本書で述べてきたように、「狂っている」または制御不能と思われる反応には理由がある。
問題の根本的原因、あるいは健全で満足度の人生を送ることができるかどうかを決めるのは、無意識の記憶の結び付きである。(p246)
昨年、EMDRの開発者フランシーン・シャピロによる過去をきちんと過去にする:EMDRのテクニックでトラウマから自由になる方法が翻訳されていたので読んでみることにしました。
目を左右交互に動かしながらトラウマ記憶を処理する、この不思議な治療法は、近年NHKの番組で取り上げられたこともあり、日本での知名度も上がってきました。
催眠術をイメージさせる独特な治療手法から、懐疑的な目を向けられていた時期もありましたが、現在では、記憶のメカニズムにのっとる科学的な治療法として研究が進んでいます。
この記事では、この本に推薦の辞を寄せているベッセル・ヴァン・デア・コークの 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法なども参考にしてEMDRがトラウマ記憶を処理するメカニズムについてまとめてみました。
なぜEMDRは従来の心理療法や薬物治療より高い成果を上げ、患者の心身への負担も少ないのでしょうか。EMDRの目の動きは、レム睡眠のメカニズムとどう関係しているのでしょうか。EMDRはどんなタイプのトラウマに効果的なのでしょうか。
これはどんな本?
過去をきちんと過去にする:EMDRのテクニックでトラウマから自由になる方法は、EMDRの開発者である心理学者フランシーン・シャピロ自身による、EMDRの研究や事例を解説した本です。
翻訳を担当された国内のEMDRの第一人者である市井雅哉先生があとがきに書いているように、この本は「EMDRの考え方に則った自分でできる自己啓発本の作り」になっています。
重大なトラウマの場合、専門家の助けが必要だと念押されてはいますが、一人ひとりが実践できる内容にフォーカスし、一般向けのわかりやすい書き方がされているのが特徴です。
専門用語はほとんど使われておらず、学問的な説明はほとんど巻末の参考文献リストに任せています。代わりに、豊富な経験談のエピソードを通して、ほとんど知識のない読者でも共感して読み進めやすいよう配慮されています。
単なる根拠に乏しい「自己啓発本」でないことがうかがえるのは、巻頭の推薦文の数々でしょう。
このブログでも著書を取り上げてきたノーマン・ドイジ、ヴァン・デア・コーク、スティーブン・ポージェスなどの、第一線の脳科学の専門家たちが、推薦の言葉を寄せていて、しっかりとした学問的研究に裏打ちされた内容であることを保証しています。
EMDRとはー精神医学の疫病か革命か
この本のテーマであるEMDRとは、Eye Movement Desensitization and Reprocessing(眼球運動による脱感作と再処理法)というトラウマ治療法を意味する略語です。
かなり難しい名称であり、治療手法も8ステップに体系化されてはいますが、とてもシンプルに言ってしまえば、目を左右交互に動かしてトラウマ記憶を治療するというものです。
心理学者のフランシーン・シャピロは1987年のある日、辛い考えに悩まされながら公園を散歩していたとき、突然、苦痛が和らいだことに気づきました。
公園を散歩していて気分が晴れるというのは、だれしも経験しそうなものですが、シャピロが違っていたのは、なぜそうなったのか、じっくり考えてみたところです。
歩きながら、自分の動作を注意深く観察しているうちに、悩ましい記憶が心に上ると、目が高速で斜めに行き来しはじめ、悩ましい考えが意識から離れることを発見しました。
当時、心と脳、そして身体のつながりが「精神神経免疫学」という分野で注目されていたこともあり、彼女は眼球運動と記憶の関わりについて研究し始めました。
研究を通して気づいたのは、この目の左右運動は、レム睡眠と類似していて、「脳の自然な治癒のプロセス」を利用しているのではないか、という点でした。(p19)
1989年には、EMDRがPTSDの治療に即効性があることを示す論文を発表し、センセーショナルな論争を巻き起こします。懐疑的な専門家は多くいましたが、実際に試してみることで効果に納得し、考えを変えた人たちもいました。
その一人が、トラウマ研究の第一人者といえるベッセル・ヴァン・デア・コークです。彼は、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、最初EMDRに対して抱いていたイメージをこう語っています。
ある日セラピーグループのミーティングに来たマギーは、その前の週末に受けた専門家向けのEMDR研修での驚くべき経験について熱心に語った。
その時点で私がEMDRに関して知っていたのは、セラピストが患者の目の前で指を振る、人気の新手法だということだけだった。
私や私の学者仲間たちにしてみれば、これもまた精神医学を繰り返し見舞ってきた疫病の一つのようなもので、マギーの失敗談がまた一つ増えるだけだろうと私は思った。(p412)
ヴァン・デア・コークは、EMDRに対して非常に懐疑的でした。トラウマ治療の困難さを身をもって知っているだけに、目を左右に動かす奇妙なセラピーが、従来の治療法よりも効果を上げる、というのはにわかに信じがたい話でした。
しかし、ヴァン・デア・コークの予想とは裏腹に、マギーは想定外の回復を見せ、彼は考えを変え始めます。
私は度肝を抜かれた。人が再びトラウマを負うことなしに、トラウマを引き起こした過去に立ち返るのを手助けする方法を、私はずっと探していたからだ。
マギーはフラッシュバックに劣らぬほど真に迫った経験をし、それでもそれに乗っ取られることはなかったようだ。
EMDRは、人をトラウマの痕跡に安全にアクセスさせられるのだろうか。そして、トラウマの痕跡を、ずっと昔に起こった出来事についての記憶に変えられるのだろうか。(p413)
マギーが完全に回復してセラピーグループを去ったのを見て、ヴァン・デア・コークは、この療法の真偽を確かめるべく、「自分がEMDRの研修を受ける時」が来たと感じました。
EMDRの研修のさなか、ヴァン・デア・コークは、仲間の研修者と、互いにEMDRを施しあって、自身もその効果を体験しました。パートナーと相性が悪かったにもかかわらず、効果を実感できたのは印象的でした。
彼は、EMDRには、他のトラウマセラピーとは異なる独特な長所があることを発見しました。
EMDRの研修を終えたときには、次の三点で頭がいっぱいだった。そして私は今日に至るまで、その三点に魅了され続けている。
・EMDRは心/脳の中で何かを解きほぐすので、人は緩やかに結びついた過去の記憶とイメージに素早く接触できるようになる。これが、トラウマ体験をより大きな前後関係や視野に収める助けになると思われる。
・人はトラウマについて話さなくても、トラウマから回復することができるのかもしれない。EMDRは、他者と言葉のやりとりをすることなしに、自分の経験を新たなかたちで観察することができるようにしてくれる。
