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絶え間ない不安にとらわれた「絆の病」を抱える人たち―完璧主義,強迫行為,パニックなどの背後にあるもの

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境界性パーソナリティ障害の場合、うつや不安障害、睡眠障害といった問題だけでなく、ADHD(注意欠如・多動性障害)や依存症、摂食障害、解離性障害といった診断がつくことも珍しくありません。

診断名ばかりが、ずらっと並ぶわけです。その治療を別々の医者から受けているというケースもあります。

…結局、大本で何が起きているのかということをトータルでみる視点が必要なのです。そして、それを可能にしたのが、先に述べた愛着障害という視点です。(p89)

しい気分の波があり、ささいな言動に傷つきパニックになり、いつも頑張りすぎてしまう。激しい嵐のさなかで荒れ狂う波に揺られる船のような日常生活を送っている人たち。

そのような人たちは、これまで、病院ごとにさまざまな診断名を下されることがありました。たとえば、ADHD、全般性不安障害、強迫性障害、パニック障害、うつ病、双極性障害などです。

しかし決してそれらの症状は別々のものではなく、複数の病気が一人の人に相次いで噴出しているわけでもありません。

冒頭で引用したのは、精神科医の岡田尊司先生の、絆の病: 境界性パーソナリティ障害の克服 (ポプラ新書) という本の説明です。

これまでの医療では「木を見て森を見ず」「症状を見て人を見ず」といった傾向のため、表面に表れるさまざまな症状に一つずつ名前をつけて、結局何なのかわからない、ということが少なくありませんでした。

しかし愛着障害という概念の登場によって、枝葉のような症状ではなく、おおもとの幹そのものという、たった一つの原因を理解し、本当に必要な治療を施すことが可能になってきたといいます。

完璧主義や、強迫行為、絶え間ない不安やパニック症状に悩まされている人に必要なのは、愛着障害、つまり「絆の病」というただ一つのキーワードから、表面的な症状ではなく、自分という一人の人間全体を見つめなおすことです。

「絆の病」とは何でしょうか。なぜ「絆の病」について知ると、さまざまな症状の原因が理解できるのでしょうか。治療に役立つ、どのようなアプローチがあるのでしょうか。

これはどんな本?

絆の病: 境界性パーソナリティ障害の克服 (ポプラ新書)は、精神科医の岡田尊司先生と作家・ウェブデザイナーの咲セリさんによる対談形式の本です。

岡田先生は、思春期の心の病を専門としていて、特に愛着障害についての数多くの著書で知られています。

そして咲さんは、愛着障害の中でも、ひときわ治療が難しいとされる境界性パーソナリティ障害(ボーダーライン)を克服してこられた方です。

この二人がそれぞれの観点から、愛着障害の人が抱える気持ちや葛藤、役立つアドバイスなどを語り合った本書は、岡田先生の数ある愛着障害の本の中でも、ひときわ内容がわかりやすく、心にすっと入ってくる一冊でした。

特に、愛着障害の中でも、見捨てられ不安が強く、他の人の愛情に敏感な「不安型」(とらわれ型)と呼ばれる傾向が強い人にとっては、自分自身の取扱説明書になる最高の一冊ではないかと思います。

「絆の病」とは

この本のタイトルになっている「絆の病」とは、岡田先生が愛着障害という言葉をわかりやすくするために用いている表現です。

もともと愛着障害(アタッチメント障害)とは、虐待やネグレクトを受けた子どもに見られる症状で、ADHDなどの発達障害と極めて似た特徴を示すことから、「第四の発達障害」などと呼ばれてきました。

しかし、一見それほど問題がなさそうに思える家庭で育った子どもにも、程度の差こそあれ不安定な愛着が見られることがあり、それが、境界性パーソナリティ障害をはじめ、思春期以降のさまざまな心の問題の原因となっていることがわかってきました。

その点は、岡田先生による、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)に詳しく書かれてあり、このブログではこちらの記事にまとめてあります。

長引く病気の陰にある「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」 | いつも空が見えるから

 

 今回の本で、岡田先生は、愛着障害を「絆の病」という表現を用いて言い換え、こう説明しています。

愛着障害だということは、言い換えれば「絆の病」だということです。

それは、本人だけの「病気」というよりも、多くの場合は、本人と親との関係に遡る問題だということです。

…境界性パーソナリティ障害は、不安定な絆しかもてなかった人が、確かな絆を手に入れようとして必死にもがいている姿そのものなのです。(p90)

「絆の病」のおおもとにある、愛着という生物学的な現象には、言語学習と同じような、感受性期や臨界期があります。つまり、幼いころのある時期までの経験が重要な意味を持つということです。

