■人前で悲しみを見せるのは恥ずかしいことだ
■何でもポジティブに受け流せるようにならなければならない
■ネガティブ思考は百害あって一利なし!
このようなアドバイスは、テレビを見ていても、本を読んでいても、呪文のように繰り返し唱えられているのを目にします。
怒り、悲しみ、恐怖といったネガティブな思考は、いつも悪者にされ、病気の原因、ストレスのもとと言われて槍玉に挙げられています。
しかし、近年の心理学研究によると、そのような「ポジティブシンキング」礼賛には、大きな落とし穴があります。むしろそれは「ネガティブシンキング恐怖症」とも呼ぶべき心の病理です。
なぜ何でもポジティブに対処しようとする態度は危険なのでしょうか。ネガティブシンキングは万病の元ではないのでしょうか。 脳科学は人格を変えられるか?などの本から考えたいと思います。
これはどんな本?
今回紹介する本は複数ありますが、主に関係しているのは以下の二冊です。
身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価は、抑圧された感情の害について説明し、対処法を教えてくれる優れた本です。
脳科学は人格を変えられるか?は、楽観主義と悲観主義についての本で、両者のバランスの取り方について書かれています。
ネガティブシンキング恐怖症
何でもポジティブに!
長年、さまざまな心身の病気を診てきた医師のガボール・マテは、そうした態度に捕らわれている患者に大勢出会ってきました。
身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価によると、彼は、そうした患者に対して、異例とも思える「ネガティブシンキングの勧め」をアドバイスしています。
救いがたい楽観主義への薬として、私はネガティブ思考の効用を勧めてきた。「もちろん、冗談ですよ」と急いで付け加えはするが。(p351)
ガボール・マテは、このアドバイスの真意を次のように説明します。
“思考”という言葉に「ポジティブ」という形容詞をつけたとたん、現実のうちの「ネガティブ」だと思われる部分は排除されてしまう。
これはポジティブ思考の力を信じる人のほとんどに見られる現象である。
本当のポジティブ思考は、あらゆる現実を認めるところから始まる。
そこにいたるには、たとえどんな真実が出てこようとそれを直視できるという、自分に対する信頼感が必要なのである。(p351)
何でもポジティブに!と考えている人たちは、彼に言わせれば「本当のポジティブ思考」ではありません。
ポジティブシンキングに捕らわれている人たちは、何かネガティブな感情を感じると、それを直視せず、わきに押しやり、なかったことにしてしまいます。「まぁいいや」と片付けるのです。
それは、問題に真に向き合う態度とは程遠いものです。問題から目を背け、解決策を探すこともなく、表面的な明るさや積極性でごまかしているだけだからです。
こうした偽りのポジティブシンキングの害については、以前の記事で説明しました。
忘れる人はあとで苦しむ
しかし、今回考えたいのは、現実から目を背ける偽りのポジティブシンキングではなく、それと表裏一体をなしているネガティブシンキング恐怖症のほうです。
ポジティブ思考をひたすら褒めはやす人たちは、ネガティブ思考に対して、恐怖や嫌悪を抱きがちです。
「常にポジティブでなければならない」という強迫的思考に縛られているので、少しでもネガティブな思考が湧き上がると、とっさに頭から振り払い、なかったことにしてしまいます。
怒り、悲しみ、辛い記憶。そうしたネガティブなことは意識的に考えないようにして、決して直視することなく、まるで腐った果物を捨てるかのように、すぐさま目の前から取り除けてしまうのです。
しかしそのような対処法は、後々大きな問題を生みかねません。脳神経学者のオリヴァー・サックスは、見てしまう人びと:幻覚の脳科学という本の中でこう説明しています。
私の友人のベン・ヘルフゴットもその一人だ。彼は12歳から16歳のあいだ、強制収容所に監禁されていた。
ヘルフゴットは長年ずっと、自分の経験について、両親と家族が殺されたことやさまざまな収容所の恐怖について、きちんと率直に話すことができている。
…すべてを受け入れ、自分の人生の一部として統合している。
