鬱病は偏りなく手を伸ばして来るが、かなりの信憑性で実証されているのは、芸術家的なタイプ(とくに詩人)がとりわけその病魔に弱いということだ。
そして、この病気が深刻な臨床的表われ方をすれば、犠牲者の20パーセント以上が自殺の形をとる。このようにして倒れた芸術家たちの例を現代と近代からほんのいくつか拾うだけで、悲しくもあるが、キラ星のような名簿となる。
ハート・クレイン、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ、ヴァージニア・ウルフ、アーシル・ゴーキー、チェーザレ・パヴェーゼ、ロマン・ガリ、ヴェイチェル・リンゼイ、シルヴィア・プラス、アンリ・ド・モルテルラン、マーク・ロスコ、ジョン・ベリマン、ジャック・ロンドン、アーネスト・ヘミングウェイ、ウィリアム・インジ、ディアヌ・アルビュス、タデウシュ・ボロフスキ、パウル・ツェラン、アン・セクストン、セルゲイ・エセーニン、ウラジーミル・マヤコフスキー……とリストは続く。
…このように呪われたすぐれた創造的な男女の人物を思うとき、その幼少時代に注目しないではおれない。知られているかぎりでは、病気の種が強い根をおろすのは幼少時代なのだ。(p55-57)
これは、作家ウィリアム・スタイロンの闘病記、見える暗闇―狂気についての回想に載せられているリスト、悲しいことに自殺によって命を断った作家たちのリストです。もし日本人の名前も付け加えるとしたら、芥川龍之介や太宰治、三島由紀夫などが名を連ねることでしょう。
スタイロンは、自身がうつ病を発症したことをきっかけに、自殺した作家たちの苦悩に気づくようになりました。
そして、自殺が頻繁に心の弱さと結びつけられることに当惑し、自殺という形で命を奪われた人たちの名誉のために声を上げ、うつ病の苦しみがいかに健康な人たちの想像とかけ離れた、筆舌に尽くしがたいものかを描写しました。
この記事では、スタイロンの闘病記を紹介するとともに、自殺が心の弱さの表れではないと言えるのはなぜかを考えます。
そして、今や「精神疾患」「精神病」「心の病」といった概念は完全に時代遅れであり、うつ病もまた身体疾患とみなすべきである、という近年の科学的研究を取り上げたいと思います。
これはどんな本?
見える暗闇―狂気についての回想は、作家のウィリアム・スタイロンが、60歳ごろ、1985年6月から、1986年2月にかけて急性のうつ病にかかり、生死の淵をさまよった経験をノンフィクション文学としての振り返ったエッセイです。
スタイロンは、アウシュヴィッツでどちらかの子ども殺さねばならない悲痛な選択を強いられた「ソフィーの選択」や、奴隷反乱の主導者となった黒人男性の生涯を描いた「ナット・ターナーの告白」などで知られる小説家です。
この本も自分の体験を回想したものながら、小説家らしい筆致に満ちていて、そこかしこに文学への言及が散りばめられています。翻訳者の方によると、タイトルのDarkness Visible(見える暗闇)という表現も、ミルトンの「失楽園」第一部63行から取られているそうです。(p133)
この本を読もうと思ったのは、ポール・ボガードの本当の夜をさがして―都市の明かりは私たちから何を奪ったのかの脚注で紹介されていたからでした。
うつ病の凄まじい苦しさについて知りたいなら、ウィリアム・スタイロンの『見える暗闇』(大浦暁生訳 新潮社)は必読である。出版に先行してヴァニティ・フェア誌に掲載されたエッセイは、読者を夢中にさせた(http://www…)。
見事な表現で描かれたスタイロンの恐ろしい実体験には、他人からの共感を望む当事者本人、その家族や友人、またはうつ病を理解したいと願う誰もが引きずり込まれるだろう。(p377)
スタイロンのうつ病の体験は一時的なものだったので、何年も何十年も慢性的に闘病してきた人からすれば、本当の苦しみはこんなものではない、と思えるかもしれません。
とはいえ、それまでは健康だった人が突如として深刻なうつ病に陥ったからこそ、健康な状態とうつ病の落差をはっきり比較することができ、この本の「凄まじい苦しさ」についての描写が生まれたともいえます。
子どものころから長年、慢性的な疾患を抱えている人は、かえって感覚が麻痺してしまい、自分がどれほど恐ろしいものを背負っているかはっきり意識していないことが多いからです。
この記事ではもう一冊、小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)を繰り返し参照しています。
この本は、以前の記事でも紹介した、小児期の逆境的体験と成人後の様々な病気の関連性についての科学的研究を取り上げたもので、ウィリアム・スタイロンが経験したうつ病や自殺衝動を、最新の脳科学的研究に照らして分析するのに役立ちます。
うつ病に襲われた作家たち
スタイロンの闘病記が興味深いのは、大勢の作家たちとの交流が記録されていることでしょう。作家はおそらくその敏感な感性から、うつ病や双極性障害の比率が高いことが知られてます。
スタイロンの周りにいた人たちもそうでした。スタイロンが若い頃に惹かれた作家アルベール・カミュもその一人です。
スタイロンはカミュの著作に心酔し、「ナット・ターナーの告白」を書くときには、カミュの小説「異邦人」の主人公ムルソーの「宇宙的な孤独」の表現から、強く影響を受けたと回想しています。(p34)
やがてスタイロンの著作がカミュの目に留まり、共通の友人であった作家ロマン・ガリの手ほどきで、スタイロンはカミュと対面できる一歩手前までやってきました。
ところが、もう少しでカミュに会えそうだった矢先、カミュが46歳で自動車事故で死んだという知らせを受け取ります。1960年のことです。
スタイロンは、その訃報が頭から離れなくなり、カミュの事故を分析した結果、「自殺類似行為、すくなくとも死の遊戯の色合いをおびた向こう見ずの要素がある」ことに気づきました。(p36)
そして、カミュがかねてから、自殺願望を持っていたのではないか、と思い当たります。カミュが著作の中で自殺のターマを繰り返し取り上げていたことを思い出したからです。
この事件の推理には、カミュの著作にみられる自殺のテーマを振り返ってみることが避けられないだろう。
今世紀のもっとも有名な知的発言の一つが『シジフォスの対話』[シーシュポスの神話 (新潮文庫)のこと]の冒頭にある。
「真に重大な哲学的問題はただ一つしかない。それは自殺の問題だ。人生に生きる価値があるかないかを判断することは、哲学の基本的問題に答えることになる」(p36)
しかしながら、カミュに傾倒しているスタイロンにとっても、カミュが執着する自殺のテーマは理解しがたいものでした。
初めてこれを読んだときわたしは当惑して、そのエッセイを読みすすめながらほとんどそのことばかり考えていた。
