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10種類の「毒になる親」から人生を取り戻すためにできること

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自分の身に起きている問題や悩みと「親」との因果関係について気づいている人はほとんどいない。これはよくある心理的な盲点なのである。

なぜかといえば、ほとんどの人は、自分の人生を左右している問題のもっとも大きな要因が親であると考えることには抵抗を感じるからである。(p7)

分の抱える問題の根源が親にある、という考え方は、どこの文化でも嫌われがちです。特にこの日本という国ではそうです。

今日では、虐待やネグレクトをする親は、マスコミでセンセーショナルに取り上げられ、非難されることも増えました。しかし、そのほかの大多数の親、つまり外から見てそれほど問題がないように見える家庭の親を批判することはタブーとみなされます。

とはいえ、その中には、子どもを虐待する親と同じほど、子どもの将来を台無しにする「毒になる親」が存在しているのです。そのような家庭の子どもは、自分自身が悪かったのだと考え、大人になってなお、心の傷に苦しめられます。

わたしはこの本毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)を2年ほど前に主治医から勧められたのですが、今に至るまで、なかなか読む気持ちになれないでいました。しかしいつかはそれと向き合わなければいけないことに気づき、書評を書くことにしました。

これはどんな本?

この本の著者のスーザン・フォワードは、何十年も活躍しているカウンセラーまたセラピストで、家族の問題の専門家です。この本以外にも多数の著書が邦訳されています。

本書は原題をToxic Parentsといい、有毒物質や汚染物質を思わせる“toxic”という言葉が用いられています。それが日本語に訳されたとき、「毒になる親」という衝撃的なタイトルになりました。

1989年に執筆されて以来、長年にわたる相当なベストセラーで、もはや説明するまでもないような本ですが、なかなか読むには勇気のいる一冊です。

気づかれにくい「精神的な虐待」や「心理的なネグレクト」という概念に先鞭をつけた書籍であり、執筆から20年以上経った今でも先進的で精読に耐えうる内容となっています。

まず「毒になる親」の存在を認めよう

冒頭で述べたように、多くの人は、自分の問題の根源が親にある、という考えを認めがたく感じます。ある三十八歳の整形外科医はこう述べました。

「そりゃあ、子供のころ親父によくぶたれたけど、それは僕が間違った方向にいかないようしつけるためだったんですよ。そのことと、僕の結婚が破綻したことが、いったいどう関係あるんですか」(p3)

「父はよく大声でわめいたり怒鳴ったりしたし、子供のころには叩かれたこともよくあったけど、でもそれはどこの家でもあることでしょう。父が特に独裁的だったとは思いません」(p4)

この人は、セラピストから、親の問題を指摘されたとき、暴力的だった親の弁護をしました。親の行動は、子どものためを思ってのものだった、という理由付けもしました。

こうした反応はごく普通のものです。たとえどんな親であっても、他の人から見れば欠点だらけに思える親であっても、子どもにとっては、自分を養い育ててくれた親なのです。子どもは自分の親以外の家庭を知りません。

あまつさえ、虐待されたとしても、子どもは、親のことが大好き、という気持ちと、なぜ親がこんなひどいことをするのか、という当惑との間で揺れ動きます。そして、親が悪い、という結論を下すかわりに、自分が何かの点で親の期待に添えなかったのだ、という結論に至り、自尊心を持てない大人に育つのです。

「毒になる親」には次に取り上げるように、さまざまなタイプがあります。しかし、体罰を与える親であっても、子どもの気持ちをふみにじる親であっても、あるいは過剰にコントロールしたり、逆に粗末に扱ったりする親であっても、「毒になる親」の子どもには共通のパターンがあるといいます。

いずれもほとんどの場合、その子供は成長してから驚くほど似たような症状を示す。

どういう症状かといえば、「一人の人間として存在していることへの自信が傷つけられており、自己破壊的な傾向を示す」ということである。

そして、彼らはほとんど全員といっていいくらい、いずれも自分に価値を見いだすことが困難で、人から本当に愛される自信がなく、そして何をしても自分は不十分であるように感じているのである。(p11)

