「病院の点滴スタンドの上に小人さんが見えるのよ」。
そんなことを言われたら、この人は冗談を言っているのだろうか? と頭をひねってしまうのが普通かもしれません。人によっては気は確かなのだろうか、と思うこともあるでしょう。
しかし、わたしの場合は違いました。そう話してくれている人が、とても頭脳明晰なおばあちゃんで、大半の若い人たちよりも頭の回転が鋭く、とても理知的なのを知っていたからです。
話を聞いてみると、その人は目の病気のために視野が欠けていて、その欠けた部分を補うかのように、妖精や小人のような不可思議な幻が見えるのだということでした。
当人は、もちろん見えているものが幻であることを知っていました。その幻はとてもリアルで本物のように動くのですが、そんなものは現実にはいないと知っているし、あまりに場違いなので、幻覚だとはっきりわかるようでした。
この不思議なエピソードは、ずっとわたしの記憶に刻まれていたのですが、数年前、たまたま稀で特異な精神症候群ないし状態像という本を読んでいるとき、まさしくこれだ、という記述を見つけて驚きました。
それはシャルル・ボネ症候群(Charles Bonnet Syndrome:CBS)。
目の病気で視野が歪んだり欠けたりする年配の人に現れる幻視で、異国風の楽しい幻覚が多く、それを見ている本人は至って冷静で、幻覚を幻覚だと認識している、とのことでした。
その後、アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語など別の幾つかの本にもシャルル・ボネ症候群の話が紹介されていて、この幻覚は決してまれなものではなく、視覚障害を持つ高齢者の少なくとも15%ほどは経験しているのだと知りました。
また、この幻覚は視覚障害のある高齢者のみならず、別の原因、たとえば大脳皮質の不具合などによっても起こることを知りました。つまり、目の病気がなくても、はたまた高齢者でなく若い人であっても、同じような幻覚を見る可能性があるのです。
そして、どうやらそのようなケースは、レビー小体型認知症(レビー小体病)や、幼児のイマジナリーコンパニオン、若者の解離性障害とみなされているのではないか、と考えるようになりました。
この記事ではシャルル・ボネ症候群の幻覚の特徴を調べるとともに、レビー小体病や解離性障害の幻覚との類似性を見てみたいと思います。
これはどんな本?
わたしが最初にシャルル・ボネ症候群(CBS)について知ったのは、前述のとおり稀で特異な精神症候群ないし状態像でした。この本はタイトルと裏腹に、「稀で特異な」症候群というよりは、本当は稀ではないのにあまり知られていない症候群についての論文が含まれています。
その後、脳神経学者オリヴァー・サックスの見てしまう人びと:幻覚の脳科学を読んだとき、のっけからCBSについてまる一章を割いて詳しく扱われていて、CBSのめくるめく幻覚の不思議な世界について理解を深めることができました。
このサックスの本では、彼の本より前に、オランダの心理学者ダウエ・ドラーイスマがCBSについての詳しい本を書いた、とされています。(p18)
その本とは、アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語のことで、こちらもまる一章を割いて、CBSの歴史や特徴について考察されています。
先に出版されたアルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語では確認されていないとされる症例が、見てしまう人びと:幻覚の脳科学のほうで報告されているなど、情報が補われているので両方読むと理解が深まります。
また意識と無意識のあいだ 「ぼんやり」したとき脳で起きていること (ブルーバックス)ではサックスの記述を踏襲する形でCBSの話題が少し出てきます。
興味深いのは、レビー小体病の当事者、樋口直美さんによる私の脳で起こったこと レビー小体型認知症からの復活で、サックスが記したCBSの幻覚に、ご自身の体験を重ね合わせる記述がありました。
ダウエ・ドラーイスマは、本を出版した時点ではCBSはほとんど知られておらず、論文は100に満たないと書いています。(p24)
しかし、CBSのような幻覚はまれではないことからすると、こうした論考が世に送り出されたことが呼び水となって、今までなかなか人に自分の体験を打ち明けられなかった当事者たちが声を挙げるようになり、次第に認知が広がっているように思います。
今回の話題は、以前の記事でも似たような範囲を取り扱いましたが、シャルル・ボネ症候群(CBS)を中心に据えて再考したものとなっています。
シャルル・ボネ症候群(CBS)の歴史
シャルル・ボネ症候群の歴史については、ダウエ・ドラーイスマのアルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語に詳しく書かれています。
この幻覚は昔からずっと存在していたと思われますが、それを学問的に研究するきっかけとなったのは、1759年、90歳近かった元判事のシャルル・リュランが、自分の体験を口述筆記したことでした。
リュランは、ほとんど視力がなくなってから、奇妙な青いハンカチのようなものが見えるようになりました。
しかし、リュランは老齢になっても頭脳明晰だったので、そのハンカチが実際に存在すると考えたことは一度もなく、目の問題と関わりがあるに違いないと確信していました。(p20)
しかし、ときにはハンカチどころか、もっと複雑な幻視が現れることもあり、そのときばかりはさしもの元判事も、幻覚のリアルさにだまされてしまいます。
八月のある日、孫娘がふたりやってきた。リュランは暖炉の前の肘掛け椅子にすわり、孫娘たちは彼の右側にすわった。
すると左のほうから、ふたりの若者があらわれた。彼らは赤とグレーの豪華なコートを着て、帽子には銀の縁取りがあった。
「ずいぶん立派な紳士たちをお連れしたんだね。どうしてあらかじめ教えてくれなかったんだい?」。
孫娘たちは、ここには誰もいませんよと答えた。ハンカチと同じく、紳士たちはじきに消えた。(p20)
もちろんリュランは、突然、見当識障害に陥ったわけではありません、あまりに幻覚がリアルすぎて、指摘されるまで本物と見分けがつかなかったのです。リュランは頭脳明晰だったので、指摘されれば、いくらリアルでも幻覚だと理解できました。
そんな経験を繰り返し経験し、あまりに幻覚が多様なことに驚いたリュランは、あるとき博物学者であった孫の熱心な勧めに促されて、自分の体験を生き生きと詳細に18ページも口述筆記し、5人の立会人に署名させました。(p22)
このシャルル・リュランの孫にして博物学者、のちには心理学者としても活躍した先見の明ある人物こそ、シャルル・ボネ、つまりシャルル・ボネ症候群の名前の由来となった人物でした。
名付け親はド・モルシエ
