悪魔に魂を売る見返りにクリエイティブな才能を手に入れるというモチーフは、主要な文学作品にたびたび登場する。その代表例がファウスト博士の物語である。
…この物語の基本的なテーマは、人間は道徳的判断や品位を捨て去れば、偉大な業績を成し遂げたり満足を手に入れたりできるが、それには必ず代償が伴う、というものだ。(p141)
クリエイティブな人が「悪魔に魂を売った」とまで言われてきた背景には、彼らの持つ精神的な異常さがあります。
天才とみなされてきた芸術家たちは、統合失調症やうつ病など、精神障害を抱えることが、一般の人に比較してとても多いとされています。
またそうした人の中には、薬物、アルコール、タバコ、セックスなどの依存症を抱えている人も多くいます。そうした刺激物を利用して、創造性を発揮しているのではないか、と一般に考えられています。
創造的な人は、人間として道を踏み外したことの引き換えとして創造性を手に入れたのでしょうか。それとも、彼らは苦悩からの逃げ道として、道徳を投げ出さざるを得なかったのでしょうか。
世界で最もクリエイティブな国デンマークに学ぶ 発想力の鍛え方という本から、創造性のダークな一面について、またそれに陥らない方法について考えます。
これはどんな本?
この本は、創造的な活動を行ってきた、デンマークの企業、作家を例に出し、クリエイティビティの本質を解説したものです。一見、読みやすそうなタイトルに思えますが、内容はかなり硬派です。
デンマーク発の創造的な業績の例としては、LEGOブロック、世界一のレストランnoma、スポーツ衣料のhummel、建築家のビャルケ・インゲルスなどの他に、ロシアのアーティストでデンマークと関わりが深いアンドレアス・ゴルダーなどが挙げられています。
本書の著者はhummelのオーナーであるクリスチャン・ステーデルと心理学教授のリーネ・タンゴーです。
誤解の無いように書いておくと、この記事では創造性のダークな面を取り上げていますが、デンマークの企業や作家が精神的に病んでいるとか、ドラッグ漬けだとかいうわけではありません。
むしろ、個人としての創造性を突き詰めると精神的な問題がつきまとうので、それを避けるために、企業、集団としての創造性を育てた結果、すばらしい業績につながったことが書かれています。
この記事で取り上げることは、本書のポイントとずれていますが、個人的に興味のある話題だったので、その部分に注目しています。
クリエイティビティと精神障害
冒頭で取り上げたように、クリエイティブな人は、精神的な問題を抱えやすい、ということが研究により、わかっています。
優れたクリエイティビティ、興奮剤の乱用、精神的問題(鬱病、不安、統合失調症など)の間につながりがあることは、研究で証明されている。
『クリエイティビティの暗部』(The Dark Side of Creativity)に収録されたディーン・キース・サイモントンの記事には、次のような衝撃的なタイトルがつけられている。
「クリエイティブな天才になりたければ正気を失え!」
ここに登場する、サイモントンはカリフォルニア大学デイヴィス校の教授で、クリエイティブな偉人の人生の心理学的分析に生涯を捧げてきた人です。
彼の調査によると、クリエイティビティと精神的な異常性の間に関係があることが確認されていて、次のように説明されています。
それらよれば、こうした人物は一般人に比べ、双極性障害(躁鬱病)、自殺願望、不安、統合失調症に苦しんでいるケースが著しく高い。
こうした症状には遺伝によるものもある。きわめてクリエイティブな人物がいる家系は、精神的な異常を発症する確率が高いからだ。
サイモントンは言う。「いくらゴッホの絵に感動したとしても、その壊れた魂をわが身に引き受けようとは思わない」(p141)
創造性と、精神的な問題に関わりがあることは、このブログでも、繰り返し取り上げてきたテーマです。ゴッホは特に有名ですが、アインシュタインのように、本人には特に問題がなくても、子どもが統合失調症だったりする例はよくあります。
創造性のプロセスは、統合失調症のプロセスとよく似ている、という見解については、こちらの記事で取り上げました。
創造性は、脳のフィルター機能の低下による連想能力の向上が関係している場合がありますが、それがひどくなると統合失調症の妄想になるのです。
また、芸術家は、うつ病、双極性障害などの気分障害を抱えていることもあります。本書に登場するロシアの画家のアンドレアス・ゴルダーも、絵を描いていないと気分が落ち込むことを認めています。(p88)
芸術家と気分障害の関わりについてはこちらの記事に書きました。
芸術家は心の傷を抱えて、それを原動力にして創作している場合も多く、精神的な不安定さが創造性と関係しているらしいことがわかっています。
ただし、サイモントンによれば、自然科学の分野には、芸術の分野ほど奇抜な人間はなかなかいないそうです。論理的思考や客観的論証が求められるため、そうした人は生き残れないのでしょう。
しかし芸術分野はそのような制限がないため、「病的とも言える異常さ」がみられやすいだけでなく、自己表現のためにかえってそれが重要なのです。(p142)
