■家族や友人にも本当の気持ちを打ち明けられない
■世界でひとりぼっちのように感じる
■だれも信頼できない、傷つけられるのが怖い
■嫌われないように自分を押し殺して生きてきた
対人関係が怖かったり、傷つくのを恐れたりすることは、多くの人が程度の差こそあれ、経験していることです。
しかし、中には、子どものころから、家庭にも学校にも自分の居場所がないと感じている人たちがいます。人といることで、癒やされたり、楽しく感じたりするどころか、ただただ疲れるといいます。
解離に関係するいくつかの本によると、そうした対人過敏症状は、子どものころの愛着外傷や、解離性障害という病気のメカニズムと深く関わっていると考えられています。
人への恐れや不信の背後にあるのは何でしょうか。どのように対処できるでしょうか。合計7冊の本を参考に考えてみたいと思います。
他人が怖い、信頼できない、人といると疲れる
まず、ここで扱う対人過敏症状には、どんな特徴があるのかを考えましょう。対人過敏症状や、人に対する過度の怯えは、どのように日常生活に表れるのでしょうか。
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)という本にはこうあります。
他者に対する不安やおびえがある。相手の機嫌を損ねると、怒られたり痛めつけられたりするのではないかという、不信感をもっている。(p69)
この怯えのため、対人過敏症状を持つ人たちは、相手の機嫌を損なわないように振るまいます。
解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論という本にはこうあります。
その背後には「相手から嫌われるのではないか」とか「相手に見捨てられるのでないか」、「仲間外れにされるのではないか」といった人に対する根強い不安、不信、怯えなどがある。
自分の存在がすでに世界に受け入れられていないことから、目の前の他者の表情や欲望を、その場の空気とともにつねに読み取り、それに逆らわずに合わせることを強いられる。(p139)
他の人の愛情や親しみをまったく信頼できないので、相手の機嫌を少しでも損なうと傷つけられるかもしれない、という恐れを心に抱いていることがわかります。
そのため、場の空気や、相手の意向を先読みし、必要以上に空気を読んで、「いい子」「いい人」として振る舞います。これを過剰同調性というそうです。
過剰同調性については以前の記事で取り上げたので、詳しくはこちらをご覧ください。
こうした対人過敏症状の影響は、不特定多数の人と接するときにも表れるといいます。
解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)にはこう書かれています。
解離の患者は基本的に人に対する不信感と怯えを持っている。
…「人が怖いですか」と訊ねると患者はうなずくことが多い。
それも駅や電車の中、デパート、病院の待合室など、人が大勢いる場で漠然とした緊張や怯えを感じている。(p71)
単に、目の前の相手の機嫌を損ねることが怖いのではなく、他人という存在そのものに対する根源的な恐れがあることがわかります。自分以外の人間すべてに対して、絶対的な不信感があるのです。
その不信感について、やはり解離に詳しい野間俊一先生は、身体の時間―“今”を生きるための精神病理学 (筑摩選書)という本の中でこう述べています。
そこにあるのは非常に根深い周囲への警戒である。それは「不信」と言い換えてもいいだろう。
目の前の他者に対しても自分の所属する集団や社会に対しても、安心して向かい合い身を委ねることができず、けっして本音は見せずに表面的な関わりに留める。
とりあえず命が続く限り、ただただ今を刹那的にやり過ごすのである。(p96-97)
この記述からわかるのは、対人過敏症状を抱く人は、だれに対しても、心を開かず、本音を話すことなく、表面的な関わりにとどめているということです。
自分自身について打ち明けたり、心の底から気を許したりすることなく、いつでも警戒を緩めません。常に心身の緊張状態を維持していることがわかります。
人前でリラックスすることができないので、人と接したり、人の大勢いる場所にいたりすることに過度の疲れを感じてしまうのです。
原因は「安心できる居場所の喪失」
では、このような対人過敏症状の原因はどこにあるのでしょうか。
やはり、解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論という本に答えが載せられています。
