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脳卒中から生還した科学者が語る「奇跡の脳」―右脳と左脳が織りなす不思議な世界

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鏡の中に見える反転した自分の姿に向かって、わたしは嘆願しました。

(おぼえていてね、あなたが体験していることをぜんぶ、どうか、おぼえていてね!

こののうそっちゅうで、認知力がこわれていくことで、まったくあたらしい発見ができるように―) (p48)

しも、刻一刻と壊れていく自分をリアルタイムで体験することになったら、あなたはどう感じるでしょうか。

一分一秒と時経つうちに、ひとつ、またひとつと能力が失われていき、体を動かす力も、言葉を話す能力も、見たものを把握する理解力も、次々に削がれ失われていくのを、ただ見ているしかない状況に置かれたとしたら。

科学者のジル・ボルト・テイラー博士が置かれたのはまさにそのような状況でした。37歳のある朝、彼女は朝起きると脳卒中になっていて、わずか数時間のうちに自分の能力が失われていくのを見つめることになったのです。

普通の人ならば、わけもわからずただパニックになるような異常な事態ですが、冷静な科学者たる彼女は違いました。

これまでの知識を総動員して、自分に何が起きているのか把握しました。そして働かない体と思考を駆使してなんとか助けを求め、壊れゆく思考の中で、冒頭の言葉を思いに刻みました。

「こののうそっちゅうで、認知力がこわれていくことで、まったくあたらしい発見ができるように―」。

この記事では、博士の劇的な体験記奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)をもとに興味深く思った点をまとめ、右脳と左脳の機能の違いや、自閉スペクトラム症(ASD)における右脳の役割などを考察してみました。

これはどんな本?

今回紹介する奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)は、脳卒中によって左脳の機能がほぼすべて失われるという極めて過酷な逆境に陥りながら、科学者の目を失わずに自らの身に起きたことを分析し、たゆまぬリハビリによって後遺症を克服してきたテイラー博士の体験記です。

この本は大きく分けて3つの部分からなり、前半は脳卒中とリハビリの体験談、後半は脳卒中の経験から学んだ新しい生き方の勧め、そして付録として脳についての科学的な説明が収録されています。

特に前半部分の、脳卒中を身をもってリアルタイムで経験し、科学的な分析と当事者としての感情を織り交ぜて書かれた体験記は、極めて特異な感覚世界へ旅をして生還したテイラー博士にしか書けないすばらしい見聞録になっています。

後半部分は、読む人を選ぶ内容で、飛躍した意見も見られますが、奇跡の脳の織りなす不思議な世界を垣間見て、新たな人生観を持つに至ったテイラー博士の覚めやらぬ興奮が熱く伝わってきます。

37歳で脳動静脈奇形(AVM)から脳卒中へ

この本の著者のテイラー博士は、とても有能かつ前途有望な神経解剖学者でした。

統合失調症を発症して社会生活を送れなくなってしまった兄を見て育った彼女は、この破壊的な精神疾患の正体を探るべく医学の道に進み、35歳の若さで全米精神疾患同盟(NAMI)の理事に抜擢されます。

史上最年少の理事として若さとエネルギーに満ち溢れ、それまで否定的に見られがちだった脳バンクへの献体を、歌によって身近に感じさせる「歌う科学者」として活動するなど、前途洋々の人生を送っていました。

しかし1996年12月10日の朝、目が醒めた時に、彼女の人生は一変してしまいます。

最初に感じたのは、ひどい頭痛と、体の動きのぎこちなさでした。自分を外から見ているような解離状態が生じ、体のバランスが崩れ、何気ない物音が耳をつんざくような轟音になりました。

次々に思考と体に生じる不思議な症状を目の当たりにし、科学者としての知識を総動員した彼女は、ついにその正体に気づきます。

なんと37歳の若さで、脳卒中になってしまったのです。

それでも、絶望してショックを受けるどころか、冒頭に引用した言葉のように、自分の経験から新たな発見しようと決意したのは、知の探究に人生を捧げる科学者らしいところです。

