問題への対処法には、見る力の弱さのせいで、不注意や学習困難を抱える子どもが多く、特に輻輳不全の子どもがADHDと誤診されている例があるのではないか、と書かれています。

視覚の問題は注意欠陥多動性障害(AD/HD)、ディスレクシア(読み書き困難)や非言語性学習障害といった学習障害(LD)にもよく見られます。

読み書きをする時に文字を裏返す、左と右の区別がつきにくい、位置関係の認識や視覚記憶の弱さといった典型的な問題は、視覚を効果的に使えていないために起こります。

特に両眼視がうまくできず、近くのものに視点が合わない子どもが多いのです。

目の機能に問題があるためにすぐ近くを見ることができないのに、注意力に問題があるとしてAD/HDと誤診されてきている子どもたちがいるはずだと思っている専門家もいます。(p11)

輻輳不全の子どもは、目の機能に問題があるせいで、近くをはっきり見ることができないわけですが、子どもはそのことを親や先生、そして医師に説明できず、ただ勉強を嫌がるとか集中できないといった行動だけが目立ってしまいます。

実際に、視覚はよみがえる 三次元のクオリア (筑摩選書)には、輻輳不全のせいで、ディスレクシア(読み書き困難)を抱え、注意力散漫なADHDと診断されていたエリックという少年の話が出てきます。

何年ものあいだ医者の診断や学校の検査で見過ごされてきたあとで、ミシェルはようやく、エリックの問題が輻輳不全と呼ばれる視覚障害から生じていることを知った。

さほど珍しい事例ではないのに、難読症と誤診されることがよくある障害だ。

エリックは遠くを見るときにはちゃんと目を動かせるが、近くを見るときには動かせない。対象物が顔に近づくと、立体視を放棄してしまう。

エリックはずっと勉強が苦手で、親も医者も、ADHDの多動や不注意からくるディスレクシアだと思われていました。しかし、母親のミシェルが、あるときエリックの目の動きの問題に気づき、詳しい検査を受けたところ、輻輳不全が判明しました。

彼女の話からもわかるように、綿密な検査を行わないかぎり、輻輳不全はなかなか発見できない。しかも、当の子どもはたいてい、自分に視覚上の問題があることに気づいていない。

文章を読むときに単語がページの上を飛びまわるのがおかしいとは思っていないのだ。また、文字が二重に見えたりぼやけたりするのが変だとも思っていない。

当然の話だが、文章を読むのが人より大変であることに気づいておらず、結果として学校の成績が悪くなると、エリックのように行動上の問題を生じる場合がある。(p70-71)

エリックの場合、近くのものに両目を同時に向けることが難しく、すぐに目がそれてしまうために、文字が飛び回ったり、二重にぼやけて見える「複視」になったりしました。

しかし本人はそれを普通のことだと思っていたので、目の問題からくるディスレクシアだとわかりませんでした。

家族や先生もまた、ふだんは両眼視がしっかりできているため、勉強しているときだけ両眼視が狂っているとは思いもしなかったのです。

輻輳不全は、輻輳力を鍛える視能訓練をしたり、さきほどの隠れ斜視と同様、プリズム入りのメガネをかけたりすることで改善するとされています。

この話に出てきたエリックも、視能訓練によって学習障害が解消され、大学でトップクラスの成績を収めるまでになりました。

もしも、目の問題に気づかれず、ADHDや学習障害、ディスレクシアだと見なされたままであれば、エリックは大きくなるまで、ずっと問題児のままで、不適切な薬物治療も受け続けたことでしょう。

しかし目ざとい母親が見る力の問題に気づき、専門機関で検査を受け、適切な対処をしたおかげで、発達障害でも学習障害でもないことが明らかになったのです。

3.衝動性眼球運動(サッケード)

最後に、3つ目に取り上げるのは、衝動性眼球運動(サッケード、ないしはサッカード)と呼ばれる眼球運動の異常です。

こちらもまた聞きなれない言葉ですが、サッケードとは、目の中心でものを見るために、目の位置をすばやく動かす眼球運動のことをいいます。

学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援では、こう書かれています。

あるポイントから違うポイントに視線をジャンプさせる眼球運動を「衝動性眼球運動(Saccade)」と呼ぶ。(p20)

発達障害の子どもの視知覚認識問題への対処法でも、衝動性眼球運動(サッケード)についてこう説明されています。

衝動性眼球運動とは、対象物を目の中心窩でとらえるため、視線を急速に移動させる目の動きのことです。(p29)

衝動性眼球運動(サッケード)は、わたしたちがスムーズにまわりのものを見るために不可欠な目の機能です。

しかしサッケードがうまく働かないと、目がすばやくスムーズに動かなくなり、目のすばやい移動を必要とする作業が難しくなります。

近年の研究では、サッケードの異常は、ADHDの子どもに頻繁に見られることがわかっています。

ADHDの子どもは目の速い動き(サッカード眼球運動)を制御する脳機能に異常
ADHDの子どもが一点を集中して見るのが苦手な理由について。

先ほどの輻輳不全の場合は、本当は目の問題なのに、誤ってADHDのような発達障害だと誤診されていることがある、ということでしたが、サッケードの異常はADHDの症状の一部で、ADHDの診断の手がかりになると言われています。

ADHDをはじめ、目のサッケード運動が苦手な子どもたちが苦労する作業のひとつは、勉強に不可欠な「本を読むこと」です。

文字や行を見失う

サッケードと呼ばれる眼球運動がうまくいかないと、本を読むときにどんな苦労が生じるのでしょうか。

発達障害の子どもの視知覚認識問題への対処法の説明を見てみましょう。

眼球運動は本を読む時に特に重要で、目をすばやく巧みに動かして、印刷物の上に視線を合わせ続けなければなりません。

眼球運動に問題がある子どもは、読むことに集中できず、どこを読んでいるのかわからなくなったり、行を飛ばしたり、文字を追うのに頭ごと動かしたりしています。(p29)

わたしたちは本を読むとき、目をすばやく動かして、文章の流れを追っています。いまこのブログを読んでいる人も、目を行から行へと、すばやく動かしているはずです。それがサッケードです。

しかし、サッケードが苦手な子どもは、次の行に移るときにスムーズに視線が移動しないので、どこを読んでいるのか見失ったり、行を飛ばしてしまったりします。

この点は、学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援でも、次のように説明されていました。

衝動性眼球運動がすばやく正確にできないと、読み飛ばしが増えたり、文章の行や列が変わるときに場所を見失ってしまったりすることがある。

そして、そのために文章の内容が理解しにくくなることがある。(p21)

一般的な協調運動には含まれないが、特殊な運動調節として眼球運動があり、特に衝動性眼球運動(Saccade)に問題が生じると文章を読むこと、書き写しなどに困難をきたす。(p26)

目をすばやく正確に動かせないと、読んでいる内容の読解力が低下したり、黒板とノートに交互に目をやって書き写す作業の効率が悪くなって、ひと一倍時間がかかったりしてしまいます。

「字づまり視力」が低い

目がスムーズに動かず、サッケードの力が弱い子どもにとって、日本語の文章は特に読みづらいものかもしれません。

その理由は学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援にこう書かれています。

文章を読むには、中心窩という網膜にある視力が最もよく出る場所に文字を写すために、正確にすばやく視線をジャンプさせて移動させる必要がある。

中国語や日本語以外のほとんどの言語では、単語と単語の間にスペースをあけて文章が書かれる。

日本語では、一般的にこの単語間スペースはなく、句読点以外は続けて表記される。そのため視線を移動する際、移動距離を決める手がかりが少なく、眼球運動コントロールのプロセスがより複雑であると考えられる。(p35)

単語と単語の間にスペースが空いている英語と違って、日本語は、句読点を除けば文字がぎっしりと詰まって書かれる傾向にあります。

このブログでは、頻繁に改行して、文と文とあいだにスペースをとっていますが、文庫本の小説や、専門的な内容のWebページでは、ほとんど改行もなく、文字がひしめき合っていることもしばしばです。

そうした混み合った文章では、自分がどこを読んでいるのか把握する手がかりが少ないので、スムーズに行を追えない人は、頻繁に読んでいる場所を見失って、混乱してしまいがちです。

興味深いことに、眼球運動など「見る力」の弱さを抱えている人たちは、文字がひとつだけのときと、ぎっしり混み合っているときとでは、視力さえも変わってくるそうです。

学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援では、それは「こみあい現象」(クラウディングエフェクト)と呼ばれています。

発達障害や医学的弱視(amblyopia)がある子どもでは、視力検査表のランドルト環などが複数同時に提示され、文字間隔が狭いと視力が出にくく、一文字ずつ提示すると視力が出やすくなる場合がある。

この現象をcrowding effect (クラウディングエフェクト : 日本語では「こみあい現象」や「読みわけ困難」と訳されている)という。

ここで出てくる「ランドルト環」とは、よく視力検査で用いられる「C」の文字のことです。

発達障害など「見る力」の弱い子どもは、一般の視力検査表のような、大小さまざまなランドルト環がひしめきあった表で視力をテストしたときより、一度にひとつだけのランドルト環を見せて検査したときのほうが視力が良く出るのだそうです。

たくさんのランドルト環がひしめきあっている表で調べた視力は「字づまり視力」、一度にひとつだけランドルト環を見せて調べた視力は「字ひとつ視力」と呼んで区別されていています。

幼児や発達障害、またはなんらかの見えにくさがある子どもでは、通常の「字づまり視力」ではどこを見てよいかわからなくなったり、さし示した文字に注意を維持できなかったりすることがある。(p14)

こうした「こみあい現象」からしても、衝動性眼球運動(サッケード)の異常があるようなADHDの子どもの場合、字がぎっしり詰まってスペースがないようなプリントでの勉強は、視力そのものが低下するかのような苦労が伴うことがわかります。

マイクロサッケードが抑制されると視力がなくなる

それにしても、どうして、サッケードと呼ばれる目の眼球運動と視力とが関係してくるのでしょうか。

今しがたの説明にあったように、単に、文字が混み合っているせいで、ひとつの文字に注意を集中しにくい、という理由もあるのでしょうが、サッケードと視力にはもっと深い関係があるかもしれません。

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によると、目のすばやい運動には、ここまで考えてきた一般的なサッケードのほかに、もっと細かい運動であるマイクロサッケードと呼ばれる眼球運動があります。

チャールズ・ダーウィンの父ロバートは、静止しているように見えているときでも、目が不随意に動いていることを発見した。

現在ではマイクロサッケードは特殊な装置を用いなければ観察できないほど高速で起こることが知られている。

薬物によって眼筋が麻痺した場合など、マイクロサッケードが抑制されると、その人は視力を失ってしまう。(p316)

不思議なことに、この記述によると、目の細かく素早い運動であるマイクロサッケードを抑制すると、なぜか視力までが失われてしまうとされています。

単純に考えると、目のすばやい運動ができなくなったとしても、まっすぐ前方は見えるはずですし、首から上を頭ごと動かして周囲を見回せば、まわりの景色が見えるのではないか、と感じます。

ところが、サッケードやマイクロサッケードといった目のすばやい眼球運動には、単に文章の行を追ったり、あちこちに視点を移動させたりする以上の役割があるようです。

目はマイクロサッケードを行ない、複数のバージョンのイメージを送って、脳に新たな情報を供給しているのである。

(私たちは触覚に関してもこの種の衰退を経験する。服を着たり、メガネをかけたりすると、私たちは皮膚にそれらが接触するのを感じる。

しかし時間が経つにつれ、動いて新たな接触を感じない限り、その感覚は薄れていく。)(p317)

ここでは、マイクロサッケードは、脳に新たな情報を供給する役割があると書かれています。

後半の解説が示唆しているように、わたしたちの感覚というのは、絶えず新しい情報が入ってこないと、何も感じなくなってしまいます。

服を着たり、メガネをかけたりすると、その瞬間は刺激を感じますが、そのうち感覚が薄れて何も感じなくなっていきます。

ときどきメガネをかけたまま、メガネを探し回るといううっかり話が聞かれますが、メガネをかけたまま、しばらく時間が経つと、メガネをかけているという感覚が薄れてしまうのでしょう。

こうした事実からわかるのは、わたしたちの感覚というのは、「変化」を感じ取っているということです。

じっとしているときでも、目が小刻みに動くのは、ほんの少しずつ異なる情報、つまり変化を脳に送って、絶えず視覚情報を鋭敏に保つためです。

薬物によって目のマイクロサッケードを抑制すると、視力が失われてしまうのは、かけたまま気づかないメガネのように、変化がないせいで、感覚が薄れていってしまうからなのです。

眼球運動の不思議 目の動きから心が見える | 日経サイエンス

そうすると、薬物によってマイクロサッケードが抑制される場合ほど極端ではなくても、サッケードやマイクロサッケードがスムーズに働かないと、あたかも視力が弱くなるかのような苦労が生じるとしても不思議ではありません。

先ほど「発達障害や医学的弱視(amblyopia)がある子ども」では、「字づまり視力」が弱くなるという傾向があると書かれていましたが、サッケードに異常があると、ある場面では弱視のような苦労が生じるということなのかもしれません。

検査でわかりにくい「見る力」の問題に対処する

このように、一般の視力検査や眼科検診では異常がなくても、さまざまな「見る力」の問題が隠れていることがあります。

学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援によると、ここまで考えてきた3つの問題をはじめ、「見る力」の異常は、通常の検査では気づかれにくく、たとえ見つかってもあまり重視されないことが多いようです。

たとえば、軽い間歇性外斜視(まっすぐ見ている状態と斜視の状態が間歇的に現れる)や輻輳不全で眼科では生活には問題がなく経過観察となる場合でも、黒板を写すのに時間がかかったり、書き間違いが多くなったりすることがある。

眼科的には問題ないと言われている場合でも、両眼視などの問題が指摘されている場合には、つまずきがないか確認し、必要に応じた支援を検討する必要がある。(p44)

怠けてなんかない! セカンドシーズンあきらめない―読む・書く・記憶するのが苦手なLDの人たちの学び方・働き方では、今回紹介した本を監訳しているかわばた眼科の川端秀仁先生に取材した内容が載せられていますが、その中で次のような事情が語られています。

川端医師はそう現状を分析しながら、続ける。

「そもそも、眼科医になる過程で、我々はLDやディスレクシアのことを学ぶ機会がないのです。

医者として養成されるとき、目の病気のことは学んでも、学習と視覚認知との関係については学ばないからです。

だから、保護者が“うちの子は字が読めないんです”と子どもを連れてきた時、視力に問題がなく、緑内障や白内障などの目の病気が見つからず、病名がつかなければ、“これは眼科医の範疇ではない”という理解をするのが一般的です」(p164)

そのようなわけで、たとえ眼科医に異常がないと言われたとしても、見え方に問題がない、という太鼓判を押されたわけではなく、眼科医が気づかない見る力の問題が潜んでいる可能性は十分にあります。

では、自分や子どもに、こうした気づかれにくい「見る力」の異常があるかもしれない、と感じたら、どうすればいいのでしょうか。

オプトメトリスト(検眼医)を探す

まずできるのは、一般的な眼科医や発達障害の専門家ではなく、「見る力」の専門家の判断を仰ぐことです。

発達障害の子どもの視知覚認識問題への対処法によると、そうした見る力の専門家はオプトメトリスト(検眼医)と呼ばれています。

もうひとつの医者はオプトメトリスト(検眼医)です。アメリカではふつう学部終了後、4年間の修士課程を修了してDoctot of Optmetry(O.D.)の資格が得られます。

一般にいう医師とは異なりますが、目の病気や視覚システムの問題を専門に担当します。

彼らは視覚の問題について、眼科医よりも総合的なアプローチをとり、生活の質を高めるための目の役割に注目します。(p38)

オプトメトリストは、アメリカなどの諸外国ではよく知られている資格ですが、日本ではほとんど知られておらず、認められていません。

とはいえ、海外でオプトメトリストとしての資格を取得した人が、国内の医療機関やメガネ屋さんと協力していることがあり、日本でもオプトメトリストによるサポートを受けることは可能です

今回紹介した学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援の、大阪医科大学LDセンターでは、オプトメトリストの奥村智人先生を採用したことで、学習障害(LD)と視知覚認知機能とのつながりについての研究が進められてきたそうです。(p3)

オプトメトリストが協力している施設であれば、通常の眼科的な検査に加え、眼位検査や両眼視機能検査など、今回紹介した気づかれにくい目の問題を調べる検査も実施されていることでしょう。

環境調整やビジョントレーニング

目の運動の異常など、見る力の問題を抱えていることがわかったなら、途中で出てきたエリックのように、視能訓練を受けたり、プリズム入りのメガネを作ったりして、専門家の指導にそって見る力を改善することが可能です。

学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援では、コンピュータを用いた眼球運動トレーニングやビジョントレーニング(VT)によって、見る力が改善することが実証されています。

発達障害の子どもの視知覚認識問題への対処法にも家庭でできるさまざまなトレーニング方法が載せられているので、参考に活用することができます。

この記事の末尾にもビジョントレーニングに役立つサイトや書籍へのリンク集を載せておきます。

目の緊張をほぐすトレーニング

マイクロサッケードのところで紹介した脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線という本には、海外のオプトメトリストたちが用いている目の緊張をほぐすための取り組みが紹介されていました。

その内容は、1世紀以上前に先進的な検眼医として活躍していた医師ウィリアム・ベイツが開発したベイツ・メソッドや、それをもとに目のスムーズな運動を訓練する方法を開発したモーシェ・フェルデンクライスのフェンデルクライス療法に基づくものです。

フェンデルクライスは、サッケードやマイクロサッケードといった眼球運動が弱い人たちは、目の筋肉が強く緊張してこわばっていることに気づきました。

フェンデルクライスは、明らかにサッケードとマイクロサッケードに言及している。

見るためには目は動かなければならないが、細部をとらえる黄斑が大きく跳躍すると視野はぼやける。
それを防ぐには、目はつねになめらかに動かなければならない。

だが、筋緊張が高じているとそれは不可能だ。(p329)

そこで、フェンデルクライスは、目の緊張を和らげ、スムーズな眼球運動ができるように、目をリラックスさせる方法を考案しました。ここではそのうち3つを簡単に紹介します。

パーミング

目をリラックスさせるのに役立つ一つ目の方法は、「パーミング」です。これはとても単純な方法で、目を閉じて休むとき、手で光をさえぎるというものです。

次に彼はパーミングを始めた。これは、手が完全に目に触れないようにしながら、額に指をあて、目をてのひらで覆うという実践方法だ。

…パーミングは単にまぶたを閉じるだけより、はるかに多くの日光を遮断することができる。

そしてそれによって、視神経と脳の視覚神経回路に真の休息を与える。

また、パーミングは、目の動きと目全体の筋緊張を徐々に低下させる。(p326)

単純なことに思えますが、目をしっかり休めるためには、光を遮ってリラックスさせることが欠かせません。

黒いビロードを想像する

光を遮って目を休めると、まぶたの裏に、さまざまな色や形が見えてきます。フェンデルクライスは、これは、目の視神経が興奮している表れだと述べます。

手で目を覆っても、万華鏡を覗き込むようにさまざまな色や形が見えるはずです。

この現象は、興奮した視神経が、色や形以外のものをとらえられなくなるために生じるのです。

そして、あなたの全視覚系が静穏ではないことを示しています。(p326)

目を閉じて光を遮っても、目の神経はさまざまな光の刺激に興奮したままなので、それを意識的にリラックスさせることで緊張を解く必要があります。

そのために役立つのが、目をリラックスさせる二つ目の方法、深みのある黒を想像するということです。

目の背景に、周囲よりも黒く暗い点が見えるかどうかをゆっくりと確認してください。

そうすれば次第に黒い点が見えてくるはずです。

見えたら、それらがとても大きく、背景全体を覆っていると考えてください。(p326)

興味深いことに、わたしたちの脳は、実際にものを見るときと、それを想像するときとでは、同じような働きがみられるそうです。起きているときと、夢を見ているときとでは、どちらも脳の視覚野が同じように活動しています。

それで、さまざまな色や光がちらつく視神経の興奮を抑えるためには、目を閉じて青みがかった黒を思い浮かべ、暗く穏やかな背景が、視界全体を覆っていくように想像することが役立ちます。

まぶたの内側が湿った黒いビロードでできていると考えてください。

あなたの視神経全体が、いかなる作用も行わず、どんな刺激も受け取っていない静穏な状態であれば、そのような種類の黒が見えるはずです。

それは人間が見ることのできる、もっとも濃い黒なのです。(p330)

こうしてビロードのような黒をイメージすることで、ノイズに満ちた脳が静まり、視覚機能がリラックスします。

ベルハンド

最後の3つ目の方法は「ベルハンド」と呼ばれるスキルです。

フェンデルクライスは、ちょうどベルを持つような形に手を丸め、心身をリラックスさせる方法を考え出しました。

フェンデルクライスは、単に手をわずかに開いたり閉じたりしたときに何が起こるのかを探究し始めた。

彼は生徒に、てのひらが柔らかくなったところをまず想像してから、非常にゆっくりと、ごくわずかに指を外側にそらせて開いたり内側に指を引き入れて閉じたりし、それによって身体にどのような影響が及ぶかを観察するよう促した。

この動きは楽にできるはずである。なぜなら、息を吸うときには手と指がわずかに開き、また吐くときには収縮する傾向があるからだ。

手が鐘の形になることを強調するために、彼はこのレッスンを「ベルハンド」と呼んだ。

ちなみに手と指の開閉はごくわずかなものなので、鐘の振動のように見える。(p330)

そして、「ベルハンド」の手法は、単に手のひらをリラックスさせるだけでなく、目をリラックスさせることにも役立つことを発見しました。

手に対応する脳マップは、顔と目のそれに近接している。

…「手と目を結びつける神経経路は、脳の高速道路のようなものです。

この結合を使って、手に対応するニューロンから、目の筋緊張や目全体の動きをコントロールしている運動皮質のニューロンへ、学習したことと筋緊張の抑制を直接伝達できるのではないかと考えたのです」とウェバーは言う。(p330)

目と手に関わる脳の領域は近い位置にあるために、手をリラックスさせることで目をリラックスするよう促すことができます。

目は意識的に休めるのが難しい器官ですが、手という意識しやすい器官を通して、目に働きかけることができるのだといいます。

パソコンやスマートフォンを使うことの多い現代社会では、目を酷使して緊張させがちですが、意識的に暗くしたり、深みのある黒を想像したり、手と目をリラックスさせたりすることで、不必要な目の緊張を和らげるトレーニングができます。

さまざまな原因を考える

この記事では、検査でわかりにくい見る力の異常として、「隠れ斜視」「輻輳不全」「サッケードの異常」の3つに焦点をしぼって考えてきました。

これらはいずれも眼球運動に関わるものですが、実際には、このほかにも、さまざまな「見る力」の異常があります。

それにはたとえば、以前に取り上げた空間や色など視覚認知に関わる見る力の弱さもあります。

アスペルガーの2つのタイプ「天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル」
天才建築家アントニオ・ガウディと、写真家にして童話作家ルイス・キャロル。あなたは自分がどちらに似ていると思いますか? わたしたちはだれしも、この正反対の二人のどちらかに似ています。

また、アーレンシンドロームのような光の感受性障害も、視力以外の見る力に影響を及ぼします。

光の感受性障害「アーレンシンドローム」とはーまぶしさ過敏,眼精疲労,読み書き困難の隠れた原因
まぶしさや目のまばたき、眼精疲労、ディスレクシア、学習障害、空間認識障害などの原因となりうる、光の感受性障害「アーレンシンドローム」についてまとめています。偏頭痛や慢性疲労症候群や

この記事では、輻輳不全やサッケードの弱さのせいで、ディスレクシアなどの学習障害を抱え、勉強が苦手になる子どもがいることを見てきました。

しかし、学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援によると、サッケードに異常があっても黙読速度の速い子もいれば、反対にサッケードに異常がないのに読み書きが難しい子もいたと書かれていました。

このように読み障害の原因は衝動性眼球運動障害のみでは説明できない。

読み障害の原因は、文字、単語、文章レベルでの障害が予想され、原因は一律ではないと考えられる。(p38)

ディスレクシアなどの学習障害の原因はさまざまであり、たとえ見る力の問題を抱えていても、それに適応して別の方法で補う能力を身に着けている子どももいます。

一方で、見る力の問題は特にないにもかかわらず、聴覚機能など、別の問題のせいで、読み書きが苦手になる子どももいます。その点は以前 扱った、「左耳利き」のディスレクシアの例からも明らかです。

時間知覚の問題としてのディスレクシア―脳のタイミング処理と読み書きの意外なつながり
ディスレクシア(読み書き困難)は、単に読んだり書いたりすることが難しいだけではなく、身体の動きや生活リズムにも関係する脳の時間知覚の障害である、という節を紹介しています。

そのようなわけで、学習障害やADHDのような症状を示す子どもがいるとしても、ひとつの原因にとらわれず、さまざまな可能性をさぐることが大切です。

たとえば、視知覚の不全でも注意集中に困難が生じるが、注意集中障害がすべて視知覚によって起こっていると決め撃ちすると対策を謝る可能性がある。

必ず子どもの全体像を把握するように努力することが大切である。(p29)

見る力と関係のある、何らかの異常や困り事がある場合でも、ぜひ素人判断で対処したりせず、専門家を探して判断をあおぐようになさってください。

最後に、見る力の検査や対処に役立つ、さまざまな役立つ専門機関や、参考になる書籍へのリンクを載せておきますので、参考にしてください。

付録 : 役立つサイトへのリンク集

ほかにも多くの関連サイト、専門機関がありますが、一部だけ載せておきます。

かわばた眼科 (千葉県浦安市)
視覚発達支援センター
…眼球運動、両眼視機能、調節機能などの視機能検査を取り入れている。発達障害の子どもの視知覚認識問題への対処法の監修をしている。

特別視機能研究所menosite.com (愛知県名古屋市)
…オプトメトリストの内藤 貴雄先生による「目のサイト」。子どもが伸びる魔法のビジョントレーニング (NIKKAN SPORTS GRAPH)などの著書がある。

キクチ眼鏡専門学校内「目の発達支援センター」(愛知県名古屋市)
…発達障害を持つ人の視覚と発達の関係を研究している

視覚認知と学習支援 - 視覚発達支援あおぞら(愛知県春日井市)
…視覚認知の検査・トレーニングをしている

大阪医科大学LDセンター(大阪府高槻市)
…学習障害(LD)の研究で知られる。学習につまずく子どもの見る力―視力がよいのに見る力が弱い原因とその支援などの著書がある。

視機能トレーニングセンターJoyVision(ジョイビジョン) (兵庫県神戸市)
…眼鏡販売だけでなく、オプトメトリストによる視覚機能トレーニングを行える。発達障害の子のビジョン・トレーニング 視覚を鍛えて読み書き・運動上手に! (健康ライブラリー)などの著書がある。

尚時堂株式会社 (長崎県北松浦郡)
…オプトメトリストがいるメガネ店

抑うつ感や自殺念慮・罪悪感には、それぞれ血液中の異なる物質が関与している(九州大学の研究)

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州大学などの共同研究グループが、うつ病・躁うつ病の患者の血液を解析して、抑うつ感や、罪悪感、自殺念慮など、症状ごとに異なる代謝物が関係していることを発見したというニュースがありました。

うつ病の重症度、および「死にたい気持ち(自殺念慮)」に関連する血中代謝物を同定 ~うつ病の客観的診断法開発への応用に期待~ | 研究成果 | 九州大学(KYUSHU UNIVERSITY)

うつ病の重症度、および「死にたい気持ち(自殺念慮)」に関連する血中代謝物を同定~うつ病の客観的診断法開発への応用に期待~│プレスリリース

うつ病の重症度、自殺念慮に関連する血中代謝物を同定-九大ら - QLifePro 医療ニュース

血液でうつ病の客観的診断に道 - 日経テクノロジーオンライン

うつ病の重症度や"死にたい気持ち"に関わる血中代謝物を同定 - 九大など | マイナビニュース

うつ病の重症度、採血による評価方法開発に道 九大など:朝日新聞デジタル

九大ら、うつ病の重症度や自殺念慮に関連する血中代謝物を同定 | 財経新聞

うつ病は「心の病気」や「精神的な病気」とみなされることが多く、診断も、面接や問診票など、本人の主観的な訴えに基づいて専門家が判断するのが一般的です。

しかし、今回の研究によって、抑うつ気分や、意欲低下、罪悪感、自殺念慮など、心の問題とされてきたさまざまな症状を、血液検査で客観的に測定したり、あらかじめリスクを判定したりできるようになるかもしれません。

また、自殺念慮や罪悪感といった感情が、単なる「気の持ちよう」ではなく、全身の代謝異常の結果生じる実体のあるものだ、という認識も深まるかもしれません。

3-ヒドロキシ酪酸やベタインがうつの重症度と強く関係

今回の研究では、九州大学病院、大阪大学医学部附属病院、国立精神・神経医療研究センターを訪れたうつ病・躁うつ病患者90名を対象に、メタポローム解析と呼ばれる方法で、血液中の代謝物を網羅的に解析したそうです。

その結果、20以上の血中代謝物が抑うつの重症度と関係していましたが、その中でも特に、3-ヒドロキシ酪酸という物質が、3つの研究機関の解析データすべてで、最も強く関係していることがわかりました。

3-ヒドロキシ酪酸は、絶食などでエネルギー源が枯渇し、血中グルコース濃度が少なくなったときに、肝臓でアセチルCoAをもとにして作られ、脳のエネルギー源として使われるケトン体と呼ばれる物質の一つだそうです。

また3-ヒドロキシ酪酸のほかにも、ベタイン、クエン酸、クレアチニン、γアミノ酪酸(GABA)という、計5つの代謝物が、うつ病の症状と強く関係していることが明らかになりました。

このうち3-ヒドロキシ酪に次いで関連性が強かったベタイン(トリメチルグリシン:TMG)は、コリンの代謝産物で、環境ストレスから細胞を保護する役割があり、統合失調症のバイオマーカー候補になる可能性も示唆されている物質だそうです。

症状ごとに違う代謝物が関係

さらに、うつ病のそれぞれの症状には、異なる代謝物が関係していることもわかりました。(※赤字は正の相関青字は負の相関)

■抑うつ気分
2オキソ酪酸↑
Nアセチルグルタミン酸↓

■興味や喜びの喪失
2オキソ酪酸↑、カルバモイルリン酸↑

■無価値感・罪悪感
5ヒドロキシトリプトファン↑
プロリン↓、アグマチン↓、ATP↓

■自殺念慮
アラニン↑、クエン酸↑
キヌレニン↓、キヌレン酸↓、3ヒドロキシキヌレニン↓

■落ち着かなさ・思考抑制
5ヒドロキシトリプトファン↑↑、クエン酸↑↑
4ヒドロキシプロリン↓、クレアチン↓、ロイシン↓

(詳しくはプレスリリース内の図1をご覧ください)

これら5つの症状の中では、「抑うつ気分」と「興味や喜びの喪失」、「自殺念慮」と「無価値感・罪悪感」はそれぞれ関連性が強かったようです。

また「自殺念慮」と関連している物質は、脳内免疫ミクログリアとの関係が示唆されるキヌレニン経路の代謝物でした。

研究チームは、人工知能などで活用されている機械学習を導入して、数種類の代謝物の情報から自殺念慮を客観的に予測するアルゴリズムを開発したそうです。

九州大学の加藤隆弘 特任准教授は研究についてこう述べていました。

重いうつ状態の患者さんは隠れたところにも多くいる。健康な人との比較試験なども行い、将来的に採血で診断できるような方法を開発したい

うつ病は精神的な問題ではなく「全身の病気」

自殺念慮の症状と関わっていたミクログリアとは、脳内に存在する免疫細胞で、感染やストレスなどに直面すると、炎症性サイトカインを作り出して抵抗します。

しかし過剰に活性化しすぎると脳のニューロンを傷つけることが知られていて、最近では、統合失調症、うつ病、自閉症患者でのミクログリア過剰活性化が報告されています。

このブログでも取り上げたように、ミクログリアの活性化は全身の痛みを伴う線維筋痛症とも関係していることがわかっています。

線維筋痛症と自閉スペクトラム症には免疫細胞ミクログリアの活性化が関係している?
慢性疼痛と自閉症には同じメカニズムが関わっているかもしれない。

また、慢性疲労症候群でもやはり脳内ミクログリアの炎症が存在し、メタボローム解析によって特徴的な血液中の代謝物がみられることもわかっています。

2016年3月に改定されたME/CFS診断基準、最近の研究でわかった7つのこと
2016年3月の改定されたME/CFSの診断基準案や近年の実態調査の結果、そして最近の研究でわかったME/CFSの7つの特徴をまとめました。

