この記事は、以下の記事の補足です。
本文では、解離は回避型寄りの愛着スタイルに伴う反応であり、PTSDは不安型寄りの愛着スタイルに伴う反応だと考えました。そして、たとえば境界性パーソナリティ障害は後者にあたると書きました。この分類に従えば、他のさまざまな病態も説明することができます。
たとえば、回避型の愛着スタイルに多い強迫性パーソナリティ障害(批判的な完璧主義者)、反社会性パーソナリティ障害(犯罪者)、自己愛性パーソナリティ障害(尊大で横柄な人)、ジゾイドパーソナリティ障害(極めて孤独を好む人)などは、人間味のある感情や記憶を解離しているために、冷徹で批判的、尊大な性格になります。
これらは、解離傾向だけが強く、PTSD傾向はかなり弱いため、上記の分類では解離性障害と似たような場所に位置するとみなせます。
男性の解離性障害は少ないのか?
一般に、解離性障害は女性に多いとされていますが、男性の解離性障害は、症状の表れ方が異なり、家庭内暴力や刑事事件の加害者となって、病院ではなく刑務所などに存在していることが多いのではないか、と言われています。
そうすると、女性の場合に解離性障害や解離性同一性障害が多いのは、意外にも、女性では解離傾向が強いためではなく、PTSD傾向が強いせいだということになります。
そもそも、女性のほうがPTSDになりやすいことはよく知られていますが、PTSD傾向と強く関係している境界性パーソナリティ障害になりやすいのも女性です。
女性は、不安型の愛着スタイルに起因するPTSD、境界性パーソナリティ障害などになりやすいため、解離傾向が強い場合でも完全にフラッシュバックを抑えられず、幻聴・幻視などの形で軽微なフラッシュバックが起こる解離性障害や、人格がまるごとフラッシュバックする解離性同一性障害になりやすいのでしょう。
女性の場合の解離は、もともとPTSD傾向による脳の興奮があり、その上でそれを押さえ込むかのようにして解離が生じるので、より強力な全身を巻き込む解離に発展するのかもしれません。
一方、男性は、PTSD傾向はあまり強くなく、部分的なこころの解離だけが生じやすいので、しばしば過度に理性的だったり、人間味のある感情が乏しかったりする、強迫性パーソナリティ障害、反社会性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害、ジゾイドパーソナリティ障害などになりやすいのだと思われます。
生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)には、回避型の愛着スタイルについて、こう書かれています。
回避型の子どもは将来、暴力や非行、いじめ、反社会的行動など、破壊的な行動上の問題を起こしやすいことが長年の研究で裏付けられている。優しさや甘えを求めない代わりに、力で相手を支配し、ねじ伏せようとするところがある。
…幼い頃に認められる回避型は、成長して…むしろ自己愛性パーソナリティ障害や反社会性パーソナリティ障害、ジゾイドパーソナリティ障害に発展するほうが典型的である。
この三つのパーソナリティには、大きな共通項がある。それは、共感性が乏しく、クールで、相手の気持ちや痛みに鈍感だということだ。(p100)
そうした人たちは、普段はほぼ完全に感情を抑制していますが、ときどき突発的に激しい自己愛的な怒りの爆発を起こしたり、意識が飛んで暴力を振るったりする際に、フラッシュバックや人格交代のような現象が生じ、家庭内暴力や犯罪事件につながるのでしょう。
ふだんは厳格で、ときどきカッとなって激怒するような、年配の頑固な男性のステレオタイプは、解離傾向による感情の解離が強く、PTSD傾向によるフラッシュバックをかなりの程度押さえ込めている状態だといえます。
別の記事で紹介しましたが、アメリカ合衆国大統領のドナルド・トランプは、幼少期の記憶がほとんどなく、都合の悪いことをすべて無意識に忘れてしまい、突然激しい怒りを爆発させる性格で知られており、解離傾向の強い男性の一例ではないかと思われます。
男性の場合の解離は、女性の場合と異なり、こころとからだ全身を巻き込む典型的な解離性障害というよりは、感情や身体感覚のみのシャットダウンのような部分的な解離として現れやすいのかもしれません。
反社会性パーソナリティ障害
ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち (光文社新書)には、幼少期にあまりに壮絶で恐ろしい経験をしたせいで、感情がシャットダウンされ、つまり解離されてしまい、その後の人生で冷徹な犯罪者となってしまう反社会性パーソナリティ障害の人たちの姿がつづられています。
この本によれば、その分野で先駆的な研究をしている精神分析学者ジェームズ・ギリガンは次のように述べています。
自分がロボットかゾンビのように感じられると私に話した者がいた。自分の身体は空っぽ、あるいはただ藁が詰め込まれているだけ、肉もなく血もない、血管や神経はなく、紐や糸が入っているだけ、そう感じる者もいるらしい。(p423)
だが、凶悪犯罪者たちの場合は、言葉だけではない、もっと酷く、極端で、おぞましい仕打ちを繰り返し、頻繁に受けたのだ。大人になってから頻繁に凶暴な振る舞いをした者たちは、ほぼ例外なく、子供の頃に絶え間なく暴力的な虐待を受けていた者たちである。(p424)
この言葉が物語るように、凶悪犯罪に手を染める人たちは、生きているという感覚の喪失を伴う強い離人感を経験しています。過去のあまりに辛い経験のせいで感情が解離されているので、他の人を殺めることにためらいがありません。
特に男性の場合、幼少期におぞましい経験をしたとき、攻撃性が内側に向く女性と異なり、攻撃性が外側へ向いて、暴力犯罪などに現れやすいようです。その結果、強い解離症状を持つ男性たちは、病院よりも刑務所に集まりやすいのでしょう。
この点は、以下の記事の後半で詳しく扱っています。
ただし、この男女差はあくまで傾向であり、女性の場合も冷徹で批判的な反社会性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害の人はいますし、逆に男性でも傷つきやすく恐れが強い解離性障害や解離性同一性障害に悩んでいる人もいます。
文化のストレスの男女差
このような症状の性差は、生物学的なホルモン分泌の違いとみることもできますが、そのほかにも文化によるジェンダー教育(たとえば、男の子は強くあるべきで涙を見せてはいけないと教育される「男の子の掟」など)による影響も強いのかもしれません。
わたしたちの社会では、女性の場合は生き方や尊厳そのものを抑圧されやすいので、こころとからだ全体を巻き込んだ解離になりやすいのに対し、男性の場合は行動は自由である反面、感情を抑圧するよう強いられるので、感情のみに解離に陥りやすいのではないか、という考えもできます。
解離は、生物にもともと備わる防衛機制であると同時に、文化や環境によってさまざまな現れ方をします。防衛機制であるということはつまり、ストレスに対応して生じるということなので、ストレスのかたちが違えば、それに対応して生じる解離のかたちも変わります。
ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち (光文社新書)によれば、現代社会で、男性と女性てとでは、「恥」という概念が異なっている可能性が示唆されています。
私は現代の公開羞恥刑において、一つ大きな謎とされていることについても尋ねてみた。それは、「あまりに女性に厳しすぎるのではないか」ということだ。なぜ、異常なまでに女性に厳しいのか、それが知りたいと思っていた。
ジョナ・レーラーが攻撃されている時には、性暴力に関わる言葉は使われていなかった。ところが、ジャスティス・サッコやアドリア・リチャーズの場合には、即、「レイプするぞ」という類の脅迫の言葉を浴びせる者が現れた。(p227)
21歳の女性ハッカー、メルセデス・ヘイファーはそれに応えてこう語っています。
他方、男性は、性被害を恐れて夜道で気をつけたりはしませんが、失業しないよう職場で自制を働かせ、感情を抑制して振る舞う必要に迫られます。
彼女はさらに言う。
「4chanユーザーは、標的にした人を貶めたいのです。わかりますか。我々の文化では女性を貶めるとすれば、おそらくレイプを上回るものはありません。
男性が標的の時に、レイプという言葉を使わないのは、レイプが男性を貶める手段となることはあまりないからです。
男性の場合なら、失職がその代わりになるでしょう。我々の社会では、男性は働いているものという通念があるからです。
失職をすると、男性は存在価値が大きく下がったように感じてしまいます」(p227-228)
女性にとって最も不名誉な辱めは性被害であり、男性にとって最も不名誉な辱めは失業である、という認識があるとされています。
