解離性障害とは脳の一部が眠る睡眠障害ではないか。
昨年の初頭にうとうとしていたとき、そんな着想が湧いてきたので、記事にまとめました。
その後、解離の脳機能について学んできたことで、睡眠と解離のつながりを探る手がかりが かなり増えたので、続編を書いてみることにしました。
この分野を専門的に分析した資料は今のところ発見できていませんが、さまざまな資料から断片的に得た知識をもとに推測するに、解離やPTSDは覚醒度のコントロール異常であり、PTSDが過覚醒であるのに対し、解離は慢性的な低覚醒状態です。
この記事では、まずトラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にをもとに、トラウマ障害と覚醒度のコントロール異常の関係について考えます。
また、睡眠障害のなぞを解く 「眠りのしくみ」から「眠るスキル」まで (健康ライブラリー)などを通して、解離性障害と似たような症状を伴うナルコレプシーや、不注意優勢型ADHDとのつながりを探ります。
そして、こうした覚醒度のコントロール異常の原因として、脳のオレキシンシステムが関係しているらしいという点を考えたいと思います。
これはどんな本?
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法と、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際は、以前の記事でも何度も紹介している、トラウマの専門家ヴァン・デア・コークやパット・オグデンによる、最新のトラウマ理論の解説書です。
これまで精神的な問題とみなされていたトラウマが、身体的な反応を土台とした生物学的現象である、ということを明らかにしていて、特に解離の脳機能について知るには必読ともいえる書籍です。
脳神経科医オリヴァー・サックスによる見てしまう人びと:幻覚の脳科学と、オレキシン発見者 櫻井武先生による睡眠障害のなぞを解く 「眠りのしくみ」から「眠るスキル」まで (健康ライブラリー)は、解離とよく似ている過眠症であるナルコレプシーの症状や原因について知る参考にしました。
なぜ新しい自律神経モデルが必要なのか
昨年の記事では、断片的な手がかりを寄せ集めて、解離は睡眠障害と似た特徴を持っている、という点を推測したにすぎませんでしたが、近年のトラウマ理論によれば、もっと明快に解離と睡眠のつながりを説明できることがわかりました。
このブログの最近の記事で何度か紹介してきましたが、現在、トラウマにまつわるさまざまな症状は、単なる心の問題でも精神的な病でもなく、身体的な異常として解釈されるようになってきています。
その基盤となっているのが、スティーヴン・ボージズの多重迷走神経(ポリヴェーガル)理論と呼ばれるものです。
トラウマ研究の第一人者ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法で述べるように、ポリヴェーガル理論は、覚醒度のコントロール異常という方面から、トラウマを解釈するカギになりました。
私たちが心搏変動の研究を始めた当時はメリーランド大学の研究者で、今のノースカロライナ大学に所属するスティーヴン・ボージズは、1994年、「多重迷走神経(ポリヴェーガル)理論」を発表した。
この理論はダーウィンの所見を土台とし、そうした初期の洞察にその後140年間の科学的発見を加味したものだ
…ようするにボージズの理論は、闘争/逃走の作用以外にも私たちの目を向けさせ、トラウマを理解するにあたって、社会的関係を中心に据えたのだ。
また覚醒を調節するための体のシステムを強化することに焦点を合わせるという、治療への新たな取り組み方も、この理論は提唱した。(p129)
ポリヴェーガル理論とは何か、簡潔に言い表すとすれば、これは、現在よく知られている自律神経のモデルに取って代わられる、より洗練された新しい理論です。
多くの人がすでに知っているとおり、現在の自律神経のモデルは、交感神経と副交感神経の綱引きによって、わたしたちの覚醒状態を説明しています。
交感神経とはいわゆるアクセルであり、交感神経が活発になると興奮し、熱中し、汗をかき、エネルギーを消耗し、目が冴えます。
いっぽう副交感神経とはいわゆるブレーキであり、副交感神経を活性化させるとリラックスし、安心し、疲れが回復し、安心してまどろむとされています。
この交感神経と副交感神経の綱引きモデルは、とてもわかりやすいがために、とても広く受け入れられています。
しかし、困ったことに、このわかりやすい単純なモデルでは説明のつかない病態が数多くあります。
このモデルは交感神経が高ぶりすぎて疲れている人の問題を理解するのにはとても役立ちます。例えば、最近開発された疲労度計は交感神経の過緊張などの自律神経バランスから疲労度を判定するシステムでした。
しかし、体調不良を抱えている人がみな交感神経の過緊張状態にあるかというと、決してそうではありません。
身体の疲れや不調を訴える人には、おおまかに言って二通りいるとみなしていいでしょう。
かたや、いつも神経が張り詰めていて、極度の緊張状態にあり、汗をびっしょりとかき、ほとんど眠ることができず、身体が休まらず疲れている人。こちらは交感神経の過緊張なのでわかりやすい状態です。
しかし、中には、ぼーっとして何も手につかず、やる気がわかず、思考停止していて、ゾンビのような虚脱状態にあり、無関心で凍りついて、不眠とは逆の過眠になって慢性的に疲労している人もいます。
前者は、強い疲労を抱えながらもなんとかギリギリ活動できている過労状態の人に多く、後者は長期の不登校や引きこもりなどに多いタイプです。ある意味では、後者のほうがより重篤とも言えますが、交感神経の過緊張は見られません。
とすると、現行の自律神経の綱引きモデルでは、後者の人たちは、副交感神経が優位で、身体はじゅうぶん休まっていると判定されてしまいます。
当事者たちは慢性的な虚脱状態にあって非常に辛い毎日を送っているのに、現在の自律神経モデルでは、「異常なし」とされてしまうのです。
この理不尽なパラドックスは、もちろん、当事者たちが仮病を使っているとか、気のせいだとか、心の持ちようだとかで生じているわけではありません、原因は自律神経モデルの不備にあります。
過緊張状態にある人たちだけでなく、虚脱状態に陥っている人たちの実情も説明できる新しい自律神経モデル、それがポリヴェーガル理論です。
多重迷走神経(ポリヴェーガル)理論とは
ポリヴェーガル理論についてもっと知るために、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際の説明を見てみましょう。
Porgesが「多重迷走神経理論」として述べたのは、副交感神経系と交感神経系間の複雑な相互作用でした。
それは、自律神経系に対して、それ以前の覚醒状態の議論より高度で総合的な見方をとるものです。
以前の覚醒状態の理論は、覚醒状態のすべての場合を交感神経系の関与するものとしていました。
Porgesの理論が示唆するのは、神経系は、バランスの観点より反応の階層性の観点からよりよく説明できるということです。(p38)
まず、ここで書かれているように、これまでのモデルでは、交感神経と副交感神経の二者間のバランス、綱引きによってすべてを説明しようとするものでした。
それに対し、ポリヴェーガル理論は、二者間のバランスではなく、三者が関わる階層性という観点から自律神経を説明するものです。
多重迷走神経理論は、環境の刺激に対する私たちの神経生物学的反応を支配する、自律神経系の3階層に編成されたサブシステムを説明しています。
1つは迷走神経(社会的関わり)の腹側副交感神経枝で、次に、交感神経系(動きの発動)、および迷走神経の背側副交感神経(動きの固定)です。
これらのサブシステムはそれぞれ、調整モデルの3つの覚醒領域のいずれかに対応しています。
社会的関わり(腹側迷走神経)システムは最適な覚醒領域と、交感神経系は過覚醒領域と、そして、背側迷走神経系は低覚醒領域と関係しています。(p38-39)
まず、アクセルである交感神経は変わりません。これは従来どおりです、
しかし、ブレーキにあたる副交感神経(迷走神経)には2種類あり、今までの理論における副交感神経は、腹側迷走神経に当たります、この腹側迷走神経は、いわば自動車におけるフットブレーキです。
副交感神経のうちもう一つのものが、このポリヴェーガル理論の肝であり、従来の自律神経モデルで説明できなかった病態を解き明かすカギとなる背側迷走神経です。これは、自動車におけるパーキングブレーキ、急ブレーキに相当するもう一つのブレーキです。
つまり、ポリヴェーガル理論では、これまでアクセルとブレーキの2つだけで説明されていた自律神経の相互作用に、もう一つの緊急用ブレーキを加えて考えることになります。
この3つのシステムからなる自律神経というのは、ただの概念的な机上の空論ではなく、生物学の研究に基いています。
以前の記事で説明したように、人間も含めた動物は、ストレスに直面したとき、3段階の反応をみせます。
まず、ストレスが生じても、愛情深い仲間や親によるケアを受けられれば、リラックスすることができます。これが従来の副交感神経、ポリヴェーガル理論においてはフットブレーキにあたる腹側迷走神経と呼ばれるシステムの反応です。
しかし捕食者に見つかったり、事故に巻き込まれたりして、仲間の助けを期待できないときは、闘うか逃げるかして、危機を切り抜けようとします。この逃走・闘争反応をつかさどるシステムがアクセルにあたる交感神経です。
そして最後に、どこにも逃げ場がなく、戦っても勝ち目がないような状況において、動物は麻痺や擬態死といった反応をとります。この究極の凍りつき・擬態死 反応を引き起こすのが、パーキングブレーキにあたる背側迷走神経です。
そうすると、従来の交感神経(アクセル)と副交感神経(ブレーキ)の綱引きでは説明できなかった奇妙な病態が理解できるようになります。
長期にわたる引きこもり状態の人などに多い慢性的な虚脱状態とは、アクセルにあたる交感神経が活性化している第二段階のストレス反応ではなく、その次の第三段階、パーキングブレーキである背側迷走神経が活性化している凍りつき・擬態死状態なのです。
そして、トラウマ理論においては、交感神経(アクセル)が過剰に働いて過敏になっている状態がPTSD、逆に背側迷走神経(パーキングブレーキ)が過剰に働いて凍りついている麻痺状態が解離だとみなされています。
過覚醒のPTSD、低覚醒の解離
ここまで自律神経の三層構造という観点からポリヴェーガル理論を説明してきましたが、ヴァン・デア・コークが述べていたとおり、ポリヴェーガル理論とは「覚醒を調節するための体のシステム」でもあります。
至極簡単に言えば、ここまで見てきた自律神経の3つのシステムは、そっくりそのまま、覚醒度をコントロールするシステムとみなすことができます。
先ほど見た3つのサブシステムの説明にはこう書かれていました。
