創造性の低い人々は、親や教師や宗教上の指導者など上から言われたことに従い、条件に応じた反応が素早くできるが、創造的な人々はもっと流動的な混沌とした世界に住んでいる。
創造性の高い人は、他人の目からは変わっていたり奇妙だったりすることがあるだろう。あまり開けたままで生きているというのは、崖っぷちに生きているようなものだ。
時には崖から墜落し……鬱病や躁病、あるいは統合失調症になるかもしれない。(p148)
「創造性はだれもが持っており、トレーニングによって鍛えられる」「創造性は一握りの天才に与えられた神の賜物である」。
これらはどちらが正しいでしょうか。多くの人は前者を選びたいかもしれませんが、天才の作品や業績を目の当たりにすると、後者を選ばざるを得ないかもしれません。
実際には「創造性」とはもっと複雑なものである、というのが天才の脳科学―創造性はいかに創られるか の意見です。この本の著者は、両方とも正しいとして、前者を「通常の創造性」、後者を「並外れた創造性」と呼んでいます。
創造性とはいったい何なのでしょうか。創造性には種類があるのでしょうか。創作に携わるすべての人にとって興味深い本書を紹介したいと思います。
これはどんな本?
著者のナンシー・C・アンドリアセンは、幼稚園のころIQテストで天才と認められました。その高い能力を活かして医師、神経科学者、脳科学者として活躍しましたが、自分は過去の天才と呼ばれる人々のような創造性を示していないと気づいたそうです。
そこで、当時、精神疾患の研究に用いられるようになってきていた画像技術を用いて、創造性とはなにかといった点を調査しました。
また彼女は医学博士であるだけでなく、英文学に関する哲学博士でもあります。その知識を活かして、美術にも親しんできました。(p18)
そのようなわけで本書は、天才と創造性に関する、医学、脳科学、文学の観点から調査された、とても興味深い本となっています。
通常の創造性と並外れた創造性
「創造性」という言葉は、今日 多用されています。創造性は訓練により身につけることのできるものだ、という人もいれば、遺伝的なものだと言う人もいます。そのような様々な意見が混交する理由のひとつは、「通常の創造性」と「並外れた創造性」を分けて考えていないことです。
■通常の創造性
わたしたちはだれでも、「通常の創造性」を身につけています。たとえば、何を言うか、文章をその都度創造し、話したり書いたりします。だれもが意識して歌ったり絵を描いたりできます。料理を考えて作れます。これらはみな驚くべき創造性の働きです。(p97,227)
このような創造性は、訓練して伸ばすことができます。たとえば本をたくさん読んだり、考える訓練をしたり、新しい分野に触れたりすることによってです。
こうした創造性が高い人は、たとえば、ゼムクリップの使い道を10通り以上挙げなさい、といったテストが得意かもしれません。連想して考える能力が豊かだからです。
今挙げたようなテストは、発散的思考の優秀さを確かめるために、創造性試験などで用いられます。心理学者J・P・ギルフォードをはじめ、多くの専門家がこれを実用化して、才能のある子たちを探しだしました。
しかし意外にも、点数が高かった子どもたちが、低かった子どもたちよりも、後になって成功したわけではなかったのです。どうやら、発散的思考が優秀だからといって、将来創造的になるとは限らないようです。(p59)
ではIQテストはどうでしょうか。1921年、ルイス・ターマンは、高いIQを持つ子どもを集めてターマイトと呼びました。彼らは70年追跡調査を受けましたが、その多くは創造性の面で特に目立った業績を上げませんでした。(p27)
通常の創造性は、程度の差こそあれ、だれもが持っているもので、連続性(スペクトラム)のあるものだとされています。(p46)
■並外れた創造性
それに対して、天才と呼ばれる人がしばしば示す創造性は異なっています。
筆者は、少なくとも外感覚に関しては三時間ほど深く眠っていたが、その間に、二百行から三百行以下では書けないほどのものを鮮やかに自信をもって作詩することができた。―サミュエル・テーラー・コールリッジ
ある晩、いつもと違ってブラック・コーヒーを飲み、眠れなくなった。いくつもの構想が雲のように湧いてきた。―アンリ・ポアンカレ
ある一行は、神あるいは自然によって与えられ、残りは詩人が自分で見出さねばならない。―スティーブン・スペンダー (p41,70,75)
天才は、意識して考えていないときに、おのずと着想を得るのです。しかもその頻度が非常に多くあります。これが「並外れた創造性」です。
通常の創造性が、意識的に、「れんがの使い方を何個思いつけるか」といった課題で発揮されるのとは対照的に、こちらは「任意にさまよう無意識の自由連想」のときに発揮されます。(p108)
創造的な人が集中しているとき、一見物思いにふけっているように見えますが、実際は覚醒レベルが低下していて、思考が自由に飛び回っている状態にあります。(p62)
意識的に働かせる「通常の創造性」と無意識のうちに働く自由連想とでは、実験によると脳の働く部位が違うようです。(p111)
著者はこう推測しています。
並外れた創造性は、少なくとも時には通常の創造性と質的に異なる神経過程にもとづいて起きるというだけでなく、時には私たちが無意識と呼ぶ「断崖を飛び越えた」思考部分から生じることもあると結論することができそうだ。
…連想・連合が自由に起きている。事実と合うかどうかという、通常ならば支配している現実原則に服することなく、チェックなしに進行する。
…この脱組織化された精神状態は数時間も続き、その間に単語やイメージやアイデアが衝突し合う。
…並外れた創造性の持ち主は、おそらく普通よりも自由連想が起きやすい脳に恵まれているのだろう。
しかしこのような能力は祝福でもあり呪いでもある。なぜならその結果、創造的な人物は創造的であるだけでなく、傷つきやすくもなるからである。(p115-116)
