ジェイコブはヒルダよりずっと数学が得意だと自分で思っていたが、それを証明することはできなかった。
どうして朝一番にテストを受けなければならないのか。もっと遅い時間なら、はるかにいい成績が取れるはずなのに。
この二、三か月、彼は学校の成績が危なくなっているのに気づき、翌日に学校がある日は、なんとか早く寝ようと努力してきた。パーティーの誘いはすべて断った。週末さえもだ。
しかし何をやってもうまくいかない。どうしても眠れなかったのだ。夜遅くに学校の勉強をして、夜明け近くまで起きていたときもあった。午前一時前にベッドに入っても、眠れないので意味はなかった。(p140)
これは、夜型のクロノタイプを持つ若者ジェイコブのストーリーです。
一般に、思春期の学生は夜ふかしすることが多いと言われますが、中には、どうしても朝型の学校生活に適合できず、無理を続けている子もいます。
子どもの「早寝早起き」を推し進める活動や組織、先生の多くは、こうした子どもの問題は、ゲームやスマホ、夜型を引き起こすライフスタイルにあるといいます。しかしそれが間違っていることは、じつは時間生物学によって証明されているのです。
一部の先進的な学校では、若者の夜ふかし対策として、「早寝早起き」ではなく、学校の「登校時間フリー」のサービスを始めているそうです。
若者が夜ふかしするのはなぜなのでしょうか。学校社会はどのように変わっていくべきなのでしょぅか。なぜ生物時計は、あなたの生き方まで操っているのか?という本を紹介します。
これはどんな本?
この本の著者ティル・レネベルクは、ミュンヘン大学の医療心理学研究所の教授、また、「時間生物学」センターの主任です。欧州生物リズム学会の会長でもあります。
この本は「生物時計に逆らってはいけない」をテーマに、24の章で、時間生物学に関わる興味深い話題が扱われています。24とはももちろん24時間を意識してあるなど、話題の提供の仕方に工夫が凝らされた面白い本です。
今回紹介する若者の睡眠時間の問題は、第12章 若者が夜ふかしをするわけ と、第13章 学校の始業時間を遅くせよ! で扱われています。
思春期はネズミでさえ夜型になる!
思春期の夜型生活は、ゲームやスマホのせいだ、という主張の類いは、ゲームやスマホが市場に並んでいないころから繰り返されてきました。
著者はそれを、いわゆる「ディスコ仮説」と表現しています。
[若者の夜型は]純粋に文化的な現象だという意見をぶつけられることがある。特に多いのが「ディスコ仮説」とでも言うべきものだ。ティーンエージャーがもっと早くベッドに入れば(つまり朝方まで騒ぐのをやめれば)、朝はさわやかに起きて学校に行くようになるという説だ。(p133)
若者の夜型は、昔はディスコ、次いでテレビやゲーム、そして現在はスマホによって引き起こされているというのが、この類いの主張の変遷です。
確かに、夜に光に当たることは、体内時計を遅らせる要素ですから、それらが夜型を助長しているという説は一定の根拠を持ちます。
しかし、問題はもう少し深い根を持っています。夜にスマホやゲームをするから夜型になるという解釈のほかに、もともと夜型なので、夜に活動してしまうという解釈もできるからです。
一般に、思春期の子どもの親や学校の先生やアドバイザーは前者を主張しますが、時間生物学が明らかにしたところによると、正しいのは後者です。その点は3つの研究により、裏付けられています。
1. 多くの年齢層のクロノタイプを調べた研究
12万人を超える、さまざまな年齢の人の睡眠時間のデータを収集した、ミュンヘン・クロノタイプ調査票によると、人間のクロノタイプ、つまり朝型か夜型かというのは、一定ではなく、年齢によって変化するものだそうです。
幼いときは早起きですが、思春期には夜ふかしになり、女性は19歳半、男性は21歳で最も夜型になります。男性のほうが夜型になる度合いは大きく、ピーク時には女性より30分以上遅くなります。
思春期を過ぎると睡眠相は朝型に近づいていき、52歳ごろには男性も女性の差がなくなり、それ以降は早起きの老人になります。
