研究者たちはもう少し複雑な選択肢を用意しました。2つのおやつをすぐにもらうのと、2分待ってから6つのおやつをもらうのとではどちらがいいか選ばせたのです。
…チンパンジーと人間ではその選択に大きなちがいが表れました。
チンパンジーはおやつをよけいにもらおうとして、なんと72パーセントが待ちました。いっぽう、ハーバード大学とマックス・プランク研究所の学生は19パーセントしか待てなかったのです。 (p234)
どうしてこんな結果になったのでしょうか。
この実験の結果もそうですが、わたしの日常において、幾度となく繰り返されてきたことについても同じことがいえます。あれほど強く決意したはずなのに、いともたやすく誘惑に打ち負かされてしまうのです。
しかし失敗し、落胆し、後悔することは、わたしが動物ではなく人間であるという事実も教えてくれています。ときにはチンパンジー以下かもしれませんが、チンパンジーとは違う特異な能力を持っているからこそ後悔し、変わろうと努力するのです。
わたしたち人間だけが持っている特異な能力とはなんでしょうか。なぜ誘惑に屈し、それでも変化しようと努力しつづけるのでしょうか。そして、どうすればそれを実現できるのでしょうか。今更ながらベストセラースタンフォードの自分を変える教室を紹介したいと思います。
これはどんな本?
スタンフォードの自分を変える教室は、もはや説明が不要なほど、広く読まれているベストセラーです。そこかしこのブログで、書店のショーウィンドウで、地下鉄の広告で目にする自己啓発本の代表格です。
著者のケリー・マクゴニガルはスタンフォード大学の健康心理学者として、大人気講座「意志力の科学」を立ち上げました。心理学や行動経済学の最新の見解を取り上げ、どうしたら悪い習慣を捨て、良い習慣を身につけられるかを教えています。
自己啓発本は世の中に溢れかえっていますし、どれだけ良い方法が出まわっても、わたしたちの習慣化の悩みは尽きることがありません。しかし、この本が興味深いのは、冒頭で取り上げたように、単なる精神論ではなくさまざまな実験結果に基づいている点です。
読むだけで満足して、悪い習慣にはまり続けるのではなく、少しでも前進するために、何ができるでしょうか。
人間だけが未来を思い描く
このブログで以前にも取り上げた点ですが、人間と動物を隔てる能力のひとつは、過去について、また未来について考える能力がある、ということです。
京都大学霊長類研究所の松沢哲郎先生によると、チンパンジーは“今”しか考えていません。先のことを考えたり、過去のことでくよくよしたりするのは人間だけです。
本書にもこうあります。
ハーバード大学の心理学者ダニエル・ギルバートは、大胆にも、人類は将来について有意義な考え方のできる唯一の生物であると主張しています。 (p234)
考えてみてください。
ネコは自分は将来どんなネコになりたいか、などと考えるでしょうか。トラは乱獲されて絶滅危惧種になっているからといって、死について思い煩い、うつ状態になったりするでしょうか。チンパンジーは生涯の終わりに自分の生きざまを振り返り、後悔したり満足したりするでしょうか。
どれも、これまで観察されている限りでは有りえません。
人類だけが、未来について、また過去について考えるのです。そして、未来について考える特異な能力があるからこそ、人間は冒頭に引用したような失敗をしでかすこともあれば、自分のなりたいものになろうと生涯努力しつづけることもできるのです。
「明日から本気だす」
それにしても未来について考える能力があると、なぜ誘惑に屈しやすくなるのでしょうか。ケリー・マクゴニガルは、こう述べています。
問題は、私たちが未来を予想できることより、むしろはっきりと予想できないことにあるのです。(p235)
どういうことでしょうか。
わたしたちは未来の自分を想像できますが、まるで別人のように過大評価する傾向があります。
たとえば、「今日はエクササイズはサボるけど、明日から本気だす」、と毎日思っているかもしれません。「勉強をやらなくちゃいけないけど、今は遊んでもオーケー」と考えることもあるでしょう。
冒頭の実験で、チンパンジーは、「とりあえずおやつを2つもらっておこうかな。こんどはちゃんと待って6つもらえばいいもんね」などと考えもしませんでした。でも学生はそうしました。
学生を対象にした実験では、「ためになる教養番組は来週でいいや」とエンタメ番組を見たり、「いまはとにかく現金が必要だからすぐもらおう」と目先の利益に飛びついたりしたといいます。(p147-151)
また、人助けのためにどれくらい時間を提供できるか聞かれると、今学期なら平均27分、次の学期なら85分と答えたそうです。未来の自分は、今の自分より余裕があり、意志が固く、先送りにした問題すべてを解決してくれるスーパーマンなのです。(p257-260)
でも実際は?