慢性疲労症候群のミクログリア活性化の研究では、脳のどこでミクログリアの炎症が生じているかによって、症状が異なるとされていて、たとえば扁桃体・視床・中脳などの炎症は認知機能障害と、海馬の炎症は抑うつ症状と関係しているとのことでした。

今回の研究はうつ病についてのものですが、脳のどの部分で炎症が生じるかによって、抑うつが主体になるか、痛みが主体になるか、疲労が主体になるか、特徴的な症状が変化して、血液中に出てくる代謝物も異なってくるのかもしれません。

いずれにしても、うつ病は心の病気・精神的なもの、慢性疲労症候群は体の病気で身体的なもの、といった区別は不可能であると思います。

うつ病や躁うつ病は、これまで「心の病」とみなされ、発症する人は心が弱い、精神的にもろい、甘えているなどといった、さまざまな偏見にさらされてきました。

おりしも昨日亡くなったスターウォーズのレイア姫のキャストとして知られる、アメリカの女優キャリー・フィッシャーもこう語っていました。

「私は双極性障害です」レイア姫のキャリー・フィッシャーは、心の病と闘う勇敢な戦士だった

私が理解できないことの一つは(たくさんありますが)、心の病、特に双極性障害への根強い偏見があることです。

双極性障害に向き合うためには、ものすごい量の自信と力が必要です。

時には体がヘトヘトになるほどエネルギーを使うので、スタミナと勇気が必要です。

だから、心の病を抱えていてそれと向き合っている人は、そのことを誇りに思うべきです。恥ずかしいと思う必要なんてありません。

キャリー・フィッシャーは「心が弱い」どころか、極めて勇気ある人でした。

以前に報道されていたとおり、近年、うつ病は精神的な病気や脳の病気というより、全身の病気であると考えられるようになってきました。

うつ病やPTSDは老化の加速を伴う「全身の病気」である
うつ病はこころの病気、脳の病気ではなく、老化の加速を伴う全身の病気なのだそうです。

これまで、脳の病気とみなされてきたパーキンソン病のような神経疾患でも、近年の研究では発症のきっかけは腸内細菌にあるのではないかとする説も出てきています。

体の病気、心の病気、あるいは脳の病気という区分にとらわれて病気を局在的なものと見るのではなく、体も心も密接に関連して人間の全体が成り立っているという心身相関や腸脳相関を意識して、治療法を選んだり、偏見を払拭したりすることが必要だと感じます。

PTSDは「心の傷」ではなく脳の炎症を伴う病気―トラウマ記憶の治療法をめぐる最近の研究

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PTSD(心的外傷後ストレス障害)に対して、新たな薬物療法のアプローチが開発されているというニュースが、ここ数ヶ月の間に何度か報道されていました。

2016年8月のニュースでは、トラウマ記憶を短期間思い出させたあと、海馬の神経新生を刺激する薬物であるメマンチンを用いることで、記憶を修正できる可能性があるということ。

2016年11月のニュースでは、PTSDの患者では、脳のミクログリア細胞に炎症がみられ、炎症を抑える薬物であるミノサイクリンを投与することでトラウマに伴う行動の異常が少なくなること。

マウスでの実験成果をそのまま人間に当てはめるわけにはいきませんが、PTSDが脳の炎症という生化学的な一面を持っていることを明らかにした興味深い研究で、被災者を対象に臨床試験計画も進められているそうです。

そのほかにも、VRやニューロフィードバックを用いた治療など、近年のPTSDやトラウマ記憶に関する研究を、簡単に概観してみました。

トラウマ記憶をメマンチンで忘れさせる

まず、2016年9月の東京農業大学の研究では、応用生物科学部の喜田聡教授らのグループが、海馬の神経新生を利用して、トラウマ記憶を忘れさせる方法を開発したとのことでした。

心的外傷後ストレス障害(PTSD)治療のための簡便なトラウマ記憶の忘却方法の開発-海馬神経新生を亢進して古いトラウマを忘却させる-(PDF)

心的外傷後ストレス障害(PTSD)治療のための簡便なトラウマ記憶の忘却方法の開発 - 海馬神経新生を亢進して古いトラウマを忘却させる -- 東京農業大学 | 東京農業大学

これまで、トラウマ記憶は、通常の記憶と異なる性質を持っていて、忘れさせたり、内容を改変したりするのが難しいと言われていました。

その理由については、最近の記憶は脳の記憶中枢である海馬によってコントロールされていますが、トラウマ記憶のような古い記憶は、海馬の影響を受けないからではないか、と説明されています。

現に、トラウマ体験から8週間以上たってから、マウスの海馬の神経新生を刺激しても、トラウマ記憶に変化はなかったそうです。

しかし今回の実験では、トラウマ体験から8週間以上経過したマウスに、まずトラウマ記憶を10分間思い出させ、その時に海馬の神経新生を促進することで、トラウマ記憶を忘れさせることができたそうです。

これは、トラウマ体験を短期間思い出させることで、古いトラウマ記憶を一時的に海馬の影響下に置き、それと同時に海馬の神経新生を刺激することで、記憶の改変ができるということを示唆しています。

この実験でトラウマ体験を思い出させた時間は10分間でしたが、3分間だと効果はみられませんでした。

これまでは、古い記憶を思い出しても海馬は活性化されないと長く信じられてきましたが、10分間という比較的長い時間恐怖記憶を思い出させると、古い記憶の制御に海馬が関与することが初めて明らかになりました。

さらに、一旦海馬が活性化されてしまうと、古い恐怖記憶であろうとも、その想起に海馬を再び必要とするようになること、加えて、その記憶の再貯蔵にも海馬を必要とすることが明らかとなりました。

今回の実験では、海馬の神経新生を刺激するために、エクササイズ(運動)や薬が用いられ、いずれの場合も効果が見られました。

用いられた薬は、NMDA型グルタミン酸受容体の拮抗薬のメマンチンで、すでに認知症などの治療に使われています。東京農業大学は過去に、メマンチンに海馬の神経新生を促進する効果があることを発見していました。

東京農業大学 総合研究所|研究成果報告「認知症治療薬メマンチンに記憶力向上効果を発見」

国立精神・神経医療研究センターの金吉晴部長らにより、PTSD治療のためのメマンチンのオープン臨床試験がすでに開始されているそうです。

なお、研究を主導した喜田聡教授は、医学部とは異なるアプローチで、農大にしかできない手法を活用して、PTSDを軽減する研究に力を入れているそうです。

朝日新聞デジタル:東京)こどもの未来へ/東京農業大 - 東京 - 地域

治療的再固定化のプロセス(TRP)を促進する

この研究で明らかになった、トラウマ記憶を思い出すことで改編が可能になる、という結果そのものは目新しいことではありません。

わたしたちが辛い体験を傾聴してくれる人に話すと楽になったり、カウンセリングや心理療法によって少しずつトラウマ記憶が和らいだりするのも同じことだと思われます。

つまり、トラウマ記憶は、思い出して活性化させることで、「記憶の再固定化」が生じ、改編されていきます。これは、治療的再固定化のプロセス(TRP)と呼ばれます。

しかし、これまで用いられていたトラウマ体験に向き合わせる暴露療法のような心理療法は、患者への負担も大きく、必ずしもうまくいくとは限りませんでした。

そのため、過去の記憶を想起する際の激しい負担を減らし、圧力を逃すために、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)のような方法が取り入れられてきました。

今回の研究成果も、メマンチン単独で効果があるわけではない、ということははっきりしているので、心理療法と組み合わせて負担を軽減し、治療の効果を高める補助として用いるものだと思います。

海外では、規制薬物とされてきたエクスタシー(3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン:MDMA)の、PTSDに対する臨床試験が行われているそうです。

こちらの場合も、薬物療法は単独で用いられるものではなく、心理療法と組み合わせることで効果を発揮すると考えられているようです。

「エクスタシー」が米国で大規模臨床試験へ:5年後には処方薬となる可能性も?|WIRED.jp

これまでの臨床試験で、患者は12週間の心理療法プログラムを受けた。その中で、MDMAを摂取した状態でトラウマとなった記憶を語るという8時間のセッションを、3回行っている。

心理療法だけでは効果が思わしくなかった人の場合でも、薬物療法を併用して再固定化を促進するなら、トラウマ記憶に対して、より効果的な治療が行えるかもしれません。

「MDMAは人生を変えてくれました」。臨床試験に参加した37歳のC.J.ハーディンさんは、『ニューヨーク・タイムズ』にそう語っている。

同氏は、イラクとアフガニスタンの戦地に3度派遣され、帰国後PTSDに悩まされた。そのせいで妻とは離婚、自暴自棄になり、アルコール中毒を患った。

MDMAの研究に参加する前は、心理療法や薬物治療も試したが効果があまりなかったという。

「MDMAのおかげで、恐れたり戸惑ったりすることなく自分の心の傷と向き合い、対処して前に進むことができたのです」と語る同氏は現在、飛行機の整備士として働きながら大学に通っている。

トラウマ記憶の形成を防ぐテトリス効果

PTSDのトラウマ記憶が形成されるプロセスについては、2月に筑波大学による研究がありました。

筑波大学|お知らせ・情報|注目の研究|心的外傷のケアはタイミングと場所が重要 ~PTSD治療に新たな展望~

PTSD予防、直後のケアが重要 筑波大などマウス実験:朝日新聞デジタル

PTSDモデルマウスにおいて、トラウマ直後に記憶の汎化を引き起こしやすい時間帯が存在することを発見しました。

さらにこの汎化の条件を詳細に検討した結果、トラウマ直後に慣れ親しんだ場所に置かれると、その場所に特に汎化が起こりやすいことが判明しました。

この研究によれば、トラウマ直後の時間帯にどう対処するかによって、トラウマ記憶が形成されるかどうかが決まります。

8月には、富山大学の井ノ口馨教授(NHKサイエンスZEROにも出演した記憶の専門家)らが、トラウマ記憶は日常のささいな記憶と結びついて形成されることを明らかにしていました。

大学院医学薬学研究部(医学)井ノ口教授らのグループが強烈な体験によってささいな出来事が長く記憶される仕組みを解明|教育・研究活動|富山大学

強い記憶、連動の仕組み解明 富山大など  :日本経済新聞

精神的ショック前後のささいな記憶はなぜ残る? 富山大がメカニズム解明 PTSD治療も - 産経WEST

富山大、強烈な体験によってささいな出来事が長く記憶される仕組みを解明 | マイナビニュース

通常ならすぐに忘れてしまうようなささいな出来事でも、その前後に強烈な体験をした場合には、長く記憶として保存される仕組みを解明しました。

強烈な体験をしたときの記憶は、前後一時間ほどの間に活性化した日常のささいなできごとの記憶と結びついてしまうとのことでした。その結果、結びついたささいなことがトリガーとなってフラッシュバックが生じるようになってしまいます。

この研究から思い出されるのは、近年しばしば見かける、テトリスゲームがPTSD防止や、PTSD治療に役立つという研究です。

研究結果:テトリスがPTSD治療に役立つかもしれない|ギズモード・ジャパン

Can Playing the Computer Game “Tetris” Reduce the Build-Up of Flashbacks for Trauma? A Proposal from Cognitive Science

 おそらく、トラウマ経験の直後に、テトリス効果によって日常的な記憶との結びつきを阻止することで、トラウマ記憶が形成されるのを防ぐ効果があるのでしょう。

またPTSDの体験からしばらくしてから、トラウマ記憶を想起してからテトリスをすることで、トラウマ記憶が和らいだという研究は、前述の研究の、記憶の再固定化を利用した治療と類似したメカニズムによるものかもしれません。

PTSDの脳の炎症がミノサイクリンで改善

その後、11月には、東北大学の富田博秋教授、災害科学国際研究所の兪志前助教授、そして先に出てきた東京農業大学の喜田聡教授らによる、PTSDと脳内炎症についての研究が報道されました。

脳内炎症の抑制が恐怖記憶に伴う行動異常を改善する~... | プレスリリース | 東北大学 -TOHOKU UNIVERSITY-

脳内ミクログリア細胞のTNFα産生が恐怖記憶の保持に重要な役割-東北大ら - QLifePro 医療ニュース

心的外傷後ストレス障害 (PTSD)のモデルマウスで認められる恐怖体験の記憶が持続することに伴う行動異常に伴って、脳内ミクログリア細胞において炎症に関わるサイトカインというタンパク質の1つであるTNFαの産生が増加し、行動異常の改善とともに産生が減少することを発見しました。

さらに、ミノサイクリンの投与によるTNFα抑制が恐怖記憶による行動異常の改善を促進することが確認されました。

これまでも、PTSD患者の血液から、炎症を引き起こすサイトカインというタンパク質の異常が見つかっていました。

この研究では、実際に、PTSDのラットの脳にある、ミクログリアという免疫細胞において、サイトカインの1つ「TNFα」が増加していることが確かめられました。

そして、炎症を抑える抗生物質ミノサイクリンを投与すると、TNFαが抑制され、トラウマ記憶による異常な行動が改善したそうです。

今年1月のニュースによると、こちらも臨床試験が計画されていて、東日本大震災の被災者を対象に、ミノサイクリンと同じ炎症を抑える効果がある健康補助食品を使った治療法を試みるそうです。

マウスのPTSDが薬で改善 東北大が被災者で臨床試験計画:朝日新聞デジタル

同じしくみが人間にも効くかどうかを確かめるため、東日本大震災の被災者を対象にした臨床試験を計画しているという。

 …ミノサイクリンは抗生物質として使われているが、めまいなどの副作用も知られている。そこで富田さんらは、同じ炎症を抑える効果がある健康補助食品を使った治療法を、被災者に試みる考えという。

近年、通常の医療機関では確認できないレベルでの脳のミクログリアの炎症が、さまざまな疾患に関係していることが報告されていて、その中にはアルツハイマー病や自閉症、慢性疲労症候群、線維筋痛症なども含まれています。

線維筋痛症と自閉スペクトラム症には免疫細胞ミクログリアの活性化が関係している?
慢性疼痛と自閉症には同じメカニズムが関わっているかもしれない。
2016年3月に改定されたME/CFS診断基準、最近の研究でわかった7つのこと
2016年3月の改定されたME/CFSの診断基準案や近年の実態調査の結果、そして最近の研究でわかったME/CFSの7つの特徴をまとめました。

かといって、これらの病気の原因が、一概に脳の炎症にあるかといえばそうではなく、脳の炎症は原因とはなく結果のひとつである可能性もあります。

脳の炎症を標的にした薬が、PTSDの治療に功を奏するかどうかは、今後の結果を見てみないことにはわかりません。

とはいえ、薬物治療はときに効果がありますが、心身のケアに代わるものではないことを覚えておく必要があります。

脳の扁桃体のブレーキの異常

そのほか、昨年は、理化学研究所の国際研究チームによる一連のトラウマ記憶にかかわる研究成果も何度か報告されていました。

「2度あることは3度あるか?」を脳が計算 | 理化学研究所

嬉しい体験と嫌な体験は互いに抑制し合う | 理化学研究所

過剰な恐怖を抑制するための脳内ブレーキメカニズムを解明 | 理化学研究所

いずれの研究も、脳の扁桃体と恐怖記憶に関するものです。

扁桃体は、脳の警告アラームや、煙探知機と呼ばれていて、PTSDや恐怖症、不安障害の人では、このアラームが常に鳴り響き、過剰に反応していると言われています。

研究では、特に「扁桃体外側核」と呼ばれる領域がトラウマ症状と強く関係しているらしいことが示唆されていました。

本来、脳は一度恐怖を体験し、恐怖を事前に予測できるようになると、扁桃体中心核などのブレーキ回路が活性化して、さらなるトラウマ記憶が作られるのを防ぐようです。

本研究の結果は、恐怖体験を事前に予測することで活性化される「扁桃体中心核→中脳水道周囲灰白質→吻側延髄腹内側部」回路という一連の脳領域の活動が、過剰な恐怖記憶の形成を防いでいることを示しています。

しかし、このブレーキ回路がうまく働かないと、恐怖記憶の中枢である「扁桃体外側核」が活性化し、強固なトラウマ記憶がつくられると考えられます。

この扁桃体外側核は、「2度あることは3度あるか」という判断にも関係していて、危機が去っても安心することができず、また何度でも同じ目に遭うかもしれない、という終わりなき恐怖が生じてしまう原因ともなっているようです。

そして、扁桃体外側核の内部には、嬉しい記憶の細胞群と、嫌な記憶の細胞群が異なる領域に分かれて存在し、互いに抑制し合っていることもわかったそうです。

そうすると、もし、嫌な体験の記憶が常に活性化されている状態にあるならば、楽しい記憶は抑制されていて感じられない、ということになるでしょう。

このことから、嬉しい体験細胞および嫌な体験細胞の活動が、それぞれの体験に特有な行動を実際に引き起こすことが示されました。

さらに研究チームは、嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞は、互いに抑制し合うことも明らかにしました。

この成果は、嬉しい体験や嫌な体験に対応した神経細胞の特徴に照準を絞った情動障害の治療法開発の研究につながると期待できます。

それぞれの記憶が互いに抑制しあい、同時に働かないという性質を利用すれば、過剰な恐怖記憶を抑制する治療法が見つかるかもしれません。

同じ研究チームは、過去に、うつ状態のマウスの楽しい記憶を活性化させることで症状を改善できるという研究も行っていました。

光で過去の楽しい記憶を活性化してうつ状態を改善
楽しい記憶を刺激するとうつ状態が和らぐそうです

競合する脳機能を強化する

この記事では、PTSDの薬物治療に期待されている薬として、メマンチンやミノサイクリン、MDMAを取り上げました。

以前このブログで紹介したものとしては、めまいの薬セロクラールが効くという話もありました。

PTSD治療に使える薬の選択肢が増えることには良い面もありますが、同時に気をつけるべき問題もはらんでいます。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、トラウマ研究の専門家のヴァン・デア・コーク博士は、薬が果たす役割は認めつつも、薬だけに頼りすぎると、本当の問題から注意がそらされてしまうという懸念を表明しています。

私はPTSDのための薬の研究を非常に多く行なったあと、精神科の薬には重大な欠点があることに気づくに至った。

こうした薬は、根底にある肝心な問題への対処から注意を逸らしかねないのだ。

精神的な問題を脳の疾患と捉える脳疾患モデルは、人々の運命の主導権を本人の手から奪い取り、彼らの問題の解決を医師と保険会社に委ねる。(p69)

PTSDのような病気は、確かに脳の病気という一面がありますが、その実態は、心の病気でも体の病気でもなく、1人の人間という、心も体も巻き込んだ全身に関わる病気です。

うつ病やPTSDは老化の加速を伴う「全身の病気」である
うつ病はこころの病気、脳の病気ではなく、老化の加速を伴う全身の病気なのだそうです。

脳の化学物質がおかしくなったから薬で補えば治る、というような単純なものではなく、思考や言葉、全身の感覚、人とのつながりなど、人としてのあらゆる面がからみあっています。

自力で動いたり、考えたりする気力さえなく、症状に振り回されている人にとって、薬物療法は治療と向き合うきっかけにはなりますが、本当の意味で回復していくには、自分の意志で主導権を握って、積極的に心身の治療に携わっていくことが不可欠です。

その点で、競合する脳機能を活用することは、薬物療法とはまた異なる、主体的な治療の道筋を示すものかもしれません。

たとえば、脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によると、慢性疼痛に対する視覚化を用いた治療法は、同時には活性化させることができない拮抗する脳の機能を活用する治療法だとされています。

モスコヴィッツの着想は単純で、「この競争的な性質を持つ可塑性をうまく利用できないものか?」「痛みを感じ始めたとき、いかにそれが大きくなろうと、それまでに行っていた活動を無理にでも続けることで、対応する脳領域をそれらの活動のために〈取り戻し〉、痛覚処理に〈乗っ取らせずに〉済ませられないものだろうか?」であった。

…つまり彼は、慢性疼痛を引き起こしている神経回路の勢力を弱めるために、対応する脳領域に痛み以外の処理を強制的に行わせればよいと考えたのだ。(p40)

このような互いに競合し、抑制し合う脳機能には、さまざまなものが存在していて、扁桃体における嬉しい記憶と嫌な記憶の競合もそのひとつなのでしょう。

すでに偏ってしまった脳機能を正反対の方向へシフトするのは簡単ではありませんが、近年活用されはじめたニューロフィードバックやVR(バーチャルリアリティ)などの技術は、競合する脳の機能を強化するのに役立つ可能性がありそうです。

「仮想子ども」に優しく接して「うつ」を治療するVR実験|WIRED.jp

心理学者のアルバート・リッツォは、イラク戦争の退役軍人に見られる心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療にVRを利用している。

「Virtual Iraq」(仮想イラク)と名付けられたプログラムを利用するこの治療法は、曝露療法の形式で、患者を実際の環境にさらすのではなく、「恐ろしい状況も含めた仮想環境にさらす」ことが行われる。

脳科学は人格を変えられるか?には、コンピュータを用いたトレーニングによって、常にネガティブな側面に注目してしまう脳のバイアスを身に着けてしまったPTSDの兵士たちを治療する取り組みが紹介されていました。

なぜマイケル・J・フォックスは若年性パーキンソン病になっても絶望しなかったのか―ポジティブシンキングのうそ
俳優マイケル・J・フォックスは29歳という若さでパーキンソン病になっても絶望しませんでした。彼の楽観主義の秘訣を「脳科学は人格を変えられるか」という本から紹介します。カギとなるのは

先程引用した、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法にも、マインドフルネスをはじめとした、主体性をもってPTSDやトラウマを治療していくためのさまざまな方法が紹介されています。

最近公開された、PTSDと闘い、生き抜いてきた人たちの手記も、補助的に薬物療法を活用しつつも、何より大切なのは、自分の人生の主導権を握り、少しずつ前進していくことである、ということを物語っています。

書くことが精神を浄化させる PTSDと闘う記者の告白 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

レディー・ガガ、PTSDについて長文のテキストを公開。全文訳を掲載 | NME Japan

これからも、様々な観点からPTSDの研究が進み、トラウマ記憶にとらわれてしまった人生を溶かす方法が解明されていってほしいと思います。

頭痛で学校に行けない子どもの脳脊髄液減少症―よく似た起立性調節障害(OD)と区別するポイントとは?

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元気であったわが子が、ある日を境として頭痛を訴えるようになった。次第に、めまいや疲れなども訴えるようになった。朝が起きづらく、無気力に見える。微熱があることもあり、家の中でダラダラ横になってばかりで学校を休みがちとなった。

複数の病院、診療科で診察・検査を受けたが、「異常なし」、あるいは「風邪」「片頭痛」「頚部捻挫」「自立神経失調症」「起立性調節障害」「うつ病」「身体表現性障害」等の診断を受けた。

しかし、病院の治療・薬は効かない。比較的体調の良い時期もあるが長続きしない。病気にかかりやすくて虚弱体質になってしまった。(p91)

れは、小児・若年者の起立性頭痛と脳脊髄液減少症に載せられている、子どもの「脳脊髄液減少症」の特徴です。

子どもの不登校の原因として、最近よく知られるようになった病気に、「起立性調節障害」(OD)という思春期特有の自律神経の異常があります。

起立性調節障害(OD)の主訴は立ち上がったときの血圧異常による頭痛や疲れですが、それと似たような症状を示す重篤な病気として、「脳脊髄液減少症」が関与しているケースがあることがわかってきました。

脳脊髄液減少症は、脳脊髄液が漏れ出したり、減少したりして、頭痛やたちくらみ、疲労感、めまいなどが生じる病気です。子どもの脳脊髄液減少症は、大人の場合と違った特徴もあります。

この記事では幾つかの専門家による解説資料を参考に、子どもの脳脊髄液減少症の特徴や、起立性調節障害など、よく似た病気と区別するポイントについてまとめました。

これはどんな本?

この記事では冒頭で紹介した、小児・若年者の起立性頭痛と脳脊髄液減少症を参考にしています。

この本は、明舞中央病院の中川紀充先生、山王病院脳神経外科の高橋浩一先生、こばやし小児科の小林修一先生、東札幌脳神経クリニックの高橋明弘先生ら、子どもの脳脊髄液減少症の専門家たちによる詳しい解説書です。

また「なまけ病」と言われて~脳脊髄液減少症~ (書籍扱いコミックス)は、脳脊髄液減少症の患者とその家族が直面する困難を描いたマンガで、子どもの患者のエピソードも出てきます。

熊本県 荒尾市民病院の不破 功先生も、小児および若年者の脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群): 脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群) というPDFファイルを公開されていました。

子どもの脳脊髄液減少症の特徴

小児・若年者の起立性頭痛と脳脊髄液減少症によると、子どもの脳脊髄液減少症には、臨床的な観点からすると、次のような特色がみられるといいます。(p91)

1.起立性頭痛の訴え
2.症状は天候に左右されやすい
3.水分摂取が症状緩和に有効なことが多い
4.起立性調節障害の特徴とされる午後以降の症状軽減はほとんどない
5.頭痛の発症日が比較的明瞭(慢性経過例では、発症時期が特定できなくなっている場合もある)
6.外傷を契機に発症した(外傷のない症例も多い)
7.頭部CT・MRI(造影を含む)では正常所見とされる場合も多い

これらの特徴を参考にしつつ、ここからはさまざまな具体的な症状を取り上げましょう。

起立性頭痛

まず、ほとんどの場合、頭痛が主訴であり、体の姿勢によって変化する、つまり身を起こすと悪化するという特徴があるため、「起立性頭痛」と呼ばれています。

しかし、子どもの場合、姿勢によって頭痛などの症状が変化することに気づいていない場合も多く、単なる偏頭痛や、緊張性頭痛とみなされていることも多いようです。

それらの起立性頭痛の患者の多くは、外傷など何か特別なイベントが先行したわけでもなく、ある日を境に始まった連日性持続性頭痛という訴えだけで、頭痛が起立性に増悪するということを自ら訴えないばかりか、逆に起立性頭痛を否定する場合さえある。

なぜそのようなことが起きるのかというと、LUP testのように極端な条件下では、頭痛の体位性変化が自覚できても、日常生活では臥位になってから短い時間では頭痛が軽減しなかったり、睡眠中も頭痛が続いたりする患者が珍しくないことや、体を起こしてから頭痛が増悪するまでに時間がかかって、体を起こしたことと、頭痛が悪化したことの因果関係を自覚できない場合が往々にしてあるからである。

したがって日常生活では頭痛の起立性要素に気づかないため、LUP testを行わない通常の診察では、当然ながら起立性頭痛とは判断されず、知らないうちに見逃されてきたのではないかと考えられるのである。(p10)

脳脊髄液減少症の頭痛や各症状は姿勢によって症状が変化するといっても、子どもが姿勢と体調の関係に自分で気づくのは難しく、起立性頭痛が見逃されてしまうこともあります。

横になったり起き上がっりしてから数十秒かそれ以上経ってから変化することも多く、日常生活の中では関係性に気づきにくいようです。横になっても頭痛がなくなるわけではなく、単に和らぐだけの子もいます。(p15)

特に起立性頭痛が3ヶ月以上続くと、中枢性感作によって痛みに過敏になるせいか、横になった状態でも頭痛が完全になくならない例が増えてくるような印象があるそうです。(p50,83)

本人が姿勢による症状の変化を自覚していない以上、起立性頭痛を問診だけで判別するのは難しく、後で改めて説明しますがLUP testのような検査が必要だとされています。

また、脳脊髄液減少症の起立性頭痛の特徴はさまざまで、体位によって悪化することを除けば、痛む場所、痛み方、運動や天候による変化、痛みの程度などで鑑別することはできないようです。(p26)

成人の脳脊髄液減少症では、出歩けないほどの激しい頭痛が特徴だと言われることもありますが、子どもの脳脊髄液減少症では必ずしもそうではないという違いがあります。

「起立性頭痛」といっても、成人の低髄液圧急性期にみられる強度の起立性頭痛は少なく、程度はさまざまである。(p91)

ICHD-IIで記載されていたような短時間での起立性増悪の頭痛を「起立性頭痛」として考えられていたことから、多くの臨床医は、外出が困難なほどの強い頭痛と思いがちである。

しかしながら、そのような強い症状を呈する起立性頭痛は、成人における低髄液圧症の急性期例にみられるが、小児・若年者では少ない。起立性頭痛を訴える患者でも、歩いて来院する場合がほとんどである。

したがって、「歩いて来られる程度の頭痛なら、低髄液圧症(脳脊髄液減少症)ではない」と判断されることがあるが、これは正しい認識ではない。(p98)

この本の序文では、以前から言われていたような、「起立性頭痛は、起き上がってから15分以内に増悪するもの」「脳脊髄液減少症の起立性頭痛は、歩いて病院へ来られないほど痛い」といった特徴は「誤った認識」であり、必ずしも正しくないとされています。

全身倦怠感や首の痛み

起立性頭痛はほとんどの患者に特徴的だとは言っても、100%必ず頭痛があるわけではなく、すぐに疲れるといった全身倦怠感(慢性疲労)や首の痛みが中心症状の子もいます。

なお、頭痛ではなくて「首が痛い」と表現する患者や、「すぐに疲れる」や「すぐに具合が悪くなる」と全身倦怠感が中心症状の患者もいるので注意を要する。

頭痛以外の症状が中心症状でも、座位・立位の継続で出現・増悪し、臥位で軽快・消失する特徴を有するのが脳脊髄液減少症の特徴である。(p92)

首すじと両肩甲骨の間の「洋服ハンガー」のような範囲の痛みや凝りは、「inter-scpular pain」と呼ばれていて、脳脊髄液減少症や起立性調節障害に特徴的なものだそうです。(p32、61)

顔面や目の奥、顎、手足などの痛みやしびれ感も加わって、「痛みのデパート」状態の子もいるようです。その場合、若年性線維筋痛症との鑑別が必要かもしれません。

子供の体の慢性的な痛み「若年性線維筋痛症(JFM)」とは? 原因と治療法
子どもの慢性痛、若年性線維筋痛症とはどんな病気なのでしょうか。どんな治療法が可能でしょうか。東京女子医科大学 膠原病リウマチ痛風センターの宮前 多佳子先生による「小児の線維筋痛症」

いずれにしても、こうしたさまざまな症状は、起立性頭痛と同じく、姿勢の変化や、天候の影響を受けやすいのが特徴です。

発症から時間が経過して慢性化すると、起立性頭痛の姿勢による変化がわかりにくくなり、他の様々な症状が目立ってくることもあります。(p50,92,99)

めまい、ふらつき、聴覚・視覚異常

脳脊髄液減少症では、髄液減少により、脳の視神経や聴神経が引っ張られることで、視覚や聴覚の異常も生じます。

聴覚症状としては、髄液圧が低下することで、メニエール病に似た難聴、耳鳴り、めまいといった、子どもには珍しい症状や、音がこもる耳閉感、音が大きく響く聴覚過敏が生じることがあります。(p27,49,96,100)

視覚症状としては、複視やかすみといった、ピント調節や両眼視機能の異常、光過敏などの認知異常といった、通常の眼科検診ではわからない問題が生じることがあります。(p100,158)

こうした症状については、高橋浩一先生のブログや、井上眼科病院の若倉雅登先生の記事でも指摘されていました。

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脳脊髄液減少症、「保険金目当て」「心因性」と解釈されてきたが… : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

あまりに症状が強い場合や、治療後も症状が残ってしまう場合は、色付きレンズ・偏光レンズなどを用いたメガネが役立つことがあると言われています。

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自律神経症状

そのほか、消化器症状、動悸、微熱、不明熱、といった、検査で異常が見当たらず、不定愁訴、心の問題とみなされがちな自律神経症状も表れます。それに伴い、睡眠リズムが崩れ、極端に朝に弱く、起きられなくなることもあるようです。

発症初期は頭痛中心の訴えであるのに対し、時間経過にしたがって、こうした不定愁訴が増えていく傾向があるとされています。(p100-101)

概日リズム睡眠障害や自立神経症状は、小児慢性疲労症候群との鑑別が必要かもしれません。

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高次脳機能障害

なかには、記憶障害や性格の変化など、高次脳機能障害が現れる場合もあります。発症から長年経過した例では、統合失調症やうつ病といった精神疾患と誤診され、不適切な薬物治療によって悪化している場合もあるようです。(p100,155,159)

ここまで見てきたさまざまな症状は一般的な検査で異常が出ないため、気のせい、心因性、怠け病、不登校などととみなされて不当な扱いを受けたり、思春期の起立性調節障害(OD)や慢性疲労症候群、精神障害と誤診されたまま、難治化してしまっていることがあります。