もちろん、このような変化は平均です。女性を中心に、思春期にそれほど夜型にならない人もいますし、逆に男性を中心に、ひどい夜型になってしまう人もいます。
では、これらの変化は、いわゆる「ディスコ」などの若者特有の環境によるものなのでしょうか。
2.世界中のあらゆるクロノタイプを調べた研究
世界中のあらゆる地域でクロノタイプのデータを集めた研究によると、クロノタイプが年齢によって違うという現象は、都市部だけで生じているわけではありませんでした。
アルプスの人里離れた谷間でも、エストニアやインド、ニュージーランドの地方の農村でも、同じ現象が見られました。
そのような地域の子どもが、ディスコに足繁く通ったり、ゲームやテレビ漬けだとは思えません。
あらゆる地域において若者は夜型になるのですから、その原因は環境要因ではなく、生物学的な要因といえるでしょう。
若者はゲームやスマホに夢中になるので夜型になるのではなく、生物学的な年齢による変化によって夜型になり、夜簡単には眠れないため、ゲームやスマホに夢中になるのです。
3.ネズミでも思春期には夜型になる
極めつけのデータは、げっ歯類のライフサイクルを調べたものです。なんと実験用ラットでも、思春期には夜型のライフサイクルになることが照明されました。
まさか実験用ラットが、ディスコに通ったり、夜テレビを見過ぎたりする、という人はいないでしょう。
思春期に夜ふかしになるのはライフスタイルの選択によるのではなく、生物学的にプログラムされたものであり、自分で選べるようなものではないのです。
そもそも個人のクロノタイプ、つまり朝型か夜型か、といった点もやはり遺伝によって決まるものです。
もともと遺伝的に夜型の子どもに、思春期に早起きするよう強制しても、最初に引用したストーリーのように頭が働かないだけです。
10人の人がいるとすると、そのうち1人は極端な朝型で、1人は極端な夜型だといいます。すると、思春期には夜型になることを差し引いても、30人のクラスであれば、3人ほど、早寝早起きに不調を来たす子どもが出てきます。
▼夜型の人が知っておくといいこと
夜型は決して怠けではありません。夜型の人が知っておくと役立つ理論は以下のエントリにまとめています。
朝型の学校生活はナルコレプシーを引き起こす!
クロノタイプが早寝早起きに適していない生徒が、朝早く学校に行くことは、ときに重大な睡眠問題を引き起こすことがあります。
ティーンエージャーの時計の遅れについて、社会的根拠ではなく生物学的根拠を初めて示した科学者のメアリー・カースカドンだった。
…カースカドンは生徒たちを、ふだん通りの早い時間に睡眠研究所から学校に通わせた。すると多くの生徒が重大な睡眠障害、ナルコレプシーの徴候を示すことに気づいた。
チャンスがあれば、彼らはすぐに眠ってしまい、すぐに眠ってしまい、REMと呼ばれる状態に入る。これはふつう眠ったばかりのときではなく、睡眠の終わりに見られる状態だ。つまり生徒たちは早朝に起きてはいても、生理的にはまだ眠っている状態なのだ。(p146)
人は疲れているとき、ふつうならナルコレプシー患者にしか見られない症状が起こることがあるそうです。
この点はわたしも思い当たる節があって、学校生活で慢性疲労症候群を発症する前後、午前中の授業の際、瞬間的に眠ってしまったり、普段の生活で金縛り(睡眠麻痺といわれる現象)や入眠時幻覚に襲われることがありました。これらはナルコレプシーの特徴です。
夜遅くまで勉強をしなければならないのに、朝早くから学校に行かねばならず、過労状態にあったため、ナルコレプシーと同じような状態になっていたのだと、この本を読んで初めて気づきました。
こうした睡眠不足による過労状態では、数分の一秒の間眠るマイクロスリープも増えるそうです。マイクロスリープは本人も周囲の人も、瞬間的に寝ていることに気づきませんが、脳の機能が一時停止するので、交通事故などの主原因となっています。
睡眠不足と過労が起こる原因は、これまで考えてきたように、思春期の体内時計の変化を無視した学校の始業時間にあります。特に割を食うのは、夜型の遺伝的素因を持っている生徒です。
従来の学校の始業時間について、この本では
