あなた、またはご家族や友だちのだれかが、時に攻撃的になったり、リストカットしたりすることがありますか? 世の中では、そのような人はボーダーライン(BPD)だとみなされることが少なくありません。
この分野の専門家、岡野憲一郎先生は著書続解離性障害の中でこう述べます。
従来は、衝動性が強くリストカット等の自傷行為を繰り返し、時に非常に被害妄想的になり、治療者や両親や恋人を激しく責める人々を、臨床家たちはあまり迷うことなく、BPDと診断する傾向にあった。(p22)
ところが、近年の研究で、一見ボーダーラインに見える人たちの中に、実はまったく違う別の病気、「解離性障害」や「解離性同一性障害」(多重人格)の人が紛れ込んでいることがわかってきました。
ボーダーラインと解離性障害は表面的には似ていますが、やはり解離を専門とする柴山雅俊先生は、著書解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論の中ではっきりこう述べます。
解離性障害の患者さんはしばしば境界性パーソナリティ障害と診断されます。…そのことはあまり治療に結びつかないといえるでしょう。
…解離性障害はパーソナリティが障害されているわけではありません。二つは別の病気です。(p78)
この記事では、岡野憲一郎先生の続解離性障害を中心に、いくつかの本から、よく似ていて誤解されがちな、境界性パーソナリティ障害(BPD)と解離性障害の7つの違いについて、詳しく取り上げたいと思います。
これはどんな本?
今回、中心的に取り上げる岡野憲一郎先生の著書続解離性障害は、前著解離性障害―多重人格の理解と治療の続きです。
摩訶不思議な解離の理論について、歴史から脳科学的な分析に至るまでとても詳しく考察されおり、理解が深まります。
巻末には、前著と同様、解離の専門家4人(岡野先生、柴山先生、奥田先生、そして今回は野間先生も)の対談が載せられていて、色々な観点からの意見に触れることができます。
ボーダーラインと解離性障害の7つの違い
はじめに境界性パーソナリティ障害と、解離性障害について簡単に考えておきましょう。
境界性パーソナリティ障害(ボーダーライン)は、リストカットのほかに、見捨てられ不安が強く、他人に過剰に期待したり、逆に突然全否定したりする不安定で激しい人間関係が特徴です。詳しくはこちらをご覧ください。
解離性障害のほうは、やはりリストカットはあるものの、現実感がなくなり、夢の世界に生きているかのような感覚が生じ、気配過敏や人への恐怖心が生じることが特徴です。詳しくはこちらをご覧ください。
ボーダーラインと解離性障害は、どちらもリストカットや認知の歪みがあるので一見似ているとも言われますが、本当に別のものなのでしょうか。
岡野憲一郎先生は、はっきりとこう書いています。
大概において、DIDは、BPDとはまったく異なる精神病理を持つというのが私の見解である。(p22)
柴山雅俊先生も、解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論の中で、解離性障害とボーダーラインが異なるといえる理由を次のように列挙しています。
解離の患者は「ボーダーライン」とは異なっている。
解離の患者は「ボーダーライン」のように周囲に操作的ではない。
周囲に対する攻撃性も少ない。治療構造の破壊もほとんどない。
治療者に対する脱価値化と理想化の交代もほとんどない。
…もちろん解離性障害に「ボーダーライン」が併存することはあるが、その頻度は一般に思われているよりも少ない。(p210)
一見、よく似ているように思われるボーダーラインと解離性障害は、実は根本的なところから異なる別のものなのです。
これから、ボーダーラインと解離性障害の違いを7つの観点から、段階的に説明したいと思います。
1.激しく攻撃的⇔穏やかで優しい
外傷的なことがあった場合、相手を執拗に責めるのがボーダーラインで、その体験自体を感じないように離人的になるのが解離、と言ってもいいかもしれません。(p209)