エッセイの説得力のある論理と弁舌にもかかわらずわたしには理解できない部分が多く、たえず冒頭の命題に戻ってはそれに取り組んだが、うまくいかなかった。(p36-37)
カミュの友人だったロマン・ガリも、カミュがかねてから自殺をほのめかすのを聞いていました。ガリは、カミュはうつ病だったのではないか、と推測するようになります。自分と妻のジーンがうつ病になってカミュの気持ちがわかってきたからです。
1978年8月、ガリはふたたびカミュの鬱病に関する憶測をながながと論じることになる。
…ガリと話しながら感じたのは、繰り返し起こるカミュの絶望感がいかに深刻だったかを語るガリの想定のいくらかが、ガリ自身もまた鬱病に悩み初めているという事実のために重みを増している、ということだ。(p38-39)
しかしこの時もまたスタイロンは、ガリとその妻ジーンのうつ病の悩みを理解することができませんでした。
ガリはジーンも自分が苦しんでいるのと同じ病気の治療を受けていると言って、抗鬱薬の薬物治療にいくらか言及したが、こうした話はいずれもそれほど強く頭に残らなかったし、またあまり意味のある話でもなかった。
わたしが比較的無関心だったというこの記憶は重要で、本人以外の者がいかに病気の本質を把握できないかをこうした無関心は雄弁に物語っている。
カミュの鬱病、それにこんどはロマン・ガリの、そしてジーンも確実にかかっている鬱病は、同情を寄せていたにもかかわらず、わたしにとっては具体性のない病気だった。
精神が陰険な溶解を続けているときに多数の犠牲者たちが経験する苦痛の、真の形態や性質にうすうす気づくことさえなかった。(p40-41)
やがて1980年、カミュの死の20年後に、ロマン・ガリは頭をピストルで撃ち抜いて自殺してしまいます。スタイロンは、カミュとガリという、尊敬する作家仲間を相次いでうつ病で失うことになりました。(p44)
そしてついに1985年、今度はスタイロン自身がうつ病に襲われます。耐えがたい嵐のような苦痛にさらされ、スタイロンはそのとき初めて理解しました。
自分が尊敬する二人の作家を死に追いやったもの正体、それは「激しいかたちでそれを経験したことのない者にはほとんど理解できない」ものでした。(p14)
「あまりに異質なこの苦痛の形を…想像できない」
この本の中で、スタイロンは、うつ病の苦しみは実際にそれを味わった者でなければ理解することはできず、想像すらできない、と繰り返し語っています。
スタイロンは『鬱病を表す「デプレッション」という語に強い反対の意志を示す必要があると感じ』ました。そんな日常的な言葉では、到底表現できないような苦痛だからです。(p58)
落ち込み(depression)という日常的な言葉で表現されるせいで、健康な人たちは、うつ病の苦しみは、日常の憂うつな気分の延長線上のあるものだと安易に想像してしまいます。これは慢性疲労症候群という病名が抱える問題点とよく似ています。
しかし、その実態は、日常的な憂うつさとはかけ離れた、似ても似つかぬものであり、当事者さえも容易に表現できないほどの苦痛、健康な人からは想像すらできないほどの苦痛であることが、この病気の無理解につながっていると言います。
「表現できない」という言葉がおのずと出てくるのは偶然ではない。
強調しなければならないが、もしこの苦痛が容易に表現できるものであれば、古代からその苦しみに悩む無数の人びとの大部分は友人や愛する人たちに(医者にさえも)苦悩の実際的な広がりの一部を自信をもって描き出すことができ、一般的に欠けている理解をおそらく引き出すことができただろう。
このような無理解はふつう共感の欠如によるものではなく、健康な人びとが日常経験とあまりに異質なこの苦痛の形を、基本的に想像できないことによる。(p28)
うつ病の症状は、健康な人が想像できる憂うつさや落ち込みの極端なものなどではなく、「日常経験とあまりに異質な」想像の及ばない熾烈なものなのです。
スタイロンは、作家らしく、さまざまな語彙と比喩を用いて、自分が経験した苦痛をなんとかして言葉に置き換えようと試行錯誤しています。
それは「なじみ深い処理できる憂鬱の気持をはるかに超える落ち込み」であり、「極度の不快感の中に呆然自失して身をまかせ」る「生ける屍ゾンビ」のような状態です。(p14,28,30)
しかしどんな表現もこの病気の苦痛を伝えるには的外れで上滑りするだけです。「長年のあいだうつ病とたたかったウィリアム・ジェイムズは適切な描写をさがすのをあきらめ」たほどでした。(p28)
それでもスタイロンは、少しでもうつ病の苦痛を訴えるべく、二つのたとえ話を考え出しました。1つ目は、水没する町のたとえです。
その秋、病気がしだいに身体組織を完全占拠しようとしていたとき、わたしは精神自体が洪水によって少しずつ水没してゆく小さな町の旧式電話交換機のようなものだと思いはじめた。
一つまた一つと正常な機能が水に沈みはじめ、肉体機能のいくつかと本能や知性の機能のほとんどすべてをゆっくりと切断していく。(p75)
うつ病というと、その名前のせいで、気分の落ち込みや精神的な苦痛が主な症状だと誤解されがちです。
しかし実際には、精神だけでなく肉体までもが、つまり全身の機能すべてが、徐々に侵食され、水に飲まれていくような恐怖、生きながら水没していく体験なのです。うつ病の洪水はやがて首元まで迫り、他の人とつながるための機能を切断していきます。
2つ目のたとえは歩行傷兵のたとえ、つまり大怪我を負ったまま歩き続けなければならない兵士の苦痛のたとえです。
わたしは軍隊用語を借用してこれを歩行傷兵の状態と呼んできた。
実際ほかの重病だったら、同様の荒廃状況を感じる患者はベッドにじっと寝たままだ。おそらく鎮痛剤を与えられた生命維持装置の管や線につながれているが、それでも最低限、休息の態勢にあり隔離された位置にいる。
患者の病気状態は疑問の余地も恥ずべきこともなくもたらされた当然のものだ、
しかし、鬱病の患者にはこのような特権が与えられず、したがって、歩行する戦争犠牲者のようにきわめて耐えがたい社会的過程的状況の中ら投げ込まれる。
そこでは脳をむさぼり食う苦悶にもかかわらず、日常の行事や仲間づきあいと結びつく顔とあまり変わらない顔を示さなければならない。(p97)
この比喩は、わたしたちの社会における、うつ病を取り巻く偏見を浮き彫りにしています。
ガンのような「身体的」だとみなされている重病や、文字通りの肉体の損傷が見た目にはっきりとわかる病気であれば、患者は病人として思いやりのある扱いを受けられます。
しかしうつ病は「精神的」な病気とみなされていいて、さらには外から苦痛が見えない病気であるがために、患者は周囲から理解されず、病を隠したまま日常生活を続ける歩行傷兵の苦しみを負わされるのです。