愛着の感受性期は生後半年から一歳半ごろとされていて、おもにその幼い頃のわずかな期間に、どのような養育環境で育ったかが、それ以降の人生や人間関係のパターンに大きな影響を与えます。

そして、その後の子ども時代の家庭環境もまた、幼い時期の経験ほど大きな影響は持たないとはいえ、ある程度は愛着のパターンの形成に影響すると言われています。

「不安型」(とらわれ型)の愛着障害とは

愛着には4つのパターンがあり、それぞれ「安定型」「不安型」「回避型」「混乱型」と呼ばれています。

この本で扱われているのは、特に幼い時期に過干渉する親のもとで育った子どもがなりやすい「不安型」(とらわれ型)と呼ばれる愛着を抱える人たちの苦悩です。

簡単に言えば、いつも親から過剰に手出し口出しされて育った結果、良い子でいないといけない、頑張らないと見捨てられてしまう、という「不安」に「とらわれ」てしまうのが、このタイプの人たちの特徴です。

「とらわれ型」は、不安が強く、人に頼らないと自分を支えられないのに、頼っている人に対して、手厳しく、粗探しばかりしてしまうといった点が特徴で、素直に甘えられない傾向が、一歳半の時点でみられていることが少なくありません。

愛情不足と過干渉が混在しているような場合に起こりやすいものです。(p56)

常に見捨てられ不安を抱えていて、他の人のちょっとした言葉や行動に敏感に反応し、パニックになったり怒ったり落ち込んだりしてしまうのは、単なる性格ではなく、ごく幼いころの親との絆によるものです。

もちろん、「不安型」の人たちの多くは、自分の行動に、幼いころの経験が関係しているとは夢にも思わないでしょう。愛着のパターンは、その人の生き方に染み付いているので、多くの人は疑問さえ抱かないのです。

子どもを思い通りにコントロールしようとする親

子どもが「不安型」の愛着を身につけてしまう養育環境には、いくつかの傾向がみられます。

すでに触れたとおり、特に顕著なのは、親の過干渉です。あらゆることに手出し口出しして、溺愛したり、逆に何から何までけなしたりして、子どもの自主性を重んじません。

「不安型」の愛着と関係する境界性パーソナリティ障害になる人に典型的に見られるのは、「不認証環境」と呼ばれる家庭環境だそうです。これは、親が何から何まで口出しして、子どもを承認してあげない、つまりいつも粗探しをする環境です。(p54)

この本の咲さんの父親も、とても厳しい人で、どんなに頑張っても、決して褒めてくれず、けなされてばかりだったそうです。(p14)

逆に、母親は甘やかしすぎだった、ということですから、 過干渉の二つのタイプ、溺愛する親とけなす親の両方によって育てられた、「不安型」の傾向が特に強い子どもだったのでしょう。(p16)

また、過干渉する親は、「良い子」だけを認め、受け入れる、という養育態度を示すこともあります。

過干渉する親というのは、言い換えれば、子どもを思い通りにコントロールしようとする親です。

咲さんの父親はこんな傾向を持っていたといいます。

咲 そうですね。けっこう支配的というか。母から聞いた話なんですが、つきあっている頃から、父は自分の言うことを聞かないとだめだし、連絡をしたときに、すぐに連絡がとれない状態だと怒ってしまう、とか。(p19)

おそらくは、お父さん自身が、不安型の愛着スタイルを抱えていたのでしょう。

子どもを思い通りにコントロールしようとする親は、子どもが親の指示に従ったときだけ「良い子」で、指示に従わないなら「悪い子」だとみなします。(p139)

バランスの取れた親であれば、子どもが言うことを聞かない場合でも、優しく教え、愛を育み、子どもが自主的に親の言葉を聞くよう助けていくものですが、過干渉する親は、強制的に言うことを聞かせる独裁者のようなものです。

そうした親のもとで育った子どもは、親の期待に答えるべく、ある時期までは無理をして親が求める「良い子」として振舞っていますが、思春期以降、限界が来て、反抗したり、心身のバランスを崩してしまったりしがちです。

そんな子どもを見て、親は「うちの子は昔は優等生だったのにダメになっちゃった」と言うこともしばしばです。「良い子」の場合だけしか、自分の子と認めていないからです。 (p108)

幸い、咲さんのお父さんは、年月とともにご自身の愛着障害も克服されたのか、咲さんの自伝死にたいままで生きています を読んで認めてくれるようになったそうです。(p107)

