京都大学の米田英嗣特定准教授らの研究によると、自閉スペクトラム症(ASD)の小中学生は、良い人か悪い人かを判断するとき、「人となり」よりも「行動」に注目する傾向があることがわかったそうです。
悪い子の良い行動から何を読み取るか?自閉スペクトラム症を持つ小学生・中学生の善悪判断│京都大学 研究成果
「人格」より「行動」で善悪判断 自閉スペクトラム症の子 : 京都新聞
自閉スペクトラム症を持つ小中学生の善悪判断は行動に基づくもの-京大 - QLifePro 医療ニュース
自閉スペクトラム症の子供:表面的な行動で「善人」と判断 「悪意の理解が難しい」 福井大などのチームが発表 /福井 - 毎日新聞
報道では、こうしたASDの人の考え方の特性は、見せかけの親切にだまされやすい、詐欺やいじめなどの被害に遭いやすいといった、リスクが強調されています。
しかし、このASDの特性が単に欠点やデメリットである、とするのは短絡的でしょう。これはASDの人と定型発達の人の着眼点の違いからくる問題です。
この記事では、研究内容を参考にしつつ、一歩踏み込んで考え、ASDであれ、定型発達であれ、生まれ持った特性は長所も短所も含まれたパッケージであり、短所のように見えるASDの特性も見方を変えれば長所として伸ばしていける、という点を考えます。
「行動」から良い人か悪い人かを判断
今回の京都大学の研究では、小中学生を対象にして、ASD19名(男子17名、女子2名)と定型発達20名(男子18名、女子2名)に、いくつかの短い物語を読んでもらい、登場人物が良い子か悪い子かを判断してもらいました。
現実の人間は「良い特性」を持つ人がいつも「良い行動」をするわけではありませんし、「悪い特性」を持つ人がいつも「悪い行動」をするわけではありません。
「良い特性」を持った子が「悪い行動」をとった場合や、「悪い特性」を持った子が「良い行動」をとった場合、ASDの子と定型発達の子では果たして感じ方が変わるのでしょうか。
物語には、次のような「良い特性」「悪い特性」と「良い行動」「悪い行動」を組み合わせた文章が使われました。
「りんさんは、いつもいたずらをしている子です。お母さんのお手伝いをしようとしてテーブルをかたづけていました。大事な花びんが落ちてわれて、お母さんは悲しみました」
「ゆきさんはお手伝いを良くしてくれる子です。高いところにあるお菓子をぬすみ食いしようとたなの上にのぼりました。大事な花びんが落ちてわれて、お母さんは悲しみました」
テストは、読み返しが利かない場合と、読み返して二人の情報を比較できる場合の、2つの条件で行われました。
すると、どちらの状況でも、ASDの子は定型発達の子どもより、「特性」ではなく「行動」に基づいて、良い子か悪い子を判断する傾向があったそうです。
動機よりも結果を重視する
この実験から、ASDの人の次のような特徴がわかるといいます。
■一時的な親切にだまされやすい
ASDの子は、ふだんは「悪い特性」を示している子が、一時的に「良い行動」をした場合、「良い子」と判断しやすいことがわかりました。
これまでの研究でも、ASDの子どもは、悪意を持つ人に気がつかず、一時的な親切にだまされやすいと言われています。
ASDの子どもは、相手の人となりをつかんで、これから行いそうなことを予測するのが苦手なのかもしれません。
■動機より結果を見て判断しやすい
物語が悪い結末になったとき、定型発達の子では「特性」を手がかりにして考える割合が上がったのに対し、ASDの子では、良い結末になったときも、悪い結末になったときも、同じように「行動」を手がかりにして良し悪しを判断する傾向がありました。
これまでの研究でも、ASDの人は、定型発達の人とは違って、良い動機で行われた行動が他人に害を与えてしまったときでも、結果を重視して「悪い行為」だとみなすことがわかっているそうです。
これらはいずれも、行いの良し悪しを判断するとき、背後にある事情を考えるより、目に見える表面的な結果から判断する、ということを示しています。
研究チームは、今回の研究の成果をASDの子が陥る詐欺被害やいじめの防止に役立てたいと述べています。
「先入観がない」という長所
今回の報道を見ると、ASDの子は表面的な行動に騙されやすい、というネガティブな側面が強調されているように思います。
確かに、ASDの子は詐欺や性的被害などのトラウマ経験に遭いやすいと言われているので、表面的な行動に基づいて良い人か悪い人かを判断しやすいことはリスクになりやすいでしょう。ASDの親子が常日頃からその危険を意識しておくことは大切です。
しかし、表面的な行動や、行いの結果に注目するというASDの考え方は、必ずしも間違っているわけではなく、定型発達とは単に着眼点が違うだけである、と考えることもできます。
ASDの人たちは、一般的に裏表がなく純粋だと言われますが、それは行動や結果に基づいて良し悪しを判断するからこそでしょう。
他方、表面的な行動ではなく、内面的な特性に注目しやすい定型発達の人の場合、ASDとは別の問題にさらされることになるかもしれません。
たとえば、本当に親切心から出た行動であっても、もしかすると悪い下心があるのではないかと疑いの念(猜疑心)を抱いたり、嫉妬にかられて誰かをいじめたり、批判的になったりするかもしれません。
発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス)によると、ASDの人たちの判断方法には、だまされやすいという短所だけでなく、定型発達の人にはない長所も備わっています。
大多数の取るトップダウン処理は、社会の維持にとっては便利な反面、先入観が強くて、独断的な判断に陥る可能性もある。