発症の原因

子どもの脳脊髄液減少症は、おもに6-19歳に発症する事が多く、8割が交通事故・スポーツ・その他の外傷をきっかけに発症しているそうです。

不破先生の資料によると、脳脊髄液減少症の患者の傾向としては20歳以下の若年例を見ることも少なくなく、12.9%を占めていたそうです。

今のところ2008年にUysalらが報告した5歳が最年少であり、ブラッドパッチによって治療されたと書かれています。

学校の授業の中では、近年、武道の必修化により、柔道によって発症する例が相次ぎ、スポーツ外傷としての子どもの脳脊髄液減少症が広くクローズアップされました。

柔道の事故による子どもたちの脳脊髄液減少症―個性を度外視した教育の弊害を考える
柔道必修化と脳脊髄液減少症の発症について、対策が後手に回っていることが書かれています。

また、めまいなどの症状を訴える患者の診療に当たるうちに、脳脊髄液減少症と関わるようになった耳鼻咽喉科 | 川崎市立 川崎病院相馬啓子先生は以下のニュースの中で、脳脊髄液減少症はどんなスポーツでも起こる可能性があり、マット運動が多いように思うと語っています。

脳脊髄液減少症テーマに講演会、市立学校教諭ら130人が対応策学ぶ、スポーツ事故で注目/川崎:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社

なかには尻もちなどさほど重症でない外傷や、吹奏楽の活動で発症する例もあると言われています。

脳脊髄液減少症には、外傷性と特発性の2種類があり、外傷性は事故後、一ヶ月以内の発症が多いようです。

一方、これといって大きなきっかけが見当たらない特発性の発症には、マルファン症候群やエーラス・ダンロス症候群、関節過可動症候群(Joint Hypermobility Syndrome)など、先天性の結合組織の弱さが、素因として関係しているかもしれません。(p61,96)

起立性頭痛だけに注目すれば、ある日を境に突然始まるとしても、80%以上が非外傷性できっかけが見つからなかったという報告もあります。(p30)

子どもの脳脊髄液減少症の性別は、どちらかというと男の子のほうが多いとのことですが、男女ともに可能性があるとみるほうがよいでしょう。

LUP testによって判別される起立性頭痛全体を見れば、脳脊髄液減少症だけでなく起立性調節障害の例も含んでいるからか、2:1で女性のほうが多くなるそうです。(p26)

子どもの脳脊髄液減少症を区別する

専門家である国際医療福祉大熱海病院・脳神経外科の篠永正道先生と高橋浩一先生は、以下のニュースのなかで、子どもの脳脊髄液減少症が他の病気に誤診されやすいという問題に触れています。

東京新聞:脳脊髄液減少症 頭部、背中強打で頭痛が続く:健康(TOKYO Web)

つなごう医療 中日メディカルサイト | 脳脊髄液減少症 原因は硬膜損傷 心の病と誤診も

まず篠永正道先はこう述べています。

「脳脊髄液減少症の患者は、起立性調節障害やうつ病などと誤診されがち。仮病と思われ、不登校やひきこもりの原因になっている可能性もある」

「最初に学会で発表しようとしたときは、奇人扱いだった」

「潜在患者は数十万人いるのでは」

次いで高橋浩一先生のコメントです。

「子どもの脳脊髄液減少症は、スポーツによる外傷が原因のことが少なくない」

「脳脊髄液減少症を知らなかったり認めなかったりする医師もいて、耳鼻科や眼科などをたらい回しになっている患者も多い」

両先生の言葉で共通しているのは、子どもの脳脊髄液減少症は誤診・誤解されやすく、気づかれていない場合が多いということです。

起立性調節障害(OD)

脳脊髄液減少症は、冒頭でも触れたように、特に起立性調節障害(OD)とは起立性頭痛という共通症状があるため、誤診されやすいといえるかもしれません。

高橋浩一先生のブログによると、、起立性調節障害(OD)と診断されて治療を施してもよくならない場合、子どもの脳脊髄液減少症の可能性があるとされています。

ODは自律神経の異常により、朝極端に体調が悪くなったり、起き上がったときにめまいやだるさ、思考力の低下が生じたりする病気で、おもに思春期の子どもに発症します。

朝起きられず学校に行けない子の「起立性調節障害(OD)」とは? よくある誤解と正しい対処法
朝、起きられない。目覚めても顔色が悪くぼーっとしている。起き上がろうとするとフラフラする。日中はだるいが、夕方からは元気になる。思春期の子供に発症しやすい疾患、起立性調節障害(OD

小児・若年者の起立性頭痛と脳脊髄液減少症によると、ODのサブタイプの中でも、特に体位性頻脈症候群(POTS)が起立性頭痛を伴いやすく、脳脊髄液減少症と似ており、誤ってブラッドパッチを施してしまった例も報告されているとのことで注意が喚起されています。

小児・若年者の起立性頭痛を取り扱う場合は、特に注意が必要である。

それは、思春期のカ患者において頻度が高く、不登校においてもしばしば問題となる起立性調節障害(orhostatic dysregulation : OD)、特にその中でも頭痛を伴いやすい体位性頻脈症候群(postural tachycardia syndrome : POTS)に特徴的な頭痛が起立性頭痛だからである。

POTSの頭痛は脳脊髄液の漏出を伴わない起立性頭痛として重要で、これまでもPOTSに対し、誤って硬膜外ブラッドパッチ療法(epodural blood patch : EBP)を施行したという報告が見られる。

わが国においては、POTS患者の大多数は思春期に集中して発症するという特徴があるため、小児・若年者の起立性頭痛を診療する際には、成人の場合と異なり、POTSによる起立性頭痛と、EBPなど侵襲的な治療が有効な髄液漏出による起立性頭痛とを常に意識し、この両者を的確に区別して対応することが求められる。(p11)

本当は脳脊髄液減少症なのに、ODと誤診されてしまうとなかなか治りませんし、逆に本当はOD(ないしはPOTS)なのに、脳脊髄液減少症と誤診されてしまうと、リスクを伴う不必要な治療を受けてしまうことになります。

たとえ起立試験などで異常がみとめられ、ODと診断されたとしても、ODの検査は脳脊髄液減少症を除外できないので、脳脊髄液減少症でないとは言い切れません。

この年齢層では問診をしてみると多少のOD症状を自覚している場合や、OD症状はなくても起立負荷試験をしてみると陽性を示す場合がしばしばある。

しかし表面に出てきたそれらの所見から、短絡的にODによる起立性頭痛と断定することは避けなければならない。

もし本当に髄液漏出があって起立性頭痛が起こっているのであれば、治療の機会を奪ってしまうことになるからである。(p73)

小児期発症の脳脊髄液減少症を描いたマンガである「なまけ病」と言われて~脳脊髄液減少症~ (書籍扱いコミックス)には、当初は起立性調節障害と誤診されていた女の子が、脳脊髄液減少症であることが判明し、治療によって改善したストーリーがつづられています。

マンガで学ぶ子どもの脳脊髄液減少症ーフォアミセス2012年8月号
不登校に潜む深刻な病気、子どもの脳脊髄液減少症を知っていますか? それはfor Mrs. 2012年8月号の『病と闘う女たち 脳脊髄液減少症「怠け病と言われて」』というマンガはこの

主人公の中学一年の田中有加(ゆか)さんは、ある朝起きると「天井がぐるぐるしてからだがふわふわしてる」という得体のしれない症状や激しい頭痛を感じました。

どうやら10日前に、廊下で転んで頭を打ちつけたあとで調子が悪くなったようでした。しかし病院では「起立性調節障害(OD)」と診断されます。

起立性調節障害も起立性頭痛が特徴で、吐き気やめまい、朝起きられないといった症状もよく似ていますから、小児期の脳脊髄液減少症とは混同されやすいようです。

しかし脳脊髄液減少症は起立性調節障害と違い、夜になったら回復する、ということはありません。

有加さんは、決して学校嫌いなわけでも、サボっているわけでもなく

「行きたいよ… 本当は学校…行きたいよ 友達と…一緒にいたいよ… 高校にだって…行きたいよ でも行きたくても行けないんだよ」

と思っていました。

起立性調節障害や慢性疲労症候群の子どもを含め、身体疾患によって不登校になってしまった子どもは、これと同じ気持ちでいると思います。

有加さんの場合は廊下で転んだこと、という目立った原因が思い当たりましたが、子どもの脳脊髄液減少症の中には、原因が思い当たらない場合や、吹奏楽の演奏などの意外な原因で発症する場合もあります。

ですから、起立性調節障害と診断されているけれど、治療でよくならない、症状が重い、どこか違うように感じる、という場合は脳脊髄液減少症の検査を受けてみるとよいかもしれません。

コミックス「なまけ病」と言われて―脳脊髄液減少症―を読んで
『マンガで知る女性のための人生応援コミック「なまけ病」と言われて~脳脊髄液減少症~』を読みました。新しく追加された特徴や、高橋浩一先生と篠永正道先生による解説の内容を簡単にをまとめ

ODと脳脊髄液減少症の起立性頭痛の違い

小児・若年者の起立性頭痛と脳脊髄液減少症には、起立性調節障害(OD)と、脳脊髄液減少症(漏出症)の起立性頭痛の鑑別方法について、詳しい表が載せられていたので、ここで引用したいと思います。(p69)

ODによる起立性頭痛と髄液漏出による起立性頭痛の鑑別

a.ODによる起立性頭痛を示唆する所見

●症状が朝起床時から午前中を中心に出現し、夕方から夜にかけて軽快する。
OD症状の中でも、頭痛・食思不振・気分不良・全身倦怠感に注目し、起床時から午前中を中心に出現し、午後から夕方、夜間にかけて軽快するか、その日内変動を検討する。

●症状の非連日性や季節性変動
ODの場合、症状のない日があって、普通に通学できる期間があったり、秋から冬にかけて自然に治って、初夏から夏にかけて再燃するといった、季節性変動が見られることがある。

●潜行性の発症
朝の食思不振や気分不良は、頭痛などの症状が顕著になる以前から潜行性に出現していることがある。

b.髄液漏出による起立性頭痛を示唆する所見

●ある日を境に発症し毎日続く連日性頭痛
潜行性に発症するODと違い、髄液漏出の場合、ある日を境に連日性・持続性頭痛(NDPH様パターン)で発症するのが特徴的である。

●朝から晩まで波打ちながら続く持続性頭痛
髄液漏出の場合、日中の活動の中で、頭痛がまったくない日や頭痛がまったくない時間帯は例外的である。

●起床時より午後や夜にかけてむしろ悪化する頭痛(second-half-the-day headache)
夜になるといつも症状が自然に軽快するようなことはなく、髄液漏出による頭痛は波打ちながら一日中続くか、むしろ夕方から夜にかけて悪化するのが特徴的である。

●起立性の脳神経牽引症状 (聴力や視力の障害)
LUP testのPhese I体位で軽快し、PheseII体位で再出現する聴力や視力の障害があれば、髄液漏出の可能性が示唆される。

●ODの好発年齢でない
ODの好発年齢を外れていれば、よほど急激な体格の変化が先行しない限り、ODによる起立性頭痛の可能性は低い。

●発症24時間以内の外傷の先行
外傷が先行する場合は、髄液漏出が疑われるが、特に受傷当日および翌日からの急激な発症は、髄液漏出による起立性頭痛を強く示唆する。

c.鑑別に貢献しない所見

●LUP test陽性頭痛
どちらの起立性頭痛でも同じO型の反応を示し、鑑別の役には立たない。

●起立負荷試験
起立負荷試験が陽性に出ても、髄液漏出の可能性を否定する根拠とはならない。

●ODの好発年齢
ODの好発年齢でない場合と異なり、好発年齢の場合は、鑑別の役には立たない。

簡単に言うと、ODは徐々に発症し、日内変動や季節変動があるのに対し、髄液漏出は突然の発症が多く、絶え間ない頭痛が続き、頭痛以外の聴力や視力の症状も出ることが多い、ということになります。

また脳脊髄液減少症は絶対的な安静療法で改善することが多いですが、POTSは安静にすると起立不耐症がかえって悪化するという違いもあるそうです。(p68)

ODの起立負荷試験や、髄液漏出のLUP testでは反応が似ていて容易には区別できないので、こうした特徴と照らし合わせながら注意深く鑑別し、誤った診断や治療にならないよう心がける必要があります。

中には、思春期特有のPOTSをもともと抱えていたところに、不幸にも脳脊髄液減少症を発症し、全身倦怠感と食欲不振はPOTSから、頭痛と気分不良は脳脊髄液減少症から来ているといった複雑なケースもあると書かれていました。(p68,121)

ODのうち、特にPOTSと脳脊髄液減少症の症状が似ている背景には、POTSのメカニズムの一端に、髄液漏れではなく、髄液吸収が促進されることによる髄液減少が関係している可能性があるようです。(p61)

近年、髄液の循環についての研究が進むにつれ、脳脊髄液の産生と吸収の不均衡がこれらの疾患に共通しているのではないか、という説が出てきているといいます。

以上の諸説から導かれる考えとして、この疾患の本質は、髄液の産生と吸収の不均衡からくる髄液の吸収過剰であって、髄液漏出自体は、もしそれが起これば一気に均衡が吸収過剰に傾くことから、この疾患に重大な影響を及ぼすものの、実は絶対的な条件ではないのかもしれない。(p63)

すでに述べた急性の脱水やPOTSによる起立性頭痛も、このメカニズムによって起こる可能性があると考えられる。(p61)

今のところ、髄液の漏出は画像検査で確認できますが、髄液の減少を確かめるすべはありません。

しかし、髄液のメカニズムについての研究が進み、髄液減少を客観的に判別できる技術が登場すれば、脳脊髄液減少症だけでなく、POTSや、慢性疲労症候群など起立性頭痛を伴う別の病気の枠組みにも大きな変革が生じる可能性がありそうです。

慢性疲労症候群(ME/CFS)の27%は体位性頻脈(POTS)を持っている
CFS患者と体位性頻脈(POTS)の患者には互いに重なり合っている部分があるようです。

過剰な運動の影響

起立性調節障害のほかにも、脳脊髄液減少症との鑑別を要するものがあります。

神奈川県学校保健学会 - Dr.高橋浩一のブログで高橋浩一先生はこんな例を挙げています。

「ラグビーを週末を中心に練習している子どもですが、練習を終えた夜には、悲鳴をあげるほどの頭痛で苦しみます。練習のない日には、頭痛がありません。脳脊髄液減少症の可能性がありますか?」

との御質問には、

「脳脊髄液減少症の可能性より、その子にとって運動量が過剰と考えるべきでしょう。脳脊髄液減少症の頭痛は、ほとんど連日性です。」

と回答させて頂きました。

運動後にひどい頭痛がある場合、脱水症状による髄液減少のほか、このサイトで過去に取り上げたオーバートレーニング症候群の可能性を考える必要があるかもしれません。

オーバートレーニング症候群は慢性疲労症候群と同等の長期的な異常が生じる病気で、サッカーの森崎浩司選手などが発症したことが知られています。

学校の部活やアマチュアレベルのスポーツ活動でも発症することがあり、才能ある有望な子どもが無理な練習が続いた結果、夢をつぶされてしまうということも生じています。

それは体罰の問題ではないー背後にある「壮大な人体実験」とは何か
高校のバスケットボール部に所属していた方が、体罰を苦に自殺されたという痛ましいニュースが話題になっています。しかしこの事件を体罰の問題とみなしてしまうのは、問題のすり替えといえます

脳震盪、軽度外傷性脳損傷

スポーツや事故による脳震盪、軽度外傷性脳損傷は、脳脊髄液減少症を併発していることがあるので注意が必要です。(p967)

高橋浩一先生のブログでは。武道必修化にあたって、セカンド・インパクト症候群にも気をつけてほしいという説明もありました。

セカンド・インパクト症候群とは、一度頭部に外傷を負うと、二度目以降、軽い衝撃でも重症化する病態を言うそうです。

セカンド・インパクト症候群 - Dr.高橋浩一のブログ

偏頭痛、慢性疲労症候群、線維筋痛症

篠永正道先生による脊椎脊髄ジャーナル29巻10号の記事「小児の脳脊髄液減少症」には、そのほかの誤診されやすい病気として、以下のものが挙げられていました。

小児の脳脊髄液減少症は,診断に至る例は氷山 の一角にすぎない.

多くは起立性調節障害,難治性片頭痛,慢性連日性頭痛,身体表現性障害,適 応障害,慢性疲労症候群,線維筋痛症などと診断されている.

上記診断例の中にかなりの数の脳脊髄液減少症が含まれていることが推測される

起立性調節障害のほか、偏頭痛や慢性疲労症候群、線維筋痛症と誤診されている例があることがうかがえます。

小児・若年者の起立性頭痛と脳脊髄液減少症によると、偏頭痛の頭痛と、脳脊髄液減少症や起立性調節障害の起立性頭痛は、LUP testをすることで鑑別でき、おおむね正反対の反応を見せることが多いようです。(p16)

いわゆる偏頭痛の「おじぎテスト」は、偏頭痛のあるなしの確認には役立ちますが、起立性頭痛との鑑別には向かないそうです。(p35)

また、偏頭痛とはメカニズムが違うので、脳脊髄液減少症の頭痛には、偏頭痛の頭痛によく効くトリプタンなどの鎮痛剤は効きません。(p29)

急性副鼻腔炎

また、子どもが突然始まった連日続く頭痛を訴える場合、起立性頭痛や偏頭痛のほかに、急性副鼻腔炎や慢性副鼻腔炎(蓄膿症)の頭痛であるケースも多いと言われています。(p31,38)

しかしたとえ偏頭痛や副鼻腔炎だとわかっても、起立性頭痛も合併して複雑になっている場合もあることには注意が必要です。

脳脊髄液減少症の検査

脳脊髄液減少症の検査には、頭部MRI、脊髄MRI、MRミエログラフィー、RI脳槽シンチグラフィー、CTミエログラフィー、硬膜外生理食塩水注入試験などが用いられます。

子どもの脳脊髄液減少症は、MRIやCT画像での異常所見は少ないと言われていて、RI脳槽シンチが診断上、重要視されています。RIとはラジオアイソトープのことで、放射性同位体を用いて、髄液の流れを確認します。

起立性頭痛を調べる「LUP test」

小児・若年者の起立性頭痛と脳脊髄液減少症には、先程から名前が出ているLUP test(Lumbar-uplift test)という、姿勢によって頭痛などの症状が変化するかを確かめる検査方法が紹介されています。

これは、

■Phase I
ベッドの上に膝を立てた状態で横になり、腰の下に毛布などを敷いて、腰を10-13cmほど高くした姿勢。肩甲骨がベッド表面から浮き上がらないようにして、心臓が頭より極力高い位置にならないよう気をつける。

■Phase II
腰の下の毛布を取り去ったあと、上半身をゆっくり起こして座る姿勢

の二つの状態のときの症状を比較することで、頭蓋内の脳脊髄液の状態を急激に変化させ、本人が症状の変動を自覚できるようにする手法です。

Phase I体位で頭痛が消える(和らぐ)までには10秒から20秒、Phase II体位にして頭痛が悪化するまでには20-30秒ないしはそれ以上かかることが多いようです。

これではっきりとわからない場合は、

■Phase I 増強法(HHD法)
Phase Iの姿勢から、さらに頭をベッドの縁から垂れ下がらせる姿勢。Phase Iと同じく、肩甲骨がベッド表面から離れないようにするとともに、外耳孔の位置がベッドの表面と同じ高さかベッド表面よりもやや上になるよう気をつける。

という、より極端な姿勢を用いて、Phase IIのときの症状と比較します。

これらは、小児・若年者の起立性頭痛と脳脊髄液減少症のp12-25に図入りで方法が説明されており、しっかり説明を読めば、Phase I増強法以外の部分は、自宅でもself-LUP testとして試してみることができます。

ただ、前述の鑑別点の中で指摘されていたように、起立性調節障害とLUP-testによる反応が似ていますし、そのほかにも、急性の脱水やマルファン症候群など、髄液漏れとは別の理由で、髄液減少や内圧低下が起こっている可能性もあります。(p58-61)

また、起立性頭痛の体位による変化は、慢性化するにつれてわかりにくくなるとも言われています。(50)

専門的知識を要するPhase I増強法を正しく使わないと正確に判別できない事例もあるようです。(p37)

それで、self-LUP testをやってみてたとえ体位によって症状が変化する起立性頭痛があることに気づいたとしても、専門家の判断を仰ぐことは大切です。

脳脊髄液減少症の治療

最後に、子どもの脳脊髄液減少症の治療について。

小児・若年者の起立性頭痛と脳脊髄液減少症によると、まず安静療法や水分補給、生理食塩水や乳酸リンゲル液、開始液(1号液)などの補液の点滴によって改善するかどうかを試します。

この「安静」というのただ休むという意味ではなく、1日24時間のうち23時間、トイレ、入浴などを除いて横になっている厳重な安静を少なくとも2週間続けるというものです。

場合によっては、入院環境で絶対的安静と、連日の補液の点滴をすることも必要かもしれません。

子どもの場合、損傷した硬膜の回復率が高いため、発症から1年以内であれば、厳重な安静臥床で改善することも多いようです。回復後3ヶ月は重い物を持たず、激しい運動もせず、体育は見学することが必要です。(p127-129)

改善が見られないなら、硬膜外に生理食塩水を注入する硬膜外生理食塩水注入(生食パッチ)や、生食水に空気を加える硬膜外空気注入、自己血によって髄液漏れをふさぐ硬膜外自己血注入(ブラッドパッチ)などを考えます。(p75,132)

高橋先生のブログによると、治療法であるブラッドパッチの効果は成人例よりかなり高く、15歳以下発症の脳脊髄液減少症では、ブラッドパッチで9割以上が改善しているそうです。

126例の検討によると、治療予後は著明改善が91例(72.2%)、軽度改善が24例(29.0%)、不変7例(5.6%)、不明4例 (3.2%)だったとされています。

小児期、学童期発症の脳脊髄液減少症126例の検討 臨床像と対応法 - Dr.高橋浩一のブログ

学校に行きたいけど、行けない - Dr.高橋浩一のブログ はてなブックマーク - 学校に行きたいけど、行けない - Dr.高橋浩一のブログ

しかし、小児・若年者の起立性頭痛と脳脊髄液減少症によると、発症から5年以内のブラッドパッチであれば有効率90%以上であるのに対し、発症から10年以上経っている場合は有効率が半分以下になってしまうことがわかっていて、早期発見、治療の大切さが強調されています。

また線維筋痛症の合併例では、ブラッドパッチによって痛みが悪化する割合が少なくなく、事前に圧痛点を確認し、線維筋痛症の傾向があるかどうか確かめておくことが重要とされています。(p134-135)

若年発症の脳脊髄液減少症が改善した例として、最近のニュースで、NHK学園高3年の佐香穣さんについて、何度か報道されていました。

病気克服の高校生 市議会で歌舞伎口上披露 | 河北新報オンラインニュース はてなブックマーク - 病気克服の高校生 市議会で歌舞伎口上披露 | 河北新報オンラインニュース

佐香さんは、高校1年だった2012年5月に、ボート部の練習に行く途中に転んで全身を強く打ったことで脳脊髄液減少症を発症しました。

一度治療を受けて回復したあとに再発しましたが、声優になる目標をもって、朗読大会などで頑張っておられるとのことです。

ニュースでは、『強い衝撃で髄液が漏れ、頭痛やめまいを引き起こす「脳脊髄液減少症」を克服し、朗読コンテストで東北一になった』と書かれています。

脳脊髄液減少症と闘病して声優を目指す高校生
朗読を生きがいに脳脊髄液減少症と闘病している高校生の話

小児期発症の脳脊髄液減少症は、辛い病気であり、気づくのがなかなか難しい病気ですが、幸いにも症状を改善できる治療法があるので、もし可能性があるなら、できるだけ早く専門医をあたってみるようお勧めします。

起立性調節障害などの似た病気と区別するのは難しそうですが、それぞれ治療法が異なるので、最初に高橋先生がおっしゃっていたように、ある方法でよくならない場合は、別の病気を疑ってみるのが一番よいのかもしれません。

子どもの脳脊髄液減少症を見逃さないために

子どもの脳脊髄液減少症をも逃さず、早期発見・治療するためには、今回のエントリで取り上げたように、症状の特徴や、類似している病気との違いについてよく知っておくことが役立ちます。

この記事で取り上げた情報のほか、「NPO法人脳脊髄液減少症患者・家族支援協会」のサイトにも子どもの脳脊髄液減少症についての詳しい情報がまとめられています。

小児及び10代(6~19歳)の脳脊髄液減少症患者についての情報

「脳脊髄液減少症の子どもの親と、賛同者からなるボランティア団体」である脳脊髄液減少症・子ども支援チームのサイトにも、高橋浩一先生による「小児期の脳脊髄液減少症」の情報や、『子どもの脳脊髄液減少症』という本について載せられています。

子どもの脳脊髄液減少症│脳脊髄液減少症・子ども支援チーム

またfrom_anne_shirleyさんが関連記事を知恵ノートにまとめておられます。

頭痛など体調不良に苦しむ 『脳脊髄液減少症』 小児のための参考HP・ブログ等 - Yahoo!知恵袋

より詳しく知るには、この記事で紹介したマンガ「なまけ病」と言われて~脳脊髄液減少症~ (書籍扱いコミックス)や、何度も引用してきた専門的な書籍、小児・若年者の起立性頭痛と脳脊髄液減少症もぜひ参考にしてください。

この本の著者らの病院へのリンクも貼っておきます。

脳神経外科|診療科のご案内|ご来院の方へ|山王病院

明舞中央病院のホームページ|明石・舞子地域の総合病院

札幌市白石区 東札幌脳神経クリニック|頭痛・めまい・しびれのお悩みなどご相談ください

頭痛外来・低身長相談/こばやし小児科・脳神経外科クリニック/兵庫県神戸市西区

 


身体に刻まれた「発達性トラウマ」―幾多の診断名に覆い隠された真実を暴く

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こうした患者たちは、精神医療を受けている間に、互いに関連のない診断を五つか六つ受けるのが普通だ。

医師が気分変動に焦点を絞れば双極性障害とみなされ…医師が彼らの絶望感にいちばん強い印象を受ければ、大うつ病を患っていると言われて…医師が落ち着きのなさと注意力の欠乏に注目したら、注意欠如・多動性障害(ADHD)に分類され…たまたまトラウマ歴を聴取し、患者が関連情報を自ら提供するようなことがあれば、PTSDという診断を受けるかもしれない。

これらの診断のどれ一つとして、完全に的外れではないが、どれもみな、これらの患者が何者か、何を患っているのかを有意義なかたちで説明する端緒さえつかめていない。(p226-227)

ラウマ研究の権威、ベッセル・ヴァン・デア・コーク医師は、まだPTSDという概念が知られていない時代にベトナム戦争の退役軍人の強烈な症状を目の当たりにし、彼らの苦悩の原因を突き止めるべく、トラウマ研究の道へと進みました。

トラウマがもたらす破壊的な影響について理解を深めるうち、彼は不可解な患者たちの一群に気づきます。

20歳にならないうちから、うつ病、躁うつ病、発達障害、パーソナリティ障害などの診断名を複数つけられ、さらには慢性疲労や慢性疼痛、偏頭痛、自己免疫疾患など、多種多様な身体症状まで抱えています。

彼らの行動は成人のPTSD患者と似ていますが、そのほとんどはPTSDの診断基準を満たしません。なぜなら、彼らは具体的なトラウマの記憶を持ち合わせておらず、ときには幸せな子供時代だったと回想することさえあるからです。

いったいこの異常な症状は何を意味していいるのでしょうか。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法から、おのが人生の経験と、幅広い専門知識、そして本物の教科書は患者だけである、という信念を駆使して、「発達性トラウマ」という真実を探り出した情熱の医師の物語を見てみましょう。

これはどんな本?

この本身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法は、国際的なトラウマ研究の第一人者、ベッセル・ヴァン・デア・コーク博士の研究の集大成ともいえる大作です。

原著The Body Keeps the Score: Brain, Mind, and Body in the Healing of Traumaは、2015年9月に発売されるやベストセラーとなり、米国のAmazonストアでは、現時点(2017/01/23)で1000件を越えるレビューがつき、しかも9割のレビュアーが五つ星をつけ、平均して☆4.8という、驚くべき高い評価を得ています。

わたしがベッセル・ヴァン・デア・コークという医師について初めて知ったのは、おりしも、2012年、トラウマやPTSDについての本としては最初に手に取った一冊、友田明美先生によるいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳の中で触れられていたことがきっかけでした。

だれも知らなかった「いやされない傷 児童虐待と傷ついていく脳」(2011年新版)
子どもの虐待は、近年注目を浴びるようになって来ました。しかし、虐待が脳という“器質”にいやされない傷を残すことを知っている人はどれだけいるでしょうか。友田明美先生の著書「いやされな

当時はまだ知識も理解も浅すぎて、ヴァン・デア・コークによる研究がいかに重要なものであるか、まったく気づくこともなく、その名前が記憶に残ることもありませんでした。

ところが、その後、解離やトラウマについての本を読み込むにつれ、幾度もベッセル・ヴァン・デア・コークの名前、そして彼が発見した「発達性トラウマ」という耳慣れない概念がキーワードとして現れ、昨年6月にはこのブログの記事にもまとめました。

発達性トラウマ障害(DTD)の10の特徴―難治性で多重診断される発達障害,睡眠障害,慢性疲労,双極II型などの正体
子ども時代のトラウマは従来の発達障害よりもさらに深刻な影響を生涯にわたってもたらす…。トラウマ研究の世界的権威ヴァン・デア・コーク博士が提唱した「発達性トラウマ障害」(DTD)とい

その後、タイムリーなことに、ヴァン・デア・コーク博士による研究の集大成ともいえる本の邦訳が10月に発売されることを知り、魅力的な推薦の辞も手伝って、発売日に予約購入したのでした。

その推薦の辞は、Amazonの販売ページなどで読めますが、たとえば、

■解離の文献をたどると必ず目にする名前である、国際トラウマティック・ストレス学会元会長のオノ・ヴァン・デアハート
マインドフルネスを医学に取り入れた創始者ジョン・カバットジン
■トラウマ治療に欠かせない技法であるEMDRの考案者フランシーン・シャピロ
■先日読んだ本脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線の著者であり、脳の可塑性に関する先進的な洞察を送り出してきた精神科医ノーマン・ドイジ

など、わたしがこのブログで取り上げてきた人たちが大勢、名を連ねていました。

そのほかの推薦の辞も一部引用すると、

科学者の果てしない好奇心と、研究者の該博な知識と、真実を語る者の情熱が見事に融合したのが、ヴァン・デア・コーク博士によるこの名著だ。
――ジュディス・ハーマン(『心的外傷と回復』著者)

この傑出した作品は、セラピストばかりでなく、トラウマが引き起こす途方もない苦しみを理解したい、防ぎたい、あるいは治療したいと望む人なら誰もが、絶対に読むべき一冊だ。
――パット・オグデン(センサリーモーター・サイコセラピー・インスティチュート創設者)

といった言葉から、この本がいかに核心をついた重要な一冊であるか、期待が高まるというものです。

また「第四の発達障害」の記事など、このブログで何度も著者を参考にさせていただいている、子どものトラウマ治療の第一人者として活躍してこられた杉山登志郎先生による「解説の試み」(巻末に収録)も公開されており、とても興味をそそられました。

人はどうやって「トラウマ」を克服するのか | 今週のHONZ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

本当に脳を変えてしまう「子ども虐待という第四の発達障害」
杉山登志郎先生の本「子ども虐待という第四の発達障害」のまとめです。虐待の影響は発達障害とどう似ているのか、また独特な問題である解離とは何なのかをまとめています。

この記事では、著者であるベッセル・ヴァン・デア・コーク博士の人となりを交えながら、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法のおおまかなストーリーをたどりたいと思います。

「先生なら、この患者を何と呼びますか」

今やトラウマ研究の第一人者にまでなったベッセル・ヴァン・デア・コークが、この道へと進んだのは、1978年、ボストン退役軍人クリニックで精神科医として働きはじめたときでした。

彼はそこで、初めてベトナム帰還兵に出会いました。

トムという名の その退役軍人を診察したとき、その悪夢のような話を聞きながら、ヴァン・デア・コークは心を揺さぶられるのを感じます。

私はトラウマの謎を解明するために、おそらくこれから先の職業人生を費やすことになるだろうと、その朝悟った。

人は恐ろしい経験によって、なぜ絶望的なまでに過去に囚われてしまうのか。心と脳の中で何が起こり、人は凍りついたままになり、逃れたいと死に物狂いで願う所から抜け出せなくなってしまうのか。(p23)

