■風呂場で頭を洗っているときに、誰かがいるような気がして不安になる。(p68)
■離れたところから自分の姿を傍観していた。(p40)
■現実との区別がつかないほどリアルな夢を見る。(p63)
■親しく会話できる想像上の友人がいる。(p128)
■「自分がここにいる」という実感がない。(p31)
こうした話を聞くと、オカルトチックに感じる人がいます。一般に幽霊とか、体外離脱といった、オカルトな体験と関連付けられやすい出来事です。
しかし、医学の世界では、これらの原因が、「解離」という脳の働きにあることが明らかになっています。特に珍しい体験でもなく、精神科の医師は、繰り返しこれらの問題を見聞きし、治療にあたっているといいます。そして、健康な人でも、程度の差こそあれ「解離」を経験しているものです。
「解離」が興味深いのは、単に病気と関連しているだけでなく、芸術家の創造力と関係していると考えられるためです。この書評では、その点にしぼって、解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)という本を紹介してみたいと思います。
これはどんな本?
この本は東大の精神神経科の講師、柴山雅俊博士によるものです。解離というと、一般に健忘や解離性同一性障害(多重人格)ばかり取り上げられ、オカルトチックに見られがちですが、もっといろいろな機能があり、身近にもみられる、ということが丁寧に解説してあります。
また柴山さん自身、高校時代に金縛りや入眠時幻覚(これは一般には睡眠麻痺と呼ばれ、疲れているときに見られる現象だと思います)を経験したそうです。現在では臨床を通して、解離について「世にはこんなにも不思議な心の世界があるんだ」と興味を抱いているそうです。(p59,215)
特に、解離を単なる病気として客観的に診るのではなく、「解離の患者の主観的な体験世界」について踏み込み、その創造性や自由さについて記している点で、とても興味深い本です。(p216)
筆者はこの本の目的についてこう述べています。
本書は一般向けではあるが、私自身の気持ちとしては解離の病態に苦しんでいる人たちに向けて書いたつもりである。自分の病気について知ることはなによりも大事である。多重人格の小説を読むより、ぜひ本書をお読みいただきたい。
…ゆっくりでも、本書を最後まで読んでいただければ、必ずや得るところがあると思う。さらに、患者を支える家族、友人、恋人にぜひ読んでほしいと思っている。(p11)
解離とはなにか
解離については、この本や解離 (心理学) - Wikipediaで詳しく解説されています。詳細について知りたい場合はそれらを読んでいただくとして、要は「離隔」と「区画化」の2つの要素に集約することができます。(p34)
■離隔(detachment)
…離隔とは、自分の意識と体が分離したように感じられることです。たとえば、意識を飛ばしてボーっとしてしまう状態、身の回りのものに現実感が感じられなくなる離人症、膜を通して身の回りの世界を見ているように感じられる疎隔、自分の体から心が外に飛び出たように感じる体外離脱、およびそこから自分を見下ろしているように感じる自己像幻視などがこれに当たります。
■区画化(compartmentalization)
…区画化とは、頭の中の記憶や感覚を分割してしまうことです。本来あるはずの記憶にアクセスできなくなる健忘、いつの間にか知らない場所にいる遁走、いくつかの人格に記憶を割り振って、それぞれが独立してしまう交代人格、健康なのに手足が動かない、目が見えないといった感覚を遮断する転換症状がこれにあたります。また催眠状態も区画化の一種です。
この離隔と区画化の結果、冒頭に述べたような奇異な体験が現れることになります。それらがひどくなると、解離性障害や解離性同一性障害(多重人格)となって生活が困難になります。
しかし、解離しやすい傾向は、子どものときから見られ、それは豊かな創造力と関係しているようです。
解離しやすい人の創造性
次項で説明するように、一般に解離は、悲惨な経験に対する防衛機制として現れることが知られています。しかし、解離性障害などの患者は外傷を受ける前の小児期から解離のしやすさを経験していることがよくあるそうです。(p124)
それらは以下のような特徴として表れます。6つの点を見てみましょう。以下の点は健康な範囲の解離であり、病気ではありません。
空想傾向(fantasy-proneness)
