最近、とある医師が書いたPTSD関係の本を読もうとしました。以前なら興味深く関心しながら読んでいたような本です。
しかし、読んでいるうちに強烈な違和感を感じてしまい、集中できなくなって、読むに堪えないとさえ思いました。
書かれている内容が古すぎる考え方であった、というのもありますが、それよりも著者の患者に対する態度が気になりました。トラウマを負った人は傷ついた病的な存在であり、医者が治療してやらねばならない、そうした「上から目線」の態度が垣間見えました。
以前なら、わたしはこれに違和感を感じませんでした。というより、大半の医者はそんな態度をとることが普通です。医者は高い教育を受けていて、病気である患者を治してやるために存在している、そんな上下関係が世の中で普通に受け入れられています。
けれども、今のわたしが、こうした医者を見て思い出すのは、オリヴァー・サックスが手話の世界へ (サックス・コレクション)で書いていた次のエピソードです。
実際、その根底には、憐憫の情や高所から見くだすような姿勢、ろう者を病人とはいわないまでも「無能力者」とみなす考え方が隠されている。
ギャデロットの事件に関与した医師たちの一部にとりわけ激しい非難の声があびせられたのは、そうした医師たちの場合、ろう者を新しい感覚モードに適応したまったき民族の一員ではなく、たんに耳が悪いだけの人間とみなすことが少なくないように思われたからである。(p248)
ここで書かれているのはろう者についてですが、他のさまざまな病気にしても同じことがいえます。わたしが今回読んだ本は、トラウマ患者は、傷ついた脳を持つかわいそうな存在だ、というメッセージを暗に伝えていました。
さまざまな精神障害や発達障害について語る医者にも似たようなところがあります。それらの患者は「障害」、つまり健常者より劣っていて異常を抱えているのだ、だから治療しなければならない、ということを前提にして話しています。
しかし、オリヴァー・サックスは、ろう者は「無能力者」どころか、「新しい感覚モードに適応したまったき民族の一員」だと述べています。自閉症が障害ではなく異なる文化だと世に紹介したのも彼でした。
精神疾患やトラウマの患者もまた、傷ついた「無能力者」、医者が助けてやらねば何もできない哀れな人たちではありません。
ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法で述べるとおり、そうした見方は、彼らが、想像を絶する逆境を生き抜いてきた創造的な人たちであるという観点を欠いているのです。
だが、これらの診断のうち、私たちの患者の多くが生き延びるために発達させる並外れた才能や、奮い起こした創造的なエネルギーを考慮に入れているものは一つもない。(p228)
この記事では、わたしが最近ひしひしと感じている医療への違和感について書こうと思います。そして、当事者たちが求めているのは、患者をただ障害者とみなすような凡俗で鈍感な医者ではなく、芸術的な感性をもって患者を尊重できる医者である、ということを考えます。
医療という「制度宗教」
わたしはもともと自分の経験から、医者をほとんど信用しなくなりました。10代で体調を崩し、さんざんひどい医者を転々として以来、医者に幻滅しました。医者の意見に納得できず、自分で調べてきた結果、このサイトができました。
同じような経験をしている人は、世の中にたくさんいるでしょう。たとえば、マウント・ホリオーク大学の神経生物学教授スーザン・バリーは視覚はよみがえる 三次元のクオリア (筑摩選書)という本にこんな経験談を書いています。
眼科医はまず右目を、それから左目を調べて、あなたはとても幸運だと告げた。右目の裸眼視力は0.4で左目は0..3だが、このささやかな問題は眼鏡のおかげで完璧に矯正されている。
「では、どうして物を見るのに苦労するのでしょう」とわたしは尋ねた。
医者はわたしの懸念を一笑にふした。
「あなたの視覚にはどこにも悪いところはありませんよ」とあくまで言い、もし世界がぐらついて見えるのなら、それはたぶん、子ども時代に手術で心的外傷を負ったからであり、そのせいで視覚上の問題を“こしらえて”いるのだろうとつけ加えた。
なんでしたら、精神科医のところに行ってはどうですか。
わたしはいやいや診察代を払ったあとすぐに診療所を飛びだした。怒りがこみあげて涙がにじんだが、自分にこう言い聞かせた。
結局のところ、とても喜ばしい知らせではないか。医者は“あなたの症状は、不治の脳腫瘍があることを示しています”とかなんとか言ったわけではない。申し分ない視力だと言ったのだ。(p76)
原因不明の症状に悩む人なら、だれでもこんな経験が一度はあるでしょう。いえ、一度どころか何度も繰り返し味わわされることだってあります。
わたしも自分の原因不明の症状の意味を求めて、さまざまな分野の医者にかかるたびに同じ思いをしました。心的外傷から症状ををこしらえている? お笑いぐさです。医者である あなたのほうが、受診してきた人に心的外傷をこしらえているのではないですか?
極端な言い方をすれば、そうした医者たちこそ、「無能力者」です。自分の知識の範囲にない患者の症状を、気のせいとか心因性とか詐病と決めつけ、自分が知らないものがある、ということを認める度量をさえ欠いているからです。
患者の訴えをまともに聞こうともせず、自分の知っていること以外をあからさまに否定したり、不信感を抱いて斜に構えたりするこうした姿勢は、わたしからすれば宗教的盲信に似ています。
自分が学んだ医学の教科書という「宗教」を信奉していて、それを絶対的な真理とみなしているがために、それ以外の考え方に対して不寛容なのです、原理主義的な宗教の狂信者が、他の考えに理解を示さないのとよく似ています。
「改宗か、死か」
医療は制度宗教とよく似た構造を持っています。ほとんどの医者はすべてのものを「正常」か「異常」で判断するよう訓練されます。そして「異常」とみなした人には、自分が信奉する特定の治療法を守り行うよう布教します。そうするなら救われる、というわけです。
「この手術は痛みを伴いますが、そうしないと死んでしまいますよ」と脅すのは、「改宗か死か」を迫った中世の狂信とあまり変わりません。
たとえば、 極論で語る睡眠医学 (極論で語る・シリーズ)の中でスタンフォード大学 睡眠医学センターの河合真先生は、睡眠時無呼吸症候群の治療の場合に そうした物言いをする医者がいる、ということを批判していました。
そんなとき、絶対にやってはいけないことがあります。それは、あんた、CPAP使わないと、心臓発作で死ぬよ と脅すことです。
これはまず、医師というより人として下品な言動であり、かつ疫学データの伝え方が不正確極まりないからやってはいけないのです。(p47)
CPAPの使用が難しいのであれば、その原因を聞き出して解決する方法を考えるべきです。また、OAや手術なども考慮することになります。
するべきことは多く、患者を脅している場合ではありません。(p48)
いくつか専門用語が出てきていますが、ここで言いたいのは、患者が苦痛に感じる治療法を無理やり押し付け、そうしないと死んでしまうと脅すのは、正義のために剣を振りかざすのと同じほど野蛮だ、ということです。
医学を盲目的な宗教にたとえるのは行き過ぎだと感じる人もいるかもしれませんが、ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、自分のやり方に固執する医者やセラピストは「特定の観念を信奉しているだけ」だと述べていました。
トラウマには、これぞという「選り抜きの治療法」はないし、自分の手法が患者の問題に対する唯一の答えだと考えているセラピストは、患者を本当に回復させることに関心を持っているのではなく、特定の観念を信奉しているだけである疑いがある。
有効な治療法のいっさいに精通しているセラピストなどいるはずがないのだから、自分が提供するものではない選択肢を患者が探ることをセラピストは許容すべきだ。
また、患者から学ぶ態度も持ち合わせていなければならない。性別や人種や経歴は関係ない。それらが重要になるのは、安全で理解されていると患者に感じさせる妨げとなるときだけだ。(p347)
自分の信条を押しつけ、異なるやり方があることを認めようとしなかったり、異なる選択肢を求める患者に不快感を示したりするような医者は、自分が勉強した“宗派”を盲目的に「信奉しているだけ」なのです。
そうした医者は、患者から学ぶ態度など持ち合わせていません。中世の狂信者たちが、自分たちより劣る異教徒から学べることなど何一つないと誇り高ぶって「改宗か死か」を迫ったのと同じです。
都合のいい研究結果だけしか見ていない
医療は一見、科学的に確立されているかのように装っていますが、実際には特定の伝統の上に根ざしていることが少なくありません。
所属する学会内で発表される研究には注目しますが、その外の世界の研究には見向きもしなかったり、黙殺してしまったりすることがしばしばです。
実際、医者と話してみると、あまりに狭い分野の知識しかないので、唖然とすることがあります。医学に携わる人なら当然興味をもって読んでいそうな本のタイトルや、昔の有名な医学者の名前さえ聞いたことがなかったりします。
たとえば、さきほど出てきたスーザン・バリーは、眼科医たちにそうした悪習がみられることを指摘しています。
少なくとも過去半世紀にわたる科学文献のなかに、おとなの弱視でも治療可能なことを示す証拠が埋もれている。
