「自意識過剰じゃないの?」「意識しすぎてる」「神経質すぎる」「気にしすぎ」。
まじめで感受性の強い人ほど、家族や友達から、こんなことを言われた経験がたくさんあるでしょう。
自分について思い悩みやすい、恥をかくことへの恐れが強い、人の目を気にして過剰に空気を読みやすい。そんな人たちの特徴は、確かに「意識しすぎる」ことから来ています。
けれども、「意識しすぎる」のは単なる気の持ちようなのでしょうか。周りの人が言うように、もっと気楽に構えれば気にならなくなるような、単なる思い込みにすぎないのでしょうか。
そうではありません。ビアンカ・アセヴェド(Bianca P Acevedo)らによる、敏感な人(HSP : Highly Sensitive Person)の研究によれば、こうした人たちは、「自己意識」を作り出す脳領域の活動が活発だということが確かめられているからです。
Across all conditions, HSP scores were associated with increased brain activation of regions involved in attention and action planning (in the cingulate and premotor area [PMA]).
For happy and sad photo conditions, SPS was associated with activation of brain regions involved in awareness, integration of sensory information, empathy, and action planning (e.g., cingulate, insula, inferior frontal gyrus [IFG], middle temporal gyrus [MTG], and PMA).
敏感性感覚処理(SPS)の数値が高いHSPの人たちは、たとえば、cingulate(帯状回), insula(島)などの脳領域の活性が高く、その部位はawareness(意識)などの機能と関係しているとされています。
意識しすぎるのは、単なる気の持ちようではなく、脳の「意識」に関わる領域の過活動だったのです。
さらに、興味深いのは、HSPの人たちが慢性的なストレスにさらされたときに陥りやすい「解離」と呼ばれる低覚醒状態では、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアに書かれているように、これらの脳領域の活動が逆に低下する、ということです。
ラニウスとホッパーのfMRI研究を思い出してみよう。解離状態の患者には、身体感覚を制御する脳領域(島および帯状回)の大幅な活動低下が認められた。(p139)
島および帯状回は、体内の受容体からの感覚情報(内受容)を受け取る脳領域であり、ヒトが自らの「固有性」そのものとして感じ理解しているものの基礎を形成する。(p125)
HSPの人たちは、「意識しすぎる」傾向を持っています。しかし、それゆえにトラウマに直面すると圧倒されてしまい、まったく逆の極端、「意識を飛ばす」解離によって対処しがちです。
この記事では、HSPや解離について調べていると頻繁に名前を見かける、「島」と「帯状回」という自己意識に関わる二つの脳の領域について、どんな機能を持っているのか、文献をまとめてみました。
ちょっと難しい内容が多いですが、HSPを科学的に考えたい人にとっては必須の知識だと思います。
これはどんな本?
意識と自己の研究、およびそれに関わる島や帯状回の役割についての研究は、神経科学者アントニオ・ダマシオやバド・クレイグの研究に多くを負っています。
本来であれば、その両者の著書を参考にするのが一番よいのですが、ダマシオの本は邦訳があるのに対し、クレイグの本の邦訳はまだありません。
それでこの記事では、アントニオ・ダマシオの自己意識の研究については、彼の著書意識と自己 (講談社学術文庫)から、バド・クレイグの島皮質の研究については別の研究者による私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳や腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するかといった本から、おもに引用しています。
「島」や「帯状回」が活発な人たち、そうでない人たち
冒頭で書いたように、感受性の強いHSPの人では島(島皮質)や帯状回(帯状皮質)の活動が活性化しているのに対し、トラウマなどで解離状態になると、反転して活性が低下することが確認されています。
しかし、島や帯状回の活動は、そのほかの人たちとも関係しています。
島皮質や帯状回皮質が、どんな役割を持っているのかを考える手がかりとして、まず、それらの領域が活性化している人と、活動低下している人たちについて調べ、共通点を考えてみましょう。
(1)HSPでは活性化、自閉スペクトラム症では低下
まず、先に引用したビアンカ・アセヴェドらの研究で示されているように、ひといちばい敏感で感受性が強い、HSPと呼ばれる人たちの場合、島皮質や帯状回の機能が活発であることがすでに確かめられています。
HSPという概念の提唱者である心理学者エレイン・アーロンは、ひといちばい敏感な子の中で、次のように説明しています。
ビアンカ・アセヴェドによる研究で、HSPと非HSPが、それぞれ知らない人と親しい人の写真を見た時の脳の働きを調べたところ、ヤゲロヴィッチの研究結果と同じく、HSPは非HSPより精巧な認知をしているだけでなく、脳内の「島」と呼ばれる部位が活発に働いていることがわかりました
(この部位は、その時々の内面状態や感情、体の位置、外部の出来事といった情報を統合して現状を認識するので「意識の座(seat of consciousness)」と呼ばれることもあります)。
HSCが自分の内や外で起こっていることを、人よりよくわかっているとしたら、その時は、脳のこの部分が特に活発に働いているのでしょう。(p426-427)
ここで説明されているように、島皮質の活発な活動は、「意識の座(seat of consciousness)」が活発である、ということを示唆しています。
以前にHSPについての記事で詳しく説明したように、島皮質が活発なことは、自己という意識の灯火が明るいことに例えられます。
たとえば、自分の心の中をひとつの部屋として考えてみた場合、HSPの人たちは、部屋を照らす明かりがとても明るいため、自分の内面をよく見渡すことができ、他の人たちよりもさまざまな感覚に気づくことができます。
この島皮質の活発な活動は、HSPの人たちが持ち合わせている、共感や感情移入の鋭さとも密接に関連しているようです。
前出のビアンカ・アセヴェドの研究では、知らない人と自分の愛するパートナーが、うれしい表情、悲しい表情、普通の表情を浮かべている写真を見せたところ、HSPは脳内の認知に関与する「島」が、そうでない人よりも活発に働いていました。(p430)
自己の内面を照らす灯火が明るいおかげで、HSPの人たちは、ささいな感覚にも気づくことができます。人間関係においては、ちょっとした感情の機微にも気づくことのできる鋭さが、コミュニケーション能力の高さにつながります。
しかし、自分の内面を明るく照らし、ささいなことに気づいていまうという能力は、「自意識過剰」になる危険性をはらんでいます。ほかの人が気にしないようなことをくよくよ考えるので、「意識しすぎ」だと言われてしまうわけです。
このように、HSPの人たちの「自意識過剰」な傾向は、「意識の座」である脳の機能が活発すぎることから来ているとみなすことができます。
他方、しばしば感覚過敏のためにHSPの概念と混同される自閉スペクトラム症(ASD)の場合は、先ほどのような場面では、島や前帯状回の活動が低下していて、共感性を発揮できない傾向があるようです。
Anterior insular cortex regulation in autism spectrum disorders
Area of the Brain Affected by Autism Detected - Neuroscience News
これらの領域の活性が低下しているということは、自分の内面を照らし出す、「意識の座」の明かりが弱いという意味です。
自閉症の人たちは、「自己」という概念を持ちにくく、アイデンティティが希薄であると言われていますが、それは、自己や意識に関わる脳の機能の弱さから来ているのでしょう。
HSPの人たちが、自己の内面という部屋を明るく照らしすぎて、細かいことにまで気づいてしまうとすれば、自閉症の人たちは、暗い部屋を手探りで進まねばならないような過敏性を抱えている、とみなすことができます。
また、HSPの人たちの場合は、島皮質の活動が強いことが、高いコミュニケーション能力の一因となっていましたが、自閉スペクトラム症の人たちの場合は、島皮質の活動の低下が、コミュニケーションの難しさにも影響しているようです。
神経科学者V・S・ラマチャンドランは、脳のなかの天使の中で次のように述べていました。
自閉症者の脳の感覚経路3に異常が見られることが考えられる。
…島では、ある種の情動、たとえば社会的、道徳的嫌悪などを共感的に受けとめたり表出したりすることにミラーニューロンが関与していることがあきらかになっている。
したがってこれらの領域に損傷があると、そしておそらくは領域内のミラーニューロンに欠陥がある場合にも、突出風景にゆがみが生じるだけでなく、共感や対人的相互関係、模倣、ごっこ遊びもそこなわれる可能性がある。(p214)
HSPの人たちは、島皮質だけでなく、対人関係や共感に関係しているミラーニューロンシステムも活発ですが、自閉症の人たちはそれらの活動が低下しています。
「共感や対人的相互関係、模倣、ごっこ遊び」は、HSPのような感受性の強い子どもにはよく見られるものです。
HSPの子は、非常に社交的で、他の人のことが気になるあまり、存在しない人のことまでイマジネーションをふくらませてしまって、架空の友人(イマジナリーフレンド)を持つことがあります。
他方、自閉症の子どもには、「共感や対人的相互関係、模倣、ごっこ遊び」はほとんど見られず、架空の友人を作り出す場合でも、友だちというよりは仮面のような役割を果たすと言われていました。
(2)PTSDでは活性化、解離では低下
島や帯状回が活発になっている例とそうでない例の二組目は、トラウマ障害のPTSDと解離です。
PTSDは、過覚醒状態になって、パニックや動悸、強い不安感などに翻弄されるトラウマ後遺症であり、交感神経系による「闘争/逃走反応」(アクセル)が優位な状態です。
対する解離は、低覚醒状態に陥って、茫然自失、麻痺、失感情症などにとらわれるトラウマ後遺症であり、背側迷走神経系による「凍りつき/擬死反応」(急ブレーキ)が優位な状態です。
以前に詳しく説明したとおり、これらは脳科学的には真逆の反応であり、ひとくちにトラウマ・サバイバーといっても、PTSDの反応に悩まされている人もいれば、解離の反応に悩まされている人もおり、症状は人それぞれです。
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアによると、急性のトラウマ経験はPTSD反応を引き起こすのに対し、慢性的なトラウマ経験は解離を引き起こすとされています。
強いトラウマを受け慢性的にネグレクトまたは虐待された人は、不動およびシャットダウン・システムによって支配されている。
一方、急性のトラウマを受けた(最近の一度だけの出来事によることが多く、繰り返すトラウマ、ネグレクト、虐待歴がない)人は、通常、交感神経系の闘争か逃走というシステムによって支配されている。
急性トラウマを受けた人はフラッシュバックと動悸に苦しむことが多いが、慢性トラウマのある人は心拍数に変化がなく、むしろ減少している場合もある。
こういった人々は、もうろう感、非現実感、離人症などの解離症状や、さまざまな身体的および健康上の問題に悩むことが多い。身体症状には、胃腸症状、偏頭痛、ある種の喘息、慢性疼痛、慢性疲労、人生生活への一般的な関心の低下などがある。(p124)
単発で危機を経験すると過敏になってしまうのに対し、もっと長い間危険にさらされると麻痺してしまうということです。
興味深いことに、PTSDの過覚醒状態と、解離の低覚醒状態とでは、島皮質に正反対の反応がみられます。
研究では、シャットダウンおよび解離状態時には島が強く抑制されており、トラウマを受けた人は自らのからだを感じたり、情動を識別したり、ひいては自分(や他人)が誰なのかを認識したりできないことが確認された。
一方、被験者が交感神経性 過覚醒状態にある場合には、同じ領域が高度に活性化した。
右前島の劇的な活性化の増加によって、(不動、シャットダウン状態、および解離中の)身体意識がほとんどあるいは全くない状態と、交感神経性覚醒状態の一種の「過覚醒」状態との間に明確な区別が存在することが示唆される。(p135)
同じトラウマ反応でも、交感神経の過覚醒(PTSD)では、島の活動が劇的に増加しているのに対し、シャットダウン(解離)では、島が強く抑制されている、とされています。
同じ本の別の箇所の説明によると、島だけでなく帯状回も同じ傾向を示すことがわかります。
ラニウスとホッパーのfMRI研究を思い出してみよう。解離状態の患者には、身体感覚を制御する脳領域(島および帯状回)の大幅な活動低下が認められた。(p139)
上記の研究では、少なくとも30%の被験者に島および帯状回皮質の活動低下が認められた。この被験者らのPTSDの特徴は、解離および(迷走神経性の)不動状態であった。
一方、被験者の約70%が自律神経系の過覚醒の中でもより単純な症状を主訴とし、同じ領域において劇的な活動増加を示した。
島および帯状回は、体内の受容体からの感覚情報(内受容)を受け取る脳領域であり、ヒトが自らの「固有性」そのものとして感じ理解しているものの基礎を形成する。
活動低下は解離を表すのに対し、過活動は自律神経系の覚醒と関係がある。(p124-125)
交感神経の過覚醒であるPTSD状態では、島と帯状回が活性化するのに対し、迷走神経の低覚醒である解離状態では、島と帯状回が活性低下します。
つまり、前項で考えた、島が活性化しているHSPの状態はPTSDとよく似ており、島が抑制されている自閉スペクトラム症の状態は解離とよく似ている、ということになります。
PTSDはHSPと同じく、自意識過剰になってしまっている状態であり、解離は自閉スペクトラム症と同じく、自己が不在になっている状態です。
かたや「意識の座」が活発な人たちで、かたや「意識の座」が弱い人たちである、というところは共通しています。
これらは単によく似ているだけでなく、HSPは一種のPTSD的側面を有しており、自閉症は一種の解離である、ということなのかもしれません。
HSPの人たちは、生まれたときから敏感でちょっとしたことから強いショックを受けやすいため、脳がPTSD気味の過敏な状態に発達していきます。そのため、周囲の物事や他人の言葉に対して、敏感に反応しやすくなります。
他方、自閉スペクトラム症の人たちは、生まれたときから感覚統合が破綻していて、四六時中休みなく不快な刺激にさらされ続けます。その結果、感覚が麻痺してしまい、解離状態に陥ってしまいます。
近年では、自閉スペクトラム症のコミュニケーション障害や感情の読み取りの難しさは、生まれつきの感覚過敏のせいで、慢性的に解離状態に陥っているせいではないか、と考える専門家もいます。
生まれつき感覚統合が破綻していると、あたかも赤ちゃんのころから慢性的なトラウマにさらされているようなものなので、身を守るためにシャットダウンして麻痺してしまい、その結果、コミュニケーション能力が発達しなくなります。
とはいえ、当然HSPの人たちも、機能不全家庭や学校での辛い体験など、慢性的なトラウマ環境に置かれると、もともと活発な島や帯状回の活動が反転して、解離のシャットダウン状態に陥ってしまうことがあります。
それはちょうど、急性のトラウマによるPTSDが、トラウマが慢性的に続いた場合に解離に反転するのとよく似ているともいえます。
もともと生まれつきのHSPだったのに、その後の人生の慢性的なトラウマ体験のせいで解離状態に陥ってしまった人は、生まれつきの自閉スペクトラム症の人と見分けにくくなります。
以前のHSPの記事でも触れましたが、自分はアスペルガー症候群ではないか、と疑っている人の中には、もともと子どものころは感受性が強いHSPだったのに、機能不全家庭や学校でのいじめの体験のせいで、解離状態に陥っていて、一見アスペルガーに似ているだけの人がわりといるのではないか、と思います。