これは続解離性障害に載せられている解離と摂食障害などの専門家、野間俊一先生の言葉です。
境界性パーソナリティ障害の人の大きな特徴のひとつは、対人関係の不安定さです。相手を理想化して急に親しくなったり、その相手にいきなり絶望して全否定したりします。
そのため、境界性パーソナリティ障害の人の周りの家族や友人は、あまりの激変ぶりに戸惑って、振り回されることが少なくありません。本人も、それをコントロールできず、苦しみを抱えています。
しかし、解離性障害の人はそれとはまったく異なるといいます。
ちなみに患者の対人関係の敏感さということに関連して、私が自験例からほぼ共通して受ける印象がある。それは彼女たちが非常に「人に優しい」ということである。
患者はおおむね人の気持ちに敏感で、治療者に対しても繊細な気づきを見せ、あるいは過剰なまでに気を使い、少なくとも主人格の状態ではあからさまな攻撃性をほとんど見せないという点が特徴的なのである。(p82)
解離性障害の人は、激しい怒りや攻撃性を示すことがほとんどありません。対人関係でトラブルを引き起こすようなことはなく、むしろ過剰に気を使う「いい人」「優しい人」なのです。
しかし一部例外があって…
ただし、DIDの中には相当荒っぽい人格が中にいる人がいて、その人格が外に出ると、一見ボーダーラインに見えます。しかし一時的なのです。(p207)
と書かれています。
つまり基本的には優しくていい人なのですが、交代人格がある解離性同一性障害(DID)、つまり多重人格の人の場合は、攻撃的な人格に無意識のうちに切り替わってしまうことがあるようです。
それを物語る最たる例がこのようにつづられています。
アメリカではあるプロレスラーのDIDの方との体験がすごかったです。190センチ以上のリタイアしたプロレスラー。だから凶暴な人格を出さないようにと毎回必死でした。
その人はかつてその人格のために2度ほど人を殺しかけているのです。でもすごくいい人でした。(p224)
この場合、攻撃的な人格の存在は脅威でした。怒りを爆発させる危険もありました。
しかし、常に気分が変動しやすい境界性パーソナリティ障害と違い、やはりこの人は、人格交代しないかぎり、紛れもなく「すごくいい人」だったのです。
2.相手にぶつける「投影」⇔自分に抱え込む「取り入れ」
なぜ、境界性パーソナリティ障害は激しく攻撃的で、解離性障害は穏やかで優しいのでしょうか。
そのことの背景には、それぞれが普段用いている、問題対処のための防衛機制がまったく異なる、という理由があります。
人がストレスに満ちた対人関係において用いる機制に関して、投影projectionが優位か、取り入れintrojectioが優位かという大まかな分類が可能であろうということである。 (p65)
対人関係のストレスに対処するとき、わたしたちはみな、この「投影」か「取り入れ」か、どちらかの方法をおもに用いています。
「投影」とは、たとえば問題点を指摘されたとき、アドバイスを受け入れるかわりに、「あんたこそそういう点が問題だ!」それを跳ね返すことです。
いっぽう、「取り入れ」とは、「確かに自分には問題がある…」と受け入れることです。
わたしたちの大半は、この二つをバランスよく用いて日々の人間関係に対処しています。
しかし、ボーダーラインと解離性障害の人は、この防衛機制の用い方が極端に偏っています。
ボーダーラインの人は、「投影」を用いることが非常に多く、何かを指摘されたときに反発して攻撃的になり、つい相手をこきおろしてしまうことがよくあります。
しかし解離性障害の人は「取り入れ」ばかりを用い、何を言われても反論せず、不満や怒りは自分の内側に溜め込んでしまいます。しまいに溜め込まれた怒りが、攻撃的な別人格を形成して、時々人格交代することもあります。
そのようなボーダーラインの「投影」戦略と、解離性障害の「取り入れ」戦略の違いは、こう説明されています。
ボーダーラインの場合は、思春期前に、親が自分を物のように扱っていたと考えるようになって、そして恨みに変わっていったという感じです。
