注意力と、疲労や痛みの感じやすさが関わっている場合がある。この話題について、このブログでは以前から何度か話題にしてきました。
たとえば、その名の通り注意力に関する問題を抱えているADHD(注意欠如・多動症/注意欠陥・多動性障害)の人は、慢性疲労症候群や線維筋痛症などの、疲労や痛みの症候群を抱えやすいという国内外の専門医の見解があります。
ADHDの人は若くして慢性疲労症候群(CFS)になりやすい―治療で疲労や痛みが改善 | いつも空が見えるから |
線維筋痛症の専門家の戸田克広先生はこう書いています。
時間と共に, ADHD (大部分は不注意な型) は慢性疲労と痛みの症候群に進展することをこの論文は示唆。
しかし、どうして注意力に問題があると、慢性的な疲労や痛みを感じやすいのでしょうか。
その点については、参考となる資料はあまり多くなく、現時点で集められたのは断片的な情報です。しかしそれでも、情報を整理してみると、(あくまで個人的な推測を含みますが)それなりに説得力のある理由が見えてきたように思います。
問題は、注意力の欠如また欠陥にあるのではなく、注意力のコントロール能力にあるのではないか。これが出発点です。
注意のコントロール能力がいかに痛みや疲労と関わっているか、フロー状態、マインドフルネス瞑想、ワーキングメモリー、注意配分能力などのキーワードから考えてみましょう。
注意のコントロール力が高い人たち―痛みや疲労を感じない
ADHD(特に不注意優勢型)が注意力のコントロール能力の欠如で疲労や痛みを感じにくいのであれば、逆に注意のコントロール能力が高いゆえに、疲労や痛みを感じにくい人はいるのでしょうか。
もちろん存在します。まずは、対照例となる、それら痛みや疲労を感じにくい状態になった人たちについて考えましょう。
そのような例は、競技に没頭する運動選手などによく見られます。
運動選手の「ゾーン」「フロー状態」
フロー体験入門―楽しみと創造の心理学という本にはこうあります。
たとえば伯仲した試合をしている時、チェスの選手は空腹にも頭痛にも気づかずに何時間も続けることができる。
試合中の運動選手は、試合が終わるまで痛みや疲労に注意を払わないでいることができる。注意を集中すると、小さな痛みや苦しみは意識に上る機会がないのである。(p62)
試合中の運動選手や、チェスの選手は、痛みや疲労を感じにくいことが書かれています。
ここでは、「小さな痛みや苦しみ」とされていますが、決して小さいとはいえない痛みさえ感じなくなってしまう人もいます。
たとえば、1998年フランスワールドカップに出場したサッカーの中山雅史選手は、試合途中で足を骨折するという重傷を負いました。しかし痛みを感じる素振りすら見せず、試合終了まで走り続けました。
相撲取りの横綱貴乃花は、2001年の5月場所、14日目に、右膝半月板損傷という力士生命に関わる大怪我を負いました。ところが翌日、貴乃花は強行出場し、痛みをものともせずにもう一人の横綱との決戦に勝ち、優勝をもぎ取ったのです。
このような例の場合、中山雅史や貴乃花は、スポーツで言われるところの「ゾーン」と呼ばれる状態に入っていたと考えられます。これは心理学用語では「フロー状態」といいます。
「ゾーン」や「フロー状態」とは、完全に没頭し、試合に集中している状態のことをさします。その間は時間感覚もゆっくりになり、相手の動きがスローで見えると言う人もいます。
この状態になると、強い痛みや疲労があってもそれを感じることはありません。完全に注意力をコントロールして、試合に注意を向け、痛みや疲労に注意がいかないようにしているため、それらを感じることがないのです。
「フロー状態」は何もスポーツ選手だけのものではありません。たとえば趣味に没頭して時間を忘れるのも、一種のフロー状態です。
同じ本にはこんな研究のデータが書かれています。
一つの興味深い発見は、たとえば週末や、勉強や仕事をしていない時に、頭痛や背中の痛みのような身体症状が、かなり多く報告されることである。
ガンのある女性は、友人と一緒にいる時か、何かの活動に関わっているときは、その痛みさえ我慢できるものになる。…これはフロー体験について知られていることに当てはまる。(p64)
たとえガンのような身体的に強い痛みであっても、楽しいことに注意を向けて集中し、没頭しているときは、痛みが軽くなるということが書かれています。
特に慢性的な病気によって疲労や痛みを感じている人であれば、親しい友人と話したり、ゲームに集中したり、趣味を楽しんだりしているときは、病気の辛さを忘れられるという人も多いのではないでしょうか。
もちろん、注意力のコントロールによって、ガンなどの病気が治ったり改善したりするわけではありません。病気の症状そのものは変わりませんが、それを感じる度合いが減るのです。
これは前述した運動選手の「ゾーン」の縮小版であり、注意力をうまくコントロールし、痛みや疲労以外のものに向けることができれば、そうした不快な症状は少なくなることを示しています。
