絵を描く情熱を失いました。
一時的なものなのか、もっと重大なスランプなのかはわかりませんが、とにかく描く意欲が消え失せてしまいました。
絵を描きたいという気持ちは心の片隅にはあるのですが、どちらかというと絵を描くのが怖い、という気持ちのほうが強いのです。
絵を描く情熱を失うというのは、作家の世界では珍しくないそうです。インターネットで検索すると数多くのエピソードが目に留まります。
別に仕事ではなく、趣味なので、絵を描く情熱がなくなったなら、やめればいい、と思いますが、そうはいきません。絵を描く情熱がなくなっても、絵を描くことは好きなのですから。
なぜか結婚生活がうまくいかないけれど、配偶者のことは好きでたまらないのと似ています。別れればいいという問題ではないのです。
このエントリでは、絵を描く情熱を失ってしまったわたしに対して、認知行動療法を施してみたいと思います。また、ネット上のいろいろなエピソードも参考にしてみます。
(なんとなくスランプの最中に水彩で描いた星空の絵です)
なぜ絵を描く情熱を失ったか
わたしは絵を描く情熱を突然失ったわけではありません。前のエントリで、「ゆめまな物語」を一度完結させたことを書きましたが、絵を描く情熱を失いかけていることに気づいたため、完結の4部作を描くことにしたのです。
所属していたお絵かきコミュニティにも、少なくとも一ヶ月は休む旨を書きました。自分の異変をいち早く察知していたので、計画的に行動したのです。
それにしても、毎日のように絵を描いていたわたしが、なぜ絵を描く情熱を失ってしまったのでしょうか。このスランプは何なのでしょうか。
認知行動療法では、まず不快な気分に陥った原因となる出来事をさぐります。それを洗い出してみましょう。ひとつではありません。
原因1:周りの人による評価
わたしはいくつかのSNSに絵を投稿しています。しかし、そこでの評価は芳しくありません。たとえばPixivでは、芳しくないどころか、ひどいものです。
評価が0ということも珍しくありません。どんなに手抜きな絵でもだれか一人くらいは評価してくれているのを見かけるものです。
わたしの場合は、少ない体力を費やして、できる限りの努力を尽くして絵を描いています。それだけ苦労した絵が、見向きもされないとなると、相当がっかりします。
原因2:絵を描く時間は無駄ではないのか
わたしはPixivとは別のお絵かきコミュニティにも所属して絵を描いています。そちらがメインで、大勢の作家さんと交流していたので、時間が取られすぎているように感じました。
たとえば、せっかく新しい絵を描いてくれたのだから、コメントしてあげないと、という義務感を感じることもありました。
これはSNSでよくある、交友範囲の広げ過ぎの問題です。SNSでは際限がないのです。SNSとうまく付き合うには経験を積む必要があります。
もしかすると絵を描いているせいで、読書など他の有益な習慣が損なわれているのではないか、という気がかりを感じていました。
原因3:自分が絵に向いていないことを実感する
何度か話題にしてきたことですが、わたしは基本的に生まれつきの認知パターンが絵に向いている人ではありません。
わたしは映像思考ではなく、言語思考です。人には、物事を画像に置き換えて考える人と、言葉で考える人の二通りがいるのです。わたしの友人にも、映像思考の人がいますが、その人はまず画像が頭に思い浮かぶそうです。
わたしはバリバリの言語思考です。流れるように文章が出てきます。文章であれば、いくらでも書ける自信があります。このブログそのものがそのことを証明しています。
ときどき、これでもかというほど発想豊かな絵を目にします。(例えばこんな絵がありました)。それは、流れるように画像が思い浮かぶ人が描いたものに違いありません。わたしにはその能力はないのです。
わたしは絵を描くたびにそのことを痛感します。
わたしは絵を描くまで、自分は発想力豊かな人間だと思っていました。しかし絵を描き始めて、わたしの発想力は非常に限られたものであり、アイデアがほとんどないことに気づきました。
原因4:絵を描く目的を見失う
絵を描く目的とは、7つの習慣でいうところのミッション・ステートメントのようなものです。道に迷ってしまった時に取り出す、行き先の記されたマップのことです。
信念やモットー、使命感とも言われます。
わたしは何のために絵を描いてきたのでしょうか。