かつて愛情を注がれたが、失われた

「不安型」(とらわれ型)の愛着スタイルを抱える人の養育環境に特徴的な別の点は、ある時期までは愛された経験があるのに、それが失われてしまった、という体験です。

それまでの人生で、まったく愛されてこなかったわけではなく、愛された経験があるからこそ、見捨てられるかもしれないという「不安」に「とらわれ」るのです。

境界性のかたの場合は、愛着のタイプでいうと、不安型愛着といって、いったん手に入れた関係が失われてしまうんじゃないか、見捨てられいしまうんじゃないか、そういう不安をもつタイプのかたが多いですよね。

それはおそらく、まったく愛されなかったわけではないけれども、愛されたり、愛されなかったり、けっこう差があったりして、ある時期までは愛されたんだけど、ある時期からすごく愛情不足を味わっているとか、そういうギャップを味わったかたなんじゃないかと思うんですね。

もともと愛されていない場合には、逆に愛されないことに慣れてしまって求めようともしない。

境界性のかたは求めるでしょう? それはかつて、そういうものを与えられたことがあった、ということだと思います。(p154)

「不安型」の愛着スタイルの人たちは、他の人の愛を求める気持ちが非常に強く、見捨てられるかもしれないという不安にとても敏感です。

そもそも親から愛された経験が希薄な場合は、正反対の「回避型」という傾向を示し、親にも他人の愛にも執着しなくなります。

しかし境界性パーソナリティ障害の人を含め、「不安型」の愛着を持つ人は、他の人の愛を強く求め、だれがとつながりたい、心を満たされたい、自分を認められたいという飽くなき願いを抱いています。

そうなってしまうのは、「良い子」であるときだけ認められ、一時は愛を注がれたこと、しかしそうでなければ、けなされ、なじられ、人格さえ否定されてきたような幼少期の体験が関係しているのでしょう。

「絆の病」で説明できる6つの特徴

「不安型」の愛着を抱える人の場合でも、ベースにある元々の性格はさまざまだといいます。 (p150)

しかし、「不安型」の愛着の影響が強いと、もともとの性格が覆い隠されてしまい、ひどく不安で、パニックになりやすく、強迫的な考えや行動のパターンが目立ってきます。

そのため、表に出ている症状だけに注目し、その人自身をしっかり診てくれないような医者にかかると、次々に不穏な病名ばかりが増えていき、その人自身が何者かがすっかり覆い隠されてしまいます。

咲さんはこう振り返っています。

その後も病院を転々としたんですけど、行く病院ごとにいわれることがバラバラなんです。

「うちじゃ手に負えません」っていわれたかと思えば、別の病院では「あなたは病気じゃないので、病気になったら来てください」っていわれたり。

他にも薬をすごく処方されてしまうとか、もう完全にクリニック難民になってしまって。(p59)

冒頭で引用した岡田先生の言葉のように、「木を見て森を見ず」の医療がなされた結果、より問題が複雑になっていきます。

あたかも病気のデパートのような状態で、それぞれの病名に対して、異常な数の薬が処方されてしまい、自分はとても社会適応できない重病人なのだと思えてくるかもしれません。

咲 私のまわりの心の病の病気を抱えていらっしゃるかたって、みなさんほとんどすごい量の薬をのんでいらっしゃいます。

で、それでよくなったかっていえば、治らないし、また何かのストレスがたまってしまったりすると、悪化するんですよね。(p67)

しかし、さまざまな病名がつけられ、多くの薬を処方されるような場合、本当に多種多様な病気を併発している場合はまれです。

本来は、一つか二つの少数の原因があるだけなのに、木の幹そのものではなく、無数にある枝葉に注目しているがために、一見、多くの別々の病気を併発しているように見えるだけです。

以前の記事で、杉山登志郎先生の意見を紹介しましたが、多くの診断名がつき、薬が大量処方、多剤処方されているというのは、診断名と治療法が間違っている、ということの証拠なのです。

精神科の薬の大量処方・薬漬けで悪化しないために知っておきたい誤診例&少量処方の大切さ | いつも空が見えるから

 

 これから、冒頭で挙げたような、ADHD、全般性不安障害、強迫性障害、パニック障害、うつ病、双極性障害など、ありとあらゆる診断名がつきやすい多様な症状が、いかにして「絆の病」というたった一つのキーワードと関係しているのか、という点を見ていきましょう。

1.完璧主義―100点満点を求める

咲 完璧主義という自覚もないんですね。せめて最低ラインはできなきゃと、追いつめられてつくってましたね。(p46)

うつ病や不安障害の人は、まじめで完璧主義であることが多いとよく言われます。完璧主義だとストレスを溜めやすく、心身に負担がかかるからうつになる、とはよく言われたものですが、本当にそうなのでしょうか。

