「頭が勝手にざわざわする」
「空想はどんどん出てくる。…勝手に湧いてくる」
「時計とかを見ているとそれにまつわる話がばーっと出てくる」
「物を見ていると昔のこととかを全部連想してばーっと想い出して、頭の中がパニックになる」(p29,49,91)
考え、音楽、感情、映像などが連想的に次々と湧き上がってきて、それをコントロールできない状態は、解離の研究では、「思考促迫」(Gedankendrängen)と呼ばれています。
しかし、統合失調症でも同じような症状がみられ、その場合は「自生思考」(Autochthones Denken)と呼ばれます。
さらに、境界性パーソナリティ障害やアスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)でも、やはり同じような暴走する連想や、頭のさわがしさが生じることがあるそうです。
もし、思考促迫や自生思考に悩まされている場合、これらのうちのどれが原因なのかを知るには、どうすればいいのでしょうか。原因がどれかによって、治療・対処の方法も変わってくるので、見極めることはとても大切です。
この記事では、解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論という本から、解離性障害の「思考促迫」とは何か、統合失調症の「自生思考」や、その他の原因の場合とはどのような違いがあるのかを解説します。
また、天才を生んだ孤独な少年期 ―― ダ・ヴィンチからジョブズまでという本から、「思考促迫」を創作に活かしたと思われる夏目漱石から学べる創造性との関連について扱います。
これはどんな本?
今回おもに参考にしている、解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論は、このブログで何度も紹介してきた、柴山雅俊先生による、解離性障害のとても詳しい本です。患者目線で書かれた具体的な症例の数々と、思いやりのある解説が魅力です。
もう一冊の、熊谷高幸先生による天才を生んだ孤独な少年期 ―― ダ・ヴィンチからジョブズまでは夏目漱石の創造性に関するところで参照しています。
創造的な人は、自閉スペクトラム症(ASD)などの傾向を持ち、孤独な少年期を過ごしていることが多いとして、エジソン、ニュートン、ジョブズなどが取り上げられています。
解離性障害の「思考促迫」とは何か
まず、解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論から、「思考促迫」とは何か、という点を引用してみましょう。
解離性障害によくみられる症状として思考促迫(Gedankendrängen)がある。
これは想念や表象像が次から次へと湧き出ては消えていき、意識的に制御することができない体験である。
…内容は一定の主題を持たず、断片的で多様であることが特徴である。(p182)
少しわかりにくいかもしれませんが、まずわかるのは、「思考促迫」は解離性障害に多い症状だということです。
解離性障害とは、世界が遠のいて感じられる離人症や、気配過敏、幻覚などを特徴とする心身の異常です。
さまざまな程度があり、転換症状という形で、多様な身体症状が見られることもあります。さらに重くなると記憶喪失や多重人格に発展する場合もあります。
「思考促迫」の中には、言葉が湧き上がるものもあれば、映像が次々湧き出るものもあります。また、音楽が流れて鳴り止まない人もいるそうです。これらは自分でコントロールできず、ひどくなるとパニックにつながります。
世界が迫ってくる「過敏」症状と関係
解離性障害の症状は、大きく分けると2つに分類できるようです。
それは「離隔」と「過敏」です。
「離隔」は世界から遠く離れていくように感じることで、たとえば現実感がなくなる離人症などは「離隔」の一種です。
もう一つの「過敏」は、そのまったく逆で、世界に異常接近してのめりこんでしまうことです。「思考促迫」は過敏症状の一つだとされています。
気配過敏症状では周囲に対する知覚過敏を伴うことが多いが、動悸、過呼吸、咽頭狭窄感、四肢の感覚異常、吐き気など、多彩な身体症状もみられる。
また思考、感情、表象など広く思考が内的に湧き上がることもある。これは従来、思考促迫などと呼ばれてきた症状であり、過敏状態にみられることが多い。(p137)