ヴァン・デア・コークは、戦場の鮮烈な記憶と、混乱した心身の症状を抱える彼らベトナム帰還兵の力になろうとしましたが、自分の受けた医師としての教育ではまったく手に負えないことに気づきます。

それで患者たちの問題を解決する糸口を見つけようと、図書館に足を運びましたが、役立つ本は一冊もありませんでした。時は1978年、まだ心的外傷後ストレス障害(PTSD)という疾患カテゴリーは存在していませんでした。(p24)

当時、戦争帰還兵の抱える異常な精神症状は、統合失調症のような精神病であるとみなされ、閉鎖病棟へと送り込まれていたのです。(p32)

しかし、ヴァン・デア・コークは、同僚の医師たちとは異なり、目の前の患者たちが統合失調症だとする診断にしっくりこないものを感じ、彼らの話にじっくり耳を傾け、得体の知れない症状の背後にあるものを理解しようと努めました。

そうした姿勢の根底にあったのは、ヴァン・デア・コークが、「尊敬する恩師」と呼ぶエルヴィン・セムラッドの教えでした。

私の尊敬する恩師エルヴィン・セムラッドは、教科書は疑ってかかるようにと学生に教えた。

本物の教科書は一冊しかない、それは患者だという。

彼らから学べることだけを―そして、自分自身の経験から学べることだけを―信頼すべきだ、と。(p25)

エルヴィン・セムラッドによれば、本物の教科書は「患者」だけでした。

たとえ、当時広く認められていた医学の教科書によって退役軍人たちが「統合失調症」と診断されようとも、患者という教科書は、それとは違う何かがそこにある、ということをヴァン・デア・コークの心にしきりに訴えていたのです。

ヴァン・デア・コークは、診断名ではなく、患者自身を見るように、という恩師の教えを、こう回想しています。

今でも覚えているが、私は彼にこう尋ねたことがある。「先生なら、この患者を何と呼びますか。統合失調症でしょうか、それとも統合失調感情障害でしょうか」。

すると彼はひと呼吸置き、顎を撫でた。どうやら、思いに耽っているらしい。

「私なら、マイケル・マッキンタイアと呼ぶと思うね」と彼は答えた。(p52)

精神科の医者たちは、今日に至るまで、患者そのものよりも診断名を見る、という落とし穴にはまりがちです。DSMのような、高名な学者たちがこしらえた診断基準に患者を当てはめ、患者をひとりの人間としてではなく、ある診断名のひとケースとみなしてしまいます。

その結果、その診断名に合わない症状は見過ごされるか、別の診断名との併発事例と解釈されます。患者のありのままの姿、本当のその人の素顔は、寄せ集めた診断名というレッテルによって覆い隠されてしまいます。

「ヴァージニアとは本当は何者なのか」

ヴァン・デア・コークは、精神科医という仕事が、しばしば問題を解決するよりも、本質を覆い隠してしまうことを認めています。

私自身の職業は、問題を軽減するどころか深めることが多い。今日、多くの精神科医の仕事は製造ラインの流れ作業のようなものだ。

ろくに知らない患者と診察室で15分ばかり会って、苦痛、あるいは不安、抑うつ状態を緩和する薬を処方する。(o585)

しかし、彼は、目の前の患者を「マイケル・マッキンタイア」とみなした師の教えを守り続け、いつも診断名に覆い隠されてしまっている、本当の患者自身を見るように努めてきました。

彼女のカルテには、双極性障害、間欠性爆発性障害、反応性愛着障害、注意欠如障害(ADD)多動型、反抗挑戦性障害、物質使用障害という診断が並んでいた。

だが、ヴァージニアとは本当は何者なのか。どのように手助けすれば、彼女に人生を楽しんでもらえるようになるのか。(p252)

ヴァン・デア・コークの関心事は、患者がどの診断名に当てはまるか、ではなく、本当は何者なのか、どのように手助けすれば人生を楽しんでもらえるようになるのか、ということでした。

既存の診断基準に無理やり患者を当てはめるのではなく、その診断名をつけたとき、患者が適切な治療を得られ、人生を取り戻す助けになるような場合にのみ、診断名は意味を持ちます。

診断名のために患者があるわけではなく、患者のために診断名があるべきなのです。

診断名が「地下牢」とならないために

ヴァン・デア・コークは、本来は人を治療へと導くべき診断名が、その人の人生を縛り、一生つきまとい、さらには患者のアイデンティティにまで影響を及ぼすことを危惧しています。

精神医学的診断には重大な結果が伴う。治療は診断に基いて行われるからだ。誤った治療を受ければ、悲惨な結果を招きかねない。

また、診断名は患者が死ぬまでつきまとうだろうし、患者が自分をどう定義するかに強い影響を及ぼす。(p228)

ずっと得体の知れない症状で苦しんできた人が、権威ある医者から何かの診断名を下されると、自分のあらゆる問題に決着がついたかのように思えて、ほっとするものです。自分の苦しみは詐病ではなく、現実の問題だと、認めてもらえたからです。

しかし、患者たちは、これまでの人生の苦しみに名前をつけると同時に、自分の人生がその病気である、とみなしてしまうことがあります。

「わたしの症状は◯◯障害だ」とみなすのではなく、「わたしは◯◯障害だ」と考えてしまいます。その瞬間、診断名は、治療のためにラベルではなく、その人のアイデンティティの一部に組み込まれてしまいます。

モンテ・クリスト伯さながら、まるで残りの人生を地下牢で過ごすことを宣告されたかのように、自分は双極性障害「である」、境界性パーソナリティ障害「である」、あるいはPTSDを「負っている」と言う患者に、私は数えきれないほど出会ってきた。

だが、これらの診断のうち、私たちの患者の多くが生き延びるために発達させる並外れた才能や、奮い起こした創造的なエネルギーを考慮に入れているものは一つもない。(p228)

ここでは双極性障害、境界性パーソナリティ障害、PTSDが例として挙げられていますが、そのほかのさまざまな病名、たとえばADHDや自閉スペクトラム症、慢性疲労症候群や線維筋痛症、ほかのあらゆる病名でも同じです。

絆の病: 境界性パーソナリティ障害の克服 (ポプラ新書)の中で、愛着障害の治療をしている岡田尊司先生も、同じ問題を指摘していて、「それがあまりアイデンティティーになりすぎると次のステップに移っていけない場合もある」と述べていました。(p142)

ヴァン・デア・コークが述べるとおり、どんな診断名も、その人が「生き延びるために発達させる並外れた才能や、奮い起こした創造的なエネルギー」を説明してはくれません。

本当は優れた能力をもって、ひとりひとり異なる逆境と闘っているはずの人が、診断名という部屋に入れられた結果、安心感と引き換えに、そこから出て、自分だけの可能性を探る機会さえも失ってしまいます。そのような診断名はもはや「地下牢」でしかありません。

かけがえのない一人の人間として闘っていたはずの人が、診断名をアイデンティティとして受け入れた結果、医師にとっても、本人にとっても、その病気のついた数多くの患者のひとケースでしかなくなってしまうのです。

診断名がアイデンティティになってしまう、という問題は、このブログでも過去に何度も取り上げました。わたし自身、そうなってしまった時期があったからこそ、それがいかに人生を縛り、未来を閉ざしてしまうかがよくわかります。

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「患者であり、師でもある」

ヴァン・デア・コークは、患者に無意味な診断名というレッテルを貼って、患者を無理やり ある病気の型にはめようとはしませんでした。

彼はまったく逆に、患者から学ぶことで、診断名を患者に合わせていくように試みました。恩師エルヴィン・セムラッドの言葉どおり、彼の教科書は、いつでも「患者」だったのです。

私は本書の第一章で、30年以上前にボストン退役軍人クリニックで出会ったビルという名の患者のことを紹介した。

私にとって長年の患者であり、師でもある人物となった人は何人もいるが、ビルもその一人で、私たちの関係は私のトラウマ治療の進化の物語である。(p372)

ボストン退役軍人クリニックで出会った得体の知れない症状を抱えた患者たちは、彼にとって、「統合失調症」の例外的なケース、ではなく、「患者であり、師でもある」存在になりました。

彼らの話に真剣に耳を傾け、学び取ろうとしたヴァン・デア・コークは、彼らが訴える幻覚は、統合失調症のような精神異常ではなく、 現実に経験した記憶の「幻覚」、すなわちフラッシュバックであることを知りました。(p49)

彼ら退役軍人たちは、戦争で頭がおかしくなったわけでも、気が触れたわけでもなく、ちょうど体内に侵入したインフルエンザウイルスと必死に闘って高熱にうなされている人のように、凄惨なトラウマ記憶という異物と、日夜休みなく闘っているサバイバーだったのです。

こうして、ヴァン・デア・コークたちは、危機が去った後も残る未処理の記憶が、脳の恐怖反応をオンにしつづけることを突き止め、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の発見に貢献します。

「先生を信頼しているから言いますけど」

患者から学ぶヴァン・デア・コークの姿勢はどれほど徹底したものだったのでしょうか。彼はキャシーという名の患者が教えてくれたことを、こう振り返ります。

私はマリリンのような患者と初めて出会ったとき、彼女らの考え方に異議を唱え、世の中をもっと肯定的で柔軟な形で眺められるよう、手助けしようとしたものだ。

ある日、キャシーという名の女性が、私を正してくれた。

…「あのね、先生、優れたセラピストであることがあなたにとってどれほど重要だか知っているので、そんな馬鹿げたことを言われたときにも、いつもならうんと感謝します。

なにしろ、私は近親姦のサバイバーです。自信のない大人の男たちの欲求を満たしてあげるように仕込まれたんですから。

でも、先生に診てもらうようになってもう二年たつでしょう。先生を信頼しているから言いますけど、そういうコメントを聞くと、ひどい気分になります。

そう、そのとおりですよ。私は周りの人に何か悪いことが起こると、本能的に全部自分のせいにします。

それが道理にかなっていないことは百も承知していますし、もっと道理をわきまえるように先生が説得しようとすると、私はなおさら寂しくて孤独に感じるだけで、私という人間がありのままの自分でいるのがどんな感じなのか、世界中の誰一人としてけっして理解してくれないだろうという思いが裏づけられることになります」

私はこの告白に心から感謝し、それ以来、患者に、自分が感じているように感じるべきではないとは言わないようにしている。

私の責務がそれよりもはるかに深いものであることを、キャシーは教えてくれた。周りの世界を描いた心の地図を、患者が再構築する手助けを、私はしなくてはいけないのだ。(p213)

ヴァン・デア・コークは、はじめ、ネガティブで不合理な考え方をしているキャシーに、もっと積極的でポジティブな見方をするよう諭しました。

しかし、キャシーから返ってきた言葉は、まったく予想外のものでした。彼女は、自分の考え方がネガティブで不合理であることなど百も承知でした。もっとバランスのとれた見方がどういうものかもわかっていました。それでも、そうした考え方ができないことに苦悩していたのです。

PTSDを抱えた人たちは、自分では不合理であり、問題だらけだとよくわかっている行動をさえ、どうあがいても変えることができず、無力感とみじめさに打ちひしがれていることに彼は気づきました。

そして、キャシーのように、突発的に湧き上がってきて制御できない不合理な考え方は、認知的なフラッシュバックだということを理解しました。それは「トラウマを引き起こした出来事の残余」、つまり、トラウマを経験したときに感じた気持ちのフラッシュバックだったのです。(p405

多くのセラピストが気づけない、この重要な本質にヴァン・デア・コークが気づけたのはなぜでしょうか。

マリリンは、それまで、ネガティブな考え方を修正しようとされたら、「いつもならうんと感謝」していました。しかし「先生を信頼しているから」本心を打ち明けました。

トラウマのサバイバーは、自分の気持ちを殺して、相手に同調することに慣れています。信頼関係を築けない鈍感な医師やセラビストには、効果のない治療法でも、効いているような「ふり」をします。

空気を読みすぎて疲れ果てる人たち「過剰同調性」とは何か
空気を読みすぎる、気を遣いすぎる、周囲に自分を合わせすぎる、そのような「過剰同調性」のため疲れ果ててしまう人がいます。「よい子」の生活は慢性疲労症候群や線維筋痛症の素因にもなると言

鈍感な医者は治療がうまくいったと喜びますが、当のサバイバーは心のなかでは「世界中の誰一人としてけっして理解してくれないだろうという思い」にうちひしがれてそこを去ります。

こうして、トラウマのサバイバーたちが、医師に助けを求めても役にも立たないことを噛み締める一方で、鈍感な医師たちの机上の空論が流布し、真実が覆い隠されます。サバイバーが本当に信頼できる医師にめぐり合わない限りは。

ヴァン・デア・コークは、患者たちから学び、自分の理屈に無理やり押し込めようともせず、トラウマを負った人たちの本当の姿を理解しようと努めました。その結果、鈍感な医師やセラピストには見えなかった真実へと、一歩ずつ近づいていくことができました。

「先生は本当に変わっていますね」

ヴァン・デア・コークの患者に対する姿勢は、とても変わっていました。

あるとき、診察室に入ってきたアニーという女性は、息をしているかどうかもわからないほど凍りつき、無言でヴァン・デア・コークの前に立ち尽くしました。

ヴァン・デア・コークは、会話をすることも、問いただすこともせず、ただ彼女の恐れを刺激しないよう、ドアとの間をふさがないように2メートルほどのところまで近づき、ゆっくり一緒に深く呼吸するよう促しました。

そして、30分ほど、呼吸に同調できるように小さな声で語りかけ続けました。

私は、抗い難い恐怖の背後にいる人物が感じられるようになってきた。

アニーはようやくリラックスしたように見え、私にかすかに微笑んで、いっしょに部屋にいることを認めた様子を示した。

今日はこれまでにしましょうと私は言って(もう彼女には精一杯のことをしてもらった)、一週間後にまた来られますかと尋ねた。

彼女はうなずくと、「先生は本当に変わっていますね」と小声で言った。(p436)

極度のトラウマを抱えたアニーにとって、ヴァン・デア・コークは、「本当に変わっている」医師でした。それはつまり、これまでにこの世界で出会い、自分を痛めつけ、理解しようともせず、無思慮に扱ってきた大半の人とは大きく異なっているということでした。

ヴァン・デア・コークは、患者たちをみな、どうしようなく弱々しい病人ではなく、それぞれ逆境を跳ね返して懸命に生きてきた勇敢な人々として尊重しています。

私が出会ったトラウマサバイバーは一人残らず、それぞれのかたちで逆境を跳ね返す力を持っており、誰の話を聞いても、人間の対処能力には畏敬の念を覚える。

ただ生き抜くためにさえも厖大なエネルギーを必要とすることを思えば、そのためにサバイバーがしばしば支払う代償にも驚きはしない。(p459)

他の大勢の医師が目を曇らされてたどり着けなかった真実を、ヴァン・デア・コークが見いだすことができ、トラウマ研究の第一人者と呼ばれるまでになったのは、決して偶然のことではありません。

彼は、あまたの医師たちとは違う、サバイバーたちにとって「本当に変わっている」医師、すなわちトラウマに覆い隠された「抗い難い恐怖の背後にいる」その人自身を見ようとしてくれる医師だったのです。

「身体はトラウマを記録する」

こうして、PTSDの患者たちとの信頼関係を築き、注意深く観察してきたヴァン・デア・コークでしたが、次第に奇妙な事実に気づくようになりました。

ちょうど、退役軍人たちの症状が統合失調症ではなくトラウマ記憶によるフラッシュバックであることを明らかにしたときと同じように、PTSDという診断がしっくりこない患者たちがいることに気づき始めたのです。

PTSDという診断は戦闘から戻った兵士や事故の犠牲者のために作られたのだが、トラウマを負った人には彼らとはまったく異なる人々がいることも、私たちの研究によって裏づけられた。

マリリンやキャシーのような人、さらにはハーマンと私が研究した患者や、第7章で説明した、マサチューセッツ・メンタルヘルスセンターの外来に来る子供たちは、必ずしも自分のトラウマ体験を記憶していない(PTSDの診断基準の一つ)か、あるいは少なくとも虐待の具体的な記憶で頭がいっぱいではないが、自分が依然として危険な状態にあるかのように振る舞い続ける。(p236)

さきほどヴァン・デア・コークに、認知的なフラッシュバックという貴重な教訓を教えてくれたキャシーをはじめ、一部の患者たちは、PTSDという診断に当てはまらない、何か別のトラウマを抱えていました。

その人たちは、「必ずしも自分のトラウマ体験を記憶していない」のに、「自分が依然として危険な状態にあるかのように振る舞い続ける」のです。何が起こっているのでしょうか。

そうした患者の一人、マリリンについて、ヴァン・デア・コークはこう回想します。

マリリンは、スポーツが得意な30代の女性でしたが、恋人といるときに緊張し、ぼうっとしてしまい、パニックを起こしてしまうという不可解な症状で診察室を訪れました。

過去について尋ねると、幸せな子供時代を「送ったに違いない」と思うとマリリンは答えたが、12歳になる前のことはほとんど思い出せなかった。(p206)

マリリンは、一見すると、トラウマ記憶を持っていないかのように見えました。彼女は「幸せな子供時代」を送ったとさえ述べました。

ところが、彼女に家族の絵を描いてもらったところ、何か悲惨なことがあったことを物語る、極めて不気味な絵を描きました。

これまで、ヴァン・デア・コークがおもに扱ってきた退役軍人のようなPTSD患者たちは、自分が経験した、あまりに凄惨で生々しい記憶の断片をはっきりと覚えていました。耳を傾けるセラピストが吐き気を催すほどの身の毛もよだつ記憶です。

しかし、マリリンやキャシーのような患者たちは、PTSD患者と似たような振る舞いをし、日常生活でさまざまな心身の苦痛を抱えているものの、原因となる出来事を説明できませんでした。

これは何を意味しているのでしょうか。ここが本書のテーマをなす部分です。本書のタイトルは、そう、身体はトラウマを記録するでした。

マリリンやキャシーの不可思議な症状が物語る結論はただひとつ、心はトラウマを覚えていないにもかかわらず、身体はトラウマを記録しているのではないか、ということでした。

ヴァン・デア・コークはマリリンの治療に慎重に対応することにしました。彼は、マリリンに、何かトラウマ経験を隠しているのではないか、と迫ったりはしませんでした。

詩人のW・H・オーデンが書いているとおり、

真実は、愛や眠りと同様、
あまりに激しく迫られると憤る。

私はこれをオーデンの法則と呼んでおり、それを遵守して、覚えていることを語るようにマリリンに強いるのをあえて避けた。

実際、患者のトラウマの詳細を一つ残らず知るのは重要ではないことを、私はすでに学んでいた。

大切なのは、患者自身が自分の感じているものを感じ、知っていることを知るのに耐えられるようになることだ。それには何週間もかかる。何年もかかることさえある。(p206-208)

やがて、一年以上経ったころ、驚くべき展開がありました。セラピーのグループの仲間の性的被害の経験を聞いているさなか、マリリンは自分の問題の原因に気づいたのです。

彼女は話し始めた。

「今の話を聞いて、私自身も性的虐待を受けたかもしれないと思ったんです」。

私は思わず口をぽかんと開けていたに違いない。あの家族の絵から判断して、私は彼女が、少なくとも心のどこかで、自分が虐待されたことを自覚しているものとばかり思っていた。

彼女はマイケルに対して、近親姦の犠牲者のように反応したし、世の中は恐ろしい場所であるかのようにいつも振る舞っていた。

それなのに、性的虐待を受けている少女の絵を描いたにもかかわらず、彼女―少なくとも、彼女の認知的、言語的な自己―は、自分の身に実際には何が起こったのか、見当もつかなかったのだ。(p216)

マリリンの恋人に対する振る舞い、日常生活での行動、思考パターン、さまざまな身体症状はすべて、彼女の身体、つまり免疫系や筋肉や脳の恐怖系が、トラウマを記録していることを証拠づけるものでした。

しかし、身体は覚えているのに、マリリンの心、意識は過去に何があったのかを、その瞬間まで、まったく覚えていなかったのです。

この奇妙な症状こそ「解離」でした。ヴァン・デア・コークはこう述べます。

解離こそがトラウマの核心を成す。(p111)

解離とは、知っていると同時に知らずにいることを意味する。(p200)

解離―「知っていると同時に知らずにいること」

解離については、このブログで何度も詳しく扱ってきたので、詳しくはそちらの記事を見ていただければと思います。

解離性障害をもっとよく知る10のポイント―発達障害や愛着障害,空想の友だちとの関係など
解離性障害は深刻なトラウマ経験がなくても発症することがあり、ADHDやアスペルガーのような発達障害、愛着障害とも関係していると言われています。解離性障害の専門家の本から、役立つ10

マリリンやキャシーが、PTSDの退役軍人たちと、大きく異なっていたのは、この解離という脳の防衛反応が、トラウマ経験に対して巧妙に作用していたからでした。

ヴァン・デア・コークがこの本の中で説明するように、ライオンズ=ルースは、解離という特殊な防衛システムは、生後2年ほどの幼少期に学習されることを明らかにしました。のちの虐待やトラウマでは、解離の症状は説明できなかったのです。(p201)

マリリンは、退役軍人たちとは異なり、ごく幼いころに、解離という防衛機制を身に着けていたために、その後にトラウマ記憶を忘却し、何事もないかのように振る舞い、幸せな子供時代を送ったと思い込んでいたのです。

近年の愛着理論の研究によると、回避型と呼ばれる愛着スタイルが、解離傾向と関係していることがわかっています。回避型の大人は、幼少期について尋ねられると、ポジティブな表現で回想しますが、なぜか記憶が乏しく詳細を思い出せません。

きっと克服できる「回避型愛着スタイル」― 絆が希薄で人生に冷めている人たち
現代社会の人々に増えている「回避型愛着スタイル」とは何でしょうか。どんな特徴があるのでしょうか。どうやって克服するのでしょうか。岡田尊司先生の新刊、「回避性愛着障害 絆が稀薄な人た

またより解離傾向の強い無秩序型の愛着スタイルの人は、過去について尋ねられると、記憶が十分整理されていない混乱した様子を見せます。

人への恐怖と過敏な気遣い,ありとあらゆる不定愁訴に呪われた「無秩序型愛着」を抱えた人たち
見知らぬ人に対して親しげに振る舞いながらも、心の中では凍てつくような恐怖と不信感が渦巻いている。そうした混乱した振る舞いをみせる無秩序型、未解決型と呼ばれる愛着スタイルとは何か、人

この本の巻末の「さらなる参考文献」には、以前このブログで紹介した 身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価という本が含まれています。

その本では、さまざまな心身の症状を抱えながら、幸せな子供時代を送った、という偽りのポジティブ思考を習慣とする人たちについて触れられていました。

口で「ノー」と言えなければ身体が「ノー」と言うようになる― 抑圧された感情が招く難病と慢性疾患
ガンや自己免疫疾患、慢性疲労症候群(CFS)を含む多くの難病は、突然発症するのではなく、子どものころから抑圧してきた感情が関係している。患者の気持ちに配慮しつつ、ガボール・マテ博士
病気の人が習慣にしがちな偽りのポジティブ思考とは何か
病気の人はポジティブシンキングを身につけるようよくアドバイスされます。しかし意外にも、ポジティブに見える人ほど病気が重いというデータもあるのです。「身体が「ノー」と言うとき―抑圧さ

人への恐れや過剰に同調する対人関係パターン、さまざまな解離症状、失感情症のような感情の抑圧は、過去に何らかのトラウマ体験があったことを示唆していますが、何があったかという記憶そのものは意識されない場合があるのです。

いみじくも、愛着理論の生みの親、ジョン・ボウルビィは、「母親に話せないことは自分にも話せない」と述べたと言われています。(p381)

幼いころにトラウマを経験し、しかも安心して話せる人がいなかった場合、その記憶は自分に対してさえ語られることがありません。ただ身体だけがその記録をつけています。

人は幼いころに叔父に性的虐待を受けたという事実を自分に隠していたとしたら、嵐の中の動物のように、トリガーに反応しやすくなる。

「危険」を知らせるホルモンに対して、体全体で反応してしまうのだ。言葉と文脈がなければ、「私はおびえている」という自覚しかないかもしれない。

それでも、断固として主導権を握り続けようとしていると、トラウマをぼんやりとでも思い出させる人や物をすべて避けることになる可能性が高い。

また、感情をあらわにできずにいるかと思えば、怒りっぽくなったり、受け身でいるかと思えば激情に駆られたりしかねない―すべて理由もわからずに。(p381)

身体はトラウマを記録しているので、恐怖反応をみせたり、緊張してこわばったり、凍りついたり、パニックになったりしますが、心ではなぜそうなっているのか理由がわかりません。

解離とは「知っていると同時に知らずにいること」なのです。

抑圧された記憶は存在するのか

幼少期の記憶が抑圧されている、という概念は、しばしば攻撃の的となってきました。

わたしがこれまでに読んだ何冊もの有名な心理学者の本でも、抑圧されたトラウマなどというものは存在せず、空想によって作られた「虚偽記憶」である、という説明がなされていました。

その証拠として、実験室で、本来は存在さえしなかった記憶を意図的な植え込むことができたという研究や、本人が確信している記憶が、事実と照らし合わせるとまったくの筋違いだったという事例が挙げられていました。

中には性的虐待のかどで親を告発した女性の裁判で、事実を調べてみると、整合性がまったく取れないばかりか、どう考えてもありえない状況だった、という例もありました。

今日では、記憶は思い出すたびに改変され、正確性が失われていくということは、科学的な事実として認められています。

ヴァン・デア・コークも、その点には異論をさしはさんでいません。むしろ、記憶を作り変え、安心できる過去の記憶を新しく織りなすことは、トラウマを乗り越える精神療法の核となる部分です。(p316,513)

しかし、ヴァン・デア・コークは、思い出した記憶が改変されるという事実があるからといって、トラウマを経験した人たちの抑圧された記憶は存在しない作り話である、とみなすのは間違いだとはっきり述べています。

トラウマが忘れられ、何年ものちに再浮上するという証拠がたっぷりあるというのに、なぜ数か国の100人近い名高い記憶の科学者が、「抑圧された記憶」は「似非科学」に基づいていると主張して、シャンリー神父の有罪判決を覆すための上訴に自分の威信をかけたのだろう。

トラウマ体験の記憶喪失と遅延想起は研究室で実証されていないので、認知科学者のなかには、そのような現象が存在することや、想起したトラウマ記憶が正確でありうることを断固否定した人がいる。

とはいえ、医師が救急処置室や精神科の病棟、戦場で出合うものは、科学者が安全で整理整頓が行き届いた研究室で観察するものとは、必然的にまったく異なる。(p317)

ヴァン・デア・コークが述べるように、そもそも現実の身の毛もよだつようなトラウマ経験と、実験室で植え付けられるような恐怖記憶とには比較にならないほどの違いがあります。

わたしたちの脳には二重の記憶システムがあり、通常の意識的な記憶とは別に、フラッシュバックなどでよみがえる未加工の記憶が存在していることは、脳神経科医オリヴァー・サックスも、火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者の記憶の画家フランコ・マニャーニについての文脈で指摘しています。

「トラウマを研究したければ、実際にトラウマを負った人の記憶を研究はなければならない」のです。(p318)

実際に、リンダー・マイヤー・ウィリアムズによる追跡研究によれば、性的虐待を受けて10-12歳のときに病院を受診した少女たち136人を、17年後に探し出して記憶を確かめたところ、38%もの人が医療記録に残っている虐待を覚えていませんでした。

そのうち16パーセントは、過去に忘れていた記憶をのちに思い出しましたが、蘇った記憶は一度も失われなかった記憶と同じほど正確でした。

一方で、虐待の中心的事実についての記憶は全員が正確でしたが、カルテの記録と詳細まで一致している人は一人もいませんでした。(p316)

この研究が示すとおり、記憶が解離によって抑圧されることは、実験室では再現できなくても、幼少期に解離傾向を身に着けた人たちには現実に起こりうることです。

確かに記憶の詳細は、思い出すたびに改変されていきますし、抑圧された記憶の断片は、一貫したストーリーをなしていないこともあります。、それらはいずれも、裁判所で求められるような正確な陳述には適していません。

しかし、だからといって何事もなかった作り話だということにはならず、トラウマ記憶の痕跡は、何かしらの原因があったからこそ、はっきりと身体に刻み込まれた現実の出来事の証拠です。

トラウマを負った人々は、記憶が極度に乏しいと同時にあまりに多過ぎる。イレーヌは母親の死の記憶をいっさい持っていなかった。つまり、彼女は何が起こったかを語れなかった。

だがその一方で、母親が死んだときの出来事を、体を使って表現せずにはいられなかった。(p296)

幼少期に身に着けた解離によってトラウマ記憶の全体、あるいは詳細を忘れてしまっている人の場合、最も信頼できる証人は、意識にのぼる記憶ではなく、身体が記録しているトラウマの痕跡である、ということができます。

「発達性トラウマ障害」―たどりついた真実

たとえ、意識がトラウマの記憶を解離させ、何事もなかったかのように思わせ、心を守っているとしても、身体はトラウマを記録しているという発見は、ヴァン・デア・コークたちの研究を、新たな道へと導きます。

まず、1994年には、通常のPTSDとは異なり、幼少期の慢性的なトラウマ体験による、いわば「心の複雑骨折」とも言うべき、「複雑性PTSD」という概念を提唱しました。(p238)

その後、疾病管理予防センターによって、ロバート・アンダとヴィンセント・フェリッティを共同責任者とする、25000人もの患者を対処とした逆境的児童期体験研究(ACE研究)が実施されます。

この研究では、児童期・少年期のトラウマ経験と、成人後の健康状態の関連性が、かつてないほど大規模に調査されました。

その結果、幼少期のトラウマ経験の影響は、まず学校で明らかになること、ついでトラウマ体験は時を経るうちに覆い隠されてしまい、成人後にさまざな不適応や薬剤抵抗性の慢性的な うつ症状、ガンやさまざまな身体疾患となって現れることが明らかになりました。(p242-244)

人が目にするもの、目に見える主症状は、本当の問題の目印にすぎないことが多い。

本当の問題は、時間の中に埋もれ、患者の羞恥心や秘密主義、そしてときには記憶喪失―さらには、頻繁に臨床家の不快感―によって、隠されている。(p246)

その後、2001年に国立子供トラウマティック・ネットワークが設立され、ヴァン・デア・コークらも同様の研究に着手しましたが、その結果は、ACE研究と見事に一致していました。

トラウマを負い、国立子供トラウマティックストレス・ネットワークで診療を受けた子供の82パーセントは、PTSDの診断基準を満たさない。

…これらの子供はじつに多くの問題を抱えているため、時を経るうちに多数の診断を受ける羽目になる。

多くの患者は20歳になるころには、りっぱではあるが無意味なレッテルを、四つも、五つも、六つも、ことによってはそれ以上も貼られている。

仮に治療を受けることがあれば、それは薬物療法や行動変容、曝露療法といった、たまたまそのとき流行の管理手法と宣伝されているものが施される。

だが、効果があることは稀で、害のほうが大きいことがしばしばある。(p262-263)

ヴァン・デア・コークが、マリリンやキャシーといった患者たちを通して感じていたとおり、幼少期にトラウマを経験した子どもたちは、PTSDの診断をほとんど満たしませんでした。

その代わりに、極めて異常なことに、まだ10代のうちから、心身に重大に問題を抱え、さまざまな病名というレッテルをいくつも貼られ、無意味な治療を施されていました。

ADHDや双極性障害、さらにはうつ病や境界性パーソナリティ障害など、ありとあらゆる病名をつけられてはいますが、その根本原因、すなわち解離されているトラウマ経験には気づかれず、医療の泥沼に放置されていたのです。

彼らはまた、精神疾患だけではなく、慢性疼痛をはじめ、さまざまな原因不明の身体症状を訴えていることも少なくありませんでした。

長期にわたって怒ったりおびえたりしていると、筋肉が常に緊張状態になるために、いずれ痙攣や背中の痛み、偏頭痛、線維筋痛症といった何らかの慢性疼痛の症状が出る。

そうした人々は、さまざまな専門家に診てもらい、多様な診断検査を受け、多くの薬を処方されるかもしれない。

それによって一時的に苦しみから解放されることもあるのだろうが、どれも根底にある問題は正してくれない。

診断によって患者の問題が規定されてしまい、それがトラウマに対処しようとする彼らの試みの表れなのだと認識されることはない。(p439)

幼少期にトラウマを抱えた人たちが、さまざまな精神疾患だけでなく、身体症状にも見舞われていたのは、意外なことではありません。

彼らは、解離によって、激しく興奮する脳のトラウマ記憶を押さえ込み、「自分自身と闘っている状態」にあったからです。

人は秘密を守って情報を伏せておくかぎり、基本的に自分自身と闘っている状態にある。

自分の核心にある感情を隠すには厖大なエネルギーが必要なので、やり甲斐のある目標を追い求めるためのモチベーションは体にあふれ続け、頭痛や筋肉痛になったり、便通や性機能に問題を生じたりする。(p382)

