嫌われないように相手に合わせる。相手が喋っている内容から、その人の考え方を読み取って、それをもとにしてその人が好むようなことをいう。嫌われるのも、怒らせるのも、議論になるのも怖い。(p139)
昨今、「空気がよめない」人、いわゆるKYという問題がよく取り上げられます。場にそぐわないことを話したり、おこなったりして、ひんしゅくを買う人たちです。
しかし一方で、子どものときから、周囲に合わせすぎ、気を使いすぎて、「空気を読みすぎる」人たちもいます。
その傾向は「過剰同調性」と呼ばれ、ストレスの多い子ども時代を過ごした人にみられるそうです。中には、解離性障害や解離性同一性障害(多重人格)につながる素因となってしまう人さえいます。
自分を押し殺した「いい子」「いい人」は、慢性疲労症候群や線維筋痛症など、さまざまな難病と関わっている可能性もあります。また意外にも、真逆とも思えるアスペルガー症候群とも関連している場合があります。
解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論という本や、他の書籍から、空気を読みすぎる「過剰同調性」とは何か、ということについて調べてみました。
これはどんな本?
この本は、解離性障害の専門家、柴山雅俊先生による、解離についての専門的な本です。
同著者による、解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)や解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)は一般の人向けにわかりやすく書かれているのに対し、この本は、さまざまな医療と哲学の専門知識をふんだんに盛り込んだ、専門家向けの本といえます。
解離性障害の特有の症状(幻聴、幻覚、体感異常、変容、夢など)が、患者の主観から表現されていて、統合失調症やボーダーライン(境界性パーソナリティ障害)との違いも書かれています。
その中で、解離の素因を説明してある部分に「過剰同調性」という言葉が出ています。
空気を読みすぎる人たち
冒頭で紹介した、空気を読みすぎる人たち、つまり「過剰同調性」には、以下のような特徴がみられるそうです。(p83)
■家庭や学校という場の雰囲気を読んで、自己犠牲的に周囲に合わせてきた
■親からみて「いい子」だったといわれることが多い
■相手の責任を追求したり、攻撃的態度に出たりすることは少ない
■自分の欲望、主張、意見より、相手の意向を尊重する
■悪いことが起こると、周りを責めるのではなく、自分を責める
■人に対して怯えがある。虐待やいじめが原因のことも
こうした過剰同調性に陥った人たちは、常に、「相手から嫌われるのではないか」「相手に見捨てられるのではないか」「仲間はずれにされるのではないか」といった不安や不信と隣り合わせで生きています。
その背景には子どものころの無力感があります。虐待やいじめに遭って、抵抗できず、ひたすら相手に合わせるしか逃れ道がなかったこと、あるいは両親が不仲だったり、病気の兄弟がいたりしたために、家庭内が緊張に包まれていたことなどが原因です。
さらには、親の精神疾患やアルコール依存症があったために、常に親の顔色をうかがいながら過ごさなければならなかったのかもしれません。この点は以前に取り上げた「毒になる親」と通ずるものがあります。
子どものころは、自分の存在を揺るがす問題に直面したとしても、そこから逃れるという選択肢はありません。自分の存在を受け入れてくれない相手に、無理に取り入って、過剰に相手に合わせるしか生き延びるすべがなかったのです。
しかし、もちろん心の底から、相手に同意して自分を合わせているわけではありません。単に生き延びるという目的それだけのために合わせているにすぎず、心の中では、その状況を受け入れがたく思っています。
そのため、過剰同調性を持ったまま大人になった人たちは、心身に大きな負担がかかります。常に心の中に葛藤があり、やりたくもないことをやるので疲れやすく、自分自身を見失ってしまうことさえあるのです。
そのような負担は、まず「空想傾向」という形で、次いで病気という形で現れます。それぞれ順を追って考えてみましょう。
空想傾向
過剰同調性を示す子どもたちにとって、現実世界は、どこもかしこも緊張を強いる安全性のない場所です。
家の中には虐待、学校にはいじめがあるかもしれません。そうでなくとも、親の気持ちを先取りして、迷惑をかけないよう振る舞わなければなりません。
本来であれば、安らぎや楽しさをもたらすはずの場が、いわば戦場のような緊張に満ちた状態となり、常に顔色をうかがう過剰同調性という戦略なくしては生き延びられないほど過酷なのです。
そのような子どもたちは、安心して落ち着ける居場所を見つけられず、満たされることを望みながら、決してそれを見いだすことができません。
そのため、自らの想像力をたくましく働かせ、空想の世界に逃れ場を設けることがしばしばです。この本には、次のような経験談が載せられています。
小さいころから心の中に避難場所があった。苦しい時に「ここにいちゃいけない」と思うと、頭の中で「気持ちいい」と思うところへ飛んだりしていた。嫌なことがあるといつもそこへ行っていた。
お花畑とか、ローマの宮殿とか…私は人と話してストレスを解消できないので、普段は自分の中でそういう場所があった。(p221)