当然ながら、明日の自分も来週の自分も同じです。未来の自分への期待は、年をとるにつれて、いつしか後悔に変わり、先送りした荷物は志半ばにして投げ出すほかなくなります。
この本では、ほかにも、人間が未来を思い描けるからこそ陥りやすい、いろいろな罠が挙げられています。
モラル・ライセンシング(p130)、恐怖管理理論(p208)、どうにでもなれ効果(p216)、いつわりの希望シンドローム(p228)、遅延による価値割引(p236)、限定合理性(p238)などです。
未来をコントロールする3つの方法
ではどうすれば、未来を思い描けるという人間特有の能力をコントロールし、自分を本当に変化させ、なりたい自分になることができるでしょうか。未来というトピックにまとめると3つの方法がありそうです。
1.未来をより強く思い描く
未来を中途半端にしか思い描けないために失敗するのであれば、未来の自分をもっとしっかり思い描けばよいはずです。もっと目標のイメージを強固にするのです。
ドイツのハンブルグ・エッペンドルフ大学医療センターの神経科学者たちは、ただ「将来のことを考えるだけ」で、効果があることを見つけました。「将来のことをリアルにあざやかに感じるほど、将来の自分が後悔しないような意思決定ができ」ます。(p266)
誘惑を感じたら、ちょっと「明日の予定はどうだっけ?」と考えてみるのはどうでしょうか。未来の自分に手紙を書いたり、老人になった自分や、不健康に太りすぎた自分の姿を想像してみるのもいいでしょう。(p264)
フェイスブック中毒になっていたアミーナという学生は、フォトショップを使って、手術衣を着た外科医の写真に自分の顔を合成し、パソコンの壁紙にしました。「こんなことやってて、医者になれなくてもいいわけ?」と自分に言い聞かせたのです。(p250)
このブログでも目標を生き生きと思い描くことの大切さについて書きました。
目標を定めるーCFSのもとでも生き生きと過ごすために(上) | あなたの目標を分析する8フレームアウトカム |
2.今に集中する
未来を中途半端にしか思い描けないなら、いっそ今に集中してしまうのもひとつの手です。明日の自分は今日よりすごい、という期待を一切やめるのです。
行動経済学者のハワード・フランクリンは、「ある行動を変えたい場合、その行動じたいを変えるのではなく、日によってばらつきが出ないように注意する」よう勧めています。
たとえば、タバコを吸う人の場合、「毎日同じ本数」を吸うよう指示すると、なぜか喫煙量が減っていくのだそうです。「明日からちゃんとやればいいや」という言い訳ができないからです。(p152)
わたしたちは、新しいことを始めようとして習慣化に失敗しますが、そもそも同じことを続ける力さえないことを覚えておきたいものです。悪い習慣をやめたい場合、まずその習慣を毎日同じだけ続けて、続ける意志力をつけてから、つぎのステップに移るという手もあるのです。
頭のよいアスリートは、明日の自分は簡単にハードルを越えられるなどと無茶な期待を抱くことはありません。わたしたちも、明日の自分は変われる、などと過信せず、地道な「意志力トレーニング」から始める必要があります。(p114,124)
このブログでも以前、ベビーステップという考え方を取り上げました。
習慣化-はじめの一週間を乗り切った2つの秘訣 |
3. 10分待つ
3つ目の方法は、目先の誘惑を、中途半端な未来と同化させてしまうことです。10分待つだけで、脳はそれを先の報酬として解釈し、すぐに手に入る魅力的なものとみなさなくなります。(p243)
少し呼吸を置けば、脳の「休止・計画反応」が働いて、衝動から心を守ってくれます。(p68)
何度も待つことを繰り返せば、脳はすぐに行動せず考えるよう鍛えられます。(p113) 自分は「なぜ」誘惑を退けるべきか考えるようになり、目標を見失わなくなります。(142)
このブログでも、以前マシュマロ・テストについて取り上げました。
注意をそらす能力ーマシュマロ・テストに学ぶ |
そして未来は現実になる
これらのステップを踏んでも、失敗することはあります。そんなときは、自分を責めず、許すようにするとよいそうです。
失敗したときは、自分に対して、「このバカヤロウ!」「なんてダメなやつなんだ!」と感じてしまいがちです。でも、相手が自分ではなく、頑張って変わろうとしている友人だったら、そんな言葉をかけるでしょうか。(p224-225)
シロクマのことを考えるな、と言われると、ますますシロクマのことを考えるようになります。欲望について考えないようにすると、ますます欲望で頭がいっぱいになります。自己批判的な考えを抱くと、ますます自尊心が傷つき、誘惑に負けやすくなります。
これを「皮肉なリバウンド効果」というそうです。(p303-322)
わたしたちが自分に否定的な言葉をかけていれば、それが未来の現実となります。反対に失敗した自分を受け入れ、友だちにかけるような言葉で自分を励ますなら、気を取り直して進歩することができます。なりたい自分が現実に近づくのです。
この本には、なりたい自分になるためのテクニックがとても多く書かれています。このブログからすると、睡眠不足は「軽度の前頭前野機能障害」であるとしている記述などが興味深いところです。(p82)
しかしたくさんポイントがあっても憶えられませんし、「スタンフォードの読むだけで終わった教室」になっては意味がありません。わたしが大切だと思ったのは、「未来」を思い描くという人間にしかない能力を正しく使うこと、そして失敗しても自分を励ますことだけです。
この書評は、わたしの視点でまとめたため、別の人がスタンフォードの自分を変える教室を読めば、まったく違う感想を抱くことでしょう。
それもそのはずです。この本は単なる知識ではありません。わたしたち一人ひとりが、それぞれの未来を思い描き、なりたい自分になるのを助けてくれる書籍なのです。