そこにあるのは大半の人が自分の記憶力を信じていない世界だ。記憶に頼らずにすむ近道を見つけ、記憶力に対して延々と不満を言い続け、ちょっと物忘れをしただけで、記憶など何の役にも立たないかのような見方をする。
かつてはあれほど必要とされていた記憶が、どうしてここまで虐げられてしまったのだろう。なぜ記憶術が消えてしまったのだろうか。どうして私たちの文明は憶える方法を忘れてしまったのだろう。 (p168)
このブログでは、個人的な興味として、「記憶」に関係するツールをいろいろ取り上げてきました。マインドマップは記憶を効率化するノート術ですし、Evernoteは外部記憶の代表格です。サヴァン症候群のような驚異的な記憶力の持ち主についても書きました。
わたしは昔から記憶するのが好きです。だからこそ、以前のエントリに書いたように忘却を気にしています。病気になってからは、記憶術も素人なりにいろいろと実践してきました。
達人たちはどのようなテクニックを用いて、記憶を確かなものとしているのでしょうか。はたしてそれは実用的なのでしょうか。わざわざ記憶しなくても、Googleで検索できる今の時代に、記憶術はほんとうに必要なのでしょうか。
記憶に関するさまざまなトピックスが凝縮されたとても楽しい本ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由を紹介します。
これはどんな本?
この本はジャーナリストのジョシュア・フォアが、記憶力に興味をいだき、まったくの素人の状態から、全米記憶力チャンピオンまで上り詰めた一年間の記録です。
彼はナショナルジオグラフィックやニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストに記事を書く敏腕ジャーナリストですが、別段記憶力が優れているわけではありません。人の名前もパスワードも電話番号も、書き留めておかないとすぐに忘れてしまいます。(p15)
そんな彼が、世界で最も頭の良い人物を調べようとして興味を持ったのが、1991年にトニー・ブザンが創設した世界記憶力選手権です。
古典的な記憶術を復興する運動の「教祖」であるトニー・ブザンに胡散臭さを感じながらも、彼は、イギリスの若き記憶力のグランドマスター、エド・クックや、「一万時間の法則」で有名な熟達化研究の第一人者K・アンダース・エリクソンに師事し、記憶術を学びます。
この本は、記憶術の歴史をおおまかに学ぶことができる面白い本です。記憶術の存在すら知らなかった人が、どのようにして記憶術を学んだか、記憶術の使い方、学び方の実例を見ることができます。トニー・ブザンやEP、キム・ピークなど、記憶力に関係する著名人の素顔を知ることもできます。
記憶術そのものについては、古典的な「ヘレンニウスへ」が勧められていますが、邦訳はなさそうなので、とりあえず、ごく簡単な入門編としてわかりやすい以下の書籍をお勧めします。
どうやって憶えるの?
世界記憶力選手権に出る“知的競技者”たちは凄まじい速度で様々なことを記憶します。種目の中には、トランプを憶えるといった、ふだんあまり役に立たなさそうなものから、詩を憶える、顔と名前を憶える、人々の自己紹介をできるだけ憶えるといった実用的なものもあります。
その秘訣は?
当時のチャンピオン、ベン・プリドモアはこう言いました。
テクニック、それと、記憶力が発揮される仕組みを理解すること。それだけなんだ。誰だってできる。本当だよ (p17)
そもそも、重要なのは、憶えられるかどうか、ではありません。特に努力しなくても、人は見たものをほとんど憶えているからです。
ある有名な実験があります。ごく普通の人に、各0.5秒のスピードで何十枚もの写真を見せます。30分後に、見た写真と見ていない写真を混ぜこぜにして、さっき見た写真はどちらか尋ねると、なんとすべて正解できるのです。
この実験はいつでもだれでも再現可能です。写真を1万枚に増やしても80%憶えているそうです。ジョシュア・フォアは、わたしたちの「最大の物忘れは、私たちはごくまれにしか忘れない、ということを忘れていることである」と述べています。(p38-40)
問題は憶えることではなく、思い出すこと、つまり想起がうまくいかないことにあるのです。
どうやって思い出すの?
