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なぜ子ども虐待のサバイバーは世界でひとりぼっちに感じるのか―言語も文化も異なる異邦人として考える

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ある若い男性が自らの暗い経験を次のように記述している。

「人類から切り離されて、宇宙でひとりぼっちのように感じる……自分が存在しているのかどうかさえわからない……みんなは花の一部なのに、僕は未だに根っこの一部だ」(p133)

日、ある講演の中で、性的虐待のサバイバーである女性のエピソードについて話されるのを聞きました。

講師は、その女性が自殺衝動と闘いながらひたむきに生き抜いていることに触れ、わたしたちはみな、こうした憂鬱な気分や苦悩に見舞われるとしても、それを乗り越えていくことができる、と聴衆を励ましていました。

確かに勇気づけられるエピソードかもしれません。しかし、性的虐待をはじめ、子ども虐待のサバイバーが感じる苦悩は、多くの人がふだんの生活の中で感じる憂うつさや不安とは、あまりに異質で種類の違うものです。

冒頭に引用したのは、神経生理学者ピーター・A・ラヴィーンが身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアの中で述べている言葉です。続く記述にはこうあります。

トラウマを受けた人の多くがいくら頑張っても、善意のセラピストからの援助や思いやりを受け取ることがほぼ不可能なのは驚くにはあたらない

―それを欲していないからではなく、不動状態という原始的な根幹に閉じ込められ、表情やからだの動きや情動を読み取る能力が著しく低下しているからである。

彼らは人類から切り離された存在となってしまうのだ。

子供のころに常識では考えられないような経験をしてきた人は、あまりに普通でない世界に順応して育ち、異質な思考パターンを身に着け、それどころか脳さえもが常人とは違うかたちに発達し、極めつけは、自分が何者なのかさえわからなくなります。

その結果、「彼らは人類から切り離された存在となって」しまいます。サバイバーたちの苦痛は、理解「されない」ことではなく、だれも理解「できない」ほど異質なものであることから生じています。

この記事では、子ども虐待のサバイバーたちの苦痛が、家族にも医者にも理解されず、しばしば否定され、攻撃さえされてきた理由として、サバイバーたちが異なる言語を話し、異なる文化を持ち、異なる世界で育ってきた異邦人である、ということを見ていきたいと思います。

これはどんな本?

今回の記事では、子ども虐待のサバイバーたちが経験する異質な世界を、サバイバーたちの目線で知るために、さまざまな資料から引用しています。

中心となっている身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法は、このブログで何度も引用してきたトラウマ研究の権威ヴァン・デア・コークの本で、当事者たちの気持ちが生き生きとした言葉遣いで表現されています。

また冒頭でも引用した身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアは、神経生理学者また心理学者のピーター・A・ラヴィーンが、身体の仕組み、心の仕組みの両面から、トラウマの本質を明らかにしていく本です。

本のタイトルが似ていることからもわかるように、この二冊の著者は、同じ分野で共に切磋琢磨してきた友人同士であり、それぞれの本の中で相手の名前を出して、感謝を述べています。

しかし本の内容は、重複したり似通ったりしているわけではなく、それぞれ独自の視点から、個性を発揮してトラウマの問題を掘り下げているので、二冊とも読むなら、多角的な理解が深まります。

(1)異邦人―味方はいない、どこにもいない

「人類から切り離されて、宇宙でひとりぼっちのように感じる」。

冒頭で引用したように、トラウマを負ったある若い男性は、そのような気持ちを抱いていました。

わたしたちはだれしも、孤独を感じることがあります。大きな悩みや問題を抱えて、到底だれもわかってくれない、と孤立無援に感じる瞬間は、多かれ少なかれ、だれでも味わうものでしょう。

一人ぼっちに思えたり、孤独に打ちひしがれたりするのは、どんな場合も辛いものです。それでも、たいていの人は、家族や友だちから気遣いを示してもらうことで、自分が一人ではない、ということを実感できます。

たった一人で闘っているように思えても、だれかが温かい共感と気遣いの手を差し伸べて、深い穴から引き上げてくれるなら、手を取り合って困難に立ち向かっていける。それが本来の人間の姿です。

しかし、子ども虐待のサバイバーが感じる孤独感は、それとは一線を画するたぐいのものです。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、ヴァン・デア・コークはある患者との会話を回想しています。

助けを求めて、その教官を訴えたかどうかを私が尋ねると、「道を渡ってクリニックに行くことが、どうしてもできませんでした」と彼女は答えた。

「なんとしても助けが欲しかったのですが、道のこちら側に立ち尽くしたまま、もっと傷つくだけだと心の奥底で感じました。

実際、きっとそうなったでしょう。もちろん、この出来事は隠さなければなりませんでした。親にも、他の誰にも」(p222)

この女性は、子ども時代の性的虐待のサバイバーであり、その後、大学でも性被害を受けました。

しかし、どちらの被害についても、助けを求めて親や友人に頼ることも、医師に相談することもできませんでした。

そうする気力がないほど痛めつけられていたからでしょうか。打ち明けるのが恥ずかしく感じられたからでしょうか。

いいえ、そうした気持ちもあったかもしれませんが、なんとしても助けがほしかったのに、だれにも相談できなかったのは、そうしたところで、「もっと傷つくだけだと心の奥底で感じ」たからでした。

子ども虐待のサバイバーにとって虐待されたときの痛み、当惑、恐怖、悲しみ、怒り、それらはいずれもひどくショッキングなものですが、それよりもはるかに大きな爪痕を残すのは、だれも味方になってくれず、どこにも逃げ場所がない、という孤立感です。

安全な世界に適応した大多数の人たち

通常、わたしたちは、だれも味方がいない、どこにも逃げ場がない、というほどの絶望感にとらわれることはありません。

人間はもともと社会的な生き物だと言われます。 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法によると、他の人を支えたり親切にしたりすることは、わたしたちに広く見られる特徴です。

私は数年前、ハーヴァード大学の名誉教授で著名な児童心理学者であるジェローム・ケーガンがダライ・ラマに、この世の残虐行為の一つにつき、親切とつながりの何百という小さな行為があると語るのを聞いた。

ケーガンはこう締めくくった。「おそらく、意地の悪さではなく善意こそが、私たちの種の特徴なのでしょう」。

他者といっしょにいて安全だと感じられることが、おそらく、メンタルヘルスの最も重要な一面だろう。(p131)

わたしたちの大部分は、本質的なところにおいて、「他者といっしょにいて安全」だと感じています。心の底では、「親切とつながりの何百という小さな行為」が、この世界では当たり前だと理解しているからです。

もし、本当に他の人が信頼できず危険な存在だと思っていたなら、わたしたちは皆、家を出るときには戦闘服を身に着けて、武器を携帯し、なによりもまず人と出会わないよう細心の注意を払うでしょう。電車でだれかの隣に座るなんてもってのほかです。人に近づけば殺されるかもしれません。

しかし、この社会の大多数を占める人たちは、決してそうではなく、進んで他の人と関わります。さまざまな問題を抱えることはありますが、全体としてみれば そこそこ恵まれた環境で育ち、安全な世界に適応した人たちです。

日々の生活の中でそんなことを自覚しない人がほとんどですが、当たり前だからこそ気にも留めないのだ、と言えます。

基本的信頼感のない世界で育つ

ところが、子ども虐待のサバイバーたちは、それとはまったく違う異質な世界で育ちます。

「この世の残虐行為の一つにつき、親切とつながりの何百という小さな行為がある」のだとすれば、世の中の大半の人が、親切やつながりを感じられる まずまず良い環境で育つのに対し、 ごく一部の人は、幼いころに残虐行為の一つに遭遇するはずです。

