構内放送が1時間の遅れを告げた。周囲にいた人々は不平を漏らしたり、駅員を怒鳴りつけたりした。1時間の空白。何もすることのない、言わば死んだ時間。
しかし息子にとって死んだ時間などというものはなかった。スケッチブックを取り出すと、怒る客たちの姿を描き始めた。(p111)
あなたは今、病気や障害、ひどい環境などの逆境に直面していますか?
自分ではどうしようもない状況に置かれると、やりきれない気持ちになるかもしれません。
望ましい環境なら発揮できたはずの才能や、達成できたかもしれない夢について考えると、自分は、人生の多くの時間を無駄にしている、「死んだ時間」を過ごしていると思うかもしれません。
そんなとき、自分ではどうにもできない様々な逆境に直面し、それでもなお、その中で創意工夫を働かせて自分の運命を乗り越えた人たちについて知ると、少し見方が変わるかもしれません。
この記事では、「クリエイティブ」の処方箋―行き詰まったときこそ効く発想のアイデア86という本から、人生最悪の逆境に陥っても決してあきらめず、むしろクリエイティブな発想でそれを乗り越え、さらに成長していった人たちについて考えたいと思います。
これはどんな本?
「クリエイティブ」の処方箋―行き詰まったときこそ効く発想のアイデア86は、画家のロッド・ジャドキンスによる、クリエイティビティを刺激する86のアイデアが収められたとても読みやすく、わくわくする本です。
それぞれの章は数ページからなっていて、著名人が創意工夫を働かせた一つか二つのエピソードと簡潔なアドバイス、そして最後に歴史上の偉人の名言が一つ載せられています。
興味深い物語が次から次に出てくるので、読んでいて面白いですし、ネタ帳としても相当優秀な本です。
「運命の奴の喉元を押さえて組み伏せてやる」
わたしたちは人生で必ず、自分ではどうしようもないようなできごとに直面します。たとえば事故や病気、犯罪、家族の介護、自然災害など、いろいろあります。
でも、自分ではどうしようもない環境に置かれたとしても、その間、無意味な時間を過ごすか、価値ある時間を過ごすかは、自分で選ぶことができます。
人生最悪とも思えるほど絶望的な逆境に陥ったにもかかわらず、それを乗り越えてしまった人として、ルートウィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを挙げることができます。
ベートーヴェンは、よく知られているように偉大な音楽家ですが、彼はそもそも音楽家として成功できる見込みを一度失った人でした。
彼は20代の終わりに、ようやく音楽家としていくらかの名声を得ましたが、そのころこう書いたそうです。
彼がしたためた書簡にはこんな一文がある。
「人生最高の季節が、自分の才能を極めることもなく、約束された名声を得ることもなく、無為に過ぎ去っていくことになるのだ」。(p279)
彼はなぜこれほどまでに絶望していたのでしょうか。
そう、よく知られているように、彼は耳が聴こえなくなってきていたのです。
耳が聴こえない、というのは音楽家としての道が閉ざされるのと同じだ。だれもがそう考えるはずです。それまで追ってきた夢がすべて崩れ去り、生きる意味を見失ってしまうとしても不思議ではありません。
もはや音楽家の道を捨て、残りの人生を「死んだ時間」として過ごすしかないのでしょうか。
ベートーヴェンはそうは考えませんでした。
6ヶ月後、ベートーヴェンは決意した。
「もう、うんざりだ。運命の奴の喉元を押さえて組み伏せてやる。いいように弄ばれてたまるか」。
そこから彼は音楽史に残る高みに登りつめていった。(p279)
ベートーヴェンは、耳が聴こえなくなるとしても、音楽家としての道をあきらめる必要はないと考えました。それは常識では考えられないような決意でした。
創意工夫によって最大の欠点を武器にする
ベートーヴェンがひときわ尊敬に値するのは、彼が単に音楽家を続ける決意をしただけでなく、難聴という致命的な弱点を音楽家としての強みに変えていったところです。
近年の研究によると、ベートーヴェンの作曲した音楽が、他のだれとも異なる独自の美しさを備えているのは、彼が難聴だったからだ、と考えられています。
難聴の進行とともに、G6音よりも高音域の音符の使用は減っていた。そしてこれを補うかのように、中音域や低音域の音が増えていた。
これらの音域は、実際に曲が演奏されたときにベートーベンが聞き取りやすかった音域帯だ。
ところが、ベートーベンが完全に聴力を失った晩年に作られた曲では、高音域が復活している。
