カール・エクボムは、患者の訴える奇妙な症状からはまだまだ学ぶべきものが多くある、患者の訴えや苦痛には原因が見つからないからといって医師はただちに精神ストレスと結論してはならないと、この論文の最後で警告している。(p37)
カール・エクボム博士は、1945年、今日「むずむず脚症候群」(レストレスレッグス症候群:RLS)として知られる病気の疾患概念を初めて提唱した医者でした。
その研究を通して、彼が強く実感したのは、患者が理解しにくい症状を訴えても精神ストレスとただちに:結論してはならないということでした。
当時からもう70年が経ちましたが、依然として、患者が訴えるいろいろな症状を頭ごなしに「気のせい」「精神的なもの」「ストレスが原因」「心因性」とみなして取り合わない医者は少なくないように思います。
この記事では、むずむず脚のカラクリ-ウィリス・エクボム病の登場という本から、心因性と考えられてなかなか理解されなかったり、病名がもとで誤解されたりした「レストレスレッグス症候群」の歴史を見てみたいと思います。
レストレスレッグス症候群の物語は、慢性疲労症候群(CFS)など、心因性とみなされやすい病気、病名ゆえに軽く見られたりしやすい病気とも関連していると思います。
ずっと「精神的なもの」とされてきた病気
むずむず脚症候群(レストレスレッグス症候群)は、1945年に初めて疾患概念が提唱された病気とはいえ、決して新しく登場した病気ではありません。
古くも1672年には、イギリス人医師トーマス・ウィリス卿が、むずむず脚症候群らしき病態を文献に記録しています。(P104)
現代でも、むずむず脚症候群は決して珍しい病気ではなく、軽症のものを含めると日本人の4%、25人に1人にみられるありふれた病気なのだそうです。(P3)
ではなぜ、ほんの70年前まで、この病気が一つの疾患単位として注目されなかったのでしょうか。エクボム博士はこう考えたそうです。
ではなぜ気づかれなかったのか。カール・エクボムはレストレスレッグスを訴える患者に対して多くの医師たちがそれを精神的な症状としてとらえたためであろうと述べている。
レストレスレッグスの訴えを聞いた医師たちの関心は患者の抱えるストレスや不安などの心理的な背景へと移り、実際に症状は心理的ストレスが象徴的な形で脚へ表出したヒステリーや神経症と考えられたのである。
神経症とは実際には体の病気はないが、患者がそう思い込んでいる状態の病名である。(p36)
本当はもっとありふれた病気のはずなのに、医師たちは、患者が訴える「脚がむずむずする」という理解しにくい症状を、「精神的なもの」「気のせい」「思い込み」とみなしてしまっていたのです。
自分には理解しにくい訴えに対し、謙虚に真剣に耳を傾けるのは、決して簡単なことではありません。たいていの人は次のように考えてしまいます。
しかし「脚がむずむずしていてじっとしていられない」と言われても経験がないのでどれだけ苦痛なのかわからない。
いや、常識的にそんな病気はあり得ないだろう。理解できないものを軽々に信じるわけにはゆかない。
無知が偏見を生み、偏見が公正な判断を歪めてしまう。(p20)
自分には理解できないことを、非常識だとか、気のせいだとかみなして、頭ごなしに否定してしまう過ちは、今も昔も変わりません。
患者の話を信じて研究したカール・エクボム
そのように、人類史の長きにわたって見過ごされ、精神的なものと看過されていたむずむず脚症候群に初めて注目したのが、さきほどから再三名前を紹介しているエクボム博士でした。
カール・アクセル・エクボム博士は1907年生まれで、スウェーデンのカロリンスカ研究所で医学を学び、ウプサラ大学の初代神経内科教授となりました。