これまで外から研究するしかなかった脳の機能を、自分の体験をもって、内側から調べるチャンスが訪れた、と感じたのです。

わたしのこれまでの人生は、人間の脳が現実に対する知覚をつくり出す仕組みを理解することに費やされてきました。

でも今、目を瞠(みは)るような新しい発見につながる一撃(脳卒中)を体験してる!(p44)

しかし、科学者として新たな発見を前に高揚する気持ちとは裏腹に、次々と脳の機能が失われていくのは、とても苦しく不自由極まりない経験でした。

ひとたび脳卒中が生じ、当たり前の脳の機能が失われていくと、ほんのささいなこと、たとえば助けを求めて電話をするといったことでさえ、不可能な難題に様変わりする、ということに彼女は気づきました。(p49)

一瞬前に何を考えていたかさえ忘れてしまう、電話番号をほんの数秒ワーキングメモリにとどめておくことさえできない、ごく普通の手の動きがままならない、文字が理解できない、そしてあまりに長い時間悪戦苦闘して、なんとか電話をかけることに成功しても、言葉がでてこない…。

わたしたちが常日頃、ごく当たり前とみなして気にも留めない諸々の認知機能が失われるだけで、助けを求めるという小さなステップが、どれほど高い、乗り越えられない壁になるかを経験したのです。

幸い、彼女は周期的に訪れる思考の「明晰な波」をとらえて、助けを求める電話番号を奇跡的に思い出しました。電話ではうめき声しか出せませんでしたが、これまた奇跡的に電話に友人の医師が出て、彼女の異常事態を察知してくれました。

そうして病院に入院した彼女は、先天性の脳動静脈奇形(AVM)による脳卒中と診断されます。彼女はかねてから偏頭痛のような痛みを感じていましたが、それは実は、AVMによる脳卒中の前兆だったことも知りました。

そのときから彼女の脳は新しく配線され、右脳だけで生きるとはどういうことか、そして左脳の機能を取り戻す中で、自分にどのような変化が起きていくのか、という摩訶不思議な過程を身をもって体験することになります。

脳卒中から回復するために必要なこと

続く部分では、入院中の苦労や心細さ、リハビリの過程などが綴られていきます。

体験者にしか書けない生き生きとした真に迫る描写の数々は、あらゆる人が読む価値のある貴重な現地リポートだと思います。

たとえば、脳卒中の患者という視点から見た病院の制度の問題や、助けになるスタッフと、苦痛を増し加えるスタッフについての違いは、医療関係者やヘルパーなどにとって必読ともいえる部分です。(p82 86 106 124)

「病院の一番の責務は患者のエネルギーを吸い取らないこと」というテイラー博士の実感のこもった言葉に思わず共感する人は少なくないでしょう。 (p118)

患者が今どんな状態にあるかを顧みようとしない機械的な対応や、ただ情報を聞き出そうとするぞんざいな扱い、体調を推し量ることなく全員を一律に扱って重病人を待たせて放置することなどが、いかに患者のエネルギーを奪うかが切々と語られています。

一方で、 親切なスタッフがどのように共感的に、尊厳を重んじて扱ってくれたか、ということも具体的に記されているのでとても参考になります。彼らは、テイラー博士が言葉を話せなくても、決して知的に劣る者のように扱ったりしませんでした。

さらに、テイラー博士のリハビリにおいて大いに助けになった、母GGによる世話の記述を読むと、回復に必要な支えとはどんなものかがよくわかります。

テイラー博士は、そうしたこまやかな支えが得られないために、本当は回復できるのにその可能性を閉ざされてしまっている脳卒中患者が少なくないと述べています。

脳卒中で一命をとりとめた方の多くが、自分はもう回復できないと嘆いています。

でも本当は、彼らが成し遂げている小さな成功に、誰も注意を払わないから回復できないのだと、わたしは常日頃考えています。

だって、できることとできないことの境目がはっきりしなければ、次に何に挑戦していいのか、わからないはず。

そんなことでは、回復なんて気の遠くなるような話ではありませんか。(p144)