つまり、並外れた創造性をもつ人の脳は訓練によるものではなく、おそらくは生まれつきのものであり、特殊なのです。だれもが持っている連続的に分布するものではなく、稀に発生する個人の性質です。意識ではなく、無意識と関連しています。(p46)
とはいえ、その生まれつきの能力は、創造的な人との交流など、多くの環境刺激によって育まれることで天才が生まれるのです。
「並外れた創造性」の持ち主を対象にしたIQテストでは、平均して120-130だったといいます。高いIQですが、極めて高くはありません。ある程度のしきい値以上では、知能と創造性にはあまり関係がないようです。(p52)
芸術の創造性と科学の創造性
創造性は統合失調症や気分障害(うつ病や躁うつ病)と関係があります。
創造性と統合失調症の関係については、以前にもこのブログで取り上げました。
どうやら、同じ遺伝子変異によって、創造性と統合失調症がもたらされますが、IQやワーキングメモリの容量によって、それを制御できる場合に創造性として発揮されやすいようです。
この本でも、創造的な人の周辺に統合失調症の家族がいたり、創造的な人自身が気分障害だったりする例が挙げられています。
しかし、創造性を発揮する分野によって、それには違いがあるようです。
科学分野の創造性と統合失調症の関係を示唆する逸話が多いのに対し、芸術(特に文芸)の創造性は気分障害との関係が強いというデータがあります。(p144)
芸術的な創造性と気分障害の関連を支持する証拠は極めて強いが、統合失調症との関連は見られない。(p144)
これは、わたしもかねてから気になっていたことです。
このブログで見てきた狭い知見によるものですが、どうやら、創造的な人には(少なくとも)二種類いるような気がするのです。
一方は日経 サイエンス 2013年 06月号 [雑誌]で説明されていたように、統合失調症と関係する潜在抑制の低下、つまり認知的脱抑制によって、創造性を発揮する天才たち。
もう一方は、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)や解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)に出てくるような、愛着外傷など心の傷をきっかけに文芸や芸術で創造性を発揮する作家たちです。
これらの人たちの創造性はまったく別のものなのでしょうか。
前者は統合失調型パーソナリティを持っているので、型破りの不思議な人であり、ときに霊感を信じている人もいます。思考のフィルターが弱いため、自然と考えや刺激が溢れ出てきて、何時間もそれに没頭することがあります。感受性・敏感さが強く、傷ついたり痛みを感じたりしがちです。しかし忍耐強く熱心です。(p54)
後者はいくつかのタイプがありますが、繊細で、感受性が強く気分障害を抱えやすいかもしれません。愛着外傷や孤独感のためか、子どものころから空想的であったりする場合も多いようです。やはり自然とストーリーが進行するような空想世界に何時間も没頭したりすることができます。
文芸の作家は、無意識の創造性より、意識的な創造性に頼っている部分のほうが多いでしょう。とすれば、前者は「並外れた創造性」で、後者は「通常の創造性」の発展したものなのでしょうか。
はっきりとはわかりません。とはいえ本書では、どちらの分野の創造的な人も、同列に扱われています。先だって引用したコールリッジやポアンカレ、スペンダーの言葉はその一例です。
創造性とは何か
疑問は残るとはいえ、まとめると次のようになります。
■通常の創造性
…わたしたちが持っているのは通常の創造性である。意識しているときに働く。訓練によって伸ばすことができる。気分障害と関係がある場合、並外れた創造性に近づくのかもしれない。
■並外れた創造性
…天才が持っているのは並外れた創造性である。無意識の自由連想で働く。統合失調症などの遺伝的な要因が関与している。普通の人でも経験するが、天才は脳の特殊な構造によって、この自由連想が起きやすい。
わたし自身は、絵を描いたり文章を書いたりするのが好きですが、それは通常の創造性の範囲内です。意識的に考えて創作しているのであって、自由連想によってアイデアを得ることはまれです。
気分障害はありませんが、繊細さと敏感さはあると思います。脳内物質のバランスがおかしいことも確かです。以前の記事に、DHEA-Sが低値の人は創造性が高いというニュースを引用しましたが、わたしは低値です。
しかし天才と呼ばれる人たちのような自信や行動力はありません。
ちなみに本書に書かれているミハイ・チクセントミハイの定義によれば、わたしは全く創造的ではありません。彼は創造性を用いて社会に認められた人だけを創造的と認めているからです。
そのような定義にのっとって、著者は、創造性ある人が生まれるには、環境も非常に大事であると書いています。女性の天才が少ない理由は、環境に恵まれなかったからにほかなりません。
この本で得た収穫は、今まで創造性について一元論的に考えていたのが、もしかすると、種類のあるものなのかもしれない、という点です。意識的に働かせようとする創造性と無意識の創造性とは違うのです。どこからが意識でどこからが無意識なのか、という複雑な疑問もありますが、どうやら創造性は一枚岩ではありません。
わたしの願いとしては、もっと創造性豊かな脳を手に入れたいのです。何も思い浮かばないときはうんざりさせられます。特に自分の平凡さを痛感させられるのはアイデアの総量が足りないときです。
できることといえば、「通常の創造性」を伸ばすことです。
さまざまなメディアで言い尽くされている感はありますが、新しい分野に挑戦するとか、テレビを消すとか、黙想するとか、芸術を習うとか、そういったことを通して、地道に能力を伸ばすしかありません。
けっきょくはそうした普通の結論に落ち着くのですが、創造性についてより知りたい人にとって天才の脳科学―創造性はいかに創られるか が必読の一冊であることは間違いありません。