不幸にも、そのような残虐行為に出くわしてしまった人、その最たるものこそが、子ども虐待のサバイバーだといえます。

子ども虐待のサバイバーたちは、生後間もないころから、親のまともな世話を受けられないことが少なくありません。生まれてすぐに、親から愛情に満ちたふれあいを得られないなら、人間一般に対する安心感が育まれません。

大多数の人が、武器も持たずに外出して、見知らぬ人の隣に座ることもできるのは、本質的なところにおいて、「他者といっしょにいて安全」だと感じているからだと先に書きました。この安心感は「基本的信頼感」と呼ばれ、ごく幼い時期の養育によって育まれます。

誰も信じられない、安心できる居場所がない「基本的信頼感」を得られなかった人たち
だれも心から信じられない、傷つくのが怖い、安心できる居場所がない。そうした苦悩の根底にある「基本的信頼感」の欠如とは何か、どう対処できるのか、という点を「母という病」という本を参考

基本的信頼感が育っていないということは、この世の中のありとあらゆる人に対して危険を感じ、一時たりとも自分をさらけ出したり、安心して心を通わせあったりできない、ということを意味しています。

「基本的信頼感」を持っている大多数の人が「ひとりぼっちに感じる」気持ちと、「基本的信頼感」がないサバイバーが「人類から切り離されて、宇宙でひとりぼっちのように感じる」気持ちはまったく異質な物です。

それはちょうど、インフラが整った大都市で生まれ育った人が、突然の災害によってひどい不自由を味わうことと、インフラも何もない発展途上国で生まれ育った人が、長引く乾季によって、飢えや渇きに苦しむことの違いのようなものかもしれません。

どちらの人も、紛れもなく苦しさを感じていますが、前提がまったく違っているので、同列に置いて比較することはできません。大都市で災害に見舞われた人の経験は、発展途上国で飢えや渇きを乗り越えてきた人の経験と同じものではありません。

世の中の大多数の人が感じる気持ちと、子ども虐待のサバイバーが感じる気持ちもまた、それと同様に異質なものです。

冒頭で触れた、わたしが聞いたある講演の話し手は、その違いを見過ごしていました。

その講演者を含む世の中の大多数の人に比べれば、子ども虐待のサバイバーは、まったく生まれ育った世界が違う異邦人のようなものなのに、それに気づいていませんでした。

逃避不能ショック、そして学習性無力感

子ども虐待のサバイバーたちは、単に一度や二度、孤立感を感じるだけでなく、虐待されたときから、その後の家族関係、さらには学校生活、ひいては人生のありとあらゆる段階で、孤立感を味わうことになります。

子ども虐待を経験した人たちは、まず、虐待のさなかに、自分は本質的にひとりぼっちで、この世界には、味方が誰もいないのだ、ということをまざまざと脳裏に刻みつけられます。

ポジティブ心理学の生みの親であるマーティン・セリグマンと共同研究者のスティーヴン・マイヤーは、「学習性無力感」という現象を発見したことでも知られています。

以下の記事で説明したように、学習性無力感とは、どれだけ努力しても成果が得られないとき、最初から努力するのをあきらめてしまう、という現象です。

難病や試練を乗り越える人の共通点は「統御感」ー「コップに水が半分もある」ではなく「蛇口はどこですか」
難病など極めて困難な試練から奇跡の生還を遂げる人たちは、共通の特徴「内的統制」を持っていることが明らかになってきました。「がんが自然に治る生き方」「奇跡の生還を科学する」などの本か

マイヤーとセリグマンは、動物の学習性無力感について研究したとき、それがどうやっても逃げられない極限状態のもとで脳に刻みつけられることに気づきました。 

残酷な実験ですが、逃げられないよう檻の中に閉じ込められ、電気ショックを繰り返し与えられた犬たちは、扉を全開に開けても、もはや逃げようとしなかったのです。

マイヤーとセリグマンは、このような極限状況を「逃避不能ショック」と呼びました。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法によると、この危機的状況は、ただ実験室の中だけで起こる特別なものではありません。

「逃避不能ショック」は現実の世界で、家庭という密室の中で、人間の子どもたちに対してなされる虐待と同じものです。

彼とセリグマンたちが哀れな犬たちにやったのとまさに同じことが、トラウマを負った人間の患者たちの身に起こっていた。

私の患者たちも、恐ろしい害―避けようのない害―を彼らになす人(あるいはもの)にさらされたのだ。(p58)

わたしたちは、危険にさらされたとき、おおまかに言って二種類の選択肢のどちらかを選びます。ひとつは戦ったり逃げたりする活動的な反応、もうひとつは、すべてをあきらめ、凍りついたり気絶したりする無活動な反応です。

戦争や災害、事故などの場面では、どちらかというと前者の活動的な反応が生じやすいでしょう。動き回ることで、生き残れる可能性があるからです。

しかし、強制収容所体験や拷問、性的暴行など、逃げ場がない状況、つまり「逃避不能ショック」では、後者を選ぶしかなくなります。そして、そのような状況の最たるものが、家庭という密室で行われる子ども虐待です。 

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアにはこう書かれているとおりです。

レイプの場合、戦うことと屈服することのどちらが最善かは明らかでない。

しかし、扶養下にある子どもが性的虐待を受けた場合、屈服する以外の選択はほぼ存在しない。(p110)

子ども虐待の被害者は、子どもであるがゆえに、そして加害者が大人であるがゆえに、さらには、加害者が自分の命のすべてを左右する扶養者であるがゆえに、どうあがいても逃げられないことに気づきます。

助けを求めようとするかもしれませんが、だれも何が起きているか気づきません。その「逃避不能ショック」によって、サバイバーは、実験室の犬たちと同じように、「学習性無力感」に至ります。

サバイバーたちは、何を学習するのでしょうか。助けを求めても無駄なこと。そして、この世界には、自分を助けてくれる味方など、どこにも存在しないことをです。

追い打ちをかける否定と裏切り

子ども虐待のサバイバーに加えられる仕打ちは、まだ終わっていません。むしろ、ここまではほんの入口にすぎません。

たとえ子ども時代に、性被害のトラウマや、衝撃的な体験をしたとしても、それだけで生涯続くほどの苦悩がもたらされるわけではありません。

ショッキングな経験をした子どもでも、その後、愛情に満ちたケアを受けられれば、生来の回復力を発揮し、傷を癒やしていくことが可能です。

マイヤーとセリグマンは、ひとたび逃避不能ショックを経験した犬たちも、そこから逃げられるということを体で実感できるようにしてやると、学習性無力感から抜け出せることを発見しました。

子どもたちもまた、虐待を受けている最中は逃避不能で助けが現れなかったとしても、それが特殊な状況にすぎなかったことを理解できれば、人への信頼を取り戻していけるでしょう。

しかし、子ども虐待で最も悲劇的なのは、虐待されている密室の中で味わう孤独よりも、そこから出た広い世界で味わうことになる否認と裏切りです。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法には、子ども虐待のサバイバーが味わう否認と裏切りについて、こう書かれています。

ローランド・サミットは、彼の古典的論文「児童性的虐待順応症候群」にこう書いている。

「イニシエーション、脅迫、汚名、孤立、無力感、自己非難は、児童の性的虐待の恐ろしい現実に基づいている。

子供がその秘密を漏らそうとすれば必ず、大人たちの沈黙と不信の共謀に出くわす。

『そんなことは、心配しなくていいよ。うちでは絶対起こるはずがないから』

『いったいどうやったらそんな恐ろしいことを考えつくんだろうね』

『二度とそんなことは口にするんじゃありません!』

普通の子供は、けっして尋ねたり語ったりしない」(p218)