この2つのたとえが言いたいのは、当人は生きながら喰われるかのような「脳をむさぼり食う苦悶」苦痛を味わっているのに、周囲から理解も尊重もされず、助けを求めることさえできなくなってしまう、ということです。
それは、スタイロン自身の経験から明らかでした。スタイロンは友人としてロマン・ガリのうつ病を気にかけていましたが、その苦痛をわずかほどにも理解できず、ガリはやがて自殺しました。
そのガリ自身も、友人だったカミュの自殺願望の裏にある深刻さを理解できず、カミュの死後、自分がうつ病になって初めてカミュの苦しみに思い当たりました。
スタイロンも自身がうつ病になってようやく、彼らが何と戦っていたのかを知りました。どれほど聡明で感受性の鋭い人でも、実際に経験してみなければこの苦痛は理解できないのです。
「彼を実際の中に投げ込んでごらん」
こうした敏感な作家たちですら仲間の苦痛を理解しにくいのであれば、病気を経験したこともなく、ただ机上の空論をもてあそんでいるだけの医師たちともなればなおのことです。
スタイロンは、自分が助けを求めて門戸を叩いた医者が、当事者の苦しみを何一つ理解していないことを嘆きました。
その瞬間まで、わたしは博士の人格にいくらかの難点があるとはいえ、洞察力をまったく欠いているとは思わなかった。だがいまやこの点もすっかりあやしくなった。(p94)
多くの精神科医は患者の苦しみの性質の深さをほんとうに理解できないらしく、薬物にかたくなな忠誠を誓って、結局は薬剤が壁を破り患者が応答して病院の陰気な環境に入らなくてすむ、と信じているようだ。(p106)
うつ病を実際に経験したこともなく、医学の教科書を学んだだけで、何もかもわかったような勘違いをしている医者たちは、「洞察力をまったく欠いて」います。
オリヴァー・サックスが左足をとりもどすまで (サックス・コレクション)の中で引用しているモンテーニュの言葉のとおり、無思慮な医者という問題は、人類史の古くから当事者たちにつきまとい、苦痛を増し加えてきました。
現に医学は、常に経験をその実施の試金石にすると公言している。
同じようにプラトンも、「真の医者になろうとする者は、なおそうと思うあらゆる病気や、診断しようとするあらゆる症状と、それに付随する症状を前もって経験しておかなければならぬ」と言ったのはもっともである。
……本当にそういう医者なら私も信頼しよう。実際、他の医者どもは、海や岩礁や港を描いて、自分は机の前に座って、何の危険もなく船の模型を動かす人のようにわれわれに指図する。彼を実際の中に投げ込んでごらん。どうしていいかわからなくなるから。ーモンテーニュ『エセー』第三巻十三章(p14)
うつ病の苦しみは、実際に海の中に投げ込まれ、生きながら水没していく苦しみを味わった者にしか理解できません。
もしも、医学の教科書に忠誠を誓い、机上の空論で患者を治療しようとする医者たちを「実際の中に投げ込ん」だなら、そのとき初めて教科書の知識など水没していく嵐の中では何の役にも立たないことに気づくでしょう。
自殺は心の弱さではないといえるのはなぜか
実際に経験した者でなければ、その苦痛を想像することも理解することもできない。
このうつ病の本質が、最も厄介な誤解を引き起こしているのは、自殺をめぐる問題だとスタイロンは気づきました。
冒頭で挙げたリストのように、スタイロンの職業世界には、自殺によって命を断った作家たちが少なからずいました。
スタイロン自身、アルベール・カミュの自殺に近い死に方や、ロマン・ガリのピストル自殺を見てきましたし、自分もうつ病のただなかで、一時期自殺すれすれまで行ったことを記しています。
そんな中、1987年、67歳で投身自殺したプリモ・レーヴィを取り巻く世論は、スタイロンを困惑させ、とりわけ大きな問題提起につながりました。見える暗闇―狂気についての回想にはこうあります。
わたしは普通以上にレヴィの死に関心を抱いていたから、1988年の末、ニューヨーク大学で開催されたその作家と作品に関するシンポジウムの内容を『ニューヨーク・タイムズ』で読んだとき、強い魅力を感じたが最後には恐ろしくなった。
その記事によると、世界的な作家や学者を集めたこのシンポジウムの出席者の多くはレヴィが自殺した理由がわからず、残念な謎の死としているように思われた。
自分たちみんながこれほどにも賞賛していた作家、ナチスの手中であれほどにも耐えた人、しなやかさと勇気の模範だった人が、自殺によって心の弱さを示した―容認したくない性格のもろさをさらけ出した、といったふうなのだ。(p51)
プリモ・レーヴィは、悪名高いアウシュヴィッツ強制収容所の生存者であり、その忍耐力と勇気を絶えず賞賛されてきた作家でした。
ところが、彼が自殺した後になってみれば、手のひらを返した批評家たちによって、「自殺によって心の弱さを示した―容認したくない性格のもろさをさらけ出した」人であるかのように扱われてしまっているのです。
うつ病の苦痛を実際に身をもって体験したスタイロンにとって、これはあまりに理不尽かつ不当な非難でした。スタイロンは批評家たちに反旗を翻し、プリモ・レーヴィの尊厳を擁護する記事をニューヨーク・タイムズに寄稿します。
その記事でスタイロンは、「激しい鬱病の苦悩はそれに悩まされた者でなければまったく想像がつかず」「自らを破滅させるほかなくなった一群の悲劇的な人びとに対しては癌の末期にある患者と同じで、非難を負わせるべきではない―」とはっきり主張しました。(p52)
スタイロンは義憤に促されてその記事を書いたにすぎませんでしたが、ほどなくして反響の大きさに驚くことになります。スタイロンと同じように感じていながら、声を挙げることのできなかった当事者たちが大勢いたのです。
この『ニューヨーク・タイムズ』への寄稿では、自分の考えをどちにかといえば自然発生的に急いで書きとめたのだが、反響も同時に自然発生的で、しかも多大だった。
自殺と自殺への衝動について率直に発言するのは、自分にとってとくに独創性や勇気を必要とする事柄ではないと思っていたが、この問題はタブーで秘密と恥辱の事柄だとしている人びとの数を明らかに過小評価していたのだ。
圧倒されそうな反響を前にして、わたしははからずも密室の扉をあけ、自分もまたわたしの述べる感情を経験していると外へ出て叫びたい多数の魂を解き放つ助けをしたと感じた。(p53)
激しいうつ病の苦痛は、経験した人以外には理解できず、自殺した人を責めるべきではない、と感じていたのはスタイロンだけではありませんでした。同じ経験をした人すべての共通認識でしたが、彼らは社会のタブーゆえに発言できないでいたのです。
スタイロンが、仲間の作家たちの死と、それを取り巻く世論を観察して気づいたように、自殺した人は他の死に方をした人とは異なるレッテルを貼られます。
自殺それ自体の事実の受容を拒否する否定の反応があって、事故死や自然死と対立するこの自発的な行為にまるで非行でもあるかのような色彩がつけられ、人物と人格がいくらか低くされてしまったのだ。(p47)