多くの人にとって、友だちと会話するのは、楽しみであり、憩いの時間です。ところが、この経験談のように、過剰同調性を持つ人にとって、人と話すことは、疲れることなので、それとは別の方法でストレスを緩和することが必要なのです。
過剰同調性によって現実世界をかろうじて生き延びている人たちは、現実世界に安心できる居場所がないので、自分の想像力で、空想の世界にそのような場所を作ってしまいます。
このような傾向は、ウィルソンとバーバー(Wilson,S.C、Barber,T.X)によって、空想傾向(fantasy-pronness)と名づけられています。(p201)
空想傾向を持つ人たちは、子どものころ、遊んでいた人形やおもちゃに独自の人格を持たせていたり、妖精などの存在を信じていたり、想像上の友人(imaginary companion)と遊んだ経験があったりします。
空想が膨らみやすく、それをありありと感じることができ、ときにそこへ逃避し、没入できるようになるのです。
これはまた、白昼夢(Wachtraumerel)と呼ばれることもあります。空想的映像が細部まではっきり見え、ストーリーがあり、音が聞こえ、触感さえ感じることがあります。それがあまりにも日常的なので、多くの場合、みんなそうなのだと思い込んでいるそうです。
このような空想傾向は、何も悪いものとは限りません。オークランダー(Oaklander,V)によると、空想的避難場所を思い描くことは、精神疾患の治療で重要です。(p221)
また、空想傾向は、ときに豊かな想像力として発揮されるということは、以下の記事で述べました。
こうした空想傾向や、背後にある過剰同調性は、このブログで取り上げてきた愛着障害と密接に関係しているようです。
この本にも、対人過敏症状の原因について、「幼少時から愛着関係を形成することができなかったことに由来するのであろう」と書かれています。(p220)
とはいえ、過剰同調性や、それに源を発する空想傾向には悪い面もあり、病気を呼び寄せてしまうことがあります。
過剰同調性がもたらす人格の解離
この本のテーマは、解離性障害、そして、その中でも特に重い解離性同一性障害(多重人格)です。じつは、ここまで取り上げてきた過剰同調性の体験談は、解離性同一性障害の患者のものだそうです。
この本で過剰同調性が取り上げられているのは、解離性障害の患者の幼少時からの傾向として、「空気を読みすぎる」ことがみられるからです。
解離性障害とは、自分が二つに解離してしまう病気のことです。子どものころから、やりたくもないことを感情に反して無理に行い続けていると、「表面的にノーマルな人格」(ANP)と「感情的人格」(EP)が解離してしまうことは、以下の記事で述べました。
「空気を読みすぎる」人たちも、笑顔で相手に合わせる「表面的にノーマルな人格」と、その行為を裏でさげすむ「感情的人格」が解離してしまうことがあります。自己犠牲的な自分の背後に、形のはっきりしないもう一人の私が現れます。
すると、だれかの気配を感じたり、幻覚や幻聴が生じたり、自分が自分でないように思えたり、現実感がなくなったりする、解離性障害の症状が現れてくるのだそうです。
それがさらに進むと解離性同一性障害になります。
上に取り上げた本、図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法によると、親から性的虐待を受けていたある子どもは、夜には虐待者の意向に合わせ、昼には普通の学校生活に自分を合わせなければなりませんでした。
その結果、人格が解離して、昼には、夜にあったことを思い出すことができなくなり、昼と夜とで別の自分を使い分ける解離性同一性障害になってしまったといいます。
このように、過剰同調性は、解離性障害や解離性同一性障害と関係しているのですが、もっと広い意味で言えば、過剰同調性がもたらす問題は、さらに多彩です。
心身ともに疲れ果てる
過剰同調性に陥った人たちはとても疲れるといいます。
共感や信頼に従って他人に合わせるのではなく、無理をして周りに合わせることは、心身ともに疲れ果てさせ、ストレスを溜め込む結果をまねきます。
小児慢性疲労症候群について扱った本である学校を捨ててみようには、次のような説明があります。
心身の疲労を訴えて受診する子どもたちや若者の訴えのなかに、よい子の苦悩があぶり出される。
「自分が自分として生きている実感がない」
「周囲の雰囲気に合わせて生きているので、誰か他人が自分のなかに入りこんで生きているようだ」
「自分のなかで他人が生きているのと同じ。だとすると生きている意味がない」
「周囲に合わせて生きているのに、先生や仲間から評価される。本当の自分はほかにあるので、借り物の自分が評価されているにすぎない。なんとか自分をさらけ出して、本当の自分に対する評価を知りたいが、こわくてそれができない。そんな自分が情けなくて死にたくなる」などの述懐はしばしば耳にすることである。(p130-131)
この本によると、よい子でいることには、極めてエネルギー消費の大きい自己監視が求められます。強い集中と持続的な緊張が必要なので、慢性的な疲労感につながる、と説明されています。(p137)
慢性疲労症候群の3つのストレス背景のひとつとして、偏差値知育教育の元での「自己抑制的よい子の生活」が挙げられていることも不思議ではありません。(p194)
また、慢性疲労症候群と類似した病態である、若年性線維筋痛症についても、いわゆるよい子の生活が発症の素因となり、他人への過剰な気遣いがみられる、とされています。