でも解離の場合は、小さいころからどんどん内側にためていって、別の人格をつくってしまう、怒りさえも意識しないという感じです。(p208)
このような人間関係への対処の仕方の違いが、攻撃的で激しいボーダーライン、穏やかで優しい解離性障害という違いをもたらすのです。
3.他人を分ける⇔自分を分ける
ボーダーラインの場合は怒りを外に表し、解離性障害の人は内側に溜め込む。
このことは、それぞれに見られやすい二極化傾向とも関連しています。
岡野先生はこう述べます。
ボーダーラインは外をスプリットする、解離は内側をスプリットする。(p208)
どういう意味でしょうか。
柴山雅俊先生はもう少し噛み砕いてこう述べています。
結局、解離は同調と遮断という両極端に分かれやすい。
ボーダーラインもgoodとbadに分かれやすいが、どちらかというと内容のスプリッティングという印象があります。(p208)
ボーダーラインの人も、解離性障害の人も、物事を二極化しやすい傾向を持っています。しかし二極化する対象は大きく異なっています。
ボーダーラインの人は、「他人」を二極化し、goodとbadでばっさりと分割(スプリット)します。他人を白か黒か、味方か敵かで決めつけてしまいます。昨日まで「白」だった人が、ちょっとしたことで「黒」になることもあります。
それに対し、解離性障害の人は「自分」を二極化し、他の人に過剰に同調するか、自分の殻に引きこもって遮断するか、といった態度をとりがちです。自分を白に変えて同化するか、黒に変えて拒絶するかという二極化に陥りがちなのです。
ボーダーラインの人は、自分の外(=他人)をばっさり二極化し、解離性障害の人は自分の内(=心)をばっさりと分割していると言えるでしょう。
▼解離性障害の過剰同調性
人に過剰に同調してしまう「いい子」「いい人」であるという解離性障害の特徴についてはこちらをご覧ください。
4.自分がからっぽ⇔自分はたくさん
この「他人」を分割する、「自分」を分割する、という違いは、心のありようとも関係しています。
「他人」を分割している境界性パーソナリティ障害の人は、自分の心の中が空虚です。自分の心には何もないからこそ、「他人」を分割し、二極化するのです。
ボーダーラインの人の場合、中は空虚です。空虚さの中に他人をどんどん巻き込んでいく。(p207)
ボーダーラインの人は、自分は空っぽで、自分の中には何もなく、自分自身の存在理由さえ希薄です。
空っぽの自分を埋めてもらうために、現実の他者にしがみつき、なんとかつながっていこうと必死になり、常に「見捨てられ不安」にさいなまれます。
ボーダーラインの人は、現実の他者なくしては生きていくことができません。
ボーダーラインの人の場合には関係を切るわけにはいかないのです。切ると精神的に死んでしまうようなところがあります。
内部は空虚ですから。絶対だれかとつながっているわけです。死んでやると言いながらやはりくっついていく。(p211)
それに対し「自分」、つまり心を分割している解離性障害の人は、心がたくさんに分裂しているわけですから、自分が複数存在しているという感覚を伴います。
典型的な解離の人は、ひとりでいることは寂しくなく、なぜなら自分たちは複数だからと言います。「何々ちゃんがいるから全然寂しくないもの」。(p207)
解離性障害の人は、さまざまな別人格を大勢持っていたり、自分の心の中に空想世界を築いていたりすることがよくあります。
自分の内側の世界を分割し続けているわけですから、世界はどんどん分裂して広がり、心の中に巨大な空間を抱え持つようになるのです。
解離性障害の人は、自分の内側に別人格としての友人や家族(イマジナリーコンパニオン)や、自分を構成する複数の人格(多重人格)を持っていることが少なくなく、自分は複数いると感じています。
そうすると、一人でいても何の寂しさもありません。現実の友人や家族がいなくとも、大きな問題ではないのです。むしろ、自分の内側にいる家族や友人、分身と交流し、情報交換し、自分の世界をメンテナンスするのに忙しいくらいです。
