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愛着やトラウマをめぐる主役は腸内細菌かもしれないという意外すぎる話

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おそらくこの分野で最も驚くべき発見は、ひとりひとりの脳の構造が、その人の腸で最も優勢な微生物の種類と関係しているというものだろう。

これはメイヤーのグループが明らかにしており、頭部のMRIスキャンから、「その人の体内でどんな微生物の庭が育っているかを実際に予測できる」と彼は言う。(p148)

のブログでは、以前から、人体の微生物群(マイクロバイオータ)、もっと馴染み深い表現に言い換えれば腸内細菌が引き起こす諸問題を扱ってきました。

自己免疫疾患、自閉症、慢性疲労症候群など、現代社会に典型的な多くの疾患や脳の炎症が、腸内細菌の異常と密接に関係していることが近年明らかになっています。

腸内細菌は、しばしば食事やサプリによって簡単に変動するかのように誤解されていますが、実際にはあたかも指紋のように一人ひとり特有の多様性を有していて、そう簡単に変化しないようです。

慢性疲労症候群では腸内細菌の多様性が低下(コーネル大学の研究)―自己免疫性の脳の慢性炎症の原因?
コーネル大学の研究によって、慢性疲労症候群の患者の腸内細菌に異常があることがわかり、慢性的な炎症の原因となっている可能性が示唆されています。

このブログではまた、愛着やトラウマが引き起こす諸問題についても扱ってきました。こちらも、幼少期からの脳の発達に影響し、ときに生涯にわたる病気の土台となることがわかっています。

精神科医の書いた本が多かったせいで、当初は愛着やトラウマは心の問題かと思っていましたが、調べるうちにこれらはほとんど生物学的な現象だとわかってきました。

HSPの人が知っておきたい右脳の役割―無意識に影響している愛着,解離,失われた記憶
HSPの子は右脳が活発、という知見にもとづき、右脳と左脳の役割や二つの記憶システム、愛着、解離など、HSPの人が知っておくと役立つ話題をまとめました。

これまで幼少期のトラウマと、腸内細菌の異常が関与している現代病はかなり多いだろうと思っていましたが、あくまでこの二つは別個のものだと考えていました。

ところが、心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までなどの腸内細菌に詳しい本を読んでいるうちに、どうやら別個のものどころか、愛着やトラウマは腸内細菌を土台として生じているのではないか、という極めて奇妙な考えに至りました。

自分で書いていて、突拍子もないことを言っている自覚はありますが、そう考えると納得のいく部分が多数あるのも事実なので、この記事で順を追って調べていきたいと思います。興味のある方は半信半疑くらいの気持ちでお付き合いください。

これはどんな本?

今回おもに参考にしたのは、サイエンスライター、キャスリン・マコーリフによる心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までです。

この本は、近年にわかに注目されるようになってきた神経寄生生物学という新たな学問の研究をわかりやすく紹介しています。

この新興分野は「神経寄生生物学(neuroparasitology)」と名づけられた。だが名前に惑わされてはいけない。

この取り組みの中心となっているのは今のところ神経科学者と寄生生物学者ではあるものの、心理学、免疫学、人類学、宗教研究、政治学といった多彩な分野からの研究参入が増えてきている。(p11)

この説明が物語るように、当初この学問は、自然界の寄生生物が動物や昆虫を操作する特異な例を研究するものでした。

ところが調査するうちに想像よりはるかに多彩な仕方で微生物たちが動物や昆虫の神経系に影響を与えていて、わたしたち人間もまた、さまざまな微生物の思惑に翻弄されているのではないか、ということがわかってきました。

その結果、心理学や人類学、果ては宗教研究家や政治学者まで巻き込むようになり、人類の歴史や文化そのものが、知らず知らずのうちに微生物たちとの駆け引きによって作られてきたのではないか、という説さえ登場しています。

この本は極端な言説に偏らないよう慎重さを意識して書かれていますが、それでも「寄生生物中心の世界観を披露」している独特な本です。(p286)

そして、その独特の世界観に照らして考えるとき、このブログで扱ってきた愛着やトラウマ、解離といった精神医学の現象が、まったく異質な様相を帯びてきたのでした。

「自分の90パーセントは、実は自分ではない」

まず、腸内細菌について考えるにあたり、人体を取り巻く微生物についての認識を新たにしておく必要があります。

現代人の多くは、腸内細菌というと、健康食品やヨーグルトと結びつけるだけで、単におなかの調子の問題だとしか考えていません。メディアを通して、胃腸疾患や太ったり痩せたりする体質と関係すると知っているかもしれませんが、それ以上のものとは思っていません。

腸内細菌の影響をこれほど限定的に考えてしまうのは、あくまで人間が主体で、腸内にいる細菌たちは間借りしている居候にすぎないと考えているからでしょう。

人間が、いわば腸内細菌を住まわせてやって、対価として恩恵をいくらか受けている、という、あくまで人間側が主導権を握っている世界観の枠組みで考えています。

高度な思考を持ち、細菌よりはるかに大きな身体を持っている人間と、その腹の中にいる細かい微生物たちとでは、比較にもならない圧倒的な主従関係があるとみなすのはいたって普通です。

ところが、近年の微生物学の専門家たちはまったく別の見方をしています。心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までにはこう書かれています。

私たちひとりひとりに住みついているウイルス、細菌、菌類、原生生物、その他すべての生物を合計した数…は100兆個を超え、人体のすべての細胞を合わせた数はそれより一桁少ない。

微生物起源の遺伝物質の総量は、人間自身がもつ遺伝物質の150倍にもなる。

簡単に言えば、自分の90パーセントは、実は自分ではない。(p134)

「自分の90パーセントは、実は自分ではない」とは衝撃的な言葉です。

同様のことをニューヨーク大学 微生物学教授、米国感染症学会の元会長のマーティン・J・ブレイザーは、失われてゆく、我々の内なる細菌の中でこう書いています。

ヒトの体は30兆個の細胞よりなる。一方、ヒトは、ヒトとともに進化してきた100兆個もの細菌や真菌の住処でもある。

…私たちの身体を構成する細胞の70から90パーセントは、ヒト以外の細胞ということになる。

…すべての細菌を合わせると、一人あたり約3ポンド、つまり脳に匹敵する重量の細菌がヒトに常在し、その種は1万に及ぶ。(p28-29)

わたしたち人間の細胞の70から90パーセントはなんと自分の細胞ではなく住みついている微生物たちであり、しかもそれらの総重量は脳の重量にも匹敵するというのです。

この数字を見ただけでも、わたしたちの中に間借りしているにすぎないと思っていたちっぽけな住人たちの印象が変わります。少なくとも数だけでいうと、人体の中では「自分」より微生物たちのほうがはるかに多く、圧倒的に発言権を持っている可能性があることに気づきます。

さらに、生物学的な証拠からすれば、わたしたち人間が、身体の中に微生物たちを住まわせてやっている貸主であり、微生物たちは賃借人である、という関係すら危うくなります。

地球に生命が誕生して37億年の歴史を24時間に圧縮してみると、…現生人類が現れたのは午前零時のたった二秒前になる。(p14)

この地球に、圧倒的に長く、それこそ比較にならないくらい長い期間住んでいた先住者は、微生物たちのほうです。彼らからすれば、人類のほうこそ、たった二秒前に現れたかのような新参者であり、微生物たちの世界の一部の住まわせてやっている居候ということになります。