しかしながら、生まれてすぐから、あらゆる感覚が不快なために解離に陥ってしまう自閉スペクトラム症の人たちと、子ども時代までは逆に感受性が強く、その後にトラウマ環境せいで解離に陥ってしまうHSPの人たちとでは、神経系の発達が大きく異なっているはずです
以下の記事で書いたように、定型発達者(HSPも含む)の解離と、自閉スペクトラム症の解離が異なっているのは、このような背景から来ているのでしょう。
(3)恍惚発作では活性化、慢性不安では低下
三組目の例は、私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳に書かれている、てんかんの恍惚発作と、慢性不安の比較です。
さらには慢性不安や神経症的傾向も、前部島皮質との関わりで説明できるかもしれない。
2006年、マーティン・ポーラスとマリー・スタインの二人は、慢性不安は前部島皮質の機能不全を起こし、通常より予測エラーが増えることが原因だとする説を発表した。
それと正反対のことが起きているのが恍惚発作かもしれないとピカールは考える。
前部島皮質に電気の嵐が発生して誤作動を起こし、予測エラーがほとんど、あるいはまったく出なくなった状態だ。
そのため世界に問題は何ひとつなく、すべてが理解できるという絶対的な確信感が生じるのである。(p292)
てんかんの恍惚発作では、鮮明な高揚感が生じ、なにもかも理解できるように感じる「絶対的な確信」が生じます。
他方、慢性不安を抱える人たちは、何一つ確かなことではない、と感じ、常におぼつかなさに悩まされます。
この二つは、脳の反応としては正反対の状態にあり、島皮質が真逆の反応を示しているのではないか、と考えられています。
この前部島皮質説はかなり有効だとアニル・セスは言う。
「現象学的に考えると、恍惚発作は慢性不安の対極です。
恍惚発作ではすべてが完璧であり、平穏な確信に満ちているのに対し、慢性不安は身体状態に反映されるあらゆることに不穏なざわめきを覚えるのです」(p292)
島皮質が過剰に活性化すると、「すべてが完璧であり、平穏な確信に満ちている」と感じるのに対し、島皮質の活動が低下すると、「あらゆることに不穏なざわめきを覚え」ます。
てんかんの恍惚発作と慢性不安、というと縁遠いものに感じられますが、この二種類の傾向は、もっと身近なものに言い換えることができます。
島皮質が活性化している人は、なんでも直感的に信じやすい傾向を示します。いわば軽い恍惚発作です。
他方、島皮質が活性低下している人は、疑いをさしはさみ、理性的に考えようとします。いわば軽い慢性不安です。
これは、主観的な感情が強いか、それとも客観的な理性が強いかの違いであり、HSPと自閉スペクトラム症、PTSDと解離の場合にもみられる対照的な特徴です。
島皮質が活発に働いているHSPの人は直感的な判断が得意です。やはり島皮質が活動亢進しているPTSDの人はネガティブな直感に翻弄されている状態といえます。
島皮質が活発であるということは、自己意識が強いということなので、自分の主観や直感に頼って判断しやすくなります。しかしそのぶん、思い込みも強くなってしまいがちです。
一方、島皮質があまり働いていない自閉スペクトラム症や解離の人たちは、直感的な判断に頼るのが得意ではありません。
島皮質の活動が低下しているということは、自己意識が弱く、感情表現にもとぼしいということです。自己の主観性が弱いぶん、客観的な裏付けや理屈を重視するようになるのでしょう。
そのため、人間関係のような直感的であいまいものが苦手になったり、より論理的な考え方の分野を好んだりするのかもしれません。
なぜ島皮質が活性化すると直感的思考が働くのか、という点については、後であらためて詳しく考えます。
(4)うつ病では活性化、サイコパスでは低下
これと似たもう一つの例は、うつ病とサイコパスです。
サイコパス・インサイド―ある神経科学者の脳の謎への旅によると、うつ病では帯状回の活動が活性化しているのに対し、サイコパスでは低下しているというデータがあるそうです。
この領域は膝下部帯状回(subgenual cingulate gyrus)と呼ばれているところで、うつ病者では慢性的に「スイッチ・オン」になっている可能性がある。
…この領域の活動低下(スイッチ・オフ)はサイコパシーと関係しており、このことがサイコパスを合併している大うつ病者を数多くは見かけないことの理由である。(p190-191)
帯状回の活動でいえば、うつ病とサイコパスは正反対の状態にあることがわかります。よってサイコパスの人は、まずうつ病にはなりません。
うつ病は帯状回が活性化しているので、HSPやPTSDと似ているといえます。
サイコパスは帯状回が活動低下しているので、どちらかというと、自閉スペクトラム症や解離と似たところがあるといえます。
誤解を招かないように書いておきますが、これは決して自閉スペクトラム症や解離の当事者がサイコパス的だという意味ではありません。あくまで、脳の一部領域の傾向が似ているというだけで、違いもまた数多くあるからです。
しかしながら、サイコパスは一種の解離であり、生まれたときから良心、すなわち他人の苦痛を自分の感情として主観的に感じ取るという自己意識の機能が麻痺しているようです。
意識と自己 (講談社学術文庫)によると、一部の言語では、「良心」と「意識」が区別されていなかった、というのはたいへん興味深いところです。
しかしロマンス諸語においては、たった一語が良心と意識を意味している。
たとえばunconsciousに対するフランス語(inconscient)、あるいはポルトガル語(inconsciente)を翻訳する場合、昏睡している人間、という意味にもなるし、行動が非良心的な人間、という意味にもなる。
…「意識」という語の背景にある概念が浮上しはじめると、ロマンス諸語の話し手たちはそれを意味する新語をつくるのではなく「良心」を使った。(p306)
「良心」が欠けているサイコパスは、「自己意識」の脳機能に問題を抱えているということが、暗に示唆されているといえます。
ちなみに、サイコパスの島皮質の活動については、もう少し複雑なようで、この本では、「非常な低と高活動が異常に混在」していた、と書かれていました。(p159)
あとで書きますが、島皮質の機能は前部と後部で分かれていて、前部島皮質は主観的な感覚を、後部島皮質は客観的な感覚を扱っているようです。
他の人の感情が手に取るように客観的にわかるのに、主観的に感情移入することは決してないサイコパスの特徴が、このまだらな島皮質の活動なのかもしれません。
このように、島や帯状回の機能が活性化している人たちと、活動低下している人たちとを比較してみると、それらの領域が「自己意識」と関係していることがわかります。
島や帯状回が活性化している人たち(HSP、PTSD、恍惚発作、うつ病)は自己意識が強く、直感的に判断し、主観的な感情を強く感じやすく、「自意識過剰」になりがちです。でもそのおかげで、他人の気持ちをくみ取るのも上手です。
島や帯状回の活性が低下している人たち(自閉スペクトラム症、解離、慢性不安、サイコパス)は自意識が弱く、客観的な理屈で考える能力が発達しやすいようです。
「意識」―それはホメオスタシスを保つための生物学的システム
では、島や帯状回は、どのようにして自己意識を作り出しているのでしょうか。
それを知るためには、そもそも「自己」とは何か、「意識」とは何か、といった点から考えなければなりません。
伝統的に自己や意識の問題に取り組んできたのは心理学や哲学ですが、その答えは混乱していてつかみどころがなく、抽象的です。
意外なことに、この難解な疑問に対する答えを出すのにもっとも適した場所にいるのは、心理学者でも哲学者でもなく、生物学者たちでした。
生物学においては、生物のもつあらゆる機能は、生存のために必要とされているから存在している、と考えられます。「自己」や「意識」という機能も、それを持ち合わせていれば生存に有利な点があるはずです。
「意識」および「自己」とは何か、という難題に対して科学的に立ち向かった神経科学者アントニオ・ダマシオは、意識と自己 (講談社学術文庫)の中で、意識や自己の生物学的ルーツは、身体が「安定性」を保つためのシステムにある、と説明しています。
私は、単純な中核自己から複雑な自伝的自己まで、「自己」の生物学的ルーツを考えるに際し、それらに共通するいくつかの特徴を検討することからはじめた。
そして私はそのリストの最上欄に「安定性」を置いた。
以下がその理由である。
われわれが考えうるどんな種類の自己であれ、つねに一つの考え方がその中心にある。
それは、時間的にひじょうに穏やかに変化するが、なぜか同じままとどまっているように見える、境界で仕切られた一つの固体、という考え方である。
…したがって、自己に対する生物学的基盤を探求するとなれば、そのような安定性をもたらす構造をつきとめなければならない。(p182)
わたしたちの身体の細胞は、日々入れ替わっています。身体を構成する材料の点からすれば、わたしたちは生まれたときとは赤の他人になっているはずです。しかし一貫した自己意識があるので、同じ自分のままです。
また、わたしたちの身の回りの環境は常にうつろっています。熱力学の第二法則に基づき、あらゆるものは朽ちて壊れて崩壊していきます。しかしわたしたちは死ぬそのときまで、意識のおかげで同じ自分を維持しています。
「自己」を保つということは、周囲の環境から独立した、一個体としての自分を維持するということです。とすると、「自己」の根底にあるのは、絶えず移り変わる環境の中で、安定性を保つたるの生物学的仕組みにある、ということになります。
生物学において、環境から独立した一個の生き物としての内部環境を維持するシステムは、「ホメオスタシス」と名づけられています。
変化の幅を抑えること、外からの力に対して、内部を抑制することは、大変な仕事だ。
それを間断なく進行させているのは、細胞核、小器官、原形質にくまなく分布している明確にターゲットを定めた命令と機能である。
1865年、フランスの生物学者クロード・ベルナールは、有機体内部の環境を「内部環境」[internal milieu]と名づけた。
ベルナールは、生活細胞の液体の化学的特性は極めて安定しており、有機体を取り囲んでいる環境の変化がどれほど大きくても、その特性は狭い範囲でしか変化しないことに気づいた。
命が継続するためには内部環境が安定していなければならないというのが、彼の説得力ある洞察だった。
そして20世紀初期のW・B・キャノンは、ある生物機能について書く中で、こうした考えを前進させた。
彼が「ホメオスタシス」と名づけたものがそれで、彼はそれを「身体の安定状態の大半を維持している……生物特有の、調整のとれた生理的反応」と説明した。(p186)
ホメオスタシスという概念について聞いたことのある人は多いと思います。たとえばわたしたちの身体が、35℃の夏でも0℃の冬でも一定の体温を維持できるのは、内部環境の恒常性を保とうとするホメオスタシスのおかげです。
極端な話、もしホメオスタシスがなければ、わたしたちの身体は周囲の環境が変化すれば、それに合わせて同化してしまい、カメレオンのように変容してしまうことになるでしょう。
でも、周囲の環境が変わっても、それに逆らって一個の自分を維持しようとするホメオスタシスが働いているおかげで、刻々と移り変わる環境の中で、一個体の生き物としての自分を維持することができます。
ですから、意外に思えるかもしれませんが、心理学や哲学において深遠な謎とされてきた「意識」や「自己」の問題は、生物学においては身体の恒常性を維持する「ホメオスタシス」の問題である、と言い換えることができます。
内部環境の一貫性は、命の維持に本質的に重要であると「同時に」、心の中で最終的に「自己」になるものに対する青写真であり、支えである、と考えるのは興味深い。(p184)
では、生物にとって、自己という意識があるとなぜ有利なのか。それは、意識のおかげで、より効果的に生命調節ができるようになることだ、とダマシオは述べています。
意識によって、脳の中核に隠れている生命調節の具体的要求を心の中に構築できるようになる。(p39)
確かに、意識のない人でも、ちょっとした環境の変化には対処して、ホメオスタシスを維持することはできます。植物状態の人でも、寒さや熱さに無意識のうちに反応して内部環境をある程度維持することはできます。
しかし意識がなければ、もっと複雑な状況に対処することはできません。たとえば、火事が起きて火の手が迫ってきたとき、また暖房が故障して部屋が寒すぎるとき、身体のホメオスタシスを維持するための具体的な対処法を探すことができません。
わたしたちは意識があるおかげて、危険にいち早く気づいて、適切な行動をとることができます。意識があれば、自分の内部環境をモニタリングして、ちょっとでも熱い、寒いと感じたら反応し、具体的な行動に移すことができるからです。
「炭鉱のカナリア」としての敏感な個体
生物学的な観点からすると、意識とは「身体の内部環境の変化をモニタリングして危険や必要にいち早く気づけるようにするための機能である」です。
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳によると、神経科学者バド・クレイグは、この意識の生成に関与している領域こそが、すでに出てきた「島」や「帯状回」だと考えています。
クレイグは、身体状態の知覚だけでなく、それに関する行動の動機もひっくるめたものが感覚だと主張する。
「動機と結びつく前帯状皮質、感覚と結びつく島皮質。二つの活動が合わさって情動になる」のだ。
そして情動は恒常性の原動力となる。
寒い戸外にずっといるのは苦痛だから、その苦痛から逃れようと暖かさを求めるわけだ。(p285)
たとえば、寒い屋外にずっといる場合、意識のない植物状態の人は、ただ自動的にホメオスタシスによって体温をあげようとしますが限界があります。
それに対して、意識のある人の場合は、「意識の座」である島皮質が身体の内部環境をモニタリングしています。
島皮質は、内部環境の変化に敏感に気づき、寒さに対する不快感という主観的な感覚を生成してくれます。そのおかげで、「寒いのでなんとかしなければ」という身体の必要に気づけます。
次いで、その感覚は、帯状回に伝わり、その場から逃れたいという動機を引き起こします。こうして、島と帯状回の連携プレーにより、生命を維持するための具体的な行動に移せるのです。
このような生物学的観点から「意識」とは何かを考えれば、島や帯状回が活動的な人たち、およびそうでない人たちについて、より深く理解することができます。
「意識の座」が明るいHSPの人は、敏感で感受性が強い人である、と言われていました。ささいなことにも動揺し、すぐに反応してしまうからです。そのせいで「自意識過剰」だと言われることもあります。
そのように反応してしまうのは、意識という機能が、生体の危険をいち早く察知して、生命調節のために具体的な行動を起こさせるシステムだからです。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているように、島皮質は、危険を知らせる煙探知機のような役割を果たす扁桃体と結びついていて、「体内の警報中枢」として機能しているようです。
Rermanらは、島が情動の基礎となる苦しみの体感覚を査定すると仮定し、その信号を扁桃体と授受し、それによって「体内の警報中枢(internal alarm center)」として機能すると推測しています。(p208)
HSPの人は、単に自意識過剰なのではなく、自分の内部環境をモニタリングする能力が高く、生体のホメオスタシスを乱しかねない危険に対して、より敏感に反応しているのです。
HSPの人が敏感に反応するとき、何の理由もなく過敏になっているわけではありません。他の人が気が付かないような内部環境の変化にも目ざといため、ほかの人たちが危険だと感じるより早く、行動している、ということになります。
ビアンカ・アセヴェドらによれば、HSPのようなSPS(敏感性感覚処理)の傾向をもつ個体は、人間だけでなく、動物にも見られるとのことでした。
Sensory processing sensitivity (SPS) is proposed to be an innate trait associated with greater sensitivity (or responsivity) to environmental and social stimuli (e.g., Aron et al. 2012).