早いものだと1957年に、カール・クップファーが、眼帯をあてる治療法と視能療法を組み合わせた結果、四週間後におとなの弱視患者の視力が著しく回復したことを示す論文を発表していた。
1977年のある論文では、マーティン・バーンバウムにの研究グループが、弱視に関する23本の論文を精査し、あらゆる年齢層において視力の回復が見られたことを報告していた。
悲しいかな、こうした研究結果はいまなお無視されつづけている。多くの医師がいまだに、弱視の治療は幼い子どもにしか施せないと信じているのだ。(p209)
どうして、大人の弱視を治療できる、という論文が何度も繰り返し発表されているのに、主流派から無視され続けているのでしょうか。
それは、“教派”が違うからです。
一般の眼科医たちからすると、視能療法を開発した検眼医(オプトメトリスト)たちは少数派の異端のようなものでした。その研究を無視したりけなしたりすることはあれど、参考にすることはめったにありません。
検眼医の研究についてまったく知らないか、頭ごなしに否定していることが多いため、本当は痛みのない視能療法で治せるはずの症状を、痛みの伴う手術で矯正しようとします。
子どものころ、わたしが発達検眼医か行動検眼医の診察を受けていたなら、“検眼学による視能療法”を受けていただろう。
皮肉なことに、当時、手術を受けた病院のすぐ近くにあるゲゼル人間発達研究所では、医師と発達心理学の専門家と検眼医が協力しあって、斜視の子どもの研究および治療を行なっていた。
いまもそうだが、当時の眼科外科医と検眼医はふつう、たがいに情報を交換したり一緒に働いたりしておらず、おかげで、だれひとりゲゼル研究所のことを両親に教えてくれなかった。
もし教えてくれていたなら、わたしは両眼の動きを協調させて立体視を得るやり方を学び、三回めの手術を回避できたかもしれない。そして、まずまちがいなく学校であんなに苦労せずにすんだはずだ。(p59)
どんな場合でも、黙殺され否定されるのは、主流派ではなく少数派の研究です。少数派の学者のほうは、主流派の研究もよく熟知した上で異なる理論を組み立てていることも多いですが、主流派の側は少数派の意見に耳も貸さず、自分たちの教理を盲信しています。
そして、たちの悪いことに本屋にずらっと並ぶ一般向けのヘルスケア本や、ネット上にあふれかえる医療記事、テレビで発言する医者のほとんどすべてが主流派に属しています。そのため、少数派の研究は人目に触れないどころか、公の場で非科学的だの似非科学だのと批判されることさえあります。
今見たのは眼科業界の話でしたが、精神科医ノーマン・ドイジは、脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線の中で別の例を挙げています。
脳性麻痺の子どもは、脚の筋肉が過緊張状態になってしまうため、しばしばX脚になって激しい痛みが起こります。
またX脚になる子どももいる。腿の内部の筋肉、内転筋が過度に緊張して、両膝を引き寄せてしまうのだ。どちらの場合も激痛をもたらし得る。
現在主流の医療では、…X脚の子どもに対しては、内転筋を切断して、筋緊張を弱める措置がとられる。
しかしこれらの、善意によるとはいえ非常に思い切った処置は、問題の根本的な解決にはならない。
というのも、筋肉の収縮を指令する信号を送っているのは脳だからである。
さらに言えば、この種の手術は、生涯にわたる身体メカニズムの異常を子どもに残す結果になる。(p290)
主流の医療では、脳性麻痺の子どもの足の過緊張に対して、痛みを伴う手術を迫りがちです。たとえ筋肉を切断し、一生身体が不自由になるとしてもです。
モーシェ・フェルデンクライスがトロントで出会った脳性麻痺の男の子エフラムも、そんな過酷な決定を迫られていました。両膝のX脚のために内転筋を切断する手術が予定されていました。
しかし、施術家であり聡明な物理学者でもあったフェルデンクライスは、痛みを伴う手術だけが問題の解決策ではない、と考えました。
フェルデンクライスは、エフラムの両膝を以前よりもさらに近づけ、片方の膝をもう片方の膝の上で交差させられるようにした。
両膝を以前よりも近づけることで、少年の混乱した神経系が過剰に実行していたことを意図的に行ない、「そんなに強くやらなくてもよい」と神経系に教えたのである。
数分経つと、彼が力を行使しなくても、エフラムの痙攣した腿の筋肉は弛緩した。
両膝が少しばかり離れたので、彼はこぶしをそのあいだに入れて、腿の内側の筋肉でそれを締め付けるよう促した。
するとエフラムは完全に筋肉を弛緩させ、両膝は開いた。
「膝を開くのがどれだけ簡単かわかったかな? 今度は閉めるほうがたいへんだ」と彼は少年に言った。(p292)
主流医学の医者たちは、エフラムの身体に指一本たりとも優しく触れたりはしなかったでしょう。その代わりに、注射針を差し込み、メスで切り裂こうとしていました。
しかしフェルデンクライスは、内転筋の切断のような痛みを伴う手術以外にも、エフラムの筋肉の問題を治療する方法はある、と考えました。彼の身体にじかに触れ、どのような力が入っているか見極め、適切なアプローチをとりました。
もちろん、医学の治療において、思い切った処置が必要な場合があることは確かです。痛みを伴う治療によって命を救われた人も数え切れないほどいます。
けれども、多くの医者は、異なる“宗派”を軽蔑するあまり、患者の負担の少ない治療を探すために、謙虚に少数派の研究者の意見に耳を傾ける、ということができません。
誇りが妨げとなっている医者たちは、フェルデンクライスが考案したようなボディワークを学びませんし研究しようともしません。彼らが学んだ教派の信条には含まれていないからです。
今回わたしが読む気をなくしてしまったPTSDの本も、トラウマの再体験を繰り返す曝露療法のような、痛みを伴う手段を平気で推奨していました。ヴァン・デア・コークら最先端の専門家たちがリスクを警告していることを知らないのでしょうか。
鈍感な医者たちは病気を増やしてきた
ただ単に、効果のない治療法を盲目的に信奉する、というのなら、益はなくとも害もないでしょう。
しかし鈍感で誇り高い医者たちは、病気を治療すると言いながら、実際には病気を増やしています。
たとえば、最初のスーザン・バリーの経験にあったように、原因不明の症状を抱える人たちは、鈍感な医者たちから。言葉による心的外傷を負わされることが少なくありません。
藁にもすがる思いで病院の門をたたき、高いお金を払って診察を受けたのに、そこで浴びせられる言葉は「気のせい」「心因性」「詐病」「症状をこしらえている」という言葉です。
ただでさえ心身ともに弱り果てている人が、そんなことを言われたら、どれだけショックを受けるか、鈍感な医者には想像すらできないのでしょう。そんな医者は、本人も気づかないままに、どれほどの患者に心的外傷を負わせているのでしょうか。
鈍感な医者がもたらす害は、心的外傷だけではありません。
昨今問題となっているのは精神科医による多剤処方、大量処方です。こうした医者は、患者ひとりひとりの悩みに寄り添ったり、耳を傾けたりすることはありません。5分かそこら診察するだけで、大量の薬を出して終わりです。
その結果、薬物依存や見当違いの治療からくる副作用が発生し、治療は泥沼化します。患者たちは高いお金を払って、病気を悪化させられているのです。
自身も精神科医であるヴァン・デア・コークは、その嘆かわしい現状を認めて、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法にこう書いていました。
すでに見たとおり、私自身の職業は、問題を軽減するどころか深めることが多い。
今日、多くの精神科医の仕事は製造ラインの流れ作業のようなものだ。ろくに知らない患者と診察室で15分ぱかり会って、苦痛、あるいは不安、抑うつ状態を緩和する薬を処方する。
彼らが伝えるメッセージは、「私たちにまかせておけば、治してあげます。黙って言われたとおりに、これらの薬を服用して、三ヶ月後にまた来てください。ただし、アルコールや(違法な)薬物に頼って自分の問題を解決しようなどとは、けっしてしては駄目ですよ」といったところだろう。
治療でこのような近道をとれば、自ら健康を管理する能力や、「セルフ(自分そのもの)」によるリーダーシップを育むことはできない。
治療におけるこの指向性が表れている悲劇的な例の一つが、鎮痛剤の処方の蔓延で、毎年アメリカでは、銃や自動車事故よりも鎮痛剤のほうが多くの命を奪っている。(p585)
もし正確にデータを取るすべがあれば、誤って誰かをはねてしまった交通事故の加害者よりも、何十人何百人もの患者に心的外傷を与え、大量の薬を処方している医者のほうがよほど悪質なはずです。しかし彼らは法の責任を問われる代わりに被害者から得た収入で私腹を肥やしています。
同じような悲劇は、精神医学以外のところにも見られます。土と内臓 (微生物がつくる世界)にはこう書かれていました。
優に一世紀以上、人類は見えない隣人を脅威と見てきた。土壌生物をまず農業害虫と考え、そして細菌論のレンズを通して、微生物を死と病気を運ぶものという型にはめた。
この視点から生まれた解決策―害虫を一掃するための農薬と病原体を殺すための抗生物質―は、われわれの慣習に定着した。
悪い微生物を殺すことに熱中するあまり、居合わせた害のない微生物への付随被害を、私たちはあまり気にしてこなかった。
もっとも、自分たち自身への影響は見え始めている、(p314)
昨今のマイクロバイオームの研究でわかってきたように、抗生物質で細菌を殺すことは、急性の感染症には功を奏す反面、体内の生態系を破壊して数え切れないほど多種多様な慢性病を引き起こしています。(p168)