・患者とセラピストの間に信頼関係がなくても、EMDRは手助けになりうる。これはとりわけ魅力的だった。当然のことだが、人はトラウマを経験すると、心を開いて他者を信頼し続けられることは稀だからだ。(p416-417)
EMDRは、マギーがそうだったように、「緩やかに結びついた過去の記憶とイメージに素早く接触できる」のが画期的でした。
当時主流だった心理療法と異なり、EMDRは、トラウマ記憶に穏やかにアクセスし、強烈な再体験にさらされることなしに、トラウマを安全に治療することができました。
また「言葉のやりとりをすることなしに」「セラピストとの間に信頼関係がなくても」トラウマを治療できるのも画期的でした。
ヴァン・デア・コークは、ほとんど言葉の通じない、スワヒリ語、中国語、ブルトン語を母語とする患者たちにも、EMDRを施し、その効果を実感してきたと述べています(p417)
従来のトラウマ療法は、患者とセラピストの強固な信頼関係のもと、苦痛のともなう厳しい再体験に臨むという、麻酔なしの外科手術や苦行のような様相を呈していましたが、EMDRはそのどちらも必要としていなかったのです。
「脱感作」ではなく「再処理」
こうしたEMDRの画期的な効果は、ヴァン・デア・コークが認めるように、「あまりにも話がうますぎるように思える」ので、いまだ懐疑の目にさらされています。
しかし、ヴァン・デア・コークらが国立精神保健研究所のもと、88人の参加者を対象に、EMDRと抗うつ薬ブロザックの効果を比較した研究では、EMDRの優位性がはっきり示されました。
ブロザックのグループは偽薬のグループよりも成績が良かったが、その差はごくわずかだった。
これは薬によるPTSDの治療に関する研究の大半で表れる効果で、研究に参加しただけで約30~42パーセントの改善が見られ、薬が効くと、さらに5~15パーセントがそれに上積みされる。
ところがEMDRを受けた患者は、ブロザックや偽薬の人よりも大幅に改善した。EMDRのセッションを八回行なったあとに、四人に一人は完全に回復した(PTSD評価得点が無視できるレベルにまで下がっていた)。
これと比較して、ブロザックのグループで回復したのは10人に1人だった。
だが、本当の違いは、時の経過とともに表れた。八ヶ月後の参加者を診察したときには、EMDRを受けた人の六割の評価得点が完全な回復を示していたのだ。…それとは対照的に、ブロザックを服用した人は、飲むのをやめると再び症状が悪化した。(p419)
この研究結果は、薬は効き目が乏しいばかりか、一時しのぎの対処療法にすぎないことを物語っています。トラウマ記憶を治療しているのではなく、症状を一時的に押さえ込んでいるにすぎません。
しかしEMDRは、トラウマの原因そのものにアプローチする根治療法であり、その効果は治療を終えても持続することがわかります。
フランシーン・シャピロも、 過去をきちんと過去にする:EMDRのテクニックでトラウマから自由になる方法の中でこう書いていました。
うつ状態になって、何か手を打とうというとき、選択肢は数多くある。薬を選ぶ人も多い。しかし、まずは心理療法を受け、本当に薬が必要かどうかを判断するほうが賢明かもしれない。
…抗うつ薬によって変わった「脳の状態」は薬を止めれば元に戻るが、EMDR療法はうつの原因を取り除いたのである。最終的のに望ましいのは、「天気」だけでなく「気候」を変えることである。(p53)
EMDRの効果は、脳画像研究によっても確証されてきました。この本によれば、PTSDを持つ人に8~12回のEMDRセッションを行なったところ、海馬の体積が平均6%増加し、一年後も持続していたという研究結果があります。(p22)
また 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法によると、やはりPTSDを抱える人をEMDRで治療したところ、前頭前皮質や、前帯状皮質、大脳基底核といった部位の活動が盛んになっていることが確認されたそうです。(p418)
これらはいずれも、トラウマ症状と関係している脳の部分です。
EMDRの効果は薬の効果を上回っただけでなく、従来式の心理療法とも異なる、ということも明らかにされてきました。
前述のように、EMDRは「眼球運動による脱感作と再処理法」という名称で知られています。過去をきちんと過去にする:EMDRのテクニックでトラウマから自由になる方法によれば、これはフランシーン・シャピロが1989年の論文で「脱感作」という表現を用いたことに由来しているようです。
私は最初、眼球運動の主な効果は、不安や恐怖を軽減すること、つまり行動療法で言う「脱感作」だと考えていたため、この療法を「眼球運動による脱感作法」と呼んだ。(p21)
しかし後になって、EMDRは不安を軽減し「脱感作」するのではなく、記憶そのものを「再処理」していることに気づきました。
したがって、もしやり直せるのなら、私は単に「再処理療法」と名付けるだろう。
しかし、今では「眼球運動による脱感作と再処理法」、もっと一般的にはEMDRとして世界に知られているため、名称を改めるには手遅れである。(p22)
EMDRが「脱感作」ではなく「再処理」である、という点が重要なのはなぜでしょうか。
ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法で述べるように、「脱感作」、つまりトラウマの恐怖に対して人を慣れさせる治療法は、これまで幅広く行われてきました。
過去20年にわたって、心理学専攻の学生がいちばんよく教わる治療法は、何らかのかたちの系統的脱感作だった。
これは、患者が特定の情動や感覚に過敏に反応しにくくなるように助けるものだ。だが、これは正しい目標だろうか。(p364)
「脱感作」を目的とする治療法は、トラウマとなった記憶を繰り返し再体験させることで慣れさせ、麻痺させることを目的としています。
その代表例が暴露療法ですが、ヴァン・デア・コークは、効果よりも副作用のほうがはるかに多いことを繰り返し指摘しています。(p361,365,422)
以前に詳しく扱ったように、「脱感作」を目的とする治療法は、繰り返しトラウマを再体験させることで感情や感覚を麻痺させ、苦痛だけでなく生きる喜びさえも感じない状態にならせているようです。
しかし、EMDRはトラウマの痛みを麻痺させる「脱感作」ではなく、トラウマ記憶そのものを「再処理」する治療です。
ヴァン・デア・コークが言うように、暴露療法などの手法は、「心拍数と血圧とストレスホルモン値が急上昇」し、トラウマ当事者を過覚醒の状態に追い込みます。(p422)
対照的にEMDRは、人間に本来備わる記憶処理メカニズムであるレム睡眠を利用するので、むしろ覚醒度を引き下げ、トラウマ記憶の衝撃を和らげた状態で、より穏やかに記憶を統合していくことができます。
レム睡眠が記憶を適応的に修正する