Originally measured in human adults by the Highly Sensitive Person (HSP) scale (Aron and Aron 1997), SPS is becoming increasingly associated with identifiable genes, behavior, physiological reactions, and patterns of brain activation (Aron et al. 2012).
A functionally similar trait—termed responsivity, plasticity, or flexibility (Wolf et al. 2008)—has been observed in over 100 nonhuman species including pumpkinseed sunfish (Wilson et al. 1993), birds (Verbeek et al. 1994), rodents (Koolhaas et al. 1999), and rhesus macaques (Suomi 2006).
(要約 : 敏感性感覚処理(SPS) は環境に対する高い感度であり、鳥や魚やネズミやアカゲザルなど100以上のヒト以外の種でそれに似た特徴が確認されている)
こうした個体は、「体内の警報中枢」が敏感なため、環境の脅威に目ざとく反応します。内部環境を乱すような危険にいち早く反応する「炭鉱のカナリア」であるといえます。
ちょうど古代のどの都市にも城壁の上で絶えず周囲を見張っている兵士がいたように、どの生物種においても敏感な個体が存在していて、集団に危険が迫った場合、真っ先に反応して警告できるよう、敏感さの遺伝子が脈々と保存されてきたのです。
PTSDの人たちが敏感に反応してしまうのもまた同様に、危険をいち早く察知して、内部環境のホメオスタシスを維持するためです。
PTSDを抱える人たちは、トラウマ経験によって、過去に命を脅かされたことがあります。命が脅かされるということは、生命調節をひどく撹乱された、ということです。
すると、それ以降、自分の内部環境を乱されることに対して過敏になります。煙探知機である扁桃体が敏感になってしまうので、「体内の警報中枢」が極めて反応しやすい状態になっています。
他方、島や帯状回の活性が低下している、自閉スペクトラム症や解離の人たちはどうでしょうか。
自閉スペクトラム症の人たちは極端に変化を嫌います。できるかぎり同じ環境にとどまり、決まりきった習慣を繰り返そうとします。
これは、環境の変化に対してホメオスタシスを維持する能力が弱いため、変化を避けることで自己を維持しようとしている防衛行動だ、とみなすことができます。
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳に書かれているように、ちょっとでも環境が変化すると、あやうさを感じてしまうので、できるだけ変化のない安全な環境にとどまろうとしているのです。
「スペクトラムの子にとって、変化は恐怖でしかありません。
彼らは決まった手順と繰り返しが大好きなので、同じ本を何回でも読むし、同じ映画を繰りかえし見るし、食べ物の好みも狭い。
外食する店も限られていて、毎回頼むものはいっしょ。一事が万事です。予定がかっちり決まっていて、予測どおりになれば安心なのです」
自閉症者にとって、環境は予測不能なことだらけ。彼らが決まりきった行動を崩さないのは、予測の確率を上げて不安を小さくしたいからだろう。(p229)
ホメオスタシスとは、予測できない環境に直面しても、内部環境を一定に維持し、独立した「自己」を保つための能力です。自己意識がはっきりしているほど、この能力は高くなります。
しかし、島や帯状回の活動が低下していて、自己意識が弱い自閉スペクトラム症の人たちは、環境の変化に対応して、内部環境のホメオスタシスを保つのが苦手です。
そうすると、対処法としては、できるだけ環境の変化を避け、予測可能な環境にとどまる、ということになるでしょう。
アレックスのことが脳裏をよぎる。私は幼少期の彼をよく知っている。
2歳のころは、食べ物も着る服も同じものにこだわり、ミニカー並べにひたすら熱中して、秩序が乱れると激しく動揺した。人との交わりを好まず、手をつなぐのも抱っこもきらい。
そんな行動は、驚きをできるだけ回避して、本人なりに予測可能な環境をつくる試みだったということか。(p231)
先に書いたように、島皮質が弱い自閉スペクトラム症は、部屋を照らす灯火の明かりが暗いことに例えられます。
真っ暗な部屋で、「驚きをできるだけ回避」するにはどうすればいいか。そう、できるだけ動かず同じ行動を繰り返すことです。
自閉スペクトラム症と同じく、やはり島や帯状回の活動が低下している、慢性トラウマによる解離の当事者たちもまた、ホメオスタシスを保つための意識の機能が低下しているとみなすことができます。
解離の人たちの場合は、意識の機能の低下が、もっと直接的に観察されます。意識が飛んでぼーっとしたり、もうろうと茫然自失したり、ときには失神して意識を失うこともあります。
意識とは環境から独立した「自己」を保つための能力ですが、解離の当事者はこれが苦手です。環境の変化に自分を合わせすぎ、背景に溶け込んで色を変えるカメレオンのように、過剰同調してしまうことがよくあります。
自閉スペクトラム症で、なおかつ解離傾向もとても強い人の場合は、アイデンティティが希薄になって空気中に溶け出したり、物に同化したりする感覚を覚えることがあります。
他人や物とのあいだに明確な境界性を引くことができず、容易に同調、同化していまう傾向は、心理的な感覚ではなく、容易に相手の生理状態に合わせてしまうホメオスタシスの弱さであり、自己意識を作り出す脳の機能が弱いことから生じている、といえるでしょう。
さらに、場面ごとに人格が変わる解離性同一性障害(多重人格)は、生物学的には、場面ごとに異なるホメオスタシスの状態になっている、とみなすこともできるでしょう。
ふつうわたしたちは、一個の変わらぬ自己を維持するのが当たり前ですし、一つの一貫した自己を維持しているほうが何かと好都合です。
しかし解離の当事者は、子どものころから、対立する両親の板挟みになったり、学校と家庭でまったく別々の対応を迫られたりして育ってきました。
その結果、さまざまなパターンに対処する中で自己を変容させることを学習します。1人の自己ではなく、複数の自己を場面ごとに使い分ける必要に駆られるかもしれません。
すると、一つの自己を維持する強固なホメオスタシスは、かえって維持しないほうが好都合かもしれません。場面ごとに、異なる神経系のパターンを使い分け、ホメオスタシスの安定状態を複数作り出すことで、複雑な環境に適応するのです。
解離の当事者たちの意識状態が不安定で、一貫した自己のアイデンティティを持ちにくいことは、一貫したホメオスタシスを維持しないほうが好都合な、複雑で混沌とした環境のなかで育ってきたことの現れではないでしょうか。
このように、HSPやPTSDの人たちが抱えるささいなことにも敏感に反応する傾向、自閉症の人たちが変化を嫌う傾向、解離の人たちが抱える自己の不安定さなどは、意識を作り出す島や帯状回が、身体のホメオスタシスを維持する役割をもっている、という生物学的な観点から説明できます。
意識は身体から作られる
神経科学者アントニオ・ダマシオは、意識や自己について研究するなかで、わたしたちの持つ心は、どれほどとらえどころがなく思えても、有機体としての物質の身体から作られていることに気づきました。
意識がどのように作られるかについてのダマシオの理論は、以前に以下の記事で詳しく書きましたが、ここでは簡単におさらいしてみましょう。
意識という川の流れを生みだす源は、身体的な「感覚」にあります。わたしたちの身体には、よく知られている五感のほかに、身体の内部の内臓や筋骨格系などから絶え間なく発せられている第六の感覚「体性感覚」があります。
そのような外部からの感覚と、内部からの感覚こそが、意識の川の源です。
身体の内外からの情報を伝えるこうした感覚は、次に「情動」と呼ばれる身体の反応を生み出します。
たとえば、腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するかに書かれているように、何か感覚刺激を受けたとき、わたしたちは心が反応するより前に、まず身体が反応します。
たとえばストレスを受けると、心拍は高まり、首や肩の筋肉は緊張する。リラックスしているときには、それとは逆の反応が生じる。
しかし、腸とのあいだに固定配線を持つ脳は、腸との結びつきが非常に強い。人はつねに腹部に情動を感じており、その事実は、「胃が締めつけられるような感じ(stomach tied up inknocks)」「はらわたが引き裂かれるような経験(gut-wrenching experience)」「そわそわして落ち着かない(butterflies in your stomach)」など、言葉にも反映されている。
このような感覚を引き起こしているのは、情動を生成する脳の神経回路であり、情動と脳と胃腸は、独自の結びつきを形成している。(p37)
この非随意的な、自動的に生じる身体の反射的な反応が、情動です。
情動とは、心のなかの感情ではなく、感情よりも先に生じる具体的な身体の生理的反応である、という点はとても重要なポイントです。
このような身体、とりわけ内臓に生じた「情動」は、次いで「感情」を生み出します。身体の動きである情動から、心のイメージである感情が生み出されます。
こうして身体から意識が作られます。
わたしたちは、無意識下で発せられる内臓や筋骨格系などからのシグナルにそのままだと気づけませんが、そのシグナルが身体の動きである情動や、心のなかのイメージである感情に変換されるおかげで、身体の内部状態を意識することができます。
神経学者バド・クレイグの理論によると、このような無意識下の身体の情報を脳に伝え、「意識」させることによって、具体的な行動に結びつける、というプロセスに関与しているのが、島皮質や帯状皮質です。
クレイグは、身体から脳に内受容情報を伝達する経路の解剖学的構造を徹底的に研究し、その成果に基づいて、あらゆる情動は、(内臓感覚を含む)感覚系コンポーネントと(内臓反応を含む)実行系コンポーネントという密接に関連する二つの構成要素からなる、とする説を提唱した。
感覚系コンポーネントとは、消化管から送られてくる無数の神経シグナルに基いても島皮質内で形成される内受容性の身体イメージを指す。
このイメージは、つねに行動に、具体的にいえば、帯状皮質と呼ばれる脳の部位から身体に送り返される運動反応に、結びついている。
それによって、身体と脳のあいだを循環するループが設定されるのだ。
クレイグの理論によれば、あらゆる情動の目的は、生体全体のバランスを維持することである。(p166)
難解な説明ですが、まず意識のシステムは、感覚系コンポーネントと、実行系コンポーネントの二つに分かれています。
「身体→脳」の方向に身体の情報を伝えるのが感覚系コンポーネントであり、島皮質が重要な役割を果たしています。
これによって、身体の感覚が情動や感情に変換され、わたしたちは身体がいま何を必要としているか、意識することができます。(たとえば身体がいま「寒い」ことを意識できる)
次いで、それに応答するかのように、「脳→身体」に指示を伝え、具体的な行動を起こさせるのがが実行系コンポーネントであり、帯状皮質が関与しています。
これによって、わたしたちは身体の必要に答え、具体的な行動へと促されます。(たとえば寒いから服を着るといった具体的行動)
このようにして、何か身体に問題が生じても、わたしたちは生命を維持するために適切な行動をとることができ、ホメオスタシス(恒常性)を維持することができます。
これが意識の基本的な構造です。
島皮質―身体の内部の感覚から「今ここにいる私」を作り出す
では、ここからは、島皮質と帯状回のそれぞれの働きを、もっと具体的にみていきましょう。
まずは、「身体→脳」の経路を担当している島皮質です。島皮質は、身体の中の、内臓や内部環境の情報、つまり「体性感覚」を受け取って処理する皮質なので、「体性感覚皮質」と呼ばれています。
ダマシオが意識と自己 (講談社学術文庫)で書いているように、体性感覚皮質には、島皮質のほかにも幾つかの脳の部分が含まれていますが、身体の内部を感じる主要な役割を担っているのは島皮質だとみなしてよいでしょう。
「島皮質」、「S1として知られる皮質」、そして、脳梁膨大の背後に位置する「内側頭頂皮質」、これらすべては体性感覚皮質の一部である。(p209)
島皮質は、わたしたちの身体の内部の情報を処理する大切な役割を担っています。
(1)前部島皮質によって、主観的に「感じる」
同じ島皮質の中でも、右脳と左脳、さらには前部と後部で機能が違っていることがわかっています。
島皮質の左右差については、後で説明するので、まずは前部と後部の違いを見てみましょう。
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳によると、島皮質の後部は客観的な感覚を処理しているのに対し、島皮質の前部は主観的な感覚を処理しています。
PETスキャンを作ったその後の研究では、温度を客観的に表象するのは後部島皮質であり、前部島皮質は主観的な温度知覚と結びついていることが確かめられた。
これは興味ぶかい。そして決定的な相違である。
コップに入った冷たい水を飲むとき水の実際の温度は後部島皮質に表象される。
だが主観的な感じかたは、そのときの状態によって変わってくるはずー冷たくて最高においしいと思うこともあれば、冷たすぎて顔をしかめることもあるだろう。
この主観的な感じかたは、前部島皮質で表象されている。(p285)
前部島皮質は主観的な感覚を、後部島皮質は客観的な感覚をつかさどっています。
同じことは、トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復でも説明されています。
島は前部と後部に分かれている。
後部は身体の内側および外部から発生したありのままの感覚を客観的に感知すると考えられている。
対照的に、aMCCに関連している前島は、もっと繊細でニュアンスに満ち、主観的な感情に基づいた感覚と情緒を処理していると見られている。
クレイグやクリッチリー、その他の研究者は、前島はわれわれが自分の身体と自分自身についてどのように感じるかを広くつかさどっていると主張している。(p108)
さらに、腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するかでは、この前部と後部の役割の違いが、もっと詳しく説明されています。
身体の内部から送られてきた情報は、まず島皮質の後部で客観的に処理され、ついで前部でより主観的に繊細なニュアンスを込めて色付けされるのです。
神経科学者バド・クレイグの画期的なコンセプトと豊富な科学的データに基づいて構築された理論によれば、この脳の「隠れた島」を構成する各領域は、内受容情報を記録、処理、評価し、また内受容情報に反応する役割をそれぞれ果たしている。
この途方もない課題を脳が遂行する現時点での理解によれば、まず身体イメージの表象が、脳の基底部に位置する、脳幹と呼ばれる神経核のネットワークにコード化される。
そこからその情報の多くは、後部島皮質に達する。
この時点におけるイメージの知覚は、身体を構成するあらゆる細胞の状態を反映する目ではほとんど判別できないモノクロ画像を見ているようなものだ。
…次に島皮質のイメージは洗練され、編集され、色がつけられる。
…このプロセスの流れが前部島皮質に達すると、身体イメージは、私たちが自己の感覚と結びつけている、身体全体の状態を表す意識的な情動的感情が持つすべての特徴をまとうようになる。
私たちはこのようにして、満足、吐き気、のどの渇き、飢え、満腹感、リラックスした気分、気分の悪さを覚える。(p178-179)
要約すると、身体の内部の膨大な情報データは、脳幹や後部島皮質でまず客観的に処理されます。
それから前部島皮質に送られ、主観的な情動や感情へと色付けされ、わたしたちが意識的にそれを感じられるよう編集されるのです。
この前部島皮質の働きによって、わたしたちは、身体の内部の状態を「意識」できるようになります。
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳が述べるように、これは、客観的なデータとしての感覚が、主観的な「自分の」感覚へと変換されるプロセスです。
脳の前頭葉および頭頂葉を、側頭葉と区分けしているのが外側溝だが、その外側溝のなかに深くうずもれているのが島皮質だ。
体内状態と外部からの刺激を統合するのが主な役目だが、島皮質の後部から前部へと処理が移るにつれて、情報が高度化していくこともわかっている。
後部が表象するのが体温などの客観的性質であるのに対し、前部は良い悪いに関係なく、主観的な身体状態の感覚や情動を生み出している。
つまり「いま存在している」感覚は、前部島皮質で生まれている可能性があるのだ。(p276)
単なるデータにすぎない感覚情報を、主観的なニュアンスをもって、いま自分の身に起きていることとして鮮やかに「感じる」ことができるのは、前部島皮質のおかげです。
このようにして、身体の内部の感覚から、自己という主観的な意識が生み出されます。
痛みと温度の研究をきっかけに島皮質に注目したクレイグは、自己意識の理解にも島皮質が欠かせないと考えている。
…前部島皮質は、身体の生理的状態を主観的に自覚するための神経基質であり、外部刺激、内部刺激、活動動機の表象が起きている状態を前部島皮質が統合しているのだと。
(p286)
前部島皮質は、わたしたちが何かを主観的に「感じる」ことができるようにしてくれている場所だといえます。
だからこそ、島皮質の活動が活発なHSPやPTSDの人たちは、より敏感にさまざまな物事を「感じる」のです。
島皮質が活発であるということは、身体の感覚からより多くの情動や感情が生み出され、より主観的に鮮やかに感じるということだからです。
怒りから性欲、飢え、渇きに至るすべての感覚で、前部島皮質と前帯状皮質の活動が高まることは、すでに多くの研究が示している。
クレイグはこうした研究も踏まえて、説得力にあふれる仮説を立てた―人間の全感覚の責任は前部島皮質にある。(p286)
また逆に、島皮質の活動が低下している自閉スペクトラム症や、解離状態にある人たちが、「感じる」ことが麻痺してしまっているのも、不思議ではありません。
HSPやPTSDの人たちが「怒りから性欲、飢え、渇きに至るすべての感覚」をより鮮烈に感じるのに対し、自閉スペクトラム症や解離状態にある人は、それらを自分の感覚として意識できない失感情症や失体感症の状態にあります。
前部島皮質が低下しているということは、たとえ自分の身体の内部の感覚であって、主観的に「感じる」ことができず、いわば他人ごとのように感じられる、という意味だからです。
ご両親がこんなことになって悲しい気持ちはある?
