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HSPの人が知っておきたい右脳の役割―無意識に影響している愛着,解離,手続き記憶

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HSCにさまざまなタイプがある第2の理由は、脳内の「行動抑制システム」にヒントがあります。

このシステムは、どの人の脳にもありますが、人一倍敏感な人の場合、特に強力で活発に働いていると考えられ、敏感性の原因を示す科学モデルにもなっています。

このシステムは、脳の右半球(前頭部皮質という思考をつかさどる部分)と関係しており、右脳の電気活動が活発な赤ん坊が、HSCになりやすいといわれています。(p52)

HSPの提唱者のエレイン・アーロンは、ひといちばい敏感な子の中でこのように書いています。

HSC(ひといちばい敏感な子ども)になりやすいのは、「右脳の電気活動が活発な赤ん坊」である、ということは、実に興味深い事実です。

かつて「論理的な左脳人間」「芸術的な右脳人間」、「左脳は男性脳」「右脳は女性脳」といったステレオタイプがメディアでもてはやされました。現在ではこれらは極端すぎる神経神話であり、科学的事実ではないことが知られています。

しかし、左脳と右脳には異なる役割があるのは確かで、生まれつき右脳が活発であることは、HSPの発達に深く関与しているようです。

HSPの子どもによく見られるコミュニケーション能力の高さや、のみこみの良さ、直感の鋭さ、さらには解離傾向の強さなどは、いずれも右脳の働きが関与して成立するものでしょう。

この記事では、現代の科学でわかっている左脳と右脳の特徴や、それぞれの記憶システムの違い、そしてHSPの発達に及ぼす影響について考えてみたいと思います。

これはどんな本?

今回おもに参考にした本は、心理療法家パット・オグデンらによるトラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際です。

トラウマの専門家のヴァン・デア・コークがまえがきの一部を担当しているなど、本格的なトラウマ理論の解説書で、特に愛着や解離についてのよくまとまった生物学的な理解が得られます。

冒頭に引用したひといちばい敏感な子は何度も取り上げてきたHSPの提唱者エレイン・アーロンによる、HSPの子ども(HSC : Highly Sensitive Child)の本で、HSP傾向の強い子どもの特徴を理解するにはこれ以上ない一冊です。

HSPの子は右脳の電気活動が優位

HSPとは、エレイン・アーロンが提唱した、生まれつき感受性の強い人たちのことです。基本的な説明は過去の記事に譲ります。

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冒頭で引用したように、ひといちばい敏感な子によると、HSPの子どもは、右脳の電気的活動が活発であるというデータがあります。

このシステム[行動抑制システム]は、脳の右半球(前頭部皮質という思考をつかさどる部分)と関係しており、右脳の電気活動が活発な赤ん坊が、HSCになりやすいといわれています。(p52)

HSPの子どもは、脳の右半球の前頭部皮質にある「行動抑制システム」と関係する活動が活発であるとされています。

同じ本では、脳の右半球の活動の高さは、感情や社会性の強さ、すなわちコミュニケーション能力の高さとも結び付けられています。

HSCの感情察知能力の高さは、親たちの経験からも、生まれつき感情や社会性をつかさどる右脳が活発だということからも分かります。

子どももおそらく右脳がとても活発に働いていて、「あなた」のあらゆる情報に気づき、学習し、記憶しています。(p227)

どうして、右脳が活発だと、「感情察知能力の高さ」につながるのでしょうか。

近年の脳科学では、右脳は芸術的、左脳は論理的といったステレオタイプはメディアにより多分に誇張されたものとされていますが、左脳と右脳が別々の処理に特化していることはすでに確かめられています。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、ヴァン・デア・コークは、それぞれの半球の役割を、つぎのように類別していました。

今では私たちは、脳の両半球が異なる言語で話すことを知っている。

右脳は直感的、情動的、視覚的、空間的、触覚的で、左脳は言語的、逐次的、分析的だ。

話すことは脳の左半球が一手に担っているのに対して、右半球は経験の音楽的側面を担当している。

右半球は、表情や身体言語(ボディランゲージ)を通して、また、愛や悲しみの音声を発することや、歌ったり、罵ったり、叫んだり、踊ったり、真似たりすることで、意思を伝達する。(p82)

簡単にいえば、左脳は言葉によるコミュニケーションをつかさどり、右脳はリズムや仕草などの非言語的なコミュニケーションをつかさどっています。

ほとんどの人(右利きの人の96%、左利きの人の70%)では、言語中枢は左脳にあります。言葉を用いたコミュニケーションや、意味を分析したり解釈したりするのも左脳の役割です。

他方、空間や視覚、音、触覚など、言葉によらない感覚を処理するのは右脳の役割です。それらは、言葉によらず場の雰囲気や人の感情を伝達する、右脳の「言語」です。

右脳は文字通りの言語を扱うのは不得意なので、左脳の言語中枢を損傷してしまうと言語コミュニケーションが難しくなります。けれども、人と人とのコミュニケーションにおいて、右脳はとても大切な役割を担っています。

人は脳の右半球で空間的関係を処理しており、…気遣いや非難、無関心はみな、おおむね表情、声の調子、身体的な動きで伝わる。

最近の研究によると、人のコミュニケーションの最大九割が、非言語的な機能が優位な右脳の領域で起こるという。(p495)

ここで書かれているとおり、視覚や空間にかかわる情報を処理している右脳は、「表情、声の調子、身体的な動き」に目ざとく反応します。

相手が居心地が悪そうにしているのを鋭敏に感じ取ったり、場の空気に反応したり、ちょっとした仕草を読み取ったりするとき、右脳の非言語的コミュニケーションが役立ちます。じっさい、そうした要素はコミュニケーションの最大9割に関係していると書かれています。

こうした右脳の感受性の強さは、HSPの子どもが、親を含めた周囲の人の顔色を敏感に読み取り、感情を察知することに役立っていると思われます。

興味深いことに、右脳と左脳は、発達する時期が異なっています。生まれる前から発達し、先に活動をはじめるのは右脳です。

右脳は子宮の中で先に発達し、母親と赤ん坊の非言語的コミュニケーションを担う。

子供が言語を理解し、話し方を学び始めると、左半球が稼働するようになったことがわかる。(p82)

赤ちゃんは、生まれてすぐは言葉を話すことができません。まだ言語機能をつかさどる左脳が発達していないからです。その代わりに赤ちゃんは、ボディランゲージという右脳の「言語」によって親とコミュニケーションします。

エレイン・アーロンが、ひといちばい敏感な子で書いているように、右脳の非言語的コミュニケーションに優れたHSPの親は、まだ言葉を話す前の赤ちゃんとも、親密にコミュニケーションすることができます。

HSPの親には、まず自分が素晴らしい親になれることをぜひ知ってもらいたいと思います。

例えば、子どもに必要なことに気づけるし、言葉だけではなく、ボディランゲージ(しぐさや態度、表情)にも敏感なので、どんな子にも合わせたコミュニケーションができます。

子どもの抱えている心配や疑問も理解できます。もちろん、こういったことは、どの親にもできることですが、HSPは、より得意としています。(p141)

そしてまた、HSPの子どものほうも、親の非言語的なコミュニケーションをよく理解し、適切な反応を返してくれます。

HSCは小さい時から推察する力があります。どんな子も、自分の保護者の気持ちを酌み取ります。

自分が生きていけるかどうかは、その人の手にかかっていると分かっているのでしょう。(p97)

HSPの子どもは、聞き分けがよいと言われることも多いですが、その理由のひとつに、右脳を通じた非言語的コミュニケーションの能力が高いことが挙げられるでしょう。

たとえ言葉を多くして言い聞かせられなくとも、親の態度や表情、仕草から、言いたいことを読み取ることに長けているからです。

HSPは右脳人間?

こうした右脳と左脳の違いや役割について考えると、確かにHSPの感受性の強さは右脳的な能力であるかのように思えます。

乳幼児期から右脳が活発であるというエレイン・アーロンの指摘も踏まえると、「HSPは右脳人間である」と主張する人がいても驚くにはあたりません。

日本のHSPの研究者の長沼睦雄先生は、子どもの敏感さに困ったら読む本: 児童精神科医が教えるHSCとの関わり方の中で、学習障害を伴うHSPについての文脈でこう書いておられます。

しかし、継時処理の苦手な子は、同時処理能力が秀でていることが多い。脳の働きでいうと右脳系です。

何かを見てパッと答えるとか、イメージや空想を広げてサッと絵を描くとか、直感的にひらめきを発揮することが得意なのです。

HSCの子はイメージも感情も感覚も豊かなのでとても記憶力がいいのですが、それは経験の記憶がよいためです。

勉強に必要とされるのは左脳的な継次処理による文字・数字・記号の処理ですから、右脳系のタイプはあまり得意とは言えません。記憶の質が違うのです。(p104)

確かにHSPの子の中には、限局性学習症(SLD)をもっている子もいます。その場合、以前の記事で考えたように、左脳で処理すべき言語情報を、右脳を通して伝達してしまうような混線が生じているのかもしれません。

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しかし、ここで言われている右脳系のタイプという分け方はあまり望ましくないでしょう。

というのも、HSPの子は、たいてい幼少期は右脳が活発ですが、それだけでなく左脳的な能力もじゅうぶんに発達させる傾向があるからです。

幼少期に右脳の電気活動が活発だからといって、HSPは右脳系である、と短絡的に結論するのは間違いです。

それを示しているのは、エレイン・アーロンが、ひといちばい敏感な子の中で繰り返し述べている、HSPの言語能力の高さです。

エレイン・アーロンはまず、HSPの子どもは、比較的早くから親の言葉を理解し始めると述べています。

データがあるわけではありませんが、 私は、HSCは平均より早く、親の言葉を理解し始めるのではないかと思っています。

彼らは、声のトーンや身ぶりといった、言葉のちょっとした手がかりになるものを残らず拾い上げるからです(話せるようになる時期は多くの要素によって決まります)。(p264)

親の言葉を理解する能力のうち、「声のトーンや身ぶりといった、言葉のちょっとした手がかりになるものを残らず拾い上げる」のは、もちろん、ここまで見てきた右脳がつかさどる非言語的コミュニケーションです。

しかし、そうした要素を手がかりとして用いて、言葉の意味を理解し、解釈するのは、左脳の言語中枢がつかさどる能力です。

先ほど見た身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の引用文の中で、ヴァン・デア・コークはこう説明していました。

右脳は子宮の中で先に発達し、母親と赤ん坊の非言語的コミュニケーションを担う。

子供が言語を理解し、話し方を学び始めると、左半球が稼働するようになったことがわかる。(p82)

このことから分かる通り、コミュニケーションとは、片方の半球の脳だけで行なうものではありません。

右脳の非言語的コミュニケーションの感受性が強く、しかもそれを適切に解釈する左脳の解釈システムによる共同作業が成立して始めて、高度なコミュニケーションが成り立ちます。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にもこう書かれています。

人間のコミュニケーションの大半は口に出す言葉によらず、むしろ身体的言語(ボディランゲージ)によるものです。

すなわち、表情、アイ・コンタクト、動き、姿勢、1つひとつの会話での意味と解釈は、相手の身体の動き、姿勢、表情などを観察し、推測し、まとめあげて意味づけすることで成り立っています。

私たちがどのような応答をするかも、相手に対する私たちの身体反応を通して伝えられているのです。(pxliv)

コミュニケーションにおいて身体的言語を読み取るのは右脳です。しかし、それを「観察し、推測し、まとめあげて意味づけする」ことが必要で、そこには左脳の解釈システムも関与します。

HSPの子どもは、非言語的なサインに目ざといだけでなく、それを適切に解釈するので、「空気を読む」のが得意です。

HSCは声のトーンを変えるだけでも、気持ちを察して理解します。(p187)

おそらくHSPの子どもの場合、右脳の感受性が強いことは、遅れて発達する左脳の解釈システムの成長に有利に働くのでしょう。深く感じるからこそ、その意味を理解しようと考えるようになるのです。

対照的に、自閉スペクトニラム症(ASD)の子どもは、この両方の脳の連携がうまくいかず、結果としてコミュニケーションが難しくなるのでしょう。

自閉スペクトラム症では、右脳による非言語的コミュニケーションは得意です。怒りや悲しみなどの感情を感じ取りますし、言葉を用いない動物とのふれあいが好きな人もいます。