彼の記憶はトラウマ記憶としてしまい込まれていないが、彼はそうでない場合のことをよく知っている―何百人という人でそれを見ているのだ。
「『忘れる』人はあとで苦しむ」と彼は言う。(p289)
オリヴァー・サックスの友人の経験に基づけば、ネガティブな出来事から目を背け、直視せず、わきに押しやることで「忘れる」人は、「あとで苦しむ」のです。
そのような苦しみの中には、心的外傷後ストレス障害(PTSD)や、慢性的な体の不調など、さまざまな心身の問題が含まれます。
一方で、つらい経験を乗り越える人の特徴は「すべてを受け入れ、自分の人生の一部として統合している」 ことでした。
なぜ「忘れる人はあとで苦しむ」のでしょうか、オリヴァー・サックスは、その理由をこう解説しています。
解離という考え方は、ヒステリーや多重人格障害のような病気だけでなく、心的外傷後ストレス症候群の理解にとっても、きわめて重要に思われる。
…しかしPTSDの解離はもっとて根本的なものである。おぞましい経験の耐えがたい光景、音、におい、そして感情が、心の奥深くの地下室にしまい込まれるのだ。(p287)
「忘れる人はあとで苦しむ」理由は「解離」にありました。解離とは脳を守る働きの一種で、たとえば辛い記憶を切り離して思い出さないように格納することも含まれます。
確かに解離は、当座はその人を強いショックから守り、圧倒的なトラウマで脳が破壊されないよう保護するものです。
しかし解離によってつらい経験や悲しみ、怒りをすべて心の底のち過失にしまいこんでいるなら、いつしか地下室があふれ、腐敗臭がただよい出て、もはや抱え込めなくなってしまいます。
解離とは整理整頓できないものを押し入れにしまい込むようなものです。見えないところに押し込むことで、一時的に部屋がきれいに片付いたかのような錯覚を覚えますが、実際には問題は何も解決していません。
同様に、ポジティブシンキングに傾倒するあまり、ネガティブな感情や記憶を適切に処理せず、ただ記憶の押し入れに投げ込んで忘れるままにしているなら、それは現実から目を背けるだけで何の解決にもなっていないのです。
ガボール・マテは、そのような抑圧されたネガティブ思考や記憶が、心身を緊張させ、常にストレスを生じさせ、さまざまな病気のリスクになりかねないことを指摘しています。
身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価にはこうあります。
がん、自己免疫疾患、慢性疲労、結合組織炎、衰弱性の神経疾患などと診断された患者は、リラックスしなさい、ポジティブな考え方をしなさい、ストレスを減らしなさいと言われることが多い。どれも有益なアドバイスである。
しかしストレスの主な原因がわかっておらず、処理されないままでは―つまり怒りが内向したままでは―実行は不可能だ。(p395)
ここでは怒りが挙げられていますが、怒りだけでなく、悲しみ、苦痛、恐怖、その他のさまざまなネガティブな感情の場合も同じです。それらを抑圧し、しまい込み続けているなら、ストレスを生み出す温床になってしまいます。
ポジティブとネガティブのバランス
ネガティブシンキング恐怖症の人たちは、ネガティブな感情は、百害あって一利なしと考えています。怒りや悲しみ、といった言葉を聞くだけで、厄介なもの、生活に悪影響を及ぼすもの、と受け止めます。
しかし近年の心理学研究では、多くの研究者が口をそろえて、ネガティブ思考にも益があることを確証しています。
たとえば、ポジティブ心理学を研究しているロバート・ビスワス=ディーナーは、「幸せ」について知っておきたい5つのこと NHK「幸福学」白熱教室という本の中でこう述べています。
なぜなら、ネガティブな感情は、使いようによってはとても「実用的」なのです。
社会にうしろめたさや怒り、不満を感じたとき、そのネガティブな感情がよりよい社会を求めることに役立ちます。
この場合のネガティブな感情はいつまでも続くわけではありません。
つまり、幸福な人間はポジティブな感情をたくさん持ちながら、一方である程度はネガティブな感情も持っている。
その2つを持った状態で人生に満足している人、これが幸せな人だといえます。(p102)
彼のポジティブ心理学の研究によると、幸福を感じる人は、ポジティブな感情をたくさん持ちながらも、決してネガティブな感情から目を背けているわけではありません。