マインドフルネス瞑想―注意のコントロール力の訓練
注意のコントロール能力を高めれば、痛みや疲労が軽減する。
これを応用した医学的な治療法がジョン・カバット・ジンが提唱したマインドフルネス瞑想、およびそれをもとにしたマインドフルネス認知療行動療法です。
マインドフルネス瞑想は、自分の注意を意識的にある場所に向け、雑念が入り込むのを防ぎ、注意力をコントロールする能力を向上させる訓練です。
マインドフルネス瞑想は通常、次のようなステップにそって行われます。
■目を閉じて座り、注意を呼吸に集中する。
■注意がそれて、何か別のことを考えているのに気づいたら、注意を自分の呼吸に戻す。
注意を呼吸につなぎとめることによって、意識がさまよったり雑念が浮かんだりするのを防ぎ、注意のコントロール能力を高めます。
このマインドフルネス瞑想によって、慢性リウマチや線維筋痛症の痛みが軽減することがわかっています。
この場合も、マインドフルネス瞑想は、リウマチや線維筋痛症の痛みの原因となっている身体的な不具合そのものを改善するわけではありません。しかし同じ程度の痛みがあっても、注意力をコントロールすることで痛みを感じにくくなるのです。
日経サイエンス2015年01月号によると、1万時間瞑想したチベット仏教の達人は、普通の人よりたやすく精神集中できるそうです。その状態は流れに没入する音楽家やスポーツ選手のフロー状態、つまり「ゾーン」と似ていると言われています。
マインドフルネス瞑想が注意のコントロール能力を高めるメカニズムには、脳のワーキングメモリー(作業記憶)の容量が関係しています。こう書かれています。
ワーキングメモリーの容量が大きい人(大きなホワイトボードを備えている人)は気分を制御して注意散漫になるのを防ぐのがうまい。
…マインドフルネス訓練に毎日12分以上取り組んだ海兵隊員は、ワーキングメモリー容量と集中力、気分を8週間にわたって安定に保った。
訓練するほど効果はよく、最も多く訓練した人たちは実験終了時点で記憶力と気分が実験開始時よりも向上していた。(p49)
このとき、脳の中では、どんなことが起こっているのでしょうか。 脳科学は人格を変えられるか?という本にはこう書かれています。
前頭前野に強烈な活動の波が起こり、それに応じるように扁桃体の活動がしずまるという古典的かつ規則的な反応が見られたのは、マインドフルネスの度合いがもともと高い人のほうだった。(p277)
前頭前野(前頭葉)は、ワーキングメモリーの機能の中枢とされている場所です。マインドフルネスの状態になると、ワーキングメモリーを担う前頭前野が活性化し、不快感を感じる扁桃体の活動を抑えこむのです。こうして痛みなどの不快感が軽減されます。
注意のコントロール力が低い人たち―ADHDと疲労・痛み
ここまでは、注意のコントロール能力が高いために、また訓練によって高くすることができたゆえに、痛みや疲労の感覚を小さくできる人たちについて説明しました。
これに対し、ADHD(注意欠如・多動症/注意欠陥・多動性障害)の人たちは、まさに正反対の位置にいます。ADHDは注意力のコントロール能力が弱いことで知られています。
ちょっと待ってください、ADHDは注意のコントロールの問題ではなく、注意力そのものが欠如しているのではないでしょうか? という人もいるかもしれません。確かに、ADHDの症状で目立ちやすいのは不注意や注意力散漫です。
しかし不注意や注意力散漫は、注意力の不足ではなく、注意力のコントロール能力の不足です。授業に集中しない間、ADHDの子どもは空想にふけっていたりします。これは注意力がないわけではなく、注意を向ける対象をコントロールする力が弱いことを示しています。
その証拠に、ADHDの人は、興味のあることには過集中することができます。驚異的な集中力、注意力を発揮して、没頭します。注意力が足りないわけではないのです。
痛みや疲労に気を取られて注意を切り替えられない
さきほどのスポーツ選手たちは、強い痛みや疲労があっても、注意力を巧みにコントロールして、それらの不快感ではなく、試合に注意を向けることで、痛みや疲労を感じませんでした。
ADHDの人は逆に、注意のコントロールが下手なので、日常生活で感じる痛みや疲労のほうに気を取られると、別のことに注意を切り替えることができません。
たとえ、それほど重大な痛みや疲労でなくても、そちらに注意を向け続けてしまい、頭の中が占領されてしまいます。そうすると慢性的に強い痛みや疲労を感じるようになります。ある意味で痛みや疲労に過集中してしまっている状態です。
スルーできない脳―自閉は情報の便秘ですによると、アメリカのADHDの専門家、ジョエル・ヤング医師はこの点を、こう表現しています。
同様に低レベルの痛みを経験しても、健常の人々なら、痛みを意識のある一部分に隔離し、生活のほかの局面を維持できる。
ところが、雑念を無視する力の弱いADHDの人々は、不快刺激に頭を占領されてしまうのではなかろうか?