こうした自尊心のなさや、慢性的な空虚感、他人に対する不信感は、悪いのは親ではなく、自分自身なのだという、子どものころからの思い込み、思考パターンに起因しています。

「毒になる親」が決まって、自己を正当化することも、親ではなく子どもが悪いという見方に拍車をかけます。

「毒になる親」は子どもを傷つけている自分の行いについて、それは子どものためを思ってやっていることで、しつけや教育の一部なのだと述べることがあります。

また、自分に問題があったことを指摘されると決まって次のように言うのです。(p266-270)

■そんな話は嘘だ
■自分のせいじゃないか
■そのことはもう謝ったじゃないの
■できるかぎりのことはしたんだ。あなたが難しい子供だったただけだ
■あれだけしてやったのに、そのお返しがこれだ
■育ててくれた親に対して、どうしてこんなことができるんだ

問題を人のせいにしてはいけない、というのは確かなことです。しかし、子どものころの問題については、そうではありません。

子どものころは、だれしも、自分を守るすべを知りません。そのころに親から受けた影響というのは、あなたにはどうしようもないものでした。全面的な責任は親にあるのです。

他方、今ではあなたは子どもではありません。ですから、自分自身の抱える問題と向き合い、それを解決する責任があります。自分の子ども時代や、親との関わりについて、客観的な目で評価し、自分の人生を取り戻す責任があるのです。

気づかれにくい「毒になる親」の10のタイプ

これから、一般に気づかれにくい「毒になる親」の10のタイプを取り上げます。これは、この本の中で特に分類されているものではなく、わたしが選んだものです。

それぞれ浅い描写で足早に取り上げるので、「これがそんなに深刻なものなのだろうか」と思う場合は、本書の引用箇所を参照していただけたらと思います。

本書にはもっと多くの「毒になる親」について書かれていています。内容も非常に詳しく、具体的に説明されています。

しかし、ここでは性的虐待、身体的虐待、アルコール中毒など、比較的わかりやすい「毒になる親」の例は除き、気づかれにくい例について簡潔に取り上げます。

1.親は絶対であると主張する親

最初のタイプは「親は絶対である」と主張する親です。親は本来不完全なものであり、間違いも失敗も犯します。それなのに、中には傍若無人な神様のように振る舞い、子どもの意見をまったく聞き入れない親がいます。

「親は絶対であり、子供は常に親のいう通りにしなければならない」というタイプの親を持った子供は、常に親の意のままに翻弄され、ちょうどギリシャ神話に出てくる人間のように、つぎはいったいいつ罰せられるのか見当がつかない。(p37)

2.義務を果たさない親

二番目は義務を果たさない親です。親が怠け者であったり、何らかの病気を持っていたりするために、子どもに親の仕事を押しつけます。

子供は自分で自分の親の役を演じなくてはならず、時には親の親にまでならざるを得ない。そうなると、子供には模範として見習うことができる人間も、何かを教えてくれる人間も、助けを求める相手も、だれもいない。(p49)

3.自己中心的な親

三番目のタイプは自己中心的な親です。自分のことしか考えられず、子どものことは二の次にして、自分のしたいことしかしません。親の都合によって、子どもはモノのように扱われ、大切にされているとは感じられません。

親が身体や心に問題を抱えており、自分のことばかり心配している状態にあると、子供はその親から「お前の気持ちなんか重要ではないんだ。私は自分のことで頭がいっぱいなんだから」という強いメッセージを受け取る。(p60)

4.いなくなってしまう親

四番目のタイプは、いなくなってしまう親です。子どもが幼いときに家を出て行ったり、離婚していなくなってしまうような親がこれに当たります。子どもはその行動が理解できず、親を理想化する気持ちと、捨てられたという気持ちとの間で揺れ動きます。

親の姿が消えてしまうと、見捨てられた子供の心のなかには大きな空白ができる。子供は幼いころの記憶をたどり、思慕の情を募らせるが、心の奥では、いなくなってしまった親に対するはっきり自覚していない怒りも生まれている。(p62)