事故死や自然死であればただ悔やまれるだけであるのに、自殺の場合は「まるで非行でもあるかのような色彩がつけられ、人物と人格がいくらか低くされて」しまいます。重罪を犯した愚か者であるかのようにみなされます。
その非難は、自殺を止められなかった家族や周囲の友人にまで及ぶので、「自殺者にごく近い人びとがしばしば熱心に大急ぎで真実を否定しようとする」ことにもつながります。(p48)
近年であれば、俳優のロビン・ウィリアムズの自殺がそうかもしれません。残された家族は、もっともな納得のいく理由を提示するよう求められてしまいます。
ロビン・ウィリアムズさんの自殺、妻が明かす「本当の原因」とは
それどころか、自殺という事実さえも否定しようとする人々もいます。故人の名誉を回復するためには、死因が自殺であってはならず、他の理由で死んだ可能性を証明せねばならない、と考えるのです。
自らに死を課した汚名はどのような代償を払ってでも抹消しなければならない憎むべき汚点だ、という人たちも存在する。
(ジャレルの死後20年以上もたった『アメリカン・スカラー』誌1986年夏号で、もとジャレルの学生だった人がジャレルの書簡集を書評しているが、文学的伝記的な評価というよりは、書評の場をかれて自殺の悪い幻影を追い払う努力をつづけている。)(p50)
自殺という行為は、故人にとってもその信奉者にとっても、永久につきまとう汚点であり、なんとしても別の可能性を示して払拭しなれければならない、とまで思われている社会的タブーなのです。
自殺は「自分で自分の命を奪う行為」ではない
なぜ、自殺にはこれほど否定的でネガティブな反応がついてまわるのでしょうか。どうして事故死や自然死の場合は惜しまれるのに、自殺による死は忌避されるのでしょうか。
それは間違いなく、大半の人たちが、自殺とは「自分で自分の命を奪う行為」だという思い違いをしているからでしょう。親から、あるいは神から与えられた命を、自分で取り去るという行為は、文化的タブーなのです。
しかし、自殺は「自分で自分の命を奪う」ことだという認識は、うつ病を経験したことのない人が、その実態を想像できないことからくる誤解の一部だとスタイロンは言います。
健康な人たちは、自分の行動は自分でコントロールしているという自由意志の幻想を抱いています。
近年の科学によって、実際にはわたしたちの行動のほとんどは無意識のうちに行なわれていることが実証されていますが、それでも大半の人たちは、自分の行動は自分で決めていると思い違いをしています。
「自由意志」は存在する(ただし、ほんの0.2秒間だけ):研究結果|WIRED.jp
だから、だれかが自殺した場合でも、自殺した人たちは、自由意志で自殺を「選んだ」と勘違いされます。自分で自分の命を断つことを「選ぶ」など、なんという不届き者だ! というわけです。
しかし、スタイロンら、実際にうつ病を経験した人たちの認識は異なります。その破壊的な衝動は、自由意志を超えたところにあり、本人も制御できないままに、自殺へと追いやられてしまいます。
スタイロンはそうした例として、 ソ連の詩人マヤコフスキーを挙げます。
ソ連の詩人マヤコフスキーは自らの死の数年前になされた偉大な同時代人エセーニンの自殺を激しく批判していた。
このことは自己破滅を非難する人びとすべてへの警告となろう。(p57)
マヤコフスキーは、当初、健康な人の観点から、自殺を激しく批判していました。ところがいざうつ病になると、自分の衝動を制御できず自殺してしまいました。明らかに自殺は理性的判断で行われるものではないのです。
まっくらやみで見えたものの著書アンナ・リンジーは、そのことを示すひとつのエピソードを書いています。
友人は話を続ける。「ブリストルでは、橋までバス一本で行ける地域の自殺率が、橋まで行くのにバスを乗り継いでいく地域よりずっと高いって、知ってた?」
「えっ! そうなの?」。わたしはその話をとても面白がり、若気の至りから軽い気持ちでこう言った。
「バスを乗り換えなくちゃ、自殺できないんだったら、そこまでして人は自殺したいとは思わないのね」
だが、それは的を射た発言だった。考え直す機会があれば、気が変わってしまうのは、それが衝動によるものだからだ。
これを裏付ける別の統計もある。解熱鎮痛剤パラセタモールの過剰摂取は、個包装の錠剤を1錠ずつ指で押し開けて服用するのではなく、がぶ飲みできる大きな瓶入りで起きている。(p167)
アンナ・リンジーは、以前の記事で紹介したように、全身の光過敏症のため、ほとんど外出できないまま過ごしています。あまりに制限された生活のせいで、ときには死をうらやむこともあります。
しかし、死をうらやむことと、本当に自殺することとはまったくの別物です。健康な人でも、辛い時は「もう死んでしまいたい」と漏らすかもしれませんが、自殺という行為はそうした気持ちの延長線上にあるわけではありません。
アンナ・リンジーが挙げている二種類のデータが示すように、ほとんどの人は自由意志から自殺を望んで決行するわけではありません。衝動に突き動かされ、本人ですらわけもわからないままに自殺してしまいます。
その意味では、自殺という行為は「自分で自分の命を奪う行為」ではないのです。自殺とは、制御できない破壊衝動によって内から喰われること、内側に巣食ううつ病という殺人者が引き起こす、一種の他殺である、とみなすことができます。
自殺において本当に非難されるに値するのは、当人の心の弱さでも周囲の人のサポート不足でもなく、殺人者であるうつ病であるべきなのです
それゆえに、スタイロンは、見える暗闇―狂気についての回想の中で、自殺に関する最大の間違いは、自殺の原因探しだと述べています。
自殺に関する最大の誤った考えは、なぜその行為がなされたかについて一つの直接的な解答(あるいはおそらく複数の組み合わさった解答)があると信じていることなのだろう。
だれかが自殺したとき、その周りにいる人たちやマスメディアは、こぞって自殺の原因探しを始めます。気持ちに折り合いをつけたいがためであれ、単純に好奇心から行われるものであれ、そうした原因探しはどれも的外れだとスタイロンは指摘します。
「なぜあの人は自殺したのだろう?」という避けられない問いは、ふつう奇妙な憶測をよぶ。その憶測のほとんどが、それ自体誤った考えだ。(p62)
たとえばアビー・ホフマンの自殺の際には、自動車事故の後遺症や、最近の著書が不評だったことや、母親の重病など、さまざまな自殺の原因が推測されました。
ランダル・ジャレルの場合は、詩人として限界を迎えた苦悩だとみなされました。
プリモ・レーヴィの場合は、母親の介護がアウシュヴィッツの苦痛にも勝る負担になっていたとうわさされました。
しかしスタイロンは、そうした一つ一つの出来事がまったく無関係だとは言わないものの、自殺の本質的な原因からは程遠い、と指摘します。
