■ちょっとした音など、あらゆることに気を取られる
■過去のことをすぐ忘れる
■未来のことを計画できない
■ぼーっとして空想にふけりやすい
こうした特徴は、ADHD(注意欠陥・多動性障害または注意欠如多動症)の人が、大いに悩んでいるものです。ADHDと診断されて、これらは生まれもった脳の欠陥によるものだ、と感じて劣等感を感じてしまう人もいます。
しかし、哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)という本を読んでいて、赤ちゃんの脳機能について学んでいるうちに、おや、これはADHDの人にそっくりだ、と思いました。
もしかすると、ADHDの人というのは、赤ちゃんに近い柔軟な脳を持っているのかもしれません。これは未熟という意味ではなく、特性が違うということです。それを裏づける研究もあります。
どんな点で、ADHDの脳と赤ちゃんの脳は似ているのでしょうか。ランタン型意識、瞬間を生きる、自由連想が起きやすい、という3つの点から考えてみたいと思います。
これはどんな本?
この本は、アリソン・ゴプニックという「50歳の女性発達心理学者」による、アメリカでのベストセラー本です。(p205)
赤ちゃんは、今まで考えられていたような未熟なもの、いわゆる「脳のない泣くニンジン」ではなく、大人とは違った形で、脳が活発に働いているという趣旨の本です。(p196)
たとえば想像上の友人という形でファンタジーと現実を区別でき、愛着理論に基づいて愛を定義し、道徳的なルールも理解できる、と説明されています。
このブログで扱っているさまざまな話題にドンピシャの本で、読んでいてひたすら面白いです。訳が読みやすいのもポイントです。
むしろ、子どもと大人は、同じホモ・サピエンスでありながら、形態のまるで違う生物だと考えるほうが適切です。(p18)
赤ちゃんの脳とADHDが似ている3つのポイント
この本では、赤ちゃんの脳と、ADHDが同じものだとは述べられていません。ADHDについては、p245で一度触れられているのみです。
そこでは、ADHDは注意力を持続させることが不得手な個性にすぎず、学校教育の普及とともに問題になってきて、障害とまでみなされるようになってしまった、との見解が示されています。
しかし、この本は注意力に関して、赤ちゃんの脳と大人の脳の違いについて説明しており、注意を持続させることが苦手なのは赤ちゃんの脳の特徴だと述べています。
そして「子どもの注意は、脳の前頭葉の発達につれて変化してゆくのだ」とも書かれています。するとADHDの子どもは前頭葉の発達が弱いか遅れている可能性があります。(p173)
実際、ADHDは脳の成長の遅れだとする研究が、2007年にアメリカ国立衛生研究所から発表されており、ADHDの人は赤ちゃんの脳の名残を持っているといえそうです。
それでは3つの観点から類似性を見ていきましょう。
1.ランタン型の意識
普通の大人が持っている集中力は、いわば「スポットライト型意識」と呼ぶことができます。集中したいものにパッと光が当たり、注意を払うことができます。
それに対し、ADHDの人は、不注意で学業や仕事に集中できず、すぐ気が散ってしまいます。そうした特性を弱点だと考えている人は大勢います。
しかし、その不注意は、もしかすると、赤ちゃんの「ランタン型意識」のなごりかもしれません。
どうやら、赤ちゃんは、わたしたち大人よりずっと明るい意識をもつようです。
大人の注意がスポットライトなら、赤ちゃんの注意はランタンのように周囲をまんべんなく照らすものかもしれません。
赤ちゃんは世界の一部だけを拾い上げ、他の一切を遮断するようなことはせず、すべてを同時に、しかも鮮明に体験しているようなのです。(p177)
ランタン型意識は、確かに、ひとつのものに集中するのは苦手です。しかし、赤ちゃんにとって、それは弱みではありません。
たとえば、まだランタン型意識が強い子どもは、神経衰弱に強いそうです。自分がめくったカードだけでなく、他の人がめくったカードも見ているからです。(p169)