それで、マーティン・ブレイザーは、端的にこう言っています。

人類は、細菌が圧倒的優勢である世界の小さなシミにすぎないとも言える。

私たちはこうした考え方に慣れる必要がある。(p16)

「私たちはこうした考え方に慣れる必要がある」と書かれているように、これはなかなか受け入れにくい観点です。

ちょうど、宇宙が地球と人間を中心に回っているという天動説を信じていた人たちが、自分たちは宇宙の中心ではない、という地動説を受け入れがたく思ったのと同様です。そのことは以前の記事で書きました。

腸内細菌の絶滅が現代の慢性病をもたらした―「沈黙の春」から「抗生物質の冬」へ
2015年の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたマーティン・ブレイザー教授の「失われていく、我々の内なる細菌」から、抗生物質や帝王切開などによってもたらされている腸内細菌(

わたしたち人間は、とかく自分たちを優位において、他の生物を下等なものと考えがちですが、本当にそうなのでしょうか。

心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までに載せられている、神経寄生生物学の分野のさまざまな事例を読めば読むほど、人間中心の考え方を改めざるをえません。

むしろ、微生物たちは、非常に高度で洗練された戦術を駆使して、動物や植物、さらには人間をさえ有効に活用しているようです。

現在もなお、寄生生物と宿主があまりにも密接で複雑な関係をもっていることを知って、多くの神経科学者と心理学者は驚きを隠さない。

素人ならなおさら、そもそも自然は寄生生物が見せる巧みな操り方をどうやって生み出したのかと、あっけにとられるばかりだ。

寄生生物のとる策略のなかには、あまりにも巧妙で抜け目がなく、そんなものを考えつくのは人間か全知の神しかいないように思えるものもある。(p12)

寄生生物は、いずれも極めて複雑で独創的な戦略を持っています。そして、人間にとって最も身近で巨大な寄生生物、あるいは共生生物と呼べるのが、腸内細菌です。

生物学的なシステムとしての愛着

腸内細菌が人間にとって胃腸の働きを整える以上の役割を果たしているとは到底思えないかもしれません。

微生物たちが高度な戦略を弄して動物や人間を操っているなどと言い出せば、SFの世界の話だろうと一笑に付されてしまいそうです。

ところが、わたしたち人間の人格の土台部分を成している「愛着」と呼ばれる生物学的機能に、腸内細菌が密接に関与していることを知ると、腸内細菌たちのイメージが変わってきます。

愛着とは何かについては過去のさまざまな記事で説明したとおりです。

長引く病気の陰にある「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」
愛着理論によると、子どものころの養育環境は、遺伝子と同じほど強い影響を持ち、障害にわたって人生に関与するとされています。愛着の傷は生きにくさやさまざまなストレスをもたらす反面、創造

近年「愛着障害」という言葉がアダルトチルドレンと同義に扱われる傾向があるせいで、愛着は育ちの中で経験した心の傷つきと結び付けられてしまいがちです。

育ちの中で経験する心の傷は、しっかり記憶に残っていることも多いので、10代前後に経験するものがほとんどでしょう。しかし愛着は、おもに生後2歳ごろまでの養育環境によって形作られるとされています。

わたしたち個人の愛着パターンは生後2年ほどの記憶にない時期に決まります。おおまかに安定型、回避型、両価型、無秩序型と呼ばれる4つの傾向のいずれかを身につけ、たいていは大人になっても同じタイプのままです。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際によると、愛着とは、心の問題ではなく、身体に記憶されたパターンです。

愛着パターンは、早期の愛着を反映した長期にわたる身体的傾向(ohysical tendencies)の中にもあらわれます。

手続き記憶としてコード化されて、これらの愛着パターンは、親近さを求める行動(proximity-seeking)、社会的関わり行動(微笑む、相手に向かって動く、手を伸ばす、アイ・コンタクト)、防衛的表現(身体を引く、緊張のパターン、過覚醒あるいは低覚醒)としてあらわれます。(p63)

愛着が形成される生後2年ほどの時期は、まだ左脳が未発達なので、その時期に受けた養育体験は、言葉で説明できる記憶には残りません。

その代わり、その時期に受けた養育経験は、出生前から発達している右脳の無意識の手続き記憶として保存され、それ以降の身体の反応や、対人関係のパターンの土台となります。

心は複数の自己からなる「内的家族システム」(IFS)である―分離脳研究が明かした愛着障害の正体
スペリーとガザニガの分離脳研究はわたしたちには内なる複数の自己からなる社会があることを浮きらかにしました。「内的家族システム」(IFS)というキーワードから、そのことが愛着障害やさ

愛着は、人間以外の多くの動物たちにも備わっている生物学的システムです。愛着の役割は、たとえばアカゲザルやプレーリーハタネズミを用いた実験から解明されてきました。

愛情の大切さを訴え、愛着障害の悲惨さを物語る7つの実験とエピソード
子どものころの親との愛着関係は、生涯影響を及ぼすといわれています。愛着障害にまつわる7つのエピソードを通して、愛情の大切さを考えます。
親子の愛着が育まれないと動物でさえいじめっ子になる―愛着障害のサルとゾウ
子育ての専門家ゴードン・ニューフェルドの『思春期の親子関係を取り戻す―子どもの心を引き寄せる「愛着脳」』という本から、親を失ったアカゲザルとゾウの事例を引用し、愛着の重要さを考えて

愛着とは、乳幼児期に受けた世話のパターンを身体が記憶したものであり、「社会的関わり行動(微笑む、相手に向かって動く、手を伸ばす、アイ・コンタクト)、防衛的表現(身体を引く、緊張のパターン、過覚醒あるいは低覚醒)」などに反映されます。

わたしたちは生まれて間もない時期に養育者(おもに母親)から受けた世話を対人関係や自律神経機能のテンプレートとして身体で記憶し、そのときのパターンを無意識のうちに その後の人生で繰り返し活用していくのです。

腸内細菌の生き残り戦略なのか

愛着とは、生まれて間もない生後二年間ごろの期間に身体に記憶されたパターンであり、その後の人生で容易に変化しない、という特徴を持っていますが、不思議なことに、腸内細菌も似たような傾向を持っています。

心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までにはこう書かれています。

最初の二年間でその数は劇的に変化して、赤ちゃんひとりひとりに独特の組み合わせができあがる。そしてそれ以降は食べるものが固形物に移行するにつれて、安定したものになる。

子どももおとなも通常はおよそ二千から三千種の微生物に住みかを提供しており、まったく同じ組み合わせをもつ人間はふたりといない。自分の微生物相は指紋と同じで、自分だけのものだ。(p135)

ただ単に愛着と腸内細菌が形作られるのが生後2年ほどの時期だからといって、これらに関係があると安易にみなすことはできませんが、別の実験をさらに調べると、腸内細菌のもっと奇妙な性質が明らかになってきます。

無菌マウスは特別な方法によって無菌の状態で飼育されるため、腸内微生物をもたない。

腸にきちんとした微生物相を備えたふつうの健康なマウスは学習が好きで、すぐに覚える。

…ところが無菌マウスには、この自然な好奇心がまったくない。まるで直前に探検したものや場所の記憶がないように見える。(p138)

腸内細菌を持っているマウスと、腸内細菌を持たないマウスの行動を比較すると、腸内細菌を持っていないマウスは、「直前に探検したものや場所の記憶がない」ようになります。

以前に説明したとおり、愛着に関わっているのは右脳が関係する記憶であり、視覚や空間の把握に優れている感覚記憶また手続き記憶です。腸内細菌を持たないマウスは、まさにそうした記憶ができなくなっているように思えます。