ではシャルル・ボネが、シャルル・ボネ症候群という名前をこの幻覚に付したのかというと、そうではないようです。
シャルル・ボネは、1760年の著書「魂の働きに関する分析的研究」の中で、「ある老人」すなわち祖父シャルル・リュランの体験を紹介しました。さらに自身も晩年、祖父と同じような幻覚を見るようになりました。つまりシャルル・ボネはシャルル・ボネ症候群になりました。
しかしその体験について詳しく論じることもなくシャルル・ボネは亡くなり、くだんのシャルル・リュランのノートは、彼の死後、1900年ごろになってようやく発見されます。
そして1902年、心理学者・哲学者のフルールノワがリュランのノートをはじめて活字にし、雑誌「心理学の古文書」の創刊号の巻頭に載せて発表しました。(p24)
その後、さらに30年が経過して、1936年、ジュネーブの神経学者ド・モルシエが、「スイス医学週報」の中で、このような幻覚を「シャルル・ボネ症候群」(CBS)と命名したのでした。
興味深いのは、このときまで、リュランの幻覚は「病気」や「症状」とはみなされていなかった、という点です。
シャルル・リュランは、この幻覚を大いに楽しんでおり、見てしまう人びと:幻覚の脳科学によれば、たびたび幻覚を楽しむべく静かな自室をシアター代わりにくつろぐほどでした。
孫のシャルル・ボネもこれを心理学の話題として書き残していて、その後ジュネーブで発掘されたときも「心理学の古文書」として扱われました。
しかしド・モルシエがはじめてこれを「症候群」、つまり、何かしら病理学的な要素のある異常として定義したのでした。
この歴史を知っておくと、シャルル・ボネ症候群の幻像が、当事者を困惑させることもあれば、楽しませることさえあるという独特の性質、すなわち一概に病気とは言い切れない不思議な特徴をもっていることが理解しやすくなります。
シャルル・ボネ症候群(CBS)の特徴
幻覚というと、掴みどころのない摩訶不思議なものをイメージするものですが、シャルル・ボネ症候群の幻覚には、様々な点において似かよった特徴があるといいます。
客観的に意識できる幻視
CBSの人たちが見る幻視は、とても客観的な内容で、ちょうど傍観者として眺める映画のスクリーンのようなものです。
見てしまう人びと:幻覚の脳科学の中で、当事者の一人のロザリーは、こんな体験をしていました。
ロザリーによると、彼女の幻覚は夢というより「映画のよう」だという。
映画のように、心を奪われることもあれば、退屈なときもある(「例によって上ったり下りたりばかり、いつも東洋風の衣装ばかり」)。来ては去り、彼女には何の用もないように思われた。
無声の画像で、向こうは彼女に気づいていないようだ。異様に静かなことを除けば、その人たちはとてもリアルで、確実にそこにいるように見える。ただし映像のようにうすっぺらに見えることはある。
しかし、彼女はこのような経験をしたことがなかったので、「私は頭がおかしくなっているのかしら?」と考えずにはいられなかった。(p17)
CBSの幻視は、統合失調症の幻覚や、夢の中で見る奇妙な世界のように、自分が幻の世界に入り込んで、深く関わったりすることはほとんどありません。中立的な内容で、感情を掻き立てたり、妄想的にならせたりはしません。
「私は頭がおかしくなっているのかしら?」と考えるのは、冷静かつ客観的な証拠です。妄想的になっている人は、自分が正しいと信じ込んでいるので、そんな自己吟味はしません。
サックスは、CBSの人たちは、概して「物事を批評できる通常の目覚めた意識を保っている」といいます。
夢を見る人は自分の夢のなかに完全に入っていて、たいていは積極的にそこに参加するが、CBS患者は物事を批評できる通常の目覚めた意識を保っている。
CBSの幻覚は、外部空間に出現はするが、他との相互作用がないのが特徴である。つねに静かで中立的で、感情を伝えることも引き起こすこともない。
見えるだけで、音もにおいも触感もともなわない。たまたま入った映画館のスクリーンに映った映像のようによそよそしい。
その映画館は心のなかにあるのに、真に個人的な意味では、幻覚は本人とほとんどかかわりがないようだ。(p38)
CBSの幻覚は、あくまでも中立的で、感情を伝えることも引き起こすこともなく、本人とほとんど関わり合いにならない「たまたま入った映画館のスクリーンに映った映像」のようなものです。
アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語に載せられている老人専門精神科医ロベルト・チューニスの調査でも、CBSの当事者は、それはが幻だと理解していて、幻像は感情的に中性で生活の内容と無関係、さらには自分で幻像を呼び出せず、内容もコントロールできないといった特徴がありました。(p34-35)
幻覚は幻視だけ
今引用した記述にあったとおり、CBSの幻覚は幻視、つまり視覚性のものだけに限られているのが普通です。
「見えるだけで、音もにおいも触感もともなわない」幻像で、ロザリーが言っていたように「無声の画像」です。たまたま入った映画館でサイレント映画すが上映されているようなものだ、ということでしょう。
しかしながら、シャルル・ボネ症候群と同じような現象が、視覚のみならず、他の感覚でも起きることが報告されています。
アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語では、聴覚性の幻覚として「ボネ幻聴」とでも言うべきものが紹介されています。
触覚、味覚、嗅覚も老いや病によって鈍くなることがある。
しかしこれまで、視覚におけるボネの幻像に相当するような、触覚・味覚、嗅覚における幻覚に関する報告はない。
ただし聴覚に関する報告はある。そのいわば、「ボネ幻聴」とでも呼びうる現象は、聴覚を失いつつある人びとが経験する音楽の幻聴である。(p41)
ここでは、視覚を失いかけた人がシャルル・ボネの幻像を見るように、聴覚を失いかけた人が架空の音楽や声を聞く例が紹介されています。
ボネ幻聴のようなタイプも含め、聴覚性のさまざまな幻聴についてはサックスの別の本、音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々に詳しいので参照してください。
ダウエ・ドラーイスマは「視覚におけるボネの幻像に相当するような、触覚・味覚、嗅覚における幻覚に関する報告はない」と書いてはいますが、その後に出版されたオリヴァー・サックスの見てしまう人びと:幻覚の脳科学では、嗅覚などでも同様の例があると言及されています。(p66)
CBSとメカニズムが似ていると思われるレビー小体病の当事者、樋口直美さんも、私の脳で起こったこと レビー小体型認知症からの復活や以下の記事の中で幻臭の体験を語っています。(p151)
第2回 匂い、このうっとりするもの|かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
