あんまり現実というものが苦しいので、絶えず瞑想のうちに逃れていたが、これはどうやら無駄なことではなかったらしい。
今、僕は以前思っても見なかった望みや希(ねが)いを持っています。(p255)
これは、生きるための哲学 (河出文庫)という本に引用されている、ロシアの文豪ドストエフスキーの言葉です。
前向きな言葉がつづられていますが、なんとこれは、10年にわたる極寒シベリアでの獄中生活を送っているさなか、流刑地オムスクから兄に送られた手紙の一節だそうです。
人間を人間とも扱わないような残酷で悲惨な日々の中で、ドストエフスキーはより深い人生観を身につけ、自由になってからは稀代の作家として大成していきました。
わたしたちのほとんどは、強制収容所で何年も過ごすような極限体験をしたことはないかもしれません。しかし、一見平和に見える社会でも、あたかも冷たい牢獄にとらわれるような悲惨な人生を、何年も、何十年も送っている人は決して少なくありません。
幼いころからの虐待、崩壊した家庭での心労、慢性的な病気などは、文字通りの強制収容所と同じほど、昼も夜も絶え間なく心身を痛めつけます。
いつ終わるとも知れない苦しみに圧倒され、生きる意味も喜びも感じられないようなとき、どうすれば、それを乗り越えることができるのでしょうか。
生きるための哲学 (河出文庫)やポジティブ心理学が1冊でわかる本などの本から、逆境を乗り越え、自分だけの人生を歩み出すのに、曖昧(あいまい)さに向き合う力がどのように役立つかを見てみましょう。
これはどんな本?
今回おもに参考にした生きるための哲学 (河出文庫)は、愛着障害の著書をたくさん書いておられる精神科医 岡田尊司先生が、つい先月発売された本です。
これまでの岡田先生の本は、このブログでも取り上げた、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)や発達障害と呼ばないで (幻冬舎新書)など、具体的な病名がタイトルに冠されているものが多かったと思います。
それに対し、この本はシンプルなタイトルなので、今のところAmazonレビューも1件もなく、目立たない印象かもしれません。
この本は、岡田先生の他の本とは異なり、発達障害の話はまったく出てきませんし、愛着障害や他の病気の説明も最小限にとどめられています。岡田先生はその理由を本書のはじめでこう書いています。
言葉だけの哲学に用はない。言葉にならないものを言葉にしようとする試みにおいて、言葉は絵を描くための絵の具のようなものであり、絵の具が絵の具として存在感を示しすぎることは、伝えようとすることを、かえって邪魔してしまうのである。(p9)
この本で扱われているのは、難解な言葉による「哲学」ではなく、人生でさまざまな悩みや悲しみに直面し、生きる意味を見失ったり、解決できない問題に苦しんだりした人たちの迫力あるエピソードです。
登場する人物は、ウィトゲンシュタイン、エリック・ホッファー、ショーペンハウアーなどの哲学者たち、ヘルマン・ヘッセ、ジョルジュ・サンドなどの作家たち、そして現代の精神科で闘病している人たちなど、多岐にわたります。
非常に大勢の人の生き生きとしたエピソードを通して、わたしたち一人ひとりが生きていく中で直面する「答えの出ない問題」にどう向き合うか、ということを読者に考えさせるのが、この本のテーマです。
人を苦しめるのは「状況」よりも「価値観」
生きる意味や価値を見失ってしまうような壮絶な逆境の中では、インターネットで調べて得られるようなありきたりの情報はほとんど役に立ちません。
学校で習う科学や数学と違って、「生きるための哲学」には、正解はありません。誰かから、こういう生き方や人生観がよいと教えてもらっても、自分の人生にそのまま当てはめることはできません。だれかが出した答えをカンニングすることはできません。
そうしたとき、人は、科学や理屈では答えが出ない問題、つまり答えのない問いに向き合っている。数学の問題であれば、「解なし」というのが正解であったりするが、人生の問題では、それだけではすまされない。
答えが出ないからといって、答えを出さないわけにはいかないのが人生である。前に進もうと思えば、自分なりの選択と決断をするしかない。(p4)
「生きるための哲学」は、公式を使って計算すれば、だれにでも当てはまる答えが出るような単純明快なものではなく、一人ひとりが自分の思考力を使って初めてたどりつくものです。
冒頭のドストエフスキーも、強制収容所での流刑生活という、生きる意味を根こそぎ奪い去るような経験を通して、自分はなぜ生きているのか、何をよりどころにしたらよいのか、といったことを悩みに悩んだ結果、最初の言葉に行き着きました。
このドストエフスキーのエピソードは、わたしたちに興味深いことを教えてくれます。
逆境にある人を最も苦しめるのは、困難な生活や病気の症状、といった「状況」そのものではありません。
ドストエフスキーのように、これ以上ないほど劣悪な「状況」に置かれていても人生に対して前向きな見方ができる人がいることからしても、それは明らかです。
それでは、逆境によって望んでいた人生を送れなくなってしまったとき、その人を一番苦しめるものは何なのでしょうか。
「状況」はたった10%しか幸福度を左右しない
