こうした患者たちは、精神医療を受けている間に、互いに関連のない診断を五つか六つ受けるのが普通だ。
医師が気分変動に焦点を絞れば双極性障害とみなされ…医師が彼らの絶望感にいちばん強い印象を受ければ、大うつ病を患っていると言われて…医師が落ち着きのなさと注意力の欠乏に注目したら、注意欠如・多動性障害(ADHD)に分類され…たまたまトラウマ歴を聴取し、患者が関連情報を自ら提供するようなことがあれば、PTSDという診断を受けるかもしれない。
これらの診断のどれ一つとして、完全に的外れではないが、どれもみな、これらの患者が何者か、何を患っているのかを有意義なかたちで説明する端緒さえつかめていない。(p226-227)
トラウマ研究の権威、ベッセル・ヴァン・デア・コーク医師は、まだPTSDという概念が知られていない時代にベトナム戦争の退役軍人の強烈な症状を目の当たりにし、彼らの苦悩の原因を突き止めるべく、トラウマ研究の道へと進みました。
トラウマがもたらす破壊的な影響について理解を深めるうち、彼は不可解な患者たちの一群に気づきます。
20歳にならないうちから、うつ病、躁うつ病、発達障害、パーソナリティ障害などの診断名を複数つけられ、さらには慢性疲労や慢性疼痛、偏頭痛、自己免疫疾患など、多種多様な身体症状まで抱えています。
彼らの行動は成人のPTSD患者と似ていますが、そのほとんどはPTSDの診断基準を満たしません。なぜなら、彼らは具体的なトラウマの記憶を持ち合わせておらず、ときには幸せな子供時代だったと回想することさえあるからです。
いったいこの異常な症状は何を意味していいるのでしょうか。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法から、おのが人生の経験と、幅広い専門知識、そして本物の教科書は患者だけである、という信念を駆使して、「発達性トラウマ」という真実を探り出した情熱の医師の物語を見てみましょう。
これはどんな本?
この本身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法は、国際的なトラウマ研究の第一人者、ベッセル・ヴァン・デア・コーク博士の研究の集大成ともいえる大作です。
原著The Body Keeps the Score: Brain, Mind, and Body in the Healing of Traumaは、2015年9月に発売されるやベストセラーとなり、米国のAmazonストアでは、現時点(2017/01/23)で1000件を越えるレビューがつき、しかも9割のレビュアーが五つ星をつけ、平均して☆4.8という、驚くべき高い評価を得ています。
わたしがベッセル・ヴァン・デア・コークという医師について初めて知ったのは、おりしも、2012年、トラウマやPTSDについての本としては最初に手に取った一冊、友田明美先生によるいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳の中で触れられていたことがきっかけでした。
当時はまだ知識も理解も浅すぎて、ヴァン・デア・コークによる研究がいかに重要なものであるか、まったく気づくこともなく、その名前が記憶に残ることもありませんでした。
ところが、その後、解離やトラウマについての本を読み込むにつれ、幾度もベッセル・ヴァン・デア・コークの名前、そして彼が発見した「発達性トラウマ」という耳慣れない概念がキーワードとして現れ、昨年6月にはこのブログの記事にもまとめました。
その後、タイムリーなことに、ヴァン・デア・コーク博士による研究の集大成ともいえる本の邦訳が10月に発売されることを知り、魅力的な推薦の辞も手伝って、発売日に予約購入したのでした。
その推薦の辞は、Amazonの販売ページなどで読めますが、たとえば、
■解離の文献をたどると必ず目にする名前である、国際トラウマティック・ストレス学会元会長のオノ・ヴァン・デアハート
■マインドフルネスを医学に取り入れた創始者ジョン・カバットジン
■トラウマ治療に欠かせない技法であるEMDRの考案者フランシーン・シャピロ
■先日読んだ本脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線の著者であり、脳の可塑性に関する先進的な洞察を送り出してきた精神科医ノーマン・ドイジ
など、わたしがこのブログで取り上げてきた人たちが大勢、名を連ねていました。
そのほかの推薦の辞も一部引用すると、
科学者の果てしない好奇心と、研究者の該博な知識と、真実を語る者の情熱が見事に融合したのが、ヴァン・デア・コーク博士によるこの名著だ。
――ジュディス・ハーマン(『心的外傷と回復』著者)この傑出した作品は、セラピストばかりでなく、トラウマが引き起こす途方もない苦しみを理解したい、防ぎたい、あるいは治療したいと望む人なら誰もが、絶対に読むべき一冊だ。
――パット・オグデン(センサリーモーター・サイコセラピー・インスティチュート創設者)
といった言葉から、この本がいかに核心をついた重要な一冊であるか、期待が高まるというものです。
また「第四の発達障害」の記事など、このブログで何度も著者を参考にさせていただいている、子どものトラウマ治療の第一人者として活躍してこられた杉山登志郎先生による「解説の試み」(巻末に収録)も公開されており、とても興味をそそられました。
人はどうやって「トラウマ」を克服するのか | 今週のHONZ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
この記事では、著者であるベッセル・ヴァン・デア・コーク博士の人となりを交えながら、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法のおおまかなストーリーをたどりたいと思います。
「先生なら、この患者を何と呼びますか」
今やトラウマ研究の第一人者にまでなったベッセル・ヴァン・デア・コークが、この道へと進んだのは、1978年、ボストン退役軍人クリニックで精神科医として働きはじめたときでした。
彼はそこで、初めてベトナム帰還兵に出会いました。
トムという名の その退役軍人を診察したとき、その悪夢のような話を聞きながら、ヴァン・デア・コークは心を揺さぶられるのを感じます。
私はトラウマの謎を解明するために、おそらくこれから先の職業人生を費やすことになるだろうと、その朝悟った。
人は恐ろしい経験によって、なぜ絶望的なまでに過去に囚われてしまうのか。心と脳の中で何が起こり、人は凍りついたままになり、逃れたいと死に物狂いで願う所から抜け出せなくなってしまうのか。(p23)
ヴァン・デア・コークは、戦場の鮮烈な記憶と、混乱した心身の症状を抱える彼らベトナム帰還兵の力になろうとしましたが、自分の受けた医師としての教育ではまったく手に負えないことに気づきます。
それで患者たちの問題を解決する糸口を見つけようと、図書館に足を運びましたが、役立つ本は一冊もありませんでした。時は1978年、まだ心的外傷後ストレス障害(PTSD)という疾患カテゴリーは存在していませんでした。(p24)
当時、戦争帰還兵の抱える異常な精神症状は、統合失調症のような精神病であるとみなされ、閉鎖病棟へと送り込まれていたのです。(p32)
しかし、ヴァン・デア・コークは、同僚の医師たちとは異なり、目の前の患者たちが統合失調症だとする診断にしっくりこないものを感じ、彼らの話にじっくり耳を傾け、得体の知れない症状の背後にあるものを理解しようと努めました。