5.過剰に口出しする親

五番目は、過剰に口出しする親です。子どもが大きくなっても、あれこれと手出しし、結婚してもなお家庭のことに口出しするような親がこれに当たります。そのために嫁と姑などの問題に発展しやすくなります。

このタイプの親の持つ問題の深刻さがなかなか理解されにくいのは、彼らは子供を支配しようとしているのに、「子供のことを気づかっている」という“隠れみの”に包まれているためである。(p68)

6.子どもと競おうとする親

六番目は子どもと競おうとする親です。子どもの成長をすなおに喜ぼうとせず、嫌味を言ったり、貶めたりして、弱い立場のまま、押さえつけておこうとします。そのような親の子どもは、親を超えることに罪悪感を覚えます。

何事でも人を自分と比較し、自分のほうが優れていないと気がすまない人がいる。こういう人は相手に能力の欠けている点を思い知らせることによってしか、自分に能力があると感じることができない。そういう人間にとっては、相手が自分の子供であっても同じことだ。(p118)

7.そのときによって言うことが代わる親

七番目はそのときによって言うことがころころと変わる親です。特にアル中の親の例が挙げられていますが、人格障害や精神疾患がある場合でも、そのような親になるかもしれません。そのような家庭は嘘と気まぐれで塗り固められ、子どもは混乱します。

親の言うことがそうひんぱんに、しかも不意に変わるようでは、子供は混乱するばかりか、いつも心がすっきりすることがない。(p103)

8.できたことで評価する親

八番目は、子どもに完璧を求め、何を成し遂げたかによって評価する親です。子どもを無条件に愛するのではなく、条件付きで愛するのです。そのように育てられた子どもは、自分の存在価値を達成した内容で測るしかなくなります。

すべてに完璧であるようにと子供に実現不可能な期待や要求をする親がある。そのような親の多くは、往々にして自分自身が何事につけ完全でないと満足できないタイプの人間であることが多い。(p124)

9.傷つける親

九番目は傷つける親です。子どもをもっとよくするため、という建前のもとに傷つくようなことを言う親もいますし、ユーモアという体裁をつくろって、子どもの揚げ足を取る親もいます。しかし子どもはそうした言葉を真に受けてしまうものです。

残酷で侮辱的な口汚い言葉で子供を傷つけながら、「お前をもっとましな人間にするためだ」とか「世の中は厳しいんだ。それに耐えられる人間になるよう教えているんだ」などといって正当化する親は多い。(p117)

10.共犯者としての親

最後のタイプは、共犯者としての親です。ここまでに挙げたタイプの親の配偶者がそれに当たります。引用文ではアル中の例が挙げられていますが、そのほかのどんな場合にも当てはまります。

つまり、「毒になる親」が存在していることを認めつつも、「毒になる親」が子どもを傷つけるのを身を挺して阻止しようとせず、結果的に容認してしまっている親のことです。子どもはそのような親を共犯者とみなします。

“飲まないほうの親”は、アル中の夫(または妻)が引き起こしているさまざまな問題の被害にあっているという事実にもかかわらず、自分では意識せずに相手の飲酒に協力しているということなのだ。(p108)

▼そのほかの虐待

身体的・性的虐待や体罰がからむ場合についてはこちらの記事をご覧ください。

だれも知らなかった「いやされない傷 児童虐待と傷ついていく脳」(2011年新版) | いつも空が見えるから
本当に脳を変えてしまう「子ども虐待という第四の発達障害」 | いつも空が見えるから

人生を取り戻すためにできること

ここまでのところで、もし思い当たるところがあったなら、このブログ記事を読むよりも、本書を買ったり借りたりして、じっくり読むことをおすすめします。

自分の気持ちを整理するためには、ほんの5分で読めるブログ記事ではなく、詳細にまとめられた一冊の本が必要なのです。

300ページ以上のこの本を読むには心理的エネルギーが必要ですが、根深い問題と向き合うには、それなりの犠牲を払わねばなりません。この本には、自問に役立つチェックリストが載せられていますが、それにも腰を据えて取り組みます。