虐待者の密室から出た子ども虐待のサバイバーたちを待ち受けているのは、大人たちの裏切りと共謀です。

以前の記事で書いたように、性的虐待の被害を受けた子どもが事実を打ち明けるとき、嘘をついたり、ふざけていたりすることはほとんどありえないと言われています。

冷静に考えれば、性的な知識をほとんど持たないはずの子どもが、大人をからかったり欺いたりすることなどありえないことがわかるでしょう。

「魂の殺害」である性虐待・性暴力の7つの後遺症―子どもが性被害を受けた時の対処法とは?
性被害の後遺症としての愛着障害やPTSD、解離性障害について、そして子どもが性的被害に遭ったときに保護者ができる対処についてまとめました。

しかし、大人たちからしてみれば、子どもが勇気を出して打ち明けた、胸の悪くなるような話は、大人をかつごうとして考えだした悪趣味な冗談のようにしか感じられません。それできつく注意したり、聞く耳を持たなかったりします。

その実態については、こちらの記事にも詳しく書かれています。

誰も語らない、子どもの「性的虐待」の現実 | 家庭 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

植田:被害は認識できて初めて被害になると思います。でも、子どもだと、何が起きているのかわからないことが多いのです。

勇気を振り絞って親や友達に話しても、嘘だと思われ信じてもらえなかったり、「汚い」と言われたり 、ますます傷が深まって本当のことが言えなくなる。

被害者は口をそろえて「普通の子でいたい」「重いからと引かれたくない」と言うのです。被害を受けた側が周囲に気を使っている。

大人たちの大多数は、「親切とつながりの何百という小さな行為」が当たり前の世界で育ってきました。

自分の身近なところで、自分の家庭で、「残虐行為の一つ」が生じるなど、信じられないし、想像することも汚らわしく感じられます。ましてや子どもが加害者として告発したのが、親族や尊敬されている人ならなおさらです。

勇気を出して打ち明けたにもかかわらず、拒絶され、傷つけられた子どもたちは、大人に助けを求めてはいけないのだ、ということを悟ります。

そもそも、これは助けを求めるような問題ではなく、自分が受けて当然の仕打ちだったのだ、と思うようになることもあります。自分が何か悪いことをしたから、あるいは生まれつき価値がなかったから罰せられているだけなのだと。

子ども虐待のサバイバーたちは、否認と裏切りに直面したとき、狭い密室の中で経験した逃避不能ショックと学習性無力感は、決して例外的なものではなかったのだ、と考えます。

つまり、この広い世界のどこにおいても、自分は逃避不能であり、この世にいる幾千幾万の人の中にさえ、助けを求めたときに答えてくれる人はいないのだ、ということを学習します。

自分の経験したことを誰かに打ち明けるなら、慰めてもらえるどころか、罰せられたり、否定されたり、叱られたりするのを実感しました。何度やってもそうでした。

だからこそ、ヴゥン・デア・コークの患者となった女性はこう言っていたのです。

「なんとしても助けが欲しかったのですが、道のこちら側に立ち尽くしたまま、もっと傷つくだけだと心の奥底で感じました。

実際、きっとそうなったでしょう。もちろん、この出来事は隠さなければなりませんでした。親にも、他の誰にも」(p222)

彼女は、これまでの人生のすべてをかけて、逃避不能ショックの中で無力感を学習してきたのです。

味方はいない。どこにもいないと。

(2)母語―「トラウマと虐待の言語を理解しないかぎり」

子ども虐待のサバイバーが育ってきた世界は、世の中の大多数の人が育ってきた世界とは別ものです。

世界が違えば、当然、言葉も違います。

愛着障害の克服~「愛着アプローチ」で、人は変われる~ (光文社新書)という本の中で、幼少期の経験から愛着の不安定さを抱えた人は、あたかも「異なる言語と文化をもつ異国人のようなもの」だと書かれていました。

愛着スタイルは、パーソナリティのさらに土台ともいえる部分を動かしている。つまり異なる愛着スタイルの人は、異なる言語と文化をもつ異国人のようなものである。

この点を理解しておかないと、言語や文化の違いを無視して、コミュニケーションをしようとするような無茶なことになってしまう。

すれ違いや誤解が起きてしまうことは必定だ。実際に、いたるところでそうしたことが起きている。

それぞれの愛着スタイルに備わった認知や思考の様式、感情や行動の表出方法の特性を知らないと、相手の真意をとらえ損なってしまう。(p221)

以前の記事に書いたように、子ども虐待のサバイバーたちは、4種類ある愛着パターンの中でも、もっとも異質で混乱した、無秩序型という愛着パターンを身につけることで知られています。

「異なる愛着スタイルの人は、異なる言語と文化をもつ異国人のようなものである」とするならば、虐待のサバイバーの言語と文化は、世の中の大多数の人からは想像もつかないほど異なっているということになります。

同様に、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中でヴゥン・デア・コークも「トラウマと虐待の言語を理解しないかぎり」虐待のサバイバーたちの生きている世界を理解することはできない、と書いています。(p233)

時間の概念がない言語

世の中には、さまざまな種類の言語があります。一説によるとその数は7000種類近くになるそうです。

言語の中には、互いによく似ているものもあります。身近なところでいえば、日本語と中国語は漢字という文字を共有していますし、ヨーロッパの各言語も互いに似通った単語を持っています。

こうした言語の違いは、不思議なことに、文化ごとの思考の違い、概念の違いにも深い影響を及ぼします。

たとえば脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのかによると、言語体系の違いは、時間という概念の捉え方を形作るのに一役買っています。

アラビア語やヘブライ語は、右から左に書く。それならアラビア語やヘブライ語を話す人は、過去、現在、未来を、どのような順番で並べるのだろうか? その答えは、過去が右、現在は真ん中、未来は左だった。英語を話す人とは対照的だ。(p113)

中国語を話す人は、住まいが台湾でもカリフォルニアでも、英語を話す人の八倍も、時間を垂直に並べることが多く、過去の出来事を示すときは上を、未来のことは下を指さした。…中国語はもともと縦書きで、右から左に進んでいく言語だった。(p113)

時間という抽象的な概念がどちらからどちらに流れるか直感的に理解するとき、わたしたちはどうやら無意識のうちに書き言葉の方向に影響されているようです。

主要な言語だけをとってみても、さまざまな概念の違いを生み出しますが、中には極めて異例な言語も存在しています。

たとえば、アマゾンのアモンダワ族には、なんと時間を表す言葉がありません。

またピダハン族(ピラハ族)の言語にも、過去や未来を表す語彙がありません。語彙がないということは、そのような概念もない、ということを意味しています。

意識と無意識のあいだ 「ぼんやり」したとき脳で起きていること (ブルーバックス)には、こう書かれています。

興味深い例外は、ブラジル・アマゾナス州に住む辺境の民、ピダハンだ。

伝道師のダニエル・エヴェレットは、彼らの言語を学び、聖書を彼らの言葉に翻訳するために現地に赴任した。

彼は、ビダハン人の言葉が、西洋文化圏の基準から見て貧しいことを発見する。語彙が少なく、過去や未来について話すときには間接的な表現しかできないのだ。

エヴェレットによれば、彼らは架空の話をせず、天地創造の伝説も神話ももたない。

ピダハン語には、過去や未来を表す言葉がないゆえに、彼らは架空の話をせず、物語も持っていません。それはつまり、彼らの思考や生活もまた、わたしたちとはかけ離れたものであることを意味しています。