先ほど考えた「不安型」の愛着障害というキーワードを通して見ると、完璧主義という性格は、まったく違う意味を帯びてきます。

「不安型」の愛着スタイルを子どもに生じさせる親は、「良い子」のときだけ子どもを認め、子どもをコントロールしようとする特徴がありました。

つまり、「不安型」の人たちは、子どものときから常にまじめな「良い子」として、テストで100点を取ったり、親の言いつけに100%従ったり、完璧であることが求められる環境で育ったのです。

もしそうではないなら、できそこないとみなされ、愛される資格がないと、言葉や態度を通して教えこまれてきました。

そうすると、子どもは、完璧を目指すのがあたりまえで、完璧にできたときにだけ、自分には価値がある、そうではなければ愛してもらえない、周りの人たちから見放される、という思い込みにとらわれるようになっていきます。

自分にも他人にも完璧を求め、自分が完璧にできないときは自分は無価値だとうつになり、他人が完璧に愛してくれないときには裏切られたかのように感じます。

咲さんはこう振り返ります。

いままでは、とにかく触れあった人に百点満点の愛を求めていたんです。恋人でも友だちでも、私だけを見てほしい、と。

だから、友だちと連絡がとれないと、とたんに「もう私のことなんかいらなくなったんだ」とか追い詰められていたんですけど、最近は、ひとりが10点ずつくらいもっていて、それが10人くらいいてくれたらそれでいいやって思えるようになって。(p129)

完璧でないと不安になり、周りの人に完璧な愛を求めてしまう、というのは、明らかに普通の意味での完璧主義ではありません。

たとえばプロの職人が、より美しい作品を作ろうと完璧を目指したり、アスリートが完璧な演技で高得点を目指したりするのとはわけが違います。

「不安型」の人が抱える100%を求める気持ちは、ちょうど、赤ちゃんが、母親に100%の愛を求める気持ちそのものです。

岡田 本人の求める気持ちは、赤ちゃんの頃のような、ほんとうにすべてを欲しいくらいの切実なものですから。(p124-125)   

本来であれば、成長とともに道理にかなった範囲で満足することをわきまえ知るものですが、「不安型」の人はそうする機会を与えられませんでした。

赤ちゃんのときだけでなく、大きくなってからもあらゆることに口出し手出しされて育ってきたため、よくも悪くも、100%の関心を自分に向けられていない状態に耐えられないのです。

「不安型」の人の完璧主義は、実際には完璧主義ではなく、100点満点を目指さないと、自分は愛されなくなってしまうという不安からくる強迫観念なのです。

境界性パーソナリティ障害の人の思考パターンが赤ちゃんと似ているというのは、前に読んだ本でも説明されていました。

白と黒の世界を揺れ動く「境界性パーソナリティ障害の人の気持ちがわかる本」 | いつも空が見えるから

 

2.頑張りすぎ―何もできない自分には価値がない

完璧主義と間違われやすい、「不安型」の愛着障害の人の気質が理解できると、なぜそのような人が身を粉にして、過労死するまで頑張り続けることがあるのかもわかってきます。

先ほどの完璧主義と同様、うつ病になるような人は、度を超えて頑張りすぎる真面目な人だ、と言われることがありますが、果たして本当にそうなのでしょうか。

咲さんは自分の気持ちをこうつづっています。

いままでたとえば、成績良くしたらほめられるんじゃないかとか、体を売ったら耳心地のいい言葉をもらえたとか、「何か」と引き換えにしか愛情ってもらえないものだと思っていたので、彼のいうことの意味がわからなくて。

何もできなくても愛されるはずがないって。(p49)

「不安型」の愛着スタイルの人たちは、子どものころから、愛とは何かと引き換えに得るものだ、ということを教えられてきました。

ただ生きているだけでは愛される資格はなく、自分の好きなことをやるだけでは「悪い子」であり、ただ親の期待にそった成果を頑張って成し遂げたときだけ、愛されるに値する「良い子」だとみなされてきたのです。

そのような人たちは、めったに認めてもらえなかったので、他の人から必要とされていると感じたい、という愛や承認を求める気持ちに急き立てられています。(p35、p144)

死に物狂いで頑張ってはじめて、自分には価値がある、と思えるので、手を抜くことも、他人に頼ることもできません。

心の病気とか生きづらさを抱えている人って、どこか「ひとりでちゃんとしなきゃ」とか、「強くならなきゃ」って思いがちですよね。(p106)

一人で頑張らなければいけない、強くならなければいけない、そうしないと、自分は誰からも愛されないし、生きている価値さえない。

ひたすら頑張り続け、体調を崩してもまだ頑張りすぎる生き方の正体は、決して単なるまじめさではなく、そうしなければ自分の存在価値がなくなってしまう、という不安感に追い立てられた強迫行為なのです。