そうすると、女性は性被害に遭わないよう、ふだんから意識的であれ無意識的であれ、不用意に夜道を一人で歩いたりしないように、電車内で男性に近づいたりしないよう、生活全般において、振る舞いを抑制する必要に迫られます。
それはいわば、常に、自分という存在全体が辱められる危険にさらされているようなものです。事実、性被害に遭うと、こころとからだ全体が解離されます。
そうすると、解離性障害の女性は、こころだけでなく身体的にも無活動に近いうつ状態に追い込まれます。その結果、病院を受診します。
他方の男性は、失業しないよう、会社で自己抑制を働かせ、不平や不満を言わず、疲れても休まず出勤し、上司に従うことが求められるでしょう。その場合、男性が抑制する必要に迫られるのは、からだの行動ではなく、こころの本音です。
そうすると、解離が生じたとき、からだの行動は抑制されません。しかし、こころの本音や、身体が疲れているという感覚は抑制されます。
からだは抑制されず、こころだけが抑制されると、失感情症や失体感症といった、感情や感覚の麻痺が生じます。
すると、からだは元気なので病院に行くことはありませんが、人間味のある感情が失われて批判的になった自己愛性パーソナリティ障害、感覚が麻痺して平気で犯罪を行なう反社会性パーソナリティ障害などのかたちで解離症状が現れるということになります。
「異常なまでに女性に厳しい」
全体の傾向としてみれば、わたしたちの社会では、「魂の殺害」である性被害のようなストレスにさらされやすいのは女性であり、感情を押し殺してあくせく働くストレスにさらされやすいのは男性です。
女性は存在全体を抑制されるのに対し、男性はこころだけを抑制するよう強いられます。
存在全体を抑制されるというのは、以下の記事で扱ったように、たとえ心理的な拘束であったとしても身動きを取れないよう押さえつけられることに等しく、完全に逃げ場を奪われるということです。ストレス反応のうち、全身の凍りつきや麻痺を特色とする不動系が働きやすくなります。
他方、こころだけを抑制される場合、からだの動きは拘束されないので、不動系ではなくその一歩手前の段階、「闘争か逃走か」というストレス反応をつかさどる交感神経系が働くことになります。
解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合によれば、解離性障害の分類のうち、人格交代の伴わない解離性遁走(記憶を失ってどこかへ逃げること)は、圧倒的に男性に多い症状とされています。(p110)
女性の場合、社会的な意味でも逃げ場が完全に奪われているせいで、どこかに逃げるのではなく、人格そのものをシャットダウンして多重化させるしかなくなります。それが解離性障害や解離性同一性障害です。
しかし男性のほうは、こころが解離された状態でも、からだは元気なままで、不動系ではなく交感神経系が優位だからこそ、無活動な解離性障害ではなく、どこかへ走って逃げられる解離性遁走になりやすい、ということができます。
とすると、男性の場合、攻撃性が外向きに出やすく、女性の場合は内向きに出やすいのは、男女のストレスの違いによって、男性は交感神経系のストレス反応で止まりやすく、女性はその一歩先の不動系のストレス反応に至りやすいからではないか、ともみなせます。
男性は生活のなかで部分的にしか抑圧を求められないために、解離が生じるとしても部分的であり、女性は生活のなかで四六時中抑圧を求められて心理的逃げ場がないせいで、完全な解離という不動状態が引き起こされやすいのではないでしょうか。
つまり、解離性障害が女性に多いのは、女性のほうが慢性的で強いPTSDを経験しやすく、PTSDの先にある解離性障害にまで進行しやすいからかもしれません。
現代社会における男性のストレスが女性より軽い、というわけではありませんが、恥という観点から見れば「異常なまでに女性に厳しい」のは事実であり、それが女性の場合、PTSDと解離が絡み合ったより重い全身の解離症状、つまり不動系の反応につながっているのでしょう。
むろん、何度も言うように、男性でも全身を巻き込む解離症状に陥る人はいますし、女性でも感情だけが解離される人がいます。
とはいえ統計的には解離の症状の分布には男女差があるのは事実であり、もともとの生物学的違いだけでなく、現代社会における男性と女性の感じるストレスの違いが色濃く反映されている可能性があります。