ADHDの人の不注意もこれと似ています。スポットライトのように一つのことに集中するのは苦手ですが、周囲のあらゆるものに興味を向けていて、新しいもの、面白いものには目がありません。
このランタン型意識の対極にあるのがフロー状態だと言われています。
たとえば、ランタン型意識の対極にあるものは、心理学者が「フロー(flow)」と呼んでいる高揚感ではないかと思うのです。
「フロー」は、わたしたちが一つの対象や活動に没頭しきっているときに得られる境地です。(p183)
フロー状態は、極度に集中している状態、没頭している状態です。
ランタン型意識は注意力散漫、フロー状態は過度の集中であり、大人のスポットライト型意識は、その真ん中にあるバランスのよい状態ということができます。
ADHDの中には、ランタン型意識のような注意力散漫を示すと同時に、フロー状態という過集中になるのも得意な人がいます。ADHDの子どもの親は、子どもがゲームに異常に没頭することに手を焼くものです。
なぜ、バランスのとれた状態ではなく、両極端しかないのでしょうか。もしかすると、これもまた、赤ちゃんの脳に似ているからかもしれません。赤ちゃんの脳についてこう書かれています。
前頭前野が未熟だからこそ、子どもは大人に勝る想像力と学習能力を発揮できるのです。
前頭前野には「抑制」の機能があって、それが脳の他の部分の情報を遮断し、体験、行動、思考を絞り込みます。この仕組みは、大人がするような複雑な思考、計画、行動には欠かせません。
…ですが、後述するように、想像力や学習能力を自由に働かせるには抑制は逆効果です。…幼児期には、前頭前野の抑制がきかないほうが都合がいいのです。(p22-23)
赤ちゃんは、前頭前野の機能が弱いため、抑制する機能が働いていないのです。抑制性の神経伝達物質が少ないというデータもあります。(p170)
ADHDの人の脳も、やはり前頭前野の血流が不足していると言われています。
とすると、ADHDの人が注意力散漫や過集中に陥りやすいのは、前頭前野の抑制する機能が弱いためである、と考えることができます。自制(セルフコントロール)が苦手で、注意力をバランスよく保つことができません。
アルコール依存、ネット依存などの問題も抱えやすく、ほどほどでやめることができません。
しかし抑制力が低いおかげで、赤ちゃんのような探究心や、奔放な想像力を発揮できることも事実なのです。
2.瞬間を生きる
普通の大人は、過去、現在、未来というイメージが明確で、時間軸がひとつにつながっています。過去の自分、未来の自分を思い描けます。
それに対し、子どもは、現在の自分を、過去や未来と結びつけるのが苦手なのだそうです。
どうやら、乳幼児には、過去と未来に投射される「わたし」がないらしいのです。
過去の自分の精神状態を思い起こすこともできません。何があったかは覚えていても、それについて自分がどう思ったか、どう感じたかは忘れています。
同じように、すぐ先の未来は思い描けても、遠い未来の想像はできません。未来の自分が何を考え、何を感じるかを予測することができないのです。(p217)
たとえば、子どもは、過去の自分を今の自分と結び付けられるようになると、失敗から学べるようになります。過去に失敗したとき、どう感じたかを思い起こして、未来に活かすことができるのです。これを「自伝的記憶」といいます。
また、赤ちゃんは我慢することができませんが、未来の自分を思い描けるようになると、それが可能になります。
目の前にあるマシュマロをがまんすれば、2倍のマシュマロがもらえると言われたら、未来の自分をイメージして我慢することができます。これを「実行制御」といいます。
大人になると、過去と未来を思い描く能力は、次のように生かされます。
これに対し、自伝的記憶と実行制御は、大人が持つ長期的な計画を立案し実行する能力を反映しています。