「それはあるよ。でも離人症があるから、つながっている感じはしない。悲しいのに、自分の気持ちだと思えないんだ。他人の身の上話を聞いて悲しくなっているみたいだ」
苦労してきたね。
「そう思う。ずっと他人の人生を眺めている感じで、地獄のようだった。これが自分の人生だと実感したかった」
こんなにつらいことだらけでも?
「そう。人生に折りあいをつけたかったんだ。わが身に起こったことだと思えなければ、折りあいをつけられない」(p196)
前に書いたように、解離が強い人は、自分の感情や人生が他人事に感じられるだけでなく、自分の身体さえも他人の身体や異物のように感じられてしまいます。
ラマチャンドランは、脳のなかの天使で、そのような感じ方の背後には、島皮質を含む体性感覚皮質の活動低下がある、と指摘しています。
この疑問の答えは、ミスマッチ嫌悪という概念にある。
…内部のミスマッチがどこで検出され、不快を生じるのかは明らかではないが、私は、それは島(とくに右半球の島)でなされていると考えている。(p360-361)
この病変部の組み合わせ―S1、S2、SPL、島―の結果として、腕の完全な非所有感が生じる。
その腕をほかの人に帰属させる傾向は、なんとかして疎遠感を説明づけようとする無意識の試みなのかもしれない。(これは、フロイトの「投影」を想起させる)。(p363)
島皮質などの体性感覚皮質の活動が低下すると、自分の身体を自分のものだと認識できず、主観的に「感じる」ことができなくなってしまい、あたかも客観的な他人の身体のようになってしまうのです。
(2)映画のように連続した自己意識を作り出す
島皮質の活動が低下している自閉スペクトラム症や解離の人たちは、自分が「今ここに存在している」という自己意識も希薄です。
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳によれば、前部島皮質は、わたしたちの身体の内外の全身の感覚を統合し、情動に変換することで、「いま存在している」自分という自己意識を生み出す役割も担っています。
前部島皮質は、内受容と外受容の感覚、それに身体の活動状況を統合して、1秒間に8回の割合で「包括的情動瞬間」をつくりだしている。
ひとつひとつの瞬間は独立しているが、それがつながると、連続性のある自己意識になるとクレイグは考える。
たとえるなら映画だ。スクリーンに映写されるのは毎秒24コマのフィルムなのに、私たちの目にはなめらかに見える。(p291)
ここで映画に例えられていますが、つまりはパラパラ漫画の要領です、静止画を連続再生することで、あたかも動いているように見えます。
動画の動きのなめらかさは、1秒間に何コマ静止画が再生されるかによります。これはfps(Frame Per Second、フレーム/秒)という単位で表されますが、30fps(1秒間に30コマの静止画からなる)の動画より、60fps(1秒間に60コマの静止画からなる)の動画のほうが滑らかです。
島皮質の情動の生成は、いまの説明からするとが8fpsですが、たった1秒間のあいだに何コマも情動が生成されることで、それが動画のようにつながって感じられ、あたかも連続した「自分」と感じられる自己意識のアイデンティティが生み出されているのです。
1秒あたりのコマ数が多いほど動画が滑らかに見えるように、情動がどれほど密に生成されるかは、自己意識の連続性の滑らかさに直結します。
島皮質の機能が活発なHSPやPTSDなどの人たちは、通常よりも1秒あたりの情動の生成が多いので、より自己意識が鮮やかになり、「自分」を強く意識してしまうのでしょう。まさに「自意識過剰」です。
さらに、もっと極端になって、島皮質があまりに密に情動を生成しすぎ、滑らかで鮮やかすぎる自己意識が生じてしまっているのが、てんかんの恍惚発作のときの誇大自己だといえます。
この鮮やかすぎる自己においては、あたかも世界と一体になって、何もかも理解したかのような全能感に満たされ、おそらくは自己意識のコマ数が増えるため、時間がスローモーションになります。(この感覚はスポーツ選手のゾーンの体験とも似ています)
時間が遅くなる、周囲への自覚が過剰になる、すべての本質を了解した確信がある。恍惚発作ではこうした体験が共通するようだ。(p282)
他方、島皮質の活動が低下している自閉スペクトラム症や、解離状態にある人は、自己の連続性に違和感を感じます。
たとえば、「豹変する心」の現象学―精神科臨床の現場からに書かれているように、一貫して存在する自分、というイメージを持ちにくく、飛び飛びの自己のように感じられるかもしれません。
アイデンティティーとは、「私」がいつでも「同じもの」として再現されることであったことを思い出しておこう。
「昨日の私」と「今日の私」がいつでも同じであるように、10年前の私も、それどころか生まれてこのかた、私は連続した時間を重ねており、一つの歴史的全体を構成している(と信じられている)。
ところがアスペルガーの人たちには、「たった今」過ぎ去った自分と「今現在」の自分が「同じ自分」として連続しているという感覚が持てないのである。(p194)
これは、fpsが少ないために、カクカクの動画になってしまう現象と似ているのでしょう。島皮質の活動が低下して、あまり滑らかでない、飛び飛びの自己意識が生成されているといえます。
そして、島皮質が密に情動を生成せず、大きく間が空いてしまうと、意識が飛んだり、気を失ったり、記憶が抜け落ちたりして、「今ここにいる自己」が不在になってしまいます。
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳にあるように、自分が他人のように感じられ、現実感が薄れてしまう離人症になることもあります。
離人症性障害では島皮質の活動が低下して、患者は「世界から感覚的、知覚的な現実感が抜けおちたと感じる」というが、こうした知見とも一致している。(p289)
ふだん私たちは気づいていないが、刺激には身体の内部、とくに内臓から発信されるものがある(心拍、血圧、胃腸の状態など)。
こうした内部刺激は情動や感情には欠かせないもので、その経路がふさがれると離人症になって、自分が他人のような感覚に陥る。
自己の錨をしっかり身体におろすには、内部刺激と外部刺激、それに位置情報や平衡感覚が正しく統合できていなくてはならない。(p254)
それだけでなく、自分がすでに死んでいるように感じられるコタール症候群、自分が複数いるように感じられるドッペルゲンガーやホートスコピーのような現象にも島皮質の異常が関わっていることが判明しています。
コタール症候群、離人症性障害、ドッペルゲンガーに島皮質が関わっていることはすでに見てきた。
いずれも身体状態と情動の知覚がゆがんだために起きる。(p276)
これらはみなオカルトではなく、「自己」を作り出す脳のシステムの故障によって起こる現実の神経学的な解離症状なのです。
(3)右脳の島皮質が、内臓感覚から直感を生み出す
島皮質には前部と後部で役割の違いがありましたが、右半球と左半球でも、やはり役割が異なっていると考えられています。
たとえば、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際では、ダマシオの実験に触れて、情動の種類によって左右の島皮質の分担が異なることが説明されていました。
Damamasioも、身体状態に関する信号処理において、島と体性感覚皮質の役割を強調しました。そして、これらの信号が人間の情動の基礎を作ると述べています。
情動が自然に発生しているとき、島が活性化していることを、PET研究においてDamasioらは発見しました。
具体的には、悲しみと怒りの情動を引きおこす記憶を回想すると、両側(左右)の島が活性化され、幸せと恐れの場合には右脳の島が活性化されることが観察されました。(p209)
悲しみや怒りでは両方の島皮質が活性化していますが、幸せや恐れでは右側だけが活性化しています。
こうした研究に基づいて、ダマシオは 意識と自己 (講談社学術文庫)の中で、島皮質をはじめ、体性感覚皮質は右半球のほうがより優位である、と述べています。
「島皮質、「S1として知られる皮質」、そして脳梁膨大の背後に位置する「内側頭頂皮質」。これらすべては体性感覚皮質の一部である。
人間の場合、これらの皮質の機能は左右の半球で非対称である。
私は、私自身が行った患者の研究をもとに、右半球のこれら一連の皮質は、筋骨格構造という不変のデザインに対する表象だけでなく、有機体の現在の内部状態に対するもっとも統一のとれた表象を大脳半球のレベルで維持している、と提唱してきた。(p209)
右半球体性感覚皮質の優位性ゆえに―それらの皮質が全身体に対する、そしてそれゆえに左右に対する、身体情報を統合している―たとえ傷が非対称に右半球だけにあっても、障害は身体の両側と関係するという事実に留意することが重要だ。(p283-284)
右半球の島皮質のほうが、自分の身体の内部の体性感覚を統合する際に、より重要な役割を担っているので、もしそこが傷ついたならば、全身の感覚の認識に悪影響が及びます。
脳はいかに意識をつくるのか―脳の異常から心の謎に迫るによると、バド・クレイグもまた、身体の内部の環境をおもに処理しているのは、右半球の島皮質である、と述べています。
この結果に基づいて、神経科学者のバッド・クレイグは、右島皮質が決定的な役割を果たしていると論じる。
つまり右島皮質は、低次中枢から自律的な内臓由来の入力信号を受け取って、内受容性の身体の状態を統合化された形で再処理(再表象)し…それによって、「自己の身体の状態に関する心的イメージ」を形成するという。(p161)
同じように、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際の中でも、自分の身体を「感じる」能力は、右の島皮質によるものだとされています。
Craigは、自分自身の状態を主観的に評価する(つまりどのように自分が感じているかを知る)ことの脳神経的な基礎は、(非優位の)右半球の島であると仮定しました。
島は、痛み、体温と内臓感覚、また血管と他の内臓の平滑筋の状態に関する信号を受けていることも示されました。(p208)
ここで「非優位の」右半球と書かれているのは、まれに逆の人もいるためです。ほとんどの人の場合、言語中枢がある優位半球は左半球ですが、左利きの人のなかには、右半球が優位の人もいます。その場合は、ここに書かれていることは逆になるのでしょう。
それにしても、なぜ島皮質には左右差があって、右の島皮質のほうが、身体を感じ取るときにより重要な役割を果たしているのか。
それはおそらく、以前の記事で詳しく書いた、脳の左右の発達の時間差によると思われます。
脳は奇跡を起こすに書かれているとおり、わたしたちの脳は、生まれたときからすでに両方とも満足に機能しているわけではなく、赤ちゃんのころは、まず非優位の半球(たいていは右半球)だけが活発に働いています。
ヒトの場合、二歳までは右半球のほうが大きい。左半球はそれから急激な成長をはじめるが、三歳頃までは右半球が脳を支配している。
二歳二ヶ月の幼児は、複雑な「右脳に支配された」感情的な生き物であるが、左脳のの機能がまだじゅうぶんに発達していないので、自分の経験を話すことができない。
脳スキャンでも、子どもが二歳になるまでは、母親が自分の右半球を使って非言語コミュニケーションをして、子どもの右半球に訴えかけているのがわかる。(p267)
その後、生後2~3年ほどしてから、ようやく、左半球が発達してきて、ことばを話したり、言語的な記憶を蓄えたりできるようになっていきます。
これはつまり、生後2~3年までの、非言語的な記憶や感覚は、すべて、先に発達している右半球に蓄えられているということです。
わたしたちはその時期の言語的な記憶をもっておらず、生まれて間もないころのことを語ることができません。これは乳幼児期健忘という現象で、まだ言語的な記憶をつかさどる左脳の構造が発達していないことによります。
しかし、その生後2~3年までの時期は、何も経験していないどころか、人生で最も多くの重要な「非言語的な」、言い換えれば「身体的な」経験を蓄えている時期です。
意識と自己 (講談社学術文庫)でダマシオが述べているように、まだ言語的な記憶がない誕生後すぐの時点でさえ、すでに右脳の島皮質は活発に体性感覚を収集し、情動を生成しています。
話の中で、その講師は一組のPETスキャン画像を見せた。それは、誕生後すぐのものと、生まれて数ヶ月内に撮られたものだった。
早くも、そういった新生児の脳にはひときわ活発な構造がある。脳幹と視床下部、体性感覚皮質、そして帯状回である。(p347)
わたしたちの脳において、先に発達している非優位半球の島皮質や帯状回は、生まれてすぐどころか、生まれる前から、膨大なデータを収集しはじめています。
そのなかには、腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するかに書かれているような、内臓や内部環境からの体性感覚のデータが含まれています。
内臓感覚の書庫は、四六時中集められている、膨大な量の自己の関する際立った情報からなる。
現時点での科学的理解に基づけば、この情報は、企業や政府機関が保有するデータ収集システムにもたとえられる「爆発的に増大するデータベース」に格納される。
脳内で収集されたデータは、きわめて個人的な経験や衝動、あるいはそれらに対する情動反応に関するものであり、誕生時から、あるいは胎児のころから収集されているかもしれない。(p179)
生まれる前から機能している非優位半球(右半球)は、幼少期から経験してきた体性感覚や情動のデータをすべて保存しているのです。
そのため、この生後2~3年の時期に、どんな身体的な経験をするかはとても重要です。たとえ言語的な記憶としては覚えていなくても、その時期にどんな世話を受け、どのように育てられたかは、すべて右半球にデータとして保存されています。
この時期に収集された体性感覚や情動のデータは、それ以降の人生で、どんな感覚的な反応パターンをとるかのスタンダードになります。それが「愛着」と呼ばれている機能でした。
幼少期に満足のいく世話を受けた人は、たとえ意識的には覚えてないなくても、その時期の幸せな体性感覚や情動が右脳に保存されているので、大人になっても精神的に安定していられます。これが安定型の愛着です。
対照的に、幼少期にひどい扱いを受けた人は、たとえ意識的にはそれを覚えていないとしても、右脳では非言語的な記憶としてしっかり蓄えられています。
すると、大人になっても、理由もなく悲しくなったり憂鬱になったりして情動調節に問題を抱えます。これが愛着障害です。
どちらの場合でも、幼い時期に収集された非言語的な感覚のデータが、言葉によらない情動や感情を生み出し、大人になっても影響を及ぼしつづけることがわかります。
この言葉にならない感覚は、一般に「直感」と呼ばれています。
言葉を使って、論理的に考えるのが「理性」であるのに対し、言葉によらずして感覚的に判断するのが「直感」です。
理性的な思考は、遅れて発達した左半球と、言語的な記憶に基づく能力であるのに対し、直感的な判断は、先に発達していた右半球と、非言語的な記憶に基づく能力です。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているように、「直感」また「虫の知らせ」とは、身体の内部から生成される体性感覚の膨大なデータから生み出されます。
今日では、第六感は「内受容器」(interoceptors)によるものであると理解されています。