同時に、そうした共感的、献身的な支えのもとで、できなくなったことではなく、できることに注意を向けて、達成可能なハードルを少しずつ設定し、たゆまずリハビリに努めたテイラー博士の姿勢からも大いに学べるものがあります。

外界のいかなるものも、わたしの心の安らぎを取り去ることはできません。それは自分次第なのです。

自分の人生に起きることを完全にコントロールすることはできないでしょう。でも、自分の体験をどうとらえるかは、自分で決めるべきことなのです。(p195-196)

テイラー博士は、多くの能力が失われても、決して無力感に打ちのめされたりせず、いつも自分の人生は自分でコントロールしている、という認識を抱いていました。

冒頭で引用したとおり、たとえ自分が壊れていく中にあっても、そこから何か新しい発見を得ようと未来を見据えていたほどでした。

これは、以前の記事で紹介した、自己統御感そのものでしょう。

難病や試練を乗り越える人の共通点は「統御感」ー「コップに水が半分もある」ではなく「蛇口はどこですか」 | いつも空が見えるから

 

まさにその自己統御感ゆえに、テイラー博士は脳卒中の後遺症から回復し、科学者として、再び一線に復帰することができたのです。

この本のp291-297には、付録として、テイラー博士の経験に基づく「病状評価のための10の質問」「最も必要だった40のこと」が載せられています。

それらは、この本の体験談と合わせて、さまざまな病気の人と接する家族や医療・福祉関係者にぜひ読んでもらいたい内容だと感じました。特に「最も必要だった40のこと」は、印刷してデスクに貼っておくべきリストかもしれません。

アスペルガー症候群とよく似ている?

ところで、わたしは本書を読んでいるうちに気になったことが幾つかありました。

まず気になったのは、脳卒中後、言語中枢をはじめ、左脳の機能の大部分が低下しているときに著者が経験した様々な症状についてです。

読んでいるうちに、それらの症状が、どうも自閉スペクトラム症(ASD)、つまりアスペルガー症候群の人たちが経験するとされる症状に、極めて似通っているように思えてきました。

著者が体験した特異な症状は、リストアップしてみると、例えば、以下のようなものがありました。

■時間感覚:
「今ここ」に心を奪われる 115
過去や未来がわからない 137

■空間感覚
三次元がわからない 98 114
どこに手足があるかわからない 115

■感覚過敏・鈍麻
光過敏、蛍光灯の明かりが強すぎる 116 163
声を背景から区別できない 102 114
感覚の洪水、情報の集中砲火 136
洗濯機でパニックに 165
感情を過敏に読み取ってしまう 106 121

■ひどく疲れる
テレビにエネルギーを吸い取られる 148 182
頭と体の活動に区別なく疲れる 149
エネルギーを節約する必要がある 126
負のエネルギーを出している人の影響を受ける 192 193

■視覚的思考
絵で考えることはできた 108
全体思考 112

■失読症   
読むことが一番難しい 157
文字が染みにしか見えない 158
書けるのにそれを読めない 168
音読しながら意味を理解することが理解できない 187 

■自己同一性についての感覚
残された自分の人格はだれなのかわからない 93 101
左脳と右脳で異なる人格を感じる 223

こうした症状はいずれも、自閉スペクトラム症の人の本を読むと、たびたび目にするものばかりです。

たとえば、時間の流れの連続性がなくなり、常に「今ここ」にとらわれている特殊な時間感覚については、過去の記事で扱いました。

アスペルガーとADHDの時間感覚の違い―過去と現在と未来 | いつも空が見えるから

 

また、特に自閉スペクトラム症との類似性を思わせるのは、過剰な感覚の洪水に圧倒されてしまう症状です。テイラー博士はこう述べています。

脳が、最低限の刺激しか望んでいなかったからです。意気消沈していたわけではなく、脳が感覚の洪水でアップアップの状態にあり、情報の集中砲火を処理できなかったから。(p136)