そうした姿勢の根底にあったのは、ヴァン・デア・コークが、「尊敬する恩師」と呼ぶエルヴィン・セムラッドの教えでした。
私の尊敬する恩師エルヴィン・セムラッドは、教科書は疑ってかかるようにと学生に教えた。
本物の教科書は一冊しかない、それは患者だという。
彼らから学べることだけを―そして、自分自身の経験から学べることだけを―信頼すべきだ、と。(p25)
エルヴィン・セムラッドによれば、本物の教科書は「患者」だけでした。
たとえ、当時広く認められていた医学の教科書によって退役軍人たちが「統合失調症」と診断されようとも、患者という教科書は、それとは違う何かがそこにある、ということをヴァン・デア・コークの心にしきりに訴えていたのです。
ヴァン・デア・コークは、診断名ではなく、患者自身を見るように、という恩師の教えを、こう回想しています。
今でも覚えているが、私は彼にこう尋ねたことがある。「先生なら、この患者を何と呼びますか。統合失調症でしょうか、それとも統合失調感情障害でしょうか」。
すると彼はひと呼吸置き、顎を撫でた。どうやら、思いに耽っているらしい。
「私なら、マイケル・マッキンタイアと呼ぶと思うね」と彼は答えた。(p52)
精神科の医者たちは、今日に至るまで、患者そのものよりも診断名を見る、という落とし穴にはまりがちです。DSMのような、高名な学者たちがこしらえた診断基準に患者を当てはめ、患者をひとりの人間としてではなく、ある診断名のひとケースとみなしてしまいます。
その結果、その診断名に合わない症状は見過ごされるか、別の診断名との併発事例と解釈されます。患者のありのままの姿、本当のその人の素顔は、寄せ集めた診断名というレッテルによって覆い隠されてしまいます。
「ヴァージニアとは本当は何者なのか」
ヴァン・デア・コークは、精神科医という仕事が、しばしば問題を解決するよりも、本質を覆い隠してしまうことを認めています。
私自身の職業は、問題を軽減するどころか深めることが多い。今日、多くの精神科医の仕事は製造ラインの流れ作業のようなものだ。
ろくに知らない患者と診察室で15分ばかり会って、苦痛、あるいは不安、抑うつ状態を緩和する薬を処方する。(o585)
しかし、彼は、目の前の患者を「マイケル・マッキンタイア」とみなした師の教えを守り続け、いつも診断名に覆い隠されてしまっている、本当の患者自身を見るように努めてきました。
彼女のカルテには、双極性障害、間欠性爆発性障害、反応性愛着障害、注意欠如障害(ADD)多動型、反抗挑戦性障害、物質使用障害という診断が並んでいた。
だが、ヴァージニアとは本当は何者なのか。どのように手助けすれば、彼女に人生を楽しんでもらえるようになるのか。(p252)
ヴァン・デア・コークの関心事は、患者がどの診断名に当てはまるか、ではなく、本当は何者なのか、どのように手助けすれば人生を楽しんでもらえるようになるのか、ということでした。
既存の診断基準に無理やり患者を当てはめるのではなく、その診断名をつけたとき、患者が適切な治療を得られ、人生を取り戻す助けになるような場合にのみ、診断名は意味を持ちます。
診断名のために患者があるわけではなく、患者のために診断名があるべきなのです。
診断名が「地下牢」とならないために
ヴァン・デア・コークは、本来は人を治療へと導くべき診断名が、その人の人生を縛り、一生つきまとい、さらには患者のアイデンティティにまで影響を及ぼすことを危惧しています。
精神医学的診断には重大な結果が伴う。治療は診断に基いて行われるからだ。誤った治療を受ければ、悲惨な結果を招きかねない。
また、診断名は患者が死ぬまでつきまとうだろうし、患者が自分をどう定義するかに強い影響を及ぼす。(p228)
ずっと得体の知れない症状で苦しんできた人が、権威ある医者から何かの診断名を下されると、自分のあらゆる問題に決着がついたかのように思えて、ほっとするものです。自分の苦しみは詐病ではなく、現実の問題だと、認めてもらえたからです。
しかし、患者たちは、これまでの人生の苦しみに名前をつけると同時に、自分の人生がその病気である、とみなしてしまうことがあります。
「わたしの症状は◯◯障害だ」とみなすのではなく、「わたしは◯◯障害だ」と考えてしまいます。その瞬間、診断名は、治療のためにラベルではなく、その人のアイデンティティの一部に組み込まれてしまいます。
モンテ・クリスト伯さながら、まるで残りの人生を地下牢で過ごすことを宣告されたかのように、自分は双極性障害「である」、境界性パーソナリティ障害「である」、あるいはPTSDを「負っている」と言う患者に、私は数えきれないほど出会ってきた。
だが、これらの診断のうち、私たちの患者の多くが生き延びるために発達させる並外れた才能や、奮い起こした創造的なエネルギーを考慮に入れているものは一つもない。(p228)
ここでは双極性障害、境界性パーソナリティ障害、PTSDが例として挙げられていますが、そのほかのさまざまな病名、たとえばADHDや自閉スペクトラム症、慢性疲労症候群や線維筋痛症、ほかのあらゆる病名でも同じです。
絆の病: 境界性パーソナリティ障害の克服 (ポプラ新書)の中で、愛着障害の治療をしている岡田尊司先生も、同じ問題を指摘していて、「それがあまりアイデンティティーになりすぎると次のステップに移っていけない場合もある」と述べていました。(p142)
ヴァン・デア・コークが述べるとおり、どんな診断名も、その人が「生き延びるために発達させる並外れた才能や、奮い起こした創造的なエネルギー」を説明してはくれません。
本当は優れた能力をもって、ひとりひとり異なる逆境と闘っているはずの人が、診断名という部屋に入れられた結果、安心感と引き換えに、そこから出て、自分だけの可能性を探る機会さえも失ってしまいます。そのような診断名はもはや「地下牢」でしかありません。
かけがえのない一人の人間として闘っていたはずの人が、診断名をアイデンティティとして受け入れた結果、医師にとっても、本人にとっても、その病気のついた数多くの患者のひとケースでしかなくなってしまうのです。
診断名がアイデンティティになってしまう、という問題は、このブログでも過去に何度も取り上げました。わたし自身、そうなってしまった時期があったからこそ、それがいかに人生を縛り、未来を閉ざしてしまうかがよくわかります。
「患者であり、師でもある」
ヴァン・デア・コークは、患者に無意味な診断名というレッテルを貼って、患者を無理やり ある病気の型にはめようとはしませんでした。
彼はまったく逆に、患者から学ぶことで、診断名を患者に合わせていくように試みました。恩師エルヴィン・セムラッドの言葉どおり、彼の教科書は、いつでも「患者」だったのです。
私は本書の第一章で、30年以上前にボストン退役軍人クリニックで出会ったビルという名の患者のことを紹介した。
私にとって長年の患者であり、師でもある人物となった人は何人もいるが、ビルもその一人で、私たちの関係は私のトラウマ治療の進化の物語である。(p372)
ボストン退役軍人クリニックで出会った得体の知れない症状を抱えた患者たちは、彼にとって、「統合失調症」の例外的なケース、ではなく、「患者であり、師でもある」存在になりました。
彼らの話に真剣に耳を傾け、学び取ろうとしたヴァン・デア・コークは、彼らが訴える幻覚は、統合失調症のような精神異常ではなく、 現実に経験した記憶の「幻覚」、すなわちフラッシュバックであることを知りました。(p49)