ボーダーラインの人が空っぽな心を誰かに埋めてもらいたいと強く感じるのに対し、解離性障害の人は、自分の内側が充実しているので、現実の他者なんかどうでもいい、と感じることもしばしばです。
世界は自分の内側で完結しているので、現実の世界や、そこに生きる他人のことは、大して重要ではないのです。
そのため、柴山雅俊先生は解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論の中でこう述べます。
現実の他者との関係にしがみつくことを通して救われたいと願うのが「ボーダーライン」患者であるが、解離の患者は現実の他者との関係は希薄であり、それにしがみつくことはしない。(p210)
岡野先生はこう言います。
解離の人の場合は基本的には自分は既に複数だから、ひとりでもやっていけるわけです。(p211)
5.すぐに親しむ浅い関係⇔時間はかかるが深い関係
自分の内側で世界が完結している解離性障害と、自分の内側は空っぽで外にしがみつくしかない境界性パーソナリティ障害とでは、当然、他の人との接し方も大きく異なってきます。
柴山雅俊先生はこう言います。
解離はちょっとかわいらしさがあって、こちらのまなざしによって大きく変わるところがあります。
ボーダーラインの人はこちらのまなざしに関係なく迫ってきます。(p207)
簡単にいえば、解離の人は受け身であり、ボーダーラインの人は積極的に人との関わりを求めます。
もっとこの点をわかりやすく説明しているのが野間俊一先生です。
先ほど、解離性障害の人とは関係がつくりやすいという話がありましたが、私は逆に、初診で出会ってすぐには関係をつくりにくいという印象を持っています。
一見接触性がよくても、本当に信用してもらえていないんだろう、という治療感覚です。…治療を進めていくにつれて、ゆっくりと本当の治療関係ができあがっていくという感じです。
ボーダーラインの人なら初めを押さえればとりあえず続きますが、逆に本当に深まるという感じが持ちにくい。(p211)
解離性障害の人は、はじめは警戒心が強く、なかな人を信頼しません。しかし一度受け入れると、「取り入れ」 による同調性も相まって、非常に深いつながりへと入っていきます。
自分の内側で世界が完結している解離性障害の人にとって、現実の他人は、いわば異物であり、邪魔者です。しかし一度危険性がないとわかれば、自分の内的世界の一部として取り込みます。
対するボーダーラインの人は、自分は空っぽで、自分を満たしてくれる存在をいつも求めているので、新しい人と出会うとすぐに期待を寄せ、理想化して親しくなります。
しかしそもそも完全に満たしてくれる人などこの世には存在しないので、失望し、裏切られ、さらに「投影」によって攻撃してしまい、深い関係にはつながりません。
▼解離性障害の対人過敏
解離性障害の人が持つ、他の人への不信感や対人過敏症状について詳しくはこちら。
6.現実にしがみつく⇔現実から逃れるリストカット
冒頭で述べたように、昨今、リストカットなどの自傷行為が見られると、境界性パーソナリティ障害ではないか、とみなされる風潮があります。
しかし一見同じように思える自傷行為でも、目的や動機が異なる場合が少なくありません。
ここまで考えたような他人との関わり方が、リストカットにも反映されているのです。
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)によると、ボーダーラインと解離性障害のリストカットの違いがこう説明されています。
解離性障害
体からの解放
混乱したりもうろうとした状態のまま自傷行為に至る境界性パーソナリティ障害
「死ぬ」と周りに表明
強く激しい怒りや絶望などの感情を訴えるために「死ぬ」「死んでやる」と、執拗に表明する (p79)
解離性障害のリストカットは、「現実から逃れること」が目的です。リストカットは解離を引き起こしたり、解離から目覚めたりするために行われます。そこに他人の存在はまったく関係していません。