フランシーン・シャピロは早くからレム睡眠のメカニズムがEMDRの効果と関係していることを見抜いていましたが、その洞察は、睡眠専門家たちの研究によって裏づけられつつあります。
夢が脳のどこで生まれるか発見したことで名高いマサチューセッツ・メンタルヘルスセンターの睡眠研究所のロバート・スティックゴールドは、知人がEMDRによってトラウマから回復したのを見て、EMDRと睡眠の関係を研究しはじめました。
レム睡眠の「REM」はRapid eye movement sleep、つまり高速眼球運動のことで、レム睡眠中には目が左右に交互に素早く動くことが知られています。これはEMDRの目の動きと同じです。
レム睡眠の眼球運動の最中、わたしたちは奇抜な夢を見ることが知られています。ノンレム睡眠のときにも夢は見ますが、「レム睡眠中はノンレム睡眠や通常の覚醒状態のときよりも、関係性の薄い連想を活性化する」ため、思いもよらない夢を見ます。(p430)
起きている間、わたしたちは連想が制限されていますが、夢を見ているときは、「一見すると無関係な記憶どうしの新たな関係」がつくられ、創造的で斬新なつながりが生まれます。(p431)
フランシーン・シャピロが 過去をきちんと過去にする:EMDRのテクニックでトラウマから自由になる方法の中で繰り返し説明しているのは、この記憶の結びつきこそが、トラウマ症状の原因そのものである、という点です。
彼女の説明によれば、トラウマとは、つきつめて言えば、マザーグースの詩Roses are redの有名なフレーズ、「バラは赤い、スミレは青い」に集約されます。
わたしたち日本人にとってはあまり馴染みのない表現ですが、ここで言わんとしているのは、英語圏の人たちは「バラは赤い」と聞けば「スミレは青い」と反射的に答えてしまうぐらい、このフレーズが関連付けされているという意味です。
わたしたちに当てはめると、たとえば「吾輩は…」と聞けば、無意識のうちに「…猫である」という続きが思い浮かんでしまうようなものです。「犬も歩けば…」「…棒に当たる」など、こうした例はいくらでもあります。
私たちの脳は、意識していなくても、常に結び付きを作っている。記憶を処理する間も、結び付きの一部しか意識には現れない。
例えば、私がリンゴを見るとき、リンゴは赤い、丸い、果物、皮、軸、パイなど、私がリンゴについて持っているすべての体験と関連する記憶ネットワークにつながる。
食べるか食べないかは、心の中に生じる感情によって決まる。お腹が空いている? 腐ったリンゴを食べてお腹が痛くなった経験があれば、二度と食べないかもしれない。
問題は、記憶が私たちを適切に導いているのか、それとも、してはいけないことをさせているのか、すべきことをさせないでいるのか、ということである。(p33-34)
仮に自動的な連想のうち、トリガーとなるもの(「バラは赤い…」や「犬も歩けば…」の部分)をA、それによって勝手に思い浮かぶ続き(「…スミレは青い」や「…棒に当たる」の部分)をBとしましょう。
Aと言われると、無意識のうちに即座にBが思い浮かんでしまうのは、脳が常に記憶を関連付けしているからです。これは言葉のフレーズの関連付けにとどまらず、あらゆる記憶で生じています。
わたしたちのありとあらゆる行動は、こうした記憶の連鎖的な関連付けに自動的に導かれています。そして、ほとんどの部分は無意識のうちに処理されるので、わたしたちはどんな記憶によって行動が引き起こされているか気づくことができません。
たとえば、今引用いた説明でいえば、過去に腐ったリンゴを食べてお腹を壊した経験をしたら、その具体的なエピソードを覚えていないとしても、リンゴを見ればお腹が痛くなったり食欲が失せたりするかもしれません。
過去に何があったか、意識の上では覚えていなくても、無意識の身体がすべて記憶して関連づけているのです。
これは、動物行動学におけるパブロフの犬の「条件付け学習」の一種です。わたしたちが自動的に行なっているあらゆる行動は、過去に条件付けられた学習のたまものです。
本来、AならBという記憶の結びつきが生じるのは、わたしたちが日常生活をスムーズに生きるためです。自動的に処理する条件付けを作ってくれることで、わたしたちは学習し、成長していくことができます。
しかし自動的な記憶の関連付けは、ときに不適応な行動パターンを作ってしまうことがあり、自分ではどうしようもできない不合理な症状を引き起こします。それがトラウマです。
トラウマ障害において、さまざまな症状が起こるのは、Aという刺激があれば、Bという症状を引き起こすよう記憶が条件付けされているからです。
記憶の関連付けは、思いもよらないところで生まれ、現在にいたるまでわたしたちの心身に影響を及ぼしています。たとえば、こんな事例がありました。
覚えておきたいのは、父親の死や事故といった大きなトラウマがなくても、何年も症状が続く場合があることだ。
例えばジャニスは、長年にわたる制酸薬(胃酸中和剤)の乱用でセラピストを訪れた。すでに過度の制酸薬服用で胃を荒らし、彼女の生命を脅かしていた。
彼女は、なぜ服用を始めたのか覚えておらず、ただ胃の調子が悪くなることに極度の恐怖を抱いていた。
セラピストがこれから紹介するEMDRを使用してこの感情の原因を調べたところ、ジャニスは小学校の教室で隣りに座っていた女の子が嘔吐したことを思い出した。その子は、嘔吐を止めようとして口に手を当てたが、嘔吐物が隣にしたジャニスの髪に飛び散った。
ジャニスは、恥ずかしさと不潔感でパニック状態になって教室を飛び出した。これが制酸薬乱用の根本にある記憶だった。記憶を処理すると、彼女はもう薬が必要だと感じなくなった。(p11)
まさか、小学校時代のその一瞬の記憶が、長年にわたる極度の恐怖を引き起こしているなど思いもしないものです。
しかもジャニスは、EMDRを受けるまで、その経験を忘れていました。ただ身体と心の反応だけが未処理のまま残っていました。
こうした、ささいに思える経験が長きにわたるトラウマを残すとは信じられないかもしれません。しかし、フランシーン・シャピロが述べるように、大人から見て小さなことが、子どもにとっても小さいとは限らない、ということを覚えておくべきです。
症状が長く続いていたり、深刻だったりするからといって、大きなトラウマがあったとは限らない。大人の目から見れば、些細な出来事が原因となることもある。
結局は、子どもの観点でトラウマと感じられたことが、脳に記憶として固定されるのである。(p11)
…愛されなければ死、望まれなければ死、受け容れられなければ死。自動的に生じる生存の不安が、処理システムの容量を超えてしまう。
こうして否定的な体験が保存されるのである。だから、大人がトラウマとみなすかどうかは問題ではない。(p48-49)
何がトラウマとなるかは人それぞれであり、どんな記憶がどんな症状と結び付くかも、時と場合によって千差万別です。子どものころはなおさら、主観的なイメージのせいで、ささいなことでもショッキングに記憶されることがあります。
わたしたちに備わる記憶の再処理システム