幼少期の慢性的なトラウマを経験したサバイバーたちは、「自己から隠れることを学ぶ」ことで、感覚を麻痺させるのが得意になっていきます。(p162)

はじめはストレスホルモンであるコルチゾールの高値を示しますが、次第にコルチゾール値が下がっていくこともわかっています。体が慢性的なトラウマに順応し、麻痺していくのです。(p121,271)

ヴァン・デア・コークは、この異常な症状を、ただの一言で説明しうる概念を提唱します。それこそが、2000人近い子供のデーターベースをもとにまとめあげた「発達性トラウマ障害」、すなわち問題の本質に迫り、本当の治療へと導く単一の診断名でした。(p263-264)

この「発達性トラウマ障害」(DTD)の詳細な特徴やメカニズムについては、すでに紹介したとおり、以前の記事でまとめています。

発達性トラウマ障害(DTD)の10の特徴―難治性で多重診断される発達障害,睡眠障害,慢性疲労,双極II型などの正体
子ども時代のトラウマは従来の発達障害よりもさらに深刻な影響を生涯にわたってもたらす…。トラウマ研究の世界的権威ヴァン・デア・コーク博士が提唱した「発達性トラウマ障害」(DTD)とい

「ほとんどの研究は自分探しだ」

ヴァン・デア・コークが多種多様な診断名というレッテルという惑わされず、多くの患者を苦しめていた問題の本質、本人たちでさえ気づいていなかった原因を明らかにできたのはどうしてでしょうか。

多くの医者が心を通わせるのに失敗し、落胆させてきたトラウマサバイバーたちと信頼関係を築き、診断名に覆われていない本当の人となりを観察できたのはどうしてでしょうか。

ヴァン・デア・コークは、自身について多くを語ろうとはせず、いずれも控えめな表現にとどめていますが、この本のところどころで語られる言葉の端々からは、彼自身もまた幼少期の逆境と闘ってきたサバイバーであるように思えます。

冒頭で書いたように、ヴァン・デア・コークは、退役軍人クリニックで最初のベトナム帰還兵のトムを診察したとき、トラウマ研究の分野に進むことを決めましたが、そこには自身の過去の経験も手伝っていました。

トムの話に耳を傾けているうちに、私は思った。叔父と父は、悪夢やフラッシュバックを経験したのだろうか。

あの二人も、愛する人々から切り離された気がしていて、人生に真の喜びを見出だせなかったのだろうか。

私の頭の片隅には、おびえた―そして、しばしば私をおびえさせた―母親の記憶もあったに違いない。母自身、子供時代にトラウマを経験しており、ときおりそれをほのめかすことがあったし、今考えると、頻繁にその体験が再現されていたのだろう。

母に小さかったころのことを尋ねると、きまって気を失い、そのあと、なぜこんなに動揺させるのかと責めるので、私はおろおろした。(p22-23)

彼は、解離によって記憶を言葉にすることができない人たちが、自分の過去と向き合い、何が起こったのかを理解し、言葉で表現できるようになることを助けてきましたが、そこでもまた、自分自身の経験が、感情移入する助けになりました。

名前をつけることは、また別のかたちで制御する可能性を与えてくれる。『創世記』でアダムが動物界の管理を任されたときに最初にしたのは、すべての生き物に名前をつけることだった。

人は傷つけられたことがあったなら、自分に起こった出来事を認めて、それに名前をつけなければならない。私は自分の経験から、それがわかる。(p381)

また、彼自身、解離症状やフラッシュバックといった、トラウマ患者を苦しめている症状そのものを経験することがありました。

私は、帰還兵がヴェトナムで子供を殺したことについて語るのを、初めて聞いたときのことを覚えている。

そのとき私は、鮮明なフラッシュバックを経験した。

それは七歳くらいのころに、隣家の子がナチスの兵士に敬意を示さなかったために、私たちの家の前で殴り殺されたことを、父から聞かされたときのものだった。

帰還兵の告白に対する自分の反応に耐えられなかったので、私はそのセッションを中止せざるをえなかった。(p401)

ある晩、強盗に襲われたときには、解離性障害や児童虐待の被害者がしばしば経験する体外離脱も経験しました。

私はある晩遅く、自宅近くの公園で強盗に襲われた。

そのとき私はその場の上方に漂い、頭に小さな傷を負って雪の中に倒れている自分を眺めていた。その自分を、ナイフを手にした三人のティーンエイジャーが取り巻いている。

私は両手に負った刺し傷の痛みを解離させ、少しも恐れを感じずに、空にされた財布を返してもらおうと、冷静に交渉していた。

私がPTSDを発症しなかったのは、一つには、他者を対象にそれまで注意深く研究してきた経験をすることに、強烈な興味を掻き立てられていたからであり、また、強盗たちの似顔絵を描いて警察に見せられるだろうという思い違いをしていたからでもある。(p167-168)

以前このブログでも取り上げた研究では、外傷体験のときに完全に解離するのではなく、部分的に解離して身動きが取れないという恐怖を経験することが、PTSDを発症してしまう原因ではないかとされていました。

解離性障害をもっとよく知る10のポイント―発達障害や愛着障害,空想の友だちとの関係など
解離性障害は深刻なトラウマ経験がなくても発症することがあり、ADHDやアスペルガーのような発達障害、愛着障害とも関係していると言われています。解離性障害の専門家の本から、役立つ10

しかし、ヴァン・デア・コークが経験した体外離脱は、いわば完全な解離であり、解離している間、恐怖はひとかけらもなく、他人事のように冷静に状況を観察していました。それがPTSDを発症しなかった一因なのかもしれません。

すでに見たとおり、ヴァン・デア・コーク自身、解離という能力は幼少期に学習されるものだと述べていることからすると、彼もまた何かしらの過去の遺産を背負っていることをうかがわせます。

PTSD患者の心拍変動の異常を見つけたとき、自身の心拍変動にも問題があることを認めたとも述べています。(p442)

これらのことを踏まえた上で、彼が述べるこの言葉を読むと、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法という本全体、また発達性トラウマ障害についての先進的な研究が深い意味合いを帯びてくるように思えます。

科学者というのは、自分が最も不思議に思うことを研究するものなので、他の人々が当たり前と思って気にもかけないテーマの専門家となる

(あるいは、愛着研究者のベアトリス・ビービーがかつて私に言ったように、「ほとんどの研究は自分探しだ」(p180)

ヴァン・デア・コークは、この本でそれほど自分のことを吐露していないように見えますが、あるいはこの本全体が、専門書のかたちを借りた、彼の自伝ともいうべきものなのかもしれません。

「現在をしっかりと思う存分生きる」のを助ける

この本のすばらしいところは、単なる学問的な論議ではなく、現実の症例に基づいて組み立ててられていること、最新の脳科学の裏づけを得ていること、そして何より、患者を本当の回復へと導くための手法について、実践的で踏み込んだ探究がなされていることです。

ヴァン・デア・コークは、患者との関わりを通して、自分の仕事は、緊急手術の外科医のように、ただ患者の心の中からトラウマという異物を取り除くといったものではない、ということを学びました。

発達性トラウマを抱えた人たちは、トラウマという異物を体の中に抱えたまま長年生きてきたために、それが当たり前になっていて、感覚が麻痺してしまい、「現在をしっかりと思う存分生きる」ことができなくなっているからです。

トラウマ性ストレスへの治療の取り組みの多くは、患者を過去に対して脱感作することに的を絞っている。

トラウマ体験に再びさらされれば、情動の突発的なほとばしりやフラッシュバックが減ることを期待してのことだ。

だが私は、これはトラウマ性ストレスにおいて起こることの誤解に基づいていると考えている。

私たちは何よりもまず、患者が現在をしっかりと思う存分生きるのを助けなくてはならない。

そのためには、トラウマ体験に圧倒されたときに患者を見放した脳の組織が働きを取り戻すように支援する必要がある。

脱感作によって過敏な反応は減るかもしれないが、散歩をしたり、食事を作ったり、子供たちと遊んだりといった、日常のごく当たり前のことに満足を感じられなければ、人生に置き去りにされてしまうからだ。(p122)

異常な環境に順応して、感覚が麻痺しているサバイバーたちが何より苦労するのは、トラウマ記憶の脅威に対処することではなく、ごく普通の日常生活に順応することなのです。

患者に負担が少ない治療法を探る

ヴァン・デア・コークは、この本の中で、曝露療法や認知行動療法といった、現在広くPTSDや精神疾患の治療で用いられている手法が、十分な効果を得られていないばかりか、有害な副作用もあったという研究データを紹介しています。(p321,361,362,422)

愛着障害の専門家の岡田尊司先生も、回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)の中で、認知療法の限界を認め、それに代わる手法としてマインドフルネスを紹介していました。

長年うつや不安症状を繰り返しているような人ほど、不安定な愛着や自己否定、対人不信を抱えている。

こうした人に、通常の認知療法を施すと、「自分の考え方はやっぱり偏っている」「自分はダメな人間だ」「自分の認知はおかしい」というぐあいに、ますます否定的に受け止め、治療を続けること自体が苦痛になって、途中でやめてしまうということも多いのである。(p200)

その理由は、マリリンが述べたとおりのこと、つまり、トラウマの影響で認知の歪みが生じているとき、理性ではわかっているにもかかわらず思考や行動を制御できないという矛盾が、トラウマ患者たちの苦痛の本質をなしているからでした。

ヴァン・デア・コークは、主流とされている治療法でなくても、患者の助けになるものであれば、進んで取り組み、その効果を厳密な対照実験や最新の脳画像研究などで立証するよう努めてきました。

トラウマには、これぞという「選り抜きの治療法」はないし、自分の手法が患者の問題に対する唯一の答えだと考えているセラピストは、患者を本当に回復させることに関心を持っているのではなく、特定の観念を信奉しているだけである疑いがある。

有効な治療法のいっさいに精通しているセラピストなどいるはずがないのだから、自分が提供するものではない選択肢を患者が探ることをセラピストは許容すべきだ。

また、患者から学ぶ態度も持ち合わせていなければならない。性別や人種や経歴は関係ない。それらが重要になるのは、安全で理解されていると患者に感じさせる妨げとなるときだけだ。(p347)

たとえば、医師やカウンセラーに対して心を開くことが難しく、自分の内面を吐露できず上辺だけの話にとどまってしまう場合、曝露療法などで無理に話させることは患者の苦痛を増し加えるだけです。

それよりも、だれにも見せない自分自身への手紙を書いたり、自分へのメッセージをテープレコーダーに吹き込んだりすることによって、心理的ストレスのみならず、自律神経系や免疫系の機能をさえ改善できることが実証されています。(p395)

また、フランシーン・シャピロが考案したEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)は、セラピストの指にそって目を左右に動かすという奇妙なもので、ヴァン・デア・コーク自身も、はじめは「精神医学を繰り返し見舞ってきた疫病の一つのようなもの」とみなしていました。(p412)

しかし、その目覚ましい効果を聞かされ、患者への負担が少ないことを見て取るや、率先して研究に取り組み、EMDRがブロザックによる薬物療法やプラセボよりもはるかに効果が高いことを実証しました。

さらにEMDRがレム睡眠のメカニズムと関係しているという研究から、PTSDのトラウマ記憶は、記憶を整理する睡眠の異常からくることに気づきました。(p429)

解離性障害は脳の一部だけ眠る睡眠障害かもしれない―覚醒と夢のはざまの考察
解離性障害の幻覚とナルコレプシーなど、解離と睡眠障害には多くの類似点が見られます。様々な専門家の意見を参考に、脳の局所的な睡眠として解離を捉え直すことで、解離のメカニズムを考察して

いつも治療の主役は患者

既存の治療法で効果のでない患者に直面したとき、医師たちは、患者に治療に取り組む意志がないとか、たまたま例外的な患者だとかみなして理由づけすることがあります。

しかし、トラウマ研究は、なぜある患者にはその治療法が効果がないのか、どうすれば治療から脱落してしまう患者をサポートできるのか、といった理解を深めることによって前進してきました。

ここまで見てきたように、自分のトラウマ記憶にさえ気づいておらず、言葉によって記憶を整理できない患者たち、すなわち、身体がトラウマを記録している状態の患者たちにとって、言語を用いた治療には限界があります。

こんなコメディが頭に浮かぶ。怒りの管理(アンガー・マネジメント)プログラムに七度も参加した人が、自分の習った技法を絶賛する。

「見事といったらない。素晴らしい効き目がある―本当に頭にきていないかぎりは」(p108)

そうした患者たちに対し、ヴァン・デア・コークは、マインドフルネスや、ニューロフィードバック、ヨーガによる治療が効果を上げることを、具体的なデータによって実証しています。自分が患者の立場になってそれらを実践してみることもあります。

これまでの医学の枠を超えた症状に悩む患者を助けるためには、やはりこれまでの常識の枠に当てはまらない治療法が必要とされる場合もあります。

解離性同一性障害(DID)をはじめとする、心のなかのさまざまな部分がバラバラになってしまった人のためには、心身の統合を取り戻す技法として、リチャード・シュウォーツによる内的家族システム療法(IFS)という特殊な手段も導入しました。(第17章)

トラウマを治療する「自我状態療法」とは? 複数の自己と対話する会議室テクニック
「図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法」という本から、トラウマを治療するのに使われる自我状態療法として、解離のテーブルテクニック・会議室テ

またジュディスとハーマンによる研究で、内面に穴が空いたような虚しさを抱えている人たちに対して、従来の精神療法があまり役に立たないことがわかったときには、心の中の地図を再構成するPBSP療法を取り入れました。(第18章)

活路は意外なところからも見出されます。ヴァン・デア・コークの息子のニックは、学生のころに慢性疲労症候群になりましたが、演劇に取り組むことで回復したといいます。

私の知る科学者には、自分の子供の健康問題がきっかけで、心や脳のセラピーの捉え方を改めるようになった人が多くいる。

私自身も、息子が原因不明の病気(他にふさわしい名前がないので、「慢性疲労症候群」と呼ばれている)から回復したことで、演劇による治療の可能性を確信した。(p551)

単に演劇が治療に役立ったというと、仲間ができたことや、没頭できる時間を持てたことが、生きる意味や、やる気を取り戻させたのではないか、という短絡的な見方がされそうですが、ヴァン・デア・コークはそうは考えません。

主体感覚、つまり自分がどのくらい主導権を握っているのかという感覚は、自分と体やそのリズムとの関係で決まる。

覚醒や睡眠、あるいは食べ方、座り方、歩き方といった日々の輪郭を定める。

自分自身の声を見つけるためには、体の中にいる必要がある。深呼吸ができて、内部感覚がつかめる状態だ。

これは解離、つまり「体の外」に出て自分自身を消し去るのとは逆の状態だ。(p552-663)

慢性疲労症候群もまた、心身両面の機能が絡み合った病態です。ヴァン・デアコークは演劇のなかに脳・心・体のつながりの破綻、すなわち解離を治療する要素があることを見て取り、それ以降、発達性トラウマ障害の子どもたちの臨床に応用しています。

これらいずれの治療法にも共通しているのは、治療法に患者を合わせるのではなく、患者のニーズに治療法のほうを合わせ、これまでの治療法では脱落してしまう患者をいかにすれば回復させられるのか、試行錯誤した結果であるということです。

最も優れた教科書は患者自身である、という恩師の教えに従ってきたヴァン・デア・コークにとって、いつも治療の主役は患者であり、自分はそのサポートをしているにすぎないのです。

ジョーンが自分の窮状や苦痛に対処できるようになるためには、彼女自身の強さと自己愛の力を借りて、自ら立ち直っていけるよう仕向けなくてはならなかった。

これはすなわち、彼女のなかに眠る多くの資源に意識を集中することを意味した。

そして私は、子供のころに彼女が受けられなかった愛情や優しさを自分が与えることはできないのだと肝に命じておく必要があった。

セラピスト、教師、あるいは助言者として、幼いころの窮乏の穴を埋めてやろうとしても、自分が不適切なときに不適切な場所に現れた不適切な人物であるという事実を思い知らされるだけだ。(p473)

「どの人生も…一つの芸術作品である」

ここ日本では、この本で紹介されているような治療法をすべて受けられるわけではありません。ニューロフィードバックのような手法はほとんど行われていませんし、EMDRや自我状態療法も、一部施設に限られています。

それでも、この本で紹介されている技法の中には、マインドフルネスや自分に手紙を書くことなど、すぐに実践できるものもあります。専門的な治療法であっても、説明を読めば、ある程度そのエッセンスを日常生活に取り入れることのできるものもあります。

この記事では、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の全体像を、ヴァン・デア・コーク博士の人となりを明らかにしながら、なんとかしてまとめようと腐心しましたが、到底この本の魅力を伝えきれたとは思えません。

わたしのブログで扱ってきた多様な話題に興味を持っていただけた方であれば、ぜひご自身の手にとって読むことをお勧めしたいと思います。

読みごたえのあるページ数や、生々しい表現は、読むのに労力とエネルギーを要するかもしれません。しかし、この本を読むことそのものが、一種のセラピーのようにして、自分の過去と向き合う助けにもなります。

わたし自身は、この本が昨年10月に届いてからというもの、激烈なエピソードに心なしか動揺しながらも少しずつ読み進め、この数ヶ月間、少しずつ さまざまな過去記事に理解を追記してきました。

読み進めるなか、友田先生の共同研究者であるマーチン・H・タイチャー、愛着理論の生みの親であるジョン・ボウルビィ、ポジティブ心理学の生みの親であり、学習性無力感を発見したマーティン・セリグマン、分離脳研究のマイケル・ガザニガのエピソードなども出てきて、わたしがこれまでこのブログで調べてきた様々な話題とのつながりを感じました。

慢性疲労症候群や線維筋痛症とのつながりも示唆されてきますし、今しがた見たとおり、ヴァン・デア・コーク先生の息子が小児慢性疲労症候群だったという話など、わたし自身がずっと追ってきた話題と驚くほどリンクしていて、内容の深さに圧倒されました。

巻末の杉山登志郎先生の「解説の試み」では、先生がこの本を読んだ感想について、こう書かれていました。

臨床の中で疑問を感じつつそのままになっていた問題や、断片的な理解のままになっていた問題のほぼすべてに明確な答えを与えられ、視野が何倍にも広がったような体験をした。

わたしも、専門家ではない身とはいえ、まったくの同感です。

何より、この本には、著者であるベッセル・ヴァン・デア・コークの真実を見つめる情熱や、苦難を乗り越える人間の強さに対する、燃えるような確信がこもっています。

私は徐々に気づくようになった。トラウマを癒やす仕事を可能にしているものは一つしかない。

それは畏敬の念だ。

患者が虐待に耐え、それから回復への道のりにはつきものの魂の闇夜にも耐えることを可能にした、生存へのひたむきな努力に対する畏敬の念なのだ。(p225)

その情熱は、ヴァン・デア・コーク自身が語るところによると、フロイトと同時代に活躍し、「解離」という概念を生み出した精神科医ピエール・ジャネから受け継いだものだそうです。

ジャネは厖大な時間をかけて患者たちと言葉を交わし、彼らの心の中で何が起こっているのかを突き止めようとした。

…ジャネは何よりもまず患者の治療を目的とする臨床家だった。

だからこそ私は彼の症例報告を詳しく研究し、彼は私の大切な師の一人となったのだ。(p294-295)

ジャネは、自分の理論の枠組みに患者を当てはめようとするのではなく、患者一人ひとりを理解しようと言葉を交わし、何よりもまず患者を治療することを目的として研究しました。

ジャネは、患者たちがどれほど損なわれ、踏みにじられているように見えても、症状の奥に見える、その人の強さや美しさに目を留めました。

私は卓越したフランスの精神科医ピエール・ジ'ャネの、「どの人生も、利用可能な手段のいっさいによってまとめ上げられた、一つの芸術作品である」という言葉が大好きだ。(p182)

この本を通して、ジャネが提唱し、創始した「解離」についての研究を、ヴァン・デア・コークが、文字通りの意味でも、精神的な意味でも受け継ぐ後継者となって、新たな段階へと押し上げたのを感じます。

この記事を締めくくるにあたり、ヴァン・デア・コーク博士の感慨がこもった 次の言葉を引用するのはなんともふさわしいことです。

トラウマのサバイバーたちが、耐え難い逆境を乗り越え、「一つの芸術作品」としての人生を取り戻すのを見守り支えてきた彼だからこそ言える言葉でしょう。

私がこれほど長くこの仕事を続けてこられたのは、人間の喜びや創造性、意義、つながりといった、人生を生きる甲斐のあるものにしているいっさいの要素の源を探るように、この仕事に駆り立てられたからだ。

患者の多くが耐えたものに、自分ならどう対処していたかは、想像の糸口さえ見つからない。

だが、彼らの症状は彼らの強みでもあると私は見ている。それは、彼らが生き延びるために学んだ方策なのだ。

そして彼らの多くは、あれほどの苦しみを抱えているにもかかわらが、やがて愛情深い伴侶や親、模範的な教師や看護師、科学者、芸術家になった。(p597)

【1/27】自閉症スペクトラム(ASD)の女性による自伝的小説が発売。2/9まで第一巻無料配信

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閉症スペクトラム障害(ASD)[アスペルガー症候群]の天咲心良さんによる、これまでの経験を振り返って綴った自伝風小説、COCORA 自閉症を生きた少女 1 小学校 篇COCORA 自閉症を生きた少女 2 思春期 篇が、今日1/27に出版されました。

自閉症スペクトラム~発達障害の当事者による「壮絶な告白」(天咲 心良) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

自閉症を生きた少女の「奇跡の自伝」──集団侮蔑、人格混乱の果て|今日のおすすめ|講談社BOOK倶楽部

中村うさぎ氏、杉山登志郎氏も絶賛! 発達障害の当事者が自らの壮絶な体験を克明に描いた衝撃の「奇跡の物語」 : ニュースリリース : 経済 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

『見えない障害』に理解のない教師による虐待、PTSDや解離性同一性障害の発症などに苦しみながらも、思いやりのある理解者との出会いによって成長してきた経験がASDならではの正確な記憶力によって回想されています。

このブログでも著書を参考にさせていただいている、子どもの発達障害やトラウマ研究の専門家の杉山登志郎先生は、この作品について次のように述べて推薦しておられました。

発達障害と精神的虐待がもたらす多重で複雑な内奥を世界で初めて開示した作品

今日発売されたのは二巻までですが、全三部作の予定で、「青年期 篇」はのちに発売とのこと。心良さんご自身による内容の紹介によると、それぞれ次のような内容だそうです。

私の本は巻が進むごとに読者対象が移行していくようなものになるのではないかと思っています。

1巻はもちろん自閉症スペクトラムに関わる人たちに特に読んでもらいたいのですが、2巻はアイデンティティの喪失感や人との関係、すれ違いなどに苦悩する人に読んでもらうと、何か感じてもらえるのではと思います。

3巻目は恐らく、自我の確立とか、自分の中にある影との戦いとか、より人間の根本を考えるような、『人間』らしく生きていく方法を考えるものになると感じています。

第1巻COCORA 自閉症を生きた少女 1 小学校 篇は、2/9(木)までの期間限定で電子版が無料配信されるそうです。

発達障害を持たない人がにとっては、ASDの子どもが成長のさなかで経験する当人視点の世界を理解するために、また同じASDの人にとっては自分と同様の辛さを乗り越えてきた人がいることを知るために、この機会に読んでみるといいかもしれません。

「解離型自閉症スペクトラム障害」の7つの特徴―究極の少数派としての居場所のなさ

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精神科臨床では、自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder:ASD)と診断される患者のなかに解離症状を併せ持つ一群がいることは知られている。

ここではそういった病態を、「解離型自閉症スペクトラム障害(解離型ASD)と呼んでおく」。(p192)

れは、先週 発売された解離の舞台―症状構造と治療の中で、解離性障害の専門家である、柴山雅俊先生が述べている言葉です。

解離性障害は、一般に、トラウマ的な経験をきっかけに記憶が失われたり、現実感を喪失したり、人格交代が生じたりする、さまざまな困難な症状を伴うものです。

近年の研究によると、こうした解離症状を示す人たちの中に、自閉スペクトラム症(ASD)つまり、アスペルガー症候群などの発達障害の人たちが含まれていることが明らかになってきました。

たとえば、つい昨日発売されたASD当事者の天咲心良さんによる自伝的小説COCORA 自閉症を生きた少女 1 小学校編 では、子どものころの辛い経験がきっかけとなって解離性同一性障害(DID)などの解離症状に苦しめられたことが綴られています。

ASDの人たちの解離症状は、一見、一般的な解離性障害の人たちと似ているようにも見えますが、実際には同じ「解離」と言っても、定型発達者とASDの人とでは、異なった傾向があるそうです。

それゆえに、柴山雅俊先生の本では、そうした解離症状を示すASDの人たちを、通常の解離型障害とは異なる、「解離型自閉症スペクトラム障害」(解離型ASD)として区別し、別個に考察されているのです。

この記事では、この本解離の舞台―症状構造と治療を紹介するとともに、解離型ASDの人たちの7つの特徴を、ASDの人たちの具体的なエピソードも交えながら調べてみましょう。

これはどんな本?

この本は先週1/22に発売された柴山雅俊先生の新刊で、わたしもかねてから読むのを楽しみにしていました。

【1/21】柴山雅俊先生の新刊「解離の舞台 症状構造と治療」が発売予定
解離の専門家、柴山雅俊先生の新刊「解離の舞台ー症状構造と治療」が2017年1月21日に発売されます。

前著解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論と似ている部分も多いですが、以下のような近年の新しい話題も豊富に取り入れて、より具体的に、解離の本質に迫る本となっています。

■解離と色
■解離型自閉症スペクトラム障害
■無秩序型愛着
■テーブルテクニックやマインドフルネスなどの治療技法

特に、解離性障害や解離型ASDの人たちに「自分は何色だと思いますか?」と尋ねて明らかになった、彼女らの自己イメージとしての色が、解離の本質をよく表しているという考察には、芸術的な感性と論理が融合した柴山先生の真骨頂を感じました。

この本はさまざまな興味深い話題に満ちていますが、今回の記事では、より具体的にされた、解離型ASDの特徴に焦点をしぼりたいと思います。

「解離型自閉症スペクトラム障害」(解離型ASD)の7つの特徴

冒頭で述べたように、自閉スペクトラム症の人たちの解離症状、すなわち、解離型ASDの解離は、定型発達者の解離とは、幾らか違ったおもむきを持っています。

現実感が薄れたり、人格が多重化したりするなど、類似した部分も多いですが、ASDと定型発達とでは、人格の土台となる自己のあり方が違うため、当然、解離の症状もまた異なってくると柴山先生は述べます。

定型発達者とASD患者のあいだでは自己のあり方が異なるため、彼らに見られる解離症状に微妙な差異が生じることはむしろ当然のことであろう。(p191)

ASDの解離と定型発達の解離とが異なっているという点は、このブログでも、以前に、柴山雅俊先生の別の本などを参考に、詳しく考察したことがあります。

アスペルガーの解離と一般的な解離性障害の7つの違い―定型発達とは治療も異なる
一般にアスペルガー症候群などの自閉スペクトラム症(ASD)は解離しやすいと言われていますが、定型発達者の解離性障害とは異なる特徴が見られるようです。その点について、解離の専門家たち

そのときに書いたことは、ASDの人たちの解離とは何なのか、という脳科学的な原因まで探った内容で、今回の本の内容とも一致しています。

しかし今回は、脳科学的なメカニズムというよりは、具体的に表に現れる症状を通して、別の角度からその本質に迫ってみたいと思います。

この本で具体的な症例として取り上げられている解離型ASDの人たちの事例は、ウェンディ・ローソン、グニラ・ガーランド、ドナ・ウィリアムズ、そして先生自身の患者たちなどですが、いずれも女性のエピソードとなっています。

冒頭で紹介した解離性同一性障害の経験を含むCOCORA 自閉症を生きた少女 1 小学校編 の著書 天咲心良さんも女性のASDでした。

またやはり解離性障害の経験が載せられているCDブック 発達障害のピアニストからの手紙 どうして、まわりとうまくいかないの?の著書 野田あすかさんも、女性の広汎性発達障害です。

ASDというと、一般に男性に多い発達障害だと言われていますが、女性のASDは男性のASDとは少し異なる症状の表れ方をすることが知られています。

女性のアスペルガー症候群の意外な10の特徴―慢性疲労や感覚過敏,解離,男性的な考え方など
女性のアスペルガー症候群には、男性とは異なるさまざまな特徴があります。慢性疲労や睡眠障害になりやすい、感覚が過敏すぎたり鈍感すぎたりする、トラウマや解離症状を抱えやすいといった10

そもそも解離性障害は女性に多い疾患ですから、解離型ASDも、よく知られている男性のASDよりも、女性のASDのほうに多い症状のひとつとみなせるかもしれません。

とはいえ、必ずしも解離が女性のASD特有の現象だというわけではなく、この記事では、少数ながら、東田直樹さんやダニエル・タメットといった、男性のASDの人たちの解離症状の例も含めたいと思います。

では7つの特徴を見ていきましょう。

1.離隔

まず、ASDの解離に多い症状の一つ目は「離隔」です。

「離隔」とは、読んで字のごとく、世界が自分から「離れて」「隔てられて」いるという現実感喪失などの感覚のことを指します。

解離の舞台―症状構造と治療の中で、柴山先生は、解離型ASDの人の現実世界の感じ方を物語る一例として、私の障害、私の個性。の著書、ウェンディ・ローソンの体験談を引用しています。

ウェンディ・ローソン(Lawson 1998/2005)はその著書Life behind Glass(邦題『私の障害、私の個性』)のなかで、「自分は永遠の傍観者(perpetual onlooker)だ」「生きている時間のほとんどはビデオのように、映画のように流れていく。観察することはできるが、手は届かない。世界は私の前を通り過ぎていく。ガラスの向こう側を」と述べている。

ここで、ウェンディ・ローソンは、あたかも傍観者のように現実世界から疎外され、切り離された自分の意識について述べています。

このような現実世界から隔てられているかのような感覚、つまり「離隔」は、解離型ASDの人に特に目立つ傾向の一つだといいます。

臨床的経験からすれば、ASD者の体験世界はウェンディ・ローソンが言うように主に離隔(detachment)を中心としており、解離性健忘や交代人格などの時間的変容は比較的少ないように思われる。(p193)

解離にはさまざまな症状があって、その中には記憶を失う解離性健忘や、人格が交代する多重人格なども含まれますが、解離型ASDの人たちは、そうした症状よりも、現実感喪失の離隔のほうが目立つようです。

現実から切り離された感覚は、アスペルガー症候群の人に多いとされる、感情を抑圧した状態、つまり「失感情症」(アレキシサイミア)がより強く働いている状態とみることができるでしょう。

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)の中でアスペルガー女性の動物管理学者として有名なテンプル・グランディンは自身の失感情症についてこう述べています。

「わたしは恋に落ちたことがありません」と彼女は言った。

「恋に落ちて、有頂天になるということがどんなことか、わからないのです」(p383)

トラウマ研究の専門家であるヴァン・デア・コークは、著書身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、失感情症と比較して「自己忘却への階段をもう一段下がったところにあるのが離人症で、自己感覚の喪失」だとしています。(p167)

つまり、自分の気持ちを認識できない失感情症は、世界を傍観しているかのように現実感が失われる離隔と地続きになっていることがわかります。

現実感がない「離人症状」とは何か―世界が遠い,薄っぺらい,生きている心地がしない原因
現実感がない、世界が遠い、半透明の膜を通して見ているような感じ、ヴェールがかかっている、奥行きがなく薄っぺらい…。そのような症状を伴う「離人症」「離人感」について症状、原因、治療法

2.過剰同調性

解離型ASDに特徴的な症状の2つ目は「過剰同調性」です。

解離の舞台―症状構造と治療によると、ある解離型ASDの人は次のように語っています。

私は自我を消そうとしている。自己は周囲の環境に合わせる。

自我はいらないんです。出てこようとすると消すんです(急に涙が溢れ出てくる)。

自分のやりたいようにしようとすると怒られてきた。はみ出さないようにしてきた。

生きていくうえでどこに主体としての私を置いていいのかわからない。

つねにいろんな見方があって、統合されずに揺らいでいる。私は錨を下ろしていない船のよう……。(p205)