対人過敏症状にみられるように、解離患者の多くは基本的に人に対する怯えの意識がある。
このことは幼少時から愛着関係を形成することができなかったことに由来するのであろう。
一見他者との関係はうまくいっているようにみえても、それはあくまで表面上のことであり、その背後には明らかに孤立する恐れや嫌われるのではないかという怯えがある。(p220)
対人過敏症状は、幼少時の愛着関係と関連している、と書かれています。
愛着関係とは何でしょうか。
愛着(アタッチメント)というのは、ジョン・ボウルビィによって提唱された概念で、子どものころの、特定の対象(多くの場合は親)との特別な結びつきのことをいいます。
子どものころに、親とどのように接し、どのように愛着関係を結んだかによって、その人の持つ行動パターンや思考パターンが左右され、ほぼ生涯にわたって影響を及ぼすと言われています。
愛着理論と、その心身への影響についてはこちらの記事をご覧ください。
解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)によると、特に、愛着関係からもたらされる心の傷によって、「安心できる居場所」を失うことが、対人過敏症状の原因となっているとされています。
解離性障害の外傷として特徴的なことは、それらが共通して「安心できる居場所の喪失」に結びついていることである。
…このような状況をもたらす加害者の多くが、親や同級生など、同時に愛着対象として患者が親密さを求める対象でもある。
愛着関係における外傷を愛着外傷(attachment trauma)という。
愛着外傷を受けた人は著しい苦痛のために安全感を得ようとして他者と親密な関係になろうとする。しかし愛着外傷のために対象に接近することにも不安や恐怖を感じる。
つまり自分を傷つけた対象がほんらい自分を癒やす存在でもあったために彼女たち(彼ら)は自分が受けた傷を他者との関係で癒やすことができない。(p119-120)
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)によると、愛着外傷には、親の不仲、離婚、ケンカする両親を見て傷ついたこと、学校でのいじめ、性的外傷体験などが関係しているとされています。(p62)
こうした傷は、事故や災害によるPTSDとは異なり、本来慰めてくれるはずの家族や家庭、友人が加害者となっています。
そうすると、心の傷を癒してくれる場所がどこにもなく、だれにも話すこともできず、被害者は一人でつらい気持ちを抱え込まなければなりません。
わかりやすい「解離性障害」入門の著者、岡野憲一郎先生は、具体的な対人関係の外傷というより、「関係性のストレス」(relational stress)が原因となる場合があることも指摘しています。
この「関係性のストレス」とはいわゆる「対人関係の外傷」とは異なります。
…「関係性のストレス」は極めて個別的、主観的で、客観的には見極められないものとされています。
このような関係において、娘が自分自身の気持ちや考えを母親に向かって自由に表現できず、それを心の底に隔離し、いわば偽りの自己を保ち続けるために、解離性の病理が促進されると考えられます。(p195)
三人が共通して感じていたのは、そのようにしなければ自分の居場所を失うのではないか、という不安でした。(p199)
「関係性のストレス」の場合は、親が子どもに虐待やネグレクトをしたり、といったことはありません。しかし、家庭内の意思疎通がうまくいかず、漠然と子どもが居場所のなさを感じ取り、孤立してしまうのです。
このような子供時代の「安心できる居場所の喪失」こそが解離や対人過敏症状を招いているようです。
対人過敏症状にどう対処するか
対人過敏症状を持つ人たちは、普通の人にとっては、なんともない状況や人間関係が、強いストレスになります。そのため、解離性障害をはじめ、心身に不調を抱え、うつや疲れやすさを訴える場合が多いそうです。
多くの場合、対人過敏症状を抱える人が対処法として用いているのが、「解離」というメカニズムです。解離とは心を飛ばすこと、分けることであり、空想の世界に避難することも含まれます。
解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論にはこうあります。
彼女たちにとってこの世界はいつ何時恐れていたことが起こるかもしれない緊張に満ちた世界である。安心して落ち着ける居場所を見つけられず、じゅうぶんに包まれているという体験をすることがなかった。