しかし、非言語的なサインの意味を理解して言葉に変換する解釈システムの機能が弱いようだ、という点については、以前のHSPの記事で説明しました。

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自閉スペクトラム症では、低周波音が聴こえ過ぎるために、言葉の感情を伝える高周波音が覆い隠され、コミュニケーションが不快になって解釈能力が育ちにくいのかもしれません。

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HSPの子が、右脳だけでなく左脳の機能も成長させやすいといえるのは、学校での成績を見てもわかります。エレイン・アーロンは、(もちろんすべてではないにせよ)HSPの子は成績優秀なことが多い、と述べています。

一般にHSCには優等生が多いものです。時にはいい子過ぎる子もいます。

例えば、試験勉強や宿題に時間をかけ過ぎる、つまり、先生が求める以上に、また同じようなよい成績の子がしている以上に、時間をかけて勉強することがあります。(p363)

別の箇所でも、HSPの子は勉強好きで優等生、かつコミュニケーションが得意なことが多い、と述べています。

大抵勉強が好きで、成績もよく、先生にも気に入られる優等生です。みんなから慕われ、リーダーになる子もいます。

そうでなくても、ひとりの友達と深くつきあったり、少数の仲間と楽しく過ごしたりします。

ただ残念ながら、学校生活はHSCにとっては負担が大きいものです。(p340-341)

すでに見た長沼先生の本でも書かれていたように、学校の授業は左脳がつかさどる言語能力や分析力を問うものがほとんどです。その中で成績優秀な優等生になれるとしたら、それは左脳の働きも活発であるからにほかなりません。

エレイン・アーロンによると、特に10代にさしかかると、HSPの子は急速に論理的な思考力を発達させます。

実は、10歳から12歳の頃、脳は最後の急成長期(グローススパート)に入り、論理的に考える能力ができ上がっていきます。系統立てて考える力が飛躍的に伸びていきます。

できれば学校で、続けて訓練を受けてこの新しい力を伸ばしていけるといいでしょう。

特にHSCは深く考えることが得意ですから、論理的に考える力を優れた手段とし、うまく使いこなしていくことができます。(p381)

ここで書かれている「深く考えること」や「論理的に考える力」は言うまでもなく、左脳の言語中枢や解釈システムの発達によるものです。

この時期になると、HSPの子は、大人顔負けの芸術的才能や発想力を発揮することがあります。

また、大抵のHSCは、学業や芸術の他、敏感さと深い処理能力を生かせる分野で、目覚ましく豊かで深い才能を発揮するようになります。

科学や発明、チェスなどの知的ゲーム、コンピューターなどで才覚を現す子、大人びた美的センスや、鋭い洞察力を見せる子もいます。

友情を大切に育みます。充実した内面生活を送り、スピリチュアルなことや、哲学に興味を持つ子もいます。(p376-377)

以前の記事で扱ったとおり、芸術には、右脳的な感覚の鋭敏さだけではなく、それを拾い上げて独自のものに加工し、作り変えていく左脳の解釈システムが不可欠です。

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アリス・W・フラハティが書きたがる脳 言語と創造性の科学で述べているように、創造性とは、右脳と左脳両方を使う共同作業です。

実験では、創造性には右脳の活動だけでなく左右の半球のバランスのとれた相互作用が必要であることが示されている。

…このような考え方はすべて、二つの思考法あるいは二つの半球の相互作用あるいは交替が創造性を強化するはずだという予想につながっていく。(p98)

ですから、HSPが右脳系である、ないしは右脳人間である、といった見方は誤りです。HSPの才能を右脳か左脳、理系や文系など特定の分野に限って考えてしまうと、可能性を閉ざすことになりかねません。

HSPの中には、文系理系問わず、とてもクリエイティブな仕事についたり、高度なコミュニケーションを要する職業を選んだりする人も多く、両方の脳をバランスよく活用していることは明らかです。

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右脳と左脳の記憶の違い

では、HSPは右脳人間ではなく、両方の脳を協調させて働かせることのできる才能ある子なのか、というと、物事はそう単純ではありません。

右脳人間、左脳人間というくくりが適切でなく、かえって誤りでさえあるのは、右脳と左脳、どちらが働くかは、環境によって変わるものであり、同じひとりの人が場面ごとに右脳か左脳かに偏ってしまうこともあるからです。

そのことを如実に物語るのは、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に載せられているPTSDの人の脳スキャンに関する研究です。

PTSDにおいては左右の脳が片側性の反応を示すという重要な事実は、脳波検査(EEG)によりすでに知られていました。

Schiffer、Papanicolaouは幼少期にトラウマ体験のある被験者が中立的な記憶を回想しているときには左脳優位の反応が顕著であり、トラウマ体験を想起しているときには右脳が優位にはたらいているということを報告しています。

さらに、心理的な虐待により左脳の脳波異常が増加し、左右の脳半球の非対称性が増加することが知られています。(p198-199)

この実験では、PTSDの人たちは、右脳人間になるわけでも、左脳人間になるわけでもなく、状況によって右脳が優位になったり、左脳が優位になったりする「左右の脳が片側性の反応を示すという重要な事実」が認められたのです。

すでに見たように、本来、人間の左脳と右脳は、どちらか片方だけが働くようなことはなく、両方が共同作業することによって、適切なコミュニケーションや創造性を発揮できる仕組みになっています。

バランスの取れた才能ある人、クリエイティブな人、天才と呼ばれるような人たちは、左脳だけでも右脳だけでもなく、両方を協調させて働かせることで、優れた業績を残します。

しかし、トラウマを負った人たちは、この両半球の統合が破綻していました。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法に書かれているように、左脳と右脳では、過去の記憶の扱い方もまた異なっています。

脳の左側と右側では、過去の痕跡の処理の仕方も著しく異なる。左脳は事実や統計的数値、出来事を描写する言葉を記憶する。

私たちは左脳に、自分の経験を説明したり整理したりしてもらう。

右脳は音や声、触感、匂い、それらが喚起する情動の記憶を保存する。

また過去に見聞きした声や目鼻立ち、仕草、場所に自動的に反応する。

右脳が思い起こすことは、直感的な事実、すなわち物事の実際のありようのように感じられる。(p82)

左脳の記憶は、客観的かつ感情の伴わない無味乾燥な言葉や統計のようなものです。他方、右脳の記憶は、言葉にすることができない情動や五感の断片からなっています。

先ほどの研究では、トラウマ記憶を思い出してフラッシュバックしているときは右脳だけが強く働き、逆に中立的な回想をしているときは、左脳だけが強く働いていました。

言い換えれば、トラウマ記憶がフラッシュバックしているときは、意味や解釈を担当する左脳の機能が停止していて、自分でも制御できない感情や感覚の渦に呑み込まれます。これがPTSDです。

他方、トラウマ記憶を封印して、中立的ないしは客観的に過去を振り返るときは、生き生きした感情や感覚に関わる右脳が停止しています。まるで他人事のように過去を振り返るということです。これは失感情症解離と呼ばれる現象です。

以前に説明したとおり、PTSDと解離は正反対のトラウマ反応です。しかしまったく別々のものではなく、トラウマを負った人はある場面ではPTSDに見舞われ、別の場面では解離します。

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つまり、場面ごとに脳がバラパラに働き、「左右の脳が片側性の反応を示す」ようになってしまうのです。

脳科学が明らかにしたのは、わたしたちの脳にとって、右脳が優位か、左脳が優位か、という分け方は適切ではないということです。

それよりもむしろ、左脳と右脳が統合されて働いているか、それとも、バラバラに機能して足並みが揃わなくなってしまっているか、ということのほうが重要なのです。

この研究については、以下の記事でも、別の本から引用しています。

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手続き記憶―「固定的運動パターン」(FAP)とは何か

先に引用したとおり、「脳の左側と右側では、過去の痕跡の処理の仕方も著しく異な」ります。

左脳と右脳とでは得意な記憶の仕方が異なる、という点は、生まれつき右脳の活動が活発なHSPの子どもの発達において、極めて重要な意味を持っているように思います。

先ほどの実験では、PTSDのフラッシュバックは右脳で生じ、解離の客観的な回想は左脳で生じていました。これは、それぞれの脳の半球が、異なる種類の記憶の想起に関与している、ということを示しています。

ヴァン・デア・コークはトラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべてのなかで、わたしたちには二種類の記憶システムが備わっている、ということを説明しています。

今日の記憶研究は、人間の記憶システムが非常に複雑なものであることを示している。

これらの記憶の機能は、そのほとんどが自覚的な意識にのぼることなく、また、お互いにある程度独立したものとして作用している。

こうしたシステムのうちで、主要な2つについて、以下に簡略に示す。(p327)

わたしたちの記憶システムはとても複雑で、近年は二種類どころかさらに細分化されてはいますが、おおまかにわけると、それは二つに分類されます。

(1)「記述的」記憶(「顕在的」記憶とも言われる)とは、その個人に起こった事実や出来事に関する自覚的な意識を言う(Squire & Zola Morgan,1991)。

この形態の記憶機能は、前頭葉および海馬の損傷によって重大な影響を受ける。

この前頭葉や海馬は、PTSDの神経生物学的側面にも関連していることが示されている (van der Kolk,1994)。

まずひとつ目は、「記述的記憶」「陳述記憶」とか、「顕在記憶」といった名でも呼ばれます。簡単にいえば、これは意識的に思い出し、言葉で説明できる記憶です。

たとえば、テストで暗記した答えを書くのは、この陳述記憶によるものです。さまざまな知識を覚えている物知り博士も、この記憶を用います。わたしたちが作文や日記を考えて書くときも、文章に変換できる陳述記憶を活用しています。

この種の記憶に関与しているのは有名な海馬です。それゆえ、アルツハイマー病などで海馬が損傷すると記述的記憶は失われ、自分の過去や物の名前を思い出せなくなります。

このタイプの記憶は、言葉を使って「記述」「陳述」して言い表すものなので、言語中枢がある左脳が関係しているようです。

すなわち、先の実験において、左脳が優位になり、感情の伴わない中立的な回想をしていたときに思い出していたのは、こちらの記述的記憶、陳述記憶のほうです。

他方、もうひとつのタイプの記憶についてはこう説明されています。

(2)「非記述的」記憶、「潜在的」記憶、あるいは「手続き的」記憶とは、技術や習慣に関する記憶、情緒的反応の記憶、反射的行為と古典的条件づけを生じた反応の記憶のことである。

これらの潜在的な記憶サブシステムは、それぞれ、中枢神経系の特定の領域と結びついている(Squire,1994)。

シャクター(Schacter,1987)は、潜在的記憶の一例として、トラウマ性記憶(例えば、ピエール・ジャネが記述したタイプの記憶)の生理学的な説明をあげている。(p327)

こちらのタイプの記憶は、「非記述記憶」、もっと有名な名称としては「潜在記憶」とか「手続き記憶」という名前で知られています。

簡単にいうと、これは言葉で説明できず、からだで覚えている記憶です。

野球のピッチングフォームとか、ダンスの足運び、アクションゲームのコツ、さらには習慣的な姿勢や仕草など、わたしたちが無意識のうちに自動的に行なうからだの動きはすべてこちらのタイプです。

この種の記憶は、ことばで説明することができません。そもそも無意識のうちに自動操縦で行っているので、だれかに訊かれたりしない限り、自分でも気づかないでしょう。

一流のスポーツ選手になるのが難しいのは、こうした手続き記憶を言葉で伝達できないからです。いくら言葉に変換したところで概念的な説明になってしまい、実際にからだで試してみないことには習得できません。

この潜在記憶また手続き記憶について、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際は次のように説明しています。

潜在記憶はもっぱら、過去のことを思い出しているという感覚をともなわない身体と感情の記憶の「状態」だとみなされています。

…記憶が言語を通さずに組織化すると、手続き記憶、知覚記憶、情動記憶という3つの潜在記憶からなる情報処理のより原始的なレベルへと組織化されます。(p332-333)

この記憶は意識して思い出すことはできません。そうではなく、ちょっとした刺激がトリガーとなって、『思い出しているという感覚をともなわない身体と感情の記憶の「状態」』として無意識のうちに再生されます。