クリエイティビティと依存症
創造性豊かな天才たちが悪魔に魂を売ったと言われる理由として、彼らが道徳をかなぐり捨てて、さまざまな依存症に陥り、その助けを得て創作しているように見える点があります。
本書の著書も、そのことを認め、こう綴っています。
このテーマについて調べてみて、私たちは愕然とした。文学、音楽、美術の世界の偉大なる英雄たちが、創造プロセスを推し進めるのに欠かせないツールとして、ドラッグやアルコールを利用しているからだ。(p136)
意外に思うかもしれませんが、多くの人に愛されるベートーヴェンやヘミングウェイもアルコールを大量に飲みながら創作していたのです。
この本は基本的にデンマークにゆかりのある芸術家を賞賛するものですが、世界的な画家アンドレアス・ゴルダーがヘビースモーカーであることも明かしています。(p88)
またデンマークの有名な女性テレビ司会者また作家のペアニレ・オーロンが、自分にとって役立つのはセックスとアルコールだけだと述べたとも記されています。(p140)
明らかに、クリエイティブに活動する人たちは、依存症すれすれの生活を送っているように思えます。実際に依存症になり、そこから脱出できずに人生を終えた人も大勢いるのです。
彼らが薬物やアルコールやセックスに依存するのはなぜでしょうか。
ひとつには、クリエイティブになるために、それらのものが欠かせないという理由を挙げる人がいます。創造性を発揮するには、それらの助けが必要だというのです。
そのような考え方は、冒頭で述べたファウスト博士とメフィストフェレスの物語に通じるものがあります。何かの中毒になり、人としての健全性を捨てることで、つまり悪魔に魂を売ることで、創造性を手に入れるというわけです。
しかしこの説は説得力があるとはいえ、完全に正しいとはいえないようです。
というのは、薬物中毒になった作家たちの中には、薬物が創作意欲を高めてくれる一方で、創作を妨げることを認める人たちもいるからです。当然のことながら、依存症になると、創作どころではなくなるでしょう。(p144)
むしろ、彼らが依存症に陥ってしまうのは、そのストレスに原因があるようです。クリエイティブであることはストレスと隣り合わせです。
まず、最初に取り上げた精神疾患を抱えやすい体質があります。創作活動に携わるような人は、過敏な感受性による不安定さを抱えつつ、それを覆い隠して創作に励まなければなりません。
それに追い打ちをかけるのが他人からの評価です。クリエイティブな作業というのは、他人に認められて初めて成り立ちます。どんなに良い作品を作ったと自負していても、他人からまったく評価を得られないこともあります。
デンマークのデザイナー、ルイーセ・カンベルはこう述べたそうです。
デザイン学校を卒業しても、誰も気にかけてくれない。そんなの何の助けにもならないの。せいぜい10回に1回デザインのアイデアが通ればいいところ。
この市場はきついし、氷みたいに冷たい。皮肉ばかり言われる。何度もひどい目にあわされるから、大勢の人が辞めていくのも無理はない。(p57)
そうした場合に、アーティストは、心に大きなストレスを抱えます。作品を作ることに不安も感じるでしょう。この不安を紛らわせるために、何かの依存症になってしまうのかもしれません。
つまり、アルコールや薬物に一種の自己治療を求めてしまった結果として依存症になるのであって、悪魔に魂を売ったために、クリエイティブになれたわけではないのです。
しかし、クリエイティブな人が、不安定な精神障害を抱えたり、依存症になりやすかったりする背景には、さらに別の理由があるのかもしれません。
クリエイティビティと発達障害
創造性豊かな人たちが異常だと思われる背景として、もう一つの要素を挙げることができます。
彼らは、精神障害を抱えるまでもなく、もともと常軌を逸した、世間に馴染めない性格であったり、精神障害になりやすい素質を持っていたりする可能性があるのです。
そのような素質として、アスペルガー症候群(現在では、「自閉スペクトラム症」に統合された)やADHDなどの生まれつきの脳の発達障害が関係していると考える研究者もいます。
この本で、極めてクリエイティブな作家には、次のような性格的な特徴が見られると言われています。
きわめてクリエイティブな人間というものは、往々にして反社会性が高い。…軽蔑的、懐疑的、批判的、内省的で、融通が利かない。
…だがその一方で、きわめて頭がよく、自分のことを十分に弁えており、自分の才能を信じている。(p142)
このような凸凹のある高い能力や、社会に馴染めない行動パターン、頑固さなどは、アスペルガー症候群の一つの特徴かもしれません。
もちろんすべてのクリエイティブな人がこのような特徴を示すわけではありません。しかし、アスペルガー症候群と独創性には深いつながりがあり、歴史上成功した人物の中には、アスペルガー症候群の人が少なくないと考える人もいます。
そのような研究は、マイケル・フィッツジェラルドによるアスペルガー症候群の天才たち―自閉症と創造性に詳しく書かれています。
アスペルガーなどの自閉スペクトラム症の脳の内部では、統合失調症の場合と似た、脳のフィルター機能の低下が見られます。