…空想的世界は、現実の世界に安心できる居場所を見つけられなかった患者がかろうじて作り出した避難できる居場所である。(p221)
対人過敏症状を持つ人たちは、解離によって、別の空想的世界を創りだして、そこから癒やしを得ようとする場合があるのです。
解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)には、その一つの実例が書かれています。
私は幼稚園の時に存在しない子と遊んでいた。いつも夕方になるとブランコで遊んでいた男の子がいた。唯一の友達だった。
…その子は唯一「私と同類かもしれない」と思った人でした。その子といるときだけは子どもの役を演じなくても話ができた。
小さいときから、家庭は決して自分の居場所ではなかった。常に自分はどこにいても浮いてしまう。彼もきっと同じ考えをもつ人間だった。(p129)
これは、空想の友達(イマジナリーコンパニオン)と呼ばれる現象です。会話することもでき、目で見ることも、声を聞くことも、触れることさえもできる空想の別人格を作り出し、交流するのです。
子どもの場合、この現象は、ストレスとは関係のない、一般的な発達の過程だと言われていますが、この例の場合は、明確にストレスが原因であると回想されています。
現実の他者に過度の怯えを持つ人たちにとって、自分が創りだした世界や、その中に存在する空想の人たちだけが、心を癒やしてくれる存在となっていることもしばしばです。
わかりやすい「解離性障害」入門にはこうあります。
解離性障害の患者さんでは、大人になってもイマジナリーコンパニオンの存在によって心のバランスを保っている場合があります。
もちろん、空想の人物ではなく、空想の避難場所などが、この役割を果たしていることもあります。
このような空想の世界は、一見、対人過敏症状からの逃避にすぎず、問題から目を背けているように思われるかもしれません。しかし解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論によると、こうした能力が支えになることが認められています。
解離の人々はこのように空想的避難場所を心にありありと描くことができる。
このことは治療的にも重要であり、オークランダーOaklander,v.は心の中に安心できる場所を思い描くことを推奨している。(p221)
もちろん、空想的世界は現実の他者への不信感を土台としていることも多いので、根本的な解決のためには、原因となっている愛着外傷を癒やす必要があると思われます。
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)という本には、愛着障害を克服する方法として、いろいろな点が書かれています。
まず、関係性のストレスの原因となっている親との絆を深めることができるなら、その努力を通して、愛着の修復を図ることができるでしょう。
先日の報道では、愛着障害のため犯罪まで犯してしまったある少女は、手紙のやりとりを通して、親との和解、関係の修復に努めている、という話がありました。
また、セラピーやカウンセリングを通して、傷ついた自己を言葉やアートで自由に表現したり、他人に話す、といった体験が、癒やしのきっかけになることもあります。今までだれにも言えなかった体験を話す場を作るのです。
そうした行動を通して、自分を受け止めてくれる存在とめぐり合うことができれば、それは愛着関係を学び直すよい機会になるでしょう。
たとえそうした存在が見つからないとしても、回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)によると、マインドフルネス認知療法などを通して、自分の気持ちと向き合い、それをありのままに受け入れることが助けになるとも書かれています。
いずれにしても、これまで、決して他人に表現できなかった、自分の本音や、ありのままの気持ちを何らかの仕方で表現し、受け止めてもらうことが、解決の糸口になる、ということが うかがえます。
他人への絶対的な不信感を打ち崩すには、凍りついた心を溶かすだけの温かさが必要なのでしょう。
残念ながら、今の世の中でそうした温かさと出会うことは難しく、特に対人過敏症状を持つ人にとっては容易ではありません。
しかし、多少なりとも、自分を表現できる場や、少数であっても信頼できる人がいれば、心身のストレスは大きく軽減されるものと思います。
対人過敏症状や愛着障害そのものを癒やすことを目的とすると、その難しさに尻込みしてしまうかもしれませんが、まずはごく小さな「安心できる居場所」を見つけることから始めてみるのはいかがでしょうか。