その答えを知るヒントがポジティブ心理学が1冊でわかる本という本に載せられています。それによると、心身ともに幸福な生き方(ウェルビーイング)について、こんな研究結果があるそうです。
人生の客観的な環境をすべて足しても、わずか10%しかウェルビーイングに影響を及ぼしません。[ディーナー 1999年、ライアン&デシ 2001年](p110)
驚くべきことに「状況」または「環境」は、わたしたちの幸福に10%しか影響していません。
では、残りの90%を左右するのは何でしょうか。
しばしば「状況が1割、態度が9割」などと言う人がいますが、これは研究を読み間違えた誤りです。
ポジティブ心理学の生みの親、マーティン・セリグマンは、たくさんの学者たちの研究結果を考察し、幸福はおもに3つの要因で決まると考えました。
それは、「S:設定された範囲」(Set range)、「C:環境」(Circumstances)「V:自発的にコントロールできる要因」(Factors under Voluntary)の3つです。
この3つについて、ポジティブ心理学が1冊でわかる本にはこうあります。
Sは遺伝的に決定された幸福レベルで、生涯にわたって比較的安定しており、人生の重大な出来事の大半を経験しても、すぐに元のレベルに戻ります。Sは幸福度の約50%を決定づけます。
Cは、私たちがこれまでに考えてきた環境のことです。これは幸福度の10%にしか影響を与えません。
すなわち、幸せになりたければ結婚したり、教会に行ったりすることは奨励されますが、もっとお金を稼ぐことや、健康でいること、教育を受けることや、天候のよい地域に引っ越すことにこだわる必要はありません。
最後に、自発的にコントロールできる要因(V)とは、意図的に選択できる、努力を要する行為を指します。これは幸福度の40%を占めます[セリグマン 2002年](p102-103 )
この説明からわかるように、わたしたちの人生の満足度に最も影響を与えるのは、健康や生い立ちなどの「環境」ないしは「状況」ではなく、遺伝的な性質であり、全体の50%を占めます。こればかりは変えようがありません。
しかし、その次に40%もの大きな影響をもっているのは、「自発的にコントロールできる要因」です。
ところが、多くの人は、自分の人生に対して、この「自発的にコントロールできる要因」を活用しようとしません。自分の人生についてじっくり考え、自分なりの答えを出す、ということを難しく感じます。
その結果、ほとんど人の場合、遺伝的な要素50%と、環境的な要因10%だけで幸福かどうかが決まってしまいます。
なぜ40%もの可能性がある、「自発的にコントロールできる要因」が見落とされてしまうのでしょうか。
なぜなら、多くの人は、生まれ育った価値観に縛られているせいで、自分の意志で人生をコントロールする勇気をもてないでいるからです。
強いられた「価値観」に縛られている
生まれ育った「価値観」に縛られる、とはどういうことでしょうか。
生きるための哲学 (河出文庫)には、そのことがよくわかる例として、ヘルマン・ヘッセのエピソードが載せられています。
車輪の下 (新潮文庫)で有名な作家ヘルマン・ヘッセは、14歳で情緒不安定になり、精神病院に入れられるという辛い少年時代を過ごしました。繰り返し襲ってくる自殺願望との闘いがようやく和らいだのは、50歳を越えてからだといいます。
ヘッセが情緒的に不安定で、生きる意味を見いだせなかったことにはさまざまな理由があるでしょう。さきほど見た幸福度の50%に関わる遺伝要因である、生まれながらの繊細な気質や、医学的な脳の不安定さなども影響していたはずです。
しかし彼を悩ませていたのは、単なる医学的な症状ではありませんでした。自分は何のために生きればいのか、人生の価値をどこに見い出せばよいのか、という空虚感が、ヘッセの心の根底にありました。
ヘッセの両親は、ともに敬虔なクリスチャンの家系の出身でした。その家庭に生まれたヘッセも、生まれながらにその価値観のもとで生きるよう教えられ、親の期待に従ったときは良い子として、そうでなければ悪い子とみなされて育ちました。
親が良かれと思ってヘッセに与えた価値観は、代表作のタイトルのとおり、あたかも車輪の下に敷かれているかのように、次第に彼を縛り、押さえつけるものとなっていきます。ヘッセは芸術の道に進みたいと思っていましたが、それは親の価値観とは相容れないものでした。
ヘッセの苦悩から学べるのは、伝統的なキリスト教の価値観が窮屈だとか、不寛容な宗教が子どもを苦しめる、といったことではありません。人が受け入れる価値観はさまざまです。
問題は、ヘッセが、自分で選んだ価値観ではなく、親から強いられた価値観にそって生きていたことにありました。
ヘッセにとって、自分が幼いころから教え込まれてきた価値観は絶対のもので、それ以外の選択肢などありませんでした。芸術的才能を活かしたいと思っても、ずっと教えられてきた価値観とは相容れないので、板挟みになって苦しみました。
ヘッセの両親が持っていた価値観は、伝統的で立派なものだったのかもしれません。 もし、自分たちの価値観を強要するのではなく、ヘッセの気持ちにもよく耳を傾け、気軽に話しあっていたなら、ヘッセは車輪の下に敷かれているほどの重圧を感じることはなかったでしょう。
しかし、残念ながら、ヘッセの両親は自分たちの価値観以外のものは認めず、後にヘッセが苦労の末に詩集を出版したときも、神への背信とみなしました。親の価値観を有無を言わさずに押し付けることは、子どもの主体性を奪う結果になりました。