こうした自分を犠牲にした過剰な適応は、解離型ASDに特有の症状というわけではなく、解離性障害の患者全般に見られる性格特性です。

解離性障害の人たちは、空気を読みすぎるあまり、周りの人に対して過剰に同調しすぎて、カメレオンのように、その場に応じて自分の「色」を変容させ、周囲に合わせる生き方が染み付いています。

過剰同調性とは何か、そして解離性障害の症状とどのように関係しているのか、という詳しい点は、以前の記事で扱いました。

空気を読みすぎて疲れ果てる人たち「過剰同調性」とは何か
空気を読みすぎる、気を遣いすぎる、周囲に自分を合わせすぎる、そのような「過剰同調性」のため疲れ果ててしまう人がいます。「よい子」の生活は慢性疲労症候群や線維筋痛症の素因にもなると言

しかしながら、同じように空気を読みすぎ、過剰に同調するといっても、定型発達者の過剰同調性と、解離型ASDの過剰同調性とでは、微妙な違いがあると柴山先生は言います。

過剰同調性については、ASDと解離性障害では差異がある。

解離性障害では虐待やいじめなどが関係しているのに対し、ASDではそこに発達の病理が絡んでいる。

解離性障害では他者の意図をすみやかに汲むことによって先回りして他者に合わせようとするが、ASDではそもそも相手の意図がわからず、それを汲み取ることが苦手である。

そのため、せめて表面的にでも他者に合わせようとする。(p16)

過剰同調性の特徴は、「空気を読みすぎる」ことですが、よく知られているように、アスペルガー症候群の人たちは「空気が読めない」ことで苦労します。

それは過剰に同調しようとするときもまた同様で、解離性障害の人たちが、適切に空気を読んでカメレオンのように周囲に合わせるのに対し、解離型ASDの人たちは、空気を過剰に読もうとしながらも、やはり空気が読めずに孤立するという苦労を経験しがちです。

以前の記事でも引用したとおり、発達障害の専門家の杉山登志郎先生は発達障害のいま (講談社現代新書)の中で、ASDの人たちが陥りがちな過剰な気遣いについて、こう述べていました。

人の気持ちが読めないということと、他者配慮ができないということは、別ものということである。

むしろ、この問題に気づいている凸凹系の人は多く、代償的に人の気持ちに対して読みにくいぶん、逆にすごく気にするようになるのが常である。

すると人の意図や感情に過敏に反応をしてしまうということが逆に持ち上がってくる。(p232)

他人の気持ちがわからないからこそ、なんとかして合わせようと自分を犠牲にして配慮するのですが、その配慮さえもが周りの期待とはずれていて、空気を読もうとすればするほど空回りしてあつれきを産んでしまうのが、解離型ASDの過剰同調性なのです。

3.同化

過剰に同調しようとするにもかかわらず、同調できない解離型ASDの人たちは、別の形で、居場所を見つけようとします。

それが、解離型ASDの人の3つ目の特徴である「同化」です。

定型発達の解離性障害の人が、他の人に過剰に同調して自分を合わせてしまうのに対し、解離型ASDの人は、人への「同調」が難しいぶん、ものや生物への「同化」という形で居場所を確保します。

解離の舞台―症状構造と治療によると、ある解離型ASDの人はこう述べました。

物に入り込んじゃう。人には入らない。植物には入るが、動物はあまり入らない。

こういうことは小さいときからずっとできる。ただそれになるだけだから。(p195)

この例では、ものに入り込んで同化してしまう、といった体験が語られています。

この無生物との同化については、続・自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない高校生がたどる心の軌跡の著者の 東田直樹さんも、鳥の鳴き声や絵の具の色と同化する体験について述べていました。

鳥の鳴き声が聞こえると、僕は鳴き声に浸ってしまいます。鳴き声を聞くのではなく、まるで自分が鳥の仲間になったように、鳴き声そのものを聞き取ろうとするのです。自分が人だということも忘れてしまいます。(p42-43)

僕は、絵を描くのが好きですが、絵の具を塗っているときは、自分が塗っているというより、絵の具の色そのものになります。その色になりきって、画用紙の上を自由に描写するのです。(p65)

柴山先生は、こうした同化現象は、ASD特有のもので、定型発達者の解離性障害では、無機物との同化はほとんどないと述べています。 (p194)

解離の舞台―症状構造と治療では、ASDの人にとって、人の心のような複雑すぎて理解しがたいものに同調するのは難しいので、無機物に同化するのではないか、という考察がなされています。

同化は解離型ASDの患者の幼少期から見られ、それが成人になっても続く。対象の多くは無機物、植物などであり、時に色、形、光、音、感触との一体化を口にすることもある。

同化する対象が動物であることもあるが、ヒトであることはまずない。

このことは彼らにとってヒトの心の動きはあまりに複雑で変化に富み、その全体像を把握し予想することが難しいことが関係している。(p195)

あたかも目の前のものに入り込み、同化してしまうような不思議な現象が起こるのは、ドナ・ウィリアムズが自閉症という体験の中で説明しているとおり、ASDの人たちが、脳のより原始的な認識機構といわれる、「感覚システム」を利用しているからだと考えられます。

「感覚システム」によりまわりの世界を認識するドナ・ウィリアムズが経験した、同化をはじめとする さまざまな解離体験については、こちらに整理してまとめられていました。

高機能自閉症者Donna Williamsの幻視・白日夢・夢における超自然的特性の吟味

4.拡散

無機物や動植物へ同化する現象と同時に生じやすい解離型ASDの人の4番目の症状は「拡散」です。

解離の舞台―症状構造と治療によると、ある解離型ASDの女性は、拡散体験についてこう描写しています。

自分はばらばらで砂時計のように分子レベルで飛散している。輪郭が点々になっている。

粒子の集合体が私。落ち着く場所がない。体の部位が部屋中に飛び散る。粒子のような形で広がって、壁にもバウンドする。(p196)

「同化」はコンクリートや動植物など、形のあるものに一体化したように感じる現象でしたが、「拡散」は、形のないもの、たとえば空気や風や海などに一体化し、あたかもばらばらになって溶け込んでいくかのように感じる体験です。

自閉症という体験の中でドナ・ウィリアムズも、次のような「神と溶け合う」体験について述べています。

巨大なシャンデリアを見上げたときの恍惚感、それが何かと問うならば、「神と溶け合う」ような体験を呼び醒ましたのです。

なぜなら私は正に絶対的な純粋さと無我の心で対象物の感覚的本性と共振し、その結果抗うことのできない情熱に自らを溶け込ませ、美そのものの一部となることができたからです。(p10)

柴山先生は、「拡散」という体験が持つ意味についてこう考察します。

あたかも自分が気化するかのように周囲世界へと拡散していく体験については、ウェンディ・ローソン(Lawson 1992/2000)も記載している。

解離型ASDの患者に「自分を色に譬えると何色ですか」と聞くと、そのすべてが「透明」ないしは「色がない」と答えることも、こうした観点からすれば理解しやすいであろう(本書第1章参照)。

彼らは自分自身をひとつのまとまりをもった対象として把握することが困難であり、そもそもそうしたことに馴染んでいない。

自己という存在の色や形を実感することができないのである。(p197)

この本の第一章で扱われている点ですが、「自分は何色だと思いますか」と尋ねられたとき、一般の女子大学生たちは、それぞれ何らかの有彩色または無彩色という固有の色を答えるそうです。

しかし、解離性障害の女性は有彩色だと答えることがほとんどなく、たいていは無彩色を挙げ、中には「透明」であるとか、「色がない」といった、普通とは違った表現を使う人もいます。

この「透明」また「色がない」という自己認識は、解離型ASDの女性たちでは、特に多くなります。そして拡散体験のような、周囲の世界に溶け込んで消え失せてしまうかのような、形も色も感じられない自己認識と関係しているのではないか、と柴山先生は考察します。

天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性の中で、アスペルガー症候群の偉人たちの研究をしてるマイケル・フィッツジェラルドは、彼らのうち多くが、自分が何者かわからない「アイデンティティ拡散」という体験をしていると述べています。

こういう作家は、彼らの「自閉症的頭脳」のせいでアイデンティティ拡散の感覚を示すことがよくあり、それは作品中の問題につながる。またそのせいで、作品が難解になることがある。(p33)

かなり拡散したアイデンティティや拡散した心理的領域があるため、自閉症の芸術家というのは、画家ジョージ・ブルースが芸術に必須のものとして述べたこと、すなわち「対象物を単に描くだけではなく、対象物に入り込み、その対象物になりきってしまう」才能をもっていると思われる(Weeks & James 1997)。

…アスペルガー症候群の人たち特有の芸術作品は、混乱したアイデンティティと表出しがたい言語とを解決するための一種の努力なのである。(p302)

この「アイデンティティ拡散」こそが、自分の個性や素顔といった「色」や「形」がわからず、「透明」「色がない」と感じてしまう自己認識の正体なのでしょう。

解離型ASDの人たちは自己認識があいまいで、自分を統合されたひとまとまりの自己と感じるのが苦手であり、その反映のひとつが、周囲世界に容易に溶け込んで消滅してしまうかのような不安を伴った「拡散」体験なのです。

5.原初的世界(マイワールド)

現実世界に居場所がなく、人に同調しようとしても空気を読みきれず、物に同化したり溶け込んだりしてしまう不安定さを抱えた解離型ASDの人たちは、5つ目の特徴として、それぞれの「原初の世界」を持っています。

「原初の世界」というと、なんとも壮大でつかみがたいものですが、平たくいえば、以前の記事で、アスペルガーの女性が持っていることが多いと述べた、自分だけの「マイワールド」のことです。

女性のアスペルガー症候群の意外な10の特徴―慢性疲労や感覚過敏,解離,男性的な考え方など
女性のアスペルガー症候群には、男性とは異なるさまざまな特徴があります。慢性疲労や睡眠障害になりやすい、感覚が過敏すぎたり鈍感すぎたりする、トラウマや解離症状を抱えやすいといった10

解離の舞台―症状構造と治療によると、ある解離型ASD女性はこう述べます。

向こう側へ行くと私しかいない。自分と世界の境目がない。地面も、空気も、遊び相手も全部が私。向こう側は人がいなくて、言葉がない世界。

元々いた場所へ帰ることで楽です。そこからいつ頃こっちに来たかがわからない。(p198)

この女性にとって、原初の世界、「マイワールド」とは、だれもいない自分だけの世界であり、現実世界にひしめく騒々しいものがすべて取り除かれた、極楽浄土のような場所です。

同時に、そこは魂の故郷であり、かつて自分がいた場所、もともと存在していた居場所であり、今住んでいるこの世界は、迷い込んだ仮りそめの世界、異国の地にすぎません。

柴山先生は、解離型ASDの人たちが持つ、原初の世界についてのイメージを、こう説明しています。

解離型ASDの患者は時に「向こう側の世界」について語る。

患者は人間社会のストレスを回避するかのように、現実の「向こう側」の世界へと赴く。

その世界はあたかも自分がかつて存在していた故郷のような安らぎの場所として描き出される。(p198)

ASD女性の中には、たとえば自分は「火星の人類学者」のようだと述べたテンプル・グランディンのように、地球に住んでいながら、異星人の中を放浪しているかのような異質さを感じながら生きている人が大勢います。

この世界は、自分の本来いるべき場所ではなく、ただ一時的な旅行者として、いつの間にかこの理解しがたい奇妙な世界に迷いこんでしまったのだ、という感覚です。

解離型ASDの人たちは、この世界が自分の故国ではないと感じるとともに、自分が自分でいられる、本当の故郷についてのイメージを心のなかに持っていて、それが疲れたときに心を休める魂の休み場、「マイワールド」として機能しているのです。

解離型ASDの人たちの「原初の世界」がどんな風景であるかは、人それぞれでしょうが、わたしはこの本を読んでいて、ジブリの背景美術家としても活躍した井上直久さんの心象世界「イバラード」を思い出しました。

井上直久/ イバラードの世界展 Naohisa INOUE

わたしが「イバラード」について知ったのは、知り合いの10代のASDの子が「イバラード」の世界が好きだ、ということで教えてくれたことがきっかけでした。

「イバラード」の絵では、いずれも詳細で幻想的な風景が描かれていますが、不思議なことに、たいていの場合、一人の人間を除いて、だれも存在しない、静まり返った空想世界が広がっています。

わたしは当事者ではないので、あくまで推測にすぎませんが、もしかすると、このような場所こそが、解離型ASDの人が思い浮かべる、「私しかいない」魂の休み場なのかもしれません。

6.感覚の洪水

解離型ASDの人が、こうした魂の休み場を必要とするのには、6番目の特徴としての「感覚の洪水」も大きく関係しています。

「感覚の洪水」については男女問わず、さまざまなASDの人たちが口々に述べるものであり、必ずしも解離型ASDに特有のものではありません。

解離の舞台―症状構造と治療には、次のような体験が載せられています。

人間の相手をすることが嫌。相手の気持ちを読まないといけない。ごちゃごちゃするときは混乱する。

いろんな思考が頭に湧き出てきて止まらない。周りの人の会話が混ざってしまい、入ってくる。

人の会話と自分の会話の区別がつかなくなることがある。考えたくないのに考えてしまう。

考えるのを止めなくてはいけないと思っても、止まらない。泣き出したい、大声を出したくなる。(p101)

こうした感覚の洪水に圧倒された結果、パニックになって大声を出したり、自傷行為に及んだり、フラッシュバックやメルトダウンを経験したりするASDの人は少なくありません。

なぜ無意識のうちに自傷をやってしまうのか―リスカや抜毛の背後にある解離・ADHD・自閉症
リストカット、抜毛、頭を壁にぶつけるなどの自傷行為、また自己破壊的な依存症の原因はどこにあるのでしょうか。それらが注目を集めるための演技ではなく、解離という心の働きや、脳の構造と関

ASDの人たちが、感覚の洪水を経験する理由については、先ほどドナ・ウィリアムズが述べていたとおり、「感覚システム」によって世界をとらえているためです。

自閉スペクトラム症の人たちは、定型発達者の人たちが用いている左脳の「解釈システム」が弱いため、情報を取捨選択し、まとめあげることが苦手です。

一方で、右脳の「感覚システム」によって、周囲の世界を捉えているために、統合されない情報がそのままなだれこんでくる感覚飽和に陥ります。

脳卒中によって左脳の機能を一時的に失った科学者ジル・ボルト・テイラーは、奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)の中で、「感覚システム」のみで捉えた世界がどんなものであるか、実体験に基づいて描写しています。

わたしは明らかに、入ってくる刺激を苦痛として受け止めていました。

耳から流れ込む轟音のため、脳は無感覚となり、そのために人々が話していても、彼らの声を背景の騒音から区別できないのです。

わたしにしてみれば、全員が群れをなして叫びまわっているような感じ。それは、落ち着かない動物の耳障りな鳴き声のように共鳴する。(p102)

ここで、ジル・ボルト・テイラーが、感覚の洪水のために脳が無感覚となった、と述べているのは注目に値します。

柴山先生が述べるように、ASDの人たちの多くは、「感覚の洪水」に絶えず苦しめられるせいで、意図的に静かな環境を求めたり、社会から退いて隠遁したりすることがあります。

こういった症状を鎮めようとして、ASDの患者たちは好んで海、屋根の上、崖の上などに身を置き、世界との距離を保ち、自分に迫ってくることのない自然のなかに身を置こうとする。

また単調なリズムの繰り返しや文字の世界を好むようになる。(p101)

ASDの人の中には、過剰な感覚の洪水に対して、刺激の多い場所を避けるという環境調整によって対処するだけでなく、心を切り離すといった心理的な方法で対処する人もいて、それが解離型ASDだといえます。

解離型ASDの人たちが、失感情症(アレキシサイミア)や、離人症などの現実感喪失に至るのは、もともとのASDの症状というよりは、感覚過敏に対して、解離を用いて対処した結果生じる、二次的なものだと思われます。

ASDの人たちのコミュニケーションの難しさは、生まれつき低周波帯の音が洪水のようになだれこんでくるせいで、高周波帯の声の微妙なニュアンスを認識できず、感情を読み取る力が発達しないせいだと考える研究者もいます。

「トマティス効果」―なぜ高周波音が聞こえてしまう人は感情がこまやかなのか
大半の人には聞こえないモスキート音やコイル鳴きのような高周波音が聞こえてしまう人は、もしかすると、こまやかな感情を読み取る力にも秀でているかもしれない、ということを「トマティス効果

「感覚の洪水」と、解離型ASDの解離症状とは、表裏一体の関係にあるといえるでしょう。

なお、アスペルガー症候群・高機能自閉症における「感覚の過敏・鈍麻」 の実態と支援に関する実態調査には、アスペルガー症候群のさまざまな感覚異常のチェックリストが載せられています。(リンク先のPDFのp299-308)

7.仮面とイマジナリーコンパニオン

感覚過敏による洪水を、解離による切り離しを使って生き延びている解離型ASDの人たちは、この生きづらい世界をやり過ごすために、最後の7番目の特徴である、イマジナリーコンパニオン(空想の友だち)を用いることがあります。

イマジナリーコンパニオン(空想の友だち)は、決してASD特有の現象ではなく、健康な子どもをはじめ、定型発達の解離性障害の人たちでも見られるものですが、ASDの人たちのイマジナリーコンパニオンには、やはり定型発達者とは幾らか異なる性質が見られます。

解離の舞台―症状構造と治療で、柴山先生は、ドナ・ウィリアムズが持っていたイマジナリーコンパニオンのウィリーとキャロルを例として挙げつつ、こう説明しています。

ASDに見られる交代同一性は、ウィリーやキャロルのように、ICの延長に見えることが多い。

通常ICは遊び相手となったり、孤独を癒やしてくれたりする空想上の存在である。健常人の20-30%に見られ、早期小児期に出現し、10歳前後には消失するとされている。

ここで取り上げるASD症例の全員がICの存在を報告しており、しかもそれが幼少時にとどまらず、中学から大学、20歳代、30歳代までと長期的に存在する傾向がある。

通常、ICは親しい友人ができると消失することが多いとされる。

このことを考慮すると、解離型ASDにおけるICの高い頻度やその長期化は、周囲世界に馴染めず「居場所がない」という意識や、親しい友人ができないという孤独など、社会性の障害と関係しているかもしれない。(p103)

通常のイマジナリーコンパニオンは、基本的には子ども時代に限定されるもので、成長するとともに、自然に消えていきます。

一方、解離性障害では、定型発達者の場合も、解離型ASDの場合も、大人になってもイマジナリーコンパニオンが存在する場合がしばしば見られます。

子ども時代のイマジナリーコンパニオンは、一般的な通識とは異なり、孤独で友だちのいない子どもではなく、むしろ外交的で共感能力の高い子どもに見られることがわかっています。

子どもにしか見えない空想の友達? イマジナリーフレンドの7つの特徴に関する日本の研究
子どもが目に見えない空想の友達と遊んでいるのを見て驚いたことがありますか? 森口佑介先生の著書「おさなごころを科学する」から、子ども特有の興味深い現象イマジナリーフレンドについてま

そのため、従来、共感や想像に乏しいとされてきた自閉スペクトラム症の人たちは、空想の友だちを持たないのではないか、と言われていました。

しかし、それは定型発達とASDのイマジナリーコンパニオンの性質の違いを考慮に入れていないことからくる誤解である、という点は前に扱ったとおりです。

イマジナリーフレンド(IF)「私の中の他人」をめぐる更なる4つの考察
心の中に別の自分を感じる、空想の友だち現象について、子どものイマジナリーフレンド、青年期のイマジナリーフレンド、そして解離性同一性障害の交代人格にはつながりがあるのか、という点を「

実際に、柴山先生が述べていたように、「ここで取り上げるASD症例の全員がICの存在を報告」しているほど、解離型ASDにとってイマジナリーコンパニオンの存在は一般的であるようです。

有名なASDの当事者の例を見ても、ドナ・ウィリアムズはもちろん、テンプル・グランディン、ダニエル・タメットなど、男女を問わず大勢の人がイマジナリーコンパニオンが存在した経験を自伝に書いています。

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他人の心を想像する能力の高い定型発達者に見られる一般的なイマジナリーコンパニオンと異なり、ASDの人たちが持つイマジナリーコンパニオンは、『周囲世界に馴染めず「居場所がない」という意識』と関係していて、役割も異なるとされています。

柴山先生は、解離型ASDに見られるイマジナリーコンパニオンの役割についてこう述べています。

ASDに見られるICは、コンパニオン(同伴者)というより、患者の代わりをつとめる仮面のキャラクターのようである。

キャロルは相手に合わせて明るく振る舞う適応的な存在であり、自分が理想とする友人像を取り入れることで生まれた柔らかい仮面である。

それに対してウィリーは自分を守る盾のように硬い仮面である。

ただしそうした仮面は背後に素顔をもつ仮面ではなく、素顔のない仮面、それに全面的になりきるヴェールをかぶったコスプレイヤーのような存在である。(p103)

定型発達者のイマジナリーコンパニオンは、その名のごとくコンパニオン(同伴者)として、話し相手や友人のような役割を果たし、ときには「救済者ないしは守護者」ともなります。(p161)

一方で、解離型ASDのイマジナリーコンパニオンは、盾また仮面のような役割をもつ傾向があります。

ドナ・ウィリアムズの場合、ウィリーやキャロルは、さまざまな場面に応じて、自分に変わって現実の物事に対処してくれる人格であり、理解しがたい定型発達者の社会に馴染むための仮面のような存在でした

自分があやふやで何者かわからない解離型ASDの人たちにとって、この社会で生き抜いていくためには、この社会が求めるものに合わせた仮面を作り出し、別の自分になりきって対処していくしかないのです。

解離型ASDの人のイマジナリーコンパニオンが持つ詳しい機能については、前の記事で扱った「タッチパネル状の自己」についての説明を参考にしてください。

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一般にアスペルガー症候群などの自閉スペクトラム症(ASD)は解離しやすいと言われていますが、定型発達者の解離性障害とは異なる特徴が見られるようです。その点について、解離の専門家たち

究極の少数派として社会を生き抜くための生存戦略

この記事では、解離型ASDの人に特徴的な7つの症状を概観してきました。

それは、「離隔」「過剰同調性」「同化」「拡散」「原初の世界」「感覚の洪水」「イマジナリーコンパニオンと仮面」の7つでした。

これら7つの特徴から描き出される解離型ASDの人たちの姿は、定型発達の解離性障害の人と似ているようで、じつはかなり異なっていることに気づきます。

この解離の舞台―症状構造と治療の中で、柴山先生は、定型発達者の解離性障害と、解離型ASDとでは、そもそも解離に至る原因が異なっているとしています。原因が異なっていれば、対処法としての解離の目的も異なってくるのは必至です。

解離型ASD者も同じように、そのほとんどが幼少時から「居場所はなかった」と訴える。

しかしASD者にとって辛いのは、こういった定型発達者の他者の攻撃性に由来する「居場所のなさ」とは異なり、そもそも自分はこの社会に落ち着くところがない、馴染むところがないという発達的問題としての「居場所のなさ」である。

定型発達者とASD者では、同じ「居場所のなさ」でもその内実が異なっている。(p104)

定型発達者の解離は、機能不全家庭や、学校での居場所のなさが原因となって生じます。つまり、「身近な他者」から疎外され、攻撃され、だれも信頼できる人がいなくなった結果として解離していきます。

そうすると、解離の目的は、おもに「身近な他者」への対処、つまり人間関係に対応することです。

だからこそ、定型発達の解離性障害では、過剰同調性によって、身近な他者の空気を読んで、場の雰囲気に溶け込み、さまざまな人格が入れ代わり立ち代わり現れるような戦略を取ります。

定型発達の解離性障害の人にとって、イマジナリーコンパニオンとは、だれも信じられる他者がいない中で、慰めや保護を与えてくれる「救済者ないしは守護者」です。すべては人間関係を中心としています。

しかし、解離型ASDの場合は、身近な他者に虐待されたとか、いじめられたという以前に、この世界そのものに居場所がない、馴染むところがないという、「社会」からの疎外が原因にあります。

多数派である定型発達者を中心に作られた、刺激の多い社会、騒音や喧騒に満ちた社会に生まれ落ち、自分とはまったく違った性質を持つ人たちの中で生きていかねばならないということが、居場所のなさの原因です。

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すると、解離の目的は、身近な他者をやりすごすため、というよりは、社会全体から押し寄せてくる刺激に対処することです。

だからこそ、解離型ASDの解離症状は、人ではなく物に同化したり、大気全体に拡散したり、この社会とは別の世界に逃げ場を用意したりするといった形をとります。そしてイマジナリーコンパニオンもまた、社会に対処するための仮面として機能します。

ドナ・ウィリアムズの自伝自閉症だったわたしへ (新潮文庫)の原題は「No body Nowhere」であり、 自閉症だったわたしへ〈2〉 (新潮文庫)の原題は「Somebody Somewhere」というものだそうで、彼女の社会また世界に対する居場所のなさがこめられています。

柴山先生は、ずっと「普通」になりたかった。の著者グニラ・ガーランドの言葉を引用して、解離型ASDの人たちが感じる居場所のなさについてこう書いています。

他の人々の表情や動作などをそのまま取り入れて、この世界にかろうじて自分の居場所を見出そうとする。

彼女たちは他者への共感によってではなく、外部の姿形をそのまま取り入れ、模倣することでそうするのである。

グニラ・ガーランド(Gerland 1997/2008)は「誰でもいいからほかの、普通の子どもにならなければならない。私は私であってはならない」と述べている。(p105)

解離型ASDの人たちは、定型発達の解離性障害のように、過剰な共感によって人間関係の中をわたり歩くためではなく、仮面をかぶり、本来自分がいるはずのない、どこにも居場所のない異文化としての社会をやり過ごすために、解離を用いているのです。

そのような意味で、解離型ASDというのは、究極の少数派としての生存戦略だということができます。

多数派である定型発達者によって作られた社会の中で生きる少数派であるASDの人たち、そしてASDの中でもさらに少数派であるASDの女性たちが生き延びるために選ばねばならなかった生存戦略が解離型ASDなのです。

ASDというだけでも、ただでさえ定型発達者が多数派を占める社会で生きていくのは難しいのに、ASDの女性はさらに理解されにくく、男性中心の社会によるストレスも抱えやすいでしょう。

スウェーデンの統計調査では、北欧のような福祉先進国家であっても、ASDの女性が社会的要因のあおりを受けやすいことを示しています。

自閉症スペクトラムの人が平均より18歳も短命な理由とは? - GIGAZINE

全体的な傾向は性別の影響がなかったものの、学習障害を持つASDの女性に限り、早く死亡する可能性が最も高いとのこと。

専門家は「これらの傾向は自閉症の遺伝的要因だけでなく、社会的要因も早期死亡率に影響を与えているかもしれない」と指摘しています。

もともと生まれついた感覚の洪水に加えて、それら社会的な圧力が上乗せされ、心身が耐えきれなくなることで、強い解離症状が表面化するようになるのかもしれません。

解離型ASDの人たちにとって、心身の安定を得るには、解離症状だけでなく、根底にある発達障害も考慮に入れた対策が不可欠でしょう。

この記事で参考にした、解離の舞台―症状構造と治療には治療のためのアドバイスも書かれていますし、何より自身の心の構造について理解するのに大いに役立つはずです。

生活に支障が出るほどの解離症状に悩まされているなら、発達障害とトラウマ障害の双方に詳しい医師の治療を受けることが望ましいかもしれません。

杉山登志郎先生による発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方は、そのような人たちを対象とした治療について書かれています。

解離型ASDがこの社会では究極の少数派であるとしても、少数派であることは、必ずしもデメリットではなく、活かし方を理解すれば究極の才能にもなりうる、という点を覚えておくといいかもしれません。

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最後に、この記事で参考にした、解離型ASDに関する書籍を紹介して終わりたいと思います。解離型ASDの人にとっては、まず自分自身についてよく知ることが、不可思議な症状と、生きづらい多数派中心の社会に対処していく第一歩となるでしょう。

付録:解離型ASDについてもっとよく知るための本

■解離型ASDの専門家による本

■解離型ASDの女性の体験談(海外)

■解離型ASDの女性の体験談(国内)

鏡が怖い,映っているのが自分とは思えない―解離性障害は「脳の地図」の喪失だった

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が怖い…。

あなたは日常生活の中で、そのように感じることがありますか?

「鏡が怖い」というのは、ある程度、一般の人たちに普遍的にみられる感情です。鏡の中を覗き込めば、本当はいないはずの何かが映っている、といったシーンはホラー映画の定番ですし、ファンタジーな物語では鏡が異世界への扉になることがよくあります。

しかし、それとはまた違った形で、より根源的な恐怖を鏡に対して抱く人たちがいます。解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)という本はこう述べています。

解離の患者が「鏡を見るのが怖い」と報告するとき、おおかたその理由は二つに分けられる

一つは、「鏡を見てもそこに映っているのが自分の姿であるという実感がない」ことである。

さらに一つは、「鏡に自分以外の何か、普通は映らないものが映っているような気がする」とか「自分の背後に何かがいるのが映っていそうでとても怖い」という報告である。(p56-57)

解離性障害などの患者は、単に、一般の人たちが「鏡が怖い」と思う以上に、鏡に恐怖を覚えることがあります。

トラウマ研究の専門家ベッセル・ヴァン・デア・コークも、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、幼少期にトラウマを負った子供たちに、やはり鏡に関係した不可解な症状が見られることを語っています。

彼らは反抗的であるにせよ、しがみついてきて離れないにせよ、一人として同年代の典型的な子供たちのようには、周りの世界を探検することも、楽しく遊ぶこともできないらしい。

自己感覚をほとんど発達させていない子供もいて、そんな子は、鏡に映った自分の姿を見て自分だと気づくこともできなかった。(p175)

こうした感覚はなぜ生じるのでしょうか。いくつかの本から、解離性障害における「鏡が怖い」という感覚が、単なる気持ちの問題ではなく、もっと深い脳のメカニズムに基づいていることを見てみましょう。

そしてこの不可思議な現象が、幻肢痛や体外離脱体験、さらには拒食症や慢性疼痛といった、別のさまざまな病気の仕組みとも関係していることを調べて、「身体イメージ障害」という最新の医学的概念について考えてみたいと思います。

これはどんな本?