この情報過多のせいで、テイラー博士はまぶしい光やつんざくような音に悩まされ、まわりの雑音に圧倒され、洗濯機を使っていてパニックになりそうになりました。

これと似たようなことは、自閉スペクトラム症の人たちがよく述べていて、たとえば綾屋紗月さんの発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい (シリーズ ケアをひらく)では「感覚飽和」と呼ばれていました。

本来は、外部から五感が受け取る情報はフィルターにかけられて必要なものだけが意識に上るのですが、自閉症の人たちはそれがうまく働かないようです。

女性のアスペルガー症候群の意外な10の特徴―慢性疲労や感覚過敏,解離,男性的な考え方など | いつも空が見えるから

 

また、テイラー博士は物事を文字で考えるのが不可能になり、絵で考えることしかできなかったと述べています。

外部の世界とのコミュニケーションは途切れていました。言語の順序立った処理もダメ。

でも絵で考えることはできました。瞬間、瞬間に垣間見た情報を集め、その体験について時間をかけて考えることもできました。(p108)

このような強い視覚的思考はしばしば自閉スペクトラム症の人たちにみられます。

最近、金沢大学の研究によって、「三次元の物体イメージを,心の中でうまく回転させることができる」ような視覚的思考の能力が高い自閉スペクトラム症の子どもでは、脳に特殊な結合が見られることがわかりました。

世界初! 自閉スペクトラム症児の視覚類推能力に関わる脳の特徴を捉える | 金沢大学

自閉スペクトラム症児においては,視覚野に相当する後頭部と前頭部の間で,ガンマ帯域を介した脳機能結合(図2)が強いと,視覚性課題の遂行力が高いことを発見しました。

自閉症とサヴァンな人たち -自閉症にみられるさまざまな現象に関する考察‐では、こうした独特な視覚的思考は、高名なアスペルガーの数学者が幾何学を通してひらめきを得るときに役立ったのではないかと考えられていました。

有名なアスペルガーの動物学者テンプル・グランディンは、まさに「わたしは絵で考える」と述べています。

自閉症の動物学者テンプル・グランディンのTED「世の中には いろいろなタイプの脳が必要だ」まとめ | いつも空が見えるから

どうして、右脳の機能に頼るようになったテイラー博士の感覚と、自閉スペクトラム症(ASD)の人たちの感覚とがこうも似通っているのでしょうか。

まず思い出したのは、以前に読んだ芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察の中で、自閉症の人たちの特徴から推測するに、それらの人たちは脳機能のバランスが悪く、特に左脳の機能低下が生じているのではないか、と書かれていたことです。

自閉症者は、言語とコミュニケーションの面で重篤な障害があるので、左半球の機能不全がこの障害の主要な原因であると考えられているが、自閉症の視覚芸術家の脳についてこの点を確認できる資料はほとんど存在していない(p256-257)

自閉スペクトラム症の中でも、アスペルガー症候群など高機能とされる人たちの場合は、言語能力が高く、コミュニケーションもできますが、それでも、比喩表現や言外の意味を理解し、いわゆる空気を読むことが苦手だと言われています。

脳の左半球は、単に言語を扱うだけでなく、「既存の概念を再構成する能力」があり、想像力を働かせて意味を解釈することにも関わっているので、言葉を額面どおりに真に受けてしまうアスペルガー症候群の人はやはり左半球が弱いのかもしれません。(p257)

一方で、アスペルガー症候群の人は、視覚的な思考に長けていて、言葉より映像で考えるのが得意な場合があります。

同じ本によると、そうした視覚的思考の能力は言語能力とは逆に右半球の機能と大きく関係しているようです。

空間知覚や全体のなかの位置の判断、物理的空間のイメージ化、同じ対象や地形を心のイメージを通じてさまざまな視点から捉えることなどの機能に関しては、ほとんどの人で右半球が特殊化されている(De Renzi,1982:MeCarthy & Warrington,1990)。(p172)