どんな立派な価値観であれ、自分が選び取ったものではなく、親が選んだものである限り、自分の人生を生きるうえでは邪魔にさえなってしまう。
お仕着せの衣を脱ぎ捨てねば、自分本来の生きる力を纏うことはできないのだ。(p69)
ヘッセの場合は、親の価値観を子どもに押し付けることが子どもを苦しめることになりましたが、価値観の押し付け、というのは、家庭の中だけで起こるものではありません。
わたしたちのだれもが、家庭のみならず、生まれ育った社会の価値観の影響を受けています。
その価値観の中には、男の子は感情を見せず仕事熱心であるべき、女の子は家事に勤しみ奥ゆかしくあるべき、といったジェンダーの価値観もあります。この本では、ジェンダーという概念の生みの親である マーガレット・ミードの苦悩のエピソードも紹介されています。(p165)
ヘッセの家族の価値観も、単に家庭内だけのものではなく、地域一帯に伝わるものであったのかもしれません。当時は教会が大きな影響力を持っていて、伝統に従わないことは罪とみなされていました。
有名な脳神経科医オリヴァー・サックスも、生来の同性愛傾向を、敬虔なユダヤ教徒である母親に真っ向から否定されたことがあまりにもショックで、その後長らく放蕩生活に陥ったことをサックス先生、最後の言葉で回想しています。
「何もやったことはないよ」と私は言った。「ただそう思うだけ―でもママには言わないで。ママには理解できないことだから」
しかし父は母に話し、翌朝、母がものすごい形相でやって来て、私に向かって叫んだ。「おまえは憎むべきもの。おまえなんか生まれてこなければよかったのに」
…その問題に二度と触れられることはなかったが、母のきつい言葉のせいで、私は宗教の偏狭さと残酷さを憎むようになった。(p52)
オリヴァー・サックスはその後、薬物中毒になり、人生のどん底まで落ちて追い詰められた後、ついに自分の人生を見つけ出し、世界的に有名なベストセラー作家として開花することになります。
ヘッセやサックスが極限まで追い詰められたことからわかるように、子どものころに当たり前のものとして有無を言わさず押し付けられた親や社会の価値観は、成長したときに生き方を縛るものとなります。
大多数の人とは異なる、個性豊かな子どもの場合は特にそうです。本当は創造的でユニークなのに、まわりの多数派の価値観に合わせることを強いられた子どもは、その板挟みになって苦しめられます。
「押しつけの神」を捨てる
押しつけられた価値観がやっかいなのは、それが押しつけの価値観であることに、なかなか気づけないことです。
世の中をよく知らない子どもにとって、親や社会から教えられた価値観は、たとえそれが強いられたものだとしても、唯一絶対の価値観です。善悪を判断するとき、それ以外の価値観を知りません。
教えられたものがどれほど歪んだ価値観であっても、自分が生まれ育った価値観以外の考え方があるということは思い至りません。慣れ親しんだ価値観をもとにしてしか判断できないのです。
歪んだ価値観に最も苦しめられるのは、虐待された子どもです。以前の記事で取り上げたように、そうした子どもは本当の愛や絆を学べず、人は警戒すべきもの、愛とは痛みを伴うものという価値観を持ったまま大きくなり、さまざまな問題に巻き込まれます。
そうでなくても、人は生まれ育った価値観を疑うということがなかなかできないので、その価値観に従えなくなったときに罪悪感に苦しめられてしまいます。
以前に紹介した例ですが、学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている (講談社プラスアルファ新書に出てくる慢性疲労症候群になった少年の場合も、彼を苦しめていたのは病気ではなく、生まれ育った価値観でした。
T君が、外来を受診したのは彼が高校に入学してまもなくの15歳のときである。T君が全寮制のその高校に入学したのは、進学率の高い有名校であるからだという。
「いい高校に入って、いい大学を卒業し、いい会社に入って給料を多くもらう生活を目指している」と得意げに告げた彼は「それができないやつは負け犬だ」と切り捨てた。
T君は、思い通りに高校には入学できたが、まもなく、眠れず朝起きできない状態となり登校できなくなって、彼が軽蔑しているその負け犬になりつつあった。
彼の戦いは今振り返ると彼自身との戦いであったように思われる。これまでにつちかった学校社会を中心に据えた彼の価値観に基づいた生活が壊れようとしているとき、果たして彼は彼自身を許すことができるであろうか。 (p73)
ヘルマン・ヘッセも、芸術の道に進みたいという願いと、そうするのは背信だとする親から受け継いだ価値観との間の板挟みになり、自分には「価値がない」、という自殺願望 に苦しめられました。
芸術家としてのヘッセに「価値がない」と囁いていたのは、彼自身の価値観ではなく、ヘッセの両親や生まれ育った社会の価値観だったのですが、ヘッセがそれに気づいたのは随分と苦しんだのちでした。
ヘッセは結局、親の価値観を捨て、自分で自分の価値観を選ぶことに決めました。生きるための哲学 (河出文庫)にはこうあります。
「あなた方の神に付き合わされるのは、もうご免だ。さもなければ、死んだほうがましだ」とまで、言わねばならなかったヘッセの悲しみは深く、現代にも通じる普遍性をもつ。