しかし、もし自然界で、ささいなことがトラウマになってばかりいたら、どんな生き物も生きていけないでしょう。
証拠の示すところによれば、人間を含め、生物には本来、不適応な記憶の結びつきを再処理する機能が備わっているようです。その記憶の再処理メカニズムこそが、夜の睡眠、とりわけレム睡眠と、それにともなう夢だと考えられています。
REM睡眠中、思考や情報が他の記憶と統合され、一体化することによって学習が生じる。
研究では、人がある技能を教えられ、その夜REM睡眠に入ることを妨げられるとその技能が失われるという。
REM睡眠中、脳の中では、適切な神経結合によって必要な連想や関連付けが生じる。記憶は処理され、適応的で役に立つものに変化する。(p23)
前述のとおり、スティックゴールドらの研究が示していたように、レム睡眠中は「通常の覚醒状態のときよりも、関係性の薄い連想が活性化」します。
これは言い換えれば、起きているときは「AといえばB」のような固定的な連想しか思い浮かばないのに、レム睡眠中は、「Aといえば、BまたはCまたはDまたはE…」といった、さまざまな可能性が連想されるということです。そのため夢は突飛で奇妙になります。
眠っているときにそうした多種多様な「関係性の薄い連想が活性化」されるのは、レム睡眠が記憶の結びつきを再処理し、不適応な結びつきを、もっと適応的な結びつきへとインデックスしなおすためです。
起きているときに「AならばB」という不適応な記憶のつながりができたとしても、レム睡眠の再処理システムが働いていれば、眠っているうちに夢の中で別の可能性がシミュレートされ、不適応な関連付けは弱められます。
しかし、PTSDなどのトラウマ障害の患者たちは、ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法で語るように、この再処理のシステムがうまく働いていないようです。
経験どうしを結合し直せないのは、PTSDの顕著な特徴の一つでもある。
…トラウマを負った人は凍りついた連想の中に閉じ込められている。
ターバンを巻いている人は誰もが私を殺そうとしている。私を魅力的だと思う男性は誰もが私をレイプしたいと思っていると考えてしまうのだ。(p431)
記憶の再処理がうまく機能しなければ、不適応な記憶の結びつきは修正されず、凍りついたままになってしまいます。それは言い換えれば、トラウマを負った日以来、学習が止まってしまうということです。
そのため、 過去をきちんと過去にする:EMDRのテクニックでトラウマから自由になる方法に書かれているように、トラウマを負った人は、トラウマの瞬間に永遠に閉じ込められてしまいます。
ベトナム戦争に従軍した兵士が、30年以上前の出来事を思い出す場合も、同じである。
何度も従軍し、多くの死者を見てきた海兵隊員が、たった1人の死に様に悩まされることもある。そのことを思うと、当時と同じ絶望感、痛み、悲しみ、怒りを感じ、その感情を持ったまま周囲に接してしまう。
同様に、1年前にレイプされた人も、50年前に性的虐待を受けた人も、PTSDになれば過去は現在に等しい。(p8)
トラウマを負った人が、いつまでも過去の記憶に悩まされるのは、記憶の処理という観点からすれば、文字通りトラウマの日を堺に時間が止まっているからです。記憶の処理が止まっていて人生がフリーズしたままなのです。
このような人たちの場合、レム睡眠が正常に働いていないので、記憶を再処理するためには、人為的にレム睡眠のシステムにアクセスしなければなりません。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で引用されているスティックゴールドが示すとおり、それがEMDRの働きだと思われます。
EMDRにおける左右交互の刺激が、レム睡眠時に見られるものと似た方法で脳の状態を変えられるのなら、EMDRがPTSD患者では阻害されたり無効になったりしているかもしれない、眠りに依存するプロセスを利用して、効果的な記憶の処理とトラウマの解決をさせることができるはずであるという、確固たる証拠が今や存在する」(p431)
EMDRの眼球運動がレム睡眠のメカニズムを利用してトラウマを処理していることを考えると、従来の治療法よりも高い効果を示したり、セラピストと患者の信頼関係の土台がなくても功を奏したりするのは不思議ではありません。
EMDRは心理療法のセラピーというよりは、生物にもともと備わっているトラウマの再処理システムを活性化させているだけだからです。そのシステムは本来1人で眠っている間に働くものなので、必ずしもセラピストとの信頼関係には左右されないのです。
しかしながら、なぜトラウマ患者たちは、この本来備わっているはずの記憶の再処理システムが働かなくなっているのでしょうか。
近年の研究によれば、睡眠障害はトラウマの結果として生じるだけでなく、トラウマに先立つ場合があることがわかっています。もともと睡眠不足状態にある人ほどPTSDを発症しやすく、睡眠をしっかり取れている人はPTSDになりにくいようです。
慢性的な睡眠不足などが続いて、再処理システムが機能不全になっているところにショッキングな体験が生じると、トラウマを処理できなくなり、PTSDが発症します。
最近の記事で書いたように、現代のわたしたちは、産業革命以前には考えられない規模の光害にさらされており、ほぼすべての人が潜在的睡眠不足を抱えています。
そして潜在的睡眠不足を抱えた人は、自分が睡眠不足に抱えていることに気づかないだけでなく、気づかないうちにレム睡眠が削ぎ落とされています。
セキュリティ的にはより安全になっているにもかかわらず、現代社会にこれほどトラウマが蔓延し、ささいな経験にも傷つきやすい人が増えているのは、気づかないうちにレム睡眠の機能不全を抱えている人が非常に多いことを意味しているのかもしれません。
なお、ここでは特に記憶の処理におけるレム睡眠の役割について考えましたが、記憶の処理には睡眠の他の部分も関係していて、その全容はいまだ解明されていません。EMDRのメカニズムもまた同様です。
EMDRの限界ー幼少期からの慢性的なトラウマ
ここまでのところを見ると、EMDRはトラウマ治療における魔法の弾丸のように思えます。実際、この本を読むと、どんなトラウマでもEMDRで治るかもしれない、という気にさせられます。
しかし、ヴァン・デア・コークの身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法を見ると、EMDRの治療成績には無視できない課題があります。
児童期にトラウマを経験した人は、大人になってトラウマを負った人とは、EMDRに対して非常に異なる反応を示したのだ。
八週間のセラピーの終わりに、EMDRを受けた人のうち成人後にトラウマ体験をしたグループのほぼ半数は、完全な回復を示す評価得点を得たのに対し、児童虐待を受けたグループでそうした顕著な改善を示したのはたった9パーセントだった。