1つは迷走神経(社会的関わり)の腹側副交感神経枝で、次に、交感神経系(動きの発動)、および迷走神経の背側副交感神経(動きの固定)です。
…社会的関わり(腹側迷走神経)システムは最適な覚醒領域と、交感神経系は過覚醒領域と、そして、背側迷走神経系は低覚醒領域と関係しています。(p38-
まずアクセルにあたる交感神経系の役割は、「動きの発動」です。つまり、覚醒度を上げるシステムです。
自動車の運転で一時的にアクセルを踏み込んでスピードを出すのが役立つように、交感神経系が一時的に活性化することは集中したり運動したりするのに役立ちます。
しかし、もしアクセルがずっと踏み込まれたままになってしまうと、車体に負担がかかり、大事故は免れません。過労やPTSDの人たちはまさにそんな状態にあるといえます。
次に、アクセルと対極を成すのはブレーキです。といっても二種類あるブレーキのうちパーキングブレーキにあたる背側迷走神経のほうです。
背側迷走神経の役割は「動きの固定」でした。つまり、覚醒度を下げて停止させるシステムです。
急ブレーキがスピードをがくっと落とし停車させるように、背側迷走神経は、体を凍りつかせ、無活動にし、代謝を下げます。これは言い換えれば、睡眠中の体の状態に近づけるということです。
人体には、この二つの両極端なシステム、覚醒度を上げる交感神経(アクセル)と、覚醒度を下げる(パーキングブレーキ)が備わっています。
そして、常にアクセルが踏み込まれた状態がPTSDの過覚醒であるのに対し、そのスピードを抑制しようとしてパーキングブレーキが起動し、活動性が極端に低下するのが解離の低覚醒だということになります。
もちろん、大半の人は、このどちらの極端にも陥りません、一時的にアクセルを強く踏み込んで過覚醒になったり、一時的に急ブレーキをかけて低覚醒になったりすることはありますが、必ず元の平常時の速度、すなわち最適な覚醒度に戻ってくることができます。
覚醒状態を最適な範囲内にとどめるために使われているのが、もう一つのブレーキ、つまり、フットブレーキである副交感神経です。
この副交感神経であるフットブレーキは、幼少期の愛着によって育まれると言われています。以前の記事で考えたように、愛着とは覚醒状態をコントロールする能力です。
生まれたばかりの乳幼児は、睡眠が断片的で、昼夜関係なく起きたり眠ったりします。しかし、生後数年間に母親が献身的に世話することで、赤ちゃんの睡眠リズムは安定します。
これは、母親の世話を通して、乳幼児が、自分で覚醒状態をコントロールする方法を学んでいくからです。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中でヴァン・デア・コークはこう説明しています。
腹側迷走神経複合体[つまり、フットブレーキである副交感神経]についてこのように考えれば、子どもが自らを調節するのを、どのように親が自然に助けるかがはっきりしてくる。
新生児はおよそ社会的とは言い難い。ほとんどの時間を寝て過ごし、目覚めるのは空腹のときか、おむつが濡れたときだ。
…だが、来る日も来る日も、私たちは彼らに甘くささやきかけ、微笑み、関心を向け、発達中の腹側迷走神経複合体[つまり副交感神経のフットブレーキ]における同調性を助長する。
こうした相互作用は、赤ん坊の情動的覚醒系が環境と同調するのを助ける。(p138)
そのようなわけで、幼少期の愛情ある世話によって安定した愛着を得られた人は、洗練された副交感神経(フットブレーキ)が発達し、その後の人生において、覚醒度を最適範囲に収めるのが容易になります。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際はこう説明しています。
[副交感神経が働くと]社会的関わりシステムが支配し、交感神経反応と、背側迷走神経複合体の療法を抑制できるので、この洗練された「ブレーキ」メカニズムは、トラウマを引き起こすようなものではない日常生活における覚醒状態全体を制御することを促します。(p43)
フットブレーキにあたる副交感神経は、別名「社会的関わりシステム」とも呼ばれています。それはもちろん、このフットブレーキが、親子の社会的つながり、すなわち愛着と関わるものだからです。
愛着が安定した人は、他の人からの愛情を感じることができ、適切な信頼関係を結べます。それによってオキシトシンが分泌され、心の安らぎを得られます。その安らぎこそが副交感神経の働きであり、自分の覚醒度をコントロールする能力ともなるのです。
しかし、不幸にして幼少期に適切な世話を受けられず、愛着が不安定になってしまう人もいます。そうした人たちは、とりもなおさず、覚醒度のコントロールに苦労します。
愛着、つまり副交感神経のフットブレーキが利かないということは、アクセルが踏み込まれ、交感神経が活性化しすぎたとき、自分で減速するのが難しいということを意味しています。
人によっては、常にアクセルが踏み込まれたままの過緊張状態になってしまい、過労、過敏、多動、衝動などに振り回されます。そして、PTSD、パニック障害、境界性パーソナリティ障害といった過覚醒にまつわるさまざまな問題を抱えます。
しかし、すでに見たように、フットブレーキの働かない人にはもう一つのパターンがあります。ポリヴェーガル理論が示すとおり、人体にはもう一つのブレーキがありました。
そのもう一つのブレーキ、つまりパーキングブレーキを使って過覚醒に対処する人たちが、慢性的な低覚醒状態にある、引きこもりや解離の人たちです。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているとおり、トラウマ障害の人のうち、3分の1は、過覚醒ではなく低覚醒とシャットダウンになります。
過覚醒の症状は一般的にトラウマの特徴と考えられていますが、トラウマのあるクライエントのイメージを喚起する方法(script-driven imagery)がトラウマの活性化を引き出すために使用されました。
その結果では、ほぼ3分の1の被験者が過覚醒ではなく低覚醒を体験しました。
過覚醒反応の代わりに、これらの被験者はトラウマを再想起させるものに低覚醒とシャットダウンとで反応したのです。(p45)
この人たちの場合、交感神経系のアクセルが踏み込まれすぎたときに、安定した愛着から育まれる副交感神経のフットブレーキが働かないのは、先ほどの人たちと大差ありません。
しかし、そのとき、交感神経系のアクセルを、パーキングブレーキ(背側迷走神経)で強制的にシャットダウンするという点で大いに異なっています。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法にはこうあります。
そのシステム[副交感神経のフットブレーキ]が機能しないと、トラウマが起こりうる。
…動きの自由を奪われることがほとんどのトラウマの根底にある。
それが起こると、背側迷走神経複合体[パーキングブレーキ]が主導権を奪う場合が多い。
鼓動が遅くなり、呼吸が浅くなり、人はゾンビのようになって自分自身や環境との接触が途絶える。
解離し、気が遠くなり、虚脱状態に陥る。(p140)
この人たちは、過覚醒の過緊張状態になると、無意識のうちに背側迷走神経の急ブレーキがかかり、まったく正反対の低覚醒状態に反転します。意識がぼーっとして凍りついたようになり、動けないほどの疲労に襲われます。
副交感神経のフットブレーキが役に立たないとき、ひたすらアクセルがかかり続けて過緊張状態のままになるか、それともすぐさまパーキングブレーキが起動して低覚醒状態に反転するかを左右するのは、幼少期の経験の違いのようです。
アクセルがかかり続ける過覚醒になる人たちは、愛着は不安定ですが、幼少期に重大なトラウマ経験はないと思われます。
他方、過覚醒状態になったとき、緊急用のパーキングブレーキが踏み込まれ、強制的にシャットダウンがかかって低覚醒になってしまう人たちは、幼少期にかなり強いトラウマを抱えていると思われます。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にはこう説明されています。
安全性と保護のための社会的関わりシステムが慢性機能障害に陥ると、それはしばしば慢性的な子ども時代のトラウマのケースであるため、システムが習慣的にシャットダウンします。
社会的関わりシステムの「ブレーキ」が作用しないので、交感神経や背側迷走神経系は高度に活性化したまま、耐性領域を超える過覚醒状態を引き起こします。(p43)
Pogesの多重迷走神経階層理論では、他のすべての防衛が安全性の確保に失敗したとき、背側迷走神経が活動を始めるとされています。
子どものとき、特に発達途上の傷つきやすい期間に慢性的な虐待を受けた人、そして、生き残るために社会的関わり、愛着あるいは動きをともなう防衛をうまく利用することが許されなかった人は、一般的に固まることによる防衛に頼るようになります。(p135)
なぜ幼少期に強いトラウマがあると、緊急用のパーキングブレーキが働くようになるのでしょうか。
考えてみれば、とても単純な話ですが、幼児は慢性的に虐待されたり、長期間ストレスにさらされたりしても、交感神経のアクセルによる闘ったり逃げたりする反応で問題を回避することができません。
どれほど悲惨な家庭環境であろうが、闘っても勝ち目はありませんし、親のところから逃げることもできません。もしもトラウマを経験したのが乳幼児期であればなおのこと手足を使った防衛反応は役立ちません。
そうすると、当然の帰結として、幼児が慢性的なトラウマをやり過ごす方法はひとつしか残されていないことになります。覚醒度を上げて闘うか逃げるかが効果がないとしたら、できる対処は、覚醒度を下げて、あたかも眠ったかのようになり、感覚を麻痺させることだけです。
幼少期にそれほど大きなトラウマ経験がない人たちは、こうした経験を持っていないので、成長してから強いストレスにさらされたとき、交感神経のアクセルを踏み込んで、闘うか逃げるかという過覚醒で対処しようとします。
しかし、幼少期に慢性的なトラウマ環境で育った人たちは、過覚醒に対してパーキングブレーキを起動させることにあまりに慣れきっているので、成長してから経験するストレスに対しても、すぐにその常套手段、感覚をシャットダウンして低覚醒になる防衛で応じます。
それゆえ、幼少期の経験の違いは、成長してからトラウマに直面したとき、うまく乗り切ることに成功するか、過覚醒の交感神経優位のPTSDになるか、低覚醒の解離に反転するかの、いずれかを左右すると言われています。
なお、幼少期のトラウマは相対的なものであることを覚えておく必要があります。トラウマ体験の程度や種類だけでなく、その子がもともと生まれ持った感受性の強さが関係しています。
前に書いたように、ひときわ敏感なHSPの人たちにとっては、他の子どもが切り抜けられるようなストレス環境でも、解離を引き起こす慢性的な強いストレスと感じられる可能性があります。