もちろん、この記事の論点は、特殊な言語や、それを操る民族についてではありません。

しかし、言語が違えば、思考や概念が異なり、生活の仕方までまったくの別物になってしまう、というアモンダワ族やピダハン族の例は、比喩的な意味でも、当てはまります。

永久にトラウマの瞬間に閉じ込められる

この本の続く部分で、ピダハン語がこの特殊な特殊を持つようになったことには、奇妙な理由があるのではないか、と推測されています。

ところが、ピダハン語はムーラという別の言語と関係していて、ムーラ語には明らかに過去にかかわる記録が多い。

ということは、ピダハンがある時点でムーラ人から分かれて共通の歴史を失い、自分たちの過去まで抑圧しているように思われる。(p124)

彼らの話す言語において、過去や未来の概念がなくなってしまったのは、何らかの過去を記憶から抹消するためだったのかもしれません。

つまり、過去に何らかの民族的なトラウマを経験したせいで、過去や未来を放棄するために、それを表す語彙が消え失せたのだともみなせます。

トラウマを負った人々は、個人として、これと似た現象に直面します。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法では、トラウマ患者で機能が停止している脳の背外側前頭前皮質について、こう説明されています。

この領域が作動しなくなると、人は時間の感覚を失い、過去、現在、未来の感覚がないまま、今の瞬間に閉じ込められてしまう。(p116)

私たちは背外側前頭前皮質のおかげで、現在の経験が過去とどう関係しているかや、将来にどう影響するかもしれないかがわかる。

したがって、背外側前頭前皮質は、脳の時間管理者と考えてもいい。何が起こっていようと、そこには自ずと限界があり、遅かれ早かれ終わりが来ることがわかっていれば、たいていの経験には耐えられる。

その逆も正しい。すなわち、状況は、いつ果てるとも知れぬように感じられれば耐え難くなる。…トラウマは「これが永遠に続く」という究極の体験と言える。(p116)

トラウマを負った人たちは、時間感覚が麻痺し、凍りついた時のさなかに閉じ込められています。

サバイバーたちは、虐待から解放され、もう危機が去った後でさえ、あたかも今まさにトラウマのさなかにいるかのような反応を示します。つまり、過去や未来という概念が存在せず、トラウマにとらわれた今が永遠に続いています。

永遠にトラウマのさなか、密室の中で虐待されている時間に閉じ込められているせいで、サバイバーたちは、大多数の人とはまったく違った視点で世の中を見ています。

ロールシャッハテストからは、トラウマを負った人は他の人とは根本的に違うふうに世の中を眺めていることもわかった。

たいていの人にとって、道をやって来る人は、ただの歩行者にすぎない。だがレイプの被害者は、今にも自分を性的に虐待しようとしている人と捉え、パニックを起こすかもしれない。

厳格な教師は、平均的な子供にとっては威圧的な存在かもしれないが、継父にさんざん殴られている子供には拷問者のように見えかねず、その子は急にかっとなって襲いかかったり、恐れおののいて部屋の隅で身をすくめたりするかもしれない。(p36)

サバイバーたちは、脳の時間管理者が機能停止しているせいで、永久に逃避不能ショックの状況から抜け出せないでいます。彼らの身体は、自分が今まさに虐待されているかのように振る舞いつづけます。

フリーズした記憶は過去の物語にならない

永久にトラウマ体験の時間に閉じ込められてしまうのは、あまりに衝撃的なトラウマ記憶を自分のものとして統合できず、「解離」が生じているせいです。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法には、ピエール・ジャネによる、次のような説明が引き合いに出されています。

ジャネは、自分の患者に見られるような、記憶の痕跡の分離や孤立を表すために、「解離」という言葉を造った。

…「彼らはトラウマ記憶を統合できないため、新たな経験を取り込む能力も失ってしまうらしい。

それは……あたかも彼らの人格がある時点で完全に凝り固まり、新たな要素を加えたり取り込んだりしてそれ以上拡大することができないかのようだ」。

彼らが分離された要素に気づき、過去に起こったものの今はもう終わった出来事としてそれらを一つの物語に統合しないかぎり、個人生活でも職業生活でもしだいに正常に機能できなくなっていくことを、ジャネは予想した。(p297)

これは、パソコンを使っているとき、ファイルの処理の途中で、何らかのエラーが生じて、フリーズしてしまうことにたとえられるでしょう。

サバイバーは、トラウマ記憶が、あまりに危険で処理できないがために、永久に「処理中」、つまりフリーズ状態にあります。

危機は去っているはずなのに、処理が凍結されているので、今まさに逃避不能ショックのただ中にあるかのように身体が反応してしまいます。永久にトラウマの瞬間の中に閉じ込められてしまうので、過去や未来といった概念がなくなります。

トラウマ記憶は正常に処理できてはじめて、過去の物語になりますが、いつまでも「処理中」だと、記憶に統合されないので、思い出すことができません。この状態が記憶の「解離」です。

こうして虐待のサバイバーの脳で起こっている時間の凍りつきについて考えてみると、それはどうやら、ピダハン語が置かれていた状況によく似ていることがわかります。

ぼくと数字のふしぎな世界に書かれているように、ピダハン族は、過去の記憶が物語にならないために、終わりのない「いま現在」が永久に続いています。

だから彼らは物語を語らず、神話を持たないのだ。物語には、少なくともぼくたちが理解している「物語」には、時間の流れがある。

…しかし、ピラハの人たちはいま現在のことしか話さない。彼らの行動に影響を与える過去がない。考えを刺激する未来がない。

過去では「なにも起こらない、だからあらゆることが同じだ」と彼らはエヴェレットに語っている。(p39)

もしも、ピダハン語から未来や過去といった語彙が消え去ったのは、過去の何かしらの衝撃的な出来事が処理できず、民族の歴史から切り離されて凍結された結果なのだとすると、子ども虐待のサバイバーが身につける「虐待の言語」は、それと似たようなものかもしれません。

衝撃的なトラウマ記憶を、自分の過去の一部として統合できないために、過去や未来について考えられなくなってフリーズしてしまう、そしてそれゆえに、異質な思考パターンにはまり込んでしまった状態が、子ども虐待のサバイバーたちだといえます。

言ってみれば、世の中の大多数の人と、子ども虐待のサバイバーとの間には、日本語や英語のような主要な言語を話す人と、アマゾン奥地の極めて異例な言語を話す人との間にある文化や概念のギャップほどの大きな隔たりがある、ということです。

仮にもし、アマゾンの奥地で生まれ育った少数民族の人が、いきなり日本の大都市のど真ん中につれてこられて、何の助けもないまま置き去りにされたとしたら、どう感じるでしょうか。

子ども虐待のサバイバーたちが、この広い世界の中で感じる孤独と絶望は、それと似ているのかもしれません。サバイバーたちはまさに「異なる言語と文化をもつ異国人のようなもの」なのです。

(3)文化―それでもそこが生まれ故郷

内戦などで祖国を追われ、難民になった人たちは、しばしば、生まれ育った国で、想像を絶する辛い思いをしてきました。

それでも、何の妨げもなく祖国を捨てて、逃れた先の国にすぐ馴染んで、新しい人生を始められるわけではありません。たとえ辛い記憶があろうと、自分たちが生まれ育った場所は特別なものです。

子ども虐待のサバイバーたちにとってもそうです。外部の人たちから見れば、どれほど異常な環境に思えても、子どもたちにとっては、生まれ育った環境は唯一無二のものです。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法にはこう書かれています。