八ヶ月後には、成人後のトラウマ体験グループの回復の割合は73パーセントで、児童虐待の被害者は25パーセントだった。(p420)
EMDRの効果が十分発揮されるかどうかは、患者のトラウマ歴に左右されてしまうのです。EMDRは大人になってからトラウマを経験した人には大きな効果を上げますが、幼少期からの慢性的なトラウマには不十分さが残ります。
今回読んだ 過去をきちんと過去にする:EMDRのテクニックでトラウマから自由になる方法では、幼少期のトラウマから成人後のトラウマに至るまで、EMDRがどんなトラウマにも効果を示すことを物語る、多種多様な事例が網羅されていました。
どちらかというと子ども時代のトラウマ体験のほうが主眼となっているので、成長してからの衝撃的な体験でも、同じほど大きな苦痛が引き起こされることがわざわざ補足説明されているほどです。(p33,59)
しかし、子ども時代のトラウマと言っても、先に挙げた同級生の嘔吐がきっかけになったトラウマをはじめ、小学校時代の恥ずかしい思いをした経験や、ふと投げかけられた言葉への傷つき体験など、比較的つかの間のトラウマがクローズアップされているように思います。
子ども時代の性的虐待のような極めて慢性的な逆境体験の例もいくつか挙げられていますが、全体の印象としては、一過性のショッキングな経験が未処理の記憶となって慢性的な症状をもたらす、という例のほうが多いでしょう。
しかしボールが転がり落ち、ジョーは思わずボールを追いかけようとした。すると、母親が追いかけてきて腕をつかみ、お尻をぶったという。
つまり、彼が自分の欲しいものを追ったことで、彼を罰したのである。これほど些細な出来事が、否定的な感情とそれに伴う思い込みを30年間も固定したのである。
重要なのは、これが幼少期の虐待の例ではないということである。
…ジョーにとって、この出来事は人生で一度きりだった。しかし、人生において、他に何が起ころうと、個々の出来事が、否定的な感情、身体的な感覚、思考ともども、そっくり記憶されることがある。(p13)
この事例の場合、はっきり「人生で一度きり」の体験がトラウマになっていたと書かれています。
ヴァン・デア・コークの研究で示されていた、EMDRが効きやすい人とあまり効かない人の違いは、トラウマ経験がこうした一過性のものか、それとも慢性的なものかに左右されていると思われます。
先ほど身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法から引用した続きで、こう説明されています。
長年にわたる児童虐待は、成人期にトラウマを負わせる個々の出来事とはまったく異なる精神的適応や生物学的適応を引き起こすのだ。
EMDRは、頑固なトラウマ記憶に対する治療法としては有効だが、児童期の身体的虐待あるいは性的虐待に伴う裏切りや遺棄の影響を必ずしも取り除くわけではない。(p420)
「長年にわたる児童虐待」、つまり子ども時代の慢性的なトラウマ体験は、「成人期にトラウマを負わせる個々の出来事とはまったく異なる精神的適応や生物学的適応を引き起こす」のです。
幼少期に慢性的なトラウマ経験にさらされた人と、一過性の衝撃的なトラウマにさらされた人とでは、生じる障害が異なるので、EMDRが効くかどうかも違ってきます。
一過性のトラウマ体験は、よく知られたPTSDという症状を引き起こします。EMDRが効果を示すのも、主にこのPTSDに対してです。
他方、慢性的な幼少期の逆境体験によって生じる症状は、PTSDとはまったく異なるので、ヴァン・デア・コークは、発達性トラウマ障害(DTD)という新しい概念を提唱しました。
発達性トラウマ障害の人たちは、しばしば一過性のトラウマが引き起こす過覚醒やフラッシュバックのようなPTSD症状とはまったく逆の、麻痺したり凍りついたり感情を失ったりする症状、すなわち解離と呼ばれる症状を呈します。
解離は、日常的、慢性的に脅威にさらされてきた子どもたちが身につける一種の適応であり、その異常な環境に慣れて感覚を麻痺させることで生き抜く生存戦略です。
今回読んだ、フランシーン・シャピロの 過去をきちんと過去にする:EMDRのテクニックでトラウマから自由になる方法では、PTSDやトラウマという表現は繰り返し出てきますが、解離には一言も触れられていませんでした。
解離を示唆する記述はところどころに見られますが、概念としては扱われていません。おそらく本書のテーマからそれるため、あえて触れなかったのではないかと思います。
「どうしたら安全に感じられるか」を知らない
なぜEMDRが、幼少期からの慢性的なトラウマや解離には効果が乏しいのか、はっきりとした説明はありませんが、EMDRの作用メカニズムを考えると、ある程度推測することができます。
EMDRは、AならばBという不適応な条件付けを、より適応的なものへ修正し、再処理していく治療手法でした。
記憶の再処理を成功させるには、どの記憶の結びつきが「不適応」で、どう修正すれば「適応的」になるか、脳が判断できなければなりません。言い換えれば、正常と異常の正しい規準を脳が持っている必要があります。
一過性のトラウマを経験した人たちは、普段から正常な日常を送ってきて、たまたまショッキングな出来事に遭遇しただけなので、脳は何が正常で何が異常かを理解しています。
しかし慢性的なトラウマを抱えた人たちは、長きにわたり異常な環境に適応してきたので、正常と異常の感覚が逆転しています。彼らの脳は感覚が麻痺していて、トラウマを日常だと判断するので、ストレスを認識しません。
ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、慢性的な虐待のサバイバーと、そうでない人たちとのストレス反応の違いについてこう書いているとおりです。
どちらのグループの参加者も、評価されるたびに、それまでの一年で自分の身に起こったうちで最悪の出来事について話すように求められた。
…最初の評価のときには、どの参加者も苦悩の反応を見せた。三年後、同じ問いに対して、虐待を受けていない参加者は再び苦悩の徴候を見せたが、虐待を受けた参加者は機能停止に陥り、麻痺状態になった。
彼女らの生物学的作用も、観察可能な反応と一致していた。最初の評価のときには参加者全員がストレスホルモンであるコルチゾールの値の上昇を見せたが、三年後には、虐待を受けた参加者が一年間で最もストレスを感じた出来事を報告したとき、コルチゾールの値は下がった。
時がたつうちに、体が慢性的なトラウマに順応したのだ。(p271)
日常的に逆境にさらされる中で育った人にとってみれば、解離をはじめとする症状は不適応な条件付けどころか、「体が慢性的なトラウマに順応した」結果獲得した、「適応的な」条件付けなのです。
トラウマだらけの日常に適応し、順応しきってしまった人の脳は、どうして記憶を再処理する必要を認識できるでしょうか。どこに問題があるのか脳が気づけないのは、トラウマを治療する以前の問題です。
トラウマをうまく処理するには、そうした脳領域がすべて稼働し続けていなければならない。