周囲の情報を必要以上に取り込んでしまうため、情報に圧倒されてパニックになることがあり、現実世界を遮断して解離するすることによって対処する人もいます。
そのような独特な脳機能が、運が良ければ豊かな連想につながったり、内的世界を構築したりする助けとなり、創造性となって現れるのかもしれません。
あるいは、アスペルガー症候群の人に多いとされる、視覚的思考が、豊かな発想をもたらすのかもしれません。多くの人は言葉でものを考えますが、中には映像で考える人もいるのです。
また、豊かな発想力の源は、別の形態の発達障害である、ADHDと関わっていると考える人たちもいます。本書では、タトゥー・アーティストのエイミー・ジェームズの例を通して、そのことが語られています。
インタビューの間、エイミーは自分のことを注意欠陥障害とか、注意欠陥多動性障害だと、しきりに話していた。
クリエイティビティ研究者の中には、こうした障害を持つ人は非常にクリエイティブで、無意識のうちに別のことに注意が移っていくことが、クリエイティビティに不可欠な要素となっているのだろうと考える人もいる。(p291)
ADHD(現在では「注意欠如多動症」)は、新奇性探求を特徴とした遺伝子を持っていて、ひとつのことに注意を集中するのが苦手で、次々に新しいことに目移りします。そのことが新しい発想と関係しているのかもしれません。
クリエイティブな人が、アスペルガー症候群やADHDという遺伝的な問題を抱えているかもしれない、という見方は、先ほどの精神障害や依存症に別の理解を与えてくれます。
アスペルガーやADHDの人は、独特な脳機能のため、ストレスに弱かったり、二次的に別の精神疾患を抱えやすいという問題があります。
脳そのものの構造に脆弱性があるだけでなく、子どものころから周囲になじめなかったり、学校生活がうまくいかなかったりすることで、精神疾患を発症しやすいのです。
クリエイティブなアーティストに精神疾患が多いのは、発達障害という遺伝的な下地があるためかもしれない、という見解は、ギフテッドー天才の育て方 (学研のヒューマンケアブックス)という本の中で児童精神科医の杉山登志郎先生も指摘しています。
ここまで考えてきたところによると、クリエイティブな人は、悪魔に魂を売ったわけではないとはいえ、精神的な問題や依存症を抱えやすいことは確かです。
それは、発達障害などの創造性と関わる遺伝的素因があるせいかもしれませんし、創造性を評価する社会の目のためかもしれません。
では、創造性と精神疾患は必ずセットでしか手に入らないものなのでしょうか。言い換えれば、創造性には遺伝的な素質や、発達障害が必須であり、一般の人には手に届かないものなのでしょうか。
精神疾患にならずにクリエイティブになる方法
本書によると、創造性と精神疾患は必ずしもセットではありません。創造的でありながら、心の健康を保つことは可能です。しかも、だれもが創造的になることができます。
しかしそれには条件があります。キーとなるポイントはこれです。
創造プロセスの多くは、個人で抱えきれるものではなく、集団で徐々に積み上げていくもの (p137)
一人で孤独に創造しようとするアーティストは、ここまで考えてきたような精神的な問題を抱えがちです。個人として成功しなければならないというプレッシャーは、身を破滅させます。
それに対し、一人ひとりが創造性を分担し、集団として、創造的な作品を作り出すとき、創造性は健康に働きます。
ひとりが突出した創造性を発揮する必要はなく、仲間ともに分担し、お互いの創造性を強め合うのです。
医学博士のナンシー・C・アンドリアセンの言うところの、精神疾患と関わりのある「並外れた創造性」ではなく。、だれでも訓練できる「通常の創造性」を最大限に活用するのです
そのためには、創造的な仲間と交流し、創造的な場所に身を置く必要があります。
意外に思えるかもしれませんが、その意味で、わたしたち日本人は非常に恵まれているそうです。
アドビ社は最近、世界各国の成人5000人にインタビューし、クリエイティビティの世界的動向に関する調査をおこなった。
その結果、クリエイティブな国の第一位に日本が、クリエイティブな都市の第一位に東京が選ばれた。(p9)
わたしたち日本人はあまり意識していないかもしれませんが、日本はとても創造的な国とみなされているのです。
確かに日本という国は、個人というより、集団の創造性を発揮してきた国かもしれません。「カイゼン」として知られる発想手段やアニメ・マンガなどの文化は有名です。
日本の学校教育や和を重んじる集団性は、個人の創造性を殺してしまっているという批判が多いのも事実です。おそらく、個人主義と集団主義の間に、ちょうどよく創造性が発揮できる環境があるのかもしれません。
クリエイティブに生き、しかも健康的でありたいなら、個人としてすべてを抱え込むのではなく、創造的な環境、創造的な仲間を見つけることから始めたいものです。
本書には、そのようにして成功した数々の実例が書かれています。創造的な企業や、創造性のプロセス、デンマークの文化に興味のある人には、ぜひご一読をおすすめします。きっと創造性を高めるヒントが得られるに違いありません。