この点については、このブログでも以前に詳しく取り上げました。

いつも頑張っていないと自分には価値がないと感じてしまう人へ―原因は「完璧主義」「まじめさ」ではない | いつも空が見えるから

 

3.ADHD―衝動的に刺激を求める

「不安型」の愛着スタイルを持つ人が誤って診断されやすい別の診断名は、ADHDです。

近年、「大人のADHD」が増えてきていると言われていますが、こちらの記事で紹介した国内外の数々の追跡研究が明らかにするとおり、ほとんどのADHDは大人になるにつれ、症状が消えていくものです。

「私って大人のADHD?」と思ったら注意したいことリスト―成人ADHDの約7割は違う原因かも | いつも空が見えるから

 

大人になってなお、強いADHD症状があるとしたら、生来のADHD傾向があるかないかに関わらず、別の要因の関与を疑うべきです。

そして、その別の要因のうち、もっとも大きなものこそが、愛着障害です。愛着障害は、ADHDと非常に見分けにくく、脳の活動レベルで類似していることがわかっているからです。

この本でも、愛着障害の一種である境界性パーソナリティ障害の人たちが、ADHDと同じような傾向を示すことが書かれています。

岡田 境界性パーソナリティ障害のかたは、調子が悪いときほど、その瞬間瞬間に生きているんですよね。

だから、振り返るとか、思い出すというのが苦手で、そのときワーッとなっちゃうんだけど、あとで考えたら、なんでそうなったか、よくおぼえていないとかね。(p101)

ADHDの人は、不注意かつ衝動的に行動して、結果を予測することや、過去の失敗を冷静に振り返ることが苦手ですが、愛着障害でも同じような傾向が現れます。

また、ADHDの人は刺激やスリルを求めがちで、 非日常的な体験を求めて危険なことに首を突っ込む傾向がありますが、それは愛着障害でも同じです。

やっぱりまだ不安定な間はね、買い物に行くとか、どこかへ遊びに行くとか、パーッとするような非日常的なことをやらないと、やったような気がしないものなんですね。

でも、だんだん回復するにつれて、そういう小さなことでも満たされるようになっていくんですね。

家事とか、ちょっと何かをつくったりとか、ちょっときれいにするとか、そういうことでもね。(p132)

「不安型」の愛着を抱える人たちは、特別なことをしないと愛してもらえない、頑張らないと自分には価値がないと感じがちですが、レクリエーションもまた同じように、ごく普通の日常では楽しんだ気になれないのでしょう。

また、ADHDというと、自分のことばかりひたすら話し続ける、おしゃべりな人たちという印象があるかもしれませんが、愛着崩壊 子どもを愛せない大人たち (角川選書)には「不安型」(とらわれ型)の人の特徴について、こんな興味深いことが書かれています。

とらわれ型は、子どもの抵抗/両価型に対応するものである。子ども時代や親(養育主)との関係について客観的に振り返ることが困難なタイプで、曖昧な答えしか返さなかったり、そうした質問をされることに怒りの感情を示したりする。

過去のことを振り返っていることを思わず忘れて、あたかも目の前で起きているかのように、生々しい感情に呑みこまれやすい。

語る言葉も一文一文が長く、切れ目がなく、ゴチャゴチャに混乱していて描写が細かく詳しい一方で、自己省察に欠けた面がある。(p104)

自分の感情や、過去の見捨てられた体験、傷つき体験にとらわれるあまり、おしゃべりなADHDと同じように、感情のおもむくままにしゃべり続けてしまうことがあるのです。

感情を溜め込みすぎると、友だちとの電話で相手のことを考えず長電話しすぎたり、仕事から疲れて帰ってきたパートナーに見境なくまくし立てたりして、迷惑がられることもあります。

このように、ADHDと愛着障害が極めて類似した傾向を示してしまうのは、そもそも脳の中で生じているメカニズムはほとんど同じだからです。

ただ、ADHDは、おもに遺伝などの先天的な影響によって脳の異常が生じているのに対し、愛着障害は、後天的なトラウマ体験によって、同じような異常が生じているという違いがあります。このトラウマにはもちろん、養育環境における見捨てられ体験なども含まれます。

さらに、もともとADHDの傾向があり、しかも子どものころの不適切な養育環境によって愛着障害が重ねあわせになっているケースも少なくないようです。

愛着障害とADHDでなぜ類似した症状が表れるのか、詳しいメカニズムについてはこちらの記事をご覧ください。

よく似ているADHDと愛着障害の違い―スティーブ・ジョブズはどちらだったのか | いつも空が見えるから

 