まわりの物事に対して、あまりに過敏に心身が反応してしまうため、ちょっとした刺激で、どんどん感情や考え、映像などが湧き上がってしまい、コントロールできなくなってしまうのだと考えられます。
体感異常(セネストパチー)を伴うことも
解離性障害の症状の中には、「体感異常」(セネストパチー)というものがあります。これは統合失調症でも生じることがありますが、体の中に異物感を感じる症状のことです。
「体感異常」と「思考促迫」は互いに関連していることもあり、たとえば、次のような例が報告されています。
「頭の中に熱い固まりがいっぱいあって、それが膨らんだり縮んだりする。
…頭の中にいろんなことがガーッといっぱい入ってきたり、頭がぐちゃぐちゃになったりして、自分で何をしているのかわからなくなってしまう」(p114)
「卵くらいの固まりがが頭の中にあって、そこからシュワーッと炭酸水みたいなものが出てくる。頭が冷たくなる感じ」(p114)
頭の中がさわがしいなどの症状と連動して、頭や体の中に、さまざまな異物感を感じることがあるようです。どんな感覚が生じるかは、人によって千差万別です。
特に頭の中に異物を感じるタイプは若い男性に多いとされています。(p111)
統合失調症の「自生思考」との類似点・違い
ここまでは解離性障害の「思考促迫」を扱ってきました。
しかし実際には、考えが次々に湧き出る、といった症状を医師に話すと、統合失調症との診断をくだされることが非常に多いのではないでしょうか。
そのような症状は、統合失調症では「自生思考」(Autochthones Denken)と呼ばれ、特に発症初期にありふれた症状であると考えられています。
しかし解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論にはこう書かれています。
自生思考の報告の多くは雑念や想像がまとまりなく頭の中に浮かぶ体験として記載されているが、臨床的にはこれのみで統合失調症と診断することは危険であり、その他の症状を考慮してはじめて診断すべきである。(p183)
なぜ「自生思考」によって統合失調症と診断することは「危険」なのでしょうか。なぜなら、もし解離性障害だった場合、統合失調症の薬物療法ではかえって悪化することがあるからです。
統合失調症の「自生思考」と解離性障害の「思考促迫」はよく似ていますが、よく耳を傾けると、違いが読み取り、適切な診断と治療をすることが大切だといいます。
一例として、解離性障害ではない、統合失調症の「自生思考」の例がこう書かれています。
映像や言葉が浮かぶ。まったく関係のない人の名前がポンポン出てくる。
会った人の名前がその後に観たテレビドラマの中の名前と同じだったりして、どういうわけが偶然が重なる。(p183)
これがなぜ統合失調症の「自生思考」だとわかるのでしょうか。ひとつには、「偶然が重なる」という驚きや不意打ちが見られるからだそうです。
以下に、専門家が述べる統合失調症と解離性障害の違いを、簡単にまとめてみました。
■他者の先行性
統合失調症では、「自分が考えるよりも先にだれかが考えを読み取っていた、先回りしていた」という妄想があり、不意打ちのような驚きを感じます。
解離性障害では自分と相手が同調・同化しているので、むしろ意外性はなく「思った通りだった」と感じます。
■妄想
統合失調症では頑固な妄想があり、他者の意見に耳を貸さないことが多いようです。
解離性障害の人は被害妄想を抱くことがあっても、あくまでそんな気がするだけで確信しているわけではありません。
■幻視
どちらも幻聴はあるものの、幻視は統合失調症ではほとんどなく、解離性障害に多いと言われています。
■発症時期
解離性障害は幼少時から解離の傾向を持っていて幻聴などを日常的に経験していることが多いようです。統合失調症はたいてい青年期になってはじめて発症します。
■薬物療法
統合失調症では大量の薬物が必要とされます。しかし解離性障害では悪化するので、ごく少量処方が原則です。
統合失調症と解離性障害の違いについて詳しくは、さまざまな本を参考にまとめた以下の記事をご覧ください。
境界性パーソナリティ障害やアスペルガー症候群でも生じる
「思考促迫」は統合失調症と見分けにくいだけでなく、さらにほかの病態でも生じると言われています。
