起立性調節障害を経験され、定時制・通信制課程に通う西坂あかりさんのスピーチについて掲載されていました。ニュースでは一部分だけが抜粋されていますが、考えさせられる内容だと思います。
定時制の出会い伝える 最優秀賞の鳥羽高生:朝日新聞デジタル |
理解してもらう嬉しさ
西坂さんは中学校のとき、起立性調節障害(OD)になって学校に行けなくなり、夕方から登校できる定時制の学校に通うことになりました。「君たちは重い荷物を背負ってここまで来たんや」と言われたことについてこう述べています。
その言葉は、人並みの人生を送らなければ普通じゃないと考えていた私にとって、初めて人と違うことを当たり前に認めてもらえたように響きました
学生のときに病気になると、自分の意に反して、みんなと同じレールを歩むことができなくなります。みんなと同じでありたいという思いが強い若い人にとっては辛いできごとです。
わたしも、思い返してみると、CFSになったことより、CFSになって学校に行けなくなったことのほうがよほど辛かったことに気づきます。
みんなと同じじゃなくてもいいじゃない、きみはきみのままでいいんだよ、と言って理解を示してもらえるなら、肩の荷がすっと軽くなります。わたしはいまだにこの言葉を必要としています。
以前の経験談にもあったように、理解を示してもらうことは、再び自分の足で立ち上がり、立ち直るきっかけになります。
理解することの難しさ
西坂さんは、高校生活を楽しみ、夢である看護師に向けて努力できるようになりましたが、福祉ボランティアで知的障害者施設に通った時にはこう思ったといいます。
(つらい経験をした自分は)世の中が分かったような気でいました。それで何かを得たような気でいました。しかし、それは大きな間違いだったと気がつきました
わたしも病気になって数年後、ひとたび立ち直ったあとは、苦しい人の気持ちをわかってあげられるようになった、と自負していたころがありました。
CFSの苦しさも、大変さも、対処法も、これから生きていく方法も、すべて分かったような気がして。しかしそれは大きな間違いでした。
まさかこれほど道に迷って方向もわからなくなり、悩みが深くなる時期がいずれ来ようなどとは想像もつきませんでした。つくづく狭い視野で物事を考えていたと思います。
だれかに理解を示してもらって、自分の足で立ち上がったなら、こんどはより大きな難題に自分で立ち向かわねばなりません。
起立性調節障害と違って、CFSは、多分そう簡単には治らないので、悩みは混迷する一方だと思いますが、いつか空が見えるまで、地道に歩いて行こうと思います。