はじめは、どこにも行きようがない、体調の悪いわたしにとって、絵を描くことは自己実現の手段でした。絵の中でなら、なんだって自由なのです。
しかしわたしの拙い発想力では、表現の幅が狭いことも知りました。
また、「ゆめ」と「まなき」と「ファンタス」に、世界中を冒険させてやりたい、という気持ちも抱いていました。ところがその冒険は終わらせてしまったのです。
わたしにとっては一種の燃え尽き症候群のように思えました。
絵を描いても、収入につながるとか、有名になるとかいうことは、わたしの画力では決してありません。ではほんとうに、何のために絵を描くのでしょうか。それがわからなくなりました。
別の見方はないか、探してみる
認知行動療法では、原因となる状況と、それにたいする自動思考(はじめに感じた思い)を洗いだしたら、次に別の考え方はないのか、ということを探ります。
さきほど挙げた4つの原因に対応する反論を挙げてみましょう。
1.別の見方:喜んでくれる人がいればそれで十分
Pixivで評価されないと書きましたが、閲覧数はたった30人ほどです。多くて100人です。そんな僅かな数の人に評価されないとしても、何が問題なのでしょう。
まず第一に、わたしの絵はオリジナル絵ばかりです。版権絵をたまに描くと、評価もブックマークもそれなりにもらえます。Pixivはそういう場所です。わたしはPixivのユーザー層と趣味の合わない絵を描いているだけなのです。
とりあえずCJキューブとクリエイターズバンクに登録することにしました。SNSとして用いるというより、ギャラリーとして登録しておこうと思います。
第二に、わたしの絵は、リアルの友人間ではそれなりに人気があります。わざわざ仕事場に飾ってくれる人もいたり、お金を出してポストカードとしてほしいと言ってくれる人さえいたりします。
SNS上でも、コメントしてくれる人がいます。わたしの絵を好きになってくれる人は少数でも存在するのです。
友達だから、ひいき目で見てくれていることはもちろんあるでしょうが、喜んでくれる人がいるなら、それで十分ではないでしょうか、
第三に、どんなにうまい絵でも、嗜好が合わなければ、スルーされます。それが絵の世界です。わたしも、いろいろ上手な絵を見てきましたが、模写やアニメ絵にはあまり興味がありません。すべての人に気に入られる絵なんてないのです。
確かに、評価が数字で表されるのは、とても辛いです。自分が悩みぬいて描いたオリジナル絵より、模写やアニメの絵の評価のほうが基本的には高いので、嫉妬心にかられてしまいます。
しかしそんなときは、逆に、少しでも見てくれる人がいたことを喜ぶべきでしょう。コップに水が少ししかないと気落ちするのではなく、少しでも入っていることに感謝するのです。
2.別の見方:今は絵を描くことがベスト
絵を描くのは時間の無駄なのでしょうか。
SNSをしばらく休んでみてわかったことがあります。
SNSで絵を描くことをやめたからといって、時間に余裕ができることはなかったのです。
ここは重要なポイントですが、絵を描いていたから、ほかのことがあまりできていなかったのではなく、そもそもで何もできないから、絵を描くしかなかったのです。
具体的にいえば、SNSで絵を描いているせいで読書ができないわけではなかったのです。SNSをやめ、絵を描くのをやめても、やはり読書はできそうにありません。今のわたしの体調では、絵を描くことがベストかつ唯一の選択肢だったのです。
ほかに選択肢がない現状であれば、絵を描く時間は無駄なのか、という懸念は意味をなしません。どうせそれしかできないのですから、それをやっているほうがむしろ有益に時間を使っていることになるでしょう。
3.別の見方:好きならそれでいいじゃない
才能がないから描けない、というのは事実です。でも、才能がなくても、好きだから続けているなら、それはそれで立派なことなのです。
相撲の世界に森麗(もりうらら)という力士がいます。まったく相撲の才能がなく、最弱力士とまで言われています。成績もパッとせず、連続負け越しのワースト記録を作りました。
それでも、相撲が好きだという思いから現役を続けていて、好角家の間では、それなりに人気があります。
相撲に才能のない力士はこれまでも大勢いたと思います。しかし森麗が特別なのはやめなかったことです。