今回おもに参考にした本は、以下の数冊です。

冒頭で引用した解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)は解離性障害の専門家、柴山雅俊先生による本で、タイトルにある「後ろに誰かいる」という感覚が、鏡が怖いという現象と結びついていることが書かれています。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法は、何度も引用してきたトラウマ研究の第一人者ベッセル・ヴァン・デア・コークによる本で、「鏡に映る自分を認識できない」症状の脳科学的なメカニズムについて触れられています。

脳は奇跡を起こす脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線は、脳科学に明るい精神科医ノーマン・ドイジによる本で、そうした体験の背後にある身体イメージの障害という概念について詳しく解説されています。

そして、オリヴァー・サックスによる見てしまう人びと 幻覚の脳科学では、身体イメージの障害としての解離性障害、体外離脱体験、幻肢痛などが、どのように関連しているのか、見事な橋渡しがされている一冊です。

鏡に映る自分がわからない子どもたち

冒頭に引用した文の中で、解離性障害の人に多いと言われている「鏡が怖い」理由は2つありました。

最初に挙げられていたのは、「鏡を見てもそこに映っているのが自分の姿であるという実感がない」ということでした。これはどういう意味でしょうか。

わたしたちのうち、ほとんどの人は、鏡を見るとき、そこに映っているのが自分であることを疑問なく受け入れます。化粧をするとき、髭を剃るとき、鏡に映っているのは誰だろうと考え込んだり怖がったりはしません。

しかしこの能力、すなわち「鏡像認知」は決して当たり前のものではなく、人間をはじめ、イルカやゾウ、カササギなど、一部の高度な知能を持つ動物に限られています。

たとえば、ネコを飼ったことのある人ならわかるとおり、ネコは鏡に映った自分を自分だと認識できず、そこにもう一匹見知らぬだれかがいるように振る舞ったり、警戒したりします。

そして、人間の場合も、この鏡像認知は、生まれつきもともと備わっている能力ではありません。人間は、幼児のころに、鏡に映っているのが自分である、という認知能力を発達させ、獲得します。

豚にも自己意識がある?:鏡像を理解できることが判明|WIRED.jp

人間の発達論に鏡像段階論がある。幼児ははじめ、自分の身体を統一体と捉えられないが、生後6ヶ月から18ヶ月のあいだに、鏡に映った像が自分であり、統一体であることに気づくという理論

ここで、子どもが、鏡に映っている自分を認識する「鏡像認知」を発達される時期が、生後6ヶ月から18ヶ月ほどの時期である、と書かれていることに注目してください。

「生後6ヶ月から18ヶ月」、言い換えれば、「生後半年から一歳半ごろ」まで。

このブログを読んでくださっている方ならお気づきかと思いますが、これは、わたしがこのブログで、よく使っている表現です。

わたしが「生後半年から一歳半ごろ」という表現を使うとき、それは鏡像認知の発達段階について書いているわけではありません。これは、別の重要な機能の発達の感受性期と同じなのです。

その機能とは、「愛着」(アタッチメント)です。

愛着は「自己同一性感覚の基礎」

「愛着」とは、おもに生後半年から一歳半ごろまでに形成される、その人の思考や対人関係のパターンの土台となる、脳の生物学的なシステムのことです。

この時期に、養育者との触れ合いを通して、安定した愛着を築けないと、のちのち感情や自律神経などの生理機能の調節が不安定になったり、対人関係や自尊心が損なわれたりといった問題を抱えやすくなります。

長引く病気の陰にある「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」
愛着理論によると、子どものころの養育環境は、遺伝子と同じほど強い影響を持ち、障害にわたって人生に関与するとされています。愛着の傷は生きにくさやさまざまなストレスをもたらす反面、創造

愛着が形成される時期と、鏡像認知の能力が獲得される時期が同じなのは、たまたま偶然そうなっているのでしょうか。もちろんそうではありません。

愛着システムとは、自分と他者を認識する力のことでもあり、子どもは生後半年から一歳半の養育者との関わりを通して、自分を認識し、また他人を認識することを学ぶのです。

トラウマ研究の権威ベッセル・ヴァン・デア・コークによる身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法には愛着の研究者であるドナルド・ウィニコットが発見した点が、このように説明されています。

ボウルビィと同時代の小児科医で精神分析医のドナルド・ウィニコットは、同調の近代的研究の父だ。母親が赤ん坊をどのように抱くかから始めて、彼は母子の詳細な観察を行なった。

そして、こうした身体的相互作用が、赤ん坊の自己感覚の土台となり、その感覚とともに、生涯にわたる自己同一性感覚の基礎も固まると主張した。

母親が子供をどのように抱くかが、「精神が宿る場所として体を感じる能力」の根底にある。私たちの体がどのように接し合うかに関するこの内蔵感覚と運動感覚が、私たちが「現実」として経験するものの基礎を築くのだ。(p187)

ドナルド・ウィニコットが気づいたように、幼少期の愛着というのは、「自己感覚の土台」また、「生涯にわたる自己同一性感覚の基礎」になります。

愛着とは英語の「アタッチメント」を訳した言葉ですが、もともとの「attachment」には付着すること、くっつくこと、といった意味があります。

子どもは親に触れられ、撫でられ、抱かれ、接し合ううちに、自分の体を見分け、他人の体と区別する自己認識の能力を育んでいきます。

では、この時期に不幸にして親から共感に満ちた世話が受けられず、「愛着」(アタッチメント)が十分に育たないとどうなるのでしょうか。

脳の「自己感知領域」が停止している

ベッセル・ヴァン・デア・コークは、そうした不幸な境遇に育ち、安定した愛着を築けなかった人たちの脳機能を調べて、愕然とするような事実を発見しました。

幼少期(本書ではおおむね「0~六歳」の時期を指す)の深刻なトラウマを抱える慢性的なPTSD患者18人のスキャン画像との著しい違いには驚かされる。

脳のこれらの自己感知領域のどれにも、ほとんど活性化が見られなかったのだ。

内側前頭皮質、前帯状皮質、頭頂皮質、島は、まったく活性化しなかった。唯一、後帯状皮質がかすかな活性化を見せた。これは、基本的な空間定位を司る部位だ。

幼少期に愛着を育むことのできなかった人たちは脳の「自己感知領域」がほとんど活性化していなかったのです。

その人たちは、幼少期に過酷な環境で育ったため、正常な愛着が育まれず、人間をはじめ、イルカやゾウなど、高度な動物に備わるはずの自己感知能力に関わる脳領域が停止したままになっていました。

このような結果の説明は一つしかありえない。これらの患者は、トラウマ自体への反応として、また、ずっとあとまで残っていた恐怖に対処する中で、特定の脳領域の機能を停止することを学んだのだ。

…まさにそれらの領域が、私たちの自己認識、すなわち自分は誰なのかという感覚の土台を形作るいっさいの情動と感覚の認識を司っている。(p152)

「自分は誰なのかという感覚の土台を形作るいっさいの情動と感覚の認識」がほとんど働いていないのなら、その結果、何が起こるのかは、きっと説明せずとも察しがつくでしょう。

ベッセル・ヴァン・デア・コークは、自分のところに来る幼少期のトラウマを抱えた患者たちについて、こう述べています。

児童期の長年にわたるトラウマの犠牲者に見られる自己認識の欠如は、じつにはなはだしい場合があり、そんなときには、犠牲者は鏡に自分が映っていても、自分と認識できない。

脳をスキャンしてみると、これはただの不注意のせいではなく、自己認識を司る組織が、自己経験にかかわる組織ともども機能停止に追い込まれているからかもしれない。(p154)

幼少期のトラウマを抱えた人たちは、ぼーっとして心ここにあらずの状態になったり、人の顔を覚えられなかったり、さらには鏡に映る自分の顔が見分けられなかったりします。

しかもそれは、ADD(注意欠如障害)のような不注意によるものではなく、もっと根源的なもの、つまり、「自己認識を司る組織」がほとんど機能していないことによるのです。

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鏡に映る自分を見ても、それが自分だと気づけないという現象が、しっかり見ていないとか、気にしすぎだとかいったものではなく、明らかに脳機能の異常による症状である、ということは、実験によってその状態が再現できることからもわかっています。

経頭蓋磁気刺激法(TMSで内側前頭前皮質の上部の機能を一時的に停止させると、その間、人は鏡を覗いたときに誰を見ているのかわからなくなりうることをアルヴァロ・パスカル=レオーネが立証した。(p624)

脳の内側前頭前皮質のような、自己感知に関わる脳領域を人為的に停止した場合、健康な人でも鏡に映る自分が誰なのかわからなくなります。

鏡に映る自分が自分だと思えないことからくる「鏡が怖い」という症状は、幼少期の愛着の発達が妨げられ、脳の自己感知能力が十分に働いていないことからくる症状の一つなのです。

冒頭の引用文では、そのような症状が「解離」の患者に多い、つまり、解離性障害で顕著に見られるものだ、とされていましたが、それも当然です。

かつて解離性障害とは、虐待や性的被害による病気である、という考えが主流でした。しかし近年の発見が示すとおり、解離性障害とは愛着の不形成による病気であり、愛着の問題なくして解離は生じません。

過去にも何度か引用した文ですが、解離の専門家の岡野憲一郎先生は、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合の中で、次のように書いています。

ショアの主張をひとことで言えば、解離という心の働きを脳科学との関連で探っていくと、愛着の問題にまでさかのぼらなくてはならないということである。

すなわち解離性障害とは、それが基本的にはいわゆる「愛着トラウマ」による障害のひとつと理解されることを念頭に置くべきなのである。(p15)

解離とは、生後幼い時期に育まれるべき愛着が十分に育たず、その結果として、自己同一性の感覚や、自己認識の脳領域が育たなかったせいで生じるものです。

ヴァン・デア・コークは身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、鏡の自分を認識できなかった解離性同一性障害(DID)の女性についてこう述べています。

深刻なトラウマを負った人にはありがちなことだが、リサも鏡の中の自分を認識できなかった。

私は人が、連続した自己感覚を欠くというのはどういうことかほこれほど明瞭に描写するのを聞いたことがなかった。(p529)

自己認識の力が弱いために現実感が薄れる離人症が生じ、自己同一性の感覚が希薄なために人格が複数にわかれているように感じられ、連続した自己感覚が欠けてしまう病気、それが解離性障害です。

連続した自己感覚の欠如、また自己同一性の感覚の欠如が、鏡を見たときに、そこに映っているのが誰なのかわからない、という恐怖になって現れることがあるのです。

鏡に映る自分が歪んでいる拒食症

では、自己認識に問題を抱え、鏡が怖いと感じるのは、解離性障害の人たちだけなのでしょうか。

そうではありません。むしろ、自己感知能力の強さというのは、強いか弱いか、存在するかしないか、という二者択一のものではなく、人々が持っている自己認識能力の程度は実にさまざまです。

それは、幼少期に育まれる愛着の程度にも、さまざまなレベルのものが存在していて、極めて安定した愛着の人もいれば、少し不安定な愛着の人もいるのと同じです。

さきほど見た、「鏡に映る自分が誰なのかわからない」解離性障害の人たちは、その究極の端に位置していますが、そこまでいかずとも、自己感知能力が弱かったり、歪んでいたりする人は大勢います。

健康な人でさえ、酒に酔って、二日酔い状態で鏡を覗き込んで、自分の顔に違和感を感じることがあるかもしれません。これは、脳の自己感知能力の活動が、体調によっても左右されることを物語っています。

そして、それと似たような違和感を、鏡の中の自分に対して、四六時中抱き続けている人もまた存在します。

拒食症(摂食障害)や身体醜形障害です。

脳は奇跡を起こすの中で、精神科医のノーマン・ドイジはこのように書いています。

身体イメージがゆがんでいることはよくある。そう、身体イメージと身体そのものはことなるのだ。

拒食症の人は、餓死寸前だというのに太っていると感じている。

ゆがんだ身体イメージをもつ身体醜形障害の患者は、まったく問題がないにもかかわらず、体の一部に欠陥があるという。

…整形手術をする人もいるが、手術を受けても直っていないと感じてしまうだろう。この場合に必要なのは、整形手術ではなく身体イメージを変える「神経可塑性の手術」だ。(p220)

ノーマン・ドイジは、脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線の中でもこう書いています。

また、拒食症を抱える人が、実際には栄養失調のために骨と皮ばかりになっているのに、鏡を見て肥満していると思い込むとき、この齟齬が顕著に現れる。

つまりそのような人は、どんなに身体がやせ細っていても、肥満しているという身体イメージを持っているのである。(p53)

どれだけ痩せても自分の体が太っていると感じてしまう拒食症の人たちや、自分の顔や体に醜さがあると思い込んで、何度も整形手術を受けるような人たちは、鏡を見るとき、そこに映っているのが自分だと認識できるものの、正確な姿を認識することはできません。

著名人の例を見ても拒食症のために亡くなったカレン・カーペンターや、死ぬまで整形を繰り返したマイケル・ジャクソンといった人たちからよくわかるとおり、これは、決して気の持ちようとか、気にしすぎ、といった言葉で済まされる問題ではありません。

解離性障害の人たちは、鏡に映る自分がわからない、つまり身体イメージが「ない」のに対し、拒食症や身体醜形障害の人たちは、鏡に映る自分を認識できる身体イメージはあるものの、そのイメージが「歪んで」います。

の二つのタイプの病気を比較するとわかるのは、わたしたちの自己認識というのは、脳が作りだす具体的な身体イメージだということです。

自己感知能力の脳機能の異常には、ほとんどまともな身体イメージが存在しない機能停止状態もあれば、実際の体とは異なる、歪んだイメージを作ってしまうという状態、つまり自己感知能力が故障したまま機能している状態もあるのです。

脳が作りだす「バーチャルボディー」

このような、脳の自己認知機能が作りだす「身体イメージ」という概念に注目すれば、解離性障害や、拒食症、身体醜形障害などは、いずれも「身体イメージの障害」とみなすことができます。

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によると、この「身体イメージ」は、神経科学者たちによって「バーチャルボディー」とも呼ばれています。

身体イメージは、心に形成されかつ脳内に刻まれてから、無意識のうちに身体に投影される。

神経科学者はときにそれを「バーチャルボディー」と呼び、それが身体とは独立して脳と心に宿る点を強調する。(p52)

「身体イメージ」また「バーチャルボディー」という言葉は、わたしたちの脳が作りだす、この独特な自己認識システムの特徴をよく言い表しています。

脳の自己認識システムというのは本物の身体(ボディ)そのものではなく、「バーチャル」「イメーシ」なのです。

健康な普通の人たちにとって、これはとても理解しにくい部分です。なぜなら、文字どおりの肉体と、脳が作りだす「バーチャルボディー」とは、完全に重なり合って、ぴたりと一致しているからです。

わたしたちが自分の手がある、と感じる場所に、確かに手がありますし、足の小指をタンスの角にぶつければ、確かに足の小指にあたる場所が痛みます。

その結果、わたしたちは、肉体としての手そのものを感じていると思い込み、肉体としての足そのものが痛んでいると錯覚します。

身体イメージは、実際の身体と一致していることもある。つまり、前者は後者のかなり正確な表現たり得る。

そのような状況下では、私たちは、身体イメージが、現実の身体とは異なる心的な現象である事実を忘れている。

しかし、考えてみてください。

あなたは、夜に夢の中で走りまわって疲れを感じたり、悪夢の中で痛みを感じたり、さらには目を開いていないのに景色が見えたりしたことはないでしょうか。

そのとき、体はベッドの中に横たわって寝ているので、実際に運動したり、痛い思いをしたはずはありません。しかし、夢の中では、本物らしい感覚を経験することがあります。

この事実は、わたしたちは、たとえ手足を動かさなくても、あるいは、運動したりケガをしたりしなくても、疲れや痛みなどの感覚を感じることができる、ということを示しています。

それはすなわち、文字どおりの肉体によって感覚を感じているのではなく、脳が作り出している仮想の「バーチャルボディー」のほうが、痛みや疲れを感じているということです。

実際に、疲労や痛みの研究者たちは、それらを感じているのは身体ではなく、脳であることを発見しました。

わたしたちは文字どおりの肉体で感じるのではなく、「バーチャルボディー」によって感覚を経験している、というのは理解しにくい概念ですが、具体例を挙げてみましょう。

それは幻肢痛です。

幻肢痛―迷子になった魂の正体

幻肢痛とは、手や足を失った人が、もう手足がないのに、ありありとした手足の感覚を感じ、特に痛みに悩まされるという現象です。

幻肢痛は昔から知られていましたが、痛む手足を切断手術で切り離したのにまだ痛む、という患者たちの訴えは、精神的なヒステリーや気のせいにすぎないとして、医学から一蹴されてきました。

あるいは、手や足を切り離したにもかかわらず、手足の感覚があるということは、わたしたちには文字どおりの肉体のほかに、魂が存在している証拠だとされたこともありました。

幻肢痛は古代からありふれたものであったにもかかわらず、19世紀の医師サイラス・ミッチェルが記録するまで、まっとうな医学的概念として研究しようとする人はだれもいなかったほどです。

そのような医学界から見放されていた幻肢痛の研究に一石を投じ、幻肢痛の正体を明らかにし、しかも治療法まで確立してしまったのが、神経科学者V.S.ラマチャンドランです。

ラマチャンドランは脳のなかの天使の中で、このように述べています。

腕の切断手術を受けた人が、腕を失ったあともその腕の存在を鮮明に感じつづける場合があることは、すでに一世紀以上前から知られていた。

あたかも腕の幽霊が、いつまでも消えず、断端のあたりにとりついているかのように、この不可解な現象の説明づけとして、願望充足がからんだフロイト風の奇抜なシナリオから、霊魂の呼びかけにいたるまで、さまざまな見解がそれまでにだされていたが、私はそのどれにも納得がいかなかったので、神経科学の見地から取り組んでみようと決意したのである。(p49)

ラマチャンドランは、神経科学者としての知識を駆使し、二つの事実を発見しました。

まず、第一に、痛む手足を切り離しても痛みが消えないことから、痛みの感覚は、手や足といった肉体そのもので感じているわけではないこと。

そして第二に、本当に痛んでいるのは、脳が作り出した「身体イメージ」また「バーチャルボディー」であり、それこそが見えない手足の感覚、そして魂だと言われていたものの正体ではないかということでした。

腕が切断されたらどうなるか、考えてみよう。腕はもうないが、脳のなかの腕のマップはまだある。

このマップの役割、すなわち存在理由は、腕を表象することである。

腕はなくなったかもしれないが、マップはがんばりつづけるほかに、何もすることがない。

刻一刻、来る日も来る日も、腕を表象はしつづける。(p51)

病気やケガなどで、痛む手足を切断して、文字どおりの肉体がなくなったとしても、その手足に重なっていた「バーチャルボディー」のほうはそのままです。

文字どおりの肉体と「バーチャルボディー」は、ふだんは完璧に重なっていて気づきませんが、手足を失ってみてはじめて、肉体を抜きにした、「バーチャルボディー」の存在に気づくのです。

脳は奇跡を起こすに中でラマチャンドランはこう言います。

五体をもつ人は気づかないだろうが、四肢の身体イメージは実際の四肢に「完璧に投影されている」ために、身体イメージと身体を区別することができなくなっている。

「身体そのものが幻なんですよ」とラマチャンドランは言う。(p219)

バーチャルボディーの位置情報がずれる

健康なときに肉体と「バーチャルボディー」が、完全に一体化していて気づかないのは、肉体への刺激や、目で見る位置を通して、「バーチャルボディー」の位置が刻一刻と補正されているからです。

テーブルの上のりんごをつかめば、手を通して触感が脳に伝わりますし、目で手の位置を見れば、肉体としての手が空間的にどこにあるのかもわかります。

脳はそうした情報によって、いわばGPSのように「バーチャルボディー」の位置情報をリアルタイムで補正しつづけ、文字どおりの肉体とぴったり重なって一体化しているように感じられるように、わたしたちの意識をだましています。

しかし、肉体としての手足を失うと、「バーチャルボディー」の位置情報を補正する手段がなくなります。

脳は奇跡を起こすによると、ラマチャンドランは、「バーチャルボディー」という脳のマップが、文字どおりの肉体というGPS情報を失うと、位置がずれたり、形がゆがんだりして、さまざまな変化が生じてしまうことを発見しました。

ラマチャンドランはほかの研究者と協力して―このなかには、タウプとその共同研究者たちもいた―何度も脳マップをスキャンすることによって、幻肢の輪郭と、そのマップがたえず変化しつづけていることを証明した。

幻肢が痛むのは、手足が切断されたときに、そのマップが縮小するだけでなく、秩序を失って、正常に機能しなくなるだめではないかと、ラマチャンドランは考えている。(p214)

行き場を失った手足のイメーシは、ひどくおかしな場所に移動してしまうこともあります。

ヴィクターによると、彼はそのときまで、顔面に幻の手があるとはまったく気づかなかったが、そうと知ってすぐ、それをうまく活用する方法を思いついた。

幻の手のひらにかゆみを感じたら(かゆみはしょっちゅう起きて、頭がおかしくなりそうだった)、顔の手のひらに対応している場所をかくと楽になるのだという。(p51)

このヴィクターという男性の場合は、失った手のかゆみをあまりに強く感じるという、幻肢痛ならぬ幻肢かゆみに悩まされていました。

しかし、ラマチャンドランの助けによって、失った手のひらの「バーチャルボディー」が、今は手のひらではなく顔の部分に移動して迷子になっていることに気づいたので、顔に存在する手のひらの「バーチャルボディー」をかくことでかゆみに対処できることがわかりました。

「バーチャルボディー」の位置情報がおかしくなるのは、珍しい現象であるどころか、わたしたちのうちの多くが、知らず知らずのうちに経験したことがあるほど身近なものです。

見てしまう人びと 幻覚の脳科学[Kindle版]の中で、オリヴァー・サックスは、「バーチャルボディー」の障害は、歯医者で手軽に体験できるものだと述べています。

正常な感覚がさえぎられると、身体イメージの混乱はすぐにでも起こりうる。

たいていの人は、医者の麻酔で頬や舌がグロテスクに腫れているとか、変形したとか、おかしな位置にあるとか、そんな妙な幻覚を経験したことがある。

鏡を見ても、その錯覚を追い払うにはほとんど役に立たないが、正常な感覚がもどれば錯覚は消える。(p333)

ノーマン・ドイジもまた、脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線の中で、まったく同じことを述べています。

ところが、身体イメージが身体と合わなくなると、両者の差異はすぐにわかる。

この齟齬は、歯医者で局所麻酔を受けたときに、そうと知らずに誰もが経験できる。

突然顎と頬が、実際より大きくなったかのように感じられるのだ。(p53)

わたしたちのうちの多くは、歯医者で歯を削ったり、抜いたりするとき、局所麻酔をかけて痛みをなくすことがあります。

このとき、しばらく、麻酔が切れるまで、麻酔をかけられた部分やくちびるが、腫れぼったくなったり、自分の身体でないかのような奇妙な感覚を感じたりした経験があるでしょう。

たいていの人は、麻酔をして麻痺しているせいで、感覚がおかしくなっているだけだ、と思うかもしれませんが、正確にはそうではありません。

麻酔をした感覚が麻痺させられると、脳は、外から入ってくる感覚によって、顔の各部の「バーチャルボディー」の位置合わせや補正をすることができなくななります。

するとごく短時間のうちに、顔の「バーチャルボディー」にゆがみやずれが生じ、実際よりくちびるが大きく腫れているように感じられたり、変な位置にあるように認識されたりします。しかし鏡を見てみても、くちびるが腫れ上がったりしていることはありません。

やがて麻酔が切れて、正常な感覚入力が戻って「バーチャルボディー」の位置情報が補正されるまでのあいだ、わたしたちは補正の効かなくなった「バーチャルボディー」とはどういうものなのか、身体イメージの障害を短時間だけ経験しているのです。

身体醜形障害―幻肢ならぬ幻顔

この幻肢痛のメカニズムの発見によって、わたしたちには、文字どおりの肉体とは別に、脳内の地図のような「バーチャルボディー」があり、両者は重なっているように見えても実は別々のものである、ということがはっきりしました。

幻肢痛という具体例を通して考えれば、解離性障害や拒食症の人たちの「バーチャルボディー」に何が起こっているのかを理解しやすくなります。

すなわち、脳内の地図が失われたのが、自分の「位置情報」を認識できない解離性障害であり、地図がゆがんで偽りの情報を示しているのが、自分の正確な姿を認識できない拒食症や身体醜形障害なのです。

身体醜形障害のような「顔」の身体イメージのゆがみが、幻肢痛と同じ、脳の地図の障害として生じていることは、単に理論を無理やり当てはめたような机上の空論ではなく、体験者みずからの実感でもあります。

神経科医オリヴァー・サックスは、見てしまう人びと 幻覚の脳科学において、幻肢痛と身体醜形障害の両方ほ経験した患者の体験を、こう紹介しています。

私の患者の一人は、大きな脳腫瘍を切除したことで、顔の片側の感覚神経根が犠牲になった。

そのあと何年も、顔ま右側全体が「縮んでいる」、「崩れている」または「なくなっている」。

そしてそちら側の舌と頬がものすごく腫れてグロテスクな外観になっているという感覚が消えなかった。

彼女はのちに片脚を切断することになり、手術のあとすぐに幻肢に気づいた。そしてこう言った。

「自分の顔のどこが悪いのかわかりました。まったく同じ感じ―幻肢ならぬ幻顔なんです」。(p333)

彼女の言葉が如実に示すとおり、身体醜形障害の苦痛は幻肢痛と同じたぐいのもの、いわば幻顔というべきものです。

似ている別個の病気というより、「バーチャルボディー」の異常が、手足に出るか、顔などの別の場所に出るか、という違いだけで、どちらも脳の地図の疾患、身体イメージ障害なのです。

線維筋痛症―脳マップの感覚異常

ここまで考えれば、「身体イメージ」ないしは「バーチャルボディー」の異常が、決して幻肢痛や拒食症に限られた珍しいものではないことに、多くの人は気づくでしょう。

「バーチャルボディー」の障害の特徴は、幻肢痛の場合でも、拒食症でも、あるいは身体醜形障害でも、ひとつの点で共通しています。

つまり、肉体としての身体そのものには何も異常がないにもかかわらず、脳が作り出した「バーチャルボディー」としての架空の身体イメージに、さまざまな症状、痛みや腫れなどが感じられる、ということです。

幻肢痛では、手足に激痛が走るとしても、そもそも手足はありません。拒食症や身体醜形障害では、身体に違和感を抱きますが、肉体そのものは正常です。

つまり、「バーチャルボディー」の障害とは、身体に異常を訴えますが、実際に病院で身体を検査しても、なんら異常がないという特徴があります。

異常があるのは、肉体そのものではなく、脳が作り出して、肉体に重ね合わせている「バーチャルボディー」のほうだからです。

つまるところ、身体のどこにでも「バーチャルボディー」の障害は起こりうるものです。

その中でも、特によく知られているのは、神経障害性疼痛です。

脳は奇跡を起こすの中で、事故や手術のあと、すでに患部は治っているにもかかわらず、激痛がずっと続く場合、それは一種の幻肢痛である、と書かれています。

手足の切断以外の手術を受けた場合にも、同じように不可思議な痛みをおぼえ、それが生涯なくならないことがある。

…これらの症状も幻肢痛であり、内蔵の一部が「切断」されたと考えると理解しやすい。

…ケガによって、体の組織ばかりか、痛みを感じる神経まで損傷することがあり、そのときには外的な要因がなくても、神経因性疼痛を感じる。脳のマップが損傷して、たえまなくまちがった警報を送ってしまうのだ。

それで、患者は脳に問題があるのに、体に問題があると思い込む。

体が治ってからずいぶん経つというのに、痛みのシステムがまだ発火していて、激痛を感じつづけるのである。(p210)

神経障害性疼痛の患者は、いつまでも続く身体の激痛にさいなまれますが、そのときすでに身体は治っています。

痛んでいるのは、身体ではなく、脳が作っている「バーチャルボディー」であり、幻肢痛と同じことが生じています。

脳は奇跡を起こすでは、幻肢痛の研究者ラマチャンドランが、痛みについてこう述べています。

幻肢で明らかになったように、痛みを感じるのに実際の体の部分はいらないのだ。

痛みの受容体もなくていい。痛みを感じるのに必要なのは、脳マップによって生み出された「身体イメージ」だけなのだ。(p219)

身体ではなく、脳の「バーチャルボディー」が激痛を発している病気の最たるものが、全身の慢性疼痛を特色とする線維筋痛症(FM)です。

線維筋痛症では、いくら激痛に悩まされるとしても、身体そのものを検査してもほとんど異常はみられません。筋緊張や、自律神経異常、免疫異常などが見られることもありますが、どれも激痛を説明するのに十分な異常ではありません。

このことが示すのは、線維筋痛症の痛みは、身体の痛みではなく、脳が作り出した痛みだということです。そして身体に現れている異常は、痛みの原因ではなく、痛みがもたらすストレスの結果だということです。

線維筋痛症の患者は、痛む手足を切り離したいと感じることもありますが、もし仮に切り離したとしても、手足の痛みは治まらないでしょう。

痛んでいるのは肉体ではなく、幻肢痛の場合と同じ「バーチャルボディー」であり、手や足を文字どおり切り離しても、実際に痛んでいる幻肢としての手や足は存在したままだからです。

ラマチャンドランが研究した幻肢の症状には、激痛だけでなく、他のさまざまな感覚異常の場合もありました。

動く幻肢は奇怪だが、さらに異様な現象もある。多くの幻肢患者が、まったく反対に、幻肢が麻痺していると言い、「凍りついているようです、先生」、「コンクリートの塊のなかにあるみたいです」と言う。なかには幻肢がねじまがって、非常な痛みをともなうおかしな位置に固定されてしまっている人もいる。(p57)

言いかえれば麻痺が学習されて、患者の身体イメージを構築する回路に刻印されたのである。のちに腕が切断されたとき、その学習された麻痺が幻肢にもちこされ、幻肢が麻痺していると感じられるようになった。(p58)

幻肢の症状は、痛みだけでなく、麻痺しているとか、凍りついているといった、さまざまな感覚異常も含まれていました。これもやはり、身体そのものには異常はないのに、脳のバーチャルボディーがおかしくなってしまっていたせいでした。

同様のことは、線維筋痛症の近縁の疾患であり、やはり検査をしても詳しい異常がほとんど見られない病気である慢性疲労症候群(CFS)の身体症状にも当てはまります。

興味深いことに、慢性疲労症候群の研究者たちは、患者のヘルペスウイルスや疲労因子FFなどの反応を調べたところ、慢性疲労症候群と急性疲労とでは、まったく異なる違いが見られることに気づきました。

慢性疲労症候群の患者では、疲労マーカーの数値は上昇しているどころか低下していて、身体は完全に休まっている、ということがわかったのです。

検査でわかるようになる? 研究でわかった慢性疲労症候群(CFS)の10の異常
平成23年度の最新の慢性疲労症候群(CFS)の研究について紹介するエントリです。CFSは、これまで検査では異常が出ないとされていましたが、客観的な10の検査法が確立されつつあります

これは、先程の神経障害性疼痛の場合と同様です。すなわち「体が治ってからずいぶん経つというのに」「患者は脳に問題があるのに、体に問題があると思い込む」ということです。

身体はもう存在していないのに、脳が作り出した「バーチャルボディー」が激痛を感じ続けているのが幻肢痛なら、身体そのものには異常がないのに「バーチャルボディー」が激痛にさいなまれるのが線維筋痛症、疲労にさいなまれるのが慢性疲労症候群だといえます。

これらはいずれも、身体イメージ障害の一形態とみなすことができるでしょう。

解離性障害―脳の地図が失われた病

このように、身体そのものには異常がないにもかかわらず、脳の「バーチャルボディー」が損なわれるために原因不明の異常を感じる、さまざまな病気が存在します。

「バーチャルボディー」についての理解を深めた上で、改めて解離性障害について考えるなら、単に「鏡が怖い」という症状にとどまらず、解離性障害にまつわる他のさまざまな不可思議な現象を過不足なく説明しきることができます。

たとえば、冒頭で引用した柴山雅俊先生による説明では、解離性障害の人が「鏡が怖い」と感じる理由は二つありました。

一つ目は、すでに見たとおり、「鏡を見てもそこに映っているのが自分の姿であるという実感がない」ことでした。

そして二つ目は、「鏡に自分以外の何か、普通は映らないものが映っているような気がする」とか「自分の背後に何かがいるのが映っていそうでとても怖い」ということでした。

これら二つの特徴を改めて、「バーチャルボディー」という脳の地図の障害として見ていくと、解離性障害の本質が見えてきます。

愛着は脳の地図をマッピングする

まず、一つ目の「鏡を見てもそこに映っているのが自分の姿であるという実感がない」については、自分の肉体は存在しているのに、「バーチャルボディー」、すなわち脳の地図が失われている状態だとみなせます。

脳の地図をマッピングするのは、すでに見たとおり、幼少期の養育者との触れ合い、つまり愛着(アタッチメント)です。

わたしたちの脳は、体への刺激を通して脳の中の地図が、実際の体の位置と重なるよう、位置情報を補正していきます。

そして、ドナルド・ウィニコットが述べていたとおり、その位置情報の補正能力、すなわち「精神が宿る場所として体を感じる能力」の基礎になるのが、養育者との愛着なのです。

愛着の形成パターンは、これまでの記事でも繰り返し説明したきたように、おおまかに分けて4つのパターンが知られています。

親子の愛情に満ちた触れ合いを経験した子どもは「安定型」となり、脳マップと肉体の位置情報はしっかりと一致して安定したものとなります。

親による過干渉を経験した子どもは「抵抗型」(不安型)となり、脳マップが過敏になります。ちょっとした刺激に過剰に反応してしまうようになり、身体イメージがゆがみやすくなります。

見捨てられ不安にとらわれる「不安型愛着スタイル」―完璧主義,強迫行為,パニックなどの背後にあるもの
岡田尊司先生と咲セリさんの「絆の病」を参考に、「不安型」「とらわれ型」の愛着スタイルを持つ人の感情や葛藤の原因についてまとめました。

親が無関心で共感が欠けていると子どもは「回避型」になり、脳マップの位置補正が希薄になります。この稀薄さは身体イメージが薄れる現実感喪失や、離人症状として表れます。

きっと克服できる「回避型愛着スタイル」― 絆が希薄で人生に冷めている人たち
現代社会の人々に増えている「回避型愛着スタイル」とは何でしょうか。どんな特徴があるのでしょうか。どうやって克服するのでしょうか。岡田尊司先生の新刊、「回避性愛着障害 絆が稀薄な人た

さらに、虐待などの極端な環境で育つと「無秩序型」になり、鏡に映った自分がわからないなどの、極度の身体イメージの喪失が見られます。

ヴァン・デア・コークが述べていたように、恐怖に対処する中で、自己認知の脳領域の機能を停止し、脳マップを身体から切り離すことを学ぶからです。

人への恐怖と過敏な気遣い,ありとあらゆる不定愁訴に呪われた「無秩序型愛着」を抱えた人たち
見知らぬ人に対して親しげに振る舞いながらも、心の中では凍てつくような恐怖と不信感が渦巻いている。そうした混乱した振る舞いをみせる無秩序型、未解決型と呼ばれる愛着スタイルとは何か、人