しかしほとんどの人びとは、事故での負傷や仕事の凋落や意地悪な書評や家族の病気などに相当するものを静かに耐える。
アウシュヴィッツの生存者の大部分が、かなりよく耐えているのだ。
人生の暴虐によって血にまみれ頭をおさえられても、人類の大多数は実際の鬱病に傷つくことなく、いまなお道をよろめきくだって行く。
なぜ一部の人たちが鬱病のきりもみ状態で落下していくのか、それを見つけ出すためには明白に表われた危機のかなたを探らなければならない。(p63)
大多数の人はマスメディアが原因探しで取りざたするようなストレスに直面しても自殺などしないのです。アンナ・リンジーが述べていたとおり、人は「死にたい」と思うことはあっても、実際に死ぬ人はめったにいません。
わたしたちの大多数が、どれほど辛い経験をしたとしても自殺には至らないこと、そして誰かが自殺したとき、その原因がはっきり分からないことは、どちらも自殺は通常の自由意志の結果ではないことを証拠づけています。
「病気の種が強い根をおろすのは幼少時代」
スタイロンが冒頭で述べていたように、近年の研究が示唆しているのは、「病気の種が強い根をおろすのは幼少時代」だということです。
言い換えれば、だれかが自殺した場合、そのきっかけは著書の評判や母親の介護や仕事の不調のような 直近の出来事にあるのではなく、はるか昔の出来事、周囲の人もマスコミもおそらく本人さえも思い至らない幼少期の出来事にあります。
そのことをはっきりと示しているのは、このブログで以前に詳しく取り上げた、ACE研究(逆境的小児期体験研究)の大規模な統計です。この統計では、大人になってからの様々な症状と、幼少期の出来事の相関関係が調査されました。
小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)によれば、子ども時代にどれほど逆境的経験をしたかを数値化したACEスコアは、成人後のうつ病の発症や自殺未遂と、信じがたいほど明確な相関関係を持っていました。
まずうつ病に関しては、小児期逆境の程度が一段階増えるごとに、罹患率が大幅に上昇することがわかりました。
フリエッティとアンダのACE研究では、ACEスコアが「1」の人のうち18パーセントが臨床的うつ病にかかっており、スコアが1点上がるごとに確率は大幅に増える。
ACEスコアが「3」では30パーセント、「4」以上では50パーセント近くの人が慢性的なうつ病を患っていた。ちなみにACEスコアが「4」以上の人は全回答者の12.5パーセントを占めている。
…成人期のうつ病の最も強い前兆は、「小児期の心理的虐待」である。性別に関係なく、小さいころに親を亡くすと成人後にうつ病を発症する確率は3倍になる。(p80)
子ども時代に経験した逆境の頻度が高ければ高いほど、うつ病になる確率が引き上げられることがわかります。ACEスコアが特に高く、逆境にまみれた子ども時代を送った人の場合、その後の人生でうつ病を発症するのはほとんど予定調和的な現象です。
とりわけ子ども時代の心理的虐待や親の死が強い関係を持っているとされていますが、スタイロンも、見える暗闇―狂気についての回想の中で、自分のうつ病の原因はそこにあると考えました。
わたしの病的な状況はごく幼いころから進行していた、といまは信じている。父から受けついだものだ。
…しかしいっそう重要な要因は13歳のとき母が死んだことだと納得している。
この心の乱れと幼い悲しみ、思春期中かそれ以前に親の、とくに母親の死亡や失踪に遭遇したことは、ほとんど回復不可能な情緒的大混乱をつくりだすときもあるような傷として、鬱病の文献にくりかえし現れる。(p123)
スタイロンは自分と同様の例としてアメリカ合衆国大統領のアブラハム・リンカーンを挙げます。リンカーンは終生うつ病に悩まされ、一時は自殺すれすれまで行きましたが、9歳のときに母ナンシー・ハンクスを亡くしていました。(p124)
こうした子ども時代の喪失体験は、かつては「心理的」な逆境だとみなされていました。しかし、小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)に書かれているように、現代の脳科学はそうした解釈を否定しています。
子どもが精神的な逆境やストレスに直面すると、実際に脳の細胞から発達段階の海馬を縮小するホルモンが分泌され、感情を処理してストレスを管理する力が弱まる。
磁気共鳴画像(MRI)検査を行うと、小児期のトラウマのスコアが高いほど、意思決定や自己調節に関わる前頭前皮質、不安を処理する扁桃体、感情や気分の処理、調整に影響を及ぼす感覚連合野や小脳といった脳の重要な処理領域で灰白質、すなわち脳の容積が明らかに小さい。(p81)
こうした研究が明らかにしているのは、うつ病は、従来思われていたような「こころの病」ではない、ということです。
うつ病は、心や精神、感情といったつかみどころのない領域の障害ではなく、明確な生物学的基盤の上に引き起こされる身体疾患です。
「意思決定や自己調節に関わる」脳の領域に影響が及んでいるということは、うつ病の自殺は、自由意志で選ばれるような決定の結果ではないことを雄弁に物語ります。
スタイロンが述べていたように、周囲の人やマスコミによって行われる自殺の原因探しについての「憶測のほとんどが、それ自体誤った考え」である最大の理由はここにあります。
自殺する人は、脳の状態からして、すでに健康な人とは異なっています。健康な人がときおり感じる「死にたい」という気持ちとはまったく異なる生物学的過程が、幼いころの逆境の結果として見えないところで進行しているのです。
ACE研究は、子ども時代の逆境とうつ病の関係について、ほかにも手がかりを与えています。たとえばうつ病の発症には性差があります。
女性の場合、相関関係はより深刻だ。ACEスコアが「1」の人のうち、臨床的うつ病の患者は男性が19パーセントであるのに対し、女性は24パーセントだった。
同様に、「2」では男性が24パーセント、女性が35パーセント。「3」では男性が30パーセント、女性が42パーセント、「4」以上では男性が35パーセント、女性が60パーセントという結果になっている。(p80)
女性のほうがうつ病にかかりやすい理由についても、かつては女性のほうが精神的に弱いからだ、といった性差別的な説明がまかり通っていたかもしれません。しかし脳科学の研究が進んだ今、生物学的な理由があることがわかっています。
たとえばそれは、CRH受容体1というホルモン調節遺伝子の働きにあります。この遺伝子は、ストレスの反応に関わるホルモンであるコルチゾールの分泌の調整に関係しています。
条件に「性別」を追加したところ、驚くべき結果が表れたのだ。CRHR1の対立遺伝子「A」を持つ男性は、「小児期に虐待を受けても、かなりの割合でうつ病の発症から守られていた」