両方としっかり向き合っている人こそ、本当に人生に満足している人だと言われています。
さらに、悲嘆と喪失のグリーフ・ケアの研究をしている ジョージ・A・ボナーノも、リジリエンス―喪失と悲嘆についての新たな視点の中で、そのことを具体的な実験を通して確証しています。
私たちの研究チームはこの種の感情表現の柔軟性が持つ利点を明らかにできた。
たとえば、ある研究では9.11同時多発テロを最近経験したばかりのニューヨーク市の大学生の感情の表出と抑制について調べた。
感情を表出するかあるいは抑制するかといった具合にどちらかひとつだけの行動しかうまくできない学生は、この研究の他の学生に比べて、テロ攻撃から二年後もほとんど同じであった。
しかし、柔軟な態度が取れた学生、すなわち、必要に応じて感情の表出も抑制もできた学生は、二年後には苦痛はより少なかった。(p104)
この研究では、辛い感情を抑圧してばかりいる学生は、2年後も同じ問題に苦しめられていました。立ち直れたのは柔軟に感情を表現している人たちでした。
楽観主義と悲観主義を研究している、エレーヌ・フォックスも、脳科学は人格を変えられるか?という本の中で同様の点について述べています。
オングらの研究からわかったのは、立ち直りが早い楽観的な心の持ち主は、つらい出来事を経験しているあいだ、ポジティブな感情もネガティブな感情も他の人々より多く経験していることだ。
伴侶に死なれたときいちばん早く立ち直る人は、感情を広い幅で経験する人だった。
…重要なのはネガティブな気持ちをおさえこむ能力ではなく、ネガティブとポジティブのバランスを適正に保つことだ。(p293-294)
末期がんから劇的な寛解を遂げた人の共通点を探ったがんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのことの中でも、ケリー・ターナーがやはりこう書いています。
大切なのは、一日五分でも幸せを感じる時間をつくるということ。一日中いつなんどきも幸福を感じていなければ病からの回復はない、というのではありません。
がん患者は、ストレスや恐れを感じると、「免疫力を弱めてしまう」と自分を責めがちです。これは心身相関医学の世界に散見される、とても残念な誤解です。
命の脅威にさらされている人がつねに幸せを感じようとしたら、負担になるだけです。
…がんの回復者や治療者の多くは、わたしにこう話してくれました。
「良い感情も悪い感情も、すべてを十分に感じましょう。そして、感じ尽くしたら、完全に手放すのです」 (p223)
いずれの意見も、一致しているのは、ポジティブシンキングだけで人は幸福になれない、という点です。
ネガティブな感情を抑制してばかりいる人は、辛い経験を乗り越えることができず、引きずります。「忘れる人はあとで苦しむ」という言葉のとおりです。
しかしポジティブとネガティブのバランスを適正に保ち、両者を受け止め、味わい、経験している人たちは、辛いできごとを乗り越え、立ち直って満足のいく人生を取り戻すことができます。
何よりも、ポジティブな感情だけでなくネガティブな感情も必要だ、ということの最も大きな証拠は、赤ちゃんを見ればわかる、とガボール・マテは身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価の中で述べます。
肉体的な痛みについて、あるいはつらい出来事やつらい思いをしたことについて話すとき、無意識に微笑んでいる人を私はたくさん見てきました。
でも生まれたばかりの子供は、どんな感情を隠す能力も持っていません。
赤ん坊は不快だったり不安だったりすれば、泣いたり、悲しそうなそぶりをしたり、怒りを示したりするものです。
痛みや悲しみを隠すためにすることは、みんな後天的に身につけた反応なのです。
場合によってはネガティブな感情を隠したほうがいいこともあるでしょう。
でもあまりにも多くの人が、あまりにも頻繁に、しかも無意識に感情を隠してしまっているのです。(p367)
赤ちゃんは、ネガティブな感情を抑えつけたり、心の押入れにしまいこんだりしません。いつも「ポジティブシンキング」で笑ってばかりいる赤ちゃんなんていません。
むしろネガティブな気持ちも、しっかり適切に表現することで、両親の愛ある世話を受けます。