自転車のサドルにまたがればからだが勝手に漕ぎ始めますし、楽器を持てば意識しなくてもからだが演奏しはじめます。匂いをかけばふと昔の記憶がよみがえり、懐かしの流行曲を聞けば、あのころの感覚が蘇ります。

このタイプの記憶は、言葉で説明できないだけでなく、さまざまな空間的な動作や視覚、触覚、聴覚などの感覚から成り立っているので、右脳が関与しています。

今引用した文にも書かれているとおり、トラウマ記憶はこちらのタイプのからだが覚えている記憶に分類されます。

すなわち、先の実験において、右脳が優位になり、激しいフラッシュバックに見舞われていた人たちは、トラウマのさなかのからだの感覚や、断片的な視覚、聴覚などの からだの記憶に呑み込まれていたのです。

一般に、トラウマ記憶とは、思い出すのも嫌な経験だと言われますが、本当のトラウマ記憶とは、思い出すのが嫌なのではなく、思い出そうとしても思い出せないもののことを言います。

トラウマ記憶とは、言葉で言い表せない身体の反応、条件反射のようなものです。それは記述的記憶に統合されていないので、整理された過去の物語として話すことはできません。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法にはこう説明されています。

トラウマ記憶は私たちが過去について語る話とは根本的に違う。トラウマ記憶は解離している。

トラウマを負ったときに脳に入った異なる感覚は、適切にまとめられた一つの話や自伝のひとコマにはなっていない。(p321)

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にもこう書かれています。

なぜなら、トラウマ記憶はいまだ自伝的記憶としてコード化されておらず、また、トラウマ関連の再発性の生理的覚醒状態が、「言葉にならない脅威」という身体的恐怖感を持続的に作り出すからです。(pxxxvi)

トラウマ記憶は、からだが記憶している非言語的な手続き記憶なので、「自伝のひとコマになっていない」「自伝的記憶としてコード化されていない」状態にあります。思い出して語ることはできず、その代わりに「言葉にならない脅威」としてからだで表現されます。

厳しい練習でスポーツのフォームをからだに覚えさせるように、強烈な体験をからだが覚えてしまったのがトラウマなのです。

この2つのタイプの記憶、つまり記述的記憶(顕在記憶)と、手続き記憶(潜在記憶)には、とても意義深い違いがあります。

脳神経科学者のオリヴァー・サックスは、音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々の中で、両者の記憶システムの著しい違いについてこう説明しています。

エピソード記憶は特定の出来事の認知、それもたいていは珍しい出来事の認知に依存しており、そのような出来事の記憶は、それが起きたときの認知と同じように個々人によって異なる(本人の興味、関心、価値観によって色づけされる)だけでなく、呼び起こされるたびに修正されたり整理しなおされたりする傾向がある。

これは手続き記憶とは根本的に異なる。

手続き記憶は、想起することが事実に忠実で、正確で、再現できることがきわめて重要だ。

手続き記憶には繰り返し練習、タイミングと順序が絶対不可欠である。(p280)

まずエピソード記憶を含む記述的記憶(顕在記憶)は、思い出すたびに修正されたり整理されたりします。

テスト勉強が難しいのは、せっかく覚えて丸暗記しても、いつの間にか間違って記憶していたり、忘れたりすることがあるからです。同じように昨日や去年のエピソードを思い出しても、事実を確認すれば、細部が間違っていることに気づくかもしれません。

正確に覚えたはずなのに、改変されてしまうのは、記述的記憶(顕在記憶)の特色のひとつです。しかも気づかないうちに改変されてしまうので、自分では正しいと思い込んでいることがよくあります。

どうして記述的記憶はたやすく改変されてしまうのでしょうか。

それは記述的記憶が左脳の言語機能によって想起されることによります。すでに説明したとおり、左脳には意味を考えたり情報を加工したりする解釈システムが備わっています。

解釈システムは、情報を加工して新しいものを創造するのが得意です。それゆえに創造性には不可欠です。

しかし解釈システムは、よくも悪くも勝手に情報を加工していくので、物語を創作するのと同じように、事実を作り話にいつの間にか変えてしまいます。

さきほど触れたように、HSPの人たちは、左脳の解釈システムが鋭いために、深く考えるのが得意です。しかし同時に、事実をゆがめてしまいやすく、丸暗記が苦手で、ときには虚偽記憶と呼ばれるものを作り出してしまいます。この点は後ほど再度扱います。

一方で、アスペルガー症候群など自閉スペクトラム症の人たちは、解釈システムの弱さが指摘されていました。彼らは、事実を正確に記憶するのが得意です。

有名なアスペルガー女性、テンプル・グランディンは火星の人類学者──脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)の中で、コミュニケーションを学ぶとき、さまざまな対応を「厖大な経験のライブラリー」を構築して研究したと述べていました。(p352)

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他方、からだが覚える潜在記憶(手続き記憶)は驚くほど正確です。意識して思い出したり、言葉で説明したりできない代わりに、からだは楽器の弾き方とか投球フォームとか、染みついた姿勢やクセを驚くほど厳密に記憶しています。

長年会っていない人と数十年ぶりに再会したとき、見た目は大きく変わっているのに、ちょっとした仕草で、ああやっぱり昔のままだと感じることがあるかもしれません。からだに染みついた手続き記憶はそれほど強固です。

そのため、手続き記憶は、より適切な呼び名として、「固定的運動パターン」(FAP)と呼ばれることがあります。

神経生理学者のロトルフォ・リナスは、そのような手続き記憶に「固定的運動パターン」(FAP)という言葉を使っている。

なかには出生前から見られるものもある(たとえば馬の胎児は子宮のなかで疾走することがある)。

幼児の運動発達は、遊び、摸倣、思考錯誤、そしてたえまない練習によってそのような手続きを学習し、磨くことで決まる部分が大きい。

このような発達が始まるのは、子どもが顕在記憶やエピソード記憶を呼び起こせるようになるずっと前だ。(p280)

前述のとおり、手続き記憶をつかさどる右脳は、左脳より前に、まだ生まれる前から発達しています。そのため、赤ちゃんは、出生前から、さまざまなからだのパターンを学習していきます。

そうすると、赤ちゃんは生まれて間もないころは、右脳の手続き記憶、固定的運動パターンに頼って生きているということになります。

そして、その時期に、HSPの子どもは右脳が極めて活発なのです。これは、生まれて間もないころの手続き学習の能力が高いことを示しています。

そうすると、HSPの子どもにはどんな影響が表れるのでしょうか。

「愛着」という手続き記憶の影響を受けやすい

ひといちばい敏感な子によると、エレイン・アーロンは、HSPの子は無意識に情報を潜在記憶に取り込みやすいと述べています。

HSPは非HSPに比べて、無意識に情報や知識を潜在学習しやすいところがありますが、HSCも同じです。

…表情を浮かべたり、その意味を理解したりするのは、霊長類に特有のものです。

霊長類は顔に細かい筋肉があり、脳には微妙な表情を察知する部位があります。

当然、人間の赤ちゃんは幼い頃から、顔を認識し、表情を読み取ることができますし、顔を見ることも好きです。(p226)

これは言い換えれば、さまざまな刺激をからだで覚える手続き記憶の学習効率が高いということです。無意識のうちに、からだの固定的運動パターンを潜在学習しやすいのです。

HSPの子ののみこみの良さはここから来ているのでしょう。右脳が活発であるということは、言葉で教えられずとも、からだの動きや感覚を通して理解し、学ぶ能力が高いということです。

しかし、手続き記憶の学習効率が高い、というのは、とりわけ乳幼児期においては諸刃の剣になります。

ひといちばい敏感な子にはさらにこう書かれていました。

ここで愛着について取り上げるのは、HSCは非HSCよりも、愛着が安定しているかどうかの影響を受けるからです。

子どもの約40パーセント(ということは大人も同じ率)が、安定した愛着を得られていません。

私の調査では、この割合はHSPに多いわけではありませんが、愛着が不安定だった場合は、その影響をより強く受けてしまいます。(p235)

HSPの子にとって、強い意味を持つのは「愛着」です。

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愛着とは、生後2,3年ごろまでの親子のふれあいによって築かれる絆のことです。しかし愛着は心理的な絆ではなく、その実体は手続き記憶です。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際では、こう説明されています。

愛着は「現実のモデルをつくりあげるための、認知と情動に基づいた情報の心理的処理パターンです」(文献97のp.401)と記述されていますが、愛着パターンは、早期の愛着を反映した長期にわたる身体的傾向(ohysical tendencies)の中にもあらわれます。

手続き記憶としてコード化されて、これらの愛着パターンは、親近さを求める行動(proximity-seeking)、社会的関わり行動(微笑む、相手に向かって動く、手を伸ばす、アイ・コンタクト)、防衛的表現(身体を引く、緊張のパターン、過覚醒あるいは低覚醒)としてあらわれます。(p63)

ここで説明されているように、愛着は「手続き記憶としてコード化」されます。

どういうことかというと、すでに見たとおり、生後わずか2,3年ごろまでの時期はまだ左脳が発育途上にあり、言葉をうまく使うことができません。この時期の記憶はすべて、右脳の感覚的な手続き記憶として潜在的に保存されます。

それゆえに、わたしたちは生まれて間もないころにことは思い出せません。その時期の記述的記憶(顕在記憶)はごくわずかしか存在しないからです。代わりに、その時期の養育は、手続き記憶、固定的運動パターンとして、無意識のからだに強固に保存されています。

過去の記事で説明したように「愛着」の影響は極めて強力です。生後わずか数年の幼児のときの愛着パターンは、成人した後でさえほとんど変化せず、一生涯影響を及ぼすとされています。

それほどまでに愛着が強力なのは、それが生まれてから一番最初に学習する固定的運動パターンだからです。「愛着パターンは、早期の愛着を反映した長期にわたる身体的傾向」になるのです。

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愛着は手続き記憶として保存されますが、それは単なる「運動パターン」を超えたものです。

行動傾向は認知、情動、感覚運動の各レベルに基づいて形成されます。

これらの傾向は処理と機能についての手続き記憶に由来しており、習慣的反応と条件づけられた行動においてみられます。

…こうした自動的で個別の過程と、手順が学習されたもともとの出来事自体は、通常は記憶に残っていません。

手続き的に学習された行動は「意識または無意識的な心的表現やイメージ、動機、または考えなしに作用する」(文献147のp.316)のです。

手続き学習は無意識的に作用して、3つのレベルの情報処理すべてにおいて自動的な行動傾向となり、行動の最も重要なまとめ役になります。(p28)

手続き記憶には運動だけでなく、情動、感覚のパターンも含まれます。つまり、ある状況での感情や感じ方といった人格形成の基盤となるパターンにも影響するのです。

愛着は「手順が学習されたもともとの出来事自体は、通常は記憶に残っていません」が、知らずしらずのうちにその人の「習慣的反応と条件づけられた行動」に作用し、性格形成に影響します。

HSPの子は、生まれて間もないころから手続き学習が強いために、エレイン・アーロンが説明していたとおり、「非HSCよりも、愛着が安定しているかどうかの影響を受ける」のでしょう。

もっとも、これはネガティブな意味ではありません。HSPの子どもは愛着が不安定な気難しい子どもになりやすいというわけではありません。愛着が不安定になる率は非HSPの子どもと変わらないからです。

そうではなく、よくも悪くも養育環境から強い影響を受け、より強い愛着のパターンを示しやすいということです。

愛情に満ちた環境で育てば、HSPはより安定した大人に育ち、まれなる才能を開花させます。不幸な環境で育つと、より不安定な大人に育ち、重い問題を抱えがちです。良くも悪くも、養育に敏感に反応して、からだに記憶していくということです。

愛着形成には生後数年間が極めて重要なので、エレイン・アーロンはひといちばい敏感な子でこう助言しているほどです。

まず、特に最初の1,2年は、HSCを2時間以上、養育者から離さないようにしましょう。(p238)

さらに、HSPの子の右脳の手続き学習の強さは、乳幼児期だけではありません。愛着の基礎が築かれるのは生後数年ですが、その後の子ども時代の経験もまた、やはり手続き記憶としてコード化されて、その後の人生の振る舞いのパターンを形作っていきます。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際によれば、手続き記憶は、楽器の演奏やスポーツだけではなく、もっとわかりにくい形で、わたしたちの人生に根深い影響を及ぼします。