その作業には「大きな心の痛みと苦しみ」が伴うかもしれませんが、どうしても乗り越えなくてはならないのです。(p20)

必要なら、専門のセラピストの力を借りることも大切ですが、それには準備が必要です。この本を読むことは、治療のために心を整える助けになるでしょう。

以下に、本書で書かれているアドバイスを概観しますが、あくまで、紹介にすぎず、本書をじっくり読むことに代わるものとはなりません。

親を憎むわけではない

親に問題があったことを認めるというのは、親を全面的な悪として憎むことではありません。

事実を見れば、親もまた、その親による被害者である場合が少なくありません。「毒になる親」は「毒になる家系」の結果であり、自分が親から受けついだ毒になるパターンを子どもに反映しているにすぎないのです。

親を憎み、忌み嫌うとしたら、自分もやはり、「毒になる家系」の影響から抜け出せないでしょう。もっと冷静な対処が必要です。

親は確かに「毒になる家系」の被害者かもしれませんが、それによって、親のしてきたことが許されるわけではありません。親には「責任がある」からです。

ですから、親を憎むというより、問題の責任は親にあったということを認めることが必要です。(p238,294)

「親を許す」という道に逃げない

多くのセラピーでは、加害者を許し、怒りを捨てることが解決への道だと言われます。しかしそれは逃げ道であり、実際には心の葛藤が解決していない場合が多いといいます。

「許す」という言葉には、「復讐をしない」という意味があり、その意味で「許す」のはまったくもって正しいことです。

しかし「許す」という言葉を「見過ごす」という意味に勘違いしている人がいます。親にされたことを「見過ごし」て水に流し、忘れることが平和を取り戻す道だと考えるのです。

実際には、このような対策は問題の封じ込め、感情の抑圧にすぎず、うつ病や神経症がより悪化することも少なくないのだそうです。

親の責任をうやむやにしてしまうのではなく、悪いことは悪いとしっかり怒りを表現することが必要です。(p199)

怒りを表現する

「親を許す」こととは反対に、まずしっかりと怒りを感じ、表現することが必要です。

しかし多くの子どもは、子ども時代に親からされたひどいことを心の中にしまい込み、怒りを封じ込めています。

封じ込められた怒りは、ある場合には、心身症や頭痛として現れたり、別の場合には癇癪持ちの性格として現れたりします。またアルコール、セックス、摂食障害などの依存症になることで、怒りを麻痺させていることもあります。

怒りを感じ取るとは、なにも、怒りを爆発させるということではありません。怒りを封じ込めることも爆発させることも有害です。むしろ怒りを正しく感じ取り、適切に表現する練習が必要なのです。(p240)

悲しみを感じる

ひどい親を持った子どもは、怒りを抑圧するだけでなく、悲しみをも感じないようにしている場合が少なくありません。すでに引用した整形外科医のように、「自分はある程度幸せな子ども時代だった」と、自分に言い聞かせているのです。

そのような子どもは、大人になってからも、悲しい出来事から目をそらし、気持ちを麻痺させてしまっていることがよくあります。自分の感情を適切に認識できず、表現できない「失感情症(アレキシサイミア)」の状態にあるのです。

しかし怒りを感じ取れるようになるにつれ、自分の内にある悲しみの存在にも気づくことができるようになるといいます。(p245)

怒りや悲しみといった感情を感じ取り、適切に表現できるようになってくると、凍りついた心が溶け出し、封じ込められた感情がもたらす害から抜け出せるようになるでしょう。

この点については以下の記事も参考にしてください。

病気の人が習慣にしがちな偽りのポジティブ思考とは何か | いつも空が見えるから

親から受け継いだ考えを捨てる

「毒になる親」の子どもは、自分では無意識のうちに、親の言葉を取り込んでいます。

たとえば、「お前はダメな子だ」と言われ続けた子どもは、「自分はダメな人間だ」と考えるようになります。また、親の態度から「お前は大切ではない」というメッセージを感じとった子どもは「自分は無価値だ」と感じるようになります。(p132)