愛着スタイルの種類とトラウマ反応
ここで、愛着スタイルの種類と、それぞれに伴いやすいトラウマ反応を整理してみましょう。
まず幼少期に安定した愛着という覚醒度のコントロール能力を身につけることに成功した人は、成長してからトラウマに遭っても、うまく覚醒度を安定させ、首尾よく切り抜けるレジリエンス(精神的弾力性)を有しています。
安定した愛着パターンの子どもは比較的広い耐性領域をもち、他者の心を推測(メンタライズ)でき、効果的な社会的関わりシステムを作ることができ、副交感神経と交感神経システムの全体的で適応的な機能性を獲得することができます。
覚醒が瞬間的に過剰になったときにも、最適領域に速やかに戻すことができます。(p64)
しかし、過剰にかまう親のもとで育つなどして、幼少期に不安定な養育を受け、アンビバレント型(とらわれ型)の愛着になってしまった人は、フットブレーキが利かず、過覚醒状態や感覚過敏、そしてPTSDに陥りがちです。
不安定-アンビバレント型愛着パターンをもった子どもたちは、覚醒の閾値が低いことと同時に、覚醒を耐性領域の枠内に留めておく困難があり、交感神経が優位な神経システムをもつ傾向があります。
…社会的関わりを求めるのですが、過覚醒に偏ったままになります。
部分的には、主たる愛着対象者によってなされた、以前の侵入的行動体験から発達した過剰警戒ゆえに、過覚醒に偏ったままになるのです。(p77)
そして幼少期にネグレクトされたり、過剰に厳しい親のもとで慢性的にストレスを受けて育った人は、回避型の愛着を抱え、背側迷走神経のパーキングブレーキで低覚醒になる解離傾向を持つようになります。
一方ネグレクトは、典型的に感情の平板化を招き、覚醒度の低下と、背側迷走神経の感受性が慢性的に高くなることを随伴する行動となるゆえに、虐待だけの場合よりさらに否定的影響をもちます。
…慢性的で極端な低覚醒の中では、著しく低くなった情動、姿勢や筋肉の緊張度の喪失、周囲との関わり低下をともなって、保身と引きこもりの持続的状態に入りさえします。
慢性的な幼年期トラウマを体験した人は、特有の障害をもった社会的関わりシステム、未発達あるいは非効率的な相互反応調節能力、さらに、自動調整能力の不全に苦しんでいます。(p78)
そして、もっとも混乱した養育環境で育った人たちは、無秩序型と呼ばれる愛着を身につけ、過覚醒にもなりやすく、低覚醒にもなりやすいという、非常に両極端な覚醒状態に陥るようになります。
たとえばアニーは、多くの異なる養育者からのトラウマになるようなネグレクトと虐待にさらされた子ども時代を通して、解離傾向を発展させてきました。
アニーは過覚醒にともなう恐れやとてつもない恐怖と、低覚醒状態に付随する漠然とした「ボーッとした」状態を交互に体験していました。(p48)
こうした人たちは、過覚醒になっているときはひどく過敏になってなかなか寝られず、過集中してしまいますが、逆に低覚醒になっているときは感覚が麻痺して、注意散漫になって過眠に陥り、ゾンビのようになります。
容易に極端な過覚醒になり、容易に極端な低覚醒にもなりますが、覚醒状態を安定化させるフットブレーキがほぼ存在しないので、その中間の最適な覚醒状態、リラックスして安心感を感じている状態にはめったになりません。
前に書いたように、愛着という生物学的な記憶が形成されるのは、生後2,3年ごろまでです。そして、解離傾向が形成されるのも、やはりその時期だとわかっています。
つまり、ごく幼い時期に回避型や無秩序型の愛着になった人たちが身につける、強制的なシャットダウンという低覚醒状態こそが解離傾向であり、その後の人生で重大なストレスにさらされると、それが解離性障害のようなかたちで表面化することになります。
■過覚醒
交感神経のアクセル過剰
アンビバレント型愛着ではこちらに偏る
PTSD、過労、不眠、多動衝動性優位型ADHDなど
----------------------------------------
↑
■最適な覚醒(耐性領域)
腹側迷走神経のフットブレーキで調節
安定型愛着ではこの範囲内にとどまりやすい。
無秩序型愛着では、この部分がほぼ存在せず上下に揺れ動く
↓
----------------------------------------
■低覚醒
背側迷走神経のパーキングブレーキ過剰
回避型愛着ではこちらに偏る
解離、引きこもり、過眠、不注意優勢型ADHDなど
背側迷走神経は睡眠のためのシステム
こうしてポリヴェーガル理論を土台とした、覚醒度のコントロール異常とトラウマ反応の関係を考えると、解離と睡眠障害が似通っているのはごくごく当然だということになります。
PTSDが交感神経のアクセルをひたすら踏み込んだ過覚醒状態であるのに対し、解離は背側迷走神経で急ブレーキをかけた低覚醒状態でした。低覚醒とは言い換えれば半分寝ている状態なので、解離が 睡眠と覚醒のはざまのような症状を呈するのは当たり前です。
解離とはいわば、脳が自分を強制的に眠らせる防衛反応だということができます。
以前の記事で書いたように、解離をひとことで表現するとすれば、感覚遮断です。
解離はさまざまな複雑な概念を用いて説明されがちですが、解離にまつわるありとあらゆることは、解離とは感覚遮断である、のひとことだけで説明がつきます。
解離とは、すでに見たように、交感神経のアクセルが踏み込まれすぎて、手に負えなくなったときに、強制的にシャットダウンをかけて、脳を眠らせるシステムです。
あまりに感覚が過剰になって、脳が圧倒されそうになったとき、ちょうど電気のブレーカーを落とすかのように感覚を落としてしまう緊急システム、急ブレーキが解離なのです。
しかしながら、感覚遮断とは、緊急時にのみ生じる特別な現象ではありません。たしかに解離は、トラウマや恐怖体験のときによく起こります。動物が捕食者に襲われたときに擬態死を起こすのも背側迷走神経による解離です。
とはいえ、先に引用した、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際の説明をもう一度よく見てみると、背側迷走神経は必ずしも脅威に対する防衛反応として使われるシステムではないことがうかがえます。
1つは迷走神経(社会的関わり)の腹側副交感神経枝で、次に、交感神経系(動きの発動)、および迷走神経の背側副交感神経(動きの固定)です。
まず「動きの発動」をつかさどる交感神経のアクセルは、捕食者に襲われたときのような緊急時だけでなく、普通の日常生活のさまざま場面、集中したり走ったり、活動的な ありとあらゆる場面で使われます。交感神経は決して緊急時限定のシステムではありません。
そうであれば、「動きの固定」をつかさどる背側迷走神経のパーキングブレーキもそうです。緊急時限定の特殊な回路ではなく、もっと日常的な普段使いのシステムである、と考えるのは理にかなっています。
「動きの発動」をつかさどる交感神経は、覚醒度を上げるためのシステムでした。つまり、起きるためのシステムです。
では「動きの固定」をつかさどる背側迷走神経はどうか。それは覚醒度を下げるためのシステムでした。つまり、究極的には寝るためのシステムということになります。
これまで背側迷走神経はいわばパーキングブレーキだと例えてきましたが、動物においても人間においても、パーキング(停車)状態とは、麻痺とか擬態死、失神といった緊急時の反応以前に、そもそも睡眠のことではないでしょうか。
去年の考察に考えたとおり、解離性障害の症状の多くは、睡眠中に見る夢との類似性があります。空想に没入してしまったり、思考促迫が起こったり、視覚性の幻覚が見えたりするのは、レム睡眠中とよく似ています。
幻覚について考察した以前の記事で扱ったように、幻覚とは感覚遮断に伴う反応だと考えられています。つまり、外からの感覚が遮断されると、脳はその隙間を埋めるかのように記憶の中の感覚を再生し、それが幻覚として認知されます。
そのため、健康な人でも、感覚遮断タンク(アイソレーションタンク)を使ったり、刺激の少ない独房に監禁されたり、飛行機に乗って同じ風景をずっと見続けたりすると、幻覚が生じると言われています。
いずれも、感覚刺激の入力が少なくなるせいで、ある程度の感覚遮断が生じ、結果として感覚の隙間を埋めるために幻覚が再生されるのでしょう。
臨死体験のときに幻覚が見えたり、体外離脱が起こったりするのも、恐怖や酸素不足、極限状態によって外からの感覚が遮断され、内側の感覚が再生されるからです。
もっと身近なところで言えば、視力の衰えた老人の中には、欠けた視野を補うようにして幻視が生じる人が一定数いて、シャルル・ボネ症候群として知られています。同様のことは聴覚や嗅覚でも起こりえます。
そして、わたしたちが寝ている間に見る夢は、だれもが普遍的に経験する感覚遮断に伴う幻覚です。
睡眠とは、もっとも身近な感覚遮断であり、記憶から再生した夢という幻覚を見ている状態だと考えれば、夢を見ているあいだ、だれでも解離が起こっているということになります。
前述のように、解離を引き起こす背側迷走神経のパーキングブレーキが活性化すると、体は虚脱状態に陥り、麻痺し、呼吸が浅くなってゾンビのようになると言われていました。
しかしゾンビのようだ、と思えるのはあくまで目覚めているならばです。寝ているときはだれでも、体が脱力状態にあり、麻痺したようにほとんど動かなくなり、呼吸が浅くなるのではないでしょうか。
そもそも、夢を見ているレム睡眠の状態では、体の感覚がわざと切り離されています。というのも、夢を見ている間に体がつながっていると、たとえば夢の中で走ったりしたら、それと連動して体が動いてしまうからです。
レム睡眠中に体の感覚が遮断されないと、眠ったまま隣りにいる妻を殴ったり、悪夢を見てルームメイトの首をしめたり、ときには窓から飛び降りたりしてしまうことになります。これは、「レム睡眠行動障害」として知られています。
つまり、睡眠中は、背側迷走神経による「動きの固定」、パーキングブレーキの起動がどうしても必要なのです。
背側迷走神経のパーキングブレーキとは、もとはと言えば、逃げられない脅威に面したときに擬態死を引き起こす緊急システムではないのでしょう。幼少期のトラウマに対して感覚を麻痺させるために備わった究極の最終手段でもありません。
発想を逆転させる必要があります。
背側迷走神経は本来、睡眠時に「動きの固定」を生じさせる停止ブレーキとしてのシステムなのです。
しかし、どうにもならない究極の脅威に面して、闘うことも逃げることもできないときに、その睡眠のためのシステムが転用されて、自分で自分の脳を眠らせるのが解離だということになります。
解離が睡眠障害に似ているのは、たまたま類似しているわけではなく、本来 睡眠のために生物に備わっているシステムを起きているときに無理やり使用しているからだ、みなすのは筋のとおったことでしょう。
闘うことも逃げることもできず、どうやっても脅威をやり過ごせないとき、脳ができる最終手段は、自分の意識を眠らせ、シャットダウンしてしまうこと、つまり電源を落として眠りにつかせてしまうことなのです。