HSPの人が知っておきたい右脳の役割―無意識に影響している愛着,解離,失われた記憶
HSPの子は右脳が活発、という知見にもとづき、右脳と左脳の役割や二つの記憶システム、愛着、解離など、HSPの人が知っておくと役立つ話題をまとめました。

腸内細菌を持たないマウスの奇妙な特徴はそれだけではありません。

実際、そのようなマウスは不安という感情に影響されないので、生まれてすぐ一日に三時間にわたって母親のもとから離されても、嘆く様子は一切ない―ふつうは子にとってトラウマとなり、生涯にわたる気まぐれな性格や社会不適応を引き起こす状況だ。(p138)

なんと、腸内細菌を持たない赤ちゃんマウスは、幼少期の母親からの世話による影響を受けないのです。

前述のとおり、愛着とは、哺乳類などの動物にも見られるシステムであり、ネズミにも愛着は備わっています。

普通、赤ちゃんのネズミを親から引き離すと、ここに書かれているように「子にとってトラウマとなり、障害にわたる気まぐれな性格や社会不適応を引き起こす」ようになります。つまり、人間と同じく、愛着障害のマウスへと成長します。

しかし、腸内細菌を持たない無菌マウスは、そうした不安やトラウマを感じることが一切ありませんでした。あたかも愛着システムがなくなってしまったかのようです。

マックマスター大学のスティーヴン・コリンズは、この実験を詳しく説明してこう述べています。

コリンズが指摘するとおり、無菌マウスは学習能力が低かったり、今まで自分がどこにいたかを覚えていなかったりする。敵を避けることもない。

そして母親に育てられて守られることが生き残りには不可欠なのに、その母親から離されても悲しんだり抵抗したりしない。

「ところが」と、コリンズは話す。

「無菌マウスにその仲間にふつう備わっている微生物相を移植してやると、落ち着きを取り戻し、はるかに適切な、注意深い行動をとるようになる。

宿主が生き残って、できるだけリスクを冒さないことが、腸内細菌にとって最優先の利益だと言える」(p161)

腸内細菌を持たないマウスは、場所に関わる記憶が弱く、危険に面しても防衛行動を取りません。しかも、母親の世話によって愛着が形成されません。

前述のように子どもが身につける愛着パターンには4つのタイプがありますが、安定型の愛着だけでなく、不安定な愛着もすべて生育環境に対する適応として身につけられます。

乳幼児期に、過剰に警戒する必要がある環境に置かれれば、赤ちゃんは過覚醒の傾向に育ちます。すぐに闘ったり逃げたりする防衛行動を取れるように身構えているためです。そうした子は多動で衝動的になっていきます。

他方、乳幼児期にネグレクトに近い環境で育つと、赤ちゃんは低覚醒の傾向に育ちます。凍りついたり、固まったりする防衛行動を身に着け、その後の人生でもストレスに対して意識を解離させてただじっと耐え忍ぶようになります。

たとえ不安定な愛着に育った場合でも、それは外部環境に対する防衛反応として身につけている適応であることがわかります。

しかし腸内細菌のないマウスの場合、「敵を避けることもない」、つまり、危機に対していずれかの防衛反応を取ることがありませんでした。外の世界を警戒しないなら、環境に応じて適応する愛着が形成されることもないでしょう。

すなわち、右脳に関連した空間記憶が学習されないこと、危機に反応しないこと、愛着が形成されないことは、すべて同じ意味を持っているはずです。

それに対し、そうした無菌マウスに健康な腸内細菌を移植してやると、適切な学習能力が備わるようになります。これはまるで、腸内細菌の有無が愛着の学習に不可欠であるかのようです。

まさか、腸内細菌が赤ちゃんマウスに愛着を身に着けさせているとでも言うのでしょうか。

スティーヴン・コリンズは、この奇妙な実験の説明の締めくくりにこう述べていました。

宿主が生き残って、できるだけリスクを冒さないことが、腸内細菌にとって最優先の利益だと言える。

これはつまり、腸内細菌を持つマウスが、場所を記憶し、危機に反応し、愛着を形成するのは、宿主が生き残る確率を高めるために、腸内細菌が仕組んでいる戦略ではないか、という意味でしょう。

前述のように、愛着とは、たとえ不安定なものであっても、すべて、養育環境に対する適応として生じています。虐待された子どもが無秩序型の愛着になる場合でさえ、予測できない親のもとで、少しでも生き延びていく確率を高めるための適応です。

人への恐怖と過敏な気遣い,ありとあらゆる不定愁訴に呪われた「無秩序型愛着」を抱えた人たち
見知らぬ人に対して親しげに振る舞いながらも、心の中では凍てつくような恐怖と不信感が渦巻いている。そうした混乱した振る舞いをみせる無秩序型、未解決型と呼ばれる愛着スタイルとは何か、人

愛着によって養育環境に適応するのは、子ども自身が生きていくのため、というのが、しごくまっとうな説明に思えますが、その愛着を形成しているのが腸内細菌であるとするなら話は別です。

子どもが養育環境に適した愛着を身につけるのは、じつは子どもの身体の中にいる腸内細菌たちが共生関係にある人間を保護するためなのでしょうか。

わたしたちが自分の住んでいる家に耐震構造を施すかのように、わたしたちを住みかとしている腸内細菌が、愛着という環境に適応する耐震構造を身に着けさせているのでしょうか。

それを裏付けるかのように、別の研究によると、「生まれてすぐの微生物相が脳の配線そのものを形成する」ことがわかっています。(p138)

事実、スウェーデンのカロリンスカ研究所で行われた研究によれば、生後早い時期に腸内微生物相の影響を直接受けることが数百もの遺伝子の発言に劇的な影響を及ぼし、その多くは脳内の科学的メッセージの伝達にかかわる遺伝子だという。(p138)

「生後早い時期に腸内微生物相の影響を直接受けることが数百もの遺伝子の発言に劇的な影響を及ぼ」すという点が示すとおり、生まれてすぐの様々な学習には腸内細菌が重要な役割を果たしているようであり、当然、愛着もそこに含まれることになります。

乳幼児期に不可欠な愛着、そしてその後の人生の土台となる脳の発達に腸内細菌が不可欠な役割を果たしているとなると、わたしたちを今の人格へと形成してきたのは、腸内細菌ではないか、ということになってしまいます。

それを裏付けるかのようなこんな実験もあります。

腸内細菌は人格まで左右している可能性がある。

母性剥奪の研究をしたカナダのオンタリオ州にあるマックマスター大学のスティーヴン・M・コリンズとプレミシル・バーシックらのチームは、ふたつの異なる気性をもつ近交系マウス(近親交配を20世代以上繰り返して、99パーセント以上同じDNAをもつマウス)を使って、この可能性を探った。

一方の系統のマウスはいつも物静かで、仲間たちと交流しようとしなかった。もう一方の系統のマウスはそれとは正反対の特徴を示し、より神経質で活動的、社交的だった。

これらふたつの系統では体内の微生物相も大きく違っていたので、研究者たちは一方の系統の無菌マウスにもう一方の系統の腸内細菌を移植するとどうなるかを確かめてみた。

すると、基本的に性格がそっくり入れ替わったのだ。(p138-139)

前に考えたとおり、愛着とは、わたしたちの人格の土台部分です。特に、愛着は社交性に大きな影響を持っていて、シンプルに言えば、社交的すぎる人は両価型(不安型)、内向的すぎる人は回避型と呼ばれる愛着と関係しています。