…もちろん、うつ病にかかる若い男性も多い。だが、運がよければ、CRHR1が小児期の逆境がうつ病へと発展するのを防ぐテフロン遺伝子の役割を果たすかもしれない。(p159)
この遺伝子の影響以外にも、小児期の逆境がもたらす影響が男女によって異なる様々な理由が明らかにされています。
むろん、そこには感受性の強さなどの生まれながらの遺伝要因も関与しています。
多種多様な要因が複雑に絡み合いながら、小児期の逆境は成人後の病気へとひそかに進展していくのです。
「それは何十年ものあいだわたしのドアをたたいていた」
ACE研究の統計は、何より、この記事のテーマである自殺についても、衝撃的なデータをはじきだしています。
最も衝撃的なのは、自殺に関する統計だ。ACEスコアが「0」で自殺未遂を起こした人は1パーセントに過ぎないが、「4」以上では5人に1人が経験している。
統計上は、ACEスコアが「4」以上の場合、「0」の人にくらべて自殺未遂の件数は12.2倍という結果となっている。(p80)
自殺という行為が、健康な人の「死にたい」という気持ちの延長線上にあるものでないことは、この統計から明らかです。小児期の逆境を経験していない普通の人たちは、めったに自殺未遂をしないのです。
自殺という行為は、「死にたい」という軽はずみな気持ちから引き起こされるものではなく、子ども時代に仕掛けられた時限爆弾が起爆するかのように、脳と肉体に刻まれた小児期の逆境の後遺症が、何十年もの時を経て明るみに出た現象だといえます。
スタイロンも、そのことに気づきました。彼がうつ病を発症したのは60歳のときであり、それまでは、カミュが書いた自殺をテーマとした弁論を読んでも、ガリが訴えるうつ病の苦痛を聞いてもピンときませんでした。
しかし、スタイロンが自分の著作を分析してみたところ、うつ病は60歳で突然発症したものではありませんでした。見える暗闇―狂気についての回想の中にこう書かれています。
自分自身が鬱病の猛攻撃を受けそれを降伏させるまでは、わたしは潜在意識と結びつけた形で自分の作品を考える、つまり文学的推理に属する探究の領域に踏み込むことはあまりしなかった。
しかし、健康にもどり自分の試練にてらして過去を反省できるようになると、いかに鬱病が長年にわたって生活の外辺近くにしがみついていたか、はっきりと見えはじめた。
自殺はわたしの小説の中で執拗なテーマであり、主要人物のうち三人が自殺している。
何年かぶりかで自分の小説の物語をたどり、呪われた運命に向かってヒロインたちが道をよろめきくだってゆく文章を読んだとき、この若い女性たちの精神のなかに自分がなんと正確に鬱病の風景をつくりだしていたかを認めて愕然とした。(p122)
スタイロンはまったく気づいていませんでしたが、彼の作品には、有名な「ソフィーの選択」をはじめ、主人公が自殺に至るテーマが繰り返し織り込まれていました。
小児期の喪失体験は、スタイロンの気づかないところで身体をむしばみ、脳の構造を変容させていましたが、その脳の思考形態の変化は、潜在意識を通して、創作の内容にに反映されていました。
気分の混乱によってすでにかき乱されていた潜在意識から、本能でしかありえないものを働かせて、ヒロインたちを破滅に導く精神のアンバランスを描いてきたのだ。
こうして鬱病はついにわたしのところへ来たとき事実上見知らぬ存在ではなく、まったく不意に訪れた訪問者でさえなかった。それは何十年ものあいだわたしのドアをたたいていた。
わたしの病的な状態はごく幼いころから進行していた、といまは信じている。(p122)
一見突然の出来事であるかに思えたうつ病の発症は、よくよくつぶさに調べてみれば、突然でもなんでもなく、幼少期から少しずつ進行していたのです。
うつ病は「まったく不意に訪れた訪問者でさえ」なく、「何十年ものあいだわたしのドアをたたいて」いました。
このことからわかるのは、多くの人たちの命を奪う自殺もまた、直近の何らかの出来事が引き金となるような軽はずみなものではない、ということです。
近年の研究がはっきりと示しているように、希死念慮には明確な生物学的変化が伴っており、本人も気づかないところで症状が進行した結果起こる、内なる殺人者による他殺なのです。
もはやデカルトの心身二元論を捨て去るべき
スタイロンは、見える暗闇―狂気についての回想の中で、自身の闘病生活を具体的に回想していますが、そこに描写されているのは、現代の精神医学が、うつ病の実際の闘病に対してはいかに無力か、ということです。
ともかく、鬱病状態が和らいでありがたくも集中力が回復する数時間のあいだ、そのころのわたしはかなり大量の読書でこの空白を満たし、多くの魅惑的な事実や心配な事実を吸収したが、しかしその知識を実地に応用することはできなかった。(p17)
重症の鬱病に苦しむ一般患者は、市販されている多くの書物を何冊か読んでみて、基礎理論や症候学の方面では多くのことを知るが、急速な救済の可能性を筋道だてて示唆するようなものをほとんど見つけることができない。
たやすく抜け出る道を実際に説いているものは口実だけで、まずはほとんどまやかしと見ていい。(p18)
当事者たちがよく知っていることですが、いまだに医学はほとんど無力です。市販されている書物を何冊か読んだところで気分転換以外の効用はなく、かといって医学論文に目を通したところで何ら実地に応用できるような知識は得られません。
薬物療法はうつ病の症状を一時的に和らげることもありますが、根本的な解決策はもたらしません。スタイロンの場合、自殺衝動が増し加わった原因は、睡眠薬として服用していたハルシオンでした。
潜在的な危険性を持つこの種の睡眠薬をこのように乱雑に処方し、いたるところで患者たちに被害を与えているかもしれないと考えると、身のすくむ思いがする。
わたしの場合、もちろんハルシオンだけが悪者ではなかった。わたしは奈落の底へと突進していたのだが、しかしハルシオンがなければそれほどまでに低く落ち込むことはなかったかもしれないと信じている。(p11)
患者の自己調整の能力を育むわけでなく、単純に化学物質を添加して問題を解決しようとする短絡的な治療法が、ときとして重大な副作用をもたらすのは当然のことです。
スタイロンは幸運にも最終的にうつ病から回復し、その要因として入院による安心感、妻や友の支えなどを挙げていますが、すべての人がそのようなサポートを受けられるわけではありません。(p89,119)
スタイロンが、精神医学の専門家より、精神医学の知識を持たない妻の献身的な支えのほうがよほど意味があったと述べているのは何とも皮肉なことです。
わたしという存在に対して岩のように堅固な集中力を持つ相談相手で、その知恵はゴールド医師をはるかにしのぐ。
妻がわたしに与えたような援助をもし患者が受けたら、鬱病の結果起こる多くの惨事は避けられるかもしれない、とあえて意見を述べておこう。(p89)