以上の症状は解離性障害をはじめとして境界例、アスペルガー症候群、初期統合失調症などにしばしば出現するが、詳細に検討すればそれぞれの病態によっ症候学的に若干の差異が認められるかもしれない。(p92)
ここでは、境界例(境界性パーソナリティ障害)、そしてアスペルガー症候群が挙げられています。
解離性障害と境界性パーソナリティ障害、アスペルガー症候群はどうすれば見分けられるのでしょうか。それぞれを見分けるポイントをまとめておきたいと思います。
境界性パーソナリティ障害(BPD)と解離性障害の違い
まず境界性パーソナリティ障害(BPD)は、解離性障害と同じく、子どものころの親との関係などが誘因となり、感情や対人関係の不安定さを特徴とする病態です。ADHDが素因になっている場合もあります。
しかし境界性パーソナリティ障害と解離性障害には大きな違いもあり、治療を円滑に進める点でも、見分けることが大切だそうです。
■性格
解離性障害の人は人格交代がない限りめったに怒らず、非常に優しく穏やかな人です。それに対しBPDの人は非常に不安定で感情を爆発させることがあります。
■人間関係
解離性障害の人は、自分の内面の空想世界が充実しているので寂しさを感じません。BPDの人は常に空虚さを感じているので他者に癒やしを求め、期待したり裏切られたりを繰り返します。
■親との関係
解離性障害の人は、親との関係が希薄で、親はいないもののように感じています。BPDの人はむしろ親へのこだわりが特徴で、見捨てられ不安を抱きがちです。
境界性パーソナリティ障害と解離性障害の違いについて、詳しくは以下の記事をご覧ください。
また境界性パーソナリティ障害の特徴や治療法については、こちらの記事もご覧ください。
アスペルガー症候群(AS)と解離性障害の違い
やはり「思考促迫」などの症状が現れ、解離性障害とも統合失調症とも見分けにくいものとして、アスペルガー症候群(AS)があります。
アスペルガー症候群は、最新の診断基準(DSM-5)では「自閉スペクトラム症」(ASD)に統一されています。
アスペルガー症候群というと、「空気が読めない」などのコミュニケーション障害としてよく知られています。しかし、実際にはさまざまなタイプがあり、空気を読み過ぎてしまう人や、解離症状が強く出るタイプの人もいるそうです。
■中心となる人格
解離性障害の人は、多重人格になるとしても、中心となるメイン人格が存在し、そのまわりに交代人格が作られます。
アスペルガー症候群の人はもともと中心となる自己のイメージが希薄で自然に複数のアイデンティティ、役割、名前などを使い分けるそうです。
■孤独な子ども時代
解離性障害の人は、幼少期のトラウマ体験や虐待・機能不全家庭の影響などが原因となっていることがほとんどです。
それに対しアスペルガー症候群では特に家庭環境などに問題がなくても、家庭や学校で孤独感を感じたり、いじめられたりすることがよくあります。もちろん手のかかる理解しにくい子として虐待されてしまうこともあります。
■性格
アスペルガー症候群の人は、子ども時代から、コミュニケーションの問題を抱えがちです。こだわりや繰り返しなどの執着があり、興味の関心が狭いこともあります。
独特なところがあるため、変わった人と見られることが多く、自分でも異質さを感じて居場所のなさを感じているいることがよくあります。
アスペルガー症候群では「思考促迫」を含め、フラッシュバックとしての幻覚や妄想的な信念が見られることもあり、その場合は、統合失調症との区別が難しくなります。
■発達障害の親族
アスペルガー症候群の場合、家族や親族に発達障害の傾向を示す人が多くいます。統合失調症の場合は、家族や親族に発達障害の人が特に多いということはありません。
■幻覚の種類
どちらも幻聴が生じる場合がありますが、統合失調症では幻視はあまりみられません。アスペルガー症候群で幻聴・幻視がある場合、それは実際にはフラッシュバックのことが多いと言われています。
■幼少期からの性格
アスペルガー症候群の場合は、子ども時代から、独特な性格特徴が見られます。空気が読めない、コミュニケーションができない、学校に居場所がない、独特の口調で離す、興味関心の幅が狭い、こだわりや繰り返しが多いなどです。
■薬物療法
統合失調症では多くの量の薬物が必要ですが、アスペルガー症候群では過敏性があるので、ごく少量処方が原則です。
アスペルガー症候群と解離性障害の違いについては以下の記事にまとめています。