テイラー博士の場合、脳卒中後、三次元を認識するのに苦労していましたが、それでも絵で考える視覚的思考が強くでていました。

空間認識能力は、完全に右脳だけで成り立っているわけではないのかもしれませんが、一般的に右脳が視覚情報の処理に特化していることはよく知られています。

また、テイラー博士の感覚過敏や、自閉スペクトラム症の人たちの感覚飽和についても、やはり右脳の優位性という観点から説明がつくように思います。

先程の右脳と左脳研究の第一人者、マイケル・S・ガザニガによる右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -には、脳の左半球と右半球の役割の違いについて、次のような説明があります。

左半球には、状況の要点を把握し、できごとの概要にうまく当てはまるような推論を行い、そうでないものはみな捨て去る傾向がある。

こうした手の込んだ作業をすることで正確性には悪影響が生じるが、一般的には新しい情報の処理が容易になる。

右半球はこういうことはしない。まったく正確に、最初に見た写真だけを見分けるのだ。(p179)

このことから右脳は見たままの、感じたままの正確な情報を保存し、左脳はそれを加工し解釈する、という役割を担っているというものがあります。

先程の芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察の中では、左脳の加工し解釈する役割は「意味システム」と呼ばれていました。

マイケル・S・ガザニガはそれをインタープリター(解釈者)とも呼んでいます。

自閉症の一種とみなされるサヴァン症候群の人の中に、極めて正確な記憶力で知られるキム・ピークや、精密な写実画で知られるスティーブン・ウィルシャーがいますが、彼らの正確な記憶力は、「意味システム」や「インタープリター」(解釈者)が働いていない、つまり受け取った情報が加工されていないことを示しています。

これはアスペルガー症候群の人が冗談を字句通りに受け取ってしまうことともよく似ています。 彼らは正確な情報を扱うことには長けていますが、飛躍させたり、混ぜ合わせたり、行間を読んだりするのは苦手なのです。

なぜ自閉症・サヴァン症候群の人は精密な写実絵を描けるのか | いつも空が見えるから

 

また、いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳の研究を見ると、虐待児の研究では、脳の右半球にはトラウマ記憶など、加工されていないありのままの生々しい記憶が保存されていると言われています。

一方、右半球は空間情報の処理や情動、とくに否定的な情動の処理や表現を主にしている。

虐待を受けた子どもたちは、そのつらい思い出を右半球に記憶しており、それを思い出すことで右半球を活性化しているのではないかとTeicherは考えた。(p64)

この場合、左半球の機能が弱いことで、過去のトラウマ記憶を適切に処理し、忘れたり受け入れたりするのが難しくなっているとみなせます。

脳卒中後のテイラー博士や自閉スペクトラム症の人の場合も、受け取った感覚を未加工のまま認識してしまうので、音や光や、さまざまな感覚が情報過多になって圧倒されてしまうのでしょう。

その反面、見たままの映像を処理する能力に長けていて、視覚的思考によって言葉を読み取る力の弱さを補い、他の人とは異なる仕方で考えることができるのではないでしょうか。

ただし、ここで注意しておかなければならないのは、どうやらテイラー博士は、もともと自閉スペクトラム症の傾向を持っていたように思えることです。

テイラー博士自身が、自分はずっと右脳優位で、 視覚的なパターンで考えることが得意だったと回想しています。 また極端に他人に依存しない生き方をしてきたことも述べています。(p60、191)

テイラー博士が、もともと能力の高いアスペルガー症候群であったとしたら、脳卒中によって左半球の能力が失われたことで、本来の自閉症に似た右半球の特徴が表面化したとしても不思議ではないように思えます。

もしも生来の脳の傾向が関わっていたのだとしたら、テイラー博士の個人的経験だけに基づいて、右脳と左脳の機能についてあれこれと推測しても、必ずしも万人に当てはまるものにはならないかもしれません。

だれもが左半球の能力を失ったときに自閉スペクトラム症のような感覚世界を体験する、というわけではなく、単にテイラー博士が生まれつきそうした脳の傾向を持っていたにすぎないかもしれないのです。 

「後半の調子についていかれない」?