親が押しつける神は信仰だけではない。親がよかれと思って信じているものこそ、子どもにとっては押しつけの神となりかねないのである。(p76)
ヘッセにとって、親から強いられた伝統的な信仰の価値観は「押しつけの神」でした。
もしも親がヘッセの気持ちに配慮して寄り添っていたら、それは立派な価値観としてヘッセに受け継がれたかもしれませんが、強制された価値観は、どんなに立派でも「押しつけの神」でしかないのです。
そして、親から強いられた価値観で生きている以上は、子どもの人生はいつまでたっても親の人生の延長線上でしかありません。
他人に強いられた価値観にそって生きる人生は他人の人生であり、社会に強いられた価値観にそって生きている人は、社会の操り人形でしかないのです。
他人の人生を生き、社会の操り人形であるなら、本当は幸福度の40%を占めるはずの、「自発的にコントロールできる要因」が人生にまったく影響してこないのも当然です。
幸福度の60% を占める遺伝と環境によって敷かれたレールに沿った生き方、すなわち「車輪の下」の運命から逃れ、自分の人生を生きるためには、ヘルマン・ヘッセのように、自分で自分の価値観を選び取ることがどうしても必要です。
「曖昧性耐性」を身につける
では、自分で自分の価値観を選び取るにはどうすればいいのでしょうか。
すでに見た通り、最大の問題となるのは、自分が普段、当たり前のものとして受け入れている価値観が、じつは幼いころに植え付けられた狭い価値観にすぎない、ということになかなか気づけないことです。
世の中にはもっと多様な考え方があり、さまざまな生き方があるものですが、生まれ育った価値観に知らず知らずのうちに縛られているせいで、その枠内でしか考えられなくなっています。
「ねばならない思考」
生きるための哲学 (河出文庫)によると、知らず知らずのうちに強いられた狭い価値観に縛られている人にありがちなのが「ねばならない思考」です。
最悪と思ってしまうのは、一つの価値観で決めつけているからにすぎない。
「ねばならない」思考の人は、心のどこかで、人は努力すれば物事を思い通りにできる、良い結果を出せるという期待がある。思い通りの結果にならないのは、努力が足りないせいだと考えてしまう。
だが、実際には、この世の中の出来事の大部分は、人知や人力によっては、どうすることもできないことばかりだ。(p104)
「~ねばならない」という言葉が口癖になっている人、また自分に対して、すぐに「~しなければならない」と感じてしまう人は、一つの狭い価値観にとらわれている状態にあります。
本当は、世の中には「~しなければならない」と断定できることなどそう多くないはずです。しかし、子どものころから、親に社会にそう教えられてきた価値観のせいで、何々はやって当たり前、それができなければ自分はダメ人間で価値がない、と思ってしまうのです。
先ほど出てきた慢性疲労症候群になった少年の場合も、「自分は学校で良い成績を取り続けなければならない、それができなくなって不登校になるような自分には価値がない」と思い込んでいました。
大人になれば、学校で良い成績を取るかどうかなど、人生にはささいなことだと思えるかもしれませんが、狭い価値観の中で生きているせいで、ほかの可能性があることに気づけないでいたのです。
ヘルマン・ヘッセも、親から当たり前のものとして教えられた伝統的なキリスト教の信仰という価値観のせいで、教えを守れないならば、それは罪である、という思いにさいなまれました。
こうしたたったひとつの価値観による「ねばならない思考」にとらわれていると、人生の問題を抱え、逆境に直面したときに、回復するのが難しくなります。
「ねばならない」の思考にとらわれ、一つの価値観からしか物事を見られないと、つまずいたときに、自信を打ち砕かれ、回復に時間がかかりやすい。
倒れても起き上がるために必要なのは、視点の切り替えだ。見方を変えれば、失敗こそ大成功ということにもなる。(p106-107)
先ほどの少年も、ヘッセも、生まれ育ったたったひとつの価値観に縛られている限り、人生の落伍者であり、失敗したダメ人間でした。
しかし、もし、強いられた価値観だけがすべてでないと気づけたら、たとえば、学校の勉強についていけなくても、ほかの生き方があるとか、伝統に縛られなくても芸術の道を楽しめる、といった別の価値観を持っていれば、挫折は新しい人生の門出ともとらえることができたでしょう。
もしかしたら 自分の持っている狭い価値観がすべてではないのかもしれない。物事にはほかの考え方やとらえ方、別の視点があるのかもしれないという「視点の切り替え」を促す力、それは「曖昧(あいまい)性耐性)」と呼ばれています。
あいまいさを受け入れる力
「曖昧(あいまい)性耐性」とは聞き慣れない言葉だと思います。
その意味するところは簡単で、文字通り、「あいまいなことに耐性があること」、つまり「あいまいなことを受け入れやすいかどうか」、ということです。
もうちょっと難しい、学術的な説明については、PTG 心的外傷後成長―トラウマを超えてに次のように書かれています。
曖昧性耐性という概念は、権威主義的パーソナリティや人種的偏見の背後に、曖昧さへの耐性の低さがみられることへの着目に端を発している。