動作記憶は靴ひも結びや楽器演奏の習得などの作業では、はっきりしています。

環境および対人関係におけるより繊細な動きの調整はもっとわかりにくいものですが、行動を決定していくためにきわめて重大です。

たとえば、もし子どもがゲームで勝ったことを親に伝えるとします。

そのとき、胸をきって一生懸命な仕草で話しても、親がまったく認めてくれないということがくり返されると、子どもの誇らしい胸はしぼんでしまい、動きは以前よりもぎこちないものになってしまうでしょう。

もし、くり返し批判されれば、この抑制された動きはその子どもの対人相互作用における自動的傾向となり、それが今度は知覚に影響を与えるということになるかもしれません。

Toddは機能が構造に先立つと教えています。すなわち、同じ動きがくり返されることで身体が形作られるのです。

たとえば防衛的動きの準備となる筋肉収縮が何度もくり返されると、これらの収縮が身体パターンとなり体の構造に影響します。(p24)

ここでは、子ども時代の経験が、対人関係の傾向や、知覚、そればかりか、身体の構造にさえ影響を及ぼすとされています。

にわかには信じがたく思えるかもしれませんが、手続き記憶がからだの記憶であり、スポーツ選手が反復練習で身につけるフォームと同じものであり、生理的な反応もコントロールしている、ということを思えば当然のことでしょう。

たとえば、幼少期に、ときたま嫌な思いをしたり、怒られて萎縮したりするのはごく普通のことです。犯罪被害や事故などよほど強烈なトラウマを除けば、一回だけの経験で固定的運動パターンが作られることはありません。

しかし、それほど重大には思えない経験でも、あまりに頻繁に何度も経験するとすれば、それはスポーツ選手の反復練習と同じでからだに記憶されていきます。

繰り返し怖い目に遭って緊張したり、筋肉が固くなったり、何度も恥をかかされて足がすくんだりすると、そうしたからだの反応パターンが固定的運動パターンの手続き記憶として強固になっていきます。

すると、成長してからも、ちょっとしたことで、その手続き記憶が再生され、理由もわからずにからだが緊張したり、恐怖や不安がわいてきたり、人前で足がすくんだりするようになります。そうした経験の繰り返しは、普段の姿勢にも影響し、ひいては体格をも形作ります。

養育環境の影響を受けるのは、どんな子どもでも同じですが、HSPの子どもは潜在的な手続き学習の効率が高く、からだに記憶しやすいために、良きにつけ悪きにつけ、より敏感に反映していくのです。

HSPは無意識のうちに子ども時代を引きずる

HSPの大人の中には、それほど悪い養育環境で育ったとは思っていなくても、強いトラウマを抱えて苦しんでいる人たちがいます。

エレイン・アーロンが述べていたように、安定した愛着を得られずに育つのは「子どもの約40パーセント(ということは大人も同じ率)」でした。この割合は、HSPも非HSPも同じです。

しかしHSPのうち安定した愛着を得られていない40%の人たちは、同じく安定した愛着を得られていない非HSPの40%の人たちよりも、より強い影響を受けているために、ひときわ不安定な人生に苦しんでいます。

HSPの人たちは、良心的で他の人を責めないことが多いため、自分が辛い子ども時代を過ごした、ということを認めたがらない傾向があるようです。養育環境の非を認めるなら、育ててくれた家族や親に申し訳ないと感じる人もいます。

また、周りの人たちの育った環境、たとえば不幸にもひどく虐待された人や、戦時下を生き抜いた人、ニュースで見聞きする悲惨な環境で育っている子どもなどを見て、自分の経験は大したことがなく、こんなことで不平を言うのはわがままだと考える人もいます。

しかし、エレイン・アーロンは、ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)の中で、そうした人たちにこう語りかけています。

「いい加減にしてくれよ! 子供時代なんて誰にとっても大変なものなんだ。

完璧な家族なんていないさ。誰でも過去はあるんだよ。

何年もセラピーにかかるなんて幼稚なことだ。

そいつの兄弟を見てごらんよ。同じ問題を持っているのに、大して気にしていない。その兄弟たちはちゃんと自分の人生を歩いてる」

こういうことを言う人はたくさんいるが、何もわかっていないのだ。

子供時代というのは、実に不平等なものだ。ひどい子供時代を過ごした人もいるし、そうでない人もいる。

同じ家庭の中で育っても、経験はそれぞれに異なる。

家族の中での立場も違うし、幼児期の経験も違うし、親も環境や年齢によって変化するのだから、育てられ方も違う。

しかも、あなたは「敏感すぎる」子供だったということも忘れてはならない。(p253)

エレイン・アーロンが述べているのは、感じ方は子どもによって異なるため、養育環境の是非を比較することなどできない、ということです。

とりわけ、HSPの敏感な子どもは、普通よりも傷つきやすいのです。それはこれまで見てきたとおり、右脳の非言語的コミュニケーション能力が高く、まわりの人の気持ちに過敏に反応していまうせいでもあります。

そうすると、一見幸せで問題ない家庭に育ったとしても、また親が人並みの養育を施してくれたとしても、他の子どもなら気にも留めないような出来事がトラウマになっていることもあります。機能不全家族に育ったとしたらなおさらです。

加えて、愛着の土台が築かれるのは、生後ほんの数年だということも忘れないでください。

たとえきょうだいが数人いて、自分だけが問題を抱えているとしても、生後数年の養育は、きょうだい一人ひとりまったく異なっているはずです。親の状況も年齢によって違いますし、一人目か末っ子かでも全然違います。

そして何より、きょうだいや家族すべてがHSPではありません。だれかがきょうだいの中でもとりわけ感受性が強く、より色濃いHSP特性を生まれ持っていたかもしれません。そうすると、その人は家族のひずみを一人で背負わされてしまったことでしょう。

ここで、生まれつき「きわめて敏感な子供」は、あらゆることに影響を受けやすいということを思い出してほしい。

家族の中で「いちばん敏感な人」が、いちばん「歪み」を受けやすいという。

うまく機能していない家族の中では、いちばん敏感な人が、調整役、標的、殉教者役、患者役、親役などを請け負わされてしまうのだ。

また、弱者に仕立て上げられ、その人を守るのが家族の目的となってしまうこともある。

この場合「この世に自分が存在していいという安心感を感じたい」という敏感な子供のニーズは見過ごされたままになってしまうことが多い。(p253)

国であれ社会であれ家族であれ、全体のひずみが一番色濃く表れるのは最も弱い部分です。老朽化した家屋で最初に倒壊するのは、最も弱くなっている柱です。

HSPの子どもは、環境に敏感に反応するがゆえに、家族のひずみを真っ先に感じ取り、炭鉱のカナリアのように最初に反応することがあります。他の人は気づいていないような些細なことでも、HSPの人にとっては一大事なのです。

それで、エレイン・アーロンは、傷ついた心を抱えているのにトラウマを認めがたく思うHSPの人に対するアドバイスを、こう締めくくっています。

もっと端的に言おう。

たとえ、はたから見れば大した問題のない家庭環境だったり、比較的平穏な子供時代を送ったように見えても、あなたは他の子供より余計に「つらさ」を感じたはずだ。

子供時代の傷を癒やすためにセラピーが必要だと思ったのなら、臆せずにセラピーを受けよう。

どんな子供時代にも語るべきストーリーはあり、それは耳を傾けられるべきものなのだから。(p253)

トラウマを認めるということは、だれかを批判するということでも、犯人を探すということでもありません。それはただ、自分が受けた傷を認め、癒してあげるということです。大切なのは、だれが傷つけたかではなく、傷ついた自分がいる、ということです。

けれども、中にはもっと複雑な事情を抱えている人もいます。確かに傷ついた心を抱えていて、さまざまな悩みを抱えている、けれども、自分は幸せな家庭で育ってきて、トラウマになるような体験が思い当たらない、というケースです。

そうしたケースについて、エレイン・アーロンはこう書いています。

HSPはものごとをより細かく感じ取る傾向にあるということを考えれば、非HSPよりもHSPのほうが子供時代の問題により強い影響を受けるというのが納得できるだろう。

ただ、現在の問題の原因となった子供時代の大きな出来事を、本人が覚えていないことが多い。

ごく小さい時に起こったから覚えていなかったり、あまりにも苦痛だったために、わざと忘れてしまう。

つまり意識がその情報を無意識に葬り去ってしまったのだ。

この無意識が、深く不信に満ちた態度を創り上げ、うつ状態や不安感を引き起こす。(p126)

問題となるのは、心の傷は確かにあるのに、その原因となるできごとの記憶がまったく思い当たらない場合です。

その場合、HSPの人は、自分は恵まれた家庭に育ったのに、自信を持つことができない、精神的に不安定な できそこない、弱い人間だ、と感じて劣等感にさいなまれるかもしれません。

しかし、「現在の問題の原因となった子供時代の大きな出来事を、本人が覚えていないことが多い」と書かれているとおり、そうした現象は珍しいことではありません。

この本によれば、敏感さについて研究した先駆者であるカール・グスタフ・ユングは、敏感な人がもともと怖がりだったり、神経質だったりすることはないと考えていました。

ユングは、親から受け継いだ「敏感さ」こそが神経症を遺伝させる鍵だと考えた。

彼は、敏感な人がトラウマ―性的なものであれ、何であれ―を経験した時、普通の人以上に影響を受けて神経症になると考えた。

注目すべきは、ユングが、「子供時代にトラウマを受けていない敏感な人々は、神経症にはならない」と言っていることだ。

ガンナーが、「敏感な子供でも母親に安心できる愛着を感じているなら、新しい経験を恐れない」と発見したことを思い出してほしい。(p82)

この点はHSPに関するエレイン・アーロンの調査によっても確かめられています。

それで、たとえ原因が思い当たらないとしても、何らかの心の傷や対人関係の不安を抱えている場合は、問題となっているのはHSPとしての敏感さではなく、幼少期の何らかのトラウマ体験であると推測できます。

それは、もしかすると、左脳が発達する以前、乳幼児期の愛着形成の時期に経験したものだったために、顕在記憶に残っておらず、ただからだの手続き記憶としてだけ保存されているのかもしれません。

あるいは、すでに左脳が発達してから小学生やそれ以降の時期に経験したものの、あまりにも辛いできごとだったために、記憶から忘却されてしまったのかもしれません。

ひどく辛いできごとを無意識のうちに葬り去ってしまう現象、それを「解離」といいます。

知らず知らずにうちに経験している解離

解離というと、解離性健忘(記憶喪失)や解離性同一性障害(多重人格)の事例が有名なので、自分とは縁遠いもののように感じる人もいますが、それは大きな誤解です。

たとえば、ひといちばい敏感な子には、HSPの子が時おりこんな反応を示すことが書かれています。

HSCの中には、過剰な刺激を受けると、ひきこもる、気が散る、ぼんやりする、忘れっぽくなる、やる気がなくなるなどの症状を見せる子がいます。(p413)

そうした傾向は、ときに乳幼児期から見られるともされています。

歩けるようになると、部屋から出ていき、そのうち人を避けるようになることもあります。

また、母親からの刺激を避けずに、無理に合わせるようになった乳児もいました。

母親が何をしても、虚空をじっと見て、ただ受け入れるのです。

HSCが常に過剰な刺激にさらされていると、この種の反応を見せることがあります。(p231)

こうした反応、ぼんやりして忘れっぽくなり、意識を飛ばしてやりすごすような反応は、HSPのうちかなりの割合の人が思い当たるでしょう。これらはいずれも軽度の解離です。

解離やトラウマの専門家であるピーター・リヴァイン(ピーター・ラヴィーン)は、心と身体をつなぐトラウマ・セラピーの中で解離についてこう説明しています。

解離を定義する最良の方法は、実際に体験してみることです。

解離の最も穏やかな形は、ある種のゆめごこち状態であり、最も深刻な場合は、いわゆる多重人格症候群として表れることもあります。

…解離ではほとんどいつも時間と知覚のゆがみが起こります。

近くの店から運転して帰ってくるときに、どのように帰宅したかまったく覚えていないのに気づいたらもう家に着いていた―最後に覚えているのは、店から車で出るところだった―という誰にでもあるような体験は、軽度の解離が原因です。

カギをどこかに置いたはずなのに、それがどこだったか思い出せないというのも解離の働きです。(p159)