スタンの場合は、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)のおかげで、事故の記憶に圧倒されることなく、その記憶にアクセスできるようになった。
…ユートの場合には、解離(ご記憶のとおり、彼女は完全に機能停止に陥っていた)のために、別の意味で回復が容易でなかった。
現在に関与するのに必要な脳構造がすべて稼働を停止していたので、そもそもトラウマを処理しようがなかったのだ。(p360)
ヴァン・デア・コークは、幼少期の逆境体験から解離を身に着けた人たちは、そもそも、何が安全かを判断する感覚を持っていない、とも述べています。
ライオンズ=ルースの研究から、解離は幼少期に学習されることが明らかになった。
…根底にある重要な問題は、これらの患者が、どうしたら安全に感じられるかを知らなかったことだ。
養育者との幼少期の関係に安全性が欠けていたため、心の中の現実感が損なわれたり、過剰に依存心が強まったり、自己破壊的な行動をとったりのするという結果につながった。(p201)
幼少期からずっとトラウマにさらされてきたせいで、「どうしたら安全に感じられるか」を学ぶ機会さえなかったなら、脳はどの記憶の関連付けが不適応なのか見分けられません。どのように再処理していけばいいのか見当もつかないでしょう。
この点を理解するには、幼少期から目の見えない人と、大人になってから目が見えなくなった人の違いについて考えてみるといいかもしれません。
もともと目が見える人が、何かの病気で視力を失った場合、手術で視力を回復させることができれば、その人は再び見えるようになります。
しかし、幼少期から目の見えない人は、大人になってから見えるようになる手術を受けたとしても、正常に見ることができません。ものを見るという概念そのものが存在していないからです。
このような例は、オリヴァー・サックスの、火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)の『「見えて」いても「見えない」』という章で詳しく考察されています。
章全体で紹介されているのは、幼少期から視力が弱く、6歳で目が見えなくなり、50歳のときに手術によって目が見えるようになったヴァージルという男性のエピソードです。
周囲の家族は、良かれと思って彼に手術を受けさせました。手術によってすぐ目が見えるようになり、盲人だった彼が「普通の人」になると思ったからです。
ところが、目が見えるようになったヴァージルに生じたのは周りの人が期待した奇跡ではなく、戸惑いでした。
生まれながらに見える者には、こんなとまどいは想像もできないだろう。はじめから五感が補いあって働き、見えるものと概念と意味が一体になった世界がかたちづくられているからだ。
毎朝、目覚めて見るのは、生まれて以来、学びつづけてきた世界だ。その世界は与えられるのではない。間断のない経験と区分けと記憶と関連づけを通じて、自分でつくりあげてきた世界だ。
だが、四十五年間盲人だったヴァージルが目を開いたとき、彼には子供時代に見た視覚的世界のかすかな記憶しかなく、それもとうに忘れられていた。(p175-176)
ヴァージルは、目が見えなかったころ、手や音を使って、椅子を、果物を、家族を、ありとあらゆるものを認識していました。彼の頭の中には、それぞれに対応した、目が見えないからこそ培われた「記憶と関連づけ」がありました。
そのようにしてすでに完成された概念をすべてひっくり返して、今や見えるようになった不可思議で一貫性もないさまざまな形に結びつけるにはどうすればいいのでしょうか。
ヴァージルは手術から五週間後、「盲目だったころには自信をもって動けたのに、それができなくなって、前よりも障害者のように感じることがある」と言いました。(p182)
やがて彼は、目は見えているはずなのに、視覚情報を遮断して、盲目のころのような行動を見せるようになりました。(p202)
そして運命のいたずらか、彼は大病を患い、その結果、手術前よりももっとひどい盲目になってしまいました。
せっかく手術で見えるようになったのに、また盲目に逆戻りして、以前よりも悪くなったことに、ヴァージルは落胆したでしょうか。
いいえ、彼は「そんなこともあるさ」と動じませんでした。この章はこう結ばれています。
視力が戻った当初には驚き、感激したし、ときには喜びもあった。…だが、やがて見ることと見ないこととの葛藤が生じた。見える世界をつくりあげられないのに、自らの世界を捨てなければならないという葛藤だ。
彼はふたつの世界のあいだで引き裂かれ、どちらにいても落ち着けなかった。逃げ場のない苦しみだ。
だが、皮肉なことに二度目の決定的な盲目というかたちで、救いが与えられた。盲目を彼は贈り物のように受け取った。
ついにヴァージルは見なくてもすむようになった。わけのわからないまばゆい視覚の世界と空間から逃げることを許され、ほぼ五十年慣れ親しんだべつの感覚の世界に、ようやく身を落ち着けることができたのである。(p221-222)
このエピソードは、子どものころから異質で慢性的な環境に順応してきた人たちが、本来あるべき状態に回復するのが、いかに難しいかを物語っています。
ヴァージルの脳は、幼少期から続く、「見えない世界」に順応し、完全に適応していました。手術を受けて、見えるようになっても、どうやって物を見ればいいのかわからないせいで、「見える世界」に適応できませんでした。
幼少期から慢性的な逆境に適応してきた人も、同様の問題を抱えています。彼らの脳は、逆境に順応して配線されているので、たとえ治療を受けたとしても、ごく普通の日常世界に適応していくのが非常に困難です
以前の記事で詳しく説明したように、一度も普通の生活を送ったことがないサバイバーたちは、平和な現実でどうやって生きていけばいいのか、想像することさえできません。そうした概念さえ存在していません。
ごく普通の家庭で育ってきた人たちには、「こんなとまどいは想像もできない」でしょう。
大人になってからPTSDを発症した人たちは、大人になってから目が見えなくなった人と似ています。治療によってもとの健康な状態に戻ることができれば、本来の人生を取り戻せます。
しかし、幼少期から慢性的な逆境に適応し、解離によって生き延びてきた人の場合、トラウマ治療とは、ごく普通の日常という、今まで経験したことのない異質な環境に新たに適応していくことを意味しています。
解離とは、いわばトラウマが見えなくなる状態です。子どものころから慢性的な逆境にさらされた結果、日常に蔓延するトラウマを認識できなくなり、あたかも「見えない世界」に適応したかのようです。
解離を治療するということは、今まで認識できなかったトラウマを可視化することを意味しています。子どものころから、トラウマを意識できない「見えない世界」に適応していた人が、トラウマと向き合う「見える世界」へ放り出されるのと同じです。