脳卒中の体験隊を客観的に振り返っていた前半部分と打って変わって、この本の後半部分は、突如、論調が大きく変わり、まったく別の本のような様相を呈します。

その変貌ぶりは、訳者がわざわざあとがきでこうフォローしているくらいです。

もしかしたら、後半の調子についていかれない、と感じた読者もいるかもしれません。

でも、本書は宗教書でもなければ神秘主義の本でもありません。れっきとした科学書であり、科学者の自伝なのです。(p338)

この本の後半は、テイラー博士が、脳卒中後、ほとんど右脳だけで思考する状態になったとき、不思議な幸福感や世界との一体感を感じ、涅槃(ニルヴァーナ)は誰にとっても身近にあるものだと気づいた、というような内容になっています。

つまり、宗教における深い安らぎと共感は、右脳の働きによるものであって、だれでも左脳の批判的な精神を黙らせればその境地に至れるという、「右脳マインドのススメ」が熱弁されています。

わたしは、特に宗教的・スピリチュアル的内容だからという点では「後半の調子についていかれない」と思うことはありませんでした。

巻末の解説で養老孟司先生が書いておられるのと同じようにわたしは考えています。

いわゆる宗教体験、あるいは臨死体験が脳の機能であることは、いうまでもない。

しかしそれが世間の常識になるまでには、ずいぶん時間がかかっている。

神秘体験としての臨死体験が世間の話題になった時期に、私は大学に勤めていたから、取材の電話に何度お答えしたか、わからない。

あれは特殊な状態に置かれた脳の働きなんですよ。(p341)

宗教における神秘体験や臨死体験は、このブログでよく扱う「解離」という脳の機能と関わりの深い現象なので、過去にも正面切って考察したことがあります。

なぜ人は死の間際に「走馬灯」を見るのか―解離として考える臨死体験のメカニズム | いつも空が見えるから

 

そうした現象は、解離性障害や側頭葉てんかんといった特殊な脳の状態では頻繁に生じるものであり、たまたま普通の人がそれと同じような状態になったときに神秘体験として認識されるのです。

それで、わたしは後半の著者の話題にも抵抗がなく、むしろ興味深く感じていたのですが、一方でいくらか「後半の調子についていかれない」と言わざるを得ない部分もありました。

それは、本来、冷静な科学者であるはずの著者が、「右脳マインド」と「左脳マインド」を極端に誇張しているように感じられたことです。

「右脳マインド」「左脳マインド」の落とし穴

かつて左脳は男性的で科学的、右脳は女性的で芸術的といった極端なラベル付けがはやり、特に右脳の創造性を鍛える脳科学グッズなどが人気を博したりしました。

しかし脳科学の真贋―神経神話を斬る科学の眼 (B&Tブックス)などの専門家の本が警鐘を鳴らすとおり、それは誇張であり、どんな人でも、左脳と右脳を協調させて創造性を生み出しています。

盲信しないために知っておきたい「脳科学の真贋―神経神話を斬る科学の眼」 | いつも空が見えるから

 

この本の中でテイラー博士も、科学者として、左脳と右脳については、「左右が互いに補い合ってひとつになるというほうがより適切だ」と認めています。(p322)

ところがテイラー博士の後半の説明では、自身の劇的な経験から、「右脳マインド」は安らかで共感的で幸福、「左脳マインド」は批判的な物語作家、という誇張したキャラクター付けがなされてしまっています。

そして、不安や恐れは批判的な左脳が引き起こすので、「右脳マインド」をもっと育むべきだ、そうすれば安らぎや宇宙との一体感を得られる、という自己啓発に終始しています。

わたしは専門家でもなんでもないので、本職の科学者の本に疑問をさしはさむのは出過ぎたことだと承知していますが、それでもこの本の、「右脳マインド」は幸福で安らか、「左脳マインド」はマイナスの思考パターンをもたらすという説明には疑問を感じざるを得ません。(p246)

高名な科学者の実体験に基づく すばらしい本だからこそ、誇張されている結論を、読者がすんなり事実として受け入れてしまいやすいのではないか、というおそれも感じました。