これは、内耳(骨伝道)でしか音を聞けなくなったベートーベンが作曲の際、演奏された音に頼ることをやめ、かつての作曲経験や自身の内側にある音楽世界に回帰していったためだと、研究は推測している。
なんと、ベートーヴェンは、作曲家にとっては致命傷とも思える難聴を、かえってオリジナリティのある音楽の源として活用してしまったのです。
事実、ベートーヴェンが偉大な音楽家になったのは、聴力が健康なころではなく、むしろ聴力が衰えはじめてからでした。
ベートーヴェンは、あふれる創造性によって、クリエイティブな仕方で逆境に対処し、自分ではどうしようもない絶望的な状況を、かえって成長するきっかけに変えてしまったのです。
創造的な人に「死んだ時間」などない
創造的な人は、どうしようもない逆境が降りかかったとしても、その時間を無駄にしない。
ベートーヴェンのエピソードは人間の持つ強さを例証しています。
冒頭に引用したエピソードは、著者のジャドキンスの息子ルイスに関するものでした。
ルイスは、交通機関のアクシデントで生じた、自分ではどうにもできない待ち時間に、ネガティブに反応するのではなく、絵を描くという建設的な仕方で対処しました。
ジャドキンスは、こう述べています。
息子がこのときにとった態度を思い出すたびに、「死んだ時間」などというものは存在しないということを肝に銘じる。
何かを書いたり、描いたり、考えるだけでも良い。できることは必ずあるはずだ。(p111)
心理学の世界では、9対1の原理と呼ばれる有名な法則があります。
「人生の1割は私たちに対して起こること、残りの9割は起こったことに対する私たちの反応だ」という意味です。
この法則がどれほど正しいかはともかく、ひとつ確かなのは、状況は変えられなくても、態度は変えられるということです。
船の乗組員は、航海中に嵐に遭った場合、嵐をどうにかすることはできません。天候を変える力はだれにもありません。
しかしどう舵取りするか、船に備えつけられている道具をどう用いるか、ということは、自分で決めることができます。
大切なのは、自分ではどうしようもない逆境を嘆いて「死んだ時間」を過ごすのではなく、創意工夫を働かせて、逆境を「生きた時間」に変えてしまうことです。
クリエイティブに思考できる人を見ていると、後ろ向きの感情すらコントロールして、何かをするために使ってしまうということがわかる。
物事がうまく運ばなかったら、誰でも苛立ち失望もする。
でも創造的に思考できる人は、素早く仕切りなおして、もう一回挑戦できる。
…肝心なのはどう臨むかという態度で、能力ではないのだ。(p111)
ベートーヴェンが、致命傷ともいえる難聴をかえって作曲の味方に変えてしまったように、どれほど絶望的に思える状況でも、創造性を働かせれば逆転の発想が生まれます。
現実主義VS楽観主義
では、逆境のもとで創意工夫を働かせるにはどうすればいいのでしょうか。
逆境を乗り越える人と、逆境に屈してしまう人は、それぞれ自分の置かれた状況に対し、正反対の見方をしていることがある、というのは、以前に記事で取り上げました。
それぞれの人の行動を対照的なものにならせるのは、「注意バイアス」の違いでした。
「注意バイアス」とは、何に注意を向けるか、という傾向の偏りのことです。二人の人が、まったく同じ状況に置かれていても、注目している場所がまったく違う、というのはよくあることです。
脳科学は人格を変えられるか?には、注意バイアスについて次のように書かれていました。
ここで重要なのは、無自覚のうちに発生する認識のバイアスが、それぞれの世界観に直接影響を与えることだ。
レイニーブレインが過剰に活動し、大きな悲観を抱きがちな人は、ネガティブなものごとに自然に目が行くし、どちらにも受けとめられるような社会的サインに出会えば、まちがいなくそれを悪い方向に解釈してしまう。
いっぽう楽観的なものの見方をする人は人生のポジティブな面に自然と引き寄せられる。そして無意識のうちにどんな状況でもそこに潜む良き面を見つめようとする。(p234)
注意バイアスの研究によると、ポジティブな写真とネガティブな写真を画面に並べて表示すると、多くの人は一瞬のうちに、無意識にどちらかの写真に目をやります。
瞬間的にポジティブな写真に目が行ってしまう人は、普段の生活でも、無意識のうちにポジティブな面ばかりを見つけています。たとえ辛い環境に置かれていてもそうしています。
逆に瞬間的にネガティブな写真に目が行ってしまう人は、普段の生活でも無自覚に悪い面に注目しています。それなりに幸せな環境で過ごしていても、悪いことばかり目に入り、落ち込んだり不満を感じたりしがちです。