たとえばわたしは、自分の体験を、過去、現在、未来を通じ一貫したものと捉えるからこそ、嫌なことも我慢するのです。いつか教授になろうと思うからです。(p224)
ところが、ADHDの人はこれができません。彼らは赤ちゃんそっくり、とまでは言わないものの、かなり赤ちゃん寄りの行動を示します。
実際に、ADHDの人は実行機能や報酬系(未来の報酬を期待する機能)の働きが弱いと言われています。
ADHDの人の心の中には未来も過去もありません。いつも瞬間を生きていて、思考に時間的な連続性がありません。過去を思い出すのも、未来を思い描くのも苦手です。たとえ思い描けても、今の自分と結びつけることができません。
その結果、目先のものを我慢するのが苦手で、長期的な計画を立てられず、過去から学ばず、同じ失敗を繰り返します。
しかし、それにはもちろん、赤ちゃんと同じような利点があります、時間の連続性がないぶん、常に冒険しているかのようで、今この瞬間を楽しむことができます。子ども心を忘れない大人なのです。(p218)
3.自由連想が起きやすい
普通の大人は、思考を的確にコントロールしています。あちらこちらへと思いがさまようことはありませんし、どこから出てきたのかわからないようなアイデアを思いつくことはまれです。とても現実的で、堅実です。
ところが赤ちゃんの脳はそうではありません。
精神分析で用いられる「自由連想」や入眠時の思考は、赤ちゃんの内部意識を理解する手がかりになるでしょう。意識が消えかけたとき、心の中にはいろいろなイメージ・思考・感情が浮かびます。(p219)
自由連想や入眠時の思考、洞察瞑想の最中には、こんな複雑な頭の使い方はできないし、少なくとも、されていないでしょう。そして幼児も、やはり、長期的な計画や順序立てた回想はできないようです。(p220)
赤ちゃんの脳は、常に思いがさまよって、自由に連想している状態にあります。情報が選別されずに飛び交っていて、偶然性に満ちています。複雑な化学反応が頻繁に起き、アイデアが次々に湧き上がります。
実際、自由連想は創造力と関係しています。
大人の自由連想や入眠時の思考は、革新性や創造性と関連があるといわれます。(p223)
ADHDの人も、赤ちゃんのような自由連想が起きやすい脳に恵まれています。ADHDの人はぼーっと空想するのが得意で、アイデアがいろいろ湧きます。ADHDはクリエイティブな能力と関係しているとしばしば言われます。
もっとも、その代償として、注意力散漫だと言われますし、計画したり、複雑なスケジュールを考えたりするのは苦手なのです。
ADHDの赤ちゃん寄りの脳を強みに変える
こうして見ると、ADHDの人というのは、脳の発育が遅いか、あるいは赤ちゃんの脳のなごりを保持したまま大人になってしまった可能性があるといえます。
前頭前野や、実行機能、報酬系の働きが弱いというのは、脳の障害として生じているのではなく、赤ちゃんのときの機能を引きずっているのではないか、と感じさせます。
もちろん、そうした特徴は、赤ちゃんのときは大いに役立っていましたが、大人になると足かせになります。仕事でミスをしたり、計画が立てられなかったり、というのは、致命的な結果をまねきかねません。
赤ちゃんの脳のなごりを持ったまま大人になってしまうというのは、やはり障害とみなして治療する必要がある、と考える人もいるでしょう。実際、ADHDにはもっといろいろな脳の不具合が関わっている可能性もあります。
とはいえ、ADHDの人の脳が赤ちゃんに似ているというのは、ADHDは明らかな欠点や病気のようなものではなく、ある場合には強みともなるのだ、という点を認識させてくれます。
赤ちゃんのような、創造力、革新性、探究心を持ったまま大人になった、というのは、うまく活かせば、相当な強みともなるのです。
この哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)という本は、赤ちゃんの観点から物事を見つめなおすきっかけになる面白い本です。新しい見方に触れてみたい人におすすめします。