最も深刻な多重人格には至らなくとも、「ある種のゆめごこち状態」や、「時間と知覚のゆがみ」、「気づいたらもう家に着いていた」といった軽度の解離は多くの人が経験しています。HSPの人はその頻度が非HSPよりひときわ多いはずです。

解離の起こり方は、より複雑な症状の発達の仕方に影響します。

さらに、トラウマ反応として解離を選ぶかどうかは、遺伝的な理由の場合も、人格構造からの影響の場合も両方あることが明らかになっているようです。

上の空になることや忘れっぽさが解離からくる症状であることは明らかです。(p163)

HSPの人は「上の空になることや忘れっぽさ」をよく経験するでしょう。それが「解離からくる症状であることは明らかです」

HSPは、解離が起こるかどうかを左右する「遺伝的な理由」のひとつだと考えられます。というのも、以前の記事で説明したように解離に関係しているのは右脳の各所であり、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合によれば、特に「右の前帯状回こそが解離の病理の座であるという説もある」からです。(p20)

HSPでは右脳の「行動抑制システム」が活発だとされていましたが、解離はまさにその「行動抑制システム」が引き起こすトラウマ反応です。

危機に直面したとき、生物は「闘争・逃走」という活発に闘ったり逃げたりする反応か、「固まり・麻痺」という凍りつく反応かのどちらかに頼ります。前者はPTSD、後者は解離と呼ばれています。

HSPはストレスに直面したとき、感情のままにわめきちらしたり、暴れたりはしません。その代わり、じっと耐え忍んで、意識を解離させて、やり過ごします。「行動抑制システム」が活発だからです。

HSPの人たちは、生まれつきの脳の傾向から、ストレスに面したときに解離を選びがちです。しかし、それはあまりに当たり前で習慣化してしまっているので気に留めてさえいません。

心と身体をつなぐトラウマ・セラピーにはこう書かれています。

幼少期に繰り返しトラウマを受けた人は、この世に存在しやすくするための方法としてしばしば解離を身に着けます。

彼らは常にたやすく解離し、しかもそれに気づいていません。

習慣的に解離しない人でも、覚醒したり、不快なトラウマのイメージや感覚を持ちそうになると解離します。

どちらの場合でも解離は、未解放の過覚醒エネルギーを私たちが完全に体験せずにすむという点で貴重な役割を果たしています。(p160)

解離は、苦痛を感じたときに意識を飛ばしてぼんやりして、空想の世界に逃避してやり過ごす防衛反応です。

HSPの人の多くは、子どものときから解離に頼りすぎていて、それが一種の創造的な才能とさえになっているので、「彼らは常にたやすく解離し、しかもそれに気づいていません」

習慣的な解離は、すでに見た固定的運動パターンのひとつでもあります。

幼少期から、おそらくは乳幼児期から、ストレスを感じたときに意識を飛ばしてぼーっとしてやりすごすことがあまりに日常的になっているので、その反応が手続き記憶としてからだに組み込まれているのです。

世の中の人たちが、つい毎日同じ道を通って通勤するように、また いつも同じ姿勢で腰掛け、貧乏ゆすりをしてしまうように、HSPの人の多くは、日常のひとコマとして当たり前のように解離してやり過ごすことを覚えます。

しかし、解離の作用には、ただ意識を飛ばしてぼんやりする以上に、もっと多くの症状が含まれています。意外に思えるかもしれませんが、否認身体の不調もまた解離の特徴の一部です。

しかし、中にはそれが解離からきているとは分かりにくい症状もあります。それは以下のようなものです。

否認はおそらくより低いエネルギーレベルの解離でしょう。

…身体の不調はしばしば、身体の一部が他の部分から切り離されてしまうという、部分的な、または区分化された解離の結果起こります。

頭とそれ以外の身体との分離は、頭痛を引き起こすことがあります。

PMS(月経前症候群)は骨盤部の臓器と残りの身体部分とが分断された結果起こる場合があり、消化器系の症状(過敏性腸症候群)など、再発性の腰痛、慢性的な痛みなどは、狭窄によって悪化した部分解離が原因となって起こることもあるのです。(p163-164)

解離のおもな作用は意識を飛ばしてやり過ごすことでした。その結果、記憶にないのに家に戻っていたり、カギをどこに置いたのかわからない、といった軽度の解離がありました。

その重いものが記憶喪失で、HSPの人はエレイン・アーロンが述べていたように、過去のトラウマをきれいさっぱり忘れていることがあります。

これは厳密に言えば、顕在記憶が消えて手続き記憶だけが残っている状態です。顕在記憶という言葉で説明できる、意識的に思い出せる記憶からはトラウマが消えてしまっています。

そのため、過去に辛いことがあった、ということを思い出せず、怒りや悲しみにも気づけないため、「否認」が生じます。そのようなわけで「否認」は解離症状の一部です。

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トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に出てくる ある大学生は、ぼーっとする解離症状だけが出ていたために、学習困難になっていました。

その原因がじつは記憶から忘却していた過去の経験にあったとわかったのは、セラピーを受けた後でした。

学習困難になりつつあると気がついてセラピーにやってきた大学生は、勉強しようと座ったら、すぐに「ボーッとして」集中できなくなると訴えました。

セラピーで、このパターンを観察すると、長い間静かに座っているときに彼女が体験している身体感覚は、固まってやり過ごす防衛反応に似ていると気がつきました。

小さい頃、性的ないたずらをされたときの残骸だったのです。(p304)

トラウマの記憶は顕在記憶からは忘却されても、手続き記憶には残存しています。

思い出してください。顕在記憶は書き換わりやすいのが特徴でした。テスト勉強でがんばって覚えても、いつの間にかあやふやになるのは、それが顕在記憶だからです。顕在記憶は編集され喪失されます。

しかし、潜在記憶、また手続き記憶は長い時間が経っても、驚くほど固定的でした。「固定的運動パターン」と呼ばれるほどです。人生最初の固定的運動パターンである愛着は、一生涯影響を与えます。

固定的運動パターンは海馬によらない記憶なので、アルツハイマー病のような記憶喪失が生じても失われません。認知症の人でも歩いたりスポーツをしたり、歌を歌ったりできるのは、それらが手続き記憶だからです。

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そうすると、たとえトラウマ記憶があまりに辛すぎて顕在記憶から忘却されたとしても、潜在記憶、または手続き記憶にはそっくりそのまま強固に残っているということになります。

そして手続き記憶はからだに保存された記憶です。からだはトラウマを受けたときのさまざまな反応を繰り返します。

それは「闘争・逃走」や「固まり・麻痺」のような筋肉の収縮、自律神経の乱れなどを伴います。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているとおり、この解離反応は、専門的には、自律神経系の一部である「背側迷走神経」が働くことで生じる「固まることによる防衛」です。

Porgesの多重迷走神経階層理論では、他のすべての防衛が安全性の確保に失敗したとき、背側迷走神経が活動を始めるとされています。

子どものとき、特に発達途上の傷つきやすい期間に慢性的な虐待を受けた人、そして生き残るために社会的関わり、愛着あるいは動きをともなう防衛をうまく利用することが許されなかった人は、一般的に固まることによる防衛に頼るようになります。

それは、子どもとして依存せざるを得ない状態や発達の脆弱性を考えれば、やむをえないことです。(p135)

それは、心と身体をつなぐトラウマ・セラピーに書かれているように、交感神経系というアクセルと背側迷走神経系というブレーキが、同時に働いている状態です。

ブレーキとアクセルが別の時に作動するよう設計されている自動車とは違い、トラウマ反応ではブレーキとアクセルは同時に働きます。

脅威が去ったことを神経系が認識できるのは、動員したエネルギーが解放されたときのみなので、神経系は解放が起きるまで永久にエネルギーを動員し続けます。

それと同時に、神経系はシステム内のエネルギー量が有機体の処理能力の限界を超えるほど多いということを認識し、非常に強いブレーキをかけるので、有機体全体がその場でシャットダウンします。

有機体はそこで完全に硬直してしまい、神経系の中の膨大なエネルギーは抑圧されてしまうのです。(p165)

自動車に乗っていて、アクセルを思いっきり踏み込んで猛スピードを出している最中に、急ブレーキをかけたときの衝撃を想像してみてください。解離とは、そうした慢性的な強い負荷が体にかかっている状態です。

HSPの人たちは感受性が強いため、交感神経系のアクセルが踏み込まれやすい傾向があります。しかし「行動抑制システム」というブレーキも強いので、それを抑え込むことができます。その強力な拮抗状態が解離です。

それゆえ、慢性的に解離が生じているとしたら、先ほど書かれていたような、深刻な月経前症候群、胃腸障害、慢性的な痛みや疲労が起こるのも意外なことではありません。

そうした身体症状の中には、意識からは忘却されているものの、からだには手続き記憶として強固に記憶されているトラウマが原因となって生じているものもあるのです。

だから君は慢性疲労に閉じ込められた―生きるエネルギーを枯渇させる解離そして不動状態
解離と慢性疲労は深く関係していて、不動系という生物学的メカニズムによって引き起こされているという点を、不登校や小児慢性疲労症候群の研究と比較しながら分析してみました。

ところで、最初のほうの実験で考えた、トラウマを負った人たちは、トラウマ記憶を思い出すときは、主に右脳を使っていたのに対し、中立記憶を思い出すときは左脳を使っていたという片側性を覚えているでしょうか。

右脳を使った感覚的な想起はPTSDに相当するのに対し、左脳を使って客観的に中立記憶を想起するのは解離に相当すると書きました。

解離はぼーっとして意識を飛ばすことで、生々しいトラウマから逃れ、遠くから眺める反応です。激しい感覚や情動をシャットアウトして、アクセルをブレーキで抑え込みます。

そうすると、HSPの子どもは、もともと右脳が優位で感覚が鋭い傾向があっても、成長するとともに、解離が習慣的になり、左脳の働きが強くなる、ということになります。

事実、HSPの子が成長ともに成績優秀になったり、論理的な思考力を発達させたりするのは、左脳で客観的に考える解離能力が強くなることが要因の一つでしょう。どんなHSPの子でも、ある程度は解離を身につけると思われます。

しかし解離は健常な人にも見られる現象なので、解離を客観的な思考力や想像力として活用できているなら、むしろ右脳と左脳のバランスが取れた状態にあるといえます。

しかし、子ども時代にトラウマを負うなどして右脳の興奮が強くなりすぎると、それを抑え込むための解離も強くなりすぎて、現実感を喪失したり、感情を失ったりする逆の極端に至ると考えられます。

そうなってしまうと、中立記憶を思い出しているときは左脳が主に働く解離状態になり、ときどきトラウマ記憶がフラッシュバックすると右脳が支配的になるという片側性の脳になるのでしょう。

こうした事情を考えると、やはりHSPの子が短絡的に右脳系の人間だとみなすのは適切ではないと感じます。

HSPは運動が苦手?