彼ら退役軍人たちは、戦争で頭がおかしくなったわけでも、気が触れたわけでもなく、ちょうど体内に侵入したインフルエンザウイルスと必死に闘って高熱にうなされている人のように、凄惨なトラウマ記憶という異物と、日夜休みなく闘っているサバイバーだったのです。
こうして、ヴァン・デア・コークたちは、危機が去った後も残る未処理の記憶が、脳の恐怖反応をオンにしつづけることを突き止め、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の発見に貢献します。
「先生を信頼しているから言いますけど」
患者から学ぶヴァン・デア・コークの姿勢はどれほど徹底したものだったのでしょうか。彼はキャシーという名の患者が教えてくれたことを、こう振り返ります。
私はマリリンのような患者と初めて出会ったとき、彼女らの考え方に異議を唱え、世の中をもっと肯定的で柔軟な形で眺められるよう、手助けしようとしたものだ。
ある日、キャシーという名の女性が、私を正してくれた。
…「あのね、先生、優れたセラピストであることがあなたにとってどれほど重要だか知っているので、そんな馬鹿げたことを言われたときにも、いつもならうんと感謝します。
なにしろ、私は近親姦のサバイバーです。自信のない大人の男たちの欲求を満たしてあげるように仕込まれたんですから。
でも、先生に診てもらうようになってもう二年たつでしょう。先生を信頼しているから言いますけど、そういうコメントを聞くと、ひどい気分になります。
そう、そのとおりですよ。私は周りの人に何か悪いことが起こると、本能的に全部自分のせいにします。
それが道理にかなっていないことは百も承知していますし、もっと道理をわきまえるように先生が説得しようとすると、私はなおさら寂しくて孤独に感じるだけで、私という人間がありのままの自分でいるのがどんな感じなのか、世界中の誰一人としてけっして理解してくれないだろうという思いが裏づけられることになります」
私はこの告白に心から感謝し、それ以来、患者に、自分が感じているように感じるべきではないとは言わないようにしている。
私の責務がそれよりもはるかに深いものであることを、キャシーは教えてくれた。周りの世界を描いた心の地図を、患者が再構築する手助けを、私はしなくてはいけないのだ。(p213)
ヴァン・デア・コークは、はじめ、ネガティブで不合理な考え方をしているキャシーに、もっと積極的でポジティブな見方をするよう諭しました。
しかし、キャシーから返ってきた言葉は、まったく予想外のものでした。彼女は、自分の考え方がネガティブで不合理であることなど百も承知でした。もっとバランスのとれた見方がどういうものかもわかっていました。それでも、そうした考え方ができないことに苦悩していたのです。
PTSDを抱えた人たちは、自分では不合理であり、問題だらけだとよくわかっている行動をさえ、どうあがいても変えることができず、無力感とみじめさに打ちひしがれていることに彼は気づきました。
そして、キャシーのように、突発的に湧き上がってきて制御できない不合理な考え方は、認知的なフラッシュバックだということを理解しました。それは「トラウマを引き起こした出来事の残余」、つまり、トラウマを経験したときに感じた気持ちのフラッシュバックだったのです。(p405
多くのセラピストが気づけない、この重要な本質にヴァン・デア・コークが気づけたのはなぜでしょうか。
マリリンは、それまで、ネガティブな考え方を修正しようとされたら、「いつもならうんと感謝」していました。しかし「先生を信頼しているから」本心を打ち明けました。
トラウマのサバイバーは、自分の気持ちを殺して、相手に同調することに慣れています。信頼関係を築けない鈍感な医師やセラビストには、効果のない治療法でも、効いているような「ふり」をします。
鈍感な医者は治療がうまくいったと喜びますが、当のサバイバーは心のなかでは「世界中の誰一人としてけっして理解してくれないだろうという思い」にうちひしがれてそこを去ります。
こうして、トラウマのサバイバーたちが、医師に助けを求めても役にも立たないことを噛み締める一方で、鈍感な医師たちの机上の空論が流布し、真実が覆い隠されます。サバイバーが本当に信頼できる医師にめぐり合わない限りは。
ヴァン・デア・コークは、患者たちから学び、自分の理屈に無理やり押し込めようともせず、トラウマを負った人たちの本当の姿を理解しようと努めました。その結果、鈍感な医師やセラピストには見えなかった真実へと、一歩ずつ近づいていくことができました。
「先生は本当に変わっていますね」
ヴァン・デア・コークの患者に対する姿勢は、とても変わっていました。
あるとき、診察室に入ってきたアニーという女性は、息をしているかどうかもわからないほど凍りつき、無言でヴァン・デア・コークの前に立ち尽くしました。
ヴァン・デア・コークは、会話をすることも、問いただすこともせず、ただ彼女の恐れを刺激しないよう、ドアとの間をふさがないように2メートルほどのところまで近づき、ゆっくり一緒に深く呼吸するよう促しました。
そして、30分ほど、呼吸に同調できるように小さな声で語りかけ続けました。
私は、抗い難い恐怖の背後にいる人物が感じられるようになってきた。
アニーはようやくリラックスしたように見え、私にかすかに微笑んで、いっしょに部屋にいることを認めた様子を示した。
今日はこれまでにしましょうと私は言って(もう彼女には精一杯のことをしてもらった)、一週間後にまた来られますかと尋ねた。
彼女はうなずくと、「先生は本当に変わっていますね」と小声で言った。(p436)
極度のトラウマを抱えたアニーにとって、ヴァン・デア・コークは、「本当に変わっている」医師でした。それはつまり、これまでにこの世界で出会い、自分を痛めつけ、理解しようともせず、無思慮に扱ってきた大半の人とは大きく異なっているということでした。
ヴァン・デア・コークは、患者たちをみな、どうしようなく弱々しい病人ではなく、それぞれ逆境を跳ね返して懸命に生きてきた勇敢な人々として尊重しています。
私が出会ったトラウマサバイバーは一人残らず、それぞれのかたちで逆境を跳ね返す力を持っており、誰の話を聞いても、人間の対処能力には畏敬の念を覚える。
ただ生き抜くためにさえも厖大なエネルギーを必要とすることを思えば、そのためにサバイバーがしばしば支払う代償にも驚きはしない。(p459)
他の大勢の医師が目を曇らされてたどり着けなかった真実を、ヴァン・デア・コークが見いだすことができ、トラウマ研究の第一人者と呼ばれるまでになったのは、決して偶然のことではありません。
彼は、あまたの医師たちとは違う、サバイバーたちにとって「本当に変わっている」医師、すなわちトラウマに覆い隠された「抗い難い恐怖の背後にいる」その人自身を見ようとしてくれる医師だったのです。
「身体はトラウマを記録する」
こうして、PTSDの患者たちとの信頼関係を築き、注意深く観察してきたヴァン・デア・コークでしたが、次第に奇妙な事実に気づくようになりました。
ちょうど、退役軍人たちの症状が統合失調症ではなくトラウマ記憶によるフラッシュバックであることを明らかにしたときと同じように、PTSDという診断がしっくりこない患者たちがいることに気づき始めたのです。
PTSDという診断は戦闘から戻った兵士や事故の犠牲者のために作られたのだが、トラウマを負った人には彼らとはまったく異なる人々がいることも、私たちの研究によって裏づけられた。