そこでは、“価値判断に関して、白黒をはっきりさせようとする解決手段をとり、早急な結論に達し、しばしば現実を無視して、全体的に絶対的で明確な他者の承認や拒絶を求める傾向”という情緒的・認知的パーソナリティ変数として曖昧性耐性の低さは考えられた(Frenkel-Brunswik,1949)
曖昧性耐性の低さは、後にバドナー(Budner,1962)によって、“曖昧さを脅威の源として知覚する傾向”と再定義され、その後の研究の多くはその定義をもとにして行われている。
平たく言うと、物事に白黒つけたがり、偏見や思い込みが強く、良いか悪いかをはっきりさせないと気が済まない人は「曖昧性耐性」が低い、ということになります。
この「曖昧性耐性」が重要なのは、多くの精神的な病気や、不登校の問題に、「曖昧性耐性」の低さが関係しているからです。
臨床場面では、強迫神経症者が曖昧さをこなしたいけれどもこなせないことに苦痛を味わっていることをはじめ(北山,1988)、抑うつ、不安、ヒステリー、妄想といった病理にも曖昧さへの非耐性がみられることが指摘されている。
また、これは大人だけの問題ではない。最近の子どもたちの曖昧さ耐性の低下が指摘されているし(近藤,2010)、元来、思春期という時期における課題は曖昧さのこなせなさと密接に関連しており、そこでのつまずきが不登校といった状態に表れることも、曖昧性耐性の低さとい観点から理解することができる。(p193)
この説明からわかるように、精神的な葛藤の多くは、曖昧性耐性の低さと密接に関係しています。
その理由は、これまでに考えてきたとおりです。
曖昧性耐性が低い、というのは、いろいろな価値観があって、さまざまな選択肢がある、というあいまいさを受け入れにくいということです。
白黒つけたがって良いか悪いかどちらかしか認められないと、自分はこうでなければならない、それができないとダメ人間だ、という「ねばならない思考」に陥ってしまうでしょう。
その結果、自分が生まれ育った狭い価値観にしがみつき、いつまで経っても、親や社会に教え込まれた尺度に縛られて、他人の人生を生きていくことになります。
たとえ古い価値観を捨て去ったとしても、曖昧性耐性がないと、その代わりに別の都合のよい価値観の奴隷になるだけ、ということもありえます。
極端な宗教や自己啓発、政治運動、過激派組織など、物事に白黒つけたがる別の価値観へと引っ越すだけで、いつまで経っても自分なりの価値観へとたどり着けません。
そうならないためには、物事にはさまざまな解釈の仕方がある、というあいまいさを受け入れる必要があります。
たとえば物理学において、光は、観察の仕方によっては、粒子のように振る舞うこともあれば、波のように振る舞うこともあります。
有名な葛飾北斎の、「富嶽三十六景」は、どの絵も富士山を描いたものですが、同じ姿の富士山は一つもありません。それでもすべて富士山であり、どれかが間違っているわけではありません。
しっかり周りを見て、現実的な見方をすればするほど、物事にはさまざまな解釈の仕方があり、悪い面だけでなく良い面も必ずある、というまぎれもない事実が見えてきます。
今まで受け入れてきた唯一の価値観では「悪い」とされてきたものでも、実際には「良い」側面がある、ということに気づくことができれば、それは希望を見出す糸口になります。
さらに、これまで自分を縛ってきた価値観ではなく、もっと多様な見方を取り入れた柔軟な解釈ができるようになり、それこそが、自分で見出し、自分で選んだ、自分なりの価値観へと成長していくのです。
底つき体験がもたらす「心的外傷後成長」(PTG)
逆境に直面し、追い詰められる経験は、当座は決して良いものとは思えず、とてもつらいものです。実際のところ、苦しみや悲しみはないに越したことはありません。
それでも、後々振り返れば、死ぬほど追い詰められた苦しい時期が、当たり前と思っていた価値観を見直し、自分なりの人生を見つけるきっかけになったという人は少なくないようです。 生きるための哲学 (河出文庫)にはこうあります。
どん底まで落ちることによって価値観が逆転するということは、人生のターニングポイントにおいて、しばしば経験されることだ。(p246)
どん底まで落ち、地獄を見る体験をすることが、逆に生きようとする気持ちを蘇らせるということは少なくない、それを「底つき体験」という。(p249)
こうした「底つき体験」によって押しつぶされそうになった人が、新しい自分を見出していく、というのは、先ほど、「曖昧性耐性」について引用した本PTG 心的外傷後成長―トラウマを超えてのテーマとなっている概念である「心的外傷後成長」(PTG)を思い起こさせます。
「心的外傷後成長」(PTG)とは衝撃的なトラウマ体験に直面して、それまで疑問なく受け入れてきた価値観が根底から揺さぶられたとき、激しい心の葛藤を感じながら、新しい価値観を見つけ、人間的に大きく成長していく人のことを指す言葉です。
詳しくは以前の記事で取り上げました。
自分が根底から揺り動かされるような逆境のもとでは、それまで疑問なく受け入れてきた価値観を疑わざるを得なくなります。自分が信じてきたものが粉々になって崩れ落ちていきます。
自分の信念が根底から崩れ落ちるような辛い体験は本当にショッキングなものですが、ひとたび古いものが崩れるということは、そこに新しいものを作り上げる機会が生まれるということをも意味しています。