場合によっては、「見える世界」に適応するより、子どものころから慣れ親しんできた「見えない世界」に逆戻りするほうが楽だとさえ感じるかもしれません。
手術によって目が見えるようになったヴァージルが、しばらくすると盲人のころのような振る舞いに戻ったことを思い出してください。このとき彼に何が起こっていたか、サックスはこう説明しています。
ふつの視力をもった者なら、目で見てかたちや境界や物体、光景を見分けるのに大した努力はいらない。
生まれたときからそのようにして視覚的世界をつくりあげてきたのだし、そのための効率的で膨大な認知装置も発達している(ふつう、大脳皮質の二分の一が視覚情報の処理に使われている)。
ところがヴァージルの場合は、この認知力が未開発で原始的なため、大脳の視覚/認知領域の負担がすぐに過重になった。
どんな動物の脳のシステムも、過剰な刺激や、ある閾値を越えた刺激を受けるととつぜんに機能を停止する。こうした反応は個体差や動機づけとは関係がない。
純粋に器質的、生理学的なもので、大脳皮質のどの部分にも起こりうる。神経の過重負担に体ある生理学的な防衛反応なのだ。(p201-202)
ヴァージルは、視覚を通して入ってくる情報があまりに強烈すぎて耐えられなかったので、「神経の過重負担に体ある生理学的な防衛反応」つまり解離を用いて、視覚をシャットアウトしてしまっていたのです。
手術によって「見える世界」に放り出されたヴァージルが、衝撃的な情報に耐えられず、解離を用いて「見えない世界」に逆戻りしてしまったのと同じことが、トラウマ治療においても起こりうるでしょう。
慢性的なトラウマに適応してきたサバイバーたちは、EMDRによってトラウマと向き合う「見える世界」へ連れ出されても、そのような日常に耐えられなくなり、再び解離によって「見えない世界」へと逆戻りしてしまうかもしれません。
最終的に、ヴァージルが「ほぼ五十年慣れ親しんだべつの感覚の世界」に身を落ち着けたように、子どものころから慣れ親しんだ世界を変えるのは容易ではないのです。
EMDRは、患者がもともと記憶を再処理するための正常な感覚を持っていることを前提にした治療法です。前提そのものが成立しなければ、記憶を適応的に処理していくことは困難です。
長年の慢性的な逆境に順応してきた人たちを治療するには、EMDRによる記憶の再処理よりも前に、何が安全で、何が安全でないかに関する、身体に染み付いた感覚、つまり「基本的信頼感」の部分から変えていかなければなりません。
解離や自閉スペクトラム症にEMDRを用いる場合
しかしながら、幼少期に慢性的なトラウマを経験した人たちの治療に、EMDRが無力かというと、決してそうではないでしょう。ヴァン・デア・コークの研究でも、まったく効果がなかったわけではありませんでした。
一例としてヴァン・デア・コークは、非常に深刻な児童虐待のサバイバーだった21歳のキャシーの例を挙げています。
本来ならEMDRが効きにくいトラウマ歴なので、最初はEMDRを「補助的なセラピーとしてだけ使おう」としていましたが、やってみると驚くほど効果的で、深刻な児童虐待のサバイバーとしては最短記録ともいえる速度で回復したそうです。(p423)
オリヴァー・サックスが 火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)で書いていた、幼少期から目が見えず、大人になってから手術で見えるようになった人たちの経過は、人それぞれでした。
じっさい過去の患者の大半は、最初の有頂天の喜びが過ぎると新しい感覚に適応する困難さにうちのめされてしまったが、ごく少数はヴァルヴォが強調したようにうまく適応した。(p220)
EMDRによって幼少期からの慢性的なトラウマから回復できるかどうかも、人それぞれなのでしょう。ヴァン・デア・コークのデータが示していたように、8週間で9%、8ヶ月で25%の人が新しい現実に適応することに成功しました。
回復できるかどうかは、本人のもともとの回復力(レジリエンス)や、まわりの人たちのサポートなど、様々な要素が関係しているでしょう。
加えて、EMDRを他のセラピーと組み合わせることで効果を高められるかもしれません。
例えば、解離の専門家のサンドラ・ポールセンは、EMDRと自我状態療法を組み合わせて解離を治療していました。
国内の児童虐待の専門家である杉山登志郎先生は、EMDRだけでは治療が堂々めぐりになって進まないケースがあったために、自我状態療法を導入したと述べていました。
注意すべき点として、児童虐待のような深刻なトラウマがあり、解離によって厳重に記憶が隔離されている場合、EMDRで記憶のたがを緩めることにはリスクが伴います。
こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害の中で、解離の治療にEMDRを用いるときの注意点がこう書かれていました。
EMDRは解離性障害の治療にも有効と考えることはできると思います。
しかし、その適用には細心の注意が必要です。
眼球運動による連想の活性化は解離障壁を乗り越えて、解離されていた記憶が拡散する危険性があると考えられています。(p42)
同様に、フランシーン・シャピロは、今回の本の中で、自分で過去の記憶と向き合うための様々なテクニックを紹介してはいますが、深刻な症状を抱えた読者には「記憶想起の練習をしないほうがいい」と注意書きしています。(p61)
訳者の市井雅哉先生も、あとがきの中で「幼少期からの根深いトラウマを抱えた」人は「振り返る作業だけでも苦痛が膨らむ」ので専門家に相談するよう勧めています。(p293)
サンドラ・ポールセンの解離を対象にした自我状態療法では、EMDRによって強烈な記憶を思い出す場合に備えて、あらかじめ安全な場所のワークや、記憶を封じ込めるコンテナのイメージなどを強化しておくよう指示されています。
注目に値するのは、杉山登志郎先生が、もともと発達障害の専門家として、自閉スペクトラム症特有のフラッシュバックである「タイムスリップ現象」にEMDRを活用してきた点です。
フランシーン・シャピロもこの本の中で、自閉スペクトラム症に伴うトラウマの治療例を収録しています。
いま、小児科医に必要な実践臨床小児睡眠医学の中で、自閉症の当事者研究に詳しい熊谷晋一郎先生は、自閉スペクトラム症では必ずしもトラウマティックだとは限らない様々なフラッシュバックや、それとに伴う堂々めぐりの反芻思考(「ヒトリ反省会」のようなもの)が起こりやすいことを指摘しています。(p98)
本来ならば睡眠中に生じる記憶処理(システム・コンソリデーションと呼ばれる)が、起きているあいだに割り込んできている結果ではないか、と推測されており、自閉スペクトラム症では、PTSDと類似した記憶処理の問題が生じやすいようです。(p101)
さらにまた、先ほど、文字通りの視覚障害を抱える人が直面する問題を、トラウマ障害の場合と比較しましたが、両者には比喩的な類似点以上の共通性があるのかもしれません。