実験によると、これらは習慣に基づいており、意識してポジティブな画像にほうに注目するよう訓練を重ねると、認知バイアスが修正されていくことがわかっています。
自分ではどうしようもない逆境のもとで、物事の良い点を見つけ、それを乗り越えてしまう人は、普段から、注意バイアスがポジティブ寄りになっていたと考えられます。
楽観主義か現実主義か
しかしながら、どうしようもないような逆境に、何か良い点がある、と考えるのは、自分をあざむく幻想のようなものではないのでしょうか。
現実をしっかり見据えず、都合よく解釈して、自分を慰めているだけだとしたら、それは現実逃避にすぎません。
そのようなわけで、ポジティブシンキング商法を批判するバーバラ・エーレンライクをはじめ、ある人たちは、逆境に面した人たちに必要なのは、 「現実主義」である、と考えています。
大事なのは、逆境をしっかり分析し、現実的な解決策を取ることである、というわけです。
しかし、すでに考えたルートヴィヒ・ベートーヴェンの例を考えると、「現実主義」では逆境を乗り越えるのに十分ではないように思えます。
ベートーヴェンが現実主義者だったとしたら、聴力が失われはじめたとき、自分にできる現実的な解決策は、音楽家の夢を畳んで、聴力を失ってもできる仕事に就くことだと考えたかもしれません。
しかし実際には、ベートーヴェンは現実的な解決策の斜め上の発想によって、逆境に対しクリエイティブに行動しました。
近年の研究によると、逆境を乗り越える人は、どんな状況でも「人生の舵は自分が握っている」と考える内的統制の強い人たちだと言われています。
そして、脳科学は人格を変えられるか?によると、そのような内的統制の強い人たちは、現実主義者ではないことがわかっています。
実験は次のように行われた。被験者の頭上で白熱電球がランダムに点いたり消えたりしている。
被験者は手元のボタンを押すことを許可されているが、じつはこのボタンを押しても電球が点くか消えるかには何の影響も生じない。
ところが、被験者の中でもどちらかといえば楽観的な人々は、電球が点いたり消えたりするのを自分がある程度コントロールできていると確信していた。
これはいわばコントロールの幻想だ。
いっぽう、どちらかというと悲観的な人々は、自分が状況をいっさいコントールできていないことを正確に見定めていた。
これは〈抑うつリアリズム〉と呼ばれる現象だ。(p284)
この実験によると、より現実的なのは、悲観主義の人々だったのです。内的統制の強い人たちは、「自分で状況をある程度コントロールできる」と考えていましたが、それは幻想でした。
では、逆境のもとでも、「人生の舵は自分が握っている」と考える人たちの確信は幻想なのでしょうか。
ある意味ではそうです。人生には自分ではどうにもならないことが多く、ときにはあきらめも肝心だ、と判断する現実主義者のほうが、物事をある時点では正しくとらえています。
しかしわたしたちの人生は、本質的なところで、この実験室の状況とは異なっています。
実験室で問題となっていたのは、電球が点くかどうかだけであり、自分で電球を操作できるという楽観主義者たちの思い込みは何の役にもたちませんでした。
ところが、わたしたちの人生は、はるかに、そうです、はるかに複雑でさまざまなことが関係しています。実験室とは違い、わたしたちの世界は、常に不確定要素が入り込み、変化しつづけています。
「自分が知っているものがすべて」ではない
現実主義者は、自分の知識と経験の枠内で、リスクや将来を予測します。確かに過去の経験に照らせば、その判断は現実的に思えます。
しかし、自分が知っているものがすべてと考える思い込みは心理学でWYSIATI(“what you see is all there is”の頭文字)と呼ばれています。
実験室のように、関係する要素がとても少ない場合は、確かにWYSIATIは正しい判断に役立ちます。
ところが、現実の世界では、WYSIATIにとらわれている人は、いわゆる「井の中の蛙大海を知らず」の状態にあります。
科学者が説明していることがすべてである、ニュースで見知ったことがすべてである、自分の半世紀にわたる人生経験と専門知識がすべてである。
そのような思い込みにとらわれて現実を分析している人は、現実主義を装っているようで、じつは視野の狭い狭量な判断をしているだけです。実験室とは違い、関係する要素すべてを知って現実的に判断できる人などいません。
本当の楽観主義者は、「自分がすべてを知りえないということを知っている」という意味で真に現実的でもあり、この世界には、自分も気づいていないさまざまな不確定要素が存在していることを理解しています。