見捨てられ不安にとらわれる「不安型愛着スタイル」―完璧主義,強迫行為,パニックなどの背後にあるもの
岡田尊司先生と咲セリさんの「絆の病」を参考に、「不安型」「とらわれ型」の愛着スタイルを持つ人の感情や葛藤の原因についてまとめました。
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現代社会の人々に増えている「回避型愛着スタイル」とは何でしょうか。どんな特徴があるのでしょうか。どうやって克服するのでしょうか。岡田尊司先生の新刊、「回避性愛着障害 絆が稀薄な人た

このマウスの実験では、「物静かで、仲間たちと交流しようとしなかった」マウスは回避型の愛着、「より神経質で活動的、社交的」マウスは両価型の愛着によく似ています。

ふつう、こうした内向性や外向性は、生涯を通してほとんど変化しないものです。それらが幼少期の愛着を土台としていることを思えば当然です。

ところが、無菌マウスにそれぞれの腸内細菌を移植すると、外向的にも内向的にもすることができました。少なくともマウスの実験レベルでは、どの愛着のタイプを身につけるかを決めているのは、腸内細菌だということになります。

それでは人間の場合はどうなのか。腸内細菌を持たない無菌人間を作り出すことは倫理的にできませんが、もしそうした赤ちゃんに回避型や両価型の赤ちゃんの腸内細菌を移植したら、その愛着パターンへと成長するのでしょうか。

もしそうだとすると、わたしたちの人格の土台は、腸内細菌によって決まっているのでしょうか。

人間という存在は、レオ・レオニの有名な童話スイミーを思い起こさせます。

大型生物に仲間を食べられてしまったスイミーは、大勢の仲間と寄り集まり、巨大な一匹の魚であるかのように見せかけることで、生き残りを図ります。

では、微生物たちがスイミーと同じような生き残り戦略を取っている可能性はないのでしょうか。

人間という大きな生物は、身体の細胞の90パーセント近くが微生物でできていて、あたかもスイミーたちが作った大きな魚のようです。

この場合、ひとまとまりになった大きな身体を動かしているのは、人間なのでしょうか。それとも無数の小さな微生物たちの群知能なのでしょうか。

心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までの著者がこう言うのももっともなことです。

腸内細菌は私たちの行動に目覚ましい影響を与えている。

事実、人間は自分の動機と細菌たちの動機を本当に切り離すことができるのか、私にはよくわからない。(p163)

トラウマは腸内細菌を自然選択する

腸内細菌が左右しているのは、愛着のタイプだけではありません。

心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までによると、腸内細菌は生後2年間ごろに重要な役割を果たしますが、その後の人生でも、わたしたちの普段の気分を大きく左右しています。

腸内で暮らす微生物は…私たちの感情を調整しているおもな神経伝達物質のほとんどすべて(注目すべきものは、GABA、ドーパミン、セロトニン、アセチルコリン、ノルアドレナリン)、さらに精神活性作用をもつホルモンまで、大量に生産する役割を果たしている。(p135)

ここに出てくるさまざまな神経伝達物質の名前は、多くの人にとって馴染みあるものだと思います。うつ病の人はセロトニンが足りないとか、ADHDはドーパミンバランスが不均衡にある、といった仮説はよく耳にします。

こうした神経伝達物質のほとんどは精神疾患や脳の病気と関連して登場しますが、これらのほとんどを生産しているのが腸内細菌となれば話は違います。

たとえば、脳の病気とされているパーキンソン病は、ドーパミンが不足する病気ですが、もしかすると胃腸から生じるのではないかとも言われています。パーキンソン病は発症のかなり前から便秘などが生じます。

脳の神経疾患パーキンソン病の発症に腸内細菌(マイクロバイオーム)が関係―便秘や認知症との関連も
パーキンソン病の発症に腸内細菌叢の変化が関係しているかもしれません

近年うつ病や慢性疲労症候群といった脳の疾患とされる病気に、腸内細菌の異常があることもよく知られるようになってきています。

慢性疲労症候群では腸内細菌の多様性が低下(コーネル大学の研究)―自己免疫性の脳の慢性炎症の原因?
コーネル大学の研究によって、慢性疲労症候群の患者の腸内細菌に異常があることがわかり、慢性的な炎症の原因となっている可能性が示唆されています。

以前に紹介したように、自閉スペクトラム症のような発達障害も例外ではありません。

自閉症や慢性疲労症候群の脳の炎症は細菌などの不在がもたらした?―寄生虫療法・糞便移植で治療
感染症の減少と同時に増加してきているアレルギー、自己免疫疾患、自閉症。その背後には、抗生物質の乱用や衛生改革がもたらした、微生物の生態系のバランスの崩壊による人体の免疫異常があるの

腸内細菌はまた、トラウマ性の障害にも強い影響を及ぼしているようです。

ふたりは初期に行なった試験で、健康な若い動物にストレスを加えながら育ててみた(そうすれば動物は確実に不安を抱いたおとなに成長する)。

すると、その動物の腸内細菌は、もっと穏やかな環境で育った動物とは大きく異なることがわかった。(p140)

この実験では、若い時期に経験した継続的なストレス、つまり人間でいうところの子ども時代の慢性的なトラウマ環境が、腸内細菌の組成を大きく変えてしまいました。

これは、先ほど見た愛着と腸内細菌のつながりを考えれば、それほど意外なことではありません。愛着障害とは、愛着トラウマとも呼ばれることがある、人生早期のトラウマの一種です。

愛着は外部の養育環境によって形成されますが、その実態は、外部の養育環境が、腸内細菌の状態に影響を及ぼし、その結果、異なる愛着パターンが生じているのではないか、ということでした。

そうすると、もう少し遅い時期、たとえば10歳ごろまでの幼少期に体験したトラウマもまた、腸内細菌の構成に影響し、その結果として多種多様な症状が起こっているのではないか、と推測できます。

人生早期のトラウマ体験が、脳の発達に影響を及ぼし、多種多様な心身症状を引き起こす現象は、このブログで以前に解説したように、「発達性トラウマ」と呼ばれています。

発達性トラウマ障害(DTD)の10の特徴―難治性で多重診断される発達障害,睡眠障害,慢性疲労,双極II型などの正体
子ども時代のトラウマは従来の発達障害よりもさらに深刻な影響を生涯にわたってもたらす…。トラウマ研究の世界的権威ヴァン・デア・コーク博士が提唱した「発達性トラウマ障害」(DTD)とい
身体に刻まれた「発達性トラウマ」―幾多の診断名に覆い隠された真実を暴く
世界的なトラウマ研究の第一人者ベッセル・ヴァン・デア・コークによる「身体はトラウマを記録する」から、著者の人柄にも思いを馳せつつ、いかにして「発達性トラウマ」が発見されたのかという

上記記事で引用したように子ども虐待の専門家である友田明美先生は、幼少期のトラウマが後の人生に延々と影響を及ぼすのは、「このときにホルモンの量がごくわずかに変化し、子どもの脳神経の配線を“適応”という形で永久に変えてしまう」からだと述べていました。

しかし、ここにはひとつ重要なステップが抜け落ちていたのかもしれません。トラウマ体験は直接 ホルモンの量を変化させ、脳の配線を組み替えているのではないのかもしれません。

トラウマはまず、腸内細菌の状態に影響を与え、腸内細菌が作り出す神経伝達物質を変化させ、結果として脳の配線に影響が及ぶのではないでしょうか。

前述のようにカロリンスカ研究所の研究は、「生後早い時期に腸内微生物相の影響を直接受けることが数百もの遺伝子の発言に劇的な影響を及ぼし、その多くは脳内の科学的メッセージの伝達にかかわる遺伝子だ」と示していました。