マリリンやキャシーのような人、さらにはハーマンと私が研究した患者や、第7章で説明した、マサチューセッツ・メンタルヘルスセンターの外来に来る子供たちは、必ずしも自分のトラウマ体験を記憶していない(PTSDの診断基準の一つ)か、あるいは少なくとも虐待の具体的な記憶で頭がいっぱいではないが、自分が依然として危険な状態にあるかのように振る舞い続ける。(p236)
さきほどヴァン・デア・コークに、認知的なフラッシュバックという貴重な教訓を教えてくれたキャシーをはじめ、一部の患者たちは、PTSDという診断に当てはまらない、何か別のトラウマを抱えていました。
その人たちは、「必ずしも自分のトラウマ体験を記憶していない」のに、「自分が依然として危険な状態にあるかのように振る舞い続ける」のです。何が起こっているのでしょうか。
そうした患者の一人、マリリンについて、ヴァン・デア・コークはこう回想します。
マリリンは、スポーツが得意な30代の女性でしたが、恋人といるときに緊張し、ぼうっとしてしまい、パニックを起こしてしまうという不可解な症状で診察室を訪れました。
過去について尋ねると、幸せな子供時代を「送ったに違いない」と思うとマリリンは答えたが、12歳になる前のことはほとんど思い出せなかった。(p206)
マリリンは、一見すると、トラウマ記憶を持っていないかのように見えました。彼女は「幸せな子供時代」を送ったとさえ述べました。
ところが、彼女に家族の絵を描いてもらったところ、何か悲惨なことがあったことを物語る、極めて不気味な絵を描きました。
これまで、ヴァン・デア・コークがおもに扱ってきた退役軍人のようなPTSD患者たちは、自分が経験した、あまりに凄惨で生々しい記憶の断片をはっきりと覚えていました。耳を傾けるセラピストが吐き気を催すほどの身の毛もよだつ記憶です。
しかし、マリリンやキャシーのような患者たちは、PTSD患者と似たような振る舞いをし、日常生活でさまざまな心身の苦痛を抱えているものの、原因となる出来事を説明できませんでした。
これは何を意味しているのでしょうか。ここが本書のテーマをなす部分です。本書のタイトルは、そう、身体はトラウマを記録するでした。
マリリンやキャシーの不可思議な症状が物語る結論はただひとつ、心はトラウマを覚えていないにもかかわらず、身体はトラウマを記録しているのではないか、ということでした。
ヴァン・デア・コークはマリリンの治療に慎重に対応することにしました。彼は、マリリンに、何かトラウマ経験を隠しているのではないか、と迫ったりはしませんでした。
詩人のW・H・オーデンが書いているとおり、
真実は、愛や眠りと同様、
あまりに激しく迫られると憤る。私はこれをオーデンの法則と呼んでおり、それを遵守して、覚えていることを語るようにマリリンに強いるのをあえて避けた。
実際、患者のトラウマの詳細を一つ残らず知るのは重要ではないことを、私はすでに学んでいた。
大切なのは、患者自身が自分の感じているものを感じ、知っていることを知るのに耐えられるようになることだ。それには何週間もかかる。何年もかかることさえある。(p206-208)
やがて、一年以上経ったころ、驚くべき展開がありました。セラピーのグループの仲間の性的被害の経験を聞いているさなか、マリリンは自分の問題の原因に気づいたのです。
彼女は話し始めた。
「今の話を聞いて、私自身も性的虐待を受けたかもしれないと思ったんです」。
私は思わず口をぽかんと開けていたに違いない。あの家族の絵から判断して、私は彼女が、少なくとも心のどこかで、自分が虐待されたことを自覚しているものとばかり思っていた。
彼女はマイケルに対して、近親姦の犠牲者のように反応したし、世の中は恐ろしい場所であるかのようにいつも振る舞っていた。
それなのに、性的虐待を受けている少女の絵を描いたにもかかわらず、彼女―少なくとも、彼女の認知的、言語的な自己―は、自分の身に実際には何が起こったのか、見当もつかなかったのだ。(p216)
マリリンの恋人に対する振る舞い、日常生活での行動、思考パターン、さまざまな身体症状はすべて、彼女の身体、つまり免疫系や筋肉や脳の恐怖系が、トラウマを記録していることを証拠づけるものでした。
しかし、身体は覚えているのに、マリリンの心、意識は過去に何があったのかを、その瞬間まで、まったく覚えていなかったのです。
この奇妙な症状こそ「解離」でした。ヴァン・デア・コークはこう述べます。
解離こそがトラウマの核心を成す。(p111)
解離とは、知っていると同時に知らずにいることを意味する。(p200)
解離―「知っていると同時に知らずにいること」
解離については、このブログで何度も詳しく扱ってきたので、詳しくはそちらの記事を見ていただければと思います。
マリリンやキャシーが、PTSDの退役軍人たちと、大きく異なっていたのは、この解離という脳の防衛反応が、トラウマ経験に対して巧妙に作用していたからでした。
ヴァン・デア・コークがこの本の中で説明するように、ライオンズ=ルースは、解離という特殊な防衛システムは、生後2年ほどの幼少期に学習されることを明らかにしました。のちの虐待やトラウマでは、解離の症状は説明できなかったのです。(p201)
マリリンは、退役軍人たちとは異なり、ごく幼いころに、解離という防衛機制を身に着けていたために、その後にトラウマ記憶を忘却し、何事もないかのように振る舞い、幸せな子供時代を送ったと思い込んでいたのです。
近年の愛着理論の研究によると、回避型と呼ばれる愛着スタイルが、解離傾向と関係していることがわかっています。回避型の大人は、幼少期について尋ねられると、ポジティブな表現で回想しますが、なぜか記憶が乏しく詳細を思い出せません。
またより解離傾向の強い無秩序型の愛着スタイルの人は、過去について尋ねられると、記憶が十分整理されていない混乱した様子を見せます。
この本の巻末の「さらなる参考文献」には、以前このブログで紹介した 身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価という本が含まれています。
その本では、さまざまな心身の症状を抱えながら、幸せな子供時代を送った、という偽りのポジティブ思考を習慣とする人たちについて触れられていました。
人への恐れや過剰に同調する対人関係パターン、さまざまな解離症状、失感情症のような感情の抑圧は、過去に何らかのトラウマ体験があったことを示唆していますが、何があったかという記憶そのものは意識されない場合があるのです。
いみじくも、愛着理論の生みの親、ジョン・ボウルビィは、「母親に話せないことは自分にも話せない」と述べたと言われています。(p381)
幼いころにトラウマを経験し、しかも安心して話せる人がいなかった場合、その記憶は自分に対してさえ語られることがありません。ただ身体だけがその記録をつけています。
人は幼いころに叔父に性的虐待を受けたという事実を自分に隠していたとしたら、嵐の中の動物のように、トリガーに反応しやすくなる。
「危険」を知らせるホルモンに対して、体全体で反応してしまうのだ。言葉と文脈がなければ、「私はおびえている」という自覚しかないかもしれない。
それでも、断固として主導権を握り続けようとしていると、トラウマをぼんやりとでも思い出させる人や物をすべて避けることになる可能性が高い。
また、感情をあらわにできずにいるかと思えば、怒りっぽくなったり、受け身でいるかと思えば激情に駆られたりしかねない―すべて理由もわからずに。(p381)