起きたまま眠る―ナルコレプシーと解離
「動きの固定」を担う背側迷走神経が、本来は危機回避ではなく睡眠のためのシステムである、というのは、別の病気であるナルコレプシーについて調べるとわかります。
冒頭で触れたように、ナルコレプシーは解離性障害とさまざまに似通った睡眠障害です。かたや精神疾患、かたや睡眠障害とされていますが、調べれば調べるほど、両者は共通した異常を持っていることがわかってきます。
ナルコレプシーについては、オリヴァー・サックスの著書や、ナルコレプシーの原因物質オレキシンの発見者である櫻井武先生の各書が詳しいので、それらを参考にどんな症状を伴うのかを見ていきましょう。
ナルコレプシーは過眠症の一種で、起きていられないほどの眠気をともない、突発的に眠り込んでしまう睡眠発作を特徴としています。
オリヴァー・サックスは、見てしまう人びと:幻覚の脳科学でナルコレプシーが発見されたときのことを次のようにつづっています。
1870年代末、ワイン醸造一家出身のフランス人神経学者、ジャン=バティスト=エドゥアール・ジェリノーは、38歳のワイン商人を診療する機会を得た。
彼は二年前から突然、短時間の抵抗しがたい睡眠発作に襲われていた。
ジェリノーのところに来た段階で、1日200回も発作が起きていた。
食事の最中に眠り込んで、ナイフとフォークが手から滑り落ちることもある。
話の途中や、劇場で席にすわったとたん、居眠りすることもある。(p261)
強い感情がトリガーとなって体の力が抜けてしまう情動脱力発作(カタプレキシー)が伴うこともあります。
悲しみでも喜びでもとにかく強い感情によって、睡眠発作だけでなく「起立不能」の発作も起こることが多かった。
起立不能発作は、筋肉の力と緊張が突然失われるので、完全に意識はあるのにぐったりと地面に倒れてしまう。
ジェリノーはこのナルコレプシー(居眠り病を表す彼が考案した用語)と起立不能(現在カタレプキシーと呼ばれている)の同時発生を、神経学的原因がある新しい症候群と考えた。(p261)
それだけでなく、ナルコレプシーが特異な睡眠障害と言われるのは、金縛りや幻覚が頻繁に生じるからです。
1928年、ニューヨークの医師サミュエル・ブロックが、ナルコレプシーについてもっと広い見方を示し、突然の睡眠発作とカタプレキシーだけでなく麻痺も起こす傾向があり、睡眠発作のあとに話したり動いたりすることができなくなる、22歳の若者について記述した。
彼はこの睡眠麻痺(症状はのちにこう呼ばれるようになった)状態のときに、ほかのときに経験したことのない鮮明な幻覚を起こした。
ブロックの例は同時代(1929年)のナルコレプシー症候群に関する概説では「珍しい」とされたが、睡眠麻痺とそれにともなう幻覚はけっして珍しくはなく、ナルコレプシー症候群の構成要素と見なすべきであることが、ほどなく明らかになった。(p262)
これらの睡眠発作、情動脱力発作(カタプレキシー)、金縛り(睡眠麻痺)、幻覚は極めて奇妙な症候群で、ナルコレプシーが奇病扱いされるのもうなずけます。
しかし、こうした症状は、解離性障害の患者にとって、かなり身近なものばかりです。解離性障害もまた、悪霊憑きやオカルト現象とみなされやすいことを思えば、両者は似たもの同士とも言えます。
そして、ナルコレプシーの奇妙な症状の多くは、ここまで考察してきたポリヴェーガル理論を土台とする解離の理論で解釈することが可能です。
まず、ナルコレプシーの患者は、常に過剰な眠気に襲われていますが、解離性障害の患者も慢性的な低覚醒状態にあり、眠気や過眠傾向を抱えています。一般にPTSDが不眠であるのに対し、解離は過眠です。
次に睡眠発作は、突然眠り込む現象ですが、言い換えれば、突然意識がシャットダウンされる現象ともいえます。
解離性障害の当事者の中にも、トラウマのせいで敏感になっていて、強い刺激を感じると、突発的に交感神経のアクセルが限界まで踏み込まれ、耐えきれなくなった脳を守るために背側迷走神経によるシャットダウン、すなわち失神が起こる人がいます。
たとえば、以前の記事で引用した文中で、ヴァン・デア・コークは自身の母親に小さかったころのことを尋ねると決まって気を失うと述べていました。
いずれの場合も、起きているときに突然、背側迷走神経のパーキングブレーキが強く働き、意識がなくなるという類似性があります。
続いてナルコレプシーの情動脱力発作(カタプレキシー)は、さまざまな強い感情にさらされたときに、意識を保ったまま、からだの力が抜けてその場に倒れ込んでしまう現象です。 睡眠障害のなぞを解く 「眠りのしくみ」から「眠るスキル」まで (健康ライブラリー)にはこう書かれています。
もうひとつ、ナルコレプシーに特徴的な症状があります。
カタプレキシー(情動脱力発作)と呼ばれるもので、突然全身の筋肉の力が抜けてしまう発作です。
情動脱力発作の「情動」というまは、いわゆる「感情」とほぼ同じことです。感情が高ぶったときに筋肉に力が入らなくなってしまうのです。
多いのは、話したくてもうまく舌が回らなくなったり、膝の力が抜けたり、といった体の一部に出る症状ですが、ひどい場合は立っていられなくなって、倒れてしまいます。
…カタプレキシーは、レム睡眠時の脱力のメカニズムが覚醒中に突然起動してしまうことが原因であると考えられており、後述の入眠時幻覚や睡眠麻痺とともにレム関連症状とされています。(p73)
これもやはり、解離においてよく似た現象が生じます。
たとえば身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアがに書かれているように、性犯罪被害などの場面で、あまりに強い恐怖にさらされると、体が麻痺して力が抜けて動けなくなってしまう経験をする人は多いようです。
恐怖に誘発された不動状態の本質を考慮すると、大多数のレイプ被害者が、自分が麻痺したように、(時には窒息したようにも)感じ、身動きがとれなかったと一様に述べるのは当然である。(p73)
いずれの場合も、強い感情を引き金にして体が麻痺するのは同じです。
性犯罪被害者の恐怖に比べると、ナルコレプシーの情動脱力発作の引き金となる感情は、傍目にはごく一般レベルの強さかもしれませんが、おそらくナルコレプシーの脳では背側迷走神経が起動する臨界点が大幅に下がっているのでしょう。
最後に、ナルコレプシーで生じやすい金縛り(睡眠麻痺)や幻覚は、言わずもがな、解離に特有の現象です。見てしまう人びと:幻覚の脳科学には、金縛りと幻覚のメカニズムについて、こう説明されています。
レム睡眠中には、浅い呼吸と眼球運動のほかは体が麻痺する。
ほとんどの人は眠りに落ちてから90分ほどあとにレム段階に入るが、ナルコレプシー患者(または睡眠障害を持つ人)は睡眠の直前からレム睡眠に入り、いきなり夢と睡眠麻痺に陥る。
彼らは「まちがった」時間に目覚めることもあるので、レム睡眠に特有の夢に似た幻視と筋肉の制御不能が、目の覚めている状態でも続く。(p270)
前述のようにレム睡眠中には、夢と連動して手足を動かしたりしないよう、体の感覚が遮断され、だれでも解離が起こります。
そのとき、体はパーキングブレーキである背側迷走神経によって「動きの固定」がなされています。
通常 意識は眠っていますが、解離やナルコレプシーの患者は目が覚めてしまうので、意識はあるのに、体が背側迷走神経で固定されたまま動かないという苦痛を味わうことになり、それが金縛りや麻痺として体感されます。
オリヴァー・サックスは 見てしまう人びと:幻覚の脳科学で、睡眠麻痺とは、解離した状態で目覚めているとき特有のものだとする専門家の意見を引用しています。
シェリー・アドラーも著書『睡眠麻痺―悪夢、ノセボ、心身相関(Sleep Paralysis: Nightmares,Nocebos,and the Mind Body Connection)』の中で、ほかのどんな経験にもない睡眠麻痺の恐怖と不吉な感じが持つ極端な性質を示している。
彼女は、(ハイフンつきの)悪夢は夢とちがって、人が目覚めている―ただし一部だけ、あるいは解離した状態で目覚めている―ときに起こることを強調している。(p271)
このように、金縛りの麻痺が睡眠中に生じるという事実からしても、固まりや麻痺をもたらす背側迷走神経が、単にトラウマ反応としてではなく、睡眠中に普遍的に用いられるシステムであることが裏付けられます。
こうした金縛り(睡眠麻痺)には、さまざまな幻覚が伴うこともよく知られています。それもそのはず、金縛りとは夢を見ているレム睡眠の最中に脳が覚醒する、いわば半分夢を見たまま目が覚めている状態にあるからです。
金縛り(睡眠麻痺)と同時に生じる夢は非常にリアルなことが少なくありません。 睡眠障害のなぞを解く 「眠りのしくみ」から「眠るスキル」まで (健康ライブラリー)では次のように説明されています。
この場合、脳はまだ「覚醒」の状態にあって、意識を司る前頭前野が活動しているため、非常にリアルで実在感に富んだ夢に感じられるのです。(p75)
また、同著者の<眠り>をめぐるミステリー 睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書)でも、ナルコレプシーの睡眠麻痺に伴う入眠時幻覚について次のように書かれています。
入眠時幻覚を見ているとき、多くの場合、通常のレム睡眠と同様に筋肉の力は完全に脱力状態にあり、当人は「金縛り状態」(睡眠麻痺)を体験することになる。
健康な人のレム睡眠では前頭前野の活動が低下しているため、金縛りを実感できないが、ナルコレプシーの患者さんの場合は入眠直後に経験するため、金縛り状態を明確に自分で感じ取ることになる。
しかも、入眠時幻覚として見る夢は、たとえば「寝室の窓から知らない人が侵入してきた」「雷が寝室の窓から自分の身体に落ちた」など、現実から連続したリアルな夢であるばかりではなく、恐ろしい内容が多いため、非常な恐怖を感じる場合もある。(p131)
この記述からわかるように、金縛りに伴うリアルな夢のリアルさとは、現実と地続きになっているかのようなリアルさです。
わたし自身、ひどいときには1日に10回以上金縛りに遭ってきた身だからこそよくわかるのですが、金縛りに遭っているとき、脳は現実と夢のはざまにいます。
よくアニメやマンガなどで、金縛りに遭っている人が、意識ははっきり目覚めて体が動かず必死になっているような場面が出てきますが、あれは正しくありません。
金縛り状態では、自分は起きていると感じるとししても、意識は半分夢の中にいます。そのせいで、現実の部屋の中に夢を投影したような「現実から連続したリアルな夢」が起こります。
これはいわば最近流行りのAR(拡張現実)のような幻覚です。ポケモンGOが現実の世界を背景に、架空のポケモンを合成して表示するように、金縛りのときの幻覚は、今寝ている現実の部屋を再現した上で、「寝室の窓から知らない人が侵入してきた」「雷が寝室の窓から自分の身体に落ちた」といった非現実的な空想がARのように合成されます。