抗生物質のリスクを示す論文は、なんと最初の抗生物質ペニシリンが大量生産されるより前に出されていたそうですが、そうした都合の悪い「やっかいなニュース」はほとんど無視されてきました。(p236)
確かに、感染症で日常的に死者が出ていた時代の人たちからすれば、抗生物質が魔法の薬のように魅力的に思えたのも無理はありません。しかし、現代の医者が抗生物質をいまだに過剰使用するのは、ただの勉強不足であり、まったく言い訳ができません。
現代の科学が明らかにしているところによると、人間の体内にいる微生物は、病原体よりも共生菌のほうがはるかに多いのに、抗生物質はそれらを無差別に殺してしまいます。
人間のマイクロバイオーム全体で、非病原性微生物の数は約100万と推定される。病原体1種に対して非病原体700種近くだ。(p185)
体内の共生菌について多くの重要な事実が明らかになっているのに、いまだに「細菌」=「危険」という一般観念が根強いのは、メディアで発信する医師の多くがそういう認識で発言しているからにほかなりません。
抗生物質の使用において慎重さを欠いて、現代の子どもや若者に自己免疫疾患やアレルギーや慢性炎症を急増させてきた医者たちは、果たして苦しみを減らしてきたのでしょうか、それとも増やして来たのでしょうか。
「センメルワイス反射」という墓標
以前の記事にも引用した話ですが、医学界において、主流派とされる医者たちがいかに頑迷かを物語る、考えさせられるエピソードがあります。
1840年代後半、微生物が病気の原因であることを科学者が理解する数十年前、ハンガリーの医師センメルワイス・イグナーツは、当時急進的な発想であった手洗いを推進した。
…センメルワイスは、医師は解剖のあと、生きている患者を診察する前に白衣を着替え、手をカルキ(次亜塩素酸カルシウム)で洗うべきだと主張し出した。
この簡単な方法で、医師が勤務する病棟では死亡率が90%低下し、助産師が勤務する病棟と同じレベルになった。
センメルワイスの成功は医学界を激怒させた。産褥熱の蔓延を衛生状態の悪さと結びつけたことで、センメルワイスは医師を責めただけでなく、病気は「悪い空気」から発生する―古代からの瘴気論―という主流の医学的知識にケンカを売ってしまったのだ。
…当然医師たちは、手を洗うようにとの忠告も快く思わなかった。
自分たちのような紳士に対して手が汚いだの、助産婦のほうがちゃんと仕事をしているだのとよく言えたものだ。(p215)
「手洗い」を奨励したことが医学界を激怒させたなんて冗談のような話ですが、歴史上の実話です。そして、なんと3人に1人もの産婦が亡くなっていたという悲劇的な死亡率が、手洗いによって激減したにもかかわらず、医者たちが激怒したというのもまた実話です。
医者たちの関心事が、自分たちが診ている患者の健康や命ではなく、自らのメンツのほうにあったことがはっきりわかります、人が助かるかどうかより、自分が信じてきた科学的な「信仰」が否定されることのほうが癪に障るのです。
これは単に何世紀も昔の、無知蒙昧な医者たちに限った話でしょうか。いいえ、現代の医者たちも同じです。
例えば脳脊髄液減少症の概念が発表されたあと、それによってむち打ち患者の多くが回復したにもかかわらず、主流な医学界は徹底して攻撃を浴びせました。専門医たちが悪辣で執拗な攻撃にさらされたのは今世紀の話です。
慢性疲労症候群や線維筋痛症を認めない医者、解離の概念を認めない精神科医、発達障害の過敏症状などありえないと否定する医者、挙げればきりがありません。すべて、過去の話ではなく、今まさに起こっていることです。
「手洗い」を奨励して、産婦たちの命を救ったセンメルワイスはその後どうなったのでしょうか。
同僚たちから疎まれ、センメルワイスは即刻ウィーン総合病院を解雇された。
センメルワイスはブタペストへと移れ、小さな病院の産科病棟で無給の名誉部長のポストを引き受けた。
ここでも産褥熱が猛威を振るっていた。センメルワイスはすぐに手洗いを実施し、病気はほとんどなくなった。
新しいハンガリー人の同僚も同じ反応を示した。彼らはこの方法を冷笑し、手を洗うことで病気の蔓延を防げるという馬鹿馬鹿しい認識を受け入れなかった。
厳しい批判が絶え間なく哀れな医師を傷つけた。重いうつ病を患ったセンメルワイスは精神病院で死んだ。(p215)
殉教者の物語かと思うほど悲劇的な結末です。中世の暗黒時代に異端審問にかけられ、宗教裁判で殺された人たちとどこが違うのでしょうか。どちらも、主流派の「教理」に抵抗したというだけで徹底的に迫害されたのです。
皮肉なことに、手洗いをすれば病気の蔓延を防げるというのは、センメルワイスが始めて気づいた「真理」ではありませんでした。
心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までには、ジョン・デュランの著書「古代の宣言」からのこんな引用が載せられていました。
総じて、モーセの律法に含まれている衛生の知識は実に驚くべきものだ。
おもな感染源は害獣、昆虫、死体、体液、食品(とりわけ肉)、性行動、病人、その他の汚染した人や物であると、正しく指摘している。
また潜在的な感染源は目に見えず、ほんのわずかな体の接触でも広がることがあると暗示している……
さらに、手洗い、入浴、火による殺菌、煮沸、石鹸、隔離、体毛除去、爪の手入れまで、消毒の効果的な方法を説明している。(p261)
なんとはるか紀元前のモーセの律法では、すでに死体に触った後などは手洗いをするよう命じられていたというのです。
センメルワイスの時代の医者たちは、自分たちは「科学的な」理論に基づいて治療している文明人だと自負していたに違いありません。しかし彼らよりも、紀元前のモーセの律法に従っていたユダヤ人のほうが科学的だったとは。
現代の医者たちもまた、自分たちは科学の使徒であり、理知的な判断をしていると思っているかもしれません。
しかし科学の教科書は毎年毎年訂正されていることを知らないのでしょうか。科学が絶対的な真理だと考えるのは宗教的盲信と同じなのです。
このセンメルワイスのエピソードには続きがあります。
今日、旧来の通説やパラダイムに反する新しい知識への手のつけられない拒絶を、哲学者は「センメルワイス反射」と呼んでいる。(p216-217)
哲学者たちは、このセンメルワイスのエピソードを知ったとき、それが決して珍しい話ではなく、さまざまな学問の世界でよくみられるものだと見抜きました。
そして、新しい意見が現れたときに巻き起こる、理性的とは程遠い頑迷な拒絶を「センメルワイス反射」と名づけました。
この言葉を作ったのが哲学者たちだというのはいささか残念な話です。医者たちが過去の過ちを悔やんで、同じ失敗を繰り返さない自戒のためにこの言葉を作ったわけではないのですから。
そもそも鈍感な医者は、自分の言動が患者の心を傷つけていることにすら気づきません。センメルワイスを死に追いやった同僚たちも彼の苦しみに気づいていなかったのでしょう。
仮にも人の苦しみを癒やすはずの医者が、信じられないほど人の苦しみに鈍感だという史実を刻みこんだ墓標が「センメルワイス反射」なのです。
無力感を植え込むか、尊厳を育てるか
わたしは、すべての医者を否定する筋金入りの「医者嫌い」ではありません。もしそうなら、このブログも、この記事も書いていません。
この記事では、鈍感な医者を非難しつつも、幾人かの優れた医師たちの言葉やエピソードを引用してきました。いつの時代も、患者に寄り添う敏感な感性を持つ医者は、少数ながら存在しています。
大多数を占める鈍感な医者と、少数の優れた医者との違いは、患者に「無力感」を植え込むか、それとも患者の「尊厳」を育てるか、というところに表れるでしょう。
オリヴァー・サックスが、手話の世界へ (サックス・コレクション)の中で引用している、ヒルド・シュレジンジャーが述べた二通りの親の比較には、とても考えさせられます。
母親たちは、それぞれたいへん異なる仕方で我が子と話をするが、一連の分岐点をむかえると、次の二つのグループに分化されやすい。
A群は、子どもと一緒に話し合って対話にもちこもうとするのが多いのに対し、B群は、子どもにむかって話しかけようとすることが多い。
A群は、子どもの行動を支援し、支援できないときはその理由をきちんと説明することが多いのに対し、B群は、子どもの行動を管理し、理由の説明をしないことが多い。
A群は、自然な質問をするのに対し……、B群は、不自然な質問をする……。A群は子どもの言動をきっかけとするのに対し、B群は母親自身の内なる必要と興味をきっかけとする……。
A群は、過去や未来の出来事を含む広い世界について話してやるのに対し、B群は、現在この場のことについてしか話さない……。
A群は、刺激に意味をあたえて、周囲の情況を知らせる仲介者になろうとするのに対し、[B群は、そういうことを全然しようとしない]。
(ろう児の発達における問答 1988年) (p110)
この二つのタイプの親の接し方の違いは、子どもにどんな影響を及ぼすのでしょうか。それは子どもの積極性や、質問する能力の違いに現れるそうです。
A群の親の子どもは、周囲のさまざまなことに興味をもつようになり、気になることがあれば、なんでも積極的に質問します。対するB群の親の子どもは、質問することをしなくなり、親の言いなりになり、何事にも受動的、消極的になっていきます。
では、世の中一般の医者は患者に対して、どちらのタイプの親のような接し方をしているでしょうか。わたしにはどう考えてもB群にしか思えません。