アスペルガー症候群と統合失調症の症状や治療法の違いについては、こちらをご覧ください。
作家の創造性に関係していることも
最後に、「思考促迫」や「自生思考」がもたらす、意外な一面について考えたいと思います。
これまで、「思考促迫」や「自生思考」は、さまざまな疾患に見られる、という点を説明してきました。確かにそれらは、病気の辛い一症状とみなすこともできます。
しかし、「思考促迫」には程度の差があり、病気と健康の境目のレベルであれば、かえって、創造性として、プラスに働くことがあります。
それを証明しているのが、偉大な小説家、夏目漱石のエピソードです。
夏目漱石と解離性障害
夏目漱石は、いわゆる「神経衰弱」という体調不良を患っていたそうで、その「神経衰弱」の正体がなんであったのか、という点については、さまざまに議論されています。
しかし注目に値するのは、夏目漱石の「神経衰弱」は、単なる体の不調ではなかったという点です。
天才を生んだ孤独な少年期 ―― ダ・ヴィンチからジョブズまでという本では、夏目漱石の「文学論」から、次のような言葉が引用されています。
帰朝後の余も依然として神経衰弱にして兼狂人のよしなり。……(中略)。
ただ神経衰弱にして狂人なるがため、『猫』を草し、『漾虚集』を出し、また『鶉籠』を公にするを得たりと思へば、余はこの神経衰弱と狂気に対して深く感謝の意を表するの至当なるを信ず。(p126)
夏目漱石は、自分が「神経衰弱」で「狂人」だと自覚していました。しかし、そのような体調不良に関して恨みつらみを述べるどころか、ここでは、感謝の言葉さえ綴っています。
夏目漱石の言うところによると、 彼のさまざまな小説が生まれたのは、その「神経衰弱」と「狂気」のおかげだったのです。
どうして、そのような病気が、小説を書く手助けになったりするのでしょうか。
さらに興味深いのは、同じ本で引用されている、鏡子夫人が夫を観察して述べたコメントです。
どういうわけかもちろん自分の頭の中でいろいろなことを創作して、私などが言わない言葉が聞こえて、それが古いこと新しいことといろいろに連絡して、幻となって眼の前に現われるものらしく、それにどう備えていいのかこっちは見当がつきません。(p126)
この言葉からすると、どうやら夏目漱石は、「思考促迫」に近い現象を経験していたものと思われます。しかも、それは勝手に幻視として映像が見えるタイプでした。
この本では、妄想らしき言動があったことを根拠に、夏目漱石の病気は統合失調症と関係していたのではないか、と推測されています。
しかし、すでに紹介したように、解離性障害の専門家たちの意見によると、統合失調症では幻視は比較的少なく、むしろ解離性障害に多いものだとされています。
妄想については、確信して聞く耳を持たないレベルでなければ、解離性障害でも見られる場合があります。その場合は妄想というより、豊かな空想がたくましくなりすぎたのだと考えられます。
何より、夏目漱石の文学的創造性が解離性障害と関連していた可能性を示す最も大きな証拠は、その不幸な生い立ちにあります。
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)という本では、夏目漱石が生まれてすぐに実の母親から引き離されて里子に出され、養父母のもとで育ったことが書かれています。(p70)
そのように安定した愛着を育む間もなく養育者が変化する環境に置かれたことで、漱石は親との間の愛着形成がうまくいかず、医学でいうところの、「愛着障害」ともいえる状態になっていたと考えられます。
子どものころに愛着に傷を負うことは、解離性障害や境界性パーソナリティ障害を発症する大きなリスク要因です。
夏目漱石の愛着障害のタイプは、愛着回避がベースであるものの、愛着不安も強かったと推測されています。(p238)
愛着回避は解離性障害と、そして愛着不安は境界性パーソナリティ障害と深く関わっているので、夏目漱石は、解離の傾向が強く対人恐怖があり、若干境界性パーソナリティ障害のような不安定さも持っていたと考えられます。
そのような愛着回避をベースとした解離傾向が、夏目漱石の類まれな文学的創造性の源となっていた可能性があります。
解離性障害と芸術的創造性
愛着障害や解離性障害が、文学的創造性と関係していたとする考えは、極端な見方でしょうか。近年のさまざまな研究によると、そうとは思えません。