HSPの人たちが、解離反応を起こしやすく、解離とは生物学的な固まり・麻痺反応であるということを理解すれば、HSPの子どもが時おり経験する別の問題の意味がわかります。

HSPの人は子どものころから手続き学習の能率が高く。手続き記憶は運動パターンで楽器の演奏やスポーツのトレーニングに役立ちます。

ということは、HSPの人は、楽器やスポーツ、演劇や歌、芸術など、体の感覚を使った活動が得意なのでしょうか。

わたしはそのとおりだと思っています。エレイン・アーロンは、HSPの人の中には、芸術家や俳優、さらにはスポーツ選手として活躍している人も多いと述べています。

ひといちばい敏感な子にはスポーツが得意なHSPの子の話がたくさん出てきます。

最年長のアンは写真家で、新しい経験が大好きです。バイクを乗り回し、パラグライダーにも挑戦します。(p48)

チャックは9歳。スポーツなら何でもできます。特に登山とスキーが好きですが、自分のちからと限界が分かっています。(p49)

感受性の強さ、手続き学習の能率のよさは体を使って表現する活動に向いています。

しかし、HSPの人の中には、内向的で人前に出るのが苦手で、俗に言う運動オンチで、スポーツを含め、体を使った活動が苦手な人も少なくありません。

たとえば子どもの敏感さに困ったら読む本: 児童精神科医が教えるHSCとの関わり方にはこんな記述で紹介されています。

「普通の人が自動的にできることをすべて手動でやっているような感じなので、ものすごく集中とエネルギーを必要とする。

そのため、少し雑談しただけで何時間も寝込んだり、一日動けないということが起こる」(p122)

これはれっきとしたHSPの人の言葉です。本来はからだを使った手続き学習が得意なはずなのに、動きがぎこちなく、スムーズでないと感じています。これはあながち珍しい話ではありません。

HSPの特性を持ちながら、体を使った活動が苦手な人の場合、運動が苦手な原因はHSPではないでしょう。

ひとつの可能性として生まれつきの発達性協調運動障害(DCD)を考慮する必要があります。これは運動機能の発達障害です。

しかし、より可能性が高いのは、HSPの二次障害として生じている解離による影響です。

前述のように、解離とは、からだの筋肉が固まり、緊張し、収縮し、凍りつく反応です。恐怖に面したときにからだがすくんだり、こわばったりするのは、解離をもたらす背側迷走神経の働きによります。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際には、この「凍りつき」反応について、次のように書かれています。

「凍りつき」反応によって組織化される人格部分は、筋肉の緊張と一種の金縛り状態、例えば不安をともなう脚と腕の筋肉の収縮などを示すことがあります。(p190)

おそらく、HSPであり、からだを使った活動が苦手な人たちは、この感覚がわかることでしょう。例えば人前で歌ったり体を動かしたりしようとしても「一種の金縛り状態、例えば不安をともなう脚と腕の筋肉の収縮」にさらされるかもしれません。

子どもの敏感さに困ったら読む本: 児童精神科医が教えるHSCとの関わり方にもまた、少し表現は違いますが、次のような説明があります。

敏感すぎる人たちには、周囲の雰囲気を感じて身体を固くする胎生期の恐怖麻痺反射が残っている可能性があると前に説明しました。

筋肉の低緊張が生じやすく、姿勢の維持などが難しく、集中力に欠ける場合があります。

身体を使うのにムダな「りきみ」があり、疲れやすくなります。(p102)

恐怖麻痺反射とは、解離のすくみ反応のことです。HSPの人は幼少期からストレスに面したとき、固まってやり過ごす反応に頼りがちなので、それが体のこわばりとしてパターン化し、結果として運動が苦手になることがあります。

この運動の不器用さは発達性協調運動障害と似ているため、かなりの程度混同されているのではないかと思います。わたしも最近まで解離による凍りつきの可能性を理解してしませんでした。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際には、解離性の固まり反応が習慣的になりすぎて、からだの動きがぎこちなくなってしまった人の例が出ています。

メアリーは、姿勢はよいのですが、身体、特に首、腕、肩が固まっています。顎と旨は上がっています。

しかし、首はまったく動いていませんでした。歩くときに腕は硬直したままで、座ったときには胸の前で腕を組む習慣をもっていました。

胴の厚みに比べて、脚はひょろ長く、膝は硬直していました。結果的に彼女の動きはとても重く、未分化で、優雅さとなめらかさを欠いていました。

手足が動くとき、脊柱と胴は固さを残したままでした。

メアリーには緊張し硬直することを通して自分を安定化させる傾向があり、脚によってよく支えられた統合した身体からはほど遠いものでした。

彼女はまるで「生きているふりをしている」(going through the motions of living)ような感覚に困っていると言いました。(p310)

この女性は、おそらく幼少期から固まることによる防衛を繰り返してきたのでしょう。頻繁に繰り返された筋肉の収縮は、からだの構造の発達にも影響しています。手続き記憶は習慣的な姿勢や筋肉のつき方にも反映されるのです。

自分で人生を生き生きと過ごしている現実感がなく、「生きているふりをしている」ようなゾンビ状態は、解離の当事者に特有のものです。

また、別の男性は、常に解離していたわけではありませんが、特定の状況では解離を起こし、からだが固まって凍りついてしまいました。

セラピストはラッセルに、立って、セラピーのオフィスにあるものの中から父親をあらわすものを選ぶようにいいました。

ラッセルが対象物を選んだときに、セラピストは実験してみようといい、最初はその対象を避けるようにして、次にゆっくりと向きを変え対象に向き合い、身体の内で何がおきるか気づくように言いました。

ラッセルの動きは、ぎくしゃくしだしました。背骨はたわみ、身体の上部はねじれて、あらぬ方向を向きました。

向きを変えて、「父」に顔を合わせようとしていたのに、です。彼の動きは無力な、打ち負かされた姿勢の典型でした。(p320)

この男性は、セラピストによって、部屋の中の物を父親に見立ててみるように言われました。これは以前に紹介したPBSP療法とよく似ています。

前に考えたとおり、手続き記憶は右脳の記憶であり、右脳は視覚や空間などの断片的な感覚をつかさどっています。そのため、部屋の中に置いてある実物をだれかに見立てたとき、右脳の空間・視覚記憶は敏感に反応します。

この男性の場合、部屋の中にある物が父親であると想像したとたんに解離反応が起こり、体は固まり凍りつき、滑らかな動きができなくなりました。

そうであれば、おそらく実際の父親と会ったときはもっと強い反応が起こるでしょう。セラピールームの外で、父親を思わせる雰囲気の人に会ったり、そのときの記憶を呼び覚ますような視覚や聴覚のトリガーにさらされたりしたときも、やはり解離するでしょう。

HSPの人で、身体感覚がぎこちなく、からだを使った活動が苦手な人も、これと同様の、からだに染みついた固まり・麻痺の反応が、無意識のうちに自動的に再生されているのでしょう。

その結果、「普通の人が自動的にできることをすべて手動でやっているような感じ」になります。

HSPの人は、運動パターンを学習する手続き記憶が得意ですが、その優れた手続き記憶を使って、体の固まりや麻痺、凍りつきといった反応を学習し、定着させてしまったのです。

右脳の運動パターンが役に立たず、固まりや麻痺でフリーズしまっているなら、言語的な左脳で逐一意識的に考えて「すべて手動で」からだを動かさなければならなくなります。

HSPの人が、からだを使う活動に対する固まり・麻痺反応を学習し、手続き記憶として定着させてしまうのは、おそらく、学校での体験によることが多いと思われます。

エレイン・アーロンは、ひといちばい敏感な子で、HSPの子にとって学校生活が試練となる理由をこう述べています。

学校には指示や罰がたくさんあります。

でも、これはちょっとやそっとではこたえない非HSCに合わせたもので、先生たちの要求に、一つひとつしっかり応えようとするHSC向けではありません。

HSCは、自分やクラス全体が強く叱られたり、罰を受けたりすると、そのメッセージの強さに押しつぶされてしまいます。(p342)

解離性障害の専門家の岡野憲一郎先生は、恥と「自己愛トラウマ」―あいまいな加害者が生む病理の中で学校の体育の授業の特徴をこう書いていました。

このように恥をかかせることを意図した叱責は別としても、学校の授業や行事は、ことごとく競争であり、できないものが明らかにされ、恥を体験するというプロセスであった。

たとえば体育の時間がそうである。跳び箱、マット運動、鉄棒、バスケットのシュート練習。一列になり次々と行い、できるものとできないものが誰の目にも明らかになる。

体育祭の時も校内マラソン大会でも、相撲大会でも水泳大会でも、できないことによりクラスメートや全校生徒の前で恥をかくという設定はいつでもあった。(p142)

これもまた人によって感じ方はさまざまだと思います。しかしHSPの子は、まわりの人の顔色や気持ちに敏感なので、恥をかくことや失敗を、人一倍恐れる傾向があります。

なぜ耐えがたい恥は人を生ける屍にしてしまうのか―「公開羞恥刑」と解離の深いつながり
公衆の面前で恥をかかせるという刑罰「公開羞恥刑」。現代のいじめやSNSの炎上、子ども虐待などが、いかに公開羞恥刑のようにして人を辱め、その結果、被害者の心を殺害し、解離させてしまう

こうした授業の場で、緊張した状態で運動を繰り返すと、それが手続き記憶として反復学習され、いずれからだを動かそうとしてもそのときの固まり反応が同時に再生されてしまうようになるでしょう。

これは、以前に考えたプロスポーツ選手のイップスや音楽家の局所性ジストニア、そして俳優の舞台恐怖メカニズムとよく似ています。

注目される大舞台に立ち、極度の緊張状態のなかで、プレーを繰り返した一流スポーツ選手や俳優の中には、そのときの緊張した体の動きが手続き記憶として保存され、まともにプレーできなくなってしまう人たちがいるのです。

HSPのスピリチュアル体験―胎内記憶、第六感とは何か

HSPにおいて右脳の手続き記憶が強いこと、そして解離しやすいことは、HSPに見られる他の奇妙な現象をも説明してくれます。

たとえば、エレイン・アーロンは、ひといちばい敏感な子でHSPのスピリチュアルな体験についてこう書いています。

多くのHSCが、幼い頃から瞑想的、神秘的な体験をしています。正式な宗教の指導を受けた場合ではなくても、祈ったり、天使を見たり、天の声を聴いたり、現実世界を超える神秘的な体験をした子もいます。

これはあながちおかしなことではありません。

それまで宗教やスピリチュアルな経験、神秘体験とは無縁なのに、青年期に入ってからそのような体験をした子もいます。(p398)

また長沼先生の子どもの敏感さに困ったら読む本: 児童精神科医が教えるHSCとの関わり方にはこうあります。

前世の記憶や胎内記憶、「超」五感、さらには隠れた解離、敏感な子どもたちの中には、大多数が持たない何かを持っている子がいます。(p160)

こうした体験はスピリチュアルなオカルト現象とみなされやすいですが、解離の脳機能によってじゅうぶんに説明できます。解離に関わる脳部位を刺激することで再現することもできます。

わたしはスピリチュアルなものをまったく信じない立場ではなく、むしろ人知を超えたものの存在をはっきり認めています。

著名な科学者たちの中には論理的な帰結として人間には解明できない領域があることを認めている人は大勢います。アイザック・ニュートンやガリレオ・ガリレイ、マイケル・ファラデー、アルバート・アインシュタインといった科学者はみな何らかの神を信じていました。

しかし同時に、わたしは科学的に説明しうるものを安易にオカルトで説明するのは、思考の放棄にすぎないと思ってもいます。科学的に調査することによって初めて、より人知の及ばない事実が明らかになるものだからです。

体外離脱、臨死体験、幻視や幻聴、金縛りなどの脳科学的な説明については、以前の記事で何度か取り上げました。

なぜ人は死の間際に「走馬灯」を見るのか―解離として考える臨死体験のメカニズム
死の間際に人生の様々なシーンが再生される「走馬灯」現象や「体外離脱」のような臨死体験が生じる原因を、脳の働きのひとつである「解離」の観点から考察してみました。
鏡が怖い,映っているのが自分とは思えない―解離性障害は「脳の地図」の喪失だった
わたしたちの脳は「バーチャルボディー」と呼ばれる内なる地図を作り出しているという脳科学の発見から、解離性障害、幻肢痛、拒食症、慢性疼痛、体外離脱などの奇妙な症状を「身体イメージ障害
解離しやすい人の変な夢ー夢の中で夢を見る,リアルな夢,金縛り,体外離脱,悪夢の治療法など
「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」など、さまざまな本を参考に、解離しやすい人が見る変な夢についてまとめました。夢の中で夢を見る、夢の中に自分がいる、リアルな夢

今回は、記事のテーマであるからだの記憶、手続き記憶と関連している胎内記憶、デジャヴュ、前世の記憶といった解離現象について手短かに考えたいと思います。

まず胎内記憶と呼ばれるものについては、ここまで説明した内容でほぼ十分かもしれません。

生まれつき右脳が活発で、右脳の感覚的な記憶が強い子どもは、生まれる前の胎内にいたときのことを感覚記憶として覚えていても何ら不思議ではありません。

サックスが述べていたように手続き記憶には「出生前から見られるものもある(たとえば馬の胎児は子宮のなかで疾走することがある)」からです。

胎内記憶を想起する人のほとんどが、具体的なエピソードではなく、色や感触や雰囲気といった感覚を想起します。つまり、子宮内にいるときから発達していた右脳のよる記憶であることを裏付けています。

この点についてはエレイン・アーロンもひといちばい敏感な子の中で、右脳の潜在的な記憶についての文脈で こう書いています。

潜在記憶については、生まれたばかりの赤ちゃんは、親の顔や声、言語を認識し、好むことが分かっています。

普通、父親の声をすぐには認識しないことを考え得ると、生まれる前の子宮にいた頃から、すでに学習が始まっているのでしょう。(p226)