だからこそ、いまだ未知の可能性が眠っている大海原へと果敢に航海を挑みます。たとえ地球は平らで海の果ては断崖になっているというのが通説であろうと、自分にできることは何でもやってみます。
その結果、だれも知らない未知の大陸を発見できたのがベートーヴェンであり、絶望的とも思える逆境をかえって味方につけてしまった人たちなのです。
「クリエイティブ」の処方箋―行き詰まったときこそ効く発想のアイデア86はこう述べます。
配られたカードが悪ければ、腹を据えて反撃するしかないときもある。どう転んでも、うまくそれを利用してしまう人には必ず勝機がある。(p281)
あきらめずに何でもやれることは片っ端から挑戦した結果、現実主義者が見落としていた思わぬところから、常識ではありえない解決策が転がり出てきたりするのです。
逆境に負けなかった人たち
「クリエイティブ」の処方箋―行き詰まったときこそ効く発想のアイデア86には、そのほかにも、逆境に面してクリエイティブに対処し、常識の斜め上をいく成功を収めた人が幾人も出てきます。
作曲家のモーリス・ラヴェルは、第一次世界大戦の戦乱のさなか、トラックの運転手として戦争のまっただ中を生きていました。ありとあらゆる悲惨な光景を見ました。
しかしある日、廃墟の城の中にほとんど無傷のピアノを見つけ、ショパンを弾きはじめました。そして戦争の恐怖を作曲の力に変えてしまい、「クープランの墓」などの名曲を世に送り出しました。( p158)
天体物理学者スブラマニアン・チャンドラセカールは、シカゴ大学で講義することになったとき、たった2人の受講生しかおらず、同僚に笑い者にされました。
しかし講義をキャンセルせず、往復250キロを通い続けて、かえって熱心に取り組みました。果たして彼と2人の受講生は、3人ともノーベル物理学賞に輝きました。(p59)
画家のチャック・クロースは、スーパーリアリズムの旗手として巨大な肖像画で名声を博しました。ところが突然、脊髄動脈の血栓で、首から下が麻痺してしまいました。
しかしクロースは、猛烈なリハビリによって、少しだけ動くようになった腕を使い、モザイクのようなピクセルによる新しい肖像画を生み出しました。それはかつての作品より有名になり、クロースは美術史に名を残しました。(p214)
ラヴェルもチャンドラセカール もクロースも、常識的に考えれば、もう諦めたほうがいい、と思えるような状況で、現実主義の斜め上を貫きました。その結果、だれも予想だにしない結果をたぐり寄せました。
日本でも、全身が動かなくなる神経難病ALSの中で天体物理学を研究している東京大学の阿部豊 准教授や、若年性パーキンソン病の中でユニークな外食産業をプロデュースしているダイヤモンドダイニングの松村厚久社長などが最近ニュースになっていました。
彼らはなぜあきらめなかったのでしょう。いえ、むしろ、どうしてあきらめる必要があるのでしょう。
「死んだ時間」ではなく「生きた時間」を
もちろん、わたしたち皆が、同じような成功を手にできるわけではありません。逆境を克服しようとありとあらゆる手をつくしても、病魔や災害で亡くなってしまう人もいます。
しかし、たとえ結果がどうなろうとも、創意工夫を働かせ、全力を尽くした時間は、決して「死んだ時間」ではないはずです。
もう打つ手がないと考えて、ただ不平や不満を並べ立て、何の望みもなく残りの人生を無為に過ごすよりも、創意工夫を存分に働かせ、できることは何でもやってみるほうが、充実した時間を過ごせます。
そのような充実した時間は「フロー」と呼ばれていて、たとえ末期がんなどの絶望的な状況にあっても、「フロー状態」を経験している人は、苦痛が少なく、人生も充実しているのだそうです。
わたしたちは、逆境そのものは変えられませんが、「死んだ時間」を過ごすか「生きた時間」を過ごすかは、自分で選ぶことができます。
「生きた時間」を過ごすなら、必ず見返りがあります。人生最悪の逆境と思えたものでさえ、自分の成長の糧として取り込んでしまうことができます。
「クリエイティブ」の処方箋―行き詰まったときこそ効く発想のアイデア86という本は、ここに少しずつ引用したさまざまな人たちのクリエイティブなエピソードをはじめ、興味深い話がこれでもかとつめ込まれていて、相当励みになる本でした。
なぜかAmazonレビューでは低めの評価がついていますが、わたしとしては十分すぎるほど、豊かな発想に触れられた、かなりの良書でした。ここまで読みやすく、内容も興味深い本はなかなかありません。
もっと創意工夫を働かせて生活したい、逆境を乗り越えるために勇気づけがほしい。そんな人には、ぜひ一度読んでもらいたい一冊です。