わたしも、なんだかんだと言いつつ、子どものころから絵を描くことは続けていますが、才能がなくてもやめないなら、それなりにいいことだってあるのです。
森麗と大関稀勢の里は一学年違いですが、どちらのほうが、相撲を楽しんでいるかと言われたら、必ずしも稀勢の里のほうが何倍も楽しんでいるとはいえないと思います。
絵も、うまい人と比べるのではなく、自分の持ちうる才能の範囲で楽しむようにすればいいと思います、うまい人の絵は、すごいなーと口を開けて見ればいいだけの話です。ねたむ必要はありません。
それに、才能がないように思えても、クリエイティブさはある程度伸ばすことができるものだとおもわれます。続けることにはどんな場合でも価値があるのです。
4.別の見方:描きたい理由はいくらでも探せる
ここまで書いてきてはじめて気づきましたが、今回のスランプで一番大きな問題はこの4番目、絵を描く意味を見失った、ということかもしれません。
絵を描く目的は人によってさまざまです。
ひたすら純粋にうまくなろうとする人がいます。いわゆる大関や横綱を目指して頑張る人たちです。でもそんな華やかな世界は、才能ある人のためのものです。
お絵かきコミュニティが楽しいから、続ける人もいます。作家さんたちと絵について話すのが楽しいのです。必ずしもうまくなくても構いません。
自己表現のために描く孤高の絵師もいます。フィンセント・ファン・ゴッホはそんな画家でした。周りの評価など気にせず、描きたいものを追求するのです。それもまた素敵です。
どんな動機であるにせよ、外的報酬ではなく、内的報酬に動かされて絵を描くほうが長続きします。つまり、だれかに褒められるから、とか、評価されるからというものではなく、自分の内に描く意味を持つのです。
わたしの場合は何でしょうか…。
とてもきれいな色使いの絵や可愛い絵を見たとき、自分もこんな絵を描きたいと思います。
ちょっとした言葉や歌詞からインスピレーションが広がって描きたくなることもあります。
自分の思い描いた世界を、絵という形にしてみたいときもあります。たとえばファンタジーな絵がそうです。温かい家族の絵なんかも、自分が思い焦がれて描くものです。
最近、Pinterestを始めて、気になった絵や写真をブックマークするようになりました。自分の創作意欲を刺激するものを集めるなら、描きたいという動機を持つのに役立つかもしれないと思っています。
たぶんわたしは、「ゆめまな物語」をまた描き始めると思います。わたしの大好きな双子とネコに、もっと冒険させてあげたいです。
(これもなんとなくスランプの最中に水彩で描いたイッカクの絵です)
もっと別の世界を創造するのもいいかもしれません。今はまだアイデアがありませんが、「ゆめまな物語」も今年に入るまで、形がなかったのですから。
そう、自分の思い描いた世界を形にする、これは、わたしにとって最も強い動機付けかもしれません。
以前に書いた、お気に入りの言葉を引用します。
違った。「CFSでも絵が描きたい」じゃない。「CFSだから絵が描きたい」のです。
だって、たとえCFSでも、絵を描けば、どこへだって行けるでしょう? 行ったことのない国へも、遊んだことのない動物のところへも、まだ知らない世界へも。
先人たちのアドバイス
Web上を見ると、絵を描く情熱を失ったという話はたくさん出てきます。わたしが心を動かされたものをいくつか紹介したいと思います。
後悔しないために
絵の情熱がなくなりました。 私は絵が大好きで、最近では大学入試に向けて日々... - Yahoo!知恵袋
けど、突然、描きたくて描きたくてたまらなくなることがあります。「諦めずに美大を受験していたら、今がもっと違っていたのでは?」と思ってしまいます。でも社会人が趣味の絵に掛けられる時間って、多くないんですよね・・・。同じ結果になって欲しくないのです・・・・・
とても有名なベストアンサーですね。わたしもこれを読んだときは励まされました。わたしも、一度絵を描くことを諦めて、進学校に通った経験者です。
それが今、不思議なことに再び絵を描く時間と機会が舞い込んできたのです。これを無駄にはしたくないと思います。
狭い世界を飛び出そう
私の絵が下手なんですよね?お絵かきサイトPixivにて。 - Yahoo!知恵袋
でも、趣味なんだから自分の好みの絵を描いてればいいのに、そんなことにこだわって、絵を描くなんてバカバカしくないですか?