またマーティン・ブレイザーも失われてゆく、我々の内なる細菌の中でこう書いています。

私の仮説は、腸内細菌が脳の初期発達に関与しているというものである。

ヒトの腸管は通常、1億個以上の神経細胞を含んでいる。これは脳細胞の数に匹敵する。腸管神経細胞は、おおむね脳とは独立して働く。

…腸管壁に末端を持つ神経細胞の豊かなネットワークは、迷走神経を通して脳に直接信号を送る。

…腸内細菌は、直接的あるいは炎症細胞を通して間接的に、こうした神経内分泌細胞と会話する。活発な会話である。(p201)

彼の説明は、自閉症と腸内細菌についてのものですが、その他の発達障害や、発達性トラウマ障害にも当てはめることができそうです。

彼の考えによれば、人間の脳は、「第二の脳」とも呼び習わされる腸と「活発な会話」をすることで形成されていきます。

「活発な会話」とあるとおり、これは相互フィードバックであり、腸内細菌の状態が脳に影響を与えることもあれば、脳の状態が腸内細菌に影響を与えることもあります。

脳が発達途上にある時期は、腸内細菌と脳が活発に対話することで、それぞれが最適な状態へと調整されていきます。

そうすると、その時期にもし、周囲の養育環境や、経験したトラウマによって脳が過覚醒や低覚醒を続けていれば、腸内細菌は、そのフィードバックを受けることになります。

このとき生じることは、人体をひとつの生態系としてとらえるとわかりやすくなります。

例えば、かつて気候変動により氷河期が訪れたとき、自然選択によって寒い環境に適した生物が生き残りました。逆に砂漠化が進行したところでは、熱波に最適化した生きものたちが栄えました。

それを人間という生態系に当てはめると、気候変動に当たるのは子どもが育つ環境で、生きものたちにあたるのは、腸内細菌をはじめとした体内の微生物たちということになります。

長引く氷河期や熱波のような環境とは不適切な養育環境のことです。子どもは慢性的なストレスのもとでは、常に低覚醒になったり過覚醒になったりすることでやり過ごします。

そうした環境の激変が起こると、体内に住む微生物たちの生態系では自然選択が起こります。つねに過覚醒の環境ではそれに適した微生物たちが、つねに低覚醒の環境ではやはりそれに適応した微生物たちが生き残ります。

そうした作られた体内の微生物たちの生態系は、過覚醒のためにドーパミンを作りすぎたり、警戒するためにセロトニンをあまり作らなかったりするかもしれません。発育途上の脳はそれに対応して発達していきます。

そうすると、幼少期の慢性的なトラウマによって、偏った体内の微生物たちの生態系がつくられ、その生態系に適応した、異質な脳の構造が発達していくことになります。

逃避不能ショックから学習する細菌たち

子ども時代のトラウマ体験の特徴として、「逃避不能ショック」と呼ばれるものがあります。

以前詳しく書いたように、これは、どこにも逃げ場のない状況で、繰り返し苦痛に合わされる体験のことを言います。

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身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法はこう説明していました。

マイヤーは、ペンシルヴェニア大学のマーティン・セリグマンと共同研究を行なった。彼の論題は、動物における学習性無力感だった。

マイヤーとセリグマンは、錠を下ろした檻に犬を閉じ込め、痛みを伴う電気ショックを繰り返し与えた。二人はそれを「逃避不能ショック」と呼んだ。(p57)

「逃避不能ショック」を繰り返し受けた動物は、しだいに抵抗することもなくなり、身体が凍りつき、麻痺し、無力な状態に陥ってしまいます。これは、繰り返し経験したトラウマ反応を身体が学習した結果としての「学習性無力感」です。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているように、どこにも逃げる手立てのない状況でトラウマを繰り返し経験した人は、低覚醒になって凍りつき、麻痺する防衛反応を見せるようになります。

Porgesの多重迷走神経階層理論では、他のすべての防衛が安全性の確保に失敗したとき、背側迷走神経が活動を始めるとされています。

子どものとき、特に発達途上の傷つきやすい期間に慢性的な虐待を受けた人、そして生き残るために社会的関わり、愛着あるいは動きをともなう防衛をうまく利用することが許されなかった人は、一般的に固まることによる防衛に頼るようになります。

それは、子どもとして依存せざるを得ない状態や発達の脆弱性を考えれば、やむをえないことです。(p135)

物理的な脱出が不可能であると判明した場合、固まる防衛は、それ以上の苦しみからその人を守るであろう生理学的心理学的対応です。(p136)

子ども時代のトラウマは、「逃避不能ショック」の環境で体験することが多いため、被害者は、闘ったり逃げたりする積極的な反応ではなく、ただじっとがまんする反応で対処することを学びます。これはイヌの実験で見られた「学習性無力感」と同じものです。

こうした子ども時代の慢性的なトラウマを経験した被害者は、その後の人生でストレスに直面したときも、幼少期と同じ凍りついたり麻痺したりする反応で意識を切り離して対処するようになります。これは解離と呼ばれています。

興味深いことに、心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までによれば、この「逃避不能ショック」の実験は、腸内細菌に関わる研究でも再現されています。

そうした実験のひとつでは、食事の介入を受けたマウスと受けていない対照群のマウスの両方を同じ檻に入れ、音と組み合わせた電気ショックを繰り返し足に与えた。

するとどちらのグループもまったく同じに、すぐ体をこわばらせるという反応を示した。それは適応反応だ。(p140)

この実験では、プロバイオティクスを与えられた(つまり腸内細菌を強化された)マウスと、そうでないマウスの両方に逃避不能ショックを与えました。案の定、どちらも固まる防衛反応を示しましたが、その後の経過が異なっていました。

ところが翌日に研究者たちが音だけを再生し、マウスがその音をどれだけ深いな刺激と結びつけて考えられるか確かめると、プロバイオティクスを与えられたマウスのほうが与えられていないマウスより頻繁に動きを止めた。(p140)

プロバイオティクスを与えられていないマウスは、昨日の苦痛をすっかり忘れていました。固まる防衛はほとんど身体に記憶されていませんでした。ところが、腸内細菌を強化されたマウスは、昨日の電気ショックのことを身体がよく覚えていました。

幼少期に繰り返し「逃避不能ショック」を経験した子どもが、その後の人生で解離を頻繁に活用し、トラウマ障害に陥ってしまうのは、トラウマの後遺症というより、トラウマに適応したせいです。

「物理的な脱出が不可能であると判明した場合、固まる防衛は、それ以上の苦しみからその人を守るであろう生理学的心理学的対応」だと書かれていたように、慢性的なトラウマに適応し、凍りついて意識を飛ばすことを学習したのが解離なのです。

そして、マウスの場合、そうしたトラウマ反応をより強く学習したのは、プロバイオティクスを与えられていたマウスのほうでした。つまり、腸内細菌を強化されていたマウスのほうが、トラウマの防衛反応をより強く学習していたようです。

これは前述の無菌マウスの研究結果とも一致しています。腸内細菌を持たない無菌マウスは、危険に対して防衛反応を示しませんでした。

もしも腸内細菌を持たないマウスに繰り返し逃避不能ショックを与えたとしても、凍りつくトラウマ反応は学習されないのではないかと思います。

これは言い換えると、「逃避不能ショック」によって生じる慢性的なトラウマにおいて、固まったり凍りついたりする防衛反応を学習させているのは、マウスの脳ではなく腸内細菌らしい、ということになります。