まず、今の自分を導いている信念や思い込みをじっくり分析する必要があります。そして、それが親によって蒔かれた種から生い茂ったものだと気づかなければなりません。

問題はあまりに根深いため、自分が親に影響されていることに気づけない場合があります。自分は親にいつも反発してきた、親の言いなりになどなっていないと言う人もいます。

しかし親という磁石に吸い付けられている場合も、反発している場合も、どちらも影響を受けていることに変わりはないのです。

特に、親が自分を扱ったのと同じ方法で、身の回りの人を扱っているのはよくあることだそうです。先ほどの10のタイプの親のどれかに自分の家庭が似ていると感じた場合、自分の対人関係もそれに似ている可能性は十分にあります。

過去にけじめを付ける

心の準備が整ったなら、親に影響されてきた人生に片を付ける段階を踏みます。自分の感情をしっかりと親に伝え、もう言いなりになっていた過去の自分とは違うことを示すのです。あらかじめ感情的にならないように練習をしておくことも欠かせません。

親の過剰なコントロールや、傷つける言葉や無理な要求に対して、はっきり口で「ノー」と言うことが必要です。そうすることによって親との関係は悪化するかもしれませんが、しっかりとけじめをつけることができます。(p253~)

子どもに謝れる親になる

自分が親の立場にあるなら、自分の代で「毒になる家系」の悲しい連鎖を断ち切らなければなりません。

しかし無意識のうちに親のパターンが刷り込まれているため、気づかないうちに親と同じように子どもを扱ってしまったり、正反対の極端に走ってしまったりします。

つまり虐待された子どもは、自分が親になったときに、子どもを同じように虐待してしまったり、あるいはまったく正反対に、過度に甘やかしてしまったりするのです。

「毒になる家系」から抜け出すのは容易ではありませんが、少なくとも、態度を改めることはできます。まずは、自分が失敗したとき、何か間違った対応をしてしまったときに、子どもに誠実に謝れる親になることが第一歩です。

もちろん、口先だけ謝って、同じことを繰り返すようであってはなりません。誠実に失敗を認め、問題の解決に向けて努力できる親になれれば、たとえすべての点でうまくいかないとしても、子どもに心を開くことができるでしょう。(p301)

自分は変わることができる

わたしの家庭を振り返ってみると、うちの親は三番目のタイプ、自己中心的な親だったかもしれません。常に自分のしたいことしかせず、子どもが情緒的に顧みられることはありませんでした。

そうして育った子どもは、いてもいなくてもよい「透明人間」のように感じ、しっかりとしたアイデンティティを持つことが困難になるといいます。

自分の考えや感情、自分が必要としていることをはっきり人に伝えるのが困難で、自分がどういう人間なのか、愛情に満ちた人間関係とはどういうものなのかわからないのです。そして、心の中に潜む怒りを自覚できず、感情を失った状態になります。(p61)

わたしは「怒り」や「悲しみ」があまりわかりません。自分自身の人生を振り返っても、他人ごとのように感じるときがあります。考えると面倒そうだからどうでもいいや、と思ってしまいます。また基本的に他人のことを恐れていて、信頼することができません。

しかし本書は次のような励ましを与えています。

自分の人生を自分の手に取り戻すためのカギは、そのような親を変えなくてもあなたは変わることができるのだと自覚することだ。

…たとえ親はまったく変わらなくとも、あなたは子供時代のトラウマを乗り越え、親によって支配されている人生を克服することができる。

あなたに必要なのは、それをやり抜く決意と実行力だけなのだ、(p110)

わたしはこの本を紹介されてから、実際に手にとって読むまで、二年間かかってしまいました。

それだけこの本は衝撃的なタイトルですし、読むにもエネルギーが要る本なのです。

しかし「毒になる親」のもとに育った人は、いつかは、その事実と向き合う責任があります。いつまでも事実から目を背けているわけにはいかないのです。

この本のサブタイトルにあるように「一生苦しむ子供」になるか、それとも過去から自立した大人になるかは、自分次第です。

もし過去にけじめをつける勇気を持てるなら、この本を読んでみることをお勧めします。


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