夜型の生徒に対する明らかな差別だ。(p146)
と断言されています。
前述のように、10人のうちの1人は極端な夜型ですから、そのような子どもは、単に持って生まれた遺伝的なクロノタイプのせいで、学校の勉強についていくのが大変になります。不登校にもなりやすいかもしれません。
不登校になる生徒の中には、体質に合わない学校の始業時間のせいで、睡眠不足や過労に陥り、脳機能に異常を来たすような子どもがかなりの程度含まれていると考えられます。
このブログで取り上げている、睡眠不足を契機とした子どもの慢性疲労症候群は、ひとつには睡眠を軽視する学校の仕組みによって発症しているといえるでしょう。
研究を無視する傲慢な教育者
研究によると、ティーンエージャーには8-10時間の睡眠が必要ですが、学校の始業時間を一時間遅くすることができれば、毎晩八時間眠れる子どもが15%増えるそうです。
学校の始業時間を遅くすべきだ、という主張は、有名な時間生物学の学者ラッセル・フォスターも述べていました。
しかし、多くの教育者はそうした調整による益を認めようとしません。早起き運動などによって、子どもの睡眠を大人の規準に合わせることにやっきです。
不登校外来ー眠育から不登校病態を理解するにはこう書かれています。
子どもたちの脳機能を疲れさせ、学校から引き離すことにしかつながらない“早起き運動”は大人たちの勝手な自己満足である。
このような社会環境を作り、子どもたちに押しつけているにもかかわらず、何の反省もできない社会そして大人たちこそ責任を負うべき当事者である。
そのうえ、このような生活習慣に裏打ちされた、バラバラになり、シフトして後退してしまった子どもたちの中枢神経機能としての睡眠覚醒リズムは短期間で簡単には修復できないのである。(p86)
多くの場合、教育者や世の中の指導者は、学校生活で脱落することなくやってこれた、朝型寄りのクロノタイプを持つ人たちです。
その人たちにとっては、自分に適した朝型の社会は理想的であり、早寝早起きできない子どもは意志が弱いだけの怠け者なのです。
本書なぜ生物時計は、あなたの生き方まで操っているのか?の中では、時間生物学の学者が、始業時間を遅くする案を提唱したとき、教育者が、それを一笑に付した例がたくさん書かれています。
ある物理学の先生は、傲慢にも、「私の生徒たちは、朝七時には完全に目覚めている」と言い切りました。
物理学を教えていながら、データの裏付けがある時間生物学の事実より、何の証拠もない自分の考えを押し通したのです。
別の教育協会の会長はもっと不遜な態度を示し、子どもが夜ふかしするのは、ふだん寝る時間が遅いからだ、という、すでに古くなった裏付けもない説に固執しました。
また朝の始業時間は早くないと親が困るし、バスの運行時間も変えないといけないので無理だ、と述べました。子どもの学習環境を良くしようなどという思いは、最初から持ち合わせていないのです。
これらは海外の例ですが、日本ではもっと反応が悪いかもしれません。朝型としてうまく世の中を渡ってきた教育者たちは、科学的根拠のある教育より、自分の信念や、バイアスのかかった経験に従うほうを好むのです。
これはある種の根深い人種差別とも言うことができます。「早起きは三文の得」(日本) 「神は朝早く起きる者に手を差し伸べてくださる」(フランス)など、早起きを賞賛し、起きれない人を貶めることわざは世界中に存在しますが、それは朝型の遺伝子を持った人たちが作ってきたのです。(p27)
夜型のクロノタイプを持つ人たちは、ずっと昔から、怠け者のレッテルを貼られ、社会的な落伍者とみなされ、社会の隅に追いやられてきました。
あるものは努力の不足となじられ、ある者は不登校に追い込まれ、ある者は心身に異常を来たすまで追い詰められてきたのです。そして大人になるころには、社会の中心からはるか遠くに置き去りにされていました。
今の学校社会で起こっている事柄は、なんら驚くようなものではなく、既存の古い道徳律の延長にある慣習のようなものだと言うことができます。古くて有害な伝統なのです。
最先端の学校はすでに取り組みを始めている!