必ずしも他の感覚においてCBS的な幻覚が存在しないわけではなく、わたしたちは感覚の大部分を視覚や聴覚に依存しているために、その二つがとりわけ目立ちやすいだけなのかもしれません。
CBSでは、目の障害が直接の原因で幻覚が生じるので、ほとんど視覚性の幻覚に限られていますが、別の感覚が衰えればそれに対応する幻覚が現れます。
後で説明するように解離性障害などでは、同様のことが複数の感覚にまたがって現れている可能性があります。
摩訶不思議な幻視の内容
幻視の内容、つまりどんな幻視を見るかについては、極めて多種多様なので、一概にこれ、と言い切ることはできません。
しかし特徴的なのは、奇怪で恐ろしい幻視に悩まされることはほとんどないという点です。サックスは、大部分のCBSの幻覚は恐怖心を生じさせるものではなく、慣れてしまうとちょっと楽しくなるとさえ述べています。(p42)
幻視は、ごく普通の現実にありそうなものが見えることもあれば、いささか非現実的に改変されていることもあります。
たとえば、CBSの幻視は、異様に鮮やかだったり、異様に細かいディテールまで見えたりすることがあります。
CBSの幻覚はよく、まばゆいばかりの鮮烈な色がついているとか、人が目で見るよりはるかにディテールが細かくて豊かだと言い表される。
みな同じような服を着て同じような動きをしているというような、反復や増加が現れる傾向が強い。(p33)
また、シャルル・デュランや、先程のロザリーがそうだったように、ちょっとした異国情緒のある凝った幻像が見えることが多いようです。
理由はわかっていないが、この異国風を求める強い傾向はCBSの特徴であり、これが文化によって異なるかどうかを知りたいところだ。(p37)
サックスは他の文化の例を知りたいと述べていますが、わたしがCBSについて知ったおばあちゃんは、妖精や小人という、西洋風の幻視を見ていたようです。やはり文化が違っても、「異国風」という趣向は共通しているのでしょうか。
幻像は大きさが現実とは異なっていて、人間や物が奇妙なほど大きかったり、逆に小さかったりもするようです。これは「不思議の国のアリス症候群」と呼ばれる偏頭痛やてんかんに伴うことの多い幻視とよく似ています。
そのほか、マンガのようなデフォルメされた顔、幾何学的な図形などを見る場合もあり、CBSの幻像には特定の傾向はあっても、これこれはありえない、といった制限はないようです。(p33)
アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語によれば、自分自身の姿が見えるという幻視、つまり自己像幻視(オートスコピー)も見られる場合があります。(p24)
しかし、これらの幻視の注目すべき特徴として、たいていは、見知らぬ人や見知らぬ物が見えるという共通点があります。だからこそシャルル・デュランは、孫娘たちが見知らぬ紳士を連れてきたと感じましたし、CBSの幻視はスクリーンの映画のように他人行儀です。
サックスは、見てしまう人びと:幻覚の脳科学の中で、CBSの幻視は、具体的な記憶ではなく、もっと普遍的に分解された要素のようなものから構成されているのではないか、と考えています。
CBSでは、記憶が完全なかたちでそのまま幻覚にはならない。
CBSの患者が人や場所の幻覚を見るとき、認識できる人や場所であることはほとんどなくて、もっともらしいものやつくり上げられたものでしかない。
CBSの幻覚は、初期知覚系のどこか下位レベルに、イメージや部分的イメージのカテゴリー辞書があるような印象を与える。(p36)
これはつまり、CBSでは「富士山」(固有名詞)のような特定のものではなく、単に「山」(一般名詞)のような普遍的で特定できない幻視が見えやすいようです。
だれかが現れるとしても、ほとんどが適当にパーツを寄せ集めた特定できない見知らぬ顔であり、楽譜や文字が見えるテキスト幻覚でも、音符や文字を適当に寄せ集めただけの解読できないテキストであるようです。(p23-24)
気まぐれな現れ方をする幻視
奇妙なのは、幻視の現れ方です。視力が欠けることが原因だとすると、視力が衰えるにつれ、四六時中 幻視が見えていても不思議でないように思えますが、CBSの幻視は極めて気まぐれです。
アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語によれば、ひとつの幻視は1時間見えていたものもあれば、数秒で消えてしまうこともあります。(p35)
特に、静かなときに慣れ親しんでいる環境で現れやすいと言われていますが、リュランの幻視は眠っていようと目が覚めていようと、ベッドにいるときには一度も現れませんでした。(p21,35,39)
CBSが生じる期間としては、たいていは1年以内ですが、5年以上続くこともあります。(p34)
ダウエ・ドラーイスマは、CBSの幻視は「視力が低下しはじめたときに現われ、視力が完全に失われるときに消える」と書いています。(p40)
ところがオリヴァー・サックスが見てしまう人びと:幻覚の脳科学で記しているロザリーは、すでに失明して全盲になった女性でした。(p20)
ロザリーの幻視は、失明してから数年経って初めて現れただけでなく、その後一度消えて、ストレスのかかった時期に再度出現することもありました。
物事をよく考える人に多い
さらに不思議なのは、視力が低下した年配者ならだれもがCBSを経験しうるというわけではなく、CBSを経験する人にはいくらか共通する性格傾向があるということです。
すでに触れたアルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語に載せられている、1998年にオランダの老人専門精神科医ロベルト・チューニスが行なった14人の当事者へのインタビューでは、こんな傾向がありました。
彼の研究から浮かび上がる典型的な患者像は、かなり高齢で、視力をほとんど失っている、というものだ。
ほとんど字を読むことができず、比較的静かな環境で暮らしている。
独り暮らしで、外に出かけたり、知り合いに会ったりする意欲も気力もない。
来客はほとんどいない。静かに日々が過ぎていき、毎日特に何も起きない。
夕方になり、外界が暗くなっていき、かすかな眠気を催しはじめると、幻像があらわれる。
幻像によって心が乱されることはない。それが現実でないことを知っているからだ。幻像を消すこともできる。瞬きさえすれば、消えてしまうのだ。
だがこのことを他人には話さない。奇妙な現象であることは確かだから、他人から理性を失ったと思われたくないのだ。(p36)
この調査で明らかにされたのは、視力が弱いだけでなく、内向的で静かな一人暮らしをしている年配者に多い、という傾向でした。
自分の体験をあまり人に話さず、4分の3の人が配偶者にさえ打ち明けたことがなかった、という結果からは、シャルル・ボネ症候群がなぜ見過ごされてきたかがうかがえます。(p35)