以前の記事で書いたとおり、自閉スペクトラム症では視覚認知が鋭く、細部に注目する傾向があることが知られています。PTSDを抱える人も似た傾向を持っており、トラウマ記憶の多くは、視覚性のフラッシュバックを伴います。
このような人たちにEMDRが効くのは、視覚認知が鋭いことでトラウマが「見えすぎて」しまい、ありのままり、ないしは見たままの記憶が脳に焼き付くことによって生じる苦痛を和らげているといえます。
他方、慢性的な性的虐待やDVにさらされたサバイバーたちは、解離によってトラウマを「見ない」ようになるだけでなく、文字通りの意味においても、現実を見ないように脳が適応して、視覚野が萎縮したり、視覚性ワーキングメモリが低下したりすることがわかっています。
視覚認知能力が低下するので、不注意や見落としが多く、読書困難や、ぼんやりするなどの症状を伴います。比喩的な意味でトラウマが「見えない」だけでなく、文字通りの意味でも十分に見えていません。
単なる視力の良し悪しではなく、視覚認知能力の観点からすれば、自閉スペクトラム症やPTSDは文字通り「見えすぎる」傾向があり、解離によって感覚が麻痺した人は文字通り「見えていない」傾向があります。
PTSDのフラッシュバックのような、「見たまま」「ありのまま」の未加工な記憶は、脳の右半球によって想起されることがわかっています。
EMDRやレム睡眠は、眼球の左右の運動を通して、脳の左右を連携させ、右半球だけに依存していた未処理のトラウマ記憶を、両半球が関わる適切な記憶へと加工しているのかもしれません。
おそらく、目の動きでトラウマを再処理するEMDRが、PTSDや自閉スペクトラム症に対して効果を示し、解離には部分的にしか効かないことは、それぞれの視覚認知能力の違いと無関係ではないのでしょう。
このように、EMDRは記憶の再処理に最適な治療法であると同時に、他のあらゆる治療法と同じく、限界やリスクも抱えています。
一過性のトラウマでPTSDになった人も、慢性的かつ複雑なトラウマを抱える人も、さまざまな治療手法に熟達したセラピストを探すことが大切です。
国内のEMDRの専門家は、日本EMDR学会のリストから調べることができます。
自分を探るための様々なテクニック
どの程度実践できるかは、それぞれの人の状況によりますが、過去をきちんと過去にする:EMDRのテクニックでトラウマから自由になる方法では、EMDR以外にも、トラウマを抱える人が、自分の内面を探ったり、行動をコントロールしたりするための様々なテクニックが紹介されていました。
繰り返し強調されているのは、トラウマは、単なる過去の嫌な記憶ではなく、無意識の身体症状に関連付けられ、自動的にさまざまな反応を引き起こしている未処理の記憶だということです。
わたしたちは、普段抱えている様々な症状が、過去の何かしらの体験の未処理の記憶によって引き起こされていることを意識していません。
しかし、この本に載せられている「否定的認知のリスト」(p92)や「安全ではない感覚のリスト」(p114)を読みながら、注意深く自分の身体の反応を観察することで、自分の内面を探ることができます。
知っておくと役立ちそうなのは、「集団に対してEMDR療法を行うためにメキシコで開発された」バタフライハグと呼ばれるテクニックです。このブログでも以前に紹介しましたが、この本ではかなり詳しく方法が解説されていました。(p45,120,248)
練習する場合は、安全また穏やかな場所とそれに結び付く肯定的な言葉を思い浮かべ、その安全または静かな状態に入り込む。
その感覚が得られたら、大腿を交互に、またはバタフライハグの状態で肩を4~6回叩き、止めてから深く息を吸ってどう感じるかを見る。1セットやったら目を開けてみよう。(p45)
バタフライハグは、EMDRの左右交互刺激と、安全な場所のイメージを条件付けることで、いつでもどこでもすぐに気持ちを落ち着かせるテクニックとして役立てることができます。この本では被災地で活用されている例が紹介されています。
1セットが4~6回と少なめですが、これは短時間の練習を繰り返して、肯定的な条件付けを強化する目的のようです。長々と続けると、否定的なイメージが浮かんできて条件付けされるおそれがあるので注意が必要です。
この本には、ほかにも、 TICESリスト、スパイラルテクニック、光の流れのテクニックなど、NLPを応用したような実践的なテクニックが色々と載せられているので、参考になるかもしれません。
何より、この本は多種多様な事例のエピソードが収録されており、トラウマがさまざまな要因で生じ、極めて多様な症状をもたらすことを雄弁に語っています。
たとえば、トラウマに遭った人の生々しい体験談を聞かされたことで、自分がそれを経験したかのようなトラウマ症状が引き起こされてしまう「代理トラウマ」は、感受性が強く、感情移入しやすい子には生じやすいかもしれません。
トラウマが記憶の結びつきであることからすれば、あまりにありありとしたイメージが伴っていれば、脳は他人が経験したものを自分が経験したものと区別しないのです。
この本では、強制収容所で苦しんだかのような強烈な記憶に悩まされ、前世の記憶ではないか、と悩んでいた男性が、実は幼いころに祖父から強制収容所体験を生々しく聞かされたことによる代理トラウマだと気づいた例が載せられています。(p133)
幼少期のストレスが気管支喘息として現れる例が多いこと(p126)、慢性疼痛や麻痺として現れ、歩行器を必要とするような症状を引き起こしうること(p131-138)などは、トラウマが単なる心の問題ではないことを理解するのに役立ちます。
幻肢痛がEMDRによって軽減できるという研究は、トラウマという概念そのものを見直す助けになります。以前に別の記事で扱ったように、幻肢痛や解離性障害、慢性疼痛、摂食障害、などは、いずれも共通したメカニズムを持っています。
こうした多岐にわたるエピソードは、読者が自分の抱える問題を客観的に見つめ直すヒントになるでしょう。
最初に書いたように、難しい用語を使うことなく、事例や実践的なテクニックを中心にして、一般向けにまとめられた読みやすい本なので、EMDRやトラウマ治療に興味のある人はぜひ読んでみてください。
最後に、この本を読んでいて、一番印象深く感じたエピソードを引用して終わりたいと思います。
最近のことだが、80歳の女性がどうしたも私に会いたいと自分のセラピストに頼んだそうだ。彼女は、第2次世界大戦中、日本で子ども時代を過ごしたという。
…彼女の母親は彼女が3歳のときに家族を捨てた。父親は、彼女が学校に行っている間に日本軍に徴兵され、二度と会うことはなかった。彼女は空襲に遭い、レイプされた。
彼女がどれだけ辛い思いをしたかは想像に難くない。
数週間の治療後、彼女の生活は変わった。彼女は自分のセラピストに「人生で初めて自由になった気がする」と言ったそうだ。
80歳の脳でも、70年間未処理のままだった情報を消化し、適切に保存することができる。つまり、いつになっても遅すぎるということはないのだ。(p50)