精神科医の方が慢性疲労症候群について書いておられる記事がありました。慢性疲労症候群が単なる気の持ちようではなく、確かに存在する、ということが、精神科の臨床の視点から書かれています。
香山さんは次のように書いています。
ただ、「確かにこういった症状に苦しむ人はいる」ということ。そして「うつ病などの心の病でもなければ、気の持ちようでもない」ということだけは確かなようだ。
私もこれまで診察室で、心の病でもなければ、はっきりした体の病気も見つからず、ただ休んでも休んでも取れず、体の底にこびりついているような疲れだけを訴え続ける患者さんに何度か出会った。その人たちには抗うつ薬も効かなければ、カウンセリングをしても、これといった問題が見えてこない。
「これ、慢性疲労症候群かもしれませんね」と、病名を伝えることはできるが、だからといって治療法が確立しているわけでもないので、その後が続かない。
実際に、CFSと診断された人の多くは、診断までは行き着いても、その後が続かないと思います。
最近、北海道の友だちが市大まで足を運んでCFSと診断されたという話を聞きました。その人はやっと病名が確定したことを喜んで、治療できると期待していましたが、何と言ってよいものかわかりませんでした。
以前のエントリに書いたように、わたしは慢性疲労症候群という診断名を得て、とても救われた気持ちになり、世界も広がりました。「不登校」や「引きこもり」と呼ばれることと比べたら、慢性疲労症候群という病名は何より助けになりました。
しかし慢性疲労症候群という病名は完治を意味しませんでした。治療によってかなり良くなりましたが、まだ先が見えません。
治療法のある別の病気と違って、慢性疲労症候群という病名は迷路に迷い込んだことを意味します。わたしは迷路からなんとか抜け出すためブログを始めました。わかった部分をマッピングしていけば、いつか全体像が見えるかもしれないと思ったのです。
CFSと診断されたその人のために、わたしができることは、同じ病名を持つ者として、励ましあって、いつか見えるに違いない出口へと進むことだと思っています。医師にとって「その後が続かない」としても、患者同士で手を取り合うなら、「その後を続け」られるかもしれません。