つまり、CBSはもっとありふれた現象であるにもかかわらず、よく考える慎重な人たちが当事者に多いせいで、あえて口に出さない、あえてだれにも言わないことが多く、実際より数が少ないと誤認されてきたのでしょう。
ダウエ・ドラーイスマは、CBSは これまで信じられてきたよりかなり多く、眼科医クレインが1995年に診察した患者のうち38%に見られたと述べています。(p33)
サックスは、見てしまう人びと:幻覚の脳科学で最近の調査結果を参照して、CBSは知名度とは裏腹に、わりとありふれた現象である、という点を示しています。
CBSはいまだに医者にさえもあまり認識されていないので、かなり多くの症例が見落とされるか誤診されていることは大いに想像できるが、最近の研究はCBSが実はかなりよくあることを裏づけている。
オランダで視覚障害のある高齢者600人近くを研究しているロベルト・テウニッセらが、人、動物、光景のような複雑な幻覚を見ている人が15パーセントいて、像や光景にはなっていないが形、色、たまに模様が見える単純な幻覚を経験する人は80パーセントもいることを発見している。(p22)
この調査で明らかにされた典型例からすれば、CBSの幻覚は内向的で孤独な年配者に多いようにも見えますが、最も古いCBS当事者のシャルル・デュランは孤独な老人とは言いがたい快活な人でした。
わたしが親しくしていたおばあちゃんもやはり、とても孤独とは言いがたい人で、一人暮らしをしていたものの社交的で快活でした。両者に共通しているのは極めて内省的なよく考える人で、内的世界が年をとるごとに充実していたことです。
続く部分で考えますが、どうやらCBSを経験する人たちは、単に内向的、というよりは思考力を働かせてよく考える人たち、脳の活性レベルが高い人たちであるようです。
なぜ幻覚が生じるのか
CBSの幻覚は、視力の損なわれた人に現れるという特徴があるものの、すでに見たとおり気まぐれで、現れたり消えたりする傾向があるので、はっきりとしたメカニズムはわかっていません。
それでも、ダウエ・ドラーイスマが考えられる説としてあげているのは、「感覚遮断」と「解放」です。(p40)
感覚遮断と解放
「感覚遮断」とは、何かの感覚入力が失われたとき、その失われた穴を埋めるかのように、記憶から感覚が再生されるという、古くからある考え方です。
「夢」の認知心理学によると、たとえば夢も、眠って感覚遮断されている状態で内側から再生される記憶なので、感覚過敏による幻覚と同じようなものと言えなくもありません。
内的に活性化した脳波、睡眠を維持し、夢を持続させるために外界からの刺激を遮断する。(p14)
つまり、CBSは外部からの入力が乏しくなることで、内側が活性化した結果再生されるものだと考えることができます。
この感覚遮断による幻覚は、わりとよくある現象で、オリヴァー・サックスは見てしまう人びと:幻覚の脳科学の中で、狭い牢獄に閉じ込められた囚人や、ずっと同じ風景ばかり見るパイロットが幻視を見る現象を紹介しています。
また、緊急時に生じる臨死体験の幻覚は、感覚遮断による解離現象が密接に関わっていることを、ダウエ・ドラーイスマは別の著書なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学の中で説明しています。
全身の感覚をできるだけ遮断した状態に近づけてリラックスを促す感覚遮断タンク(アイソレーションタンク)を使うと、普通の人でも変性意識状態を体験できる場合があります。
「解放」説もこれと似たようなもので、より高次の活動が損なわれることで、それにより抑制されていた低次の活動が活性化するというものです。
たとえば、不思議な能力が現れる共感覚やサヴァン症候群は、通常は抑制されている脳の機能が何かの理由で解放されたものだと考えられています。CBSの幻視の場合は、視覚の衰退が能力の解放の引き金になるということでしょう。
いずれの場合も、共通していると思われるのは、脳の内的活動が活性化され、普段使われていない回路が解放されることです。
CBSは現れたり消えたりしますが、おそらくは脳のある部分の内的活動レベルの変動にそっているのでしょう。
視力が減退して数年ほどだけCBSが現れたり、全盲になるとCBSが消えたりするのは、視力が欠けたことで脳の内的活動が高まるのは一時的で、しだいにその状況に慣れて活性が落ち着くせいなのかもしれません。
ロザリーのように全盲になってからCBSが現れる理由はよくわかりませんが、彼女が二度目にCBSが現れた時期は強いストレスがかかっていたらしいので、やはり脳の活動が高ぶっていた可能性があります。
過剰な視覚連想
注目すべきことに、アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語によれば、脳のある部分が損なわれることで、CBSのような幻視が生じうることがわかっています。
視覚連想を司る大脳皮質に損傷を受けた患者が、ボネの幻像のようなものが見えるようになった。
早くも1931年には、V19と呼ばれる場所(視覚連想を司る大脳皮質の一部)に電気刺激を与えるとボネの幻像が生じることがわかっている。(p45)
ここで言われている部分は、もしかすると視覚連想をつかさどるというよりは、視覚連想を制御しているのかもしれません。
そうだとすると、歯止めが利かなくなったことで、いわば夢で見るような驚異的な視覚連想が解放されてしまい、それが幻覚のようにして視界に割り込んでくるのでしょうか。
CBSが過剰な視覚連想と関係しているらしいことは、アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語に載せられているこんな説明からも明らかです。
ホロヴィッツ医師は、視覚的幻覚は眼と脳の「交渉のプロセス」で生じるという。
…この論文にはボネの幻像への言及はないが、この脳と眼とのつながりは、その後頻繁に繰り返される。
シャルル・ボネ症候群は、眼から伝えられたひどく歪んだ情報を用いた、脳の過剰な自由連想の結果である、と。
…すなわち脳は、混沌と偶然とノイズを与えられたときでも、混沌の中に秩序を、偶然の中にパターンをノイズの中に信号を、認識するように作られた器官である、という見方だ。
脳はこう考える―無数の粒子が空中に浮遊しているはずはないのだから、眼が見ているものは鳩の群れに違いない、と。(p38)
ここでは「シャルル・ボネ症候群は、眼から伝えられたひどく歪んだ情報を用いた、脳の過剰な自由連想の結果である」とされています。
ロザリーのような全盲の人たちはともかくとして、視力がいくばくかでも残っているCBSの人たちの場合、なんとなく見えるぼんやりした形や、欠けている視野の一部を補うようにして幻像が構成されやすいようです。
つまり、CBSの幻覚は、何の脈絡もないものが見えているわけではなく、その場にある何らかのもの、あるいはその場に欠けているもの、わずかに見えている光景から連想しうるものが、自動的に補われているのではないか、ということです。