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)には、このように書かれています。
愛着障害についてのケースをたどっていくと、すぐに気づかされるのは、作家や文学者に、愛着障害を抱えた人が異様なほどに多いということである。
夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治、三島由紀夫という日本文学を代表する面々が、一様に愛着の問題を抱えていたというのは、驚くべきことである。
ある意味、日本の近代文学は見捨てられた子どもたちの悲しみを原動力にして生み出されたとも言えるほどである。(p182)
同様に、解離性障害の専門家もまた、解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論の中でこう述べています。
また患者は言語化を含め、自らの心を表現することに困難があるため、絵画や詩などさまざまな手段で自己を表現できるようにすることも効果的である。
解離の患者は文学や美術など芸術的センスに恵まれていることが多い。(p198)
ここでは文学だけでなく、美術のセンスについても書かれていますが、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)にも、夏目漱石が小説だけでなく絵もたしなんで心の安定に努めていたことが書かれています。(p277)
いったいどうして、愛着障害(特に愛着回避)や解離性障害が、芸術的創造性をもたらすのでしょうか。
それは、よくよく考えてみればそれは実に自然なことです。子ども時代に、辛い環境で育った人たちは、つらい現実から少しでも逃れよう、気を紛らわそうとして、現実逃避に似た形で、空想にふける時間が多くなります。
すると、安定した環境で育った人とは比べ物にならないくらい、たくましい想像力が育ちます。耐え難い現実に置かれることで、代償的に、たぐいまれな非現実を創りだす想像力が発達するのです。
それは、生物に普遍的に見られる、ある種の適応進化と同じです。そのままでは生き延びられないような環境に置かれると、生き延びるための新しい能力が発達し、時には強みになることさえあるのです。
創造とは、今あるものに満足できないがために、別のものを創りだす能力のことです。文学や絵画といった芸術的世界を創造することの背後には、癒やされない傷と新しいものを創造することで満たされたい思いとが混在している場合があるのです。
もっとも、芸術的センスにあふれた解離性障害の患者や、神経衰弱に感謝して絵や小説を描いた夏目漱石、そして、以前の記事で取り上げた詩人 宮沢賢治のように、芸術的創造性をプラスに用いるなら、それはもはや代償ではなく才能といえるでしょう。
この話題について詳しくは、以下の二つの記事でも取り上げています。
創造性の暴走としての「思考促迫」
このように、考えが次々に湧き上がってくる「思考促迫」「自生思考」には、さまざまな病気・疾患が関係しており、その原因もさまざまです。
ここでは主に愛着の傷からくる解離性障害という観点を紹介しましたが、本文中で述べたように、愛着の傷や不幸な家庭環境でなくても、考えが次々に湧き上がってくる現象が生じる場合はあります。
今回少し取り上げた、天才を生んだ孤独な少年期 ―― ダ・ヴィンチからジョブズまでという本では、一部の天才たちの場合、主に自閉スペクトラム症などの発達障害が創造性の源になっていたとされています。
統合失調症や自閉スペクトラム症が関係している場合は、おそらくは、脳の潜在抑制というフィルター機能が弱くなっていると考えられます。(もちろん解離性障害の場合でもメカニカズムが似ている可能性はあります)
潜在抑制が弱くなる認知的脱抑制によって考えが次々に湧き上がってくる現象については、こちらの記事をご覧ください。
いずれにしても、「思考促迫」の中には、辛い病気ではなく、創造性として活用できるケースもあることを考えると、一人ひとりが自分の症状についてよく認知し、それをコントロールしていけるよう、適切な治療を受けたり、表現の場を設けたりすることが必要だといえるでしょう。
創造性の暴走としての「思考促迫」は、しっかり原因を見極め、うまく手綱を握ることができれば、芸術的創造性として開花させることができる可能性を秘めているともいえるのです。