それに対し、境界性パーソナリティ障害のリストカットは、「現実にしがみつくこと」が目的です。自分の苦しみを現実の他者に訴えるために自傷を活用することもあります。
▼自傷行為のさまざまな理由
一見同じように思える自傷行為にさまざまな目的がある点についてはこちらの記事をご覧ください。
7.親への執着⇔親との関係が希薄
ここまで考えてきたような、人間関係への対処の違いや、感情の表現の仕方の違いはどこから生じるのでしょうか。
最後の7番目の点として、解離性障害と境界性パーソナリティ障害のおおもとの違いである、子どものころからの親との愛着関係の違いについて考えたいと思います。
野間俊一先生はボーダーラインと解離性障害の大きな違いは、人への信頼感だといいます。
ボーダーラインの人は相手のことをむちゃくちゃ言うしむちゃなことをやりますが、それは人間に対する信頼感を根本的なところで持っているからだと思います。
解離の人はそこが切れていて、人に対して絶望しているようなところがあるように思えるのですが。(p211)
根本的なところで、人に対する信頼感を持っている境界性パーソナリティ障害、それに対し、人への信頼を持ちあわせておらず絶望している解離性障害。これは大きなキーポイントです。
ボーダーラインの人は、人への信頼感が保たれているからこそ、何度裏切られようが、現実の他人にしがみつき、満たされようとします。
しかし解離性障害の人は、最初から現実の他人に対して、何の期待も抱いていないので、自分の内側に別の世界、決して裏切られることのない世界を創りあげ、外の世界をシャットアウトしてしまいます。
この違いをもたらす主要な原因が、親との愛着関係である、と柴山雅俊先生は、解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論の中で述べています。
「ボーダーライン」患者にとって、権力的であれ自己中心的であれ、親は存在していた。
自分を包む対象や場所を比較的はっきりとイメージできていた。しかし生育歴の中でそれを失ったか、今も喪失の怯えの中に彼らはいる。それが「ボーダーライン」を特徴づける「見捨てられ不安」であろう。
それに対して解離患者では、親も居場所も、私を包んでくれるものはそのイメージさえも希薄であるように思える。(p211)
柴山雅俊先生は、解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)の中でも、境界性パーソナリティ障害は「親への執着」、解離性障害は「親との関係が希薄」な病であると述べています。(p79)
これは、このブログで何度か取り上げている愛着障害の、3つの愛着スタイルとも関係しています。
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)によると、子どものころに親との愛着関係をうまく結べなかった人たちは、置かれた環境によって、愛着不安型(とらわれ型/抵抗・両価型)、愛着回避型、恐れ・回避型(未解決型/混乱型)の3つに分類できます。
…過干渉する親のもとで育った人に多い。人間関係に依存・執着し、見捨てられ不安に敏感
■愛着回避型
…共感性のとぼしい親のもとで育った人に多い。人間関係や失敗を恐れ、引きこもりがち。
■恐れ・回避型(未解決型/混乱型)
…虐待する親や精神疾患を持つ親のもとで育った場合に多い。人が怖い気持ちと、人を求める気持ちが混在する
境界性パーソナリティ障害では、75%が「不安型」、89%が「恐れ・回避型」だそうです。
つまり子どものころの親との関係において、親に執着し、なんとか親との関係をつなぎとめようと努力してきたなごりが「見捨てられ不安」としての境界性パーソナリティ障害を生じさせます。
それに対し、解離性障害は、「回避型」のほうの傾向と関係していそうです。(もちろん、両者の混合である「恐れ・回避型」はどちらとも関係しています)
つまり、もはや親との関係から少しも慰めが得られず、もはや誰に対しても期待しなくなったことで、「他人への不信感」を特徴とする解離性障害につながっているといえるのです。
▼愛着障害とは?
