この何年か、食習慣を変えたり、睡眠を安定させたりすることに重きをおいてきました。その甲斐あってか、緩やかで揺り戻しもあるものの、体調は改善してきていると感じています。
周りに言わせれば“まだまだ”なのですが、まったく良くなる兆しがなかったころに比べると、笑顔で生活できるくらいにはなりました。
かなり体力がついて、ときどき外出先で一日中座っていることもできます。パフォーマンス・ステータスでいうと4に近いと思います。今困っているのは、だれかと会話するとドッと疲れが出るということです。
長引く病気のもとでは、ときおり、他の人から見るとささいに思えるようなことでくよくよ悩んでしまったりするものです。最近、なぜ話すと疲れるのか、ということについて、ちょっとした考えこんでいました。
なぜ話すと疲れるのか
長年CFSを患っていると、今自分ができないことが、もともと生まれつきできないのか、それともCFSのためにできないのかわからなくなることがあります。もう病気になる前のことをよく覚えていないからです。
わたしはずっとCFSのせいで人と話すのが苦手と考えていましたが、本当にそうなのか、と疑問を抱きました。体力はついてきたはずなのに、なぜ人と話すのがおっくうなのでしょうか。
もしかしたら、わたしはもともと、CFSになる前から、コミュニケーションが苦手な要素を抱えていたのでしょうか。
発達障害?
わたしの主治医は発達障害も診ている人ですが、わたしについては、話した雰囲気や、CFSを発症した状況から発達障害があったとは思えないと言っていました。CFSになる前のわたしを知っている家族もそう言っています。
でも、気になったので、ニキ・リンコさんのスルーできない脳―自閉は情報の便秘ですを読んでみました。ADHDと慢性疲労症候群の関係について、少し書かれている本です。
該当部分については、読書倶楽部通信さんが、~不快刺激とADHD~および~感覚統合の問題~という記事で、引用してくださっています。
わたしがこの本を読んで、特に当てはまるなぁ、と思ったのは合宿免許体質(集中してまとめて取り組むタイプ)の部分です。確かに放課後マイクロバス体質(コツコツと毎日するタイプ)ではありません。
また、大衆受けするライフハックでも、その人の体質によって当てはまらないものがあるというくだりは、まさにそのとおりだと感じました。
しかし全体として、自分とはまったく違う世界について書かれている、と感じた本でした。
その後、たまたま発達障害の高校生の子と話す機会がありました。音過敏や光過敏、タイムスリップ現象などについて具体的な話を聞くうちに、自分はどうやら発達障害ではないようだ、ということがよくわかりました。
ただ、先生によると、CFSと発達障害の関わりは思う以上に深いようです。CFSによる症状と発達障害による症状は、疲労感も含めて、とても似ていて見分けがつかないことがあると話しておられました。
前述の本に書かれていた、雑念を無視する力に乏しいので、不快刺激に敏感になるというCFSのメカニズムは、わたしの場合にも当てはまると思います。わたしはCFSを発症したその日に集中できない頭になりましたが、集中力が戻るにつれて症状が軽くなりました。
CFSと疲労感の強い発達障害は同じような脳の状態になっているのかもしれません。
パーソナリティ障害?
ではパーソナリティ障害はどうなのでしょうか。パーソナリティ障害はいろいろ種類がありますが、パーソナリティ障害とは何か (講談社現代新書)という本がよくまとめられていて面白そうでした。
読んでみた限りでは、わたしがどれに似ている、というのは特になさそうでした。言うまでもないことですが、パーソナリティ障害はどれも極端すぎます。
不登校や引きこもりというと、回避性パーソナリティ障害(森田神経質)だと思いますが、そのような人が、突然学校に行けなくなったとき、学校へ無理やり行こうとして努力したりするとは思えませんでした。病気のもとで幅広い交友関係を持ったりもしないはずです。
この本自体はとても参考になるいい本でした。パーソナリティ障害とまではいかなくても、自分の性格(パーソナリティ)について考える場合に役立ちます。
子どものころの養育環境
発達障害やパーソナリティ障害に比べると、不安定型愛着やAC(アダルトチルドレン)は多数派だと言われています。どちらも、子どものころの養育環境が、おとなになってからの性格や人生に大きな影響を及ぼすというものです。
パーソナリティ障害と同じ問題を別の観点から捉え直しただけとも思えますが、より広い範囲の人を含んでいるようです。
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)によると3人の人のうち1人が不安定型愛着である可能性は70%にもなると言われていました。不安定型愛着はときに発達障害と間違われるとも書かれています。
わたしの先生は、わたしの少し人と違う部分(前述の合宿免許体質のようなところ)は家庭の問題による不安定型愛着ではないかと話していました。チェックリストをやってみると、「愛着回避が強いが適応力のあるタイプ」と出ました。