そのような経験によって、自分の価値観を作り直した人として、質素な暮らしぶりから「世界で一番貧しい大統領」として知られるようになったウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領のことが思い出されます。
ムヒカは軍事政権下で14年投獄され、うち10年は独房に入れられるという、壮絶な「底つき体験」を味わいました。
しかし、彼は、そのときに古い価値観が崩れ去り、新しい価値観が作られるのを経験したそうです。
世界一貧しい大統領と呼ばれた男 ムヒカさんの幸福論:朝日新聞デジタル
「独房で眠る夜、マット1枚があるだけで私は満ち足りた。質素に生きていけるようになったのは、あの経験からだ。孤独で、何もないなかで抵抗し、生き延びた。『人はより良い世界をつくることができる』という希望がなかったら、いまの私はないね」
「そうだ。人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。以前は見えなかったことが見えるようになるから。人生のあらゆる場面で言えることだが、大事なのは失敗に学び再び歩み始めることだ」
ホセ・ムヒカは、あらゆるものを失い、古い価値観が通用しなくなったとき、以前には見えなかった新しい価値観が見えるようになっていきました。
危機的状況で崩れ去る価値観
興味深いことに、衝撃的な体験によって、自分を縛っていた古い強固なものが崩れ去る、という現象は、動物にも生じるそうです。
有名な「パブロフの犬」という現象をきっとご存じでしょう。職員の足音を聞くだけで、食事にありつく準備をする犬から明らかになった、「条件づけ」という反射行動の話です。
わたしたちの持っている価値観は、これと同じ一種の条件づけです。価値観があるおかげで、この状況ではこう行動する、こう感じる、ということが自動的に生じるからです。
知らず知らずのうちに、自分をダメ人間だと感じたり、罪悪感に悩まされたりするのも、幼いころから身についた価値観によって、ある行動と感情とが結びついているからでしょう。
ところが、生きるための哲学 (河出文庫)によると、その「条件づけ」は絶対的なものではなく、特別な状況下では消え去ることがありました。
1924年レニングラード(現サンクトペテルブルク)は、大洪水に見舞われた。ロシアの生理学者イアン・パブロフの実験室も、浸水の被害に遭ったが、そこには実験用の犬たちの飼育室もあった。
幸い、溺れてしまう前に、間一髪犬たちを救い出すことができたのだが、実験を再開してみると、獲得したはずの条件反射が起きなくなっていることに気がついた。
もう一度条件付け操作をすると、条件反射が起きるようになったが、試しに、命に危険が迫るような状況を再現すると、また犬たちからは、身についたはずの反応パターンが消えていたのである。(p250-251)
なんと、命が脅かされるような危機的な状況に陥ると、動物たちが身につけていた条件づけが崩れ去って消えてしまったのです。
わたしたち人間の場合も同様で、衝撃的な体験をすると、それまで受け入れていた価値観が成り立たなくなります。
これまで強いられていた価値観が崩れ去ったとき、わたしたちはよりどころにできるものが何もない、とてもあいまいな状況に放り出されます。
そのあいまいさに耐えられずに、あくまで古い価値観にしがみつき続けるか、それとも、そのあいまいさを受け入れて自分なりの価値観を見つけ出し、新しい人生を生きていくかが、逆境を乗り越える人とそうでない人とを左右することになります。
長い虐待や強い支配を受けて育った人にも同じことが当てはまる。忌まわしい体験の記憶から、ただ逃れようとしている限りは、ただ翻弄されるばかりで、本来の自分を取り戻すことは難しい。
自分の体験したことに正面から向かい合い、自分に何が起きていたのかを見つめることができるようになって、初めて自分らしい人生を回復することができる。(p304)
それまでの強いられた価値観という古い道具では対処できない逆境を乗り越えるには、自分なりの価値観という新しい道具を作り出して解決していくしかないのです。
新しい価値観を見出した人たち
この生きるための哲学 (河出文庫)では、親や社会から強いられた古い価値観にとらわれていた人が、ひどい逆境の中で自分と向き合い、新しい人生を見出していくエピソードがたくさん載せられています。
詳しくはぜひ直接読んでいただければと思いますが、例として挙げられているエピソードに、哲学者や作家が多いのは、きっと価値観を作り直すという過程の結果、思想を成熟させていく人が多いからでしょう。
あいまいな意味合いを自由に解釈する
新しい価値観を作りだす人は、現実をしっかり見変えた上で、現実にはさまざまな解釈の仕方があり、どんな経験からも学べることがある、という楽観的な考え方を養います。
ポジティブ心理学が1冊でわかる本では、そのことがさきほど考えた、あいまいさを受け入れることと結びつけられています。
サンドラ・シュナイダーは、現実的な楽観主義と非現実的な楽観主義を比べて詳細に述べ、「あいまいな知識」と「あいまいな意味合い」の違いを説明し、現実把握の重要性を強調しています。
「あいまいな知識」とは事実を知らないということで、一方「あいまいな意味合い」とは、解釈に幅があるということです。
楽観主義は、あいまいな知識を取り扱うのによいやり方とはいえません。たとえば、あなたが自分のコレステロール値を正確には知らないのに、自分には心臓疾患の心配はないと決めつけるのは理にかなっていないでしょう。