彼は、1945年、37歳のときに博士論文「レストレスレッグス」を発表しました。その論文は123ページからなる大作だったそうです。
RLSについて明らかにした最初の論文でありながら、なんと今日の診断基準10項目のうち9項目までを網羅していたほど完成度の高いものでした。(p35)
彼がそれほど完成度の高い論文を書き、それまで存在さえ知られていなかった病気の、ほぼ完璧な基礎を据えられたのはどうしてでしょうか。
それは間違いなく、患者一人一人の訴えに真剣に耳を傾け、すぐに理解できないとしても親身になって診察し、敬意をもってやりとりする真摯な医療態度のおかげでした。
そのため、エクボム博士は、冒頭で引用した次の警告を、論文の最後に記すことができたのです。
カール・エクボムは、患者の訴える奇妙な症状からはまだまだ学ぶべきものが多くある、患者の訴えや苦痛には原因が見つからないからといって医師はただちに精神ストレスと結論してはならないと、この論文の最後で警告している。(p37)
多くの医師は、患者が得体のしれない症状を訴えると、ストレスが原因で奇妙な症状を抱えているのだと結論して、「神経症」「自立神経失調症」「心身症」「神経症」などと診断しがちです。
しかし、ストレスが原因で奇妙な症状が生じているのではなく、その逆、つまり奇妙な症状が本当に存在していて、そのせいでストレスが生じていることも十分に有り得るのです。
子どもの慢性疲労症候群を研究してきた三池輝久先生は、不登校外来ー眠育から不登校病態を理解するという本の中で、はっきりこう述べています。
まず、“こころの問題”とはどのような問題であろうか。…何もかも曖昧で、明確な方向性を示すことができない医療現場の“逃げ口上”ともいえる。
…苦しむ彼らを医学生理学的に明確に評価する方法を持たない医療は、漠然としてとりとめのない無責任な言葉、“こころ”に逃げ道を求めたにすぎないのではないか。
…現代の医療レベルの発展を考えるとき、医療に従事する者が“こころの問題”などと逃げること自体が許されないことだと考えている。 (p12)
たとえ「こころの問題」と思えるような症状であっても、心は脳や体から生じているがゆえに、必ず生物学的な理由があるはずであって、決して気のせいだなどと安易に退けてよいわけではないのです。
「レストレスレッグス症候群」の悲劇
こうして、カール・エクボムによって発見された、古くから見過ごされきた病気は、次第にその存在が認められ、論文のタイトルをとって「レストレスレッグス症候群」(RLS)と呼ばれるようになりました。
しかし、このレストレスレッグス(=休まらない脚、落ち着きのない脚)という病名は、大きな問題をはらんでいました。
日本語で「レストレスレッグス症候群」と聞いても特に何も感じませんが、英語では、「レストレスレッグス・シンドローム」というと、冗談のようなとても軽いニュアンスに聞こえてしまうのだそうです。
そのため、「レストレスレッグス症候群」は誤解やからかいの対象になり、実際より軽いように思われたり、製薬会社によって作られた病気だとさえ言われたりするようになりました。
たとえばレストレスレッグス症候群という言葉をパロディにした歌が作られてしまったり…
しかるにRLSでは、そのパロディソングが作られアルバムのトップを飾っているのである。
これをどう考えればよいのか。答えは簡単だ。
彼らは全員RLSを病気と思っていないか、たとえ病気としても深刻な問題とは考えていないのだ。(p15)
有名ワイドショーでおもしろおかしく取り上げられたりしたといいます。
居間でテレビを見ているとき、脚をじっとしていられないことはありませんか?