医者は患者と対話するどころか、一方的に上から目線で話します。なぜこの薬を出すのか、なぜこの診断をするのか、理由をきちんと説明しません。説明するためのコミュニケーション力がないのかもしれません。
患者に日常生活の自然な質問をするどころか、診断マニュアルに基づいた不自然な質問をします。患者の話に耳を傾けず、自分の興味あることだけ聞きます。患者の過去や未来に興味はなく、今この場の症状にだけ関心があります。
その結果、患者はどうなっていくでしょうか。医者に質問せず、口答えせず、ただ出された薬を飲むだけの存在になっていきます。B群の親に育てられた子どものように、疑問を持たず、言いなりになるよう管理されていくのです。
がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのことの中で、カリフォルニア大学バークレー校の研究者ケリー・ターナーがこう述べているとおりです。
患者(patient)という単語の語源は「がまんする」「まかせる」または「服従する」という意味のラテン語、patiです。
現代でも、「がまん」とまではいかなくても、患者は通常、「おまかせします」と言って医師にしたがいます。
病院では、医師に従順な人は「よい患者」、医師に質問をしたり資料を持ち込んだり、自分の意見を言ったりする人は「面倒な患者」とみなされるのです。
いくつもの病院や腫瘍内科クリニックで働いて、わたしはその現状を見てきました。(p61)
このとき、患者のほうから受け身になっているのかといえば、そうではないでしょう。医療の場の力関係は、必ず医者が上で患者が下だとみなされています。本来医療はサービス業なので逆であってもいいはずなのですが、なぜか伝統的に医者は「先生」です。
そうすると、先ほどの親と子のたとえがそのまま当てはまります。力関係において上位にある医者が、A群の母親のように患者に接すれば患者は能動的になりますが、B群の母親のように接すれば、患者はおのずと受動的になっていき、一方的に服従させられるようになります。
このとき起こっているのは、「無力感」の刷り込みです。
B群の母親のような鈍感な医者は、まず大前提として、外来にやってくる人を病人や障害者とみなしています。
何かの症状を抱えてやってくるのだから、それは当然だ、と言うかもしれませんが、はなから患者を、障害を抱えた健常でない劣った人、とみなしていることは、患者との接し方、ひいては患者が自分自身を評価する仕方へと影響を及ぼします。
たとえば、不登校の子どもが外来を訪れたとしましょう。医者はまず、子どものさまざまな症状を聞き取ります。そして、起立性調節障害だとか、睡眠障害だとか、発達障害だというような診断を下し、それを治療するための薬を出します。
一見筋が通っている、ごく当たり前の対応に見えます。しかしこの不登校の子どもは、病院を出るときには、「障害」というレッテルを貼られて帰っていくのです。
何かの病気だから治療しましょう、という医者にとってごく当たり前と思える対応は、暗に、あなたは他の健康な人より劣っていて、欠けている部分があるから失敗したのだ、だから治療によって埋め合わせる必要があるのだ、というメッセージを含んでいます。
双極性障害であれ、うつ病であれ、パーソナリティ障害であれ、愛着障害であれ、そうした診断名を何気なくつけて患者にレッテルを貼るのも同様で、患者が健康な人からは何かが欠けている、障害者である、というメッセージを送っています。
その結果、不登校の子どもにしても、他の病気でやってきた人にしても、医者にかかることで、自分に欠けている部分、足りない部分に目を向けさせられます。
けれども、子育てのアドバイスでよく言われるのは、その逆ではないでしょうか。子どもの欠点ではなく長所に目を向けて褒めて伸ばしてあげよう、そう勧められます。
これは、子どものあら捜しばかりするなら子どもが自信を失って無力感を抱いてしまうからです。逆に長所を見つけて伸ばしてあげるなら、子どもの自尊心が育ちます。
しかし医者とは、外来にやってきた人の異常を探すように訓練される職業です。患者の長所とか立派なところではなく、欠点を探してこそ医者という職業がなりたちます。言ってみればあら捜しをするよう訓練されてた人たちなのです。
「患者が自分をどう定義するか」を左右する
このリスクはあまりに当たり前に存在しすぎるために気づいていない医者も患者も多いですが、懸命な医者はしっかり意識しています。
ヴァン・デア・コークは身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法でこう書いていました。
精神医学的診断には重大な結果が伴う。治療は診断に基づいて行なわれるからだ。誤った治療を受ければ、悲惨な結果を招きかねない。
また、診断名は患者が死ぬまでつきまとうだろうし、患者が自分をどう定義するかに強い影響を及ぼす。
モンテ・クリスト伯さながら、まるで残りの人生を地下牢で過ごすことを宣告されたかのように、自分は双極性障害「である」、境界性パーソナリティ障害「である」、あるいはPTSDを「負っている」と言う患者に、私は数え切れないほど出会ってきた。(p228)
病院に行って、症状を指摘され、何かの診断がついた人たちは、最初こそ、自分の苦しみの原因がわかってほっとするかもしれません。
しかしそれは同時に、「自分をどう定義するかに強い影響を及ぼ」します。インターネット上のブログやSNSを見ていると、自分は発達障害だからまともに働けないとか、うつ病だから仕事も何もできない、と書いている人をとても頻繁に見かけます。
そうした人たちは、自分の欠けている部分にとらわれ、医者から診断されたレッテルをもって自分を定義づけしています。しかし、その人たちは本当に何かが欠けている障害者だったのでしょうか。わたしはそうは思いません。
ヴァン・デア・コークは続けてこう書いていました。
だが、これらの診断のうち、私たちの患者の多くが生き延びるために発達させる並外れた才能や、奮い起こした創造的なエネルギーを考慮に入れているものは一つもない。
診断は症状の寄せ集めにすぎないことがあまりにも多く、マリリンやメアリー、キャシーのような患者は、制御が効かなくなったので、まともな人間に戻してやらなくてはならない女性と見なされる可能性が高い。(p228)
ここに出てくる、マリリンやメアリー、キャシーという女性は、児童虐待の被害者で、ひどいトラウマ症状に悩まされていました。そうした人たちは、医療の場では当然のように、病人や障害者、つまり欠けたところのある人とみなされます。
冒頭でわたしが読むに堪えなかった本もこの種のものであり、こうした被害者は心も脳も傷ついてしまったので、「まともな人間に戻してやらなくてはならない」とみなされていました。
しかしヴァン・デア・コークはそんなふうに彼女たちを見ていません。彼女たちを、「生き延びるために発達させる並外れた才能や、奮い起こした創造的なエネルギー」をもつ一人の人間とみなしています。
人間に戻してやらねばならないかわいそうな「障害者」ではなく、トラウマ症状に悩まされている今でさえ、立派に生き抜いている一人の人間である、と尊厳を認めていたのです。
このヴァン・デア・コークの関わり方は、先ほどのA群の親のようなものでしょう。一方的に命令したりあら捜ししようとしたりはしません。辛い症状を抱えていることは見抜いていますが、同時に、患者の長所もまたよく知っています。
先に述べた不登校の子どもの例でいくと、こうした医師は、こんな対応をするかもしれません。
きみは、学校では体調を崩してさまざまな問題に見舞われたけれど、それは生まれつき他の子と違っている特性を持っていたり、人いちばい感受性が強かったりするからなんだ。
一応、診断の上では「発達障害」にはなってしまうけど、他の子に比べて劣っているわけじゃないんだよ。最近の研究では、こうした子は違う民族のようなものだ、と言われているんだ。
例えば、アメリカ人の子が、一人だけ日本の学校に通うことになったら、文化の違いに戸惑って、体調を崩してしまうかもしれないね。だけど、日本人よりアメリカ人が劣っているってわけじゃない。
同じように、他の子と違う特性を持っている君も、学校のような大勢の人な囲まれて刺激の多い環境では体調を崩してしまうかもしれないけど、だからといって劣っているということじゃなく、ただみんなとやり方が違う、というだけなんだ。
今の時代は、そんなちょっと特性が異なる子たちのための選択肢が色々あるから大丈夫だよ。それに、その違いをうまく発揮できたら、きっと他の子にはできないようなことができるようになるよ。
そうするために、医療や福祉で何か役立つものはないか、あるいは生活で工夫できるようなことがないか、これから一緒に考えていこうね。
こんなふうに、たとえ病名がつくにしてもそれをレッテルだと思わせず、逆に長所のほうを強調してくれる医者にかかることができれば、無力感が深まることはないでしょう。
これは、ただ単に「がんばれ」と励ますのとは違います。鈍感な医者でも患者を叱咤激励します。
そうではなく、患者が持つ長所に目ざとく目を留め、しかもそれを研究してくれるということです。賢明な医者は、病気の症状と同じほど、患者のもつ長所についても研究します。
たとえば前に紹介したとおり、自閉症の発見者であるハンス・アスペルガーは、自閉症を欠陥ではなく、ひとつの種族とみなしていました。そして適切な支援が得られれば、才能を発揮できる人たちだと信じていました。