その一例として、ここではリュランが見た鳩の群れは、空気中に舞っていたホコリを脳が鳥の群れのようだと自動的に解釈した結果ではないかと推測されています。
それと似たような例をオリヴァー・サックスも見てしまう人びと:幻覚の脳科学で書いています。
あるとき彼女が私を見ていると、私のひげが広がって顔と頭全体を覆うまでになり、そのあとちゃんとした姿に戻った。(p29)
オリヴァー・サックスの立派な髭をたくわえた素顔を知っていると、つい笑ってしまうような話です。
ホコリを鳩に変え、サックスの顔をひげいっぱいにしてしまうCBSの視覚連想は、じつにユーモラスな詩人です。
このような視覚連想は、わたしたちにも生来備わっていて、「パレイドリア」と呼ばれています。
たとえば、空に浮かぶぼんやりとした形の雲が、色々なものに見えてきたり、ロールシャッハ・テストで使われるようなインクのシミが、何か意味あるものに見えてきたりする現象です。
なかでもごく普通の模様などから過剰に顔を検出してしまうような場合はシミュラクラ現象と呼ばれています。このときは脳の顔認識に関わる側頭葉の紡錘状回が過剰に活動しているようです。
あとで考えますが、このパレイドリアやシミュラクラ現象が過剰に働くことは、レビー小体病でも報告されていて、シャルル・ボネ症候群とレビー小体病の幻覚に何かしらのつながりがあることを思わせます。
高い脳の活動レベル
いずれにしても、こうした普段は抑制されている能力の解放や、過剰な視覚連想は、脳の活性の高さに関係しています。
CBSは、視力の欠けた、何かしらの視覚障害を抱える年配者に出現しやすいとはいえ、視覚障害そのものは、引き金であって決定要因ではないのでしょう。
先ほどのロベルト・テウニッセらの報告によれば、視覚障害を抱える年配者の中でも、複雑な幻覚(CBS)を見ている人が15パーセント、単純な幻覚を経験する人は80パーセントいる、とのことで、幻覚の複雑さや頻度に差がありました。
これは幻覚を引き起こすきっかけが視覚障害であることは確かなものの、その人の脳の内的な活動レベルの違いによって、幻覚の具体性や頻度が変わってくる、という意味かもしれません。
すなわち、CBSに見られる多種多様な幻視、内容の複雑さや異国情緒などは、あくまで、脳の内的活動が強い人が持つ豊かな想像力あってのものではないか、ということです。
それを裏付けるかのように、アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語によれば、先ほどのCBSの当事者14人にインタビューしたチューニスの調査に基づき、ダウエ・ドラーイスマはこう考えています。
チューニスの報告では外向的行動が少ないという事実から、脳の活性レベルとの関係が疑われる。外向的な人は内向的な人よりも脳の活性レベルが低いことは、昔から知られている。
ふつうに考えるとなんだか意外だが、広く流布している説明によれば、外向型の人はさらなる神経刺激を求めるために外向的なのである。
もっと簡単に言えば、内向的な人の脳は生まれつき活発であり、外向的な人は外的な刺激を必要とするということである。
この仮説に従えば、ボネの幻像は、脳の比較的高い活動レベルに慣れている内向型の人にあらわれ、極端な場合(視覚的刺激が多少とも消えるとき)、自分自身の蓄積―想像力、記憶、そして両者の結合―を使って幻像を生み出し、生まれつきの力を誇示するのだ。(p45)
彼の考察によれば、CBSの幻視は、活性レベルの高い脳が「生まれつきの力を誇示する」ようなものです。
もともと内向的、または内省的で、極めてよく考えるタイプの脳を持っている人たちが視覚障害に直面したとき、活発な脳はそれまでの人生で溜め込んだ情報のストックを活用して、豊かな幻視を再生するのかもしれません。
こうした生まれつき より深い思考力を持っている人たちは、もしかするとHSP(人いちばい敏感な人)と呼ばれる人たちに多いかもしれません。
HSPの人は、色々とスピリチュアルな現象(解離現象)を経験しやすいとも言われています。
CBSの名前ともなったシャルル・ボネは、祖父のエピソードをはじめて紹介した「魂の働きに関する分析的研究」の中で、人を生命を持たない石像にたとえました。
ただの石像にすぎない人にさまざまな感覚器官を与えたとき、外から入ってくる刺激によって死んだ石がひとつの人格に成長します。つまり、人という石像をある人格へと形作る鑿(のみ)は、感覚刺激だと言うわけです。(p26)
今日でも、それと同様の見方が存在していて、たとえば発達障害の人が、独特な脳へと発達していくのは、もともとの感覚刺激という鑿(のみ)が異なっているせいかもしれません。
たとえば自閉症の人たちが、人とのコミュニケーションを好まないのは、生まれつきの視覚過敏や聴覚過敏、触覚過敏のせいで、母親の顔を見つめたり、声を聞いたり、抱かれたりすることが快適ではないため、人を避けるようになっていく可能性があります。
HSPのような、感覚を深く感じ取り、強く解釈する人たちもまた、深い感覚刺激を感じるがゆえに、しばしば よく考え抜く人へと発達することがあります。
内省的で情報を咀嚼する力の強い人たちは、HSPとも関係している物事の違いを感じ取る力、「差次感受性」に秀でているようです。
差次感受性に秀でている人は、見聞きした情報、体験した物事を、人並み外れて深く考え、分析します。通常はひとまとまりになっている物事を細かい要素に細切れ(チャンキング)して考えるのが得意です。
この思考パターンは、もしかすると、CBSの幻視の特徴である、特定の記憶の再現ではなく、要素に細切れに分解された記憶が見知らぬ人や物の姿をとって再生されることと関連してるのかもしれません。
生まれつき感受性が強く、外からの刺激を深く処理する脳は、外部からの深い刺激がなくなったとき、自らのストックの中から複雑な幻視を再生して、「生まれつきの力を誇示」したいと思うとしても不思議ではありません。
HSPのような物事を深く感じ取る感受性の強さがある程度の遺伝性を持つことを考えると、頭脳明晰なシャルル・デュランの孫のシャルル・ボネが博物学者であり、二人とも晩年にCBSを経験したのは意外ではないのでしょう。
レビー小体病との類似点
こうしたCBSのメカニズムや特徴は、やはり幻視を特徴とする他のいくつかの現象との関連性をうかがわせます。
すでに見たとおり、CBSの幻視において、重要な役割を果たしているのは脳です。とすると、たしかに眼科疾患が引き金になることが多いにしても、眼科疾患がない場合でも、脳の強い視覚連想や幻視が呼び覚まされることはありうるはずです。
サックスは、見てしまう人びと:幻覚の脳科学でこう指摘しています。
視力が失われたり消えたりするときには、多種多様な、ありとあらゆる視覚障害が起こりうることは確かで、もともと「シャルル・ボネ症候群」という言葉は、眼病などの目の問題とのつながりで幻覚を起こす人たちに使われるものだった。
