子どものころからCFSを患っておられる、御田村陽子さんという方による、「CFSがわたしに与えたもの」という手記を見つけたので読んでみました。
Sunnyshadeさんがリンクを貼っておられたのをたどって見つけたのですが、米患者会The CFIDS Association of Americaの2009年のアーカイブ資料なのかな?と思います。
手記では、特にCCFSに言及されているわけではありませんが、発症した年齢や経緯からすると、CCFSの経験談といっても差し支えなさそうです。
以前のある小児慢性疲労症候群(CCFS)の回復例とは違って、回復していない話です。しかし読んでいてわたし自身思い出すことが多くて、感想を書いておきたいと思いました。
きっかけは慢性的な睡眠不足
この方は、中学生のときCFSを発症されていますが、それに先立って、部活の朝の練習・放課後の練習という多忙のため、2-3時間しか寝ないことが続いていたそうです。
その結果、頭が混乱し始め、朝起きられなくなり、ある日突然激しい頭痛に見舞われ、ついにCFSになりました。
吐き気、微熱、リンパ節の腫れ、座っていられないほどの疲労が押し寄せ、授業が頭に入らなくなったそうです。さらに昼夜逆転の睡眠障害に陥り、朝起きられず、夜眠れなくなりました。
学校に行きたいのに、「不登校」になり、精神的に追い詰められたと書かれています。
子どもの慢性疲労症候群の研究では、CCFSには3つの共通するバックグラウンドがあると言われています。
「夜型生活による日常的睡眠不足状態」
「情報量の多さに伴う競争社会でのがんばり」
「偏差値知育教育の元での自己抑制的よい子の生活」です。
要するに、意欲的に勉強や部活に取り組んだり、緊張を強いられる学校生活を送ったりして、睡眠時間を削って没頭する生活の果てに、CFSを発症するということです。
特に慢性的な睡眠不足症候群(BIISS)から一転して昼夜逆転を伴う過眠、睡眠相後退症候群(DSPS)に陥ることが特徴とされています。
夜眠れず朝起きられない「睡眠相後退症候群(DSPS)」にどう対処するか(1)DSPSとは |
この方の経験談もそのとおりの経過だと思いました。わたしも、1年半ほど睡眠をひどく削る生活を送ったあと、突然、体調がバラバラになり、睡眠時間がずれていく過眠に陥りました。
「不登校」になった気持ち
CCFSは、発症後の軽い段階で、すぐ休めば回復しやすいそうです。
しかし、この方の場合もわたしの場合も、学校に通い続けようと必死に努力しました。経験談に書かれているように、学校に行けない、というのは、ひどく心に責められることだからです。
不登校になった私は、毎日が苦しい思いで一杯でした。学校に行きたくないわけではないのに、学校に行けない…。
学校に行っていないという事実が自分自身を責めることになり、親を失望させることにもなりました。なぜ私の身体は言うことを聞いてくれないのだろう、と悩みました。
その無理を重ねたことが病気を決定づける最後のひと押しになりました。
わたしの友人には、成人になってからCFSになった方が多くいます。多くの点で、共感しあうことができ、みんな大切な友人です。
けれども、大人になってからCFSになった人には、CFSのせいで不登校になった心の傷は、決してわからないと思います。
わたしがCFSであるにもかかわらず、手間をかけてこんなブログを書いているのは、書いても書いても覆われない、癒されない、心の傷があるからです。
わたしは、不登校になってから、毎日毎日、眠りにつくたびに、身体が石のように固縮して学校に行けなくなるおぞましい夢を繰り返し見ました。それはPTSDのようなものでした。
子どものころCFSになるのはそれほどショックなできごとです。
医者の無理解
子どものCFSは大人以上に医者の無理解に直面します。子どもが学校に行かないのは「怠け」であり、「病気」ではないと思われているからです。
経験談によると「異常はない」「精神的なもの」「自律神経失調症」と言われていたことが書かれています。身体の苦痛を訴えているのに、カウンセリングに回されるのは、暗に「気持ちの持ちよう」と言われているようなもので、ひどい話です。
今の時代であれば、こうした症状は起立性調節障害(OD)として治療されるのかもしれません。しかし、ここまでひどい場合、ODという病名では言葉足らずだと思います。
確かに症状のひとつとして起立性頻脈や起立性低血圧が出るのでODという診断は間違っていないのですが、思春期を過ぎても治るとは限らず、もっと長きにわたって苦しめられるほど傷が深刻なので、CFSと呼ばれるほうがしっくりきます。
ODに比べて、子どものCFSの理解がいまだに浸透していないのは、とても残念なことです。
家族、学校、職場などからCFSについて正しく理解してもらえることは稀であり、怠けているのではないか、とか心の持ちようで良くなるものではないのか、と思われることが多いのです。そのことでCFS患者の苦痛が更に増大している現実があります。
個人で努力するにしても、患者会の援助を受けるにしても、周りの理解を得ようとするのは、CFS患者が生きていく上で大切なことだと思いました。
「CFSがわたしに与えたもの」
この手記は、表題「CFSがわたしに与えたもの」に即して、積極的な言葉で結ばれています。
この19年の間に病気のために多くのものを失いましたが、病気になったことで逆に人生を見つめなおすことが出来たともいえます。
人の痛みを感じることが出来るようになり、その結果、人を思いやれる力を以前より身につけることが出来たように感じます。これは私にとって、とても大きな人生の財産になりました。
わたしも似たようなエントリを書いたことがありました。
今日は素直な気持ちを書いてみたい―不登校と慢性疲労症候群の経験談 |
でも、わたしはまだ、明るい言葉で結べるほど大人ではありません。自分がなぜ生きているのか分からないまま生きています。この手記の次の言葉にむしろ共感します。
CFSを発症したことによって自分が出来なくなったことや失ったものの大きさから不安で一杯になり、うつ状態になる時も度々やって来ます。
わたしのCFSは良くなってきたと思いますが、元気になったところで、失った何かが戻ってくるというのでしょうか。周りの人たちが当然持っている知識や経験を持たないまま社会に出るという場違いな日々が待っているだけではないでしょうか。
わたしはまだ、この手記を書かれた方の半分ほどの歳月しかCFSと闘っていません。「CFSは私自身の一部になりつつあり、私はそれでいいのだと思えるようになった」という段階に至るには、まだ時間がかかるのかもしれません。
手記はこんなメッセージで終わっています。このアドバイスは、今のわたしに特に必要なものだと思いました。
自分自身にいつも語りかけています。「自分が今日出来ることをすればいいし、出来ないのなら無理をする必要はない」と。
ですから今、同じようにCFSで苦しんでいる人たちにも、決して絶望しないでほしいと願っています。過去の私のように自らの死を考えてしまうこともあるかもしれませんが、その時はただ、何もしないでいてほしいのです。
嵐の時はじっとそれが通り過ぎるのを待っていて下さい。いつか、少しずつでも生きている喜びを感じられる日がやって来ると私は信じています。