子供は、たとえ養育者に虐待されたとしても、その養育者に基本的には忠実であるようにプログラムされてもいる。

恐怖は愛着の必要性を増大させる。慰めのもとが恐怖のもとであるときでさえ、そうだ。

家庭で痛めつけられたにもかかわらず(そして、それを物語る骨折や火傷を抱えていながら)、選択肢を与えられたら、里親に預けられるよりも自分の家族のもとにとどまることを選ばないような10歳未満の子供に、私は出会ったためしがない。(p221)

子ども虐待のサバイバーたちは、特に低年齢である場合、たとえ虐待する家庭から引き離されても、その環境へ戻ろうとします。どれほど異常な家庭、また親であっても、そこで生まれ育った子どもにとっては、それが当たり前、普通のものだからです。

例えば、食べ物の文化について考えてみてください。日本の大都市で生まれた人の中には、いなごや幼虫を炒って食べるアフリカの食生活を見て、拒否感を覚える人もいるかもしれません。

けれども、外国で生まれた人にとっては、逆にエビやシャコ、生魚などを食べる日本の食文化のほうが異様に思えるかもしれません。

どちらの場合も、外から見れば奇異に思えるかもしれませんが、そこで生まれ育った当人にとっては、ごくごく当たり前のもので、違和感もありません。大人になっても、自分が慣れ親しんだ文化には疑問を感じないものです。

それと似たことが、子ども虐待のサバイバーにも生じます。外から見れば、奇異な環境で育ったのに、自分ではそれが普通だと思ったまま成長し、大人になっていくのです。

いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳に、こう書かれているとおりです。

親の「しつけ・教育」が虐待であるならば、それは幼児が生まれてきてからの生活そのものが虐待という現象の中に組み込まれているということを意味する。

つまり、幼児にとって虐待とは“非日常”ではなく、紛れもない“日常”の姿なのである。森田はこれを家庭内の“文化”であると表現している。

われわれからみたら、虐待というのは非日常的で普通ではない状態である。

しかし被虐待児は「日常的で普通の生活」を経験したことのない者がほとんどであるから、たとえそれがストレスフルな状況であっても、その環境を疑うことができない。(p107-108)

ごく普通の家庭で生まれ育った人たちから見れば、子ども虐待の家庭は異常な環境に思えるとしても、そこで生まれ育った人にとっては、その文化こそが当たり前であり、祖国なのです。

平和な日常に適応できない

わたしたちが、自分の国の文化に馴染んで、たとえ外国から見れば奇異に思える習慣でも、疑問を抱くことなく受け入れているのは、生まれ育った環境に適応する力を持っているからです。

異常な家庭で生まれ育った人たちもまた、時たつうちに心身ともに異常な環境に馴染んでいきます。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法には、虐待された子どものストレスホルモンの変動についてこう書かれています。

最初の評価のときには、参加者全員がストレスホルモンであるコルチゾールの値の上昇を見せたが、三年後には、虐待を受けた参加者が一年間で最もストレスを感じた出来事を報告したとき、コルチゾール値は下がった。

時がたつうちに、体が慢性的なトラウマに順応するのだ。

麻痺状態に陥ったときの結果の一つは、本人は気が動転しているのに、教師や友人、その他の人がなかなか気づかなくなることだ。本人さえもが認識していないかもしれない。

麻痺状態に陥ると、たとえば身を守る行動をとりそこなうなど、苦悩に対してしかるべき反応をしなくなる。(p271)

虐待された子どもは、最初はその異常な環境に激しく反応してストレスホルモンが上昇するかもしれませんが、「時がたつうちに、体が慢性的なトラウマに順応」していきます。

順応するのは身体だけではありません。心もまた麻痺してしまい、異常な環境を当たり前と感じてしまうようになります。

それは、たとえば性的虐待では、子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)に書かれているように、性的虐待順応症候群として知られています。

性的虐待が近親者との間で長年にわたって生じたときには、被虐待児が加害者を擁護しようとする行動をとることが少なくない。

これは性的虐待順応症候群として知られ、虐待の事実を開示した直後に虐待を否認するといった行動が、頻繁に認められることになる。(p98)

異常な環境にあまりに長いことさらされすぎたせいで、脳が異常な環境こそ“日常”、ごく普通の環境を“非日常”とみなして、適応してしまうのです。

裏を返せば、それは、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法が説明するように、ごく普通の子どもたちが順応していく学校や社会での日常には、逆に適応できなくなっていくということです。

性的虐待を受けた女子は、それとはまったく異なる発達の道筋をたどる。

彼女らは人を信頼できないので、同性の友人も異性の友人も持たない。自己を嫌悪していて、生物学的機能も本人に不利に働くため、過剰な反応を見せたり、逆に麻痺状態に陥ったりする。

…これらの女子はあまりに変わっているため、他の子供たちはたいてい、いっさいかかわり合いになりたがらない。

子ども虐待のサバイバーは、異常な家庭に順応するよう脳が最適化され、他の子どもたちとは「まったく異なる発達」を遂げます。

普通の友だち付き合いができず、あたかも命が脅かされている戦場にいるかのように、ときには用心深く、ときには過敏に振る舞うようになります。

そうした子どもは、まわりから「あまりに変わっている」とみなされます。

悲劇的なのは、なぜその子が「あまりに変わっている」のか、本人もまわりも誰一人として理由に気づけないことです。

異常な環境に順応して麻痺してしまうと、表面上は何も問題がないように見えるため、周囲の先生や友人は何が起こっているのか気づけません。本人でさえも自分が子ども虐待のサバイバーであることを認識できなくなります。

特に、子ども虐待のサバイバーの中には、「解離」という脳の機能が働いているせいで、自分が経験したトラウマの記憶をすっかり忘却している場合もあります。

記憶の喪失は、自然災害や事故、戦争トラウマ、誘拐、拷問、強制収容所、身体的虐待、性的虐待を経験した人について報告されている。

完全な記憶喪失が最も多いのが子供時代の性的虐待で、発生率は19~28パーセントだ。(p315)

それはつまり、自分が違う国、違う文化で生まれ育ったにもかかわらず、自分の出自を知らないまま、異国の地で生活しているようなものです。本当は生まれ育ちが違うために周りから浮いているのに、その理由を知りません。

そうすると、だれからも理解してもらえず、孤独を深めていく中で、人間とはこういうものなのだ、人はわかりあえなくて当然なのだ、という不信感を抱くようになるのも当然です。

戦時下で生き生きとする

トラウマのサバイバーたちが「あまりに変わっている」のは、脳が故障したからでも、障害を負っているからでもありません。

大多数の子どもたちの脳が、平和な日常に順応しているのに対し、サバイバーたちの脳は、虐待する家庭という非日常に順応しています。その違いが「あまりに変わっている」とみなされるだけです。

それはちょうど、戦争に適応した兵士たちが、戦場では生き生きと振る舞うことができるのに、平和な日常では不適応を起こすのと同じです。

アメリカの海兵隊は戦闘で見事に任務を遂行した。問題は、彼らが祖国に戻ってからの暮らしに耐えられないことだ。

オーストラリアの戦闘期間兵に関する最近の研究は、彼らの脳が緊急事態を警戒するように配線し直されているために、日常生活の細部に的を絞れなくなっていることを示している

…トラウマを負った患者に、仮想現実セラピーよりも必要なのは、地元のスーパーマーケットっで買い物をしたり、わが子と遊んだりするときに、バグダードの通りで感じたのと同じくらい生き生きとした気分になれるようにしてくれる、「現実世界」セラピーなのだ。(p363)

戦争でトラウマを負った帰還兵たちは、戦争の残虐行為を忌み嫌い、悲嘆に暮れます。生々しい記憶のフラッシュバックのような後遺症に悩まされ、ごく当たり前の日常生活すら送れなくなることもあります。