4.不安障害―絶え間ない不安でパニックになる

「不安型」の人たちが抱えやすい別の問題は、「不安型」の名前が示すとおり、不安障害と呼ばれる一連の幾つかの病気です。

不安障害には、全般性不安障害(GAD)や社交不安障害(SAD)、パニック障害、さらには心的外傷後ストレス障害(PTSD)などが含まれます。

これらの病気は、複数の別々のものではなく、すべて「不安型」の愛着スタイルを中心につながっています。

以前の記事で取り上げたように、「不安型」の愛着障害とは、厳密に言えば、一種のPTSDであり、子どものころの見捨てられ体験のフラッシュバックです。

幼いころに見捨てられ体験の感情が些細な事柄でフラッシュバックするために、ADHDのように衝動的になったり、他の人のちょっとした言動に敏感に反応してパニックになったりしてしまうのです。

PTSDと解離の10の違い―実は脳科学的には正反対のトラウマ反応だった | いつも空が見えるから

 

この本の中でも、メールの返事がすぐ来ないと見捨てられたように感じてしまったり、期待通りにしてもらえないと、すぐ裏切られた、と感じてしまうことが書かれています。(p162)

自分のなかの期待と、そのとおりじゃないときにとてもストレスを感じやすい。

期待通りのことが起きないことが、あたかも自分に対して思いがないとか、そういうふうに受け止めやすいですよね。(p161)

また、不安障害の人は、不安が昂じパニックになりやすいですが、咲さんも、人が多い場所でパニックになりやすいと述べています。(p193)         

岡田先生の別の本愛着崩壊 子どもを愛せない大人たち (角川選書)にも、「不安型」の愛着と不安障害との関わりについて、こう書かれていました。

不安障害との関連は、アメリカのミネソタ州で行われた長期間にわたる研究により、早くから明らかにされている。

グリーバーグによれば、1歳の時点で不安定型愛着を示した人では、17歳の時点で不安障害を認めるリスクが、安定型の3.7倍であった。

特に愛着不安の強い抵抗/両価型と呼ばれるタイプの人が不安障害になりやすかった。(p31)

この「抵抗/両価型」というのは「不安型」の別名です。

この研究から明らかなのは、不安障害の原因を遡れば、わずか一歳のころの愛着パターン、すなわち幼いころの養育環境に遡れるケースが少なくないということです。

5.強迫性障害―ひたすらしないと気が済まない

不安障害と合併しやすい症状の中に、強迫性障害(OCD)があります。

強迫行為は、さまざまな病気に見られるので、不安障害や他の病気をひっくるめて、強迫性スペクトラム障害(OCSD)と呼ぶこともあるようです。

この本の中でも、咲さんがさまざまな強迫症状に苦しめられたことを語っています。

咲 はい。そのへんから、掃除の強迫観念みたいなものが出てしまって。家がちょっとでも汚れると捨てられると思って、壁とか天井とかまで拭くんですよ。一日中、掃除をしていて。(p43)

この場合、表に出ていた症状は潔癖による強迫行為でしたが、その背後にあったのは、完璧にきれいにしないと見捨てられるかもしれないという制御できない不安感でした。

また、ストレスがたまると確認強迫が出るとも述べておられますが、これも、確認せずにはいられない、制御できない不安感によるものでしょう。(p193)

そもそも、咲さんが、はじめて自分は病気かもしれないと思い、病院に行くことにしたきっかけは、ネットで調べて「強迫性障害」について知ったことでした。(p58)

いかに「不安型」の愛着の人にとって、強迫行為が日常的に大きな苦痛をもたらしているかがわかります。

ここまで考えてきた完璧主義や頑張りすぎることも、一種の強迫行為です。

今回は詳しく取り上げませんが、摂食障害、特に拒食症の傾向もまた、強迫観念が大きく関係しています。

こうした強迫行為のすべてが愛着障害に由来するものではありませんが、強迫行為には、一般に、同じことを繰り返して安心を得るという意味合いがあります。

なぜ度を越してまで同じことを繰り返して安心を得なければならないのか、なぜ完璧を期さなければ安心できないのか考えてみると、その一因として愛着障害による絶え間ない見捨てられ不安が存在しているケースがあるのです。

強迫性障害には、ここで登場した清潔にこだわりすぎる洗浄強迫や、家の戸締まりや火の元などを何度も確かめてしまう確認強迫のほか、様々なタイプがあります。

その中には、頭の中で不安が渦巻きすぎて、何も行動できなくなり、動いていないのにへとへとに疲れ果ててしまう強迫性緩慢のような、一見わかりにくいものも含まれます。詳しくはこちらをご覧ください。