身体はトラウマを記録しているので、恐怖反応をみせたり、緊張してこわばったり、凍りついたり、パニックになったりしますが、心ではなぜそうなっているのか理由がわかりません。
解離とは「知っていると同時に知らずにいること」なのです。
抑圧された記憶は存在するのか
幼少期の記憶が抑圧されている、という概念は、しばしば攻撃の的となってきました。
わたしがこれまでに読んだ何冊もの有名な心理学者の本でも、抑圧されたトラウマなどというものは存在せず、空想によって作られた「虚偽記憶」である、という説明がなされていました。
その証拠として、実験室で、本来は存在さえしなかった記憶を意図的な植え込むことができたという研究や、本人が確信している記憶が、事実と照らし合わせるとまったくの筋違いだったという事例が挙げられていました。
中には性的虐待のかどで親を告発した女性の裁判で、事実を調べてみると、整合性がまったく取れないばかりか、どう考えてもありえない状況だった、という例もありました。
今日では、記憶は思い出すたびに改変され、正確性が失われていくということは、科学的な事実として認められています。
ヴァン・デア・コークも、その点には異論をさしはさんでいません。むしろ、記憶を作り変え、安心できる過去の記憶を新しく織りなすことは、トラウマを乗り越える精神療法の核となる部分です。(p316,513)
しかし、ヴァン・デア・コークは、思い出した記憶が改変されるという事実があるからといって、トラウマを経験した人たちの抑圧された記憶は存在しない作り話である、とみなすのは間違いだとはっきり述べています。
トラウマが忘れられ、何年ものちに再浮上するという証拠がたっぷりあるというのに、なぜ数か国の100人近い名高い記憶の科学者が、「抑圧された記憶」は「似非科学」に基づいていると主張して、シャンリー神父の有罪判決を覆すための上訴に自分の威信をかけたのだろう。
トラウマ体験の記憶喪失と遅延想起は研究室で実証されていないので、認知科学者のなかには、そのような現象が存在することや、想起したトラウマ記憶が正確でありうることを断固否定した人がいる。
とはいえ、医師が救急処置室や精神科の病棟、戦場で出合うものは、科学者が安全で整理整頓が行き届いた研究室で観察するものとは、必然的にまったく異なる。(p317)
ヴァン・デア・コークが述べるように、そもそも現実の身の毛もよだつようなトラウマ経験と、実験室で植え付けられるような恐怖記憶とには比較にならないほどの違いがあります。
わたしたちの脳には二重の記憶システムがあり、通常の意識的な記憶とは別に、フラッシュバックなどでよみがえる未加工の記憶が存在していることは、脳神経科医オリヴァー・サックスも、火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者の記憶の画家フランコ・マニャーニについての文脈で指摘しています。
「トラウマを研究したければ、実際にトラウマを負った人の記憶を研究はなければならない」のです。(p318)
実際に、リンダー・マイヤー・ウィリアムズによる追跡研究によれば、性的虐待を受けて10-12歳のときに病院を受診した少女たち136人を、17年後に探し出して記憶を確かめたところ、38%もの人が医療記録に残っている虐待を覚えていませんでした。
そのうち16パーセントは、過去に忘れていた記憶をのちに思い出しましたが、蘇った記憶は一度も失われなかった記憶と同じほど正確でした。
一方で、虐待の中心的事実についての記憶は全員が正確でしたが、カルテの記録と詳細まで一致している人は一人もいませんでした。(p316)
この研究が示すとおり、記憶が解離によって抑圧されることは、実験室では再現できなくても、幼少期に解離傾向を身に着けた人たちには現実に起こりうることです。
確かに記憶の詳細は、思い出すたびに改変されていきますし、抑圧された記憶の断片は、一貫したストーリーをなしていないこともあります。、それらはいずれも、裁判所で求められるような正確な陳述には適していません。
しかし、だからといって何事もなかった作り話だということにはならず、トラウマ記憶の痕跡は、何かしらの原因があったからこそ、はっきりと身体に刻み込まれた現実の出来事の証拠です。
トラウマを負った人々は、記憶が極度に乏しいと同時にあまりに多過ぎる。イレーヌは母親の死の記憶をいっさい持っていなかった。つまり、彼女は何が起こったかを語れなかった。
だがその一方で、母親が死んだときの出来事を、体を使って表現せずにはいられなかった。(p296)
幼少期に身に着けた解離によってトラウマ記憶の全体、あるいは詳細を忘れてしまっている人の場合、最も信頼できる証人は、意識にのぼる記憶ではなく、身体が記録しているトラウマの痕跡である、ということができます。
「発達性トラウマ障害」―たどりついた真実
たとえ、意識がトラウマの記憶を解離させ、何事もなかったかのように思わせ、心を守っているとしても、身体はトラウマを記録しているという発見は、ヴァン・デア・コークたちの研究を、新たな道へと導きます。
まず、1994年には、通常のPTSDとは異なり、幼少期の慢性的なトラウマ体験による、いわば「心の複雑骨折」とも言うべき、「複雑性PTSD」という概念を提唱しました。(p238)
その後、疾病管理予防センターによって、ロバート・アンダとヴィンセント・フェリッティを共同責任者とする、25000人もの患者を対処とした逆境的児童期体験研究(ACE研究)が実施されます。
この研究では、児童期・少年期のトラウマ経験と、成人後の健康状態の関連性が、かつてないほど大規模に調査されました。
その結果、幼少期のトラウマ経験の影響は、まず学校で明らかになること、ついでトラウマ体験は時を経るうちに覆い隠されてしまい、成人後にさまざな不適応や薬剤抵抗性の慢性的な うつ症状、ガンやさまざまな身体疾患となって現れることが明らかになりました。(p242-244)
人が目にするもの、目に見える主症状は、本当の問題の目印にすぎないことが多い。
本当の問題は、時間の中に埋もれ、患者の羞恥心や秘密主義、そしてときには記憶喪失―さらには、頻繁に臨床家の不快感―によって、隠されている。(p246)
その後、2001年に国立子供トラウマティック・ネットワークが設立され、ヴァン・デア・コークらも同様の研究に着手しましたが、その結果は、ACE研究と見事に一致していました。
トラウマを負い、国立子供トラウマティックストレス・ネットワークで診療を受けた子供の82パーセントは、PTSDの診断基準を満たさない。
…これらの子供はじつに多くの問題を抱えているため、時を経るうちに多数の診断を受ける羽目になる。
多くの患者は20歳になるころには、りっぱではあるが無意味なレッテルを、四つも、五つも、六つも、ことによってはそれ以上も貼られている。
仮に治療を受けることがあれば、それは薬物療法や行動変容、曝露療法といった、たまたまそのとき流行の管理手法と宣伝されているものが施される。
だが、効果があることは稀で、害のほうが大きいことがしばしばある。(p262-263)
ヴァン・デア・コークが、マリリンやキャシーといった患者たちを通して感じていたとおり、幼少期にトラウマを経験した子どもたちは、PTSDの診断をほとんど満たしませんでした。
その代わりに、極めて異常なことに、まだ10代のうちから、心身に重大に問題を抱え、さまざまな病名というレッテルをいくつも貼られ、無意味な治療を施されていました。