しかし、不思議なことに、あれほど忌み嫌ってきた戦争の体験について語るときには、日常の生活では久しく感じられなかった生気がよみがえり、生き生きと多弁になります。

たとえ戦争を憎んでいようが、帰還兵たちの脳は戦時下に適応していて、異常な環境の中でだけフル稼働するよう最適化されているからです。

トラウマが生じたのが10年前であろうと40年以上前であろうと、私の患者たちは戦時体験に囚われてしまい、現在の人生をしっかりと歩むことができなかった。

あれほどの痛みを引き起こしたまさにその出来事が、彼らにとって存在意義の唯一の源泉になってしまったのだ。

彼らが思う存分生きていると感じるのは、トラウマを引き起こした過去に立ち返っているときだけだった。(p38)

帰還兵たちの脳は戦時下に最適化されていて、本人が戦争を憎んでいようとも、危機的状況に引き寄せられます。

だとすれば、虐待的な環境に適応したサバイバーたちもやはり、同じような経験をするのでしょうか。

「虐待的絆」に引き寄せられる

戦時下に適応した兵士たちが抱える問題と、子ども虐待のサバイバーの抱える問題が似ている、というのは、単なる比喩ではありません。近年の研究が示しているように、両者の脳は類似しているからです。

虐待受けた子どもとPTSD兵士の脳が類似=研究 - BBCニュース

家庭内暴力や虐待などを経験した子どもの脳と、戦闘で心的外傷後ストレス障害(PTSD)となった兵士の脳の動きが類似していることが研究で明らかになった。ユニバーシティ・コレッジ・ロンドンのマクロリー教授が解説する。

子ども虐待のサバイバーたちが家庭を出てもなおトラウマから逃れられないのは、帰還兵たちと同様、どれほど過去を憎んでいようと、潜在的にトラウマ的な環境を求めてしまう傾向があるからです。

発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方では、それが「虐待的絆」と表現されています。

この歪んだ愛着を虐待的絆と呼ぶ。

父親のDVなど、暴力が常在化した家庭に育った娘が、その家庭を憎み嫌い、高校を卒業と同時に家でのように家から遠く離れ、仕事につき、そこで結婚をする。

するとなぜかかつての父親のような暴力的な夫と一緒になっている。この反復が起きる理由こそ虐待的絆の存在に他ならない。

いくら忌避される記憶であっても、子どもたちにはそれこそが生きる基盤になっているからなのだ。(p34)

幼い子どもは親から虐待されても、親のもとにとどまろうとします。もっと年長になると、自分の身を守るために異常な環境から逃れようとしますが、それでも、いつの間にか同じような環境にたどり着いてしまいます。

子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)に書かれているように、性的虐待のサバイバーの中には、成人してからも、自己破壊的な性関係から抜け出せない人もいます。

例えば性的虐待の被害者が、その後の対人関係において、虐待的な性的関係を反復し、先の母親のようにDV被害を何度も受けることになる。

結果としては、性的行動で周囲の人間を操作するといったことも生じてくる。(p98)

脳がトラウマ的な環境に配線されていると、自分では望んでいないはずなのに、危険な状況に身を晒し、トラウマを再体験してしまいかねません。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法によると、1万人以上を対象にしたACE研究(逆境的児童期体験研究)では、幼少期に虐待を受けたサバイバーは、その後の人生で、さらに同じようなトラウマを経験する率がとても高いことがわかっています。

研究に参加した女性は、成人してからレイプされたことがあるかどうか訊かれた。

ACE得点が0点の人では、レイプされた人は5パーセントだったのに対して、四点以上の人では33パーセントだった。

子供のときに逆境的あるいはネグレクトの犠牲になった女性は、のちの人生でなぜそれほどレイプされやすいのか。この疑問に対する答えは、レイプ以外のじつに多くの面にも密接に結びついている。

たとえば、幼少期に家庭内暴力を目撃した女性は、大人になったときに自らも暴力的な関係に巻き込まれる危険が大幅に増し、家庭内暴力を目撃した男性は、自分の伴侶を虐待する危険が7倍になることを、多くの研究が示している。(p245)

虐待のサバイバーたちが、子ども時代に受けたトラウマを再体験しやすいのは、脳に刻み込まれた虐待的絆によって、そうした状況に自ら飛び込んでいきやすいためです。

サバイバーたちは、特に若い時期にトラウマを再体験しやすく、その後の人生では、恐れのあまり親密さを避けるという逆の極端にとらわれる傾向がありました。

彼らは親密な人間関係を築いて維持するのが非常に苦手で、見境がなくて危険が大きく不満足な性的関係から、性的活動の完全な停止へと転じることが多かった。

異常な環境という非日常の中では、理由もわからずに生き生きしてしまい、安心できる平和な日常ではかえって適応障害を起こしてしまう。

生まれ育った文化の呪縛は、どれほどそこから逃れようとしても、そう簡単に断ち切れるものではないのです。

(4)歴史―いつの時代も居場所がなかった

子ども虐待のサバイバーという「民族」は、個人として異邦人のような居場所のなさを感じますが、集団としても、社会から追われ、迫害されてきた長い歴史があります。

子ども虐待の後遺症として、特に顕著なのは、解離性障害という病気です。この病気は、歴史上古くから存在していて、古代から「ヒステリー」として知られていました。

ヒステリーの元となったギリシャ語「ヒステラ」は子宮を意味する言葉で、紀元前5世紀のギリシャの名医ヒポクラテスは、ヒステリーを「子宮の病」と表現しました。哲学者プラトンも、子宮が体の中を暴れることで、奇妙な症状が引き起こされていると考えました。

信じがたいことですが、ヒステリーは、性的に満足できていない女性に引き起こされるものとみなされ、治療のために性交渉が勧められることさえありました。

おそらくは、性的虐待のサバイバーたちが、理由もわからずに自己破壊的な性衝動を抱えたり、逆に性的関係を極端に避けたりすることから、そうした解釈が生まれたのでしょう。

その結果、何が引き起こされたかは想像にかたくありません。 続解離性障害にはこう書かれています。

従来のヒステリーに関する俗説は、女性蔑視につながるだけでなく、女性の性被害を助長し、かえって女性の解離性障害を生み出していた可能性が高いとも言えるだろう。(p41)

愕然とする事実ですが、古代ギリシャの時代から、20世紀直前まで、解離性障害は、性的虐待の結果ではなく、性的な欲求不満の病だとみなされていたのです。そしてそれは、かのジークムント・フロイトも同じでした。

フロイトの「裏切り」

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアに書かれているように、フロイトは、当初、ヒステリーの患者たちは、幼少期のトラウマを抱えているのではないかと正しく推理しました。

フロイトは、この方法を採用して、引き金となる出来事は多くの場合、幼少期に受けた性的虐待、たいていは父親が娘に対して行う性的虐待であると信じるようになった(フロイトの患者の大多数はいわゆるヒステリー症の女性だった)。(p366)

しかし当時の男性中心社会の圧力や、自身の抱えているセクシュアリティの問題から、フロイトは自説を180度転換させ、原因は、性的虐待ではなく、性的願望である、と主張するようになりました。

言うまでもないが、フロイトの理論は、医師、銀行家、法律家など、専門家のコミュニティにはあまり受け入れられなかった。彼らのほとんどが父親でもあった。

性的虐待の広まりが現在ほど知られていなかったことから、彼らの中にも、近親姦の罪を犯した者がいることはほぼ確実だった。

そのため、また他の理由もあって、フロイトは誘惑理論から離れ(皮肉なレッテルが貼られたため)、また、抑圧された記憶を明らかにし強い感情的なカタルシスを通じて記憶を再現する自分の治療方法からも離れた。