ときには、現実の世界を背景に、自分が空中に浮遊しているかのような体外離脱が生じることもありますが、これは以前考えたとおり、感覚が遮断されていると同時にリアルな幻覚が生じるためです。
ナルコレプシーではこうしたリアルな夢が非常に多いとされていますが、解離の当事者もまた、金縛りや体外離脱をはじめ、リアルな夢や明晰夢など、奇妙な夢体験が非常に多いことがわかっています。
こうしてみると、一見、異様な症状を伴う奇病であるかのようなナルコレプシーは、解離性障害との関連で理解していくと、十分に説明可能な病態であることがわかります。
ナルコレプシーと解離のさまざまな症状の類似性は、両者が原因は異なれど、共通の基盤を持っていることを示唆しています。
ナルコレプシーとは、起きているときに背側迷走神経による解離が突然起こってしまう疾患であり、解離性障害とは、起きているときに半分眠っているかのような低覚醒状態にある疾患でしょう。
いずれにしても、本来は眠っているときに「動きの固定」をするために備わっている背側迷走神経が、意識がある状態で働いてしまうという共通点があると思われます。
「凍りつき」と「擬態死」
しかしながら、ここで比較してきたナルコレプシーと解離の「動きの固定」状態には、互いに似ている部分があるもの、異なる要素もあることに気づかれた方もいるかもしれません。
たとえば、解離の当事者が経験する恐怖性麻痺では、体がガチガチに凍りついて、筋肉が収縮して鎧で固められたように身動きが取れなくなることがあるでしょう。金縛りのときも同様に感じられるかもしれません。
先に引用した文中では、レイプ被害者の多くが「時には窒息したように」「身動きがとれなかった」とされていました。
他方、先ほど比較したナルコレプシーの情動脱力発作では、「脱力」という言葉が示すとおり、ガチガチになるのではなく。だらりと力が抜けた状態です。
引用した文中では「筋肉に力が入らなくなって」「話したくてもうまく舌が回らなくなったり、膝の力が抜けたり」してしまうとありました。そして、睡眠中のからだの状態もやはり脱力状態にあるはずです。
そうすると、これらの麻痺状態を、どちらも「動きの固定」の背側迷走神経系によるものだと説明するのは強引だと感じられるかもしれません。
しかし実際のところは、背側迷走神経が単独で働くシステムではなく、自律神経系の3つのサブシステムと相互作用して働くシステムである、という観点を見落としています。
背側迷走神経系は体を固定し感覚をシャットダウンする解離反応を引き起こしますが、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際によれば、それには「凍りつき」と「擬態死」という2つの段階があることが知られています。
まず第一段階は「凍りつき」であり、筋肉が固く張り詰めてガチガチになり、よろいで覆われたように身動きがとれなくなる状態を意味しています。
細かく見れば、凍りつきもタイプ1とタイプ2にわけられるそうですが、一般に解離に関係して起こるのはタイプ2の凍りつきなので、そちらの説明を引用します。(タイプ1とはPTSDなどで見られる軽い解離のことです)
クライエントは凍りつきの2番目のタイプについて、「麻痺している」感じと説明します。恐ろしくて動くことができず、息をすることもできません。
このタイプ2の凍りつきは、脅威をうまく避ける行動の可能性がまったくないという、完全に行き詰まった感覚に関連づけられています。
動物においては、同様の麻痺が、監禁、くつわ、罠、拘束などによって引き起こされ、抵抗し暴れた後におこります。
…Siegelは、この種の凍りつきでは、交感神経系と副交感神経系の両方が同時に覚醒しており筋肉収縮と筋肉麻痺が同時に引きおこされると仮定しました。(p132)
ポイントとなるのは、この凍りつき反応では、「交感神経系と副交感神経系[つまり背側迷走神経系]の両方が同時に覚醒」しているということです。
凍りつき状態で体がガチガチに固まって筋肉が収縮するのは、体に力をこめようとするアクセルである交感神経系と、体を固定しようとするパーキングブレーキの背側迷走神経系が同時に活性化しているからです。
トラウマ障害の患者は、前に見たとおり、ベースとしては交感神経系のアクセルが目一杯踏み込まれています。その上で、幼少期に解離反応を身に着けた人たちの場合、急ブレーキをかけるため、「動きの発動」と「動きの固定」が同時に起こっている状態にあります。
その結果、解離における恐怖性麻痺や、固まり・凍りつき状態では、ただ動けなくなるのではなく、全身が緊張してガチガチに固められたかのような感覚を伴うのでしょう。
同様に、夜中に金縛りになって起きるときは、寝ている間にトラウマ記憶の断片が想起されて、交感神経が高ぶっている状態にあると思われます。
PTSDの人の場合、レム睡眠中にトラウマ記憶の断片が活性化されると、そのまま交感神経が極度に高ぶって、なかばパニックになって悪夢で目が覚めることになります。
しかし解離の人たちは、トラウマ記憶の断片が活性化されて交感神経が高ぶると、それとセットになって背側迷走神経の急ブレーキも活性化します。
すると、交感神経が高まったために目が覚めると同時に、背側迷走神経も活性化しているために動きが固定されている睡眠麻痺に陥り、体が収縮して動けない恐怖を感じます。
背側迷走神経の「動きの固定」のもう一つのパターンは、「擬態死」と呼ばれるものです。こちらは、交感神経がほとんど働かず、ただ純粋に背側迷走神経のパーキングブレーキだけが活性化しているという違いがあります。
一言でいえば、この反応は、交感神経がほとんど、あるいはまったく覚醒しないことと連動した、自発運動の重大な抑制によって特徴づけられます。
劇的な背側迷走神経の緊張、極度の覚醒低下、そして重大な無力状態が生じます。
この固まる防衛反応の変形においては、凍りつきのように筋肉が緊張し固くなるのではなく、むしろ柔らかくなります。(p133)
こちらの反応では、「凍りつきのように筋肉が緊張し固くなるのではなく、むしろ柔らかく」なるということに注目してください。
擬態死は、「動きの発動」を担うアクセルにあたる交感神経が働いておらず、ただ「動きの固定」のみがなされる現象なので、究極的には失神して意識を失い、眠り込んでしまいます。
ナルコレプシーの情動脱力発作のように体の力が抜けたり、へなへなと腰が抜けたりする場合は、部分的にこちらの反応が起こっているのではないかと思われます。
そもそもナルコレプシーの情動脱力発作には性犯罪時のような恐怖が伴うわけでも、トラウマ記憶が関わるわけでもないので、交感神経系のアクセルが過緊張状態にあるわけではないでしょう。
ナルコレプシーと解離の症状の違いは、ナルコレプシーが交感神経の過覚醒を伴わない擬態死寄りの反応であり、解離は交感神経と背側迷走神経の複合で起こる凍りつき寄りの反応だとみなせば、ある程度説明がつくように思います。
ナルコレプシーは、パーキングブレーキだけが突然作動するので即座に眠ってしまうのに対し、解離のほうはまずベースとしてトラウマ由来のアクセルの過緊張が慢性的に存在し、その上でパーキングブレーキが働くので、寝落ちすることも脱力することもできず、凍りついた低覚醒状態に閉じ込められてしまうということです。
それとともに、ナルコレプシーと違って、解離はトラウマなどの過剰刺激に対する受け身の防衛機制として生じている、という観点も重要です。
以前の記事で何度も説明していますが、解離は受動的な反応なので、生じているトラウマの種類や質に応じて、現れ方が変わります。ストレスというハコの形に応じて、解離というフタの形は変わります。
これを今回の話に適用すると、生じているストレスの内容によって、脳のどこが眠りにつくかが変化するはずです。
昨年の記事で書いたとおり、解離とは脳の「一部」が眠る睡眠障害だと思われます。解離性障害では体全体が眠るのではなく、特に強烈に脅かされた一部分が低覚醒状態になります。
繰り返し暴言を聞かされたら聴覚が眠る心因性難聴になるかもしれず、感情を損なわれたら失感情症になるかもしれず、身体的に脅かされれば体が麻痺するでしょう。多くの場合これらは複合的に生じます。
いずれの場合も、過剰に負荷がかかっている部分だけを選択的に感覚遮断するのが解離です。
そうすると、体のある部分は目覚めているのに、別の部分は眠っているというまだら状態になります。これが交感神経と背側迷走神経が同時に活性化している状態ではないかと思います。
要するに、背側迷走神経だけが働いて体全体がもれなく眠りにつくナルコレプシーに対し、解離の場合は、ある部分は目覚めていてある部分は眠っている状態になるので、交感神経と背側迷走神経が同時に働いているのだと解釈することもできます。
解離とナルコレプシーの幼少期体験
解離とナルコレプシーはさまざまな類似性を持っていますが、かたやトラウマ障害、かたや睡眠障害という切り分けがなされています。
たしかにそれはある程度は適切とは思われますが、単純にまったく別々の原因によるものと区別するのは難しいかもしれません。
まずそれぞれの原因を見てみましょう。
解離性障害は、先に見たとおり、遺伝性の疾患ではありません。生後数年間の養育環境によって解離傾向が形成され、その後の人生で何らかのトラウマを経験したときに発症するとされています。
しかし、単純にすべて環境やストレスの影響かというとそうではなく、生まれつき敏感なHSPや、感覚過敏を伴うASDの人は解離傾向が強くなりやすいようです。
こうした感覚過敏を持つ人たちは、学校生活のストレスを強烈に感じやすいため、思春期以降に解離を発症することがしばしばあります。
他方、ナルコレプシーもまた、遺伝性の疾患ではありません。 <眠り>をめぐるミステリー 睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書)によれば、発症しやすい体質はあるものの、家族にナルコレプシーの病歴がない孤発例がほとんどなため、環境要因が大きいようです。
ナルコレプシーは遺伝性の疾患ではない。家族性に発症する例も見られるが、孤発性がほとんどである。
しかし、体質には関係がある。特定のHLA(白血球表面抗原)遺伝子型を有する割合が、健康な人に比べ有意に高い。
これは何らかの免疫機序が発症に関連していることを示す知見である。(p134)
睡眠障害のなぞを解く 「眠りのしくみ」から「眠るスキル」まで (健康ライブラリー)では、ナルコレプシーを発症するのは、10代のころ、特に学校生活で慢性的な睡眠不足にさらされる14-16歳ごろが多いとされています。
ナルコレプシーの発症は10歳代に多く、14-16歳でピークを示し、有病率は日本では0.16~0/.18%と推定されています。
14-16歳といえば、わが国では、勉強が忙しいことなどで夜更かしをする人も多く、睡眠時間が減りがちになるころです。(p71)