もしそうなら、あなたはレストレスレッグス・シンドロームなのですよ(一同大爆笑)。
これって製薬会社によって作り出された病気よね(一同うなずく) (p11)
そのほか身近なところでも、この病名のせいで、友人や家族に苦しみを理解してもらえないという事態が頻発したと言われています。
「RLSが商品の名前だったら売るのには大いに苦労しただろうな。この名前は誰も真剣に取り合ってくれないからね」(p21)
「そんなの精神科に数回通えば治るわよ。レストレスレッグスですって? あなたの頭がレストレスなだけよ」(p21)
こうした問題のため、レストレスレッグス症候群の患者たちは、もっと症状の重さが伝わり、誤解されないような病名を望んでいました。
誤解されない病名「ウィリス・エクボム病」
そのような状況のもとで、ついに2011年、レストレスレッグス症候群の認知度の向上に励んできた患者団体、RLS財団は、専門医師からなる国際RLS研究グループと協働して、病名変更の合意を取りつけました。(p50)
新しい病名は、レストレスレッグス症候群の発見者に敬意を表して、「ウィリス・エクボム病」とされました。
病名変更時の、RLS財団の声明は、一部、次のように記されているそうです。
レストレスレッグスという面白おかしく聞こえる病名は、これまで医師や研究者たちにこの問題を真剣に取り合ってもらううえで決して有利には働かなかった。
それどころか娯楽産業にはレストレスレッグスという名前を使われてジョークのネタにもされてきた。
エクボム病という病名にすることで、今後は患者をネタにした下品やジョークやユーモアの機会が急速に取り除かれることだろう。(p103)
そのほか、「レストレスレッグス」=「落ち着かない脚」という名前は、病気な本来の症状を適切に現した言葉ではないということや、この病気は、昨今の研究により、単なる「症候群」ではなく「病気」であるとがわかってきたことなどが言及されています。
今のところ、ウィリス・エクボム病という病名は、レストレスレッグス症候群という名前が不適切な国や状況で使用されるそうですが、日本でもそのうち使われるようになるのかもしれません。(p105)
統合失調症や慢性疲労症候群のこれから
このように、むずむず脚症候群の辿ってきた歴史を考えると、統合失調症や慢性疲労症候群の歴史が思い起こされます。
統合失調症は、誤解を招く病名から、すでに病名変更が行われた病気です。かつては精神分裂病と呼ばれていましたが、2002年8月、日本精神神経学会により、統合失調症という病名に変更されました。
最近のニュースによると、この病名変更によって、差別や偏見が減少していることが確かめられたそうです。
一方で、慢性疲労症候群(CFS)[筋痛性脳脊髄炎(ME)]の置かれている状況は、レストレスレッグス症候群の場合と、多くの点でよく似ています。
慢性疲労症候群も、古くから存在していた病気だと考えられていますが、本格的な研究や疾患概念の確立が始まったのは、1980年代に、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)が調査に乗り出してからです。
この病気もやはり、レストレスレッグス症候群と同じく、長らく「精神的なもの」「気のせい」「怠け」「神経症」「ノイローゼ」などとみなされてきたのでしょう。
慢性疲労症候群(CFS)という名前が普及してからも、やはりレストレスレッグス症候群と同じく、病名によって誤解されたり、症状の重さが適切に伝わらないといった問題が患者を苦しめてきました。
この問題を解消するため、さまざまな病名変更が議論されていて、2015年には、米国医学研究所(IOM)がSEIDという名前を提案していました。
ただし、慢性疲労症候群とレストレスレッグス症候群は、置かれている状況こそ似ているものの、研究の進み具合はまったく異なっています。
レストレスレッグス症候群は病気のメカニズムも解明が進み、数種類の薬も保険適応されていますが、慢性疲労症候群はまだ単一の病気なのかどうかもわからず、治療薬も見つかっていません。
そのため、今後、どのように物事が進展するのかはわかりませんが、レストレスレッグス症候群の辿ってきた歴史が、大いに参考になることは事実でしょう。
このむずむず脚のカラクリ-ウィリス・エクボム病の登場はレストレスレッグス症候群の研究や、患者たちの活動の歴史から、メカニズム、治療法まで、幅広い内容を網羅している、とても興味深い本でした。
不定愁訴を「気のせい」「精神的ストレス」と決めつけず、真摯に向き合った医師がいかにして患者を救ったか、また患者たちが力を合わせた活動により、どのように研究が後押ししされ、偏見が打ち砕かれていったかといった点について、さらに知りたい人は、ぜひ本書を読んでみてください。
▼むずむず脚症候群とは
詳しい病態や治療法についてはこちらをご覧ください。