先に説明したように、この固まったり凍りついたりする防衛反応は、人間においては「解離」という呼び名で知られています。脅威に対して、身を固くして麻痺させ、意識を飛ばすことで対処する反応です。

では、マウスの場合、凍りつき反応の学習を左右するのが腸内細菌であるなら、幼少期に慢性的なトラウマを経験した人間の場合も、解離の反応を学習させているのは、その人の脳ではなく腸内細菌だということになるのでしょうか。

このブログはずっと解離とは何かを追ってきましたから、これは重大な問いです。正直いって、解離を引き起こしているのが腸内細菌だなどという考えはあまりに突拍子もなく思えます。

迷走神経は誰の声を伝えているのか

しかし、冷静に考えてみると、腸内細菌が解離を引き起こしているのではないか、という突拍子もない考えは、これまで解離について調べてきたことと矛盾していないばかりか、しっかり噛み合っています。

近年、トラウマの専門家たちは、トラウマにおける内臓の役割に重点を置いています。たとえば、トラウマ研究の第一人者のヴァン・デア・コークは身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法でこう書いています。

「怖くて体が硬直する」とか「恐怖で凍りつく」(虚脱状態や麻痺状態に陥る)といった表現は、恐怖やトラウマがどのように感じられるかをじつに正確に言い当てている。

トラウマは、内臓を土台とするそうした感覚から生じる。

恐れの体験は、何らかのかたちで逃避が妨げられて感じた脅威に対する原始的な反応に由来する。

内臓の経験が変わらないかぎり、その人の人生は恐れに人質に取られたままとなる。(p163)

トラウマは、「内臓を土台」として、「内臓の経験」から生じます。

わたしたちの文化ではたとえば、強烈な苦しみを「断腸の思い」と言ったり、猛烈な怒りを「はらわたが煮えくり返る」と表現したりします。

これは単なる比喩ではなくて、強い感情を感じるとき、感情に先立って内臓の激しい反応が生じることをよく言い表しています。このような表現は、日本語以外の文化でも頻繁に見られるようです。

以前の記事で考えたとおり、わたしたちの情動はまず身体から生じています。お湯に触れたとき、熱いと感じる前に手が反射的に動くように、身体の反応は感情や思考よりも先立って生じています。

「からだの記憶」の治療法―解離と慢性疲労のための身体志向のトラウマセラピー
解離やPTSDは「からだの記憶」によって引き起こされる「からだ」を土台として生物学的な現象である、という理解にもとづき、身体志向のトラウマ・セラピーについて考察しました。

トラウマを経験したときの苦痛は、意思を持つ自分が感じるより前に、「内臓を土台」として生じます。トラウマは身体が先に感じ、心が後に続くというわけです。

では、トラウマがまず内臓で経験されるとして、その苦痛はいかにして脳へ伝達されるのでしょうか。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアの中で、トラウマ専門家であり、神経生理学者でもありピーター・ラヴィーンはこう説明しています。

驚くべきことに、内臓と脳を結ぶ迷走神経の90%もが感覚性である!

つまり、脳から内臓に指令を伝える神経繊維1本につき、9本の感覚神経が腸の状態に関する情報を脳に送る。

…ヒトは二つの脳を持つと言える。内臓内(腸の脳)と、頭蓋という円形ドーム内に鎮座する「上の脳」である。

この二つの脳は、太い迷走神経を通じてお互いに直接コミュニケーションをしている。

そして数で勝負するならば―1つの運動性、遠心性神経に対して、9つの感覚性、求心性神経―脳から内臓に対してよりも、明らかに内臓の方が脳に対する発言力がある(9:1の割合で)!(p145)

この神経線維の90%以上が求心性である。つまり迷走神経の主機能は、内臓からの情報を脳に向かって届けることである。

したがって、「本能的直感(はらわたの本能)」「勘(はらわたの直感)」、ひいては「はらわたの知恵」という表現には、確固たる解剖学的、生理学的根拠がある。(p166)

内臓と脳をつないでいるのは、先ほど解離と関係して出てきた背側迷走神経です。この迷走神経は、初期の魚類にも備わっているような原始的なものだとされていて、内臓からの指示を脳に伝達する役割を持っています。(p118)

文中で繰り返し書かれているように、この迷走神経は、内臓と脳をつないでいますが、その発言権は対等ではなく、内臓9に対し、脳が1だと考えられています。

すなわち、危機的状況においては、脳がどう考えようが、内臓からの強烈な信号のほうが圧倒的に強力だということです。そのせいで、交通事故やテロに直面した人は、何も考えられずパニックになって逃げ惑います。PTSDの人もまたそうです。

それに対し、内臓の声があまりに強烈すぎて、脳が圧倒されてしまうときに起動するのが背側迷走神経によるシャットダウン、すなわち解離です。

不動状態およびシャットダウン状態では、内臓が激しい恐怖を感じているため、通常はその感覚を意識から遮る。(p149)

解離はブレーカーに似たセーフティーシステムであり、あまりに強い刺激にさらされたときにそれをシャットダウンし、麻痺させることで切り離す防衛反応です。発言権が強すぎる内臓に対して、脳が拒否権を発動する唯一の手段が解離なのです。

それでは、このとき、9対1という発言権をもってして、あまりに強いシグナルを脳に送り、パニックやシャットダウンを引き起こしてしまうのは何者なのか。

心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までには次のような記述があります。

彼らの考えによれば、腸内細菌によって作られた精神活性化合物は腸神経系(腸の全長に沿って走っているニューロンの太い束)によって検知される。

このネットワークには脊髄より多くのニューロンが存在しており―だから「第二の脳」―のニックネームをもち―迷走神経を介して上方の大きな脳とつながっている。

腸内細菌にとって自らの声を伝える主要ルートだ。

実際に、このケーブルを通して伝わる情報の90パーセントは内臓から脳の方向に進み、脳から内臓への方向ではない。(p135-136)

もう説明するまでもありません。微生物学者たちは、この9対1の発言権をもって脳にシグナルを送る声は、腸内細菌の声であり、背側迷走神経とは「腸内細菌にとって自らの声を伝える主要ルート」だと考えているのです。

これはすでにある程度確かめられていて、脳と腸を結ぶ迷走神経を切断したマウスは、腸内細菌のいないマウスと同じ反応をみせるようになるそうです。

ユニバーシティ・カレッジ・コークの神経科学者ジョン・クライアンはこう言っています。

「細菌は迷走神経に何らかの影響を伝えている」とクライアンは言う。

だから迷走神経を切断してしまうと、「脳の神経科学を変化させる信号が、腸から脳に届かなくなるわけだ」。(p141)

この極めて奇妙な一致は、まるでトラウマの専門家たちがひたすら真実を掘り進み、トラウマは内臓を土台として生じることに気づき、やっとのことでトンネルを開通させたとき、そこで待っていたのは微生物学者たちだったというようなものです。

そういえば、人体を構成する細胞のうち、90%近くが微生物たちだとされていました。数からすれば、微生物たちに9割の発言権があることになります。

もしも、背側迷走神経を使って脳にシグナルを送っている内臓の声というのが、実際には内臓を第二の脳として取り仕切っている腸内細菌の声なのだとすると、まさにその通りになります。