スタイロンが患者になってみて気づいたのは、精神医学の分野がいかに派閥主義で混乱しているか、「単純な心の持主」である医者がいかに薬物療法を盲信しているか、そしていかに病気の実態について何一つわかっていないか、ということでした。(p80)
今日の精神医学界に存在する激烈で滑稽なほどのきしみを持つ派閥主義(精神療法を信奉する者と薬物療法に固執する者との分離対立)は、18世紀の医学的抗争(血を抜くべきか抜くべきでないか)にも類似していて、そのこと自体が鬱病の説明しがたい性質とその治療法のむずかしさを定義していると言ってもいい。
その分野のある臨床医が正直に語った次の言葉は、衝撃的なほどたくみな比喩だと思う。
「もし現在の知識をコロンブスのアメリカ発見にたとえるなら、アメリカ大陸はまだ知られていない。いまだにバハマ諸島のあの小さな島にいるということですね」(p19)
なぜこうもうつ病はいまだに神秘のヴェールに包まれたままなのか、いつまでも派閥主義の中で患者の実益に結びつかない不毛な議論が行なわれているだけなのか、そして、うつ病や自殺は心の弱さの現れだとみなされたままなのか。
その理由の一つは、この記事で書いてきたように、うつ病がいまだに「こころの病」また「精神病」とみなされ、精神科医たちの領分だと誤解されているからでしょう。
最先端の科学的研究からすれば、もはやうつ病は「こころの病」でも精神病でもありません。「気分障害」などと呼ばれる感情調節の問題ですらありません。
証拠が示すところによれば、うつ病は全身疾患とみなすべきものであり、もはや精神科やメンタルヘルスの領域だけで扱われるべきものではないのです。
スタイロン自身、うつ病の兆候は、まず身体に現れたことを回想しています。
その年のたぐいまれない美しい夏のあいだ、わたしは1960年代以来毎年かなりの期間をすごしてきたマーサズ・ヴィニヤードにいた。
しかし、その島の楽しみに無関心な反応を示しはじめた。一種の感覚麻痺と気力喪失、もっと特定すれば奇妙な脆弱さを感じる。
まるで肉体が実際にもろくなり、神経過敏でなんだかからだがバラバラにされてうまく動かず通常の調和がとれない、といった気分だ。
そしてまなく、広汎なヒポコンデリア、つまり心気症の激痛に襲われはじめた。
肉体面の自己があまり正常な気がしない。ときには断続的に、多くは持続的らしく痙攣や苦痛が訪れ、あらゆる種類の病気衰弱の前兆かと思われる。(p70)
スタイロンのうつ病の兆候は、単なるdepression(落ち込み)でもなければ、憂鬱な気分でもなく、「肉体が実際にもろくなり」「肉体面の自己があまり正常な気がしない」こととして感じられました。
スタイロンは「この肉体的状態は精神の防衛装置の一部だ」とみなして、感情の問題が肉体にも波及していたのだと結論していますが、現代の脳科学からすれば、それは逆です。(p70)
うつ病における感情面の問題と思えるものは、脳を含めた肉体そのものに生じた異変の氷山の一角にすぎないのです。
私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳に書かれているように、うつ病が「こころの病」とみなされてしまうのは、心と身体は別物だと分ける、デカルトの心身二元論の考え方に源を発するものです。
たいていどこの国でも、「精神病」は狂気と同義語だ。患者はそういう烙印を押されてしまう。ガン患者は同情を集めるのに、精神病患者は恐怖心を呼び起こす。
…精神を身体より上に位置づけていることも、恐怖を感じる理由のひとつだろう。それはある意味でデカルトのせいだ。彼は「我思う、ゆえに我あり」で二元論の形を定め、身体と精神を分けてしまった。
でもデカルトひとりが悪いのでもない。私たちは精神と身体が別個のもので、精神が身体をコントロールしていると直感的に思っている。だから身体ではなく精神が病むことを恐れるのも無理はない。(p312-313)
デカルトの考え方は、わたしたちが直感的に陥りやすい誤りでもあります。身体を別にした精神や思念といったつかみどころのないものが存在している、という誤りです。
うつ病をはじめとする「精神病」は、そうしたつかみどころのない精神の領域の問題だと誤解されているせいで、いまだに神秘のヴェールに包まれた謎多きものとみなされ、狂気と同義のものとして恐れられています。
たとえば、慢性疲労症候群の当事者たちは、自分は感情の障害を抱えているわけではないのでうつ病と混同されたくないと訴えていますが、それはうつ病を「こころの問題」とみなす誤った前提がまかり通っていればこそです。
実際には、慢性疲労症候群は「身体の病気」、うつ病は「こころの病気」などと分類できるようなものではなく、どちらも全身の疾患であり、単に生物学的特徴が異なっているだけにすぎません。
心の病でも脳の疾患でもなく、全身の病気
この心と身体を分けようとする非科学的な見方は、科学が発展する以前の霊魂や悪霊が恐れられていた時代の名残りでもあります。
たとえば、現代の脳科学は、かつて悪霊憑きや幽体離脱などと恐れられていた現象は、脳科学的な解離現象であることを明らかにしました。
人々が恐れていたものは、得体のしれぬ精神世界の現象などではなく、肉体に根ざした生物学的現象だったのです。
同様に、今日の科学は、すでにデカルトの心身二元論のような、心とは身体とは別に存在する得体の知れないものであるという迷信を打ち崩し、その神秘のヴェールを取り払っています。
それでも精神病を神経心理学的な視点から見ていくと、身体と精神の二分法は誤りであり、誤解を生じさせることがよくわかる。
自己感覚を構成するさまざまな側面は脳にある。もしくは精神に属するものだとふつうは思われているが、実は身体とも密接に結びついているのだ。(p313)
別の記事で詳しく書いたとおり、アントニオ・ダマシオなど、意識や自己の感覚を専門とする現代の科学者たちは、感情とは身体の状態から生じるものだということを明らかにしました。
例えば、米国科学アカデミー紀要に載せられているBodily maps of emotions(感情の身体地図)の研究が示しているように、わたしたちの多種多様な感情は、身体全体のサーモグラフィーの地図と連動しています。
Bodily maps of emotions | PNAS
わたしたちが実体験から知っているとおり、ゆったり身体を温めれば、安心感や幸福感が生じますし、寒い戸外で冷え切ると心細くなり気分が落ち込みます。わたしたちの感情は、身体を土台として生じているのです。
こうした単純な例を挙げるだけでも、感情の障害とみなされているうつ病のような病気は、実際には身体を土台として生じる身体疾患であることが類推できます。