この点について、たとえば脳科学者エレーヌ・フォックスによる脳科学は人格を変えられるか?によると、楽観的な人の場合、脳の左半球への活動の偏りが大きいとする実験が紹介されていました。

また、脳の左側への偏りが大きい人は、右側への偏りが大きい人に比べ、おしなべて幸福度や楽観性が高いこともあきらかになっている。(p78)

先程引用したいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳の虐待児の脳の研究では、逆に脳の右半球は否定的な情動と関係しているとされていました。

どちらの説明も、右脳の働きが強いことを否定的な情動と結びつけていて、テイラー博士の「右脳マインド」を鍛えれば幸福になる! という自己啓発とは正反対です。

いったいどういうことなのか。

あくまで推測にすぎませんが、一見真っ向から矛盾しているように見えるこれらの相対する意見には共通点が見いだせるように思います。

テイラー博士が左脳は「マイナス思考」の源だと意識するようになったのは、脳卒中からある程度回復し、失われていた左脳の機能をいくぶん取り戻してからでした。

そのときのテイラー博士は、健全のままだった右脳が優位で、ようやく回復しはじめた左脳の働きは弱い状態にあったことになります。

すると、お気づきの通り、これは先程の実験で、悲観主義だった人たちの脳の状態、つまり脳の左半球の活動が弱かった人たちの状態と似ています。

つまり、テイラー博士が回復のさなかに感じた「マイナス思考」は、単に左脳マインドのせいで引き起こされたのではなく、左脳の働きが右脳の働きに比べて相対的に弱かったせいで生じたのではないかと思います。

テイラー博士は、恐怖とは「誤った予測なのに本当に見えること」だと説明していますが、左脳の働きが弱いために認知の歪みが生じ、それによって右脳の感情が刺激され、不安のループにとらわれるようになったのかもしれません。 (p284)

一つ前の副見出しで考えた左脳と右脳の役割によると、右脳はありのままの感覚をそのまま感じ、左脳がそれを解釈したり加工したりしているのではないか、ということでした。

すなわち、「右脳マインド」はいつも幸せと安らぎに満たされているわけではなく、ただありのままの感情、未加工の感情を感じるだけなのです。

「右脳マインド」は強い幸せに満たされることもあれば、強い不安や悲しみに圧倒されることもあり、それを調整する役割を「左脳マインド」が担っているのではないか、ということになります。

テイラー博士が圧倒するような幸福感に満たされたのも、逆に不安のループにはまりこんだのも、どちらも右脳が優位になって歯止めが効いていなかったためでしょう。

テイラー博士自身は、そのようなマイナス思考になって不安にとらわれた時は、「言葉に適切な感情をこめて、情感たっぷりに[左脳の]物語作家に語りかけ」ることが効果的だと述べています。(p248)

テイラー博士はこれを、左脳の物語作家、つまり「解釈者」をなだめる方法としていますが、どちらかというと、情感たっぷりに語りかけて反応するのは右脳のほうでしょう。

テイラー博士は右脳によって暴走する左脳をなだめていたのではなく、左脳の言語能力を用いて暴走する右脳をなだめていたのではないかと思います。

つまり、不安を和らげるには、よりいっそうの「右脳マインド」を培うのではなく、認知の歪みを正す左脳の機能を強め、右脳と左脳の連携を深めることのほうが適切ではないでしょうか。

もっとも、テイラー博士が脳卒中後、ほぼ右脳の機能だけのときに、さまざまな入り混じった感情ではなく、ただ強い幸福感を感じていた理由は定かではありません。

臨死体験やそれと似たてんかん発作のときなども深い幸福感を感じると言われますから、右脳が完全に切り離された解離状態では確かにテイラー博士の言うように深い安らぎを感じるのでしょう。

しかし、だからといって、ストレスを感じるときに、いつも解離状態を生じさせて対処するわけにもいきません。結局のところ、深い安らぎに包まれることは時には有益ですが、それと同じほど、思考力を用いて現実に対処することもまた大切なのです。

