獨協医科大学 こころの診療科の井原裕教授(@cotondays1997)のセミナー「病院へ行く前に~生活習慣病としてのうつ病」について、ヨミドクターで連載されています。井原先生は、不登校を概日リズム睡眠障害の観点から治療している医師の一人です。
一連の記事には、このブログで繰り返し取り上げてきた、日本社会の睡眠の問題について書かれています。何回続くかよく分からないのですが、そろそろ終わりだと思うので、参考になった点をこのエントリにまとめておこうと思います。
特に井原先生が「幻想」と呼んでいる、日本で長らく信じられてきた睡眠に関する6つの幻想に着目します。
(1)睡眠は心身のメンテナンス (2)はつらつと働くために (3)24時間のリズムが大切 (4)7時間睡眠、本当に無理ですか (5)薬よりも、まず生活の見直しを |
睡眠に関しては、幻想が多すぎる
このブログでも繰り返し取り上げてきた点ですが、日本人の睡眠に関する生活習慣は異常ともいえる域に達しています。現代社会の諸問題の多くは慢性的な睡眠不足と深く関わっています。それは井原先生が言及しているうつ病も例外ではありません。
井原先生は、「睡眠に関しては、幻想が多すぎます、一般の人たちに信じられていることには嘘が多すぎる」と述べています。それらを以下の6つの点にまとめてみました。
1.ナポレオン三段論法
「1.ナポレオンは3時間しか寝なかった」
「2.ナポレオンは英雄だ、おれも英雄になりたいよ」
「3.だから3時間しか寝ないぞ」 (第一回)
ナポレオンは、短時間睡眠について論じる人たちの引っ張りだこです。しかし実際には普段はもっと寝ていて、いざ戦いになったら、3時間でも大丈夫なほど準備ができていたということだそうです。
たちの悪いことに、「医者こそがナポレオン幻想の虜になっている」と書かれています。医者の不養生、紺屋の白袴という言葉がありますが、生活指導をすべき医者でさえ睡眠の大切さに留意していないので、患者に安易な薬物処方しかできないのです。
日本社会では、世界の他のどんな国よりナポレオン三段論法があがめられているので、睡眠時間の短縮は異常です。井原先生はこう述べています。
各国の1日の睡眠時間で、OECDのデータを見ると、フランスがずば抜けて長く、アメリカも非常に長いです。
最下位争いをしているのは日本と韓国。フランスは長すぎますが、日本と韓国は短すぎます。
更に言えば、悲しいことに、最近ますます減ってきている。有業者の睡眠時間の推移を見ると、1976年から2006年までのデータで、男女ともどんどん短くなっています。 (第三回)
睡眠時間が短くなると、ストレスに対処する体のシステムが失調をきたします。「睡眠を短くすればするほど、ますますうつになる」、「短時間睡眠は死にやすくなる」とさえ書かれています。
日本の睡眠に関する環境の異常さについては以下のエントリにまとめています。はっきり書かないと伝わらないと思い、多少物々しい書き方をしていますが、ベースになっている資料は、多数の書籍から引用したものです。
社会的虐待として考える小児慢性疲労症候群(4) |
2.長時間睡眠は無能
睡眠が9-10時間になると、眠りの質が低下していることが分かっています。7時間より長くても短くても、寿命が縮むので、眠り過ぎはよくありません。
しかし、アインシュタインのように、長時間睡眠の有名人は大勢いるので、長時間睡眠が無能の証拠であるはずはありません。
忙しい現代社会では短時間睡眠を身につけないと勝ち抜けない、という人はいるでしょう。そのような人に対してはこう書かれています。
4時間睡眠だ、という人に聞きたいですが、残りの20時間を有効に使っていますか? 4時間しか寝ない人は、ぼんやりしている時間が長いんですね。睡眠を削って得られるのはぼんやりした時間だけです。
受験生は昔、「4当5落」と間違ったことを言われました。受験生は「勉強しなくちゃ」というあせりがあるから睡眠を削りますが、削った結果、ボーっとしてたり、しかたないからゲームでもやるか、とか、こんなことでは睡眠時間を削った意味がありませんね。 (第四回)
3.睡眠は休息である
井原先生は、「医学的に見て睡眠は休息ではありません。…人体という工場の中でモノを作る作業は、夜、行われているわけです」と述べています。(第一回)