ADHDの人は、たまたま興味のあることに過集中できると、フロー状態になったガン患者と同様、気が紛れて痛みや疲労を忘れて活動できます。
しかし、そもそも過集中するということは、注意のコントロールが下手で、一度集中すると別のものに注意を切り替えられないことを示しています。
過集中とは、時間や場所を忘れて趣味などに没頭することで、その間にだれかに用事を頼まれても注意を切り替えることができません。ひどい場合はトイレにも行けません。別のことをするために注意を切り替えるコントロール能力がないからです。
このため、趣味に気を取られて過集中するのと同様、痛みや疲労に気を取られてしまうと、そこから抜け出せなくなってしまうのです。いずれの場合も、自分では注意を切り替えられないという、注意のコントロール能力の欠如が関係しています。
ワーキングメモリーの不足とマルチタスク
過集中とは、別の言い方で表現すれば、マルチタスクが苦手なことを示しています。一つのことに集中し、没頭するので、二つの作業を同時にすることができません。心理学用語で言うところの「注意配分能力」が欠けているのです。
一つのことに没頭して、別のことが同時にできない、という注意配分能力の欠如は、ADHDの症状のいろいろな面を説明する助けになります。
たとえばADHDの人は時間感覚が欠けている、という専門家もいます。15分、1時間という区切られた時間を意識することができず、必ず予定をオーバーしてしまって、遅刻の常習犯になったりします。
ADHDの時間感覚の欠如にはいろいろな要素が関係していると思われますが、ひとつにはマルチタスクができない注意配分能力の欠如が反映されています。作業をしながら時間を気にするということは一種のマルチタスクだからです。
作業そのものに集中してしまって、時間配分を気にする、ということに注意を振り分けられないので、時間や予定を守ることができないのではないか、と考えられます。
痛みや疲労への弱さも、マルチタスクが苦手という観点から説明できます。痛みや疲労と付き合いながら日常生活をするというのは一種のマルチタスクですが、注意配分能力が弱いと、痛みや疲労だけに気を取られてしまい、同時に日常生活をこなすことができないのです。
疲労研究の専門家、梶本修身先生による 最新医学でスッキリ! 「体の疲れ」が消える本 (成美文庫)によると、このマルチタスクの能力の源は、さきほども登場したワーキングメモリです。梶本先生は、ワーキングメモリーの容量が少ない人は疲れやすいことを示唆しています。
注意をうまく配分するには、複数の作業を同時に行う「ワーキングメモリ」の能力が必要です。
…注意をうまく配分しながら同時に二つのことを行うことで作業が効率化し、結果として疲れることを防いでくれます。(p180)
ワーキングメモリの容量は、疲労の感じやすさと深く関係している可能性があります。
日経サイエンス2015年01月号によると、ワーキングメモリーの役割はこう説明されています。
ワーキングメモリーは選択した情報を数秒間だけ保持して操作する能力だ。
いわば頭の中のホワイトボードのようなもので、注意力と一致協力して機能する。
注意によって情報をホワイトボードに書き込み、気を散らすものが近寄らないようにしている。(p49)
ワーキングメモリーをホワイトボードに例えると、注意配分能力との関係がわかります。ワーキングメモリの容量が大きい(ホワイトボードが大きい)と、ひとつ項目を書き込んでも、別の項目を書き込む余裕があります。これがマルチタスクを可能にします。
パソコンに詳しい人は、メモリの容量が大きく、たくさんのプログラムを同時に立ち上げられる高性能なPCを想像していただけたらわかりやすいでしょう。
それに対し、ワーキングメモリーの容量が小さい(ホワイトボードが小さい)と、最初に書き込んだ項目で余白がいっぱいになり、新たに書き加えることができません。これがADHDの人の頭です。
メモリが少なくて、たくさんソフトを立ち上げると、容易にフリーズしたりクラッシュしたりするPCのようなものです。同時にひとつしかできないのです。
ADHDの人のワーキングメモリーが少ないことについては、専門家も認めています。図解 よくわかる大人のADHDやという本にはこうあります。