…内臓感覚は、「内受容(enteroception)」とよばれ、私たちの内部臓器でおこる動き、すなわち心臓のドキドキ、腹部のそわそわ感、吐き気、空腹感、または虫のしらせ、直観などを伝達します。(p19)
それゆえ、腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するかが述べるように、直感的な判断は、体性感覚を処理する右脳の島皮質や帯状回に依存している能力です。
直感細胞は右脳に多く分布し、右前部の島皮質には、左島皮質に比べて30パーセントほど多く存在する。
…現在では即断するときには前部島皮質や前帯状回が活性化することが知られている。これらの脳領域は、痛み、恐れ、吐き気、あるいは何らかの社会的情動を経験している最中にも活性化する。
何かがおかしいと思ったときにも直感細胞は発火し、変化した状況に応じて直感的な判断を再調整するよう導く。(p185-186)
右脳の直感細胞は、赤ちゃんのときから絶え間なく収集してきた、内臓や筋骨格からの体性感覚や情動のデータを用いて、理性によらず、非言語的に判断を下します。
それはつまり、どんな直感的な判断をするかは、それまでの人生で、どんな非言語的な体験をしてきたかに左右されるということです。
幼少期に愛情深い世話をされた人は、ポジティブな直感を抱きやすいのに対し、幼少期に愛着障害になった人は、ネガティブな直感に翻弄されがちです。
ちなみに、島皮質が回収している体内からの情報には、わたしたちの身体の中に住む大量のマイクロバイオータ(微生物)が発する情報が含まれており、そのなかには腸内細菌も含まれています。
その意味では、島皮質は微生物と脳の橋渡しをする領域であり、「直感」とはまさに体内の微生物たちによる「虫の知らせ」だということができます。
直感は島皮質が体性感覚から生みだすものなので、島皮質が活発な人のほうが直感的な判断が得意で、島皮質が活動低下している人は直感に頼れないぶん論理的な思考を好むようになります。
まず、島皮質が活発なHSPの人は、他人の気持ちが直感でわかるので先読みコミュニケーションが得意です。その反面、筋道立てて考えることはあまり得意でなく、安直にスピリチュアルな教えに系統してしまう人もいます。
HSPの人たちが持つずば抜けた直感的なコミュニケーション能力は、例えばタングステンおじさん:化学と過ごした私の少年時代 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)に書かれている次のような例です。
何年もあと、私はケインズが(『平和の経済的帰結』〔邦訳は早坂忠訳、東洋経済新報社刊〕のなかで)ロイド・ジョージを見事に描写したくだりを読み、不思議とリーナおばさんを思い出した。
ケインズは、そのイギリスの首相が、「そばにいるだれに対しても、的確で、ほとんど霊媒師のような感知力を発揮した」ことについてこう語っている。
[彼が]ふつうの人にはない第六感や第七感をもってその場の連中を眺め、性格や心得や無意識の衝動を見極め、各人の考えや次の言おうとしていることまで察知して、主張や訴えを聞き手の虚栄心や弱みや欲得にぴったり合うようにテレパシー的な本能でこしらえるさまを見るにつけ、哀れな大統領[ウィルソン]がその会合で目隠し遊びの鬼になっていたことは明らかだった。(p148-149)
HSPのずば抜けたコミュニケーションは「第六感」的なもの、つまり膨大な体性感覚の蓄積データから島皮質が導き出す、「直感」による察知力なのです。
他方、自閉スペクトラム症では、他人の気持ちを直感的に読み取ることはできません。その代わりに。数学や科学のように、客観的に順序立てて考えていく、理屈じみた思考を好みます。
たとえば、有名なアスペルガー女性テンプル・グランディンや、私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳に出てくるジェイムズのように、定型発達者やHSPの人が直感的にこなせるコミュニケーションを、徹底的なパターン学習を通して、認知の力でこなそうとするかもしれません。
その欠陥を補うために、彼は認知に磨きをかけ、相手の身ぶりやしぐさ、顔の表情から学ぶことにした(誤信念課題が最初は不正解だった自閉症者が、最終的に正解できるようになるのもそれだろう)。
定型者なら無意識にやっていることでも、ジェイムズは意識的に注意を払わなくてはならない。(p217)
島皮質の働きが弱く、直感が働かないため、認知の力で補って考えねばならないのです。
同じような対比がPTSDと解離にも当てはまります。
まず、島皮質が活性化しているPTSDの人たちは、闘争/逃走状態にあるので、周囲の刺激に翻弄されて、直感的に動きます。
たとえば、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法に書かれている例のように、過去の悲しみや怒りといった主観的な感情のうずにとらわれてしまい、立ち止まって客観的に考えることができません。
トラウマを負った人々が何かの弾みで過去を思い出すと、そのトラウマ体験が今起こっているかのように、右脳が反応する。
だが、左脳がうまく働いていないので、自分が過去を再び経験したり再現したりしているという自覚がないかもしれない。
彼らは単に怒り狂ったり、ぞっとしたり、激怒したり、恥じ入ったり、凍りついたりする。(p83)
PTSDでは右脳に蓄えられた過去のトラウマの情動経験に圧倒されてしまい、ネガティブな直感に翻弄されてしまうのです。
他方、島皮質が低活性状態にある解離の人たちは、右脳の主観的な強い感情にとらわれることはありません。
たとえば、私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳で書かれているように、いつも一歩引いた客観的な傍観者のように世の中を見わたし、理論的に解釈しようとします。
10代後半から一過的な離人症を何度も経験してきたエイブゲルは、「自分の人生を構成する精神的な要素が、ほぼすべて消えたように感じる」と言った。
「あとに残るのは、自分の何がおかしいのか答えを見つけようとするノンストップの衝動だけです。いったいどうした? なんでこんな感覚なのか? 何が起こっている? そんなことを全身全霊で考えているんです」(p181)
そのようなわけで、他の人が直感で判断して疑問さえ抱かないようなことを全身全霊で考え続けた古今東西の哲学者には解離の当事者が多かったようです。
(4)自分の身体に内部に敏感な人ほど共感力が強い
島皮質の役割は、無意識下で発せられる身体の内部からの情報を、情動や感情へと変換し、意識できるようにすることです。
ということは、島皮質の活動が活発な人は、腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するかで書かれているように、自分の身体の内部の変化に敏感な人であるということもできます。
この腸と脳の対話の質、精度、偏りは、人によって異なる。…内臓からのシグナルに、普通の人より敏感で気づきやすい人もいる。
彼らは自分でも「敏感な胃」を持っていると思っていたり、母親から「いつもおなかの具合が悪い子だね」などといわれたりする。(p197-198)
たとえば、HSPの人たちが、緊張するとすぐにドキドキする、ストレスを感じるとおなかが痛くなるといった、体調の変化を意識しやすいのは、島皮質が活発に情動(刺激に対する身体の反応)を生成し、変化に気づけるようにしてくれるからです。
興味深いことに、自分の身体の内部に敏感な人ほど、他人への共感力が鋭いという研究があるそうです。
この研究では、ヘッドホンから流される音が、自分の心拍と同期しているかそうでないかを被験者に判断させました。正しく答えられた人ほど自分の身体の心拍をよく認識していて、間違って答えた人は自分の身体に疎いことが明らかになります。
参加した9人の女性と8人の男性のうち、ヘッドホンから流される音と心拍とが正確に同期していることを判別できたのは4人だけでした。そして、その人たちは共感力も鋭いことがわかりました。
脳画像では、被験者全員に関して、いくつかの脳領域、特に島皮質の右前部に顕著な活動が見られた。その程度は、心拍数を適切に検知できた被験者ほど大きかった。
さらに重要なのは、被験者たちが、共感力を測定するための、標準化された質問票を用いた検査で高成績を収めたことだ。つまり、自分の心拍を正確に検知できる人は、さまざまな情動や内臓感覚を、それだけ全面的に経験することができたのだ。
いい換えると、内臓に対する気づきの度合いが高ければ高いほど、情動に対する感受性も強い。(p180-181)
はじめのほうで、島皮質の活動は、共感する力と相関していることに触れましたが、この研究でもそれが裏付けられています。
島皮質の活動が活発なHSPの人は、自分の身体の内部状態を感じ取る力が鋭いだけでなく、他人に感情移入したり共感したりする親密なコミュニケーションに秀でています。
他方、島皮質の活動が低下している自閉スペクトラム症の人は、自分の身体の内部状態を感じ取るのが難しいと同時に、他の人の感情を汲み取って親密なコミュニケーションをするのも苦手でした。
なぜ自分の身体を感じる力と、他人への共感が連動しているのか。
そもそも感情移入とは、他の人のことを我が身のことのように感じること、つまり、他の人の苦痛を自分の身体で感じ取ることである、とも言われます。
共感力の強い人は、テレビで災害の場面を見ただけで、また本やニュースで不幸な出来事について読んだり聞かされたりしただけで、他人の苦痛を自分の苦痛のようにまざまざと感じ取ってしまいます。
ときには、「代理トラウマ」を負ってしまい、本格的なPTSDなどの症状を抱えることもあります。
島皮質の活動が活発であると、他の人の境遇について聞いただけで、その情動状態を身体が再現してしまうのです。
以前にHSPの記事で書きましたが、HSPの人たちは、文化や民族を超えて感情移入できる傾向があることがわかっています。これは、実際に体験したことのない出来事でも、自分の体験であるかのように情動が生成されることによるのでしょう。
この能力は、他人の境遇を我が身のことのように体験できるという強力な才能にもなりえますが、反面、自分が経験しなくてもいいさまざまな苦痛をすべて経験してしまい、代理トラウマを抱えてしまう危険をはらんでいるといえます。
一方、この説明を裏返すと、自閉スペクトラム症の人たちのコミュニケーションの苦手さは、そもそも自分の身体の内的な感覚を感じ取れないことから来ているのではないか、ということになります。
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳でも、その仮説に言及されていました。
この研究では、さらに興味深い関連が明らかになった。自閉症者は、腹内側前頭前野と、腹側運動前野や体性感覚皮質など、規範的な身体表象に関わる領域の接続が悪いのだ。
ちなみに自閉症で機能が顕著に落ちる右側頭頭頂接合部は、脳内に描き出す身体地図とのつながりも深い。
これらの事実を考えあわせた結果、自閉症の新たなとらえかたが浮上してきた―自閉症は、自分の身体と、身体が受けとる感覚刺激を正確に知覚できないことに原因があるのかもしれない。
そのせいで身体自己意識が混乱し、感覚処理にも直接的な影響が出た結果、心の理論といった高次処理もおかしくなっているのではないか。一部の研究者は、この可能性をもっと真剣に探るべきだと主張している。(p220)
自閉症の人たちが、コミュニケーションの問題を抱えているのは、「心の理論」のような高次の心理的な問題ではなく、もっと下層の、自分の身体を感じ取れず、自己意識が弱い、というところから生じている問題ではないか、と指摘されています。
また、ラマチャンドランの 脳のなかの天使でも、やはり自閉症の原因は「身体性の感覚―身体に固定され、社会に埋めこまれた、独自の自律的な自己として存在しているという感覚―の喪失」ではないか、とされていました。
そして、身体を揺らしたりする自閉症特有の自己刺激行動は少しでも身体を感じようとする対処行動ではないか、とも書かれていました。
それは不安を生じさせる喪失である。おそらく一部の子どもたちに見られる自己刺激行動は、身体と脳との相互作用を復活、促進し、それと同時に、誤って増幅されている自律神経系の信号を鈍化することによって、身体性を取り戻そうとする試みなのだろう。(p217)
他人に感情移入するというのは、他人の境遇を自分の身体で感じ取る、ということであるのなら、円滑なコミュニケーションとは、まず自分の身体を感じ取れる能力あってのものなのです。
自分の身体をうまく感じ取れず、感覚の基盤が育っていないなら、当然、他の人がどのように物事を感じ取るかもイメージできないので、コミュニケーションが難しくなります。
自閉スペクトラム症の人たちが、自分と同じ自閉症の人たちには共感し感情移入できるのに、それ以外の定型発達者には共感できない、という研究は、この見方を支持しているように思えます。
自分と同じような感覚世界の人であればともかくとして、身体にしっかり根ざした定型発達者の感覚世界は、経験したことがないためにイメージできない、ということだからです。
(5)島皮質が活発な人は鮮やかな夢をみる
HSPの人はしばしば、鮮やかで鮮明な夢を見ることが多いと言われています。夢の中で、ありありと「今ここにいる感じ」を経験するかもしれません。
それもまた、腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するかによると、睡眠中の島皮質の活性化が関係していると思われます。
睡眠中の被験者を対象に行われた脳画像研究では、レム睡眠中に活性化する脳領域には、島皮質や帯状皮質などのサリエンス・ネットワークを構成する領域、ならびに扁桃体などの情動を生成する領域、海馬や眼窩前頭皮質などの記憶を司る領域、イメージの形成に必須の視覚皮質が含まれることが示されている。
それに対し、前頭前皮質や頭頂皮質などの、認知や気づきに関与する領域や、随意運動をコントロールする領域は、非活性化する。つまり麻痺状態になるのだ。(p194)
だれでも夢の中では、起きているときより強い情動や感情を感じやすいものですが、それは睡眠中に、島皮質や帯状皮質など、体性感覚を処理する領域が活発に働くことによります。
もともと島皮質や帯状皮質の活動が活発なHSPの人たちは、とりわけ鮮やかで生生しい夢を見やすいといえるでしょう。
一方で、レム睡眠中には、理性的な思考や担当する前頭前皮質のような部位は活動が弱まり、夢を見ているときは抑制のタガがはずれます。
脳は奇跡を起こすの中で精神科医ノーマン・ドイジは次のように書きます。
最新の脳スキャンで、夢を見ているときには、感情や性的本能、生存本能、攻撃本能などを処理する脳内の部分がひじょうに活発になっていることがわかった。
同時に、感情や本能を抑制する前頭前野は、それほど活発に活動していない。
夢を見ているときは、本能が表にでできて、あまり抑制がかからない状態なのだ。それで、ふだん意識にのぼらない衝動を顕在化することができるのである。(p283)
夢を見ているときには、脳の抑制機能の活動が弱まるので、ふだん認知に頼った理性的な思考をしている人でも、夢のなかではその機能が弱まって、迫真の生々しい感情を感じるというギャップを経験するかもしれません。
たとえば、慢性的な解離状態にある人の中にも、もともとは感受性豊かなHSPだった人がいるでしょう。
すると、たとえば、解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)に書かれている例のように、起きているあいだは、解離の抑制が強く、生きている現実感が希薄なのに、夢のなかではとても世界が鮮やかで現実的に感じられるかもしれません。