その後の鈍感な医者たちは、自閉症は3つ組の障害を持っていると決めつけ、社会性、コミュニケーション、想像力が欠けているというレッテルを広めました。このネガティブなイメージは、いまだに社会に浸透しています。
しかし、オリヴァー・サックスは、火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)の中で、アスペルガー症候群の女性テンプル・グランディンについて書き、自閉症とは、独特の認知特性をもっており、独自の文化を形成している人たちだという考えを再確立しました。
ADHDについても、しっかり研究している医師なら、ADHDという「障害」が本当に存在するのかどうか、議論があることを知っているでしょう。実際には正常な範囲の特性で長所も備えているにもかかわらず、時代背景のせいで障害とみなされているだけだと。
さらに、神経質で悩みやすい患者についてはどうでしょうか。わたしが一番最初に医療に違和感を覚えたのは、慢性疲労症候群の専門医の見方でした。
慢性疲労症候群の研究では、患者の「病前性格」として完璧主義や神経質なところがみられるとされています。そして治療の一貫として、そうした悪い性格を直し、もっとポジティブになるよう勧められていました。
どうして、それが悪い性格なのでしょうか? 慢性疲労症候群の患者に完璧主義や神経質がみられるとしても、その性格が病気の発症の原因であるとどうして言えるのでしょうか。
これはおそらく古典的な因果関係と相関関係の誤認です。Aという病気の人にBという病前性格が多い場合、短絡的な思考をする人は、Bという性格だからAになったのだという因果関係をひねり出します。
しかし実際には、Cという別の要因があり、それがAという病気を引き起こしやすい同時に、Bという性格をも形作りやすい、というのが真実かもしれません。本来、原因ではないものを因果関係にしてしまうのは、基本的帰属錯誤と呼ばれています。
慢性疲労症候群の場合、Cという要因には、たとえばもともと不安を感じやすく、しかも感覚過敏で疲れやすいHSPのような遺伝的要素があるかもしれません。
そして、以前書いたように、生来不安を感じやすい人は、無理やりポジティブになろうとするとかえってパフォーマンスが低下し、より不安が強くなってしまうことがわかっています。
つまり、不安を感じやすく、神経質で完璧主義な人に必要なのは、ポジティブになれ! というアドバイスではなく、不安を適切にコントロールする認知戦略を身につけることです。それを身に着けたからといって、慢性疲労が軽減するかどうかは別問題ですが。
本来医師がすべきなのは、特定の性格を悪いと決めつけて直すよう勧めるようなことではないはずです。しかし、自分の学問の分野の外の知識にはあまりに無知なので、こうした子どもじみた短絡的なアドバイスしか出てこないのです。
「それは畏敬の念だ」
今挙げたのは悪い例ですが、自分が専門とする患者の良い特性をよく認識している専門家もいます。たとえば、図解やさしくわかる強迫性障害のまえがきで、専門行動療法士の岡嶋美代さんはこう書いていました。
実は私は強迫性障害(OCD)の患者さんが大好きです。
自分のこだわることに対する徹底した取り組み方や、細胞の奥の奥まで純粋で、心の底まで潔癖であり続けようとする完璧主義、寸分違わぬピチッとしたはまり具合を追求する職人芸など、心から尊敬したくなります。
それに、何人もの患者さんに会っても、一人として同じ症状を持った人に出会ったことがありません。
それほど、バラエティに富んだ自由な発想で私に挑戦状を突きつけてくる、そんな患者さんたちと出会うのは日々の楽しみでもあります。
こんなことを書くと、死ぬか生きるかの瀬戸際で悩み苦しみ、家庭崩壊寸前で未来への希望も失いかけた方には、とても不謹慎に聞こえるでしょう。
そんなことは承知の上で「好きだ」ということを伝えたいと思いました。
大切にしてるからこそ諦めきれない、考えやものや感覚を、自分の人生を犠牲にしてまで守っている方々なのです。
大切なものを諦めるか、人生を犠牲にするかではなく、この両者のバランスをとることが治療だと思っています。(p2)
こうした言葉を読むと心が温かくなります。患者を病人や障害者ではなく、生きた一人の人、多様性にあふれた個々の人として尊厳を認めて接しているのがひしひしと伝わってくるからです。
違いははっきりしています。鈍感な医者たちは、外来に来る人たちを何かが欠けたかわいそうな人という観点からしか見ていません。あくまで、治してやろう、助けてやろうという上から目線がにじみ出ています。
しかし、患者の長所を愛している医師は違います。不登校の子どもであれ、トラウマを負った人であれ、他のどんな人であれ、逆境に面しても懸命に生き抜いてきたかけがえのない人、という視点で見ています。
あくまで医療はその人をサポートするだけで、問題を乗り越えていくのはその人自身の内に秘められた強さや可能性なのだという認識があります。
上から目線で話すのではなく、ときに患者の生きざまに対する畏敬の念さえ口にします。ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法で書いていたように。
児童虐待のじつに多くのサバイバーと同じで、マリリンは生命力、すなわち、生きて自分の人生を支配する意志や、トラウマの壊滅的な力に対抗するエネルギーを体現している。
私は徐々に気づくようになった。トラウマを癒やす仕事を可能にしているものは一つしかない。
それは畏敬の念だ。
患者が虐待に耐え、それから回復への道のりにはつきものの魂の闇夜にも耐えることを可能にした、生存へのひたむきな努力に対する畏敬の念なのだ。(p225)
こうした医者の姿勢は、鈍感な医者からは決して得られないものを患者に与えます。
それは一人の尊厳ある人間として認めてもらったという自尊心であり、それこそが、どんな医療や福祉にもまして、逆境を乗り越えさせる特効薬となるのです。
鈍感な医師は、無意識のうちに患者に無力感を刷り込んで、生きている一人の人間を病人また障害者へとならせてしまうのに対し、賢明な医師は、死んでいた病人をよみがえらせます。
一人の尊厳ある人間へと、そして自分の足で逆境を乗り越えていける人間へと、立ち上がらせることができます。そうすれば患者は、だれの手も借りず、自分の足で苦難を乗り越えていくことができるようになります。
「特別な芸術的・詩的な感性が必要とされる」
こうした鈍感な医者と賢明な医者とを分ける違いは何なのか。
さまざまな意見があるでしょうか、わたしはタイトルに書いたように、芸術的な感性こそがポイントではないか、と思いました。
というのは、脳神経科医オリヴァー・サックスが色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫の中でこう書いているのを思い出したからです。
人類学者にとっての歴史は、たとえば外科医にとっての患者のようなものだ。
異なる歴史観や文化を十分に理解したり共有したりするには、歴史家や科学者の技術を超えた何かが必要なのだ。
つまり、特別な芸術的・詩的な感性が必要とされるのである。
…ウィリアム・ベックは外科医であると共に詩人で、35年前からミクロネシアに暮らし、仕事をしている。
若い頃にアフリカ南部で医者として働いていた彼は、民話や先住民の芸術に強い興味を抱き、土地の文化に深い親しみを覚えるようになった。
…この出会いにより、ベックには新たな仕事が生まれた。それはチュークやミクロネシアのあらゆる詩や神話を記録として保存し、次の世代のために新たに創作することである。
…「僕は年を取った医者で詩人なんだ。
83歳になった今でも、古い伝説を翻訳して未来のために残そうとしている。
ここの人々が僕にくれた贈り物のお返しをしているんだよ」(p282-283)
この心温まるエピソードの中には、わたしが言いたかった賢明な医者の特徴が、いくつも散りばめられています。
つまるところ、患者を傷つける鈍感な医者と、患者の良いところを見つけて力づける賢明な医者とを分けているのは、ここで言われているような「歴史家や科学者の技術を超えた何か…つまり、特別な芸術的・詩的な感性」なのです。
このような感性を持つ医者は、「異なる歴史観や文化を十分に理解したり共有したりする」ことができます。患者を自分より劣った病人、とみなすのではなく、異なる文化をもつ対等の人間とみなして接します。
鈍感な医者とて、患者の症状を研究することはするでしょう。医者であるからには、障害や欠陥の専門家でなければならないからです。
しかし、芸術的感性を持った医者は、それ以上のことをします。症状を研究するだけでなく、同じくらいの熱意をもって長所をも研究します。
なぜなら、その医者たちが興味を持っているのは、単なる病気ではなく、患者たち一人ひとりの人生、そして文化だからです。
鈍感な医者は、健常か障害か、白か黒という独断的なものさししか持ち合わせていません。健常でなければ障害、健康でなければ病気です。
健常者である医者のほうが、障害者である患者を救う使命を帯びているのであり、劣っている側の患者に自分が教えてもらうといった発想はありません。
しかし芸術的感性のある医者は、患者が自分より劣っている存在などではなく、別の文化を生き抜いてきた対等の人間であるという認識を持っています。別の文化の人間とみなせば、互いに学び合うという関係が成立します。
だから、さっき出できたベックは、「ここの人々が僕にくれた贈り物のお返し」をするという発想を持つことができました。