脳マップ、すなわち「バーチャルボディー」を身体から切り離すこと、これこそが「解離」です。

背後からの視線の正体は何か

脳の「バーチャルボディー」を肉体から切り離すことを学んだ解離性障害の人たちは、奇妙な症状も経験します。

それが、鏡が怖いと感じる二つ目の理由として挙げられていた、「鏡に自分以外の何か、普通は映らないものが映っているような気がする」とか「自分の背後に何かがいるのが映っていそうでとても怖い」といった感覚です。

解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)によると、解離性障害の患者は、こうした背後から見られているような感覚、すなわち被注察感を日常的に経験しています。

家のなかにひとりでいるとき誰かがいるという気配を感じる。圧倒的に多いのは背後空間であるが、だいたい一、二メートルくらい離れた斜め後ろに位置する。

ときに自分のすぐ後ろで背中に接するほど近くに誰かがいる気配を感じる。

…必ずしもつねに恐怖の対象というわけではない。まれにその他者が「自分自身のようだ」と表現することもある。(p67)

すでに見たように、鏡に自分が映っているのがわからない、という状態は、脳の内側前頭前皮質を人為的に停止させることで再現できましたが、背後から視線を感じる、という症状もまた、実験室で再現されています。

オリヴァー・サックスの見てしまう人びと 幻覚の脳科学[Kindle版]にはこう書かれています。

2006年にオラフ・ブランケとその同僚(シャハル・アルジーら)が、癲癇の外科的手術を受けるべきと診断された若い女性について、左側頭頭頂接合部を電気的に刺激することで、予想どおりに「影人間」を誘発できたことについて記述している。

女性が横になっているとき、この領域を軽く刺激すると、彼女は誰かが背後にいると感じた。

刺激を強くすると、その「誰か」は若いけれども性別はわからず、自分自身と同じ位置に横になっている人だと、はっきり説明できた。(p341)

この実験では、脳の左側頭頭頂接合部という部分を刺激することで、背後から見られているという感覚を再現することができました。

サックスは、持ち前に分析力によって、こうした背後からの気配や視線は、幻肢と同様に「バーチャルボディー」がずれた状態であることを目ざとく見抜いています。

このように、この症例では「他者」の要素だけでなく、「自己」の要素もあって、影人間は彼女の姿勢を模倣また共有している。

身体イメージの障害と「存在」の幻覚には何らかのつながりがあるかもしれないという考えは、アランケらが2006年の論文に書いているように、早くとも1930年にはエンゲルトとホッフによって示されている。

エンゲルトとホッフはこう書いている。「最終的に大勢の幻覚は消えて、次に患者が『忠実な友』と呼ぶものが現れた。

患者がどこへ行こうと、左に並んで歩く誰かが見える。……その友が現れた瞬間、左半身の違和感が消えた」。

そして「この『友』のなかに独立した左半身があると考えてもまちがいではないだろう」と結論づけた。(p342)

サックスは、「身体イメージの障害」、つまり「バーチャルボディー」の異常と、背後からだれかに見られている影人間、という現象にはつながりがあるのではないか、とする研究者の意見を紹介しています。

ユンゲルトとホッフが記録した症例では、身体から切り離された「バーチャルボディー」は、あたかも「並んで歩く友」のような他人として認知されました。

脳の左側頭頭頂接合部を刺激する実験で、女性が、自分の背後にある別のだれかの存在を感じたのと同様です。

この現象は、危機的状況下で経験される「サードマン現象」とも非常に似通っています。「サードマン現象」では、遭難などで生命の危機を経験したとき、そばにだれかがいるかのようなありありとした気配を感じるというものでした。

サードマン・イマジナリーフレンドが現れる5つの条件―「いつもきみのそばを歩くもう一人がいる」
遭難事故などの危機的状況で現れる「サードマン」と、子どもや若者が経験する空想の友だち「イマジナリーフレンド」。両者を経験する人たちの5つの共通点を説明しています。

そして、何よりも、解離性障害や解離性同一性障害の人たちが経験する、だれかに見られているという感覚、いわゆる被注観感と、あまりにも類似しています。

解離性障害の人たちは、「鏡に自分以外の何か、普通は映らないものが映っているような気がする」とか「自分の背後に何かがいるのが映っていそうでとても怖い」といったことを述べていましたが、この背後にいる存在とは何か、もうおわかりでしょう。

柴山雅俊先生は、解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)の中で、解離性障害の人たちが経験する背後からの視線の正体は、「存在者としての私」から分かたれた「眼差す私」である、と述べています。

「眼差す私」は、世界のなかに位置づけられた身体から遊離し、俯瞰的位置から世界と「存在者としての私」を眼差す。

基本的に「眼差す私」は周囲空間りいかなる空間にも位置づけられうるが、身体の後上方に位置づけられることが多い。…「眼差す私」は本来、患者を取り巻く空間に魂のように偏在しうる。(p91)

彼らが背後にいるように感じていた「何か」とは、文字どおりの肉体から解離させ、切り離した自分の「バーチャルボディー」だったのです。

サックスによると、影人間を誘発する実験を行ったオラフ・ブランケは、身体イメージ障害にはさまざまなタイプの症状が見られると述べています。

ブランケらは、2003年に身体イメージあるいは「身体認識」の障害について書き、なくなった身体部位があるような感覚、身体部位の変形(拡大または縮小)、部位の転位ままたは切断、幻肢、余剰幻肢、自分自身の体の自己像幻視、「存在の感覚」など、さまざまなタイプがありえると述べている。(p343)

解離性障害では、自分の身体が変形しているとか、内部に違和感を感じるといった体感異常(セネストパチー)がしばしば見られます。

そして、自分を背後や頭上から見ているかのように感じる自己像幻視、逆にだれかに見られているかのように感じる存在の感覚もまた、解離性障害によく見られる症状です。

解離性障害とは、幼少期の愛着という、自己感覚の基礎が十分育まれなかったがために、バーチャルボディーの位置合わせが難しくなり、身体から切り離されて「解離」してしまいやすいことで起こる問題なのです。

体外離脱―切り離されたバーチャルボディー

解離性障害の人において、「バーチャルボディー」が身体から切り離されてしまう経験の最たるものが、いわゆる「体外離脱」「幽体離脱」と呼ばれるものでしょう。

「体外離脱」や「幽体離脱」は性的虐待は犯罪被害などの極限状況で、身体からあたかも魂が抜け出したかのように、意識が上空に上り、離れたところから自分の身体を見ているように感じられる体験のことです。

「体外離脱」はまた、極限状況だけではなく、睡眠中にも生じることがあり、睡眠麻痺(金縛り)やナルコレプシーなどの睡眠障害と関係していることもあります。

体外離脱体験は、脳科学に詳しくない人からすれば、スピリチュアルな体験かもしれませんが、それは幻肢痛がかつて誤って魂が存在する証拠とみなされていたのと同じです。

幻肢痛の見えない手足も、解離性障害の体外離脱も、魂のように思えるのは脳が作った「バーチャルボディー」であり、感覚が遮断されることで、実際の身体と「バーチャルボディー」の位置がずれたときに生じる現象です。

解離の舞台―症状構造と治療に書かれているとおり、体外離脱は、先ほどの影人間実験と同じ、脳の側頭頭頂接合部への刺激によって実験的に誘発できることがわかっています。

オラフ・ブランケは2004年に、体外離脱体験が見られる脳損傷患者は共通して側頭頭頂接合部(temporo-parietal junction : TPJ)近傍に損傷が見られると報告した。

右側のTPJを電気刺激すると体外離脱体験が生じるとされ、行為を自ら制御しているという感覚をもてない場合には、この脳部位の活動が増加することが知られている。(Blanke et al.2002)。

つまり右側のTPJは自己主体感(sense of self agency)の低下と関係している。

また左側のTPJの電気刺激によって誰かが自分の後ろにいるという「幻の影の人(illsory shadow person)」の感覚が生じるという報告もある(Arzy et al.2006)。

一般的に右側のTPJは他者視点でのイメージ生成に関わり、左側のTPJは自己視点でのイメージ生成に関わるとされる。(p74)

影人間による誰かに見られている感覚と、体外離脱とは、ともに左右の側頭頭頂接合部が関わる「バーチャルボディー」のずれなのです。

トラウマ研究の専門家ベッセル・ヴァン・デア・コークは、自身も犯罪被害に遭ったときに体外離脱体験を経験していますが、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、こうした現象にはみな「自分の体とのつながり」を感じられる能力が関係していると述べています。

失感情症、解離、機能停止はみな、私たちが意識を集中させて、自分が感じていることを知り、自分を守る行動をとれるようにしてくれる脳組織と関連している。

こうした重要な組織が逃避不能ショックを加えられると、困惑と動揺が起こりかねない。

あるいは、私たちは自分の体とのつながりを失ってしまうかもしれず、

これには体外離脱体験(自分自身を遠くから見ているという感覚)が伴うことも多い。

別の言い方をすれば、トラウマによって人は、自分の体が誰か別の人の体であるかのように、あるいは体がないかのように感じてしまうのだ。(p407)

極限状況に直面し、逃避不能ショック、つまり、どうあがいても痛みから逃れられないまでに追い詰められたとき、人は、自分の「バーチャルボディー」を肉体から切り離してしまうことで、痛みを感じないよう身を守ることがあります。

痛みなどを感じないよう、感覚を遮断してしまうということは、位置情報が取得できなくなるということを意味するので、「バーチャルボディー」は迷子になり、実際の身体の位置とずれてしまい、あたかも背後や頭上に浮かび上がったかのように感じられます。

歯医者で麻酔をして痛みの感覚を遮断したときに、すぐに「バーチャルボディー」にゆがみやずれが生じるように、脳が感覚遮断をしたときも、即座に「バーチャルボディー」の位置がずれて、体外離脱が生じるのです。

体外離脱のメカニズムについては以前の記事でも扱いました。

なぜ人は死の間際に「走馬灯」を見るのか―解離として考える臨死体験のメカニズム
死の間際に人生の様々なシーンが再生される「走馬灯」現象や「体外離脱」のような臨死体験が生じる原因を、脳の働きのひとつである「解離」の観点から考察してみました。

解離性同一性障害(DID)の別人格とは何か

解離性障害の人が経験する解離現象のもう一つの究極の形は、解離性同一性障害(DID)の人に特徴的な多重人格でしょう。

多重人格や人格交代というと、あまりに奇妙でオカルトチックな体験であるかのように思われがちですが、これもまた切り離された「バーチャルボディー」が関係していることは、これまで見てきたことから明らかです。

解離性障害の人が感じる背後からの気配は、肉体から切り離されて位置がずれた「バーチャルボディー」である、ということを考えましたが、位置がずれた「バーチャルボディー」は、背後にいる他人や、並んで歩く友、あるいはサードマン現象として認識されることもありました。

つまり、肉体から切り離された「バーチャルボディー」は、自分ではない別のだれかのように感じられるということです。

オリヴァー・サックスは、見てしまう人びと 幻覚の脳科学の中で、幻肢痛などの、肉体から切り離された「バーチャルボディー」は、自分とは無縁の無生物のように感じられる場合があると述べています。

「影」と「分身」―身体と身体イメージのゆがみによる幻覚―には、もっと奇妙な世界がある。

手足や体の一部が神経や脊髄の損傷で「生気を奪われる」と、生気を奪われた部位自体が、自分とは無縁の生きていない無生物に感じられることがある。(p339)

さらに、自分とは違う無生物に思えるだけでなく、別のだれか、何者かに感じられることもあります。

以下の見てしまう人びと 幻覚の脳科学のオリヴァー・サックスの説明の「幻肢」を「別人格」に置き換えて読んでみると、不思議なほどしっくり来ることに気づくでしょう。

幻肢は、自然な形ある住みか(身体)をなくした、あるいは切り離された、身体イメージの一部だと言えるかもしれない―そしてそれ自体が外在するものとして、本人を邪魔したり惑わしたりすることもありえる(…)。

迷子の幻肢は(たとえ話を許されるなら)新しい住みかを欲しがり、適切な義肢がそれになるのだろう。

大勢の患者から、夜には幻肢に悩まされるが、朝になって義肢を装着した瞬間に幻が消える―つまり、義肢のなかに消えて完璧に融合して、幻肢と義肢が一つになる―ので、ほっとすると聞いたことがある。(p331)

解離性障害の別人格とは、脳が感覚を遮断することによって、自己の「バーチャルボディー」から切り離された、身体イメージの一部なのです。

耐え難い経験に直面したとき、脳はトラウマ記憶を隔離して、トラウマを経験した「バーチャルボディー」の一部を切り離します。

すると、自己の脳の地図から切り離された「バーチャルボディー」の一部は、自分とは別の何か、「外在するもの」として迷子になり、「本人を邪魔したり惑わしたりすることもありえ」ます。

そのような迷子になった「バーチャルボディー」の一部、つまり交代人格は、「新しい住みかを欲しが」っています。

幻肢の場合は、新しい住みかとして、義肢をあてがえば、その中にすっぱりおさまって、再び自分の「バーチャルボディー」と一つになって感じられます。

では、解離性障害の人たちの迷子になった「バーチャルボディー」、つまり、身体から切り離されて背後に漂っている交代人格に、「新しい住みか」を与えるにはどうすればいいのでしょうか。

バーチャルボディーに「住みか」を与える

いち早く幻肢痛のメカニズムを発見したV・S・ラマチャンドランは、「バーチャルボディー」の手術という前代未聞の治療を行った先駆者でもありました。

脳は奇跡を起こすは、今ではよく知られるようになった、ラマチャンドランが考案した奇想天外なトリックのごとき治療法、すなわち「ミラーボックス」療法についてこう書いています。

ラマチャンドランは患者の脳をだます鏡の箱(ミラーボックス)を発明した。

なんでもないほうの手を鏡で映せば、患者には切断された手が「復活した」ように見えるというものだった。(p217)

すでに見たとおり、サックスは、幻肢は迷える身体イメージの切れ端であり、それを治療するには「新たな住みか」を与えるしかないと述べていました。

ラマチャンドランは、ミラーボックスを用いたトリックによって、脳をだますことによって、迷子の幻肢に「新たな住みか」を与えることに成功しました。

彼は、健康なほうの手を鏡に移し、あたかも失われた手がよみがえったかのように錯覚させることで、切り離されていた幻肢の「バーチャルボディー」が、本来手があるべき場所に戻れるようにしたのです。

ラマチャンドランは、何人もの患者にこの箱を使った治療をおこなった。

そのうちの半数が、幻肢痛が消えたり、凍りついた感覚がなくなったり、幻肢をコントロールできるようになっている。

ほかの科学者も、ミラーボックスの訓練によって患者の症状が回復すると発表した。

fMRI脳スキャンでも、幻肢の運動マップがしだいに大きくなり、切断にともなって縮小していたマップがもとの大きさにもどって、感覚マップと運動マップが健全な状態に回復することが確認されている。(p219)

わたしたちの脳が、「バーチャルボディー」の手足と、実際の身体の手足の位置情報を同期する方法のひとつは、視覚によって、空間的位置を一致させる、というものでしたが、ミラーボックス目を通して、あたかも健康な手がよみがえったかのように錯覚させるのです。

これと似ているのが、幼少期にトラウマを抱えた子どもに対する、鏡を用いたエクササイズです。

トラウマによる解離の場合は、「バーチャルボディー」の位置がずれているというより、自己認識能力や自己同一性の感覚そのものが稀薄なせいで、鏡に映っている自分を自分と認識することにも苦労します。

それで、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、ベッセル・ヴァン・デア・コークは、鏡を用いて、まず自分を認識する方法を学べるよう助けるといいます。

私たちはじつに単純な方法で始める。鏡を使うのだ。子供は鏡を覗き込むと、悲しいときや怒ったとき、退屈したとき、がっかりしたときに自分がどんなふうに見えるか、自覚しやすくなる。

そのあと私たちは、「そういう顔を目にしたときにどう感じますか?」と問う。脳はどのようにできているかや、情動は何のためにあるか、体のどこで認識されるか、どうすれば自分の感情を周囲の人々に伝えられるかを教える。(p593)

ミラーボックスによって幻肢に新しい住みかを与えるように、鏡を用いたエクササイズは、稀薄になっているバーチャルボディーが住むべき、自分の身体という住みかを案内するのです。

自分の体に安心して収まる

一方で、解離性障害の人たちにおいて、「バーチャルボディー」が稀薄で、身体から切り離されてさえいるのは、具体的な理由あってのことでした。

つまり、逃げることもできないほど追い詰められ、逃避不能ショックを経験したがために、危険な住みかである肉体からバーチャルボディーを切り離し、痛みから身を守るべく、自己認知の脳領域を停止させることを自ら選んだのです。

そうであれば、ただ「バーチャルボディー」のイメージを強化するだけでなく、迷子になった「バーチャルボディー」が、安心して肉体に戻ってこられるよう、安全な住みかのイメージを持てるように助けなければなりません。

もう危険な状況ではなく、文字どおりの身体と、脳の「バーチャルボディー」の位置情報を同期させても大丈夫なのだ、ということを学ばなければなりません。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、そのことを「自分の体に安心して収まっていられるように」すると表現しています。(p454)

そのために用いられている方法のひとつはヨーガです。ヨーガを用いたエクササイズでは、自己感知能力に関わる脳領域が活性化することが確認されました。それは鏡の中の自分がわからなかった人たちでほとんど停止していた脳領域です。

幼少期に深刻なトラウマ体験をした6人の女性を対象とする、私たちの最新のヨーガ研究でも、ヨーガを20週間実習すると、基本的な自己システムである島と内側前頭前皮質の活動が増すことを、初めて示す結果が出た。(p452)

ヨーガによるエクササイズが自己認識能力を強化する、というと不思議に思えるかもしれませんが、ここで行われているのは、トラウマ治療に焦点を当てて組まれた特別なプログラムです。

このヨーガのプログラムでは、自分にとってとりわけ難しいポーズをとり、そのポーズによって引きおこされる強烈な感情のフラッシュバックに対処し、呼吸を整えることなどを学びます。

最初の研究では、骨盤に関わるポーズが性的暴行のフラッシュバックを引き起こしたため、半数もの女性が脱落してしまったといいます。それは、他のあらゆる治療法の研究よりも高い割合でした。

しかし、プログラムが改善され、ゆっくりとカタツムリのようなペースで行うようになってからは、ほとんど脱落者はいなくなりました。

無防備で危険を感じるようなポーズでも、呼吸を整え、フラッシュバックを抑える手法を学ぶことで、迷子になり切り離されていた「バーチャルボディー」が、身体に再び収まっても安全なのだ、と感じるよう助け、本来の住みかに戻ってこられるようにするのです。

このほかにも、マインドフルネスによって今・ここにいる感覚に意識を集中し、自分の身体を実感することや、グラウンディングによって地に足がついている感覚を取り戻すことが、バーチャルボディーと身体を結びつける助けになることもあります。

また、切り離されたバーチャルボディー同士が、互いにトラウマを抱えて反発しあっている状態にあるなら、内的家族システム療法(IFS)を通して、「セルフ」(自分そのもの)と呼ばれる、すべての人格部分を包み込む「住みか」を形成できるように助けます。(p466,623)

VRで慢性疼痛を治療する

「バーチャルボディー」の障害には、そのほかにも、慢性的な痛みを伴う神経障害性疼痛や線維筋痛症のような慢性疼痛もありました。

ミラーボックスを用いた治療法は、片手や片脚のみに生じた幻肢痛を治療するのに役立ちましたが、両手や両足など、もっと広い範囲が痛む場合にはどうすればいいのでしょうか。

オリヴァー・サックスは、見てしまう人びと 幻覚の脳科学[Kindle版]の中で、もっと広範囲な幻肢痛に対する治療法として、バーチャルリアリティ(VR)を用いた研究を紹介しています。

ジョナサン・コールらは、幻肢痛を減らすためのバーチャルリアリティ・システムを試していて、同じようなことを観察した。

…被験者の大半は、自分の動きを画面上のアバターの動きと連動させることを学習し、動作の主体である感覚、つまり当事者意識を覚えたので、バーチャルな手足を驚くほどの繊細さで動かす(たとえばバーチャルのテープルに置かれているバーチャルなりんごに手を伸ばしてつかむ)ことができた。

…この、自分が動作の主体であり、意図して行っているという感覚とともに、幻肢痛が軽くなることも多かった。(p337)

ミラーボックスの場合は、健康な方の手足を鏡に映す必要がありましたが、それが無理でも、バーチャルリアリティ(VR)を使えば、仮想空間に入り込み、バーチャルな手足を自分の手足に見立てることができます。

脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によると、ノッティンガム大学のキャサリン・プレストン博士の研究では、VRを用いて、想像上の身体のストレッチをしたところ、手や足や腰に慢性疼痛を抱える人のうち85%で、痛みが半減したそうです。(p55)

日本でも、2016年に東京大学がVRを用いた幻肢痛の治療の成果を発表しています。

バーチャルリアリティを用いた幻肢痛の新しい治療 | UTokyo Research

研究グループは、幻肢をあたかも自らの意思で動かしていると錯覚する仮想現実(バーチャルリアリティ)システムを用いて、幻肢痛が改善されるか否かを検証しました。

この検証に先立って、脳内で幻肢の運動表象が作られる度合いを両手干渉課題と呼ばれる方法により評価しました。

その結果、バーチャルリアリティシステムを用いると、患者さんの幻肢痛が和らぐだけでなく、幻肢の運動表象と痛みの改善には有意な相関関係がみつかりました。

また、オーストラリアの神経科学者G・ロリマー・モーズリーは双眼鏡を用いた実験で「バーチャルボディー」の大きさが痛みの強さと関連していることを発見しました。

興味深いことに、モーズリーらは、手のイメージが拡大されると痛みが増大し、縮小されると減退することを発見した。

…この注目すべき実験も、痛みの経験が痛覚受容体からの感覚入力のみによって引き起こされるのではなく、身体イメージにも影響されることを示している。

双眼鏡を逆側から覗くことで、視覚入力が縮小されたために、苦痛が「より小さな領域」から生じていると判断すると、脳は「ダメージも小さい」と結論づける。(p53-54)

不思議なことに、自分の身体が大きく見える場合は、痛みは増大し、小さく見えるときには痛みは減少しました。

これは、「バーチャルボディー」が、視覚によって補正されるというここまで見てきた理解と一致します。そらに、視覚的な補正が、痛みなどの感覚まで影響を与えることを示しています。

解離性障害のような、「バーチャルボディー」が稀薄な人は、自尊心が低く、自己イメージがいわば「小さい」と同時に、痛みなどの感覚が麻痺して感じにくい傾向がありますが、両者は、おそらく互いに関連しているのでしょう。

逆に、境界性パーソナリティ障害のような、我が強すぎて、自己イメージが「大きすぎる」人が、痛みなどの刺激に過度に敏感なのも、「バーチャルボディー」の大きさと痛みの強さの相関関係を示唆しているように思えます。

いずれにせよ明らかなのは、視覚的な身体イメージのリアルタイムの変化によって、痛みの経験が緩和し得るということだ。

この事実は、身体の痛みという感覚の形成が流動的なものであり、視覚入力に基づいてつねに作り変えられていることを、そして、身体の視覚イメージの変更によって、痛みの神経回路を変えられることをわたしたちに思い出させてくれる。(p55-56)

視覚化によって「バーチャルボディー」を小さくできれば、痛みも和らぐかもしれない、というこれらの研究は、近年、Oculus RiftやVIVEのような、ゲーム用途以外にも活用できるVR機器が数多く発売されてきているので、今後さらに進展していくことでしょう。

脳科学は「内なる地図」の障害を明らかにした

この記事では、「鏡が怖い」という不可思議な現象から出発して、解離性障害とバーチャルボディーをめぐる長い旅をたどってきました。

「バーチャルボディー」という、わたしたちの内なる地図の発見は、これまで理解が困難で、単なる心の問題や気にしすぎとみなされてきた幻肢痛、神経障害性疼痛、拒食症、解離性障害、体外離脱体験などの奇妙な現象について、ようやく理解の手がかりを与えてくれました。

見てしまう人びと 幻覚の脳科学で、オリヴァー・サックスは、そのことを感慨深げにこう綴っています。

1990年より前、幻肢差の他の身体イメージ障害の分野は、患者の説明と行動から現象学的研究するしかなかった。そのような疾患はしばしばヒステリーや過剰な想像のせいにされていたが、精密な脳画像診断の開発により、そのような奇妙な体験の根底にある脳内(とくに頭頂葉の各領域)の生理学的変化が示されるようになって、事情が変わった。

この技術とラマチャンドランのミラーボックスのような巧妙な実験のおかげで、身体性の行為主体性の、そして自己の神経基盤がはっきり見えてきて、純粋に臨床的な発想と、ときに純粋な哲学的な概念を、神経科学の領域に持ち込むことができるようになったのだ。(p339)

かつては、「ヒステリーや過剰な想像のせいにされていた」解離症状や実体のない痛みは、脳の「自己の神経基盤」という実体を有する、身体イメージ障害という新たな分野の病気だったのです。

解離性障害の人たちが感じる「鏡に映る自分が誰だかわからない」という奇妙な感覚は、わたしたちの内なる魂とみなされてきた「内なる地図」の障害です。

わたしたちは、幼いころの養育者との触れ合い(アタッチメント)を通して、内なる地図のマッピングの仕方を学びます。

未知なる世界に旅立つ人たちは、広い大地を冒険するために、まず地図の描き方を学ばねばなりません。

母親が赤ちゃんを優しく抱くとき、親は子どもに、人生の旅路における地図の描き方を教えているのです。

不幸にして幼いころに愛着を育めなかった人たちが、鏡の中の自分を認識できないということは、自分がこの世界の中のどこにいるかがわからない状態、つまり内なる地図がないために、居場所がわからなくなった状態です。

そのような場合、もはや地図の描き方を教えてくれる親はいないので、自分で、地図の描き方を学んでいくしかありません。

それこそが、この記事で見てきた鏡を使ったエクササイズであり、自分の中に収まっていることを学ぶヨーガやマインドフルネスなのでしょう。

今はまだ、研究が始まったばかりですが、今後、脳科学者や神経科学者たちを通して、次々に新しい事実が明らかになり、身体イメージ障害における、内なる地図を作り直していく治療法が発見されていくのを期待を込めて見守りたいと思います。

友田明美先生のTED「愛着―親と子のためのガイド」視聴メモ

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どものの愛着障害や虐待の専門家である、福井大学の友田明美先生によるTEDが昨2016年末に公開されていました。長さは14分半ほどで、日本語で話されています。

以下は動画の解説文の日本語訳です。

友田明美さんは、虐待を受けた子供の小児科医であり、虐待された子供の脳機能への影響を研究する研究者です。

乳児の脳は、愛着の影響を強く受けています。したがって、乳幼児の愛着の絆が子供に与えられない場合、子供は十分な構造、認識、理解、安全性、相互協調が困難になります。

彼女は虐待を受けている子供と介護者の両方を救うために、愛情のこもったアイデアを共有しています。

友田明美は、虐待を受けた子供のために働く小児科医です。彼女は、小児期の困難な経験が脳に与える影響の研究者でもあります。

彼女は研修医だったとき、3歳の虐待を受けた少女の死に直面しました。この経験から、彼女は虐待された子供の脳機能への影響を研究するために米国に行きました。

彼女は自分の治療結果だけでなく、社会への虐待の事実を明らかにするために、自分の研究成果を活用してきました。彼女の意見では、子供だけでなく世話する人も救われなければならない。それはこの問題を解決へ導きます。

このような観点から、彼女は様々な専門家と協力して研究範囲を広げています。福井大学病院の小児心身医学科長として、子供の心の問題を解決し、心の発達をサポートするために努力しています。

以下は動画の内容のメモです。

■愛着(attachment)の大切さ
安定した愛着は触れ合い、見つめ合い、微笑みによって育まれる。親は子どもにとっての安全基地となる。不安定な愛着になると発達が止まっていまい、視線も合わなくなるが、不適切な養育から引き離すことで回復する。

■愛着障害の特徴
家庭での暴言、厳しい長期的な体罰などにさらされると、子どもは親と離れても悲しまず、再会しても喜ばなくなる。内向きに症状が出ると他人に無関心で用心深く、イライラしやすくなる。外向きに症状が出ると、多動や落ち着きのなさが現れ、人間関係のトラブルが絶えない。愛着障害は養護施設や自立支援施設、里親のもとに養子になったの子どもの40%に見られる。

■愛着障害がもたらす影響
本人だけでなく家族もうつ病、依存症、PTSD、統合失調症、人格障害などの問題を抱える。虐待の結果はいじめの増加や医療費の高騰となって社会にも影響する。1年間で1兆6000億円の損失と試算。肺がんや心疾患のリスクが3倍に。寿命が20年も縮まる。虐待は脳の扁桃体を異常に興奮させ、副腎皮質から大量のストレスホルモンを分泌され、脳の発達が遅れる。

■虐待児の脳機能についての研究
研修医のとき、救急外来に両親から虐待を受け、脳内出血で3歳の男の子が運ばれてきた。全身にはタバコの火傷の痕があった。3日間なんとか助けようと努力したが亡くなった。にわかには理解しがたく、この問題をなんとかしようと研究を始めた。

アメリカのボストン大学へ留学し、長期的な体罰では、自分をコントロールするために前頭葉が小さくなる、暴言虐待では聴覚野が変形して音や会話に障害が出る、DVを目撃すると視覚野が小さくなり、表情を読み取れなくなる、ことを知った。こうした変化は外部からの情報量を減らすための脳の防衛反応として起こる。

愛着障害の子どもは、お金というご褒美に脳が反応しない。褒める言葉が響かず、自己肯定感を向上させられない。1歳ごろに虐待を受けると、ご褒美への脳活動がもっとも低下する。早い時期の虐待防止が重要。

■虐待を防ぐ社会のシステム
虐待を受けると、大人になって歩が子に虐待やネグレクトを繰り返し、連鎖しやすい。「おせっかい」は子どもを救う。子育て困難になっている人に無関心にならない。子どもを社会で育てる、と考えて、近くの子どもにも愛情ある言葉かけをする。子育て困難な親によりそい、他機関につなぐ。

どうすれば上手におせっかいを焼けるのか、学校、法律、施設、警察、研究、医療、地域社会との連携に取り組んでいる。「虐待をしなければ子育て困難でもいい」とは言えない。子どもがより小さい時期にお金をかけ社会的投資するほうが見返りが大きい。犯罪の刑罰や医療よりも、養育者支援にお金をかけたほうが効果が高い。

■命がけのゆりかご
中国四川大地震の2008年5月21日のニュース。捜索隊が瓦礫のなかで、生まれたばかりの赤ちゃんを抱くお母さんがよつん這いになって息絶えているのを見つけた。赤ちゃんは奇跡的に生きていて、携帯には「もしあなたが生き延びたら、私が愛していたことを忘れないで」というメッセージが残されていた。本来、親は自分の体をはってでも、我が子の命を守ろうとするもの。

「愛したこと忘れないで」、男児守り死亡の母、携帯に遺書 5月20日10時15分配信 産経新聞 (※元記事消失のため、Yahoo!ニュースのインターネットアーカイブへのリンク)

 【成都(中国四川省)=福島香織】「お母さんのことを忘れないで」。身をていして赤ちゃんを守り、冷たくなった母親の手にあった携帯電話には、最後の力を振り絞った1行の遺書が残されていた。20日の国営新華社通信が報じた。

ママの最後のメッセージ 、「いつまでもあなたを愛している」│CRI (※こちらも元記事が残っていないためインターネットアーカイブへのリンク)

 その後、医者が布団を開けて赤ちゃんの身体検査をしようとしましたが、何と布団の中から一つの携帯電話が落ちてきました。携帯電話には一通のメールが残されていました。それは、息を引き取る前に、このお母さんが子供に残した最後のメッセージだったのです。 

 このメッセージには「わがかわいい子よ、もしあなたが生きられるのなら、ママを忘れないで。ママはいつまでもあなたを愛しているのよ」と書かれていました。これを見た医者は、「私はこれまで多くの死者を見てきたが、こんなことは初めてだ」と涙を流していました。この携帯電話は次々と救援隊員に回され、彼らはあふれ出る涙を抑え切れませんでした。

友田先生の研究と著作については、このブログの過去記事で詳しく紹介しています。

だれも知らなかった「いやされない傷 児童虐待と傷ついていく脳」(2011年新版)
子どもの虐待は、近年注目を浴びるようになって来ました。しかし、虐待が脳という“器質”にいやされない傷を残すことを知っている人はどれだけいるでしょうか。友田明美先生の著書「いやされな
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