記憶を思い出しやすくするにはちょっとしたコツがあります。世の中にはいろいろな記憶術がありますが、大半は以下の3つの方法が関係しています。
1つ目「チャンキング」
マジカルナンバー7±2という有名な言葉のとおり、わたしたちは7つほどのことしか一度に処理できません。多くのことを記憶にとどめるには、まず、憶えにくい塊を、自分が憶えやすい要素に分割する必要があります。(p79-80)
ex) 「あかくそまるまるでゆうぐれのようななつかしいいろづかい」と書かれるより「あかく そまる まるで ゆうぐれのような なつかしい いろづかい」と細かく分けて書かれていたほうが意味をつかみ、憶えやすくなります。191420131945という数字であれば、2つの世界大戦の年の間に今年の数字があると考えれば憶えられます。
この記事のタイトルである「3つのステップ」や、仏教の「四諦・八正道」などもこれと同じ考え方です。長く大きいものは分割すれば記憶に残りやすいのです。
2つ目「入念な符号化」
有名な偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活 (岩波現代文庫)に登場するSは、共感覚によってあらゆることをとっさに憶えていました。
彼は「赤」と聞くと、赤いシャツを着た男性が来る様子が思い浮かび、「1」と聞くと、勝気でしっかりとした体つきの男性が思い浮かんだといいます。
わたしたちが記憶を思い出しやすくするには、Sが直感的に行なっているイメージ変換を、意識的に行えばよいわけです。本書で記憶力の若きグランドマスター、エド・クックはこう述べています。
たいていの記憶テクニックは、大雑把に言ってしまえば、「凡庸な事柄を、鮮やかで面白く、今までに見たことがない、それゆえに忘れにくいものに変化させて記憶に埋め込む」という考え方に基づいているんだ (p116)
世界記憶力選手権を創設したトニー・ブザンもこう述べています。
世界記憶力選手権は、記憶力というよりも創造性を測る選手権だ。 (p127)
ex) ジョシュア・フォアの名前を憶えるなら、記憶の研究をしているマッド・サイエンティストのもとで「4つ子(フォー)」の「助手(ジョシュ)」がドタバタと走り回っている様子を思い描くのはどうでしょうか。
「入念な符号化」は、はるか昔から行われてきたといいます。例えば、ホメロスの有名な叙情詩「イリアス」と「オデッセイア」では、異様に繰り返される形容詞が目立ちます。吟遊詩人たちは、思い出すために、具体的なイメージを思い描いていたのです。(p160)
3つ目「場所法」
“知的競技者”たちの脳をfMRIで調べると、彼らは記憶しているとき、普通の人と異なる部位を使っていました。それは、ロンドンのタクシー運転手と同じ部位、視覚と空間に関わる部分でした。
符号化と並ぶ、記憶術のもう一つの根幹は「場所法」です。符号化によって思い出しやすくしても、憶えた量が多くなってくると、順番がわからなくなったり、いくつ憶えたか忘れて想起に漏れが生じるようになるからです。
「場所法」は別名「記憶の宮殿」と呼ばれています。こう説明されています。
「記憶の宮殿」と言っても宮殿でなくてもいいし、建物である必要もない。Sのように街の通りを思い浮かべてもいいし、ある路線の駅や十二宮、架空の生物でも構わない。
小さくても大きくても、屋外でも屋内でも、現実にあるものでも想像上のものでも、とにかくある場所から次の場所へ移る際の順番がわかりやすく、想像しやすいものであれば何でもいいのだ。(p123)
順番が分かればよいので、数字を手がかりとして用いるナンバーシェイプ、ナンバーライムや、アルファベットを手がかりとする折り句(アクロスティック)を用いる人もいます。駅名や、子どものころに遊んだゲームの街を「記憶の宮殿」として使う人もいるかもしれません。
もし本格的に場所法に取り組みたいなら、10個程度の建物のイメージを集め、その中をどのようにして歩き回るか決めておくことが必要だと書かれています。“知的競技者”たちは100個もの記憶の宮殿を持っているそうです。(p136)
ex) カレールーとじゃがいもと人参と玉葱、etc…を買いに行くとします。量が多くて憶えられないなら、それらを自分の家のイメージに配置します。
カレールーがパソコンの画面にべっとり塗られているところを想像し、その香りも嗅ぎます。家族のブロマイド写真の顔をじゃがいもに置き換えましょう。傘立てには人参を刺します。床一面にみじん切りにした玉葱をばらまいて涙が止まりません。
わたしたちは、家の間取りを間違えることはありえません。その素晴らしい空間記憶を利用して、符号化したイメージを「記憶の宮殿」に配置しておけば、あとでその場所を頭の中で歩きまわるだけで漏れなく思い出せるのです。
場所法はギリシャのシモニデスが編み出したというストーリーが半ば神話的に語られていますが、アボリジニなどの語り部も、地元の場所と結びつけて膨大な歴史を憶えているそうです。(p9,19,119,123)
憶えにくいものを憶えるには?