逆にいえば、自閉症者は、先入観なしに物事を判断する資質をもっているともいえのだ。絶対的な物差しに則る、フェアな判断というわけだ。
自閉症者は理系向きであるとか、数字に強いとか数学ができるという評価をよく聞く。絶対的な物差しで見ることは、物事をフェアに見ることにつながり、それはシステムを理解する性質につながる大きな特性となる。(p81)
ここでは、社会の大多数を占める定型発達の人たちの短所と、ASDの人たちが持つ長所とが比較されています。
実はこの説明は、今回の実験で明らかになったASDの性質を別の観点から解釈したものだ、ということにお気づきでしょうか。
今回の実験では、ASDの人は、相手の「特性」をあまり考慮に入れず、目の前の「行動」の結果だけを見て良し悪しを判断しやすいということでした。
それは、見方を変えれば、先入観にあまり左右されずに、「結果」に着目したフェアな判断ができる、という長所にもなりえます。
一方、目の前の「結果」だけでなく、背後にある「特性」を考慮して良し悪しを判断する定型発達の人のほうは、無意識のうちに先入観にとらわれ、偏見や独断に陥るリスクを秘めている、ともいえるのです。
「疑うことを学ばなければならなかった」
こうしてリフレーミングして考えてみると、ASDの人たちの判断方法を欠点とみなすのは必ずしも正しくないことがわかります。
むしろ、本来なら、ASDの人たちが持つ先入観のない純粋さは欠点ではないはずですが、裏表のある行動や、下心をもってだまそうとする悪意を持った人がいる社会で生きていかなければならないせいで、裏目に出てしまう場合がある、とみなせます。
ASDの人たちが詐欺被害に遭いやすい原因は、ASDの人たちの考え方ではなく、彼らを取り巻く社会のほうにある、と考えることもできるのです。
興味深いことに、有名なアスペルガー症候群のテンプル・グランディンについて、脳神経科医オリヴァー・サックスは火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)の中でこう書いています。
彼女が設計したあるプラントで機械の故障が頻発したことがあり、それが決まってジョンという男性がいるときだった。
彼女はこれらの出来事を「関連づけて」、ようやくジョンの妨害に違いないと推理した。
「わたしは疑うことを学ばなければなりませんでした。それを認識論的に学ばなければならなかったのです。二と二を足すことはできました。けれど、わたしは彼の嫉妬の表情を読み取ることはできませんでした」
そうした出来事は彼女の人生では珍しくなかった。…鈍感で世間ずれしていないテンプルは、最初、ごまかされたり利用されたりした。
この種の純真さ、あるいは鈍感さは、ふつうの倫理的な美徳から生まれるのではなく、ごまかしやいんちき(トラハーンの言葉によれば「世の中の汚いトリック」)を理解できないことから生じるもので、自閉症のひとたちにはほとんど例外なくみられる。(p352-353)
サックスが述べるように、ASDの人たちがだまされやすい「鈍感さ」は裏を返せば「純真さ」でもあります。それは決して欠点ではなく、長所も短所もある同じ一枚のコインの片面にすぎません。
そうした純真な人たちに、「疑うことを学ばなければならなかった」と言わせる「ごまかしやいんちき」「汚いトリック」にあふれた社会こそが、何より嘆かわしいものなのではないでしょうか。
残念ながら、今の社会では、アスペルガー症候群として最も成功した人の一人といってよいテンプル・グランディンのような人でさえ、「ごまかされたり利用されたり」してきました。
そうであれば、ASDの子どもたちが、詐欺やいじめ、ねたみ、性的被害などのトラウマ経験を回避できるよう、具体的な対策を講じ、ときには「疑うことを学ぶ」必要もあるのは致し方ないことです。
とはいえ、たとえそうした対策が必要なのだとしても、それは、その子が持つASDの「欠点」のせいではなく、社会の少数派として生きていくスキルを学ぶためにすぎない、ということをしっかり思いに留めておくことは重要だと思います。
今回の報道も含め、自閉症の特性は、ネガティブな印象を伴う表現で語られることが多いですが、それには多数派である定型発達の人の観点から見たバイアスがかかっている場合が多い、ということを覚えておくとよいかもしれません。
先ほどの火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)の中で、オリヴァー・サックスは、アスペルガー症候群の人たちの意見を紹介して次のように書いています。
彼らに言わせれば、自閉症は特殊な医学的状態で、症候群として病理現象扱いされるとしても、それと同時にある全的なあり方、まったく異なった存在の様態あるいはアイデンティティとして見るべきであり、そこを意識し、誇りをもつ必要があるという。(p374)
定型発達にせよ、自閉症にせよ、持って生まれた特性は、まったくの長所でも、まったくの短所でもなく、長所と短所が入り混じったパッケージにすぎません。
どんな人にとっても、大切なのは、自分の長所と短所の両方を自覚して、短所を補う方法を講じ、長所のほうを活かしていけるよう創意工夫をこらすことです。
表面的な行動や結果に基づいて良し悪しを判断してしまう、というと短所に聞こえますが、先入観なくフェアな判断ができる、と言いかえればそれは長所へと変わります。
ASDの人たちは、自分の生まれ持った特性には、報道によって強調されやすいネガティブな側面だけでなく、ポジティブな側面があることもしっかり意識して、欠点を補い、才能を育てていくことが必要でしょう。