そして、こうした科学的な理解を土台に思考することが、うつ病から神秘のヴェールを取り去り、精神科医たちの狭い領域から引きずり出して、全身の疾患として研究していくための第一歩だとされています。
私たちの直観に反して、精神と物質の区別はそれほどはっきりしていないし、精神が物質の上に君臨しているわけでもない。私たちの自己感覚(とその混乱)は、身体という土台があって成りたっている。
そんな認識から出発すれば、精神病の治療に身体的要素を導入する試みもできるだろう。
何より精神病に貼られているレッテルをはがすことができる。精神病といえども、ほかの病気と変わらないということだ。(p314)
改めて強調しておきたいのは、うつ病は心の病気ではなく脳の病気である、というありきたりな表現もまた誤りである、ということです。
心の病気を脳の病気だとするモデルは、精神疾患に貼られたレッテルを払拭できません。精神疾患は脳の病気だ、と言い換えたところで「頭がおかしい人」だとみなされるのは同じです。
身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、トラウマ研究の第一人者であるヴァン・デア・コークがこう書いているとおり、精神疾患が脳の病気だとするモデルでさえ、もはや時代遅れです。
精神的な問題を脳の疾患として捉える脳疾患モデルは、人々の運命の主導権を本人の手から奪い取り、彼らの問題の解決を医師と保険会社に委ねる。
過去30年間に精神科の薬は、私たちの文化にとって不可欠になったが、その結果は心もとない。
抗うつ薬の場合について考えてほしい。もし私たちが思い込まされているほど抗うつ薬が有効なら、うつ病は私たちの社会では今ごろ些細な問題でしかなくなっていたはずだ。
ところが、抗うつ薬の使用は増え続けているというのに、うつ病の入院患者は減ってはいない。
…薬から多額の利益が挙がるようになったので、主要な医学専門誌は、メンタルヘルス上の問題のための非薬物治療に関する研究はめったに掲載しない。
さまざまな治療法を探求する専門家は、主流から外れた「代替療法」(オルタナティブ)としてたいてい無視されてしまう。非薬物治療の研究はほとんど資金提供を受けることはない。(p69-71)
この明快な説明が示すように、うつ病は脳の病気であるというモデルは、うつ病は心の病気であるというモデルを現代風に言い換えただけにすぎず、薬物療法だけを不当に優遇する結果を招いています。
心の病気や精神疾患を定義している壁を打ち壊せれば、「精神病の治療に身体的要素を導入する試みもでき」ます。精神科医たちが信奉するような薬物療法だけでなく、脳の可塑性を引き出すような身体的治療の可能性に目を向けられます。
そうした治療法こそ、うつ病によって損なわれ、自殺衝動の原因となる脳の領域、つまり「人々の運命の主導権」を取り戻させることを目的とするものなのです。
精神科を隔てるベルリンの壁を打ち崩す
うつ病をはじめ、これまで精神科的なものだとみなされてきた病気に対する偏見を払拭するには、当事者レベルで認識を変えていくことが不可欠です。
小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)に書かれているとおり、今や精神科とそのほかの病気とを隔てている壁を打ち壊す必要があります。
さらに変革を妨げているのは、身体疾患と精神疾患の成人向けの薬が依然として異なる分類に属していることだ。
「医療行為の行い方」にACE研究を利用するには、従来の医療における「身体」と「精神」「心理」のあいだの壁を撤廃することが必要となる。
といっても一筋縄ではいかないだろう。内科医は手で触れられるもの、目に見えるもの、顕微鏡やスキャンで検査できるものだけを扱うように訓練されてきたからだ。
だが、現在では小児期の体験が脳の遺伝子に変化を及ぼすという科学的根拠があるため、もはや境界線を引くことはできない。(p312)
今は、当事者たちがベルリンの壁を打ち壊すときです。
スタイロンが述べていたように、医学の世界は派閥主義が幅を利かせ、もはや互いに相容れないまでの高い壁で仕切られています。それによって、壁の向こう側の世界は、神秘のヴェールに包まれたままになっています。
個々の当事者は、上辺だけつくろった医者たちが、大衆向けの本やメディアで発信している時代遅れの情報からではなく、日夜進歩している最先端の脳科学や神経心理学から学ぶべきです。
これまで「こころの病気」とみなされてきたものが「全身の病気」であり、身体に刻まれた幼少期の後遺症や長年にわたる脳の変化の上に成り立っているという認識を当事者自らが深めていけば、「何より精神病に貼られているレッテルをはがすことができ」ます。
やがて精神疾患と身体疾患を隔てているベルリンの壁が完全に崩壊すれば、もはやスタイロンが苦しんだような歩行傷兵の苦しみ、すなわち精神疾患だから人目を気にしなければならないといった苦悩も過去のものとなるでしょう。
今やデカルトの心身二元論の名残りを捨て去り、精神と肉体を隔てている壁が撤廃されるべき時代が来ているのです。
「見える暗闇」の先へ進むために
この記事では、ウィリアム・スタイロンの見える暗闇―狂気についての回想をもとに、うつ病や自殺を取り巻く、本人以外には理解できない問題について考えてきました。
うつ病は「こころの病気」とみなされ、自殺は「心の弱さ」だとみなされる、それゆえに当事者や周りの人たちが形見の狭い思いをしなければならない。それがスタイロンの闘病記から30年近く経った今も変わらぬ現実です。
世間の認識はほとんど変わっていないとはいえ、この30年のあいだに、脳科学は急速に進歩しました。今や、30年前には確認することさえできなかった脳の萎縮や炎症を、画像データとして視認することさえ可能になりました。
心、そして感情や精神とみなされてきたものは、身体を土台として形成されている身体感覚の一部であることが明らかになり、小児期逆境が肉体に生物学的な禍根を残していることも白日の下にさらされました。
スタイロンの時代、うつ病の研究が「いまだにバハマ諸島のあの小さな島にいる」ようなものだったとすれば、いまやわたしたちは、いよいよ新大陸に上陸する転換期にいます。
当事者たちが実体験から見ていただけだった「見える暗闇」が、いまや科学的に視認できるようになりつつあると言ってもよいでしょう。
ガリレオが初めて自作の望遠鏡で月を視認したとき、月は完全な球体であるという常識が覆されたように、あるいは星雲を視認したとき、星雲は雲ではなく星々の集まりだと判明したように、科学のレンズは古い常識を覆していきます。
わたしたちはそうした新しい科学の発見についていく必要があります。
そうすることで、今まで太刀打ちできなかった神秘のヴェールを剥がし、自分を取り巻いていた暗闇の本質を初めて見つめることができます。「見える暗闇」の向こうへ、その先へと一歩一歩進んでいくことができるのです。