幸い、このような古い文化は、徐々に終わりを迎えるかもしれません。
スイスからアメリカまで、いくつかの国で、ティーンエージャーの生徒たちに合った時間割を試す学校の数が急増しているそうです。残念なことに、日本はこの点で大きく出遅れています。
概日リズム睡眠障害の研究で有名な三島和夫先生は、ナショナルジオグラフィックの連載「眠りの新常識」の中で次のような話を紹介しています。(この回の内容は、この記事と似たような内容を扱っているので、ぜひ参考にご覧ください)
最近、米国小児科学会が声明として、
(1)学業と心身の健康を維持するためには毎日8.5~9.5時間の睡眠時間が必要で、睡眠不足を昼寝や週末の寝坊で穴埋めするのは無理である。
(2)思春期は人生で最も体内時計が夜型化する年代なので、(あくまで平均だが)23時前に寝て、朝8時前に目覚めるのは難しい。
(3)したがって睡眠時間を確保するためには現在の一般的な登校時間である朝8:30は早すぎるので、もっと登校時間を遅くするなど工夫が必要である。
ということを提言したといいます。ここまでこの記事で取り上げてきた研究データと一致する声明です。
これに合わせて、米国ロードアイランドの私立校が、2カ月間にわたって始業時間を午前8時から8時半へと30分遅くしました
すると学生の睡眠時間は45分長くなり、授業中の眠気が顕著に減り、集中力が上がるようになったのだそうです。しかも。抑うつ感や倦怠感が改善し、健康に対する不安を訴えることが少なくなり、学習や課外活動へのモチベーションが高まったとさえ書かれています。
たった30分遅らせただけでこれほどの効果があるのです。
なぜ生物時計は、あなたの生き方まで操っているのか?にはもっと先進的な取り組みが載せられています。
デンマークで実践されたプロジェクトでは、時間割を完全になくして、学校に来る時間を生徒に決めさせているそうです。
コペンハーゲンのある教育者は、さきほどの古い信念に固執する人たちとは違い、学校をサービスセンターとみなすと発言したそうです。
サービスセンターは顧客にできるかぎりのサービスを提供しますが、学校も同様に、できるかぎり上質の教育を受けられるようにするということです。
生徒ひとりひとりが、自分のクロノタイプに適した時間に眠れるようにし、学校ではサービスとしての教育をほどこすという、この取り組みは始まったばかりです。成功するかどうかは、時間が経たないとわかりません。
しかし科学的なデータによって裏付けされた事実を柔軟に取り込み、時代に合わせて変化していく最先端の教育こそ、これからの世代に求められているものではないでしょうか。
いまだに旧式の教室に生徒を詰め込み、あまり役に立たない情報を暗記させ、発達障害の子どもなど、子ども一人ひとりの認知的な特質を無視した画一的な教育を行っている学校は、このままでは新しい時代に適応できないかもしれません。
現代の日本の学校社会に適応できない子どもに、どのような問題が引き起こされているのか、という点については以下の記事もご覧ください。
なぜ生物時計は、あなたの生き方まで操っているのか?という本は、タイトルが示す通り、生物時計は人がコントロールできるものではなく、むしろ人をコントロールするものだということを繰り返し述べています。
生まれ持った生物時計に逆らって生きることはできず、むしろ人のほうが生物時計に合わせて生きなければなりません。
すべての人、特にこれまで差別されてきた夜型の人も含めた、あらゆる人が、自分の生物時計に沿った生き方をできるような社会こそ、望ましいものではないでしょうか。
生物時計は、わたしたちの生き方、たとえばふだんの性格や、仕事の選択、がんなどの健康問題さえも操っています。生物時計についてもっと知りたい方には、このなぜ生物時計は、あなたの生き方まで操っているのか?を読むようおすすめしたいと思います。