また、テイラー博士が右脳だけで思考してるときに安心感を感じられた理由として、テイラー博士の生まれ育った環境による影響も考える必要があるように思います。

右脳は生後間もない時期に左脳に先立って機能し始めますが、テイラー博士はGGというとても愛情深い母親のもとで育ったので、安定した愛着が右脳に刻み込まれ、基本的な安心感が備わっていたのかもしれません。

逆に、もしも温かい家庭に恵まれず、安定した愛着を得られず育った人の場合は、右脳のデフォルトの感情は悲しみや孤独であるはずです。

先程引用したいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳によると、虐待を経験した人は「中立記憶を考えているときには圧倒的に左半球を使っており、つらくていやな記憶を思い出すときには、右半球を使っていた」そうです。(p64)

幼い時期に劣悪な環境で育った人の場合、右脳にはテイラー博士が感じたような安心感は備わっていないのかもしれません。

誰も信じられない、安心できる居場所がない「基本的信頼感」を得られなかった人たち | いつも空が見えるから

 

このように考えると、テイラー博士が経験した右脳の安らぎもまた、だれもが経験できるものではない可能性があります。

テイラー博士の独特な経験は、生まれつきの自閉スペクトラム症の傾向と、幼年期に育まれた安定型愛着に基づく、テイラー博士の脳だからこそ経験できたものであり、人はそれぞれ違った脳を持っている、という可能性を見過ごしているのではないでしょうか。

一人ひとりの「奇跡の脳」

以前の記事で書いたとおり、わたしたちは一人ひとり違う脳の傾向を持っているので、万人に当てはまる「右脳マインドのススメ」などは存在せず、それぞれが自分に合ったやり方を見つける必要があるのではないか、とわたしは思います。

万人に役立つライフハックや勉強法などない!―ADHDやアスペルガーに必要なのはオーダーメイド | いつも空が見えるから

 

先程も引用した右脳と左脳の研究の第一人者マイケル・ガザニガの右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -にはこんな一文がありました。

科学ではよくあることだが、最初に得られた観察結果が正しくとも、最初に行った解釈がまったく間違っている場合もある。(p334)

テイラー博士の体験記も、前半の観察結果は正しくとも、後半の解釈は飛躍しすぎていたように思います。

ガザニガは右脳思考や左脳思考がメディアを席巻するよりも前から、「脳の機能を単純に説明づけることが魅力的に思えなくなってきた」と振り返っています。(p136)

確かに、右脳と左脳にはそれぞれ得意なことがありますが、たいていはどんな作業でも左右で連携していますし、人によって脳の用い方やそれぞれの経路の反応速度は異なりますし、あまつさえ左脳の専売特許とみなされている言語機能を右脳に持っている人さえいるのです。

ですから、この記事でわたしが書いたこともまた憶測にすぎません。現時点でのほんのわずかな知識を用いて左脳のインタープリター(解釈者)が創り出した、もっともらしい話でしかありません。

未だ謎の多い脳の機能について、手持ちの知識だけで早計に結論を出すのは、つくづくふさわしくないと感じます。ところが人間は、やっかいなことに手持ちの知識以外の可能性を考えられないのです。

結局のところ、右脳と左脳は密接に協力しあってひとつの脳、「奇跡の脳」を織りなしているということに尽きるのできないでしょうか。

「右脳マインド」と「左脳マインド」のどちらが勝っているとか、どちらが創造的だとかいう議論に意味はなく、一人ひとりが自分だけの奇跡の脳を持っているのです。

いみじくもテイラー博士は、この奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)の冒頭で、そのことを、はっきりと読者に告げていました。

テイラー博士は終盤脱線したように見えて、そんなことは始めからしっかりわかっていたのです。

ただ自分の経験した、あまりに不思議な脳の世界のすばらしさと感動ゆえに、熱っぽく語り出したらちょっと飛躍して止まらなくなってしまっただけなのです。

そう、すべてテイラー博士がはじめにこう語ったとおりです。

どんな脳にもそれぞれの物語があります。

そして、これはわたしの脳の物語。(p3)

 


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