考えてみれば、わたしたちがトラウマを経験したときに生じる防衛は、極めて強い生存本能です。

トラウマに直面すると、まず闘うか逃げるか、という反応が起こり、それで無理だと凍りついて麻痺する反応が生じて、生き延びられる一縷の望みにかけることになります。

逃走・闘争反応と、それが不成功に起こったときに生じる凍りつき・麻痺反応は、能動的か受動的か、という点では正反対ですが、共通するのは、理性のコントロールの外で起こるということ、そして生き延びることへの強烈なまでの執着が見られることです。

これはあたかも、わたしたちの中に、生き延びることだけを目的にしている別の脳があるかのようです。

それこそがまさに「第二の脳」と呼び習わされている腸であり、そこに住んでいる住人たち、つまり生き延びるためにはなんでもする腸内細菌たちの本能なのでしょうか。

にわかには信じがたいことですが、筋は通っているようにも思えます。

人間の内部にまるで二つの脳があるかのようだ、というのはよく見聞きする話で、経済学者ダニエル・カーネマンも、わたしたちには速い直感的な思考(ファスト)と、遅い理性的な思考(スロー)が備わっているとしていました。

速い思考のほうは、直感的、本能的、場当たり的な目先の利益を優先します。遅い思考のほうは、じっくり考え、理性的に検討し、長期的な利益を考慮します。

この正反対の思考を持つ脳のうち、遅い思考は言語を使用する人間としての脳(第一の脳)で、早い思考は内臓を中心とする「第二の脳」によるのかもしれません。

末恐ろしいことに、科学者たちの中には、「上部の脳は腸の神経網の出先機関」のようなもの、つまり腸は第二の脳ではなく第一の脳で、わたしたちが脳だと思っているもののほうが第二の脳なのではないか、とみなす人もいるほどです。(p160)

トラウマ研究者のピーター・ラヴィーンが書いていたように、内臓と背側迷走神経のほうが、生物学的に言えば、より古くから存在する由緒あるシステムだということを思えば、あながち否定できる意見ではありません。

ここまで考えてきた、トラウマと腸内細菌とのつながりを整理すると次のようになります。

まず、わたしたちの内なる腸内細菌たちは、生まれて間もないころから、すでに成立している右脳とコミュニケーションをとりはじめます。

腸内細菌たちは、宿主である わたしたちが愛着を身につけ、環境に適応して、生存率が上がるように仕向けます。わたしたちの脳は、それを土台として発達していきます。

腸内細菌はまた、わたしたちがトラウマに直面すると、自分たちが生き延びるために、迷走神経を通して脳に命令を出します。

内臓から脳へ伝えられる圧倒的なシグナルのせいで、わたしたちの脳は乗っ取られ、理性が失われて闘うか逃げるかだけのパニック状態になります。

しかしシグナルが強すぎると、脳に備わった最後の拒否権とも言える、解離というブレーカーが落とされ、凍りつき・麻痺状態になります。

幼少期に経験したトラウマは人体という生態系の環境を変化させます。その結果、サバイバルに適した腸内細菌が自然選択されて繁栄するようになります。その偏った腸内細菌たちの影響を受けて脳が発達していくので、幼少期のトラウマは脳の構造を変えることになります。

メリーランド大学の精神科医テオドール・ポストラチェが述べているように、わたしたちが心の病気や愛着トラウマだと思っているものは、じつは腸内細菌や微生物の記憶から生じているかもしれないのです。

「何かをするのに、自分でもなぜそれをするのかわからないままするなんて、誰にでもよくあることだよ。

気分障害は、ふつうは幼児期の葛藤と関連づけられるけれど、そんなこと誰にもわからないだろう? 

われわれの無意識の一部は病原体によってコントロールされているのかもしれない」(p112)

これが正しい推論なのか、ファンタジーじみた創作なのか、わたしにはわかりません。

科学の見解など、時代が進むとともにどんどん移ろい変わっていくものです。さまざまな解釈はその時々で手に入る手持ちのカードから推測したものにすぎません。

カードが増えれば解釈も変わるはずです。研究が進むうちに、これが単なる想像力の飛躍だったのか、事実を言い当てていたのかは、おのずと明らかになるでしょう。

わたしたちの体はひとつの生態系である

仮にもし、こうした推論が本物で、トラウマ記憶とは実は、内臓の経験であり、ひいては腸内細菌の記憶であるのだとすれば、どこに解決策があるのでしょうか。

しばしば宣伝されているような、健康食品やサプリメントで腸内細菌を変えるというのは、現実的ではないでしょう。

腸内細菌は非常に多種多様であるばかりか、まだ働きもわかっていない、名前もつけられていないような種類が無数にあります。心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までにこう書かれているとおりです。

ヒト微生物相(マイクロバイオータ)は人体を住みかとしている微細な生きものすべての集まりを意味し、それを対象とする研究は、科学のなかでも最も自由で制約の少ない未開拓分野のひとつだ。

そしてその住人たちが脳にどんな影響を与えているかは、おそらくすべての役割のなかで最も知られていない部分だろう。

それら微生物の大半は人間の体内での暮らしにあまりにも見事に適応しているために、科学者がペトリ皿で育てようとしてもほとんどうまくいかない。

その数を推定する技術ができたのさえほんの最近のことで、それらが何をするかを詳しく説明するとなると、まだ当分は難しそうだ。(p133-134)

それほど未開拓な分野であるにもかかわらず、ちまたの健康食品やサプリメントを試そうというのは、行き当たりばったりでしかありません。

現在、ヨーグルトなどの食品に含まれるプロバイオティクスは消費者の味の好みやさまざまな商業的判断に基づいて選ばれているから、それを治療目的で利用するのは、「薬局に行き、脳によい影響を与えるようにと願いながら行き当たりばったりで適当に錠剤を手にとるようなものだ」と、クライアンは話す。(p146)

マーティン・ブレイザーもまた失われてゆく、我々の内なる細菌の中で、腸内細菌を整えると宣伝されているプロバイオティクスやプレバイオティクスには懐疑的な態度をとっています。

一般的に言って私は、プロバイオティクスをめぐる主張には懐疑的である。

薬局の棚や健康食品の棚に置かれているプロバイオティクスの効果が検証されたことはほとんどない。

…その実用のされ方にはプラセボ(偽薬)効果じみたところがある。…プロバイオティクスを探しに健康食品店に行くこと自体、あなたは自身の具合がよくなったと感じさせる何かを探していることを示唆する。

…二重盲検試験を行われなければ、プロバイオティクスがプラセボ以上の効果を持つかどうかを知ることはできない。

…プロバイオティクスによって利益を得る製薬会社は、そうした研究の資金援助を拒否している。(p234-235)

健康食品やプロバイオティクスが、腸内細菌の問題に限定的な効果しか示さないと考えられる根拠は他にもあります。

ネットやテレビの健康情報を見ると、何かの食品を食べることで腸内細菌が整えられると宣伝されていることがありますが、研究はそれに否定的です。

食事の変化も、細菌叢にそれほど大きな影響は与えない。数ヶ月、もしくは数年にわたって腸内細菌の構成は安定している。

…各人は、まるで指紋のように、独自の細菌叢を有していた。それは食事が変化しても変わらなかった。

しかし他の食事調査では、細菌叢に変化が見られたというものもある。

最近の研究では、植物由来の食物のみ、動物由来の食物のみといった食事への切り替えは、細菌叢に変化をもたらすことがわかっている。しかし、それは食事を変えた期間しか持続しなかった。(p38)