私などは夢の記憶は曖昧で訳が分からないことが多いのだが、解離の人たちは、視覚はいうまでもなく、聴覚、触覚など五感のすべてが、こうして覚醒しているときと何ら変わりがないという。
先の今日子は、「夢は現実よりもその画素が多い。あまりに鮮やかで綺麗で印象的。それに対して現実はあまりにぼんやりとしている。夢の方がずっと現実的なのです」と述べている。(p61)
起きているあいだは前頭前皮質の抑制機能による解離が強力に働いていますが、夢を見ているレム睡眠の状態では解離が弱まり、その人本来の島皮質の感受性の強さが戻ってくるのでしょう。
興味深いことに、サイコパス・インサイド―ある神経科学者の脳の謎への旅のなかでサイコパスを自認するジェームス・ファロンも、ふだんは家族に親密な愛情など感じないのに、夢のなかではそれを感じられることがあると述べています。
最近になって自分の共感性のなさにより強く気づくようになったが、時には潜在意識が私のために働いてくれることがある。このような瞬間がどこからともなくやってくるのだが、もっとも多く、はっきりとしているのが夢においてなのである。
…というのも夢と関係した感情はとても強烈で覚醒しているときには沈黙している私の脳のある部分からそれは生じてきたように思えたからである。
それは午前四時のことで、この夢を以下のようにメモにした。
…私は自分に尋ねた、「真理と美、そして愛。すべてはどこにあるのか?」と。この答えを得ることが私のすべてであった。
〈キャンバスの上に横たわっている〉私が頭を右に向けると、隣には私の妻ダイアンがいた。これこそ私の問いへの答え、啓示であった。私は真の愛を彼女に認め、完全に幸せであった。(p161-162)
このことは、上のほうで書いたように、サイコパスとは一種の生まれながらの解離状態である、という説明と合致しています。
サイコパスでは、思いやりのこもった共感や自然の情愛、良心などに関わる神経回路が強く抑制され、解離されて(切り離されて)いますが、夢のなかではその強力な解離状態が解除され、「感じる」能力が戻ることがあるのでしょう。
(6)女性のほうが島皮質が活発―でもHSP男性はよく似ている
最後に、ここに書いたような、島皮質の能力、すなわち、自分の身体を強く意識したり、身体の内部から発せられた情報を「直感」として経験したりする能力は、男性よりも女性のほうが強い、と言われることがあります。
腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するかでもそのことが触れられていて、ひとつの説明として、女性は子どものころから生理的な作用のために、より多くの情動経験を脳に蓄えているのではないか、とされています。
私たちのグループ、および他のグループの研究では、女性は男性に比べ、疼痛のような身体刺激や、慈しみ、恐れなどの情動的感情に対する、脳のサリエンス・システムや情動喚起システムの感受性が高いことが示されている。
このような性差が存在することの説明の一つとして、女性は月経、妊娠、出産などをめぐる生理的な苦痛や不快感の記憶を蓄積しているからだとする説がある。(p190)
もしこの説が正しいとすれば、確かに子どものころから月経周期などで身体の内部感覚を意識することの多い女性のほうが、情動のライブラリが蓄積されやすく、島皮質がより活発に働いて、共感や直感に秀でやすい、ということになります。
しかしこの説明は、あくまで幼少期の内的体験の多さに基づいているので、男性の場合でも、子どものころから身体にとても敏感だったり、身体的病気があったりすれば、同じほど豊富なライブラリが蓄積されうる、ということになるでしょう。
そこで思い起こされるのが、エレイン・アーロンが敏感すぎてすぐ「恋」に動揺してしまうあなたへ。の中で、HSP女性とHSP男性はよく似ていると書いていたことです。
男性は女性よりこれが得意だ、女性は男性よりこれがうまい、という見方はまだ残っている。そこで私は性を四種類に分けてはどうかと提案したい。
つまり、HSP女性、HSP男性、非HSP女性、非HSP男性である。こうすればまったく違う見方ができるだろう。
…これからHSP女性とHSP男性の葛藤をそれぞれ考えていきたい。読者には両方について熟読することをおすすめする。HSP女性とHSP男性は驚くほど似ているからだ。(p70)
非HSPの場合、男性には月経周期などが存在しないのに対し、女性は、周期的に自分の身体の内部に注意を引かれるので、男性より女性のほうが情動経験が豊かになるという性差が生まれるのかもしれません。
しかしHSPや小児期逆境の当事者の場合、男性であっても自分の身体の内的経験に注意を引かれ、ときには非HSPの女性よりも情動経験のライブラリが豊富になる可能性があります。
その結果、HSPや小児期逆境の当事者では、男性と女性の性差が埋まってしまい、男性であるか女性であるかにかかわらず、自分の内的感覚に対して敏感で、感情移入や共感するのが得意で、直感的な判断に秀でるようになるのかもしれません。
帯状回―具体的な行動の意志を生みだす
ここまで、「身体→脳」の感覚系コンポーネントを担当する島皮質の機能を詳しく見てきました。
次は「脳→身体」の実行系コンポーネントを担当する帯状回の役割を見てみましょう。
ダマシオは、意識と自己 (講談社学術文庫)の中で、帯状回の役割について、次のように説明しています。
帯状回皮質の既知の機能をもっとも単純に要約すれば、その機能は感覚的役割と運動的役割の意外な組み合わせからなる、ということになる。
帯状回は全体的には体性感覚的構造で、第五章で述べた体性感覚システムを構成する全部位から、入力信号を受けている。
この信号には、かなりの量の内部環境信号と内臓信号、そして筋骨格部からの重要な信号が含まれる。(p341)
まず帯状回は、島皮質と似たような「感覚的役割」を担っています。
つまり、「身体→脳」の感覚系コンポーネントにも関与していて、身体の内部(内臓や筋骨格系)から送られてくる体性感覚も処理し、情動を作り出しているということです。そのため帯状回は、「全体的には体性感覚的構造」であると書かれています。
しかし帯状回には「運動的役割」もあります。こちらが「脳→身体」の実行系コンポーネントに相当する機能です。
だが、帯状回は一つの運動構造でもあり、発声と関係する運動から、四肢と関係する運動や内臓と関係する運動まで、直接的にも間接的にも、じつに多くの複雑な運動の実行に関わっている。(p341)
帯状回は、具体的な「行動」と結びついています。島皮質などの体性感覚皮質は身体の感覚から情動を作り出し、動機づけを与えますが、その動機を実行に移し、実際に身体を動かす役割は帯状回にあります。
そのほかにも、帯状回は、さまざまな役割に関与していると考えられています。
しかし、これですべてではない。帯状回は明らかに注意のプロセスにも関係しているし、情動のプロセスにも関係しているし、「意識」にも関係している。
その機能重複は著しく、中枢神経系の別の部位、すなわち上部脳幹を思い起こさせる。(p341)
帯状回は、脳幹と同じく、たとえば睡眠覚醒や注意など、生命維持に欠かせないホメオスタシスの機能もつかさどっています。
生物学的なホメオスタシスの概念は、心理学的な自己の概念とよく似ている、ということでしたから、帯状回は「自己意識」を作り出すのに必須の領域だといえます。
要するに、意識は、脳幹からはじまり体性感覚皮質と帯状回皮質で終わる、系統発生学的に古い、限られた数の脳構造の活動に、もっとも決定的に依存している。(p354)
実際に、意識レベルが低下すると帯状回の活動は低下し、意識レベルが高まると帯状回の活動は活性化することがわかっています。
たとえば徐波睡眠、催眠状態、いくつかの形態の無感覚症など、意識が停止または低下しているような状態は、帯状回皮質の「減退した活動」と関係している。
一方、レム睡眠、そして無数の注意は、帯状回皮質の「増加した活動」と関係している。(p342)
HSPの人たちは、頻繁に鮮やかな夢を見たり身の回りのさまざまな物事に注意を引かれたりしますが、それは島皮質だけでなく帯状回の活動も活発で、意識レベルが高いことと関係しています。
他方、解離状態にある人は、起きているときでもぼーっとしてしていて自己意識が希薄ですが、そのときは帯状回の活動が低下しているといえます。
(1)前帯状回は具体的な行動を起こさせる
島皮質がそうだったように、帯状回も位置によって機能の違いがあり、役割が分かれているようです。
そのなかでも、特に注目されているのは、前帯状回(ACC)や、前中帯状回(aMCC)と呼ばれる部分です。
まずは前帯状回については、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際では次のような役割があるとされていました。
前帯状回皮質は、このように自律神経系、神経内分泌系そして情動の身体的表現を組織化する体系の一部であり、情動の身体的側面に鍵となる役割を果たしています。(p205-206)
先に見たとおり、神経生理学においては、「情動」とは心のなかの感情ではなく、感情に先立って身体に起こる具体的な変化のことを言います。このような情動の身体的な反応を引き起こしているのが前帯状回であるようです。
危機的状況に直面したとき、わたしたちは反射的に身構えて闘争/逃走状態になるかもしれません。そのとき、わたしたちが意識するよりも早く、前帯状回が身体をコントロールしています。
前帯状回が身体をコントロールするのは、危機的状況において、生き延びるための適切な行動を自動的に取らせるためです。恐ろしい状況に出くわしたら、恐怖を感じるより「前に」一目散に逃げだすことが必要です。
前帯状回は、わたしたちが感じた情動や感情を具体的な行動に結びつけることによって、ホメオスタシスを維持するという重要な役割を担っています。
たとえば冬の戸外にいて、ただ寒いと感じるだけでなく、寒いから服を着よう、家に戻ろうという行動を起こせるのは前帯状回のおかげです。
HSPやPTSDなど、帯状回が活性化している人たちは、敏感に危険を察知して、すぐ具体的な行動という形で反応しがちです。それは帯状回が情動を行動へとつなげるからです。
反対に、自閉スペクトラム症や解離など、帯状回の活動が低下している人たちは、危険が迫っても、適切な行動をとれません。
感覚が麻痺しているので、おなかがすいてもそれに気づかなかったり、寒い戸外にいても服を着ようとしなかったり、危険が迫ってもとっさに逃げようとしないかもしれません。
いずれも、島皮質や帯状回の活動低下のせいで、危険を知らせる情動が生成されず、危険を避けるための具体的な行動をとることができないという問題を抱えています。
すでに述べたとおり解離は幼少期からの慢性的なトラウマの結果ですが、乳幼児期からトラウマにさらされると、危機を避けるために具体的な行動をとるための前帯状回の機能がうまく発達しないようです。
ゼロ歳児が生後9ヶ月の間までに慢性的なトラウマ(愛着の形成不全をふくむ)を受けると、体験依存的な前帯状辺縁回路の成熟に否定的な影響を与えることは興味深いものがあります。
…幼少期の慢性的なトラウマやネグレクトが、日常生活の行動システムにネガティブな影響を与えることは想像に難くありません。
社会生活を営み、人と関わるための行動システムには、発声とともに反応選択と体の動きを必要とします。
前帯状回が正常の状態ではない場合には、これらの探策と社会生活の営みのような重要な行動システム(他のシステムはそれらの適切な発展に依存しています)の双方が、制約を受けるかもしれません。(p206)
まだ左脳が十分が発達していない時期にトラウマにさらされると、その経験は右脳に蓄えられ、のちのちの人生の行動パターンのスタンダードになりました。
乳幼児期の言葉によらない感覚的な体験が、その後の行動パターンを左右するのは、感覚を主観的に感じとる島皮質と、それに基づいて行動を起こす帯状皮質とが連携しているからです。
特に、今の説明では、前帯状回は、「社会生活を営み、人と関わるための行動システム」にも、関与しているとされています。
愛着障害を抱えた人の人間関係が乱れがちな理由や、自閉スペクトラム症の人がコミュニケーション行動を苦手とする理由も、ここから説明できるかもしれません。
子どものPTSD 診断と治療によると、そもそも前帯状回がうまく発達しておらず、サイズがもともと小さいことが、衝撃的な体験をしたときに、PTSDを発症しやすいリスクになるらしい、ということも書かれていました。
1995年に東京で起きた地下鉄サリン事件の被害者でPTSDを発症した人々がいる。
…MRI脳画像検査によると、被害に遭遇してもPTSDを発症していない人たちと比べて、PTSDにかかった人たちは、感情を制御するとされる部位(前部帯状回皮質 : anterior cingulate cortex : ACC)が有意に小さいということがわかった。
…2011年の東日本大震災で被災しながらもまだPTSDを発症していない人たちでも、前帯状回の一部と眼窩前頭皮質の脳容積が小さいほどPTSD様症状が強いこともわかってきており、おそらくPTSD発症の鍵を握っている神経基盤の一つと考えられている。(p96)
(2)前中帯状回(aMCC)は「やり遂げる意志」を起こさせる
今書いたこととも重複しますが、トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復 によれば、帯状回のなかでも、より限定的な、前中帯状回(aMCC)と呼ばれている部分の活性化が、トラウマを乗り越えられるかどうかのカギを握っているようです。
ドイツ人の友人から手渡されたのは、刺激的な内容の研究だった。
スタンフォード大学の研究グループによる「ヒト帯状回への電気的刺激によって誘発される『やり遂げる意思』(The Will to persevere induced by Electrical stimulation of the human cingulate gyrus)」という興味深い題名の論文だった。
過去にペンフィールドやその他の外科医によって研究されていたのとは、まったく異なる、脳の深部への刺激によって喚起された、予想外の経験に関する報告だった。
この脳の領域は前中帯状皮質(aMCC)として知られている。(p102)
特筆すべきなのは、この研究において、前中帯状回を電気的に刺激された人たちは、「やる気に満ちて努力を続け、やがて課題を克服することができると感じている」状態になったことです。(p103)
aMCCは、「やる気」を起こさせるドーパミンやノルアドレナリンのシステムに直結していて、具体的な行動を引き起こす意欲の座ともいえます。
生理学的な観点から見ると、aMCCには、ドーパミンを媒介した「やる気」を起こさせるシステムと、ノルアドレナリン作動性の行動システムの機能が収束されている。(p102-104)
それだけでなく、aMCCは、恐怖や危険のアラームである扁桃体の活動に打ち勝ち、困難に立ち向かってそれを乗り越えるだけの勇気を抱かせます。
島皮質とともに、aMCCは、体内の感覚受容体から原初的な刺激を受け取っている。加えて、皮質の中で、扁桃が引き起こす恐れの反応を軽減できる唯一の部位である。(p104-105)
そして、その意欲を、具体的な身体的な行動へつなげ、危機を乗り越えるための手続き記憶(たとえば危機に立ち向かい、闘ったり逃げたりする行動パターン)を呼び覚まします。
この視床皮質、島皮質、前帯状皮質および内側前頭前皮質の回路は、内受容性の情報、つまり不随意の体内感覚を受け取り、錐体外路分銅系を介して行動を準備する。
これがまさに、手続き記憶を構成している基礎構造である。(p104-105)