わかっているのにやめられない強迫性障害―不安や心配で疲れ果てる病気の原因と治療法 | いつも空が見えるから

 

6 .失体感症―体の声がわからない

そのほかに、「不安型」の愛着を抱える人が、心身症を含む、さまざまな病名で診断される大きな理由として、体の感覚と、感情とが混線していることが挙げられます。

私、疲れてると、すぐ「死にたい」ってなるんです。かつては、「死にたい」って思ったことを「あ、死にたいんだ」「死のう」ってそのまま(笑)。

でも、実はたいてい、ただ疲れていただけなんですよね。最近、それに気づいて、あ、この「死にたい」って、また「死にたい病」が出てるだけだ。きっと疲れてるんだなって、休んだりとか。(p114)

この場合、本当は「体」が疲れているだけなのに、なぜか「心」が死にたいという感情に満たさされます。

同じように本当はお腹が空いているだけなのに、自分には価値がない、という気持ちになったり、逆に精神的にストレスを抱えているときに、体に心身症が現れたりすることもあります。

これらは、失感情症(アレキシサイミア)失体感症(アレキシソミア)と呼ばれる現象です。

子どものころから、自分の感情や体の声を押し殺して、親や周囲の期待に添おうと努力してきた人たちの場合、本当の自分の気持ちや、体のありのままの感覚を知るのが難しくなってしまいます。

咲さんはこう述べています。

咲 むかしは自分の感情すらコントロールしないといけないと思っていて、怒ったり、悲しんだりっていうのも、「いけないこと」だって思っていたんです。

だから、怒りや悲しみの感情がわきあがると、それを抑え込もうとして、でも抑え込めなくて、かえってパニック状態になってしまったり。(p117)

失感情症や失体感症もまた、見捨てられ不安による強迫観念にとらわれ、自分を押し殺して「良い子」であり続けようとした結果なのです。

そのため、抑えきれなくなった精神的ストレスが、慢性的な疲労感や、全身の痛みとなって現れたり、逆に身体的な過労や睡眠不足がうつ症状となって表面化したりするのかもしれません。

いずれにしても、人間の心身は決して切り離せるものではなく、複雑に絡み合っています。

体が悲鳴を上げるのを押さえ込んでいると、心が悲鳴を上げますし、心が「ノー」と言うのをねじ伏せていると、体が「ノー」といいます。

単に表面に出ている症状だけに注目して診断を仰ぐのではなく、体の症状であっても心の状態を調べ、心の症状であっても体の負担を意識することはとても大切です。

本当は疲れているのに、体の声に気づくことができず、見捨てられ不安と強迫観念に駆り立てられて、ひたすらやり続けた人が行き着く先は様々な病気、そして過労死です。

「絆の病」を克服するには

このように、一見まったく関係なさそうに思える多くの病気は、じつは「不安型」の愛着による絶え間ない見捨てられ不安と、「良い子」でなければ愛してもらえないという強迫観念から生じている場合があります。

多くの表面的な症状という枝葉に注目しているだけでは、診断名ばかりが増えて薬漬けになってしまいますが、それらの根元を見つけることができれば、すべてを同時に治療していくことさえできるのです。

では、具体的にどのような方法で、治療していくことができるのでしょうか。

岡田先生はまず、「病名」ではなく、「その人自身」を診てくれる医師を見つけるよう勧めています。(p80)

その人の内面を見ようとせず、ただ延々と薬だけを処方するような医師は、 薬でごまかして回復から遠ざけている、そして依存症を作り出しているとさえ述べています。(p90)

また、本当に良い医師であるかを見分ける人の方法は、患者当人が受診したときではなく、家族が受診したときの反応でわかるともいいます。

病気を抱える人は、ときどき体調を崩して、家族に代わりに受診してもらわざるを得ないことがありますが、そんなときに丁寧に家族と接し、理解を示してくれる医者であれば、信頼して助けを求めることができます。

そういえるのは、愛着障害は「絆の病」だからです。

岡田 いままで心の病気というと、何かその人の問題ってとらえられていたんですけど、「絆の病」ということでいうとね、それはその人個人の問題というよりも、つながり方の問題なんですね。

つながりですから、その人だけを切り離して、いくら治療しても、薬を飲んでもらっても、何も変わらないということになりかねない。

それこそ病人の役割をひとりに背負わせることになってしまう。

…ようやくアメリカ精神医学界の新しい診断基準にも、「関係性の障害」というのが、まだ正式のものではありませんが、暫定的な病気のカテゴリーとしてとりあげられるようになりました。(p85)