しかしながら、人生で起きるたくさんの状況は実際、自由に解釈することができます。そしてその解釈にこそ、楽観主義が効果を発揮するのです[シュナイダー2001年] 。(p64)
あいまいさを受け入れる力、すなわち「曖昧性耐性」とは、あいまいな知識で満足することではなく、さまざまな見方がある、というあいまいな意味合いを認め、いろいろな観点から物事を見ることです。
しっかり現実を把握した上で、上下左右、あらゆる視点から現実を眺めてみて、今までとは違うものの見方、つまり新しい価値観を見いだしていくのです。
視点を変えてとらえなおす方法
たとえばヘルマン・ヘッセがそうするために役立ったのは、具体的な日記をつけるという習慣でした。生きるための哲学 (河出文庫)にはこう書かれています。
作家のヘルマン・ヘッセは、自らの体験を日記に書くことを習慣とした。彼の日記は、単なる出来事の羅列ではなく、その情景を丹念に描いたものであった。
日記に描かれた場面は、その後、小説作品の中に取り入れられ、有効に活用された。
そういう習慣をもつことによって、たとえ不快な体験をしても、それを描くことによって、プラスな価値に転換することができたのだ。(p299)
体験した辛いできごとを、ただ頭の中でぐるぐると考えつづけるのではなく、日記に書き出して客観的に見つめなおすことで、自分の力では変えようがない体験を、自分の想像力で変えていける物語へと創り変えていくことができました。
最近のNewsweekの記事では、ジャーナリストとしてさまざまなショッキングな光景を目にしたために心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症してしまったディーン・イェーツ記者が、自分の苦悩を書き出すことによって精神が浄化されている、という体験談が語られていました。
書くことが精神を浄化させる PTSDと闘う記者の告白 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
そして私はこの記事を書き始めた。書くことには精神を浄化させる作用がある。
17号棟での最初の日々では、セラピーを受けている間、貧乏ゆすりが止まらなかった。不安の表れであったのだろう。だが書いていると、それは止まったのだ。
また、生きるための哲学 (河出文庫)によると、ナチス・ドイツの強制収容所を生き残った夜と霧の作者ヴィクトール・フランクルにとって、強制収容所の辛い体験を生き延びるのに、心の中で対話することが役立ったといいます。
フランクルが自分を守ってくれたものとして挙げていることの一つは、心の中でつねに対話をしたことである。彼は、心の中で、妻や母親といつも話を交わした。
こういう場面で、妻や母親ならどんなふうに語って慰めてくれるか、自分を笑わせてくれるか。
凍てつくような雪の中で、何時間も立たされ、ひどい目に遭っている最中でも、妻ならこういってくれるだろうと思い浮かべ、心の中に妻の声を聞くことで、現実に追い詰められることから逃れることができたのだ。
愛する存在と心の中で対話するという方法は、たとえそばにいなくても、安全基地となってくれる存在が、その人の生存を支えてくれることを示しているだろう。
自分ひとりしかいない状況で、空想上の人物と対話する、というのは奇妙なことに思えるかもしれません。
しかし他の人の立場に立って、この人ならどう考えるだろう、どう声をかけてくれるだろう、と想像することは、自分とは違う価値観の枠組みで物事を考えるのに役立ちます。
以前の記事で取り上げたように、わたしたちには、危機的状況に陥ったときに、しぜんと別の人物を心の中に作りあげ、他者との対話を通して、問題を解決していこうとする機能が備わっているようです。
フランクルは、このように自分の状況を客観視して、別のものの見方を駆使することによって、苦痛の伴う危機的状況を切り抜けることができました。
同時に、苦難の状況を語ることには、フランクルが、「苦悩を客観化する試み」として述べている方法に通じる。
寒さと栄養失調で足は膨れあがり、苦痛と絶望以外、何の希望も慰めもないように思われたとき、彼は、今自分が聴衆の前にいて、強制収容所での体験について語っている状況を思い浮かべたのだという。
そうすることで、自分の被っている苦悩が客観化され、耐えやすいことに気がついたのだ。(p298)
最近では、ミュージシャンのレディ・ガガが、トラウマ経験によるPTSDや解離症状、慢性疼痛を乗り越えてきた体験談を公開していました。その秘訣は、物事を別の視点からとらえ直すよう助けてくれる「言葉」だと述べています。
レディー・ガガ、PTSDについて長文のテキストを公開。全文訳を掲載 | NME Japan
私は様々な方式の心理療法をやっていますし、精神科医から処方された薬も飲んでいます。
しかし、私は最も安価で、おそらく最高の薬は言葉だと思うのです。やさしい言葉……積極的な言葉……言葉によって目に見えない病気を恥ずかしいと思っている人たちはそれに打ち勝ち、自由を感じることができるのです。
これこそが癒やされていく第一歩なのです。私は今日それを始めます。秘密にしておくと、よくないままです。そして、私はこれ以上秘密にしておきたくなかったのです。