もしこのaMCCが機能していないと、人はトラウマ経験に打ち負かされ、ぐったりし、凍りつき、活動停止し、死んだような無活動に陥ってしまい、生きることをあきらめてしまいます。
重いトラウマの解離状態に陥っている人は、このaMCCの活動が低下しているため、そもそも治療の取り組む意欲や気力を持つことができません。打ちのめされてエネルギーが枯渇しており、立ち上がることさえ困難だからです。
わたしの考えでは、おそらく不登校状態もこれと同様であり、逆境的な学校生活などのせいで慢性的なストレスにさらされ、aMCCの活動が低下し、ドーパミンやノルアドレナリンが抑制され、具体的な行動を起こせないほど弱り果てている状態ではないかと思います。
しかしaMCCを活性化することができれば、たとえトラウマに打ち勝つのが困難な道筋であっても、決してあきらめず、忍耐強く立ち向かって、乗り越えることができます。
トラウマ・サバイバーが、もう何をやっても無駄だという死んだような学習性無力感の状態から、自分は人生の手綱を握っており、困難にめげず乗り越えていくことができるという内的統制の感覚へと変化するとき、このaMCCが活性化するのでしょう。
慢性的なトラウマによって解離状態に陥った人や、不登校の子どもを回復させ、困難に立ち向かうことのできる状態へと導くカギは、島皮質やaMCCの活動を活性化させることであるといえます。
(3)後帯状回は空間的な位置を教える「体内GPS」
帯状回にはさらに、後帯状回という部位がありますが、意識と自己 (講談社学術文庫)の中でダマシオは、後帯状回の機能はまだそれほどよくわかっていないと率直に述べています。
帯状回については、よくわかっているとも言えるし、まだあまりよくわかっていないとも言える。…帯状回は依然として謎めいていて、とくに後部帯状回はそうだ。(p342)
一方、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法では、後帯状回は、やはり自己認識に関わる部位であり、わたしたちの空間上の居場所をつかさどっている「体内GPS」だとされています。
これらの正中線構造はみな、私たちの自己感覚にかかわっている。脳の後ろ側で活性化している最大の領域は後帯状皮質だ。これが、私たちの居場所についての身体的感覚を与えてくれる。
いわば体内GPSだ。
後帯状皮質は、第4章で論じた監視塔である内側前頭皮質と強く結びついている(この結びつきはスキャン画像には表れない。fMRIでは捉えられないからだ)。
後帯状皮質は、体とその他の部分から届く感覚を認識する脳領域である。島や頭頂葉や前帯状皮質とも結びついている。(p152)
後帯状回は、わたしたちの空間的な居場所を教えてくれるため、「今ここにいる自分」の感覚を作り出す上で、重要な役割を担っていると思われます。
次の項目で触れますが、深刻な虐待を受けた人たちの脳機能を調べると、自己意識を作り出す島や帯状回の働きが低下する離人症が起こっていますが、後帯状回だけは唯一、かすかな活動が見られたとされていました。
離人症において、現実感が薄れ、自分の体をうまく認識できなくなってしまい、地に足がついていないような感覚が生じることは、ひとつには後帯状回の「体内GPS」の信号が微弱になっていることが関係しているのでしょう。
解離―みずから自己意識のスイッチを切る防衛反応
このように、島や帯状回は、身体と脳を結びつけ、身体の必要を脳に意識させるだけでく、その必要に応じて脳から身体に具体的な行動を支持する役割を担っています。
生まれたばかりの赤ちゃんや、HSPの人たちは、この身体と脳の結びつきが特に強力ですが、その結びつきが断たれてしまうのが、トラウマが引き起こす解離です。
たとえぱ、それは脳は奇跡を起こすに出ている次のような場合です。
ひじょうに若くして母親を亡くした子どもは、かならずといっていいほど、ふたつの打撃を受ける。ひとつめはもちろん母を失うことだが、ふたつめは、残った親が悲嘆に暮れてしまうことだ。
だれかが慰め、母親がやってくれるはずだった感情調整の方法を教えてくれないと、その子どもは自分の感情のスイッチを切って、「自己調節」することを覚える。(p269)
また、小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)に出てくる次のような場合においてもそうです。
トラウマの原因が親そのものではなく、親の死や重病、離婚などであっても、子どもは闘ったり逃げたりすることはできず、したがって闘争・逃走反応に対処できない。
すると、デフォルトモード・ネットワークが「オフライン」になりはじめる、とレニウスは言う。何が周囲の状況に関連するのか、次の行動を決めるためにどんなことに気づく必要があるのかといったことが理解できなくなる。
「感情をシャットダウンすることが小児期を乗り越える唯一の手段となるのです」とレニウス。
つまり、人生の早い段階で慢性的なトラウマを経験した人は、みずからの感情の状態に気づかないまま成長するケースが多い。(p195)
どちらの場合も、感情のスイッチを切るとか、シャットダウンする、と表現されているのは、脳科学的にいえば、島や帯状回の機能を低下させて解離状態になる、という意味です。
とくに、重大なトラウマによってあまりに苦痛な感覚を経験すると、島皮質が活動低下するばかりか萎縮してしまうことがわかっています。
たとえば、身体的虐待を受けた場合は前頭前皮質および島皮質に萎縮が見られた。「島皮質は身体帰属感や個人の主体性と関わりがあります」とブラムバーグ。
「この発見は、身体的虐待を受けた子どもがしばしば訴える解離症状がこの部位の萎縮に関連している可能性を示しています」。(p155)
激しい身体的虐待を受けた人は、主観的に「感じる」ための島皮質が萎縮していました。
精神科医ベッセル・ヴァン・デア・コークも、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、幼い頃に慢性的なトラウマを受けた人たちは、島や帯状回をはじめとする「自己意識」を作り出す領域の活動が低下していると説明しています。
幼少期(本書ではおおむね「0~六歳」の時期を指す)の深刻なトラウマを抱える慢性的なPTSD患者18人のスキャン画像との著しい違いには驚かされる。
脳のこれらの自己感知領域のどれにも、ほとんど活性化が見られなかったのだ。
内側前頭皮質、前帯状皮質、頭頂皮質、島は、まったく活性化しなかった。
唯一、後帯状皮質がかすかな活性化を見せた。これは、基本的な空間定位を司る部位だ。(p152)
幼少期に慢性的なトラウマを経験した人たちの脳は、自己意識に関わる領域が、ほとんど活性化しなくなってしまっていました。ヴァン・デア・コークは、その理由をこう説明します。
このような結果の説明は一つしかありえない。
これらの患者は、トラウマ自体への反応として、また、ずっとあとまで残っていた恐怖に対処する中で、特定の脳領域の機能を停止することを学んだのだ。
それは、恐怖に伴ったり恐怖を特徴づけたりする、内臓で経験する感覚と情動を伝える領域だ。
だが日常生活では、まさにそれらの領域が、私たちの自己認識、すなわち自分は誰なのかという感覚の土台を形作るいっさいの情動と感覚の認識を司っている。
私たちがここで目の当たりにしたのは、なんとも悲しい適応で、彼らは恐ろしい感覚を遮断しようとして、思う存分生きていると感じる能力まで弱めてしまったのだ。(p152-153)
トラウマを負った人たちが、自己意識に関わる脳領域を停止させるのは「適応」です。
島皮質の役割を思い返してみましょう。島皮質は、身体の内部から発せられる体性感覚をまとめあげ、情動や感情を主観的に感じられるようにします。それによって「今ここに存在する自己」という感覚を作り上げます。
しかし、慢性的なトラウマ経験にさらされると、「今ここに存在する」ことが苦痛になります。
その環境から逃げることができればそれに越したことはありませんが、まだ子どもだったり、逃げ場のない追い詰められたりすると、逃れるのは不可能です。
そうすると、最後の手段として、島や帯状回の機能を低下させ、「ここにいなくなる」ことで対処するしかなくなります。
自分の身体を「感じる」ことがあまりに苦痛であるなら、みずからその機能をつかさどている島皮質や帯状回を麻痺させるしかありません。
「現実」にいることが苦痛であるなら、自己を消し去ることで「現実」からいなくなるしかない。それが解離という防衛反応です。
第6章で見たとおり、そしてまた、ダマシオが実証したように、心の中で抱くこの「現実」の感覚は、少なくとも部分的には、島に根差している。
島というのは体と心の意思疎通において中心的役割を果たす脳組織で、慢性的なトラウマの病歴を持つ人ではしばしば損なわれている。(p662)
この記事の冒頭で触れたように、こと島や帯状回の機能でいえば、HSPの人たちと解離の人たちは正反対に思える特徴を有しています。HSPでは島や帯状回が活発で、解離では島や帯状回が活動低下していました。
言い換えると、HSPでは主観的に「感じる」脳活動が活発なのに対し、解離では主観的に「感じる」ことをやめてしまっています。
この両者は、正反対なように見えて、実際には同じコインの表と裏です。
もともと「感じる」能力がそれほど高くない普通の人は、さまざまなストレスを経験しても、命を脅かされるほど苦痛に思うことはまずありません。
しかしもともと「感じる」能力が高い人は、ほかの人たちが気にしないようなことでも苦痛に感じることがあります。耳が良すぎる人が、騒音に敏感で苦痛を覚えやすいのと同じです。
生まれつき自己意識が活発で、主観的に「感じる」能力が強いHSPの人は、そのぶんストレスやトラウマにさらされたとき、ひといちばい苦痛を感じやすく、生命の危機だと受け止めることもあります。
そうすると、持って生まれた「感じる」能力をシャットダウンし、自己意識を麻痺させてしまうことで、正反対の解離状態に閉じこもることで身を守ろうとします。
ひといちばい「今ここにいる自己」が強い人たちだからこそ、耐えがたい感覚に圧倒されてしまい、「ここにいなくなる」ことで防衛しようとします。
感受性が強いからこそ、「トラウマ自体への反応として、また、ずっとあとまで残っていた恐怖に対処する中で、特定の脳領域の機能を停止することを学」ぶのです。
セラピーの目的は「感じる」力を回復させること
慢性的なトラウマのせいで、みずから島や帯状回の活動を低下させ、感覚を切り離してしまった人たちに必要なのは、もちろん、切り離してしまった感覚をふたたび感じられるようにすることです。
トラウマと解離に詳しいセラピストたちはみな、その目標に取り組んでいます。
たとえば、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際の中でパット・オグデンはこう書きます。
トラウマを受けたクライエントは治療において、徐々に身体感覚やからだの動き、衝動などについて気づくことを学び、また自分で許容できる感覚や情動的覚醒も覚えていきます。
そうすることで、おそらく島や前頭前皮質が活性化し、その結果、自分の身体や情動におきている内的経験に気づく能力を獲得していく、ということです。(p209)
前帯状回は痛み、反応選択、母性行動、発声と骨格運動系の統制をふくむトラウマを予防したり、トラウマに打ち勝つために重要な役割を果たしています。(p206)
トラウマの治療とは、「徐々に身体感覚やからだの動き、衝動などについて気づくことを学び」、島皮質や前頭前皮質などの機能を回復させることだと書かれています。
解離とは、「ここにいなくなる」ことだったのに対し、セラピーでは「今ここでの内的経験をマインドフルに観察する能力」を養うことで、スイッチが切られてしまった脳と身体のつながりを復旧させます。(p206)
身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアの著者、ピーター・ラヴィーンも、トラウマの治療のプロセスにおける同じ面を強調しています。
この繊細なプロセスで重要なのは、強烈だったりわずかだったりする、身体感覚と感情を安全に感じ取ることである。
まさに、この働きをしていると思われる一対の脳の構造の存在が明らかになっている。
大脳辺縁系と前頭葉皮質の間に位置する島(insula)(より辺縁系に近いところにある)と帯状回(cingulate)(より大脳皮質に近いところにある)である。
簡単に言うと、島は筋肉や関節、内臓を含むからだの内部からの情報を受取る。
島と帯状回はともにこれらの原始的感覚を、微妙な感覚や知覚、認知に生成して私たちにわかるように伝えているのである。
この機能にアクセスすることが、次章以降で述べる、トラウマと難しい情動を変容させるアプローチの鍵である。(p89)
やはりポイントは、「強烈だったりわずかだったりする、身体感覚と感情を安全に感じ取ること」です。
それによって、島と帯状回の機能が復旧し、自分の身体の内的感覚を意識できるようになっていき、主観的に「感じる」ことのできる自己意識が回復されていきます。
さらに、トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復の中でヴァン・デア・コークもまたこう述べています。
よいセラピーとは、内面に潜んで咆哮を放っているものに圧倒されることなく、フェルトセンスを感じることを学ぶということだ。
あらゆるセラピーで一番重要な表現は「気づいてください」および「次に起こることに気づいてください」という言葉である。
内側のプロセスを観察できるようになると、脳の論理的な部分と情緒的な部分をつなげる回路が活性化する。
これは、人が意識的に脳の知覚システムを再構成することができる、現在知られている唯一の回路である。
「自己」とコンタクトするには、自分の身体と自己を感じることをつかさどる重要な脳の領域である前島を活性化しなければならない。(p xi)
セラピーの目的は、「内面に潜んで咆哮を放っているものに圧倒されることなく、フェルトセンス(つまり、ふだん意識されていないような繊細な内的感覚)を感じることを学ぶ」ことです。
すっかり遮断されて切り離されてしまった自分の内側の微細な感覚に「気づく」よう訓練することで、前部島皮質が活性化します。
すると、「自分の身体と自己を感じること」ができるようになります。さらに「意識的に脳の知覚システムを再構成することができ」るので、トラウマの解離状態を変容させていくことができます。
しかし、なぜ自分の内側の微細な感覚に気づくことによって、「脳の知覚システムを再構成することができ」るのでしょうか。
それはもちろん、「感じる」島皮質と結びついていたもう一つの領域、つまり、具体的な「行動」を促し、困難を乗り越えさせる帯状回を活性化させるからです。
たとえば、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際には次のような例が載せられています。
クライエントが自発的に注意を正しい位置に向けて集中し、認識、情動、感覚運動分野で自己表現するのを援助することは、前帯状回の機能の最適化を助けることになるでしょう。
その上、運動を用いることは、かつてのトラウマによって妨げられた骨格運動反応を引き起こすことになるので、前帯状回の機能を正常化するかもしれません。
幼児期に性的虐待を受けていたとき、リサは逃げたいと思いました。しかしそうできなくて、凍りついたようになり、動くことができませんでした。
そしてそれ以降、自分でも望んでいない性的接触の間には、凍りついたように動かなくなる傾向をくり返していました。セラピーでトラウマとなった記憶を扱っているとき、彼女は動けなくなる感覚を感じました。