愛着障害は、その人個人の問題ではなく、親と子、家族の結びつきの問題が表に現れたものなので、当人だけでなく、家族を治療することも大事なのです。

興味深いことに、家族だけを診るほうが治療がはかどる場合もあるそうです。

岡田 実はね、本人を直接診るのと、家族だけを診るのとで、治療成績を比べると、ほとんど変わらない。むしろ家族だけを診たほうが、うまくいく場合すらあるんですね。(p84)

もちろん、すでに成人して親元を離れた人の場合や、親があまりにかたくなすぎて、自分は悪くないと言い張るような場合、家族を治療するという選択肢はないでしょう。

しかし、この本には、咲さんが実践した、「不安型」の愛着を克服していくためのバリエーション豊かな方法が、惜しみなく紹介されています。

たとえば、簡単にリストアップしてみると、以下のようなものがありました。

■ 認知のノートをつける (p100,183)
■症状に、「◯◯病」と名前をつける (p101,187-190)
■ 誰にも見せないノートを作る (p174)
■自分の半生を書いてみる (p191)
■自分の取り扱い説明書を作って他の人に見せる (p192)
■眠りと気分の記録表を作ってモニタリングする (p176)
■ どんなマイナスなことでも全部褒める (p178-179)
■生まれ直しの儀式 (p104)
■ 「いけない」をなくす (p118)
■マインドフルネス (p112)
■ グラウンディング (p112,133)
■ペットを育てる (p126)  
■夫婦でふたりのためのルールを作る (p164)
■愚痴は小出しにして溜めない (p180)
■病名がアイデンティティにならないように気をつける (p142)

ただ箇条書きにしてしまうと味気ないですが、この本では、咲さんと岡田先生が、互いの経験や実例を通して、ひとつひとつ生き生きと説明しておられるので、実際に読んでみると、ガラッと印象が変わると思います。

医療関係の本で、よく医者の立場から理想論のような治療法を淡々とアドバイスしているものがありますが、この本ではそうではなく、今すぐにでも取り組みたい、と思わせるほど具体的に感情豊かに語られているので、とても共感できます。

愛着障害についての本は色々と読んできたつもりですが、ここまでわかりやすく、しかも実践的な本は今までなかったと思います。だからこそ、心当たりのある人は、ぜひ直接この本を読んでほしいと思います。

冒頭で紹介したように、この本は、「不安型」の愛着による境界性パーソナリティ障害を克服された咲さんの本であり、タイトルも境界性パーソナリティ障害の「克服」です。

壮絶な経験であることは確かなのですが、今まさに闘病中の本というよりは、苦しい時期を乗り越えた後で、岡田先生と一緒に和やかに落ち着いて振り返っている座談会のようなテイストです。

岡田先生の優しい口調と、咲さんの感情豊かな明るいやりとりとが、どこか微笑ましく、読んでいて気持ちが楽になる本だと感じました。

境界性パーソナリティ障害の人が抱える過敏さは、コントロールできないでいると様々な苦痛を生み出しますが、適切な対処法を身につけていけば、芸術的な感性や才能にもなる、という希望も抱かせてくれます。 (p147)

その点は、このブログで過去に紹介した、境界性パーソナリティ障害と自己コントロールの関係についての記事とも相通じる内容だと思いました。

ささいなことにも傷つく「拒絶感受性(RS)」の強い人たち―傷つきやすさを魅力に変えるには? | いつも空が見えるから

 

一方で、この本の主眼は愛着障害の中でも「不安型」、あるいは「不安型」の要素が強い「混乱型」なので、同じ愛着障害でも、「回避型」寄りの人には、少し共感しにくく思えるかもしれません。

つまり、不安障害や境界性パーソナリティ障害の傾向を持つ人にはうってつけの一冊ですが、それとは反対の解離性障害の傾向を持つ人の気持ちとは、ちょっとずれていると思います。

それでも、咲さん自身、「不安型」が強いとはいえ、「回避型」の解離的な症状も少し経験されていて、両方合わせ持っておられるようなので、「回避型」寄りの人にとっても、ところどころヒントとなる情報が散りばめられていると思います。

愛着障害とはどんなものなのか、もっと噛み砕いて理解したい、あるいは様々な病名で診断されているけれど、本当の自分を見つめ直したい、そう考えている人にとって、この本は大いに役立つに違いありません。

様々な病名という枝葉を取り除け、おおもとにある愛着の問題と向き合うとき、ずっと隠れて見えなくなっていた、本当のあなたの素顔が、きっと笑顔を浮かべて輝き出すことでしょう。


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