以前の記事でも引用したように、なぜ生物時計は、あなたの生き方まで操っているのか?によれば、この時期の睡眠不足は健康な生徒たちにさえナルコレプシーの徴候をもたらす危険があります。
ティーンエージャーの時計の遅れについて、社会的根拠ではなく生物学的根拠を初めて示した科学者のメアリー・カースカドンだった。
その傾向をとりあげた彼女の最初の論文は、1999年代初頭に発表された。それ以来、学校の就業時間が変わると生徒たちに何が起こるかを観察する研究が数多く現れた。それらの研究結果はたいへん明瞭だった。
カースカドンは生徒たちを、ふだん通りの早い時間に睡眠研究所から学校に通わせた。
すると多くの生徒が重大な睡眠障害、ナルコレプシーの徴候を示すことに気づいた。
チャンスがあれば、彼らはすぐに眠ってしまい、すぐに眠ってしまい、REMと呼ばれる状態に入る。
これはふつう眠ったばかりのときではなく、睡眠の終わりに見られる状態だ。
つまり生徒たちは早朝に起きてはいても、生理的にはまだ眠っている状態なのだ。(p146)
おそらく、学生時代の慢性的な睡眠不足は、ナルコレプシーに関わる変化を脳にもたらすリスクがあり、とりわけ体質的に脆弱性をもつ一部の人が不幸にして犠牲になるのでしょう。
解離性障害もまた10代の学生時代に発症しやすい病気であり、慢性的な睡眠不足状態で、学校での緊張や拘束性ストレスを受けることが、背側迷走神経の凍りつき・麻痺反応を定着させやすいのではないか、と以前の記事で考察しました。
次に、解離性障害とナルコレプシーの幼少期の体験についてです。
青年期のトラウマによって解離性障害を発症する人のうち、かなりの割合において、それ以前の幼少期から、特有の傾向がみられます。
幼少期から現実と夢の境目があいまいで、ありありとした幻覚を伴う空想傾向を持っていたり、ファンタジーへの親和性が強かったり、空想の友だちを持っていたり、他の子どもが経験しないような不思議な現象をいろいろ経験したりしているものです。
幼少期からさまざまな奇妙に現象を経験するものの、それを大人に打ち明けると、怒られたりたしなめられたりするため、しだいに用心深くなって誰にも話さなくなってしまう子も少なくありません。
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)の中で、解離の専門家の柴山雅俊先生はこう書いています。
解離性障害の人は、子どもの頃からさまざまな不思議な体験をしています。ところが、人前でそれについて話すことはほとんどありませんでした。
過去に親から叱られて口止めされたり、周囲の人に変だと言われたりしたためです。(p61)
想像力豊かで空想好き。現実と空想を混同しがちなところがあります。不思議な体験を他の人も同様にしていると思っています。
…親には「変なことを言うな」と叱られ、二度と言わないようにと口止めされた。友だちにも「ウソだ」などと言われ、信じてもらえなかった。
…周囲に過敏に反応し、合わせようとする傾向があるため、しだいに自分の体験を話さなくなる。(p60)
一方で、オリヴァー・サックスは、見てしまう人びと:幻覚の脳科学の中で、ナルコレプシーの当事者たちの体験談を多数載せていますが、その中には幼少期の傾向についてのものも含まれています。
私たちの大半はしっかりした睡眠と覚醒のサイクルを持っていて、睡眠はおもに夜間に起こるのに対し、ナルコレプシーをわずらう人たちの場合、(ほんの数秒のものも含めた)「マイクロスリープ(微小睡眠)」と「中間状態」が一日に何十回も起こりえる。
そしてその一部または全部に、ひどく鮮明な夢か幻覚か、どちらとも言えない夢と幻覚の融合が満ちている。
…ステファニー・Wが初めてナルコレプシーの幻覚を見たのは五歳のとき、幼稚園から自宅への帰り道だった。
彼女の手紙によると、幻覚は日中にしょっちゅう起こり、とても短いマイクロスリープの前後に起こるようだ。(p265)
ナルコレプシーが本格的に発症するのは10代の学童期が多いようですが、それ以前の幼少期から、徴候は現れていて、それが夢と現実が入り混じった奇妙な体験として認知されている場合があるようです。
ナルコレプシーの人たちは、睡眠発作によって突発的に眠り込んでしまわないまでも、ちょうど慢性的な睡眠不足の人が経験するように微小睡眠(マイクロスリープ)、つまりほんの一瞬だけ脳が眠るのを繰り返しています。
そうすると、マイクロスリープの際に、一瞬だけ脳がレム睡眠に入るので、感覚遮断が起こって幻覚が再生され、ちょうど金縛りのときの夢のような、現実に重ね合わされたAR(拡張現実)的な幻視や幻聴などが起こることになります。
この女性、ステファニー・Wは、自身が幼少期から経験してきたさまざまな幻覚について、こう書きました。
ナルコレプシーを治療する前、毎日のように幻覚を経験する期間が何度もありました。
……とても穏やかなものもあります。「天使」が特定の高速道路の出口の上に定期的に現れたり……人が私の名前を繰り返し ささやくのが聞こえたり、ほかの人は誰も聴こえていないドアをノックかる音が聞こえたり、自分の膝の上をアリが歩くのが見えたり感じられたり……。
恐ろしいものもあって、[たとえば]目の前の人が死者の様相を呈していくのが見えたり……。
周囲の人が感じないことを経験しているというのは、子どもにとってはとくにつらいことでした。
何が起きているかを大人やほかの子に話そうとしても、いつも怒られたり、私は「頭がおかしい」とかうそをついているとか疑われたりしました。(p265-266)
幼少期から奇妙な現象を数多く経験して、ありのままを大人に話すと怒られたり奇妙に思われたりするというのは、解離の当事者の幼少期の体験そのままです。
幻覚というと、すぐに思い当たるのは統合失調症なので、幼少期から頻繁に幻覚を見るナルコレプシー当事者の中には、自分は統合失調症だろうかと思い悩む人もいます。
ジャネット・Bは私あての手紙に、自分の症状は大人になるまでナルコレプシーと診断されなかったと書いている。
小学校のとき、「私は入眠時幻覚のせいで自分が統合失調症なのだと思いました。
六年生のときに統合失調症についての作文まで書いたのです(自分の問題だと思っていることには触れずに)」。
ずっとあとになって、ナルコレプシー支援グループのところを訪ねたとき、「ただ幻覚を見るだけでなく、私と同じ幻覚を見る人がグループに大勢いることを知ってびっくりしました」と彼女は書いている。(p263)
頻繁に奇妙な体験をするせいで、自分は統合失調症ではないだろうかり、と思い悩むのは、解離傾向の強い子も同じです。
しかし、解離の専門家が述べるとおり、統合失調症と解離には、明確な違いがあります。
まず、統合失調症は青年期に発症することが多いため、それまでなかった幻聴が聞こえるようになるなどして恐怖を感じます。しかし解離の人たちはもっと幼いころから空想的な幻覚に慣れ親しんでいます。
また、幻視が多いのは圧倒的に解離であり、統合失調症では視覚性の幻覚は多くないそうです。
おそらくは、以前の記事で考察したように、解離における幻覚がレム睡眠や夢のメカニズムと密接に関係しているのに対し、統合失調症の幻覚はそれとは異なる脳機能異常によるのでしょう。
夢が視覚を中心とした幻覚であることは言うまでもありません。やはりナルコレプシーと解離は、日常的に夢の世界に片足を突っ込んでいるかのような幼少期体験という共通項があります。
オリヴァー・サックスはまた、別のナルコレプシー当事者リン・Oの経験も紹介しています。もしも、何の前情報もなく彼女の言葉を見せられたとしたら、間違いなく解離の当事者の言葉だと思ってしまいそうな内容です。
この症状は、私の人生をとおして頻繁に起こったので、きちんとした診断を受ける前は、睡眠障害を疑う代わりにずっと超常現象を疑っていました。
このような経験をそんなふうにまとめる人は大勢いるのでしょうか? この障害のことをもっとよく教えてもらっていたら、悪夢に悩まされているとか、心霊につきまとわれているとか、もしかしたら精神病なのかと疑う代わりに、もっと早いうちに、もっと建設的な助けを求めていたでしょう。
…私は自分の豊富な『超常的』経験を見直すべき新たな段階にあって、新しい診断にもとづいて新しい世界観を再構築していかなくてはならないと思っています。
それは子ども時代を忘れるようなもの、というか、理解しがたくて摩訶不思議とさえ言える世界観を忘れるようなものです。本当のところ、ちょっとさびしい気がしているかもしれません。(p267)
解離の当事者は、幼少期からの空想傾向(fantasy-proneness)もあいまって、自分だけの独特のファンタジー世界を持っていることが少なくありません。
夢なのか現実なのかわからない体験が多いせいで、スピリチュアルにもしぜんと興味を持つようになりますし、ときにはオカルトや超常現象に説明を求めることもあるでしょう。
解離の当事者は、さまざまな苦しい症状を抱えているかもしれませんが、空想傾向そのものは、安心できる避難所として活用しているなど、親しみを持っていることがあります。それを創作の才能として生かしている人たちもいます。
だからこそ、治療と引き換えに、そうした「理解しがたくて摩訶不思議とさえ言える世界観を忘れる」ことを寂しく思うリン・Oの言葉は、睡眠障害の当事者の言葉とは思えないほど解離との親和性を感じます。
こうした解離と類似した幼少期体験を持つナルコレプシー当事者がどれくらいの割合で存在しているのか、わたしにはわかりません。ナルコレプシーの専門家の本を読んでも、当事者の幼少期体験はほとんど含まれていないからです。
ナルコレプシーの当事者のうち、こうした経験を持つ人はわずかだ、とみなすこともできますが、あるいは自身の不思議な体験を話したがらない当事者が多いせいでほとんど知られていない、という可能性もあります。
サックスはこの本のなかで、ナルコレプシーの患者グループのミーティングでさえ、当事者たちは自身の幻覚体験について語るのをためらい、あとになってサックスに個人的に手紙で打ち明けてきたと書いています。
しかし幻覚は別問題だった。人はたいてい認めるのをためらい、ナルコレプシー患者でいっぱいの部屋でさえも、そのことがオープンに話しあわれることはほとんどなかった。
ところが、あとになって幻覚について私あての手紙に書いてきた人が大勢いる。(p262)
そうであれば、ナルコレプシーと解離がまったく別の病気であるかのように扱われているのは、ナルコレプシーの患者が睡眠専門医によって治療されているからではないでしょうか。
幼少期から奇妙な体験をしてきた人たちは、その体験をあまり話しません。
ひとつには先に引用したとおり、話すと怒られたり気味悪がられたりするからです。あるいは、あまりに日常的に体験しているせいで、それを特別不思議なことだとは思っておらず、話す必要にも駆られない場合もあります。
そうすると、親しい友人やカウンセラーならともかく、睡眠専門医に対して不思議な幼少期体験を話すなんてことはまずないでしょう。睡眠の悩みを打ち明けて薬を出してもらって終わりの外来で、どうして不思議な幼少期体験について話す理由があるでしょうか。