趣味ではなく、将来の職業に考えているからそれだけ真剣なんだっていうなら別ですけど。そうでないなら、あんまり気にしないほうがいいですよ。
>私の絵が下手なんですよね?
そんな事をわざわざ目の当たりにしてどうするんですか?好きで楽しくて描いているだけではいけませんか?
こちらははてブはついていませんが、個人的に、上に回答と同じくらい励まされたベストアンサーです。
Pixivのような狭い偏った場所で自分を評価するのはもったいないです。わたしがPixivに登録したのは、絵描きとして使っていることがステータスだと思ったからにすぎません。お気に入りの絵を数点置いておくだけで、あとは削除してもいいかなーと思っています。
プラトー現象
もしも僕のように感じていてそして大きなスランプにはまってしまったなら、まず自分がスランプに陥るレベルまできているんだということに気がつくべきだと思う。
スランプのときはなかなか考えられないことだけど、そういった壁があることがまだ自分が上達していくという望みがある証しなのだから。絵が上達する成長の過程のひとつとしてスランプはとても大事なものなんだと思う。
わたしがSNSで知り合った人も、スランプの後には画力が向上する実感があって、筋肉の超回復みたいなものだと述べていました。
専門的にも、このブログで何度か使っている用語にプラトー(高原)現象というものがあって、成長の前には停滞があるものなのです。
続けないのは損
実際には50時間を費やした後、90%が脱落する。 好きになれない、向いていないという理由でだ。 そしてさらに50時間費やした人の90%があきらめる。 このような普遍的なサイクルがあるんだ。
これはビル・ゲイツの言葉だそうです。わたしはすでに50時間以上費やしていますが、ここでも90%が諦めるというのです。
ここでやめるほど損なことはありません。
辞める必要はない
「人の話なんか聞くな」という教え~クリエイティブになる方法30選 : ライフハッカー[日本版]
19. 自分の声で歌え
ピカソは色づけが苦手でした。ターナーは人の顔を描けませんでした。ソール・スタインバーグは写生が驚くほど下手でした。T.S.エリオットは、日中は別の仕事をしていました。ヘンリー・ミラーはひどく波のある作家でした。ボブ・ディランはギターも歌もひどいものです。
でも彼らは辞めませんでした。どうして彼らは辞めなかったのでしょう? それは私にはわかりません。逆にどうして辞める必要があるのでしょう?