患者の多くは深刻な裏切りと感じたであろうが、フロイトは、患者の症状を性的暴力に起因するものとしてではなく、幼少期の「エディプス的」な願望、異性の親と性的交渉を持つファンタジーに根付くものとしてという解釈を与えた。(p366)

フロイトはそれ以降、虐待の存在をときおり認めつつも、基本的には、抑圧された性的な欲動がヒステリーを引き起こしているとする持論を展開しました。それはかつてのギリシャの哲学者たちの延長線上にある考え方でした。

その一方で、フロイトと同時代のピエール・ジャネは、ヒステリーの患者たちを偏見のない目で見て、患者たちの話に真摯に耳を傾け、その本当の姿を理解しようと試みました。

ジャネは「解離」という新たな言葉を作り出し、性的不満の病とされていたヒステリーが、トラウマによる解離性障害であることを明らかにする最初の一歩を据えました。

しかし、その概念は、登場した最初から、ほかならぬジークムント・フロイトによって否定されることになりました。 続解離性障害にはこうあります。

交代人格を「信じる派」と「信じない派」の対立は、実は力動精神医学の最初の時代、すなわちフロイトとジャネの時代にさかのぼるという事実がある。

結論から言えばフロイトは「信じない派」に近く、ジャネは「信じる派」であったと言える。(p35)

偽りの記憶の論争

その後、フロイトの理論が注目を浴び、精神医学のバイブルのようにみなされるようになると、解離についての理解は停滞しました。ヒステリーは情緒不安定な女性の詐病とみなされるようになりました。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法によると、1974年に発刊された「精神医学の総合参考書」には、近親姦は非常にまれで、110万人に1件程度しか起こらず、もし生じたとしても、当人の精神状態によい影響を及ぼし、適応能力を向上させる、とまで書かれていたといいます。

事態が変化したのはベトナム戦争後、後遺症としてのトラウマの研究が活発になってからでした。女性解放運動の機運もあって、子ども虐待や性被害のサパイバーが勇気を出して名乗り出すようになり、埋もれていた解離の理論がにわかに注目を集めます。

しかしここでも、過去と同様の激しい攻撃にさらされます。解離性障害の存在を真っ向から否定する医師は少なくなく、解離に関わろうとした医者は同僚から嘲笑されたり、追放されることさえありました。

多重人格治療のパイオニア ラルフ・アリソンの素顔―患者のために涙を流した医師
多重人格治療のパイオニアとして、医療から見放されていた解離性同一性障害(DID)の患者の苦悩と向き合い、患者を助けるために命をかけた医師ラルフ・アリソンの人柄と、彼の独特な洞察につ

それだけでなく、著名な心理学者たちは、解離されたトラウマ記憶、という概念を否定し、子ども虐待のサバイバーたちは偽りを語っていると非難し始めました。

1990年代初期には、アメリカとヨーロッパの主要な新聞や雑誌に多くに、いわゆる「虚偽記憶症候群」に関する記事がすでに登場し始めていた。

この症候群は、精神疾患患者が性的虐待の手の込んだ虚偽の記憶をでっち上げたうえ、その記憶が長年眠っていたあと、蘇ったと主張するというものだ。(p313)

のちに、多くのサバイバーたちが勇気をもって教会の指導者を告発し、性的虐待の事実を公の場に引きずり出したときには、大勢の権威ある専門家たちが、教会側に立って、被害者を攻撃しました。

教会側に立って証言する専門家は、子供時代に性的虐待を受けたという記憶は、贔屓目に見ても当てにならず、被害者とされる人の主張は、過剰に同情したり、物事を鵜呑みにしやすかったり、自分の立場を優先させたりするセラピストによって頭に植えつけられた虚偽の記憶に由来する可能性のほうが高いと証言した。(p314)

解離やトラウマ記憶など存在しない、という疑い深い見方は、いまだに幅を利かせています。

しかし、以前の記事で説明したとおり、トラウマ記憶は偽りだとする見方も、すべて正確だとする見方も両極端であり、サバイバーたちの実情に即したものではありません。

本当にサバイバーたちの苦悩を理解しているのは、ジャネのように真摯に患者の話に耳を傾け、何が起こっているのか理解しようとしてきた医師やセラピストたちだけです。

身体に刻まれた「発達性トラウマ」―幾多の診断名に覆い隠された真実を暴く
世界的なトラウマ研究の第一人者ベッセル・ヴァン・デア・コークによる「身体はトラウマを記録する」から、著者の人柄にも思いを馳せつつ、いかにして「発達性トラウマ」が発見されたのかという

その文化は「カルダーノの輪」の外にある

 このように、子ども虐待のサバイバーたちは、異なる世界に生まれ、異なる言語、異なる文化、異なる歴史を持つ異邦人に例えることができます。

■異なる世界
幼いころに普通の家庭で育ち、人間一般に対する基本的信頼感を育んだ普通の人と、異常な環境で育ち、逃避不能ショックにさらされ、だれ一人味方はいないという無力感を学習してきたサバイバーたちとでは、生まれついた世界が異なっているようなもの。

■異なる言語
言語が異なれば思考パターンも異なる。「トラウマと虐待の言語」を話すサバイバーたちは、凍りついた時間に閉じ込められており、物事の受け止め方が大多数の人とは異なっている。

■異なる文化
子ども虐待のサバイバーは、「虐待的絆」によって、自分では望んでいないのに、生まれついた祖国の文化ともいえる危険な状況に引き寄せられ、トラウマを再体験するという矛盾した行動をとってしまう。

■異なる歴史
子ども虐待のサバイバーが抱える苦悩は、長きにわたり、「ヒステリー」や「虚偽記憶」として偏見や攻撃にさらされてきた。

子ども虐待のサバイバーたちがありとあらゆる点で偏見や攻撃にさらされ、決して理解されることなく、孤独のもとにさすらう運命を強いられているのは、このような生まれ育ちの違いによって、人種間のあつれきにも似た理解のギャップが生じてしまっているからです。

そして、子ども虐待のサバイバーたちが「世界でひとりぼっち」のように感じてしまう最大の原因は、サバイバーたちが、あたかも異なる人種のような存在である、というこの事実がほとんど気づかれていないことにあります。

自分の物差しで測るという間違い

冒頭で触れた ある講演者は、性的虐待のサバイバーの女性が感じた孤独感や憂うつさを、自分たち一般に当てはめ、だれでも多かれ少なかれ感じている気持ちだとみなしていました。つまり、自分たちの物差しで、サバイバーの苦悩を測ろうとしていました。

また子ども虐待のサバイバーたちは、あまりに奇妙な症状を次々と訴えるので、医師たちからしばしば「気のせい」「詐病」「演技をしているだけ」とみなされがちです。ここでも医師たちは、自分の常識の物差しで、サバイバーたちの苦悩を測ろうとする間違いを犯しています。

この記事で見たように、子ども虐待のサバイバーは、生まれたときから、常識ではありえないような経験をしてきました。

当たり前でない世界に適応し、順応してきたサバイバーたちは、当然、自分自身もまた当たり前でない存在へと変容していきます。

子ども虐待のサバイバーたちは、理解できない無秩序な環境に対処するために、自らもまた理解できない無秩序な存在へと変化していき、その結果として、ありとあらゆる奇妙な症状を抱えることになります。

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見知らぬ人に対して親しげに振る舞いながらも、心の中では凍てつくような恐怖と不信感が渦巻いている。そうした混乱した振る舞いをみせる無秩序型、未解決型と呼ばれる愛着スタイルとは何か、人