解離の当事者もまた自分の幼少期体験をだれかに話すことはとても用心深くなりがちです、過剰に空気を読んでコミュニケーションすることが当たり前なので、相手に受け入れられなさそうな話題はあえて話したりしないからです。
もしかすると、解離とナルコレプシーには同じような幼少期体験を持つ人が多いにもかかわらず、どちらの患者もあまりおおっぴらにそれを話さないせいで、まったく別の疾患だと思われている可能性があるのではないでしょうか。
確かに、解離性障害の患者は、すでに考えたとおり、ベースとして交感神経の過緊張が存在するので、ナルコレプシーのように睡眠発作で突然眠り込んだり、情動脱力発作(カタプレキシー)を起こすことはそれほど多くなさそうです。
しかしながら、オリヴァー・サックスが指摘しているように、ナルコレプシーとはひとつの明確に区別された病気ではなく、グレー部分の連続性をもった症候群であると思われます。
視床下部は「覚醒状態」ホルモンであるオレキシンを分泌していて、先天性ナルコレプシーをわずらっている人はこの部位に欠陥があることが、現在では知られている。
頭の負傷や腫瘍や病気によって視床下部が損傷した場合も、後天的なナルコレプシーを起こす場合がある。
重度のナルコレプシーは治療されないと身体機能を奪う可能性があるが、さいわいそういうケースはまれで、有病率はおそらく2000人に1人だろう(もっと軽いものはかなり一般的かもしれない)。(p262)
先天性のナルコレプシーは別として、後天性のナルコレプシーはさまざまな原因で発症する可能性があり、程度も重度から軽度までさまざまです。
とすると、幼少期から続く覚醒度のコントロール異常、という観点でとらえれば、解離の当事者が経験する慢性的な低覚醒と、ナルコレプシーの当事者が経験する幼少期からのマイクロスリープを明確に区別するのは不可能であるように思えます。
そもそも、解離の当事者に多い幼少期からの空想傾向とは、慢性的な低覚醒によりマイクロスリープが頻発している状態だとみなして差し支えないはずです。
そうすると、もともと背側迷走神経が強く働きやすい低覚醒の体質がある人のうち、思春期に、睡眠の問題がより重度に出た人は、睡眠外来に行き、ナルコレプシーと診断されるでしょう。
しかし、やはりもともと低覚醒の体質で、ストレスに対してもろく、不幸にして強いトラウマを経験し、交感神経と背側迷走神経が複合的に稼働した場合は、精神科疾患としてトラウマ専門医をあたり、解離と診断されるかもしれません。
ナルコレプシーと解離性障害が同じ病気であるというわけではありませんが、体質やメカニズムの部分では、かなりオーバーラップする要素があるのではないでしょうか。
ナルコレプシー、ADHD、解離の類似点
こうしてナルコレプシーと解離の類似性を考えると、解離の研究からナルコレプシーを分析するだけでなく、ナルコレプシーの研究から解離を分析するのも役立ちそうです。
まず、 睡眠障害のなぞを解く 「眠りのしくみ」から「眠るスキル」まで (健康ライブラリー)に書かれているように、現在ナルコレプシーの治療に使われているのは、中枢神経刺激薬と呼ばれるカテゴリの薬で、リタリン(メチルフェニデート)、モディオダール(モダフィニル)などです。
眠気に対処するには、脳の機能を活発にするための中枢刺激薬を用います。
メチルフェニデート(商品名:リタリン)やベモリン(商品名:ベタナミン、サイラート)といった覚醒剤系の薬物が含まれますが、これらは依存性の問題があります。
リタリンは以前、注意欠陥多動性障害(ADHD)など別の疾患にも用いられていましたが、現在ではナルコレプシーのみに処方が限定されています。
近年、新薬であるモダフィニル(商品名:モディオダール)が使用されるようになりました。
メチルフェニデートやベモリンに比べて依存性の問題が少なく、肝臓への負担も少ないうえ、吐き気が動悸の副作用が少ないことが大きなメリットですが、自覚的な覚醒作用はメチルフェニデートに比べ弱いとされています。(p77-78)
この中で書かれているとおり、これらの中枢神経薬は、ADHDの治療でも使われています。
リタリンは現在ナルコレプシー限定の処方薬ですが、同成分の徐放剤のコンサータがADHDに使われているので、実質ナルコレプシーとADHDは同じ薬で治療されているということになります。
特に、ドーパミンに働きかける中枢神経刺激薬は、ADHDの中でも、不注意優勢型と呼ばれる低覚醒が目立つタイプに効果的なようです。
さらに別の記事で扱ったように、低覚醒が強いタイプの不注意優勢型ADHDは、脳機能的には解離と同様の状態にあり、先天的な遺伝によるADHDの低覚醒と、後天的なトラウマ反応としての解離の低覚醒を区別するのは困難だと言われています。
つまり、不注意優勢型ADHDにコンサータやモディオダールが効くとすれば、それは解離の低覚醒にも効く可能性があるということになります。
ただし、こうした中枢神経刺激薬は、ナルコレプシーにおいても、ADHDにおいても、そして、もちろんトラウマ治療においても、決して根治療法とはみなされていません。いずれの場合も、低覚醒を和らげるだけで、すべての症状が解消するわけではありません。
とりわけナルコレプシーにおいては、中枢神経刺激薬は、過度の眠気には有効なものの、情動脱力発作(カタプレキシー)や睡眠麻痺(金縛り)のようなレム関連症状にも役立たないことがわかっています。
情動脱力発作をはじめとするレム関連症状には、これらの薬物は効果がありません。
クロミプラミン(商品名:アナフラニール)などの三環系抗うつ薬がおもに使われます。(p78)
情動脱力発作などのレム関連症状には三環系抗うつ薬が使われるとされていますが、これもやはり対処療法であり、効果は不十分です。中枢神経刺激薬も三環系抗うつ薬もナルコレプシーの根本原因にアプローチしているわけではないので効果は限定的です。
解離の治療もやはり似たようなもので、さまざまな症状に対して部分的に対処する薬はあるものの、解離そのものにアプローチできる薬はありません。
ずっと上のほうで引用した文中でヴァン・デア・コークが述べていたとおり、現在 解離の治療にもっとも効果的だと思われるのは、「覚醒を調節するための体のシステムを強化することに焦点を合わせるという、治療への新たな取り組み方」です。(p129)
それは自分の覚醒状態をマインドフルネスによってモニタリングして、低覚醒のときは覚醒度を上げ、過覚醒のときは覚醒度を下げるトレーニングを積むということです。具体的には以前の記事で解説しました。
オレキシンと解離のつながりを考える
現時点ではナルコレプシーも解離も満足のいく薬物療法は存在しませんが、今後状況が変化する可能性はあります。
柳沢正史先生と櫻井武先生らが、ナルコレプシーの原因物質であるオレキシンを発見したことにより、ナルコレプシーの研究はかなり進展しています。
睡眠障害のなぞを解く 「眠りのしくみ」から「眠るスキル」まで (健康ライブラリー) によると、このオレキシンという神経伝達物質は、「覚醒状態の安定化作用」を担っており、ここまで考えてきた覚醒度のコントロール異常と密接に関係しているように思えます。
覚醒センターで作られたオレキシンは、脳幹のモノアミン(覚醒物質)を作るニューロンに命令を送り、覚醒を作り出すアクセルの役割をしているのです。
睡眠と覚醒は相互に切り替わる状態であり、第一章で述べたように、「覚醒」「ノンレム睡眠」「レム睡眠」の3つの作動モードがあります。
オレキシンには、そのモードスイッチ「覚醒」の状態でとどめておく、という働きがあります。これをオレキシンによる「覚醒状態の安定化作用」と呼んでいます。(p59)
<眠り>をめぐるミステリー 睡眠の不思議から脳を読み解く (NHK出版新書)によれば、オレキシンは覚醒時に増え、睡眠時に減ります。
これはオレキシンが直接脳を覚醒させているというわけではなく、覚醒状態を安定化させ、望ましい覚醒レベルを保つフライホイールとして働いているようです。
オレキシンをつくるニューロン(オレキシン作動性ニューロン)は覚醒時に活動し、逆に睡眠時には停止していることがわかっている。
つまり、覚醒するべきときにモノアミン作動性ニューロンは、オレキシンの助けにより、安定して高い活動性を維持できるのである。
ただし、オレキシンだけが、これらのモノアミン作動性システムを刺激しているわけではない。
現実にはナルコレプシーは、睡眠と覚醒のスイッチの切り替えが非常に不安定になり、切り替わりやすくなっている状態である。
オレキシンは、スイッチが不適切なタイミングで切り替わらないように、いわば覚醒状態を安定化するフライホイール(はずみ車)のような働きを持っているのだと考えられる。(p137-138)
オレキシンは覚醒状態を安定化させる神経伝達物質ですが、 睡眠障害のなぞを解く 「眠りのしくみ」から「眠るスキル」まで (健康ライブラリー) にはとても興味深い性質が書かれていました。
オレキシンニューロンの活動は、感情を司る大脳辺縁系の影響を受けていることが明らかになっています。
感情が高ぶったときには、大脳辺縁系にある扁桃体からの刺激によってオレキシンニューロンの活動が高まり、オレキシンが増えます。
その結果、脳幹の覚醒物質を作るニューロンの活動が高まって、覚醒が維持されるのです。
…脳の中で感情を司る扁桃体は、感覚系から得た情報から「非常事態」と判断したとき、オレキシンニューロンを刺激して覚醒レベルを上げるのです。
つまり、不安などが常に心にあると、オレキシンニューロンは扁桃体から慢性的に刺激を受けてしまうため、オレキシンの分泌が増え、不眠症に陥ることになります。
さらに、感情が高ぶると心臓がドキドキすることは誰もが経験していると思います。
これは、情動が発動すると、扁桃体が視床下部を介して交感神経系の機能を高め、心機能を高めるからです。
じつは、この過程でもオレキシンが重要な働きをしていることがわかっています。(p60)
オレキシンは、脳の警報アラームである、扁桃体の働きと連動しています。わたしたちは危機に直面すると目が冴えて過覚醒状態になりますが、それは扁桃体が興奮してオレキシンが増加し、覚醒度が上がっているからだということになります。
そしてよく知られているように、扁桃体のアラームが鳴り響き続けて常時「非常事態」宣言に陥っているのが、PTSDの脳機能です。ということは、PTSDの不眠や過覚醒にはオレキシンの分泌過剰が関わっているということになります。
一方で、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているように、トラウマ障害の患者の中には、扁桃体の過活動ではなく低活動を示す人たちがいます。
Perryらは、PTSDの一部の患者はトラウマ的刺激に対して扁桃体が過剰反応する傾向があり、いわゆる「辺縁系敏感感受性」をもち、一方辺縁系扁桃体の低活性化の傾向がある患者もいるという説を提示しています。