このことから、慢性疲労症候群も線維筋痛症も、子どものころからの過剰同調性が背景に存在する場合があると考えられます。
また過剰同調性からくる空想傾向については、身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価という本に、次のような話が載せられています。
39歳で乳がんにかかったミシェル(第5章)は、いつも夢想の中に救いを求めてきた。不幸な子ども時代の思い出を語りながら彼女は言った。
「私が夢想の世界に住んでいたのも無理はありません。そのほうが安全ですから。自分でルールを作るんです。そうすれば幸せで安心できる世界を自分の思いどおりに作ることができるわ。外の世界はまったく違っていても」
二年近くを費やして行われたある研究によれば、楽しい夢想にふける傾向のある乳がん患者は、より現実的な考え方をしている患者と比べて治療後の経過が悪いということである。
またネガティブな感情を表すことの少ない患者も、やはり予後が好ましくなかったということである。(p353)
この事例から分かるように、空想傾向は、病気への抵抗性の弱さをもたらすことがあります。その背後にある愛着障害が関係しているのかもしれません。
過剰同調性を示し、自分の気持ちを言い表さず、相手に合わせてばかりいるなら、心だけでなく、身体の免疫システムをさえ抑制してしまう、ということを如実に物語っています。
過剰同調性は、心身を疲れさせ、身体の自己治癒力をさえ疲弊させてしまうのです。
アスペルガー症候群 空気が読めない人たち?
ところで、空気を読めない人たちとして、代表的に取り上げられるのは、自閉スペクトラム症のアスペルガー症候群の人たちです。一見、アスペルガー症候群の人と、過剰同調性の人は対極に位置するように思います。
しかし必ずしもそうとは言えない点は、次のように説明されています。
場の空気を読むことが苦手な場合には、相手の表情や空気を読むことを意識して学ぼうとする。この辺りはアスペルガー症候群の解離群と関係してくる。
過剰同調性はいわば「強いられた」同調性であり、生命的な共鳴性共振性とは異なっている。(p140)
つまり、空気を読めないアスペルガー症候群の人であっても、過剰同調性に陥ることはあるのです。アスペルガー症候群の人は、解離しやすいことも知られています。
発達障害と解離の専門家である、杉山登志郎先生の発達障害のいま (講談社現代新書)という本にもこんな記述がありました。
人の気持ちが読めないということと、他者配慮ができないということは、別ものということである。
むしろ、この問題に気づいている凸凹系の人は多く、代償的に人の気持ちに対して読みにくいぶん、逆にすごく気にするようになるのが常である。
すると人の意図や感情に過敏に反応をしてしまうということが逆に持ち上がってくる。(p232)
この言葉からすると、凸凹系、つまり発達障害の傾向がある人の中には、空気を読めないからこそ、かえって空気を読もうと意識しすぎ、過剰同調性に陥ってしまう人がいることがわかります。
「空気が読めない」アスペルガー症候群の人もまた、「空気を読みすぎる」過剰同調性に陥ってしまうことがあるのです。
感情を適切に表現することを学ぶ
過剰同調性のために疲れ果てている人、過剰同調性から体調を壊してしまった人は、感情を適切に表現する方法を学ぶことが必要です。
自分の気持ちを抑圧し、周りの人に合わせるために無理を重ねる生活を続けるなら、心身にかかるストレスは増え続けていくだけでしょう。
過剰同調性から来るストレスを避けるためには、次のようなことが役立ちます。
■怒りや悲しみを貯めこまず、適切な仕方で表現する
■空想の世界に逃げるより、現実的な方法で問題に対処する
■「いい子」「いい人」をやめてみる
これは、他の人の気持ちを考えない傍若無人な人になる、という意味ではありません。むしろ、自分の気持ちを適切に表現し、他の人と自分を区切るバランスのとれた人になる、という意味です。
いくら周りの人が自分に何かを望んでいるとしても、それが道理に合わないもの、感情に反することであれば、はっきりノーと言えるようになる必要があります。そうするのは何も不親切なことではなく、自分らしくあるということなのです。
その上で、譲歩できる部分は譲歩したり、ほかのアイデアを提案したりすることもできます。そうすれば自分と相手との間に、明確な境界線を置きつつ、相手の意向ではなく、自分の意向に従って行動できるようになるでしょう。
そして、心から共感できる人、信頼できる人に対して、進んで自分を合わせたいと思ったときには、自分の意思で同調することができます。そのようにして心に促されて自分を合わせることは過剰同調性ではありません。
こうしたことはどれも簡単ではありません。子どものころから身につけた行動や考え方の癖が関係しているからです。
しかし継続的な努力を通して、徐々にでも自分の対人関係を変化させ、空気を読みすぎることなく、自然に振る舞うことができるようになれば、緊張に満ちた世界から解放され、自分の居場所を見つけることができるでしょう。
過剰同調性については、解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)のp68-69にもわかりやすくイラスト入りで図解されているので参照してみてください。