病気を経験することと、病気から学ぶこととは、まったく別です。わたしは最近、そのことをじっくり考えています。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という言葉があります。困っているときには教訓を学んだように思うが、辛い状況から解放されると、学んだ益をすっかり忘れ去ってしまうことです。
わたしは慢性疲労症候群になって失ったものが数多くある中で、得たものも少なからずあると思っています。健康な生活を送っていては気づけないこと、知る機会がなかっただろうことが幾つもありました。
もし健康になれば__わたしはそろそろ治って当然と思っているのですが__こうしたものをすっかり忘れてしまうのでしょうか。忘れないためにはどうすれば良いのでしょうか。
ひとつの方法は、何を学んだか、意識して考えておくことだと思います。その一環として、友人に会ったときに、「CFSの経験から何か学んだことがありますか」と尋ねてみました。
見かけと実情は違う
友人は、「CFSになって学んだことは、それはもう多くあった」と答えました。特に「人に対する見方が変わった」そうです。
元気なころこんな経験をしたと言います。
普段、「わたしは病気で大変だ」と言っている人がいました。ところがある日、だれかと楽しそうに会話していたり、買い物に出かけたりしているのを見かけました。それで、「なんだ、元気じゃないか、大袈裟に言うものだ」と思ったそうです。
しかし自分がCFSになってみると、同じような状況に陥りました。
しんどいときに限って、「元気そうだね」と言われたり、杖を少し手放していると「杖なしでも歩けるんだ」と言われたり、少し自転車に乗っていると、「なんだ、自転車に乗れるのか」と驚かれたりするのです。
見かけから分かることと実情は異なる、ということを知るようになったといいます。
それを聞いて、わたしは若年性パーキンソン病を生きる―ふるえても、すくんでも、それでも前へ!という本の、こんな川柳を思い出しました。
あれあなた 走っていたよね 駅前を (p304)
確かにそのとき走っていたのは事実です。でもそれは元気だから走っていたわけでなく、病気の症状のひとつです。何よりいつも出歩けるわけではありません。そんな気持ちの川柳かと思います。
状況はいつも同じではない
見た目と実情は違う、ということを別の言葉で言い換えると、状況はいつも同じではない、ということもできます。今、この瞬間、元気そうなのだから、いつも元気なのだろう、と判断するのは間違っている、ということです。
前の記事で、CFSの人はプッシュ/クラッシュ・サイクルに陥りやすいということを書きました。今、元気そうにプッシュしているのは、これまでクラッシュ状態にあって、何もできない毎日に飽き飽きしていたからかもしれません。
あるいは、今元気そうに見えても、それは精一杯の自分を演出しているからに過ぎず、家に帰ったあとは、疲れ果てて動けなくなってしまうかもしれません。
見た目と実情は違う、状況はいつも同じではない、今“元気そう”に見えるからといっていつも“元気”とは限らない。どんな言葉で表現するとしても、これはCFSになった人が身をもって痛感させられる事実だと思います。
わたしの経験については以下の記事に書いています。
見た目は元気そうだから。慢性疲労症候群(CFS)独特な問題(上) |
経験するだけでなく、そこから学ぶ
大切なのは、しんどいのに「元気そうだ」と言われて辛かった、という経験で終わらせないことです。始めに書いたように、病気を経験することと、病気から学ぶことは違います。
経験するだけでは、病気が治れば、忘れてしまうかもしれません。それどころか、他の人に同じような扱いをしてしまうことさえあるかもしれません。それでは、せっかくの経験が悲しすぎます。
病気から学ぶには、自分がどのような扱いを受けて辛かったか、ということから一歩進んで、では他の人に接するとき、どうすれば教訓を活かせるか、ということも考えてみる必要があります。
最初に述べたように、友人は「人に対する見方が変わった」と言っていました。見た目の印象に基づいて判断するのではなく、相手はどう感じているのか、普段はどんな気持ちなのだろうか、と考えて発言するようになったということです。
「わたしは病気で大変だ」と言っている人が、元気そうにしていたことについては、こう考えるようになりました。
「たぶん、元気だから楽しそうだったんじゃなくて、ふだん本当にしんどくて、だれとも会えないからこそ、そのとき元気そうに見えたんだ。だれかと話したり、外出したりするのは、めったにない機会だから、とても嬉しくて、顔色がよくなるんだよ」
わたしたちはつい、その場で見たことだけを切り取って考えてしまいます。でも、もっと視野を広げて、なぜ今は元気そうに見えるのか、普段はどんな状態にあるのか、という点を考えるなら、もっと温かい、その人の実情に沿った言葉をかけることができるでしょう。
わたしも、見た目が元気そうに見える、というCFSの特徴には、これまで散々苦しめられてきました。わたしはまだまだですが、CFSの独特な経験を疎むだけでなく、友人に倣って、そこから学べるよう、今後もときどきこんな記事を書いていきたいと思います。