Cgugamiらはこの仮設を支持して、継続的なネグレクト体験と扁桃体の活動が不十分であることの間の関係性を報告しました。(p202)
ここでネグレクト体験について書かれていることからもわかるように、扁桃体が低活動を示すタイプとは、もちろん過覚醒のPTSDと対極にある、低覚醒の解離のことです。
PTSDと解離を比較した記事で説明したとおり、脳の危険アラームである扁桃体は、理性や思考をつかさどる前頭前野とシーソー関係にあり、扁桃体が過活動になって感情に振り回されるのがPTSD、前頭前野で扁桃体を抑え込んで無感情になるのが解離です。
とすると、PTSDでは扁桃体の興奮にともなってオレキシンが増加して過覚醒に陥っているのに対し、解離では扁桃体の抑制にともなってオレキシンが低下して低覚醒に陥っているのではないか、という推論ができます。
もしそうなら、単純に考えれば、PTSDの過覚醒に対してはオレキシンを減らし、解離の低覚醒に対してはオレキシンを増やすことが効果があるかもしれません。
前者のオレキシンを減らす薬はすでに実用化されていて、オレキシン受容体拮抗薬ベルソムラ(スボレキサント)として発売されています。
大脳辺縁系を沈静化させ無理やり寝させるような従来の睡眠薬とは異なり、ベルソムラは過剰なオレキシンを減らすことで、自然な眠りを導けると言われています。
現実はそう単純ではなく、慢性的にオレキシンが過剰な体質だと、それに適応するためにオレキシン受容体が減っていくなどの反跳現象が生じている可能性がありますが、過覚醒や不眠を抱えている場合は、とりあえず試してみる価値はありそうです。
一方で、オレキシンを増加させるタイプの薬は、現在 筑波大学で開発中と報道されています。
オレキシン受容体作動薬の創出に世界で初めて成功-筑波大 - QLifePro 医療ニュース
同研究グループが開発した薬物は、マウスの脳室内投与実験においても腹空内投与実験においても、覚醒時間の延長に効果があった。
また、ナルコレプシーを人為的に発病させたマウス(病態モデルマウス)において、その症状の改善を確認したという。
これにより、低分子オレキシン受容体作動薬がナルコレプシー治療において有効であることが、世界で初めて証明された。
オレキシン受容体作動薬「YNT-185」、ナルコレプシーの病
今回の研究から、YNT-185にはカタプレキシー抑制効果があり、オレキシン2型受容体作動薬がナルコレプシーの病因治療薬として有効であることが示された。
さらにこの研究成果は、うつ病症状による過眠症、薬の副作用による過剰な眠気、時差ボケやシフトワークによる眠気など、ナルコレプシー以外の睡眠障害を改善するための創薬にもつながるという。
注目したいのは、この開発中のオレキシン受容体作動薬が、動物モデルを対象とした研究であるとはいえ、過度の眠気と情動脱力発作の両方に効果を示したことです。
前述のように、従来のナルコレプシーの薬物治療では、眠気をとるか、情動脱力発作などのレム関連症状を和らげるかは、それぞれ別々の薬で部分的に対処するしかなく、効果も不十分でした。
しかし、この開発中のオレキシン受容体作動薬は、両方の症状に効果を示したので、ナルコレプシーの原因に適切にアプローチできているように思えます。
オレキシン受容体作動薬が、ナルコレプシーだけでなく、解離の低覚醒や凍りつきなどにも効果があるのかどうかは、現時点では何もわかりません。
しかし、最近のニュースによると、オレキシン受容体作動薬は、ナルコレプシーのみならずADHDにも効果があるのではないかと考えられているようです。
下記のニュースによれば、中枢神経刺激薬の一種であるマジンドールを使った臨床研究が海外で進展しています。マジンドールは日本でも食欲抑制剤として認可されていますが、この研究で用いられているのは徐放剤です。
記事によれば、マジンドールはオレキシンシステムを刺激して覚醒度を安定化させ、ADHD症状を改善しているのではないかという仮説が立てられているようです。
NLS Pharmaが成人のADHDへの投与でNLS-1の前向きな第2相データを発表、症状改善を実証 - SankeiBiz(サンケイビズ)
ADHD治療におけるNLS-1(mazindol CR)の可能性を理解することと、睡眠と覚醒を阻害する相互の役割は、ミシェル・ルサンドロー博士(MD)、エリック・コノファル博士(MD、PhD)が実施した小児科研究に由来するADHD症候学に生かされている。
この研究は、脳内のオレキシン神経細胞で行動する覚醒レギュレーターとしてのNLS-1(mazindol CR)の仮説の基礎となっている。
この仮説と主実験の臨床データの間の相関関係を評価することは、NLS-1(mazindol CR)が二重の全モノアミン再取り込み阻害剤/オレキシン-2受容体作用薬として作用することを確認する助けになる。
…NLS Pharmaで医薬品発見に携わる科学者たちは、第2相試験の結果次第で、視床下部におけるオレキシン・システムの働きを調整するに当たって、NLS-1(mazindol CR)の潜在的役割で説明しうるとの仮説を立てている。
ここでは、マジンドール徐放剤が「脳内のオレキシン神経細胞で行動する覚醒レギュレーター」として働き、ADHDの症状を改善するとの仮説が示されています。
もしもオレキシン受容体作動薬がADHDの症状に有効なのだとすると、やりは覚醒度のコントロール異常を持ち、慢性的な低覚醒に陥っている解離の症状にも効果があるのではないか、という仮説も立てられます。
もしもナルコレプシー、解離、そして不注意優勢型のADHDなどが、いずれも覚醒状態のコントロール異常の結果として低覚醒になっている病態なのだとしたら、覚醒状態の安定化を担うオレキシン製剤は何かしらの効果を示す可能性がありそうです。
むろん、解離の場合は単なる低覚醒ではなく、トラウマ反応としての適応であることを覚えておく必要があります。何かしらのトラウマや感覚過敏による強い負荷がかかって、脳が自らを保護するためにブレーカーを落として、低覚醒が生じているいうことです。
そうであるなら、単純に薬でドーパミンやヒスタミン、オレキシンを刺激して覚醒度を上げることが解決策になるとは思えません。
薬によって覚醒度を上げることは、死んだように無活動になっている状態から脱し、動き始めるのには役立つでしょうが、本当の意味で解離を解除するには、安心できる居場所を確立したり、感覚過敏を和らげたり、覚醒度をコントロールするトレーニングを積んだりする必要があるように思われます。
解離とは脳が他に自分を守る手段が何もないときに選ぶ、自分で自分を眠らせる最新手段なのだとすると、解離しなくても対処できる状況を整えてやらないかぎり、根本的な解決にはならないでしょう。
さまざまな薬物療法は、あくまで自転車における補助輪のように、バランスをとるための助けとしてはとても有用だと思います。しかし同時に、ペダルを漕いで前に進むのはあくまで自分の足でしかないことも覚えておく必要があります。
脳は自らを眠らせる
この記事では、ポリヴェーガル理論を土台として、解離と睡眠障害の関係を探ってきました。要点をまとめると以下のようになります。
ポリヴェーガル理論によれば、自律神経は3つのサブシステムで構成されている。それはアクセル(交感神経)、フットブレーキ(腹側迷走神経)、パーキングブレーキ(背側迷走神経)である。
■過覚醒と低覚醒
アクセル(交感神経)は「動きの発動」を担っていて、PTSDの過覚醒と関係している。パーキングブレーキ(背側迷走神経)は「動きの固定」を担っていて、解離の低覚醒と関係している。
■愛着は覚醒度のコントロール能力
安定した愛着を育んだ人は、フットブレーキ(腹側迷走神経)によって、覚醒度を適切にコントロールする能力を身につける。しかし不安定な愛着を身につけると、過覚醒か低覚醒に偏る。
■解離とは脳が自分を眠らせる反応
幼少期にトラウマを経験した人たちは、逃げることも闘うこともできないため、背側迷走神経で自分をシャットダウンする習慣を身につける。どうしようもない慢性的なストレスをやりすごすために、脳が自分で自分を眠らせるのが解離である。
■凍りつきと擬態死
交感神経と背側迷走神経が同時に活性化すると筋肉がガチガチに凍りついて麻痺する「凍りつき」状態になる。背側迷走神経のみが活性化すると筋肉が弛緩し脱力して動けなくなる「擬態死」状態になる。
■ナルコレプシーとの類似点
ナルコレプシーは、低覚醒、脱力発作、睡眠麻痺、幻覚など、解離と良く似た体験が多い。ナルコレプシー当事者の幼少期体験もまた解離の当事者の幼少期体験と似ている。ナルコレプシー、不注意優勢型ADHD、解離は、治療薬も共通している。
■オレキシンとのつながり
ナルコレプシーの原因は覚醒度を安定させる神経ペプチド オレキシンの欠乏。現在オレキシン受容体作動薬が開発中だが、ナルコレプシーの症状を改善するだけでなく、ADHDへの効果も期待されている。
このブログでは、過去に何度か解離と睡眠の関係を考察してきましたが、今回はポリヴェーガル理論を手がかりとしたことで、さらに一歩踏み込んで考察できたように思います。
単に解離と睡眠障害がよく似ている、という比較にとどまらず、解離とは脳が自分を眠らせる危機回避メカニズムであり、背側迷走神経を用いて強制的に低覚醒にならせているものなので、睡眠と似ているのは当然だ、ということがわかりました。
脳が半分眠っているのであれば、現実感が薄れる離人症が起こるのも、現実と空想の境目がわからないあやふやな状態に陥るのも、夢の中のような幻覚が生じるのも、生きているのか死んでいるのかわからなくなってくるのも、記憶があいまいで過去や未来がわからなくなるのも至極当然です。
そして、睡眠のときに体を固定するメカニズムが背側迷走神経であり、それが起きているときに起動してしまうのが解離であるとすれば、体が固まったり凍りついたり、エネルギーが枯渇したり、動くことができなくなったりするのもまた当然なのです。なにせ、寝ている体を無理やり動かそうとしているようなものなのですから。
解離と睡眠についてのこの考察は、現時点では治療に直結するわけではありません。そもそも睡眠障害の薬のうち、過覚醒を治療する不眠症の薬は数え切れないほどの種類があるのに対し、低覚醒を治療する過眠症の薬は数えるほどしかないのが現状なのです。
それどころか、現行の自律神経モデルでは、過覚醒は明らかな病気だとされるのに、低覚醒はほとんど注目されていません。
解離が世の中でほとんど理解されず、注目されていないのは、現在主流の医学モデルの盲点に存在しているからなのかもしれません。
今後、背側迷走神経の機能について理解が深まり、低覚醒の病態が明らかになれば、解離や過眠についてもっと理解が深まり、対処法も見つかるに違いないという期待を込めつつ、、今回の解離と睡眠障害についての考察を締めくくりたいと思います。
▼解離と睡眠の関係を考察した過去記事リスト