しかし、本質的に同じような数々の障害が、目そのものではなく、もっと高度な視覚系、とくに大脳皮質の視覚をつかさどる領域―脳の後頭葉とそこから側頭葉および頭頂葉に突き出た部分―に、損傷がある場合にも起こりえる。(p27)
何かしらの要因で、目そのものではなく、高度な視覚系、大脳皮質のほうに異常を来たし、CBSのような幻覚が見えてしまうのではないか、と考えられるものに、レビー小体型認知症(DLB)があります。
レビー小体型認知症は、「認知症」との名前がついてはいますが、病理学的にはパーキンソン病と同様のレビー小体によって生じる病気であり、必ずしも認知機能障害が伴うわけではないので、レビー小体病という呼び名のほうが適切かもしれません。
以前に紹介したように、レビー小体病の特徴の中には幻視が含まれています。必ず幻視が出るわけではありませんが、かなり特徴的な症状なので、レビー小体病を他の認知症や精神疾患と区別する手がかりになりえます。
このレビー小体病の幻視は、一見すると統合失調症の妄想や、認知症の見当識障害のようにも思われますが、実際にはCBSに近い現象であるようです。発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス)にはこう書かれています。
この逆の症状が、認知症の一種のレビー小体型認知症の患者だ。彼らは過度に顔に反応してしまうため、顔ではないのに顔に見えてしまうパレイドリア現象を引き起こす。
レビー小体型認知症の主な症状は、幻想や妄想が生じやすいことだ。ポケットの中に小人が見えたり、人がいないのにいると主張する。この幻覚の原因には、顔の見えすぎがあった。
顔を見出して、そこに人の姿を作り出すのだ。試しにごく普通の風景写真を見せてみると、トラやチョウの羽の模様、樹木の木目などに、次々と顔を見つけ出すことがわかっている。(p155)
ここでは「幻想や妄想が生じやすい」と書かれてはいますが、ここまでのCBSの事例を考えればわかるように、他者から見れば妄想に思えてしまう、というほうが近いでしょう。
見てしまう人びと:幻覚の脳科学によれば、CBSの幻視は、脳活動の観点からすれば、本物と区別がつかないそうです。それは、シャルル・ボネがかつて主張したとおりだと言います。
さらにフィッチェらは、通常の視覚的想像と実際の幻覚の差異も観察した。
たとえば、色つきの物体を想像しても視覚野のV4領域は活性化しなかったが、色つきの幻覚は活性化したのだ。
このような発見は、主観的にだけでなく生理学的にも、幻覚は想像とはちがうもので、知覚にかなり近いことを裏づけている。
ボネは1760年に幻覚について、「心は幻と現実を区別できないだろう」と書いている。フィッチェらの研究は、脳も両者を区別していないことを示している。(p35)
シャルル・デュランは妄想的ではありませんでしたが、孫娘たちが紳士を連れてきたと思いこんでしまった瞬間がありました。あまりにリアルに見えたからです。
また先ほどの全盲のCBS当事者ロザリーは、しばらくCBSが消えていた後、再度いきなり現れたとき、あまりにリアルだったので混乱してしまったといいます。
そのさなか、幻はロザリーにとってまさに現実に思えた。彼女は自分がシャルル・ボネ症候群であることを忘れかけていた。
「とても怖かったので、何度も叫んでしまいました。『この人たちを部屋から追い出して、門を開けて! 追い出して! そして門を閉めて!』」。
彼女は看護師がこう言うのを聞いた。「彼女は正気じゃないわ」。(p21)
もちろんロザリーは正気であり、見えているものがCBSの幻像だとわかったら、納得して落ち着きを取り戻すことができました。しかし、そのとっさの反応は、看護師からすれば、妄想にしか見えませんでした。
レビー小体病の当事者である樋口直美さんは、私の脳で起こったこと レビー小体型認知症からの復活の中でサックスのこうした記述に触れています。
オリヴァー・サックスが書いた『見てしまう人びと』などの本に、「シャルル・ボネ症候群」という幻視の症例がたくさん紹介されています。
彼らは知的能力や精神状態には何の問題もないのに、ただ幻視が見えてしまうんです。それを読むと、彼らの幻視の様子は、私の幻視の様子ととてもよく似ています。
…「本物にしかみえないなら、どうやって幻視とわかるんですか」とよく訊かれます。この場所にこういうものがいるだろうか、あるだろうか、と考えます。
もし家の中に人がいれば、それはありえないので幻視だとわかります。でも突然現れますから、心臓が止まるかと思うぐらい、びっくりします。(p238)
この記述が物語るとおり、CBSの幻視と、レビー小体病の幻視は、客観的に似ているだけでなく、主観的にもよく似ているようです。
すでに見たとおり、レビー小体病の幻視ではパレイドリア現象、または顔を過剰に検出してしまうシミュラクラ現象の過剰が知られていて、樋口直美さんも著書でそれに言及しています。(p47)
先ほどのロザリーは、突然の幻視に混乱して、気が触れているかのように誤解されましたが、それはレビー小体病でも同じだと樋口直美さんは言います。
みなさん今夜、お家に帰られて、夜、寝室の扉を開けた瞬間に、知らない男が眠っていたらどうされますが。叫ぶという方? 警察を呼ぶ方? 棒を持ってくる方? 包丁を持ってくる方はあまりいらっしゃらないと思いますけど、「初めまして」と言う方もいらっしゃらないと思います。
でも、レビーの、特に高齢の方が叫ぶと、全く違います。
「頭がおかしい」と怒鳴られ、説教され、バカにされ、BPSD[認知症の周辺症状]だと決めつけられます。病院に無理やり連れて行かれて、抗精神病薬を飲まされるかもしれません。
「認知症だから、ない物をあると言って、わけのわからないことをするのよね」と家族の方は言います。
違います。思考力があって、本物にしか見えないものが見えるから、正常に反応しているんです。不審者がいれば怖いです。でも慰められるどころか、狂人扱いされます。(p239)
おそらくは、視覚障害が引き金になるか、脳のレビー小体が引き金になるかという違いはあれど、視覚連想の過剰が引き起こされるという点で、CBSとレビー小体型認知症の幻視には、何かしら共通の基盤があるのではないでしょうか。
それとともに、どちらも年配者に多いことからして、互いに混同されて診断されているケースもあるかもしれません。単なる視覚障害からくるCBSの人が、幻視を妄想や思考力低下、認知症の兆候だとみなされるようなケースがありそうです。
イマジナリーコンパニオンとの類似点
CBSとレビー小体病は年配者が大多数を占めていますが、CBSの幻視のメカニズムからすると、それが年配者特有のものであるはずはないでしょう。
アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語によれば、CBSの幻視の原因の一端が、脳の内的活動レベルの高さにあることを示唆したチューニスは、これが若い人にも生じうると述べています。
ド・モルシエによれば、老齢がこの症候群の定義の本質的部分だが、チューニスに言わせれば、老齢は関連要因のひとつにすぎない。
つまり、若い人もシャルル・ボネ症候群を経験する可能性を示唆している。(p44)
そもそも、すでに見た感覚遮断や解放といったCBSの幻視のメカニズムは、幼少期の子どもに見られやすいものです。
たとえば複数の感覚が混ざり合って体験される共感覚や絶対音感といった不思議な能力は、幼児のころはだれにでも見られると言われます。もともとは「解放」されていた低次の機能が、その後発達する高次の機能によって抑制されていくのかもしれません。
そうであれば、幼少期の子どもにはCBSと同様の幻視が生じやすい、ということになります。それはおそらく、イマジナリーコンパニオン(空想の友だち)と呼ばれる幻覚体験でしょう。
簡単に言えば、イマジナリーコンパニオンとは「となりのトトロ」であり、子どものときにしか見えない幻視を含む空想の存在のことをいいます。
サックスはCBSを取り上げた同じ見てしまう人びと:幻覚の脳科学の中でイマジナリーコンパニオンについても触れています。
架空の友だちがいる子ども、というのは珍しくない。想像力豊かでたぶん寂しい子どもが作り出す、順序立って進行していく空想の作話のようなものの場合もある。幻覚の要素を持つケースもありえる。(o297)
イマジナリーコンパニオンを持つ子どもは、架空の存在としゃべったり手を繋いだりしますが、実際にその声を聞き、姿が見えている場合が多いようです。なぜなら子どもたちはイマジナリーコンパニオンの姿を絵に描くこともできるからです。
イマジナリーコンパニオンを持つ子どもも、誰もいないところへ向かって話しかけたり、見えない人がいると主張したりするので、CBSやレビー小体型認知症と同じく、周りの人から気味悪がられることがあります。
しかし年齢の違いは、周りの人の反応に大きな違いをもたらすでしょう。サックスは、イマジナリーコンパニオンがいたヘイリー・Wの経験談を次のようにつづっています。
ケイシーとクレイシーにはミルキーという妹もいました。私の心の目には彼女たち全員の姿がはっきり見えていて、当時の私にとってはまさに現実に思いました。
両親はそれをおおむね面白がっていましたが、私の架空の友だちがそれほどまでに詳しくて、しかもたくさんいるのは自然なことなのか、疑問には思っていました。(p297)
年配の大人が見えないものが見えると言い出すと、気が触れてるとか、妄想や認知症だとかと思われます。
しかし、子どもの場合は、幼い無邪気なファンタジーだと思われたり、大人をからかって遊んでいると思われたりするだけで、大きな問題に発展しないうちに消えていくのだと思われます。
イマジナリーコンパニオンは幼少期の子どもに普遍的なごく普通の現象ですが、やはり連想が鋭く、感受性の強い子どもに現れやすいようで、CBSやレビーの幻視と似ています。
また、イマジナリーコンパニオンと同様の現象は、極限状況下のサードマン現象や、だれかと死別したときの幻視として大人にも現れることがあります。これは一度消えたCBSがストレス下で再度現れることとよく似ています。
CBSはもともと病的なものではなく心理学的なものとみなされていましたが、イマジナリーコンパニオンも、ときには当事者たちを大いに楽しませることもある、病的とは言えない現象です。
異なっているところはというと、イマジナリーコンパニオンはCBSのような視覚的な幻覚に限らず、触感や声も感じられること、スクリーンのような幻視ではなく当人が幻想の中に入り込んで交流する点です。
はっきりとはわかりませんが、その違いは、CBSが視覚障害を契機に幻覚が解放されるのに対し、イマジナリーコンパニオンはあらゆる感覚が未発達な時期に生じること、また幼児は幻覚に対して大人よりフレンドリーなことと関係しているのかもしれません。
樋口さんは大人は幻覚で見える見知らぬ人間に対して「初めまして」と言うことはまずないと書いていましたが、子どもは幻覚として現れるイマジナリーコンパニオンに対して「初めまして」と受け入れる気がします。
解離との共通点
幻視は幼い子どもに生じるだけでなく、10代から20代に若い人に生じる場合もあります。
この場合は、おそらくは解離性障害として診断されることが多いと思われます。
解離性障害は、もともと感受性が強い人が、極端なストレスを経験したときに生じやすいものですが、やはり幻視を伴う場合があるという特徴があります。
若い人の幻覚というと統合失調症をすぐに思い浮かべる精神科医は多いですが、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合によると、統合失調症ではほとんどが聴覚性の幻覚、つまり幻聴なのに対し、解離性障害では幻視がよく見られます。
他方の幻視はどうか。統合失調症においては少ないとされる幻視は解離性障害では比較的多く聞かれる。
また統合失調症の幻視が奇怪な内容であるのに対し、解離性障害の幻視の内容はおおむね現実的で、過去のトラウマのフラッシュバックという色彩を持つ (Bremner,2009)。
しかし他方では、幽霊を見るケースも報告されている。(Hornstein,et al.,1992)(p125)
統合失調症の幻視は、あるとしても奇怪な内容を取りやすいのに対し、解離性障害で生じる幻視は、おおむね現実的である、という点は、CBSの幻視といくらか似通っています。
すでに見たとおり、通常、子どもは成長するにつれて、神経の感覚遮断や解放による幻覚は経験しなくなりますが、解離性障害の場合、トラウマ経験のせいで、脳が感覚を遮断して自らを守ろうとします。
この脳が自発的に生じさせる感覚遮断が「解離」であり、その結果、年齢にかかわらず感覚遮断に伴う幻覚が生じえます。
CBSの幻視は、特定の意味を持たず、特定の記憶とも結びつけられない断片の寄せ集めのような傾向がありましたが、解離の幻視についてはわかりやすい「解離性障害」入門にこんな例が書かれています。
幻聴のほかにも解離性障害では多彩な幻視がみられます。人の形をした影が視野の隅にいるのが見えたり、黒い影のようなものがさっと動くのを感じたりと、錯覚のような訴えがあります。
またはっきりとした人間や動物の姿が見えることもあります。交代人格と交流する際に、その人格の様子をきわめて詳細に語る場合もあります。
解離性の幻視にはそれ以外にもさまざまなものがあります。天使、悪魔、小人、霊、空想上の動物などが見えることもあれば、髪の毛や手や目玉といった体の一部だけが宙に浮いていたり、それらがこちらを見張っていたり、追いかけてきたりするようなものもあります。(p73)
こうした例を見る限り、CBSに近い点もあれば、そうでない点もあるように感じます。