ADHDや双極性障害、さらにはうつ病や境界性パーソナリティ障害など、ありとあらゆる病名をつけられてはいますが、その根本原因、すなわち解離されているトラウマ経験には気づかれず、医療の泥沼に放置されていたのです。
彼らはまた、精神疾患だけではなく、慢性疼痛をはじめ、さまざまな原因不明の身体症状を訴えていることも少なくありませんでした。
長期にわたって怒ったりおびえたりしていると、筋肉が常に緊張状態になるために、いずれ痙攣や背中の痛み、偏頭痛、線維筋痛症といった何らかの慢性疼痛の症状が出る。
そうした人々は、さまざまな専門家に診てもらい、多様な診断検査を受け、多くの薬を処方されるかもしれない。
それによって一時的に苦しみから解放されることもあるのだろうが、どれも根底にある問題は正してくれない。
診断によって患者の問題が規定されてしまい、それがトラウマに対処しようとする彼らの試みの表れなのだと認識されることはない。(p439)
幼少期にトラウマを抱えた人たちが、さまざまな精神疾患だけでなく、身体症状にも見舞われていたのは、意外なことではありません。
彼らは、解離によって、激しく興奮する脳のトラウマ記憶を押さえ込み、「自分自身と闘っている状態」にあったからです。
人は秘密を守って情報を伏せておくかぎり、基本的に自分自身と闘っている状態にある。
自分の核心にある感情を隠すには厖大なエネルギーが必要なので、やり甲斐のある目標を追い求めるためのモチベーションは体にあふれ続け、頭痛や筋肉痛になったり、便通や性機能に問題を生じたりする。(p382)
幼少期の慢性的なトラウマを経験したサバイバーたちは、「自己から隠れることを学ぶ」ことで、感覚を麻痺させるのが得意になっていきます。(p162)
はじめはストレスホルモンであるコルチゾールの高値を示しますが、次第にコルチゾール値が下がっていくこともわかっています。体が慢性的なトラウマに順応し、麻痺していくのです。(p121,271)
ヴァン・デア・コークは、この異常な症状を、ただの一言で説明しうる概念を提唱します。それこそが、2000人近い子供のデーターベースをもとにまとめあげた「発達性トラウマ障害」、すなわち問題の本質に迫り、本当の治療へと導く単一の診断名でした。(p263-264)
この「発達性トラウマ障害」(DTD)の詳細な特徴やメカニズムについては、すでに紹介したとおり、以前の記事でまとめています。
「ほとんどの研究は自分探しだ」
ヴァン・デア・コークが多種多様な診断名というレッテルという惑わされず、多くの患者を苦しめていた問題の本質、本人たちでさえ気づいていなかった原因を明らかにできたのはどうしてでしょうか。
多くの医者が心を通わせるのに失敗し、落胆させてきたトラウマサバイバーたちと信頼関係を築き、診断名に覆われていない本当の人となりを観察できたのはどうしてでしょうか。
ヴァン・デア・コークは、自身について多くを語ろうとはせず、いずれも控えめな表現にとどめていますが、この本のところどころで語られる言葉の端々からは、彼自身もまた幼少期の逆境と闘ってきたサバイバーであるように思えます。
冒頭で書いたように、ヴァン・デア・コークは、退役軍人クリニックで最初のベトナム帰還兵のトムを診察したとき、トラウマ研究の分野に進むことを決めましたが、そこには自身の過去の経験も手伝っていました。
トムの話に耳を傾けているうちに、私は思った。叔父と父は、悪夢やフラッシュバックを経験したのだろうか。
あの二人も、愛する人々から切り離された気がしていて、人生に真の喜びを見出だせなかったのだろうか。
私の頭の片隅には、おびえた―そして、しばしば私をおびえさせた―母親の記憶もあったに違いない。母自身、子供時代にトラウマを経験しており、ときおりそれをほのめかすことがあったし、今考えると、頻繁にその体験が再現されていたのだろう。
母に小さかったころのことを尋ねると、きまって気を失い、そのあと、なぜこんなに動揺させるのかと責めるので、私はおろおろした。(p22-23)
彼は、解離によって記憶を言葉にすることができない人たちが、自分の過去と向き合い、何が起こったのかを理解し、言葉で表現できるようになることを助けてきましたが、そこでもまた、自分自身の経験が、感情移入する助けになりました。
名前をつけることは、また別のかたちで制御する可能性を与えてくれる。『創世記』でアダムが動物界の管理を任されたときに最初にしたのは、すべての生き物に名前をつけることだった。
人は傷つけられたことがあったなら、自分に起こった出来事を認めて、それに名前をつけなければならない。私は自分の経験から、それがわかる。(p381)
また、彼自身、解離症状やフラッシュバックといった、トラウマ患者を苦しめている症状そのものを経験することがありました。
私は、帰還兵がヴェトナムで子供を殺したことについて語るのを、初めて聞いたときのことを覚えている。
そのとき私は、鮮明なフラッシュバックを経験した。
それは七歳くらいのころに、隣家の子がナチスの兵士に敬意を示さなかったために、私たちの家の前で殴り殺されたことを、父から聞かされたときのものだった。
帰還兵の告白に対する自分の反応に耐えられなかったので、私はそのセッションを中止せざるをえなかった。(p401)
ある晩、強盗に襲われたときには、解離性障害や児童虐待の被害者がしばしば経験する体外離脱も経験しました。
私はある晩遅く、自宅近くの公園で強盗に襲われた。
そのとき私はその場の上方に漂い、頭に小さな傷を負って雪の中に倒れている自分を眺めていた。その自分を、ナイフを手にした三人のティーンエイジャーが取り巻いている。
私は両手に負った刺し傷の痛みを解離させ、少しも恐れを感じずに、空にされた財布を返してもらおうと、冷静に交渉していた。
私がPTSDを発症しなかったのは、一つには、他者を対象にそれまで注意深く研究してきた経験をすることに、強烈な興味を掻き立てられていたからであり、また、強盗たちの似顔絵を描いて警察に見せられるだろうという思い違いをしていたからでもある。(p167-168)
以前このブログでも取り上げた研究では、外傷体験のときに完全に解離するのではなく、部分的に解離して身動きが取れないという恐怖を経験することが、PTSDを発症してしまう原因ではないかとされていました。
しかし、ヴァン・デア・コークが経験した体外離脱は、いわば完全な解離であり、解離している間、恐怖はひとかけらもなく、他人事のように冷静に状況を観察していました。それがPTSDを発症しなかった一因なのかもしれません。
すでに見たとおり、ヴァン・デア・コーク自身、解離という能力は幼少期に学習されるものだと述べていることからすると、彼もまた何かしらの過去の遺産を背負っていることをうかがわせます。
PTSD患者の心拍変動の異常を見つけたとき、自身の心拍変動にも問題があることを認めたとも述べています。(p442)
これらのことを踏まえた上で、彼が述べるこの言葉を読むと、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法という本全体、また発達性トラウマ障害についての先進的な研究が深い意味合いを帯びてくるように思えます。
科学者というのは、自分が最も不思議に思うことを研究するものなので、他の人々が当たり前と思って気にもかけないテーマの専門家となる
(あるいは、愛着研究者のベアトリス・ビービーがかつて私に言ったように、「ほとんどの研究は自分探しだ」(p180)