しかしまた、走って逃げたい衝動もあると言いました。リサのセラピストは、立って自分の足で動き、動けることを感じながらオフィスを歩き回ってみるよう伝えました。
リサは、そのような行動を通して、凍りつくのではなく行動できる力を自分で得ることができました。(p206-207)
自分の微細な内部感覚に注意を向け、それに気づくことができれば、自分がトラウマの際に、どんな行動を抑制していたのかがわかります。
「感じる」島皮質は、「行動」を促す前帯状回と結びついているので、トラウマの解離状態から脱出するために、身体が次に何をすればよいかを理解し、行動に移すことができます。
そのとき、ドーパミンやノルアドレナリンが切り離された凍りつき状態から、困難に能動的に立ち向かっていける活性化された状態へと移行します。
今まで過酷な運命に翻弄され、身動きがとれなくなって凍りつき、無活動状態にあった人が、自分で運命の手綱をにぎり、自分の手足であらがうことのできる人へと変化していきます。
過酷なトラウマのために、自己意識を切り離し、「ここにいなくなる」仮死状態に陥ってしまっていた人が、「今ここにいる自分」の自己意識を回復し、自分の意思で困難を乗り越えていけるようになります。
トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復に書かれているように、トラウマからの回復過程は、前中帯状回(aMCC)が活性化し、神経生物学的なレベルで、自己の主体性を取り戻していくプロセスだといえます。
研究者たちは、[aMCCに]電気刺激を加えていると患者の心拍数が増加していることに気づいた。さらに患者は、胸の上部と首の部分に「震え」や「ホットフラッシュ」などの自律神経の動きがあったことを報告している。
私は色めき立った。私のクライアントのほとんどが、トラウマの手続き記憶に取り組み、恐れから覚醒へ、さらには勝利へと移行するときに、これと酷似した自律神経の感覚を報告しているのだ。
同時にクライアントたちは、背骨が伸びたり、胸が広がる感じがするなど、微細な姿勢の変化も示していた。(p103)
トラウマからの回復とは、島や帯状回の活動が低下し、ドーパミンやノルアドレナリンを使用できなくなって、身動きがとれなくなってしまった神経生理的な解離状態から、「感じる」能力や「動く」能力が回復されていく過程なのです。
島や帯状回がつかさどっている自己意識は、生物学的には、内部環境の恒常性を維持するホメオスタシスの能力だったことも思い起こしてください。
トラウマを負って解離状態に陥った人は、内部環境のホメオスタシスを保つための自律神経機能がうまく働かないので、さまざまな体調不良を抱え、環境の変化に適応できなくなります。
しかし、解離状態から回復するときには、身体の内部の信号を処理し、具体的な行動を促す島や帯状回が復旧するので、身体がホメオスタシスを保てるようになり、自律神経のコントロール能力が回復していきます。
ヴァン・デア・コークの身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法によると、いくつかのセラピーでは、トラウマからの回復過程において、実際に島や帯状回の活動が活性化していくことが確認されているようです。
たった三回のEMDRセッションを受けたのちに、12人のうちの8人は、PTSD評価得点が有意に下がっていた。
スキャン画像を見ると、治療後に前頭前皮質の活動が急激に増加しており、さらに前帯状皮質と大脳基底核の活動が前よりもはるかに盛んになっていた。
トラウマ記憶の経験の仕方が変わったのは、この変化で説明できるかもしれなかった。(p418)
幼少期に深刻なトラウマ体験をした6人の女性を対象とする、私たちの最新のヨーガ研究でも、ヨーガを20週間実習すると、基本的な自己システムである島と内側前頭前皮質の活動が増すことを、初めて示す結果が出た。(p452)
眼球運動を介してトラウマ記憶を処理するEMDRや、身体の感覚を通してトラウマ記憶にアプローチするトラウマ・センシティブ・ヨーガなどのセラピーが効果的なのは、主体性な自己意識を作り出すのに必須の脳領域である島や帯状回を活性化させるからなのです。
このように、トラウマの解離状態を治療するセラピーの特徴は、いずれも自分の内的感覚を「感じる」ように助けることですが、注意すべき点もあります。
それは、先ほどの専門家たちがみなそれぞれ、「徐々に…気づくことを学び」「身体感覚と感情を安全に感じ取る」「圧倒されることなく、フェルトセンスを感じることを学ぶ」という表現を使っていたことです。
「徐々に」「安全に」「圧倒されることなく」感じる、という点がポイントであり、「急いで」「危険な環境で」「圧倒されるほどに」感覚にさらされる治療法は逆効果です。
以前の記事でまとめたとおり、神経生理学に基づいたトラウマ治療をほどこす治療者たちは、みな一様に従来の暴露療法と呼ばれるタイプのトラウマ治療法を批判しています。
暴露療法では、トラウマを再体験させることで慣れさせようとしますが、神経生理学の研究によると、それは逆効果であることがわかっています。
そもそも解離状態になるのは、耐えがたい感覚に圧倒されて耐えられなくなってしまうせいですから、恐ろしいトラウマの感覚を再体験させれば、一時的には感覚がよみがえるとしても、すぐに再び感覚を切り離してしまうことは目に見えています。
「感じる」能力を軽視する社会で育ってきたわたしたち
この記事では、島と帯状回の脳科学的な機能から、HSPや自閉スペクトラム症、さらにはPTSDや解離といった現象を考えてきました。
まとめると次のようになります。
HSP⇔自閉スペクトラム症
PTSD⇔解離
恍惚発作⇔慢性不安
うつ病⇔サイコパス
(※常にどんな状況でも活動亢進していたり、活動低下しているとは限らず、あくまで傾向にすぎない)
■自己意識とはホメオスタシスを保つための機能
自己意識とは、環境が変化しても変わらない一個体としての自分を保てる能力であり、生物学的には身体のホメオスタシス(恒常性)を保つための機能である。
■脳は身体から自己意識を作り出す
わたしたちの身体は、つねに無意識下で、身体の内部の情報を伝える「体性感覚」を発している。それらは脳の島皮質などの体性感覚皮質で処理され、情動や感情が生み出され、わたしたちが「意識」できるようにされる。
■島皮質の役割―体性感覚から「今ここにいる自己」を作り出す
前部島皮質は体性感覚から情動や感情を作り出し、自分の身体の内部の状態を、主観的に「感じる」ことができるようにしてくれる。
1秒間に何度も情動が生成されるので、わたしたちはあたかも映画のような連続した自己意識を感じることができる。
感情移入とは、相手の苦痛を我が身のこととして感じる能力なので、島皮質が活発で、自分の身体の内部に敏感な人は、他人に感情移入するコミュニケーション能力も高い。
右半球の島皮質は「考える」能力が発達する以前から身体的経験や感覚情報を蓄えていて、身体感覚に基づく直感的な判断を生み出している。
島皮質はレム睡眠の最中に活性化していて、鮮明でいきいきした夢の中の情動や感情を作り出している。
島皮質の活動は女性のほうが活発だと思われるが、HSPや小児期逆境の当事者の場合、男女の性差が埋められるかもしれない。
■帯状回の役割―情動を動機づけとして、具体的な行動を起こさせる
帯状回は体性感覚を処理しているだけでなく、情動を具体的な行動へとつなげる役割を担っている。
前帯状回や前中帯状回(aMCC)と呼ばれる部位は、行動や意欲を起こさせるドーパミンやノルアドレナリンのシステムとつながっていて、主体性をもって行動するように促す。
後帯状回は、わたしたちの空間的な居場所を教えてくれる「体内GPS」の役割を果たしている。
■解離とは「感じる」のをやめ自己意識を切り離すこと
慢性的なトラウマを経験すると、人は「感じることをやめる」「ここにいなくなる」ことで対処する。それは、自分の身体を感じ、自己意識を生成する島や帯状回の活動のスイッチをみずから切る防衛反応であり、解離と呼ばれる。
■セラピーの目的は自分の身体を感じる能力の回復
トラウマの解離状態に陥った人のためのセラピーでは、安全な環境で徐々に身体の内的感覚を感じられるよう助けることで、島や帯状回の機能を復旧させる。
この記事で扱った「感じる」能力の研究は、神経科学の分野では、わりと最近になって、アントニオ・ダマシオやバド・クレイグらにより解明されてきた新しい分野です。
神経科学者スティーブン・ポージェスによるポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」によると、主観的に「感じる」能力の研究は、長らく正当な扱いをされてきませんでした。
「感情」と「自然に湧きおこってくる感覚」に対する研究が、心理学の枠組みの中で正式な研究対象として受け入れられるようになったのは、わずかここ50年ばかりのことである。
先行研究の結果が、教育、子育て、治療的なモデルに影響を与えてきたが、それは原則として認知的な機能を伸ばし、主観的な感覚を抑制することを目的としていた。
これは行動と認知における、客観的で計測可能な指標を重要視し、「感じること」に対する主観的な反応は顧みないという姿勢である
…私は1966年に、大学院生として科学の世界へと歩みだした。当時は「身体の感覚」は科学の分野では適切な研究対象とは考えられていなかった。(p10-11)
『正当な科学的論題としての「感じること」に関する研究』が始まったのは、わりと最近のことなのです。
科学では歴史的に「感じる」ことより「考える」こと、つまり認知の研究が優先されてきました。
そのため、科学の研究を反映した今日の社会や教育の現場でも、「感じる」ことよりも「考える」能力が重視され、感覚は抑制し、認知を鍛えるという方針がとられてきました。
西洋では「感じること」よりも、「考えること」に大きな価値を置こうとする。
教育や子育てでは、認知のプロセスを拡大し、改善・向上させることに目的が置かれ、身体の感覚や、「動きたい」という衝動はなるべく抑制するように求められている。
結果として、皮質に基づく処理の重要性が強調され、理性の働きのほうがより価値があるとするトップダウンの偏向が生じている。一方身体から発される「感覚」というボトムアップの価値は矮小化されている。(p9-10)
わたしたちの社会でも、やはり、「考える」能力が重視され、「感じる」能力はひどく軽視されています。
学校では、あらゆる授業において、客観的な知識によって「考える」能力の鍛錬が目的とされています。自然の草花を見て、自分の感性で主観的に「感じる」能力を鍛えるような授業はまずありません。
テストでは、主観的な答えを書かないよう指導されます。客観的な知識のみが正しいものだと教え込まれます。
それどころか、学校では、主観的な感覚は抑制するように、絶え間なくプレッシャーをかけられます。
たとえば授業中は立ち上がりたくても座っていなければならず、あくびやくしゃみ、尿意などは我慢するよう求められます。これはすべて生理的衝動より理性に重きを置く文化の現れです。
現代社会では、身体感覚についての重要性は無視され、軽視されてきました。自分の行動を管理する戦略として、私たちは身体が伝えてくるフィードバックを無視するように教えられてきました。
高度に構造化され、社会化された環境内で成長する場合、私たちは自分の肉体的欲求に反応しないように、つねに自分自身に言い聞かせています、
本当は立ち上がって動きたくても、長時間じっと座ったままでいるよう自分に言い聞かせます。トイレに行きたいという衝動を感じても、我慢します(p136)
このような教育は、この記事で考えた脳科学的な研究からすると、「身体が伝えてくるフィードバックを無視する」こと、つまり島や帯状回の活動を抑制するように教えている、ということになります。
これらの衝動や感情を抑制しているとき、私たちは生理学的過程を制御しているフィードバックループの感覚の部分のスイッチを切っているか、少なくとも抑制しようと試みていることになります。(p136)
この記事でおもに考えたような島や帯状回が強く抑制された解離状態は、慢性的なトラウマによって強い抑制を強いられた結果、生じたものでした。
危機的状況に追い込まれ、逃げ場がないと、わたしたちは身体と脳をつなぐ島や帯状回のスイッチを切ります。
ところが、そのような重大なトラウマ経験がなくとも、現代社会の文化と教育のもとで育った人はみな、軽い解離を抱えて育つことになります。学校や職場のルールに合わせるために、自分の感覚の「スイッチを切」らねばならないのです。
私たちが住む世界は認知機能にばかり焦点を当て、認知と身体的体験との統合がなされていません。
そのために解離が引き起こされ、それが人々の生活のかなりの割合を占めているのです。(p166)
この記事で考えたような、島や帯状回が活動低下し、自分の内部を「感じる」ことが抑制され、自己意識が希薄になってしまう解離の問題は、重大なトラウマを経験した人だけに関係しているものではないのです。
わたしたちの社会や教育制度は、ずっと「認知」また「考える」ことを重視しすぎ、長らく「感じる」ことを軽視してきたので、島や帯状回を抑制する傾向があり、多かれ少なかれ解離を引き起こしています。
このような社会のひずみから最も影響を受けているのは、もちろん「感じる」能力に特化したHSPの子どもたちでしょう。もともと「感じる」能力が高いのに、その才能を伸ばすどころかひたすら抑制するように強いられて育つからです。
教育の現場で、それぞれの子供が持っているユニークな感受性を大切にすることも可能なはずです。しかし、そういったことは滅多に起こりません。
そして、結局私の同僚たちの多くが働いている、トラウマ治療の領域へと帰結していきます。(p226)
現代社会において、感受性の強い子どもが不登校や慢性疲労症候群になりやすいとすれば、それは社会が、主観的に「感じる」能力を軽視し、客観的に「考える」能力ばかりを伸ばそうとやっきになっているひずみの現れであるといえます。
そのような子どもたちは、虐待や災害などの重大なトラウマを経験したわけではないかもしれませんが、「トラウマ治療の領域へと帰結してい」くため、「感じる」脳領域を復旧させるようなセラピーを必要としています。
もしかすると現代の肉体的および精神的な疾患は、デカルトの格言に忠実でありすぎた結果かもしれません。
身体の反応に注意を払わず、内臓感覚を無視することで、長年にわたり、脳と身体の双方向の神経のフィードバックを抑制してしまったために心身の疾患が発生しているのではないでしょうか。(p224)
わたしたちは、このような偏った社会で生まれ育ったからこそ、「考える」認知の力だけではなく、「感じる」感性の力の重要性を思い起こすことが大切です。
ダマシオが意識と自己 (講談社学術文庫)で述べているように、それは古代の人たちが当たり前のように持っていたであろう能力です。
電子メディアやジェット機や活字が登場するはるか以前、まだ帝国や都市国家も登場していない、環境がかなり単純だったころには、もっと容易にバランスのとれた視点を手にできたと思う。
…彼らは、今日われわれの多くが感じ取っている以上に、自分自身について感じ取ることができたと思う。
今日われわれが心と呼んでいるものを、息と血を意味するためにも使われた「プシュケ」という言葉で言い表した古代人の知恵に、私は驚嘆する。(p46)
島皮質や帯状回皮質についての神経科学の研究は、現代社会に生きるわたしたちにとって希薄になってしまった、自分の身体をより深く感じる能力、そして、今ここに存在している自分、という自己意識を生き生きと感じる能力の尊さを、わたしたちに思い起こさせてくれるのです。