同様に、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法によれば、ヴァン・デア・コークの恩師の教えはこうでした。
私の崇敬する恩師エルヴィン・セムラッドは、教科書は疑ってかかるようにと学生に教えた。
本物の教科書は一冊しかない。それは患者だという。
彼らから学べることだけを―そして自分自身の経験から学べることだけを―信頼すべきだ、と。(p25)
彼にとっての教科書は医学の教義ではなく患者でした。それゆえ、たとえ患者が述べることが学んだ医学の教えとは一致していないとしても、自分の“宗派”を盲信しませんでした。むしろ患者のほうに合わせ、信条を変化させました。
私にとって長年の患者であり師でもある人物となった人は何人もいるが、ビルもその一人で、私たちの関係は私のトラウマ治療の進化の物語でもある。(p372)
彼にとっては、医者と患者は、医者が上で患者が下、という関係ではなかったのです。どちらもが教える側になり、学ぶ側にもなりました。異なる二つの文化があるにすぎず、どちらが優位という考えはありませんでした。
芸術は科学に先んじる
それにしてもなぜ、患者たちを対等の文化をもつ人間だとみなし、互いに学び合うために、芸術的な、また詩的な感性が役立つのでしょうか。
冒頭でオリヴァー・サックスの手話の世界へ (サックス・コレクション)からこんなエピソードを引用しました。
実際、その根底には、憐憫の情や高所から見くだすような姿勢、ろう者を病人とはいわないまでも「無能力者」とみなす考え方が隠されている。
ギャデロットの事件に関与した医師たちの一部にとりわけ激しい非難の声があびせられたのは、そうした医師たちの場合、ろう者を新しい感覚モードに適応したまったき民族の一員ではなく、たんに耳が悪いだけの人間とみなすことが少なくないように思われたからである。(p248)
今でこそ、ろう者はある程度独自の文化を持つ集団としてみなされるようになりましたが、それでもまだ「障害者」という概念は残っています。
耳が聞こえないのだから、障害者と呼ばれるのも当たり前ではないか、と言い出す人がいそうですが、ではあなたは、四色型色覚を持つ人の見る世界が見えるのでしょうか。
何をもって障害とするかは、どこを基準とするかで変わります。もし四色型色覚を持っている人間こそが完全だ、とみなしたら、それらが欠けている人はみな、障害者となります。
実際、何かが欠けているからといって障害者だとみなすのだとしたら、わたしたちは全員、何らかの意味で障害者になります。ある人が持っている遺伝子が別の人で欠けているのはあたりまえですし、多様性があってこその人類だからです。
ある人たちが「健常」とみなされているのは、あくまでその集団が多数派だからです。一番多い集団が普通だとみなされ、そこから外れている人が障害とか異常とか、あるいは天才だとかみなされているだけです。
けれども、目の見えない人や、耳の聞こえない人は、欠けている能力のために生活に不自由するのだから、やっぱり欠陥のある障害者ではないか、と主張する人もいるでしょう。
ところがそれも間違っています。以前の記事で書いたように、目の見えない人が多数派を占める文化や、耳の聞こえない人が多数派を占める文化に行けば、目の見える人、耳の聞こる人のほうがコミュニケーション障害を抱えるからです。
サックスは、ろう者たちの巨大なコミュニティからなるギャデロット大学に行ったときのことをこう書きました。
キャンパスは、〈手話〉の会話に熱中する二人組や数人のグループでかまびすしかった(といっても音声はともなわないのだが)。
会話はあちこちで目撃できるが、私にはその内容がひとつでして理解できなかった。ここではむしろ、私のほうがろう者であり、唖者なのかもしれない。
〈手話〉を使う共同体では、こちらが障害者、少数集団(マイノリティ)になってしまうのだ。(p224)
ろう者たちは健常者より劣っているどころか、耳が聞こえない代わりに聴覚野が視覚機能に割り当てられているため、健聴者には一生かけても理解できない微妙な視覚表現を読み取ることができます。
何かが欠けている者が障害者だと言うなら、ろう者の持つ視覚思考力が欠けている健聴者もまた障害者です。結局のところ、どちらが健常というのはなく、それぞれが別々の長所と短所を持つ文化だと考えるのが妥当です。
ここで引用している出来事は、1986年にギャデロット大学を中心に生じた、ろう者たちによる大規模なストライキのときの話です。このとき、ろう者は一斉に自分たちは「障害者」ではなく「民族」なのだ、と名乗りを挙げました。
興味深いことに、この新たな思想をいち早く取り入れ、ろう者の解放の流れを作ったのは、医師でもなければ、教師でもなく、さらにはろう者のコミュニティでもなく、芸術家たちだったといいます。
芸術家とは、(パウンドがいうように)民族の頭から突きでた触覚のようなものである。
このときも、自己のなかにこの新しい意識の萌芽をみてとり、それを布告したのは、芸術家たちだった。
つまり、ストーキーの著作をきっかけにしてまずおこったのは、教育運動でも政治運動でもなく、芸術運動だったのである。(p242)
オリヴァー・サックスが述べる、「芸術家とは…民族の頭から突きでた触覚のようなもの」という言葉は言い得て妙でしょう。
以前の記事で書いたように、創造性についての研究によれば、クリエイティブな作家や詩人、芸術家たちに共通しているのは、時代の趨勢をいち早く読み取り反映する敏感さ、だとされていました。
あたかも、それぞれの文化のグループの触覚であるかのように、芸術家たちは、新たな思想や概念をいち早く取り入れ、文化の先鋒となります。
芸術的才能と脳の不思議―神経心理学からの考察に書かれているように、時代の最先端を行くのは芸術家であり、科学者にさえ先んじることが少なくありません。
芸術家の創造性はきわめて高く、時には芸術作品が正式な科学的発見に先行することもある(Shlain,1991)、
実際に視覚芸術家が、科学者たちに彼らの研究を新しい視点から見る機会を与えたことも多い。
高名な芸術家たちは、科学的研究により明らかにされた厳密な法則に束縛されることなく心を自由に飛翔させ、彼らの才能と知性を駆使してオリジナリティ豊かな作品を造りあげていくのである。(p13)
実際に、芸術家が、科学の発見を何世紀も先取りしていたさまざまな例は、プルーストの記憶、セザンヌの眼―脳科学を先取りした芸術家たちという本に詳しく書かれていました。
本書で取り上げた芸術家たちは現代科学の誕生を目にした。
ホイットマンとエリオットはダーウィンについて深く考え、プルーストとウルフはアインシュタインを賞賛した。
だがその一方で、彼らは芸術が必要だという信念をけっして捨てなかった。(p8)
今日、私たちは、プルーストは記憶に関して正しく、セザンヌは視覚皮質に関して驚くほど正確で、スタインはチョムスキーに先んじ、ウルフは意識の謎に分け入ったことを知っている。
現代の神経科学が、彼らの芸術的洞察力を確証したからだ。(p11)
多元的なものの見方ができる
偉大な科学者は、同時に芸術家でもあったことが少なくありません。レオナルド・ダ・ヴィンチは画家でもあり科学者でもありました。アルベルト・アインシュタインはヴァイオリンを愛し、音楽的な感性に満ちていました。
ペニシリンを発見したアレクサンダー・フレミングは科学者であり画家でもありました。「クリエイティブ」の処方箋―行き詰まったときこそ効く発想のアイデア86によれば、フレミングは普段バクテリアを絵の具にして絵を描いていたので、他の科学者が気づかないような発見ができました。
フレミングと他の科学者が決定的に違うのは、フレミングはアーティストのような思考を持った科学者だったということだ。(p365)
わたしが今回引用している様々な本を書いた医者たちもまたそうです。
オリヴァー・サックスは、脳神経科医であると同時に優れたエッセイを送り出す作家でした。ノーマン・ドイジは精神科医であると同時に作家であり詩人でもあります。
ヴァン・デア・コークやピーター・ラヴィーンといったわたしのお気に入りのトラウマ研究者たちは、著書の中で、実は医者ではなく科学者や人文学者なのではないか、と思うほど、幅広い文献や物語、さらには神話から引用します。
やはりわたしのお気に入りの医者である岡田尊司先生や、柴山雅俊先生の著書は、医学の本なのか、それとも小説なのか判断にこまるような芸術的・詩的な描写や考察に満ちています。
いずれの医師も、わたしにとっては、医師というより作家、ストーリーテラーのような印象があります。こうした医師の著作は、専門医学の最先端を扱っていながら、人間味にあふれ、患者を可能性に満ちた力強い人間として描き出しています。
もしかすると、医者と芸術家というのは、かなり両極端の、正反対に近い感性を持つ職種なのかもしれません。
医学は、この記事でたびたび指摘してきたように、伝統的な宗教と似たような構造をしています。俗世間から離れて隔離された学会内に寄り集まって、伝統と教義に基づいて、常人にはわからないような用語を用いて議論しています。
対する芸術家はというと、いかに他の人より早く、新しい分野を切り開くかが求められる職業です。人と似ていることではなく、異なっていることを求め、伝統よりも変化を重んじます。
医学は、欠陥に注目する土台の上に成り立ってる学問です。人の長所を探したり良いところを探したりしていては成り立ちません。まず障害を、病変を、異常を見つけることから始まります。
それゆえに、医学界ではことごとく、ポジティブな性質の研究が取り残されています。