痛かったり悲しかったりすると泣きますが、いつまでも泣いているわけではありません。人生には笑うときもあれば、泣くときも、怒るときもあることを、生まれながらに知っています。
ところが大人になるにつれ、多くの人は、感情をありのままに表現してはいけないのだ、と思うようになります。特に怒りや悲しみは抑えこむべきなのだ、という思い込みにとらわれてしまいます。
ポジティブでなければならない、ネガティブであってはならない。これは後天的に身につけた思い込みにすぎないのです。
正しい感情の処理を学ぶ
では、ネガティブな感情、たとえば怒りや悲しみをどのように表すべきなのでしょうか。
ネガティブ思考にも益があるといっても、怒りを爆発させて口汚くののしったり、いつまでも悲しみつづけて、人生の悪い面ばかり くよくよ考えたりするのは、明らかに有益ではありません。
感情を抑圧するのも、爆発させるのも、それはバランスの欠けたやり方です。さきほどの9.11を乗り越えた学生たちは、感情の表出も抑制も、バランスよく、柔軟に行っていたのでないでしょうか。
役立つアドバイスはたくさんありますが、ここでは3つのポイントにしぼって考えてみましょう。
真っ向から感じる
まず大切なのは、ネガティブシンキング恐怖症をやめて、ネガティブな感情や記憶を、しっかり真っ向から受け止めて感じてみることです。
常にポジティブでなければならない、と考えている人の中には、そもそもネガティブな感情の存在に気づかなくなっている人もいます。心が麻痺し、失感情症(アレキシサイミア)になってしまっているのです。
その場合は、立ち止まって、じっくり心の中を探る必要があります。
毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)という本は、子どものとき親から虐待などの辛い仕打ちを受けた人たちに、次のようにアドバイスしています。
「強い怒り」と同じで、「深い悲しみ」も十分に感じ取って十分に嘆き切った後でないと心が回復をはじめることができない。
「嘆き悲しむ」プロセスにはいくつかの段階があり、人間の心はこのプロセスを順番に通過していかないと癒えることはないのである。
「嘆き悲しむ」ことを避けていると、「深い悲しみ」はいつまでもなくなることはない。(p246)
心の中に渦巻く悲しみや然り、それを乗り越えるには、まず十分に感じきらなければなりません。
ときどき湧き上がる怒りや悲しみといったネガティブな感情は、パソコンの容量がいっぱいだと告げる警告メッセージのようなものです。
このままだと保存容量がいっぱいいっぱいになるので、一度内容を整理してほしい、というアラームです。
それなのに、警告メッセージを放置したり、なかったことにしたりしていると、いつかパソコンがまともに機能しなくなってしまいます。
同様に、怒りや悲しみといったアラームが生じたら、立ち止まって、自分の内なる記憶や感情のファイルを整理してみる必要があります。
まずできるのは、メッセージの内容を確認する、つまり悲しみや怒りの内容に注意を向け、ありのままに感じ取るということです。
それには、たとえばマインドフルネスを実践することが役立つかもしれません。マインドフルネスとは、注意を集中し、ありのままの感覚をただ受け止めるトレーニングです。
脳科学は人格を変えられるか?にはマインドフルネスについてこう書かれています。
この方法がめざすのは、今この瞬間に経験しているものごとのひとつひとつに注意を向けることだ。
聞こえてくる音や鼻をくすぐる匂い、そして頭に浮かぶ感情や思考を、判断したり反応したりすることなくともかく心の中を通過させ、そうした心を十分に開かれた自由な状態にし、自己認識力を高めるのだ。(p271)
今、この瞬間の自分の心に注意を向けるなら、今まで自分がまったく気づいていなかった、抑圧された感情の響きを感じ取れるかもしれません。
解釈する
自分の内なるネガティブな感情を感じ取れたなら、次に、思考力を働かせて解釈することが大切です。
それは、先ほどのたとえでいうと、パソコンのファイルを整理する段階にあたります。
どのファイルがどのような内容で、何に影響しているか、どう処理すべきか、といったことを思考するのです。
脳科学は人格を変えられるか?にはこうあります。
そして抑制中枢をはたらかせるためには、「何かを思考すること」が重要であるらしい。