錯覚のような見え方、視界に浮いている断片のようなものは、CBSのパレイドリアや、デュランの視界に浮いていたハンカチに近いものでしょう。
しかし、中立的な幻視というより、いくらか恐怖を感じさせるものがあるのは、「過去のトラウマのフラッシュバックという色彩」を含んでいるからかもしれません。それでも過去の特定の記憶そのものを具体的に再生しているわけではありません。
思考の内容とつながっている意味のある幻覚もあれば、どこから湧き出てきたのかわからない断片的なものもあるようです。具体例として、20代前半の女性のこんなエピソードが載せられています。
エリカさんは霊的な存在は信じていませんでしたが、特にパニックの際は現実ではない人やモノが見えることがありました。
ビルの上に馬が浮いており、自宅の廊下の角を曲がると知らないサラリーマンと出くわし「あ、失礼」と言われ、風呂場を開けたら火の玉が笑っていて、見なかったことにしてドアを閉めたこともありました。
「一緒にいる人には見えていないようだし、それが現実のものでないことはわかっているけれど、その体験をどう捉えたらいいのか自分の中で混乱している」と、エリカさんは治療者に言いました。(p82)
エリカさんの場合、被害妄想や思考障害は見られなかったので、統合失調症ではなく解離性障害と診断されました。
解離性障害とCBSは、幻視が引き起こされるきっかけや、幻覚が生じるレベルは異なるとはいえ、共通点を多く含んでいます。
たとえば、CBSは外向性が低く受動的なタイプの人に見られやすいとされていましたが、解離性障害になる人は、まさしくそうした性格の人が多く、感受性の強さや内向的な傾向を持っています。
解離性障害の人たちは、CBSの当事者と同様、自分の奇妙な体験をあまり人に話さない傾向があります。
CBSの幻視は映画やテレビのスクリーンを見ているようだと表現されますが、解離性障害の場合も、スクリーンを傍観しているかのようなありありとした白昼夢を伴うことがあります。
CBSの幻視では、異様に鮮やかだったり、ディテールが細かったりしますが、解離性障害の人もそうした知覚変容やリアルな夢を経験します。
アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語によると、CBSの幻視や、それと似た聴力の衰えがきっかけで生じる幻聴は、薬が効かないという特徴があるようです。 (p35、43)
発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方によると、解離性の幻覚も、やはり統合失調症の幻覚に用いられるような薬が効かないという特徴があります。
フラッシュバックにせよ、解離性幻覚にせよ、このタイプの幻覚の特徴は、抗精神病薬に対する難治性である。
また不思議なことに、解離性の幻覚は抗精神病薬にやけやたらと強い。副作用すらまったく出現しないという例もしばしば経験する。(p57)
また、CBSと関係があるのではないかとされていた視覚連想に関わる脳の部位は、解離とも関係しているようです。解離性障害で思考やイメージが次々に湧き出てしまう思考促迫は、視覚連想の箍(たが)が外れた状態なのかもしれません。
CBSの視覚連想はユーモラスな詩人のようだと書きましたが、解離傾向の強い人の中には、実際にその連想力を活かして芸術家として活躍している人もいます。
何より、解離性障害の人たちは、幻覚を現実だと思いこんで妄想的になる統合失調症の人たちとは違い、先の例のエリカさんのように、幻覚を幻覚だと理性的に認識しているという特徴があります。これはCBSや純粋なレビー小体病の幻視とよく似ています。
脳という劇場の予想外の催し物
こうして多彩な幻視の例を見てみると、どうやら、人の脳は、何かしらの体験をきっかけに正常とも病的とも判別しがたいタイプの幻覚を“上映”することがあるようです。
あまりにリアルなので、ときにはぎょっとしてしまい、当人と周りの人を混乱させることがありますが、おおむね中立的な内容が多く、CBSの異国情緒ある幻覚や、イマジナリーコンパニオンのような好意的といえる内容もあります。
見てしまう人びと:幻覚の脳科学でサックスは、CBSの幻覚を楽しんだ人たちの例をたくさん書いています。
大部分のCBSの幻覚は恐怖心を生じさせるものではなく、慣れてしまうとちょっと楽しくなる。
デイヴィッド・スチュワートは、自分の幻覚を「とにかく友好的」と言い、自分の目がこう言っているのだと想像している。
「がっかりさせてごめん。失明が楽しくないことはわかっているから、このちょっとした症候群、目の見える生活の最終章のようなものを企画したよ。
たいしたものではないけど、私たちにできる精いっぱいなんだ」(p43)
シャルル・リュランはこの最終章の上映を楽しんでいたようです。孫のシャルル・ボネは、アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語によると、祖父についてこう書き残しました。
彼の精神はイメージで楽しんでいる。彼の脳は劇場であり、そこでは舞台装置が催し物を演じるのだが、それは予想外の催し物なので、なおさら驚異的なのである。(p45)
シャルル・ボネ症候群や、その周辺の幻視体験は、あまり知られていない上、当人の反応が突拍子なく思えるため、家族から気味悪がられたり、妄想扱いされたり、認知機能障害とみなされたりします。
幻覚、幻視、幻聴といった言葉は、あまりに頻繁に、またあまりに容易に精神障害や妄想と結び付けられがちです。
しかし、正しい知識を得てみると、それらはどうも、脳の内的活動レベルの高さや、感覚遮断に反応して、正常な機能の一部が解放されて上映されているシアターにすぎないようです。
この記事で考察してきたような事実に通じておくなら、その人だけにしか見えない、一人分しか座席のない劇場の催し物を尊重することができるのではないでしょうか。
アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語と見てしまう人びと:幻覚の脳科学には、ここでは紹介しきれない当事者たちの生き生きとした体験が豊富に収録されているので、興味ある人はぜひ一読をお勧めします。
オリヴァー・サックスは、こちらのTEDでもシャルル・ボネ症候群について語っています。
オリバー・サックス: 幻覚が解き明かす人間のマインド | TED Talk | TED.com
わたしは、小人と妖精の体験を語ってくれた あのおばあちゃんに、その体験にはシャルル・ボネ症候群という名前があることを伝えられなかったことが心残りでした。でもきっと病理学的な名前なんていらなかったのでしょう。
その体験を隠すでもなく生き生きと語ってくれたことからすると、おばあちゃんは、きっと、シャルル・デュランのように自分だけの劇場で、予想外の催し物を味わいつくして満足していたのでしょうから。