子どものころの親との関係による愛着障害について詳しくはこちらをご覧ください。
ボーダーラインと解離性障害は治療も異なる
ここまで考えてきたことをまとめましょう。境界性パーソナリティ障害(ボーダーライン)と解離性障害には、以下の7つの違いがありました。
…ボーダーラインの人は激しく不安定だが、解離性障害の人は穏やか
2.相手にぶつける「投影」⇔自分に抱え込む「取り入れ」
…ボーダーラインの人は怒りをぶつけるが、解離性障害の人は溜め込む
3.他人を分ける⇔自分を分ける
…ボーダーラインの人は他人を二極化するが、解離性障害の人は自分の心を分割する
4.自分がからっぽ⇔自分はたくさん
…ボーダーラインの人の心は空虚だが、解離性障害の人は豊かな内的世界を持っている
5.すぐに親しむ浅い関係⇔時間はかかるが深い関係
…ボーダーラインの人はすぐ人を理想化するが、解離性障害の人は根深い不信感を持っている
6.現実にしがみつく⇔現実から逃れるリストカット
…ボーダーラインの人は現実にしがみつくために、解離性障害の人は現実から逃れるためにリストカットする
7.親への執着⇔親との関係が希薄
…ボーダーラインの人は親からの見捨てられ不安がベースにあり、解離性障害の人は親への絶望がベースにある
もちろん、すべてがはっきりとどちらかに分かれるわけではなく、両者の特徴を併せ持っていて、どちらかといえば境界性パーソナリティ障害、どちらかといえば解離性障害という人もいると考えられます。
しかしこのリストを見ても分かるように、両者は対極に位置する特徴も多く、当然治療法も大きく変わってくると考えられます。
柴山雅俊先生は、自分がかつて解離を知らないころに受け持った患者についてこう述べています。
当時はボーダーラインとしての眼差ししか向けなかったのです。しかし振り返ってみると、解離的なやり方のほうがうまくいったのではないかと思います。
患者さんのボーダーラインの病態に注目しすぎたために、患者さんをボーダーラインに仕上げてしまったという懸念が拭えません。(p214)
解離性障害の人は、解離に注目しないで治療しても、一見、うまくいっているようにみえることもあるようです。
しかしそれは、持ち前の同調性で医師に合わせているだけであり、根本のところは何も解決していません。
解離や交代人格の存在を否定して治療すると、もともと自分を抑圧している解離性障害の人に、より圧力を加え、自分を押し殺すよう求めることになるので、抑圧された感情が他の精神疾患や心身症、身体表現性障害の形で現れることもあるそうです。(p24,205)
境界性パーソナリティ障害の場合は、認知のトレーニング(認知行動療法など)で考えの歪みを正すことが多いようですが、解離性障害の場合は、解離や別人格を考慮に入れたカウンセリングや精神療法が必要です。
柴山雅俊先生の解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)や解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)には、解離性障害の治療について書かれているので、参考にしてください。
また、解離性障害のベースにある回避性愛着障害の治療については回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)も参考になります。
最後にわたし自身の話をすこし
わたしは回避性愛着障害の記事にも書いたとおり、回避型愛着寄りの人間で、自分が解離的だからこそ解離について色々と調べています。
10代のころ、境界性パーソナリティ障害らしき友だちといろいろ話したのですが、わたしの感じ方と、彼女の感じ方には似ているところがありつつも、どうにも噛み合わず不思議に思いました。
今になって、その違和感が、この記事の4番目の点、「自分がからっぽ/自分はたくさん」の違いだったことに気づきました。彼女は内面が空っぽだったのに対し、わたしは内面の巨大な世界に圧倒されていたのです。
今回、解離性障害の専門家たちの本を通して、長年のこの疑問に片がついたことを嬉しく思います。
この記事を見てくださった境界性パーソナリティ障害(ボーダーライン)の方や、解離性障害の方、その家族やご友人の方にとっても理解が深まり、適切な治療を受けられることを願っています。