心に浮かんだ考えや映像にラベルを貼るだけで、前頭前野の抑制中枢を活性化させ、それらよって扁桃体の反応をしずめることができる。(p260)
なぜその怒りや悲しみが存在しているのでしょうか。それは自分の人生にどう影響しているのでしょうか。
この過程に役立つのは、認知行動療法のように自分の考えを分析することです。
たとえば、怒りの原因がだれかとのいさかいにあったとすれば、その怒りは本当に適切だろうか、相手にも事情があったのではないか、と考えることができます。
悲しみがあふれている場合は、冷静になって、悲しみを引き起こしている本当の原因は何だったのか、そして、本当に自分には本当に悲しい経験しかなかったのか、じっくり分析してみることができます。
いずれにしても、ネガティブな感情の意味を考え、別の角度から見たり、他の人の立場に立ってみたりして、思考力を用いて解釈しなおしてみるなら、真の問題点が明らかになるでしょう。
正しく表現する
最後のステップは、ネガティブな感情を正しく表現することです。
容量を圧迫しているファイルは、内容に応じて処理し、正しく適切な位置にカテゴリ分けして収める必要があります。
すでに触れたように、ネガティブな感情を処理する正しい方法は、爆発させることでも抑圧することでもありません。
身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価にはこうあります。
怒りの抑圧も暴発も、感情の異常な放出であることにかわりはない。それこそが病気のもとなのだ。
…彼は怒りの抑圧も暴発も、本当の怒りを感じることを恐れる気持ちがもたらすと言っている。(p391)
怒りの場合、抑圧するのも、爆発させるのも、結局のところは怒りの内容について立ち止まって考えることなく、外に投げ捨てているか、内にしまいこんでいるかという無責任な対応にすぎません。
これまでのステップで、怒りや悲しみ、その他のネガティブな感情の内容をしっかり感じ取り、原因を見極めたなら、次にできるのは、真の問題点を解決するために行動することです。
ネガティブな感情をしっかり分析し、解釈できたなら、きっと問題点の本質がわかっているはずです。
ネガティブな感情を抑圧するでも爆発させるでもなく、三つ目の選択肢、真の原因を解決するために取るべき方法が見えてくるでしょう。
理由がわかっただけで納得でき、怒りや悲しみを手放せることもあれば、あるいは問題点の本質についてだれかと話し合う必要があると思うこともあるかもしれません。
ネガティブな感情は、すでに述べたとおり、解決すべき問題があることを伝えるアラームなのですから、問題点を見極め、解決のために理性的に行動することこそが、ネガティブな感情を正しく表現するということなのです。
心的外傷後成長
何でもポジティブでなければならないという強迫観念から解放され、ネガティブシンキング恐怖症を克服するなら、どのような結果がもたらされるでしょうか。
脳科学は人格を変えられるか?には、こう書かれています。
テロリストの攻撃や重い病気や愛する人の死など最悪の事態が起こっても、多くの人は強い衝撃からじきに立ち直っていく。
PTSDとは逆のポスト・トラウマティック・グロース(心的外傷後成長)ほ経験し、つらい出来事の前よりむしろ自分が成長したように感じる人さえいる。(p248)
辛いできごとから目を背けず、ネガティブな感情もしっかり受け止め、それを人生の一部として統合していくなら、その先にあるのは心的外傷後ストレスならぬ心的外傷後成長なのです。
現実をしっかりと受け止めて乗り越えていく態度、これこそが、最初にガボール・マテが述べていた「本当のポジティブ思考」です。
最後に、もう一度、身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価から、その言葉を引用しましょう。
本当のポジティブ思考は、あらゆる現実を認めるところから始まる。
そこにいたるには、たとえどんな真実が出てこようとそれを直視できるという、自分に対する信頼感が必要なのである。(p351)
ポジティブな感情もネガティブな感情も直視し、あらゆる経験を受け止めて前へ進んでいこうという積極性。
それこそが紛れもない本当にポジティブな態度、真の楽観主義だといえるでしょう。
そのような勇気あるまなざしこそ、試練を乗り越えて成長していく秘訣なのです。