スランプだからといって、やめる必要などありません。ちょっと休むか、あるいは気分転換するか、あえて描くことに没頭するかしてみたらいいのです。
自由なお絵かき仲間は大切
私が絵を描く事を好きになった理由: 初心者応援!絵描くネット
満足のいく出来だったかというと微妙なところですが、久しぶりに精一杯、なんだか楽しく描けた気がしました。
ドキドキ緊張で吐きそうになりながらSNSにアップし、1日経ってからまた見てみると、思ってもみない数のコメントを頂いていました。
お絵描きをするユーザーからのコメント、フレンドのコメント、通りすがりの人の揚げ足取り、いろんなコメントがありましたが、とても驚き、なんだかとても嬉しかったのを覚えています。
私が絵を描く事を嫌いになった理由: 初心者応援!絵描くネットとセットの記事です。絵を描くSNSでの交流がきっかけで再び絵を描き出したと書かれています。
わたしが今お休みしているお絵かきコミュニティもそんなところです。ちゃんと復帰するとは書いてあるので、一ヶ月後には復帰しようと思います。
考えてみたら、Pixivでは受け入れられないわたしの絵にたくさんコメントをつけてくれるありがたいところなのです。やっぱりわたしは絵心組の一員です。
表現をして生きていくということ
表現をして生きていくということは、きみを大好きなひとが横を走ってくれているということであると同時にきみを大嫌いだという人も、いっしょについてくることなんだ。そっちを見ちゃだめだよ。ぜったいに
ほぼ日の糸井さんの名言。わたしはまだ、大嫌いな人がついてくるレベルの作家ではありませんが、大好きな人が横を走ってくれるというのは確かにあると思います。
作品を見返してみる
一番のお勧めは個展だ。個展なんてたいそうなもの!という時代ではない。借りるスペースはたくさんある。無料のところだっていっぱいある。
さすがに個展とまで言われるとおっかなびっくりですが…、わたしは自分の絵を全部ポストカードにしてファイリングしています。それを見返すと、下手だなあと思いつつ、愛着が湧いてきます。そしてまた描きたいという思いになります。
練習はほどほどに
楽しく絵を描きたいのに、描くたびに辛くなります。 - Yahoo!知恵袋
実は自分もそうなんですよ、きっかけはやりたくないのに絵を描く練習を自分を追いつめてやってたらある日、白い紙をみるだけで吐き気がするほどになってしまったんです
うまくなろうと思って描くと辛くなります。楽しんで描こうと思って好きなようにやっているほうが、うまくなる近道なのではないかと思います。
心を養ってみる
絵を描くのが好きなのに、描くことが辛くなってしまいました : 趣味・教育・教養 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
描けない間も 頭のなかで 構図を考えたり 美しい物を 沢山見ました。そして10年後に 描いてみたら 驚く位 上手くなっていました。
私は無理に描かなくていいと 思います。本当に好きなら また描きたくなりますよ。
上手い下手より 好きな事をするというのが 大切なのでは? 結論は長く続けたら 答えは出ます。少し お休みして 素晴らしい作品を いっぱい 見続けることを お奨めします。
ここにも同じような経験をしている人の意見が大量にあります。中には厳しいものもありますが…ひと通り目を通してみると、絵のスランプがたいした問題ではないように思えます。
おわりに
こうして事例をちょっと見ただけでも、ものすごい数のエピソードがあります。わたしの予想以上にありそうだったので、まとめるのはこの辺にしておきます。
さて、「認知行動療法」という名目で考えてきましたが、認知行動療法では、最後に、最初抱いていた不快感がどれほど低下したかを割合で書き留めます。
わたしの場合は、「絵を描きたくない」という気持ちが50%くらいまで薄れました。
まだまだ解決にはほど遠いですが、少なくとも、絵を辞めることはなさそうです。
絵を描くのが嫌になったとき、絵を描けなくなったとき、楽しくなくなったとき、情熱が薄れたとき、自分を冷静に分析するのは大切です。
認知行動療法はオススメです。こうしてブログにまとめておけば、同じ悩みに再度ぶつかったときの助けになりますし、より悩みが深まっても、一歩進んだ位置から考え始めることができます。
わたしは、もう少し休んで、その間にPinterestで美しい画像をたくさん見て回って、それから絵を描くのに復帰しようと思います。
長い文章をお読みいただきありがとうございました
せっかくなので、ここまで読んでくださった方はわたしの絵も見ていってくださいね。ギャラリーはこちらです。