こうした別のものの見方を想像したり、多様な考え方を切り替えたりする方法は、精神科医が用いるさまざまな心理療法にも活用されています。
たとえば、マインドフルネス認知療法は、物事にはさまざまな解釈がある、というあいまいさを受け入れる訓練をするものですし、物事を別の視点から解釈する力は認知行動療法によって養われます。
しかし、医者やカウンセラーの特別な心理療法を受けずとも、それらの心理療法のエッセンスは、わたしたちが日常生活のなかでいつでも実践できることです。
物事にはさまざまな解釈があるというあいまいさを受け入れ、自分の状況を別の視点からとらえなおすために、日記をつけたり、だれかと対話したり、別の場面を想像したりしているうちに、逆境を生き抜くための新しい価値観が徐々に形作られていくのです。
人生とは「自分」という新たな価値観を見つける旅
こうして新たな価値観を見いだし、逆境を乗り越えた人たちは、多くの人を縛り付け、狭い考え方に押し込めている、社会的・伝統的な古い価値観から解放され、自分の意志で人生を歩み出すことができます。
生きるための哲学 (河出文庫)で岡田先生は、ナチス・ドイツの強制収容所から解放された後のヴィクトール・フランクルについてこう述べています。
それにしても、驚かされ、胸を打たれるのは、これほどの体験をしながらも、フランクルが決して人間というものに悲観的にならなかったということである。
それどころか、彼は自分を収容し、家族の命を奪ったナチスに対してでさえ、極めて冷静な態度をとり続け、ナチスやドイツ人を、それに属していたというだけで、全否定したり、共同責任を負わせるという考え方に反駁した。
当時の時代状況において、そうした発言をすることは、大変な勇気を要することであった。二分法的な善悪論には与しない、その成熟した理知的な精神に深い敬意を感じずにはいられない。(p304)
ヴィクトール・フランクルが、ナチス・ドイツによって想像を絶する苦悶を経験したのに、人間に対して絶望しなかったのはどうしてでしょうか。またナチスやドイツ人に対して、恨みや怒りをぶつけるのではなく、冷静な見方ができたのはどうしてでしょうか。
それは、ヴィクトール・フランクルが、自分の意志で、新たな価値観に従って生きるようになっていたからです。
社会全体の価値観が、ナチスを断罪することに躍起になろうとも、人々の価値観が偏見や復讐心に支配されようとも、自分だけの価値観を見いだしたフランクルは、もはや影響されたりはしませんでした。
だれかの価値観によってだれかの人生を生きるのではなく、自分が苦闘の中で見いだした、自分の価値観によって、自分だけの人生を生きることができました。そして、幸福度を左右するあの40%の要素、つまり「自発的にコントロールできる要因」を存分に活用できました。
50%の遺伝的要素や、10%の環境要素によって流されてしまうことはなく、自分の手で、自分の人生の舵をとることができたのです。
こうして自分の人生を自分の手でコントロールすることは逆境を乗り越える人に共通する秘訣だと言われています。
岡田先生は、生きるための哲学 (河出文庫)で、いみじくも、新たな価値観を自分の手で選び取ることは、生き生きとした人生に必須のものだとさえ述べています。
このように人間の人生は、古い絆の支配から逃れ、それを克服しようとしつつ、その一方で新たな絆を結ぼうとする。
自分が選んだわけではなく、その中に生み落とされ、そこで自分を形作った故郷を離れ、与えられた自分を一旦捨て去ったうえで、新たに自分自身が出会い、選び取った人や世界との関わりの中で生きていこうとする。
だが、その人がその人として、生き生きとした人生を歩んでいくためには、この過程が必須のように思える。
この過程を経ずに、年老いてしまった人は、窮屈で小さく縮こまり、一つの価値観にしがみつくばかりの、狭く面白みのない人格になってしまいやすい。そしてその人の人生自体が行き詰まりを来しやすいのだ。(p222)
子どものころに強いられた価値観を疑わず、そのまま生きてくることができた人は、一見すると、特に大きな葛藤を経験することもなく、幸福な人生を歩んでいるかに思えるかもしれません。
しかし、実際のところは、そうした人は、自分の人生の舵取りをしたことがなく、年老いてなお、親が漕ぎ出したボートの上で座っているにすぎないのです。
自分の思考力を用いて考えてこなかったので、あいまいさを受け入れられず、ただ決められたレールの上を走っているだけです。もしいつか、親や社会が敷いたレールが突然途切れてしまったら、その人の人生は行き詰まってしまいます。いえ、むしろもう行き詰まっているのかもしれません。
逆境を経験し、悩み抜いた人はそうではありません。「どん底」を経験し、生きるか死ぬかという苦境にさらされるとき、生き延びるためには、嵐のさなか自分で舵を握るしかなくなります。脱線して大惨事になるのを回避するには、道なき荒野に自分でレールを敷くしかないのです。
荒れ狂う大海、道なき荒野ほど、あいまいで不確かなものはありません。どこへ向かって進めばいいか、どうやって乗り越えればいいか、おいそれとはわかりません。
それでも、そのあいまいで不確かな逆境を勇気をもって受け入れ、自分の力で未来へと歩みだしたとき、人は自分の価値観を見つけ、ほかのだれでもない、世界でただ一人の、自分だけの人生を歩み出すことができるのです。