ヴァン・デア・コークは、この本でそれほど自分のことを吐露していないように見えますが、あるいはこの本全体が、専門書のかたちを借りた、彼の自伝ともいうべきものなのかもしれません。
「現在をしっかりと思う存分生きる」のを助ける
この本のすばらしいところは、単なる学問的な論議ではなく、現実の症例に基づいて組み立ててられていること、最新の脳科学の裏づけを得ていること、そして何より、患者を本当の回復へと導くための手法について、実践的で踏み込んだ探究がなされていることです。
ヴァン・デア・コークは、患者との関わりを通して、自分の仕事は、緊急手術の外科医のように、ただ患者の心の中からトラウマという異物を取り除くといったものではない、ということを学びました。
発達性トラウマを抱えた人たちは、トラウマという異物を体の中に抱えたまま長年生きてきたために、それが当たり前になっていて、感覚が麻痺してしまい、「現在をしっかりと思う存分生きる」ことができなくなっているからです。
トラウマ性ストレスへの治療の取り組みの多くは、患者を過去に対して脱感作することに的を絞っている。
トラウマ体験に再びさらされれば、情動の突発的なほとばしりやフラッシュバックが減ることを期待してのことだ。
だが私は、これはトラウマ性ストレスにおいて起こることの誤解に基づいていると考えている。
私たちは何よりもまず、患者が現在をしっかりと思う存分生きるのを助けなくてはならない。
そのためには、トラウマ体験に圧倒されたときに患者を見放した脳の組織が働きを取り戻すように支援する必要がある。
脱感作によって過敏な反応は減るかもしれないが、散歩をしたり、食事を作ったり、子供たちと遊んだりといった、日常のごく当たり前のことに満足を感じられなければ、人生に置き去りにされてしまうからだ。(p122)
異常な環境に順応して、感覚が麻痺しているサバイバーたちが何より苦労するのは、トラウマ記憶の脅威に対処することではなく、ごく普通の日常生活に順応することなのです。
患者に負担が少ない治療法を探る
ヴァン・デア・コークは、この本の中で、曝露療法や認知行動療法といった、現在広くPTSDや精神疾患の治療で用いられている手法が、十分な効果を得られていないばかりか、有害な副作用もあったという研究データを紹介しています。(p321,361,362,422)
愛着障害の専門家の岡田尊司先生も、回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)の中で、認知療法の限界を認め、それに代わる手法としてマインドフルネスを紹介していました。
長年うつや不安症状を繰り返しているような人ほど、不安定な愛着や自己否定、対人不信を抱えている。
こうした人に、通常の認知療法を施すと、「自分の考え方はやっぱり偏っている」「自分はダメな人間だ」「自分の認知はおかしい」というぐあいに、ますます否定的に受け止め、治療を続けること自体が苦痛になって、途中でやめてしまうということも多いのである。(p200)
その理由は、マリリンが述べたとおりのこと、つまり、トラウマの影響で認知の歪みが生じているとき、理性ではわかっているにもかかわらず思考や行動を制御できないという矛盾が、トラウマ患者たちの苦痛の本質をなしているからでした。
ヴァン・デア・コークは、主流とされている治療法でなくても、患者の助けになるものであれば、進んで取り組み、その効果を厳密な対照実験や最新の脳画像研究などで立証するよう努めてきました。
トラウマには、これぞという「選り抜きの治療法」はないし、自分の手法が患者の問題に対する唯一の答えだと考えているセラピストは、患者を本当に回復させることに関心を持っているのではなく、特定の観念を信奉しているだけである疑いがある。
有効な治療法のいっさいに精通しているセラピストなどいるはずがないのだから、自分が提供するものではない選択肢を患者が探ることをセラピストは許容すべきだ。
また、患者から学ぶ態度も持ち合わせていなければならない。性別や人種や経歴は関係ない。それらが重要になるのは、安全で理解されていると患者に感じさせる妨げとなるときだけだ。(p347)
たとえば、医師やカウンセラーに対して心を開くことが難しく、自分の内面を吐露できず上辺だけの話にとどまってしまう場合、曝露療法などで無理に話させることは患者の苦痛を増し加えるだけです。
それよりも、だれにも見せない自分自身への手紙を書いたり、自分へのメッセージをテープレコーダーに吹き込んだりすることによって、心理的ストレスのみならず、自律神経系や免疫系の機能をさえ改善できることが実証されています。(p395)
また、フランシーン・シャピロが考案したEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)は、セラピストの指にそって目を左右に動かすという奇妙なもので、ヴァン・デア・コーク自身も、はじめは「精神医学を繰り返し見舞ってきた疫病の一つのようなもの」とみなしていました。(p412)
しかし、その目覚ましい効果を聞かされ、患者への負担が少ないことを見て取るや、率先して研究に取り組み、EMDRがブロザックによる薬物療法やプラセボよりもはるかに効果が高いことを実証しました。
さらにEMDRがレム睡眠のメカニズムと関係しているという研究から、PTSDのトラウマ記憶は、記憶を整理する睡眠の異常からくることに気づきました。(p429)
いつも治療の主役は患者
既存の治療法で効果のでない患者に直面したとき、医師たちは、患者に治療に取り組む意志がないとか、たまたま例外的な患者だとかみなして理由づけすることがあります。
しかし、トラウマ研究は、なぜある患者にはその治療法が効果がないのか、どうすれば治療から脱落してしまう患者をサポートできるのか、といった理解を深めることによって前進してきました。
ここまで見てきたように、自分のトラウマ記憶にさえ気づいておらず、言葉によって記憶を整理できない患者たち、すなわち、身体がトラウマを記録している状態の患者たちにとって、言語を用いた治療には限界があります。
こんなコメディが頭に浮かぶ。怒りの管理(アンガー・マネジメント)プログラムに七度も参加した人が、自分の習った技法を絶賛する。
「見事といったらない。素晴らしい効き目がある―本当に頭にきていないかぎりは」(p108)
そうした患者たちに対し、ヴァン・デア・コークは、マインドフルネスや、ニューロフィードバック、ヨーガによる治療が効果を上げることを、具体的なデータによって実証しています。自分が患者の立場になってそれらを実践してみることもあります。
これまでの医学の枠を超えた症状に悩む患者を助けるためには、やはりこれまでの常識の枠に当てはまらない治療法が必要とされる場合もあります。
解離性同一性障害(DID)をはじめとする、心のなかのさまざまな部分がバラバラになってしまった人のためには、心身の統合を取り戻す技法として、リチャード・シュウォーツによる内的家族システム療法(IFS)という特殊な手段も導入しました。(第17章)
またジュディスとハーマンによる研究で、内面に穴が空いたような虚しさを抱えている人たちに対して、従来の精神療法があまり役に立たないことがわかったときには、心の中の地図を再構成するPBSP療法を取り入れました。(第18章)
活路は意外なところからも見出されます。ヴァン・デア・コークの息子のニックは、学生のころに慢性疲労症候群になりましたが、演劇に取り組むことで回復したといいます。