ADHDの場合、前頭前野の機能が十分働かないことにより、集中力の維持、感情の抑制、行動の計画、思慮深さ、ワーキングメモリー(学習や認知などの情報を処理するために一時的に保持される作業記憶のこと)などに弱さが見られます。(p36)
ワーキングメモリーと、それをつかさどる前頭前野の機能が弱いと書かれています。
すでにお気づきの通り、これは、マインドフルネス瞑想の達人の脳と正反対の状態です。
マインドフルネスを訓練した人の脳は前頭前野が活発で、ワーキングメモリーの容量が大きく、痛みを隔離できました。ホワイトボードが大きいので、痛みや疲労についての項目を書き込んでもまだいろいろなことを書き込む余裕があったのです。
ところがADHDの人は、前頭前野の血流が悪く、ワーキングメモリの容量が少ししかありません。小さなホワイトボードに痛みや疲労について書き込まれると、それだけで頭が占領されてしまい、日常生活が不可能になるのです。
最近の研究では、前頭前野の血流をはかることでADHDを80%診断できるとも報道されています。ADHDと前頭前野の血流の弱さ、それに起因するワーキングメモリの容量の少なさは、切っても切れない関係にあるのです。
注意力のコントロールと痛み・疲労の感じやすさ
注意力のコントロールと痛みや疲労の度合いが関わっていることを示唆する要素は、ほかにもいろいろとあります。
■助産師は、出産の際、妊婦が目を閉じないように話しかけます。理由の一つは、目を閉じてしまうと、痛みに注意が向いて、より強い痛みを感じてしまうからです。
■不合理だからすべてがうまくいく―行動経済学で「人を動かす」によると、数を数えること、特に逆から数えることで、痛みが少し感じにくくなるそうです。より大きな注意力をそちらに向けることで痛みから気をそらすのです。(p373)
■ガン患者の疲労倦怠感の除去に、以前はADHDの薬と同成分のリタリンが使われていたそうです。この場合も注意力のコントロールを高めて、疲労感を軽減していたのかもしれません。
疲労や痛みを強く感じるADHDの人に、注意力を高める薬として、リタリンと同成分のコンサータなどを用いると、それらの症状が緩和するそうです。
さきほど登場した、スルーできない脳―自閉は情報の便秘ですの中で、ジョエル・ヤング医師はこう説明しています。
ADHDの第一選択薬である中枢神経刺激剤を処方することになる。すると、合併していたこれらの病気まで、同時に改善したと報告する人が相次いだのだ。
どうやら、ADHDの薬がじかに症状をやわらげたわけではなく、痛みや疲労があっても、気をまぎらしながら乗りこなしていくことが巧みになるらしい。
この記述は、ここまで考えてきた事柄と一致します。
つまり、注意力のコントロール能力が高まっても、もともとの体の痛みや疲労が消えるわけではありません。マインドフルネス瞑想によってリウマチが治るわけではないのと同様です。
しかし注意力のコントロール能力が高まると、そうした痛みや疲労に気を取られにくくなるのです。
特に、不注意優勢型ADHDの人は、もともと何かの病気で疲労や痛みを感じているというよりは、注意のコントロールができないことによって、健常人が普通に耐えている痛みや疲労を、強く感じしまうことが、慢性的な疲労や痛みの原因となっています。
そうであれば、薬やその他の訓練で、前頭前野の活動を活性化させ、不快刺激を押さえ込めるようになれば、正常な生活を取り戻せる場合もあるのです。
この記事で考えてきたことをまとめましょう。
■注意のコントロールを高める訓練によって、慢性的な痛みを伴う病気が緩和される。(フロー状態、マインドフルネス瞑想)
■注意のコントロールがうまくできないADHDでは、定型発達者が無視できる程度の疲労や痛みが慢性的な症候群として感じられることがある。(ワーキングメモリと注意配分能力の不足)
いずれにしても、注意力のコントロールは、わたしたちが感じる不快刺激の程度と深く関係しているのです。
この記事に書いたことは、いろいろな情報にもとづいていますが、細かな説明においては推測に基づく部分も多く、正確でない可能性もあります。
しかし、もし、この記事をお読みの方で、慢性的な痛みや疲労と闘っている人がいるなら、注意力のコントロールという新しい手法を生活に組み入れることで、生活のレベルを改善できる可能性があるかもしれません。