怒りや悲しみ、精神異常の研究は進んでいるのに、幸福や喜び、創造性についての研究はまだ始まったばかりです。しかも医学界ではなくポジティブ心理学という別の学問で研究されています。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)については研究が進んでいますが、PTG(心的外傷後成長)についてはほとんど研究されていません。
トラウマの原因については研究が進んでいますが、トラウマから回復するための素質(レジリエンス)についてはまだほとんど未知です。
ADHDや自閉症の欠点については非常にたくさんの研究が積まれていますが、それらの人たちの長所については全然研究されていません。そもそも研究しているのは医者ではなく心理学者や当事者たちです。
医学はあくまで障害ありきでしか成り立たない学問なので、基本的にネガティブであり後ろ向きです。
しかし芸術家は、いかに新しいものを創り出すかを探求する創造性の学問です。たとえ怒りや憂うつのようなネガティブな感情であっても、作品を創り出す原動力として昇華してしまいます。
医学が健康な専門家によって病んだ患者を癒やすことを目的としているのに対し、芸術は多くの場合、自分で自分の苦悩を乗り越えていくときに生まれるものです。芸術は、自分の足で道を切り開く人のための領域です。
医学はあくまで、現実世界のデータという一元的な認識を絶対視する学問ですが、芸術は、こことは異なる別の多元的世界を、無限に創造していくところです。
一元的世界しかない医学では、あるデータが正しければ別のデータは間違っているという、全か無か思考に引き寄せられます。現実はひとつなのですから、正しい学説はひとつだけ、真理はひとつだけです。
しかし無限に多様性を追求し、異なる世界を創造していく芸術は、物事を他と違う角度から見る多面的な力を養っていきます。真理はキュビズムのように多面的であり、ひとつの絵画に複数の視点が盛り込まれていてもよいのです。
芸術的な感性をもつ医者は、患者たちに対し、キュビズムのような多面的な見方ができます。
医者の世界の文化があるのと同じく、患者たちにもそれぞれの文化があり、医者の文化では正しいと思えることも、相手の文化では異なる、という多元的な世界観を想像することがてきます。
それはもはや、医学という狭い教義の慣習を越えた考え方です。手話の世界へ (サックス・コレクション)の中で、オリヴァー・サックスはろう者を例に、こう述べています。
民族はまったく異なっていることもありうるが、そのひとつひとつに価値があり、たがいに等価である。
ろう者もひとつの「民族」であり、孤立した異常な障害者というだけの存在ではない―
こんな意識の高まりによって、医学的・病理学的観点よりも人類学的・社会学的・民俗学的観点を重視する方向へと流れは変わっていったのである。(p246)
患者を何かが欠けている障害者ではなく、対等の文化を持ち、互いに教え学び合える異民族のようにみなす、というのは、医学の世界とは別の次元、人類学や社会学、民俗学的な次元で見るということです。
二重三重の多元的なものの見方が求められるわけですから、医学的知識だけではなく、芸術的・詩的な感性が必要だとされるのももっともです。
患者を一人の人間として認める
視覚はよみがえる 三次元のクオリア (筑摩選書)に書かれている次の興味深いエピソードは、ある文化から見て当然正しいと思えることでも、別の文化から見れば完全な誤りかもしれない、ということを物語っています。
目の見えない人はきわめて異なる形で世界と関わっているため、目が見える人は、ただちょっと目を閉じるだけでは、目が見えない状況がどういうものかを知ることができない。
実のところ、そのせいで、目が見えない人のための技術、たとえば耳で聞く交通信号などを設計するさいに誤解が生じている。
エンジニアたちは、道を渡っても安全なときにブザー音を鳴らす信号を作れば、目が見えない人は車の流れに対処しやすくなると考えた。
ところが、全米視覚障害者連盟は、耳で聞く交通信号がじつは安全を脅かしていることを報告した。
ブザー音を鳴らす信号はよぶんな音とまぎらわしい反響を生じ、近づいてくる車の音を聞いてその位置関係を把握するのをかえってさまたげている。
交通信号は最善を意図して設計されたはずだが、おそらく設計者たちは、視覚障害者のことを単なる目が見えない人と想定していたのだろう。
視覚障害者はむしろ、視覚なしで世界に対処できる脳と技術を発達させた人なのだ。そしておそらく、ふつうとは異なる脳の配線を活用している。(p225)
この場合、エンジニアたちは良かれと思って信号を改造しましたが、それはまったくの時間の無駄であり、資産の無駄であり、さらには事故の危険を増加させる有害な結果をさえ招きました。
どうすれば、この結末は避けられたのでしょうか。
簡単なことです。あらかじめエンジニアたちが、目の見えない人たちの意見に耳を傾けていればよかった、ただそれだけのことです。
そんな単純なことができないのは、自分たちは健常者であり、目の見えない人たちは劣っている障害者だと、無意識のうちに考えていたからでしょう。
鈍感な医者たちの場合と同じです。自分たちは健康で知識がある専門家だから、障害や病気があるかわいそうで無能力な人たちを助けてやらねばならない、そんな独りよがりの考え方をしているのです。
芸術的な感性のある医者たちは、そうは考えないでしょう。彼らとて、目の見えない人のような、自分とは異なる世界を生きてきた人たちの文化を想像できないのは同じです。
しかし、多元的世界を想像できるので、自分の見ている世界が唯一絶対のものではないことをわきまえています。
だから、彼らは、わからないなりに患者たちの言葉に真剣に耳を傾け、異なる文化の言語や習慣を知ろうとします。むずむず足症候群の発見者カール・エクボム博士がそうしたように。
オリヴァー・サックスは、かつてろう者の文化についてまったく理解していなかったと述べています。ヴァン・デア・コークも、かつて児童虐待のサバイバーの気持ちがわからず、無思慮な言葉をかけてしまっていたと述べています。
けれども二人とも、異なる文化を知ろうとしました。自分が偏見を抱いていたことを謙虚に認め、自ら進んで異文化のただ中に身を置き、患者たちの感じ方を肌身で実感しようと努めました。
患者を「ペットなみにあつかっている」
ブザーの鳴る信号を作ったエンジニアのように、また一方的に医療を押し付ける鈍感な医者がするように、「すべてこちらにまかせていればいい」、というのは一見親切に見えるかもしれません。
しかし実際には、独りよがりであり、目の前の相手を一人前の人間として扱っていないことの証拠です。
冒頭で手話の世界へ (サックス・コレクション)から引用したろう者のストライキの話の中には、『憐憫の情や高所から見くだすような姿勢、ろう者を病人とはいわないまでも「無能力者」とみなす考え方』をしている医師に激しい非難が浴びせられた、と書かれていました。
それはつまりどういうことだったのかというと、続く文脈でこう説明されています。
要するに、ろう者は自分たちが頭ごなしに指図されたり、子どもあつかいされたりしていると感じていたのである。次は、ボブ・ジョンソンが話してくれた典型的な事例である。
何年もここにいると、ギャデロットの教職員は、学生をペットなみにあつかっているんじゃないかと思えてくる。
たとえば、ある学生が、就職のときの面接を体験できると聞いて、進路指導課を訪ねたときの話だ。
実際の面接に申しこみ、その手順を覚えられるというんで、その学生は進路指導課に足を運んで自分の名前を名簿に書きこんだ。
次の日、進路指導課の職員から電話がかかってきた。面接の手はずも、通訳の依頼も、時間の割り振りも、会場までの車の手配も、みんな済んだという……。
学生は、これを聞いて怒りだしたが、職員のほうはなぜ怒ったかわからない。
学生は説明してやった。
「進路指導課に足を運んだのは、電話のかけ方、車の手配の仕方、通訳の仕方を覚えたかったからです。
それなのに、みんなかわりにやってしまっている。こちらとしては、そんなことは望んでいないんです」。
つまりはそういうわけなんだ。(p249)
「患者であるあなたは何も考えず、みんなこちらにまかせておけばいい」という態度を示す医師は、親切そうに見せかけていても、この教職員と同じです。
この教職員は悪意があったわけではありません。さっきのエンジニアたちもそうです。良かれと思ってやっているので、当事者の感じる苦痛がわからない。これが鈍感な人たちの何より嘆かわしいところです。
鈍感な医者たちは、自分が無意識のうちに、患者を見下していることも、「無能力者」とみなしていることも、まったく気づいていません。患者が反発したら、こんなに親切にしてやっているのになんとわがままなんだ、と怒り出します。
しかし、何もかも指図し、患者の訴えにまともに耳を傾けず、ぜんぶお膳立てしてあげる、というのは、結局のところ「子どもあつかい」しているということ、つまり患者を一人の大人として扱っていないということです。
もっといえば、「ペットなみにあつかっている」、つまり医学実験のときに、物言わぬマウスを対象に有無を言わさず身勝手な治療法をあれこれと試しているのと、大差ありません。
けれども、鈍感な医者はこう言うかもしれません。すべて代わりに決めて判断してやっているのに、どうして文句を言うんだ。素人は口出しせず、黙って専門家の判断に従っていればいい。
そんなことを言える人はきっと、40年以上も前に行われたこの古典的実験を知らないくらい勉強不足なのでしょう。