空想傾向の強い人は人口の約4%にみられ、幼少時からイメージや空想の世界で生活しており、事実と空想を混同してしまう傾向がある。
…ウィルソンらは空想傾向に導く因子として、孤独状況や困難でストレスの多い環境からの逃避などを指摘している。(p121)
解離しやすい人は、強い空想力を持っているといいます。その特徴は「持続的空想」と呼ばれます。頭のなかの物語は、人物像が詳細に設定されていたり、何ヶ月もかけて具体的に進行したりします。解離の患者の約三割にこの傾向が見られたといいます。(p123)
このような空想力は、学校での成績で、特に国語や美術の成績が高いことに表れます。作文や詩や絵画が得意です。(p126)
想像上の友人(imaginary companion)
想像上の友人(imaginary companion 以下ICと略す)とは、幼少期に対話したり遊んだりする、生き生きとした感情を持った想像上の友人である。目に見えるなどの明らかな対象性はもっておらず、現実と混同されることもなく、小児の支配下にあることが多い。それでいて小児にとっては何らかの実在性をもっているとされる。(p128)
想像上の友人(イマジナリーコンパニオン、またはイマジナリーフレンド)は、一般人の20-30%に見られますが、ほとんどは子ども時代に消えてしまいます。大人になっても残るのはごくわずかです。解離の患者(特に解離性同一性障害)では、一般人の2倍の頻度でイマジナリーコンパニオンが見られるそうです。
表象幻視
過去の体験や想像などが自主的に、まるで見えるかのように目の前数十センチのところや頭のなかに浮かんだり、それが次々と展開したりする。(p77)
解離しやすい人は、子どものころから、絵に描いたような鮮明な画像が見えることがあります。解離の患者の約三割に見られたそうです。(p123)
ときに、自分を俯瞰しているイメージ(自己像幻視)や、隣の部屋が見えるようなイメージが浮かんだりすることもあるそうです。
五感が連動してイメージが合成される共感覚を持つ人もいます。(p125)
翔びまわる心
臨床をしていると、解離の人たちはこういうことが、普通の人よりも、はるかに自然にできるのではないかと思えてしようがない。彼女たちの心は時間的にも空間的にも自由に翔びまわることができる。ありありとした実感をもって心を翔ばすことができる。(p44)
子どものころ、空を翔ぶ自分をイメージした人も多いかもしれません。解離しやすい人はそのような空想にはるかに深く没入できます。これが上の表象幻視と合わさると、体外離脱体験になったりします。
明晰夢(lucid dreaming)
なんといっても圧倒的に解離で多い夢はきわめて現実的で覚醒時の生活と区別できないようなリアルな夢である。(p61)
解離しやすい人はとてもリアルな夢を見ることがあります。これを明晰夢といいます。経験した人は「夢は現実よりもその画素が多い」と言うほどです。夢の中で自分の思った通りに夢を展開させることができる人もいます。
また夢で見たことが実際に起きたと感じるデジャビュや予知夢を伴うこともあります。これは現実と夢の境界が曖昧になる、「反復生起の意識」によるものです。
なぜ解離するのか
このように、解離しやすい人は、もともとある程度の解離に関わる素質を持っているようです。豊かな空想力などがそれにあたります。
しかし同時に、それは、発達すべくして発達したものでもあります。
解離は「本来そこにしかいられないような場所で、逃避することもできない状況に立たされ、不快な圧力や刺激が反復して加えられること」によって生じる防衛機制だと考えられているからです。(p121)
特に両親の不仲、離婚、親からの虐待などが生育歴に見られることがあります。それらが示すのは「安心していられる居場所の喪失」であり、愛着対象から安全感を得られない「愛着外傷」です。
自分を癒してくれるはずの存在が自分を癒してくれないがために、解離という防衛機制を用いて、自分で自分を癒やすしかなかったのです。(p119)
こう書かれています。
現実の居場所の喪失、逃避不能性、愛着の裏切り、孤独、現実への絶望。これららは解離性障害の患者の多くが子ども時代に受けたと推定される傷である。
その一方で、これら現実の傷とまったく対極に位置するところの空想への逃避や没入、それによる愛着欲求の満足、孤独の癒やしなどといった世界がある。(p120)