生まれる前の赤ちゃんは、親の言葉の内容を理解しているわけではありません。しかし、すでに右脳の記憶は機能している場合があり、母親の声の調子やリズムは覚えているかもしれません。

次に考えるのは直感や虫の知らせ、いわゆる第六感というものです。これについてはトラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に説明があります。

ある種の感覚的な感受性は、《第六感》として1800年代の初期にCharles Bellが最初に描写して、のちにWilliams Jamesによって1889年に発表されました。

今日では、第六感は「内受容器」(interoceotors)によるものであると理解されています。

身体内部からくる刺激を受けとめ伝達する感覚神経受容体によるものだということです。

…内臓感覚は「内受容(enteroception)」とよばれ、私たちの内部臓器でおこる動き、すなわち心臓のドキドキ、腹部のそわそわ感、吐き気、空腹感、または虫のしらせ、直感などを伝達します。(p19)

第六感とは、この説明によると「内受容」「内臓感覚」と呼ばれるものです。HSPの人たちは、こうした内臓感覚が鋭く、内臓のかすかな不調も感じ取ります。

そもそも近年の理解では、わたしたちの感情は内臓感覚からう乗れることがわかってきています。以前の記事で考えたように、内臓なさまざまな反応は感情に先立って反射的に生じます。

直感や虫のしらせなどが働くとき、それらは具体的には、体のかすかな反応としてキャッチされます。

直感や虫のしらせは時おり的中しますが、それはからだにら保存されている手続き記憶が非常に正確なことに基づいています。

からだは過去に同じような状況があったときの反応を忠実に記憶しています。そして似たような状況に直面すると、本人も気づかないうちにそれを敏感に察知して、意識が気づく前に、潜在的なからだの手続き記憶として再生します。

すると、からだの直感に従って行動すると、以前の似た状況と同じ対処をすることができ、結果的にうまくいく、ということになります。これはおそらく、危機をいち早く察知して反応する必要がある野生生物にも備わっているものでしょう。

では、あたかもスピリチュアルな啓示によるかと思えるほど、直感が極めて的中率が高いと思える場合はどうでしょうか。

それはおそらく、具体的な統計を取ってみれば、過度に印象に左右されていたことが明らかになるかもしれません。

ノーベル経済学賞のダニエル・カーネマンの名著ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)で説明されているように、人の記憶の想起にはバイアスがかかっていて、成功例はひときわ強く印象に残ります。

具体例として、バスケットボール選手が続けざまにシュートを決める「ホットハンド」という現象が挙げられています。昨今の流行語で言えば「神ってる」状態でしょうか。

同じ選手が三回も四回も続けてシュートを決めると、この選手はいまホットだから入るのだ、とだれもが考えますが、数千件の統計をとったところ、「ホットハンド」は錯覚で、完全にランダムであることが明らかになりました。

ホットハンドの存在は、ランダム性の中にすぐさま秩序や規則性を見つけ出してしまう目の迷いにほかならない。つまりホットハンドは、広く信じられている認知現象だと言える。

…ホットハンドの誤謬は、バスケットボールに限らず、私たちの生活にさまざまな影響を与えている。

たとえば何年儲けが続いたら、投資アドバイザーを凄腕だと認めていいだろうか。何件買収を成功させたら、取締役会はCEOがこの方面で有能だと評価していいだろうか。

もしあなたが直感に従って答えるなら、ランダムな事象を系統的なものと誤解して、必ず誤りを犯すだろう。

私たちは人生で遭遇する大半のことはランダムであるという事実を、どうしても認めたくないのである。(p173)

直感や虫のしらせが立て続けに当たると感じる場合も、ランダム性の中にパターンを見いだしています。

HSPの人は解釈システムが強いため、ランダムな事象に、隠された意味を見いだすことがよくあります。それが創り出された幻想であってもです。

以前の記事で取り上げたように、感受性の強い子は幼少期から、ランダムな図形の動きに、生命を持って動いているかのような人格性を見いだすことが知られています。

ランダム性というのは非常に奥深いものです。たとえば円周率πの数列は完全にランダムでパターンがないので、永遠に違う数字が続きます。とすると、あなたの電話番号はもちろん、どんな暗号の数列でも必ずどこかに含まれているということになります。

以前に話題になった「聖書の暗号」などもこれと同じで、どんな書物でも解析すれば暗号のようなものを見つけ出せることがわかっています。この記事の文章もまたそうです。

本当はランダムに起こっているのに、ランダム性の複雑さを知らないために、背後にスピリチュアルな導きがあるように錯覚して架空の意味を見いだしてしまうのは、決して珍しいことではありません。

デジャヴュ、前世の記憶をめぐる記憶のパラドックス

最後に、デジャヴュ、そして前世の記憶と呼ばれるものについて考えます。

これは二つとも似たような現象で、今起こったことが過去にもあったかのように感じたり、自分が体験したはずのないずっと昔の記憶が残っていたりするものです。解離傾向の強い人はこうした現象を体験しやすいようです。

これらは、輪廻転生、つまり生まれ変わりなどの裏付けだと捉える人たちがいます。もちろん何を信じ、何を信じないかは人それぞれですが、記憶の研究からすれば、そうした解釈をする必要はありません。

先に考えたように、人には二通りの記憶システムがあります。

一つ目は言葉で説明でき、物語として語ることもできる顕在記憶(陳述記憶)です。こちらは、オリヴァー・サックスが述べていたとおり、思い出すたびに変化する適応的なものです。変化するからこそ、人間には創造性があり、新しい物語を作り出すことができます。

その代わり、顕在記憶は、いつ書き換わったのか自分でも気づくことができず、いつの間にか記憶の思い違いをしていることが頻繁にあります。これは虚偽記憶とか虚再認と呼ばれ、わたしたちが気づく以上に頻繁に書き換わっています。

二つ目は言葉で説明できず、断片的な感覚としてからだに保存される手続き記憶です。こちらは意識して思い出すことはできませんが、ふとした刺激(トリガー)によって呼び覚まされ、フラッシュバックのように感覚的に再現されたり、からだの運動パターンとして表現されたりします。

こちらの記憶は、ほとんど不変で、容易に書き換わりません。固定的なパターンであり、子どものときにからだで感じたことが、そのまま加工されずに正確に保存され続けています。

この二つの記憶は独立したシステムですが、互いに影響を及ぼすことがあります。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法でこう説明します。

ウィリアムズの研究結果は、最近の神経科学研究によって支持されている。想起された記憶は、改変されて貯蔵庫に戻される傾向にあることが、新たな研究でわかっているのだ。

記憶にアクセスできない限り、心はその記憶を変えることができない。

だが記憶は、語られ始めると(とくに、繰り返し語られると)変化する。話を語る行為自体が、その話を変えてしまうのだ。

心は自らが知っていることを意味づけせずにはいられない。

そして、私たちが自分の人生に与える意味は、何をどのように思い出すかを変えてしまう。(p316)

手続き記憶は、無意識の右脳の潜在記憶として保存されているうちは不変で書き換わりません。コンピュータに例えると、読み取り専用状態にあります、アクセスされないということは編集もできないということです。

しかし、ひとたびフラッシュバックなどで表に表れ、意識的に認識されると、左脳の解釈システムによって書き換えることが可能になります。

すでに見たとおり、芸術の創造性とは、右脳と左脳の共同作業でした。言い換えれば、右脳に保存されている未加工の潜在記憶のかけらを、左脳の解釈システムでつなぎあわせて作品にするのが創作なのです。

右脳の手続き記憶は感覚的な断片からなっていて、言葉で説明できるひとつの物語にはなっていません。しかし左脳の解釈システムでアクセスできるようになると、それらの断片をつないでストーリーにすることが可能になります。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にこう書かれているとおりです。

ほとんどの感覚は、非常にはっきりしたものでない限り、意識にはのぼりません。

意識にのぼるものは、情動と認知に影響を受けています。

Cioffi(文献82:文献14に引用)は、特定の身体感覚の体験は、意味と解釈による強い影響(たとえそれが実際の生理的感覚にとっては歪曲されていても)を受けて決定されるのだと論じています。(p20)

無意識の潜在的な感覚記憶は、ひとたび意識に上って解釈システムの管理下に置かれてしまうと、「たとえそれが実際の生理的感覚にとっては歪曲されていても」「意味と解釈による強い影響」を受けます。

これは必ずしも悪いことではなく、トラウマ記憶の治療のひとつは、右脳の断片的な感覚記憶を物語としてつなぎあわせ、整理することです。

そうすることで、トラウマ記憶は未処理のフラッシュバックする右脳の記憶ではなく、統合された自伝的記憶になります。たとえ事実そのものではなくても、自分の助けとなる意味づけをして、新しいストーリーへと作り変えるのです。

こうした形で右脳の記憶がつなぎ合わされるのは有益ですが、それと同じことがデジャヴュや前世の記憶でも起こっています。

デジャヴュや前世の記憶と呼ばれるものは、最初に意識に上ったときは、断片的な感覚や映像からなっているでしょう。それらは右脳に保存された感覚記憶です。感覚記憶はほぼ不変なので、それらは間違いなくどこかで経験した事実です。

特に右脳はパターン認識に優れているので、潜在意識の断片のなかから、似たような過去の事象を正確に探し出し、デジャヴュを生じさせることは十分に考えられます。

しかし、デジャヴュや前世の記憶を語る人たちは、ただ感覚記憶を思い出すだけでなく、断片的な記憶をつなぎ合わせ、ひとつの物語として構成します。

しかし「記憶は、語られ始めると(とくに、繰り返し語られると)変化する。話を語る行為自体が、その話を変えてしまう」のです。

バラバラになっていた様々なピースをひとつの絵につなぎ合わせると、それはもっともらしい物語になります。しかしそれとまったく同じことをしているのが作家の創作です。

創作には無限の可能性があるように、断片的な記憶を解釈してつなぎあわせる方法も無限にあります。左脳の解釈システムはとても優れた創造性を持っています。

そして、左脳の解釈システムは、作り出した物語が事実そのものであるとわたしたち自身に納得させることもできます。

ヴァン・デア・コークは「私たちが自分の人生に与える意味は、何をどのように思い出すかを変えてしまう」と述べました。右脳の手続き記憶は確かで正確な事実です。しかし左脳の解釈システムがそれに「与える意味」は無限にあります。

同じトラウマ経験をしても、人によって見いだす意味はさまざまです。強制収容所体験をしても、それによって人生が破壊されたという人もいれば、辛かったけれども生き抜いた自分を誇りに思う、と言う人もいます。それほど解釈は適応的です。

それで、デジャヴュや前世の記憶において、ふと見えるイメージや、唐突に感じる感覚は事実に基いていますが、それを解釈した結果は、どれほど確信していたとしても正確ではありません。

じつはこれと同様の問題は、もっと混沌としたいざこざの中で生じています。それは、虐待の記憶をめぐる裁判であり、「虚偽記憶症候群」という言葉のさきがけになりました。

以前書いたように虚偽記憶がセンセーショナルな問題となったのは、養育者に虐待されたとして告発した人の裁判において、実際に調査してみると、事実と食い違っていて、時系列的に説明が合わない、というような事態が頻発したせいです。

それを受けて、虐待の記憶はすべて虚偽記憶ででっち上げだという論争が起こりましたが、ヴァン・デア・コークらトラウマの専門家たちは、それは二つの記憶システムの違いを理解していないことからきていると説明しています。

つまり、虐待された人の場合、トラウマ記憶は本物です。しかしトラウマ記憶は断片的な感覚の寄せ集めであり、物語にはなっていません。

その断片的な記憶を解釈してつなぎあわせてしまうと、一見もっともらしくなるため本人はそれが正しいと信じてしまいますが、事実確認をすると食い違っていることが多いというわけです。

身体に刻まれた「発達性トラウマ」―幾多の診断名に覆い隠された真実を暴く
世界的なトラウマ研究の第一人者ベッセル・ヴァン・デア・コークによる「身体はトラウマを記録する」から、著者の人柄にも思いを馳せつつ、いかにして「発達性トラウマ」が発見されたのかという

虚偽記憶に関する別の例は、なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学でまる一章を割いて具体的に説明されています。