以上の3つのテクニックを使っても、「憐れみ」「正義」のような抽象的な考えや、詩歌、散文などの文章を憶えるのは特に難しいと嘆かれています。(p136-169)
憶えるには、感情や行動のまとまりに分割して共感するよう訓練する「メソッド・アクティング」という情緒的な方法か、あらゆる数字や言葉を突拍子もないイメージに変換できるシステム「Person-Action-Object(PAO)」が役立つかもしれません。 (p189,205)
しかしPAOはときにひどく下品なイメージになるので、知的競技者を目ざさないなら、しっかり意識して登場人物の感情や場面を思い巡らしたり、歌に載せて憶えたりといった方法が妥当だと思います。(p161,332)
またマインドマップも効果的です。トニー・ブザンは、「記憶の宮殿」のペーパー版として、さまざまな言葉を紙面上の「場所」に配置できるマインドマップを開発したからです。マインドマップは汎用性があるため、日常生活の中で記憶術を役立てるすばらしいツールです。(p252)
なぜ憶える必要があるの?
それにしても、スマートフォンなどによって簡単にあらゆることを外部記憶に委託できる今日、憶えることは、はたして必要なのでしょうか。
本書でもライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! (ハヤカワ新書juice)を書いたMicrosoftのゴードン・ベルが登場します。彼は周囲のあらゆることをコンピュータに記録しています。
かつて、文字のない時代や、書き物が希少な時代には、記憶は神聖なものであり、記憶術は博識者の必須スキルでした。
しかし聖書の登場とともに、正確に記録する必要が生じたため、巻き物が量産されました。知識を広めるために冊子本が登場し、グーテンベルクが活版印刷を発明しました。13世紀には聖書コンコーダンス(索引)や章分けの概念が現れ、本は検索能力まで備えました。(p178-180)
今日、記憶術を学んだところで、もはやGoogleの利便性にはかないません。全米記憶力チャンピオンとなった著者はこう述べています。
パラドクスだ。ちょっとした記憶芸ができるようになったというのに、いまだに車の鍵や車の置き場所を間違える。…作業記憶は、万人を束縛する「マジカルナンバー7」に束縛されたままである。(p330)
では、もはや記憶することは時代遅れなのでしょうか。
いいえ、彼はこう結論しています。
記憶が外在化されている時代に、なぜわざわざ憶えることに投資するのだろう。
それに対する私なりの答えは、はからずもEP[一瞬前のことさえ憶えられない記憶障害を持つ。故人]から教わったものだ。
EPの記憶力は失われ、時間の感覚や場所の感覚がなく、他人と自分を比べることができなかった。
世界をどう認識し、その世界でどうふるまうかは、何をどう記憶したかによって決まるということを、EPが教えてくれた。
…私たちは記憶力を育てていかなくてはならない。記憶が人格を作る。記憶は私たちの価値観の基盤であり、人格の源である。(p333)
大切なのは使い分けることです。ただ参照するだけの多くの雑多な情報は外部脳にまかせておけばいいでしょう。非科学的な詰め込み教育は負担になるだけです。
しかし、人格を養い、人を成長させ、価値観の源となる知識は、外部脳に任せず、自らの心に蓄えておくべきです。ほんとうに重要なものは、自分で消化し、吸収することで初めて、自分の一部となります。記憶術は今の時代にも価値があるのです。
わたしは、病気を発症してから数年間、まったく記憶に自信をなくし、本も読めませんでした。しかし症状が和らいできたとき、友人から記憶力を活用するよう勧められ、おそるおそる脳機能のリハビリを始めました。今では、人並に記憶することを楽しんでいます。記憶は確かにわたしの人生を豊かにしてくれています。
最後に、オランダの詩人、ヤン・ルイケンの言葉を引用して、この書評を締めくくりたいと思います。記憶術の価値を示すすばらしい名言です。
脳に刻み込まれた1冊の本は、書棚にある1000冊分の価値がある