このように、愛着の傷を負った人が、愛着障害を抱え、その副産物として、高い創造性を獲得するというのは、「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」という本で語られていたテーマでもあります。高名な作家や芸術家には、作品を作っても作っても癒やされない愛着の傷があったからこそ、創作を続けられたという人が意外に多いのです。
その点において、本書で解説されている宮沢賢治は解離を原動力にして創作したのではないかと推測されています。
▼愛着障害と創造性について
愛着の傷と創造性の関係については以下をご覧ください。
宮沢賢治の創造性
もちろん、故人である宮沢賢治が、本当に解離の諸症状を経験していたのかは、確かめることができません。そのことは筆者も認めています。(p164)
しかし、彼の作品には不思議で幻想的な表現が満ち満ちており、解離の諸症状と酷似しています。しかも彼はそれを考えて書いたとはいわず、「どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことをわたくしはそのとほり書いたまでです」と述べているのです。(p165)
具体的な論考はこの本を読んでいただくとして、彼がもしありのままの感覚にしたがって詩を書いたとすれば、つまり心の舞台に浮かんだ現象をそのままスケッチしたとすれば、そこには離人症や表象幻視、気配過敏、イマジナリーコンパニオンなどの特徴がありありと示されているとされています。
宮沢賢治の幻想的な世界は、解離によって、彼が実際に見、また体験した空想世界を描いたものである可能性があるのです。
もちろん彼は病的ではありませんでした。解離とうまく付き合って、それを創造性というポジティブな能力として活かしていたと考えられます。そうできた理由として、著者は「周囲の人に恵まれていたこと、知能や創造性に溢れていたこと、強い意志を持っていたことなどが関係していた」と考えています。(p186)
この点は、近年の創造性に関する研究によっても裏付けられています。(下記の記事参照)。創造的な人は、しばしば統合失調症などの精神病の発症リスク遺伝子を持っているために創造性を示せるのですが、高いIQやワーキングメモリなどがあれば、発症を抑え、創造性をコントロールできるのだそうです。
また創造性は統合失調型パーソナリティーの特徴と結びつけられていますが、それらは解離の特徴とも酷似しています。そして本書では、統合失調症と解離性障害は非常に似通っているため、その鑑別のため多くの情報が載せられています。
▼創造性の遺伝的要素
創造性と統合失調症との関係や、それをコントロールするための要素については以下をご覧ください。
解離という不思議な防衛機制
実際は、解離にまつわる諸症状は、ここでとりあげたようなポジティブな面ばかりではありません。むしろ、この本を読むと、病気の困難な症状や、難航する治療についての説明に多くのページが割かれています。
解離性障害や解離性同一性障害は、現代医学が直面する病気の中でも特に難しいものであり、現在増加している社会問題です。
また解離の作用については、ここではわたしが興味あるところを数点引用したに過ぎませんが、本書にはかなり膨大な説明が、さまざまな角度から載せられています。それぞれの体験談や歴史的・概念的な考察も豊富です。
解離に興味を持った人には、ぜひ本書解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)を読んでほしいと思います。
同時に、わたしは、人間の創造性に深い興味を持っていて、これまでも何冊か、それに関わる本を読んできました。これまでに考えた点をまとめると、創造性の源は、遺伝的要素と愛着の傷の複合であり、それらを結ぶキーワードが解離であると推測することができます。
わたし個人は、どちらかといえば自分は創造的な人間に分類されると思うのですが、この本で取り上げられた点について、たとえば持続的空想など思い当たる節があります。
創造性にあふれた人は、その人独自の世界観を作り出します。それは一人ひとり異なっていますが、それほどの内的世界を作り出すエネルギーは相当なものです。創造性にあふれた人は、ほぼ独りでに世界を作り出します。しぶしぶ創るのではなく、創りたい欲求に突き動かされます。
だれかがわたしをまねできるとは思えませんし、わたしがだれかをまねできるとも思えません。創造性は一人ひとりの個性なのです。
そのエネルギーがどこから来るのか、なぜ存在するのかといった疑問にも、本書はひとつの答えを与えてくれたので、わたしにとって良書でした。