それによれば、ドイツの強制収容所にいた極めて残忍な「イワン雷帝」というあだ名の男について、30年後になってから、デムヤンユクという男がイワン雷帝ではないかという嫌疑がかけられました。

強制収容所の生き残りたちは、デムヤンユクの裁判において、目に焼き付いたトラウマ記憶について証言し、デムヤンユクはイワン雷帝その人であると判決がくだされ、絞首刑を宣告されました。

しかし上訴審で劇的な事実が明らかになり、デムヤンユクは当時まったく別のところにいたことが証明されたのです。(p145-175)

それで、ヴァン・デア・コークの友人であるピーター・リヴァインが 心と身体をつなぐトラウマ・セラピーで述べている、2つの記憶システムをめぐる、とても重要なパラドックスを銘記しておくのは大切です。

ほとんどの記憶は、実際に起きたことの連続的で理路整然とした記憶ではないということを忘れないでください。

記憶は、自分の体験の要素をきちんと生理された全体へと組み立てるプロセスなのです。

私たちはまた、トラウマ的な体験を、感情や感覚の強烈さを和らげるためにばらばらに切り離してしまうことがよくあります。

その結果、完全に正確なのはトラウマの断片的な記憶のみということもあります。

一般的に、トラウマ体験の完全な「記憶」はさまざまな体験からの要素の寄せ集めである可能性のほうがずっと高いのです。(p241)

二つの記憶をめぐるパラドックスとは、断片的な記憶は完全に正確であるのに対し、物語に整理されている記憶は不正確だということです。

わたしたちの多くは、よく整理された意味深いエピソードこそ、正確なものだと錯覚しがちです。しかしよくできた話は、よくできた小説と同じく、脳の解釈システムの創作なのです。

たとえそれがだれかの自伝であっても、さらには自分の過去の記憶であっても、物語は必ず、間違いなく解釈システムによって編集されています。今日のできごとを日記に書くならともかく、昔の記憶であればあるほど、本人も気づかないうちに編集されています。

このことを確かめたかったら、数年前のことを思い出してから日記を見たり、数年前の有名なニュースを回想してからネットで検索してみればよいでしょう。おそらく記憶はかなり食い違っているはずです。

当然ながら、このブログの内容もまたそうです。断片的な情報を集めて構成した解釈システムによる産物にすぎません。

どんなに有名な科学的理論も、医学的な説明も、今手に入る手持ちのカードから推測しただけの、解釈システムによる創作物にすぎません。多少なりとも信頼のおける実験に支えられているだけです。

将来、手持ちのカードが更新されれば、定説はどんどん書き換わっていくべきものです。ある程度正しいとしてもすべての点で正確な説明などこの世にありません。

他方、わたしたちはたどたどしい断片的な記憶、「さまざまな体験からの要素の寄せ集め」は、不正確で作り話だと思いがちです。

しかし、そここそが逆に右脳の正確な記憶なのです。それは言葉にならない からだの記憶であり、まだ解釈システムが編集していない状態にあるからです。

それで、トラウマ記憶に関して、ピーター・リヴァインはこう忠告しています。

トラウマにともなう感情は非常に激しいため、いわゆる「記憶」が人生そのものよりもリアルに思えることがあります。

さらに、そこにもしグループのメンバーやセラピスト、本や他のマスメディアからの圧力があれば、感情的苦痛を体験している人はその苦痛の原因を探し、この種の記憶のでっち上げを起こしやすくなります。

いわゆる虚偽の記憶は、このようにして作られます。(p241)

思い出して語るたびにトラウマ記憶が編集され、特にまわりの人たちの影響を受けて虚偽記憶になってしまうとすれば、前世の記憶も同様のものだといえます。

だれかがふっとフラッシュバックのようにして思い出した記憶は、身に覚えがないとしても事実でしょう。しかしメディアで取り上げられたり、何度も語られたり、はては本に書かれたりしているエピソードは、解釈システムによって無意識のうちに編集されています。

ピーター・リヴァインは、トラウマ記憶のこのような性質をかんがみて、次の示唆的な言葉を記しています。

もしあなたが、事件が「本当に」起きたかどうかを知りたいのであれば、私には、あなたの幸運を祈り、すでにあなたが知っていることをお伝えすることしかできません。

つまり、あなたは不可能な課題に取り組んでいるのかもしれないのです。

私の考えでは、この本も、他の何事も、あなたが探す真実を知る助けにはならないでしょう。

しかし一方で、癒されることがあなたの第一の目的ならば、あなたの助けになるものは、ここにたくさんあるでしょう。(p244)

トラウマ記憶をはじめ、手続き記憶は、物語として保存されないがゆえに、本当に過去に何があったか、具体的なエピソードを知ることは、どうやっても「不可能な課題」です。

デジャヴュや前世の記憶が、本当はいったい何だったのか、過去に何があったのか、というエピソードに作り直すこともまた「不可能な課題」であり、もし、もっともらしいエピソードとして語られるとすれば、それはもはや正確ではないことを意味しています。

解離を経験しているHSPの人たちの場合も、過去の断片的な記憶がフラッシュバックすることがあるかもしれません。

それそのものは事実であり、過去に何かがあったのは確かです。しかしそれが何かを探り出そうとしても、徒労に終わるか、虚偽記憶に陥ってしまう危険は避けられません。

しかし記憶の正確さを知るのではなく、傷ついた心を癒そうとすることはできます。過去に何があったか、ではなく、未来をどう創っていけるか、という視点こそがトラウマを受けたHSPの人にとって重要なことではないでしょうか。

手続き記憶を修正する

この記事では、HSPにおいて、右脳の電気活動が生まれつき活発である、という事実から始まり、右脳の優位性が意味するところについて考えてきました。

この記事で扱った点をまとめると、以下のように整理されるでしょう。

■HSPは生まれつき右脳の電気的活動が活発。

■右脳は視覚・空間・触覚・表情・仕草などの断片的な感覚を処理していて、非言語的コミュニケーションをつかどっている。

■左脳は言語機能のほか解釈や意味づけ、分析などをつかどっている。コミュニケーションにおいては、左脳と右脳両方が正常に機能して共同作業をすることが必要。

■HSPは生まれてすぐは右脳優位だが、成長とともに左脳の言語機能や思考力もじゅうぶんに発達する。創造性には右脳と左脳両方が関与しているので、創造的なHSPの人は右脳人間でも左脳人間でもない。

■トラウマを負った人は脳の両半球の統合が破綻する。PTSDのフラッシュバックでは右脳が働き、解離の中立的な回想では左脳が働くという片側性が生じる。

■左脳は言語機能を通して、物事を物語のように回想する記述的記憶をつかさどる。右脳は言語を介さないからだの手続き記憶に関係している。

■右脳が活発なHSPの子は人生最初の手続き記憶である愛着の影響を強く受けると思われる。またその後の人生でも手続き学習しやすい。

■HSPの子はトラウマに直面すると「行動抑制システム」による解離の固まり・麻痺といった反応を示しやすい。知らずしらずのうちにさまざまな解離症状を経験する。からだの動きがぎこちなくなる子もいる。

■HSPの人が経験するさまざまなスピリチュアルな現象は、解離や二重の記憶システムという概念によって説明できる。フラッシュバックする感覚記憶は未加工で正確だが、何度も語るうちに解釈システムにより編集され正確ではなくなる。

このように右脳の手続き記憶や解離という概念は、HSPの人が経験するさまざまな物事の大半を説明するのに役立ちます。

言い換えれば、HSPの人の才能の大半は手続き記憶と解離の強さによるものであり、HSPの人が抱える問題の大半もまたそうです。

手続き記憶が強いおかげで、安定した愛着を築き、一を聞いて十を知るのみこみのよさを示し、新しいことをすくすくと学んで、ときには学問や芸術、スポーツなどの分野で並外れた才能を開花させます。

解離が強いことは豊かな内的世界を構築し、深く考え、他の人の気持ちを推察し、論理的・客観的な思考力を発達させるのに欠かせません。

しかし手続き記憶が強いということはトラウマを経験したときにそれをからだが覚えてしまいやすいということでもあり、解離が強くなりすぎて慢性的になると感情が失われ、現実感を喪失し、ひどい場合は人格が多重化していきます。

もしも持ち前の手続き記憶の強さと解離傾向が悪い方向に出てしまったら、どうすればいいでしょうか。

今回紹介したトラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際では、こうした からだの記憶に対しては認知行動療法などの従来の心理療法はあまり役に立たないとされています。、

認知行動療法(CBT)と精神力動療法のどちらも身体感覚とその意味や、あらかじめプログラムされた身体的な行動パターンについてあまり注意を向けていません。

…トラウマを受けた人は最初のトラウマを受けたときの感情や行動をプログラムのようにくり返してしまいます。(pxxv)

HSPを提唱したエレイン・アーロンも、ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)の中で、認知行動療法はHSPに向いていないとはっきり言っています。

認知行動的アプローチはとても理性的なアプローチだが、「敏感な人というのはただ愚かしく不合理なことを言っているだけだ」と秘かに思っている非HSPが開発した方法である。

こういうHSPへの偏見を持つセラピストにかかると、HSPの自尊心が低められ、神経の高ぶりすぎが起こる場合がある。

…この目標とは実際は「非HSPのようになる」という目標であり、気質の違いを無視したものだ。(p264)

エレイン・アーロンはその代わりに、身体的アプローチ、スピリチュアル的アプローチ、ユング派のセラピーなどを勧めています。

余談ながら、敏感な人について研究したカール・ユングは、解離という概念を提唱したピエール・ジャネの理論を継承していて、HSPと解離は学問の歴史的には親子のような近しい関係にあります。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際では、解離性の反応が強い人に対しては、身体的アプローチとして感覚運動的な技法を勧めています。

感覚運動的な技法は、トラウマ記憶の想起時に主として解離性反応をおこすクライエントに効果的です。

低覚醒をともなう解離性反応を扱う場合、セラピーの目標は身体感覚への気づきを増やすことにより、低覚醒状態を耐性領域におさめることになります。

…そしてこれにより、解離、もしくは低覚醒に向かおうとする自動的な傾向を改善し、統合能力を増やすことができます。(p215)

この本はもともと、センサリーモーター・サイコセラピーという感覚運動療法についての教科書であり、ソマティック・エクスペリエンスやハコミセラピーとともに、優れた解離の治療論を展開しています。

結局のところ、からだの記憶に対して有効なのは、からだを用いたアプローチということに尽きます。

GrigsbyとStevensは、機能不全のパターンを変更するうえで、潜在的に手続き的に学んだことを無効にする方が、もともとの原因を語るよりもいっそう効果的であると示唆しました。

「昔の出来事について話したり(すなわちエピソード記憶)、患者と考えや情報を議論したり(意味記憶システム)することは、くり返される機能不全行動を無効にするための間接的な手段にすぎません」(文献147のp.306)

変化を起こすためには手続き的に学んだこと(特に身体傾向)を「無効にする」必要があります。洞察を得るだけでは不十分です。(p335)

言葉を用いた治療も役には立ちますが、それはからだの記憶を一度ことばに変換して、セラピストに伝え、セラピストのことばを再度変換して…という経路で作用しているので、通訳者を介した外国語コミュニケーションのようになってしまい遠回りです。

手続き記憶や解離の機能について学ぶことは、HSPの特性を理解し、不具合が生じたときに適切に対処する助けにもなるのです。

こうしたからだの記憶を扱うセラピーの基本的な考え方については以前の記事を参考にしてください。

「からだの記憶」の治療法―解離と慢性疲労のための身体志向のトラウマセラピー
解離やPTSDは「からだの記憶」によって引き起こされる「からだ」を土台として生物学的な現象である、という理解にもとづき、身体志向のトラウマ・セラピーについて考察しました。

今回おもに参考にしたトラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際は、理論的な側面が多くボリュームも多いですが、愛着や解離についてある程度知っている人なら、とても参考になる読みやすい本だと思います。

専門的な本が苦手なHSPの人は、まずはエレイン・アーロンの ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (SB文庫)ひといちばい敏感な子を読むのがおすすめです。

提唱者であり、第一人者であり、当事者でもあるエレイン・アーロンの本は、他のどんな本よりも、HSPの人にとって参考になる情報が散りばめられているはずです。


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