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熊谷晋一郎先生による自閉スペクトラム症(ASD)の論考―社会的な少数派が「障害」と見なされている

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京大学先端科学技術研究センター准教授の熊谷晋一郎先生(@skumagaya)による、自閉スペクトラム症(ASD)についての論考が、週刊医学界新聞に寄稿されていました。

自閉スペクトラム症(ASD)、アスペルガー症候群(AS)は、コミュニケーションや社会性の障害があると言われますが、実際には多数派に馴染めない少数派であるだけなのではないか、という考察が展開されています。

医学書院/週刊医学界新聞(第3136号 2015年08月03日)

多数派に馴染めない少数派は「障害」とみなされる

熊谷晋一郎先生は、パートナーのASD当事者の綾屋紗月さんと共に、障害者の立場からの当事者研究という概念を広めておられる方です。

自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorders;ASD)は、DSM5によると、

■社会的コミュニケーションと社会的相互作用における持続的な欠損
■行動,興味,活動の限局的かつ反復的なパターン

という二つの特徴で定義される神経発達障害だとされています。

しかし障害学においては、障害とは

■インペアメント(impairment):個体側の特徴
■ディスアビリティ(disability):多数派の個体的特徴に合わせてデザインされた,制度・道具・規範などの人為的環境とインペアメントとの間に生じる齟齬

の二つに区別されていて、ASDはインペアメントではなく、ディスアビリティに属するといいます。

どういうことかというと、ASDは、足の障害で歩けないといった、自分自身の特徴のために不自由さを感じているもの(インペアメント)わけではなく、社会においてASDが少数派だから不自由さを感じているというもの(ディスアビリティ)だということのようです。

わたしたちの社会は、あくまで多数派に合わせ、デザインされたものです。ほとんどの人は、それが当たり前と思って気づかないでしょうが、もし、少数派の人たちが中心となって社会を作れば、まったく違うものができる可能性があるのです。

そのように、社会やコミュニケーションは、時代や地域によって変化するものだと捉えるなら、多数派が作り上げた社会に馴染めないことを、少数派の人たちの脳や体の障害とみなしてしまうのは、果たして正当なことなのか、という疑問が生じます。

熊谷先生はこう述べます。

社会性やコミュニケーションの成否は,時代や場所とともに変化し得る「社会」のありようとの相関物である。

しかし領域特異的なモデルは,コミュニケーションや社会性の障害を,社会文化的な文脈を超えて永続する「個体」側の特徴としてとらえている。

そのような考え方は,「社会」側の排除傾向を,個人の性質によって正当化する可能性を孕んでいる。

じっさいには、多数派に馴染めない人を受け入れようとしない排他的な「社会」の側に問題があるかもしれないのに、それに馴染めない少数派の側の「個人」の問題であると決めつけてしまっているのかもしれません。

異なる社会性やコミュニケーションを持っているにすぎない

ASDは障害ではなく、少数派ゆえに問題を抱えているにすぎない、という考え方は正しいのでしょうか。

研究はそのことを裏付けていて、ASDの人は、必ずしも社会性やコミュニケーションの障害を抱えていると一方的に決めつけることはできない、といえる根拠が持ち上がっています。

ASD者のコミュニティーや,ASD児の日常生活を調査した人類学的な研究により,ASD者は社会性やコミュニケーションに障害があるのではなく,多数派の人々が共有しているデザインとは異なる社会性やコミュニケーションを持つ可能性が示唆されている。

少数派のASDの人たちは、障害を持っているわけではなく、多数派を占める定型発達の人たちとは違った仕方で世界を見、違った感覚で世の中を体験しているにすぎないのではないか、ということが、当事者研究を通して明らかになってきたのです

このブログでもASD、アスペルガーの人は、定型発達の人とのコミュニケーションは難しくても、ASD同士だと、円滑にコミュニケーションし、共感しあえる、という事例をいくつも取り上げてきました。

「自閉症という謎に迫る 研究最前線報告」の5つのポイント | いつも空が見えるから
【11/11】ASDの人は互いに共感し合える | いつも空が見えるから
アスペルガーから見たおかしな定型発達症候群 | いつも空が見えるから

これは、ASDの人そのものに障害があるわけではなく、多数派を占める定型発達の人と、コミュニケーションの方法が違うにすぎない、ということを示しています。

社会の常識、マナー、規範というものは、いつも多数派の人たちが作り上げるものですが、それらに馴染めないからといって、「障害」だと決めつけてしまうのは、多数派の数の暴力や偏見によるものだといえるでしょう。

熊谷先生は、こうした異なる感覚体験について多数派にも理解してもらえるよう、自閉スペクトラム症の感覚世界を経験できるヘッドマウントディスプレイ(HMD)の制作が行われたことに触れています。

大阪大学の長井志江特任准教授が携わるその研究については、このブログでも取り上げました。

自閉スペクトラム症の独特な視覚世界を体験 | いつも空が見えるから

熊谷先生は、この論考を最後にこう結んでいます。

われわれは,社会性やコミュニケーション障害というラベルを貼ることで,特定の人々に社会への過剰適応を強いているのではないか。

少数派を包摂する社会のデザインを考える――すなわち,社会モデルに基づくASD者への支援を考えるなら,経験的研究を積み上げる以前に,ASD概念自体を慎重に吟味する必要がある。

人間社会において、多数派が正当、正しいものとされ、少数派がいわれなき差別や偏見にさらされ、社会の隅に追いやられたり、心痛を味わったり、迫害されたり、といった歴史はたびたび繰り返されてきました。

多数派民族による人種差別、国家宗教による他の宗派の弾圧などはその一例にすぎません。身近なところでいえば、多数派を占める朝型の人が作った社会に馴染めない、遺伝的な夜型の人たちとも関係がある、ということも以前に取り上げました。

時間生物学によると若者の夜ふかしはゲームやスマホのせいではない! | いつも空が見えるから

自閉スペクトラム症(ASD)の問題をそのような観点から捉え直すと、それは障害ではなく個性であることがわかります。

ASDの人が「障害」とみなされるほどの生きづらさを感じたり、二次的に病気を発症するとしても、それは、本人の問題なのではなく、彼らを受け入れようとしない社会がもたらすストレスなのではないか、という新たな視点が得られます。

このようなさまざまな観点からの考察、特に少数派の当事者たちからの意見を通して、わたしたちがお互いに対する理解を深め、自分と違うところを持つ人、別の文化を持つ人、異なる国の人などを受け入れる心を養うことは、これからの多様な社会を生きる上でとても大切だと思います。


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