腸内細菌は、おもに2歳ごろまでにおおまかな構成が決まるため、一人ひとり多様で、指紋のような独自性をもっており、その後の人生で食事を変えたところでそう簡単には変化しないようです。

腸が第二の脳と呼ばれることからすれば、腸内細菌の変化は、わたしたちがよく知る脳の可塑性と似ているのではないかと思われます。大人の脳にも可塑性はありますが、劇的に変化することはありません。腸内細菌もそれと同じく徐々に変わっていくものなのでしょう。

加えて、人体の内部の腸内細菌は、ひとつの生態系を成しているという事実も忘れるわけにはいきません。それらは単なる化学物質の組み合わせではなく、生きた生きものの集まりであり、日々弱肉強食の生存競争が行われています。

ジェラルド・エーデルマンは、わたしたちの脳の中では、神経細胞による生存競争が行われているのではないか、という神経ダーウィニズムを唱えましたが、第二の脳である腸では、腸内細菌たちによる生存競争が行われているのかもしれません。

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腸内細菌の世界をひとつの生態系として考えると、もしも、人体の内部にすでに成立している腸内細菌の生態系に下手に手を加えようとするなら、意図しない結果が引き起こされる危険があることに気づきます。マーティン・ブレイザーはこんな例を挙げています。

70年前にオオカミがイエローストーン国立公園から駆逐されたとき、エルクの数が爆発的に増加した。

エルクは突然天敵がいなくなったので、安心して好物のヤナギを食べるようになった。ヤナギは川堤に生息しており、

その結果、鳴鳥やビーバーといった、ヤナギで巣やダムを作る動物の個体数が激減した。

川が侵食されるにつれて水鳥が見られなくなり、オオカミが食べ残す死骸がなくなったので、ワタリガラスやワシ、カササギ、クマの個体数が減少した。

エルクの増加はバイソンの減少も引き起こした。食物の不足が原因だった。コヨーテが公演に帰ってきてネズミを食べ始めたが、ネズミはトリやアナグマの餌でもあった。こうしたことが相次いだ。

キーストーン種が取り除かれたことによって、相互作用の深い関係性が破壊されたのである。

自然を取り巻くこうした考え方は、遠い昔からヒトに常在していたH・ピロリ菌が消失した場合のマイクロバイオータにも見られる。(p27-28)

ブレイザーは、イエローストーン国立公園で、良かれと思ってオオカミを駆除したことが、ドミノ倒しのように生態系を崩壊させ、思ってもみないような甚大な影響をもたらしたことを紹介し、その原理を人体のマイクロバイオータにも当てはめています。

例としてピロリ菌が挙げられていますが、ピロリ菌は近年、胃がんなどの原因としてやり玉に挙げられ、ピロリ菌除去が進められてきました。しかしその結果、逆流性食道炎や食道がんのリスクが上昇しました。

一見、悪玉に思える菌がいるとしても、それは自然界の生態系における捕食者、国立公園のオオカミと同じで、全体のバランスの調整に寄与してます。もともと腸内細菌は人体と共生関係にあるので、どの菌も何かしらの役目を引き受けていると思われます。

それを生半可な知識で人為的に操作しようとしたとき、イエローストーン国立公園と同じ悲劇が起こらないとも限りません。

さらに言えば、腸内細菌が引き起こす問題は、脳の発達と絡み合っているということも忘れるわけにはいきません。

どんな人の腸内細菌であれ、腸の内部に独立して存在しているのではなく、脳と互いに会話して、フィードバックを送りあった上で成り立っています。

冒頭で心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までから引用したように、各人の指紋のような腸内細菌と、その人の脳の構造とは連動しています。

おそらくこの分野で最も驚くべき発見は、ひとりひとりの脳の構造が、その人の腸で最も優勢な微生物の種類と関係しているというものだろう。

これはメイヤーのグループが明らかにしており、頭部のMRIスキャンから、「その人の体内でどんな微生物の庭が育っているかを実際に予測できる」と彼は言う。

腸内に住みついた微生物の種が、脳内の灰白質の密度と量だけでなく、大脳皮質の異なる領域をつなぐ白質路にも影響を与えている。

なかでも、腸内細菌は脳の報酬中枢に最も強く影響するように見える。報酬中枢は、楽しみを求めて苦しみを避けようという気持ちにさせる脳の領域だ。

そこでメイヤーは、腸内細菌が「根底にある感情、ストレス反応、楽天的か悲観的かの性格」に影響を与えていると考えている。(p148)

たとえある人の腸内細菌が、さまざまな症状を引き起こしているとしても、その人独自の腸内細菌の生態系は、その人が生まれ育った環境や、脳の構造に適応して作られてきたものでしょう。。

そして、その人の脳もまた、発達途上の幼少期から、その独自の腸内細菌に合わせて生育してきたはずです。すると、たとえ腸内細菌を入れ替えたとしても、すでに発達して構造が定まった脳のほうが変化しない限り、釣り合いがとれないかもしれません。

一部の感染症や自己免疫疾患には糞便移植など腸内細菌を入れ替える治療法が効果を上げているのに、他の病気ではあまり期待に見合うほどの効果が出ていないのは、そうした理由によるのかもしれません。

とはいえ、腸内細菌に注目したアプローチが、現在治療が難しい病気に活路を開く可能性は大いにあります。

このブログで過去に紹介したように、現状、愛着障害やトラウマに効果があると考えられているのは、からだの記憶を扱うさまざまな治療法です。

「からだの記憶」の治療法―解離と慢性疲労のための身体志向のトラウマセラピー
解離やPTSDは「からだの記憶」によって引き起こされる「からだ」を土台として生物学的な現象である、という理解にもとづき、身体志向のトラウマ・セラピーについて考察しました。

それらは身体に染み付いた手続き記憶を扱うものと理解していましたが、愛着やトラウマ反応に関係した手続き記憶の形成には腸内細菌が関わっていました。

もしかすると、微生物学が進歩して、人体内部の生態系に適切に介入する方法が見つかれば、愛着障害やトラウマの治療として腸内の微生物にアプローチする日も来るのかもしれません。

この記事で見てきたように、人体の内部に存在する微生物たちの集合体、マイクロバイオータは、単なる腸の中の細菌コレクションでもなければ、人体の一部屋を間借りしている居候でもありませんでした。

むしろ科学的見地からすれば、わたしたち人間は太古より続く「細菌の時代」に、ほんのちょっと前に登場したばかりの新参者で、微生物が圧倒的な多数派を占めている世界のただ中に生きる少数民族でしかないのです。

この記事で書いてきたことは今もってかなり奇妙に思えますし、書いてみた今もあまり自信がありません。とりあえず大雑把な仮説として記事に残しておけば、数年後に何か発見があるかも、というくらいの考えで書きました。

けれども、そう思ってしまうのは、わたしが人間中心の見方に偏りすぎていて、ガリレオやニュートンの発見になかなか付いていけず、思考を切り替えられなかった人たちのように既存の考え方に縛られすぎているのかもしれない、という思いも捨てきれません。

これからの科学や医学は、マーティン・ブレイザーが述べていたように、「人類は、細菌が圧倒的優勢である世界の小さなシミにすぎない」という見方を持ち、「こうした考え方に慣れる必要がある」のかもしれません。(p16)

そうした斬新な考え方に興味のある人は、今回参考にした心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までを読んでみるのをお勧めします。

「寄生生物中心の世界観を披露している」この本から、説明する糸口すら見つからないほど常識を超えた計略を駆使して生きる微生物たちについて知れば知るほど、世界の見え方が変わってくる気がします。(p286)


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