先日紹介した本 「夜ふかし」の脳科学―子どもの心と体を壊すものにも詳しく書かれていましたが、睡眠は休息ではありません。1930年代、ウィーンのフォン・エコモノ博士が、眠りは睡眠中枢によって促される脳の能動的な活動であることを発見したのです。(p16)
この書籍の著者である神山潤先生は、ご自身のスライドで、ある新聞社の広告を紹介し、「なんという傲慢!」とコメントしておられました。その広告にはこう書かれていました。
「いつ休むのかって? 地球が止まったらね」。
睡眠が能動的な活動という観点からすると、睡眠を疎かにしている人は、休みを控えている勤勉な人ではなありません。それどころか、やるべき活動を後回しにしている怠慢な人、といえるのではないでしょうか。発想の転換が必要です。
4.酒を飲むとよく眠れる
お酒を睡眠薬代わりに飲むと、深い眠りが減るだけでなく、アルコールの血中濃度が下がると目が覚めてしまうため短い睡眠に終わってしまうと書かれています。
井原先生の話の中には、酒飲み=豪傑という幻想を抱えていて、「若い頃はもっと飲んでいた。飲むのも仕事だ」と言い張る人まで登場します。(第二回)
5.休日に寝溜めすればいい
睡眠負債という言葉がよく用いられますが、睡眠はお金と同様に、不足分を休日寝溜めして返せばよい、というものではありません。
最近読んだ本「快眠のための朝の習慣・夜の習慣」には1964年、17歳の男子高校生ランディー・ガードナーが達成した記録について書かれています。
彼は11日間徹夜しましたが、その後、11日間眠ったわけではありませんでした。睡眠時間は単なる貸し借りではありません。(この記録は健康に害を及ぼすとしてギネスから削除されています)
井原先生は、もし平日は6時半に起き、休日は10時まで寝ているとすれば、あたかも時差のある国を旅行しているようなものだと述べています。
週末はインドで生活していて、月曜日の朝、カルカッタ発成田行きの飛行機に乗って成田から直接会社に行く、そういう感じです。 (第二回)
こういう状態だとストレスへの対応力が低下し、会社に行って上司の小言がすごくいやなことに聞こえてしまったりします。
…だから平日と休日の起床間差は2時間以内にしてほしい。(第四回)
これが常態化すれば、「夜ふかし」の脳科学―子どもの心と体を壊すものの中で慢性疲労症候群(CFS)の一因ではないかと指摘されている慢性的な時差ぼけ、すなわち内的脱同調に陥る可能性があるかもしれません。
慢性的な時差ぼけと慢性疲労症候群の関係については以下のエントリを参照してください。
子どもを襲う未曾有の危機 『「夜ふかし」の脳科学―子どもの心と体を壊すもの』 |
6.うつ病は抗うつ薬で治す
井原先生は、抗うつ薬を処方するだけの医療に異議を唱えていますが、次のようなデータを引き合いに出しています。
抗うつ薬は、重症例を除けばその効果はプラセボと大差ない、というデータが2008年と2010年に出ました。
非常にショッキングなデータでした。抗うつ薬を飲むことに意味があるのは、重症のうつ病患者だけです。軽症のうつ病の方、まして悩める健康人に、抗うつ薬を飲むことに積極的な意味はありません。
抗うつ薬は、うどん粉を固めたようなプラセボと効果は同じだというデータが出ているのです。 (第五回)
プラセボ効果については最近、以下の記事が話題になっていました。
プラシーボ効果についての10のクレイジーな事実 : カラパイア |
抗うつ薬はひたすら乱用されていますが、ほとんどの場合、益があるどころか有害だと言われています。そして抗うつ薬を大量に処方する多剤処方、いわゆる薬漬けは、まったく非科学的な人体実験です。
抗うつ薬は、たとえ使うとしても、本来は一種類、そして少量からの処方が基本とされているようです。慢性疲労症候群で、睡眠や痛みの改善のために用いられる場合でも、非常に僅かな量です。
軽度のうつは、むしろ睡眠などの生活習慣を見直すほうがよいのです。
以上、井原先生の記事から、睡眠に関する6つの幻想、すなわち「ナポレオン三段論法」「長時間睡眠は無能」「睡眠は休息である」「酒を飲むとよく眠れる」「休日に寝溜めすればいい」「うつ病は抗うつ薬で治す」について、まとめてみました。
慢性疲労症候群の治療においても、睡眠の役割は非常に大切だと言われています。睡眠に関して広く信じられている幻想に惑わされず、正しい治療に取り組みたいと思いました。