脳科学は人格を変えられるか? (文春文庫)には、1970年代に、ニューヨーク市立大学の心理学者、ジュディス・ローディンとエレンランガーが、ニューイングランドのアーデンハウスという介護施設で行った有名な実験について書かれています。
アーデンハウスの中のふたつの階がランダムに選ばれ(二階と四階)、これらの階の住民はすべて、植物の鉢をひとつと、週に1度映画を見に行くチャンスを与えられた。
状況をコントロールする自由がどれだけ与えられるかという点を除いては、ふたつの階の状況はできるかぎり同一にされた。
四階の住民は自分の好きな植物を選び、好きな時間に水をやることができる。何曜日の晩に映画を見に行くかも自由に選ぶことができる。
対照的に、二階の住民は決められた植物を与えられ、水やりもスタッフが行う。映画を見に行く曜日もスタッフが決定し、住民に伝えた。
18ヶ月後にローディンとランガーはふたたび施設を訪れた。結果は驚くべきものだった。
四階の住民が二階に比べて幸福度や健康度が高かったのはともかく、両階の差は死亡率にまで及んでいたのだ。
二階の住民の死亡者数は四階の住民のじつに二倍にのぼった。(p283)
この実験の意味は明らかです。人は、ペットのように身の回りのことを全部勝手に決められ、自分で自分の人生をコントロールできないままにされるなら、幸福度や健康度だでなく、寿命までもが損なわれてしまうのです。
患者を自立した一人の人間と認めず、何もわからない障害者とみなし、独りよがりにも、ぜんぶ専門家である自分に任せるようにという横柄な態度をとる医者は、善意からそうやっているとしても、患者を治療するどころか健康を損なっています。
手話の世界へ (サックス・コレクション)には、何もかも世話されていたせいで、ろう者は長いあいだ「おのれが無力な存在という幻想」にとりつかれてしまっていたと書かれています。(p228)
本当はもう子どもでなくても、親から事あるごとに子ども扱いされ続けていると、自分はまだ一人前になれていないという心もとなさがつきまとうものです。
本当は「障害者」ではなく、個性豊かなユニークな文化の住民であっても、医者からあなたはこれこれこういう病気で治療が必要なのだと言われ続ければ、自分を障害者だと思い込むようになっていくものです。
そうするうちに、本当は自分の人生に責任を持てるはずの人たちが、「おのれが無力な存在という幻想」へと洗脳されていきます。
手話の研究者であるボブ・ジョンソンは、この状態を『植民地政策まがいの「お得意さま」商売』と呼びました。
こうした植民地政策まがいの「お得意さま」商売は、しょせん「お得意さま」がいなけりゃあ成立しない―ろう者はこのとき、はじめてこれに気がついたんだ。
健聴者にとっては、こうした「お得意さま」相手の福祉事業が、この上なくおいしい商売なんだということを、ね。ろう者がいなきゃ、この商売、そもそも成り立たないんだから。(p256)
植民地政策では、その国の人たちの文化を認めず、支配国の言語や習慣を強制することで、文化的アイデンティティを失わせ、精神的に隷属させます。
同様に、医学の診断名や治療は、その人がもともと持っていたアイデンティティを上書きしてしまいます。人とは異なる長所と短所を持っているユニークな人が、医者にかかれば「発達障害」になります。
その結果、得をしているのは「お得意さま」相手においしい商売をしている人たちです。「病人」や「患者」がいるからこそ、医者や製薬会社という商売はなりたちます。
本当は、ひとりの人間として個性を持っている人、独特の文化を持っている少数派の人たちに、過剰に病気や障害というレッテルを貼ることで、植民地政策のように隷属させ、顧客を増やしているというわけです。
隷属状態にある少数派の人たちは、自分が植民地支配を受けているということに気づかなければ、そして、自分たちの足で立ち上がり、独立宣言をしなければ、奪い去られた自分たちの文化を取り戻すことはできません。
鈍感な医者はもういらない
この記事のタイトルは、「当事者が求めているのは芸術的な感性をもつ医者―鈍感な医者はもういらない」というものでした。
ちょっと厳しい書き方のように思えたかもしれません。鈍感な医者は「いらない」とまで書くのは、わたしの記事のタイトルとしてはきつい表現です。
けれども、国家資格を持ち、人の命と人生をあずかり、その報酬として高い収入を当の患者から得ている人たちに、重い責務があるのは当然ではないでしょうか。時間がなくて勉強できないとか言い訳できる立場ではありません。責任を果たせないようなら医師免許を返上して別の仕事でも始めるといいでしょう。
この記事で見てきたさまざまな事例や研究からしてみれば、この言い方はきついどころか、患者が身を守り危険を避けるためには、妥当な表現だとわかるはずです。
鈍感な医者は、患者の真剣な訴えに耳を貸さず、症状を気のせいや心因性のものだと否定することにより、必死の思いでやってきた人たちに心的外傷をこしらえます。
患者の意見をろくに聞こうとせず、ただ勝手に診断したり薬を出したりして、見当違いの治療をするばかりか、患者を子どもあつかいします。
患者を尊厳ある一人の人間ではなく、欠陥品、障害者、無能力者とみなしていることを態度で示すので、患者は無力感を増し加えます。
無力感が健康に与える影響について、がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのことにはこう書かれていました。
ある研究によると、がんから劇的な寛解を達成した人々は、治療にかぎらず人生におけるあらゆる場面で、自己責任の意識が強い傾向がありました。
彼らは医師さえ、治療のための「コンサルタント」とみなしていたのです。
劇的な寛解をした人々は、治療を自分で選ぶため医師のやり方に楯突くことも厭わなかったと指摘する研究報告もあります。
劇的に寛解を遂げた人々の、性格の変化についての研究もありました。
彼らは治癒の過程で、自律感をより強く持つようになり、無力感を克服する傾向にあったことが明らかになりました。
…ステージ4のがん診療を受けてから、劇的な寛解を達成した人と亡くなってしまった人の性格傾向を比較した前向き研究もありました。
その結果、寛解経験者の一群は、人生における出来事を自分でコントロールして自律的に人生を生きようとする傾向が高く、亡くなった人の一群はそれが低い傾向にあったことがわかりました。(p72-73)
自分で治療法をコントロールできず、言い分を聞いてもらえず、自分の身体について責任を持つことができず、無力感にさいなまれるなら、病気の予後が損なわれるのはもちろん、死亡率さえ引き上げられます。
それほどの危害を被っているのになお足りないかのように、患者は医者に高額の医療費を払わねばならず、しかも医者は自分は良いことをしていると勘違いしているのです。
幸い、今引用したところにあったように、患者は「治癒の過程で、自律感をより強く持つようになり、無力感を克服する」ことができます。無力感から脱し、自律した大人へと成長できれば、人生を取り戻すチャンスを得られます。
それはつまり、どうすることを意味しているでしょうか。
いつまでも親が過剰に干渉し、子ども扱いして何もさせてくれないなら、親元を離れて独り立ちしない限り、その影響から逃れられないのではありませんか?
そうであるなら、患者が「無力感」を克服するために、まず最初にできるのは、いつまでも一人前の人間として認めてくれない医者を、自分の意志で捨てることです。
冒頭に出てきた、神経生物学教授スーザン・バリーのエピソードを覚えていますか。
彼女は、子どものころから斜視と原因不明の目の症状に悩んでいました。藁にもすがる思いで門を叩いた眼科医には、症状を“こしらえている”と侮辱され、怒りと涙がこみ上げました。
その後、彼女はどうなったのでしょうか。
幸いスーザンは、無能な医者にあしらわれてめげるような人ではありませんでした。持ち前の研究能力を駆使して、自分の抱える症状の原因を調べ上げ、やがて優秀な検眼医(オプトメトリスト)であるルッジェーロ医師のもとにたどり着きました。
患者を尊重できる豊かな感性を持った医者との出会いによって、彼女は自分の目の症状が「ほんもの」であったことを知りました。怒りと涙をこらえて鈍感な医者の病院を後にした日とは好対照をなしていました。
視覚が改善されるかもしれないという希望をはじめて抱いて、わたしはルッジェーロ医師の診療所をあとにした。
自分の不安定な視覚にも明確な説明がつくこと、いままで、治療可能な症状についてまっとてな訴えをしていたことがわかって、ひどくほっとした。(p101)
そして、その後1年かけて、ルッジェーロ医師らと視能療法に取り組み、ついに48歳にして正常な立体視力を獲得しました。彼女はこう述べています。
わたしはようやく肩の力を抜き、これまでの過程をつらつらとふり返った。
…何よりも重要なのは、自分が幼いころから閉じ込められていた視覚の運命の犠牲者ではないのだと知ったことだ。
わたしはみずからの力で視覚を回復させることができた。
苦労してあらたに身につけた立体視力は、とほうもない安心感と自信と達成感をもたらしてくれた。
わたしはいま、奥行きに満ちたゆるぎない鮮明な視覚で、世界に相対しているのだ。(p228)
わたしたちが必要としているのは、芸術的な感性をもって、共に未来を創る手助けをしてくれる医者です。
そうした助けがあれば、わたしたちは「運命の犠牲者」であるという無力感を克服し、「みずからの力」でゆるぎない人生を取り戻していくことができます。
鈍感な医者はもういらないのです。