大人が子どもに異常な仕打ちを加えるという子ども虐待は、この世の中にある理解できない、理解しようがない物事のうちの最たるものだといえます。この問題を長年扱ってきたヴァン・デア・コークでさえ、こう述べていました。

私はこの仕事を始めて40年になるが、患者が子供時代について話してくれているときに、「信じられない」と思わずつぶやいてしまうことが今でもよくある。

患者たちも、私に劣らず信じられないことが多い。

親が我が子にそのような非常な苦痛や恐怖を与えるなどということがどうしてありうるのか。

その体験は自分がでっち上げたに違いない、あるいは自分は誇張していると言い張る人もいる。

だが、全員が自分の身に起こったことを恥じており、自分を責める。自分がひどい人間だから、そのようなひどい目に遭ったのだと、ある次元で固く信じている。(p219)

そもそもの原因である子ども虐待そのものが、理解できない次元のものである以上、そこに適応し、順応していった子ども虐待のサバイバーたちの苦悩が理解されないのは、もはや必然であり、避けられないことです。

子ども虐待のサバイバーたちの苦悩が、人類の長い歴史を通して、いつの時代も誤解され、否定され、攻撃され、親や医師、社会からも理解されなかったのは、そして当事者たちでさえ、自分が何者なのか理解できず、「世界でひとりぼっち」のように感じるのは、彼らが生まれ育った子ども虐待という文化そのものが理解できないほど異質なものだからなのです。

カルダーノの輪の中に吊るされている

こうした「常識を越えているために理解できない」ことを言い得た ひとつのたとえがアルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語に、載せられています。

そこでは、一般に「カルダーノ・サスペンション」または「ジンバル」と呼ばれる、特殊な構造の輪っかのことが書かれています

16世紀イタリアのジローラモ・カルダーノは物理学者で天文学者で数学者だった。

発明家でもあった彼の名は、人名由来語である「カルダーノの輪」によって永遠のものとなった。

軸を中心にして自由に回転するひとつの輪が、第二の輪の中に吊るされている。第二の輪は、それに垂直な平面上を自由に回っている。

その結果、内側に吊るされているものはあらゆる方向に自由に動くことができる、というものだ。(p345)

カルダーノ・サスペンション(ジンバル)は、大きな輪っかの中に、小さな別の輪っかが組み込まれているという入れ子構造になっています。内側の輪っかは、自由に動くことができますが、外側の輪っかが制限する範囲を越えて動くことはできません。

わたしたちの理解できる範囲も、このカルダーノ・サスペンションの構造とよく似ています。

個々の研究者は時間の中に吊るされている。

カルダーノの輪の中の船の羅針盤のように、彼は最も適切と見なされる方法を用い、そのときに利用できる道具を使い、正しいとされている議論に挑戦し、同時代人たちと共有している。

したがって、ほとんど自分では気づいていない因襲に依拠している。

流布している見解とは合わない立場を選択し、自分のまわりの運動から独立しようとしても、気づかぬうちに、自分の生きている時代の考え方に囚われているものだ。(p345)

わたしたちは、自分が生きている時代の考え方という輪っかの中に閉じ込められています。どれほど自由な発想を持つ人であっても、その制限を抜け出すことはできません。

わたしたちは、自分が身につけてきた常識にもとらわれています。生まれ育った文化の常識という輪っかの範囲を越えた存在を理解することはできません。

ギリシャのヒポクラテスやプラトン、19世紀のフロイトのような偉人たちでさえ、カルダーノの輪の外にある子ども虐待のサバイバーたちの苦悩を理解することはできませんでした。

現在生きている大勢の人たちもまた、くだんの講演者や医師たちのように、自分の生まれ育ちの常識という、カルダーノの輪の外にある虐待のサバイバーたちの経験を理解することはできず、自分の物差しで測ることしかできていません。

ヴァン・デア・コークをはじめ、極めて洞察力に富み、トラウマの苦悩をよく知っている医師たちでさえ、思わず「信じられない」とつぶやかずにはいられませんでした。

何より、子ども虐待のサバイバーである当事者たち自身が、自分の身に生じたことを信じられず、自分が何者かわからず混乱していました。自分が経験してなお、その異常な出来事はカルダーノの輪の外にありました。

自分の経験が理解できず、理解できる範囲を越えているからこそ、子ども虐待のサバイバーは、トラウマ経験を解離させる、つまり理解できないことを自分から切り離すことで対処するしかないのです。

鏡が怖い,映っているのが自分とは思えない―解離性障害は「脳の地図」の喪失だった
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理解を越えているということを理解する

結びにいえるのは、子ども虐待のサバイバーたちが「人類から切り離されて、宇宙でひとりぼっちのように感じる」とき、それを理解してほしい、同情してほしいといった、陳腐でありきたりの結論ではありません。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、ヴァン・デア・コークの患者のキャシーが述べているように、常識の物差しにそってアドバイスされたり、共感されたりしても、サバイバーたちは慰められるどころか、孤独感を深めるだけです。

それが道理にかなっていないことは百も承知していますし、もっと道理をわきまえるように先生が説得しようとすると、私はなおさら寂しくて孤独に感じるだけで、私という人間がありのままの自分でいるのがどんな感じなのか、世界中の誰一人としてけっして理解してくれないだろうという思いが裏づけられることになります(p213)

必要なのは、理解することではなく、それが理解できる範囲を越えていること、カルダーノの輪の外にあることを認めることです。

常識を越えた信じがたいことが現に起こり、その世界に適応したがためにあまりに異質になってしまった人たちがいる、という現実を受け入れることです。

異なる人種間の橋渡しは、理解できない異文化を受け入れることから始まります。

理解できない習慣を無理やりあれこれと自分の常識に当てはめたりせず、自分の理解の外にあることをわきまえます。

自分の生まれ育った文化という物差しをいったん脇に置いて、ただ相手の生まれ育った文化を批判せず、受け入れることが第一歩です。

未来や過去の概念がない言語を話し、極めて異質な文化を持つピダハン族について研究したダニエル・エヴェレットは、彼らの文化に心を打たれ、数年間彼らとともに暮らしたと言われています。

子ども虐待のサバイバーたちもまた、異なる文化を尊重し、理解できないものを受け入れ、異なる世界で生まれ育った人の気持ちを認めてくれる医師や支え手に出会うことができれば、心を開いていくことができます。

ジャネは、フロイトとは異なり、当時の常識では理解できなかったヒステリーの患者たちの体験を知るために、真剣に耳を傾けました。

ヴァン・デア・コークも、キャシーの言葉を聞いて、そうすることにしました。

私はこの告白に心から感謝し、それ以来、患者に、自分が感じているように感じるべきではないとは言わないようにしている。

私の責務がそれよりもはるかに深いものであることを、キャシーは教えてくれた。周りの世界を描いた心の地図を、患者が再構築する手助けを、私はしなくてはいけないのだ。(p213)

はじめの方に出てきた、誰にも助けを求めることのできなかった女性は、ヴァン・デア・コークのセラピーを受けた後、これまで誰に対しても固く閉ざしてきた心を開きかけていることに気づきました。

セラピーのセッションからの帰り道で、先生に心を開くことの危険についてじっくり考え始め、124号線に入ったときに、先生にも自分の生徒たちにも愛着を抱かないという規則を破ってしまったことに気づきました。(p222)

サバイバーたちが「人類から切り離されて、宇宙でひとりぼっちのように感じる」としても、またどれほど高い文化の壁、理解の壁があるとしても、互いの文化を尊重できる人たちにとっては、国境を越えて理解を深め、心を通わせていくことは可能なのです。


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