わたしの家庭はアルコール依存症の親がいるわけでも、機能不全家庭でもありません。しかし、わたしが幼いころ、兄弟が難病になったので、難病の子どもを持つ家庭特有のさまざまな問題がありました。
「産んでくれてありがとう」にも書かれていましたが、そうした家庭では、難病でない子ども(患者のきょうだい)への配慮が行き届かず、子どもが寂しい思いをすることがあります。ましてや難病の子どもが亡くなった場合、喪失体験により残された子どもは心に傷を負います。
子どものころの家庭環境があらゆる病気に影響するということは、わたしが今読んでいる、身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価という本にも詳しく書かれています
これまでに検証してきたがん、多発性硬化症、慢性関節リウマチなどの多くの疾患は、大人になってから突然生じるのではなく、生涯を通して続いてきたプロセスが招いた結果なのである。
…インタビューした患者たちは非常にさまざまな疾患をもっていたが、彼らの話に共通していたのは、早くに親を亡くしたか、または幼いころの親子関係が子供の心を満足させるものではなかったということだった。
大人になってから深刻な疾患にかかった人は子供のころ愛情に恵まれていなかったという事実は、非常に多くの医学や心理学の論文にも報告されている。(p294)
子どものころ満たされなかった、といっても、これらの人たちは、虐待されていたわけではありません。むしろ「幸せな子供時代」だったと述べる人が多いそうです。
しかし実際に話をよく聞いてみると、楽しい記憶だけを覚えていて、満たされない記憶を押し隠していたことが明らかになります。辛いことを忘れようとする子ども特有の対処法は“解離”と呼ばれます。(p355)
そのように生きてきた子どもは、“ノーと言えない”人当たりの良い人に育ちます。自分には厳しく、人には優しい、自己犠牲的ないわゆる“良い人”になります。なんにでもまじめに取り組み、精力的に働きます。
しかしそれは、満たされない気持ちを抑圧している裏返しであり、満たされない気持ちはいつか必ず病気の引き金となります。口でノーと言えないなら、体がノーというようになるのです。
この身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価という本は、CFSを診ている外旭川サテライトクリニックの三浦先生が紹介していた一冊で、Amazonレビューでもたいへん高い評価を得ていました。思い当たるところがある人にはぜひ一読をおすすめします。
わたしの場合、これが素因としてCFS発症に関わり、治りにくい要因ともなっていると考えています。ノーと言えなかったので、睡眠を削って過労状態になり、CFSを発症したのです。
話すと疲れるわけ
結局のところ、わたしが人と話すと疲れるのには3つの理由があるようです。
まず一つはCFSが治りきっていないことです。改めて冷静に考えてみると、わたしのCFSの友人は、みな口をそろえて、人と話すのはしんどいと言います。
ある友人と話していたとき、その人がずっと話しつづけるので、わたしは聞き役に徹していましたが、疲れ果てていました。そして、(この人はCFSだけど、人と会話しても疲れないのだろう)と思っていました。
ところがその人はあるときふとこう言ったのです。「わたしは人としゃべるのがしんどいのだけど、Susumuさんはそんなことないのね」。
外見からはわからないものですが、CFSの人の多くが、人とのコミュニケーションに疲れるのは確かなようです。CFSになると認知機能やワーキングメモリが低下するので、会話すると健康な人以上に疲れるのでしょう。
2つ目の理由は、もともと愛着回避の傾向や、人にノーといえない傾向があることです。決して人との関わりが得意なほうではないのです。わたしの先生は、話す前によく考える人ほど、疲労の影響で話すのが不得意になると言っていました。
3つ目に、CFSで引きこもっている期間が長く、健康な人と比べてコミュニケーションの経験が不足していることが考えられます。わたしは交友を広く保ってきたほうだと思いますが、人と顔を合わせる時間が少ないことは明らかです。
そのようなわけで、もともと話すのが得意ではない上に、経験が不足し、CFSの認知機能障害も出ていますから、話すと普通以上に疲れてしまうというわけでしょう。もともと苦手な部分が、CFSと闘病期間の影響で、増幅されてしまっているのだと思います。
ところで、災害が起きたとき、まず行うべきことは、なぜ災害が起きたのか考えることではありません。どうすれば、生き残っている人を救出できるか考えることのほうが大切です。
同じように、何が原因でコミュニケーションが辛いのか、という原因を探すより、もっと大事なことがあります。これまでしてきたように、NLPなどのライフハックを応用して、どうすればコミュニケーションしやすくなるかを考えるほうが良いのです。
役立ちそうなことは以前に以下の記事でまとめました。それだけでなんとかなるものではありませんが、これまでどおり、気楽に気負わずコミュニケーションするよう心がけたいと思います。
慢性的な病気を説明する17の会話テクニック ーCFS患者の会話の助けー |