私の知る科学者には、自分の子供の健康問題がきっかけで、心や脳のセラピーの捉え方を改めるようになった人が多くいる。
私自身も、息子が原因不明の病気(他にふさわしい名前がないので、「慢性疲労症候群」と呼ばれている)から回復したことで、演劇による治療の可能性を確信した。(p551)
単に演劇が治療に役立ったというと、仲間ができたことや、没頭できる時間を持てたことが、生きる意味や、やる気を取り戻させたのではないか、という短絡的な見方がされそうですが、ヴァン・デア・コークはそうは考えません。
主体感覚、つまり自分がどのくらい主導権を握っているのかという感覚は、自分と体やそのリズムとの関係で決まる。
覚醒や睡眠、あるいは食べ方、座り方、歩き方といった日々の輪郭を定める。
自分自身の声を見つけるためには、体の中にいる必要がある。深呼吸ができて、内部感覚がつかめる状態だ。
これは解離、つまり「体の外」に出て自分自身を消し去るのとは逆の状態だ。(p552-663)
慢性疲労症候群もまた、心身両面の機能が絡み合った病態です。ヴァン・デアコークは演劇のなかに脳・心・体のつながりの破綻、すなわち解離を治療する要素があることを見て取り、それ以降、発達性トラウマ障害の子どもたちの臨床に応用しています。
これらいずれの治療法にも共通しているのは、治療法に患者を合わせるのではなく、患者のニーズに治療法のほうを合わせ、これまでの治療法では脱落してしまう患者をいかにすれば回復させられるのか、試行錯誤した結果であるということです。
最も優れた教科書は患者自身である、という恩師の教えに従ってきたヴァン・デア・コークにとって、いつも治療の主役は患者であり、自分はそのサポートをしているにすぎないのです。
ジョーンが自分の窮状や苦痛に対処できるようになるためには、彼女自身の強さと自己愛の力を借りて、自ら立ち直っていけるよう仕向けなくてはならなかった。
これはすなわち、彼女のなかに眠る多くの資源に意識を集中することを意味した。
そして私は、子供のころに彼女が受けられなかった愛情や優しさを自分が与えることはできないのだと肝に命じておく必要があった。
セラピスト、教師、あるいは助言者として、幼いころの窮乏の穴を埋めてやろうとしても、自分が不適切なときに不適切な場所に現れた不適切な人物であるという事実を思い知らされるだけだ。(p473)
「どの人生も…一つの芸術作品である」
ここ日本では、この本で紹介されているような治療法をすべて受けられるわけではありません。ニューロフィードバックのような手法はほとんど行われていませんし、EMDRや自我状態療法も、一部施設に限られています。
それでも、この本で紹介されている技法の中には、マインドフルネスや自分に手紙を書くことなど、すぐに実践できるものもあります。専門的な治療法であっても、説明を読めば、ある程度そのエッセンスを日常生活に取り入れることのできるものもあります。
この記事では、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の全体像を、ヴァン・デア・コーク博士の人となりを明らかにしながら、なんとかしてまとめようと腐心しましたが、到底この本の魅力を伝えきれたとは思えません。
わたしのブログで扱ってきた多様な話題に興味を持っていただけた方であれば、ぜひご自身の手にとって読むことをお勧めしたいと思います。
読みごたえのあるページ数や、生々しい表現は、読むのに労力とエネルギーを要するかもしれません。しかし、この本を読むことそのものが、一種のセラピーのようにして、自分の過去と向き合う助けにもなります。
わたし自身は、この本が昨年10月に届いてからというもの、激烈なエピソードに心なしか動揺しながらも少しずつ読み進め、この数ヶ月間、少しずつ さまざまな過去記事に理解を追記してきました。
読み進めるなか、友田先生の共同研究者であるマーチン・H・タイチャー、愛着理論の生みの親であるジョン・ボウルビィ、ポジティブ心理学の生みの親であり、学習性無力感を発見したマーティン・セリグマン、分離脳研究のマイケル・ガザニガのエピソードなども出てきて、わたしがこれまでこのブログで調べてきた様々な話題とのつながりを感じました。
慢性疲労症候群や線維筋痛症とのつながりも示唆されてきますし、今しがた見たとおり、ヴァン・デア・コーク先生の息子が小児慢性疲労症候群だったという話など、わたし自身がずっと追ってきた話題と驚くほどリンクしていて、内容の深さに圧倒されました。
巻末の杉山登志郎先生の「解説の試み」では、先生がこの本を読んだ感想について、こう書かれていました。
臨床の中で疑問を感じつつそのままになっていた問題や、断片的な理解のままになっていた問題のほぼすべてに明確な答えを与えられ、視野が何倍にも広がったような体験をした。
わたしも、専門家ではない身とはいえ、まったくの同感です。
何より、この本には、著者であるベッセル・ヴァン・デア・コークの真実を見つめる情熱や、苦難を乗り越える人間の強さに対する、燃えるような確信がこもっています。
私は徐々に気づくようになった。トラウマを癒やす仕事を可能にしているものは一つしかない。
それは畏敬の念だ。
患者が虐待に耐え、それから回復への道のりにはつきものの魂の闇夜にも耐えることを可能にした、生存へのひたむきな努力に対する畏敬の念なのだ。(p225)
その情熱は、ヴァン・デア・コーク自身が語るところによると、フロイトと同時代に活躍し、「解離」という概念を生み出した精神科医ピエール・ジャネから受け継いだものだそうです。
ジャネは厖大な時間をかけて患者たちと言葉を交わし、彼らの心の中で何が起こっているのかを突き止めようとした。
…ジャネは何よりもまず患者の治療を目的とする臨床家だった。
だからこそ私は彼の症例報告を詳しく研究し、彼は私の大切な師の一人となったのだ。(p294-295)
ジャネは、自分の理論の枠組みに患者を当てはめようとするのではなく、患者一人ひとりを理解しようと言葉を交わし、何よりもまず患者を治療することを目的として研究しました。
ジャネは、患者たちがどれほど損なわれ、踏みにじられているように見えても、症状の奥に見える、その人の強さや美しさに目を留めました。
私は卓越したフランスの精神科医ピエール・ジ'ャネの、「どの人生も、利用可能な手段のいっさいによってまとめ上げられた、一つの芸術作品である」という言葉が大好きだ。(p182)
この本を通して、ジャネが提唱し、創始した「解離」についての研究を、ヴァン・デア・コークが、文字通りの意味でも、精神的な意味でも受け継ぐ後継者となって、新たな段階へと押し上げたのを感じます。
この記事を締めくくるにあたり、ヴァン・デア・コーク博士の感慨がこもった 次の言葉を引用するのはなんともふさわしいことです。
トラウマのサバイバーたちが、耐え難い逆境を乗り越え、「一つの芸術作品」としての人生を取り戻すのを見守り支えてきた彼だからこそ言える言葉でしょう。
私がこれほど長くこの仕事を続けてこられたのは、人間の喜びや創造性、意義、つながりといった、人生を生きる甲斐のあるものにしているいっさいの要素の源を探るように、この仕事に駆り立てられたからだ。
患者の多くが耐えたものに、自分ならどう対処していたかは、想像の糸口さえ見つからない。
だが、彼らの症状は彼らの強みでもあると私は見ている。それは、彼らが生き延びるために学んだ方策なのだ。
そして彼らの多くは、あれほどの苦しみを抱えているにもかかわらが、やがて愛情深い伴侶や親、模範的な教師や看護師、科学者、芸術家になった。(p597)